戎谷徹也: 2008年7月アーカイブ

2008年7月26日

アオサ回収不発。 でも 『鉄腕ダッシュ』 が・・・

 

ここは 『ふなばし三番瀬海浜公園』 の砂浜。

東京湾の奥に残る干潟地帯・三番瀬を体感できる貴重なスポットである。

ここで今年2回目の 「アオサ回収大作戦」 を開催する。

夏休みに入ったばかりの土曜日ということもあってか、

参加者はこれまでで最高の150名近い人たちが集まってくれた。 

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砂浜の上は暑いので、開会の挨拶やレクチャーは、海に足を入れて行なう。

気持ちがいい。 


挨拶する、東京湾アオサプロジェクト代表、大野一敏さん。 

船橋漁協の組合長も務める、海の男。

 

東京湾を囲むかたちで生きている人々の、暮らしの諸々を受け止め、

たくさん運ばれてくる栄養分を吸収し、浄化する干潟。

これがあることによって、実は私たちの暮らしも支えられていること。

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これが東京湾です。 どうだい、水もきれいだろう。 

 

今回もアオサの回収と、干潟の生き物観察会をセットにしたのだが、

人数が多いということもあって、アオサ回収から始める組、観察会から始める組に分ける。

 

観察会のガイド役は、お馴染みとなりつつある会員の陶 (すえ) 武利さん。

小学生の頃から原書の動物図鑑を眺めていたという、ちょっとアブナイ人。

でも、お陰様で、海でも陶、山でも陶、畑でも陶、と重宝させて頂いております。

おまけにガイド料は安すぎ・・・すみませんね。

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何気ない砂浜も、よ~く見れば、そこは生き物たちの世界。

どの生物も、大きなサイクルの中で何かの役割を果たしてくれている。

この生物多様性こそが、この地球 (ほし) の妙である。

 

せっかくたくさん集まってくれたのに、

こんな日に限って、アオサが少なかったりする。

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今回の収穫は、ほんとにチョボチョボって感じ。

こればっかりは、仕方がない。

北埼玉の川本町 (現深谷市) から2トン車を飛ばして来てくれた

That's (ザッツ)国産卵の生産者、 本田孝夫さんも拍子抜けしたようだが、

まあそこは 「ここ (海) に来るのが楽しいんだいね」 と我々を慰めてくれる。

消費者にも会って、少しはPRもできたか。

「こういう活動を通して、海と陸の連携つうか、いい循環がつくれればいいな、

 って 思ってます」

 

そして最後に、実は1週間前に、日本テレビの日曜日の人気番組

 『 ザ!鉄腕!DASH!

のスタッフたちがやってきて、アオサを集めていったことを報告する。

トキオの山口達也くんも大野さんの話をしっかり聞いていったそうだ。

 

さて、アオサを何に使うのか?

それは放送を見ていただければ、ということにしておきたい。 乞うご期待、

・・・・・と書いたところで、念のためにホームページを開いたら、

なんだ、もう予告編が出ているじゃないか。 風鈴をつくるんだと。

どうも我々の主旨とは違うようだが、でもまあ、よしとするか。

少しでもアオサの存在を知ってもらえるなら。

 

放送日は、8月3日(日)、午後6時55分あたりからの一時間番組。

何を隠そう、僕も時々観ている。

 

ホームページも、かなり面白い。

お暇な時にでも、ぜひ (上の 『ザ!~』 の文字をクリック) 。

以前、何かの会合で里山博士の守山弘さん (東京大学教授) とお会いした時、

教授も 「いや、彼らはけっこう真面目にやっているよ」 と褒めておられた。

こういう番組が長く人気を維持していることは、分析に値するよね。

 



2008年7月22日

" とっつぁん " 

 

7月19日夜、千葉・山武の稲作体験田での草取りと蛍見会を終えて、

田んぼの地主、佐藤秀雄さん宅の倉庫で、実行委員や生産者と一緒に一杯やっていたら、

携帯電話が鳴った。

千葉県八街市の 「千葉畑の会」 代表、内田賢次さんが亡くなられた、との連絡である。

みんなから  " とっつぁん、とっつぁん "  と親しまれた、スイカづくりの職人。

大地を守る会のカタログやチラシ類に何度も登場した、

いわば  " 顔 "  となってくれた生産者の一人である。

倒られて2日という、あっという間の旅立ちとなってしまった。 享年76歳。

 

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7月19日。 この日はもともと 「スイカ食味会」 が行なわれるはずだった。

毎年々々楽しみにしていた、とっつぁん最大のイベントである。

消費者にいろんなスイカを食べてもらおうと、品種も色々と植えていた。

今年は、春からの低温で生育が遅れ、一週間延期したのだったが、

本来設定したその日に、逝ってしまわれた。

まるで西瓜の神様に召されたかのように。

 

昨夜、自宅でお通夜がいとなまれ、本日、最後のお別れに手を合わせてきた。

 

とっつぁんと大地を守る会のつき合いは、設立間もない頃からであるから、

僕が偉そうに思い出を語るのは憚られる。

ただひとつだけ許してくれるなら、やっぱり、このエピソードだろうか。

 

1990年、第1回の 「タイ農民交流ツアー」 の参加者のなかに、内田賢次さんはいた。

タイ語など触れる機会すらなかったとっつぁんが、行きの機内で、

サワデーカップ (こんにちは、のつもり) とかコップンカップン (ありがとう、のつもり)

とかをカタカタで暗誦しながら、

しかし現地に入れば、何のことはない。 すべて日本語で押し通した。

「このお札は信用できん」 と両替所で文句を言ったりしたのは閉口したが、

やはり圧巻は、畑だった。

雨の降らなくなった東北タイの田んぼに入るやいなや、とっつぁんは、

これはこうしてああして、と一生懸命に、農民たちに技術を伝え始めたのだ。

現地の人たちは当然日本語は理解できないのだけれど、

とっつぁんを囲んで議論を始め、その言わんとすることを理解したのだった。

農民は分かり合える共通言語を持っている・・・・・

とても真似のできない力に、圧倒されたのを覚えている。

以来帰るまで、とっつぁんは、タイの農民からも  " お父さん "  の称号で呼ばれた。

 

