2013年5月アーカイブ

2013年5月30日

未来のために、チェルノブイリから学ぶ -放射能連続講座Ⅱ‐第3回

 

5月28日、ローソン久が原一丁目店の開店をたしかめて、

午後は熱海へと向かった。

正確には、静岡県田方郡函南(かんなみ) 町に。

丹那盆地にあって、ここは大地を守る会の低温殺菌牛乳の里であり、

またジャムやジュースやケーキでお馴染の (株)フルーツバスケットがある。

28日はその株主総会が開かれた。

 

株主総会といっても、

フルーツバスケットは (株)大地を守る会が100%出資の子会社なので、

出席は関係者のみ。

この総会で、あろうことか、取締役に指名されてしまった。

今月、特販課長を受けたばかりだというのに、3足目のワラジ・・・。

大丈夫か、オイ、と自分に問うている。

 

2年前、これが  " オレの大地人生 "  最後の仕事になるのかと

神を、いや原発を呪った放射能対策特命担当だったが、

しかし・・・ まだ次のページが残されていたとは。

まあ、バカはバカなりに、やれるだけのことをやる、しかない。。。

 

ため息をひとつふたつ吐いて、宿題をひとつ、片づけたい。

5月18日(土) に開催した、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第3回。

『食の安全と放射能 -未来のために、つながりを取り戻す-』。

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事、

河田昌東(かわた・まさはる) さんのお話し。

 

河田さんたち 「チェルノブイリ救援・中部」 は、

原発事故から4年経った1990年からウクライナに入り、

住民の健康調査や医療支援、土壌の汚染対策(菜の花プロジェクト) などを

粘り強く続けてこられた。

その経験から、ずっと原発に対して警告を発してきたのだったが、

こともあろうにこの日本で、地球汚染規模の事故を起こしてしまった。

悔しさを吐露して、河田さんは語り始める。

 

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河田さんはまず、チェルノブイリ原発事故を振り返りながら、

福島第1原発事故との類似点や相違点を整理された。

 

チェルノブイリは核暴走だが、福1 は水素爆発。

爆発時の温度の違いと爆発時までの運転履歴の違いによって、

放出された放射性セシウムの量(Cs137+134) はチェルノブイリの約4分の1。

137と134の比は、チェルノブイリが 2:1 に対して、福1 は 1:1。

(半減期2年の134の比が多いぶん、総量での減少は早い。)

ストロンチウム90 は 60分の1。

プルトニウム239 は 1万分の1。 問題にはならない量だと考えてよいのではないか。

 

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チェルノブイリは大陸の中にあり、ほとんどは土壌に降った。

福1 では事故当時は北西の風によって、9割方は海洋に流れた。

その後の風向きによって陸地 200km にわたって陸地に降ってしまったが、

もし事故が今の季節に起きていたら、日本全域が汚染されたかもしれない。

 

チェルノブイリ事故に対して日本では、

炉型が違うとか社会主義国だからとか理由をつけて

「わが国ではこのような事故は起こりません」

とキャンペーンした。

しかし事故は発生した。 傲慢な姿勢が事故をもたらしたのだ。

 

チェルノブイリ原発は石棺で囲われたが、

その後の地盤沈下によって屋根が裂け、雨漏りがしている。

いま、ひと回り大きな石棺で覆う計画が進んでいるが、

いったん事故が起きると、その対策には長い時間がかかることを物語っている。 

その間、何のプラスの価値を生み出さないのが原発というものである。

膨大な被曝労働とコストが積み上げられていっている。

福1 もいつまでかかるか、今もって分からない。

事故の本当の原因すら、分かっていないのだ。

 

原発事故は、汚染環境下で生きざるを得ない世界の扉を開けた。

私たちも原発の恩恵(電気) を受けてきたんだからみんな責任がある、

という意見があるが、私はそうは思わない。

私たちには電気を選ぶ権利が与えられなかったのだから。

 

原発事故はまだ収束していない。

「冷温停止」 と 「冷温停止状態」 とは違う。

今も毎時20トンの冷却水が注入されているし、

日量400トンの地下水が流入している。

 

チェルノブイリが教えている教訓は、内部被ばくの問題である。

事故直後から1年間の被曝の、半分は粉塵の吸入による内部被ばくだった。

事故後22年経った2008年のデータでは、

8-9割が食べ物や飲み物からの内部被ばくになっている。

ナロジチ地区住民の体内放射能を

ホールボディカウンター(HBC) で測定したデータがあるが、

事故後15年経った2001年でも7千~1万8千Bq(ベクレル) レベルの人が多くいた。

実は一ヶ月前にも現地で測定したのだが、

事故の後に生まれた20歳前後の学生でも数千Bq の値が検出された。

原因は野生のキノコやベリー類など食べ物である。

 

チェルノブイリ事故前の日本人の平均は 20Bq 程度だったが

(この数字の原因は過去の核実験と思われる)、

事故後 60Bq  に上昇した。 

その後徐々に減っていったのだが、福島の事故で上昇した。

すでに私たちはゼロBq はあり得ない、

そういう時代に生きているという覚悟が必要である。

 

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ウクライナでは、1平方メートルあたり 55.5万Bq 以上は居住禁止区域

とされている。

これは年間 5mSv 以上の外部被ばくの危険性があるとされる地域であり、

病院などで一般の人が立ち入ることを禁止した 「放射線管理区域」 に相当する。

しかし日本では、年間 20mSv まで居住が許容された。

ICRP(国際放射線防護委員会) が言うところの、

「事故直後は最大20mSvまでは許容されるが、

 できるだけ速やかに 1mSv まで減らすべき」

という勧告の最大値を採用した。 これは欺瞞である。

 

放射能汚染がもたらす問題は、

地域とコミュニティの崩壊、家族の崩壊、健康への影響などがあるが、

加えて、すべてのツケを未来世代に回しているという点が挙げられる。

そして農林漁業者と消費者の分断という悲しい事態が起きる。

こういった問題を、私たちは一緒に考えていかなければならない。。。

 

正しい事実を知り、正しく怖がろう、と河田さんは訴える。

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2013年5月28日

ローソンの " 健康宣言 "

 

(株)大地を守る会の本社が入っている幕張テクノガーデンに、

ツバメの巣を発見。

こともあろうに荷捌所 (にさばきじょ。様々な搬出入車が出入りする場所)

