戎谷徹也: 2007年7月アーカイブ

2007年7月31日

原発3題

 

このテーマ、「そのお題、いただきます」と始めるには重たすぎる。

 

正面切っての論陣は、この場にはふさわしくないようにも思われるし、

そこは長く関わってきた人にお任せするとして、

それでも私は私なりに、避けて通りたくない、という思いがある。

 

"許せない" というより "やるせない" という陰鬱な感じが抜けないのです。

うまく語れるかどうか心許ないけど、吐露してみたい。

 


まずは先週の土曜日に開かれた、青森・六ヶ所村での核燃料再処理工場

の稼動に反対する全国ネットワークのキックオフ集会。

赤坂のドイツ文化会館で開かれ、全国から400人ほどの人が集まった。

 

再処理工場が稼動すれば、原発一基が一年間に放出する量の放射能が

一日で環境に放り出される。


国も県も、農産物や海産物の放射能濃度が高くなることを認めている。

それでも「大丈夫」なのだという。

 

大地にりんごや米を出荷する新農業研究会・今井正一さん。

自然豊かな青森の農林水産物が放射能で汚染される。

何としても止めたい。支援してほしいと訴える。

スクリーンには、大地の消費者とりんご畑で交流している絵が映し出されている。

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今井さんの訴えを聞きながら、

原発を科学的視点だけで考えると大事な部分を失う、

そんな思いに取りつかれた。


放射能は一ベクレルといえども、'確実なリスク'である。

なければない方がいい。

 

その汚染が確実に高まる。

青森県は、再処理工場稼動後も一次産品の放射能汚染レベルをモニターするというが、

実際にどれくらいの汚染になるのか、

どういうふうに魚介類に蓄積し、食物連鎖や生態濃縮が進むのかは、

正確には予測不可能である。

濃度が高まって、その数値を示されて、

「でも安全です」と言われたところで、人々は電気の代償にその魚を食べるだろうか。

これは生産者の深い疑問である。

 

しかし、それ以上に思うのは、

食べものを育てる(あるいは採取する)人々にとって、

生産地というのは極めて神聖な場であって、

そこの安全性の確保は生産者の意気地のようなもののはずだ。

それを他人が勝手に踏み込んできて、

「まあ、大丈夫なはずだから」 といって

大切なフィールドを汚染してもかまわないという感性は、許されていいものだろうか。

食べるヒトの健康を維持できる「閾値(いきち)」さえ守ればいいものではない。

(それさえも守れない可能性があるのだが)

 

これは理屈で押し倒すレイプのような気がする。

 

「俺らにも、誇りはあるだべしな」 (という言い回しでよかったかしら...)

 

僕は誰が何と言っても、今井さんを支持することを宣言したい。

 

さて次に、柏崎刈羽。

いったい、どうなってんの......だよね。

地震による被災者の復興報道は少なくなっても、

原発関連では毎日新たな事実が明るみに出てくる。

 

変圧器が黒焦げになり(これはとってもヤバイことだと思うのだが)、

7基のすべての核燃料貯蔵プールから放射能を含む水が漏れ、

原子炉上の天井では巨大クレーンが破損し、

地震の揺れは想定してあった上限の6.8倍だったとか。

 

もはや再稼動は無理であろう、

とかいう冷静な分析より重要な問題があるような気がしてしょうがない。

企業としての基本姿勢(モラル)に欺瞞がなかっただろうか。

 

そもそも原発を稼動させるための「必要な想定」でしかなかったんじゃないか。

地震がなかったら、数年後、もっと怖いことが起こったのではないか(運がよかった)。

耐震設計の基準(指針)を守り、安全確保するための運用体制すらなかったんじゃないか。

だとすると、この間の食品偽装で叩かれた企業に匹敵するような話になるけど。

 

この疑問を、どなたか解いてほしい。

 

最後に3題め-

秋田県上小阿仁(かみこあに)村で、村長が手を挙げていた

高レベル放射能廃棄物の最終処分場誘致(のための立地調査)につき、

7月28日、立地調査への応募を断念表明した、とのこと。

 

核のゴミを引き受けよう、という男気のような話ではない。

立地調査だけで多額の補助金が入る。

それを村の逼迫した財政の建て直しに充てたいと考えたが、

村民が反対して、村長も騒動を治めざるを得なくなったという話。

 

先発では、高知県東洋町で同様の騒ぎがあり、町長が失職した。

 

置き去りにされた地方に、札束を見せながら手を挙げさせる、という構図。

東洋町の'近隣市町村'出身の私としては、歯ぎしりではすまないのだが、

頑張って私情を捨てても、あまりにも哀しい話である。

 

こんなに人心を情けなくさせても、進めないといけないのだろうか。

こうまでしないと、僕らは暮らしてゆけなくなったのだろうか。

海に放射能を垂れ流し、トイレを探しながら......

 

たとえ大惨事が起きなくとも、未来をいま、食い尽くしているような気がする。

これはどう考えても、「退廃」ではないのか。

 

矜持(きょうじ)を持った生産者と、未来を切り拓きながら生きたいと、思う。

 



2007年7月29日

アオサ回収大作戦 in三番瀬

 

東京湾に残る貴重な干潟-「三番瀬」(さんばんぜ)。

千葉県の浦安市から習志野市にまたがる、およそ1800haの浅海地帯を呼ぶ。

干潟にはたくさんの生物が棲んでいて、海を浄化する役割を果たしている。

 

ここに、毎年春から秋にかけてアオサが大量に発生する。

これが打ち上げられたアオサ。

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砂浜が緑の絨毯で覆われている。

 

アオサは、河川から運ばれてくるチッソやリンなどの栄養塩類を吸収して育つ。

いわば余分な栄養分を食べてくれているわけだが、

死ねばまたその養分は海に放出され、

結果的に富栄養化や時には青潮の原因となる。

アオサは漁師たちから'海の厄介者'と言われている。

アオサが悪いわけではないのだけど。

 

そこで、このアオサを回収して資源に変えようという活動に、2000年から取り組んでいる。

 

『東京湾アオサ・プロジェクト』と称し、

船橋の漁師さんを中心とした「BPA(ベイプラン・アソシエイツ/大野一敏代表)」

というNPO団体と大地を守る会とで運営している。

さて本日、大潮をねらって、今年も夏のアオサ回収が行なわれた。

場所は、「ふなばし三番瀬海浜公園」の砂浜。

夏休みということもあって、約100名ほどのボランティアが集まってくれた。

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めいめいに青いネットのアサリ袋を持ち、

干潮で遠浅となった浜に広がってアオサを集める。

 

子どもたちは温んだ水に浸かり、またカニと戯れたり、

親子で夏の海辺を満喫するひとときにもなったようだ。

 

アオサは取っても取っても取りきれない。

今回アオサを持ち帰り、鶏の餌として活用していただく本田孝夫さん

(埼玉県川本町:That's国産卵の生産者)が

「もう積みきれないよぉ」 と音を上げたところで、終了。

回収したアオサは約1.5トンくらいか。

 

