戎谷徹也: 2008年11月アーカイブ

2008年11月30日

六ヶ所を思いながら、河原のお掃除

 

今日は、東京・上野の水上音楽堂で、

『 STOP再処理工場 LOVE六ヶ所村 

  放射能を海に大地に捨てないで!  秋の大収穫祭 

というイベントがある日なんだけれど、

僕は、埼玉の奥武蔵の一角で、地元の人たちと地域の一斉清掃に出たのでした。

普段まったく地元に貢献できてないものだから、

こういう作業日は大事にしないといけなくて、

しかも今年は、自治会の班長さんにもなっているので、立場上、外すワケにはいかない。

どうか許してほしい。

 

たくさんのアーティストや著名人も集まって、賑やかに行なわれることだろうか・・・

とか想像しながら、せっせと草取りやゴミ拾いに精を出す。

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河原の清掃は、男たちの仕事。

今日は高校生の若者 (写真右端) も手伝ってくれて、

ご近所のお父さんたちの表情も何げに明るい感じがする。

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こういう作業もやってみれば、地域の自然や環境への愛も生まれたりする。

 

集会にもパレードにも参加できなかったけど、

これでも連帯しているつもりなのであります。

 

今日は人がうるさく動いたもんだから、ダイサギも何処かへ飛んで行ってしまった。

そんな師走前の一日でした。

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2008年11月29日

お正月飾りと、減反裁判

 

今年も間もなくせわしない師走に突入しようかという、11月29日。

ひと足お先に、新年を新しい気持ちで迎える準備に入ります。 

しめ縄に、思い思いのお正月飾り付けをしましょう。

そんな 『 新しい一年を迎えるために ~お正月飾りを作ろう~ 』

という楽しい会が開かれました。

 

主催は、大地を守る会の消費者会員さんたちが自主的に運営する 「だいちサークル」

のひとつである 「手作りサークル・くりくり」 と 「割烹着の会」 の共催。

なんでそんな会にむさくるしい男が・・・・と思うでしょうか。

ポイントはこれ。 提携米研究会で販売するしめ縄、です。

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今日は、このしめ縄を土台にして飾り付けします。

加えて、このしめ縄には物語がある!のです。 というわけで呼ばれたのでした。

 

場所は、墨田区立花、旧中川 (今は荒川の支流になった古い川) 沿いの

 「立花大正民家園 」-旧小山家住宅 。

大正時代に建てられ、震災や戦争にも耐えて当時の住居構造や風情を残してくれた

貴重な都心の民家 (小山家) を区が買い取って、一般公開している。

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その奥座敷を借りて、和気藹々とお正月飾りを楽しむ一席が設けられたのです。 

 


こんな風情です。 

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住居はけっして豪奢にはせず、

庭にその  " 粋 "  を感じさせる。

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調度品も余計なものは置かず、シンプルさの中に暮らしの堅牢さを求める

古きよき時代の美学が、そこはかとなく漂っている。

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僕の四国の実家も未だに古い家 (昭和初期ですが) で、こんな間取りだなぁ。

屋根裏で青大将と鼠が争っていたりする環境がイヤで、

若い頃はモダンな住宅や都会に憧れていたものだ。

でも、なんだろう、このゆったりとした懐かしさは・・・・・

 

正月飾りの指導をしてくれた遠藤さん (下の写真、左端) は、

私の記憶が確かならば、大地の共同購入発祥の時代からの人のように思う。

(恥ずかしくて聞けなかった・・・)

 

その遠藤さんが、みんなが静かに飾り付けにいそしんでいる時、

ガラス戸が風に揺れてカタカタと音を立てたのに視線をやって、呟いた。

「ああ、懐かしいわねぇ。 昔はこんなふうに、風で戸が揺れたのよね」

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............で、僕も気恥ずかしさを忘れて、正月飾りに参加する。

 

これは割烹着の会代表のYさんの作品。 優しさというか、気品を感じさせます。

大地を守る会総会でもこんな感じでお願いしたいものだけど・・・

スミマセン! 「甘ったれるんじゃないわよ」 ですね。

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私も不器用な指を駆使してやってみましたが・・・まあまあ、かしら。

エビ家の注連飾りの完成です! ★ ○つ!

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さて、注連飾りの完成後に、

このしめ縄の物語というか、背景を少し話をさせていただいたのです。

 

品種は 「みとらず」 と言います。 しめ飾り専用の古代米(赤米) です。

実を取らない、つまり青刈りして、ていねいに天日で干して、

きれいな緑色の乾燥ワラに仕上げます。

今でも関東の神社では、このイネを育てているところが残ってます。

生産者は、筑波山の麓・茨城県八郷町の高倉弘文さん。 元宮司さんです。

僕ら ( 当時の「提携米ネットワーク」 ) が、1994年、

あの米の大冷害と米パニックと呼ばれた騒動 (1993年) のあと、

減反政策は国民の生存権を奪う憲法違反の政策だと、

1000人を超す原告団を結成して農水省を訴えて裁判闘争に打って出た時、

その資金集めに協力してくれたのが、このしめ縄だったのです。

「これで裁判費用をつくりなさい」 -そんな宮司さんがいたのです。

編む人の手が荒れてはいけないと、無農薬で育ててくれています。

一個々々、手で編まれたしめ縄です・・・・・

 

