戎谷徹也: 2009年3月アーカイブ

2009年3月31日

九品仏で 「吉」

九品仏 (くほんぶつ) では、淨眞寺にも参ってきた。

せっかくなので、写真もアップしておこう。

「淨眞寺をお参りして、ツチオーネでひと休み」

 -九品仏駅界隈の新たな定番コースのご紹介にもなるかと。

 

なんたって、若者に人気のお隣・自由が丘も、

昔は 「九品仏前駅」 という駅名だったわけだから、阿弥陀如来に手を合わせるのは、

仁義の基本っつうもんだよね、とは強引すぎるか。

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参道から総門を入って進めば、仁王門にぶつかる。

別名、紫雲楼 (しうんろう) とも呼ばれ、仁王像と風神・雷神が迎えてくれる。

 

一番奥に、九躰の阿弥陀如来が安置されている三つのお堂がある。 

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 手前から、下品(げぼん) 堂、上品(じょうぼん) 堂、その向こうに中品(ちゅうぼん) 堂。


それぞれに3躰ずつおわせられる。 こんなふうに。

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上品堂の真ん中におられるのが上品上生仏、右が上品中生仏、左が上品下生仏。

中品堂、下品堂も同じで、したがって上品上生から下品下生まで九つの名があり、

手の位置も異なる。

これは信心の深まりと、念仏によって浄化される心の段階を表しているのだそうだ。

念仏を唱え、精進することによって、身と口と意(こころ) の三つが浄化されてゆき、

「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、

 思い患うことぞなき」 の境地に至るのである。 (「九品仏縁起」 より)

参拝客は、窓に顔をつけて覗き込み、手を合わせ、寄進する。 

すっかり汚(けが) れつくしたワタクシの口と意も、

いつかは下品(げぼん、ですよ) の境地まででも辿りつくことができるだろうか。

大地諸君も、ここでちゃんと身を清めてからツチオーネに寄進すること。

 

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天然記念物のイチョウの樹。 

 

句碑もさりげなく。

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しづかなる 力満ちゆき 螇蚸とぶ    加藤楸邨 

               ※ 螇蚸......はたはた。バッタの異称。

 

他にもいろいろと鑑賞できます。

参道の桜はまだだったけど、境内の中は満開。  

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ヒヨドリは花蜜も吸うんですね。

 

ちなみに、我が家の杏の花。 樹齢25年。頑張ってます。

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奥武蔵もようやく春らしくなってきました。

しかし、4月に入れば、また仕事が増える。 どこまで続く何とやら・・・・

ふと、運勢など試したくなって、おみくじを買ってみる。

「吉」......時が来れば思うままになります。鏡のかげにしたがう様に心正しく

      行いをすなおにしないと家の内に不和が起って災いが生れます。

      特に男女の間をつつしめ。

・・・これって、吉かよ。 かなり凶に近くないか。

 

こういうときは、カフェ・ツチオーネで生ビールにかぎる。

 



2009年3月29日

九品仏に ツチオーネ

JR渋谷から東急東横線・自由が丘で大井町線に乗り換えて次の駅、

九品仏 (くほんぶつ) という駅に降り立つ。

 

九品仏といえば、淨眞寺ですな。

正式名は 「九品山唯在念仏院淨眞寺」 (くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)。

江戸幕府四代将軍家綱公の時代、1678年に建立されたという古刹。

開山した高僧 「珂碩上人」 (かせきしょうにん) が彫刻した

九躰の阿弥陀如来像(九品仏) が安置されている。

 - と、にわか仕入れの知識を披露してみたりして。

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駅の改札を出て、左手に目をやれば、そこはもう淨眞寺の参道入口。

その伝統の町に、4月1日、注目のカフェがオープンする、

というので行ってみることにした。

とか言っちゃて、要するにまあ、接客の練習台として呼び出されたようなワケなんだけど。

日曜日だっつうのに・・・・・

 

改札から出て、淨眞寺とは逆方向、右手を見れば、

オーッ! 目の前に、どっかで見たようなデザインの看板があるじゃないか。

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老眼が進む身には近すぎるくらいの、もろ駅の前。

 

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うん。 まあまあのつくりだ。

 

中はといえば・・・・・


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いいでしょう。

大地を守る会と提携していただいている、北の住まい設計社さんはじめ、

家具のオークビレッジさん、畳の添島商店さんなど、あらゆる関係者が応援してくれた、

シアワセなカフェの誕生である。

 

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テーブルの素材は、ミズナラ。

その上にさりげなく置かれているのも、ミズナラの苗木。

私たちの暮らしは、森の生命とつながっている。

 

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取材に入っているのは、CSテレビ局とのこと。

 

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こんな和のコーナーもある。

無農薬のイグサで編まれた畳の温かさを体感していただきましょうか。

 

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いい気が流れている。

セコい私の不安は、お客さんが長居することだ。

 

食材は、THAT'S国産とフェアトレードを表現する。

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軽く焼いただけのキャベツ。 こんなに甘いものだったか。

農産グループ長失格 ?

すべてが、心地よく、旨い。

農産物の仕入担当者としては、ついつい慎重になっちゃうけど、

それを保証する仕事に邁進することだけは、誓わなければならない、生産者とともに。

このお店の信頼を支える重要なポジションだからね。

 

お店の音楽には、真空管アンプというのが使われている。

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僕はよく分からないけど、ほんものの音の再現性が違うようだ。

 

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デザートについても、ただパクパク食べて、すみません。

酒飲みだけど、これなら毎回食べたい、と思う。

粗雑な人間の自分には上手く表現できないけど、品って言葉を考えたりさせる。

美味しい、って言うのは、素材と職人の調和の賜物なのだろう。

尊敬できる仕事を食で感じてみるのは、必要なことだ。

感性を鍛えると、文化も豊かになる。 オイラには遅いかもしれないけど。

 

いい店ができた。

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「私たち、もうだめだわ。 別れましょ」

「僕の何が気に入らないのかね」

・・・・・やさしいお茶を飲みながら、「僕がいけなかったのかな」

    「そうよ。 まったくあなたがいけないの」

・・・・・笑顔が戻る。 

そんな力があるかどうかは分からないけど、人生の物語にもお付き合いできそうな、カフェ。

(写真のモデルは大地職員で、物語とは一切関係ありません)

 

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店長の上吹越 (かみひごし) さん。

こういうお店って、マニュアルの前に心が必要ですね。 頑張ってください。

 

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阿弥陀如来が佇む街に生まれた 『カフェ・ツチオーネ』 。

4月1日、オープンです。

 

愛されるみんなの作品、になるようにしたい。

 



2009年3月28日

「稲作体験2009」 始動

 

WBCもドラマチックに終焉して、甲子園では高校球児たちが熱戦を繰り広げ、

世間は春の気分に向かいつつある時節。

我々も短いシーズン・オフを終えて (年々オフが短くなっているような気がする)、

今年の米づくりが、いよいよ始まった。

 

恒例の、大地を守る会の 「稲作体験」 シリーズ。

今年はついに20年目に入った。

企画の打ち合わせと下見のために、千葉・山武(さんぶ) を訪問する。

花冷えというのはまだ先の言い方なのかもしれないけど、

ここに来てちょっと寒くなって、桜の開花も遅れ気味になってきている。

千葉・幕張では昨日、雹が降った。

山武は夕べ霜が降りたとのこと。

 

我らが体験田の地主、佐藤秀雄さんが種モミの準備をしてくれている。

温湯処理のあと水に漬けている段階。

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種子消毒していないコシヒカリ。 よく見ると、かすかに芽が出始めている。

 

