戎谷徹也: 2009年4月アーカイブ

2009年4月30日

さんぶで有機農業研修説明会

 

「さんぶ野菜ネットワーク」 (以下 「野菜ネット」 ) や山武市、JA山武郡市、

ワタミファームさんと一緒に大地を守る会も構成団体となっている

千葉の 「山武市有機農業推進協議会」 (略称:山有協) が、

新規就農希望者を対象に説明会を開催した。

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昨年度から始まった有機農業推進法によるモデルタウンに選定されてから、

山有協では、HPの立ち上げ、池袋で開かれた 「新農業人フェア」 への出展など、

精力的に新規就農者受け入れの活動を行なってきた。

現在まで4人の研修生が、野菜ネットの生産者のもとで有機農業の研修を受けている。

一人は茨城の農家出身で、警察官の職を投げうって生産者・岩井正明さんから

研修を受け、実家に帰っていったという。

実家は有機ではなく慣行栽培だが、近隣で耕作を託された農地が発生して、

「そこで有機でやってみたい」 と決意してのUターンだと岩井さんから聞かされた。

山有協の通信には、その若者 (26歳) のコメントが残っている。

(実家は慣行なのに、なぜ有機を? の問いに)

「有機で作ったほうが人に喜んでもらえるし、畑も長持ちする。

 感動したのは、岩井さんとこの人参。 すっげーうまかった! 味がぜんぜん違う。」

畑が長持ち! 有機がうまい!

 -こじつけた理屈で有機を批判する評論家に聞かせたい言葉だ。

 

素直に有機に感動した青年がこれから歩む道が、どんな苦労に満ちているか、

私には分からない。 ただ成功を祈るのみである。

 

さて本日の、山有協が初めて正式に開催した研修希望者向けの説明会である。

平日にもかかわらず、東京から、千葉から、埼玉から、さらには宮城から、

12名という想定していた以上の参加があった。

受け入れ予定人員は4名、なんだけど。 


研修希望者を前に、野菜ネット代表の富谷亜喜博さんが、

山武での有機への取り組みの歴史や、さんぶの優位性などを説明する。

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50名近い有機農業の実践者(=アドバイザー) がいること、

そしてJA山武有機部会時代から開拓してきた豊富な販売先の存在は、

研修希望者にとってかなり心強い説明だったのではないだろうか。

 

続いて野菜ネット常勤理事の下山久信さんから、

現在の日本農業をめぐる厳しい状況や農地法改正の動きなどのレクチャーがある。

「大変な状況なんです、日本農業は」

「だからこういうこともオレたちはやっているわけ。分かりますか? 」

まるで恫喝 (どうかつ:「おどし」より怖い感じ。団塊世代の左翼が好む言葉)

のような説明。

また農林振興センターの方から千葉県での新規就農支援制度の概略が説明された。

新規就農者にとって、最も悩ましいのは資金と就農後の経営である。

就農してすぐに収入が見込めるほど農業は甘くない。

生産者は若者の就農を期待するが、若者であるがゆえに手持ち資金は少ない。

「1千万ぐらいは持ってこないと」 なんて言われたって、腰が引けちゃうよね。

持っているのは、会社の重役経験者、つまり定年帰農のような方々である。

実際に 「ぜんぜん資金がない者はどうすればいいんでしょう」

なんて素直な質問も飛び出す。

ワタミファームの竹内社長の答えは、もはや説教である。

「いいですか。 農業をやるってことは、経営者になるってことなんですよ」

計画なしに農業を始めたいという甘っちょろい考えではダメなんだ、と。

恫喝のシモヤマ氏は 「ごちゃごちゃ言ってないで、やる気あんなら、やれば?」。

間をとって解説する私。 何なんだ、この説明会は。

やらせたいのか、やめさせたいのか・・・・・まあ、どっちでもいいけど。

「マニュアルがない」 には、さすがにこちら全員、内心ぶち切れたか。

「マニュアルは農家の体にある。 だから実地研修なのです」 -オレってけっこう冷静?

 

説明会と質疑を終えた一行は、

野菜ネット前代表・雲地康夫さんのほ場を見学する。

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人参畑で説明する雲地さん。

 

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後ろにいるのが、研修中の千葉さん。

千葉・検見川からバイクで通っているとか。 

 

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千葉さんは、すでにこの地で農業をやろうと決めているようだ。

法人化までプランを練っている。

聞き入る説明会参加者たち。

 

帰る前に書いてもらったアンケートでは、

ほとんど全員が 「研修を希望したい」 と書かれていた。 すごいね。

自己資金はゼロから一千万まで。 これから悩ましい選考である。

ちゃんとやれるのだろうか。 ワタミの竹内さんが頼りか・・・ 

 

説明会後は、山有協の総会。

今年も事業の継続が認められたが、助成額は少し減った。

だんだんと地域の力が求められてくる。 研修制度の充実に注力しよう。

稲作体験への助成は 「なくて結構」 とした。

元々から税金をアテにしてやってきたわけじゃないし。

 

体験田は、もう田起しがすんでいた。 秀雄さん、ありがとう。

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新しく増えたもう一枚の田んぼでは、畦が塗り直されていた。 直樹さん、ありがとう。 