バンコクの市場では、タイにもスイカがある! と喜んで買い求めていた。

一個一個手にとって、「これが一番だ」 とかいって、ホテルに帰って食おう、とか言う。

お店のオバサンが目方を計ろうとして取り上げると、

「何すんだ! オラのスイカだ 」 と怒ったりした。

 

とっつぁんの海外での呆れるようなエピソードはつきない。

しかし行く先々で、とっつぁんは " とっつぁん " となった。

恐るべきコスモポリタンだった。

 

とっつぁんの自慢は、もちろん西瓜だけではない。

彼は堆肥作りの職人でもあった。

山のように積まれた堆肥は、この人の土への深い愛を表現していた。

落花生では、こっちでピーナッツに仕上げる、と交渉したことがあったが、

煎り屋まで自分で選んで、譲らなかった。

 

後にも先にも、  " とっつぁん "   という呼び名が、こんなにはまる人はいないだろう。

なんか、またひとつ、「昭和」 が消えたような気がする。

 

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 合掌。

 



2008年7月20日

田んぼの草取り-2回戦

 

いつの間にか梅雨が空けて、

昨日も暑い中で、 「稲作体験田」 の2回目の草取りが行なわれた。 

前回から一ヵ月が経ち、稲の葉もだいぶ強く伸びて、 

夏らしい生き物も、そこかしこに確認される。

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それにしても、この草はなんだ!

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 ビッシリと生えたコナギの群生。

ひえ~! 勘弁してくれぇ! の悲鳴が上がる。

無農薬で19年目のこの田んぼには、最大の難敵・ヒエは生えない。

ここ数年の敵は、コナギである。

 

カメラのアングルが悪くて、ちょっと分かりにくいかも知れないけど、下の写真、

真ん中から左が米ぬかを撒いて草を抑えようとした 「米ぬか区」。

右が紙マルチ区。

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今年も米ぬかは失敗したか・・・・・

やっぱり、米ぬか施用はタイミングが重要なのである。

- 『 水田に米ぬかを撒くと乳酸などの有機酸が発生し、コナギの発根を阻害する 』

この原理を利用するには、僕ら 「農業体験」 組には根本的な欠陥がある。

日常的な観察と記録である。 ポイントはふたつ。

 ・ 水温がコナギの発芽温度 (19℃) を上回っているか。

 ・ コナギの発根時期と米ぬか投入時が合っているか。

 

田植え直後に撒いても、上記の条件が合っていなければ意味がない。

僕らは基本的に土曜日曜中心に作業イベントを組んでしまうのだが、

それは作物を育てる基本技術とは、相入れない。 分かっていることではあるが。

 

悔しいなぁ・・・・・・草を見るたびに、来年に向けての決意は深まるのだが、

毎年やっぱり後手に回ってしまう。

 

しかし、そんな思案などしている暇はない。 問題は目の前の草だ。

気を取り直して、気勢を上げて、いざ、田んぼに入る。

黙々と草取り作業を始める120名の参加者たち。

みんなエライ! 稲作農耕民族のDNAを受け継いでいる。 

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さすがにこれだけの人が総がかりでやれば、

13アールの田んぼも1時間ほどでやり切れる。

 

 ↓ 作業後の田んぼ。

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いや、スゴイ。 きれいになったでしょ。

 

そして職員を中心に、今回も田んぼの生き物調査をやってみる。

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ウ~ン。 イトミミズがまだ少ない。

まあいい。 こういう作業はコツコツと続けて、データを蓄積することで、

田んぼの世界が見えてくるのだ。

今年の結果は、次回に。

 

こちらは、調査のようだが、まあ 「探検」 ということにしておこう。 

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田んぼワールドというのは、懐が深いのであって、これくらいは許す。

僕が19年の経験で、秘かに立てている仮説がある。

 -「田んぼは、ヒトがたくさん入れば入るほど、イネの生育もよくなる」

この子たちは、遊んでいるようで、土中に酸素を供給してくれる

でっかい虫のような存在だ。

しかも、子どもたちの楽しい嬌声は、植物をも楽しくさせている。

この仮説はオカルトだろうか。

僕は、これこそ21世紀中に解き明かしてほしい、

生命進化の謎にアプローチする科学的テーマだと思っているだが。

 

夜は、昨年からチャレンジしている 「夜の自然観察会」 という名の、蛍見会。

自分は、道々の解説者として路地に立ったので、

今回も撮影はままならなかったけど、今年もホタルは僕らの前に姿を見せてくれた。

去年に比べてちょっと少なかったのは、春からの天候不順の影響だろうか。

その辺はよく分からないけど、

農薬で絶滅するのではないかといわれた

ホタルのかそけき光に感動する機会を用意できただけでも、

何かができた一日、ではあるだろう。

 



2008年7月18日

農業後継者、庄内に集まる

 

大地を守る会の生産者たちが、地域ごとに、あるいはいろんなテーマで

集まって技術交流したり、親睦を深める 「生産者ブロック会議」 。

始めてからもうかれこれ20年になろうかと思うが、

この会議は特に内発的というか、内側から湧き上がるように発生した

未来志向型の会議である。

 

今年で6回めとなる 「全国後継者会議」。

次代を担う若者たちが、年に一回、各地の生産現場を回る格好で集まる。

7月17日、今年は山形・庄内での開催となる。

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今回の幹事団体は、月山パイロットファーム、庄内協同ファーム、

みずほ有機生産者グループ、コープスター会、の4団体 -の後継者たちである。

大地を守る会事務局の担当者も若手職員をあて、

ほとんどすべてを彼らに切り盛りしてもらう。

 


今回集まってきたのは、青森から長崎までの若手生産者たちを中心に、約90名。

「後継者」 とひと括りにしてしまっているが、顔ぶれを見れば、

学校を出てからそのまま実家の農業を継いだ者、

脱サラして戻ってきたUターン組、

農地を取得して一から農業を始めた 「新規就農者」

あるいはその予備軍のような 「研修生」、

農家の後継者と一緒になった、いわゆる嫁や婿どの、

親の農作業は手伝ったりはするが本業はまだ学生という若者、などなど。

年齢も二十歳 (はたち) から40代までの幅がある。

共通しているのは、有機農業の次の時代の担い手である、ということだ。

 

東北だからと、少し甘く見て来てしまったが、

この日の庄内は猛暑の中にあった。 暑い。

集合したと思ったら、早速、農場へ。 挨拶はそれからだと。

やるね、若者。

 

