戎谷徹也: 2011年9月アーカイブ

2011年9月20日

さようなら原発! 歩けない人たちのぶんまで歩こう

 

2011年9月19日(月)、敬老の日。

忘れないようにしたい一日が追加された。

 

正午を30分ほど過ぎた頃。

JR中央線の千駄ヶ谷駅に降りた途端、

まるで大惨事が起きた時のような状態に巻き込まれてしまった。

ホームが人で埋まっていたのだ。

自動改札を出るのに15分くらいかかっただろうか。

満員電車さながらの駅構内を出れば出たで、大量の人が立ち往生している。

みんな、続々と明治公園を目指している。

 

ホッとひと息ついて振り返れば、後から後から人が続いてくる。

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今日はすごい一日になる、と確信した。

 

「さようなら原発 1000万人アクション」 主催による

「9・19さようなら原発集会&パレード」 の開催。

 

これまでいろんな集会に参加してきたけれど、

僕の経験で最大規模であることは間違いない。

明治公園の広場に入ることすら難儀しながら、何とか後ろの一角に場所を確保して、

妻に握ってもらったおにぎりも立ったままで食べるしかない状態。

 

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会場のキャパは常態で2万人ほどだと思うのだが、

13時開会の時点で、お隣の日本青年館のほうまで人が溢れていた。

未確認情報だが、

千駄ヶ谷駅は混雑が激しくて、隣の信濃町駅から降りて歩くよう

JRがアナウンスまでしたらしい。

 

もはや誰も正確な人数は把握できない。

警察発表-2万7千人。 主催者発表-6万人。

僕のこれまでの経験値ではだいたいその中間が実態に近いのだが、

今回に限っては後者の数はかなり実感値である。 

 

13時30分。 開会が宣言され、呼びかけ人たちがアピールを始める。

「 " さようなら "  には  " また会いましょう "  の意味も込めらますが、

 今日の 「さようなら」 は、 " もう二度と会わない "  のメッセージです」(鎌田慧さん)

「原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を生む・・・」(大江健三郎さん)

 

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「まだこの世に生を受けてない人たちから  " ありがとう "  と言ってもらえるような、

 新しい一歩を。 いのち輝く国への一歩を・・・」(吉岡斉さん)

落合恵子さんは、ジョン・レノンの 『イマジン』 を想起しながら、

生まれ落ちる国を選択できない子どもたちや、福島の人々を思う想像力を、

僕らに投げかけてきた。

ぎりぎりに駆けつけてくれた俳優の山本太郎さんは、

「今日来れない人の分まで歩く!」 と宣言した。

 

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一番後ろにいた自分にはよく聞き取れなかったのだけれど、

呼びかけ人の方々のメッセージは下記で聞くことができます。

正確な言葉を聞きたい方は、こちらをぜひ!

    http://www.youtube.com:80/watch?v=k5Q5cRWpQaU

 


福島からも、たくさんの人が参加された。

つらい、つらい、思いのたけがある。

でも、つながりを紡ぎ直すために、美しい言葉でメッセージが伝えられる。

僕はそれを書き留められなかった。

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14時半を過ぎて、デモなのかパレードなのか、とにかく出発。

 

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大地を守る会の一団は、組織文化もあるのかもしれないが、

ややバラバラになりながら、でも楽しくお喋りしながら、

時折シュプレヒコールもやって、明治公園から新宿駅まで歩いた。

「原発はいらない!」

「海と大地を守ろう!」

「いのちが大事。 子どもたちを守ろう!」

 

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気がつけば、何と娘が参加してくれていた。

「やあ、お父さん。」

嬉しくなったが、まあそこは顔に出さず、「おお、旗持つか」 てなもんで。

ありがとう、と言えない。 ヤだね、って自分でも思う・・・。

 

延々とパレードの帯が続く。

場慣れした運動家から、オシャレな若いカップル、まるで散歩気分の家族連れまで。

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我々市民団体が担当したCコースは新宿駅南口まで。

ゆるゆる感が良くも悪くもたまらなく、

「これじゃデモじゃなくて、ウォークラリーだね」 の声まで上がる。

 

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楽しくメッセージを送りながら歩く。

一人でも多くの人に共感を与えたいと、皆それぞれに表現したのだ。

NO! と言ってみよう。

原発のない社会が不安ですか?

あることのほうこそ不安ではないですか?

NO! と言って、街に出れば、新しい扉が開く。

それが次の時代をつくり始める。

この感覚は、一歩前に出れば、分かる。

 

今日のおかげで久しぶりに大学時代の旧友に会い、一杯やることになった。

紆余曲折を経て広告代理店に勤める、自称 「大人になった」男。

腹の中は左右混交でありながら 「平和教育」 を語り続けるヤクザな高校教員。

大企業に居座っていれば良いものを独立して苦労を背負い込んだ経営者。

大学で教鞭をとる、かつてのマドンナ。

互いの頭や体型を笑いながら昔話に興じ、消息が分からなくなった友を案じ、

未来を語り、 また合おうと手を挙げて別れる。

 

3.11が与えた インパクトを、みんなそれぞれに見つめ直し、整理しながら、

明日に向かって歩こうとしている。

僕はどう表現することができるのだろうか、この仕事の中で。

6万人の人々とともに歩けるか、忘れないようにしたい。

歩けない人の、一人ぶんでも背負って歩けたら、と思う。

 



2011年9月 8日

有機農業のニーズとソーシャルビジネス・・・

 