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今年の米づくりも、着々と進行している。

 

畦に咲くヒメジョオン。

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これも北アメリカからやってきた帰化植物で、農業の概念では強害草だが、

ハチにとっては、ただ蜜源のひとつであり、共生する仲間なのである。

 



2009年4月29日

森林浴に谷津田の話など

 

大地を守る会にはいろんな通信物が送られてきていて、

そこで目にとまった情報をもうちょっと掘り下げて分析できれば、

面白いネタは尽きないだろうに、なんて思うことがある。

しかし、それがなかなかできない。

たとえば、北里大学学長室から発行されている通信 『情報:農と環境と医療』

というのが送られてきていて、最近届いた号を開けば、こんなトピックが紹介されている。

 

つくばにある独立行政法人 「森林総合研究所」 が発刊する 「森林総研」 第3号で、

 『森林浴が働く女性の免疫機能を高める』 という記事が掲載された。

森林浴によって、女性の抗がん免疫能が上昇し、その効果が持続し、

さらにストレスホルモンが低下する、という研究結果が出たのだそうだ。


 

研究内容はこのようである。

東京都内の大学付属病院に勤める女性看護士13名が、

長野県にある森林セラピーに滞在し、ブナやミズナラの落葉広葉樹林や、

スギ人工林などのセラピーロードを、森のガイドと一緒に二日間ゆっくり散策する。

森林浴の翌朝8時に採血し、

がん細胞やウィルスを殺傷するNK (ナチュラル・キラー) 細胞の活性や、

NK細胞が放出してがん細胞を攻撃する抗がんタンパク質の量を測定する。

また血液や心拍数を上昇させる副腎の分泌物であるアドレナリンの尿中濃度を測定する。

さらに森林浴の持続効果を調べるために、

森林浴の一週間後と一ヵ月後に同様の測定をする。

 

その結果-

東京在住の時に比べ、被験者のNK活性は、二日間の森林浴によって38%高まった。

活性値は一週間後も33%の高い値を維持した。

また免疫能は一ヵ月後でも10%高く持続した。

尿中のアドレナリン濃度は、森林浴一日目で57%に、二日目で68%も低下した。

   ・ ・ ・ 

森林浴には免疫機能を高める効果がある、とはよく聞くが、

裏づけとなる科学的データを得ると、それは自分の中でも客観的真実に近づく。

しかも、この数字は、かなり高い。

すると、こんな話も紹介してみたいな、とか思うのだが、

しかしトピック記事を読んだだけで (これはまた聞きのようなものだから)、

何かを語るのは憚られる。 ちゃんと原典となる試験報告書にもあたってから、

なんて思うのだけど、そうすると書けなくなる。

このブログではこの手は使わないと決めていたのだが、と思いつつ-

上の話に関心を持たれた方は、(独)森林総合研究所のHPにアクセスしてみてください。

 

自分の話にまるで責任のない、ただの紹介ですましちゃうわけだけど、

調べようとして、結局紹介もできないのでは、宝の持ち腐れになってしまうし・・・

こんな日があってもいいでしょうかね。

こういうのならなんぼでも書けるのだが、でもなんか、つまらない。

 

もうひとつ、こんなのもある。

こちらはつくばからの直接情報。 独立行政法人 「農業環境技術研究所」 から、

研究トピックスをまとめた 「農環研ニュース」 というのが送られてくる。

だいたいが解説も困難な小難しい研究をやっているのだが、3月号には、

「谷津田が植物の多様性を高めるしくみを解明」 というレポートがあった。

 

農村地域には、肥料源や飼料を採取するために、定期的に草が刈られる

「半自然草地」という場があった。 「あった」 というのは、今はほとんどなくなりつつある、

という意味で、多くは草刈りもされずに放置されていっている。

では放置 (ある意味で自然化) された場所には、動植物が増えるかというと、

実は逆で、畑の放棄地や造成跡地に見られるススキを主体とした植物群落では、

草原性の動植物がいないと言われる。

つまり、ヒトが手入れしていた場所がいったん放棄されると、

生物多様性が減退する、という現象が生まれるのだ。

 

その比較調査が試みられている。

ここで選ばれたのが谷津田 (やつだ:山や丘陵に囲まれた谷底にある水田) で、

水田を取り囲む斜面林の下部は、田面が日陰になるのを防ぐために

定期的に草刈りが行なわれる場所 (裾刈り草地) である。

そこで、植物社会学の手法を用いて、裾刈り草地における植物の多様性が、

造成跡地や放棄畑、過去に調査された半自然草地と比較された。

その結果-

谷津型と松林型 (主にアカマツ林の林床タイプ) では、ワレモコウなど

在来の多年生草本植物の多様性を示す値が高いことが明らかになった。

秋の七草の一つであるフジバカマなど多くの希少植物も見られた。

これによって、谷津田での農作業の一つである隣接斜面の定期的草刈りが

植物の多様性を維持していることが明らかになった、というワケだが、

この研究レポートには、もうひとつ解析が加えられていて、

関東地方東部 (千葉~茨城) の台地地域を調べたところ、

水田と森林が接する部分が長い場所の減少が顕著に見られた、とのこと。

つまり谷津田の耕作放棄が進むことによって、

その地域の植物の多様性が失われていっている、という結論である。

 

