戎谷徹也: 2009年9月アーカイブ

2009年9月30日

有機農業推進と有機JAS規格

 

有機農業推進法や有機JAS規格については、これまで何度か書いてきたけれど、

先日、農水省の有機農業推進班 (正確には農林水産省生産局環境対策課)

の方と話をする機会があった。

話題は、今後の  " 推進 "  について。

有機農業推進モデルタウンの進捗によって生産が拡大してくれば、

それに応じた販路の確保が各産地の課題となってくる。

この流れに対して制度はどう対応していけばよいのか--

というのが話の主たるテーマだったのだが、

必然的にというか、当然のことながらと言うべきか、

有機JASとの関係やJAS規格そのものの問題点にも、話は及んだのだった。

 

有機農業の 「推進」 と、 JAS規格に基づいた監査・認証制度という名の表示 「規制」。

この二つがずっと不幸なねじれ関係を残したまま、今日まで至っている。

もういいかげん整理しなければならないよなぁ、と腹に溜めてきたが、

農水の方々と話をして機を感じたところもあり、

この際、思うところを一気に書いてみようかと思う。

 


有機農業推進法は、その名の通り  " 地域での有機農業の広がりを支援する " 

ということである。 そのための実践地区(モデルタウン) が全国各地に生まれ、

それぞれに栽培試験や土壌診断の活用、研修制度の充実と新規就農者支援などの

取り組みが進んでいる。 もちろん苦戦している地区もあるが。

 

一方で、生産者や畑が増えたとして、それを 「有機農産物」 と称して販売するには、

有機JAS規格に則っていることが第3者認証機関から認定されなければならない。

それには余計な手間とコストがかかる、ということで生産者からは極めて不評である。

しかもこの規格は、国際的な整合性を持たせる (国際基準と同一水準にする)

ことを前提としたために、国内の推進とは逆に

「お墨付きの輸入オーガニック食品の拡大」 へとつながったとの批判も根強い。

今では  「有機JASが、国内での有機農業の広がりを阻害している!」 

との論が、有機JAS批判の基本論点のひとつになってしまっている。

有機JASの認証取得生産者や認証機関は、この議論にうまくかめないでいる。

 

その批判の典型とも言える集まりが、さる9月5日にあった。

「日本有機農業学会」 が主催した 「社会科学系テーマ研究会」 。

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有機農業を総合的に研究し、その健全な育成と発展の道筋を提示しようという、

日本学術会議にも登録されているれっきとした学者・研究者主体の 「学会」 である。

とはいえ有機農業の研究というわけなので、生産者も入っていたりする、

そういう意味では開かれた学会と言える。 何を隠そう、私も会員の一人。

 

さて研究会の有機JAS論はというと、上記の批判的論点が基調になっている。

すなわち-

1.まがいものや不正を排除しようと制度の運用が厳しくなればなるほど、

  当の生産者にとっての手間やコストは増大する。 このコストは誰が負担するのか。

2.JAS規格そのものが欧米基準の押し付けになっている。

  欧米以外の地域の自然や環境条件に配慮した基準になっていない。

  WTO体制によるグローバリゼーションに 「有機」 までも

  (共通の基準・ものさしをつくるという名目で) 組み込まれてしまった。

   ・・・・・まるで、「してやられた」ってことか。

3.規格・基準が単純な 「無農薬・無化学肥料」 主義でしかなく、

  有機農業の意義や本質が反映されていない。

  (使用が許される農薬も設定されていて、いわば 「何を使う・使わない」 という

   投入資材の基準でしかない、という意味での批判である。)

4.不正表示の防止が最優先され、有機農業の推進という視点がまったくない。

  生産現場の技術水準や感覚とかけ離れた監査・認証となっていて、

  生産者は単なる取締りの対象の如くである。

 

などなど。

このような論点をベースにして、これからの基準・認証の方向性が理念的に語られ、

また第3者認証によらない形が欧米でもつくられてきている動きなども紹介されたのだが、

しかし、先生たちの主張を拝聴しながら、つくづくと思わされたのである。

有機農業を研究する学会においても、「有機JAS制度と認証制度」 については、

悲しいくらい深化できずにいる。

学者には、この制度の歴史的なけじめのつけ方 (消滅させることではなく) の

方向性が見えてこないようだ。 これはそもそも、大学の先生や研究者たちが

取り組むべき " 社会科学的 "  研究テーマなのだろうか・・・・・。

これは学問的なテーマというより、むしろ生々しい現実との向かい合いの中で

昇華 (より高い次元につくり変え) させてゆくしかないものなのではないか。

しかもこの論理には、手間とコストをかけて有機JAS認証を取得した生産者に対する

公正な評価が微塵もない。

彼らはまるで、市場で付加価値を狙うだけの、あざとい農民であるかのようだ。 

 

僕はけっして学会諸先生をただ批判しているのではない。

学会での分析は分析として受け止めつつ、我々はどう認識し、

現実の仕事の中に組み込むか、なんだと思っている。

そもそも学会が方向を指図するものではないのだし、現場仕事を通じて、

ちゃんと " 現実 "  のものとしてあげる、くらいの意思は持っているつもりだ。

 

とはいえやっぱ、学会の諸先生には 「してやられた」 感のような発言はしてほしくない。

これはグローバリゼーションの時代に起こった必然的現象であり、

有機農業にとっては次の時代に向かうための試練であった、

くらいの歴史認識に立つのが社会科学的というものではないだろうか。

どうもこの学会の先生たちは、半分運動家のような方々である。

 

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そこで僕が思う、学会にお願いしたい学究的テーマとは、

有機JASなんていう欠陥含みの制度論争ではなく、むしろ次の課題である。

1.有機農業の技術体系の確立。

  このテーマは有機農業推進法も支援しているもので、それに対応して

  「有機農業技術会議」 もできたので、こちらに期待することにしよう。

2.有機農産物の栄養的側面と人の健康との関係。

  栄養については、個々の成分比較という検証にとどまらず、

  食べ物のもつ本質的・総合的な価値という観点に立っての、

  人の健康との関連での疫学的検証はできないものだろうか。

  (この観点は、8月1516日付で書いた問題意識ともつながっている)