アオサはミネラルが豊富で、本田さんはこれを醗酵させて鶏に与える。

鶏は喜んで食べるそうだ。

 

以前、本田さんちまで運んだとき、着いた途端に鶏が一斉に鳴き始めたことを覚えている

海草の匂いに刺激されたのだろう。

試しにひと掴み投げると、奪い合って食べた。

生でOKなのだが、アオサは足が早い。醗酵させることで持たせている。

 

輸入のトウモロコシを使わない本田さんは、ミネラル補給だけでなく、

これで黄身の色が少しでも濃くなってくれればいいな、と考えている。

 

さて、アオサの回収後は、干潟の生き物観察会。

センセイは、一週間前、田んぼでの観察会でも活躍してくれた陶武利さん。

今度は海のガイドである。

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砂の下に棲息するカニやゴカイの数の多さ。

彼らは海をキレイにすると同時に、鳥たちの栄養源となる。

ここでも生物多様性が環境を守っていることを教えられる。

子どもたちも真面目に授業に参加。

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「エイに気をつけてください」

という公園からのアナウンスを聞きながら、少しだけ海にも入る。

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約1時間、観察しながら帰ってきたところで、アサリの実験結果を見る。

米のとぎ汁を入れておいた水槽。

アサリが水をキレイにしていることが一目瞭然。

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これが干潟の力である。

 

年間にたった数日、しかも短い時間でのアオサ回収ではほとんど力にはならない。

でも実際に干潟に足を踏み入れ、現場で動いてみることで、たくさんのことを学ぶ。

これはこれで貴重な体験となって帰っていただければ、と思っている。

 

干潟そのものが人を癒してくれることも、きっと実感してもらえるだろうし。

 

この自然は残しておきたい。

「東京湾はけっこうきれいなんだね。もっときれいにしたいね」

そう思ったとき、漁民とのつながりも生まれる。

 

海は人の想像力を超えて懐深く、東京湾は今も'豊饒の海'である。

 

皆様、お疲れ様でした。

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2007年7月26日

トレーサビリティの根幹に思想はあるか

 

今日の夕方、関西のある消費者団体の若い職員の方が、大地を訪ねてこられた。

その団体の代表の方とは古くからのお付き合いである。

 

聞けば、

その団体でも農産物の栽培情報のデータ管理(コンピュータ管理)を進めているのだが、

どうも相当難儀しているようなのだ。

そこで大地ではどんなふうにやっているのか見てみたいと、

ここ千葉・幕張の事務所までやって来られたのだった。

 

我々に教えられるものがあるのかどうかはさておき、

そういう相談を受けること自体、大地が評価されているとも言えるし、

双方内輪の実態を明かすような話なので、大地が頼みやすかったのかもしれない。

信頼されているというのか、友だちっぽい気安さがあるのか......

 

ま、それはともかく、暑い中ようこそ、ということで、

東西の情報交換などしながら、大地のシステムについてお話させていただいた。


具体的なデータ管理の説明はここではし切れないので省かせていただくとして、

その前提となる大事な部分を丁寧に伝えるように意識した。

 

そもそも、大地の今のシステムも昨日今日で出来上がったものではありません。

91年に農水省が有機農産物の表示ガイドラインを制定したときに、

私たちは

「ただ表示を規制するのではなく、食の安全のために有機農業を支援する政策こそ

 必要なことではないか」

と主張し、先頭きって反対の声を上げました。

この主張は、昨年の有機農業推進法によってやっと'一歩前進'した形になりましたが、

実はあのとき、ぼくらは同時に自分たちの足元の見直しも進めたんです。

 

これからはきちんとした情報の管理、今でいうトレーサビリティの体制が求められる

(それによって我々の「表示」の確かさが裏打ちされる)

と思いつつ、僕らが最初にとりかかったのは、データの管理方法ではなくて、

根本的な「基準の見直し」でした。

 

自分たちはどういう生産者や農業を支援するのか、

その上でどういう農産物を扱うのか、という土台の思想といえる部分を改めて整理する、

という作業でした。

そこで整備されたのが「大地を守る会有機農産物等生産基準」なんです。

 

「基準」というものをつくれば、必然的に、

大地で扱う農産物が基準どおりに作られていることを保証する体制が求められます。

それは事務局だけでなく、生産者自身にもその仕組みがないと成立しません。

つまり基準ていうのは、そもそも生産者のものでなければならないし、

「トレーサビリティの体制」づくりもまた、生産者とともに築かれなければなりません。

それによって基準に示された理念や思想も共有されるし、そうでないと意味がない。

一方的な規則・制度の強要は、虚偽や違反を生むことにつながります。

 

データ化とかシステム化というのは、その証しを残すための手段ですが、

どのような情報をどこまで、どういう形で残すかは、

将来どう役立てるかの視野も持った上で設計しておく必要があります。

「内容の確認」だけだったら紙(文書)保管だけでもOKなんですから。

多大なコストやエネルギーをかけてやるには、そのための構想の整理が必要です。

他団体の仕組みを真似たところで、本当の目的は達成されません。

 

土台が整理できれば、生産者に書いてもらう栽培情報の書式にしろ、

あとはある種の必然性によって築かれていきます。

しかし土台が曖昧だと、内部議論もうまく進みませんし、

生産者に対する説得力も生まれません。

大地も、これまでの10数年の経過のなかでは、

生産者から強いアレルギー反応を起こされたことも多々あったんですよ。

こちらに一貫した'意思'が形成されないと、システム化なんて貫徹できないです。

迷ったときは、土台へと向かうことです。

 

どうも先輩くさい話ばかりで、偉そうに聞こえたかもしれない。

でも、ただパソコンの画面を見せながら説明しても、本質が伝わらないような気がして、

ついつい喋ってしまった。

 

でも、これはこれでわが身を振り返る時間にもなって、

まだできてないことや課題も反芻しながら、関西の後輩を励ましていたのである。

 

偉そうなこと言ったって、僕らの基準も完成されたものではない。

生産者と歩むものである以上、いつまでも過渡期である。

毎年々々基準を見直し、修正すべきところを修正し、少しずつでも'進化'させていく。

それに応じて管理項目が増えたり、データ管理手法も修正される。

要は、自分の中の根本の'ものさし'が必要なシステムを導き出すのだと思う。

 

それにしても、できてない部分を'進化させる'という言葉に置き換えるのは、

究極の言い訳のようでもあるけど、

その自覚こそがこの組織を成長させたと、僕はけっこう恥じらいもなく思っている。

だからこそ、情報管理やトレーサビリティというやつは、

己の思想を守るために存在させないと、意味がない。

 

分かってくれただろうか......。

 



2007年7月24日

田んぼの草取り&ホタル観察会

 

