2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

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トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

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旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

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二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

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続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



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