田んぼの生物多様性の話をするときに、

「中規模かく乱説」 というのをもち出すことがあるが、この研究は、

適度に人の手でかく乱したほうが多様性が増す、という説を裏づけたことになる。

これは、放置すると優勢種の天下になる、ということも表わしていて、

草を刈る (撹乱する) とは、実はその場での強きをくじいている作業でもあるワケだ。

 



2009年4月26日

物語は続編に向かうのである。

 

先日(20日) の日記で紹介した 『それでも、世界一の米を作る』 の、

続きのような話。

 

福島・稲田の伊藤俊彦さんから、

奥野修司さんの出版を祝って一杯やろうか、という誘いの電話が入ったのだ。

断る利用はもちろんなく、設定したのが24日(金) の夜。

場所は有楽町。 伊藤さんがお店のコンセプトづくりにも関わったという居酒屋。

名前は 「 吟銀 (ぎんぎん) 」 という。

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奥野さんに、伊藤さんとお付き合いのある関係諸氏、

そして稲田の関係者など、20名近くが集まって、お祝いの一席が出来上がる。


自然に思い出話が始まる。

「本当のことを言うと、最初はけっこう戸惑いました。

 戎谷さんから伊藤さんを紹介されて取材に入ったんだけど、

 どうみてもハッタリ臭いんですよ。 ところがその根拠を調べていくうちに、

 " いや、伊藤さんの言うことは当たっているかもしれない "  なんて思いだして、

 のめり込んでいったんですねぇ。」 (奥野:下の写真右)

 

「いやあ、この人はホント、しつこくて。 だいたいクソ忙しい時に限って来るんだよね。

 そんでもって、いつの間にか話し込んだりしちゃってるんだよな。

 ジャーナリストってのは、ヤな奴だと思ったよ。」 (伊藤:同左)

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それが今、笑いあっている。 ま、6年越しの取材だからね。

いつの間にか奥野氏が取材に入っているのを、

事務所の人も気にとめなくなるほどだったと言う。

それでもって中国まで取材範囲が及んで、今回の労作となった。

こういう形で、自分たちの行為にとどまらず思いまで受け止めて、

背景をも含めて語ってくれたことは、やはり素直に嬉しいものだ。

 

「いや、取材費用だけでも・・・。 言っとくけど、儲からないですよ、こんな仕事。」

なに? 貧しいの? ますます嬉しくなったりして。

 

俺たちのたたかいは、まだまだ続く。

奥野さんには、当然ながらこの続編を書く義務がある、なんちゃって盛り上がる。

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これからの展開は、各章ごとに新しい登場人物が現れるような話になるはずだ。

そうでなければならない。

  ・

そんなこんなで酔っ払っちゃった翌日は、春の職員合宿。

今回は、各グループが自部署のビジョンなどをプレゼンするプログラムが用意され、

自分は二日酔いの頭をフル回転させて、声だけは張り上げて、

農産グループの夢などを豪語して、ごまかしたのだった。

用意したキャッチは、キューバの革命家、チェ・ゲバラの言葉を元ネタに、

"  農民が花ならば、オレたちはミツバチになろう!  " 

 - ウケるかと思ったが、他部署のプレゼンのほうが完成度が高く、反応はイマイチで終了。

でもまあ、新生農産グループのPRは若手たちが頑張ってやってくれたので、よしとする。

恒例の新人発表では、歌ありダンスあり、一発芸あり、モップを使っての書の披露から、

海外派遣での体験や大学院時代の研究発表などなど、

それぞれに今時の若者らしい、怖じることのないパフォーマンス。 なかなかである。

 

そして、すっかりダレた頭で帰還した私を迎えてくれたのは、ブナの若葉だった。

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いつの間にか、新しい葉が、まだ淡いけど瑞々しく生え変わっている。

 

春は若い季節で、思い切って後進に託す部分もあるけれど、

まだまだ老ける歳ではない。

僕らは懲りることなく、新たな荒野を目指さなければならない。

しつこいライターも逃がれられないくらいに。

世界がおかしくなっていく以上、この物語も、終わらせるわけにはいかないんだ。

 



2009年4月23日

明日への環境賞

 

朝日新聞社から 明日への環境賞 という賞をいただいた。

同社が創刊120周年にあたる1999年に創設したもので、

地球温暖化防止から地域に根ざしたリサイクル活動など、幅広い分野を対象に

環境活動を実践している団体に贈られてきたものだ。

 

昨日(4月22日)、その贈呈式が朝日新聞本社にて行なわれた。

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第10回となる今回の受賞は、

大阪を拠点に活動する 「地球環境と大気汚染を考える全国市民会議」、

長崎県対馬の 「ツシマヤマネコを守る会」、そして大地を守る会の3団体。

 

環境問題でのコラムなどでよく目にする、同社編集委員の竹内敬二さんから、

それぞれの団体の業績紹介があり、

秋山耿太郎(こうたろう)社長より藤田会長に賞が贈呈された。

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(右は弊社の大野由紀恵広報室長。 奥様ではありません。) 


