2013年7月16日

無農薬野菜の方が危険? -5年後の「続」

 

「農薬かんたん講座」 をやった勢いのあるうちに、

書きとめておこうかと思う。

 

しばらく前から気になっていることがある。

このブログを始めて丸 6 年。

気合い入れて書いたものからお気楽なものまで、

これまで 762 本の記事をアップしたが (目指せ 1000本!)、

一番投稿(コメント) が多い、

というより、今もってポツポツとコメントが寄せられる記事が、一本ある。

無農薬野菜の方が危険? 』 というタイトルで、

2008年7月16日付だから、ちょうど 5 年前の今日書いたものだ。

 

どうやら何かで検索して辿りついてるようなので、

試しに 「無農薬野菜 危険」 をキーワードに検索してみたら、

なんと、このブログがトップに出るではないか!

ヤバイよ、ヤバイ、、、背筋がゾクゾクしてきたぞ。。。

 

まあ、いただいたコメントは概ね好評なので、

なにもビビることはないんだけど、

改めてネットの怖さを感じた瞬間だった。

 

読み返せば、かなりくどい文章である。

大筋においては今もそう認識は変わってないので、

ま、これはこれでそのままにしておくとして (書き直すワケにもいかないし)、

この現象が意味するところは、

" 無農薬(あるいは有機) 野菜は危険 "  といった論を

今もって主張されている方がいるということなのだろう。

検索したついでにあれこれチェックしてみたが、

どうも有機農業に対する認識不足か偏見が根っこにあるようで、

批判したいがために1点を突く手法だったり、

「安全」 を人体だけの問題で考えていたりと、

粗っぽいものが多い。

これはいずれ追記しておかなければならない、と思っていた。

 


植物が昆虫や菌からの攻撃に対して生成する物質が

ヒトのアレルギー発症の原因物質になる可能性がある。

現実にそういう人はいるのだと、最近になってメールをくれた方もいる。

しかし・・・それで農薬を擁護するのは牽強付会(こじつけ) というものだろう。

食物アレルギーを持つ人たちは、医者にも診てもらいながら、

アレルゲンを特定し対策を考える。

だからといって、牛乳や大豆やエビ・カニそのものを悪者にする人はいない。

無農薬野菜でアレルギーが出る人というのは、

自然の植物すべてにアレルギー反応を起こすのだろうか。

「無農薬野菜だから」 という前に、もう少し調べたほうがいいように思う。

原因物質は 「無農薬」 ではなくて、何か特定の物質だと考えるのが、

農薬擁護派の好きな科学的態度というものではないか。

ぜひアドバイスしてあげてほしい。

 

こちらも、たとえば化学物質過敏症の存在などをもって

農薬を全否定しようとしているのではない。

ただ農薬は間違いなく人間が作り出した  " リスク "  であることを

承知しておかなければならない、と言いたいのだ。

農薬はすでに、しっかりしたマネジメント(管理) の対象なのである。

なぜ GAP (Good Agricuitural Practice:適正農業規範

/農業生産におけるリスク管理基準) などという仕組みが生まれ、

生産現場に求められているのか。

批判合戦のような姿勢による安易な否定あるいは擁護は、

ヒトや環境にできるだけ配慮した薬剤を開発しよう、と努力されてきた

製剤メーカの近年の開発プロセス (=リスクを承知する人たちの努力) を

踏みにじることにもつながりかねない。

要するに健全な議論を妨げるものだと言いたいワケです。

 

付け加えるならば、

植物は敵に攻撃された際、あるシグナルを発することが分かってきている。

それによって周辺の植物も、生体防御たんぱく質を作り出し始める。

「農薬使用」 と 「農薬不使用」 で、微量レベルのアレルゲン物質の有無が

明確に分かれるとは、どうも考えづらい。

 

