戎谷徹也: 2007年12月アーカイブ

2007年12月29日

「偽」 の年の仕事納め

 

1年の仕事を終える。

 

毎年のことだが、何とも言えぬ脱力感がある。

 

しかし本当は、まだ終わっていない。

明日も食材は届けられるわけだから。

年の瀬の最後まで、

ミスやトラブルの連絡にハラハラ、ジタバタするのが食品流通の宿命である。

 

しかも、大晦日だって、正月だって、僕らの責任はついて回る。

本当は、毎日が気が気じゃない日々。

 

おせちはちゃんと届いただろうか...

正月に呼び出しがくるんじゃないだろうか...

でも、休まなかったら生きてけない、というのも本音であって、

溜まった書類を思い切ってシュレッダーにかけて、

ざっと机の上を片づけ、

パソコンも受話器もきれいに拭いて、終わりとする。

 

あちこち電気が消えた後、何人か残っている職員に声をかける。

大晦日の夜にデータのバックアップに入る奴もいる。

 

「じゃあな、お疲れ様。良いお年を」

 

こんな夜は、サッチモなど聴きたくなる。

特に今年は、そんな気分だ。

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名曲 -「WHAT A WONDERFUL WORLD」


例の哀愁を帯びたダミ声が聴こえてくる。

 

   ...ああ、この世はなんて素敵なんだろう

     緑の木々

     青い空

     虹の色

     手をつなぎ合った友だち

     赤ん坊の泣き声

     ああ、この世はなんて素敵なんだろう

 

こんな夜も、洋酒には走らず、日本酒でいく。

 

日本漢字検定協会による2007年の 「今年の漢字」 は 『偽』 となった。

いわずもがな、か。

ペコちゃんから始まって、希望のひき肉、白い恋人、背油注入「霜降り馬肉」

...思い出せないくらいいっぱいあった。

老舗から地域ブランド、有名ファーストフード、コンビニまで、

「偽装」 「期限切れ」 云々の嵐であった。

有機JASも揺れた。

 

異常な事態に、

「食べられるのに捨てられる。もったいない」

論も飛び出したほど、ヘンな世相になった。

 

再開した 「白い恋人」 は売れに売れているとか。

寛容な国民性は嫌いではないが...

 

この世の中、いったいどうなっちゃったのかと思うが、

こちらも、他人を批判したり笑ったりしている場合ではない。

 

偽装はないけど、ミスやトラブルはあったな、けっこう。

 

ある職員が漏らした台詞。

「嘘をつかない自信はあるけど、ミスをしない自信はない」

 

トホホ...何とかしようぜ、ほんと。

 

ま、ともあれ、今年も乗り切れたか。

 

年金問題、政治資金、その間に重税感も増し、温暖化は進む。

米価は下がるが自給率は上がらず、耕地は荒れる。

将来への不安は高まる一方だけど、

ここで生きる以上、やれるだけのことはやるしかない。

 

楽しく平和に、落ち着いて暮らせる社会というのが、

人類史でどれだけあったのかよく分からないけど、

子供たちがおおらかに希望を持てる社会にはしておきたい、と思う。

 

ちょっと偉そうだけど、

今年読んだ中で、最も心に残った一冊を挙げたい。

勉強になったもの、刺激を受けたものは他にもあるが、これは深く琴線に触れた。

 

渡辺京二著-『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)

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失われた、ある文明の幻影。

そこは 「子供の楽園」 でもあった。

 

とてもとても懐かしい風景、DNAが騒いだとでも言うか。

 

時代を遡ることはできないけど、

置き忘れてきた大切なものを、取り戻すことはできないだろうか。

 

サッチモの声が、今日はやけにうら哀しく聞こえる。

「この素晴らしき世界」

 -この歌詞には、もしかして言葉以上の意味が込められているのだろうか......

 


酔ってきた。

 

では皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

いつも読んで励ましてくれた皆様に心から感謝して、

今年最後の日記とします。

 



2007年12月27日

山藤 広尾店

 

昨夜は、今年最後の外での飲み会。

開店して間もない、大地の直営店 『山藤』 広尾店で締める。

 

『山藤』 の1号店である西麻布店はコース料理がメインで、

正直言って、我々には 'ちょっと軽く' という気分では入れないレベルである。

まあ、勝負どきに利用させてもらうって感じ。

 

一方、広尾店は単品料理で、値段もかなり抑えてくれている。

 

他団体の方との席だったので、料理の写真を撮ったり、は控える。

ま、もともとあまり、料理を前にして写真をバチバチ撮るのって、好きじゃない。

恥ずかしながら、料理を評したりするのも、実は苦手なのだ。

 

思うに、どんな料理であれ、

「まずい」 なんて言おうものならお袋から張り倒されて育ったのが、

すっかり 「料理」 を表現できない人間にしてしまったのではないか、

などと秘かに自己分析したりしているけど、

別に親には感謝こそすれ、不満も恨みもない。

 

終わりごろ、店内風景だけ撮らせていただく。

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定番の食材生産者の絵が飾られている。

 

葉物は東京有機クラブ。

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夕べは生産者の阪本啓一さんも来て、カウンターで知人と談笑されていた。

 

北浦シャモ農場。

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お米は神田長平くん。

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いただいたのは-

アジとイカの刺身に生ガキを1個、小松菜の煮浸し、キンピラ、里芋煮、

そして北浦シャモと短角牛の串焼き。

 

仕上げは、ご飯とお漬物。

 

どんなに褒めても結局は身内なので、賛辞は控える。

ただ、一緒に飲んでくれた方が 「美味い!本当に美味い」 と言ってくれたことは

お伝えさせてください。

 

特別に、一瞬だけ、と頼んで、厨房を覗く。

手前のお釜がイイね。

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いつもここにいるはずの、料理長のウメさんの姿が見えない。

 

雲隠れ?-まさかね。

年末最後の大勝負、『山藤のおせち』 の仕込みに取り掛かっているのである。

 

しばらく前に、おせち内容の仕様書が回ってきて、しげしげと眺めたことを思い出す。

 

通常の加工食品の場合は、「製造工程」となるのだが、

ここでその欄に書かれてきたのは、いわゆるレシピである。

 

レシピを見ても、ウメさんの腕の秘密が解き明かされるわけではない。

 

「焼き ⇒ 冷却 ⇒ 煮る ⇒ 煮る」 とか

「洗浄 ⇒ 浸漬 ⇒ 煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る ⇒ 仕上げ

 ⇒ 計量 ⇒ 金属探知機 ⇒ 品質チェック ⇒ 詰め」

を見たところで......

