2013年4月 5日

血液内科医、坪倉正治さんの話

 

昨日は代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターまで出向き、

連続講座第5回の会場申し込みを行なってきた。

 

この回で交渉していた講師は、東京大学医科学研究所の研究員で、

震災後の4月から南相馬市立総合病院に入り、

医療支援にあたってこられた血液内科医、坪倉正治さん。

今も毎週、月曜から水曜は福島に出向き、医療活動をする傍ら、

住民の内部被ばく検査や相談に応じている。

残りの日が東京での勤務となっていて、またしても厚かましく

坪倉さんのスケジュールの隙間を埋めさせていただき、

講座開催日は7月25日(木) の夜となった。

 

この講座の準備でしんどいところは、

講師と日程を決めてから会場を探さなければならないことだ。

規模と予算と交通の便を秤にかけながら、一発で決まることもあれば、

どこも埋まっているという事態に陥ることもある。

巷では予算と相談しながら会場を探している人たちがこんなにもいるのか、

という心境になったりする。

 

今回も少々苦戦したが、何とか120人収容の研修室をゲットした。

施設使用料、10,000円。

 

しかも有り難いことに、

昨日は夜に、ここで坪倉さんの講演会がある日でもあった。

講演会は事前に申し込んであって、話を聴きに行くそのタイミングで、

幸運にもこの会場にひとつ残されていた空き部屋を見つけることができた。

こういう運は大事にする方で、

「ここでやれ」 ということだろうと決断した。

 

さて、昨夜の坪倉さんのお話し。

主催されたのは、南相馬市の 「ベテランママの会」 と

「南相馬こどものつばさ」 という団体。

参加者 30人 ほどの小さな 「お話し会」 だが、

これも数十回続けられていて、

述べにして千人を超える方が坪倉さんの話を聞かれたとのこと。

何事も積み重ねが大事、ということですね。

 


坪倉さんは、先述した通り、

週の半分は南相馬市立総合病院に出向いている。

福島第1原発から北に 23 km 地点。

原発から一番近い総合病院で医療支援を続けている。

今日は平田村まで出張して、帰って来たばかりだという。

平田村ということは、おそらく

ホールボディカウンターによる内部被ばく検査かと推測する。

 

原発から 20-30 km 圏は 「緊急時避難準備区域」 という

実に微妙な指定を受けていて、これによって住民たちは振り回された。

病院のスタッフは、避難するかどうかは自主判断とされ、

270 人いたスタッフが 80 人にまで減ったんだそうだ。

そんな中で坪倉さんは支援に入った。

患者さんを避難させるべきか、動かさない方がいいのか、

正解が見つからない中で苦悶が続いた。

放射線リスクへの不安が募る当時の状況にあっては

「避難させるべき」 という判断は間違ってなかった、と今でも思う・・・

しかし高齢の患者さんにとっては、環境変化そのものが大きなリスクだった。

現実に、その影響で心身が弱まり、亡くなっていった方も多数いる。

 

いま現場で進行している事態は、放射線によるストレートな影響ではなく、

様々な環境要因によって患者さんや住民が苦しめられている、ということ。

原発事故という災害がもたらした複層的な影響、

その現実を知ってほしいと、

坪倉さんは慎重に言葉を選びながら報告されるのだった。

 

南相馬市の原町で産婦人科医院を開業されていた

高橋亨平さんというお医者さんの尽力によって、

1台目のホールボディカウンターが到着したのが 2011年5月。

それは鳥取県の元ウラン鉱山に置かれていたものだった。

高橋医師は、震災後は老若男女を問わず受け入れ、

末期がんと闘いながら最後まで住民を支え続けたという。

今年の1月、74歳で逝去された。

坪倉さんの口から何度となく 「高橋先生がいたから・・・」 という言葉が聞かれた。

 

住民の検査を続けて分かってきたことは、

体内のセシウム量は最初の4ヶ月で半分に減少した。 子どもはもっと早い。 

そして、その後は増えていない。

これは、ほとんどが初期の被ばくですんでいることを証明している。

しかし初期の被ばく量、特に半減期の短いヨウ素の量は、

今となっては不明のままである。

継続的な健康診断で見ていくしかない。

 

現在の食品による内部被ばく量は、高く見積もっても 0.01 mSv 以下

レベルになっている (野生のキノコなどを平気で食べている人は別にして)。

これは核実験時代の日本人の平均以下

-だから 「安全です」 と言うつもりはないが、事実として。

 

医者として悩ましいと思うのは、

例えば日本人の骨密度は欧米人と比べて低い。

そこでカルシウムが足りないと言われるが、それを補ってきたのがビタミンDで、

日本人はキノコと魚を食べてビタミンDを摂ってきた。

キノコや魚をたくさん食べましょうと言いたいのだが、逡巡する自分がいる。。。

 

先日、ベラルーシを視察する機会を得た。

そこで見たものは、ただ淡々と定期検査を継続する光景だった。

27年前の事故の記憶は風化してきている、と感じた。

 

データを残していくことが、将来の風評被害を防ぐことにつながる。

そして大切なのは、教育の復興である。

 

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福島の再生・復興を考えることは、日本の未来を考えること。

 - 多くの方が訴えていることだ。

事故から2年。 改めて  " 福島の今 "  に思いを馳せ、

私たちに何が求められているのかを考えたい。

 

「子どもたちの姿は、私の未来」 -そんな台詞を残したのは、

" 宇宙船地球号 "  の概念を編み出したバックミンスター・フラーだったっけ。

単純に " 食べるか食べざるべきか "  といった話ではなくて、

日本の未来とどうつながるか、を見つける作業をしたい。

ゲンパツから 23 km の場所で医療支援を続ける

  " 悩める医者 "  の声に、耳を傾けてみたいと思います。

 

大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第5回は、以下の概要で決定しました。

◆日時: 7月25日(木)、18時半~。

◆講師: 坪倉正治さん(東京大学医科学研究所研究員、南相馬市立総合病院非常勤医)

◆場所: 国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟研修室。

       (小田急線・地下鉄千代田線 「参宮橋」 駅から徒歩7分)

 

多数のご参加をお待ちします。

 



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