全国後継者会議で若者たちとシコタマ飲んで、帰ってきた翌日(21日)、

今度は千葉県は山武での「大地を守る会の稲作体験'07-第2回草取り」である。

かなりバテバテ。

で、ちょっと日も経ってしまったけど、外すわけにはいかないので、記しておきたい。

 

とにかく、ひどく草だらけの我らが体験田でありました。

コナギの天下のような田んぼ。オモダカは花を咲かせている。

先月の草取りは、かなりバッチリやったはずなのに...絶句状態。

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こんなにはびこられては、

私はとても庄内の佐藤秀雄の心境には立てない(7月2日の日記参照)。

これは取らねばならない。

参加者が多かったのが救い。

 

皆さん真剣に、最後まで草と格闘してくれ、

ちゃんと草取らないと、夕飯抜きだからね!」と、

伝統的手法で娘を叱る母もいたり(だいぶ疲れが出てきてたのでしょう)、

今はただ、'大地の会員はエライ!'という感想のみです。

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とにかく皆様、お疲れ様でございました。

 

しんどい作業のあとには、楽しい企画も-

ということで、若手スタッフたちが今日のために特別目玉企画を用意してくれた。

 

第二部-「夜の自然観察会」

みんな狙いどころを実に要領よく押えていて、ただ「蛍見会」と略して(?)呼んでいる。


作業のあと、生産者の話を聞きながら休憩をとり、

日が暮れ始めたあたりから第二部となる。

 

まずは、大地の会員で、専門委員会「米プロジェクト21」のメンバーでもある、

生き物博士・陶(すえ)武利さんの座学から-

テレビのモニターにいろんな虫や植物を映し出して、問題を出したり解説したり。

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ホタルの源氏と平家の違いは...、オスとメスの違いは...

フムフムなるほど、と私はただ感心するばかりだが、

子供たちの反応がすごい。よく手が上がる。するどい質問も飛ぶ。

陶さんはテキパキと答える。さすがだなあ...。

オタクもここまでくると、いや失礼、ハカセでした。

 

作業の疲れをしばし忘れ、感覚モードが虫や植物の世界にはまったところで、

6班に分かれて、順番に観察に出発する。

 

要所要所にスタッフが立ち、班がやって来るたびに、そこで見える植物のガイドをする。

解説のポイントは事前に陶さんからレクチャーを受けている。勉強になったね。

 

竹やぶを通れば、竹と笹の違いを解説し、

落花生の畑の前を通れば、夜になると葉っぱが閉じている姿を眺めてもらい、

ヤシの仲間のワジュロの木の前では、温暖化でこいつが静かに北上している話。

 

「これが烏瓜(からすうり)の花です。夏の夜に咲く花。夜ですので蛾が受粉役になります。

 この白いネットが雄花と雌花を結ぶ蛾の標識になります。秋には赤い実がなります。」

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そうこうしながら、夜の谷津田に入る。

静まりかえった森と森の間に田んぼが佇んでいる。

森と田んぼの間には沢が流れているが、それは見えない。

子どもが口を開くのを皆で制しながら、夜道を進む。

そして、眼を凝らしてみれば-

 

田んぼの向こう、その沢沿いに、やさしく点滅するホタルを一匹発見!

あ!いた。見えた!見えた!

あ!あそこにも!ここにも!

え!え!.........いっぱい、いるじゃん!

 

改めて視界を広く取れば、幕が開いたかのように、フワ~っと出現したいくつもの光。

田んぼにも、沢伝いにも、森の木の上にも。

止まって点滅する光もあれば、優雅に舞いながら流れる光も。

こういうのを幽玄の世界というのだろうか。

 

間隔を置いて歩いていたはずの班が、谷津田を見通せるところで団子になってる。

誰も進もうとしない。

ただただ感嘆の声を小さく上げながら、かそけき生命の輝きに見入っている。

この光景は、もはや僕には表現できない。

 

生まれて初めて見たホタル。子どもももちろん初めて。何だかとても幸せな気持ち。

そんな方がたくさんいた。

 

やってよかった。

若手職員の、夜なべしながらの準備も報われたね。

もちろん陶さんには感謝の一語に尽きる。

 

「こうしてホタルがたくさんいるのも、農薬の空中散布とかがないからです」

との補足は忘れない。

 

体験田の地主・佐藤秀雄さん(庄内の佐藤さんとは別人)も、それを受けて語る。

「この地域で空中散布を全~部やめてっからさぁ、ホタルが戻ってきたんだよぉ。

 最近すっごく増えてきたっけよー」

 

生き物のゆたかさ、生命の静かなにぎわい、これはゼッタイにモノに変えてはいけない。

このゆたかさの上に、私たちの暮らしをつなげておきたいよね。

 

今日の汗水たらしての草取りも一挙に報われたような気分になる。

ホタルも感謝して舞ってくれているよ

 --なんてことはないけど、とりあえずそう思っておきたい。

 

三脚も使って写してみたけど、ホタルは一枚もとらえられなかった。

こういう時は、やっぱ一眼レフかなあ。

え?腕? そうね。それもある。

しかし、残念。

ここに写真を貼れないのが、とても悔しい。

 

最後に-

大地を守る会の機関誌『だいちMAGAZINE』8月号にて、

この稲作体験という企画が18年も続いてきたことの意味合いなどについて、

私なりに整理してみました。

ホタルと稲作体験は実は深くつながっています。

読んでいただけると嬉しいです。

 



2007年7月23日

全国から、農業後継者が埼玉・小川町に集合!

 

7月19日(木)~20日(金)

『第5回全国農業後継者会議』が、埼玉県小川町で開催される。

青森から長崎までの各地から、36名の農業後継者たちが集まった。

年齢は20歳から43歳(平均年齢30.6歳)。

農業経歴は-半年(脱サラして家に戻って始めたばかり)から14年まで。

ここでは、年齢と農業経歴は相関しない。

 

今回、この集まりを受け入れてくれたのは、

有機農業暦36年のキャリアを持つ金子美登(よしのり)さん。

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経営する農園の名は「霜里農場」。

金子さんは、若い頃からの日本有機農業研究会の幹事であり、

今やこの世界での'カリスマ'と言っていい。

 

また昨年成立した「有機農業推進法」を牽引してきたネットワーク組織、

現在の「日本有機農業団体協議会」の代表も務める。

というか、こちらからたって代表就任をお願いした方である。

 

漫画家・尾瀬あきらさんの名作『夏子の酒』を読まれた方には、

夏子に有機農業での米作りを教える「豪田」なる農民を覚えていることと思う。

その男のモデルこそ、実は金子さんである。

尾瀬さんは、かなり足しげくし金子さんを取材し、その後有機農業研究会の会員になった。

 

まずは金子さんに霜里農場を案内していただく。

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住居も含む農園全体が、'自給'と'環境'でこだわり抜かれている。


金子さんの基本思想は、無農薬無化学肥料で安全な野菜を作る、だけではない。

まず、消費者との直接提携を基本に据える。

現在、40戸の消費者に年間通して野菜や卵、牛乳などを届ける。

そのため常時20~60品目の野菜がつくられている。

 