3.有機農業が果たしている環境への貢献の  " 見える化 "  をどう表すか。

  地域に有機農業が拡がってゆくことでどんな貢献ができているのかを示す、

  生産者が自分で確かめられる手法と社会的なスタンダードが欲しい。

  田んぼの生き物調査や、宇根豊さんたちの作業が先駆として生きてくる、

  そんな大きな体系を僕は夢見ているのだが。

4.外部経済効果の検証。

  上記3とも共通することだが、有機農業がもたらすであろう社会的・経済的利益を

  公益的観点で洗い出し、整理してもらいたい。

  分かりやすく言えば、水田の多面的機能は5兆8千億円分の社会資産価値がある

  (日本学術会議試算)、みたいな形での検証ができないだろうか。

 

これらが整理され可視化できたなら、

生産者も有機農業を実践することで生み出された食べ物以外の価値を検証できる、

豊かな監査体系を作り出すことができる。

そして、一方で税金を払い (徴収され) ながら、もう一方で食べることを通じて

多様な社会資産を支えている消費者 (国民) の溜飲も、下がるというものだ。

僕はひそかに、税金の使い方まで議論できるものになるのでは、と思っている。

そのような社会提言をまとめてほしいと切に願うものである。

 

有機農業の世界を理論的に追求した始祖とも言える

アルバート・ハワード卿の、70年も前の言葉を借りれば、

「国民が健康であることは、平凡な業績ではない。」 ( 『ハワードの有機農業』より )

有機農業がこの業績を支える基盤であることを、可視化したい。

 

さて、偉そうに喋ってるけど、じゃあお前さんは

有機JASについてどんな整理をしているというのだ。

-という声が聞こえてきそうだ。

大地を守る会が目指している監査体系を、お伝えしなければならないか。

まだまだ過渡期とはいえ、方向は間違ってないと自負するものである。

では次回に-。

 



2009年9月28日

厳しい・・・です。

 

野菜が、です。

特に北海道における夏の日照不足と多雨の影響が大きく、

ジャガイモ・玉ねぎ・人参といった基本の根菜類が絶不調。

玉ねぎの達人-札幌の大作幸一さんをして

「長年作ってきたけど、こんな厳しい年は初めて」 と言わしめるほど。

前にも書いたけど、特定産地との契約というのは、その地域、その畑の結果が

モロに直撃してくるので、なかなか供給も如何ともしがたく-。

 

ジャガイモや玉ねぎは当分、量目を調整しながらの綱渡り的な供給となるでしょう。

人参は断続的に供給 (入荷) が途絶えています。

「まだ太ってない、もう少し待って」 「雨で今日も掘れない」・・・・・

市場の値も上がってますが、それでも生産者の皆さんは

約束した値段で、大地を優先して出してくれています。

関東モノが出てくるまで、まだしばらく、厳しい状況が続きます。

基本野菜がない、とは実に切ない! ですね。

 

追い打ちをかけるように、近年にわかに評価を上げてきた北海道の米からも、

つらい写真が送られてきました。

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旭川の隣、東神楽町の北斗会から。

冷夏による冷害に加えて、いもち病が多発しているとのこと。

白く見えているのがイモチです。 


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黄色く色づいているのが実の入った籾 (もみ)。

青いのは不稔(ふねん) 籾。 つまり実が入っていません。

平成5年の大凶作並の作柄になるかもしれない、との声も聞こえてきています。

 

産地担当 (農産チーム職員) も日々ため息つきながら産地と連絡を取り合っていて、

私もちょっと、このところ何も書けませんでした。

 

 

・・・・・なんだか、かなり弱気な調子になってしまったですね。

力強い写真も届いているので、アップしておきましょう。

山形県高畠町、おきたま興農舎・小林温(ゆたか) さんから。 

9月24日、稲刈りが始まりました、の便りです。

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毎年たくさんのカブトエビが湧く、吉田正行さんの田んぼ。

今では米作地帯はほとんどがコンバインで脱穀まで同時にやりますが、

こちらは今もバインダーで刈って、束ねて、杭に掛けての天日乾燥。

作業効率は上がらないけど、これでワラも活用できます。

 

同じくおきたま興農舎、浅野智さん。 夫婦で仲良く。

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「まほろばの里」 と呼ぶにふさわしい光景ではないでしょうか。

お世話様です。 厳しい年でしたけど、無事収穫、有り難うございます。

大事にいただきたいと思います。

 

おきたま興農舎には、先日のコメニストの記者発表に出席いただいた

共同通信の記者さんが取材に来られたとのこと。

いい記事、書いてほしい。

 



2009年9月21日

東京湾クルーズ(余話)

 

東京湾エコ・クルーズに参加された会員さんの中に、

今年の大地を守る会総会に出席されていた方がおられ、

下船後の昼食タイムで少しお話をする機会を得た。

お声をかけたところ、ずっと私と話がしたかったのだという。

 

総会での質疑の中で、その方の質問に対する理事(私も含む) の回答に対し、

質問の主旨が誤解されてしまったのよね、とのこと。

しかも、エビちゃんブログでもそのまんま書かれちゃったもんだから・・・と、

ずっと気になっておられたようだ。

 


読み返してみると、

ブログにはこんなふうに書かれてあった (・・・て、自分で書いてんだけど)。

 

フードマイレージのキャンペーンをやりながら、

(国内といえども) 遠方から野菜を運んでくるのはいかがなものか。

  -地方農業を支えているのは都市 (の胃袋) という現実がある。

    社会の仕組みを変えなければ、関東地域だけで皆さんの食卓は支えられないし、

    地方の一次産業を都市住民が支えないと、この国の環境は守れない。

    私たちが今訴えているのは、国産のものを食べようということ。

    そこからつながりを修復していきたい、というレベルなのである。

 