の出入り口ドアの上の非常灯の上に、巣をこしらえている。

自動ドアがひっきりなしに開閉され、人が行ったり来たりしているその上にだ。

そうとう落ち着かない場所だと思うのだが、

人を利用して天敵から身を守ってきた知恵が、こんなところに巣を作らせた。

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今のところ人は温かく見守っている。 

癒されている人もいれば、まったく気づかない人もいる。

それにしても住みづらくなってしまったもんだ。

彼らはヒトを恨んでないのだろうか。

 

子どもの頃、僕の実家にも毎年ツバメがやって来ていて、

玄関の内側、いわゆる土間の天井に巣を作って子育てに励んでいた。

鬼のようなお袋も、ツバメがいる間は戸を閉めるなと子を諭した。

おかげでウチの玄関は、昼間は開けっ放し。

夜は同じ屋根の下で寝て、朝は早くから戸を開けろと騒ぐのだ。

口を広げてピーピー鳴く子ツバメを真似て、

少年も口を開けて待ってみたのだが、餌はくれなかったな。

 

さて本日、2013年5月28日、

ローソンのお店に初めて大地を守る会の食品が並んだ。

 

マチの健康ステーション、始まります!

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「健康宣言」 が発信されるとともに、

" 野菜を食べよう "  キャンペーンの開始。

 

大地を守る会の野菜が入った一号店は、

大田区久が原一丁目店 (久が原1-12-11)。 

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最寄り駅は東急池上線・御嶽山(おんたけさん) 駅だが、

駅から歩いて15分くらいかかる。 うしろには閑静な住宅街が広がっている。

 

お店に入って正面に、大地を守る会コーナーが据えられた。

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野菜の上に、なんと藤田社長の著書、

『有機農業で世界を変える!』 『ダイコン一本からの革命』 まで飾られて。

本が売れるかどうか、、、これは正直言って自信がない。

 

宅配案内のパンフレットも置かせてもらった。

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調味料や加工品も並んで、

週一回の宅配と、日々の補充はマチの健康ステーションで。

はたしてシナジーは生まれるか。

 

お店には、タニタさんの体組成計や

薬剤師に24時間相談できるテレビ電話まで設置された。

「健康を応援するローソン」 -実験のスタートである。 

 

今日は同時に、野菜が棚一段(8アイテム) だけど、

都内 5 つのナチュラルローソンでも販売が開始された。

 ・ 芝浦海岸通店 (港区芝浦4-13-23)

 ・ 東麻布三丁目店 (港区東麻布3-7-13)

 ・ 上馬三丁目店 (世田谷区上馬3-6-9)

 ・ 恵比寿南三丁目店 (渋谷区恵比寿南3-1-26)

 ・ 芝浦アイランドグローヴ店 (港区芝浦4-21-1 芝浦アイランドグローブタワー3F)

 

ここを拠点として、僕らの協働と子育ては始まる。

コンビニとの提携ではいろんな声を頂いたが、もっと大事なことがある。

戸を閉めないでね、とマチの人々に言われるようになりたい。

 



2013年5月24日

行幸マルシェ × 青空市場

 

東京駅から地下の丸の内口に出て、丸ビルと新丸ビルの間に

「行幸(ぎょうこう) 通り」 がある。

そこで月2回、「丸の内行幸マルシェ × 青空市場」 という

市場(マルシェ) が開催されている。

青空市場を主宰するのは、俳優の永島敏行さん。

(この写真は、青空市場HP からお借りしました。)

 

そこで本日、大丸有 (大手町・丸の内・有楽町の略) エリアを中心に、

食の安全や地産地消の食材を共同調達する仕組みをつくってきた

大丸有つながる食プロジェクト」 として、初めて出店した。 

 

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出したのは大地を守る会の野菜・果物と、

東京・国分寺の小坂農園で栽培された江戸野菜。

初出店ということもあり、お昼過ぎから閉店の夜7時半まで

売り子として張りついた。 

 

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「大丸有つながる食プロジェクト」 (略称 「つなまる」) は

以下の団体で協議会を結成して運営されている。

・ エコッツェリア協会 (一般社団法人 大丸有環境共生型まちづくり推進協会)

  - 全体コーディネーションの他、情報発信、各種イベント開催など。

・ 三菱地所株式会社

  - 全般的なサポート。

・ 株式会社 まつの

  - レストラン等からの受注・決済、配送等の物流担当。

そして大地を守る会は、生産者・食材の審査、トレーサビリティによる商品保証・管理、

「つなまる」 認定基準に合致する生産者の紹介(広がり) を担当する。

 

ここで設定した認定基準とは、以下のようなものである。

基準1 - " 食べる人の健康を守る "  プロとして責任を自覚する生産者であるか?

基準2 -  " 地産地消 " に取り組む生産者であるか?

基準3 - " 食べる人とのつながり "  を大切にする生産者であるか?

基準4 -  " 食べる人に価値を伝え、刺激を与えられる "  生産者であるか? 

 

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結果としての安全性の基準だけではない。

食の作り手としての姿勢を重視した基準。

広がりとつながりを求め、一緒に健康な社会を築くための基準。

この基準と仕組みを整理するのに、2年かかった。

 

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食べものが人と人をつなげ、暮らしを豊かにする。 

レストランも手をつなぎ、

環境に配慮した物流(みんなで少しずつでもCO2排出を減らす) を目指す。

街がイキイキとしてくるような取り組みに育てていきたい。

 

そんな思いで、僕らは町に出ることにした。 

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初回の成果は、、、、曖昧な表現で申し分けないが、まずまず。

道行く人々に認知され、たくさんのレストランに広がっていくために、

しばらくは月1回(第4金曜日) は出店をしながら PR していくことになった。

 

次回は6月28日、午後11時半から19時半まで。 

東京駅周辺に来られた方は、ぜひお立ち寄りください。

 

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2013年5月22日

ナチュラルローソン・オーナー会でプレゼン

 

放射能講座のレポートに進まなければならないのだけれど、

今日はローソンさん関係で初モノ体験 (最近多いね)

をして少々疲れたのと、

心残りの話がひとつあって、

真逆のような報告を2つ提出して、休ませてほしい。

 

前回の日記で紹介した小林美知さんから聞いた話。

震災直後、津波で亡くなられた方の遺体を安置した地元の病院で、

深夜、当直の部屋に何度も内線がコールされたんだそうだ。

しかし電話に出ても、毎回なにも聞こえず、相手は沈黙している。

心配になってかけてくる部屋を確かめたところ、安置所からだった。

そこには誰もいない、死者以外は。

 

