戎谷徹也: 2010年5月アーカイブ

2010年5月30日

東京田んぼ

 

田んぼスケープ」 でコラボさせていただいている

ELP代表の竹村真一さんが、FMラジオ 「J-WAVE」(81.3KHz) の

月曜から金曜の夜に放送される 「Jam the World」 という番組のなかで、

Grobal Sensor」 というコーナーを担当されるという話を4月の頭にしたけど、

その竹村さんから、「東京の田んぼの写真をアップしてくれないか」

という連絡を受けたのは4月の20日頃だったか。

 

東京にも田んぼがある、という話題提供をしたいと言うのだった。

それは面白いのだけれど、番組の収録が迫っていて、

今日明日の間にでも、という急な話だったため、応えることができなかった。

 

あれからどうも  " 東京の田んぼ "  が気になってしまっている。

いくつかアテがないわけではないので、意を決して回ってみることにする。

 

手始めはここから。

足立区鹿浜、「都市農業公園」 内にある田んぼ。 

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ここの農園は、茨城県石岡市(旧八郷町) の有機農家で、

日本有機農業研究会の副理事長・魚住道郎さんが指導にあたっている

有機菜園である。 今も魚住さんの指導は続いているはずだ。

 

その一角に田んぼもある。

スタッフの方が補植しているところを見ると、田植え後一週間ほどか。

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2枚のうち1枚のほうには、「ヒカリ新世紀」 とか 「紫黒」 とか 「古代青」 とか、

8種類の古代米も植わっている。 

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公園内には、ハーブ園や自然環境館、昔の農機具展示室、

陶芸や紙すきなどができる工房棟、緑の相談所などが開設されている。 

レストランもある。

 

目の前を走るのが首都高速川口線、鹿浜橋インターの近く。

後ろは荒川の河川敷である。

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こんなところでも有機農業の菜園がある。

都民向けにいろんな体験イベントも開催されている。

 

麦にはネットが張られている。 もう少しで収穫だね。

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江戸時代の古民家が移設されている。 

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江戸時代後期、旧和井田家の住宅、とある。

昨年、茅の吹き替えも行なわれている。

手前の花はシャーレーポピーという種類だって。

 

自然環境館を覗くと、田んぼ探検隊なる看板が。

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おっ、ペットボトル田んぼだ。

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牛乳パック田んぼもある。

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こういう素材を使えば、家庭でも気軽に米づくりが楽しめる。

伸びてきたら一本ずつに分けて育ててほしい。

ただ場所が狭く、土が少ないので、大きくなってきたらこのままでは可哀想になる。

最後はやっぱりもっと大きなプランターに移してあげたい。

 

公園の田んぼじゃ、竹村さんが期待したのとは違うのかもしれない。

でもまあ、これも東京の田んぼではある。

続いて、もうちょっと歩いてみようかと思う。

私が選ぶ 「東京田んぼ」 シリーズ、って感じで。

これから順次 「田んぼスケープ」 にアップしてまいります。

さて、何本までいけるか。。。

 

皆さんもウォッチャーになって、気に入った田んぼを見つけたら

投稿していただけると、竹村さんも、僕も、嬉しいです。

 



2010年5月28日

環境配慮で競う、きのこ生産者会議

 

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ここは山形県最上郡舟形町。 「有限会社 舟形マッシュルーム」 さん。

5月27日(木)、ここに大地を守る会のきのこ生産者が集合する。

3年ぶりの開催となった 「第5回 全国きのこ生産者会議」。

2年前からお付き合いが始まった舟形マッシュさんの取り組みを

みんなで学ぼうというわけである。

 

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マッシュルームは、太古より馬厩肥などに生えていたキノコだが、

私たちが手にできるマッシュルームはすべて施設での栽培である。

和名からして 「ツクリタケ」 というくらいで。。。

 

舟形マッシュさんのハウスはアルミ製。 腐食に強く衛生的で長持ちする。

代表の長沢光芳さんが会社を設立して10年。

今ではハウスが18棟、フル稼動すれば年間約300トンの生産体制になる。

生産にあたって農薬はいっさい使用しない。 設備の殺菌はすべて蒸気で行なう。

熱は地域資源を再利用したバイオマス蒸気ボイラーでまかない、

培地の廃材は堆肥化し田畑に還す。

JGAP (Japan Good Agricultural Practice:適正農業規範) も取得し、

その環境に配慮した生産体制は、昨年、

農林水産大臣賞と山形県ベストアグリ賞のダブル受賞を果たしている。

 