授賞理由には、こう書かれている。

「農薬による環境汚染が社会問題化した1970年代から30年以上にわたり、

 日本の有機農業の拡大をリードし、生産者と消費者を結びつけ、

 地域の自然保全にも取り組んでいる。」

 

農薬を悪と決めつけ、ただ批判するのでなく、

「無農薬の大根」 をつくり、運び、食べる、という具体的な提案を通じて、

有機農業を広げてきた。

生産(者) と消費(者) をつなぎながら30年余が経ち、 

生産者会員は2,500人、消費者会員は9万人を超えた。

各地で自然保護活動に取り組む生産者会員がいる。

「フードマイレージ・キャンペーン」 や 「100万人のキャンドルナイト」 など

新しいムーヴメントを起こして、若者にも環境への関心を呼び起こしている。 

-そんなふうに評価をいただいた。

3団体の記念撮影が行なわれる (左が藤田和芳会長)。

手に持っているのは 『水の惑星』 と名づけられた正賞の賞杯。

豊かな水に恵まれ、微妙なバランスの上に成り立つ地球をイメージしたもの。

富山ガラス造形研究所の渋谷良治氏の作品、とのこと。

 

「この賞は、素直に嬉しい」 と藤田は語る。

無農薬野菜を実現させ、ただ愚直に運び、生産者と消費者の輪を広げてきた。

それが環境の側面から評価されたのだから、喜びもひとしおである。

「 30年前は、有機に取り組んだばっかりに村八分にされたお百姓さんもいた。

 この賞は、粘り強く有機農業を広げてきた生産者と、それを支え続けてくれた

 消費者に対して贈られたものだと思う。 みんな喜んでくれている。

 日本の農業をめぐる状況はけっして良くなってはいないが、

 これを励みに、さらに前に進んでゆきたい。 」

 

会長の挨拶を聞きながら、僕も襟を正す。

 

選考はけっこうもめたようである。

特に大地を守る会の場合は、規模が大きすぎる、

もう立派な (いっぱしの、の意味) 企業体ではないか、という声があったようだ。

それでも、30数年にわたって地道に有機の世界を広げてきたこと、

各地で環境保全のために実践している生産者がいて、

それを支えているのが都市の消費者であるという関係が築かれている。

それを将来につながるひとつの社会モデルとして認めよう、

ということになったのだと聞かされた。

 

贈呈式の後の祝賀会で、関係者で秋山社長と藤田会長を囲んで記念写真を1枚。

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 『明日への環境賞』 は、この10回 (10年) を区切りとして、いったん終了、とのこと。

これまでの受賞は43団体とお一人。

大地でお付き合いのあるところでは、木次乳業さんや、

このブログで何回も紹介している 「農と自然の研究所」 (代表:宇根豊さん) が受賞している。

 

宇根さん。 最後に並ばせていただきました。

「何が並んだ、だ。 ま~だまだ、よ」 と言われそうか。

 



2009年4月20日

それでも、世界一の米を作る!

 

フリージャーナリストの奥野修司さんが本を出した。

2005年、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』 で二つのノンフィクション賞を受賞し、

10年前に神戸で起きた 「酒鬼薔薇事件」 を描いた 『心にナイフをしのばせて』

でも評判を呼んだ方である。

 

奥野さんとは2002年からのお付き合いで、だいたい突然電話がかかってきては、

農業関係での取材先を紹介しろとか言うのである。

「大地なら当然こういうジャンルでのすごい人を知ってるだろうと思って...」

と言外に匂わすあたりが、からめ手というのか、なかなか手ごわい。

でもって付き合うオレもオレ、なんだけど。

 

先だっても、文芸春秋社の新しい雑誌 『 くりま 』

(5月臨時増刊号-ほんものの野菜を探せ!) の仕事で、

埼玉の野口種苗さんや熊本の塩トマトの生産者・澤村輝彦さんを紹介した。

それが12月21日のブログ (現代の種屋烈士伝) で書いた、雑誌取材のことだった。

 

奥野さんとの出会いは、

月刊誌 『文芸春秋』 で当時奥野さんが連載していた 「無名人国記」 というルポで、

農業関係での先進事例を取材したいのだが、という問い合わせから始まった。

そこで紹介したのが福島県須賀川市の 「稲田稲作研究会」 の伊藤俊彦さんである。

 

大地を守る会と稲田との間で 「備蓄米」 制度をつくったのが、

いたく奥野さんを刺激したらしく、

奥野さんはルポ 『 福島 「稲田米」 の脱農協 』 を書いた後も、

足しげく稲田を訪ねていたのだった。 僕も知らないところで。

 

で、6年越しでまとまったのが、この著書。 

『それでも、世界一うまい米を作る』  -講談社刊、1800円。

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米の消費が減り、米価も下がる時代にあって、

「それでも、世界一うまい米づくりに挑む」 男たちの物語。

まるでNHKの 「プロジェクトX」 ばりのタイトルだなぁ。

 

それにしてもさすが、丹念に取材を積み重ねたからこそ書けた一冊である。

米は年に1回しか作れない。 したがって、それに挑戦する人たちの真価は、

1年や2年の取材ではけっして分からないのだ。

何度も通い、伊藤さんだけでなく、稲田稲作研究会の岩崎隆会長(当時) や、

無農薬栽培に挑み続ける橋本直弘くんと田んぼで語り合っている。

 

物語の軸は、伊藤俊彦である。

農協マン時代のたたかいから、稲田アグリサービス、そしてジェイラップ設立

と進む経過が、生々しく再現されている。 彼を支え、彼に賭けた農民たちとともに。

所どころで 「エビちゃん」 も登場する。 シブい脇役って感じだな、うん。

 

たしかに、伊藤さんのやった農家の経営改革は凄まじかった。

だいたいの経過は見聞きしていたが、本書を読みながら、改めて感心する。

トマト栽培をミニキュウリに変えさせ、桃の木を伐らせ、農機具を処分させ......

