2013年5月 2日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅳ)

 

児玉講座レポート、最後は除染と保管の問題について。

 

まずは、講演後の質疑で出された次の質問に対する、

児玉さんの回答から紹介したい。

「 東京電力の発表によれば、いまだに大量のセシウム137が

 事故原発から放出されている。

 そんな状態で除染作業をしても、イタチごっこになるだけではないか。」

 

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児玉さんの回答はこうである。

「 なぜ今、除染をやらなければならないかと言うと、

 チェルノブイリと違い日本では、

 新しい町をつくってそこにみんなを避難させることは不可能に近い。

 そんななかで、今もある程度の放射線量の中で暮らしている人たちが、

 100万人いる。

 そこに暮らす人たちにとっては、子どもの通う幼稚園をきれいにしたい、

 帰宅した際の靴の裏の線量を低くしたい、と願うのは、

 生きていくための基本的な生存権であり、健康権の問題である。

 

 放出されているのは事実だが、それが高い濃度で居住地にまで

 降ってきているという状態ではない。

 浄化する必要がある場所があって、できる技術があり、

 新たに降ってきている量が微々たるものであるとしたならば、

 そこに暮らす人々が希望している以上、

 除染に協力する義務が私たちにはあるのではないか。

 東大はその筆頭として引き受けるべきだとすら思っている。

 放射性物質が放出されているという問題と、

 人が暮らす街を放置するということは、まったく別問題である。

 

 チェルノブイリで起きたことは、家族や地域の崩壊だった。

 避難することが外科的手術だとすれば、除染は内科的な処方かもしれない。

 決めるのは住民であり、どちらにせよ

 安心して暮らせるよう支援する責任が私たちにはあって、

 それは無駄なことでも何でもない。」

 

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よく熱力学第二法則 (エントロピーの法則) を借りて、

いったん散ってしまったものは元には戻らないのだから除染はやっても無駄、

とか言われるが、それはこの法則をよく理解されてない方々だ、

と児玉さんは解説する。

ここで熱力学の話は省くが (分かった上で省くの? とは聞かないでね)、

第二法則が示していることを除染にあてはめるなら、

「外部に出すエネルギーを少なくして、内部をきれいにする」、

つまり効率的に無駄なく進め、隔離することによって、

(完璧は無理としても) 浄化は可能である、ということのようだ。

除染に対する児玉さんの責任感は、ただの  " 思い "  ではなく、

科学の法則に則ってもいる、ということか。

 


福島第1原発から放射性物質が拡散していったマップを見ると、

20年以上住めなくなった地域が広範囲に存在する。

チェルノブイリの経験で分かったことは、

事故後、半減期の短い核種が消えていくとともに放射線量は減っていくが、

6年後から下がらなくなった (半減期の長い核種が残ったから)。

放っておくと長く汚染が続くということである。

 

環境に散ったものを集め(濃縮させ)、隔離保管して、減衰を待つこと。

これによって長期的な内部被ばくと外部被ばくの可能性を減らすこと。

これが除染の本質である。

 

できるだけ濃縮させて(容積を小さくさせて) 保管したい。

濃縮で危険が増すと思われがちだが、そうではない。

少なければ少ないほど管理がしやすくなる。

 

汚染水が大量に溜められていき、漏れ出す、というのは

除染の原則に反したやり方である。

水の保管はとても難しい。

 

セシウム回収型の焼却炉は技術的に可能である。

セシウムの沸点は 641℃。

そこでガラス化防止剤を入れ (ガラス化すると抜けない)、1000℃ 以上にして

セシウムをいったん気化させる。

次にコジェネで温度を一気に 200℃ まで下げて液体化させ、

フィルターでセシウムを濾過させる。

それを仮置き場や中間処理場とかでない、きちんとした保管場所で隔離する。

保管場所と焼却炉はできるだけ近くに置き、

線量流量計を据え、24時間チェックする体制を整える。

 

しかし、この線量流量計を付けることを、環境省は拒否するのだ。

お金がかかると・・・

これでは住民の不信感は払拭できない。

 