靴を洗って、中を見せてもらう。 

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一棟の中に2列 × 5段ベッドという構造。

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培地に使われる資材は、競馬場から出る馬厩肥、地元や宮城から運んだ稲ワラ、

缶コーヒーを製造した後のコーヒー豆の搾りかす、

大豆の搾りかす (非遺伝子組み換えのもの) など、未利用資源の活用を徹底する。

それらを発酵させ、コンポスト (マッシュルーム専用の培地) をつくる。

 

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ハウス内を熱殺菌し、上記資材で作られた菌床を敷き詰め、菌を手でまき、

混ぜた上に、ピートモス(泥炭層の堆積土) で覆土する。

 

生育期間は8日とか9日で、3回のピークがあって、

1ベッドの収穫期間は27日ということになる。

収穫はすべて手作業となる。

 

マッシュルームといえばホワイト種が主流だが、

風味や味を重視する方はブラウン種のほうを好む。 

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こちらがホワイト種。 

上品な白、味はブラウンよりまろやかというのが定説。

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これが菌の種。 手で散布される。

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生まれたばかりの真珠のような玉も見える。 アップで撮ると別世界のようだ。

 

舟形マッシュさんの売りの一つ。 

ジャンボ・マッシュルームにスーパージャンボ・マッシュルーム。

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改良品種ではなく、菌のコロニーを固めずに、間引きもしながら

時間をかけて1個を大きくしたもの。 よって生産量は少ない。

 

収穫が手作業なら、軸をカットする作業も手作業となる。

包装も手詰めで品質をチェックする。

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まさにマシュマロのようなまんじゅうが、きれいに並んでいる様である。

 

こちらが廃材チップを利用したバイオマス蒸気ボイラー。

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石油に頼らず、地域資源を無駄なく循環させたいという長沢さんの理念が、

2年間のテスト期間を経て、今年の3月から実現した。

 

収穫の終わった廃床は完熟堆肥に生まれ変わる。

 

施設をひと通り見学した後、参加者一行は最上町の宿に移って、

改めて長沢さんから会社の概要の説明を受ける。 

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長沢さんは、元は缶コーヒーをつくる食品メーカーに勤めていたのだそうだ。

そこでマッシュルーム関係の仕事に回されてノウハウを学んだ後、

家族の事情で実家に戻り、米を作る傍ら、

仲間と一緒に舟形マッシュルーム生産組合を立ち上げたという経歴である。

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マッシュルームの先進地、海外の視察にも余念がない。

国内での生産が横ばいの中、レシピの開発やレストランとの連携などによって、

まだまだマッシュは伸びると断言する。

キノコは体にもいいものだしね。

 

群馬の 「自然耕房(じねんこうぼう)」 さんといい、長野の 「えのきぼうや」 さんといい、

安全なきのこ生産は、資源循環のひとつのツボだ。

大地を守る会のキノコは地域に貢献する、と宣言しておきたい。

 

最上町瀬見温泉は、義経と弁慶が頼朝に追われて落ちてゆく途中、

弁慶が薙刀で湯を掘り当てたという、伝説の湯治場である。

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悠然と流れる清流、小国川 (最上川の支流) が美しい。

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2010年5月23日

「稲作体験2010」のスタート

 

大地を守る会の 「稲作体験2010」。

21回目の米づくりも、いよいよ畑の苗代から田んぼ に入る日を迎えた。

田植えというのはいつも心が弾むね。 小学校の入学式に向かう子どもみたいに、

輝やかしい未来が待っているような気分になる。

お天気も、小雨模様ではあるが、何とか持ちそうだ。

 

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毎年書いている気がするが、本当に21年、見事に変わらない風景である。

木々の高さまで変わらないように見えるのはなぜなんだろう。

彼らに比べ、我々の持っている時間のなんと儚いことか。 大事にしなくちゃ。

 

例によって綿貫直樹さんが線を引いてくれる。

 

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お父さんの栄治さんから引き継いで、線引き2代目。

縦だけでなく横も引いて碁盤の目にしてくれる。 いわゆる尺角植え。

道具も21年変わらないねぇ。 年に一回、この日のために取っておいてくれている。

 

