戎谷徹也: 2011年6月アーカイブ

2011年6月25日

遺伝子組み換えについて、そしてケント・ロックからのメッセージを

 

さてと、気を取り直して、お問い合わせへのお返事を、もう一本。

少し前に、遺伝子組み換え作物についての投稿をいただいておりました。

お名前が不明で連絡もできないので、この場を借りてお返事します。

このテーマに触れるのも、久しぶり、か。 いけませんね・・・。

 

5月23日、農水省が遺伝子組み換え作物の承認についての

パブリックコメントを募集しました。

内容は、「遺伝子組み換えセイヨウナタネ、トウモロコシ、及びワタの第一種使用等

に関する承認に先立っての意見・情報の募集(パブリックコメント) について」

 

申請されたのは、

1.除草剤グリホサートへの耐性を付与されたセイヨウナタネ 「識別番号:MON88302」

  の隔離ほ場での栽培について。 申請者は日本モンサント株式会社。

2.以下の作物の食用又は飼料用のための使用について。

  ① アリルオキシアルカノエート系除草剤への耐性を付与されたトウモロコシ

    (同:DAS40278) 。 申請者はダウ・ケミカル日本株式会社。

  ② チョウ目害虫およびコウチュウ目害虫への抵抗性と、

    除草剤グルホシネートおよびグリホサートへの耐性を付与されたトウモロコシ

    (上と同じく識別番号を付された特定の形質をもった種)。

    申請者はシンジェンタジャパン株式会社。

  ③ 除草剤グリホサートに耐性を付与されたワタ (ピマワタ、同上)。

    申請者は日本モンサント株式会社。

 

審査の結果、学識経験者からは生物多様性への影響はないとの意見を得た。

その結果にしたがって承認する前に、国民の意見を募集する、というもの。

 

この動きに対して、

こんな時に遺伝子組み換えナタネが入ってきて、

放射能の除染などに使われたら、大変なことになる。

アブラナ科の野菜すべてが交配の危険にさらされるのではないか。

さらに交配してしまった種をまくと、モンサントに訴えられるのではないか。

実際にアメリカやカナダではそんな事態が進んでいる。

日本の農産物の危機です。

大地を守る会でも動いてほしい。

 - という内容のご投稿でした。

 

正直申しますと、僕自身が最近このテーマであまり動けておらず、

本ブログでも、ここのところGMO関連の記事は書いてないのですが、

大地を守る会として何もしていないわけではありません。

大地を守る会では、遺伝子組み換えに関する運動は

市民団体 「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」 と連携して行なっており、

同キャンペーンでは、反対のコメントを出したとの報告を受けてます。

 

遺伝子組み換え作物についての情報は、

伝統品種や自家採種できる作物のタネを守る取り組みを続けている

「とくたろうさん」 のブログで取り上げられる機会が多いので

(今回のパブリックコメントについても、呼びかけてくれています)、

GM問題に関心ある方は、ぜひこちらもチェックしていただけると有り難いです。

最近は脱原発のブログみたいになってますが(苦笑)・・・・・

 


ちなみに、申請内容にある 「第一種使用規程」 というのは、

遺伝子組み換え生物の性状や使用内容によって第一種と第二種に区分され、

それぞれで管轄省庁が指定されています。

農林水産物は農林水産省、研究開発段階のものは文部科学省、

人用の医薬品は厚生労働省、動物用の医薬品は農林水産省、という具合です。 

 

さて、遺伝子組み換え食品に関する申請-審査-パブリックコメント-

といった手続きは今回に始まったことではなく、これまでにいくつもなされていて、

すでにトウモロコシやセイヨウナタネ、イネ、ダイズ、ワタなど10作物155種が

承認されています。

国内で商業的に栽培されているものは花のバラだけですが、

輸入され飼料に使われたり加工原料に回っているものが存在します。

 

大地を守る会では、上記の 「~いらない!キャンペーン」 と連携して、

輸入されたナタネの種子が輸送途中でこぼれて野生種等と交配していないかを調べる

追跡調査などに協力してきましたが、すでに交配の事実が報告されています。

 

というような状況ですので、

今回の申請が承認されたとしても、事態が急変するということもないかと思います。

もちろん認めてよい、という意味ではありません。

ナタネの隔離ほ場での栽培が認められれば、

どこかで栽培試験が始まる可能性がありますので、

当然そのチェックはし続けなければなりません。

呑気に構えているわけではないことは、ご理解願いたく、です。

 

また、大地を守る会では、

4月23日に行なった社員研修合宿 (春と秋の2回やってます) で、

映画 『パーシー・シュマイザー -モンサントとたたかう- 』 を上映し、

遺伝子組み換え作物の社会的な問題について、

多くの職員に学んでもらいました。 そんなこともやってます。

 

この機会を借りて、ご紹介したい話題を、もうひとつ。

アメリカで、今もしっかりと

ノンGM (非遺伝子組み換え) のトウモロコシ 「センチュリーコーン」 を

栽培する Mr.ケント・ロック から、

実は3月11日の震災直後に、私たちにメッセージが届けられていたのです。

懐かしい、あの男から。

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          (2007年10月に訪問した時の Mr.ケント・ロック) 

 

   ご自身やご家族は無事ですか?