この噂が町じゅうに広がるのに、さほどの時間もかからなかった。

みんなはこう囁(ささや) き合った。

事態を理解できずに亡くなってしまった人が、

何が起きたのか知りたくて電話をかけているのだと。

 


どうせ誰かの作り話だと、多くの人は否定するだろうか。

心霊現象を信じる人なら、そういうことはある、と頷くかもしれない。

でもこの話を聞いて切なくなったのは、

" 叶うことなら、話をしてあげたい。 心残りがあるなら聞いてあげたい。

 いやそれより何より、呼び戻してあげたい " 

という願いが人々の心の中にあって

伝わっていったのではないかと思われたことだ。

昨日まで元気だったあの人は、私の中ではまだリアルに存在している、

そんなときに届いた哀話が、折れそうな琴線に響いてしまった。

私にとって、電話の向こうにいるのは死者じゃない。。。

僕はこの話を、信じようと思うのである。

 

・・・と、こんなことを書きながら今日を振り返る。

話は一転して、ローソンさんの話。

 

夕方から 「ナチュラル・ローソン」 のフランチャイズ店の

オーナーさんたちの集まりがあって、そこで

大地を守る会の野菜のプレゼンテーションをする機会が与えられたので、

出かけてきた。

集まった店長さんは60人くらい。

長有研の人参・ベータリッチをスティックにして、ミニトマト・アイコを洗って、

食べ比べ用の一般品まで用意して、

与えられた時間は15分の一本勝負。

 

「どうぞ食べ比べながら、お聞きください」 と試食をおススメして、

大地を守る会とは、有機農業とは、大地を守る会の基準の特徴は、

こだわりその①、その②、その③、、、と一気に喋くった。

 

皆さん熱心に耳を傾けてくれて、反応は上々な感じ。

食べ比べも、

「たしかに味が違う」 「食べたあとに甘さが残って、この人参は美味い!」

といった感想を頂戴した。

長有研さん、有り難う。 正直ドキドキだったよ。

 

しかし、だからと言って、現実は人参のように甘くはない。

野菜という生鮮ものを並べるリスクに加えて、価格というハードルもある。

ご検討をお願いして、今日のところは、まずは認知、まで。

 

喉が渇いたので、帰りに仲間とビールを・・・飲まずにいられない。

 

ローソンさんとの提携では、ご批判もご懸念の声も頂いているが、

考えてみれば、大地を守る会は37年にわたって、

自分たちの価値観だけで相手を選別したりせず、

機会あればどこでも出かけて、プレゼンしてきたように思う。

ファーストフードのチェーン店に採用されたこともある。

長くは続かなかったけれど。

 

それらはすべて、有機農業をあたり前にするための、

稚拙ながらも果敢なチャレンジの歴史だった。

時に有機農業陣営から批判を浴びたこともある。

それでも、安全な食べ物は選ばれた少数派だけのものであってはならないし、

それでは社会は変えられないと主張した。

 

白状すると、

実はローソンさんには、15年ほど前に営業に出向いたことがある。

無農薬の野菜を試しに使ってみたいのだが、という問い合わせを受けて、

真面目に供給計画を作成した。

実現しなかったのは思想性の違いとかいう話ではなく、

規格・価格・安定供給といった具体的条件だった。

あのとき、「うちの食材オンリーで弁当を企画させてもらえないか」

という提案もダメもとで持参したのだが、相手にされなかった。

 

有機の畑を増やし、あたり前にする。

それこそが俺たちの使命である。

これはけっしてドン・キホーテの旅ではない。

 - と無理矢理でも言いきかせながら、歩いていくのだ。 

 

小林さんの有機の畑を回復させることと、

ローソンさんの棚に進出することは、僕の中では対立事項ではない。

そこで受け入れられるための努力のプロセスに、

様々なたたかいと葛藤と、そして罠があることも承知している。

その罠は、自分でこしらえていることも。

 



2013年5月21日

除塩

 

5月16日(木)、福島から郡山に下り(上り?)、

高速バスで浜通り・いわき市まで向かう。 所要時間、1時間半。

いわきで訪ねたのは、福島有機倶楽部・小林勝弥さん。

先に書いたとおり、今回の目的は除染ではなく除塩、塩害対策の打ち合わせである。

 

奥様の美知さんが駅まで迎えに来てくれて、畑に直行する。

ソラマメが育っている。

働いているのは、障がい者たち。

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美知さんは、障がい者の自立支援活動を行なう

NPO法人「ゴールデンハープ」 という団体に属されていて、

「フルクテン」 という小規模作業所を運営している。

ノルウェー風のパン 「フルクテン」 を製造・販売して、収益を工賃として分配する。

また農業セラピーの実践として、農作業の場を提供する。

こちらは勝弥さんが教える。

美知さん曰く。

「 失敗もいっぱいやってくれるんですけど、

 勝弥さんは、ほんとうに優しく、辛抱強く教えてくれます。」

 

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しかし、震災と原発事故による影響で売上は激減し、

この活動もついに休止せざるを得ないところまできてしまった。

美知さんが胸の内を語ってくれる。

「 何とか続けたいと頑張ってきましたけど、もう (賃金を) 払えないです。

 それに、今度あれだけの津波がきたら、あの人たちを守れる自信がありません。」

私はそれでも、農業セラピーの力は信じてる・・・ と言いながら。

 

「 勝弥さんも畑が塩害にあって、風評被害でモノも売れなくなるし、

 相当落ち込んでたはずなんですが、黙々とやってました。 

 これからは私がお手伝いしてあげなくちゃ、って思ってます。」

 


これが塩害で、野菜が作れなくなったハウス。

手前の2棟が空いた状態である。

 

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塩分は水で流す、というのが基本なのだが、

地盤沈下によって、その水(地下水) に塩水が入ってくる。

去年、春菊を作ってみたが、しょっぱい春菊になっちゃって・・・

と笑う勝弥さん。

土が締まっていって、白く潮が吹いたような塊もあった。

 

それでも起こしている。 

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何とかしたいのだが・・・

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こちらが海に近い露地の畑。

去年はソバを蒔いてみた。 まあまあ出来たことは出来たけど・・・

と言葉が続かない。

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防風林の向こうに道路が一本、その先は浜である。

 