 

-いや、待て。

調味料の入れ時の違い、隠し味的な材料、

それに 「煮る ⇒ 煮る」 「煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る」 の行間あたりにも、

奥義の匂いを感じさせるものがある。

加えて、作業ごとの温度と時間の関係、特に時間だ。

 

最も時間をかけているのが、実は目立たない一品だったりする。

作業ではなく、その間の待つ (寝かす?) 時間だけで、しめて96時間!とか。

 

材料もすごいね。

揃えたくても揃えられる料亭はないのではないか。

 

山形村 (現岩手県久慈市) に住み着き、村の人々と山村の食文化に精通した

料理人・梅田鉄哉ならではの品揃えだ。

 

お値段も張ってしまって、ウチではちょっと......

我が女房どのは 「ムカつく!」 とか言ってるし。

まあ、いつか買えるよう、頑張って働くことにしよう。

でも数量限定だから、職員は注文しても、結局はじかれるんだろうけど。

 

ウメさんはいま、孤独に違いない。

集中力を研ぎ澄まして、命を捌 (さば) く。

お正月に喜んでくれる見たこともない家族の顔を想像しながら、

「煮る ⇒ 火を止める ⇒ 煮る」 の作業を繰り返しているのだ。

 

頑張ってね、ウメさん。

 

どうか暮れぐれも、事故なく届きますように。

 

ちょっと 「種蒔人」 を飲み過ぎたか...

山藤のおせちには届かないけど、

贅沢な、年末最後の 「飲み会」 となってしまった。

 



2007年12月24日

water [水:mizu] 展

 

六本木の新しいスポット-東京ミッドタウン。元防衛庁跡地がすっかり変貌した。

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ほとんど縁のない所と思っていたのだが、どうしても見ておきたいものがあって、やってきた。

 

ミッドタウン内といっても、北のはずれの独立した一角にある、

21_ 21 DESIGN SIGHT」 という展示館。(21_ 21 はツウ・ワン・ツウ・ワンと読む)

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展示館といっても、ただのミュージアムではなく、「デザインを通して世界を見る場所」 なんだという。

 

そこでいま、 『 water [水:mizu] 』 という企画展が開かれている。

 

「デザインによって水を示す」 実験だと......

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デザイナー佐藤卓さんのディレクションによるものだが、

この企画コンセプトづくりに深く関わったのが、

キャンドルナイトなどでご一緒させていただいている文化人類学者、竹村真一さんである。

 

竹村さんは、東京・大手町にある 「大手町カフェ」 で、

『地球大学』 という市民講座を2年前から主宰されていて、

昨年の秋には、"地球食" と銘打っての連続セミナーでご一緒させていただいた。

(そういえば、「種蒔人」で参加者と忘年会をやったのは、ちょうど一年前の今頃だった。)

 

そこで米(食)と水と地球環境の深い関わりについての話で盛り上がったのだが、

竹村さんは、「水」 への探求をさらに進めて、

デザインという視点から 「水」 の意味を表現する、という地平を獲得した。

 

そんなわけで、これは必見、となった次第。

 

中は撮影禁止なので、写真はお見せできないけど、

いや実に不思議な感覚に包まれる空間であり、展示内容だった。

 

まず目に飛び込んでくる 「立ち上がる水」 という写真。

コップから空に向かって、水が 「立ち上がって」 いる。

実際に自然界でも、水は落ちるだけではないが、この仕掛けは分からない。

 

試験管のような一輪挿しが並んでいる。挿されているのは、花ではなくて水の言葉。

 

   「世界は水」

   「日本の上空には常に100億トンの水が浮かぶ」

   「水は人と人をつなぎ、過去と未来をつなぐ」

   「アメリカで日本の水がなくなる」   ・・・・・

 

「ことばな」 と名づけられたこの作品が、会場の展示をつないでいる。

 

竹村さん自慢の、世界初のデジタル地球儀 『触れる地球』 もある。

 

中庭には高さ8.5mの巨大な傘が立て掛けてある。

芝生には光学ガラスで作った様々な大きさの水滴が落ちている。

ネズミか虫のサイズになって水滴を眺めてみたら -ということのよう。

 

ちなみにポスターのデザインにもなっている 「さかさかさ」(逆さ傘) は、

水をよけるための傘も、逆にすれば水を貯めるものになると、

発想の転換を刺激している。

 

「見えない水の発券機」

食堂のショーウィンドーに飾られているような、

精巧にできた牛丼、ハンバーガー、ざるそば、オムレツ、味噌汁などが並んでいて、

食券の発券機を押すと、「牛丼  2000L」 という券が落ちてくる。

丼一杯分の米や牛肉・たまねぎなどを作るのに必要な水の量。

バーチャルウォーターってやつだ。

ちなみに、ハンバーガーは1000L、味噌汁は20L、となっている。

 

円筒形の筒の中に入れば、木の幹を立ち昇る水の音と一体になる。

 

歩くと、歩にあわせて 「ポチャ、ポチャ」 と水が跳ねる音が響く道。

 

水の循環を表現した、透明な鹿威(ししおど)し。

 

魅入ったのは、12個の 「水の器」。

水が一杯に張られた半球状の器をのぞくと、様々な映像や音が、

底から流れてくる。子供の頃、古い井戸をのぞくって、

たしかに異世界への扉のようではあった。

 

そして、「ふるまい」 と名づけられた作品。

細い棒の上に撥水加工された紙皿が乗っている。

そこに水滴を落として、皿回しのように棒をゆすると、

まるで小さな生き物のように水がくっついたり離れたり...。

これは水分子の特異性が為さしめる行為(ふるまい) なのである。

 

だらだらと全部を紹介するわけにはいかないが、

水をめぐる、アーチストたちの競作とコラボレーションにしばし酔える、

静かな空間だった。

 

隣で、若いカップルが12種類の水のふるまいを楽しんでいる。

ふと女の子が彼にささやいた。

 

「水って、可愛いね」

 

そこで彼女にすっかり参っている彼氏は応える -ほんとだ。可愛いね。

 

何か知らんが、皿を落としそうになって、慌ててその場を立ち去る。

 

でも、こうやって '当たり前にある水の特別さ' を感じて、

水への眼差しが変わるなら、

それこそデザインや表現の力、ということになるのだろう。

 

参りました。

 

玄関を出た時、またアベック、もとい! 若いカップルとすれ違う。

なんと、青いパラソルを持っている!

