戎谷徹也: 2008年5月アーカイブ

2008年5月30日

今度はTBS-「NEWS 23」

 

『カンブリア宮殿』の余波というか、後始末というか、

これは俺が応えるしかないか、という意見が断続的に寄せられて、

そんな対応がまだ続く中、

性懲りもなく、今度はTBSテレビの取材を受ける。

依頼は平日の夜11時頃に放送されている報道番組「NEWS 23」。

昨年10月にアメリカのカーギル本社を訪ねた話を、

遺伝子組み換えの話とも合わせて、聞きたいと言う。

何と、自分のブログ (10/30~) を見ての取材依頼なのである。

 

なぜ今になって?

来週、ローマで開かれる食糧サミットに合わせて、

食の問題で特集を組むらしい。

その中で、世界最大の穀物メジャー・カーギルを日本の市民団体が訪れたという、

まあ普通あり得ないケースが面白いというか、

何でだよ、と思ったようだ。


そんなわけで、取材前から不安先行での、インタビューとなる。

何たって、世界の穀物を牛耳るとか言われたりするカーギル社に招かれた

「遺伝子組み換えに反対する団体」 という絵が描かれているのだ。

(予め断っておきますが、ちゃんと自腹切っての視察です。)

 

インタビューは2時間に及んだ。

 

「なぜ、カーギルが大地を守る会を招いたと思われるか?」

-実は大地に直接声がかかったわけじゃなくて、ノンGM(非遺伝子組み換え)の
 飼料用コーンを使っている生産者に話が来て、
 その方から「一緒に行かない?」って声がかかったんです。
 ・・・かなりつまらない説明だと自分でも思う。カットかな。

 

「では言葉を変えて、カーギルの戦略はどこにあると思うか?」

-「戦略」というものがあるとすれば、彼らには明確に
 ノンGMのコーンを維持しようとするプロジェクトが存在していて、
 それは思想というより穀物商社としてのビジネス上のリスクヘッジであって、
 それを維持するために、
 アメリカの農民に日本の需要の確かさを伝えようとしての仕掛け
 という意味合いだったと思われる。
 しかし(悲しいことに)日本の企業は実は腰が引けていて、
 多分、日本のなかでノンGMをしっかりと支持する実儒者であれば、
 相手は誰であってもよかったのだ。
 こちらにとっても、遺伝仕組み換え作物に対する姿勢は、
 ただの理念的な反対運動ではなくて、
 何を食べるかの具体的な話である。
 それは誰と誰をどのようにつなげて、
 何を守るのか、というリアリズムでもある。
 その一点において、我々は出会ったのだ。

 

私が強調したかったのは、カーギルがどうのではなく、

昨年の視察で得た最大の収穫は、

「ノンGMコーンを来年も植えるよ」と言ってくれる農民と出会えたということだ。

そのケント・ロックという農民と、日本の下河辺昭二という畜産農家、

そして彼の鶏肉 (北浦シャモ) を食べる消費者までをしっかりとつなげる作業こそが、

私にとっての遺伝子組み換え反対運動での役割だと思っている。

分かってくれただろうか。

 

もちろんカーギルという会社は、GM作物も大量に扱っている巨大企業である。

しかし広大な北米大陸の耕地を、GM一色にさせることの危険性 (リスク) も考えていて、

種屋から農民までのノンGMチェーンを維持させようとしている。

少なくとも私は、その農民は支援しなければならないと思っている。

 

そして話は遺伝子組み換えへの問題へと発展する。

私なりに考える重要な問題点は喋ったつもりだが、

さて、どのように編集されるか。

極めて短い時間で象徴的な話を切り取ってしまうテレビという制約の中で、

あまり多大な期待をしてはいけないのだろう。

ただ誤解されないかだけが心配だ。

 

まあ、あとは先方の判断となる。

放送は6月3日か4日あたりだとか。

 

さて、そんなやり取りしているうちに、噂をすればなんとやら。

ノンGMコーン生産者、ケント・ロックが6月に来日するとの連絡である。

 

大地にもお呼びするつもりで準備に入る。

ひと晩は自慢の「山藤」で、

美味しい和食に下河辺さんのシャモを食べてもらおうと思っている。

 

ケント氏によれば、今年のノンGMコーンの生育も順調だということである。

ありがたい話だ。

 

それから、もうひとつ。

冒頭に書いた、カンブリアの後始末というのは、

やっぱりここでも報告しておきたいと思う。

どうも歯に引っかかった小骨が取れないような気分が続いているので。

農産担当としての言い訳もしたいところがある。

では次回に-。

 



2008年5月28日

槍木行雄さんとのお別れ

 

日曜日に突然の悲報が届く。

千葉県山武市の生産者団体 「さんぶ野菜ネットワーク」 の生産者、

槍木 (うつぎ) 行雄さんが亡くなられた。

生産者会員としての登録は、すでに息子さんの康直さんに代替わりしているが、

1988年、JA山武睦岡支所に有機部会が設立された時の、初代部会長だ。

68歳での、早すぎる逝去である。

 

昨夜お通夜が行われ、今日の告別式となった。

生まれて初めての大役を仰せつかって、会場に向かう。

槍木行雄さんの思い出を辿りながら・・・

e08052801.JPG


このところ、

有機農業支援事業のモデルタウンに選ばれたり、環境保全型農業コンクールで受賞したりと、

さんぶ野菜ネットワークの話題が多かったが、

すべての土台を築いたのが、槍木さんも含めた初期のパイオニア生産者たちである。

 

1988年12月に、JA山武睦岡支所に「無農薬有機部会」が設立される。

集まった生産者は29名。

ただ全員がすぐに無農薬の野菜生産に入ったわけではなかったと聞いている。

不安先行のスタートだったのだ。

同じ設立メンバーの綿貫栄一さんが当時の思い出を語ってくれた。

「あん時よう、オレは行雄に聞いたんだ。 本当に (無農薬で) やれるんかいって。

 そんだらよう。 ヤツはきっぱり言ってな、『やれる』って。 そんで腹が決まったんだ。」

 

しかし、その後の苦労は並大抵ではなかったはずだ。

自分の野菜づくりだけではない。 みんながみんなうまくいくわけではないから、

栽培指導や部会の運営も大変だったと思う。

消費者との交流にも熱心に取り組んでくれた。

夏のツアーに秋の収穫祭。 90年には稲作体験が始まり、大地の実験農場が建設された。

おかげで、よく飲んだ。

 