金子さんはまた、有機農業によって学んだ'循環'を大切にする。

家畜の糞や野菜屑は畑に循環させるだけでなく、エネルギーの自給にも貢献する。

敷地内にバイオガス生成装置を埋め込み、住居の屋根には太陽光パネルがある。

ガラスハウスの骨組みは地元の木で建てられている。

 

しかも金子さんは、この循環システムを、自身の農場だけでなく、

小川町全体に着実に広げている。

企業も巻き込んで、500軒の生ごみを処理できる新しいバイオガス・プラントが

実験段階まで進んでいる。

しかもガスを電力化して電力会社に売るという戦略なのだ。

 

金子さんは牛の乳も搾る。

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家畜の人なつこさは、育てる人の優しさを伝えてくれる。

 

金子さんとは古くからのお付き合いだけど、大地に野菜を出荷する生産者ではない。

でも、金子さんが切り拓いてきた有機農業の姿、そして思想を、

当たり前のように、あるいは意を決して'農業を継ぐ'と決めた若者たちに一度は見せておきたい。

 

これが今回の霜里農場見学を企画した長谷川満(大地を守る会生産者会議担当理事)の

思いだったんだね。

 

金子さんのような複合的な農業経営は簡単に取り入れられるものではない。

でも若者たちには、誇りを持って'俺の農業'を語れるようになってほしいから、

今日はここで、ひとつの実践例として何かをつかんで帰ってほしい。

 

夜は、金子さんの米で酒を仕込む地元の酒蔵・晴雲酒造でのYaeさんのライブ。

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Yaeさんも農業後継者の一人である。

しかも両親のDNAを受け継いで、酒蔵でのライブが実によく似合う。

 

二日目の会議の様子。

IPMとかバンカープランツとか、けっこう真面目な質問が飛ぶ。

それを同じ世代の者が応える。

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嬉しかったのは、こういう発言があったことだ。

「俺たちは最初から農業できる環境があったけど、

霜里農場の研修生たちは、これから先、どこで農業をやるかとか考えている。

出発点から違う人がいる。この人たちともっと話をしたい」

 

そう。金子さんにはすでに100人の門下生がいて、各地で有機農業を実践している。


6月28日に紹介した徳弘君も、金子さんから学んだ一人だ。

 

ここで学んだ研修生は36カ国におよぶ。

こういう国際貢献を、何の報酬も求めずやっているのが有機農業者だ。

 

研修生ともっと話がしたいという希望は、時間がなくてセッティングできなかったけれど、

やってよかったという手応えを感じるのは、こういう瞬間だ。

彼らは、オチャラケているようで、しっかり見るものを見ている。

俺たちの心配なんてご無用!なのかもしれない。

 

来年の開催に手を挙げたのは、山形は庄内地方の若者たち。

月山パイロットファーム、みずほ有機生産組合、庄内協同ファーム、コープスター会の面々。

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実に明るく、頼もしい。

今年の『トンボと田んぼの庄内ツアー』に続いて、

来年は若手が主役の『全国後継者会議in庄内』となるわけだ。

 

息子たちの報告に、あの庄内の理屈っぽい親父たちはどんな顔をしていることだろう。

 

今から楽しみである。

 



2007年7月18日

「食の輸入は外来生物の輸入」という視点

 

米生産者会議での桐谷圭治さんの講演については、

15日付「ただの虫を~」の項で紹介させて頂いたが、

講演のなかで、桐谷さんはもうひとつ重要なことを話されているので、

やっぱりここでお伝えしておきたいと思う。

常識のようで、あまりちゃんと語られてないような気がする、という類いの話。

 

食料の輸入は、それにくっついて外来生物も運んできている、ということ。

食料にくっついて、あるいは船のバラスト水(※)に入って、

地球のあちこちから運ばれてくる。

 

侵入害虫はいつの間にか自然界に出て、人知れず繁殖して、ある日突然発見される。

同種の在来種を駆逐しながら広がるものもいれば、

国内に天敵がいない場合は、一気に繁殖域を拡大するものもある。

 

そしてこれが農薬散布を増やすひとつの要因になっている。


農薬使用の増加は、先に書いたResistance(抵抗性の出現)によって、

農薬耐性の発達(?)も促すことになる。

'農薬と耐性のいたちごっこ'の矛盾は、輸入の増加によって後押しされている。

 

新しい害虫の増加は、有機農業の現場をも悩ませる厄介な問題である。

例えば、1976年、愛知県で初めて発見されたイネミズゾウムシ。

inemizu-a.jpg(※)

 

カリフォルニアから干し草に潜んで密入国したといわれていて、

10年余で全国に拡がった。

この虫のために相当な量の農薬が散布されているし、

有機の稲作現場でも結構悩ましい虫となっている。

輸入食料の増加は、経済面だけでなく、環境と農業技術の面でも、

国内での安全な食糧生産を阻害している、ということになる。

 

そして温暖化が拍車をかける。

虫の生息域がどんどん北上しているのだ。

北上スピードは植物より速く、その地の生物バランスを変化させる。

また越冬昆虫が増えている。

 

輸入農産物の増加は、その食品自体の安全性という問題だけでなく、

国内の生産における安全性確保、環境、生態系(生物多様性)の安定といった

人の健康に関わる側面からみて、何らいいことはない。

 

オーガニックなら輸入でもいい、という立場には、私は立てない。

やむを得ず選択するにしても、そこは謙虚でありたいと思っている。

 

桐谷さんはまた、カメムシが'害虫化'した要因に水田の減反政策を挙げていた。

これも気になるテーマであるが、これはいずれ検証した後に報告したいと思う。

 

(※)バラスト水......船を安定させるために入れられる海水。到着した港で捨てられるため、世界で年間約百億トンのバラスト水が移動している(国際海事機構調べ)。バラスト水と一緒に生物も放出され、生態系の攪乱や養殖魚類への害、細菌の蔓延、有害プランクトンによる貝毒の発生などが問題となっている。

2004年にはバラスト水規制条約がつくられている。

(※)イネミズゾウムシの写真は、茨城県病害虫防除所のHPよりお借りしました。

 



2007年7月17日

台風と地震の波状攻撃

 

7月には珍しい大型の台風4号が、各地に被害を残して走り去った。

この異例の強さはラニーニャの影響らしい。

 

・・・とか書き始めたのが15日(日)の夜。

でも産地の状況など集めた上で書くかと思い直して

16日(月)、会社に向かえば、今度はなんと中越沖での地震報道だ。

こちらも大きい......えっ? 阪神淡路級!