この種モミを、来週の4月5日(日) に畑に蒔く。

陸(おか) 苗代のやり方。

秀雄さんは、すでに畑の準備も完了してくれている。 

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雑草の種を丁寧に取り除いた土で、整地されている。

「バッチリだっぺよ」

「あとは、もうちっと温度が上がってくれれば大丈夫だな」

 


田んぼは荒起こしされた状態。

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今年も変わらない風景が、うれしい。 

 

さて、今年は 「稲作体験」 20周年である。

毎年ボランティア・スタッフを募って結成される 「実行委員会」 には、

なんと20人近い若手職員が手を挙げてくれた。 これまた、うれしい。

その彼らから、「今年はできれば抽選なしでいきたい」

という大胆な提案が挙がったもんだから、勢いというものはコワい。

昨年は、定員120名のところに200名の申し込みがあって、

頑張って150名ほどを受け入れたのだが、

「来年も来たい」 という声に抽選で応えるのは、けっこう辛いものがあった。

みんなを受け入れたい・・・・・

そりゃ気持ちは分かるが、それには田んぼがもう一枚必要だし、

いろいろと考えなければならないことがある。

 

そんな彼らのはやる気持ちに応えてくれたのが、

いつも作業の手ほどきなどで手伝ってくれている綿貫直樹さんだった。

「じゃあ、オレんとこの田んぼを使えばいい。」

 

ここが、その田んぼ。

いつもの体験田から歩いて10分弱。 面積は1反 (10アール) 。

 

ついに、田んぼ2枚を使っての 『稲作体験』 か。

準備や施設のキャパなど、検討しなければならないこともいっぱい増えるけど、

20年目の増反挑戦、やってみようか。

 

思い返せば、スタッフがなかなか集まらなくて、

終わるたびに、「もうやめようか」 と漏らしていた時代もあった。

その度に支えてくれたスタッフがいて (泣かれたこともあったな)、

なによりも参加者の笑顔や子どもたちの 「来年も来るう!」 に励まされてきた。

20年・・・・・これだけは、誰がどんなに頑張っても

ひとつずつしか伸ばせない数字である。

やり続けてここまできた。 いや実に、感慨深い。

 

実行委員たちのプランは、いろいろと膨らんでいって、

米づくりの勉強会だの、記念誌の発行だのと張り切っている。

それをただニヤニヤしながら、見ているのだった。

 

ちなみに、綿貫さんにつくっていただく苗は、セル苗という。

地域の小学校の子どもたちに教えているやり方だというので、

それでやっていただくことにした。

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写真の、1センチ四方に区切られた黒い碁盤のマスのなかに、

種を3粒ずつ落として、苗を育て、田植えの際はそのひとマスずつ抜いて植えていく。

植える間隔は30センチの尺角植えとする。

佐藤さんは佐藤さんで、綿貫さんは綿貫さんで、手法がある。

お任せしますよ、プロに。

 

20年にして、地主が二人になった 『大地を守る会の稲作体験』 。

どうぞよろしくお願いします。

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 (左が綿貫直樹さん。 右が佐藤秀雄さん。

  3月6日に開かれたさんぶ野菜ネットワークの総会にて。)

 

田植えは、5月17日 (日)。

来週から、参加者募集に入る。 定員は200名に設定。

田んぼが2枚になったとはいえ、キャパ以上の申し込みがあった場合は、

どうしても抽選せざるを得なくなってしまうけど、そこは

田んぼを増やした気持ちに免じて、お許し願いたい。

 



2009年3月23日

ジオラマ・ビオトープ ‐ 主張する生命

 

3月9日の日記で紹介した 「米プロジェクト21」 作-自称 「ジオラマ・ビオトープ」。

東京集会で展示したあと、幕張に持ち帰って20日あまり。

大人しく調和してくれていると思っていたら、ここにきて

それぞれに自己主張をし始めた。

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日差しも強くなってきて、一気に繁茂してきたエンツァイにクレソン。

セリは逆に弱ってきている。

ちっちゃな生態系の中でも、生存競争はあるのだった。

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動物の世界では、メダカの前にタニシの繁殖が始まった。

カイエビのような小動物が一時発生したのだけど、見えなくなった。

タニシも、クレソンも間引きしなければならない。

ここでの間引きとは =「食べる」 で挑戦しなければと思っていたのだが・・・さて。

 


太陽に向かって伸びるエンツァイ。 

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クレソンは四方に伸びようとする。

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メダカやタニシが遊ぶもんで、

水中に浮いたままのクワイまで芽を伸ばしてきた。 

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こんな水槽の中にもそれぞれの営みがあって、しかも微妙な競争と共存がある。

しかも水は濁らず、環境が汚れることがない。

おそるべし生態系というヤツだ。

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そんな生命の活動に怖れをなしつつ、反応するメダカに愛着は増し、

職員の視線を気にしつつ、餌をやりにゆく私。

 



2009年3月21日

三番瀬漁場再生とアオサ対策

 

ここは千葉・船橋港の内港。

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南側に 「ららぽうと」 を望む奥まった位置に、船橋漁協がある。

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3月18日、ここの会議室で、

千葉県による 「三番瀬漁場再生検討委員会」 が開かれ、

傍聴してきたので、遅ればせながらその一報を。

お彼岸に入って気持ちのいい陽気。 この冬も暖冬だったか。

 

千葉県の浦安から船橋にかけて残る干潟地帯・三番瀬 (さんばんぜ)。

そこは海と陸をつなぎ、水を浄化させ、生物相を豊かにする場所であり、

渡り鳥はじめ野鳥を支えるえさ場になると同時に、

アサリや海苔の貴重な漁場ともなっている。

自然保護の観点だけでなく、食料生産のための大事な 「漁場」 なのである。

そこに湧く海藻・アオサを回収し、資源に変える取り組みの検討が続いている。

 


三番瀬漁場再生検討委員会 (委員長 : 工藤盛徳・東海大学名誉教授)

での審議は15回目となり、今回は今年度の漁場再生事業の結果についての報告と、

来年度の実施計画について審議された。 

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そこでは、青潮対策や藻場の減少など、アサリと海苔の生産にとっての諸課題が

ずっと検討されているのだが、中でも 「アオサ対策」 は緊急的課題として挙がっていて、

これまで県は、「自走式潜水吸引トラクター」 なる回収船を建造したりして、

アオサの回収と資源化の試験や検討を進めてきた。

しかしその大がかりな回収装置を駆使しても、結局、

回収したアオサは税金を使って焼却処分とせざるを得ず、活用の道は開かれてこなかった。

 

そこで委員の一人でもある大野一敏さん (船橋漁協組合長、東京湾アオサ・プロジェクト代表)

の提案により、2月26日、

我々「東京湾アオサ・プロジェクト」 (注) が、埼玉の養鶏農家・本田孝夫さん

 (THAT'S国産卵の生産者) と一緒に取り組んできた

養鶏飼料としての活用の現場視察が行われたのだった。

今回は、その報告も合わせて行われた。

 

これまでの調査や実験では、

まず重金属やダイオキシン、農薬の残留試験がされ、その無害性が実証された。 

その上で、裁断-洗浄-乾燥-粉砕-異物除去、という工程を経て、

食用 「乾燥アオサ」 としての有用性が確かめられた。

これがその粉末アオサ。 

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じゅうぶん青海苔の代用として使えそうだ。

しかし問題はその実用化 (販売によるコスト回収) への道筋が見えないことである。

そこで 「手間をかけないで活用できている事例があるんだよ」

という大野提案となる。

 