私は私で、生(なま) の現実と自分たちの今の限界点を素直に語った上で、

「つながりの修復」 という言葉に未来への作業を見ていることを伝えたかったのが、

その方にしてみれば、

「そんなことくらい分かってるわよ! 何年大地をやってきたと思ってんの!」

であったようだ。 大変失礼いたしました。

 

質問の主旨は野菜の話ではなく、このところ加工品や他の産品でも、

商品開発が進むたびにフードマイレージが増えている気がしてならないのだが

---というのが正確な意図だったらしい。

 

すぐに農産物についてだと思ってしまうのは、どうも長年の被害妄想ですかねぇ、

なんて詫びている自分もかなり情けないけど、

「今さらだけどね」 と言いつつ、「でも話ができてよかった」 と言ってもらえたので、

私にとっても、ホント、よかったです。 ありがとうございました。

 

改めてご質問の内容に応えれば、上の回答を補完する格好になります。

まずは大地を守る会の基準に合致する生産者・メーカーと手をつなぎ、

支えていただき、それが食べ物生産のスタンダードになる社会に向かいたい。

その過渡期にあっては、手をつなげられる人と進める、しかない。

もちろん我々の力量のなさ (販売力の限界) もありますが、

一方で、それほどにまだ少数派でもある、というのが現実なのです。

 

大野さんの大平丸が揚げた東京湾のスズキを食べる、のコンセプトもまた、

私たちの目指す 「つながりの修復」、そして 「輪の拡がり」 のなかに位置づくものです。

それはただ経済と暮らしを支えあうだけでなく、共通の財産を守る作業でもあります。

地産地消的な輪と、広い共生的ネットワークづくりは、

いずれリンクされるものと思っています。

けっして国内であれば遠くてもいいなんて思ってはいませんので

(野菜の場合は南から北への出荷リレーは必須となりますが・・・蛇足でしたね)、

どうかこれからも末長いお付き合いをお願いする次第です。

 

Y 様。

せっかくの機会だったのに立ち話的な時間しか持てず、すみませんでした。 また今度。

だいぶ風に当たったり、しぶきも被ったかと思いますが、風邪など引かれてませんよね。。。

そんなヤワじゃないか。 失礼しました。

 



2009年9月19日

東京湾エコ・クルーズ

 

専門委員会・おさかな喰楽部主催による 「東京湾エコ・クルーズ」 に参加する。

今日は午後から稲作体験田の脱穀をやる予定だったが、天候を心配して、

生産者が昨日済ませてくれたので、ちょっとゆとりができた。

ただ雨は降ってなくても、船が出るには波の状態がモノをいう。

台風14号の影響を心配しつつ、千葉・船橋港へと向かう。

 

集まった参加者は子供さんを含めて60名ほど。 

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全員ライフジャケットを装備して、船に乗り込む。

 

船長は、言わずもがな、東京湾アオサ・プロジェクトを一緒に運営する

BPA(ベイプラン・アソシエイツ) 代表、かつ船橋漁協組合長、大野一敏さん。

 

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- 今日は羽田沖からアクアラインのあたりまで周航します。

  波もあるので、気をつけるように。

 

大野さんの大平丸に乗るのは、久しぶりかな。

このところ行事がぶつかってアオサ回収も2回ほど出られなかったし。 

 

出航。

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難民ボートみたい? たしかに多いね。

今回は抽選になるほどの申し込みがあったとのこと。

海が近くにあっても、船に乗る機会なんて滅多に得られない。

それどころか、湾周辺に住む人ですら、海は視界に入らないものになっている感もある。

東京湾に関心を持ってくれる人は、大事にしたい。

漁協の壁に掲げられた 「海を活かしたまちづくり」 は、

大野さんがずっと声を大にして言い続けてきたテーマでもある。

そのためには、もっとたくさんの人たちが海に親しむ機会が必要なのだ。

 


船橋港を出て東京湾に出る。

まだ揺れも少なく、潮風が心地よい。 

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しばらくして浦安のディズニーランドが西岸に眺められた時は、

一瞬、方向音痴になったような気分になる。

考えてみれば、そこは東京湾の喉仏のような江戸川区から

どんどんと沖に向かって埋め立てられ、張り出してきた土地なのだ。 

 

大海原ではないけれど、それでも海はやっぱり気持ちを広くさせる。

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子供の頃から海の風景に親しんでくれる人を増やしたいものだ。

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波しぶきがだんだんと迫力を増してくる。 

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東京湾は交通も混んでいる。

タンカーやコンテナ船、工事用のクレーン船に小型のポートまで、

どんどんすれ違ってゆく。 

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羽田沖がさらに埋め立てられている。 

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こういう光景をいつも海から見つめている漁民の目線は、

僕らのものとは決定的に違うのだろう。

 

海の真ん中に東京湾アクアラインの排気口が浮かんでいる。 

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この下を車が走っているのか・・・・・

 

ここからUターン。 風が強くなり、波も荒れてきた。 

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船の後方の乗船者には容赦なくしぶきがかかってくる。

気がつけばびしょ濡れ状態。 

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大平丸のコックピットの屋根の上にはフクロウが立っている。

なぜここに森の賢者、知恵の神様が? 大野さんの趣味だろうか。

いやおそらくは、周囲を広く見渡せる (首が回る) というところから、

漁師にも重宝されているのではないかと推測する。

 

三番瀬を沖側から眺望する。

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浦安から市川沖に広がる海苔シビ。 

江戸前の海苔は、今でも評価が高い。 「三番瀬の海苔」 はブランドである。

 

水深1m から 5m までの浅海域が、東西5700m、南北4000m、

約1600ヘクタールにわたって残る三番瀬(さんばんぜ) 地帯。

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湾に流れてくる栄養塩類を吸収・浄化し、魚介類を育てる一大漁場でもある。

 

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カキなどの殻で出来上がった通称  " 貝殻島 " 。

これが自然に作られたってんだから、この地帯の生命力が想像できる。

 