あの裁判闘争を思い出して、一瞬、泣きそうになってしまった。

原告団は、毎回の裁判で色んな視点から減反政策の誤りや愚かさを訴える

意見陳述を展開する手法をとった。

僕は95年4月の第2回公判で、環境の側面から訴えた。

僕の人生で裁判所で喋ったのはあの時だけだ。

緊張ではなく、自制できない昂ぶりを覚えて、声も体も震えが止まらなくなった。

「未来の子どもたちの生存権がかかっているのだ!」 と叫んだことを覚えている。

原告団長の石附鉄太郎さんは、もういない・・・・・

 

懐かしい・・・なんて言ってはいけない。

減反政策は、今も続いている。 

それどころか、今の農水省の文書には、はっきりと

 「生産調整(減反) に協力しないと補助金が下りない (ことがあり得る)

と明記されているのである。

あの裁判の時は、

「生産調整は農家の自主的な判断によっている (強制はしていない) 」

と強弁していたのを僕は忘れてはいない。

食糧危機の時代に、こんな政策が今もまかり通っているのである。

 

久しぶりに対面したしめ縄は、まだその力を失っていなかった。

正月に、いい加減に飾り付けてしまったしめ縄を眺め、

僕は 、「たたかいは終わってないぞ」 と叱られるのだ。 きっと。

 

これは罠だ、今日の出来事は・・・・・とか思いながら、

自分の作品を抱えて古民家をあとにしたのだった。

 



2008年11月26日

遺伝子組み換え(GM) 論争の隘路

 

いつもコメントを寄せてくれる てん さんへ。

 

いつも拙いブログを読んでいただき、有り難うございます。

実は・・・・先だってのパソコンの故障と代替機へのデータ移管のドタバタで、

一件のコメントが入っていたのに気づかず(11月3日付記事)、

確認とアップがたいへん遅れてしまいました。 申し訳ありません。

この場を借りてお詫びいたします。 お返事も書きましたので、ご確認ください。

こちら、まだ代替機のままで仕事をつないでおります。

 

てんさんには、10月16日付の日記 (「遺伝子組み換えで食糧増産というロジック~」)

についても、貴重なコメントを頂戴していましたね。

インドでのGM綿花栽培で起こった出来事、それによって農民の暮らしが奪われたこと。

ベトナムでもインドの事例が伝わればいいのに、という感想でした。

僕はてんさんへのお返事の中で、ベトナムのⅠさんには、

インドの物理学者、ヴァンダナ・シヴァさんと接触してみてはどうかとメールしたこと、

またⅠさんもシヴァさんのことはご存知で、お会いできる機会を見つけたいと仰ってたことを、

お伝えしました。

 

さて、その後ですが、

先日Ⅰさんから送られてきたベトナムでのニュース・サマリーによれば、

残念ながらベトナム政府は、やはり本気でGM作物を推進したいようです。

サマリーは英語なので読むのに時間がかかりましたが、

GM品種によっていかに農民が儲かるか、というような政府機関(研究所?)の試算が

出されていました。 導入が企図されている作物は、大豆、とうもろこし、綿花です。

そしてここでも、推進理由は収量の増加と " お金 " です。


除草剤を撒いても枯れない種、害虫が食べたら死ぬ種、

特定の企業の特許品となった種を、特定の企業の除草剤と一緒に買い続ける。

これが農民にとっての遺伝子組み換え作物栽培の宿命になりますが、

それで本当に農家の暮らしが豊かになるのかは検証されることがなく、

たまさかの経済性と安全性でしか語られることがありません。

その作物は、種自体が食用に回るものなのに。

 

そしてその種は、生態系からの免疫反応 (抵抗性の獲得) に応じて

(技術革新の名で) リスクを高めてゆく技術でもあって、

誰も未来を予知することができない種に、未来を託そうとしていると言えます。

種というのは生命の根源です。

また「未来」 とは空想の時間ではなくて、私たちの子や孫の暮らしのことです。

 

つくづく思うことは、この論争には 「中立的科学」 が存在していない。

推進派の論理はいつも、「安全である」 と

「生産コストが下がる」 「生産量が上がる」=儲かる、に尽きるといってもいいでしょう。

加えて 「食糧危機や飢餓を救う」 という暴論がくっついたりします。

交雑による生態系への影響や生物多様性の問題は、

「実質的に同等なんだから」 これまでの品種交配と同じ、とかたづけられます。

一方で反対派の論は、

「安全とは言い切れない(将来的にはリスクは増す)」 であり、

「実質的同等性」 は科学とは言えない代物で、

「種子の交配による生態系のかく乱は環境や食糧生産の不安定化をもたらす」 であり、

「多国籍企業による種子支配による農民の隷属化」 (飢餓の拡大) です。

 

私は紛うことない反対派の人間で、上記の論点に加えて、

「人々の、そして地域の主体性や文化の喪失(=暮らしの不安定化)」

といった観点も大事にしたいと思っています。

 

食べ物の安全性というのは実験室で証明できるものではない、と思っています。

人類の長い歴史のなかで検証され、日常の食としてその地域で選択されたもの、

それは最も実直な 「科学」 的土台に基づいていて、

しかも地域の環境や風土にマッチした 「食文化」 として存続してきたものです。

科学的立証というのは、生態系 (生物) を相手にした場合には、

時間のかかるものだと心得るべきです。

しかし今、GM食品はまるで短兵急な人体実験にかけられているも同然の状態です。

実験なら追跡調査が必要ですが、それはまったくもって不可能です。

 