視察報告では、アオサが米ぬかと混ぜて発酵させる工程が紹介され、

そこでは塩分や貝殻等も飼料成分になるので粉砕や洗浄などの下処理が不要であること、

醗酵させれば長期保存が可能であること、

漁業者が回収したアオサを持ち込んでさえくれればOKで、

持ち込み量が多いことが事前にわかれば、

大地を守る会から作業ボランティアを派遣することも可能であること、などが報告され、

近隣の養鶏仲間も含めれば150トンは可能、との数字がはじき出された。

 

合わせて、以下の説明もあった。

 -消費者が気にする黄身の色は餌に由来し、トウモロコシや緑色野菜や青草を与えると

   黄身の色が濃くなるが、平飼いで国産飼料にこだわった養鶏に取り組んでおり、

   輸入トウモロコシの代わりに緑色野菜や青草に与えている。

   アオサは、これらが不足する冬季に代用品として活用できる。

 

今後は、提供されたアオサ飼料をサンプルとして、

畜産総合研究センターと水産総合研究センターで、成分や飼料としての評価を行なう

ことが承認され、来期の事業計画に持ち越されることになった。

このデータがそろえば、我々としても有り難い。

 

漁場の再生は環境保全と一体であり、それを支えるのが循環である。

もっとも効率よく (税金をかけないで) それを実現する道筋は、

一次産業のつながりである。

「海が有機農業を支え、有機農業が海を守る」

アオサ・プロジェクトを立ち上げた時のスローガンは伊達じゃない。

私たちが取り組んできたアオサ回収に、県のまなざしも変わってきたようだ。

 

昨年の5月、船橋市内の高校生たちも手伝ってくれたアオサ回収の風景。 

後ろで立っている右から二人目が大野一敏さん。

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みんなの力が何かを動かすかもしれないよ。

 

三番瀬保全の進め方に対する市民団体の意見は多種多様にあって、

検討委員会に対する評価もまた分かれているようだが、

ぼくらはアオサの資源活用一本に絞って三番瀬を歩き続けてきた。

上流と下流の生産者ネットワークが海を守る、というシンプルで具体的な取り組みに、

誰も異論ははさめないだろう。

 

この作業が、いつか財産になる、と思ってやってきた。

県の取り組みがどう発展するかは分からないけど、大切なヒントにはなったはずだ。

なんだかんだ言って、地道に続けることは、大切なことだと思う。 

 

(注) 「東京湾アオサ・プロジェクト」

   大野一敏さんが代表を務めるNPO法人 「ベイプラン・アソシエイツ」 と大地を守る会が

   共同で運営するアオサの資源化プロジェクトで、2000年にスタートした。

   大地を守る会の生産者の協力を得て、回収したアオサを堆肥の原料や養鶏の飼料

    に活用する実験を続けてきた。

 



2009年3月17日

ap bank fes ワークショップ

 

大地を守る会の広報担当・ U からの指令により、ある会合に出席させられる。

ここは渋谷のとある公共の会議室。 

会議名は、「 ap bank fes 飲食出店ワークショップ (第1回) 」。

 

ap bank   については、皆さんご存じのことと思う。

音楽プロデューサー小林武史さんと、Mr.Children の櫻井和寿さん、

音楽家の坂本龍一さん、という超ビッグ・ネームの3人が設立した、

環境に関する様々なプロジェクトに融資を行なう非営利組織である。

その ap bank が、5年前から静岡県掛川市の 「つま恋」 で開催している

野外音楽イベントが 「 ap bank fes 」。

毎年、7月の海の日前後の3日間にわたって開催され、

ミス・チルを中心に、大物と言われるミュージシャンが続々と友情出演し、

また食や環境にかかわるたくさんの団体や市民グループが出店を出して盛り上げる、

一大イベントである。 昨年の入場者数は、なんと2万7千人( × 3日)。

大地を守る会も第1回目から協力して出店してきた。

 

その fes の今年の出店募集がすでに始まっているのだが、

主催者から、飲食関係の出店者を集めてワークショップをやるので出て来い、

との連絡が事務局にあって、なぜか 「エビスダニという者を出させます」 となって、

フラれたのだった。 だいたいこういう時は、面倒な話なのだ。

「俺だって、ヒマじゃない」 とか言いながら、結局出かける。

 


この日の参加者は30名ほど。

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今年も fes の出店に名乗りを上げているグループの人たち。

さてそこで、何やるの?

主催者 ( ap bank 運営事務局) の言うには、こういうことだった。

 

 ap bank fes では、05年に開催してより、

 " 体にも環境にも負荷の少ない素材を使った食事や消費のあり方を通して、

  「おいしい」から感じるエコを提案したい " との想いから、飲食出店の皆様にも、

 オーガニック純度の高いメニューの取り扱いを推奨してきました。

 そこで今年は、新たな試みとして、「オーガニック」素材を扱うことへの意識や、

 「食」だけではなく、ごみや環境のことといったイベント全体の趣旨・想いなどを

 より深く共有すること、また出店者同士のつながりや情報交換の場として機能する

 ことを目指して、出店者説明会とは別に、ワークショップをすることにしました。

 いま一度、「オーガニック」について正しく理解することと、ap bank fes における

 オーガニックフードの提供に関して、活発な意見交換と情報共有の場となるべく

 開催いたします。

 

要するに、これまで 「オーガニック」 な食材を基本姿勢としながらも、

出店内容 (の素材) や出店者の理解の仕方に多少の温度差があったようなのだ。

また思いはあっても、相手する(用意すべき) 数、規模があまりにも大きくて、

手当てしきれない、という現実もあったようだ。

「やりたくても、カレーの具を全部有機で揃えきれないよ」 というわけだ。

そこでまずは、オーガニックについての基本的なところから共通認識をつくりあげ、

このネットワークで可能な限りオーガニックの純度を上げるようにできないか、

というねらいかと理解した。

そもそも 「オーガニック」 (有機) とは何なのか、

それを fes で音楽を聴きに来た人たちに伝える意義とは何か、

を語り合おうというわけだ。

 

生産者の立場から、流通の立場から、小売りの立場から、それぞれに思いや実情、

悩みなどを語り合う場となって、僕もいろいろと喋らされてしまった。

 

「オーガニック」 というより、僕は 「有機」 という言葉を使うが、

それはたんに 「無農薬・無化学肥料」 の栽培技術だけを指しているわけではない。

人と人の有機的つながりや、有機的社会づくり、という視点も含まれている。

栽培技術の側面からいっても、それはただ農薬をふらない、ということではなく、

農薬を必要としない土づくり、という観点が土台になるし、

その土台づくりは必然的に周囲の環境との調和を求めるようになる。

つき詰めていけば、大根一本から世界が見えるようになる。

その世界を有機的な関係で築き直していきたいと思う・・・・・。

ここでは、厳格な定義を示してガイドラインを設定したりするより、

まずは ap bank の基本精神に共感して出店するということを強く自覚して、

一歩でもその純度を上げるために取り組んでいる自分を表現する、

ということではないだろうか。

 

ちょっとテキトーな発言だったか・・・・

まあ、こういうコミュニケーションを重ねることで、fes (の真意) との一体感を

つくり上げていきましょう。

 

司会進行をされた南兵衛さん。

何の準備もせずぼんやりと出てしまってすみませんでしたね。

もし次の機会が頂けるなら、もう少し整理して臨むようにします。

とりあえず主催者の想い、は受け止めさせていただきました。

ただし、モノの流通(ネットワーク) は、そう簡単なものではなさそうなので、

慎重に考える必要があると感じました。

 