こんな指導者は、おそらく日本にいないと思う。

いつだったか、稲田の生産者に聞いたことがある。

「伊藤さんのパワーと、あの感覚は、何によって培われたんでしょうね」

答えは簡単だった。

「分かんねぇな。 ありゃあ突然変異だ。 いねぇな、あんなの、どっこ見渡しても」

 

詠んでる方がハラハラしてしまうような、大胆でしたたかな農家指導もさることながら、

減反政策に対して 「額縁減反」 という手法で抵抗したくだりなども、

ぜひとも読んでほしいところだ。

米価を守るのは、食管制度でも減反政策でもないことを、彼らは見抜いていた。

必要なのは創造力なのだ。

先日書いた  " 減反政策の呪縛 "  を超えるための答えのひとつを、

奥野さんはあぶり出してくれている。

 

農協批判も歯に衣着せぬ、だね。

まあ  " 脱農協 "  後の逆境を、根性とアイディアで乗り越えていった伊藤さんと

付き合ってるわけだから、当然と言えば当然なのかも知れないけど、

奥野さんも、言いたいことを伊藤さんに喋らせているフシがある。

 

僕らがつくった 「備蓄米」 制度が、そんな物語の基点となって紹介されている。

この時代に、一冊のハードカバーの本になって。  

「俺たちの食糧安保」 なんてサブタイトルまでつけられて。

奥野さんは、伊藤さんに触発されて中国まで取材に行っている。

「食糧安保」 の字句に、彼としての確信を持つ必要があったのかもしれない。

そんなしつこいジャーナリストである。

 

今度奥野さんに会った時には、こちらからけしかけようと思っているテーマがある。

彼にはぜひ、GMO-遺伝子組み換え食品に挑んでほしい。

いつものように、これぞ、という取材先も用意しておくから。

 



2009年4月18日

カフェ・ツチオーネ ...嬉しい悲鳴とお叱りの声

 

4月1日、自由が丘 (最寄り駅は九品仏:くほんぶつ) にオープンした

カフェ 「ツチオーネ」 。

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開店以後、お陰さまで順調、いえ、予想以上のご来店や反響で、

「嬉しい悲鳴ですう!」 との報告もあって、喜んでいたところ、

一方で厳しい指摘やお叱りの声も頂戴してしまった。

 

実はスタッフには、開店前からかなりの過重労働を強いる日が続いていて、

だいぶ疲労困憊な状態が見えたため、13日(月)に臨時のお休みを設定させていただいたところ、

その日に来られた方々から、「どうなってんのよ!」 の声である。

中には横浜から友人を誘って来ていただいた会員さんもあったとのこと。

わざわざ自由が丘まで電車を乗り継いでこられた方には、当然の怒りだと思う。

HPでお知らせしていた、という言い訳は通用しない。

私のブログにも、「開店早々に臨時休業するような店で長続きした試しはない!」

の厳しいコメントが寄せられた。

O様、申し訳ありません。 スタッフになり代わりお詫び申し上げます。

O様のご指摘はちゃんと管理者に伝えましたので、ご容赦ください。

スタッフは実は少ないくらいで、ローテーションなど落ち着いてくれば、

だんだんと良くなっていくことと思います。

この場を借りて、お詫びとともに感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。

これに懲りず、またお時間あるときにお立ち寄りいただけますと嬉しいです。

 

なお、カフェ ツチオーネ自由が丘店のブログ  が開設されました。

早速、貸切やGWのお休み日程などがアップされています。

行かれます折りには、チェック願えますでしょうか。

また何かありましたら、ご指摘ください。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

 

ふう~(汗)。

しんどいでしょうが、ものすごい期待ですよ。 たのんますね、お店の皆さん。

 



2009年4月15日

PARC自由学校

 

もうひとつ、募集のお手伝いを。

NPO法人 アジア太平洋資料センター (PARC) という団体がある。

知る人ぞ知る、なんて言っちゃうと、かえって失礼にあたるかも。

 

世界経済のグローバル化が一気に進み、貿易の構造も変質して、

いわゆる 「南北問題」 がクローズアップされてきたのが、

1960年代の終わり頃から70年代だったろうか。 その頃からずっと

南と北の経済的不平等の問題に取り組んできた団体である。

世界各地のNGOとネットワークし、様々な情報を集め、発信するとともに、

今では民衆交易の支援なども行なっている。

東チモールでの、現地の人たちの自立を助けるコーヒー栽培には、

大地を守る会も販売に協力している。

 