例えば、ロシアのエルマコバ博士のラット実験 (GM大豆による死亡率の増大) や、

ブシュタイ博士の実験は、弾劾されこそすれ、再試験は行なわれていません。

一方で審査に出されるデータは推進企業のものだけで、

時に不都合なものは伏せられていたことなども、後になって発覚したりします。

民主主義を標榜するアメリカでも、批判的なデータを提出した学者は、

その後研究費も出なくなり、左遷されたような話が聞こえてくる。

こと遺伝子組み換えに関して言えば、科学は健全に機能していない。

正確には、中立的に科学的判断をする機能がないのです。

推進しているのは施政者と企業、反対しているのは農民と消費者という図式のなかで、

科学者のどの論を採用するかは、まるで自己責任の世界。

結果的に、すべてのリスクは消費者がかぶることになります。

議論の最初から隘路(あいろ) に入り込んだ、不健全なテーマとしか言いようがありません。

 

有機農業を推進する立場からは、もうひとつの論があります。

「そんなうっとうしいものは、不要である。 頼る必然性もない」

-要するに 「なくても問題ない」 。 これが僕の結論です。

 

話が長くなってしまったついでに、他の海外の情報もお伝えしておきましょうか。

韓国では、消費者の知る権利および選択権の保障強化のために

GMOの表示対象を拡大して、GM農産物を使用したすべての加工食品に表示を義務化する

表示改定案が出されています。 11月まで意見を募集して最終決定するとのこと。

韓国のほうがずっと骨太の感あり、です。

また以前にお伝えしたオーストラリア・西オーストラリア州の、

9月に行なわれた州議会選挙は、なんと

GMモラトリアム継続を公約にした与党・労働党と、野党・自由党が

議員を半々に分け合うという結果になりました。

厳しいつば競り合いをやる国は、最後にしたたかな戦略を作り上げたりします。

健全な論争が必要なのです。

こういった動きは、ほとんど報道されませんね。

 

そういえば先般来日して温暖化対策を訴えた英国のチャールズ皇太子も、

8月に 「GM食品は史上最悪の環境災害を招く」 と発言して、

英国内での論争に一石を投じました。

その後の経過は知りませんが、こういうのこそ民主主義の底力なのではと感じたものです。

チャールズ皇太子はご自身の農場で有機農業を実践しているとか。

GM問題に対する判定は社会あるいは未来に委ねたいと思いますが、

今どっちを選択するかは、ギャラリーが多いほど適切な方向に向かうはずです。

 

冒頭に紹介したインドの物理学者で環境活動のリーダーでもある

ヴァンダナ・シヴァ博士は、こんなことを語っています。

 

   遺伝子組み換え作物と食糧をめぐる対立は、「文化」 と 「科学」 の間での対立ではない。

   それは二つの科学文化の間の対立である。

   ひとつは透明性と公的説明責任と環境と人々に対する責任に基づく科学であり、

   もうひとつは利潤の問題と、透明性と説明責任と環境と人々に対する責任の欠如に

   基づいている科学である。

 

   遺伝子工学が解決策を提示している多くの問題に対する答えは、

   すでに生物多様性が提供している。

 

   農民は何を栽培するかを選択する自由を奪われ、

   消費者は何を食べるかを選択する自由を奪われる。

   農民が、生産者から、企業が持つ農業製品の消費者に変身させられる。

                                  (『食糧テロリズム』/明石書店刊より)

 

   たとえば社会が環境問題に直面するにつれて、疫学、生態学、進化生物学、

   発生生物学が必要となる。 生物多様性の衰退の危機に対応するためには、

   微生物、昆虫、植物などの特定の分類集団についての専門知識が必要である。

   有用なもの、必要なものを無視し、利益をもたらすものにしか目を向けなくなった瞬間、

   わたしたちは知的多様性を創り出す社会的条件を破壊しつつある。

 

   農民の利益は人びとの生存のためだけでなく、国家の生存のためにも必要である。

   農業共同体が種苗の遺伝子資源に主権を持たなければ、

   国家が主権を持つことはできない。

 

   生物が本来的に持っている創造性。

   それが生物を進化させ、英気を養わせ、再生させる。

                     (『生物多様性の保護か、生命の収奪か』/明石書店刊より)

 



2008年11月23日

「田んぼの生きもの調査」 が世界に広がっている

 

東京・大手町のJAホールで、

「第5回 田んぼの生きもの調査 全国シンポジウム」 が開かれる。

3連休の真ん中ということもあってか、参加者は120名ほどで、

ちょっと主催者 (NPO生物多様性農業支援センター) も拍子抜けした様子なのだが、

まあ閑散と感じてしまうのも、会場が広いから仕方ない。 

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しかし、田んぼの生物多様性を語る思想の今を知るには

格好のキャストが集まっていたし、

前回の日記で紹介した佐渡の斉藤真一郎さんとも再会できて、

僕にとってはけっこう収穫の日曜日だった。

 


この日は、まずは完成したばかりのドキュメンタリー映画

『 田んぼ -生きものは語る- 』 の上映から始まった。

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田んぼに生きる生物たちが織りなす、食べ合いかつ共生する曼荼羅の世界が、