振り返ってみれば......ヤルねぇ、今の若いもんは。

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Water [水:mizu] 展-期間は1月14日まで。おススメ、です。

 



2007年12月23日

飯能焼

 

自宅から車で10分少々のところに陶芸の窯がある。


「飯能窯」 と称し、地元飯能の山の土で焼く。

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江戸時代、天保年間から明治時代にかけて焼かれたようだが、廃れてしまった。

それを1975(昭和50)年、

虎澤英雄さんという陶芸家が土岐のほうからこの地に入り、

100年ぶりに飯能焼を復活させた。


 

実はその程度の知識しか持ってないのだが、

たまに何かの折に覗きに来る。

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飯能焼体験教室なども開いている。

この日も軽い、失礼、明るい若者たちが来ていて、楽しそうにやっていた。

 

展示室がある。

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鉄分の多い飯能の土100%で焼く。

それに白絵土による "イッチン"描きの絵付け、これが特徴である。

和紙などで筒をつくって釉薬や泥将を入れ、

指で押し出しながら陶磁器の肌に盛り上げの文様を描くやり方。

 

へえ。エビにそんな素養があったの?

いえ。説明にそう書いてあります。

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加えて 「翠青磁」 と名づけられた独自の青磁釉の技術を持つ。

国際陶芸展はじめ、数々の賞を受けた深い色合い。

青でもなく、碧ともちがう、これが翠と表現される色なのか

-といつも見入ってしまうのである。

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今回覗きにやって来たのは、

20年以上も大地で勤めてくれた女性が退職されることとなり、

どうしても送別会に出られない事情もあって、

何か用意したくなったから。

色々と眺め、二つの展示室を行ったり来たりして、迷うこと小一時間。

ずっと目から離れない一品-「やっぱりこれ」。

 

思い切って、翠青磁のぐい呑みをひとつ、求める。

 

その方は、杉並区永福町のセンターから始まって、

調布センター、そして幕張まで付き合ってきてくれた。

大地にとって、この年月は大きい。

酸いも甘いも......と言ってもいいだけの時間を共有した、

まあ僕にしてみれば、"同志" のようなものだ。

 

勤務が幕張に移ってから、体調もあまりすぐれず、退社となった。

 

ちょっと抜け駆けの感もあるが、20数年来の仲間ということで、

許していただきたいと思う。

 

陶芸家・虎澤英雄さん自ら箱の蓋に一筆したためてくれて、

嬉しい気分で窯をあとにする。

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窯の裏手にある東屋と雑木林が、なんともいい佇まいである。

 

この盃に我が銘酒 「種蒔人」 をつけて贈ることにする。

 

じゃあHさん、これからの人生も楽しくありますように -乾杯!

 



2007年12月21日

だいちロード

 

......という名前の 「道」 が完成した。

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場所は、パレスチナ自治区-ヨルダン川西岸地区の北部にある

コフォ・ジャマールという村。

 

オリーブの畑に道路が引かれたのだ。


 

それまでこの畑、といっても岩山にオリーブの樹が点在する土地だが、

そこには道がなかった。

 

なにしろデコボコの岩山。

車は入れず、収穫する時も、肥料をやる時も、

すべて岩場を登ったり降りたりしながらの人力作業だった。

 

ここに道をつくろう。

 

昨年、取り扱いを始めたオリーブオイルの現地を訪問した際に、

オイルという商品の流通にとどまらない支援策が話し合われ、

「パレスチナ平和の道プロジェクト」 が立ち上がった。

 

これをきっかけに、大地を守る会の国際支援基金制度として

「DAFDAF(ダフダフ)基金」 が正式に設立され、

「道」 は最初の支援プロジェクトとして位置づけられた。

 

DAFDAFとは、

The Development Assistance Fund of Daichi for Asian Families の略。

「交流先の農民や家族の生活向上や農業の技術向上などのために支援を行なう基金」

というような意味合い。

20年くらい前から進めてきたアジアを中心とした海外の農民たちとの交流を

もう一歩進めて、

交流先の有機農業の発展を具体的に支援するプロジェクトを進めようというものだ。

 

「パレスチナ平和の道プロジェクト」基金の呼びかけが行なわれ、

応じてくれた会員数は1,487名。 集まった基金が1,449,000円。

 

そして、道が完成した。 全長1.3km。

 

もちろん大地からの基金だけでなく、

現地の人々も、ある人は土地を提供し、ある人はお金を出し、あるいは労働力を出して、

みんなの手でつくられたものだ。

 

道路の入口に立てられた看板。

「DAICHI WO MAMORU KAI」 の文字が、何だか面映い感じ。

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現地のオリーブ生産者やその家族にとって道ができたことは、

我々の想像したより遥かに嬉しい出来事だったようだ。

11月に現地を訪れ、道路を確認した大地のツアー一行は大歓迎され、

その道を歩くのに大勢の人がついてきたという。

 

畑まで、足元を気にせず行ける。収穫した実を車で運べる。

彼らにとって 「道」 は悲願だったのだ。

 

道の中腹で、関係者と記念撮影。

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生産者の代表から、感謝状ならぬ、

オリーブの「感謝切り株」 が藤田会長に手渡される。

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「道ができて、みんな喜んでいる。

 道ができてから、みんな元気が出て、村が活性化している。」

村長さんからは、そんな話もいただいたようである。

 

オリーブの収穫は、家族みんなでの作業となる。

子どもたちも手伝うのだそうだ。こんなふうに。

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ここではパレスチナの歴史や政治はあまりに重たすぎて触れられないが、

彼らはただ昔からこの地にいて、したがっていつまでもこの地で、

平和にオリーブとともに暮らしたいのだ。

 

私たちはテロリストなんかではありません。

そのことを日本の人たちに伝えて欲しい......