いつだったか、ビール飲みながら、「エビさん、過労死しそうだよ」 と笑っていたのを思い出す。

大地と付き合うようになって、雨の日でも収穫しなければならなくなって (毎日配達あるからね)、

こたえるなあ、なんて漏らしていたなぁ。

こんなことまで思い出して...泣けてくる。

e08052803.JPG

 

大地で弔辞を読んでやってくれないか、と頼まれたので、受ける。

藤田会長の代読とはいえ、弔辞は生まれて初めてである。

一生懸命、落ち着いて読もうとするも、やっぱり途中で泣けてくる。

 

   昨年の秋、大地の職員合宿の農家研修で、槍木さん宅でお世話になり、

   研修も忘れて一緒にビールを飲み、スリランカ料理を楽しんだこと。

   あんなに元気だったのに・・・

   有機部会設立からいろんなことに取り組んでこられたこと。

   あれから20年経って、今ようやく有機農業推進法の時代に入って、

   槍木家には立派な後継者も育って、ようやく苦労が実を結んできた時に・・・

   行雄さんには、この先来るであろう、食と農業を大切にする社会を、

   何としても見届けてほしかった。

 

   生前の行雄さんの働く姿を知る者として、また教えを受けた者の使命として、

   しっかりと遺志を受け継ぎ、行雄さんの苦労が必ずや報われる時代を築いて見せたい。

   そのお約束をして、いったんのお別れのご挨拶とさせていただきます。

 

   朝から晩まで働きづくめだった行雄さん。

   どうか心安らかにお休みください。 本当に有り難うございました。

 

最後に、親族を代表して挨拶される、康直さん。

e08052802.JPG

 

3月に肺がんが発見され、あっという間の2ヵ月だった。

みんなで家で介抱していたそうだ。

亡くなる前、行雄さんは 「いい人生だったよ」 と漏らしたという。

この言葉に、みんな救われる。

最後の最後まで、行雄さんは優しかった。

 

行雄さん、オレも頑張るよ。

 



2008年5月25日

高校生たちへのお詫び

 

5月17日 (土) に行なったアオサ回収大作戦に参加してくれた

船橋市内の高校の生徒さんたちから感想文が届けられた。

それを見て、

僕は今、自分の感性を少々恥じ入っているのであります。

 

当日の日記では、ダラダラやっているとか、いやいや連れてこられたと思ってんじゃないかとか、

性格の悪いオヤジぶりを発揮してしまったが、

なかなかどうして、彼らは真面目に考えてアオサ拾いをやってくれてたのである。


   ・アオサの役割を知れて、とっても楽しかったです!!

   ・先輩との関係もより深くなり楽しく行なえた。 生物観察会では、

    知らなかった知恵や生物たちの名前を覚えられて、いい勉強になってサイコーでした。

   ・地球にはたくさんの生き物がいる。 東京湾は広かった。

   ・白いアオサは死んでいるのです。

   ・アオサをたくさん取りましたが、散乱していたゴミも取りたかった。

   ・磯の生物が海や砂浜の役に立っていることを知り、感動しました。

    もっと海のことが好きになりました。

   ・ボランティアは初めてで大変でしたが、やってみたら楽しかった。 

   ・思った以上にアオサの量があり、回収していくうちに、たくさん集めれば

    肥料やトリのエサになり、生き物のためにもなると思うと、もっと回収しなきゃと思いました。

   ・アオサの利用範囲が意外と広いことを知った。 エサとか肥料になるってすごい!

   ・取っても取っても減らないアオサに、少し疲れました。

   ・どこまで行ってもアオサが落ちていて、地球のためにも、また拾う機会があったらいいな。

   ・アサリなどの貝が水を浄化する力は凄いと思った。

   ・生きるのってのは、知恵もいっぱい! 

    海と生物は大切で、循環しているんだなと思いました。

   ・アオサを食べてみたいかも。

   ・船はやっぱり風が気持ちよかった。 スッキリする。

   ・ゴミが多かった。 アオサ回収は最初は楽しんだが、すぐあきちゃいました。

   ・フジツボが生きてたっ!

 

素直な感想が並んでいる。

僕はどうも、" 今どきの高校生 "  に対して、

もっとスレッカラシのようなイメージを持ちすぎていたかもしれない。

幼い感じは否めないが、ちゃんとポイントは見てくれていたようで、

ありがとう、と言いたくなる。

いやその前に、印象だけで判断していたようでゴメン、と謝っておきたい。

 

海の広さを感じて、自然と生命のつながりを発見して、

ヒトの所作から出たゴミに何か思って・・・

どうか、そのまま終わりにしないで、思考と想像力を深めていって欲しいものだ。

オベンキョーは苦行かもしれないけど、学びというのはゼッタイに面白いのだよ。

 

先生からは、今回の活動が深く心の中に残ったこと、

今後も日程が合えば参加を続けたい旨の手紙が添えられていた。

 

今度来たら、ちゃんと名前を覚えてあげよう。

想像力を刺激する仕掛けも、なんか用意して。

 



2008年5月23日

生物多様性農業

 

夕べはちょっと過ぎた。

二日酔いの重たい頭を引きずって、朝から東京・大手町まで向かう。

JAビルで開かれた 『NPO法人 生物多様性農業支援センター設立総会』

なる集まりに出席する。

 

全国各地に広がってきた 「田んぼの生き物調査」 という活動を基盤にして、

より幅広く、生物多様性を支える農業を支援するための事業活動に発展させたい、

という呼びかけである。

「田んぼの生き物調査プロジェクト」 という名称で活動してきたJAや生協の方々、

このブログでも何度か紹介した福岡の宇根豊さん、

大地の米の生産者会議などでお招きした研究者ら、よく知ったお顔が集まってきている。


このテーマは、私にとっては昨日の社内勉強会のテーマとも、実は重なっている。

栽培上の条件として定められた規格・基準との整合性だけでなく、

その生産者の、その農業が、どれだけ環境に貢献しているのかを

可視化する (最近は 「見える化」 なんていう言い方もあるが)、その手法を自らの手にする。

「田んぼの生き物調査」 にはそういう意味がある。

 

この田んぼで毎年農薬を使わずにお米を育ててきた結果、

今ここに、どれだけの生きものが棲み、生態系のバランスがどうなっているかを、

実直に調べてみる。

そこから見えてくる世界は、実に奥の深い、底なしのような生命の系 (つながり) である。

「生きもの曼荼羅」 と呼んだ人もいる。

農民が、自らの手で編み出した、自らの生産活動の豊かさを示す、

たしかなひとつの指標として、育てられてきた。

 