陸に上がった参加者に、スズキの刺身に天ぷら、漁師汁が振るまわれる。 

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今日の汁の具はホンビノス貝。 

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北米の東海岸から貨物タンカーのバラスト水 (※) と一緒にやってきた外来種。

「ビノス」 の名は、ローマ神話の美と愛の神 「ビーナス」 から来ているとのこと。

漢字でも 「本美之主貝」 という字があてられている。 ウマいね。

ハマグリに似た食感があるため (ちょっと淡白な感じ)、

世間では 「白はまぐり」 と称して売られたりしたらしいが、今では " 偽証 " になる。

 

  (※)「バラスト水」......タンカーが船のバランスを保つために入れた海水。

     輸出国で注水された水が、輸入国で排出されるため、魚介類の幼生などが

     その国に定着し、場合によって生態系をかく乱する。これもグローバリズムの

     問題点のひとつとされている。

 

やってきて繁殖してしまったものは、生態系のバランスを維持するためにも、

獲って、食べるしかない。

" たべまも " キャンペーンじゃないけど、ここでも  「食べて、海を守る」 である。

 

大野さんの波止場ミニ講演。

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- アメリカ・サンフランシスコ湾では、湾域の環境と景観を保全するために

  市民の力で条例がつくられた。

  埋め立てやコンクリ護岸は、市民の許可がなければできない。

  市民たちは海辺で憩い、海を慈しんでいる。

  かたや日本では、経済優先で、あっという間にコンクリの岸壁となって、

  人々が憩える場所が失われてきた。

  海を守るためにも、もっと海に親しむ場や機会が必要なのです。

 

今の漁師はただ魚を獲るだけでなく、海を語り、海に触れる機会を用意し、

実際に食べてもらい、理解者を増やす努力をしなければならないのか。

こんな活動に、行政の支援は一切ない。 ないけどやるのだ、オレたちは。

 

きたる10月10日(土)には、港まつりが開催される。 

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屋台あり、コンサートあり。 おさかな喰楽部も参加します。

皆様、ぜひご参集ください。 

JR船橋駅から南へ、徒歩15分。 船橋港周辺で展開されます。 

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カモメたちも待ってます。

 



2009年9月17日

ネグロスから来会

 

昨日、「たべまも」 キャンペーンとコメニストの記者発表を終えて、

夜、幕張まで帰ってきて仕事をしていると、 「一杯やってるからね・・・」 との連絡。

 

あ、そうか。

今日はATJ (オルター・トレード・ジャパン) の方々が大地を守る会を訪れ、

物流センターを見学して、職員との懇談会とかをやっていたんだった。

終わったあと、帰る前にもう一杯、ってやってるわけだな。

それじゃ、顔を見せないわけにはいかない。

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左側の一番奥の女性が、

現地法人ATC (オルター・トレード社) のジェネラル・マネージャー、ヒルダ・カドヤさん。

その手前が、同マスコバド製糖工場の社長、アーネル・リガホンさん。

ATJ20周年のお祝いも兼ねて来日して、精力的に消費者団体を回ってきたんだろうに、

全然疲れを感じさせない。

二人とも、お国の圧政ともたたかってきた、歴戦の闘士なのである。

 

12日付の日記で書いた 「ばななぼうと」 の話もしたところ、懐かしがってくれた。

あれが出発点だった。 あの船があったから、今の私たちもある。

あれから20年、続けてこれましたよ。 いやいや、頑張ったね。 ありがとう、ありがとう。

 

-ところで、エビスダニさんは、ネグロスには?

-いや、それが・・・・・一度も、まだ。

-じゃあ、来なくちゃいけません。

-そうだよねぇ。 行かなきゃ、とは思ってるんだけど。

-いつ来る? 

- ウッ ・・・・・

-じゃあ来年。 約束 (の握手)。

 

この手に弱いアタシ。

またひとつ、果たさなければならない約束が増えてしまった。

 

しかし、それにしても、何でオレだけ、ふたたび事務所に戻ってるんだろう。

虚しいぞ・・・・

 



2009年9月16日

コメニスト宣言

 

・・・・・て、なんよ偉そうに。

この秋、大地を守る会からの新しい提案です。

 

食べて守ろう!生物多様性

略して  " たべまも "  キャンペーンの始まり。

その第1弾。 米を食べることで田んぼを守る、コメニスト宣言

全国各地で、多様な技術を駆使して安全な米づくりに挑みながら、

水田と環境の調和を育んできた大地を守る会の生産者たち、 その数 65。

つくられている品種が20。

これら産地・品種の組み合わせを総計すれば、123種類にのぼる。

それぞれの産地にこだわりがあり、物語があり、自慢の風景 (環境) がある。

それらをひとつひとつ、毎週々々食べながら巡ってみる。

各地の生産者の顔ぶれ、取り組みの多彩さ、食べたことのない品種への驚きなど、

いろんな発見を楽しんでいただけたら嬉しい。

一回にお届けする量は、米の秤に合わせて1升 (1.5㎏) とする。

1週間に1升、これで全国の生産者に出会える。

食べた方から頂いた声は生産者にフィードバックして、品質や意欲の向上につなげたい。

 

大地を守る会のカフェ、ツチオーネ自由が丘店にて、

この  " たべまも "  キャンペーンの記者発表が行なわれた。

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新聞社、雑誌社などから20人ほどの記者が集まってくれた。

挨拶する藤田会長。

「食べながら、楽しみながら、生産者を応援し、環境や生物多様性を守っていく。

 守るための否定 (●●はダメ、●●はするな) ではなく、しなやかな活動として

 展開していきたい。」

 

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" たべまも " のロゴもできた。

 


 

この企画づくりに協力してくれたマエキタミヤコさん (サステナ代表) も

出席して、このコンセプトに賛同された思いを語ってくれた。 

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「手をつけないで保護するより、利用しながら里山や山間地と共存し、