丹念に描かれている。 映像も美しい。

 

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いや、生命が美しいのだ。

生物相の多様性が、人間のいのちを支えている、

そんな世界を伝えたいとする制作側の意欲も感じ取れる。

ただ性格の悪い私には、ちょっと " 文部省推薦 " 的な作りが気になるところではある。

田んぼの生きもの調査が切り拓こうとしている世界は懐古ではないのであって、

もっと斬新な構成へのチャレンジがあってもよかったような気がするのだが・・・

ま、とはいえ、相当な時間を費やして完成した労作ではある。

制作委員会の尽力には敬意を表しなければならない。

この映画のDVDの販売に 「大地さんには500枚はお願いしたい」 とか言われて

うろたえたのではあるけれど・・・・・

 

基調講演では、日本雁を保護する会会長の呉地正行さんから、

先ごろ韓国で開かれたラムサール条約COP10で採択された「水田決議」の意義と、

アジアモンスーン地帯における水田の生物資源生産の豊かさ (多様な活用) が報告された。

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「田んぼ」は、食糧生産と生物多様性の両立を当たり前に支える永続的な装置として

描き直される時が来ているのだと、改めて確信する。

 

お昼には、「佐渡トキの田んぼを守る会」 の生産者が育てたお米による

おにぎりが販売され、つい3パック (6個) も買って、食べてしまった。

 

午後は、3名の方による講演。

いずれも、過去に大地を守る会のお米の生産者会議や東京集会に呼んだ方々で、

僕らが目指そうとしている方向としっかり重なっていることも確認できた。

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それぞれの演題と講演者。

「田んぼの生物多様性指標のねらい」 -桐谷圭治さん。

「田んぼの生物多様性をどう活かすのか」 -岩渕成紀さん。

「百姓の世界認識と農業技術の橋渡し」 -宇根豊さん。

 

詳細は省かせていただくが、それぞれの立場で、田んぼの生きもの調査を

戦略というか未来構想の中に位置づけられていた。

三者の熱い語りを聞きながら、それらのすべてを頂いて進化させたいと思う。

桐谷さんと宇根さんについては、過去にも紹介しているので、

以下、お時間があれば-

 ● 桐谷圭治さん (07年7月15日、同7月18日)。

 ● 宇根豊さん (07年8月7日、同8月29日08年3月1日)。

駄文だけれど、お二人の功績の一端でもイメージしてもらえたら嬉しいです。

 

今回の報告の中で、「う~ん」 と唸って、悔しくなったことがひとつ。

11月4日のラムサール会議で、水田の価値が再認識された 「水田決議」 を、

日本では、どの報道機関もほとんど取り上げなかったけれど、

主催国である韓国では、生物を育む貴重な湿地-「田んぼ」から獲れたお米が、

商品化されて注目を浴びているのだと言う。

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映し出されているのが、そのお米のパッケージ・デザインである。

 

田んぼに生きる虫の意味を世に問うた宇根さん。

ただの虫の存在に光を当てて次世代の農業理論を提唱する桐谷さん。

生きもの調査から 「神がそこに居る」 とイトミミズへの眼差しを伝えた岩渕さん。

彼らの手で再構成された思想と手法が韓国に飛び火して、スポットライトを浴びている。

この国は、未だ減反政策すら乗り越えることができず、「汚染米」 で混乱している・・・

もっと、もっと、前に進みたいものだ。

 



2008年11月19日

トキの舞う田んぼ

 

佐渡から柿 (平核無柿) を頂いている生産者会員、井川浩一さんは米も作っている。

不耕起栽培に挑戦するなど、生き物の豊かな田んぼづくりを目指してきた。

仲間と一緒につくったグループの名は 「佐渡トキの田んぼを守る会」 という。

 

今年の9月25日、トキの野生復帰を願って10羽のトキが放鳥されたことは、

多くの新聞報道などでご存知の方も多いかと思う。

遡れば2003年10月10日、日本生まれの最後のトキ-「キン」が亡くなって、

国の特別天然記念物 「Nipponia nippon」 の日本トキは絶滅したのだったが、

その後は中国から贈られた同種のトキを人工繁殖させ、増やしてきた。

そしていよいよ自然に放す段階へと至ったのだけれど、

それはトキをトレーニングすればすむことではなく、とても厄介な問題があった。

トキの生活を支えるだけの餌 (場) 、フィールドと生態系の再生が必要だったのだ。

トキと一緒に暮らしていた世界を取り戻す作業が-

 

井川さんたちは、それに挑んだのだ。

耕作が放棄されて荒れた棚田を復元し、平場では冬季湛水 (冬にも水を張る)

によって生物相を豊かにさせる。 そして何よりも、農薬を減らす。

「佐渡トキの田んぼを守る会」 の結成は2001年。

新穂村 (現・佐渡市) の呼びかけに応えた7名の農民によって始まった。

村が呼びかけるまでには、環境保護団体やNPO、そして環境省の

地道な活動と働きかけがあったことを、僕も多少は知っている。

 

守る会会長の斉藤真一郎さんからお借りした写真をいくつか掲載したい。

まずは会のメンバーの笑顔から。

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真ん中が井川浩一さん。 その右隣、爽やか系の方が斉藤真一郎さん。

佐渡の産地担当・小島潤子の報告書には、

会長曰く-「8000人の中から7人の侍が手を上げた」 とある。

 


9月25日のトキ放鳥記念式典の、記念すべき一瞬の様子もお借りした。

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秋篠宮殿下ですね。

 

田んぼの畦塗り作業。

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- というより、江をつくっている作業か。 今ふうに言うと 「ビオトープ」?