農水省が昨年7月、『生物多様性戦略』 というのを策定したことは前に書いたが

その後11月には、『第3次生物多様性国家戦略』 なる政策が閣議決定されている。

今年10月に韓国で開かれるラムサール条約第10回締約国会議では、

" 水田は、米を生産する機能だけでなく、水鳥にとっても大切な場である " という

水田決議が採択される 「予定」 だと聞いている。

 

いよいよ僕らは、次に向かうときが来ている、と言えないか。

世界が食糧争奪戦に入っている中で、

ただ米が余っているからといって生産調整 (減反) を強化するなどという愚かな政策は

もうやめなければならない。

埼玉県の面積に匹敵する農地が耕作放棄地となって荒れている。

いったい誰のために行なっているのだろうか。

水田を活かした、豊かな未来が見えてくるような創造性ある政策をつくり出したいものだ。

 

「生物多様性」 という視点から農業の重要性を導き、

生産者と消費者の力で育てていく。

そんな活動を支援しようと、今日のNPO設立の運びとなったわけだが、

実際に提示された事業計画は、正直言って心許ない、というか、苦しい。

いくつかの生協さんとも一緒に、これから育てていくことになる。

会長の藤田も理事就任を受ける。 使われるのはオイラなんだけど。

 

生命の誕生から40億年。

この地球 (ほし) に存在する生命は、約3000万種と推定される。

その生命が、どんどん消滅していっている。

新たな種が見つかっては、絶滅危惧種としてレッドデータに登録されていく。

人知れず消えた種もあるだろう。

私たちの生存条件が、細く、弱くなってゆく・・・・・そんな時代での、

田んぼからの挑戦である。

 

「生物多様性農業」

この言葉にはまだ定義がないが、この思想の対極にあるのが、

GMO -遺伝子組み換え種子ということになる。

これだけは早く整理しておきたいと思っている。

 



2008年5月22日

新しい大地オリジナル監査システムを築く! 宣言

 

昨夜 (21日) の話です。

 

勤務時間も終了した、18:30。

お昼の弁当を食べたりする休憩室に、

仕事を終えた (あるいは抜け出してきた) 職員が、パラパラと集まってくる。

その数、60数名。 数ヵ所に点在する社員全体の3分の1に相当する。

どうしちゃったの、こんなに。 みんな暇なのか。

などと私が言ってはバチ当たりも甚だしい。

 

みんな、私の話を聞きに来てくれた人たちである。

話は、今期から取り組もうとしている、新しい農産物の監査システムについて。

会員さんからの問い合わせやクレームに日々対応している会員サポートセンターのN君が

呼びかけて、開いてくれた。

ホワイトボードには、「エビちゃんが熱く語る ~ 」 などと書かれている。

オレはどうも、そういうヤツと思われているらしい。

 

内輪の勉強会だし、ここで報告するのはちと早い気もして、写真も撮らなかったけど、

終わってみれば、やっぱり少し記しておこうかと思う。


大地では、この5年間、「大地こだわり農産物認証」 と勝手に呼んでいる

独自の農産物の監査・認証に取り組んできた。

有機農産物のJAS規格制度 (以後、有機JASと書きます) の認証機関に依頼して、

大地で取り扱う農産物すべてが、大地の生産基準に合致していることを認めてもらう、

という手法である。

 

そのために、認証機関から毎年いくつかの産地がサンプリング指定され、

そこに有機JASの検査官が派遣されて、栽培内容の記録から各種伝票類まで確認される。

私がテレビ番組 『カンブリア宮殿』 でやっていたのとはひと味違う、

外部の検査官による監査であり、生産者は税務署がやってきたような気分になる。

また大地内部のデータ管理の体制から、物流センターでの小分け業務まで審査され、

最終的に、大地が流通する農産物がすべて大地基準に反してないものであることが判定される。

有機JASの認証を取得している生産者は、すでに有機で審査を受けているので、

この監査の対象からは除外 (免除) される。

つまり、これによって大地の契約生産者は、すべて第三者認証の監査対象となる。

 

この作業に5年間取り組み、ずっと 「合格」 の判定を頂いてきた。

最初の頃は、いくつか管理体制での改善点を指摘されたりして、

それはそれで自己検証を積み重ねて、精度を上げてきた。

そして昨年度、ついに 「改善指摘事項なし」 での合格判定となった。

 

私はこの時を待っていた。

これで内部管理体制は、一定の完成度に達したと言える。

監査を受けていただいた生産者には、改めて、この場を借りてお礼を言いたい。

しかし、これはあくまでも、農産物のその時の 「結果」 に対する判定である。

今日届いた大根は大地の基準に沿ってつくられたものと認められる、ということでしかない。

 

この5年の蓄積を土台にして、その向こうに行きたい。

監査・認証という冷たいシステムに、いよいよ血を通わせるのだ。

結果に対する 「基準適合」 だけでなく、

生産者が日々取り組んでいる努力の過程そのものを認め、評価する体系に進みたい。

年度が変わる前の3月、私はそんな提案を会社に提出した。

 

基本方針は承認されたものの、さて、どんなふうに進めるんだ?

ということで、今回の 「勉強会」 という名目での呼び出しとなった次第である。

 

具体的手法については、たいしたことではない。

いや、難しいようでそうでもない、簡単なようでそうでもない、という感じか。

まずは、今までやってきた手法にちょっとした手を加えるだけなんだけど、

問題は、この 「手」 をうまく自分たちのモノにできるかどうか、である。

生産者の、その作物の栽培内容だけでない、様々に取り組まれている様々な 「努力」 と

お金に換算できない 「価値」 を正しく評価して、前に進んでゆくための制度。

それによって未来をつくる力がここにあることを、私は立証して見せたいと思うのである。

大地独自の有機農業推進法であり、有機農業運動監査システムだと言ってみたい。

 

なんだか抽象的な話のようだけど、

この夜の話では、それなりにリアリティをもって語れたとは思う。

 

終了後、少しハイな気分になって、15人ほどで一杯やる。

軽くのつもりが、とうとう深夜3時まで喋くりあってしまった。

 

これは、「監査」 というものを自分たちの本当の力にするための作業でもある、と思っている。

農産物の世界なので、成果はすぐにはお見せできないけど、

数年後には、こういうことだったのね、と言っていただけるように、やってみたい。

仮にズッコケても、ゼッタイに何かは得られるはずだ。

 

有機JAS制度ができた時から、エビは 「有機JASを超える!」 とか

偉そうに吹いてたけど、忘れてはいなかったんだね。

 -当ったり前っすよ。 ずっと悩んでたんですぅ、今もですけど。

 