今回の講師は、この間あちこちで講演をお願いしている、能登のご老公こと、

西出隆一師、71歳。

 

畑に到着するや否や、土の診断に取り掛かる。

ここは月山パイロットファームのだだちゃ豆のほ場。

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批評はストレートである。 歯に衣着せない。

-ダメなものはダメ、とはっきり言うてやらんと失礼やし、だいたい本気になれんやろ。

 

ここから先は専門的な話になるし、生産者の沽券にも関わるので、

割愛させていただく (というより、私の力量が足りない) 。

 

続いて、庄内地方にしかない漬物用の民田ナス畑。

案内するのは月山パイロットファーム・相馬大さん (下写真の左から二人目)。

お父さんの一広さんからすでに代表を受け継いだ、若き経営者である。

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皮に含まれるポリフェノールの多さゆえに、畑の赤ワインとも称される小丸ナス。

名作 『蝉しぐれ』 や 『たそがれ清兵衛』 などでファンも多い庄内出身の作家、

故・藤沢周平が愛した茄子だ。

 

地元では 「もってのほか」 と呼ばれてきた食用菊の畑で、

やはり診断する師。

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土壌診断で出された数値からの判断だけでなく、

葉や根や樹盛などの状態から、どういう要素が足りないか、あるいは多すぎるか、

の指摘が続く。 しかもいちいち、ハッキリしている。

「あっちの列は出んが、こっちは出る。 100%出る。」

害虫の発生を予測しているのだ。

 

畑回りの後は、座学。

ここでも師は、土壌診断の必要性と、見方・読み方・活用の仕方を解説する。

意外と、つまらないと思えるような質問でも、

素直に聞いた若者には、けっこう丁寧に対応していたりする。

本当に 「教えたい」 人なんだ。

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東京大の農学部を出てから、ひたすら実践で 「土と植物と人為の関係」 を

極めてきた。 西出さんをカリスマのように師事する農民が、今増えている。

師に言わせれば、「農薬を使うな、というより、いらん!」 となる。

農薬というのは、安全か否かの前に、

いい野菜を作る上で目を曇らせる存在のようなものらしい。

有機農業は科学の時代に入っている。 しかも農学の最先端として。

 

若者たちよ。 極められるか。

大地を守る会では、西出隆一師を、とことん使い倒したいと思っている。

それは西出さんの希望でもある。

冷静に、吸収し切ろうではないか。

 

庄内協同ファームの若者たち。

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いいね。 農民運動から始まった暑苦しい親父たちは親父たちの世界として、

自らの意思で農業を選んだ、明るい連中である。

しかも、次の世代が生まれている。

 

夜は延々と飲み続け、朝の4時を過ぎたところまでは記憶している。

二日目 (今日) は朝からどしゃ降りだったらしく、

私のあずかり知らないところで、現地回りは中止され、

座学の継続となった。 私はフラフラしながら途中から合流する。

内容は・・・・・レポートできない。

 

最後に、庄内協同ファーム、高橋直之・紀子夫妻のラズベリー農園を訪ねる。

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ラズベリーの摘み取り体験もできる農場。 ジャム加工にも挑戦している。

僕にしてみれば、生産者のお嬢さんが彼氏と始めた農園という感覚で、

お母さんと談笑する。

「前にのォ、私たちがエビさんにヘチマ水を強引に売り込んだようなことがのォ。

 今度はラズベリーのジャムを娘が売り込むと思うんで、よろしくお願いしま~す。」

・・・・・ウ~ン。 嫌な予感がしてきた。

とか思いながら、いざという時のために、ツーショットを撮っておく。

撮っておく、ということ自体が、すでに誘導されているような気もするのだが・・

 

高橋夫妻 -僕には富樫英治・裕子さんの娘さんと彼氏- が始めた

はらぺこファーム」。

ブログがあります。 よかったら覗いてみてください。

新米農家のスローな一日だって。 いいなぁ。 親父たちは走り過ぎたのかな。

 

 



2008年7月16日

無農薬野菜の方が危険?

 

-そんな話を聞いたが、本当か?

という質問が会員さんから寄せられ、会員サポートチームのS君が相談にやってきた。

質問の内容を見ると、ご家族がラジオか何かで

「植物は、病原菌や害虫に遭うと抵抗物質を出す。 その物質が原因となって、

 食べた人にアレルギー症状を引き起こすことがある。

 無農薬野菜はアレルギー物質が多く含まれることになり、かえって危険である」

というような話を聞いたというのである。

 

この情報源なら知っている。 近畿大学の研究グループの試験結果だ。

発表されたのはたしか2年前のことで、

これはもしかしてひと仕事増えるかも・・・・と受け止めた記憶があるが、

その後は大きな話題にはならなかったようで (少なくとも我々の周辺では)、

なぜ今になって・・・・と思っていたら、

数日後に別な会員さんからも同じような質問が寄せられた。

どうやらこの試験結果を元にして、所々で 「無農薬野菜は危険」 といった話が

語られているようなのだ。

 


市民レベルから反応が上がるようでは看過できない、ということで、

僕なりに見解を整理して会員サポートチームにお返ししたところである。

いつもバタバタしてて、まとめるのが遅れてしまってゴメンね、Sくん。

 

あくまでも私の調べた範囲内での整理であることを断りつつ、お話すると-

私たちが食べている野菜や果物には、

カビや病虫害の被害から自身を守る " 免疫 "  のような働きをする物質が含まれている。

「生体防御たんぱく質  ( 感染特異的たんぱく質 ) 」 と呼ばれるものだ。

人が野菜や果物と一緒にこの物質を摂取した際に、それが原因で

まれにアレルギー症状を引き起こすことがある。

これは以前から分かっていたことで、慌てることではない。

 

近畿大学の試験とは、それをリンゴを使って検証したもので、

無農薬・減農薬・一般栽培の3パターンで育てたものを比較したところ、

感染特異的たんぱく質は無農薬りんごに最も多く含まれ、

続いて減農薬、一般栽培の順であった、という結果が得られた。

ちなみに、無農薬リンゴは3種類の病害を受けていて、

一般栽培のものには病気は出ていない。 減農薬の状態はその中間。

これによって研究グループは、

「他の無農薬栽培の野菜や果物も、病気や害虫の被害に遭うことで、

 感染特異的たんぱく質が増加する」 と結論づけた。

 

