2013年1月27日

食べるべきか・食べざるべきか~ の議論はもうやめたい

 

(前回からの続き)

有機農業技術会議代表理事、明峰哲夫さんの論。

「 放射能はどんな線量でもリスクはある(閾値はない)、は前提の話として、

 それでも福島に留まって農業をやる、その意味を考えたい。

 中濃度あるいは低濃度の外部被ばくを受けながら、

 安全な食べ物を作ってくれている人たちがいる。

 そのような農業者の犠牲の上に立っていることを、どう考えるのか。

 

 「危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない」

 これは論理的に正しいかどうか、ということではない。

 農地や山林や家畜を担いで逃げることはできない。

 " 逃げられない営み "  によって社会は支えられているのだ。

 それだけに私たちの責任は重たい。

 " 食べない "  というのは、福島から逃げていることと同義である。

 

 " 危険だから逃げる "  でなく、" 大丈夫だと思うから留まる "  でもなく、

 " 危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない "

 という第3の道を、圧倒的多数の農業者たちが選択したのである。

 このことの意味を考えなければならない。」

 

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「有機質で腐植が多い肥沃な農地はベクレル数が低い」

ということを経験的に獲得してきた菅野正寿(すげの・せいじ) さんが

その思いを語る。

「 何で逃げないのか、とヨーロッパの記者に聞かれたが、

 3500年続いてきた稲作文化を支える農耕民族として、

 逃げるワケにはいかなかった。

 この土地でどうやって生きるか、が問題だった。

 

 昔から  " 良い田んぼ "  と言われた田んぼの米はゼロ Bq だった。

 ゼオライトより、良い堆肥を施した方がよいとさえ思う。

 地形も土壌の性質も知っているのは農家自身。

 農家と科学者が一緒になって取り組む必要がある。」

 

小出裕章さん。

「 苦悩の中で逃げずに、生産している人たちがいることは理解している。

 その人たちとどう連帯するかが私の課題である。

 しかし  " 逃げたい "  という人たちに対しては国が支援しなければならない、

 ということははっきりと言っておきたい。」

 


「第3の道と言われたが、むしろそれこそ第1の道なのかもしれない」

と中島紀一さんがフォローする。

「 自給率の高い地域というのは、

 ある意味でもっとも人間らしい生活をしてきた地域でもある。

 そこでは、その土地で暮らすことは本来の暮らし方そのものであって、

 簡単に逃げられるものではない。

 むしろ人類固有の価値だとも言える。」

 

しかし小出さんは 「子どもを巻き添えにしてはいけない」 という。

今たたかっているのは放射能である。 放射能には勝てない。

特に子どもは一手にそのダメージを引き受けている。

大人が留まると、子どもも留まらせてしまうことにつながってしまう。

その考え方には、私は躊躇せざるを得ない。

 

「私は食べる」 と言い切る小出さんは、

親と子で食事を分けることもやむを得ないと考える。

これに真っ向から反論、いや 「もう一つの視点もあるのではないか」 と

問題提起するのが明峰さんである。

「 子どもを守ろう、には異論を挟む余地はない。

 しかし、それも程度の問題ではないか。

 子どもだけを特別扱いにしてよいのだろうか。

 子どもにも 「一緒にたたかおう」 と言うのも、親の責任ではないか。

 チェルノブイリの時も、私は子どもと一緒に食べた。

 " オレを恨むな、ゲンパツを恨め " と言いながら。

 

 逃げられない食生活があることも知るべきだ。

 食をともにすることは子育ての大切なファクターであり、

 健康のために分けることが唯一の選択ではない。」

 

暴論と叩かれるのは覚悟の上で、

言っておかなければならないと思ってきたことだと吐露しながら、

小出さんというより会場に挑みかかってくる明峰哲夫だった。

重たい意見だ。。。

いやしかし、この対立にはどこか違和感が残る。。。

 

小出さんが最後のほうで漏らした。

「 農民の土地に対する執着は理解できる。

 様々な生き方があって、私から一概にこうしろとは言えない。」

 

住民の暮らしを守るために、取るべき国の責任は明確にしなければならない。

しかし個々の生き方まで強制的に縛ることはできない。

というのが本来のありようかと思うが、

強制すべきレベルを議論しなければならないほどに、

罪なことをしてしまったということか。

この議論は決着がつかない。

避難したいのにできない、あるいは避難所から次の暮らしの見通しが立たない、

という人たちがいる、放置されている現状がある。

そのことを議論した方がいいんじゃないか。

 