 多様な生き物を育んできたのが、日本人の自然との付き合い方だった。

 食べて守る生態系。 来年の秋、名古屋で開催される生物多様性条約の

 COP10 (第10回締約国会議) に向けて、私たちはこの価値をこそ

 世界の人たちにちゃんと伝える必要があります。」 

 

ゆったりとした雰囲気で、説明を聞いてくれる記者さんたち。

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このキャンペーンの主旨は、実はべつに新しくつくられたものではなく、

これまで大地を守る会が訴えてきたこと、そのものである。

「コメニスト」 企画も当初は、まだ食べたことのない産地や品種も知ってもらいたい、

一度は試してもらえる企画を用意して裾野を広げたい、

という思いで米の担当者が発案したものだ。

練っていくうちに、米を食べて守る 「コメニスト」 たちのお米、へと発展した。

 

さて、記者の皆さんに実際に食べてもらう。 

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用意した米は、4種類。

千葉の新米以外は、北海道・山形・福島の昨年産米だけど、評価はいい。 

取締役の長谷川が、いろんな産地の写真を映しながら、

それぞれの取り組みの特徴や魅力を紹介する。

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高知県土佐町の棚田でヒノヒカリを無農薬で栽培する式地寛肇さん。

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この美しい棚田も、食べる人がいることで支えられているのです。

それによってきれいな水源が維持され、災害からも守っています。

 

長谷川が自慢している。

「どうです。北海道のふっくりんこも美味いでしょう。

 生産者は金子さんという方です。」

記者さんも頷いている。

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コメニストは、10月5日の週からキャンペーンが始まる。

1週間に1升といっても、定番のお米を買っている人には、" もう1升 "  は

なかなかにきつい量ですね。

ご近所の方やお友だちと一緒に分け合うなど、工夫して、

一度は試してもらえるとありがたいのだけれど・・・と願っています。

 

コメニストの次は、鹿肉を食べて森を守ろう、である。

記者さんのなかには、こっちのほうに強い興味を示した方もいた。

どっちでもいいので、食べて守る、の奥深さを、どうか伝えてほしい。

 

 



2009年9月13日

稲作体験20周年-稲刈りに到達!

 

ATJ20周年のあとの酒宴の名残りを頭の奥に残しつつ、千葉・山武へ。

次は我らが 「稲作体験」 の20周年。 いよいよ稲刈りの日を迎えた。

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若干薄い(少ない) 気もするが、天候不順や草とのたたかいにもめげず、

よくぞ稔ってくれた我らが体験田。 

 

上の看板も、下の案山子も、今日のために、

地主・佐藤秀雄さんのお連れ合い、つや子さんが作ってくれたものだ。

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200人を超す会員親子が、5月の田植え、6月・7月の草取りを経て、

新しい鎌をもって続々とやってくる。

みんなウキウキしている感じで、こちらも嬉しくなってくる。

こうしていつの間にか、秋には連帯感のようなものが生まれるのだ。

 

では、いざ! 稲刈りスタート。

 


ベテランの人も、初めての人も、せっせと刈り取り。 どんどん進む。 

子どもたちも頑張っている。

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毎年思うことだけど、この半年弱のうちに、子どもたちはひと回り逞しくなっている。 

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今年は記念の年だということもあって、希望者全員を受け入れたいと

2枚の田んぼを借りた。

僕は毎回、いつもの佐藤秀雄さんの田んぼ (通称 " ひで田ん " )

のほうに割り振られていたのだけど、

今回だけはもう一つの綿貫直樹さんの田んぼ ( 通称 " なお田ん " )

にも回ってみる。 

 

こちらは前日の雨で、相当ぬかるんでいる。 足が埋まり、作業も苦戦気味。

写真撮ってる暇はなく、助っ人に入る。

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数百メートル離れるだけで、こんなに田んぼの性格が違ったりするものなんだと、

改めて実感する。

山林に面しているため日照時間も違う。 当然、生育速度も異なってくる。

実は2日前まで、同時に刈れるかどうか、迷いに迷っての決行となった。

やっぱ、少し早かったか・・・・・。 

しかし来週には延ばせない、というのも生産者とともに下した 「判断」 である。

参加者の皆様、どうかご了解をお願いしたいところです。

2枚の田んぼでやることの難しさ、課題、教訓をいっぱいもらった20周年。

これは次の10年に向かえ (これで終わるな) ということなのだろう、きっと。

 

ケガ人もなく、無事、稲刈り完了。

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この光景を見るたびに、ああ今年も何とかやり切ったか、という安ど感が湧いてくる。

そしていつも思い出してしまう歌を、心の中で口ずさんでしまう。

 

    この土地に生きている わたしの暮らし。

    わたしに流れる 人たちの歴史。

 

    この土に わたしのすべてがある。 

    この国に わたしの今がある。

 

    この国の歴史を 知ってはいない。

    この国の未来を 知ってはいない。

 

    けれどもわたしは ここに生まれた。

    けれどもわたしは ここに育った。  ~~

 

皆様、お疲れ様でした。

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秀雄さんも、お疲れ様でした。 今年もお世話になりました。 

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すっかり子供たちのチョー人気者になった、陶 (すえ) ハカセ。 

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虫や草のこと、なんでも答えてくれて、ありがとう。

君はもう稲作体験に欠かせない必須アイテムなので、これからもヨロシク、です。

 

なお田ん班はきつかったようですね・・・・・ 

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お昼寝も気持ちイイことでしょう。 

 

最後の挨拶と記念撮影で、集合。

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なんとなく表情が晴れやかに見えるのは、錯覚じゃないですよね。 

 

では、皆様。 今年も収穫到達! やったね! おめでとう!