さて、ここまで言ってしまうと、もはや絵に描いた餅ではすまない。

でも、あまり期待されても困ります。 少しずつですよ、少しずつ、一歩前に・・・・・

 



2008年5月18日

稲作体験2008-田植え

 

ありきたりの、なんてことはない里の田園風景だが-

08051801.JPG

 

ぼくはこの風景がとても好きで、美しいとさえ思っている。

何度眺めても、気持ちがいい。 19年変わらない佇まいである。

前にも言ったかしら。 この風景は、生き物で構成されている。

そして、荒れ地がない。

 

さて今日は、楽しい田植えの日。

天気もすっかり回復して、暑くなりそうな朝だ。

早苗も気持よさそうに待っている。 

手植え用に大きめに育てた苗。 というより苗をしっかりつくるのは、無農薬の最初の鍵である。

e08051803.JPG

 

田植えが楽しいのは、

ここから実りに向かってスタートするというワクワク感のようなものがあるからだろうか。

米づくり自体はすでに1ヶ月以上前から始まっているのだが、

改めてスタートラインに立った、新学期の初登校日の少年のような気分になる。

かたや稲刈りは、楽しいというより、喜びだね。


聞けば、早くに植えた田んぼは、初旬の低温で枯れたところもあるらしい。

北のほうだけでなく、関東も影響は受けていたのだ。

今日は、ちょうどよいタイミングになってくれた。

 

田植えの線引きをしてくれる綿貫直樹さん。 さんぶ野菜ネットワークのメンバー。

線引きは一昨年までお父さんの栄一さんがやってくれてたのだが、代替わりとなった。

でも線引きの道具はずっと受け継がれている。

e08051802.JPG

 

10時半。着替えもすませて、全員集合。

さんぶ野菜ネットワーク代表の雲地康夫さんや田んぼの持ち主・佐藤秀雄さんに挨拶いただき、

 

e08051804.JPG

 

植え方の手ほどきをして、

e08051814.JPG

 

(さりげなくお手本を見せる佐藤秀雄)

 

いざ、開始。

13アールの田んぼに150人。 作業はどんどん進む。 

e08051805.JPG

 

今回は200人を超す応募があって、「稲作体験」19年にして初めての抽選となった。

選に漏れてしまった方々には、本当に申し訳ありません。

もう一枚田んぼを増やすとかできればいいんですが、職員のボランティアでの運営では、

これが限界なんです。

 

これは紙マルチ試験区。

紙を敷きながら、指で穴を開けて植えていく。

e08051806.JPG

 

これで雑草が生えてくるのを物理的に抑える。

紙は2ヵ月もすればパルプに分解されて土になるという寸法。

まあここの場合は、試験というより、草取りの労力軽減の意味合いの方が強いのだが・・・

e08051807.JPG

 

無農薬での試験ということでは、もうひとつ区切りをして、田植え後に米ヌカを撒いた。

米ヌカから発生する乳酸などの有機酸で草の発芽を抑える、

という効果を期待して撒いているのだが、

量やタイミング、温度との関係など、メカニズムはけっこう微妙で、

過去3年、あまりうまくいった試しがない。

僕らは何年やっても、素人の耳学問の域を出ない。

e08051815.JPG

 

これが米ヌカ区。 その向こうが紙マルチ区。

 

楽しい作業というのは、なぜか早く終わる。

いや何たって150人だもんね。 一撃である。

 

終わった後の交流会風景。

e08051808.JPG

 

昨日の三番瀬での磯の生物観察会に続いて、陶 (すえ) センセー登場。

今日は、田んぼの生きものの話。

e08051809.JPG

 

アマガエルとシュレーゲルアオガエルの違いって、分かるかな?

 

地主・佐藤秀雄さんからは、田植えまでにやってきた作業の解説。

ここまでくるのにひと仕事もふた仕事もあったんです。

e08051810.JPG

 

私もちょっと、有機・無農薬での栽培技術について、偉そうに解説させていただく。

全国各地で有機稲作を実践する農民たちの手で、いろんな工夫や技術が編み出されてきている。

でも根本は-

生きものがたくさんいて、バランスよく (食ったり食われたりしながら) 共存する、

そんな田んぼをつくることが、実は有機稲作の根幹技術なのです。

ただ 「農薬を使わない」 ではなく、「農薬を不要とする」 田んぼ。

「害虫」 と呼ばれる虫も、そこでは天敵である益虫の餌として存在する 「大切な虫」 となる。

この世に無用な生命などないのです。

僕はいつも 「有機稲作は、世界に冠たる平和の思想と技術なんです」 と言うことにしている。

この思想と技術を、僕らはフツーにご飯を食べることによって支えている。

 

こどもって本当にカエルが好きだね。

e08051811.JPG

 

虫かごから出しては手に乗せ、また虫かごにしまい......

そして最後は田んぼに返してくれる。 また合えるからね。 みんなイイ子たちだ。

 

帰る前に、恒例となった感さえある、看板への記念の手形押し。 

e08051812.JPG

 

手にベットリと絵の具 (自然素材です) を塗って、ベタッと押す。

これがけっこう楽しいようなのだ。

 

掃除をして、最後に残った実行委員で一枚。

e08051813.JPG

 

実行委員はほかにも10人ばかりいて、

別なところで仕事をしてくれていたことを、彼らのために付記しておきます。 

土日返上でのボランティアに手を挙げてくれたみんな。 ありがとう。

今年もたのんます。

 



2008年5月17日

高校生たちと一緒にアオサ回収

 

予想を超える 『カンブリア宮殿』 の余波がずっと続いていて (良い反響という意味です)、

問い合わせの対応に追われる職員を横目に、ちょっと複雑な心境の男が一人。

加えて、4月の日照不足に続いて5月に入ってからの低温で、野菜の出荷が芳しくない。

仕入担当部署としては、どうにも気分の晴れない日々である。

野菜同様、ブログのパワーもすっかり落ちてしまっているのが、我ながら分かる。

 

そんな中で、土日連チャンのイベントに突入する。 

 

ここはひとつリフレッシュといくか、と気合い入れ直して、朝6時前から始動。

向かったのは 「ふなばし三番瀬海浜公園」 の砂浜。

4月19日に予定していたアオサの回収作業が、天候事情で中止となり、

今日に延期となったものだ。

しかし公園からの事前情報では、潮干狩りの団体予約も多数入っていて、

浜は間違いなく満杯になるだろう、とのこと。 

たしかに、それを見越して6時半に到着したにもかかわらず、すでに屋台まで開店しているではないか。

天気も良くなってきて、本当に出足が早い。

e08051701.JPG

 

ほとんどが潮干狩り目当ての来場者たち。

アサリだけじゃなく、目の前の浜の様相も見て欲しいものだが...... 