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休憩後、質疑があり、コーディネーターの大江さんから、

福島県産の物流状況はどうか、とコメントを求められたのだが、

違和感を引きずってしまっていて、

頭の中が未整理のままマイクを握ってしまった。

以下のような主旨の発言をしたつもりなのだが、

まとまっていただろうか、とても不安。。。

 

福島は、私たちにとって大切な一大産地である。

明峰さんは 「 " 食べない " は福島から逃げる行為」 と言われたが、

大地を守る会を含め、産地や農民との関係を大切にしたいと考えた組織の多くは、

取り扱いを継続した。

お店でいえば、「たとえ売れなくても、棚からは外さない」 という姿勢を示したのだ。

売り場から外すことは、関係を断ち切ることである。

棚があることで、情報は流れ、支援の道筋も作られる。

しかしそれを維持するには、測定結果の開示は必須条件だった。

菅野さんの二本松東和にはカタログハウスさんが、

私たちは須賀川にと、測定器を送って支援するという形がつくられた。

測定器は、生産者の対策を検証する道具にもなった。

関係は以前よりも強化された、とも言えるかもしれない。

 

とはいえ、福島産の農産物に対する拒絶反応は今も根強くある。

測定結果を示しても、そう簡単には拭えない不安が存在している。

徐々に、少しずつ回復している (時間がかかる)、

というのが私の現状認識である。

 

討論を聴いての感想をひと言でいえば、

「正解はない」 ということだろう。

科学者はそれぞれの信念や科学的根拠に基づいて語っていただければよい。

余計な政治的配慮などが伴ったりすると、かえって不信感を醸成させる。

あとはそれぞれ個々の判断ということになるのだろう。

避難すべき、食べるべき、と  " べき論 "  だけで論争しても相互理解に進まない、

人それぞれの思いや世界観・人生観があるのだと思う。

 

私たちがとってきたスタンスは、

" そこに仲間がいて、たたかっている以上、支援する "  である。

これまで私たちの食卓を支えてくれた人を裏切るわけにいかない以上、

それしかない。

そして、測定結果を伝え、自分たちの基準値を示して、

食べてほしいと伝えるのみである。

 

「60歳以上は食べよう」 という小出さんの論を借用させてもらったこともあるが、

そう簡単には受け入れられなかった。

また小出さんの主張される

「60禁(60歳未満は食べるのを控える)・50禁・40禁~」

というような基準設定は、

全般的にかなり低い水準に落ち着きつつある現状を考えると、

非現実的というか、設定そのものが不可能だと思う。

 

土を回復するために人智を尽くす、その作業を支えるのは

今に生きるものの義務だと思っている。

(もちろん  " 支える "  とは、食べることだけではない。)

放射能とたたかっている人は、未来社会を築いている人たちだ。

私たちが直面している生存の危機は、

エネルギー・資源問題、温暖化、生物多様性の喪失などたくさんあるが、

総合的に対処する力を持っているのが有機農業だと信じている。

そういう観点からも、福島のたたかいを受け止め、

粘り強く、人をつなげていきたい。

 

・・・・・と、そんなことを考えたのだが、

喋れたのはおそらく半分くらいだったような気がする。

 

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最後に、福島から来られた方々が紹介され、

代表して山都(喜多方市) に住む渡部よしのさんが、

これまでの苦しみや現状を語ってくれた。

よしのさんは新規就農者ではないが、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバーとして、会津ネギなど

地域で育まれてきた在来野菜を作り続けてくれている。

 

閉会後、小出さんに挨拶する。 

実は小出さんも、昨年の放射能連続講座に呼ぼうとして、

どうしても都合が合わなかった方の一人だ。

「まだ諦めてませんから」 と伝えると、

「いやあ、大地を守る会に僕が貢献できるものはないよ」

と言われてしまった。 

改めて小出さんを呼ぶかどうか、正直言って、僕は迷っている。

" 食べる・食べない "  をべき論で区分けしたくない。

小出さんにはやっぱり、食品をどうのではなく、

原発そのものを語ってもらった方がカッコいいと思う。

 

討論会報告は以上。

疲れた。。。

 



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