 

米ヌカを撒いている。 代かき後、田植え前に撒くのか・・・今度教えてもらおう。 

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そして田植え。

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大勢でやってますね。

支援団体は、NPO法人 「メダカの学校」 だと聞いている。

 

「田んぼの生き物調査」 風景もある。

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無農薬の田んぼの力を実感できる、これは 「科学的手法」 なのだ。

虫がいない田んぼは、害虫が増えやすい田んぼであることを知ることにもなる。

 

そして、ここでこんな報告をしているのもワケがあって、

実は今年産から、彼らのつくった米を販売する形で応援できる運びになったのである。

この話は僕自身にとっても、けっこう感慨深いものがあって、

僕は6年前 (2002年)、佐渡での生産者の集まりに呼ばれたことがあったんだよね。

 

場所は長安寺というお寺。 車座の座談会だった。

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これから本格的にトキの棲める田んぼを広げていこうかという状況の中で、

「そんな (無農薬とか) 危険なことして、それで米は売れるんかい?」

 という村人たちの疑問が噴出していたようで、

仕掛け人の一人でもある 「里地ネットワーク」 という団体から呼ばれて

呑気に出向いたのだった。

 

島の中で不耕起栽培とか合鴨農法とか減農薬とかに取り組んでいる生産者を集めて、

それは可能であること、そして売れるんだということを伝えたかったんだろう。

僕はその 「売れる」 というメッセージの発信を託されたわけだ。

しかし何故か、どうも腑に落ちない感じがしていて、つい生意気なことを喋ったのだった。

あの当時、葛飾柴又にフーテンの寅さんの銅像が建つという話題があって、

それがシャクに障っていたこともあって、こんな話をしてしまったのだ。

 東京では、柴又駅に寅さんの銅像が建つと騒いでいます。

 しかし、俳優の渥美清さんは亡くなったけど、寅さんはいつ死んだんでしょう。

 柴又の人たちが寅さんを愛しているのなら、寅さんを死なせてはいけない。

 寅さんをいつでも迎えられるよう、街並みや人情を残すことではないでしょうか。

 墓標なんかつくらないで、帰りを待つことが寅さんと一緒に生きることだと思う。

 皆さんが、トキを観光や商売の道具に使いたいのなら、私は関心ありません。

 皆さんは、かつて害鳥とも言われたトキと、本当に共存したいんですか?

 

あの時、

「俺は本当にトキが飛んでいた佐渡を取り戻したいと思っている」 と語った一人が

斉藤真一郎さんだったように記憶している。

 

里地ネットワークの事務局長、竹田純一さんに案内されて回った棚田。

こんな感じだった。

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棚田を復元するのは手間のかかる仕事だ。

これでいくらになるのか、と誰だって思うことだろう。 本気でないとできないよ。

 

放鳥を待つトキたちがいた。

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あの当時は、なんでこうまでして.........と感じたものだが、

トキという存在が島を動かしたのなら、この鳥は現代の 「青い鳥」 かも知れない。

 

美しい棚田、そこで人の脇に佇む、あるいは里山の空を舞うトキの姿が、

彼らの心からの誇りになれば、嬉しい。

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そういえば、渥美清さんは俳人でもあった。

俳号は 「風天」(フーテン) である。

 

  案山子(かかし) ふるえて風吹きぬける

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

 

風天の句では、こんなのも残されている。

 

  夢で会うふるさとの人みな若く

  蛍消え髪の匂いのなかに居る

  切干とあぶらげ煮て母じょうぶ

 

  名月に雨戸とざして凶作の村

  ポトリと言ったような気する毛虫かな

 

  お遍路が一列に行く虹の中

 

                    ( 『風天 -渥美清のうた』/森英介著・大空出版刊  より )

 



2008年11月16日

全国 「たんぼの学校」フォーラム in ちば

千葉県は南房総の内房側の下の方、

館山の北に位置する富浦という町 (現・南房総市) に行ってきた。

そこに館山湾と富浦湾を分ける岬 -大房 (たいぶさ) 岬がある。

 

江戸時代末期、黒船の来航に備えて要塞が築かれ、

その後は陸軍が首都・東京を防御するための基地として占拠した。

終戦まで一般人は立ち入り禁止とされ、それがかえって自然を残す結果ともなったようで、

現在は自然公園になっている。

軍事施設の跡地もいろいろと残っていて、貴重な歴史遺産の地でもある。

 

その一角にある 「大房岬少年自然の家」 。

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ここで15日から一泊二日で

『全国 「たんぼの学校」 フォーラム in ちば』 なる催しが開かれた。 

 


主催は、社団法人 農村環境整備センター。

10年前に 「田んぼの学校」支援センターというのを設置して、

各地で実践される稲作体験や関連しての環境教育活動を支援している。

現在センターには100を超えるグループが登録されている。

そこで7年前より、グループ同士で交流し情報交換を行なうフォーラムが

開催されるようになった。

発案者の山口県からスタートして、茨城、宮城、広島、栃木、福岡と続いて、

今年は千葉県での開催となったものだ。

ついては、県内で活動しているグループのひとつとして、

大地を守る会の稲作体験の活動報告をしろ、とのお声が掛かったのである。

 

