2013年6月 8日

CSR 総会から

 

今日は 「大地を守る社会貢献活動(CSR) をすすめる会」

2013 年度の総会が開かれた。 

 

1975 年に設立された市民運動団体(NGO) 「大地を守る会」 は、

3 年前の 10 月に(株)大地を守る会と統合し、

上記の 「(CSR) をすすめる会」 に衣替えして活動を継続してきている。

そこで 「総会」 も NGO 時代から続いてきたスタイルを踏襲して開催されてきた。

 

NGO 大地を守る会が、発展段階に入った流通事業部門を

株式会社に独立させたのが 1977年。

以来、「運動と事業は車の両輪」 と標榜しながら運営してきたのだが、

統合の際には、それを改めて内部に一本化する、と宣言した。

NGO の理念を、憲法のごとく、会社の定款の前文に据えて。

僕はこの一連の流れを、「運動部門を事業のエンジンに組み込んだ」 と表現した。

今もその思いは変わらずにある。

 

ただし、時代は変わっていくのである。

NGO 時代に理事だった僕は、統合とともに

「すすめる会」 の運営委員へとスライドされたのだが、

昨年の総会をもってその席を後輩に託した。

我らがエンジンは日々進化しなければならない宿命を負っている。

したがってそれは職員一人一人のハートのなかに存在しなければならない。

運営委員という無報酬の仕事は、

多くの職員が経験したほうがいい、と思ったのだ。

 

ま、そんなワケで、今年の総会は出番もないだろうと、

とても気楽な気分でいたのだが、

今年から、活動報告はそれぞれの担当から発表してもらう、

というスタイルに変えるとのお達しが出た。

「大地を守る会の放射能問題への取り組み」 はエビがやれ - と。

 


もちろん自分で書いた活動報告と方針なので、

発表自体は全然 OK なんだけど、

やっぱ人前に出るのと出ないのとでは、気の持ちようが違ってくる。

緊張もするし。。。

 

内容にはそれなりの自負もあって、

喋る以上は 30 分は欲しいところだが、持ち時間は 3 分。

嫌がられるのを承知で、時間切れのチン! が鳴らされるまで

語らせていただいた。

 

放射能の昨年度の測定件数は、5,844 件。

毎週の配布物 「HAKATTE」 と HP で結果を公開する体制を継続させた。

放射能連続講座を 6 回開催。

講師の選定には気を使ったが、できるだけバランスよく選んだつもりである。

かつ歴史認識を新たにする意味で

耳を傾けるべき人をお一人含ませていただいた。

お陰さまで継続希望も多く、今年の第 2 クールへとつながっている。

 

生産地での除染対策支援では、

須賀川市・ジェイラップ (稲田稲作研究会) の取り組みは

特筆すべき成果を上げてくれた。

貴重な社会資産を残したと言っても過言ではないと思っている。

これも震災復興基金の力で、測定器を無償貸与できた力が大きい。

 

生協など 4 団体に呼びかけて結成した

「食品と放射能問題検討共同テーブル」 では、

延べ 2 万件を超えるデータを持ち寄って分析を進め、

震災後丸 2 年を経た今年の 3月11日 、

規制値や政策の見直しを求める 「提言書」 を政府に提出した。

 

基本とした姿勢は、

『食品の安全基準は、食べる人を守るためにある』 である。

リスクに対しては、可能な限り 「予防原則」 の立場に立つべきであり、

仮に規制値を超えた生産物・生産地に対しては、

国の責任をもって対策を講じ、支援する。

そういう仕組みを整えてこそ、食への信頼が回復されると信じるものである。

メディアからの反応も高く、雑誌での討論に呼ばれるなど、

一定の社会的発信はできたと思う。

 

「放射能対策特命担当」 を拝命してより

一貫して心掛けてきたことは、大地を守る会の行動が、

民からの取り組みとしてのひとつのモデルに、

あるいは行動規範やモノサシとなるような、

そんな活動にしなければならない、ということだった。

 

できなかったことはたくさんあるし、反省点も多いけれど、

まあ頑張ったよ、とは言わせてほしい。

 

この仕事には、終わりがない。

いずれ 「特命担当」 という非常時のような肩書きがなくなり、

大地を守る会を退職する日が来ても、

いったん背負ってしまったこの荷物は、もはや捨てられない。

河田昌東さんが言った 「忘れないこと」 、それは未来への約束だから。

胸にしまった以上、背負い続けて生きていくしかない。

 

総会議案書の項目からなくなっても、この仕事は終わらない。

それくらいの構えは持っているつもりである。

 



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