過去4年間は、別な予定があったりして、fes には出られなかったけど、

今年はこういう所に顔を出してしまった以上、出させていただきましょうかね。

あっつ~い 「つま恋」 体験をしてみたいなぁ。

 

今年の ap bank fes  は7月18(土)・19(日)・20(月)、です。

チケット入手はお早めに。

 



2009年3月13日

減反は、やっぱり哀しい

 

昨日(3/12) の夜、千葉・幕張の本社で、

秋田・大潟村の米生産者、黒瀬正さん (ライスロッヂ大潟代表) を招いての

社内勉強会を開催した。

前日の提携米研究会の会議のために上京した機会に、

大地の若手社員向けにお話し願えないかと打診して、実現したものだ。

テーマは、お米の減反問題。

 

じつは昨年の12月に同じテーマで勉強会を開いていて、

僕が減反政策の歴史や問題点などを解説したのだが、

やはりこの問題はひと筋縄ではいかない。 

薄っぺらな説明だけでは若者たちの疑問はさらに膨らんだようで、

もっと理解を深めたい、との希望が出されていた。

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例によって勤務終了後の勉強会だが、40名近くの職員が集まってくれた。

黒瀬さんからも、「大地にはこの文化がまだ残っとる。 ええことや」 と褒めていただく。

日本第二の湖だった八郎潟を干拓して出来た大潟村に入植して30数年。

滋賀県出身の黒瀬さんは今も変わらず関西弁である。

 

減反政策の問題点を、生産者の立場から分かりやすく、とお願いしてあったのだが、

黒瀬さんにはやはり、これは自身の  " たたかいの歴史 "  であって、

評論家の解説のようにはいかないのだった。


戦後、日本は食料難を乗り越えるために必死で増産に励んだ。

米の自給率100%を達成したのは、1966(昭和41) 年のことである。

しかし折りしも続いた数年連続の豊作で、米の在庫はあっという間に増大した。

戦時中につくられたままの 「食糧管理法」 の下で、

米は国が全量買い取るかたちになっていたから、

その在庫管理のために国庫負担が1兆円にも膨らんだ。

1969年、一時的な処置と称して、生産調整が始まる。

本格的に始まったのは1971年から。

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それまで、ひと粒でも多く作ることを誇りにしていた農民にとっては、

突然の 「つくるな」 という指示は、とても耐えられないものだったようだ。

それでも黒瀬さんは、いきなり反対したわけではない。

お国は一時的な措置だと言っているわけだ。

「余ってしゃあないゆうから、我慢しようか、て思ってたのよ。」 

しかし、問題はさらなる矛盾へと進んでしまった。

「地域の指導者たちは言うのよ。 一割減反した分、二割増産しましょう、て。」

減反は実行されても、生産調整の目標は新たな歪みを生んだわけだ。

単位面積あたりの収穫量を上げたのは、農薬と化学肥料である。

 

減反政策、国の言う 「生産調整」 は、うまくいかなかった。

黒瀬さんを、減反反対の闘士にしたのは、1977年である。

それまで 「一時的な避難措置」 と説明されていた生産調整が、

いよいよ恒常的な政策になり、

しかも実効性を上げるために、「ブロックごとの達成」 という論理、

つまり地域で達成できなければ、その地域に補助金が下りない、

という手法が持ち込まれたのだ。

「まるで江戸時代の五人組制度の復活でした。

 昔の五人組制度も地域を維持するためによくはたらいた面もあったかと思いますが、

 それがこういう、百姓同士が手を縛り合い、いがみ合い、個人の自主性を押える力として

 復活したんです。」

 

それからの黒瀬さんのたたかいの様は生々し過ぎて、ここでは再現できない。

それはけっして、こっそりと 「闇米」 とかで逃げることではなく、

法律の解釈からたたかいの手法まで、したたかに組み立てながら、真っ向から挑んだのだ。

黒瀬さんが主張した本意は、農民の自立と主体性を守ることであった。

 

1987年、米の輸入自由化反対運動の中で僕らは出会い、

提携米運動へと発展した。

 

裏では、黒瀬さんに対する揶揄を、ずいぶんと聞かされることになった。

減反を拒否して米を作付したことを  " 抜け駆け "  と言い、

俺たちが減反を守っているからアイツは米が売れるんだとか、

はては出身地にかこつけて 「アイツは近江商人だから」 -と。

こういう農民からの陰口を聞くたびに、この制度の陰湿さを僕は感じた。

これはゼッタイに健全な政策ではない。

 

じつは、先日レポートした2月28日の 「だいち交流会」調布会場での

米をめぐるセッションのテーブルごとでの交流の席で、

ある生産者が消費者に、このように説明したという話を、後日聞かされた。

「減反があるから、米の値段が維持されてきたんです。」

それを聞いた会員からの感想文が届いて、

「どう考えたらいいのか、さらに分からなくなりました」 とあった。

 

減反は連綿と実施されてきたが、米価は下がり続けてきた -と僕は説明する。

おそらくその生産者は、こう応えるのだろう。

「それでもみんなが勝手に作っていたら、もっと下がっている。」

これこそ、みんなで乗り越えなければならない理屈なのだが、

生産者には深く刷り込まれた原理となっていて、

僕らはまだこれを越えられていないのである。

この理屈を突破したい。

強制的な減反で価格が維持できるという考え方は、すでに時代錯誤だし、

そもそも民主的手続きになってない。

他に選択肢が思い浮かばないからという消極的支持で、

自身の、そして仲間の手を縛る政策からは、何ら未来は見えてこない。

そもそも、この政策にしがみついているのは、上記の生産者も含めて

農民の本音ではない、と僕は信じている。

後継者不足や耕作放棄地の増大を目の当たりにしているわけだし。

 

学生時代に (一部で)流行った言葉に、「コペルニクス的転回」 ってのがあった。

為政者も宗教家も、すべての人を敵に回した真実

  - 回っているのは太陽ではない、地球である。

 

リセットしてみないか、このカビの生えた論理を。

そして農業政策というものを一から再構築してみないか、みんなの手で。

キーワードは、持続可能性と生物多様性、そして自給だろう。

もちろん食の安全と環境との調和、資源の循環といった視点も

この中に包摂されているし、未来の世代の暮らしの安定につながっている。

しかも、すぐれて地球環境と経済への貢献策にもなるはずである。

ベースになるのは、有機農業であろう。

 

勉強会を終えて、若手社員の声は、

「もっといろんな生産者の話を聞いてみたい」 と、欲求はさらに強くなってしまった。

それはそれで受けてやらないといけないけど、 思うに、

ことほど左様に、生産と消費は分断されていたのである。

減反政策が長く続いたのは、その不幸の上にある。

 

消費者と本当につながろうとせず、

地域の協同性を喪わせた元凶に対して、「地域の存続」という名目でもって、

減反政策の維持を要求する、補助金の受け皿としての農民団体がある。

「農協」 という組織を、僕はどうしてもそのように見てしまうのである。

 しかも 「お上」 は、今もその上に立っている。

 



2009年3月11日

田んぼの生物多様性を表現する

 

大地を守る東京集会のレポートも終えたところで、

拾い切れなかったいくつかの話題を、書き残しておきたいと思う。

おそらくとびとびでの報告になると思うけど。

 

2月21日(土)、大手町・JAビル大ホールにて、

田んぼの生物多様性の新しい表現のためのシンポジウム

が開かれた。

朝から夕方までのプログラムで、僕はちょっと厳しかったのだけど、

「田んぼの生きもの指標」 が完成した記念のシンポジウムであり、

またその 「指標」 が手に入るということもあって、午後から参加することにした。

 