もう少し正確にお伝えすると、この試験は、

3種類のリンゴからたんぱく質を抽出し、リンゴ・アレルギー患者の血清に結合する

たんぱく質 (アレルゲン) を検出して、その反応を調べたものである。

その試験の背景には、野菜・果物のアレルギーの多くが、

花粉症の抗原 (花粉) と構造的に似ている抗原を摂取した時に発生している、

という現象があり、今回の試験で使われた血清も、花粉症を併発している方々の

ものであった。 

ここから、野菜・果物によるアレルギーが増えてきていることと、

花粉症罹患者が増えていることとの関連性も指摘されている。

 

この研究結果は、ある意味で当然のことと言える。

植物には、病原菌や害虫の影響を受けると、それに対する防御物質をつくる力がある。

それらの物質は 「生体防御たんぱく質」 と呼ばれ、感染特異的たんぱく質のほかに、

ファイトアレキシンと呼ばれる抗菌性物質がある。

ファイトアレキシンは、いわば植物が自ら生み出す殺菌剤のようなものだ。

 

いずれにしてもまだ未解明な部分が多く、研究途上の分野であるが、

それぞれを物質単独で毒性を見た場合、「何らかの有害性を持っている」

と考えることができる。 菌や虫に対抗しているわけだから。

中にはそれによって苦味やえぐみとして感じられるものもあるようで、

物質によって、あるいは個人によっては、アレルギー反応を導く場合もあると思われる。

念のために言っておくと、ここで言うアレルギー反応とは、

舌がしびれたとか、どこかが痒くなったといったレベルも含まれる。

 

しかしながら、だから何よ。 というのが私の本音である。

これは植物が本来持っている力に起因するもので、

農薬が開発される遥か以前から備え持ってきた機能であって、

人もまた当たり前のようにそれらを食べ、かつ共生してきたものだ。

したがって、あらゆる食品に内包するものだと言えるだろう。

たとえば蕎麦やバナナでアレルギー症状が出る人がいるからといって、

蕎麦やバナナに毒があるとは言わないように、植物には必然的に備わっているもの、

と冷静に受け止めるべきものではないだろうか。

 

またこの実験結果によって、

「無農薬栽培だと増大する」 あるいは 「農薬を使うとこの種の物質は作り出さない」

などと簡単に決めつけられるものでは、決してない。

この研究で言えることは、あくまでも

「病原菌や虫の攻撃を受けると植物は防御物質を作り出し、

 それは場合によって人のアレルゲン物質になる可能性がある。

 病虫害の被害に遭うほど、そのリスクは高まる」 ということであって、

「無農薬野菜の方がアレルギー物質が多い」 というのは、

実際の生産状況を知らない、あるいは関心ない人の言うことである。

 

無農薬だから病虫害に侵されるとは限らない。 

ましてや 「普通栽培だから病虫害に侵されない」 となれば、

それは相当に予防的な防除 (病気に罹る前に薬を打つ)

をしなければならなくなるだろう。

生産者が有機農業に転換する際の理由や動機の多くが、

自分や家族そして畑の健康のために農薬を撒きたくない、という

現場での経験や実感から生まれていることを、

「無農薬はかえって危険」 と簡単に語る人たちは知らなければならない、と思う。

 

そして、こういうことを語る人に共通しているのは、「無農薬=虫食い」 という認識である。

もちろん自然の中で作物 (植物) を育てる以上、

天候などの影響も受けながら常に病害虫とのたたかいになるので、

「無農薬」 を前提にすれば、リスクは当然高くはなる。 虫食いも発生する。

しかし、有機農業を実践する人たちが考える基本は、

健全な土作りをベースに、天敵も含めた生態系バランスに配慮することによって

 「農薬を必要としない」 健康な作物を育てる、というものである。

だから必死で勉強しているわけだし、

多少の虫食いや変形も許さないという感覚は、国際的にはスタンダードではない。

日本ほどに農薬を使ってない国 (世界のほとんどの国) の、

普通の野菜の方がアレルギー物質を多く含むなどと言ったら、

どんなふうに受け止められることか。

 

また、仮に百歩譲って、無農薬野菜の方がアレルギー物質の含有が多いとしても、

農薬を使用したほうが安全などとは、とても言えるものではない。

「農薬」 とは、そのほとんどが化学合成物質であり、

その微量な残留でアレルギー反応を起こす化学物質過敏症の人もいる。

ここでは、食べた野菜の残留農薬による影響を受ける人と

野菜自体に含まれるアレルゲンによる影響を受ける人の数を比較するのは

あまり意味のないことで、決定的に違うことは、

野菜や果物の残留農薬というのは、

バナナ・アレルギーの人がバナナを避けるように対処できる問題ではない、

ということだろう。

そもそも、この試験結果によって、

リンゴ・アレルギーの人が、一般栽培だから食べよう、などと思うことはあり得ない。

 

農薬の問題について、まとめて整理すれば-

1.農薬は、作物への残留問題だけでなく、使用する生産者の健康被害のリスクを高める。

2.農薬は、地下水や環境を汚染するリスクを高める。

  昨年、ある地方で、水田で使われた除草剤が河川を辿り、シジミに残留が検出されて

  シジミの出荷が止められた、という事件があった。 上流の米は当たり前に売られた。

  その違いは、ただ残留基準の差によるものだが、こういうことが起こりえる、

  ということである。

3.農薬の使用は、土や生態系のバランスを崩すために、使用後に病虫害が発生した場合、

  かえって被害が甚大になることがある。

  また病原菌や害虫が農薬に対する耐性を獲得することで、

  さらに強い、あるいは新たな農薬に頼るなど、農薬依存を強めてしまう。

  これは農薬という毒性をもった化学物質が、広く自然界に拡散してゆくことを意味する。

4.そして、作物自体への残留のリスクは常に減ることはなく、存在し続ける。

 

要するに、農薬の問題は 「人の行ない」 に起因していて、

かつ負の連鎖のように問題が深まり、拡がるわけで、

人工の問題は、人の手で乗り越えなければならない。

「自然界の掟」 に起因する問題とは、質が異なるものなのだ。

 

