2013年2月 7日

陸前高田で復興にかける八木澤商店、"魂" を語る

 

引き続き、こちらの報告も遅ればせながら。

 

1月22日(火)、大地を守る会の幕張本社に、

岩手県陸前高田市から老舗の醤油メーカー

 (株)八木澤商店の九代目社長、河野通洋さんが来社された。

せっかくの機会だから、ということで

夜に社員向けに河野さんの話を聞く場が設けられた。

 

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1807(文化4) 年、八木澤酒造として創業。 以来205年の歴史を誇る。

全国しょうゆ品評会で何度も農林水産大臣賞を受賞した、

東北一の哲学のある醤油メーカーと称えられてきた。

しかし2011年3月11日の震災で蔵も工場も全壊。

この難局を乗り切るにあたって、

先代の和義さんは息子の通洋さんに再建を託した。

 

絶望的な状況の中で、敢然と 「再建する!」 宣言をした若社長。

いよいよ新工場でのしょうゆ製造開始、まで漕ぎつけた。

快活さの中に気骨を感じさせる青年。

ジョークも飛ばしながら、歯切れのよい語り口で、

八木澤商店復活の物語を語ってくれた。 

 


僕は15分ほど遅れて席に着いたのだが、

通洋さんはちょうど八木澤商店の経営理念を語っていた。 

一.私たちは、食を通して感謝する心を広げ、

   地域の自然と共にすこやかに暮らせる社会をつくります。

一.私たちは、和の心を持って共に学び、

   誠実で優しい食の匠を目指します。

一.私たちは、醤(ひしお) の醸造文化を進化させ伝承することで

   命の環(わ) を未来につないでゆきます。

 

この経営理念に沿って、

まずは自分たち(地域) の自給率を上げることをモットーとして営んできた。

70代の生産者も一緒になって米をつくり、

それを地元の飲食店でも活用し、食育活動にも活かす。

地域丸ごとになって子どもたちを育てることで、後継者が育ち文化が継承されてきた。

それが地域に付加価値を与えることにもつながった。

 

地方にとって厳しい経済情勢の中でも、地域の経営者が集まって、

" 一社も潰さず、一社でも新しい雇用を生み出してゆこう "  と

皆で決算書を持ち寄って話し合ったりしてきた。

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3.11によって、2万4千人の人口の町で1800人が亡くなったが、

皆で助け合って、子どもたちは守りぬいた。

八木澤商店のある地区は 99% が壊滅したが、

3月14日には、「生命の存続 (生きる、暮らしを守る)」 を基本方針に掲げ、

まずは地域の生命維持のための物資の配給ボランティア活動から再出発した。

残った自動車学校をベースキャンプにして、

救援物資を配りながら、教室を使って勉強会を開いた。

官も民もなく、銀行も一緒になって

地域の事業所の倒産防止と雇用の確保のために奔走した。

 

八木澤商店としては、自動車学校に仮住まいをしながら、

4月1日から仲間の同業者に依頼しての委託製造を始め、

5月2日には4アイテムの製品を初出荷することができた。

順次製造アイテムを増やしつつ、商品がそろう前に東京に営業に出た。

 

ミュージシャンを救うことを目的に設立された

ミュージックセキュリティーズという復興ファンドから声がかかり、

半分は義援金・半分はファンドという形で再建のための出資を募り、

目標とした金額を3ヶ月で集めることができた。

 

2011年の12月には一関市花泉町につゆとたれの製造工場を借り、

自社での醤油加工品の製造を再開。

12年5月には同市大東町の小学校跡地を買い取り、新工場の建設に着手。

同年8月、陸前高田市矢作町に残っていた廃業した旅館を改築して

新本社(店舗) をオープンさせた。

外装は土蔵の壁に漆喰を塗った 「なまこ壁」 を再現させた。

 ( 左官屋さんは 「これが人生最後の漆喰塗りの仕事だ」 と語っていたが、

  それが新聞に紹介されたことで、注文が殺到したそうだ。)

小学校の校舎が残ったままの新工場は12月に完成し、

いよいよ念願の新しい仕込みが始まる。

 

震災から半年後の9月、

河野さんたち陸前高田の経営者が集まって、

復興のためのまちづくりの会社 「なつかしい未来創造 株式会社」 を設立した。

復興の先にある 「なつかしい未来」 に向かって、

50年で500人の雇用を生み出す新事業を展開させるのだと言う。

" 私たちは、みんながニコニコできる地域をつくるため、

  人々が共感する事業をたくさん生み出します。 "  と謳う。 

この会社の設立には、大地を守る会代表の藤田和芳が代表理事を務める

社団法人 ソーシャル・ビジネス・ネットワーク」 も協力している。

 

「 被災地は暗い顔して暮らしてると思ってませんか?

 そんなことはありません。 むしろ都会の人より明るく前を向いてます」

と言い切る河野通洋さん。

彼が言う岩手県人のポリシーは、

宮沢賢治が 「農民芸術概論綱要」 で謳った  " 全体幸福論 " 

(「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」) である。

たしかに、昨年10月に紹介した 山形村のバッタリー村 にも掲げられていた。

 

また、いま抱いている思いとして、彼は新渡戸稲造の言葉を挙げた。

「 逆境にある人は常に もう少しだ と言って進むといい。

 やがて必ず前途に光がさしてくる。」

 

「 もう少しだ、もう少しだ、と言い聞かせながら前に進んでいきたい。

 そして今年には、売上を採算分岐点まで回復させます。」

そう明言して胸を張る河野通洋さん。 輝いてるね。

この若きリーダーと彼を信じる仲間たちなら、やり遂げるに違いない。

そういえば昨年の9月、学生のインターンシップを受け入れた際に、

復興支援の一環で八木澤商店の若い女性社員が一人、研修で参加されていた。

あの子もきっと目を輝かせながら今日も働いていることだろう。

 

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八木澤商店の HP はこちらから

 ⇒ http://www.yagisawa-s.co.jp/ 

3.11直後の生々しい様子、そして復興にかける意気込みが伝わってきます。

 

なお、大地を守る会のウェブストア では、

「八木澤商店のしょうゆドレッシング」 をご紹介中です。

ご利用いいただければ嬉しいです。

 



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