 

これが視察ツアー一行に託されたメッセージである。

 

ツアー一行は帰る前に、イスラエルの人たちとも会っている。

皆とてもいい人たちで、大地の取り組みにも理解を示したという。

日本人ということでの配慮も多少はあったかもしれないが、

憎しみや偏見や予断のないところでは、

人と人は自然に分かり合えるものだと思いたい。

 

問題は根が深く、あまりにねじれ過ぎてしまっているので、

これ以上、軽々しいコメントはできない。

しかし、平和はけっして政治だけで築かれるものではない。

その前に、人と人が分かり合い、助け合う 「道」 が作られなければならない。

 

ツアーに同行した職員から報告を聞いて、写真も借りられたので、

この場でもお伝えしたく、書いてみた。

いいお手伝いができたんじゃないか、と思う。

僭越ながら、ご協力いただいた皆さんに、改めて心から感謝したい。

おそらくは機関誌 「だいちMAGAZINE」 でもレポートされるはずなので、

その際はぜひご一読を。

 

報告を聞いたその日、

「パレスチナ子どものキャンペーン」 という教育や福祉面での支援をしている団体からの、

パレスチナ刺繍製品の審査を通過させた。

パレスチナを支援するNGO同士の横のつながりがないのが気になるところではあるが、

我々は我々のできる範囲で 'つながり' を深めていきたいと思う。

 

ちなみに、DAFDAF基金では、ふたつ目の支援プロジェクトが進んでいる。

ミャンマーでの有機農業の農場を支援する計画だ。

こちらにはすでに1,576,500円の基金が寄せられている。

 

いずれも複雑な国情をもつ場所だけど、

だからこそ民衆レベルでの元気が出る物語を編み出したいものだ。

 



2007年12月19日

鶏肉生産者の叛乱?

 

さて、話は一日遡って、12月15日(土)。

茨城県石岡市(旧八郷町)にて生産者の集まりがあり、出かける。

 

集まったのは、大地に鶏肉を出荷していただいている常陸地鶏協議会と

北浦シャモ生産組合の生産者たち。

以前にレポートした米国のコーン視察で一緒だった下河辺昭二さんの

仲間への視察報告会 +夜は懇親会(という名の忘年会)、という集まりである。

 

下河辺さんは、私のブログ・レポートや写真を適当にチョイスして構成して、

パワーポイントの画面効果なども駆使して報告。

仕事の合い間に、よくつくったもんだと思う。

 

続いて、これも視察で一緒だった工藤さんという生協の方から、

遺伝子組み換えの問題点や現在の状況・課題などを概括的にまとめた報告。

これもなかなかの力作であった。

 

そのあとに私から、補足的にポイントの整理と

これからの取り組みの方向などを話させていただく。口だけで。

 

お二人の後に、ということなので、話す内容は聞きながら考えるしかなく、

写真を撮るのも忘れてしまった。

 

要は、生産と価格の安定を目指すためにも、

地域(国内)での自給力の向上に向けた取り組みの強化と、

米国のノンGMコーン生産者との連携の必要性を伝えたわけだが、

いまここで、現実に、

飼料高騰の直撃をくらいながら苦しいたたかいを強いられている生産者たちには、

かなり 'しんどい展望' というか、話であったことには違いない。

 

そして、その後の懇親会、である。 ・・・・・・・・・・

 


会場は、なかなか寂(さ)びのきいた飲み屋の座敷。

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店主みずからの手で仕留めた熊や猪や鹿の肉が食べられる飲み処。

 

今日は猪鍋が出る。

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下河辺さんのシャモ肉のタタキも用意されていた。

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なんだよ。料理の写真はしっかり撮るワケ?

-すみません。報告会は集中していて、写真なんてすっかり......

 

いや、お伝えしたかったのは、料理ではなくてね。

 

ここで、生産者との、ちょっとしたひと悶着があって、

生協の方には申し訳ないけど、こんな展開になってしまったのだ。

 

彼 (生協の方) は、生産者の訴えに応えていた。

「3月から値上げすることを組織で決めた。そこまでやったよ!」

 

目の前で飲んでいた生産者がこう応えた。

「待てない。じゃあ、3月まで出荷はやめる!」

 

それじゃあ話にならないだろうと、思わず割って入ってしまったのだった。

 

原料が上がった。なので値上げします。

それで生産と消費がうまく回るなら、誰も苦労はしない。

 

生産 (売る者) と消費 (買う者) は、

今の経済原理では基本的に 「利害(損得)が対立する」 関係に置かれている。

これが資本主義社会の矛盾の表層である。

 

でも僕たちが創造しようとしているのは、

「安全な食」 「持続的=安定的な環境」、要するに 「未来を保証する社会」 であって、

だからこそ今は、互いの 「つなぎ」 の立て直しに意地を張るしかない。

原価が上がったから単純に売価も上げる、では 「つなぎ」 ではない。

 

値上げする時には、

お互いどこまで頑張ったか、何をしたのかのプロセスが必要なのだ。

 

その間は、耐えなければならない。

言い換えれば、耐えて、次に何を語れるかがが勝負なのだ。

 

「俺たちが、精一杯頑張って鶏を出荷しても、今月の決算は赤字。

 この気持ちが分かるか、あんたに?」

 

この言葉に、僕はキレてしまった。

 

分かっている......本当はそう言いたかった。

でもやっぱり、鶏を飼って生計を立てている者ではない。

 

思い切って、言い放ってしまった。

 

「分からないよ。だから何だってんだ!」

 

分からない奴に 「何が分かるか?」

-では、もはやコミュニケーションもなにもあったもんじゃない。

 

しばし、僕とその生産者は、生協の方の存在を無視して、

机を叩いたりしながら不毛な激論をしてしまったのであった。

 

経営は難しい。

赤字をどう乗り越えるかは、業態の違う人間がたやすく言えるものではない。

しかし!