参加者はおおよそ400人。

研究者、生産者、有機農業や自然保護関係の団体の方、NPO団体、消費者

・・・・けっこう入っている。

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「田んぼの生きもの指標」 とは、

「田んぼの生物多様性」 の状態を調べ、

その豊かさを認識するための 「指標」 という意味で、

「指標」 とは、田んぼ (およびその周辺、それを水田生態系と呼ぶ) に

その生物がいることが何を意味するのかを指し示すための、

いわば 「新しい図鑑」 である。 正確に言えば、新しい図鑑への 「挑戦」 である。

 

私たちは、この 「指標」 を持つことによって、「田んぼの豊かさ」 や 「その力」 を、

もう一歩具体的に表現できる道具を得たことになるのだ。


「指標」 を発行したNPO法人 「農と自然の研究所」 代表の、宇根豊さん。

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研究所を設立して8年だけど、そのはるか以前 (20年以上前) に、

宇根さんや、今回の 「指標」作成企画委員長の昆虫学者・桐谷圭治さん が、

田んぼにはたくさんの 「ただの虫」 (害虫でも益虫でもない、ただの虫) がいる、

という概念を世に出してから、実はこの作業は始まっていたと言えるだろう。

 

宇根さんはずっと、田んぼの豊かさと百姓仕事 (農業技術) のつながりを、

多種多様な生き物の存在とともに表現する道筋を丹念に築き上げてきた。

それは、虫の存在を確かめ、ひとつひとつ同定する、

つまり 「名前で呼ぶ」 作業の積み重ねとともにあった。

 

しかし 「指標」 づくりという作業には、それだけではなく、

とてつもない労力が土台として求められた。

土台を整理したのが、桐谷圭治さんを中心とする15人の研究者・専門家である。

水田生態系に棲む生きものの全種リストが作成されたのだ。

その数、6147種。

内訳は、昆虫3173、クモ・ダニ類141、両生類・爬虫類59、魚類・貝類188、

甲殻類など44、線虫・ミミズなど94、鳥類175、哺乳類45、原生生物828、

双子葉植物1192、単子葉植物501、シダコケ類248、菌類206。

 

これを基に、「田んぼの生物多様性指標」 となる生き物237種が抽出され、

それぞれに、生息している意味、生活サイクル、他の生きものとの関係、

農業との関係、人間との関係、が指標軸として表わされた。

私たちが、地域の田んぼと周辺も含めた水田生態系を評価することができる

「指標」-第1案-の完成、である。

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例えば、エントリー№1 -「トビムシ類」 の解説から。

 ・枯れた下葉やワラを食べるので、土づくりの指標になる。

  田んぼでは、ユスリ蚊と並んでもっとも密度が高い 「ただの虫」 の代表。

 ・ワラを食べてくれる田んぼの物質循環の重要な立役者なのに、

    その存在は 「虫見版」 の登場まで百姓には知られていなかった。

    未だに全国的に種の同定も含めた調査研究はなされていない。

 ・アリストテレスの著書 「Historia animalium」 にも記述されており、

  これがトビムシの最初の文書記録である。 この頃、日本では稲作が始まった。

 

例えば、エントリー№92 -「キアゲハ」。 田んぼに黄アゲハ?と思われるだろうか。

 ・日本人に親しまれたアゲハチョウが田んぼでも生まれていることは、意外な指標になる。

 ・田んぼのセリを幼虫が食べる。 また田んぼの畦では目立つ蝶で、彼岸花にもよく訪れる。

  田んぼの生物多様性を象徴する指標になる。

 

セリを食べることで、「セリを抑制する」 と書かれているが、

キアゲハが飛んでいるということは、畦にセリがいる、とも解釈できる。

畦の雑草にも、意味がある。

 

俳句の紹介もところどころにある。

  代掻けばおどけよろこび源五郎 (富安風生)

  白露の蜘蛛の囲そこにここにかな (高浜虚子)

クモの張る網を意味する蜘蛛の囲(い)は夏の季語、とある。

田んぼで育まれた日本人の感性にまで触れられる、これはもう読み物である。

 

僕らが続けてきた千葉・さんぶでの 「稲作体験」 の田んぼの生き物リストは、

昨年時点で計150種。 

これらの意味も、ひとつひとつ確かめていきたい、と改めて思う。

 

「農業の生産物は、農産物だけではない。 環境も作ってきたとですよ。

 私たち百姓がつくり変えた自然は、こんなに豊かなんだ。

 そういうことを、もっと百姓は語る力を持たんといかんのではないでしょうか。」

宇根節、炸裂。

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気合が入っている。

 

これは、新しい自然観をつかまえる作業のようだ。

その自然には、ヒトの営みも織り込まれていて-。

 

ちなみに、エントリー№221には、哺乳類の一種として 「ヒト」 がリストアップされている。

「自らが発明した農業へのままざしは、現在では見事に分裂してしまった。

 農業を近代化に遅れた産業と位置づける勢力と、

 近代化できないところに農業の価値を見いだそうとしている思想勢力がある。

 この対立はやがて、後者の勝利で幕を閉じるだろうが、

 前者の抵抗はまだまだ10年は続くだろう。」

絶滅危惧種に指定している都道府県は、まだゼロ、とのこと。

 

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このリストを参考に、地域の指標が作られれば、それはその地域の財産目録になる。

そして、その生き物に注がれた " まなざし " を表現できれば、

地域の文化は豊かになる。

 

その " 生へのまなざし " を、田んぼから力強く表現することで、

貧しくあった近代化農業の思想を超える。

それを早く獲得しなければならない。

宇根さんのアジテーションは、僕には彼の焦り、" いら立ち " のようにも聞こえた。

でも宇根さんは、充分に語ってくれている。

問題は、この指標を使いこなす科学的思考の発展と、

そして文学が必要だ。

 



2009年3月 9日

21階のビオトープ

 

3月2日(月)。 東京集会が終わって、幕張本社で荷物の整理を行なう。

厄介なものを持ち帰ってしまった。

メダカである。 

 

専門委員会 「米プロジェクト21」 (略称:米プロ) のブースで展示した

" 家庭でできる水田ビオトープ "  のジオラマ。

作ってくれた米プロ・メンバーの生き物博士、陶武利さんの、

「幕張 (大地本社) で飼ってみますか? 癒しになりますよ」

の言葉に乗せられて、水と一緒に袋に入れたまま梱包してしまったのだった。

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祭りのあとのけだるさに浸っている場合ではない。

荷物の中から、生き物が出てきたのだから。

 

急いで水槽を作り直して、メダカを放す。 元気に泳いでくれて、胸をなでおろす。

大地の浄水器の力にも助けられた。

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この、 『ジオラマ・ビオトープ』 と名づけた水槽の世界は、その名の通り、

ひとつの生態系としてつくられている。


ただメダカを飼うのではない。

砂利をネットでくるんで岩場をこしらえ、それを足場として植物を生やす。

ここで採用したのは、セリにエンツァイ。 つまりヒトの食用になるもの。

セリは田んぼの畦に生えている春の七草。

エンツァイ (空心菜) は生育旺盛な野菜で、水中に伸びた根はメダカの産卵場になり、

水上を覆えば水温上昇の防止効果を発揮してくれる。

伸びた分は収穫して食べる。 夏場の鉄分補給に最適の野菜である。

収穫することで水の浄化にもつながる。

メダカの学名 Oryzias latipes は、イネの学名 Oryza と重なる。  

田んぼと一緒に生きてきたのだ。

ボウフラやミジンコ、イトミミズを餌とする。 糞は肥料になる。

まさに水田生態系の申し子である。

それが今は絶滅が危惧される命となってしまった。

このことが何を意味するか、ヒトは考えなければならない。

 