そのPARC (通称:パルク) が、1982年から始めたのが 「自由学校」 だ。

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パンフレットの紹介文から引用すると-

 「私たちが生きている世界のこと、そしてその世界の一部としてある日本社会のことを

  知りたい。 より豊かな暮らし方や、いきいきできる生き方のヒントがほしい。

  表現するための技術を身につけたい。 そんな人たちが出会い、学びあうのが

  自由学校です。 新しい視点や新しい知識に出会うと、発想が変わります。

  すると、これまで思っていたのとは違う世界や社会が見えてくるかもしれません。

  ~ 自由学校はそのきっかけとなる場でありたいと考えています。」

 


今年のプログラムは、全部で26 (+特別講座がひとつ)。

Ⅰ.ことばの学校

  「英語で憲法9条を語ろう」 や 「海外NGO資料から世界を読もう」 など6講座。

Ⅱ.世界の学校

  「一杯の紅茶から見る世界」 「映像で出会うアフリカ」 など6講座。

Ⅲ.社会の学校

  「社会的起業!-わたしの思いをカタチにする」 「人の移動から見る近・現代史」 など4講座。

Ⅳ.環境・暮らしの学校

  「麻ではじめる自然生活」 「オルタナティブ健康術」 など6講座。

Ⅴ.表現の学校

  「金村修の写真教室」 「ムーブメント三線」 など4講座。

 - とこんな感じだ。

 

だいたいが、5月から始まって、11月から来年の1,2月あたりまで、

隔週くらいのペースで開講される。

僕も毎年パンフレットを見るたびに、「ああ、これ出てみたいな」 と思いつつ、

いつも忙しさに負けていた。

 

それがなんと、今年のプログラムのひとつで、講義の依頼が入ったのだった。

受けたのは 「環境と暮らしの学校 - エコを仕事にする!」

12回シリーズの最終回、11月28日に

 「有機農産物を通して生産者と消費者を結ぶ」 というテーマで、

弊社の物流センターを見ていただきながら、お話をすることになった。

 

ここだけの話だけど、実は、僕はパルクの会費が払えず、脱会した人間なのよね。

スミマセンでした。 今回の講師料 (出るのかどうかも怪しいけど) は

過去の延滞した会費に充当していただけると、救われます。

 

ま、そんな話はともかく、エビからの今回のおススメをひとつ。

世界を知る学校 - 食糧危機がやってくる !? 」 だ。

経済がグローバル化して、人は食い物を奪い合わなければならなくなった。

ヘンな話である。 21世紀に入って、いったい誰がシアワセになったのか・・・・・

5月から12月まで14回の講座が組まれている。

敬愛する出版社・コモンズの大江正章さんのオリエンテーションから始まり、

古沢広祐さん (国学院大学教員) の世界食糧争奪戦争の構図解説へと続き、

不平等を生み出す食糧政策の問題から遺伝子組み換えの問題まで考えつつ、

日本と世界の食の未来を構想しようというプログラムになっている。

 

本音を言えば、こっちでやらせてよ、という気分である。

講師陣の一人、大野和興さん (農業ジャーナリスト) とは、

いつか本気でバトルしてみたいと思っている長~い関係だしィ。。。

 

僕たちは、「なぜ世界の半分が飢えるのか」 (スーザン・ジョージ) という

1970年代の問いを、ずっと超えられずに今日の 「貧困」 問題まできたのだけれど、

その内部的問題も切開してくれるに違いない・・・・・期待しています。

 

講座は夜です。 

関心ある方、ぜひパルクのHPにアクセスしてみてください。

 ⇒ http://www.parc-jp.org

 



2009年4月14日

棚田を守る人足(ボランティア)募集

 

今年もやってきました。

福島県喜多方市山都町の、山間部に張り巡らされた水路-本木上堰 (もときじょうせき)

の堰さらいの作業が、5月4日(月) に行なわれます。

 

毎年々々、田んぼに水を入れる季節になると、村の人たちが総出で行なう年中行事。

今年も米づくりを始めるぞ、という合図のようなものなのでしょうか。

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今年も浅見彰宏さん ( 「あいづ耕人会たべらんしょ」 メンバー) から、

ボランティア募集の連絡が届きました。

この冬は雪が少なかったわりには倒木が多いとのこと。

11月に重い雪が降ったことによるそうです。

みんなの手で、棚田の水路を守る。

そのお手伝いを募集します。

 

作業は早朝から始まりますので、前日(5月3日) には現地入りしていただきます。

JR磐越西線・山都駅から現地まで送迎します。

到着時間はご都合に合わせていただいて結構ですので、

行程等は時刻表にてご確認ください。 

宿泊は地元の公民館で、楽しい前夜祭も用意されます。

4日の作業の後は、温泉に入って交流会。

宿泊もOKだし、お帰りになられても構いません。

 

営々と数百年にわたって守られてきた山間地の水路は、

たくさんのことを考えさせてくれます。

時に体を休め、棚田を眺めれば、なぜか癒されます。

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行ってみようかな、と思われた方。 お気軽に、コメントにてお問い合わせください。

折り返し連絡させていただきます。

 

参考までに、昨年の様子 → 2008年5月6日の日記 です。

 



2009年4月10日

新しい年度も試練からですかね、今センセ。

 

