戎谷徹也: 2009年12月アーカイブ

2009年12月30日

良いお年を

 

厳しかった2009年も早や暮れゆく30日。

溜まった書類やら何やらを整理して、机を拭いて、「あとは来年回し!」

とか言いながら、カバンの中にいくつかの仕事を入れて (何といういさぎの悪さ・・・)、

終わり宣言。

 

年末ギリギリになって降ってきた 「地球号食堂 マルシェ」 も無事やり終えました。

26日(土)の夕方、マルシェ閉店前の風景。

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劇団ひとりさんが出迎えています。 

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大地を守る会コーナーにもたくさんの人が見えてくれました。 

 

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飾られたポスター。

「地球号食堂おせちは 浮世を生きる人間賛歌なり」

片岡鶴太郎さんがしたためてくれています。

 

用意した野菜や短角牛製品は二日間で無事、完売。

藤田会長と劇団ひとりさんのセッションも大いに盛り上がったようです。

スタッフ諸君、お疲れ様でした。

 


続いて28日は、出版社コモンズの代表・大江正章さんが企画した忘年会に出席。

場所は大泉学園の南欧料理のお店 「La 毛利」 。

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出版関係者や著者、編集者、新聞記者、PARC(アジア太平洋資料センター)自由学校

の関係者などなど20数名ほどが集まって、賑やかで楽しい会になりました。

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オーナーシェフの毛利彰伸さん。

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前は保谷駅前にあったのが、2年前に、大泉学園駅からバスで15分という

かなり地の利の点では悪いとしか言えない場所に移転しました。

農園と隣り合わせにある料理店として再出発したのです。

マーケティングとは破壊あるいは創造するためにある! か。

 

お店に隣接する農園の経営者が白石好孝さん。

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「大泉風のがっこう」 を主宰する、新しい都市農業の姿を演出する農民の一人です。 

 

TV朝日 「地球号食堂」 には東京有機クラブが登場したし、

都市農業はまだまだ奥深い可能性があることを、彼らは示している。

2009年の締めは、都市農業に力あり!

 

そして年内最後の出勤日。

休みのはずの職員が年末の炊き出しカンパに出動していきました。

山形・おきたま自然農業研究会の井上正明さんから、

昨年に続いて、困っている人にと送られてきた米が600kg (10俵!)。

それにカンパ物資を加えて、数日前から彼らが仕分けしていたのを、

僕はただ見ていました。 

井上さんには脱帽、感謝、以外の言葉が浮かんできません。

 

先行き不透明?

景気はどこまで落ちてゆくのでしょうか?

よく分からないけど、希望は人のつながりの中にあります。

いい年でしたか? 

僕は今年も65点あたり、そんな人生か。

来年は、今年撒いた種がを少しでも実ってくれると嬉しい。

では皆様、良いお年を。

 



2009年12月25日

有機農業と生物多様性

 

有機農業の意義 について話をしてほしい。 

しかも生物多様性の視点を絡めての論点整理を。

 

こんな依頼が1ヶ月ほど前にあって、例によって安請け合いしてしまう。

依頼を頂戴したのは、第二東京弁護士会から。

ちょっと敷居が高いような・・・という気もしないではなかったが。

 

きっかけは10月19日の 「地球大学」 だった。

参加者の中に弁護士さんがいて、「弁護士会でも話をお願いできないか」

なんて言われて、イイ気になってしまった。

 

第二東京弁護士会には 『環境保全委員会・食と環境部会』 という部会があって、

食の安全や環境問題などで政策提言をまとめたり意見書を出すなどの

活動を行なっている。

その部会でいま有機農業について勉強会を始めたところ、

生物多様性の観点も必要だ、ということになったらしい。

弁護士さんも有機農業について勉強をしてくれているんだ。 嬉しいね。

「私なんぞでよければ、喜んで」 という気にもなろうというものだ。

 

そんなわけで、午後、霞ヶ関の弁護士会館までいそいそと出かけたのよ。

クリスマスなんて言葉に何の期待も感慨も抱かなくなった自分を発見しながら。

 