水槽をしつらえたあと、ここからが無精者の真骨頂である。

ずっと水を替えなくてもいいように、さらに生態系の完成度を上げてみた。

まず、群馬からタニシを取り寄せた。

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手に入ったのはヒメタニシという小ぶりのタニシ。

餌の残渣やメダカの糞を処理してくれる、はず。

続いて、熱帯魚屋を探して、水生植物を2種買い求める。

入れてみたのはマツモ(上の写真) と、とちかがみ (フロッグ・ビット、下の写真の浮草) 。

これらが、生物が放出する二酸化炭素を吸収して酸素を供給してくれる、はず。

 

これで水は濁らず、足すだけで持続可能となる、はず。

エアレーション (電気) にも頼らず、生命の循環が助け合って。

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5月の田植えまで生き延びてくれれば、ここに稲を植える。

生き物の循環の中で、米と野菜が手に入る、田んぼの生態系 (ビオトープ) の完成、

となるはず。

 

どうも毎日気になって仕方がなくなる。 

心なしか、餌をやりにくると、メダカが水面に顔を出すようになったような・・・・

しかし、ヒトの手で餌をやり過ぎてはいけない。 濁りの原因となる。

これは生態系の、鉄則なのだ。

 

すっかり陶くんにやれらたか。 

 



2009年3月 7日

2009 だいちのわ (後編)

 

二日間にわたる2009年 「大地を守る東京集会」 も最終ラウンド、

打ち上げともいえる交流会の開催。

 

今やオープン・セレモニーに欠かせなくなった 「種蒔人」 新酒による鏡開き。

今年は大和川酒造さんも張り切って、 「種蒔人」 オリジナルの薦被(こもかぶ) り

を用意してくれた。

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未来に向けて種を蒔く- そんな願いを込めて鏡を開く。

最近は職員の結婚披露宴からもご用命を頂戴する、幸せを運ぶ薦被りの新装です。

( 披露宴での新郎新婦による鏡開き。 皆さんもいかがですか。 )

 

では、生産者、消費者、職員による大交流会のスタートです。

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生産者・消費者・大地事務局の3者が気持ちを一つにして、

ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ~、の掛け声で鏡を開きます。

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宴が始まれば、写真を撮る間もなく、いろんな人につかまって、

感想や互いの近況を伝え合い、夢を語り合い、時に厳しい批評も頂戴し......

何だか覚えてないけどよく笑い合い、

ジャンル・地域・立場を超えての交流が繰り広げられた。

 

北海道の高野健治さん(中央) と九州・阿蘇の大和秀輔さん(右) 。

消費者のYさんと一緒に何を話したのか、ホント、楽しそう。 

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何があったって、僕たちはいつでも語り合うことができる。

これが僕の信念である。 

 

今春入社予定者の若者たちに囲まれてご機嫌の、ブレス(熊本) の波村郁夫さん。

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肥後もっこすの目には、今年の新人はどんな印象だったでしょうか。

 

卵とマヨネーズの安保鶴美さんと愛娘・小雪ちゃん(左の二人) を見つけたので、

一枚撮ってもらう。

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小雪ちゃんは今年、大学院に上がるそうだ。

「彼氏は?」 - 「大地で見つけたいですぅ 」

安保父娘の右隣は、やまろく米出荷協議会の岩井清さん・佐藤正夫さん 。 

 

山形・しらたかノラの会の大内文雄さんと疋田美津子さんが声をかけてくれた。

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代表の加藤秀一さんとは、提携米運動を始めてから一緒にたたかってきた。

組織運営でいろいろあったけど、「ノラの会」 として再出発して、

軌道にも乗ってきたとのこと。 よかった。

 

元大地職員で長野に入植した遠藤幸太郎。 (右は交流局・虎谷職員)

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無農薬でのトマトとプルーン栽培に挑戦している。

「早く大地と作付(契約) できるようになりたいです。」

 

交流は、解散後も、さらに続く。

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上の真ん中は、北海道・富良野、今グループの菅野仁恵さん。

列島リレートーク、聞きたかったなあ。 スミマセンです。

 

阿蘇の下村久明さんには、手づくり凧(たこ) の実演と指導をやってもらった。

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大地職員相手に、凧の魅力を語ってる?

 

こちらは、「おさかな倶楽部」 の愚連隊。

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いや、失礼。

左から、札幌中一の橋本稔さん、吉田和生・生産グループ長、大地OBの杉浦英夫さん。

魚屋には魚屋の矜持 (きょうじ) ってもんががあるんだよ!

 

水車むら農園・臼井大樹さん。 トーク、お疲れ様でした。

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(右は、静岡のお茶農家出身の職員、市川泰仙くん)

トークのあとに、親父さんからのメッセージが紹介されていたね。

「私はいつも大地にわがままや勝手なことを言ってきた、うるさい生産者でしたが、

 息子は本当にいい奴ですので、どうかよろしくお願いします。」

太衛さんは、今も詩を書き続けているのだろうか。

 

みんないつまでも名残り惜しく・・・・・でも笑顔で帰って行かれました。

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藤田会長を囲んでいるのが、福岡・成清海苔店の成清忠・千賀さん夫妻。

「オレにとってはもう一番の、最高の嫁!」

とくずれまくりの忠くん。 ご馳走さまです。

手前はいつも奥さんに責められている(?) 北海道・美瑛町の早坂清彦さん。 

「そんなシアワセ、いつまでも続くと思ってんの 」 ・・・・・

人生は複雑である。

 

来年も、笑顔で会えるよう、もっと大きな夢を語れるよう、

私は私のやるべきことを、やるしかない。

 

今年も楽しく終えることができました。

皆さま、有り難うございました。

また一年、頑張りましょう。

 



2009年3月 6日

2009 だいちのわ (前編)

 

15地区に分かれての交流会に続いて、

3月1日(日) はみんな集まっての全体集会、

「2009 だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 の開催。

今年のテーマは、「みんなでつくる おいしい お祭り」。

会場は、蒲田にある大田区産業プラザ Pio 。

飲んだくれの僕は朝の集合に自信がなく、昨夜の調布から蒲田に直行して、

カプセルホテルに潜り込んだのだった。

 

10時開会。 時折り冷たい雨が降るという天候にもかかわらず、出足がいい。

例によって、藤田会長の挨拶からスタート。

自分は午後からの 「出会いの広場」 の展示の手配に手間取り、会長の挨拶は聞けずじまい。

とりあえず借り物写真で雰囲気だけでも。

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すごい!! すでに満席に近い。

 

準備の合い間をぬってホールに上がり、「全国生産者めぐり 列島リレートーク」 を覗く。

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熱気で、マジに目が覚める。


以前紹介したことのある " ニッポンの食の安心を考える工務店 " 

河合工務店の河合孝さんが、今の住宅の問題点を説明しつつ、

森を守る住宅の意味を熱くぶっている。

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続いて、静岡県藤枝市・水車むら農園の臼井大樹さん。

親父さんの太衛さんの写真から始めるところが律儀である。 

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「父も元気で、今は林業の方に力を入れてます」

水車むらの歴史は、もう40年くらいになるだろうか。

それはそのまま日本の有機農業運動の歴史と重なっている。

藤枝の山間部で、水土と地域社会の有機的つながりを唱え、仲間 (水車むら会議) と

一緒に建設した風車が、今もその象徴として存在する。

無農薬の緑茶栽培から始まり、国産紅茶を再興させ、

いま大樹さんは埋もれていた品種の復活に力を入れている。

何年前になるか・・・・・囲炉裏を囲んで夜遅くまで議論し合ったことを思い出す。

 