実は我が「稲作体験」を実施してきた母体である専門委員会 「米プロジェクト21」 も、

支援センター開設当初から登録はしてあったのだけれど、

地域をベースに学校や自治体と組んで活動するグループが主体という印象があって、

フォーラム等のイベントにはあまり積極的には参加していなかった。

どちらかというと有益な情報収集を期待しての登録だった。

 

俺たちが呼ばれていいのかな、という戸惑いも正直あったのだが、

こちらの活動も、田んぼの生き物調査や夜の自然観察会(蛍見会) など

年々深まってきてはいるし、今年は特に 「有機農業推進法」 のモデル地区となって、

体験田も生産者と消費者の交流モデル事業として、また有機稲作の実証ほ場として

指定を受けたりもしてきているので、少しは報告させてもらってもいいかな、

という気分で参加させていただいた次第である。

 

参加者は全国各地から40名ほど。

発表者は、千葉県内から4グループ。

そして青森から山口まで、10年以上の歴史を重ねてきた団体が8グループ。

地元で様々な環境活動を展開するNPOあり、あるいは大学や小学校あり、

山村の集落全体で取り組んでいる活動あり、なかなか多彩な顔ぶれだった。

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県の機関と学校・NPOが連携して農業体験学習やホタル保全活動に取り組む事例、

地域の自然と文化を守る活動から都市住民に体験学習をプログラムしている事例、

元小学校の校長先生が始めた「農業小学校」、

大学の先生と学生が中心になって地域の学校や住民と交流を深めている事例、などなど。

県全域を対象にメダカ保全活動に取り組んでいたら、今ではドジョウがメインになってきた、

なんて楽しい報告もあった。

子供たちがたくさんの 「いのち」 に触れ、何かを学びとる。

そんな貴重なフィールドとして田んぼを愛し、活かそうとする人たちのネットワークが、

こんなふうに広がり、つくられてきている。

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「地域の人や子供らが楽しんだり喜んでくれるのが嬉しい」 と語る人たち。

みんなボランティアである。 

初めての参加で、「メジャーな団体」 なんて紹介されて、とても恥ずかしかった。

 

朝、公園内を散歩する。

展望台から浦賀水道を眺望。

霞んで水平線に見えるあたりに三浦半島がある。

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首都防衛という重大な任務を背負わされた歴史の残影を静かに残す岬。

この展望台に、その昔、でっかい大砲が鎮座していたのだ。

 

こんな地下壕も残っている。

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奥に進むと、天井がなく、ぽっかりと空が見える空間にぶつかる。

エレベーターまで装備された地下要塞だったことが窺える。

コンクリも当時の最高品質のものだと解説があった。

岬内には発電所まであったそうで、海岸には魚雷艇の発射場も残っている。

一見自然のままに見える岬が、

ひと皮剥けば国家の最高機密に属する砦だったわけだ。

想像力が刺激される。

 

今は健全な青少年が利用する自然公園。 バナナ発見。

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全国の 「田んぼの学校」 指導者たちと、互いの経験を語り合い、情報交換し、

刺激を与え合った二日間。。。

「大地を守る会の稲作体験」 は来年、20周年を迎える。

最近 「しんどい」 をキャッチフレーズとする誰かさんは、

今回同行してイメージをさらに膨らませてしまった若いスタッフから、

だいぶ煽られることになるような、そんな予感に早くも震えたのだった。 

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2008年11月14日

木を植え続ける人々

11月3日のブナの植林の写真が、

生産者の黒瀬正さん (秋田県大潟村/「ライスロッヂ大潟」代表) や

参加された方々から送られてきたので、アップさせていただきます。

皆さんから 「腰の具合は?」 とご心配いただいたり、

「いっぺん検査せい!」とお叱りを受けたりで、大変嬉しゅうございました。

でも写真を見ると、つい悔しさもこみ上げてくるのでございます。

 

木を植え続ける人々。

植林風景.JPG

毎年々々11月3日に欠かさず植え続けて、16年。

植えた苗木が延べ1万3400本。 樹種もブナだけでなく、ミズナラ、トチ、カツラなど

広葉樹の混交林に育ててきている。 

最初に植えた苗はもう10メートルを超えるまでになった。

 


集合風景。

ハンドマイクを持って説明しているのは、

「馬場目川上流部にブナを植える会」 会長の石川雄一さんだ。 

お元気そうで何より。

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心配された天気も何とか持ったようで、よかった。

 

大地を守る会の応援隊も頑張ってくれました。 

苗木を植えているところ.JPG

 

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皆様、お疲れ様でした。

この子たちが大きくなった頃には、立派な森になっていることでしょう。

時々でもいいから、これからも来てみようね。 

 

16年に及ぶ活動の中で、この森は水源涵養保安林として指定された。

植えられたブナが将来大木に成長し、水田や畑を潤し、

人にも動物にも豊かな恵みを与え続けてくれることを願わずにはいられない。

 