どうも、 「無農薬=虫食い」、

 あるいは生体防御たんぱく質の増大という問題をもって、 「無農薬はかえって危険」

といった主張をされる方々は、そのほとんどが有機栽培に対する偏見をお持ちか、

よくご存じない、あるいは対極にあるもの (農薬) を擁護することを前提にしておられる

ように見受けられる。 また、だいたいそういう方は、

" 消費者は 「無農薬=安全、農薬=危険」 という非科学的な判断をしている "

と考えていたりする。  「消費者は理不尽に農薬を悪と決めつけている」 と。

そして、「農薬は、安全だ」 ということを科学的に語ろうとする。

しかしその 「安全」 とは、

「ちゃんと規則どおりに使えば、人体に影響を及ぼすほどの残留は残らない」

という意味であって、それは同時に 「リスクが存在する」 ということも表現していることに

気がついていないように思える。

 

そもそも農薬の安全性を主張するのに、アレルギー物質を引き合いに

「無農薬も危ない」 と語るのは正当な手法ではないし、いわんや、

いま業界で流行 (はやり) のリスク・コミュニケーションの観点からしても、

ダメなやり口と言わざるを得ない。

 

大地を守る会の生産者も農薬を使うことがあるが、私たちは、

よく考えて農薬を選択し、使用は最小限に抑えよう、別な対策や技術を取り入れられないか、

というスタンスで話をする。

農薬を推奨する方々も、農家に 「これは安全だから」 と安易に勧めるのではなくて、

「これは危ないものだから、説明書きにある通りに使わないといけないし、

 ちゃんと鍵をかけて保管するように」 と語ってほしい。

そういった指導が必要な 『薬』 なのだから。

 

食品が持つリスクをどう選択するかは、消費者一人一人の判断であり、権利である。

しかし太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスクと、

化学物質の野放図な環境への放出という問題を比較して云々というのは、

相当に文化や生きる力を貧しくしていないか、と思うのである。

私は、農薬への依存から脱しようと努力する人のものを食べることの方が、

未来の安心を築く選択である、と信じる立場である。

 

最後に、くだんの実験から指摘されたところの、

野菜・果物アレルギーと花粉症の増加の関連については、その背景に

『現代人の免疫バランスが変わってきている』

という深刻な問題があることを伝えておきたいと思う。

たとえば、有機野菜に切り替えたらアトピーが治ったとか、

無農薬の玄米に切り替えたら米アレルギーが軽減された、といった事例を

「非科学的」 と排除して済ませてよいだろうか。 まだまだ分からないことが多いのだ。

自然界に放出される化学物質の増大が、人の免疫システムの変化に、

何がしかの形で作用していないかという危惧の方にこそ、

科学者はその本能的関心を寄せるべきではないだろうか。

 

二日前の日記の最後で、

小賢しい科学技術論で重箱の隅をつつきあうような論争~

などと書いてしまったのは、このテーマが頭から離れなかったことによると思われる。

 



2008年7月14日

今日はアフリカから-

 

最近とみに海外からの視察が増えている。

通常は、大地を守る会の国際局で対応するのだが、

農業分野での視察や研修内容によって、こちらに出番が回ってくることがある。

 

今日やってこられたのは、

ケニアとタンザニアで農業技術指導をしているという政府職員さんたち4名。

研修を依頼してきたのは、通称 「ジャイカ」 (JICA) と呼ばれる国の外郭団体、

「国際協力機構」 (Japan International Cooperation Agency) である。

青年海外協力隊を派遣している団体と言えば分かりやすいだろうか。

我ら農産グループ内にその協力隊出身者がいて、その職員を経由して

話が正式に舞い込んできた。

 

農村開発に取り組むアフリカの政府職員が、

なぜ有機農業の活動を行なう我々のところに?


その辺は自分もよく分からないのだが、

どうもこの国の農業に関するひとつの潮流として注目を頂戴したみたいである。

 

今回も例によって、日本の戦後の農業の歴史から紐解きながら、

大地を守る会とは何ぞや、を理解していただくのだが、

場所は本社の会議室ではなく、習志野物流センターで実際の物流ライン業務も

見てもらいながらの講義とする。

 

ここでも、彼らの目が輝いた (と見えた) のが、

大地を守る会の誕生から事業の拡大へといたるプロセスであったようだ。

加えて、生産者との関係と栽培情報の細かさ、だろうか。

 しかし、この間私が説明したアメリカ人ともオーストラリア人とも違うと思った

特徴的な反応は、「生産者が契約を守るのか?」 という疑問だった。

市場価格が高くなったら、そっちに出すのではないか?

僕の回答は極めて簡単で、

「そんなことをすれば、市場が安い時に (ウチに) 出せなくなります。」

どうやら、彼と彼女らの悩みどころは 「約束を守らない」 農民、というあたりか。

そこにはどうも、自分が想像し切れてないお国事情があるように思われる。

 

有機農業が近代農業と根本的に違うのは、

農薬や化学肥料を使わない、という単純なことではなくて、

それを可能にする技術と思想にある。

特に、地域資源を活かしながら環境を保全し、自給型の農業を考える際に有効である。

それは、交換価値を地域 (あるいは仲間) で回しあう、つまり自立につながる。

 

本来は最も豊かであったはずのアフリカを貧しくさせたのは、環境でも生産技術でもなくて、

モラルを喪った自由主義経済とそれを後押しした国際政治だと思っているのだが、

短時間の研修時間ではコミュニケーションできなかった。

 

おそらくは、彼らのお国の都市で大地のような宅配システムが有効とは思えない。

どうか、自前の生産技術の維持と、それを支える国民(消費者)という

独自の生産-消費モデル作りを進めて欲しい、と願ってやまない。

それが、この星の多様性を守ることになるはずだから。

 

もっと語り合いたいものだが・・・

とか思いながら、新しいトラックをバックに一枚撮って、お別れする。

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それにしても・・・・・最初から気になっていた。 どことなく元気がないのだ。

聞いてみれば、やっぱり。 この時期の、日本の湿度にやられたね。

「ニッポン、暑いです」

赤道直下の、しかも身体能力の高いアフリカ人も参らせる

アジア・モンスーンの凄さよ。

 

これをかつて (昭和3年)、和辻哲郎という哲学者が分析している。

『 湿気は最も堪え難く、また最も防ぎ難いものである。 にもかかわらず、

  湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。 その理由のひとつは、

  湿潤が自然の恵みを意味するからである。』 

                -和辻哲郎著  『風土-人間学的考察』 (岩波文庫 ) より-

 