集まってくれた弁護士さんは10人ほど。

多いのか少ないのかは考えないこととして、

「地球大学」 で使ったパワーポイントを再編集して、

「有機農業の意義」 について、生物多様性の視点を絡めながら喋らせていただいた。

 

僕は有機農業の生産者ではないし、専門の研究者でもない。

一介の流通者でしかないので、「有機農業とは-」 といった理論の面では、

すでに何回かの勉強会を重ねてきた弁護士さんたちには、

当たり前の話しかできなかったかもしれない。

それでも、生産と消費をつなぐという 「現実」 と日々格闘している者として、

有機農業の今日的な意義と課題については、

誰よりも  " 生のもの "  として捉えているつもりである。

 

近代農業に対するアンチ・テーゼとしての有機農業から、

もっとも持続性・安定性のある農業としての役割が求められてきていること。

そして 「有機農業推進(法)」 の時代を迎え、その向こうには、

国民の健康と環境政策・国土保全政策から地域経済、エネルギー、教育など、

すべての政策とリンクした、持続可能な社会のための 「基盤としての有機農業」

の確立が待たれていること。

生物多様性は、そこでの重要なキーワードのひとつであり、

有機農業はまさに、生存の基盤を育む生産技術と思想として進化しつつあること。

 

政策提言の観点でも、いくつかの考える素材を提供させていただいたつもりであるが、

さて、自分の言葉にどれだけの力があったのかは、分からない。

反省だけは怠らないようにしたい。

 

帰りの道々、思い返しながら気になったのは、

弁護士さんたちはどうやら、有機農業に対する批判や懐疑論を検証したいと

思われていたフシがあって、そのことに時間がさけなかっただけでなく、

僕の説明にも不充分な点があったことだ。

いずれちゃんと整理して、お返ししなければならない。

 

やっぱ講演というのは、自身の底力が反映するものである。

何度やっても、怖い。

 



2009年12月21日

おきたま興農舎 忘年会

 

肌を刺すような寒風の宮城から、大雪の山形へ。

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山形新幹線・赤湯駅。

ここに高倉健でも立っていたら、北のさいはてに来たかと勘違いするかもしれない。

・・・・・と思うのは、私がのんきな四国出身者だからか。

いやいや、地元の人でさえ 「この時期にこれだけ降るのは珍しい」 量らしい。

ま、どっちにしても、私には少々つらい出張になった。

 

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ここの由緒ある温泉宿で昨日(12月20日)、

大地を守る会に米・野菜・果物を出荷していただいている

おきたま興農舎の忘年会が開かれた。

忘年会に出席させていただくのは10年ぶりくらいだろうか。

あの時は有機の認証制度が作られようとしていた時代で、

これからの方向のような話をしろと言われて、喋った記憶がある。

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そう。 忘年会といってもただ飲むのでなく、

記念講演のような勉強会が設定され、かつ米・果樹・野菜に分かれての

1年の反省会もちゃんと行なわれるのである。

 

代表の小林亮さん。

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農民一揆を指揮した先祖が二人いるという家系。

「オレのいのちで済むんなら、いつでも」 -そんな血が流れている。

 


今年の記念講演には、農林水産省の若い官僚の方が呼ばれていた。 

しかしいま彼らには 「人前で喋ってはならない」 というお触れが出されているので、

今回はお忍び、というより公私の私人として自腹で参加したとの事。

というわけなので名前は伏せさせていただく。

 

話の中身はというと、食料自給率向上策や農家への戸別補償制度などなど、

国の対場を代弁しながら、果たしてこれでいいのかと悩みが漏れたり、

「農家はもっと高く売る努力が必要です」 と語りながら

「消費者は安いものを求めている (僕も中国産のほうを買うかも・・・)」

とのたまうなど、(正直だけど) 要所要所で歯切れが悪い。

何よこいつ、と亮さんに問えば、 

「まだ入省して5年なんだ。 気持ちのある奴と思ったから呼んだんだ。

 育ててやりてぇと思ってよ 」 とじつに優しい。

そうまで言われると仕方がない。

このご時勢で農民の集まりに飛び込んできた気概に免じて許すことにした。 

 