波うち際にビッシリと打ち上げられ、敷き詰められた緑の絨毯。

e08051702.JPG


去年の秋 (07年10月28日付) も報告したが、

これが東京湾に流れてくるチッソやリンを吸収して大量に繁茂する海藻・アオサである。

景観が損なわれるだけでなく、これが海に大量に発生することで

漁師からも 「やっかいもの」 と蔑(さげす) まれている。

でもそれはアオサが悪いんじゃなくて、過剰に流されてくる栄養分のせいなのだ。

したがって、これを回収して資源として循環させる。

2000年から船橋の漁師さんたちと取り組んできたプロジェクトである。

 

今回は嬉しいことに、船橋市内の私立高校の生徒さんたちが参加してくれた。

そこで、高校生向けに解説する。

  こいつらは東京湾をメタボから守ってくれているのです。

  これを畑の肥料や家畜の飼料として再生させます。

  それによって栄養分が海と陸を循環して、環境のバランスが維持され、

  東京湾の生態系も守られます。

  三番瀬の干潟は、その貴重な場所なんです。

 

ちょっとひ弱に見えるも、意外と真面目に、でもちょっとダラダラと、

アオサ拾いに協力してくれる高校生たち。

e08051703.JPG

 

そして、実はこの日、環境省の委託を受けた映像制作会社の取材も入った。

環境省が策定した 『生物多様性国家戦略』 のシンポジウム用にデモ映像が作られていて、

生物多様性を守るための取り組みの事例として紹介したいとのことである。

環境省の生物多様性戦略・・・・ふ~ん。

どんなもんか、じっくり見させていただきましょう、とか言いながら協力する我々。

アオサの回収や利活用の取り組みは他にもあるが、

「漁師と農家の連携で循環型社会づくりを」

という我々のコンセプトが、今回の映像撮りのポイントになったようだ。

 

アオサを拾う高校生にカメラが迫り、感想なんか聞いたりしている。

e08051704.JPG

 

無理やり連れてこられた、とか言ってるんだろうか......

 

楽しそうにやってくれる子たちもいる。

e08051705.JPG

 

やってる意味を分かってくれたのかどうか......でもまあ、話はちゃんと聞いてくれたし、

そこそこ取ってはくれたので、よしとしよう。

e08051706.JPG

 

上の写真、後方右から3人目のダンディな親父が、

一緒にこのプロジェクトをやっているNPO 「ベイプラン・アソシエイツ」 の代表、大野一敏さん。

『東京湾で魚を追う』 という著書もある、船橋漁業協同組合の組合長さん。

実際の東京湾の広さ、豊かさ、そして海の大切さを分かりやすく語ってくれた。

 

「ボクたちはね、地球を食べてるんだ。 その地球といつまでも共存していくために、

 今日、みんなはスゴイ仕事をしたんだよ」  -カッコいい! 

 

さて次は、お馴染み(?) となった生きもの博士・陶武利さんによる、磯の自然観察会。

e08051707.JPG

 

東京湾の位置の確認からはじまり、周辺の暮らしとのかかわりが語られ、

e08051708.JPG

 

干潟の生きものを観察し、彼らが果たしている役割を伝えてゆく。

e08051709.JPG

 

このアオサも、いつの間にか、消えてなくなる。

それはここにたくさんの小動物がいて、食べてくれているから。

その小動物を鳥が食べ、糞を分散させて、自然界の帳尻が合う。

掃除屋といわれる微生物や小動物がいなくなったら、

この世界は 「糞と死骸」 だらけの世界となる。 いや、生命はすべて死骸となって終わっている。

e08051710.JPG

 

手に持っているのはサンゴ。

海の植物や貝たちは地球のCO2を閉じ込めてくれる、とても大切な働きをしているのです。

それを最後に実験で確かめる。

 

生徒さんたちは、ちゃんとレポートを書きます、と言ってくれた。

すっかり環境教育の授業となった、今日のアオサ回収でありました。

 

さて、アオサをトラックに積んで、

同僚の吉田 (専門委員会 「おさかな喰楽部」 担当理事) が

埼玉の養鶏農家・本田孝夫さんちまで走るのを見送ったあと

(アオサはTHAT'S国産卵の醗酵飼料の材料として活用される)、

わが方 (専門委員会 「米プロジェクト21」) は、今度は山武へと向かう。

 

明日は、いよいよ今年の 『稲作体験』 の田植えである。

若手職員のスタッフが、すでに現地でその準備に入っている。

e08051711.JPG

 

田んぼに着いたときには、もう苗の準備 (畑の苗代から移した状態) ができていた。

今年は手際がいい。 苗もまあまあだ。

残りの作業をやって、田んぼに設置する看板をつくって、

地主・佐藤秀雄さんの納屋でバーベキュー。

美味い日本酒をキュッとやって、蛙の声など聞きながら、車で寝る。

 



2008年5月14日

寒い5月

 

先週からどうにも天気が悪い。

関東ではようやく回復基調にはなってきたが、ずいぶんと寒い日が続いた。

社内で 「産地担当」 と呼ばれる、各生産地の仕入担当者たちからの報告も、

つらい情報が次々と入ってきている。


○ 北海道・・・5/10(土)、北海道・富良野方面で霜が降りました。

  アスパラの出荷が激減します。 回復までに1週間か10日ほどかかる見込み。

e08051401.JPG

 

 

 

 

 

 

 

去年の7月に見た

中富良野の吉田清一さんのアスパラ畑。

ここにも霜が降りたと。

 

○ 山形・・・寒い。 5月に入って3回も霜が降りた。 こんなことは例年にない。

  雨なしで生育遅れている。 アスパラ、おかひじき、茎立ち菜と出荷減。

○ 福島・・・低温、霜注意報が出ている。 キュウリが増えない。 例年ならうなって来るところなのに...