僕らの哲学は、80年前の和辻より進化したのだろうか。

小賢しい科学技術論で重箱の隅をつつきあうような論争はやめて、

この列島の気候風土と、それが育んだ文化に、もっと身体を近づけてもいいんじゃないか。

それだって、この国が果たせる国際貢献のひとつだと思っている。

 



2008年7月13日

村の小さな夏祭り

 

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昨日(7月12日)は、地元にある小さな神社の夏祭りがあって、

朝から準備に駆り出される。

本音を言えば、専門委員会・おさかな喰楽部が主催する、三浦での海の交流会に

出たかったんだけど、なんせ今年は自治会の班長さんという大事な役目が回ってきていて、

地域の重大行事を放ったらかして出かけるわけにはいかないのである。

一山美秋さんのマグロ漁船大航海時代の話を聞きたかったなぁ・・・・・

なんて思いながら。

 

ま、それはそれとして、

規模は小さくても、地元の人たちがずっと大切にしてきた祭りである。


男どもがざわつきながら集まってきて、準備に取り掛かる。

幟 (のぼり) を立て、テントを張り、演芸会のステージをつくり、

まわりに飾り物などをつけてまわる。

全部、自治会の手づくりである。

寅さんみたいな人が来て屋台を出してくれるわけでもなく、

出店も子ども会の方々を中心に、カキ氷やらポップコーンやらを準備したりして

運営してくれる。

 

不思議というか、面白いと思うのは、

毎年こうやってみんなで準備しているのに、いつも設営の段取りでもめることだ。

「そうじゃねぇだろ!」 「何やってんだ、ァ~ん!  こっちが先だんべぇよ!」

果ては、「誰だぁ、こんな結び方したんは!」

とか罵って、せっかく縛ったロープをほどいてしまう古株まで登場して、

ワイワイガヤガヤ、右だ左だ、何とかかんとか......

とても新住民が手を出せる、いや口を挟める余地などない。

(こう見えても、もう20年になるんですけどね~え... やっぱり新住民...)

 

要するに、みんな祭りの段取りでは誰にも負けたくないんだね。

八坂神社祭典のことなら、俺は子どもん頃から知ってんだ、という自負が、

この喧騒を生んでいる。 

しかも、彼らにとっては、ここからもう祭りは始まっているのだ。

 

準備が整ったあたりから、だんだんと人がやってくる。

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これでも行政区としては 「市」 に入るのだけど、

どう見ても、「村の小さなお祭り」 と表現するのがふさわしいような風景だね。

 

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神社本殿では、「かしこみかしこみ」 と神主さんのお祓いが行なわれ、

氏子総代や自治会の役員の方々、それに

各班から選出された 「灯ろう番」 さんたちが、祭典終了までご神体の番を務める。

 

祭りの定番、お神輿の登場。

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この神社には、大人が担ぐ神輿はなくて、子ども神輿だけ。

しかも練り歩くのは境内の中だけ。 寂しくもあるが、これでも

子どもたちに 「祭り」 というものを実感させてあげたくて、こしらえたものだ。

子どもたちも、それなりに一生懸命になって 「ワッショイ、ワッショイ」 と担いで歩く。

 

やっぱり祭りには、子どもの姿が必要だ。

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子どもたちが、地元の行事に親しんで、喜んでくれている顔が、

親父たちをシアワセな気分にさせ、そして準備の段取りを仕切りたがらせる。

 

日が暮れれば、大人たちは飲む。 飲ん兵衛は飲み続ける。

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地元集落総出で夏祭りを盛り上げる。 こんな風習は、ここいらでもだいぶ廃れてきた。

祭りすらなくなってしまった神社もあると聞かされた。

 

『奉納 演芸大会』 -要するにカラオケ大会なんだけど、

オヤジの下手なコブシより、やっぱこういう風景こそ、お祭りですよね。

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最後は、盆踊り。

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朝の9時から準備。

午後3時から八坂神社祭典。

午後5時から飲み出す。

演芸大会終了後、午後10時から打ち上げ -という名の飲み会。

翌日の今日は、午前9時から片付け -準備と違ってさっさと進む。。。

午後3時から役員会の反省会 -という名の飲み会。

普段飲んでるのとは違う日本酒に、最後はついにフラつく。

 

「祭り」 というハレの日。 

心のどこかで 「今年も守ったぞ」 の気概が渦巻きながら、男たちは飲み、騒ぐ。

子どもたちに、ふるさとの記憶を持たせたくて、

またこの土地を少しでも愛してくれたら、という思いも多少はあって、

そんでもって、「来年は...」 の話をもうしてる。

どうせ来年も喧嘩するくせに。

 

どうあがいても新住民の僕は、

「ホタルが、この20年でずいぶん減ったですね」 とか言ってみたりしている。

俺だって、この地で、大事にしたいものはあるのだ。

 



2008年7月 8日

カンガルー島からのお客様

 

オーストラリアのカンガルー島という島から、お客さんがやってきた。

現地から5名の方々に、オーストラリア大使館の方。

引率してきたのは、菜種油をいただいている石橋製油さん。

つまり、彼らはオーストラリアのノンGMナタネの生産者たちである。

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訪問のお礼の挨拶とともに、

大地を守る会の概略説明をする藤田和芳会長 (右から二人目)。 


ここがカンガルー島。

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南オーストラリア州に属し、本土からの距離16km。 

州都アデレードから南西143kmに位置する。

開発や外来種からの影響を免れたため、オーストラリア独自の貴重な動植物の宝庫であり、

野生生物のパラダイスなどと言われる島である。

世界最古のミツバチ保護区もあるそうだ。

 

ここで彼らはノンGM (非遺伝子組み換え) のナタネを栽培している。

南オーストラリア州は、ナタネのGM栽培を禁止していたモラトリアムが解け、

どうやらGMナタネへの商業栽培が始まるようなのだが、

彼らは、カンガルー島という離島のメリットを活かして、

ノンGMの栽培を維持したいと考えている。

 

離島であるため、ここでは花粉の交配という心配もありません。

また自然環境の豊かさや生物多様性を守ることで、島の観光産業も支えていきたいのです。

日本で遺伝子組み換えに反対している消費者団体との関係を密にし、

互いに支えられる関係を築きたい。

 