次は、都市農家の登場。

横浜市都筑区で、無農薬で葉物を栽培する折本新鮮野菜出荷組合の加藤之弘さん。 

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横浜市の農業の強さをPRするとともに、

都市近郊に農地と農業があることの大切さを、環境面から防災面まで含めて訴える。

パワーポイントを駆使したプレゼンテーションも、なかなか。

彼らの農業の継続に重くのしかかっているのが、相続税の問題である。

この悩みは、けっこう深い。

 

続くは新潟から、

佐渡トキの田んぼを守る会、斎藤真一郎さんと大井克己さんが登壇。

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一度は絶滅したトキの復活を願って、繁殖から野外復帰までこぎつけ、

さらにトキと共に生きる美しい島づくりを目指して、

無農薬・減農薬栽培、冬水田んぼ、ビオトープづくりなどを進めてきた。

農業から島を変える! 気合いの入った力強い宣言だった。 

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みんな熱いね。

このパワーとネットワークがあれば、まだまだ変えられる。

行ってみよう、この先の世界へ。 と、こちらも気合いをいただく。

  

4名の方しか聞けなくて、他の発言者の皆さん、すみません。

 

自然食品店 「すみれや」 さんの弁当をいただいて、

午後からは、「 出会いの広場 」 「 『わ』 Cafe 」 「 1Day トーク 」 の同時オープン。

僕は 「広場」 専門で動き回る。

 

福島わかば会さんは、甘酒のふるまいに野菜の直売。

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マゴメ米店さんを中心に、各地の生産者が大地を守る会の米をPR。 

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提携米研究会のブースには、遺伝子組換えいらない!キャンペーンも合流。

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千葉・さんぶ野菜ネットワークは、有機農業推進モデルタウンの事業活動を紹介。 

研修生や新規就農者を募る。

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農産グループ農産チーム職員による、大地を守る会の野菜・果物の展示即売。

「とくたろうさん」 コーナーも。 

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専門委員会 「米プロジェクト21」 のブースも、

今回は農産物エリアで一緒に展開させていただいた。 

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まったく農産関係の写真ばかりですみません。

それ以外、まったく回れなかったのです。

聞けば、午後のオープンのあと、

またたく間に受付で用意してあったプログラムがなくなったとのこと。

最終来場者数は、5000名。

予想を超える参加者に、誰も自分の持ち場で手いっぱい状態だったと思われます。

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農産と米プロのブースから抜けて、「手づくり体験コーナー」 での餅つきの準備。

手伝ってくれたのは、山形・コープスター会、千葉・佐原自然農法研究会、そしてマゴメさん。

餅の返しには、福島わかば会の安藤ヒサさんが急きょ助っ人で入ってくれる。

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臼と杵での餅つきに並んだ子どもたち。

みんな喜んでくれた。

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いかつい感じの生産者も嬉しそうである。 

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餅つきって、何でこんなに楽しいんだろう・・・・・

会場ではもち米を蒸すことができないもんだから(直火禁止)、

実はかなり冷汗気味のオペレーションだったんだけど、やってよかった、ホント。

 

とりあえず、今日はここまでで-

 



2009年3月 4日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう(後編)

 

《昨日に引き続き...》 

では、「大地を守る会の備蓄米」 で提携している

稲田稲作研究会 (福島県須賀川市) の若手メンバー、伊藤大輔くんの熱いアピールを。

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 「稲田稲作研究会」 は、私たちの父たちの熱い思いで産声を上げました。

研究会発足より 「減反」 や 「生産調整」 という政府の政策には異議を唱え続けて20年、

皆様にご愛顧いただいている 「備蓄米」 等の増産を続けてまいりました。

 

私たちにとっての 「生産調整」 とは、

自分たちの最大限の技術と管理によって 「うまい米」 を作って、

私たちを支えてくれている方々のオーダーが増えることによる生産増加や、

自分たちへの評価に比例する言葉であり、田んぼを守るための糧であります。

 

現在、稲田稲作研究会が目指す農業とは、

産地ぐるみで後継者を育成することで、非耕作地をなくし、

古くより日本の食文化であり日本人の健康を支えてきた米を衰退させることなく、

次世代へ、そのまた次世代へと永年持続したくなるような農業と、

瑞穂の国日本と言われた美しい田んぼの景観や環境を守ることです。


今まで3ヘクタール程度の稲作農家が所有する農業用機械の総額は、

おおよそ3,000万円程度かかっていました。

そこに燃料代、メンテナンス代、自分を含む家族の人件費などが必ずかかります。

機械投資のための農業になり、魅力がなくなる。

兼業農家になり、手抜き農業になる悪循環に陥る構図になって、

それが本来の稲作を衰退させている大きな要因だと思います。

現在、研究会のなかに、稲作15ヘクタールと、ハウスきゅうり25アールを年間2作、

収穫日数240日を家族のみで営んでいるメンバーがいます。

この方は、元々の耕作面積は5ヘクタール程度でした。

しかし 「備蓄米」 の立ち上げ基盤構築と、機械の共同利用による農業に賛同して

主要メンバーとなり、稲作の重要なポイント作業以外はわれわれ生産法人部門に

作業を委託して、ハウス園芸をしながら、近隣で稲作を断念する農家さんのほ場を

次々と自作地にして維持してきました。

生産法人部門としての作付も、試験ほ場として3ヘクタールでスタートしたところ、

ここ数年の後継者不足や諸事情で断念せざるを得ない状況に陥ってしまった耕作地を

借り受けし、10ヘクタールまで増えました。

 

産地としてのモデル農業を自分たちで試行錯誤し、築き上げ、

田んぼ1枚ごとに評価することで生産意欲やモチベーションを高め、

安心・安全と 「満足」 を満たすような管理と、「食べ物半分、食べ方半分」 と考えて、

産地加工で米のパンや麺、乾燥野菜、製粉など、新しい食べ方を提案することで

「農業」 や 「食」 にある潜在能力を引き出すことに意欲的に取り組んでいます。

 

後継者不足。

その背景には、人に頼る農業への依存、輸入農産物等の大型農業にはない

自分たちの緻密な農業をマーケットに認識させる努力、進化をしなかったことに対する

ツケであると思います。

 

私たちは、親の背中を見て、ここに立つことを決しました。

どんな時も 「進化を忘れない」 「怠らない」 姿に、私たちが共感できたからこそ、

この場に立っています。

このような基盤を構築した先人の方々に深く感謝し、

それを守ることが私たちの宿命であり、進化することが

われわれの仲間や次世代につなぐためのタスキになると信じております。

私たち稲田稲作研究会は、種まきと同時に、毎年

 「希望」 と 「未来」 という種も一緒に播かせていただきますので、

皆様には、 「備蓄米」 や 「種蒔人」 の、茶わん一杯、おちょこ一杯が愛されることで、

そこに住む生き物、森が守られる。そして次世代が育つことを、

想像していただければ本望です。

「買う責任」 を果たしていただいている皆様のために、

私たちは 「作る責任」 をもって応えていくことを、

改めてこの場でお約束させていただきます。

 

・・・・・なんという若者だ。

オレのまとめの言葉を先取りされてしまった。

親父さんたちと僕らが語り合ってきたことを確実にモノにしてきて、

しかも 「進化させる」 と。 たくましくなったね。

しかもしっかりオヤジに似てきちゃって、まあ ・・・ウルル。

 

減反の生々しい話や、稲作特有の数字 (反とか俵とか金額とか) が

フツーに飛び交ったもんで、消費者には難しく聞こえたようだ。

その辺は基礎資料を用意すればよかったかと反省する。

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会場からの質問も、価格の話まで出たりして、ヘビーな第1部になったけど、