  トマトも同様。

○ 岩手・・・5/11(日)、結氷を記録。 山菜全般、出荷不安定となります。

  木の下や沢筋など、凍害のないところで採取しますが、来週前半は大きく数量が減りそう。

  逆に (天候次第で) 週後半に一気に出る可能性も...。

 

北はだいたいこんな感じで、

関東では夏場のスイカや果菜類の着果が進まず、生育が遅れているとの情報。

トマトでは、病気も発生して今期は出荷できないという生産者も現れた。

こういう時は、相対的に品質も悪くなったりする。

 

どうも、農産グループに着任してから、野菜の欠品報告ばかり。

オレの日頃の行ないが悪いんかい! クソッ。

 

気候変動や食のグローバリズムが、国内の有機栽培も困難にする、

というような話は前にも書いた気がするが、

特定の生産者と契約していることがストレートに流通に、そして台所に反映される

大地システムでは、こういう時は胃が痛くなるような我慢の時になる。

 

しかし、泣き言は言ってられない。

このブログを見てくれている生産者の皆さん!

これから作付 (契約) は強気 (強め) にいきますよぉ。

天候には逆らえませんが、技術もふくめた情報交換を密にして、何とか品質を維持しながら、

オレたちの 「有機農業推進法」 を進めましょう。

自給と環境と安全の土台を守り抜く運動を、しっかりと築いていきたいもんです。

 

とまあ、こんなふうにでも威勢を張らないと、暗くなってしまう... さぶい5月である。

 



2008年5月11日

日曜日-河原のゴミ拾い

 

私だって、地元に貢献する日もあるんです。

と、たまにはワタクシ事も。

e08051101.JPG

 

家の下の河原。

ここの草を刈ったり、ゴミ拾いをしたりする。


でも自主的にやったのなら、まあちょっとは威張ってもいいかもしれないが、

実は自治会の班長という職務が今年回ってきていて、

今日は自治会上げての地域の一斉清掃日だったのが、

あいにくの雨で延期となりまして、

でも午後には雨が上がってくれたので、今年はここもやってくれと頼まれていた河原

の清掃だけでもやっておこうかと、夫婦で降りてきた次第なのです。

班員の中には、蛇が出るとかで怖がる人もいたので、ええいやってしまえと、

そこはまあ、班長としての自覚がなさしめた、とは言えるでしょうか。

e08051102.JPG

 

草を刈りながらゴミを拾っていく。

集めてみればけっこうな量です。

e08051103.JPG

 

道路からぶん投げられたと思われるコンビニの袋やら空き缶・空き瓶・ペットボトル、携帯ガスボンベ、

はては......

e08051104.JPG

 

草むらに埋まった自転車。 ウンザリだね。

 

山から流れてくる沢には、クレソンとか芹とかが自生しているのです。

e08051105.JPG

 

e08051106.JPG

 

ここに越してきた20年前は、ホタルの乱舞が見られた川だったのだが、

最近は、ポツポツと発見できるていど。 今年はどうなることか...

 

この水は荒川に合流して、都心を潤して、東京湾へと下ります。

 

こういう場所にゴミを捨てる人たちは、きっと川と水の恩恵にあずかってない方々なのね。

怒りというより空しさのようなものを感じつつ、

それでも終わってみれば、少しはきれいにしてあげられたかと安堵する。

自分で自分を褒めてやった一日。

 

休日、観光客がテントを張ったりバーベキューを楽しんだりする河原は、

ここからさらに下流なのであります。

 



2008年5月10日

環境保全型農業

 

つい先日 (4月23日) に、

有機農業総合支援対策事業 (モデルタウン) の実施地区に選ばれたと

紹介したばかりの千葉 「さんぶ野菜ネットワーク」 さんが、

今度は、

「環境保全型農業推進コンクール」 で農林水産大臣賞を受賞した。

 

5月8日、そのお祝いの一席が開かれ、出席させていただいた。

e08051001.JPG

 

成田のホテルで、立派な祝賀会である。 

 

振り返れば、10年前にも同じ賞を取っている。

当時は、JA (農協) の有機部会という組合員の組織という立場だった。

それが10年経って、独立した農事組合法人としての受賞である。

集まった人たちを眺めれば、農水省の担当官から千葉県庁、県議会議員、

地元山武市のお歴々に加えて、取引先も多彩になっている。


ここ山武で有機農業が始まったのは、ちょうど20年前。 1988年のことだ。

 『大地低温殺菌牛乳』 の生産地である静岡県函南町で開催された

全中 (全国農協中央会) 主催の 『有機農業全国農協交流集会』 に

3名で参加したことがきっかけだった。

 

「これからは有機農業の時代になる」

当時のJA山武睦岡支所長・下山久信さんは、この集会で決意したのだという。

帰ってから、すぐさま支所内に有機部会を結成して、生産者に呼びかけた。

山武の特産でもある人参に発生していた連作障害に悩んでいたこともあって、

29名の生産者が集まった。

 

函南町での集会では、

地元にある大地の農産加工メーカー・フルーツバスケットの代表、加藤保明が講演し、

有機農業運動から低温殺菌牛乳開発、そして農産加工場設立と、

生産者と歩んできた発展の経過が話された。

 

下山久信さんは、かつての 「三里塚闘争」 (成田空港建設に反対する農民運動) の支援学生で、

大地の初代会長・藤本敏夫さんや、現会長の藤田のことも知っていたようだ。

そんなこともあって、彼は部会結成後、真っ先に生産者を連れて大地の事務所に訪ねてきた。

今はない武蔵境の事務所だったと記憶している。

 

翌89年4月、部会員・雲地幸夫さんのチンゲン菜が大地に初出荷される。

『クロワッサン』 なんて雑誌の取材が入ったりした。

 

当時、米の輸入自由化反対運動に関わっていた僕は、

もっと "お米について知ろう" という専門委員会を結成したばかりで、

消費者と一緒に米づくりを体験できる場をつくれないかと率直に下山さんに打診したのだった。

それが90年、『大地の稲作体験』 の始まりだ。

最初に田んぼを貸してくれたのは有機部会結成時のリーダー、今井征夫さん。

同じ年、大地の農場建設にも土地の提供から何から尽力してくれ、

そして何と、その農場開きのお祝いをした翌日に亡くなられた。 暮れのことだった。

今思い出しても、言葉がない。 大地と山武の熱い一年、だったなぁ。

その 『大地実顕農場』 は、今はない。

計画の甘さというより、当時の力量では早すぎたのかもしれない。

 

91年には地元の小学校の給食にも供給が始まった。

そして97年、第3回の環境保全型農業推進コンクール・農林水産大臣賞を受賞した。

 

2000年、有機JAS制度発足と同時に認証を取得する。

当時の部会員50名、有機認証圃場12ha。

 

2005年。 部会員46名で、農事組合法人 「さんぶ野菜ネットワーク」 を設立する。

そして今年、 「有機農業総合支援対策事業」 の指定産地として採択され、

自治体やJAなども巻き込んで、「山武市有機農業推進協議会」 を設立する。

 