私からは、大地を守る会の説明をするのに、

そもそもの設立の背景からお話させていただいた。

1960年代から進んだ日本の農業の近代化、農薬公害の発生、そして有機農業の発展の歴史。

それに対応しながら大地を守る会の活動や事業も深まってきたこと。

 

彼らの興味を引いたのは、生産者と消費者を具体的につないできた事業の歴史のようだった。

引き売りや団地での青空市から始まって、共同購入、そして戸別宅配、

さらには卸しやレストランなど、事業が拡がってきたこと。

まったくのゼロからスタートして、マーケットを開拓しながら、

なおかつ生産者と消費者の交流が、今でも盛んに行なわれていること。

 

来年の東京集会には我々も参加したい、という率直な感想に、

彼らが大地を守る会をどう見たのかが表現されているように思った。

 

皆さんがノンGMナタネを栽培し続ける以上、私たちもずっと応援し続けます、

と締めくくらせていただいた。

別れ際に記念の一枚を撮らせていただく。

南オーストラリアで種を守りたいと語る農民は、ごくフツーの快活な若者たちだった。  

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写真中央が、石橋製油の上野裕嗣さん。

ジャズが好きで、いつも加工品製造者会議や東京集会で遅くまで喋くり合ってしまう、

暑苦しい飲み仲間である。

 



2008年7月 5日

減反への怒り収まらず...

 

7月4日 (金) 。

米の生産者会議を終えて、残ってくれた生産者ら20数名と一緒に

佐原から高速バスに乗り込み、我々一行は霞ヶ関・参議院議員会館へと向かった。

用意されていたのは、減反政策についての意見交換会。

 

世界的に食糧が高騰し、米の国際需給も逼迫する中で、

日本では減反政策がさらに強化されている。

地域も、農民も、田んぼの生き物たちも、息苦しい圧力に押さえつけられている。

みんなの本音を国会議員にぶつけてみようじゃないか、という集まりだ。

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議員会館を用意してくれたのは、民主党のツルネン・マルティさん。

有機農業推進法の成立に尽力された超党派の議員連盟の事務局長でもある。


冒頭で挨拶するツルネン議員。

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「民主党も減反政策には反対しています。 しかし米の政策をどう進めるかは、

 まだまだ意見の分かれるところもあり、皆さんの意見も充分にうかがって、

 今後の政策づくりに活かしていきたいです」

ツルネンさんは最後まで残って、みんなの声を聞いてくれた。

 

まずは、秋田県大潟村 「ライスロッヂ大潟」 代表の黒瀬正さんが、

減反政策 (生産調整) の歴史や問題点を整理して語る。

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1969年、当初は米余り対策のための緊急措置として始まった 「生産調整」 という名の

減反政策が、恒常化する中で農民団体の態度も変化し、

絶対反対!を唱えていた人々が、いつの間にか周囲を監視し、減反を守らない農民を

糾弾する組織へと変わっていった。 お前が作るから米価が下がるのだ、と。

その生産調整を達成するために、莫大な補助金 (税金) が投入された。

しかもそのお金は自治体や地域単位に落とされたために、

集落の中に反目が起こり、相互監視、相互不信の状況が生まれていった。

地域共同体を崩壊させ、米を作ることを誇りとして生きてきた農民の主体性が否定された。

これこそが減反政策の最大の罪である。

 

さらに今日、原油や国際穀物相場の高騰に加え、穀物在庫率が減少するなかで、

米の (価格維持のための) 「緊急対策」 と称して、

生産調整未達成農家へのペナルティが堂々と政策として打ち出されてきている。

 

黒瀬さんの口調は段々と熱を帯び、司会者に 「時間がきたら止めてくれ」 と頼みながら、

喋るほどに怒りが増してくるようであった。

 

続いて戎谷から、米緊急対策の問題点を、いわゆる 「ペナルティ条項」 を中心に

解説・補足するとともに、流通および消費の観点から問題提起させていただいた。

 

こんな時代になってもなお、地域の共同性を利用して、みんなで手を縛りあう制度が

まかり通っている。 しかも地域によっては4割減反とかいう数字である。

経営に対する主体性が発揮できない。

水田の持っていた多面的機能が減退する。

共同体機能を使っているようで、実は破壊している。 人心を貧しくさせている。

民主主義の政策とは到底言えない。 これは変異の恐怖政治 (ファシズム) ではないか。

私の怒りも収まらなくなってきた。

 

そもそも40年にならんとする減反政策で、米価が守れたのか?

-答えはノーである。

 

流通の立場から言えば、すでに国内の米の在庫も極めてタイトになってきているのを、

どうも国は正確に把握できてないフシがある。

 

今年も各地で気候変動の影響が垣間見える。

今この国は、93年の米パニック前夜の兆候すら見せている。

そんな中で、農民の手をさらにきつく縛っているのだ。 

 

思いっきり、言ってみる。

-減反政策には、マーケティングがない!

  にも拘らず莫大な税金が使われている。

  流通・消費の立場からみても、断固として許しがたい愚策である。

 

政府は米の消費拡大キャンペーンにも力を注いでいると言っている。

曰く- 「食育の一環として、朝食欠食の改善を目指した 『めざましごはんキャンペーン』 を

      はじめ、米の消費拡大のための国民運動を効果的に進める」

下の写真が、それである。

6月18日、仕事中の移動で乗ったJRの電車で、中吊り広告を発見した。

見渡せば、車両まるごと買い取っている。

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しかも幾種類ものバージョンで制作されている。

  朝食を抜くと集中力が低下!

  ニッポンの朝に元気をとりもどそう。

  お父さん、家族そろって夕ごはんを食べましょう。 ・・・・・

 

広告主は農林水産省。 これが国民運動の実態なのか... 