10時を過ぎて参加者到着。

今年は田んぼを1枚に戻したことで、つらい抽選となってしまった。

落選された方々には、ホントに申し訳ありません。

すべてボランティア・スタッフで運営する我々の力量の限界ということで、お許しください。

 

着替えをすませた人たちが畦に降りてくる。

ここでさりげなくお手本を見せるのが、さんぶ野菜ネットワーク常勤理事、男・下山久信。

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「早くやんないと日が暮れっちまうよ」 も決まり文句。

大丈夫。 160人の手にかかれば一撃です。

 

さあ、一列に並んで、いざ。

 

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お父さんもお母さんも子どもたちも、一緒になって田植えのスタート。 

ウキウキ感もここで絶頂に至る。 何度見ても、壮観です。

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初めての田んぼの感触は、いかがだったでしょう。 

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泥は泥でも、生きている土壌は生命循環を支える土台だからね。

これが生命の星・地球の皮膚だ。 汚していいはずがないよね。

精一杯、感触を楽しんでほしい。 

 

こちらは経験者? さまになっている。 

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紙マルチは真ん中で向き合って、

後ろに下がりながら植えていく。 これの問題は植え直しが出来ないことだ。

丁寧さと前後左右への気配りが求められる。

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エビが選んだ今回の稲作DNA大賞。

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キマりすぎてるぞ。 昭和を彷彿とさせるような・・・

それに苗も、アジアって感じで、いい。 

 

こちらは、カエルを捕まえて、ご機嫌です。

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田植えの後の交流会では、もはやこれなしではすまされなくなった

陶(すえ) ハカセの生きもの講座。

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捕まえたカエルや虫をスコープで拡大してモニターに映し出す。

道具も年々進化してきている。

みんなの注目はアマガエル。 ホント、子どもはアマガエルが好きだ。

ハカセ曰く。

  渡り鳥のために冬にも水を張る田んぼが増えてるけど、鳥たちだけでなく、

  2月から3月に卵を産むカエルも田んぼで生きることができます。

  もっと増えるといいですね。

うなずく子どもたち。

きっとエビではうなずかないな。 ハカセへの信頼は絶大なのである。

 

交流会では、誰が考えたのか、

 「未来の自分あての手紙」 を書いてみよう、というプログラムも用意された。

面白うそうだね。。。 

内容は・・・ 追ってご紹介させていただくことにしたい。 このテーマで1回書けそうだし。

 

地主、佐藤秀雄さんの話を聞く。 

今日はわりとご機嫌な感じで、舌も滑らか。

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今年は寒い日が多くて、苗づくりは苦戦した。 いつもより苗の本数も少なかった。

でも、そのぶん、間に合ってよかったという気持ちも強いのだと思う。

 

今年の看板。 新しい手形を押して完成。 

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かなりきれいに植えられました。 パチパチパチパチ。

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向こう側の、地面が白く見える部分が紙マルチ区。

そしてその向こうには、数列の新しい実験区が作られた。

苗1本で植えた列と10本くらい植えた列。 

最終的に収穫量がどう違ってくるのかを確かめたいのだそうだ。

それにまったく草を取らなかったらどうなるか、だと。

佐藤秀雄、絶句!

種が落ちちゃうべぇ よぉぉぉ~~と独りごちながら、まあ好きにしろと言うしかない。  

 

ほとんど出番の無くなってきた我が輩は、

こそこそと田んぼスケープに投稿したりしていたのだった。

よろしかったら覗いてみてください。

 http://www.tanbo-scape.jp/

 



2010年5月22日

生物多様性農業支援センター総会

 

今年は国際生物多様性年。 10月には名古屋で国際会議(COP10) も開かれる。

そして今日は、国連が定めた 「生物多様性の日」 である。

 

当方としては、わが 「稲作体験2010」 田植えの前日ということもあって、

本来はその準備のために現地(千葉・山武) に入るのだが、

今回は若手職員たちによる実行委員会にお任せして、

NPO法人「生物多様性農業支援センター」(略称:BASC、バスク) の総会に出かける。

場所はなんと高尾。 町田市相原の山の中にあるJA教育センター。

 