分科会では、米部会に参加した。

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最初からいきなり 「ではまず、大地さんから報告を」 と振られた。

亮さんのように人間ができてない僕は、

隣に座った農水省の若者をチクリチクリとやりながら、

米の販売動向から、夏に実施した興農舎の監査結果の報告を行なう。

監査とは、大地を守る会が定めた生産基準に基づく監査のことで、

僕らは昨年から、職員による内部監査を進めるとともに、有機JASの検査員を派遣して

独自に産地の監査を実施するという手法を導入している。

 

今回の監査で改めて見えたのが、ほ場(田んぼ) の所有あるいは栽培管理者が

動いているということである。

生産者ごとに最新のほ場リストを作成し直し、登録を更新したい。

たとえば減反で今年は作らないという場合でも除外せず、登録番号は固定化させ、

ほ場リストが興農舎と大地を守る会のデータベースに常に合致する状態にする。

そうすることで県の監査を受ける際も、すぐに照合ができる。

新しく借りたら、そのつど事務局に報告して、自分の管理台帳に追加する。

面倒な作業ではあるけど、

これが自分の栽培管理を証明するデータの大元になります、と説明する。

意味が分かっている人たちは、話が早い。

地区ごとの地図もつくって、この田んぼは今年は誰が何を作っている

とかも分かるようにしておこう、という話になった。

「今年じゅうには完成させます」 (事務局の五十嵐さん)。

言うことなし。 素晴らしいです。

 

会議では今年使った資材の結果から来年に向けての検討が行なわれた他、

穀物検定協会の方から、今年の興農舎の米についての評価も発表された。

夏場の日照不足など気候不順によって、全体的に品質・収量ともに落ちる年になった

にも拘わらず、興農舎の米は大変素晴らしい結果だったとの事。

多少のご祝儀発言もあっただろうとは思うが、

「皆さんが非常に努力していることが、米から見える」

と繰り返されていたことに、鑑定官の高い評価が窺えた。

「よかった。 頑張ったですね、皆さん」 とこちらも素直に感謝の弁が出る。

ガキ大将の顔のまんま大きくなったような生産者が一人、ウンウンと頷いている。

 

あとは温泉に入って一年の疲れを癒し、酒を酌み交わして労をねぎらい合う。

注がれるたびに 「いっぱい売ってねぇ」 「頼みます」 の台詞が胸にこたえる。 

 

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2009年12月19日

「環境創造型」 農業

 

宮城県北、栗原市と登米市にまたがる日本初のラムサール登録湿地、

伊豆沼と内沼地域。 

晩秋の頃になると、ここにたくさんのマガンやハクチョウが舞い降りてくる。

北の大陸から日本に渡ってくるマガンの、何と8割がここで越冬する。 

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冷たい風に雪がチラチラと舞う冬の伊豆沼。

 

その伊豆沼を見下ろす高台に建てられたサンクチュアリセンター。 

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館内には、伊豆沼・内沼周辺の環境や野鳥に関する様々な資料が展示されている。 

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ここの会議室で今日、「環境創造型農業勉強会」 なる集まりが開かれた。

 


勉強会を主催したのは 「ナマズのがっこう」 という団体。 

「農業と自然環境の共生」 を掲げて6年前に結成され、

魚が水路から田んぼに遡上できる水田魚道の開発や、

冬水田んぼと有機栽培による米づくり、環境教育プログラムの実施、

希少生物種の保全などに取り組んできた。

事務局長の三塚牧夫さんは県の職員として勤務する傍ら、

有機栽培で米も作っていて、田には魚道を設置し、天日乾燥で仕上げたコシヒカリを、

蕪栗米生産組合(代表:千葉孝志さん) を通じて、大地を守る会に出荷してくれている。 

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先日(12月8日付) 掲載した蕪栗米生産組合の写真、左から二人目が三塚牧夫さん。

後ろに設置されているのが魚道。 この道を辿って魚たちが田んぼに入り、

生物相の豊かな田んぼを構成してくれる。 

 