ホンモノの食べ物の生産を支える仕事をしてきた者の矜持(きょうじ)をかけて、

俺は言いたい。

 

苦しい時こそ、根性と知恵が必要だ。

それを示さなかったら、次に行けないじゃないか。

 

世間の政策通が言っているような、

農地の売り買いの自由化や、新規参入に活性化を求めるような政策ではなく、

長年の技術と地域風土との折り合い (調和) の取り方を知っている人たちと、

僕は、できることなら付き合い続けながら食の基盤を残したいと思う。

それを支えられる仕事をしたいと思ってやってきたつもりだし。

 

ただ無為に、やむを得ず値上げを続ける、は経営ではない。

「値上げまで出荷は止める」

じゃあ何も残らないじゃないかァ!

 

......てなわけで、一戦やってしまったんだけど、

 

生産者もこんな直情的な反応を予測してなかったのか、

落ち着いたところで-

「分かっているよ。ただ言わないと気がすまない」

 

僕も素直になって言わせていただく。

「分かっているつもりです」

 

「ぜひ俺の鶏舎を見にきてくれ。ちゃんとやってるから」

と彼は言ってくれた。

 


野生の肉を食って、イキり立ったのかな -反省。

 

枯淡を求めつつ、ちょっとアンバランスな欲が残る飲み処。

象徴するような屏風が、俺たちを見ている。

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「遊びをせんとや 生まれけむ」

 

この言葉って、梁塵秘抄でしたか。

でも、この詞は、必死で働いた人でないと出てこないのでは -そんな気がした。

 



2007年12月18日

有機農業-時代の握手

 

先週は二つの集まりに加えて、二つの忘年会。

毎晩のようにボロボロになって帰る。

どうしてこんなに飲んでしまうんだろう......

しょうがないでしょ。付き合わざるを得ないんだからさ。

 

でも仕事はちゃんとしたんですよ。他の原稿も二つ書いたし。

 - と相変わらずの言い訳人生。

とまあそんな感じで、ドヨ~ンとした体調で今週の仕事を開始したら、

前回の記事への涙の出るようなコメントが届いていて、一気に元気回復。

気を取り直して、ブログ再開。

 

では、この写真から見ていただきましょうか。

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なんだ、このイッちゃったようなオッチャンは?

失礼ですね。

今回も、これまた伝説の人、登場!なのです。

(どうもこの世界は枯れない人が多い・・・) 

 


左は、これまで何度か名前が登場した埼玉県小川町の金子美登(よしのり)さん。

全国有機農業推進協議会代表。

今や押しも押されもせぬ有機農業運動の旗手である。

 

そして右の御仁は -金子さんがまだ若かりし頃の村長さんである。

 

といっても行政区の話ではなく、

杉並区は西荻窪にある 「ほびっと村」 の初代村長、シンヤさんだ。

 

ほびっと村-

1976年、つまり大地を守る会設立(75年)と同時代に生まれた。

たしか元郵便局かなんかの建物だったと思うが、

1階が有機の八百屋 「長本兄弟商会」、

2階がカフェ・レストラン 「BALTHAZAR(バルタザール)」

 (昔はほんやら洞とか満月洞という名前の食堂兼居酒屋だった)、

3階が本屋 「ナワ プラサード」(こちらも昔はプラサード書店と言っていた) と

フリースクール 「ほびっと村学校」 がある。

 

いわばカウンターカルチャーの先がけ、メッカ的存在だった。 いや、今も健在である。

シンヤさんは76年から10年ほど、この砦の村長として君臨した。

今は茨城・笠間で唄を歌ったり、焼き物を焼いたりしている。

 

その元村長さんと金子さんが握手している。

 

これは一昨日の日曜日(16日)に開催された、

『有機農業推進法施行一周年記念集会』 の集会後の、さらに二次会でのひとコマ。

小さな居酒屋で、昔話などしながら、互いの健闘を称えて手を握り合っている。

 

金子さんが農業大学校を卒業して、実家で有機農業をスタートさせたのが71年。

当時23歳。

ほびっと村創設が76年。シンヤさんは当時40歳。

ちょうどひと回り違う年齢で、場所も立場も異なるが、

有機農業運動草創期の時代を走った二人だ。

異端児とか反体制とか言われながら-

 

それが21世紀に入り、'有機農業の推進' が国の法律となった。

 

これから実体づくりの法律とはいえ、世の中、変わったねぇ。

まさか国が有機農業を認めるなんて、当時は想像もできなかったよ......

 

二人には、まだまだ言いたいところが一杯あるだろう。

でもまあ、多少は感慨深いところもあったのでは。

こんな光景に立ち会えたこと、つまりここに一緒にいることを、

さらに '遅れてきた世代' として、光栄に思う。

 

昼間の集会の風景。

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国会議員の挨拶なんかは置いといて、

シンヤさんはここにゲストとして招かれ、ギター弾きながら楽しく歌ってくれた。

 

   歩いても 土の上~

   飛び上がっても 土の上~

   なにをやっても 土の上 ~  とかそんな歌詞だった。

 

金子さんがよく言う台詞

 - この国は、根がなく、土と離れた切り花国家だ。

 

焼け跡派と団塊のコラボレーションとなったか。

 

クリスマス前の、冷たい風の吹く青山・表参道の日曜日の夜。

'おかしな青年集団' がビル街を跋扈しながら散っていった。

 



2007年12月 8日

上堰米

 

......というお米が届く。

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差出人は、福島県喜多方市山都町早稲谷の浅見彰宏さん。

10年前にこの地に移り住み、夫婦で有機農業を始めた方。

 

彼の農園の名前は 「ひぐらし農園」 という。

あの晩夏の夕暮れに鳴くセミが好きなのか、農園の暮らし向きを表現したのか、

その辺は聞いてないので分からないが、おそらくは......いや、やめておこう。

 