何だか、背中の方からざわざわしてくる。

 

午後になっても、夜になっても、余震が続く。千葉でも揺れた。

 

昨日から、農産物や水産物の仕入部署である生産グループの職員は、

各産地の被害状況の聞き取りなどで、せわしなく電話している。

 

情報企画室からは、

「台風の影響情報を整理して、会員向けに号外を出したい」

とのメールが早々に入っていたが、地震情報も追加!となる。


 

いま17日の夜9時半。

 

幸いこれまでのところ甚大な被害報告はなく、やや安堵というところ。

南九州は雨よりも強風、中部から以北は風よりも大雨の影響を受けている。

しばらくはいろいろと出荷が不安定な状況が続くようだ。

 

しかし問題はこのあと、だね。

強風による果樹のスレや傷は最後まで痕を残すだろうし、

何よりこれからの病気の発生が心配される。

水に浸かった田んぼや畑では、その時の作物の生育段階によって影響は異なる。

宮崎の米は今月下旬には収穫に入るというところまで来ていて、

今回の台風が直接的に収穫量や品質に響くが、東北は「問題はこの先よ」である。

収穫に入っている野菜では、流通途中で病気が進行したりする。

果樹への本当の影響が目に見えるのもこれから。

 

しかも台風のあとはカラッと晴れて欲しいのだが、

梅雨が空けてないので、雨や低温・日照不足が続くのが嫌な感じ。

この時期にこんな台風来てはいけないのだよ。

 

地震のほうも、生産者への直接的に大きな被害はなさそうだが、

これもしばらくたってから様々な影響が出てきたりするから、まだ要注意が続く。

 

天災は怖い。

でも台風や地震と長く付き合ってきた民族の対応力のすごさに驚かされるのも

また天災というやつである。人の温かさやつながりの大切さを学ぶのも。

こればっかりは大地の生産者の心配だけすればよいわけではなくて、

被害のあった地域のいち早い回復を願うばかりである。

 

産地のことばかりに気をもんでいたが、

14日から16日まで、つま恋(掛川市)で予定されていた『ap bank fes'07』

のコンサートも2日間中止になった。

大地は今年も野外イベントで協力することになっていたのだが、

さて、用意した食材はちゃんとさばけただろうか......と

ちょっとみみっちぃ心配もしたりの三日間である。

 



2007年7月15日

ただの虫を無視しない農業-IBM

 

Yaeちゃんとの再会(と言わせてください) で舞い上がって、

肝心の生産者会議のメインテーマの話が後になってしまった。

 

約80人のお米の生産者が青森に集結した「第11回全国米生産者会議」。

今回の会議の記念講演は、桐谷圭治さん。

講演のタイトルは、「ただの虫を無視しない農業とは」。

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桐谷さんは昆虫学者である。

なぜ米の会議に昆虫学者を呼ぶのか?

これには有機農業思想の発展にとっての、重要な戦略的意味があるのである。

なんちゃって格好つけてますが、本当です。


有機農業による米作りは、農薬を拒否する。

ひっきょう害虫(といわれる虫群) とのたたかいとなる。

いや、" 駆け引き " と言ったほうがいいかも知れない。

どうやって発生させないようにするか、寄せつけないか、を考えながら、

ある時は手で取り、また木酢液やニンニク・唐辛子といった天然資材で対処したり、

最後の究極の姿勢は、" 我慢 " となる。

 

そこで必要なのは、害虫の生理や虫同士の関係についての知識である。

桐谷さんは、数年前からお呼びしたいと考えてきた、我々の 「カード」 だった。

 

桐谷さんは、30年も前に 「総合的有害生物管理」 という考え方を提唱した方である。

Integrated Pest Management-略してIPMという。

 

害虫を殺虫剤で殺したら、その虫を食べる虫(天敵) も一緒に死ぬ。

そのあとに害虫が卵から孵った時、天敵がいないために大発生する場合がある。

これをリサージェンスという。

(Resurgence:復活、再起。桐谷さんは 「誘導異常発生」 と訳されている。

 虫の「逆襲」 と意訳する人もいる)

また害虫はその殺虫成分に対する耐性を身につける (Resistance:抵抗性の出現)。

そうすると今までの農薬では効かなくなり、さらに強い農薬に頼るようになる。

 

桐谷さんは丹念なフィールドワークによってこの連関を明らかにし、

天敵の有効利用による害虫管理を農民に呼びかけたのだ。

 

IPMはすでに、天敵を利用しやすい施設園芸での減農薬栽培の主流になってきている。

 

そしていま、桐谷さんが唱えるのがIBM-総合的生物多様性管理である。

Integrated Biodiversity Management の略。

 

天敵活用にとどまらず、フィールド内での総合的な生物多様性の保持によって、

適切で良好な環境をつくり、作物を育てる。

そこでは害虫は " 害虫 " という名もない虫ではなく、

生態系の一員として必要な○○○ムシとして生きてもらうのだ。

 

これを私は " 平和の思想 " と呼んでいる。

この世に用なしの生命などないのだ。

 

たとえば、いま全国の米農家を悩ましているカメムシ。

これを殺虫剤でやっつけるには相当強力なものになる。

他の虫もやられる可能性が高まる。水系や環境への影響も深まる。

しかもカメムシというのは、かつては水田の " 害虫 " ではなかったのです。

いつか生き物のバランスのなかで、もう一度 " ただの虫 " に戻したい。

 

IPMからIBMへ-

IPMが今日のようにもてはやされるようになるまで30年かかった。

IBMも定着するまで何年もかかることでしょう。

桐谷さんはそう言って、ちょっと複雑な心境で笑っている。

 

厳しい米価で生産を余儀なくされている生産者には、

まだちょっと理想論のような話かもしれない。

でもすでに自分のものにしつつある人が増えてきている。

最低限、脳裏にインプットしておいて損はない。

これが有機農業の最新技術理論に融合されることは間違いないから。

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2007年7月13日

Yaeちゃん

 

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昨日から今日にかけて、青森で行なわれた 「第11回全国米生産者会議」。

昨夜は会議のあと、同じ会場で1時間ほど歌手・Yae さんのライブが開かれた。

 

父(大地の初代会長・藤本敏夫さん) が亡くなって5年が経ちました。

私がデビューしたのもちょうど5年前。

ここで、こうして大地の生産者の前で歌えるなんて、

お会いできて嬉しいです。

父もきっと喜んでくれていると思います。

 

ボクはもうすでにウルルン状態。

立派になって.........

ボクがまだ新米配送員だった頃、25年前の冬の雪の日。

夜の9時くらいだったか、飯も食えずにたどり着いた最後の配達先で、

めずらしく家にいたお母さん(加藤登紀子さん) が、

 

「あなた、何も食べてないの? 食べてく? 娘の残り物だけど」

 

八恵ちゃんたちが食べた後の少しの残り物にがっつく野良犬野郎。

呆れた感じで眺めながら、お登紀さんは言ったんだ。

 

「大地を、辞めないでね」


そう、あの頃は仕事がきつくて、おまけに給料が安い。


人が次々と入っては辞めていくという時代だった。

お登紀さんも心をいためてたのかな。

 

何をいただいたのかまったく思い出せないけど (意外と質素な食事だったような)、

腹の底から温まった気がして、こんな雪ごときでビビッてんじゃねえよ!