この制作費は税金である。

特に最後のコピー。

夕食時に帰れたことのないオイラとしては、喧嘩売られた! の心境となる。

 

そこでこの場を借りて、もうひとつ、言い放ってしまう。

油や食品がどんどん上がり、一方で格差社会が拡がっている。

消費拡大というなら、広告代理店やJRに税金を落とすのではなくて、

まさに 「消費 (者) 」 支援に回すべきなのだ。

「食べましょう」 ではなくて、「食べることを応援」 することではないか。

そこで、国民への食料供給の安定のために、また生産力の維持と環境を守るために、

私は、国産米には消費税をかけない! というのを提案したい。

政治の仕事は、金持ちであろうが貧しかろうが、国民に等しく食べものを供給することだ。

しかも食べれば食べるほど、農業と環境が守られるのだ。

お笑いの提案かもしれないが、根幹を突いているとは言えないだろうか。

少なくとも、それくらいの想像力をもって政策づくりを進めてもらいたいものだ。

私は笑われてもいい。 しばらくは言い続けてみたいと思っている。

 

参加した生産者も、めいめいに怒りを語る。 あるいは苦しみを。

-認定農家を取り消すと脅されている。 取り消されたら借りた資金は繰り上げ償還だと。

-減反に協力しなかったことで、自治体からの有機への補助金が打ち切られた。

 

これはもう、おいそれとは引き下がれない。

私の腹の中は、斉藤健ちゃんへの弔い合戦のような火がついている。

 

最後に、おまけの2枚を-

10日ほど前に、5月に水路の掃除を手伝った福島県喜多方市山都を訪ねた。

棚田も健在で、稲が気持ちよさそうに風にそよいでいた。  e08070505.JPG

 

汗まみれになって泥を浚った水路には、しっかりと水が流れてくれていた。

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減反政策は、この風景にも、これを支えてきた人々の歴史にも、価値を認めていない。

 



2008年7月 4日

第12回 全国米生産者会議

 

7月3日(木)、千葉県は佐原市に全国から米の生産者が集まってくる。

大地を守る会の 「第12回全国米生産者会議」 開催。 今年の参加者は73名。

 

全国に散らばる大地を守る会の米の生産者が年に一回集まって、

栽培技術やら各地の最新情報やら農政やらを語り合って、

普段見れない他地域の仲間のほ場から何かを学ぶ、という貴重な機会になっている。

「この会議だけは外せない。 オレにとって一年分の活力を貰う場だから」

なんて言ってくれる生産者もいる。

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今回のゲストは、日本不耕起栽培普及会会長・岩澤信夫さん。 76歳。

耕すことが当たり前の作業体系にある日本の水田稲作の世界にあって、

あえて 「耕さない」 栽培技術の普及に努めてきた。

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不耕起栽培の詳細を解説するのは、ちょっと私の手に余るので省きたい。

安易に説明すると、かえって疑問が湧いてきたりするんじゃないかとも思うし。

とか言いながら、簡単に言ってしまうと......

あえて田んぼを耕さないことによって、作業 (コスト) の省力化をはかる。

耕さないので土が固くなるが、前年の切り株なんかが残っている上に田植えをすると、

苗は根を張ろうとして、固い土を突き進み、強い根と茎をつくるようになる。

耕さないために、その根穴の構造が残り、酸素も残り、

保水性も排水性もよくなる。 干ばつにも長雨にも強くなる。

前作の稲ワラや残渣を残すことで、土壌表面を覆い、風雨による土壌流出を防ぐ。

また、そのまま水を張ることで、ワラや残渣は土中ではなく水中で分解が進み、

プランクトンが大発生して生物が豊富になる。

害虫と天敵 (益虫) のバランスがとれると、害虫も悪者ではなくなる。

耕さないことで、メタンガスの発生が抑えられる。

-などなどの効果が語られている。

 

10年ほど前に岩澤さんの著書を読んだ時は、除草剤の使用が前提になっていて、

しかも具体的な商品・ラウンドアップが推奨されていたりして、疑問を感じたものだが、

その後、岩澤さんは冬に水を張る 「冬期湛水」 を取り入れることによって

乗り越えたようである。

冬期湛水によって、イトミミズが増えて、土の表面がトロトロになって、

雑草の種は沈んで発芽できなくなる、という仕組み。

 

なかなかいいことづくめのような話であるが、

実際には、そう簡単にどこでも誰でもうまくいくとは限らないようだ。

冬期湛水だって、どこでも勝手に水を引けるわけではない。

それにどうも、他の有機栽培の技術を全否定するような語り口は、気になるところだ。

たとえば-「畜産由来の堆肥には動物薬が含まれているので危険である。

       そんな堆肥を使った有機栽培の米は食べられない」

十把ひとからげ、である。

有機栽培の技術のなかには、繁殖牛の厩肥を使うという考え方がある。

肉として仕上げる肥育牛と違って、子牛を育てる繁殖牛は、

粗飼料 (牧草やワラなど) 中心で育てられ、それを五つの胃袋で反芻して

乳酸菌を増やしている。 当然糞には乳酸菌が多く含まれている。

これに米ぬかを混ぜると乳酸菌はますます増える。

乳酸菌は雑草の繁殖を抑える効果があると言われている。

 

しかし耳学問でしかない私などは子供のようで、そこはプロの生産者たち。

「まあ参考になるところは取り入れさせていただく、ということかな」

冷静に読み取ろうとしている。

毎回こんなふうに、いろんな講師を招いては、各自各様に研鑽を深めてくれている。

 

今回の受け入れ産地となった佐原自然農法研究会の面々。

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代表の篠塚守さん (左端) も冬期湛水に取り組んだが、

野鳥が増えたと同時に猟師までも集まってきて、

危険だといわれて止めざるを得なかった、とのこと。

こういう生々しいゲンバ的な話題で盛り上がるのも、生産者会議ならではである。

 

米会議の夜は、「日本酒」 である。

しかし、良い酒は悪酔いはしない。

 

翌日は、ほ場視察。

不耕起・冬期湛水を実践する藤崎芳秀さんの田んぼを見学する。 

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アカガエルがたくさんいる。

イチョウウキゴケの姿もある (左上のV字型の浮き草) 。

ともに千葉県レッドリストでの最重要保護生物 (絶滅危惧種1類) に指定されている。

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びっしり繁茂しているのは、アゾラ (アカウキクサ) 。

窒素を供給してくれる 「水田の大豆」 とも言われている。 

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一般栽培の田のイネを抜いて、比較する岩澤さん。

たしかに力強い。

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みんなが何を持ち帰ったのかは、これから産地を回りながら確かめることになる。

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最後は、香取神宮を参拝。 豊作を祈願して、解散。

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来年は、福島での開催となる。

再会を約束して別れる。 「負けねぇぞ」 の競争心を秘めてね-

 

そして実は、今回は解散後にもうひとつの仕掛けがあって、

僕は20名くらいの生産者を連れて、今度は東京・霞ヶ関へと向かったのであった。

 



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