当地には、水田環境と生物多様性を語る際に欠かせない、二人の先生がいる。

「NPO法人 たんぼ」 理事長の岩淵成紀さんと、「日本雁を保護する会」 会長の呉地正行さんだ。

2005年、伊豆沼から10キロほど南に位置する蕪栗沼と周辺水田を

ラムサール条約に登録させた立役者とも言える二人である。

この二人を囲んで地元で勉強会を開けるというのが、ここの地域の強みだね。

いや、この地だからこそ、こういう人が輩出したとも言える。

まさに 「この地が生んだ-」 ってやつか。

 

会場に着いたのがお昼近くだったので、

冒頭に行なわれた岩淵さんの基調講演は聞けなかったのだが、

レジュメを開けば、「生物多様性の概念に基づく なつかしい未来へ」

なる言葉が目に飛び込んできて、氏が提唱してきた田んぼの生き物調査や冬水田んぼが、

ますます進化してきていることが窺える。 格調も一段と増してきている。

 

午前中は岩淵さんの講演のほか、岩手大学と東北大学がそれぞれに行なった

冬期湛水(冬水田んぼ) における生物多様性と栽培技術の状況調査報告がされた。

ここでも有機の課題は、カメムシと雑草であった。

 

午後の部の基調講演は呉地正行さん。

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雁を保護する意味から、なんで田んぼなのか、これからの方向など、

時間を相当にオーバーして、熱っぽく展開された。

二人合わせて1時間の超過。 岩淵・呉地ご両人の情熱は増すばかりだ。

 

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ガンは環境変化に対するセンサーであり、

豊かな水辺環境がないと生きてゆけない。 

しかも月平均 0度以上の気温というのが休息地のラインで、

宮城県はそういう意味で重要な地域なのだが、

県内にたくさんあった湖沼も、この100年で92%が消えてしまった。

周辺水田が切り札になっている意味が、ここにある。

 

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田んぼの持っているポテンシャルが、未来の鍵を握っているのだ。

「環境創造」 型農業と銘うった意味が、ここにある。

 

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最後に4名の方からの実践報告。

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うち3名は、蕪栗米生産組合のメンバーだ。

伊豆沼冬水田んぼ倶楽部会長・高橋吉郎さん (上の田んぼでの写真の左端の方)。

同会員の佐々木弘樹さん (同右端の方)。 亡くなったお父さんが初代の会長で

勤めを持ちつつ、父の遺志を継いで冬水田んぼにも取り組んでくれている。

そして千葉孝志さん。

 

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いま千葉さんは20町歩(=ha) の田んぼのうち18町歩を無農薬・有機でやっている。

これまでご自身が挑戦してきた米づくりの歴史をたどりながら、

先日紹介した、太陽エネルギーを使って井戸から水を引くという新しい試みも報告された。

「冬水田んぼもちゃんとした考えと技術が必要で、テキトーにやってはいけない」 と、

手厳しいコメントも、なかなか迫力のあるものだった。

 

今日の会は地域での勉強会だったのだが、

何と、石川県の橋詰善庸(よしのぶ) さんや

新潟・加茂有機米生産組合のスタッフ・大竹直人さんも参加されていて、

他県からの参加者ということでコメントを求められた。

僕も 「大地を守る会の生産者の勉強意欲はすごいでしょ」 なんて自慢したりして。

でも、間違ってはいない。 みんな、なかなかすごいです。

 



2009年12月17日

育成・・・はマニュアルではないけれど。

 

ただ働かせてばかりで、全然教えてくれない。

 Vs.せっかくチャンスを与えているのに、聞いてこない。 勉強もしてない。

 

ここには受け皿が整ってない。

 Vs.無理してでも用意してやろうかと思ってたけど、これじゃ面倒見れない。

 

・・・え?、ウチの話かって? ・・・おタクもそうなの?

 

どこの職場にもありがちで、身につまされるような会話がなされている。

働かせてるって、教えてるってことなんだけどねぇ・・・。

 

何の話かって?