......と、こんなふうに紹介すると順風満帆の勢いのようだけど、

歴史をつくる作業って、並大抵のものではないのだ。

20年前のトップランナーは、今日の受賞や助成の恩恵にはあずかってはいない。

開拓者の矜持 (きょうじ:誇り) が報われた、と言えば簡単だけど、

その喜びは、その人にしか分からない孤高のものだ。

 

祝賀会。 藤田会長に挨拶の指名が-

e08051002.JPG

 

出席されていた先達に労をねぎらったあたり、さすが。

 

挨拶に立った 「さんぶ野菜ネットワーク」 代表の雲地康夫さん。

e08051003.JPG

 

前日の断続的な地震で、あまり寝てないらしい。

厳しい農業環境の中でも、新しい取り組みにチャレンジしながら未来を切り開いてゆきたいと、

舌をかみながら挨拶。 微笑ましい。

 

結婚式も行なわれる会場で、懇親会。

e08051004.JPG

 

藤田と下山さん(写真右)。 左は元有機部会長・富谷亜喜博さん。

今期から、大地を守る会生産者理事に名乗りを上げていただいた、

これからのリーダーの一人である。

e08051005.JPG

 

面白い一枚をいただきました。

「オレたちゃ相棒だからよ」 と気軽に藤田会長の肩を抱ける数少ないお人、

生産者・越川博さんとのツーショットです。

e08051006.JPG

 

越川博さんと僕は、モデルタウン事業での、

消費者との交流事業推進担当という同じ立場である。

「エビちゃんよぉ、今度じっくりと飲むだんべな」

 

博さんと飲むかどうかは別として (アンタと飲むと翌日使い物にならなくなるから)、

とにかくおめでとうございました。

長いこと有機農業を無視し続けてきた国からの賞なんて、

ホントは片腹痛いという気持ちではあるけれど、

現場で天候や病害虫や周りの視線とたたかいながら実践してきた生産者にとっては、

やっぱり、それはそれで嬉しいのである。 地域を開拓したことには違いないからね。

 

これから先のしんどい道々も思いながら、今日はひたすら生産者の労をねぎらう。

 



2008年5月 8日

カンブリア・・・

 

さてさて、お騒がせのテレビ東京 『カンブリア宮殿』 である。

放送された翌日 (6日) から、反響は予想をはるかに超えて、

入会問い合わせを受ける部署の電話回線が一杯々々になった。

ホームページでお詫びのお知らせがアップされたほど。

 

周囲もこの話題で喧しい。

しかし、そんな突如降って湧いた "嬉しい悲鳴" とは裏腹に、私の心は晴れないでいる。

私の生産者に対する監査のところでは、案の定、あの場面が編集されていたから。

ああ、やっぱりここんところが "インパクト" ってやつなんだね、である。


隠すつもりなど毛頭ないよ。

だから、テレビカメラの前でも潔く、堂々とやったつもりだ。

でもね、もっと自慢したい場面もあったんだ。

なのにね。

道路の脇に撒いた除草剤と、アブラムシびっしりの大根・・・の二場面。

黒沢賢一さんのプライドとしては、忸怩たる思いに違いない。

虫にやられた大根は、「これぞ無農薬の証し!」 とか言われても、

プロの生産者としては 「こんな状態は恥ずかしいんだよ」 と漏らしていた。

『無農薬だって、ホントはもっと上手なんだ、オレは』 と叫びたかったことだろう。

道路脇の除草剤だって、できることなら撒きたくなんかなかったんだし。

向かいの畑に草の種を飛ばすことを、無農薬の生産者はとっても気を使う。

地域の目はまだまだ、けっして彼らに甘くはないのだ。

ごめんね、黒沢さん。

オレがもっと上手に説明できていたら、もう少しいい場面が採用されたかも知れないと思う。

 

大事な一人の生産者が、番組の '盛り上げ役' みたいになってしまって辛い。

しかし、さぞや黒沢さんはご機嫌ななめかと思いきや、

意外とサバサバしたもので、

「まあ、農家にはこんな悩みもあるということで、現実を知ってもらってよかったと思う。」

 

こっちが救われたような気分になる。

  

スタジオでの、村上龍さん、小池栄子さんの質問に対した藤田社長は随分穏やかな感じで、

こちらは大変好評である。

強い期待を持って見た方には、話の内容に物足りなさを感じたところもあると思うけど、

ああいう場所で落ち着いて言葉を選びながら話すのは、かなり難しいし、

藤田のしゃべりも相当カットされたようなので、まあ許してやってください。

 

格差社会の拡大と食料高騰、そんな中での安全な食の安定供給は可能か、

というテーマも、どの視点から応えるかで全然ウケは違ってくる。

藤田が語れなかった (カットされた) 部分は、いずれフォローしてみせるつもりです。

もちろん、黒沢さんへの借りもね。

 

それにしても編集恐るべし、だな。

あれやこれや、埼玉に三浦に、岩手・山形村から青森のニンニク生産者・留目さんまで、

フィルムに収めた時間は、たっぷり100時間は優に越えたと思うのだが、

見事な切りっぷりである。 全部ひっくるめて買い取りたいくらいだ。

 

加えて、この反響。

世間の耳目が我々の活動に向かれてきたということは、嬉しくもあるが、

それだけ世の中の病いが進んできているということなのかもしれない。

また注目されるってことは、批判の目も厳しくなるってことだから、

大地諸君! 酔っ払って駅の階段転がってる場合じゃないです。

 



2008年5月 6日

水路は未来への財産だ!

 

昨日 (5月5日) から全身が痛い。

腕も太モモも尻の筋肉も張って、おまけに腰までキツイ。

日頃の怠慢がタタっている。 加えて数ヵ所、虫に刺された痕がカユい。

 

世間はゴールデン・ウィークのまっただ中という5月4日、

わたくし、エビは予告通り、真面目に

会津・喜多方、旧山都町での棚田の水路補修のお手伝いに行ってきたのでした。

 

日本百名山にも数えられる霊峰・飯豊 (いいで) 山の登山口もある山都町、

早稲谷 (わせだに) 地区。

清流が当たり前のように流れる谷筋の里の風景。

e08050502.JPG


ここは、飯豊山系の雪解け水がブナの原生林に蓄えられたあと、

最初に溢れ出て形成される早稲谷川の最奥の集落である。

それは最も汚染のない上流部でもあるわけで、この水系で育まれる稲はシアワセである。

と同時に、この水系を最初に利用する地域の人々が手作業で守ってきた水路 (本木上堰) は、

麓の人たちにとっても、貴重な財産なのである。

 