せっかく有機の認証も取ってやってきた。

農薬や化学肥料は入れたくない。

さて、どうやって回復させるか・・・

僕が提案を持ち込んだ資材についての詳細は省かせていただくが

(ここで特定資材の宣伝みたいになってはいけないので)、

塩分を好むバクテリア(好塩性細菌)を使って発酵させた炭化肥料である。

有機JAS認定のほ場でも使えると判断している。

もちろん認証機関にデータを提出して判定を仰ぐようにと、メーカーには伝えている。

 

仮に効果はなくても、マイナスになるものでもないだろう、

と考えての提案だが、小林さんは 「やってみたい」 と前向きに答えてくれる。

メーカーさんからは 「試験データを取らせてくれるなら原価で提供したい」

と申し出てくれている。

 

6月から開始しよう、ということになった。

力になれれば嬉しいのだが、さて結果やいかに-

 

障がい者たちと一緒に育てている畑では今、

ソラマメの花が順番に咲き出している。 

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実も成ってきている。

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たくさんの収穫があることを祈りたい。

 

海のそばの畑にも、花は咲いていた。

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花は咲く。。。

歌の文句じゃないけれど、私は何を残せるのだろう。

 

一見、2年前の大災害など想像もできない浜辺だが、

通ってきた途中では、ガンガンと堤防工事が行なわれていた。

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2013年5月20日

福島の農業再生を支える研究者の使命

 

「特販課」 論議はまあ、これからの行動で語るしかないので、

とりあえず脇に置かせていただき、

福島報告はしておかねばならない。

18日は連続講座、19日は自然エネルギー・コンペ・・・と

どんどんネタが滞留してきているので、端折らせてもらうしかないけど。

 

5月15日(水)、

この2年間、農産物での放射能対策に挑んできた研究者たちの

成果発表と討議が行なわれた。

「福島の農業再生を支える放射性物質対策研究シンポジウム」。

主催は 「独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)」。

共催 「独立行政法人 農業環境技術研究所(農環研)」。

 

会場は、福島駅前にある 「コラッセふくしま多目的ホール」。 

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「原子力災害の克服は国家の課題だ」 と主催者は語る。

しかし 「克服」 とは、どういう状態を指すのだろう。

大地に降った放射性物質が消える、あるいは完全に封じ込められた状態か。

放射能に対する食の安全が達成された、と宣言できることか。

すべての農地で営農が再開され、

農産物が以前と同じように普通に売れようになることか。

15万人におよぶ避難者が帰還でき、あるいは新天地で、希望を取り戻すことか。

そしてみんなが放射能を恐れることなく、笑顔で暮らせるようになることか・・・

言葉の意味においては、それやこれやすべてだろう。

加えて、国民を欺き通してきた原子力政策を乗り越えること、

も忘れずに付け加えておきたい。

「克服」 には、気の遠くなるような時間と営為の積み重ねが必要である。

その代償がどれほどのものになるかは、誰にも分からない。

 

シンポジウムで発表された研究成果は、

だいたいこれまで聞き及んでいた内容だった。

上記の問いに照らし合わせるなら、

土壌や環境下での放射性物質の挙動について、

我々はようやくその原理を掴みかけてきた、というレベルか。

これはもちろん研究者を揶揄しているのではない。

みんな頑張ってきたなぁ、と敬意を表するものである。

研究者の社会的使命を強く自覚する人たちにも、たくさん出合った2年間だった。

国の研究機関に勤めているからといって、いわゆる御用学者ばかりではない。

善人と悪人がいるのではなくて、

みんなその間で悩み、判断を選択し、試行錯誤してきた、と言うべきか-

放射能に対して、科学はかくも不確かなものだった。

 

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講演は、以下の3題。

◆ 「農地における放射性物質の動態解明」

  - 農環研・研究コーディネーター 谷山一郎氏。

◆ 「農地除染及び農作物への放射性物質の移行低減技術」

  - 農研機構・震災復興研究統括監 木村武氏。

◆ 「福島県における水稲の放射性物質吸収抑制対策確立の取組と今後の研究について」

  - 福島県農業総合センター生産環境部長 吉岡邦雄氏。

 

吉岡さんについては、今年の 福島での生産者新年会 でもお呼びしたので、

ご参照いただければありがたい。

 

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パネルディスカッションを前に、

ゲストで招かれた飯舘村村長、菅野典雄さんが語る。 

 

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   どこよりも美しい村をつくろうと、

   誇りを持って築いてきた人口6000人の村が、全村避難となった。

   私たちは、放射能に対してまったく無知だった。

   放射能対策は、他の災害とはまったく違う。

   ゼロからの再出発なら頑張れる。

   しかしこれは、長い時間をかけてゼロに向かっていくたたかいである。

 

   何より心の分断がつらい。

   家族が分断される、離婚するケースもある、 わずかの差で賠償の有無が分かれる。

   戻って農業をやれるのか不安が消えず、勤労意欲が減退している。

   精神戦争をやっているような気持ちである。

 

   どうせなら除染の先進モデルになりたい。

   やれば間違いなく線量は下がる。

   栽培した(耕した) ほうが低くなるという結果も得られている。

   村を追われたものにとっては " 除染なくして帰村なし "  である。

   「対費用効果を考えれば除染は意味がない」 というのは、

   我々を冒とくする意見である。

   世界の笑いものにならないか。

 

   避難した先でも、農業の現場に入って頑張っている若手が20数人いる。

   どうか意欲をもって取り組んでほしいと願っている。

 

   毎日、いろんな対応に追われている。

   原発災害から私たちは何を学ばなければいけないのか。

   それは経済や  " 金しだい "  からの転換ではないか。

   成熟社会のありようを考え直したい。

   そして、世界から尊敬される国になりたい・・・

 

パネルディスカッションで事例提供をしたのは以下の3名。

◆ 「被災地の営農再開・農業再生に向けた研究をどう進めるか?」

  - 新潟大学農学部教授 野中昌法氏。

◆ 「小国地区における稲の試験栽培」

  - 東京大学大学院・農学生命科学研究科教授 根本圭介氏。

◆ 「水稲への放射性セシウム吸収抑制対策」

  - 東京農業大学応用生物科学部教授 後藤逸男氏。

 

二本松で詳細な測定を実施して対策を支援してきた

新潟大学・野中昌法さん。

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他の大学の研究者とも共同で、現場重視・住民主導の復興プログラム

に取り組んできた。

困難と言われてきた森林除染についても、

伐採した樹木をウッドチップにして敷き詰め、菌糸の力でセシウムを吸収させるという、

新たなバイオレメディエーションの実験を計画している。

 

土壌分析では第一人者といわれる東京農大・後藤逸男教授。

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後藤さんには、生産者会議や弊社の分析室職員の研修などで

お世話になった経緯がある。

 