なんて気合い入れながらトラックを走らせたんだよ、八恵ちゃん。

あれから間もなく25年。頑張ったよなぁ、と自分に言い聞かす。

 

「今日は何だか話が長くなってます」 と笑いながら、

Yae さんは語った。

父から教えられたこと。 鴨川の農場で夫と一緒に農業の修行をしていること。

子供が生まれて、食というものの大切さを実感していること。

日本の美しい風景は長い時間をかけて人の手でつくられてきたことに心から感謝したいと、

つくづく思っていること。

 

そしてうたうYae-

 

   やさしい薫り やさしい花 やさしい鼓動

   耳をよせて

   400年も昔から聴いていた この唄を

 

   深い深い 森の奥に聴こえてくる この唄

   かけがえのない この唄 ~

                 (400年も昔から)

 

生産者も嬉しそうだ。ウルウルしてるオヤジもいる。

いつにも増してウカレて飲んでしまったような気がする。

ツーショットにも応じてくれて、

Yae ちゃん、ありがとう。 の一夜でした。

 

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(注:ちゃんとアップの許可をいただいております)

 



2007年7月12日

世界を変える社会起業家100人

 

昨日発売の週刊『Newsweek』(日本版)。

「世界を変える社会起業家100人」という特集が組まれている。

その100人に何と、大地を守る会会長・藤田和芳が選ばれた。

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貧しい人のために無担保の小口融資銀行をつくったことでノーベル平和賞を受賞した

バングラデシュのムハンマド・ユヌスさんや、

ハチミツ・ビジネスでアフリカ農民を支援するケニアのファルーク・ジワさんらと並んで

藤田さんが紹介されている。

お付き合いのあるところでは、「フェアトレード・カンパニー」のサフィア・ミニーさんのお顔もある。


ここで選ばれた基準-「社会起業家」とは。

環境問題や農業、途上国支援、貧困救済などの分野で社会貢献を目指しながら、

その活動を「ビジネス」として成立させることで持続可能性を獲得している起業家、

という感じで要約できるか。

しかもここで重要なのは、社会変革の牽引者として認められるか、ということのようだ。

 

藤田さんがメディアに登場するのはもう珍しいことではなくなったけど、

今回は、たかが6行での紹介とはいえ、「世界の100人」である。

えっ? そうなの? へぇ~、すごい!!! -これが社員の大方の反応みたいだ。

まるで他人事みたい。

仕方ないよね。イベントを派手にやることはあっても、

日常の仕事はかなり地味で、ストレスとのたたかいのような日々だからねぇ。

 

これは「時代の流れ」なのだ、きっと。

新しい、21世紀型の事業が形成されることを、社会が求めている。

 

それは利益こそ神のようなお金のための社会ではなく、一方で単純な理想主義でもない

人の暮らしとこの星の資源の限界性とがきちんと調和した社会を築き直す仕事。

そのためには、'できることから始める''経営の自立を優先する'という現実主義も時に採用される。

藤田さんが迷った時によく使う言葉が、「清濁併せ呑もう」だ。

"濁"を自覚することが、今日の覚悟を決め、明日へのステップを意識させる。

 

藤田さんが選ばれたのは、そういう意味で、僕ら社員にとっても誉れである。

事業の拡大(持続性)と社会運動の展開は、「大地」の車の両輪とよく言われるが、

その'意思'を持続させたのは、それなりの組織論があったからだと思っている。

 

たった6行でも(しかも設立年が違ってる。75年です)、素直に、嬉しい。

僕も大地に入ってまもなく四半世紀。よくやって来れたなぁ......実に感慨深い。

と同時に、25年前には想像できなかった'時代の変化'というものが、

今はそこそこ見えるような気がする。

 

大地は、人と地球に貢献する企業として全うしなければならない。

これは俺たちの義務だ。

この「期待」という重圧に、大地の一員として応えたい、と改めて思う。

 



2007年7月10日

日本列島の血脈

 

大地を守る会の機関誌『だいちMAGAZINE』9月号の原稿締め切りの日。

すぐにでも書けるはずだったのに、なぜか、というかいつものように、

締切日にならないと書き始められない。

 

今回の依頼は、専門委員会持ち回りの「今月の数字」というコラム。

今年、私が「米プロジェクト21」で活動に取り込む決意をしたテーマの

基となるデータを「今月の数字」として提出した。

 

日本列島に張り巡らされた水路の "尋常ではないすごさ" について、である。

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田んぼを水田として機能させるには水が要る。

その水は川や沢から、あるいは地下水から引かれるが、

田にくまなく行き渡らせるには水路が要る。

水路は日本列島いたるところにある。

それらはすべて、人の手で作られてきたものだ。

 

○○疏水とか○○堰とか、名のついた水路もあちこちにある。

昔、その地に疏水を開いた人は、地元の英雄として称えられた。

 

水路はずっと人の手で守られてきた。

 

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この写真は、5月4日、福島県喜多方市山都町での堰の補修作業の様子。

毎年、村の全戸総出で、溜まった泥をさらい、壁を直し、草を刈る。

この水路の下に棚田が広がっている。

 

水を巧みに誘導して、たくさんの人工湿地がつくられ、それが生き物の多様性を育んだ。

水路は、人が'手入れ'をすることで生き物が豊富になる象徴だと思う。

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この棚田も水路で守られている。

 

それが今、あちこちで崩壊の危機が押し寄せてきている。

人がいなくなっているから。

それでも残っている年寄りたちは、山に出かけ、必死で守ろうとしている。

下流の人たちは、彼らによってただで得られてきたものを忘れている。

 

米プロジェクト21では、「種蒔人基金」を使って、

堰の補修作業のお手伝いを今年から始めた。

毎年ボランティアを派遣したいと考えているところである。

 



2007年7月 7日

ハート会

 

7月6日(金) ハート会での講演、無事終了。

ま、REACHについてそれなりに整理してお伝えできたかと思う。

参加者からもたくさん好評を頂戴し、ホッとしているところ。

 

私のほかには、

有機認証機関と検査員協会の方からのお話。

そして老舗の繊維メーカーの方から環境への取り組み、など。

 

参加者は80名くらい。
ハート製品の製造にかかわる関係会社の方々が集まり、

ハート会の求心力もなかなかのもの、と感じた次第である。

 

EUがREACHでやろうとしていることは、

たんに化学物質を上から力でもって規制し管理することではない。


製品の原料調達から仕上げ・販売、そして寿命が尽きて廃棄されるまでの

すべての供給経路(サプライチェーン)を通じての、

化学物質のリスクの共有と管理(コントロール)の仕組みづくりが求められている、

ということだ。

 

EUに製品を輸出しようとする企業は、

その製品のすべてのパーツに含まれる化学物質について、

膨大な資料が要求されることになる。

それは販売者-完成品の製造者-パーツの製造者-その原料供給者間での

緻密なリスク情報の交換がなければ不可能だろう。

 