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設立されてから丸2年が経った。

その間、田んぼの生きもの調査の全国的な展開やインストラクターの養成、

映画 『田んぼ』 の制作、シンポジウムや国際会議の開催などに取り組んできた。

その活動内容を確認するとともに、今期の活動方針・予算などを審議する。

総会というと、通常なら議案の提案(読み上げ) と多少の質疑で終了したりするものだが、

昨年度の決算状況が芳しくなかったこともあって、

今期の方針と予算見込みの実現性について、また執行部の運営体制について、

ずいぶん厳しい声も上がって紛糾したのだった。

 


なにしろこのNPO、JA全農という大御所から生協、環境保護団体などなど、

そうそうたる団体の代表が理事に名を連ねて設立された

重量級の特定非営利活動法人である。

大地を守る会からも藤田会長が理事になっている (僕はいつも代理での出席)。

それだけに運営に甘いところがあると、実に手厳しい。

 

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なんとか議案がすべて承認され、緑豊かなJAの研修施設をあとにして、

夕方から何名かで高尾駅前の居酒屋で一杯やる。

 

NPOの運営というのは難しいものだ。

田んぼの生き物調査を実施するにも経費がかかる。

しかしそれで収益を上げようとすると農家もなかなかついてこない。

そもそも全国どこでも手軽に実践できるようにと、

指導者を養成する講習会なども開いてきたのだ。

 

田んぼの生き物調査のナショナルセンターをつくろう、

という理念は良しとして、その運営の自立に向けては、まだまだ課題が山積している。

「大地さんも、もっと働いてよね」 -原耕造理事長のセリフが重たい。

 

帰りの電車では、福岡から毎回理事会に出てこられている宇根豊さんと

二人だけになって、ほろ酔いでお喋りしながら帰ってくる。

「市民による民間型環境支払い」 を応援する 「田んぼ市民」 なる制度も立ち上げ、

おいそれと引けないね、とか何とかかんとか。

宇根さんも、今年が正念場だと感じている。

しかし、みんなそれぞれに自分のところで手いっぱいな面もあって、

どうしても執行部に任せてしまうところがある。 いや、なかなかに難しい。 

 

稲作体験のスタッフに電話を入れると、

準備は順調にはかどって、

何人かが事務所に戻って参加者全員に電話掛けをしている、とのこと。

天候が悪いと不安になって問い合わせてくる方が多いので、

先に 「明日は、雨でもやります」 という連絡を入れようということになったようだ。

今年の稲作体験は、応募者78世帯240名。

抽選で約160名まで絞らせていただいたが、それでもけっこうな件数だ。

まあ、よく判断して動いてくれていると思う。

こうして僕の出番はだんだんとなくなってゆくんだよね。

 

明日、何とか小雨ですみますように。

 



2010年5月20日

いねは光から・・

 

ブログにまったく手が回らない1週間だった。

でも、その間にも嬉しい手紙が届いていて、

ご本人(正確にはお母様から) の許可ももらったのでアップしたい。 

5月4日の堰さらいに参加されたご家族の息子さんから、エビちゃんへ。

 

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すごいぞ、なんだ、この詩は。


お母様からの説明によれば、

これは担任の先生が考え、子どもたちが写した詩だとのこと。

授業は数日にわたって、稲作の手順に沿って、詩と絵が描かれてゆくのだそうだ。

 

実際にどんなふうに授業が展開されたのだろう。

僕も生徒になってみたい。

 

いまの教育現場のことはよく分からないけど、先生たちの模索も進化しているんだね。

文化の質は、次世代の感性をどう育くもうとするかによってもはかることができる。

食べものは自然エネルギーの還元(=恵み) であるという根本原理を

伝えてくれる先生の存在は、何にもまして必須だと思うのである。

 

Sくんへ。 ありがとう。 希望を感じたよ。

また会おうね。

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2010年5月15日

富平(フーピン) 学校

 

5月12日(水)、中国からお客さんがやってきた。

北京富平(フーピン)学校というNGO団体。

農村女性の貧困救済を目的とした家政婦学校としてスタートして、

職業訓練から互助ネットワークづくり、起業研修、

マイクロクレジット(少額融資) 制度などの事業へと発展してきている。

 