有機農業推進のために設置されたモデルタウンから聞こえてくる話である。

新規就農希望者のための門戸(支援策) を開いたまではいいが、

育てる側と育てられる側に、どうもやはり、温度差がある。

「条件整備ができてない。」

 Vs.「条件が整っている産地なんてあるわけないだろ。 自分で切り開くんだよ。

    その手助けはするって言ってんだよ!」

 

門戸は門戸、である。 それが開かれただけでも画期的だと思う。

双方のストレスは、現段階での登竜門的課題を表しているとも言えるし、

実はあらゆる世界で連綿と続いてきた、後進育成の宿命のような気もしたりする。

成長すればいいのだ。

-なんて思っていたら、例の 「事業仕分け」 で有機農業推進事業は 「廃止」!だと。

これでさらに混乱が増している。

 

そんなめんどくさい情勢下ということもあって、

このところ名ばかりの幹事になってしまっていた千葉・山武有機農業推進協議会の会議に

久しぶりに顔を出すことにした。

仕事を途中で切り上げ、山武での夜の会議に遅れて参加する。

 


こちらも、こと研修生に関しては似たような状況である。

親の心子知らず・・・みたいな。

相手が 「やる気を持って来てくれた」 はずの人、という思いが強いほど、愚痴も強くなる。

これを解決するには、最初の面接段階での  " 合意 "  というプロセスをつくることが必要では、

と提案する。 オリエンテーションが大事なんじゃないだろうか。

受け入れ側の現実と、入る側のど素人さゆえの妄想とのマッチングは難しい。

厳しさと優しさの使い分けなんかも、そんなに賢くできるわけないし。

 

また、カリキュラムを作れば人は育つ、というもんでもない。

農業は特に。

教習所の優しい教官みたいな生産者は少なく、だいたいがトラック野郎みたいな連中だ。

自然相手の仕事はマニュアルだけでできる世界ではない。

ただ、自己満足の事業ではないのだから、

自分たちはここまでは教えてやる (あとはお前がつかめ)、

という育成のプログラムは分かるようにしておく必要があるだろう。

 

こんな議論をしながら、たとえ今年失敗しても、来年また失敗しても、

出会いはたくさんあったほうがいい、と僕はまだ秘かに楽観的である。

補助金がなくなったって、元々なかったんだから、くらいの気持ちだし。

 

有機農業は推進する、という気概は衰えない、ということだけは示していこうよ。

人はゼッタイについてくる。

 

ま、そんな感じで、少なくとも山武は

右往左往しながらも、真面目に話しあってます。

 



2009年12月14日

TV朝日「地球号食堂」に、That's 国産「特選おせち」登場!

 

テレビ朝日で毎週日曜日の夜に放映されている人気番組、

 地球号食堂 エコめし宣言~

今年の9月まで12年にわたって続いた 「素敵な宇宙船地球号」 の後身番組ですが、

そこで年末の2回にわたって、大地を守る会の日本料理店 「山藤

の梅田鉄哉総料理長がコーディネートした 「特選おせち」 が登場します。

 

今回のゲストは、片岡鶴太郎さん。

岩手県久慈市山形町(旧山形村) の短角牛に、

東京有機クラブの阪本吉五郎さんや川里弘さんの畑を訪ね、

国産素材による絶品のおせちを実現させます。

また 「地球号食堂」 店長の劇団ひとりさんやアナウンサーの矢島悠子さんが

「山藤」 西麻布店の料理長である青木剛三さんの手ほどきで、

定番のおせち料理にも挑戦するとか。

 

放映日は以下の予定です。

12月20日(日)23:30~24:00 山形村短角牛が登場します。

12月27日(日)23:35~24:05 東京有機クラブが登場します。

 

当会・広報室のスタッフが持ち回りで大地を守る会の活動をレポートする

ブログ大地を守る でもその収録の様子がレポートされているので、

よろしかったらご一読ください。

こちらのブログ、まだ新しく、書き手が何人もいるので更新頻度が高い。

ちょっと悔しい。 ま、問題は継続だからね。

 

加えて!