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後藤さんもまた、農地再生と復興に向けた取り組みで最も重要なことは、

農家の営農意欲の復活と向上であると語る。 

 

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パネルディスカッションでは、

農林水産省の方が、復興に向けて先端技術の導入とか

農地の集約化(規模拡大) とかを語った際に

菅野村長が釘を刺したのが印象に残った。 

「 それは経済の発想であって、地域再生ではない。

 人口が半分になったところで地域を守っていけるのか。

 中山間地の環境保全につながる方向を検討してもらいたい。」

 

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人のための、地域のための、環境のための政策を、

小さなモデルでもいいから実践していく。

僕らはひたすら民から提起し続けるのみである。

それが強靭で柔軟性のある社会につながっていることを信じて、やるしかない。

社会的使命を自覚する研究者を育てるのも、

官や政治を変えるのも、民度にかかっている。

 



2013年5月17日

友へ

 

実直に生きていこうと思って、やってきたつもりである。

どんな任務でも、自分の持ってる力をすべて使って引き受けてやってみる。

それで駄目だったらゴメンね、と

恥をかき続ける人生になるのも、ある時点から覚悟してきた。

 

福島出張の報告をしたいのだけど、気が散って書けない。

ローソンさんとの提携が発表されて、

エビがその営業の先兵隊に指名されて、どこで聞きつけたのか、

たくさんの声援からご批判まで、受けている。

 

TPP推進の旗を振っている社長の会社と提携して、

あんたはその辞令を受けたのか、失望した。。。

エビはホントに人が良すぎる。

いつも火中の栗を拾いに行かされてるのが分からないのか。。。

いや、よくぞ。 頑張れ! ・・・などなど。

 

それだけのインパクトがある事態なのだろう。

今この段階で、強がりも弁解もしたくない。

ただ、俺を罵ったお前、同時代を生きてきた友にだけは、伝えておきたい。

 

僕は忘れてない。

一緒に歌って泣いたりした、そして闘った、多感だったあの時代のことを。

古いカセットテープを探し出して、いま一人で聞いている。

音源は残っていた。 懐かしいね。

どれにしようか。 これでいくか、軽めので。。。

 

   風がさそった この道は

   私一人の 大きな道

   だれも知らない この道は

   明日はだれかの 大きな道 ~

 

   風がはこんで 来た夢は

   私一人の 大きな夢

   だれも知らない この夢は

   明日はだれかの 大きな夢 ~

   

   今日は西へ旅立つ人も

   昨日東で涙を見せた人も

 

   風がはこんで 来た夢は

   明日はあなたの 大きな夢 ~  (「風がなにかを・・・」/曲:五つの赤い風船)

 

ど偉そうなことは言えないけど、

ちっこい体だけど、やれるだけのことはやるつもりだ。

両社の代表が、日本の一次産業を大事にし、発展させることを約束した、

という以上、ここで俺が出張らなくてどうする、

という気持ちはあるのだ。 バカと言われようが-

 

友よ!

僕らは、あの強烈な先輩たちの自己破滅的な闘争と挫折の後に、

確認したはずだ。

たたかいははてしなく続く。

過激な運動論や原理主義や、

無責任な他者への 「~すべき」論で自己満足してはいけない。

みんなの本当のシアワセのために、そのために働こう。

道は違っても、建設的な相互批判をし合える関係でいよう。

戦略は、ときにはしなやかであろう。 その上で、

未来のために、この時代を生きる者の責任を果たしきろう、と。

 

全うできるかどうか・・・

そんなことは、誰も分からない。

 



2013年5月16日

ローソンさんとの提携 -「特販課」設置

 

実はゴールデンウィーク明けから新たな任務に入っていて、

とても落ち着かない日々。

5月16日付で、仕入部内に 「特販課」 なる部署が新設されることとなり、

その課長をやれというお達し。

現在の 「放射能対策特命担当」 は継続のまま。

つまり兼任、です。

 

「特販課」 というのは、これまで仕入部のなかにあった

量販店(百貨店・スーパー) やレストランなど他社さんへの卸し業務を

「課」 として独立させた部署で、

再編のきっかけとなったのが、コンビニ大手のローソンさんとの提携である。

しかも商品の卸し - 販売という事業の提携にとどまらず、

ローソンさんが弊社の株主になるという 「資本提携」 の関係となったものだから、

生産者・消費者・取引先・関係者から、様々な憶測に加えて、

賛同、多大なる期待、厳しい批判、将来の姿への懸念まで、

たくさんの声を頂戴した。

 

4月に開催された臨時株主総会では、

「大地を守る会の姿勢は変わらない」 と藤田社長はきっぱりと宣言した。

もちろん僕の姿勢も変わるはずがない。

しかし、変わるはずはないといくら胸を張っても、

第3者の評価の如何は、すべてこれからの仕事にかかっている。

 

というような背景があって、

今日が実務部隊となる 「特販課」 の公式的なスタートの日となったのだけど、

エビ課長はどこにいるのか~! ・・・というと、福島なのよね。

 

昨日は、福島市で開かれた

『福島の農業再生を支える 放射性物質対策研究 シンポジウム』 に参加して、

今日はいわきまで流れて、福島有機倶楽部の生産者を訪問してきた。

 

いわきの生産者は、小林勝弥さん。

震災による津波と地盤沈下の影響で、以来ずっと

海に近い畑が塩害に苦しめられている。

塩分濃度の高い地下水が入るようになって、作物がつくれなくなった。

そこでいろんな情報のなかから有機のほ場でも使えそうな一つの資材を

ピックアップして、除塩試験の提案を持参した次第。

前から予定していたスケジュールであり、除塩試験は今すぐにでも始めたい。

夏までに一定の成果が見えれば、秋から一作は挑戦できる。

ま、今回は許してチョーダイ。

 

資材費用や実験にもコストがかかるのだけど、

これについては生産者の現状では負担がきつすぎる。

復興支援基金を活用させていただけないか、とお願いしているところ。

 

山都での堰さらいから帰ってきた翌日から、一気に二足のワラジ状態。

今日は夜に福島から会社に戻って、溜まったメールのチェック。

ローソンさんとの話が、どんどん進んでいる。

・・・というワケで、とても落ち着かない日々、なのであります。

 

本ブログもさらに間が空く感じになるかもしれない。

しれないけど、続けます。

福島行の報告は、次回に。

 