その富平学校が、中国で大地を守る会のような組織を作りたいと

研修にやってきたのだった。

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中国といえばご存知の通り、めざましい経済発展の裏で、

格差の拡大や環境破壊が激しく進んでいる国である。 

都市部では食の安全への不安も増していて、

「有機農産物」 は一般の野菜より10倍以上の値段で売られたりしているらしいが、

その実、有機農産物の表示はあまり信用されていないという。

また農民の暮らしは全然よくならない。

 

そこで彼らが注目したのが日本の 「大地を守る会」 というわけで、

中国でも持続可能な農業をベースにして生産者と消費者をつなげる事業を立ち上げようと

プランを練り始めたという経過である。

 

富平学校長の沈(Shen) 曙東さんは、実は3年前、

日本のソーシャル・ビジネスを視察して回った際に、当会を訪れている。

その時から 「これだ!」 という直感を抱いたのだと言う。

そして2年が経ち、昨年10月、今度は藤田会長が沈さんに招かれ、

農村を訪問して相互の交流が始まった。

 

そしていよいよ、沈さんは事業のパートナーと有機農業の青年リーダーを連れて、

組織の仕組みを詳細に知るためにやってきたのだ。

「大地を守る会35年の歴史のすべてをお見せしたい」 と藤田は応じた。

カッコいいなぁ。 でも実際のレクチャーは我々の仕事である。

 


翌13日(木)、生産管理の仕組みについて説明する。

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生産者の開拓から、契約、栽培管理やトレーサビリティの仕組みなど、

概略の説明は有機農業推進室・吉原清美が担当する。

質問は多岐にわたり、ときに設立時の話にまで遡り、ときに微妙なディテールを

実例を示しながら解説する。 基本から応用まで、国の法律から大地の基準まで・・・

予定の半日で終わらず、夕方までかかる。

これからどうやって生産者を組織していくか、多少の参考になったなら幸いである。

 

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疲れを知らない彼らは、物流センターを視察して質問を浴びせ、

スーパーマーケットや東京駅のデリを視察し、

また専門委員会 「森と住まいづくりフォーラム」 の活動に参加し、

2ヶ所の産地を回って有機農家と意見交換し、

夜は大地職員と交流した。

 

13日の夜は 「山藤」 で懇親会。

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14日の夜は幕張で職員と交流会。

ここでは逆に富平学校の活動についてレクチャーしていただく。

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北京富平学校長・沈さんは、元は投資会社のコンサルタントという経歴の持ち主。

中国でも新しいソーシャル・ビジネスの世界を発展させたいと願っている。

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こちらは山西省蓁子(サイシ) 村の農業リーダー、カンさん。

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有機で大豆や綿花を栽培している。 

一度は有機をやめようと思ったこともあるが、

若者たちを組織して農業を発展させるにはやはり有機農業だと思い直した。

今では50人のメンバーがいるとのこと。

我々のほうも学ぶべきことがたくさんあるじゃないか。

 

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中国の食と農業や環境の変化はモロに日本に影響する。

同じアジアの民として、互いの経験や知恵を交流させ一緒に発展できたらいい。

両国の信頼関係づくりにも少しは貢献できるのではないだろうか。

 

いつか中国に行く機会があったら、

尊敬する偉大な政治家、周恩来の話なども彼らとしてみたいと思う。

戦後、日本への批判が厳しい中で、

「日本に賠償は求めない」 「悪いのは政治や軍であって日本人そのものではない」

と言い切った政治家。

この人が願ってやまなかった朋友関係は未だのままだ。

 

また会いましょう。 再見(ツァイツェン)!

 



2010年5月10日

プージェー

 

たまには個人的な関係の話題もお許し願いたい。

プージェー 』 という長編ドキュメンタリー映画の話をしたくて。

 

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探検家であり医師の 関野吉晴 さんをご存知の方は多いと思う。

約800万年前、アフリカ大陸エチオピアからタンザニアにいたる大地溝帯

(グレート・リフト・バレー) の東側で誕生した人類 (ホモ・エレクトス) が、

ユーラシア大陸からベーリング海峡を越え、

南米の先端まで到達したのが約3万4000年ほど前だと言われる。

その距離およそ5万3000キロ。

 

関野さんは1993年、その逆をたどる旅を始めた。

南米の最南端チリ・ナバリーノ島から人類誕生の地タンザニア・ラエトリまで、

8年3ヶ月の年月をかけて踏破した。

動力は一切使わず、自らの腕力と脚力を頼りに遡行したその旅は

 「グレートジャーニー 5万キロの旅」 と名づけられた。

テレビカメラも同行して特番で放送されたり、記録本も何冊か出版されている。

 