3月中に書かなきゃいけなかった原稿も遅れ遅れになって、

いつものことながら、バタバタしながらの新年度突入となってしまった。

そんでもって、4月から、また新しい試練が押し寄せてきている。

わが農産グループに、営業チームが編入されてきたのだ。

営業チームは、量販店や生協さん、小売店や外食などへの卸し業務を主とする部署で、

3月までは販売企画グループに所属していた。

 

営業チームが農産グループに再編成された理由は企業秘密とさせていただくとして、

(というほどのこともないけど、説明もややこしいのでここは勿体つけて)、

有機農産物を社会に広げていくのに重要な役割を担っている部署である。

新しい発想を加えながら仕入部門と販売部門の連携をより密にして、

野菜の供給体制を強化させたい、と考えているところである。

そのうちスーパーさんへの営業の話などやり出すかもね。

まあどうせしんどい毎日なら、新しい夢を語れるところまで進んでみたいものだ。

 

そんな、今年の作戦会議などで忙しい4月9日、

フラッとやってきたのが北海道富良野の騒がしい、いや失礼、楽しい男、

今利一さんである。

 


今さんは農業の傍ら、富良野市議も務めている。

よく分からないけど、どうもこの時期、上京する仕事があるようなのだ。

去年も4月末だったか、春の社員合宿に飛び入りしてきた。

 

それなら、ということで-

ちょうど新入社員の研修が行なわれている時期ということもあり、

人事に無理言って、1時間の特別研修を入れてもらった。

題して、『 今利一先生の特別講義 -有機農業には勇気が必要だった- 』 。

「有機農業には勇気が~」 とは、今さんが市議選に出たときのポスターのコピーである。

僕は別の会議があったので、お任せしちゃったんだけど、

どうもタイトルとは全然関係ない話ばっかりだったようである。

 

夜も一席持とうか、ということになったのだが、

生憎の飲み会シーズンで、外はどこも一杯の様子。

急な話なので人数も分からないし、事務所でやろう、ということになった。

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農作業本番前に、富良野からやってきてくれたというのに、

バカ話で盛り上がる我々。

急ごしらえなので、テーブルの上のつまみ類は見ないでください。

酒だけは用意できるから、すごいっしょ。 「種蒔人」 に 「雪の大地」 です。

 

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「 いやあ、なんでかなぁ。 西松さんとかさ、ボクのところに来ないんだよね。

 小沢とか言う人のとこには行くんだけどね。

 いつでも貰ってあげるのにさ。 だ~れもボクと癒着してくれないんだもん。

 いいことに使ってあげるのにさ。 」

寂しそうな、ひがみ根性丸出しの今センセーであった。

ま、議員給料を農業研修生の世話に使う人には、企業もなかなか・・・・・

しょうがない。 貧しい正義の味方でいくしかないですねぇ。

 

いや、楽しかったっす。 今さん、ありがとう。

これから忙しくなるけど、体に気をつけて、頑張ってね。

秋には、小ぶりだけど魂のつまった勇気玉ねぎの到着、待ってます。

 

最後は客人抜きで、職員同士でなにやかやと議論が続く。

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誰かが撮ってくれた俺たち。 エビがなに喋ってるのか、分かりません。

 

気がつけば、朝。

米袋を枕に (商品ではありません。自分で買ったものです) 床に寝ていたワタシ。

そのまんまで、3時間の新人研修に臨んだのだった。

 

・・・今期も試練から始まって、さて、どんな一年になることだろうか。

 



2009年4月 7日

「減反」 の呪縛

 

大地を守る会で発行している機関誌 『NEWS 大地を守る』 。

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その5月号の原稿を頼まれていたのだが、

締め切りを過ぎてもなかなか書けず、今日ようやく編集担当に送った次第。

自分でも意外なくらい、苦しんでしまった。

 

与えられた課題は、米。

大地を守る会で取り組んできた米や田んぼを守る活動を振り返りながら、

減反問題に対する見解を、1,500字で述べよ。

 

オレの20年を、1,500字でか! ざけんじゃねぇよ!

 

まあ最初は、今まであちこちで喋ったり書いてきたことをちょこっと整理すればいいくらいに

思っていたのだが、やはりブログで喋るのと、会の機関誌で語るのとでは、

意味合いが違ってくるよね。 しかも1面だというし。

主張のトーンをどうまとめるか、このあたりの塩梅というか、

判断に迷いが生じて、締め切りを過ぎたあたりから眠れなくなったりしたのだった。 

これが 「減反政策」 の呪縛ってやつか、なんて思ったりしながら。


思い返せば、1986年の秋、

藤田会長から 「ちょっと寄ってきてほしいところがある」 と言われて、

共同購入の配達の帰り道、当時、中目黒にあった日本消費者連盟という団体の

事務所に、汚い2トン・トラックで乗り入れたのが始まりだった。

いくつかの団体のお歴々が集まっていて、

これからアメリカの米の輸入圧力に対抗して、

生産者と消費者が一緒になって日本の米を守る運動を始めるのだ、という。

「当然、大地も参加するよね」-「え? あ、ハイ」。

その夜の会議からまもなく発足した団体の名が、「米の輸入に反対する連絡会議」。

以来、米にのめりこんでいく羽目になった。

 