26日(土)と27日(日)の二日間、

六本木のテレビ朝日イベントスペース umu にて、

地球号食堂マルシェなるイベントも開催されます。

これまで番組で紹介された全国の厳選素材が勢ぞろいし、試食販売されます。

当然、大地を守る会の野菜や短角牛を原料にした製品も出品します。

来場者プレゼントも用意されるようですので、ホームページにてご確認を。

私たちも、東京有機の野菜や短角牛ビーフシチューなどを並べて、

たくさんのご来場をお待ちします。

 

さて、ウメさんのおせちを、番組ではどんなふうに料理してくれるのか。

見てあげるとしよう。

 



2009年12月 8日

"冬みず田んぼ" に、太陽光パネル!

 

宮城県大崎市 「蕪栗(かぶくり)米生産組合」代表の

千葉孝志(こうし) さんから電話が入る。

こちらから紹介していた太陽光発電の会社の人が今日、千葉さんを訪ねていて、

その報告である。

「話を聞いて、やることに決めました。 年内のうちに工事に入りますから。」

 

オオーッ! 即決! 大丈夫?

「大丈夫でしょう。 これで何とか冬のうちに水が張れそうかな。」

 

千葉さんの地域、旧田尻町にある蕪栗沼とその周辺の水田地帯が、

渡り鳥が休息するための貴重な湿地帯として

ラムサール条約に登録されたのは4年前のこと。

千葉さんはその前から有機栽培での米づくりをやりながら、

冬にも田んぼに水を張って、" 渡り鳥のための田んぼ "  にしてきた。

鳥たちはただ田んぼで餌を取るだけでなく、田を肥やす養分を残していってくれる。

 

千葉さんの田んぼにたむろするハクチョウたち。

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2年前に撮ったものだが、多少警戒しつつも、そばまで近づいても逃げないのだった。

 


そしてこの冬、千葉さんは用水から水を引くことのできない田んぼ用に、

新たに井戸を掘ろうという計画を立てた。 

しかも井戸水を汲み上げて田んぼに流す動力源として、

太陽エネルギーを利用できないかと考えたのだ。

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          (千葉孝志さん/撮影:農産チーム・海老原康弘)

 

その話に(株)日本エコシステムという太陽光発電の会社が乗ってきてくれた。

モデル実験として商売抜きで一基つくってみよう、

やるならこの冬には実現したい、ということで蕪栗まで出向いてもらった。

畦に太陽光パネルを並べる。 充分いける、という話になったようである。

素晴らしい。

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蕪栗米生産組合の面々と (撮影:同上)。

千葉さんたちは水路から魚たちが田んぼに遡上できるよう、魚道も設置している。

 

現地に赴いた日本エコシステムのHさんからも、翌日メールが入ってきて、

「千葉さんは立派な方で、感心しました」 とある。 

ガンもすでに5万羽ほどやってきていて、感動されて帰ってきたようである。

 

近々にも、田園の中に設置された太陽光発電の風景をお見せしたい。

乞うご期待。



2009年12月 4日

「有機農業をはじめよう」 就農ガイド

 

昨日は人間ドックのため休みを頂戴していたのだが、

「検査の前で酒休んだんなら、今日は飲みたいっしょ」

「オレがさ、わざわざ青森から来てやったっていうのに、逃げるわけ」 と、

青森・新農業研究会会長の一戸寿昭さんが脅しをかけてくる。

もちろん仕事があっての来訪で、ちゃんと担当が対応してくれているのだが、

ま、しょうがないので、夕方出社する。

「まだバリウムが残ってるよ~」

「じゃ、水分補給でしょ。」

それって、ここでいう 「水分」 じゃないと思うんですけど・・・

 

こんな感じで、いよいよ今年も師走、" 飲み "  のシーズンに突入である。

(いつも飲んでるけど、師走は別・・・・・ガンバロー!)