地元のきれいな棚田の写真が貼られている。

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山都町早稲谷地区は、霊峰・飯豊山の麓に位置し、

ブナの原生林やナラを中心とした広葉樹林に囲まれた美しい山村である。

250年も前に拓かれた手掘りの水路が、今も棚田を支えている。


 

今年の5月4日、

その山間を縫うように張り巡らされた水路(堰)の補修のお手伝いをした。

そのお礼にと、送られてきたものだ。

  ≪7月10日の日記-「日本列島の血脈」もご参照いただければ≫

 

玄米、7kg。 この数字が、なんかほのぼのとさせる。

5㎏でも充分なのに、

浅見さんは誠実に、収穫物から送れる量を人数で割ってくれたのだろう。

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これが当日の堰浚(さら)いの様子。

一年分の土砂や落ち葉などを浚い、水回りを取り戻す。

けっこう重労働だったが、これで棚田に水が回る。

村じゅう総出での作業である。

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我々ボランティア組はすぐに腰が痛いとか言っては休みたがるが、

地元の方々は黙々と続ける。

バカにされちゃいかん、と意地も出すが、すぐにため息をついては汗を拭う。

 

この作業人足がだんだんと減ってきている。

高齢化も進んでいる。

この堰が埋まった時、写真にあるような美しい棚田も滅ぶことになる。

 

この棚田も。

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ここが堰の源流の地点。

ブナの原生林に育まれたミネラル豊かな水が、麓にまで行き渡る。

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浅見さんは、外からの入植者であるゆえの人脈を活かして、

またネットも駆使して、この仕事のボランティアを募っている。

地元の人からの期待や信頼も獲得して、いまや貴重な若手人材となっている。

 

本木上堰と名づけられた全長6kmに及ぶ水路を、

上流から下る組と下流から上る組に分かれて、合流するまで作業は終われない。

堆積物を上げ、壁を直し、草を刈りながら、行軍する。

 

下流から上った我々が、ようやく上流組と出合った時の一枚。

さすがにしんどそうだ。村の人たちに混じって浅見くんの雄姿も(左から二人目)。

すっかり村の人だ。

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彼も実は、7月23日の日記 「全国後継者会議」 で紹介した、

埼玉県小川町の有機農業のリーダー、金子美登さんの門下生である。

 

金子さんのところで学んだあと、この地に入植した。

金子さんの話によれば、

農業条件の良い土地よりも、自分を必要としてくれる場所に行きたい、

と語っていたそうだ。

すっかり頼られる存在になって-。 働いたんだね。

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彼は今、冬の仕事として、麓の大和川酒造店で働いている。

毎年2月にやっている、 「種蒔人」 の新酒完成を祝う 「大和川交流会」 では、

蔵人・浅見彰宏と会うことになる。

 

夏は上流の水を守りながら米をつくって、冬はその地下水を汲んで酒をつくる。

すっかり飯豊(いいで)山水系に生きる人である。

上堰米を炊いてみる。

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美味しかったです。ありがとう。

 

※大地のオリジナル日本酒 「種蒔人」 でつくられた 「種蒔人基金」 では、

  本木上堰の清掃作業の支援をこれからも続けたいと考えています。

  「種蒔人」を飲みながら水源を守る。

  お値段もいいお酒ですが、たまのハレの日などに、ぜひ!

 

※来年の大和川交流会は、2月9日(土)です。現在参加者募集中。

  会員の方は今週配布された 『だいちMAGAZINE』12月号をご覧ください。

  お問い合わもお気軽にどうぞ 。

 



2007年12月 4日

黒瀬さんからの便り

 

11月22日付-「よみがえれ!ブナの森」 を読んでいただいた、

大潟村の黒瀬正さん(ライスロッヂ大潟代表)から、嬉しい便りが届きました。

 

私宛てではなく、大地の会員皆さんへの御礼とメッセージの形になっているので、

ここでご紹介させていただきます。

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(黒瀬正さん)


     地元から一言

 

大地の皆さん、毎年ブナ運動へのご支援ありがとうございます。

 

私たちは、農薬の空中散布や、ダイオキシン含有の除草剤MOの全域禁止、

或いは合成洗剤の転換など、食の安全や環境問題に関する運動を

古くから積極的に行なってきました。

空散やMOの全域排除を、生産者からの提案で25年も前に行なったのは、

全国的にも初めてであり、画期的なことでした。

 

こうした中で、こともあろうに村行政主導でゴルフ場を建設する企画が、持ち上がりました。

                                   ≪エビ注-90年頃の話です≫

この企画は、賛否の住民が対立する大騒動になりましたが、

全国の消費者団体の皆さんの応援も頂いて、かろうじて撤回させました。

 

このように、食や環境に関する住民運動が盛んに展開されている農業の村・大潟村で、

このような企画が村当局から出たり、また、これに賛同する農家住民が数多くいたということは、

食の安全や環境についての認識が地域全体に浸透していないことだということに気づき、

それまでの運動を大いに反省しました。

 

そこで、水や農薬や環境についての関心を、

大人も子供も多くの地域住民が愉しみながら深める運動を展開する方策の一つとして、

ブナ植えを始めたものです。

 

私たちの田圃に水を運んでくれる馬場目川は、古老に聞くと

「昔は年中切れることなく豊かな水が流れていた。でもブナが伐採され

造林杉一面になってからは、夏場は水枯れが頻発し、

また一揆水で川が荒れるようになった」 と言います。

 

私たちは馬場目川源流部に 「緑のダム・ブナ林」 を再生しようと、

国有林の造林杉更新地の一部開放を営林署に頼みましたが、

当時は営林署の現場職員には、価値や意味はまったく理解されず大変苦労しました。

でも、たまたま、その時の若いキャリアーの秋田営林局長が理解を示し

賛同してくれたことで、この運動のスタートが切れました。

 

このブナ植栽は15年目になります。

夏に下刈りに山に行くと、最初に植えたブナは10メートルを超し、

野鳥も増え鶯などもさえずって、若木ながらも豊かなブナ林の風情も出ております。

 