その旅の途中、モンゴルの大草原で、関野さんは一人の少女と出会った。

6歳にして自在に馬を操り家畜を誘導する少女、プージェー。

映画は、その関野さんとプージェー一家との、5年間の交流の記録である。

2006年に完成し、EBS国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなど数々の賞を獲得した。

 

監督は山田和也さん。

フジテレビでの 「グレートジャーニー」 を制作したテレビ演出家でもあり、

最近の作品では、先月NHK・BSハイビジョンで放送された

「世界の名峰グレート・サミッツ クリチェフスカヤ ~火と氷の山~ 」 がある。

ロシア・カムチャッカ半島に聳える、5千メートルに近い氷河に覆われた火山と

ツンドラの厳しい自然を撮った、恐るべき映像マン。

こういう人がいてくれるから、僕らは世界の最高峰や秘境を茶の間で見ることができる。

 

僕が山田監督と出会ったのは5年前の9月。

大和川酒造の佐藤和典工場長たちと飯豊山に登った時に一緒だった。

その登山で、僕は何と登山靴の靴底を剥がしてしまい、

帰りの途中から監督の靴を借りて下山したのだった。

監督は山小屋に置き忘れられていた室内シューズで事もなげに下られた。

全然レベルの違う方だった。

それ以来、細々ながらもお付き合いさせていただいている。

 


さて、『 プージェー 』 はロードショーで一度観ていたのだが、

山田監督から、久しぶりに東京で上映会をやります、とのメールを頂戴した。

案内を見れば、関野さんと二人でトークも予定されている。

5月9日、場所は中野の 「なかのZERO」 小ホール。

 

映画の上映のあと、お二人のトークが行なわれる。

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お二人は 『プージェー』 を撮ったあとも、家族との交流を続けていたのだ。

その話はとても哀しくて、うまく説明できそうにない。

社会主義から市場経済に移行してから人々は現金を求めて都市を目指すようになり、

08年からの世界的な金融危機はモンゴル経済にも大きな影響を与えているようだ。

遊牧民に対する国の助成も皆無に近くなって、

誇り高きモンゴルの遊牧民は激しく減少の一途をたどっている。

今回の上映会は、

草原に戻りたいというプージェーの家族への支援も兼ねて開かれたのだった。

 

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右が関野吉晴さん、左が山田和也監督。

トークでは、モンゴルの社会状況に加えて、プージェーの同級生たちに会ってきた話、

親友だった女の子から 『プージェー』 を観ていただいた日本人へのメッセージの朗読

などが披露された。

そう・・・・・プージェーは交通事故で亡くなったのだ。

家畜の世話をしっかりやりながら、学校で勉強できる喜びを全身で表現していた女の子。

大きくなったら先生になる夢を語っていた女の子が、関野さんとの交流で、

「日本語を学んで通訳になりたい」 と言うようになった。

「じゃあ、通訳になって日本に来てね」 と語りかける関野さんに、

恥ずかしそうに頷いたプージェー。。。 映画の残像が消えない。

 

お二人とも、とても優しいまなざしと語り口である。

探検家というのは、かくも穏やかに落ち着いているものなのか。

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生きて感じ取ってきたものの質が違うんだ、きっと。

僕が地球の鼓動と一体になれるのは、、、最後の時だけかな。

 

『 プージェー 』 上映会は、あと一回、

5月16日(日) にもあります。

場所は同じ 「なかのZERO」 小ホール(JR中野駅南口から徒歩8分)。

山田監督のトーク 「プージェー家族のその後」 も予定されています。

春風亭昇太さんがゲストとのこと。

夜ですが、もしお時間ある方はぜひ。

詳細は 「プージェー」 公式サイトにて http://puujee.info/index.htm

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2010年5月 6日

堰が人をつないでいる

 

さて、堰浚いを終えて、夜の 「里山交流会」 までの時間を使って、

チャルジョウ農場 を訪ねる。

 

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元は福島県農業試験場の指導者だった小川光さんが、

中央アジア乾燥地帯での農業指導を経て、

山都町に入植して自ら有機農業の実践に入った。

そして彼独自の技術と理論によって、東北の雪深い山間地の潅水設備もない環境で、

ハウス施設を使っての無農薬栽培の技術を確立させたのだ。

以来、たくさんの若い研修生を育てては、就農の斡旋まで引き受けている。

 