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解散後、実行委員の諸君も、1枚撮っといてあげよう。

前に寝っ転がっているのは、もう一人の地主・綿貫直樹さん。

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2月から準備が始まるという長丁場の企画だというのに、

仕事をぬっての作業、夜のミーティング、そして土日返上でのイベントの遂行、

みんなボランティアでやり切ってくれた。

年々少しずつメンツは変わっていくけれど、君たちがつないでくれたから、

20年続けてこれた。 もう立派な  " 大地の伝統 "  と言っていいだろう。

20年間の、すべてのスタッフに感謝したい。

 

そしてもちろん、佐藤さん夫妻、綿貫さん親子、さんぶ野菜ネットワークの生産者の皆さん、

いつもおいしい豚汁やおかずを用意していただいた女性部(?) の皆様。

お陰さまで20年、です。

本当にお世話になりっぱなしですが、この場を借りて深く感謝申し上げます。

これからもよろしくご指導のほど、お願いします。

 

最後に、参加された消費者会員の皆様。

実は皆さんの力も大きいのです。 

年を経るたびに参加者が増えてくる。

このフィールドで、米づくりを楽しんでくれる。 草も一生懸命取って-。

生産者が、この地区の空中散布は何としても止めようと言ってくれ、

何年かかかりましたが、それは達成されました。

生産者と消費者のつながりの、底力というものを感じたものでした。

20年で、おそらくは延べ 2,500人くらいにはなるでしょうか。

こちらも延々とつながって、田んぼを支えて頂きました。

本当に、心から感謝します。

 

    いくたびか春を迎え、いくたびか夏を過ごし、

    いくたびか秋を迎え、いくたびか冬を過ごし。 

 

    わたしがうたう 歌ではない。

    あなたがうたう 歌でもない。

    わが 山々が わたしの歌。

    わが 大地が わたしの歌。  ~~

 

以上、笠木透の 「わが大地の歌」 の一節でした。

ちょっと舞い上がって書いてますが、いいよね、今年くらいは。

 

では、次の10年に、向かうぞ!!

おっと、その前に、今年はオプションで、10月に収穫祭をやります。

晴れていれば、田んぼの中で体験田のお米をみんなで食べましょう。

 

とにかく皆様、お疲れ! です。

 



2009年9月12日

ATJ 20周年

 

大地を守る会で取り扱っているアイテムは国内生産されたものが基本なんだけど、

国内では生産されてないもの、あっても希少なため取り扱うのが難しいもの、

海外との民衆貿易によって現地の人々の生活向上への支援につながるもの、

などなど、独自の基準を設けて輸入品も扱っている。

 

なかでも先駆的で象徴的なのが、バランゴン・バナナ (フィリピン) になるだろうか。

その輸入元である (株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ) さんが設立20周年を迎え、

記念のシンポジウムとパーティが開かれたので参加させていただいた。

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会場は築地の朝日新聞本社に隣接する浜離宮朝日ホール。

ATJ製品を販売する生協さんや共同購入団体、関係メーカーさんなど、

200名を超す関係者が参加され、盛況な会となった。

 

ATJさんと大地を守る会とは、バナナから取引が始まり、

今ではインドネシアのエコ・シュリンプ、パレスチナのオリーブオイル、

東チモールのコーヒー、と付き合いの幅は随分と広がってきている。

それぞれに現地の人たちとの交流も行なわれてきた。

すべて僕らにとっては、

自給というテーマと、海外とのネットワークという視点をつなぐものだ。 

 


ATJが設立されたのは20年前(1989年) だけど、

本当のきっかけは1986年まで遡る。 

その年の秋、神戸港から南西諸島に向かって 『ばななぼうと』 という船が出航した。

それは市民運動の新たな時代を開くエポック・メーキングとも言えるイベントだった。

 

徳之島で無農薬バナナの栽培に挑戦している農民たちと交流し応援しよう、

という話がいくつかの団体 (大地を守る会もその一つ) の間で持ち上がって、

そこまで行くなら足を延ばして、空港建設に対してサンゴ礁保全の運動をしている

石垣島・白保の漁民たちとも交流しよう、だったら全国の自然保護団体にも声をかけよう、

どうせなら船の中で色んなテーマでワークショップをやってみよう

・・・・・そんなふうに話が大きく広がって、実現したのが 『ばななぼうと』 だった。

 

期しくも1986年という年は、春にソ連・チェルノブィリで原発事故があり、

9月にはアメリカの精米業者協会が日本にコメの市場開放を突きつけてきた年。

今で言うグローバリゼーションが、日本人にも黒船のように自覚された年だ。

食や環境を守ろうという市民運動が俄かに活気づいて、

とはいえインターネットなんて便利な道具もまだ普及されてない時代、

どこもそれぞれ孤立しながらの活動を強いられていた。

そこで僕らは、全国の市民活動団体の住所録を作成したのだった。

「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、ちいさな市民グループまで網羅したリストを、

『ばななぼうと』 という一冊の本にまとめたのだ。

出来上がった連絡網は、異分野の人たちを強烈にネットワークした。

象徴的事件の一つに、日本リサイクル運動市民の会(当時) が立ち上げた

有機農産物の宅配事業がある。

 ( 「らでぃっしゅぼーや」 さんのこと。 大地を守る会は全面的にバックアップした。)

 

生まれた言葉や名言もいくつかある。

 -反対(否定) 運動から提案型運動へ。 その視点から市民事業が生まれ始めた。

   「食える市民運動へ」 なんて生々しい言葉も飛び交った。

   こっちの世界で飯を食おう(=オルタナティブな社会システム=仕事を創造する)

   という機運が生まれ、みんなで作る株式会社という発想が発展した。

 -「この指とまれ」 方式。

   たとえば原発反対の集会を呼びかけても、来ない人を非難しない。

   集まった人たちで、どれだけ魅力的なイベントを作れるかを考える。

 - " オレたちは、右でもなく左でもなく、前へ進む!"