   私の家族は私たちの友人の国・日本の大災害の状況をテレビで見続けています。

   私たちは、この困難な状況をとても悲しく思い、

   地震と津波後の状況について心配しています。

 

   私はNONGMO生産者5-10人からなるグループを作り、

   コーンのエンドユーザーの皆さんが農場・営業を復興させるのを助けるために

   日本へ行きたいと思っています。

   メンバーは様々な技術を持っています。

   イリノイ州のNONGMOコーンの生産者は、大工、溶接工、側溝工事夫、

   清掃作業員、電気技師、配管工、そしてトラック・ドライバーとして働けます。

   メンバーは観光に興味はありません。 ただ手助けしたいのです。

   早くて日曜日には出発でき、一週間滞在できます。 -自分たちのコストです。

   助けてほしいことは、私たちに何をすべきか伝えてくれる通訳を探すことと、

   休むことができる場所を見つけることだけです (マットレスで寝ます)。

   私たちのゴールは、私たちが育てたコーンの需要を元に戻し、

   私たちを助けてくれた人を助けるのです。

   (中略)

   人は人と仕事をするというのは、ただ仕事をする以上のことです。

   -人生で苦闘しているときに、互いに助け合うのです。

 

   ケント

 

翻訳して届けてくれたのは、カーギル・ジャパンの方。

震災直後の混乱の中で、さすがにこの申し出を受けられる体制は用意できませんでしたが、

NONGMOのネットワークは、こういう形で今も息づいています。

またケントだけでなく、センチュリーコーンの農家から、こういうメッセージも-

 

   日本の皆さんが何を経験しているのか、想像することもできません。

   報道や出来事の経過をとても悲しく思いながら見ています。

   無私無欲で困難な状況にある人に尽くし続けるヒーローが

   日本じゅうで現われていることには勇気づけられます。

   センチュリーコーンの生産者は、皆さんの無事を祈っています。

   日本の皆さんは、この困難な状況でも立ち上がって打ち勝つことでしょう。

   これは他国には決して真似できないことです。

   生産者として、皆さんのお役に立てることに感謝しています。

    - ダグ・スミス -

 

   私たちは、皆さんの名前さえ知りませんが、

   日々緊密になっているこの国際社会でつながっています。

   テレビで地震の知らせと映像を初めて見たとき、私たちの心臓はほとんど

   飛び出しそうになりました。

   そして津波を見たときには、泣いてしまいました。

   私たちの地元の人々、私たちの国の人々は、人々を思いやり、手助けします。

   この困難な状況の中、この心配しているという言葉が、

   皆さんの慰めと希望になることを望んでいます。

   いつか全てが記憶となり、皆さんは生き続けていることでしょう。

   私たちもまた大断層の近くに住み、小さな地震が起こると

   私たちは生きている惑星に住んでいることを思い出します。

   この出来事は全ての人々を思いやることが何より大事であることを

   教えてくれています。

    - ドン&ダイアナ マックレーリー -

 

2008年6月19日、大地を守る会の日本料理店 『山藤』 での

ケントとのツーショットは、今も大事に保管してあります。

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「センチュリーコーンによって、人とつながる事ができる」

ケントは、ノンGMコーンをつくる意味を、そう語りました。

この  " つながり "  を深く、強くしていくことが、

私たちのもうひとつの運動だと思っています。

 



「田んぼスケープ」-お詫び。

 

一昨日の日記 「田んぼスケープ」 に、農民たかはしさんからコメントが入った。

 

       この前スマートフォンから送ろうとしましたが、

       携帯から送って下さいとエラーメッセ来ました...

 

エ・エ~ッ!

そんなはずは。。。 もしかして、、、

至急、システム・チェックに入りましたので、

すみませんが、少々お待ちいただけますでしょうか。

ELP・アラカワさ~ん、お願いしま~す。 ヨ・ロ・シ・ク、です。

 

皆さま。

他にも何かお気づきの点がありましたら、情報お寄せ下さいませ。

 



2011年6月 3日

福島・浜通りの苦悩 -福島行脚その⑤

 

さてと・・・・・ 忘れてはいません。

福島行脚レポートが、実はまだ終わっていないのです。

 

でもこれが、ななかな気が重くて、書けないでいました。

でも、書かなければならない。

ワタシはこの体験を記憶しておかなければならない、とも思うのであって。。。

 

どうも、いつまで経ってもまとめられそうな気がしないので、

どんな形で終了するのか判然としないまま、書き綴ってみます。

言葉が浮かばないところは、写真だけで、

しかも細切れで続くことになるかもしれないけど、お許し願いたい。

 

