2012年11月22日

「藤本敏夫」 後の10年を語る

 

大地を守る会初代会長、元 「鴨川自然王国」 代表理事、

藤本敏夫さんが亡くなられて10年が経った。

亡くなる前に、当時の武部勤農林水産大臣に宛て、

次代の食と農を再建する道筋を説いた 「建白書」 を提出し、

若者たちに向かっては 「農に帰ろう」 と呼びかけた。

「青年帰農」 は藤本さんの遺した最後のメッセージだ。

 

11月17日(土)、この10年の時を見つめ直す集い。

藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~」。

 

場所は、学生運動に青年の血潮を燃やされた 「いちご白書」世代には

実に懐かしいことであろう、日比谷松本楼。

それらしい世代のひと癖ありそうなおじさんたちが続々と集まってくる。

なかに混じるように、藤本さんの影響を受けた我々世代や若者たちの姿がある。

これはけっして同窓会ではない。

この10年の流れを読み解き、未来への希望を確認するために、

僕らは集まったのだ。

 

妻の加藤登紀子さんが持参した写真が飾られた。

いい顔してる。 藤本さんはホントにカッコよかった。

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" 獄中の男と結婚!"  という、

芸能界では今もって例を見ない伝説のスキャンダルから始まり、

幾度かの離婚の危機を乗り越え (僕が知っているのは1度だけだけど)、

鴨川自然王国設立の時には  " 円満別居 "  なる新語が生まれた。

危うい関係のようでいて、僕らには分からない  " 絆 "  が二人をつないでいた。

 

定員180名の部屋にぎゅうぎゅうと詰め込む。

文句や不満は言わせず詰め込む。

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17:00、第一部の開会。

実行委員長・藤田和芳 ((株)大地を守る会代表取締役) の挨拶。 

 

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  いま世の中は大変な混乱のなかにある。

  もし藤本さんが生きていて、この状況を目の当たりにしたら、

  いったい何と言うだろう。 そしてどんな行動に出るだろう。。。

 

藤田のこの言葉が、今日の基調になったようだ。

 

司会をお願いしたのは、フリー・アナウンサーの山川健夫(ゆきお) さん。

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元フジテレビのアナウンサーだが、

いただいたプロフィールに、すでに気合いが入っている。

「 1970年、朝の情報番組内での 「ベトナム反戦通信」 がもとで番組を降ろされた挙句、

 その後の社内闘争でアナウンサー生命まで失う。  もっとも

 今も番組に出ていられたとしても、「反原発通信」 で間違いなく降ろされていただろう。

 1985年退社後、東京を離れ、房総の里山で 「農的暮らし」 を実践。

 しかし昨年の3.11後、放射能によって快適な循環的暮らしを断たれた。

 「いのち」 を無視した人間社会の在り方を根こそぎ変えたい。」

 

 明治大学 「野生の科学研究所」 所長・中沢新一氏による記念講演。

タイトルは、

「今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~」。

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開催近くなって、ご本人は 「赤から緑へ」 という表題を希望してきたのだが、

もう案内チラシにも書いちゃったんで、とやんわりお断りした。

もしかしてご機嫌ななめかと心配していたが、冒頭からその話で切り出された。

「 『赤から緑へ』 のタイトルでやりたいとお願いしたんだが、

 どうもみんなから不評を買ったようで・・・」

すみません。

 

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中沢さんは、大きな歴史的文脈のなかで

藤本敏夫という人物を捉え直されていたようだったが、

この会の事務局責任者としては、話は聞こえていても頭に入らない。

裏方はけっこうドタバタで、

あの人が来ない、あれがない、3階(第2会場) に中継がつながらない、、、

とかなんとか、いろんな調整と判断で焦ったり混乱したりしていたのだった。

覚えているのは、こんなくだり。

「 藤本さんはただ有機農業の必要性や意義を語っていただけでなく、

 文明の流れを読み、描き、しっかりした歴史観を持って、語り、行動された。

 ただ、ちょっとだけ早過ぎた。。。」

 

講演に続いて、登紀子さん司会によるトークセッション。 

「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方 」  

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パネラーは、まず

農山漁村文化協会・編集局次長で季刊 「地域」 編集長、甲斐良治さん。

2002年、増刊 「現代農業」 の編集長時代に 『青年帰農』 特集号を組み、

病院で藤本さんのインタビューを行なった。 それが藤本さん最後の言葉となった。

次に、山形・米沢郷牧場代表の伊藤幸蔵さん。

1999年、藤本さんの呼びかけで結成された

「持続農業推進 青年農業者連盟」 の代表も務めている。

 

「茨城自然小国」 の斎藤博嗣さん。 脱サラを考えていた時に

『青年帰農』 特集号に出会い、鴨川自然王国を訪ね、茨城で就農した。

そして、現在の鴨川自然王国代表である藤本博正さん。

経過は斎藤博嗣さんと同様だが、こちらは自然王国のスタッフとなって畑を耕し、

藤本さんの次女・ 八重ちゃんと結婚した。

藤本さんが亡くなって自然王国をどうしようかという話になった時、

「私が受け継ぐ」 と宣言したのが八重ちゃんだ。 

その後の運営に、博正さんの存在が大きな力になった・・・んだと思う。

 

藤本さんはよく、農 「業」 に進まなくてもいい、「農業ごっこ」 のようなものでもいい、

とにかく 「農」 に触れる、「農」 を知る、「農」 的な暮らし方が大事である、

と説いていた。

そういえば大地を守る会の会長時代、

「大地を守る会は有機農業運動の小学校である」 と言われたことがある。

つまりどんな人にも門戸を開放して、

たくさんの人たちに有機農業に触れる機会を提供する、

そんな入門編的な役割がある、と。

藤本さんはあの時点ですでに、中学校も高校も大学も想定した

新たな構想を描いていたワケだ。

 

登紀子さんはステージで、よく語っていた。

「夢見る男は美しい」 と。

あの頃、オレたちチンピラは飲むたびに

「夢だけじゃ食えねえんだよ」 と野良犬のように吠えていた。

 

いまたくさんの若者が有機農業を目指す時代になった。

「有機農業で飯が食えるか」 という大人の問いかけなどモロともせず、

「農」 の世界に飛び込んでくる若者たち。

彼らは、「飯を食う」ため、の前に、「生き方」 として

「有機農業」 を土台にした暮らし方を求めているように思う。

彼らがこれからどんなふうに社会にコミットし、

どんなムーブメントを起こすのかはまだ未知数だが、

社会の価値観の地殻変動を示すひとつのマーカーであることは間違いない。

明日の 「土と平和の祭典」 の主役も彼らたちだし。

 

セッションの内容は、、、ちゃんと聞けてないので割愛。

藤本さんの思い出ではなく、「青年帰農」 から生き方を変えた男たちの

今今の  " 農への思い "  が語られたことと思う。

それが登紀子さんが願った藤本さんへの餞(はなむけ) だろうからね。

 

とりあえず、一部終了。

 



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