2013年5月13日

今年も楽しく学ぶコメ作り -「稲作体験2013・田植え編」

 

前日の雨による不安を一掃して、爽やかな五月晴れとなった昨日、

24年目となる 「大地を守る会の稲作体験2013」 がスタートした。

(もちろん米づくりの準備は3月から始まっていて、

  「苗半作」 とも言われるくらい、ここまでの作業がけっこう重要なのです。)

 

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低温の日がけっこうあったので、なにより苗の成育が心配されたけど、

まあまあの出来でひと安心。

体験田の苗は陸苗代(おかなわしろ) といって、畑に種を蒔いて育てたもの。

種子消毒(通常は殺菌剤に漬けて消毒する) もしていないコシヒカリ。

今年も若手職員のボランティアによって結成された

「稲作体験実行委員会」 のスタッフたちは、

前日から現地に入り、この苗を抜いてワラで縛り、

田んぼに移動させるなどの準備にあたってくれた。

 

千葉県山武市沖渡(さんむし・おきわたし)、佐藤秀雄さんの田んぼ。

僕が通うようになって四半世紀。 

本当に変わらない風景がいつも迎えてくれる。

 

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今年も100人以上の参加者が、家族連れで集まってきた。

田植え指導は、綿貫直樹さん。

写真手前、黒のTシャツの背中の方は、

「富士酢」でお馴染み、飯尾醸造の秋山俊朗さん。

京都・宮津から仕事で来られたついでに、

大地さんの稲作体験を見てみたいと来てくれた。

飯尾醸造さんも実は、丹後の棚田で消費者のコメ作り体験を受け入れている。

今年は大地を守る会の会員にも参加を募り、

6月1日に 「飯尾醸造 田植え体験会」 が行なわれる予定。

秋山さんは大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーでもある。 

二日前の5月10日(金)の夜には、

飯尾醸造5代目当主・飯尾彰浩さんとともに、

職員向けにお酢講座を開いてくれた。 これも後日レポートしたい。 

 

さて、" 早く田んぼに入りた~い "  という熱気に押されるように、

田植え開始!の号令がかかる。 

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稲作農耕民族の DNA が蘇ってくる、か・・・

 

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あとはスライドショーで。

 

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イイ手つきだね。

 

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イイね。 イイね。

 

こちらは紙マルチ班。 指導するは岩井正明さん(写真手前右)。

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こちらは、田植えより虫探しに必死。

まあ、こういう機会はそうないし、

生き物と触れることは大事な体験だから、頑張ってね。

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通常の田植えをやってもらって、

まだやり足りないという人たちを、順次紙マルチ区に投入していく。 

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イイねえ。 かなりイイ。 

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今日はひたすら見守り隊の地主、佐藤秀雄さん。

昨年還暦になって、実行委員会から祝福された。 

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こちらは紙マルチに乗っかって、

騒ぎを眺めるアマガエルくん。 

そんなところでのんびりしていると、子どもの餌食になるぞ。 

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コオイムシ発見。

なんとか難を逃れたようだ。

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ほぼほぼ終了。 

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よくできました。

 

田植え終了後は、楽しい交流会なのだが、

僕は仕事の都合で早目に切り上げさせていただく。

数年前から、すっかり実行委員諸君にお任せ、というか、

アテにされなくなってしまった。

 

定番となった陶(すえ) ハカセによる生き物講座に始まり、

クイズゲームやでっかい絵日記などの企画が用意され、

楽しんでくれたことだろう。

今年の看板はさて、どんな感じに仕上がったかな。

 

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今年も無事、豊作になりますように。

 



2013年5月 8日

人の罪を浄化する生命の営み -堰さらいボランティアから(Ⅱ)

 

千葉県出身。 某大企業勤めをかなぐり捨てて、

あえて会津の山間部に単身移り住んだ浅見彰宏さんが、

次世代の責務として堰を守らんと、

総人足 (地元総出での堰さらい) に友人を誘ったのが、14年前。 

今や堰さらいボランティアは 50人規模にまで膨れ上がった。

 

ボランティアといえども、テキトーにやるわけにはいかない。

米づくりは、水脈の確保によって始まる。

この作業によって、水が麓に運ばれるのだ。

一年分の溜まった土砂や落葉をさらいながら、

ムカデのように進んでいく。

 

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途中、倒木が堰をふさいでいた。 

見事に・・・

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去年まで立派に立っていたヤツ。

残された幹を見れば、中はすっかり空洞になっていた。

たくさんの生命を育て、寿命を終えた古老。。。 

こうして生態系はゆっくりと、しかしダイナミックに輪廻してゆく。

 

この倒木の処理は、特別班の任務となる。

重機など入れる場所ではないので、チェーンソーで細かく伐って片づける。

ジブリの宮崎駿さんがいたら、

この木にイメージを掻き立てられ佇み続けるかもしれないが、

我々には、そんなことを考える余裕はない。

せっせと始末するのみである、蟻のように。

 


休憩のひと時。

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お疲れさまです。

 

川は地形に応じて柔軟に蛇行して流れ、

不思議と土砂が貯められていく場所がある。

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風景は、数年にミリの単位で微妙に変化していくらしいのだが、

人はある日突然、少しの変化に気づくのがやっとである。

 

ボランティアの半分は女性である。

女子パワーもあなどれない。

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ずっと気になっている場所がある。

先人の執念を感じさせるトンネル。

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雪深い山間部で、この水路を通すのに、

いったいどれだけの季節を数えたことだろう。

今の時代のように専門技術を持つ他人にアウトソーシングすることなく、

百姓たちの腕と団結力で、掘り続けた路(みち) 。

村民のアイデンティティが、この洞穴には詰まっている。 

次にベトコン体験の機会をいただけるなら、この暗闇を踏破してみたい。

視界の向こうに光が見えたとき、

この萎えた肉体が何を感じ取るか、確かめたい。

 

作業を終え、公民館の駐車場で打ち上げをやって、

温泉に入り、里山交流会に臨む。 

お酒と料理はしばしお預けとなり、いっ時の勉強会が行なわれる。

今回の講師は、会津みしま自然エネルギー研究会副会長・二瓶厚さん。

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只見川流域で、再生自然エネルギーによる電力自給を目指す。

3.11を乗り越えるたたかいが、反骨の会津でネットワーク化されつつある。

この夜も 「種蒔人」 を持って応援のエールを送らせていただく。

 

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の若者たちの笑顔も見てほしい。

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左から二人目、Vサインを送っているのが、

チャルジョウ農場の二代目、小川未明(みはる) さん。

親父の光さんが育種した感動のミニトマト 「紅涙」 を、

今年も ヨロシク頼む!