5月5日、福島の生産者たちとの会合を終えて (福島行脚④ 参照)、

僕は福島駅前のビジネスホテルに一人宿泊して、

翌6日、日本有機農業学会の有志で企画された

「被災地視察と生産者との交流会」 に参加した。

 

朝、福島駅集合。 

ホテルの玄関に掲げてあるスローガンに一礼する。

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参加者は、日本有機農業学会会長代行の澤登早苗さん(恵泉女学園大学) に、

このところ会うことが多い茨城大学の中島紀一さんやコモンズの大江正章さん他、

総勢21名。

 

一行はワゴンのレンタカーを調達して、まずは被災の現地・相馬市に向かう。

例年なら観光客も多いだろうと思われる新緑の山間地を過ぎ、 

海から2~3km という相馬市柏崎地区に入る。

 

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いきなり、圧倒される。

防風林の松がきれいさっぱりと倒され、ここまで流されてきている。

 

田んぼがひび割れしている。

でもこれはただの乾いた田んぼではなくて、表面を覆っているのはヘドロである。

めくればその下に、津波で運ばれた  " 異物 "  が見える。

干からびた鮭とゴルフボールが、同居していたりして。

この田の再生は、、、想像するだけでため息が出てくる。

 

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ここに来る前に、相馬市で有機農業を営む生産者を訪ねたのだが、

集まってこられた生産者たちから聞かされた経験譚は

まるでSF映画のような話だった。

 

「海岸から200mくらいの交差点の赤信号で止まったら、前から津波が来るのが見えて、

 慌ててUターンして逃げた。 何も知らずに海に向かう車が通り過ぎていったが、

 助けることができなかった。」

「地震の時はトラクターに乗っていたが、まるで遊園地の回転木馬のようだった。

 降りたら立ってられなかった。」

「津波に遭って、姉は流木につかまって間一髪助かった。

 あちこちに悲鳴が聞こえて、家が壊れる音やらで凄い音とスピードだった。

 堤防が決壊して、地盤沈下もあるので、大潮になると今も水が入ってくる。」

「地震の時は浪江町を車で移動中だった。 津波が来たとは知らなくて、

 次の日に浜に行ったら海だった。 親戚を探そうとしたが、避難所も分からず、

 とにかく足で稼ぐしかなかった。 親戚夫婦が4km流されたところで発見された。

 供養できただけでも良かったと思う。

 (こっちも大変だったんだけれども) 原発で避難してきた方を受け入れて、

 しばらく3世帯10数人で生活した。」

そんな話を淡々と聞かされる。

 

相馬市は、今年も米の作付を行なうことを決定したが、

まだ行方不明者がいるので、捜索に支障をきたさないよう、

5月8日までは田んぼに水を入れないことも、申し合わせたという。

「捜索と営農のギリギリの選択が、5月8日っつうことになったわけです。」

田に水を入れることがどういうことか・・・

こんな米づくりを経験することになろうとは、、、言葉が出ない。

 

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相馬市から南相馬市に移動する。 

地震からもう2ヵ月近いというのに、立ちつくすしかない風景が続く。

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東京電力福島第1原発から20km圏ギリギリで圏外にある杉内清繁さん宅で、

20km圏内の根本洸一さんも同席されて、話をうかがう。

 

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杉内さんは93年から有機農業に転換したが、

今回の震災の影響よって、有機JAS認証は外さざるを得ない、

と認証機関から言われたとのこと。

そのあたりの判断は認証機関で統一されているのだろうか、心配なところである。

 

「 3月11日から二日間は余震も激しくて、夜は車の中で過ごしました。

 13日に行政の指示が出て小学校に避難したが、ドーンという音を聞いて

 原発が爆発したのではないかと思って、翌日に家族4人で郡山に避難しました。

 その後、宮城県亘理町の叔父の家に移って、4月24日に帰宅したんですが、

 周りでは空き巣や窃盗もあったようです。」

 

南相馬市は、原発事故とその後の行政方針によって、

「警戒区域」 と 「計画的避難区域」 「緊急避難準備区域」、

そして制限のない区域に分かれることになった。

制限のない区域には米の作付は問題ないとされたのだが、

4月14日、市は全域での稲の作付禁止を決めた。

損害賠償を睨んでの措置だと思われるが、

しかし稲以外の作物はOKとなったため、農家の悩みは深くなるばかりである。

 

20km圏内で有機農業を営んできた根本洸一さんは、

福島県の有機農業ネットワークの代表も務めた方。 

家の蔵から有機米50袋 (25俵=1,500㎏) を何とか持ち出したが、

大豆23袋を残してきたことが心残りである、と語る。

とにかく田畑を一刻も早くきれいにしたいと、あれこれ今から考えている。

 

地域のみんなが原発の安全神話を信じていた。

" 二重三重のセーフティネットが整っている "  と聞かされてきたんだけれど・・・

お二人の抑揚を控えた口調が、

かえってその悔しさや苦悩を感じさせるのだった。

(続く)

 



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