堰浚いボランティアの呼びかけ人である浅見彰宏さんも

小川さんの世話で当地に入植した一人である。

農場の名前は、小川さんが惚れたトルクメニスタン国・チャルジョウの町名に由来する。

 

この日、光さんは新しく借りてほしいという西会津町の畑を見に行って留守だった。

耕作放棄という言葉を許すことができない、一直線の農業指導者なのだ。

" 山都町の空き家情報を最もよく知る人 "  とも言われる。

 

一昨年から小川さんとこの農場の研修生たちの作った野菜をセットにして販売している。

研修生たちが名づけたグループ名は 「あいづ耕人会たべらんしょ」 という。

 

堰浚いに参加された当会の会員の方と、

埼玉県小川町の金子美登さんの農場で研修された二人の若者もお連れする。

実は小川光さんのご長男、未明(みはる) さんも

金子さんの 「霜里農場」 で勉強した経験を持っている。 

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なかなかイイ男だと思うのだが、いかがでしょうか。 

独身です。

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この日はやや遅れ気味であったミニトマトの定植作業に追われていた。

今年、小川さんが引き受けた研修生は10人。

堰浚いにも何人か参加してくれた。

 

楽しそうに、農作業にいそしんでいる。

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農作業は楽しいと、彼らは一様に言う。

しかし、それで生活するとなると、途端に厳しいものになる。

佐賀の農民作家・山下惣一さんのセリフが思い出される。

「農作業は楽しい。 しかし  " 農業 "  となると一転して腹が立つ。」

 

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この農場で育てるミニトマトの品種は 「紅涙(こうるい)」 という。

光さんが育ててきたオリジナル品種。 

水がやれないため逆に味が濃縮される。 酸味もしっかりあって実に美味い。

今年は 「たべらんしょ」 の野菜セットの他に、

庄右衛門インゲンなどが 「とくたろうさん」 で取り扱える手はずになっている。

 

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若者たちの息吹が、そう遠くない将来、

この山間地の環境と暮らしを支える担い手になることだろう。

彼らを応援することで、この国は豊かになる、と僕は思っている。 

 

温泉に入って、公民館に戻る。

夜の 「里山交流会」 の開催。 テーブルには山菜料理が所狭しと並べられる。

里山の自然の恵み一覧のようだ。

心地よい疲れもあって、皆早く 「乾杯!」 といきたいところなのだが、

今年はその前にお勉強会の時間が設けられた。 

せっかくの機会をただの飲み会にするんじゃなく、

堰の大切さや農業のことなども学んで意見交換の場にしたい、

というのが浅見さんのねらいである。

それはまことに結構なのだが、その一番バッターに指名された者は可哀想だ。

浅見さんから出された宿題は、「食と農と堰のかかわりについて」。

しかもお酒を前にしての講演なんで、30分くらいで- だと。

 

みんなの視線が厳しいなあ、と感じながら話をさせていただく。

僕なりに考えた堰の価値と、将来にわたる大切な役割について。

地球規模で進んでいる生物多様性と水の危機という視点を盛り込んで考えてみた。

 

堰自体はその地域の方々のものだけれど、自然環境と水を巧みに生かしながら

食と農を支えてきた水路は、貴重な国民的資産でもある。

それはとても税金で賄えるものではない。

ボランティアはよそ者だけれど、未来の食と環境と、その土台技術を守る仲間として、

この堰が人を呼び、つないでいるとも言えるのではないだろうか。

 

堰を守ることは根っこのところでは食糧安保の問題でもある、

とまとめたかったのだが、時間が気になって言い忘れてしまった。

実にプレッシャーのきつい講演だったよ、浅見さん。

 

多くの方に褒めてはいただいたものの、出来のほどは自分では分からない。

あとはひたすら飲み、たらふく山菜料理を味わい、語り合い、

深夜まで至福の時を過ごさせていただいた次第。

カンパで持参した 「種蒔人」 は、瞬時に空いてしまった。

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翌日、小川未明さんから連絡あり、後のほうの記憶がない、とのこと。

「何か失礼なこと言いませんでしたか?」

もったいないことに、当方も、ただただ楽しかった、という残像のみである。

 

小川光・未明父子や若い研修生たちとの出会いも、堰がくれたものだ。

自然は折り合いさえつければ、たくさんの恵みを与えてくれる。 しかも無償で。

腰は痛いけど。

 



2010年5月 5日

堰さらいは大人の環境教育?