このEU規制に対して、アメリカは貿易障壁だと牽制している。

日本政府も同様である。

しかし一方、アメリカはアメリカで、実はカナダやメキシコと共同して

北米での共通規制をつくろうとしていることは知っておいたほうがいい。

これが進めば、対応できない企業は北米大陸からも締め出される。

 

いまや環境側面からの化学物質規制の強化は世界的潮流である。

しかも化学物質の適切なコントロールは、国境など関係なく

国際的な行動を通じてのみ効果を発揮する、という考え方が基調にある。

 

これは経済圏の話ではなく、地球の要求なんだとすら思う。

 

根本は、強化される法規制にどう対応していくかではなく、

「我々は人と地球の将来にどう責任を果たすのか」

というポリシーとモラルではないだろうか。

 

そういう意味で、長年の苦労の末にサプライチェーンをしっかりまとめ上げ、

原料から製造ラインそして製品まで一貫してオーガニック認証を獲得した

ハートさんとハート会各社の努力は、報われてしかるべきだ。

 

築き上げてきた体系と信頼関係に誇りをもって、

前に進めばよいのではないでしょうか、と結ばせていただいた。

これはけっしてリップサービスではないですよ、山岡さん。

 



2007年7月 5日

土壌分析のすすめ

 

安全審査グループ有機農業推進室(以下、推進室)のスタッフが、新しい冊子を作った。

『土壌分析のすすめ(保存版)』(A4版・24頁)

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推進室では毎月、大地の機関誌(だいちMAGAGINE)と一緒に

部署内で制作した『今月のお知らせ』というニュースを生産者に送っている。

実にシンプルで、飽きのこないタイトルでしょう。

推進室から生産者への各種のお願いごとや、

有機農業とか農薬に関連する新しい情報、大地の行事の案内などをまとめて、

月に1回発行している。

 

そこに今月は上記の冊子が同封された。

『保存版』としたところにスタッフの気持ちが込められている。


土壌分析というのは、

畑の土の肥料(栄養)成分を測定することで、土壌の栄養バランス状態を正確に捉え、

肥料のやり方を調整して、品質や安全性の向上に役立てる、という科学的な手法である。

 

プロの農家相手に何と大胆なことを、と思われるだろうが、

有機農業派の中にはけっこう職人肌の方が多く、

みんながみんな科学的分析を基に肥料設計をしているわけではない。

 

長い経験によって培われた判断力や勘はその人の熟練技として、

ぼくらはただ感嘆して教えを乞うのみだが(それでも分かるわけではない)、

意外と土は栄養過多になっていたり、

あるいはいつの間にかバランスが崩れていたりすることもある。

 

そこで思い切って、

土壌分析の基本や数値の読み方について解説したものをつくって送ろう、となった。

分かっている農家には文字通り'釈迦に説法'だけど、

土壌分析というものを相手にしない人に対する我々なりの呼びかけとして。

 

主に書いたのは吉原清美である。

この間、自腹を切って地方での研修に出かけるなど、精力的に学んできた。

上司としては、「よくぞ書いたもんだ」 である。

私には、仮に知識があったとしても、コワい生産者の顔が浮かんでしまって、

とてもできない。

 

さて、生産者からの最初の反応は、

「他の仲間にも見せたいので、あと5部ほど送ってくれないか。」

推進室長の亀川が喜んで、皆に報告している。

上司のひと言は、かなりセコかった。

「コピーさせろよ」

 

ここは担当を褒めるべきでした。反省。

でも、こんなんではすまないんだぜ、きっと。

オメーらに何が分かる!

という顔がいくつか浮かんでいて、心の狭い上司の腹の中は戦々恐々なのである。

 

でも我々だって、ただチェックするだけが仕事じゃない。

品質や安全性の向上に、貢献したいのだ。

 

そうだね。ここは誰が何と言ってこようとも胸を張ってやらねば。

 



2007年7月 4日

たんぼの生き物調査

 

とんぼと田んぼの山形・庄内ツアーから -PARTⅡ

今回は、「田んぼの生き物調査」の紹介です。

 

7月1日(日)、ツアー二日目。

佐藤秀雄さんの田んぼから、「アルケッチャーノ」での優雅で贅沢な昼食を堪能して、

一行は「庄内協同ファーム」代表・志籐正一さんの田んぼに向かう。

 

現地では、すでに生産者が道具を用意して待ち構えていて、

説明もそこそこに、「田んぼの生き物調査」実習に入る。

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まずは畦を歩きながら、飛び出すカエルを数えていく。

先頭が「アカ1!」「アオ2!」とか叫ぶ。

それぞれアカガエル、アマガエルの意味である。

それに応じて、後ろに続く人が手に持ったカウンターをカチャカチャと打つ。

 

でも、誰ともなく田んぼを覗いては足を止め、虫を見つけて歓声を上げる。

カエルがその先でチャポンチャポンと逃げているような......

どうも正確な調査になってないけど、ま、いいか。 みんな楽しんでるし。

 

協同ファームの生産者たちがこの調査を始めて、もう3年になるね。

すっかり慣れたもので、ふと見れば、別の人が土のサンプルを取っては

ネットの中で洗いながら土を落とし、少しずつ分けて白いバットに広げている。

そこで参加者が細い竹串を使って土や植物をより分けながら、

生き物を見つけて、数を伝える。

その数から、この田んぼにイトミミズが何匹、と算出される。

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今回はまあデモみたいなものなので、数の正確さは問題ではない。

大事なのは、この田んぼの土が生き物の宝庫であると実感してもらうこと。

それは、田んぼを米の生産手段としか捉えない者には見えない、

見えなかった世界なのである。

 

大の大人がポケット図鑑を持って田に足を入れ、

様々な虫を同定しては、数を数える。

それは見る人にとっては、実に異様な光景だろう。

ごっついオッサンが、子どものように田んぼの中の虫を観察しているのだ。

でも有機の生産者たちは、この作業を実に面白がって、やる。

子どものように。

 

オレの田んぼは、豊かだ。

もっと調べてみたい。

 

この'気づき'が生き物調査の意味である。説明は要らないよね。

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忙しい時期だけど、今しかできないから、

消費者を受け入れて、自分たちのやっている調査の意味を伝える。

庄内弁の優しい語り口で語る志藤さん。

 

豊かな田んぼに接してほしい。

そして、田んぼを好きになってほしいのだ。

 



2007年7月 3日

リーチってか...