森を育てる作業は、植えるだけでなく、春の雪起こしから測量・植栽準備、

夏の下草刈りなど 色々ある。 すべて生産者たちのボランティアである。

それも、彼らのつくったお米を普通に食べることで持続できているのだ。

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僕らは、この森の恵みを頂き、また食べることで支えている、とも言えるんだよね。

 



2008年11月12日

"ニッポンの食の安心" を考える工務店

腰痛も時折の衝撃程度に治まってきた先週末、

今度はパソコンがいかれてしまった。

何とか代替機にデータを移し変えて作業を復旧したところである。

すっかりコンピューターに支配されてしまって、しかも手も足も出ない我が身の情けなさよ。

一方で、こういう時のシステム担当の方が神様・仏様に見えてくる。

拝み倒しながら、腹の中では 「忌々しい時代になったことだ」。 ブツブツ・・・・・

 

-とか何とかボヤイたところで、お構いなしに働かされ続ける私。

先週の土曜日(11月8日)には、東京・中野サンプラザの研修室にて、

自然住宅でお付き合いいただいている河合工務店さんが主催する

「暮らしのセミナー」 で講演したのだが、タイトルが恐ろしい。

『日本の食の安心、安全を目指して-』

ニッポンの~ かよ。

この不安渦巻くご時勢に、よくぞまあ、こんな大胆なタイトルの講演を引き受けたものだ。

-と日が近づくにつれ緊張も高まり、直前ギリギリまで

パワーポイントでの講演用スライド資料づくりにかかったのだった。

自分のノートパソコンを使って。

もったいないので、このネタで一本書き残しておきたい。

 


話した内容を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいが、

要約すれば、こんなことをお話させていただいた。

 

今の食べ物生産をめぐる状況は、グローバリズムと低価格競争のなかで、

モラル・ハザード (危機) が激しく進行している。 危機というより崩壊に近いかもしれない。

正直にモノをつくることができなくなってしまったのだ。

また食は環境と密接につながっているのだけれど、

これも今一瞬の利益確保のために後回しにされ、

私たちの命を支える地球の生態系は、その生命力の土台ともいえる多様性を失いつつある。

そして消費者には食についての正確な情報が遮断されてしまっている。

" つくる人 " と " 食べる人 " の分断が、 " 安心の喪失" と " 安全の後退 " を

ひたすら深めてきたと言えるのではないだろうか。

私たちは誰 (何) とつながるのか、衣・食・住の観点から見つめ直す必要があるのではないか。

そして暮らしのネットワークを築き直したい。 それは私たちの手でできることである。

作り手の誇りや責任感やモラルを支える消費があって、

暮らしを支え合うネットワークの中でお金も一緒に回れば、

エンゲル係数は上がるけれども、安心は揺るがず私たちの中にいてくれるはずだ。

それはまた未来の環境を守ることにもつながっている (無駄な税金も要らなくなる)。

 

土曜日の夜に100人近い人たちが集まってくれて、

最後までしっかり聞いてくれて、終わった後も懇親が続いて、

お別れしたのは11時を回っていた。

腰痛も忘れさせてくれた、けっこう熱いセミナーだったなぁ。

こういう人たちをつなげている主催者、河合工務店さんのポリシーにも唸らされた。

「地元 (何かあったらすぐに駆けつけられる距離) の方からしか注文を受けない」

地産地消の工務店なんだという。 名刺には 『我が街と共に歩む』 と刷られている。

こうやって暮らしのネットワークが、ひとつまたひとつとつながり、広がっていくことに、

「希望」 という言葉を重ねたいと思うのだった。

 



2008年11月 4日

三番瀬クリーンアップ08

 

さる10月26日(日)。

東京・丸の内の 『フードアクション ニッポン』 の出店応援に行った日、

船橋・三番瀬海浜公園では、恒例の 『三番瀬クリーンアップ大作戦』 が行なわれた。

本来ならこっちに来る予定だったのだが、

エビはいなくても何ら支障なく、こちらも楽しく行なわれたようである。

遅ればせながら、スタッフから写真が届いたのでアップしておきたい。

 

開会式風景。 おや、船橋は小雨模様ですね。

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挨拶しているのは実行委員長。 東京湾の漁師、現・船橋漁協組合長、

我ら 「東京湾アオサ・プロジェクト」 代表でもある大野一敏さん。

 

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「 この陸と海の境目にある貴重な干潟・三番瀬が、東京湾を常にきれいにし、

 私たちの暮らしを守ってくれているんだ 」 と名調子でやっている (に違いない) 。

 


前回と違って、かなり湧いているアオサ。

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このミネラルたっぷりのアオサを回収して、資源として有効活用します。 

解説は、大地を守る会の専門委員会 「おさかな喰楽部」 代表、吉田和生。

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うしろのフェンスに掛けられているのは、市内の小学生たちの絵。

三番瀬を守ろう、のメッセージが並ぶ 「なぎさ美術館」 です。

 

回収風景。 今回は相当に取り甲斐があったようです。

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春 (5月17日) の回収に続いて、今回も船橋市内の高校生たちが参加してくれた。

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春のときは、" やる気あんのか、あ~ん " みたいな口を叩いてしまったけど、

その後、ちゃんとした感想文も届いて、今回も参加してくれて、

なんか、嬉しいねぇ。 この場を借りて御礼を言わせていただきます。

 