 

ゴールデンウィークはマジに会津詣が恒例となってしまった。

 

5月3日、我々 「大地を守る会の 堰さらい ボランティア班」 は、

渋滞にはまったり迂回したりしながら、

夕刻前には福島県喜多方市山都町早稲谷地区に到着した。

4回目にして出迎えてくれたのは、満開の桜である。

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4月の寒さで、稲の苗の生育もだいぶ遅れ気味とのこと。

短い春に、ハチたちもせっせと働いている。

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まずはゆっくりと温泉に入って、夜は公民館で、

地元の方や集まったボランティアの方々と 「前夜祭」(という名の飲み会) を楽しむ。

今年はボランティアがさらに増えて、40名を超えた。

大地を守る会からも去年より一人増えて、5名 (+子供一人) の参加である。

しかしその一方で、地元では2軒の農家が耕作をやめたとのこと。 

堰の維持は今ではボランティアの力にかかっている、とまで言われるようになった。

「本当にありがたい」 と地元の方々に感謝されたりする。

しかし、この水路を地域の協働で営々と支えてきた歴史に感謝すべきは誰なのか、

堰さらいに参加する人たちは知っている。

 


4日朝、みんなで作った朝ごはんを済ませて、

7時半から 「総人足」 (全戸総出での清掃作業を地元の人はこう呼ぶ) 開始。

総延長6キロに及ぶ 「本木上堰 (もときじょうせき)」 を、

上流の早稲谷の取水口から下っていく班と、

下流の本木集落から上がっていく班に分かれる。

作業は両班が出会うまで終われない。

 

僕は今年は早稲谷班に配属される。

下の写真の右手が、早稲谷川から水を引く取水口。

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ここから堰に溜まった土砂や落ち葉を浚(さら) っていく。

 

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最初は楽しく会話しながら、それが段々と沈黙の作業に変わっていく。

実は前々日から、またしても腰痛をぶり返してしまった私。

立ったり座ったりがひどく辛いのだが、意地もあって必死で作業する。

時々フォークを杖代わりにして、、、

運動会の前になると熱を出す子供みたい、とからかわれたりしながら。。。

 

ま、そんなダメおやじの体たらくにかまうことなく、

ひたすら浚う、浚う、のボランティア諸君。 

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浚う、浚う、浚う。。。

 

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 たまさかの休憩時間。

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時折は山野の植物を愛でたりもする。

カタクリの花、発見。

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しかし・・・くそッ、ピントが合ってないぞ。

 

午後2時過ぎくらいだったか、ようやく合流。

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お疲れ様、でした。

これで今年も水がしっかりつながります。

 

見てお分かりいただけるだろうか。

この堰には傾斜がほとんどない。

尾根筋に沿って掘られた水路はゆっくりと水を集め、温ませながら里に下りてゆく。

しかも素掘りのままの形が残っている。

掘ったのは江戸時代中期、会津藩の命により寛保7年 (1747年) に完成した。

地形と水の原理を操った土木技術は驚嘆に値する。

以来260年余、部分的に少しずつU字溝などで補修されながら、生き続けてきた。

 

5月10日にもなれば、この棚田にも水が入ることになる。

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この風景すべてを、堰が支えてきたのだ。

 

公民館前の広場で、お疲れ様会。

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例によってサバの水煮缶とお豆腐、そして豚汁に麦酒が振る舞われる。

連れの職員Sは会津若松出身で、今もサバ缶は常備品だと言って、

自分の分も上げると、すかさず受け取る。

ま、こいつが一緒に来てくれる限りは運転を任せられるから、安いものだ。

 

夜にも地元の方々との 「里山交流会」 が予定されていて、

僕は宴席の前に講演を依頼されていたこともあって、麦酒は控えめにして、

合い間を縫って、別集落にある小川光さんの 「チャルジョウ農場」 を訪ねることにした。

 

というところで疲れてきたので、この話、明日に続けます。

腰が痛いよ、本格的に。。。。。

 



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