忘年会から新年会へ- 頼むから今年も持ってね、この体。

というワケで、だいたいこの時期に人間ドックを入れる。

検査の結果は数週間先になるが、今回の自慢は、骨密度かな。

「年齢平均の125%です。 上がってますねぇ」 と看護士さんから褒められた。

「ま、当然ですね」 に、ハア? とバカにした表情。 笑ってほしかったのに。

そんなことより問題は、肝機能だよ、君。

 

一戸さん来会で、若い職員も何人か集まって、一席。

話題はもっぱら景気の悪さ。

農家への戸別所得補償など政治の話については、生産者もまだ様子見の状態。

あんまりここで披露できる話はなくて、スミマセン。

 「あるのはカラ元気と意地だけよ」 と、励まし合ったのだった。

結局、休みだっちゅうのに事務所に泊まってしまったアタシ。

嫌な予感のする、師走への入りだなぁ・・・・・

 

ま、そんな話はともかく、今日は午後から東京に出かけたので、その話を。

有機農業で就農を考える人たち向けのガイドブックをつくるという話があって、

その編集会議に呼ばれたのだ。

 


ガイドブックを制作することになったのは、NPO法人 有機農業技術会議

" 農を変えたい!全国運動 " から生まれ、

有機農業技術の研究開発・体系化と、農業者の育成を目指して設立された団体。

有機農業推進法による助成を受け、有機農業への参入支援にも取り組んでいる。

その一環として、有機農業を志す人々を手助けするガイドブックを作ろう、

ということになった。 

集まった編集委員は、「有機農業技術会議」 から元京大教授の西村和雄さん、

茨城県・石岡市(旧八郷町) で有機農業推進モデルタウンの代表をされている柴山進さん、

埼玉県小川町で有機農業を営みながら多数の研修生を育ててきた田下隆一さん、

愛知県で有機農産物の生産から流通まで手がける池野雅道さん、

出版社・コモンズ代表でジャーナリストの肩書きも持つ大江正章さん、

そして私の6人。

この編集会議にお声かけ頂いたのは、技術会議の事務局で

(財)自然農法国際研究開発センターの藤田正雄さんからであった。

 

要は、「有機農業をやりたいけど、どう動いていいのか分からない」 という若者たちを

ガイドする冊子をまとめるということなのだが、そういうのって、もうあるんじゃないの?

と思った方は、有機農業に馴染んでおられる方々か。

メディアでも取り上げられることも多くなった有機農業だが、

扉はいっぱいあるようで、どこから入ればいいのか、伝手(つて) のない方にとっては

あればあるだけ不安も涌いたりするものである。

就農相談の窓口も今では全国の自治体にあるが、有機農業をサポートできるかと言うと、

だいぶ温度差がある。 あるようでない、ないようである、という感じなのだ。

戸惑っている人も多いと聞く。  

せっかく有機農業をやる気になった人たちが失敗しないよう、

入口としての適切な手引書を作っておきたいという気持ちは分からなくもない。

 

事業仕分けの影響は大丈夫ですか? と意地の悪い質問を投げてみる。

「国がどう変わろうと、有機農業推進は推進、モデルタウンはモデルタウンである、

 という考えもあります。」

なるほど、力強い。 

 

一気に構成を組み、執筆者や取材先を決め、取りかかることになった。

欲を出せば、あれもこれもとなるが、計画はA5版32ページという小冊子なので、

ポイントを絞り、どこまで削るかのほうが議論になる。 これがけっこう難しい。

 

就農者で成功した実例も掲載しておきたい、という話にもなって、

ここで大地を守る会の元職員の名前が複数上がった。

嬉しいものだね、こういうの、ほんとに。

その中で1名、北海道という厳しい土地に就農した事例として執筆依頼が決定した。 

富良野に行った君。 そう、君のことです。 あとで連絡するから、書くように。

嫁さんに書いてもらってもいい (たぶんそうなるだろうが)。 

これは先輩としての使命、ミッションだからね。

" ワシは、こんなとこ、来とうはなかった! "

  - は、無しでお願いしますよ。 多分ここではウケないと思うので。

 

しかしここで、いちおう念のために。

流通の仕事を経て就農、というのをモデル・コースのように思われては困ります。

「ウチは腰掛け先ではありません!」

結果として、夢を持って巣立つのは、許すが・・・・・

 

僕が引き受けた原稿は、有機JASの解説。 なんだかね。

 



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