大漁 (?) です。 

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これでどうなるってもんでもないのかもしれないけど、

海に入り、そこにいるたくさんの生き物たちの世界に触れることで

自然の素晴しさを実感してもらい、

こうした作業を通して海を大切にしたいという心も深まっていく。

もちろんこれ自体が、資源循環のモデルづくりの一歩でもある。

 

全国各地で、こうしたアオサに悩まされながらも

逆に利用しようとする取り組みが模索されている。

ネットワークしたいなぁ。

イメージはできてるんだけど・・・・・ なんとも手が回らないでいる。

 

ま、何はともあれ、こちらはこちらで、お疲れ様でした。

埼玉からトラック走らせてきた本田孝夫さん (THAT'S国産平飼卵の生産者) も、

ありがとうございました。

 



2008年11月 3日

新米農業者の八年目日記

 

今頃、秋田・五城目の馬場目川上流では、

大勢でブナの植林が行なわれて、お餅つきやコンサートで盛り上がってるんだろうな、

なんて思いながら積まれた書類を整理する一日。

そんな時に、山形は庄内地方、鶴岡市の月山パイロットファームから、

『月山ふるさとだより』 という一枚の通信が送られてくる。

今月号は、冬に向かう日本海・庄内地方の空気が伝わってくるような文面だ。

 

  稲刈りも終わった庄内平野。

  11月に入ると収穫は稲から大豆に移り、豊穣の大地がなんとなく寂しい光景となりました。

  この時期になると曇りや雨の日も多くなり、気温もぐっと下がり、

  華やいだ秋の空気が変わったのがわかります。

  もうすぐ冬です。

  そして実りの秋の終盤になるとやってくるのが、秋冬野菜の収穫。

  赤かぶ、青菜(せいさい)、大根、長ネギ、からとり芋、青大豆、赤唐辛子と目白押しで、

  天気と相談しながら、雪が降るまで目いっぱい収穫が続きます。

  そしてこの時期の収穫物は、私たちにとっては漬物の原料。

  本格的な漬物シーズン到来で、漬け込み、パック、出荷と、

  工場もフル回転になってきます。 ...............

 

藤沢周平の物語の風景まで浮かんできて、

ひととき海を眺めてしまう (こちらは東京湾ですが...) 。

厳しさを淡々と受け止め、静かで、しかし凛とした人々の生き様が見える。

 


この通信に 「新米農業者の八年目日記」 というコラムがある。

代表の相馬大(はじめ) さんが書いている。

「新米農業者」 などと称しているが、立派な若きリーダーである。

ぜひここで紹介したい。

 

  稲がなくなった庄内平野。 あとは冬を待つのみ、というこの時期。

  お漬物中心に移っていく私たちですが、そんな中で今年は土づくりに励んでいます。

  これまで私たちは、堆肥や米ヌカ、緑肥を中心として土づくりをしてきましたが、

  それとはまた違う農法を聞き、目から鱗。 夏に畑の神様から教えてもらったことを

  試してみようと、ワクワクしながら畑に入っています。

  しかし、土づくり、土づくりと皆が口にし、私たちも長い間取り組んできましたが、

  本当に様々な取り組みがあり、その到達点も千差万別。

  目指す人の数だけ、方法が組まれてきています。

  もちろん気候も違えば土も違う。 自然環境から受ける影響のほうが遥かに大きい農業

  ですから、もちろん違う方法になって当然ですし、それだけ奥が深く、完成というものも

  ないのでしょうが、それでもものすごいレベルに達している人たちは確かにいます。

  ここ庄内にも、田んぼの神様と崇められる人もいるし、有機栽培の猛者達もたくさんいます。

  そしてその畑の神様も、まさに「神様」で、

  豆の葉を見ただけで 「カルシウムが足りない」 と看過するほど!

  (中略) あの眼力と理論だった自信満々の話は、まさに魅力たっぷり。

  ぜひ試してみよう!

  というわけで、せっせともみ殻を運んでいるわけです。 しかしその方法は、

  とてつもない努力が必要・・・。 何事も甘くないというものです。

  まだまだ一部の圃場での実験ですが、それでも来年どうなるか、とっても楽しみ。

  新しい扉が開かれますように! 

 

これは、今年の8月に庄内で開いた「全国農業後継者会議」で、

西出隆一さんの指導を受けたことに端を発している。

枝豆の畑で、かなり手厳しい批評を貰いながら、大さんは、したたかに吸収したようだ。

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(後継者会議で畑の説明をする大さん)

 

生産者会議は全国あちこちで、年間10回くらいやっている。

その都度いろんなテーマで講師を招いていて、

生産者はそれぞれに必要な技術なり思想なりを学んだり、批評し合っている。

「参考にならん」 とか豪語しながら、実はしっかり持ち帰って試す生産者もいたりする。

ただ栽培技術というのは、一筋縄ではいかないもので、

勉強会をやったからといって、何かが急激に変わるということはない。

しかし、試験的にもやってみる、部分的に取り入れてみる、という反応が見えたとき、

それこそがぼくらにとっての喜びとなる。 やった甲斐があったというものだ。

 

厳しい冬に向かう庄内から、

ワクワクしながら畑に入っている・・・・・ なんて素敵な便りだろう。

1年では結果は出ないかもしれないけど、じっくりと積み重ねて、

どうか我がものにしてほしい。

挑む者の前に、新しい扉は現れる。

 



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