有機農業は、(化学合成)農薬を否定する立場である。

環境への負荷の低さと生物多様性の維持という観点から見れば、

明らかに優位性があることを僕は疑わない。

資源の循環や永続性の観点から言っても、望ましい。

栄養価も高い。 いや正確には、その作物本来の栄養価値を持つ。

したがって、ヒトの健康にとっても良い。

5年前に書いたファイトアレキシンは、

まさに先月行なった放射能連続講座で取り上げたファイトケミカルにも

つながるものだ。

土壌の健全性を育てる有機農業は、発展させるべきである。

しかしその技術は、まだ発展途上なのだ。

 

一方で、今日の社会に於いて、有機農業だけでやれない限界性は、

別なところにある。

トマトやキャベツを一年じゅう供給しなければならない  " 需要 "  というやつだ。

あるいは需給のリスク・ヘッジという観点もある。

ここでは減農薬ですら、農家に無理強いしている場合がある。

大地を守る会の生産基準は、そこを意識するがゆえに分かりにくくなっている。

さらには、無農薬ではまだまだ困難な作物がある。

最も難しい作物は、リンゴだろうか。

(いま評判の  " 奇跡のリンゴ "  については、以前に触れた ので割愛したい。)

 

食品流通で生きている僕の、現段階での立場は、

「農薬をすべて否定することはできない」 である。

だからこそ、有機農業をもっと進化させたいし、

農薬の使用にあたっては、

消費者に信頼される管理(マネジメント) を徹底したい。

 

また堆肥に由来する問題を、有機農業批判とつなげて語る人たちが、

相変わらず存在する。

何をかいわんや、である。

堆肥利用は有機農業者だけの専売特許ではない。

慣行栽培と言われる人だって堆肥は活用する。

土づくりは農業技術の大元だったはずである。

問題は、その質と使い方に帰する。

硝酸態窒素を問うなら、むしろ化学肥料こそ問題である。

化学肥料を疑わない人は、水質汚染に配慮しているだろうか。

化学肥料だけで充分だと思っているのだろうか。

とてもいただけない。

 

有機農業者たちは、堆肥製造技術の追究者である。

その流儀は幾通りもあるが、

余計な病害虫の発生を防ぐためにも堆肥の入れ過ぎには注意する。

堆肥利用による弊害を語る論法って、たとえて言うと、

合成洗剤を批判する向きに対して、「石けんも使い過ぎればよくない」

と主張されるのに似ている。

それは一理ある。 しかし、だからといって、

それで合成洗剤のほうがイイということにはならないし、

むしろ石けんを認めた上での理屈だということに気づいてない。

 

家畜糞尿経由での抗生物質や薬剤の残留が指摘されることがある。

その懸念は無視できない。

ただ、汚染の輪廻を絶つためにこそ、有機農業はある。

有機農業は、有機畜産を常に希求しているのだから。

家畜糞尿を悪とみなして資源循環の系を断ってすましてよいか。

それでは、安全な肉はない、と宣言しているのと同じである。

否定ではなく、健全な家畜生産を求め続けたい。

 

僕は今、こんな議論よりも、

特定の害虫(昆虫) の、この機能を阻害させるといった

ピンポイントで叩く選択性の農薬を数十年かけて作り出すような世界にいる人と

会ってみたい、という欲求を捨て切れないでいる。

ヒトや天敵に影響を与えず、ある害虫のみを殺す農薬を、

農家のために、あるいは食料の安定生産のために、

と思って誇りを持って働いている人たちなんだろうと想像している。

彼らは表舞台に出てこない。

ネオニコチノイド系農薬が叩かれる昨今、どんな思いでいるのだろう。

別に同情したり共感しているのではなくて、ちゃんと会話してみたいのだ。

未来のために。

 

農薬講座では最後に、

これまで何度も引用してきた言葉で締めさせていただいた。

 

  民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

  その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。

 

  国民が健康であることは、

  平凡な業績ではない。

    - 『ハワードの有機農業』(アルバート・ハワード著)より

 

肥沃な土壌づくりで競い合いたいものだ。

 



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