   旧来の左翼的色合いで見られがちな運動 (それはある意味で、そうだった)

   を決定的に意識改革した言葉だったように思う。

 

『ばななぼうと』 に話を戻せば、

船には全国から150団体、約500人の人たちが乗り込んできた。

そのなかに、飢餓に苦しむネグロス島の砂糖労働者の支援活動に取り組む

「ネグロス・キャンペーン委員会」 なる団体の人たちがいた。

 

彼らは、国内農業を大切にしようとする自給派・有機農業派 (我々のこと) に、

鋭い問いを突きつけてきた。

「私たちの暮らしそのものが南の人々を苦しめている。

 国内の安全な食べものを応援して食べる、それでよいのか!」

船内でシンポジウムが開かれ、フィリピンの労働者が惨状を訴え、

どういう形で連帯 (この言葉は当時輝いていた) できるのか、が模索された。

 

商社への依存から脱して、自分たちの手で砂糖の公正な貿易を実現させよう。

いくつかの生協が手を上げ、民衆交易(貿易) という言葉が生まれ、

1987年、ネグロス島からマスコバト糖の輸入が始まった。

フェア・トレードという言葉が登場する前の時代の話である。

そして続いて、ネグロスの人々の自立を掲げて、

島に自生していたバランゴンバナナの輸入が始まったのは89年2月からである。

その年の秋、ATJが設立された。

 

大地を守る会は、ATJに出資する形で応援しつつ、それでも

国産の無農薬バナナやサトウキビの生産を支援する、という立場を堅持した。 

しかし国産バナナは毎年収穫前になると台風に倒されて、

僕らの間ではいつしか  " 幻のバナナ "  とか呼ばれるようになってしまった。

バランゴンバナナの支援(取り扱い) に踏み切ったのは、92,3年あたりだったか。

その後、支援の品目はだんだんと増えてきたが、砂糖はまだやっていない。

でもたとえば、パレスチナには独自の基金を準備しての建設を応援したりしてきた。

そのあたりが大地を守る会の愚直なところだと言われたりしている。

 

いろんな道のりがあって、20年の歴史がつくられた。

もっとも苦しかったのは、もちろん現地の人々である。

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記念のスピーチで壇上に立ったフィリピンの現地法人 「オルター・トレード社」 社長、

ノルマ・ムガールさん。

様々な困難を経験しながらも、ずっと対等に付き合ってくれた日本の仲間への

感謝が、深い言葉で語られた。 そして未来への希望も。

 

20人近いスタッフを前に集めて挨拶するATJ代表の堀田正彦さん。 

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「20年で様々なストーリーが作られたが、これからのヒストリーをどう創造していくか。

 どうかこの者たちを鍛えてやってください。」

 

大地を守る会会長の藤田和芳も挨拶。 

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内容は・・・・・すみません、他の人と談笑してました。

慌てて写真を撮っただけ。 

おそらくは、本当の自立に向けての課題がまだまだある、とか

そんな話をしたんだと思う。

 

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記念講演された大橋正明さん (恵泉女学園大学教授、NPO法人シャプラニールの会理事)

が提起した話も紹介したいけど、長くなってしまったので、この辺でやめます。

要は、事業やマーケットとして成立した感のあるフェアトレード (公正貿易) と、

目指したオルタナティブ (人間と自然の共生を目指すもう一つの道の提案) の、

質と量も含めた内容点検が必要ではないか、ということである。

 

なんだか、ATJ20周年の報告というより、昔話になってしまった。

でも僕にとってのATJとの20年は、このように語り出さないと

整理できないものでもあったのだ、と思う。

 

次のエポック・メーキングは、どんな質のものになるのだろう・・・・・

 



2009年9月11日

友くん、おめでとう!

 

埼玉県川越市の生産者、深田友章くん。 28歳。

本日めでたく、華燭の典!

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新妻の名は友里(ゆり) さん。

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「オレは美人としか結婚しないっすよ!」

などと常日頃からほざいていた友章が、見染めた女性。

アップで見たい方は、" 続きを読む " をクリックどうぞ。


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いや、ホントだ。 う、うらやましい・・・・・。 友、有言実行。 褒めてあげる。

 

思えば君が高校を卒業して、家業を継いだ途端の、お父さんの訃報だった。

このヤンキーみたいな若者が、はたして農業を続けられるのか。

しかも無農薬で・・・・・。 正直言って、みんな不安だった。

土壌分析の勉強会なんかでも、実につまらなさそうにしていたよね。

あれから10年近く経つけど、なかなかどうして、立派にやり続けてきた。

若くして逝った敏夫さんもきっと、天上で号泣していることだろう。

荒井注さんみたいな顔をくしゃくしゃにしてね。 働き者だった。

 

埼玉大地 (埼玉県下の生産者で組織されている会) の人たちの支えも大きかった。

列席された役員の方々の喜びもひとしおに違いない。

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僕らも嬉しい。 よかった、よかった。

 

大地を守る会の生産者会員も農家だけで1,200名を数えるけど、

一家の柱としてやっている生産者としては、おそらく最年少だろう。

深田友章、ついに一人前になりました!

え? まだまだだって。

埼玉大地の親っさん方々、

これからも友章くん友里さん夫妻をよろしくご指導のほど、お願いいたします。

 

深田友章&友里、会心の笑顔。

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来年1月には、父となる。 頑張らなくっちゃね。

おめでとう!

 

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2009年9月 9日

減反問題を考える

 

" 1週間の夏休みを頂戴し- " というと、まあ日本のサラリーマンとしては、

いちおうはちゃんと取れた、ということになるのだろうか。

しかしその間も業務自体は動いているわけで、中間管理者にとっては、

会社に戻ればいきなり " 地獄が待っていた " 状態に突入ってことになる。

溜まった書類に宿題の数々、そして果てしなく続く未処理メール・・・・・

これが嫌だから、休み中もこまめに会社に電話したり、

携帯やパソコンでメールをチェックしたりするわけなんだけど、

これって、はたして休暇をもらったことになるんだろうか。

と、そんな疑問を抱くこと自体、せんないというか、中間管理職には禁物である。

働き蜂は立ち止まってはならない。

 

9月に入って、がむしゃらに遅れ (??) を取り戻しておりました。

それでも1週間も間隔が開くと、「元気?」 といったメールも入ってきたりして、

そろそろ何か書かなきゃ・・・・・

 