僕らの運動の基本スタンスは、「反対」 より 「提案」 である。

農薬散布をただ批判するんじゃなくて、 「無農薬の野菜をつくり・運び・食べる」。

有機農業を提案し、その野菜を運ぶこと自体が 「運動」 だった。

米の輸入反対運動は、必然的に生産と消費を直接つなぐ 「提携米」 運動を生んで、

大地を守る会もその一翼を担うようになる。

しかしそれは同時に食管制度と 「減反政策」 という問題に否応なく関与することでもあった。

 

「提携米運動」 は減反問題との関わりなしに語れない。

減反問題を語るなら、ただ批判するだけでなく、やっぱり、

その政策を下支えしている理屈について、触れないわけにはいかないだろう。

このブログでは、やれ 「マーケティングのない政策」 だの、

「裸の王様のような理屈だ」 とか、言いたい放題言ってきたが、

そんな調子で会の機関誌の一面を汚していいわけでもないし、

現実には、多くの生産者が、地域や農業経営との関係で、

そう好き勝手できない状態であることも承知しているつもりだ。

結局、こんな2行を挿ませていただいた。

 

「減反をやめれば米が過剰になり、価格が暴落して生産者がやってゆけなくなる」

と言われますが、これは 「無策」 を表現しているに過ぎません。

 

本音を言えば、今の僕の腹の中は、モーレツに農協批判をしたい欲求に駆られている。

農民のためでなく、組織を守るために、彼らは 「減反維持」 に固執していないか。

しかも創意工夫できそうなコスト削減まで、つまり農民の創造性を阻んでいる。

いろいろ考えても、そうとしか思えないのだ。

 

結局は、まったく中途半端な文章になってしまったのだが、

問題は字数ではなく、「ではどうするか」 について、

僕の中で、まだ整理し切れてなかった部分が残っていたことなのだ。

「提案型運動」を標榜してきたくせに。

 

本当に全面展開できるようになるために、もうひとつ思考が必要だ。

大きな一枚岩が立ちはだかっているようでいて、

靄 (もや) の先は目の前にあるような・・・・・

これこそが減反問題の嫌らしさのような気がしている。

 



2009年4月 4日

桃の花の下で

 

春といえば桜、だけではない。 桃の花です。 

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ここは山梨県笛吹市一宮町。

会員の方々には 『 桃七会 (ももななえ) 』 シリーズでお馴染み

「一宮大地」 代表の久津間範彦さんの桃園で、桃のお花見会が開かれる。

 

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一宮大地の生産者たちに、ネット通販の方や卸会社、自然食品店さんなども大集合。

大地を守る会からは、バーベキュー用に自慢のお肉を用意した他、

職員10名が手分けして純米酒 「種蒔人」 1ダースを持参する。

一宮大地を担当した経験のある元職員も2名参加して、

総勢50名はいたかという大お花見会となった。


3月末に気温が下がったこともあってか、満開の手前といったところだけど、

それでも充分に美しく華やいだ桃の花と香りを堪能させていただいた。

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生産者が用意してくれたご馳走にバーベキュー、各団体が持ち寄った自慢の食材、

地元・甲州のワインにビールに日本酒で、初対面の方とも話がはずむ。

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久津間さんの息子・紀道さんのお連れ合い・裕子さんとお友達の楽団も登場して、

美しい音色を奏でてくれる。 日頃のストレス、一気に解消。 

 

桃の花に囲まれて、う~ん、美しい。   

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紀道さんに送ることにしよう。 

 

こちらもいい感じ。 若手世代の一人、丹澤修・由香子さん夫妻。

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修さんはたしか紀道さんと同級生で、

ラグビーでは有名な日川高校の元ラガー・マンじゃなかったかな。 

彼らの育てる桃や李やブドウだ。 甘いはずである。

 

代表の久津間範彦さん。

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普段はコワい範彦さんも、取引先のスタッフが一堂に会したこともあってか、

本当に嬉しかったみたいだ。

挨拶の途中で声を詰まらせて・・・・・でも声を張り上げて言ったのだった。

「どうか、みんなの力で、日本の農業をよくしてくれ!」

こちらも、グッとくる。

 

田口幸男さんが大事に育てている、白い花を咲かせた桃。

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まだ鉢植えだけど、もしかして、いつか、まっ白い桃の実を成らせるんだろうか。

 

解散後も、宴席は続く。

久津間家の囲炉裏を囲んで、話は尽きない。

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今日は、稲作で言う、田植えを終えたあとのさなぶりの日ではない。

桃農家にはとても忙しない時期なのだ。

これから花を摘み、花粉を集めて、受粉作業が待っている。

勝負の仕事の前の、花に囲まれた束の間の安らぎ、になっただろうか。

明日からの仕事に向って、少しでも精がついたなら、僕らも嬉しいのだけど。

 

一宮大地の皆様には、本当にお世話になりました。

とても楽しい一日だったこと、この場を借りて感謝申し上げます。

今年も美味しい桃がたくさん成りますようにと、桃園に手を合わせて帰る。

 

そうそう、1月7日の日記 ( 哀悼-箱根を走った男の桃 ) で書いた、

故古屋寛継さんの桃は、紀道さんが維持してくれることになっています。

 

 



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