文化の日に行なうブナ植えの集いは、毎年大勢の参加者で賑わい、愉しみながら、

水や農薬や合成洗剤など環境についての想いが地域の人々に拡がってきています。

また、今では営林署の現場の人々も積極的に参加してくださいます。

 

現地から、皆さんにお礼を言いたいことは、

大地の皆さんを始め全国の消費者の方々がこのブナ植栽運動にカンパや参加くださることが、

地元の人々の大きな心の支えや、関心を呼ぶ動機付けになり、

運動が拡大し継続する原動力になっていることです。

 

我が黒瀬農舎では、この日はロッヂを開放して前夜祭を行ない、

生産者と消費者の交流や意見交換など行なっています。

 

どうぞこれからもこのブナ運動へのご支援をお願いして、

エビちゃんに、大地の事務局の皆さんに、そして、

大地をはじめご支援くださっている消費者の方々へのお礼のご挨拶と致します。

 

                               ライスロッヂ大潟・黒瀬農舎 黒瀬正

 

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(黒瀬さんの田んぼには、遺伝子組み換え拒否の力強い看板が立っている。)

 

黒瀬さん。

どうも有り難うございました。

 

100年先の田園を見据える皆さんの活動には、頭が下がるばかりです。

でも我々も、ただ植林のお手伝いだけでなく、

多少でも現地での関心の広がりにお役に立てているのかと思うと、励まされます。

 

夏の下草刈りは、時期的になかなか都合がつかず、申し訳ないですが、

山と里・湖のつながりがさらに深まることを願っています。

 

だいぶ寒くなってきておりますので、どうぞご自愛ください。

2月の東京集会でお会いできるのを、楽しみにしています。 (エビ)

 



2007年12月 2日

振り返り

 

気がつけば、師走である。

エンデの小説 『モモ』 じゃないけど、誰かに時間を奪われている気がする。

米国視察あたりから、完全に'追われる'ペースになっちゃった。

 

昔のように夜なべも利かなくなったし・・・

などと一人ため息をつきながら11月を振り返れば、

米国レポートを長々と続けてしまったこともあって、いろんなことを書き漏らしてしまった。

 

ここで一気に振り返ってみたい。

 

まずは1日。

島根で開かれた加工品&乳製品製造者会議。

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アイスクリームやチーズを頂いている木次(きすき)乳業さんを会場にして開かれた。

 

木次乳業の歴史を語ってくれたのは現在の社長・佐藤貞之さんだが、

先代の佐藤忠吉さんは、有機農業の世界では 「島根にこの人あり」 と言われた人だ。

酪農を主体にして、米も野菜も作る 「自給・小規模多品目複合経営」 の姿勢を

親子2代にわたって貫いている。

牛は山地での放牧に適した「ブラウンスイス」という品種。

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非遺伝子組み換えの配合飼料に国産有機栽培のフスマ、野草などを与える。

「食べることは、いのちをいただくこと」 が忠吉さんの口癖だ。

牛乳を運ぶ保冷トラックのボディには 「赤ちゃんには母乳を」 と大書されている。

相当のポリシーがないと書けない台詞だ。

こんな乳業メーカー、他にないよね。

 

牛舎の見学では、乳搾りも体験させていただく。

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実に気立ての優しい牛である。

 

会議では、有機での米作りで若者を育てるおにぎりの三和農産さん、

桑畑の再生から地域起こしにまで発展させた桜江町桑葉生産組合さんの講演もあり、

出雲の各所で、食品メーカーが中心になって地域づくりが進んでいる様子が報告された。

 

'安全な食' から '環境と地域の再生' へ。

地域に根ざした食品メーカーだからできることがある。

3社の報告は、参加されたメーカーには大いに刺激になったのではないだろうか。

 

島根から秋田に飛んでブナの植林のお手伝いをし(3日)、

翌週の「土と平和の祭典」(11日)、「土作り生産者会議」(15日)、

「ストップ!GMO緊急集会」(17日) なんかを挟んで、

20日には、本社と習志野物流センターで農産物の流通管理についての監査を受ける。

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大地で販売する農産物に関する情報が正確に管理され流通されているかどうかを、

有機JASの認証機関の監査によって検証する、大地独自の取り組みである。

大地ではこれを、有機JASと区別するため、「こだわり農産物」監査と呼んでいる。

この外部監査手法を取り入れて、5年になる。

 

有機JASの検査官によって、大地内部の生産情報の管理体制がチェックされ、

また物流センターでの小分け業務まで審査される。

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特に問題なく審査を終え、ホッとする。

 

宮城の雁ツアー(23-24日)から帰ってきて、26日。

認証機関(アファス認証センター)から、今度は有機JASの小分け業務の合格判定が届く。

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「有機農産物」の認証を取った生産者の農産物が、他と混ざることなく、

また汚染されることなく、小分けされ流通される体制が整っていることが認定された。

 

生産者の皆さん。

皆さんの有機農産物の受け皿として、物流部門もしっかりやってます。

-という報告は、やっぱりしておかないとね。

 


28日には六本木事務所にて、「江沢正平さんを偲ぶ会」。

大地を守る会が運営する 「アジア農民元気大学」 でやっている

定例の自主講座 「こーいちクラブ」(小松光一さん主宰) の仲間たちが集まって、

温かい'偲ぶ会'となった。

「こーいちクラブ」 は、江沢先生がずっと欠かさず足を運んでくれた会である。

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出来の悪い大地の職員を叱りながら、野菜というものを教え続けてくれた。

亡くなる直前まで枕元で本を読んでもらって、勉強を欠かさなかった。

いつもお洒落な江戸っ子で、戦前から反骨の精神を貫いたリベラリスト。

......そんな話に花が咲いて、

改めて、とてもデカい人を失ったという実感がこみ上げてくる。

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江澤先生、本当にお世話になりました。

有難うございました。

 

≪江澤さんの訃報については、10月6日の日記を―≫

 

そんなこんなの合い間にも、

有機農産物に使われていた資材から農薬が検出されたといった報道が2件。

1件は、大地では以前より使わないことを申し合わせていたもの。

どうだ、と言いたくなる。

しかしもう1件は、認証機関がかなり綿密に調べてOKを出していたこともあり、

大地でも数軒の生産者で使用実績があった。

報道では、残留はごく微量のようではあるが、「即刻使用を自粛するように」 との通知を出す。

 