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農地の除染の目的は、作業者(農民)の健康維持と、

農作物に吸収させないことである。

放射性セシウムは表層 5cm の粘土に捕まっている。

したがって表土 5cm を剥ぐと線量は下げられるが、

同時に大切なミネラルも失われるので、客土が必要になる。

また天地返しして 30cm ほどの下層土と入れ替える方法が推奨されているが、

石などが多い土質だと表面に出てきてしまうので、

その土地の性質を知っている地元の人の意見を聞きながら進めなければならない。

環境省のマニュアルに則った方法しか認めない、

というのは実におかしなことだ。

 

剥いだ土や草木類がフレコンバッグ(合成樹脂の袋) で保管されているが、

パワーショベルで傷つけたりするケースがある。

また草木類など有機物が多いと、夏に発酵してガスが発生し、爆発する恐れもある。

できればコンテナ保管が望ましい。

セシウム回収型焼却炉を用意して容積を減らし、

人工バリア型処分場で隔離して、浅地中(地下水層まで掘らない) に保管する。

 

いま破断された常磐自動車道の除染に取り組んでいるが、

ここでも省庁間の問題がある。

除染は環境省の担当で、国交省がその後に道路を通すのだが、

アスファルトを剥ぎながら、後ろからアスファルトを敷いていく技術が

国交省にはあるにも拘らず、活用されていない。

交通網の復旧は地域経済と暮らしの復旧のために急がねばならないのに。

 

森林は、30~50年くらいの時間がかかるだろう。

ただ伐採だけやってもダメで、セシウム回収型の焼却炉と

バイオマス発電を組み合わせるとかの工夫が必要だと考える。

作業者が被ばくしないよう、機械化も必要だ。

問題になるのは、放射性物質が集まり溜まってくるダムの底。

決壊すると大変なことになるので、定期的に浚渫しなければならない。

やらないとダムは時限爆弾となる。

上流での対策が必要だということである。

 

1955年からのデータがあるが、

日本は雨が多いので、森林から舞い上がって飛んでくることは少ない。

ただ花粉からは考えられる。

 

海はボリュームが大きいので希釈されていくが、

まだまだ継続的なモニタリングが必要である。

 

日本には世界に誇れる環境技術があるにも拘らず、

最新の技術が生かされてない。

児玉さんはここでも官の問題を挙げる。

 

これは質疑での発言だが、

原発事故後から、行政は組織防衛のための  " 不作為 "  を徹底するようになった、

と児玉さんは厳しく批判した。

不作為とは、見て見ぬふりをする、ということだ。

例えば飛行機の中で病人が出た際に、

医者が名乗り出て処置を誤った場合、作為の責任が問われる。

しかし名乗り出なかった場合には、不作為の責任が問われる。

条件が整わない中で作為の責任を問われるのを恐れるあまり、

情報まで隠ぺいしてしまう。

「不作為の責任は極めて重い」 と児玉さんは強調する。

そして審議会などにも民間や自治体の代表が参画できる形にして、

透明性と公開性を持たせるべきだと訴える。

 

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最後に、児玉さんからのメッセージ。

「 原発事故は、日本における最大の21世紀型環境問題です。

 この環境変化によって、福島は大変な苦難の中に置かれてしまいました。

 もっと大きな力で現地を支え、住民の悩みや苦しみを助けたい。

 除染は無駄だというのは、そこに住む人々をさらに苦しめることを、考えてほしい。

 当事者の声というのはなかなか伝わりにくいものです。

 自分の子どもを心配するのと同じように、福島の人たちのことを考えてほしい。

 それが21世紀の日本における環境問題を考えることであり、

 皆さんがこれからどこかで暮らして、何かが起こっても、

 他の地域の人々から支えられる、

 そんな (支え合いのある) 社会につながっていくのだと思うのです。」

 

1時間も超過してしまったのに、児玉さんは終了後、

壇上から降りていって質問者との対話を続けるのだった。

 

実はこの会場に、児玉さんは奥様をお連れしていた。

あらかたの人が帰った会場の

出口付近で待っておられるのを見て、僕はふと

今日が 「この日の夜しか空いてない」 一日だったことを思い出した。

もしかして、日比谷周辺で食事でもする約束をしてたんじゃないか。。。

" 申し訳ない " と " ありがたい " がない交ぜになって、

「まだ話してるわ、あの人・・・」

と呆れる奥様に、僕はひたすら頭を下げる。

 

奥様が話してくれた感動的な愛の秘話があるのだけど、

機微な個人情報なので、ここでは伏せておきたい。

 



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