 

オーガニックふとんでお付き合いいただいている

ハート」さんが、

原料の調達から製品仕上げまでの行程で関わりのある関係会社さんたちを集めて、

年に1回、「ハート会」なる研修会を開いている。

今年は7月6日(金)に東京で開かれる。

 

そこで3年ぶりに講演の依頼がきた。

 

3年前は、大地の基準の考え方や栽培管理システムの体系などを通じて、

トレサビリティ(追跡可能性)体制の大切さについてお話しさせていただいた。

 

そんな経緯もあるので、今回は何をテーマに話をしろというのだろうと、

担当に確認してもらったところ、まったく想定外の課題が突きつけられた。

 

リーチ法について話して欲しい。


えっ?って感じ。

 

ここで言う「リーチ法」とは、EUでこの6月に施行された「REACH規制」のこと。


EU内で製造・販売されるおよそ3万種におよぶ化学物質について、

安全性評価を義務付け、その情報を登録し規制する制度である。

その規制はEU域内に入ってくる製品にも共通して要求される。

日本でもEUに工業製品を輸出する企業の間で関心が高まってきている。

 

でもなんでハートさんが...

話をするにも、その意図とずれては申し訳ないと思い、。

資料準備に入る前に山岡社長に直接電話を入れてみた。

 

いやぁ、ハッハッハ! びっくりしました?。

特に深い理由あるわけではないんですぅ。。

この間の新しい動きで、このさい勉強しておこうかと...。

大地さんなら何言うても大丈夫かと、ハ~ハッハッハ~。

社員にも言うてるんですよ。。

勉強せんやつは、勉強する友達持てぇ」って。ハッハァ。

そんなことで、ま、軽くお願いしますわ。

 

軽く、って言われてもね。

大地だってEUに何かを輸出する事業計画があるわけでもなく、

まだあまり情報収集できてない。

というより中身そのものがまだこれから、という代物なのだ。

ただ、EUが本腰を入れて10年近くの年月をかけて作り上げてきた

化学物質の総括的規制である(そこらへんのプロセスが日本と違う)。

その意味と今後の影響くらいは考えておきたいとは思っていた。

それにこの問題の本質は、多くの企業が考えているような、

たんに「EUにどう対応するか-」ではない。

 

まあ、この機会だから、一応の整理をしておくか。

こういう動きにアンテナを張っている社長にも敬意を表して。

 

しかしどうも、うまく乗せられたフシがないとは言えない...

と独りごちつつ、本日(も?) ひとり寂しく残業なのである。

 



獅子ヶ鼻湿原-水と妖精の森

 

とんぼと田んぼの庄内ツアーから

 

鳥海山麓・獅子ヶ鼻湿原の湧水

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滝のような激流。この圧倒的な水量。

とてもこのすぐ奥から湧き出ているなんて、信じられない。

 

この水が川を形成し、また地下に染み込み、

水田地帯を潤す。


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ブナの原生林もある。

長い風雪に耐え、鬼神ここに宿る。

人はこの樹を 『ニンフの腰かけ』 と呼んだ。

ブナの腕に抱かれて眠る森の精霊を見たのだろうか。

 

水の源にはブナ林が似合う。特に東北では、そう思う。

"1尺のブナ1本で1反の田んぼを潤す" と言われるほどの保水力を持つブナ。

 

水と森に感謝する心に、妖精もその姿を現わし、微笑んでくれたのかもしれない。

 

※「ニンフ」とは、ギリシャ神話に出てくる森の妖精のこと。

※「一尺」=約30cm。「1反」=300坪、約10a(1,000㎡)。



2007年7月 2日

とんぼと田んぼ

 

6月30日~7月1日

「とんぼと田んぼの山形・庄内ツアー」開催。参加者25名。

 

受け入れてくれた生産グループは、

「みずほ有機生産組合」「庄内協同ファーム」「月山パイロットファーム」「コープスター会」

の4団体。

 

1日目は、午後2時に鶴岡駅に集合後、

鳥海山麓にある獅子ヶ鼻湿原の散策、宿舎となる鳥海山荘での交流会。

2日目は、朝4時からの鳥海山トレッキングから始まり、

みずほ有機・佐藤秀雄さんの田んぼ見学、

地元食材を使ったイタリア・レストラン「アルケッチャーノ」での昼食、

そして庄内協同ファーム・志藤正一さんの田んぼでの「生き物調査」と、

なかなか盛り沢山の内容であった。

 

ここでは、まずは佐藤秀雄なる人物とその田んぼをご紹介したい。

 

佐藤さんの田んぼでは、毎年100万から500万匹の赤とんぼが

誕生しているそうだ。

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坪当たりのヤゴの数を元に勘定しての推計値なので、

年や場所によって変動もあるようだが、それにしても恐るべき数字である。

 

当然、それだけのヤゴの餌となる小動物が存在しているということで、

その食物連鎖の底辺にいる微小生物群は無尽としか言いようがないし、

微生物を支える有機物の存在たるや......要するに「地力がある」。

この生き物の連鎖(生態系)と生命の多様性がしっかりと守られる田んぼを、

佐藤さんは作り上げてきたのだ。

それにしても何という土の柔らかさだろう。トロトロという表現がぴったりだね。

 

佐藤さんの、ここに至るまでの試行錯誤は書き切れない。

10年くらい前には、いろんな薬草やら植物を醗酵させて

自家製の液体肥料を作っていたのを見せてもらったことがある。

佐藤さんはそのタンクに '曼荼羅液肥' みたいな名前をつけていた。

ここ数年は、冬にも水を張る「冬季湛水(冬水田んぼ)」にも取り組み、

たくさんのハクチョウが佐藤さんの田んぼで冬を過ごしている。

それもどうやら卒業して、次の世界に至ったようだ。

とにかく年々進化するので、下手に説明などしようものなら、

「それは昔の話ですね」とか言われてしまう。

 

今は雑草も含めて、すべての生き物を受け入れようとしている。

この日も、私が田んぼに入って草を抜いたら、叱られた。

 

「まったくエビさんは余計なことをする。私の大事な草を抜かないで欲しい」

 

「えっ? だってこれ、コナギですよ。こんなに生えて...やばいんじゃないすか」

「大丈夫です。これも何かの役割を果たしてくれているんです」

 

田んぼではすべての生き物が互いに支えあい、その中で稲も育てられています。

ここで何万匹もの赤とんぼが羽化して、上昇気流に乗って

いっせいに鳥海山に向かって飛んでいく様を、皆さんに見せたかったんです。

とんぼが羽化したての時はまだ上手に飛べなくて、それを狙ってツバメがたくさんやってきます。

ぼくの田んぼでは、ツバメが低く飛びます。

そしてとんぼを捕まえる瞬間、ピシッ!という音がして、さあっと舞い上がるんです。

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こんな話を田んぼでゆったりと語る佐藤秀雄。

 

佐藤さんのお米を食べたことのある参加者の感想はこう。

「特に主張がなくて、でも食べているうちに、ふわぁっと自然の風景が浮かんでくるような

幸せな気分になったの」

佐藤さんはだたニコニコと、頷いている。

どんよりとした曇り空の下。

残念ながら、この日はとんぼの一斉飛行は見られなかったけれど、

この田んぼで、この人の話を聞きながら、その姿を想像するだけで、

みんな何だか満足させられちゃったような気がする。

 



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