とりあえずは、私の注釈的なまとめよりも、

ここまでの生産者の語りこそが、今回のテーマを表現したということにしたい。

 

第2部はテーブルごとにフリーの意見交換。 

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司会が気を遣うことも少なく、自然に会話が弾んでいる様子が、嬉しかった。

ただやっぱり話題が米に流れたりして、米以外の生産者には申し訳なかったですね。

 

第3部は、お酒を試飲 (試飲ですよ、試飲) しながらの懇談。

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原料米の生産者を脇に、「種蒔人」 の説明。 

 

こちらは、同じく大地のオリジナル酒 「四万十純米酒」 をつくっていただいている

高知県・無手無冠 (むてむか) 酒造の山本勘介さん。

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社名の由来は、" 余計な手を加えない、冠も無用  "  の精神からきている。

土佐気質丸出しの蔵。

「四万十純米酒」 の原料米生産者は、窪川町の原発計画を阻止した男、

島岡幹夫さんである。

今日は、他の自慢のお酒も持参してくれて、交流会を盛り上げてくれた。

 

最後に、記念撮影。

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主催者のねらいや思いをどこまで拾えたか、司会としてはちょっと苦しいところだけど、

皆さんの笑顔に救われます。

 

長くなったので、二次会は割愛。

消費者会員のHさんと、大地を守る会が昨年進めた  " ブランディング "  について、

ひとしきり議論してしまったことだけ、報告しておきます。

愛知・天恵グループの津田敏雄さん。

「二次会でエビちゃんに失礼なこと言って傷つけたんだけど、謝っといて」

との伝言を承りましたが、

すみません。 大事なお叱りの言葉、覚えてないんです・・・もう一回、お願いします。

 



2009年3月 3日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう

 

年が明けて、産地新年会シリーズが始まり、

終わったと思えば 「大地を守る東京集会」 の準備が佳境に入り、

何とか走り終えて、気がつけば3月である。

2月はホント、書けなかったなぁ。 ネタもいろいろあったのに、残してしまった。

酒がいけない? いや、それはまったく自分のせいだけど、

ついつい真剣勝負でやっちゃうんだよね、しかも最後まで・・・・・

 

少し疲れも取れてきたところで、東京集会二日間のレポートを記してから、

溜まったものを順次吐き出していきたいと思う。

 

『 2008だいちのわ ~大地を守る東京集会~ 』

一日目は2月28日(土)、15の会場に分かれての 「だいち交流会」。

ぼくの今年の割り当ては、調布会場。

消費者会員が主体となって準備された会場で、設定されたテーマが

「 夢を語ろう! 田んぼを増やそうプロジェクト 」

長く米の消費が減り続け (最近少し盛り返してきているけど)、

減反政策も40年近くにわたって継続されてきた。

気がつけば恐るべき勢いで耕作放棄された農地が増えている。

ようやっと農水大臣も減反の見直しを語るようになってきたなかで、

消費者の立場から、「田んぼを増やそう」 の声を挙げてくれたわけだ。

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 もお手伝いしないわけにはいかない。

 

調布会場には、生産者・消費者・事務局合わせて約80名ほどが集まった。

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「今年は米でいきます」

企画準備当初からこう宣言した実行委員長、鬼弦千枝子さんの挨拶から。

「生産者の生の声を聞いて、私たちに何ができるのかを考えたい」

配布された栞(しおり) にも思いが綴られている。

-みんなの経験や知恵や繋がりを生かして、きっと未来に残せるようなことができるのでは・・・

 

第1部は、全体でのセッション。

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司会を託されてしまった。


自分のお喋りは極力自制して、生産者に順次、語っていただく。

 トップバッターは、宮城・蕪栗 (かぶくり) 米生産組合の千葉孝志さん。

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蕪栗沼周辺の水田地帯が野生生物保護のための貴重な湿地として

ラムサール条約に登録され、今や全国区になった当地でも高齢化の波は激しい。

千葉さんは、何とかして地域環境を守りながら、

消費者に喜ばれる米づくりを続けていきたいと語る。

有機JASを取得し、田んぼには魚道を設置するなど、

生き物の豊かな田んぼを復元しようと試みている。

肥料などの資材も地域で循環させるために新しい堆肥場もこしらえた、とのこと。

 

続いて、山形・みずほ有機生産組合の菅原専一さん。

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田んぼの一部をビオトープ (生物循環を豊かにする空間として設計された場所、のような意味)

にして蓮の花を咲かせたところ、田んぼにゴミを捨てる人がいなくなった。

除草の手がだんだんと足りなくなってきて、合鴨農法を取り入れたが、

生態系のバランスが崩れるのではないかという疑問も残っている。

それでも子どもたちの田んぼへの関心が高まってくれて、教育的効果は高いと実感している。

真面目な菅原さんらしい発言だった。

生産者独自の工夫、様々な試行錯誤が、地域に刺激を与えているのです。

悩みや疑問は、みんなで共有しようではないですか。

そこから何かが生まれてくるはずだから。

 

茨城・大嶋康司さんには、減反政策についての思いを語ってもらう。

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大嶋さんは減反はやってない。

「やるかどうかは生産者の自主性に任される、というのが正しい解釈のはずなんですが・・」

周りの農家も許容してくれているが、そこは地域の特性もあって、

地域の減反面積を請け負って収益性の高い作物を作る農家もいたりする。

地域的な締めつけの厳しい東北の生産者に気を遣いながら、複雑な心境を語る。

嫌なテーマでふって、すみませんでしたね。

 

減反については、協力しないと認定農業者が剥奪されるとか、

受けていた融資も前倒しで返せと言われる、とかの話まで出てくると、

消費者には、何がどうなっているのか???-という世界である。

要するに、「減反政策をやらないと、みんなが好きなだけ米を作って、価格が暴落する」

という理屈が金科玉条のようにまかり通っているわけだけど、

これくらい農家を馬鹿にしている話はない。

農民を自立した経営者とみなしてない。 というか、なって欲しくない勢力がいるのだ。

" 好きなだけ米を作る " 状況でも、すでになくなっていることは、

宮城の新年会の話でも触れた通りである。

作らせないために税金を使うのではなくて、

作って欲しい作物に助成するのが正しい考え方ではないか。

 

さて、生産者にとっては、この人には頭が上がらない。

米の仕入れから精米までをお願いしている八王子の(株)マゴメ社長、馬込和明さん。

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減農薬の米を学校給食に卸すなど、みんなの米を懸命に販売してくれる。

一方で、米の需要拡大も模索していて、

米粉を使ってのパン製造や製麺など、様々な加工にも取り組んでいる。

「朝ご飯にパンを食べる人には、米粉のパンにしてくれれば、

 それだけ田んぼが守られるんだけどね」 と訴える。

・・・そうなんだけど、大地の会員さんはおそらく国産小麦のパンだろうから、

やっぱ、もっと広く、国産を食べる人を増やすことが道ですね。

 

山形・米沢郷牧場の伊藤幸蔵さん。

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取り組んでいるのは、飼料用の米生産。

「これで国産飼料 (自給) 率70%以上の鶏肉の生産ができます」

田んぼは、もっともっと活用できる生産基盤なのだ。

 

若者世代を代表して、福島・稲田稲作研究会の伊藤大輔さん。

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しっかりと原稿を作ってきて、読み上げた。

それはそれはなかなかの内容で、聞き惚れてしまった。

 

久しぶりに力を入れたら、また長くなってしまった。

続きは明日とさせてください。

 



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