というわけで、気を取り直して-

話は前後するが、ひと足遅れの夏休みに入った8月22日(土)、

ひとつの勉強会を開いたので報告しておきたい。 -という感じで本題に。

 

テーマは、米の減反政策について。 

講師は提携米研究会事務局長、牧下圭貴さん。 参加者28名。

残暑の陽射し厳しい中、それにも増して暑苦しいテーマにもかかわらず

お集まりいただいた方々には、深く感謝申し上げます。

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農水大臣が減反政策の見直しを語って農業界 (?) に議論が巻き起こり、

政党がこぞって農業政策をマニュフェストで競っている時も時。

牧下さんも、今回の講演依頼は、このタイミングでこのテーマを整理する

いい機会になったと言ってくれる。

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おかげで話は、単なる政策の解説にとどまらず、いわゆる全面展開。

合いの手入れる暇もなく、1時間半の予定が2時間半におよんだ。

「すっかり時間をオーバーしちゃいましたが、僕は満足です」

ときたもんだ。

 

話は世界の食料事情から説き起こされた。

世界では今、69億人のうち10億人が栄養不足に苦しんでいる。

2007年秋の穀物の不作の時、輸出国はこぞって輸出を規制した。

当たり前のことながら、いざという時にはどこも自国内の供給を優先させる。

特に米は自給的性格が強い作物で (生産量の割には貿易に流れる割合が少ない)、

輸出国の不作は、一気に国際価格の高騰を招く。

そこで金にあかせて確保すれば、さらに貧しい国には行き渡らなくなってしまう。

自らは生産量を調整しながら " 食料を奪う " -それでいいのか。

 

一方で、日本の自給率は40% (カロリーベース) である。

歴史的推移をみると、米の消費量が減って、肉と油の摂取量が増加するとともに、

自給率は減少してきた。

これは食生活のスタイルの変化とともに自給率が落ちてきた、ということでもある。

戦後の米の増産運動から、1970年を境に一転して米の生産調整 (減反政策) が

始まり、それが40年にわたって今なお継続してきた背景が、ここにある。

 

生産調整は、作付面積の調整 (米を作る田んぼの面積を減らす=減反)

によって行なわれてきた。

しかも法律的根拠を持たないものであったにもかかわらず、

地域におりる補助金などと絡めて強制力を持たせて実施されてきた。

協力しない農家は村八分的な扱いを受け、また一方で農家は、

農薬と化学肥料によって単位面積当たりの収穫量を上げることに汗を流した。

「米の過剰で価格が暴落するのを防ぎ、農家経営を維持させる」

という目的は達せられず、米価は下がり続け、後継者は育たず、若者たちは離れていった。

耕作を放棄された田んぼが増え、今や農家の平均年齢は65歳に至っている。

あと10年すればどうなるか・・・・・。

 

そんな状況下にあって、

昨年より生産調整は面積でなく生産量でカウントされるようになり、

また法的根拠まで作られてしまった。。。なんでやねん! -政治である。

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世界の食料需給は、人口増加と耕地面積の減少、異常気象の激化

などなどと相まって、かなり危険な様相を見せてきている中で、

未来を失いかねない政策に、いつまでも税金を使っていてよいのか。

「農家を守るため」 と言いながら税金が投入され続けてきたが、

米価は維持されず、農家はいなくなっているではないか。

 

とはいっても、でもって本当に減反政策をやめたら・・・・

みんなこぞって米を作り、米価は一気に下がり、結果的に農家は壊滅するのではないか。

そういう前提で政策維持の必要性を訴える農民団体もあるが、

農水省がはじき出したシミュレーションは、実は少し様相が異なっている。

一気に下がった後に、徐々に戻る、である。

逆に生産調整を強化すれば・・・・米価は高めに維持されるが、

生産量は年々減ってゆく、というものだ。

つまり米の生産力 (自給力) は落ちてゆき、米は高値で推移する。

これは誰のためになる政策なのか。

 

ここで牧下氏のトーンが上がる。

「本当は、米や農業を守るのは  " 消費者のため "  のはずなんですよ。

 消費者こそ、食料を守ってもらわないと困るんです。

 そのために税金をどう使うか、を考えなければならないんです。」

 

私たちは今すぐにでも、生産者も消費者も一緒になって、

米なる食料をこれからどうするのか、本気こいて築き直さなければならない。

 

参加者からは選挙前らしい質問も飛び出したが、

牧下氏の答えは、「どっちにしろ、問われるのは私たちの意識です。」

 

ちなみに今回の講演は、決して独断や私見ではない、ということを伝えるべく、

すべて国 (農水省) から出されている資料やデータをもとに展開された。

参加者からは、「ますます分からなくなった」 という声も上がったけど、

それはおそらく、減反政策の本当の意図とか意味とか政治的背景とかを

もっと深く知りたくなった、からだと思う。

そのへんは生産者も交えて、本音で語る場が必要かもね。 考えましょう。

 

それから、「消費者がもっと米を食べなきゃいけない、っていうことでしょうか」

という素朴な疑問に対しては、いま出せる答えはこのようである。

 - ご飯中心の食生活を楽しみましょう。

 

僕はもう一つの答えを持っている。

 - 全国の田んぼを有機農業に転換させよう。

   1反歩 (10アール)-10俵 (600kg/玄米) 獲るために農薬を撒くのでなく、

   有機栽培にして7~8俵で安定させる。

       もう少しの消費の拡大と、しっかりした備蓄体制と、

   水田稲作の多面的な活用による自給力の強化

   (田んぼは家畜の餌だってエネルギーだって生み出せる社会資本である) と、

   そして有機農業への転換、それだけで生産調整はいらなくなるはずだ。

   水系を含めた自然環境や生物多様性の保全にもつながる。

   減反と増産意欲で帳尻の合わない世界を、安定と調和の世界へ。

もちろん理屈はもっと精緻に組み立てなければならないけれど、

大きくは間違ってないはずだ。

 

危険を恐れてじりじりと後退するか、未来像を描き直して前に進むか。

答えは、 前に! しかないだろう。

 



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