 

あとは、ただ楽しく飲む。 

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翌日は、浅見さんたちの案内で、

耕作を放棄された棚田を見る。 

 

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子々孫々の食と暮らしの安定のために、

けっして贅沢を望まず、必死で汗を流して開墾した土地が、荒れてゆく。

自然サイドからみればそれは荒地化ではなく、

摂理に従っての植生の変化なのではあるけれど、 

明治以降に開かれた面積に相当する農地を、たった数十年で放棄したという事実を、

僕らはもっと真剣に考えなければならないのではないだろうか。

世界的に食糧需給が逼迫しつつある時代にあって。

 

幸いなことにこの国では、荒地は不毛の地ではない。

たくさんの恵みが、いたるところに生まれる。

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カタクリの花に教えられる。

あなたたちの罪は、長い長い生命のつながりによって浄化されると。

 



2013年5月 6日

山奥の水路にある世界技術 -堰さらいボランティアから

 

大型連休で人々が浮き足立っている間にも、

暦(こよみ) は早くも立夏となる。

季節というのはホント、無常に移ろっていくものだ。

その自然の流れに身を委ねながら、ある種の諦念や

災害に対する開き直り的強靭さまで、日本人は育んできたのかもしれないが、

一方で粘り強く、黙々と地域共同体の資産を守り続ける営みというものも、

たしかに存在するのである。

誰のためでもない。

私とみんなのためであり、先祖から子孫にいのちをつなげていくために。

ゴールデンウィーク、僕はそれを確かめるために会津に行く。

 

福島県喜多方市山都町での堰さらいボランティアも、

早いもので7年目となった。

堰の歴史からみればほんのひと呼吸程度の時間だけれど。

 

5月3日、仲間と乗り合わせ、激しい渋滞に揉まれながら一路北上。

午後4時過ぎ、山都町でも北の最奥部に入るあたりに位置する

早稲谷(わせだに) 集落に到着。

7年間変わらない、同じ桜と同じ景色が出迎えてくれる。

 

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今年のボランティアは46名。

過去最高の昨年より少し減ったけど、それでも地元の人にとってはけっこうな数だ。

めいめい到着しては温泉に入って、

地元の方に混じってまかないも分担しながら、

前夜祭の開幕となる。

大地を守る会から、今年は職員と会員合わせて10名の参加。

来る途中、大和川酒造で調達した 「種蒔人」 1ダース (12本) を献上する。

みんなが飲んで貯めた 「種蒔人基金」 からの差し入れです。

 

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採れたての山菜の天ぷらなどがふるまわれる。

これら自然の幸が美味いんだよね、ホント。

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都会からのボランティアを募った仕掛け人であり、

大地を守る会では、夏の若者たちの野菜セットを届けてくれる

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の世話人的役割も担ってくれている、浅見彰宏さん。

 

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入植して17年。

今やこの人のネットワークなしでは、田に水を送る水路の維持も難しくなってしまった。

 

我々ボランティアという名の人足たちは、ふたつの公民館に分かれ宿泊し、

翌5月4日、朝ごはんを自炊して、お昼のおにぎりを用意して、

8:00 集合。

諸注意を受けて、作業にとりかかる。

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我らが 「チーム大地」 は、今年は上流から下る組に配属される。

早稲谷の上流部から取水して下の本木地区まで、

延べ 6km の水路(堰 :せき) が続く。

掘られたのが江戸時代中期、吉宗の時代だという。

 

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山あいを縫いながら、ほとんど水平に近い傾斜で、

ゆっくりと水を温ませながら流れていくように計算されている。

開設当時で 5000分の1 の傾斜を設計する測量技術があった

というのだから、驚きである。

ニッポンの誇る世界技術は、弛まぬ自然とのたたかい、いや

長い長い折り合いの歴史によって築かれてきたのだ、きっと。

この精神の廃れこそ、この国の危機なのではあるまいか。

 

すみません。 眠くなったので、続きは明日に。

作業ではなく、行き帰りの渋滞で、小バテしたかしら・・・

作業自体は、去年のベトコン体験に比べたら、

まあ  " イイ汗かいた "  と余裕で言っておこう。

 

ブヨに射された痕がモーレツに痒い。

合計11箇所あった。

アンモニア水が手放せない。

 



2013年5月 2日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅳ)

 

児玉講座レポート、最後は除染と保管の問題について。

 

まずは、講演後の質疑で出された次の質問に対する、

児玉さんの回答から紹介したい。

「 東京電力の発表によれば、いまだに大量のセシウム137が

 事故原発から放出されている。

 そんな状態で除染作業をしても、イタチごっこになるだけではないか。」

 

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児玉さんの回答はこうである。

「 なぜ今、除染をやらなければならないかと言うと、

 チェルノブイリと違い日本では、

 新しい町をつくってそこにみんなを避難させることは不可能に近い。

 そんななかで、今もある程度の放射線量の中で暮らしている人たちが、

 100万人いる。

 そこに暮らす人たちにとっては、子どもの通う幼稚園をきれいにしたい、

 帰宅した際の靴の裏の線量を低くしたい、と願うのは、

 生きていくための基本的な生存権であり、健康権の問題である。

 

 放出されているのは事実だが、それが高い濃度で居住地にまで

 降ってきているという状態ではない。

 浄化する必要がある場所があって、できる技術があり、

 新たに降ってきている量が微々たるものであるとしたならば、

 そこに暮らす人々が希望している以上、

 除染に協力する義務が私たちにはあるのではないか。

 東大はその筆頭として引き受けるべきだとすら思っている。

 放射性物質が放出されているという問題と、

 人が暮らす街を放置するということは、まったく別問題である。

 

 チェルノブイリで起きたことは、家族や地域の崩壊だった。

 避難することが外科的手術だとすれば、除染は内科的な処方かもしれない。

 決めるのは住民であり、どちらにせよ

 安心して暮らせるよう支援する責任が私たちにはあって、

 それは無駄なことでも何でもない。」

 