その地域がいつの間にか 「限界集落」 と言われるような過疎の地となり、

堰の維持が困難となってきた。

その堰の補修作業に、都会からのボランティアを募る提案をしたのが、

11年前に入植した浅見彰宏さんである。

2000年。 地元の方の不安も漂う中で初めてボランティアを受け入れたときは、

おそらくは浅見さんが全責任を追うような格好だったのではと想像する。

それが今や違和感なく、喜んで受け入れてくれるまでになった。

' 新規就農者の鏡 ' と言えば簡単だが、苦労もあったことだろうと思う。

 

今年も20人を越えるボランティアが集まって、総勢50人くらいで清掃作業に入る。

e08050513.JPG

 

この堰の特徴は、すべて山の中にあることだ。

水系の最も上流部にあり、しかも流末までの標高差が少ない。

つまり、なかなか高度が下がらず、ずっと平行とも思えるような水路が延々と尾根伝いに続いて、

里に水を供給する緩やかに長く続く水路。

それによっておそらくは周囲からの湧き水を集めることで水量が確保され、また温み、

あるいは逆に厳しい雪や大雨に耐えることができる。

これは高度な技術であり、システムなのだ。

したがって、なくなることは災害のリスクを高めることにもつながるだろう。

 

しかし、であるが故にか、作業は結構つらい。

e08050514.JPG

 

コンパクトカメラのレンズのカバーに泥でもかかったか、下の部分が開ききってない。

 

本木上堰の長さは6キロ。 最上部から下る班と、下から登る判に別れ、

双方から、落ち葉や土砂をすくいながら前進してゆく。 出会うまで終われない。

体はなまくらなくせして、地元の人に舐められたくないと、意地も張ってしまう。

 

写真を撮るのもためらわれるが、突如、こんな光景にぶつかったりする。

e08050509.JPG

 

万年雪と落ち葉が重なり合って水路に迫っている。

この地の冬の厳しさが推測される。

 

ちょと開けた所から、里を眺める。

e08050505.JPG

 

水路を守り、水路に抱かれて暮らしがある。

 

写真には収められなかったけど、途中で色んな小動物にも出会う。

驚いて逃げはするも大人しく手に乗るアカガエル、水路の真ん中で動かない交尾中のヒキガエル、

名前も同定できない小さな魚......、サンショウウオもいるらしい。

不思議なことに、放置するよりも中規模の撹乱があった方が、

生物の多様性は高まるのだ。

 

休憩風景。 ちょっと疲れが見えてきている。

e08050506.JPG

 

江戸時代に掘られたという手掘りのまま残っている所もあれば、

大雨や融雪で決壊したりするたびに修復を繰り返してきたなかでコンクリが打たれた箇所もある。

たたかいの跡が偲ばれる。 

 

こんな水路が、日本列島に40万km。 地球10週分。

これはとんでもない歴史遺産ではないか。 遺産にしてはいけないが。

 

お昼を食べた後、木陰の草むらでダウン。眠りこける。

e08050507.JPG

 

これは労働なのか、癒してもらっているのか......

 

朝の8時半から始動して、作業が終わったのは午後3時半頃。

公民館の庭で慰労会が開かれる。

e08050508.JPG

 

地元の人から感謝されるのが面映い。

この日は夜も交流会が予定されていたのだが、翌日に仕事もあって、

後ろ髪を引かれる思いでおいとまする。

 

去年からまだ2回の参加ではあるけど、この水路から

営々と暮らしを築いてきたヒトの歴史や文化というものの奥深さを思った。

見極めることはできないかもしれないが、漠とした感傷で評価するだけでなく、

突き止めたいと思うのである。 この意味を。 

未来を考える上でも、遺跡にしてはならない。

 

帰りの山都駅まで 「俺が送っていく」 と申し出てくれた地元のUさんが、

車の中で語ってくれた。

「こういう出会いを大切にしたいと思ってる」

「浅見さんには本当に感謝してるんだ」

 

新規就農者だからできること、はある。

未来をつくることは、面白いのだ、やっぱり。

 

 

最後におまけ。

5月3日の行きの途中。 幸運にも、会津若松からSL列車に乗ることができた。

e08050510.JPG

 

「SL ばんえつ物語」 号。 観光客が大勢来ている。

しばらく懐古趣味に浸る。

 

列車から見た飯豊山系の姿。

e08050511.JPG

 

何度見ても、懐の深い山並みである。

 

喜多方から山都に向かう途中で見えた、

我らが純米酒 『種蒔人』 の蔵元、大和川酒蔵店の飯豊蔵 (いいでくら) の佇まい。

e08050512.JPG

 

パトカーが出ているのは、けっして大和川酒造を見張っているのではなく、

SL を撮影したりする沿道の観光客の監視と思われます。

 



2008年5月 1日

『カンブリア宮殿』 いよいよ・・・

 

4月8日の日記で取材の模様について書いたテレビ東京 『カンブリア宮殿』

の放送日が、正式に5月5日に決まりました。

日記で放送日を 「...らしい」 とお伝えしたのは、じつはインサイダー情報だったようで、

こういうのは正式に告知されるまで流してはいけない、と広報からお叱りを受けてしまった。

フライングでした。 申し訳ございません。

 

テレビでは予告編も流れ始めたようで、

黒沢さんの畑で、藤田さんの後ろに私が立っていたとか。

ああ、気が重い......なんでだろ。

 

ま、そんなワタクシ事はさておき、藤田会長が作家・村上龍氏とタレント・小池栄子さん

を相手に、さてどんな感じでやってくれたのでしょうか。 

なんでも学生運動の頃の話もしたとか......時間ある方はどうぞご覧になってください。

今回のタイトルは-

 「メイド ・ イン ・ ジャパンで食糧危機に立ち向かえ!」 

5月5日(月) 22:30~23:24 です。

 

テレビ東京系列では、テレビ北海道、テレビ愛知、テレビ大阪、テレビせとうち、TVQ九州放送。

系列以外では、岐阜放送、びわ湖放送、テレビ和歌山、熊本放送、で放送されます。

 ( ※ 各放送局の放送日程・時間については、各放送局もしくは新聞等にてご確認ください。)

BSデジタルでは、BSジャパンで、5月8日(木) 21:00から。

CSデジタルでは、日経CNBCで、5月10日(土) 11:00から となっています。

 

番組のホームページでも、トップ画面で予告が出ています。

 ⇒ http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/

 

感想などお寄せいただけると嬉しいです。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