そして、― やはり潔く書き記しておくべきだろう。自分の立場からしても。

何もなかったかのように、偉そうなブログを続けることはできない。

 

生産者の農薬使用報告漏れが1件発生した。

20年来農薬を使わないでやってきた人だ。

今まで経験したことがないほど畑全体に虫害が広がって、

パニックになってしまったと本人から謝罪の弁を受けるも、

つらいけど今年の出荷は停止していただく。

購入していただいた会員には謝罪の告知をし、全額返金とする。

幸い農薬の検出はなかったものの、信頼に傷がついたことに違いはない。

たった1回の農薬使用であっても、この約束は生命線である。

 

何年ぶりだろう。もうこういうことはないようにしてきた筈ではなかったか・・・

と思うと、悔しくてたまらない。

 

俺たちは、まだまだだ。

どこにも負けないくらいの揺るぎない関係を、生産者と築きたい。

襟を正し、決意を新たに、出直しである。

 

時間を奪われているうちに、自分の誕生日を忘れていた。

11月11日で、私もついに入社25年となりました。

四半世紀を経て、この日が 「土の日」 に・・・・・でも、出直しの月となって、

どこか自分らしい、とも思う。

 



2007年12月 1日

西日本生産者会議

 

11月29日(木)から30日(金)、

西日本生産者ブロック会議を開催。

 

生産者会議もここ数年は、先日の「土づくり会議」(11/20の日記参照) のように、

テーマを設定して開催するのがほとんどだったが、

久しぶりに西日本の生産者の集まりをやろう、ということになった。

10年ぶりくらいだろうか、正確に思い出せない。

対象は近畿から九州である。

 

会場になったのは、高知県土佐町。四国のど真ん中。つうことは山ん中である。

吉野川の上流になる。

干ばつになるとよくテレビに登場する早明浦(さめうら)ダムのあるところ。

 

ここに 「土佐自然塾」 という、有機農業を教える学校がある。

 

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学校といっても、NPOで運営する農業研修のための、いわば私塾なのだが、

着目すべきは、高知県がタイアップして支援していることだ。

有機農業の技術を教え、希望者には地元行政が新規就農のお世話までする。

 

若者を受け入れ、有機農業の手ほどきをし、県内に定着させる。

安全な農産物の拡大、遊休農地の解消、環境保全との両立など

色んな効果を期待しての行政の支援なのだろうと推測する。

(ちなみに上の写真の建物は、もとは「大工の学校」とかいうのをやっていて、

使われなくなったものらしい。ここに県職員も常駐している。)

 

塾長は、山下一穂さん。

学習塾の先生を辞めて、9年前から農業者に転進したという経歴だ。

有機農業を実践し、なんと 『らくらく有機農業』 なんていう本まで出した。

有機・無農薬で長年苦労している生産者には、ちょっとムカつくような話だが、

橋本県知事をその気にさせ、行政を巻き込んだ手腕も含めて、

あなどれない御仁である。

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山下さんは生産団体 「高知県生産者連合」(高生連) の一員でもあり、

大地には 「高生連」 のメンバーとして、野菜が出荷されてくる。

 

この 「土佐自然塾」 の見学に、近畿・中国・四国から30名強の生産者が集まってくれた。

 

畑見学の様子。

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研修生は現在3名だが、すでに就農した卒業生が何人もいるとか。

農地を斡旋するだけでなく、地元とのお付き合いの仕方や販路の世話までしているらしい。

 

そして今回、生産者ではないが、山下さんの友人ということで、

飛び入りの参加者が一人。天野礼子さん。

長良川河口堰の反対運動で名を馳せたアウトドア・ライターだ。

『生きている長良川』 『21世紀の河川思想』 『森からの贈り物』 など著書も多い。

 

お会いするのは初めてだが、なんとも押しの強い女性である。

有機農業推進法や、農水省が発表した生物多様性戦略(※) を引き合いに出しながら、

「いいですか。ようやく皆さんの時代が来たんです」

とか言って、我々を叱咤してくれる。

この調子で、開高健(作家) とかを口説いたんだな、きっと。

 

面白い組み合わせの一枚が撮れた。

天野礼子と島岡幹夫のツーショット。

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天野礼子が長良川なら、

こちら島岡幹夫は窪川原発計画を阻止した男だ。

計画を止めただけでなく、原発推進派の農民たちも説得して、

有機農業による町づくりを提唱し、自らも無農薬での米づくりを実践した。

その生産者たちの農産物の販路を築くために結成されたのが 「高生連」 であり、

大地と 「高生連」 との付き合いも、たしか1988年、

島岡さんのお米 (高知提携米) からである。

 

伝説をつくった男に、新しいカリスマ・山下一穂。

暑苦しい土地に暑苦しい生産者が大勢いて、

高生連代表の松林直行さんは、この日体調不良で欠品となった。

身が持たんのかもしれない・・・

 

最後に記念撮影。

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私も二日酔いで、テキトーに撮ってしまう。

 

なんせ夕べの酒宴は、サバイバルゲームのようだった。

記憶の最後は、「もう3時だよ」と叫んだこと。

その時、島根・やさか共同農場の佐藤隆さんは、

たしか鰹のタタキが盛られていたお皿に顔を伏して潰れていたような気がするのだが、

あれは夢だったのだろうか。

 

別れ際に、大地の藤田会長からリクエストが。

「エビスダニ。山下さんとの写真を一枚を撮ってくれ」

 

会長が写真を求めてくるのは、実は珍しい。

はいはい、ではちょっと集中力を取り戻して-

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ファインダー越しに、思う。

藤田さんが写真を求めたのは、

山下さんが前会長の藤本敏夫さんによく似ているからだ。

 

なお、1日目は、高知大学農学部の荒川良先生を招いて、

「土着天敵の有効利用について」の勉強もちゃんとしたことを付記しておきたい。

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(※)生物多様性戦略については、8月7日の日記で触れているので、

読み返していただけたら、嬉しいです。

 



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