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よく熱力学第二法則 (エントロピーの法則) を借りて、

いったん散ってしまったものは元には戻らないのだから除染はやっても無駄、

とか言われるが、それはこの法則をよく理解されてない方々だ、

と児玉さんは解説する。

ここで熱力学の話は省くが (分かった上で省くの? とは聞かないでね)、

第二法則が示していることを除染にあてはめるなら、

「外部に出すエネルギーを少なくして、内部をきれいにする」、

つまり効率的に無駄なく進め、隔離することによって、

(完璧は無理としても) 浄化は可能である、ということのようだ。

除染に対する児玉さんの責任感は、ただの  " 思い "  ではなく、

科学の法則に則ってもいる、ということか。

 


福島第1原発から放射性物質が拡散していったマップを見ると、

20年以上住めなくなった地域が広範囲に存在する。

チェルノブイリの経験で分かったことは、

事故後、半減期の短い核種が消えていくとともに放射線量は減っていくが、

6年後から下がらなくなった (半減期の長い核種が残ったから)。

放っておくと長く汚染が続くということである。

 

環境に散ったものを集め(濃縮させ)、隔離保管して、減衰を待つこと。

これによって長期的な内部被ばくと外部被ばくの可能性を減らすこと。

これが除染の本質である。

 

できるだけ濃縮させて(容積を小さくさせて) 保管したい。

濃縮で危険が増すと思われがちだが、そうではない。

少なければ少ないほど管理がしやすくなる。

 

汚染水が大量に溜められていき、漏れ出す、というのは

除染の原則に反したやり方である。

水の保管はとても難しい。

 

セシウム回収型の焼却炉は技術的に可能である。

セシウムの沸点は 641℃。

そこでガラス化防止剤を入れ (ガラス化すると抜けない)、1000℃ 以上にして

セシウムをいったん気化させる。

次にコジェネで温度を一気に 200℃ まで下げて液体化させ、

フィルターでセシウムを濾過させる。

それを仮置き場や中間処理場とかでない、きちんとした保管場所で隔離する。

保管場所と焼却炉はできるだけ近くに置き、

線量流量計を据え、24時間チェックする体制を整える。

 

しかし、この線量流量計を付けることを、環境省は拒否するのだ。

お金がかかると・・・

これでは住民の不信感は払拭できない。

 

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農地の除染の目的は、作業者(農民)の健康維持と、

農作物に吸収させないことである。

放射性セシウムは表層 5cm の粘土に捕まっている。

したがって表土 5cm を剥ぐと線量は下げられるが、

同時に大切なミネラルも失われるので、客土が必要になる。

また天地返しして 30cm ほどの下層土と入れ替える方法が推奨されているが、

石などが多い土質だと表面に出てきてしまうので、

その土地の性質を知っている地元の人の意見を聞きながら進めなければならない。

環境省のマニュアルに則った方法しか認めない、

というのは実におかしなことだ。

 

剥いだ土や草木類がフレコンバッグ(合成樹脂の袋) で保管されているが、

パワーショベルで傷つけたりするケースがある。

また草木類など有機物が多いと、夏に発酵してガスが発生し、爆発する恐れもある。

できればコンテナ保管が望ましい。

セシウム回収型焼却炉を用意して容積を減らし、

人工バリア型処分場で隔離して、浅地中(地下水層まで掘らない) に保管する。

 

いま破断された常磐自動車道の除染に取り組んでいるが、

ここでも省庁間の問題がある。

除染は環境省の担当で、国交省がその後に道路を通すのだが、

アスファルトを剥ぎながら、後ろからアスファルトを敷いていく技術が

国交省にはあるにも拘らず、活用されていない。

交通網の復旧は地域経済と暮らしの復旧のために急がねばならないのに。

 

森林は、30~50年くらいの時間がかかるだろう。

ただ伐採だけやってもダメで、セシウム回収型の焼却炉と

バイオマス発電を組み合わせるとかの工夫が必要だと考える。

作業者が被ばくしないよう、機械化も必要だ。

問題になるのは、放射性物質が集まり溜まってくるダムの底。

決壊すると大変なことになるので、定期的に浚渫しなければならない。

やらないとダムは時限爆弾となる。

上流での対策が必要だということである。

 

1955年からのデータがあるが、

日本は雨が多いので、森林から舞い上がって飛んでくることは少ない。

ただ花粉からは考えられる。

 

海はボリュームが大きいので希釈されていくが、

まだまだ継続的なモニタリングが必要である。

 

日本には世界に誇れる環境技術があるにも拘らず、

最新の技術が生かされてない。

児玉さんはここでも官の問題を挙げる。

 

これは質疑での発言だが、

原発事故後から、行政は組織防衛のための  " 不作為 "  を徹底するようになった、

と児玉さんは厳しく批判した。

不作為とは、見て見ぬふりをする、ということだ。

例えば飛行機の中で病人が出た際に、

医者が名乗り出て処置を誤った場合、作為の責任が問われる。

しかし名乗り出なかった場合には、不作為の責任が問われる。

条件が整わない中で作為の責任を問われるのを恐れるあまり、

情報まで隠ぺいしてしまう。

「不作為の責任は極めて重い」 と児玉さんは強調する。

そして審議会などにも民間や自治体の代表が参画できる形にして、

透明性と公開性を持たせるべきだと訴える。

 

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最後に、児玉さんからのメッセージ。

「 原発事故は、日本における最大の21世紀型環境問題です。

 この環境変化によって、福島は大変な苦難の中に置かれてしまいました。

 もっと大きな力で現地を支え、住民の悩みや苦しみを助けたい。

 除染は無駄だというのは、そこに住む人々をさらに苦しめることを、考えてほしい。

 当事者の声というのはなかなか伝わりにくいものです。

 自分の子どもを心配するのと同じように、福島の人たちのことを考えてほしい。

 それが21世紀の日本における環境問題を考えることであり、

 皆さんがこれからどこかで暮らして、何かが起こっても、

 他の地域の人々から支えられる、

 そんな (支え合いのある) 社会につながっていくのだと思うのです。」

 

1時間も超過してしまったのに、児玉さんは終了後、

壇上から降りていって質問者との対話を続けるのだった。

 

実はこの会場に、児玉さんは奥様をお連れしていた。

あらかたの人が帰った会場の

出口付近で待っておられるのを見て、僕はふと

今日が 「この日の夜しか空いてない」 一日だったことを思い出した。

もしかして、日比谷周辺で食事でもする約束をしてたんじゃないか。。。

" 申し訳ない " と " ありがたい " がない交ぜになって、

「まだ話してるわ、あの人・・・」

と呆れる奥様に、僕はひたすら頭を下げる。

 

奥様が話してくれた感動的な愛の秘話があるのだけど、

機微な個人情報なので、ここでは伏せておきたい。

 



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