北海道に降り続いた大雨で、富良野は3年続きの水害。

またしてもニンジンが大打撃。

札幌・大作幸一さんの玉ねぎも雨続きで収穫に入れないとの連絡。

今年も大不作となること必至の状況。

物流は延々と綱渡りの日々が続く。。。。。

 

そんな穏やかならぬ心境を押さえながら、今日はつくば(茨城) まで出かけた。

農水省が主催する 「平成23年度農政課題研修-有機農業普及支援研修」 で

講師を依頼されたのだ。

3ヶ月前に約束してしまったものなので、行くしかない。

 

対象は、各地の農業改良普及センター等から集まった普及指導員の方々。

つまり農業指導を仕事とする公務員の方たちである。

与えられた課題は、

「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

3泊4日のカリキュラムで、10講座の一コマを与えられた。

 

20年前ちょっとには有機農業そのものを認めなかったお国から、

このテーマでお声掛けいただける時代になったとは、実に感慨深いです。

-と冒頭でお礼を申し上げる。

 

しかし、こういうタイトル自体に、私は違和感を感じるものである。

-と続いてジャブを打たせてもらう。

 

僕らは消費者ニーズをつかんで有機農産物の流通を始めたわけではない。

「こういう食べ物こそ当たり前に流通されなければならない」

という思いからスタートしたものである。

有機農業の生産者と出会い、彼らの生産物を街に運ぼう、

東京のど真ん中で 「有機農業」 の存在とその意味を  " 可視化 "  させよう。

これは1960年代から急激に進みだした生産現場の変容が、

食の安全 (=人の健康) を脅かしつつあることを伝えることでもあり、

「食」 から社会を見つめ直す作業にもなった。

 

そして大地を守る会の活動は、幸か不幸か 「仕事」 として成立してしまった。

 


「ソーシャルビジネス」(社会的企業) なる言葉は

ここ数年で広がってきた概念のように思うが、

我々にとっては、1975年に誕生した時点から、

「仕事を通じてどう社会に貢献するか」 は生きる前提のテーマだった。

そもそも、およそすべての仕事はソーシャルビジネスの側面がある筈で、

そうでなかったら存在価値がないと思うのですが。。。

「皆さんの仕事だってそうですよね」 と問うてみれば、多くの方が頷いてくれる。

それだけ 「お金」 を生むことのみを追い求める世の中になったってこと

なんでしょうかね。

 

そんなワケで、僕の話は必然的に大地を守る会の歴史から始まる。

ニーズをつかむではなく、「発見」 を伝え、「喜び」 を届けたいと

ひたすら歩き回ってきたこと。

「食の安全」 という当たり前の価値を守るために、

やらなければならないと思ったことをやってきたこと。

「お金」 がついてこないことも、随分とやってきた。

大地を守る会が自らに課したミッション(使命・任務) について、

歴史を辿りながら、テーマの本質に向かう。

 

僕らが考える流通とは何か。

そして現在の、有機農産物をめぐる制度や市場(マーケット) の動向を、

どう眺めているかについての私見を述べさせていただく。

要するに  " 有機農業 "  はいまだ未成熟なのである。

農業技術を指導する人たちに求められている社会的使命が、

すでに見えてこないだろうか。

 

いま目の前に直面している事態をひとつの事例として出させていただく。

原発事故と放射能汚染に対して取ってきた行動について。

生産現場に300万円の放射能測定器を貸し出した意味から

次のステップをどう考えているか、などについて。

 

最後に、大地を守る会が進めている挑戦について。

CSR (企業の社会貢献) を事業の本業に明確に位置づけたこと、

投資社会の姿を変えたいと、夢のようなことを考えていること、など。

「ソーシャルビジネス」 なんて言葉は、早く死語にしたい。

 

有機JASマークを超えるのか、それとも進化させるのか。 

この問いはいずれみんなの手で決着させなければならないことだが、

有機農業が社会に広がり育ってきた背景を理解して、

それぞれの立場に与えられたミッションを忠実に 「仕事」 とすることで、

社会は変わってゆくのだと僕は信じていて、

制度も含めた到着点は、

私たちの仕事をどういう質で積み重ねていくかにかかっている。

 

例によって喋りまくった1時間半。

学校みたいにチャイムが鳴っても質疑応答が続き、教官を困らせてしまった。

 

もしかして多分に自慢話に聞こえたかもしれない。

ただ僕は、「大地を守る会」 という組織が、現代という社会を語るに、

いろんな意味でとても面白い題材であることに、夢中になってしまうのである。

けっしてサクセス・ストーリーではなく、チャレンジ・ストーリーとして。

 

普及員の方々が、有機農業を始める若者たちに向かって、

JASマークに頼る前に自分の言葉で自分の農業を語ることが大切だと、

伝えてくれることを願っている。

 



2011年9月 6日

放射能に台風に・・・

 

9月4日は千葉・山武の 「稲作体験田」 の稲刈り日に設定していたのだが、

地主である佐藤秀雄さんのお母様・しげさん(享年90歳) がお亡くなりになり、

葬儀もあって、稲刈りは1週間延期することになった。

 

それでこの日は想定外の時間が生まれ、

僕はおそるおそる、朝8時からの日本テレビ 「シューイチ」 をチェックしたのだった。

あ~あ、恥ずかしい顔が出てしまってる・・・

タレントの中山秀征さんと並んで歩きながら、

放射能測定データの公開の意味などを、偉そうに喋っている。

穴があったら入りたい。。。

 


講演などで喋った話を、あとでテープで聞くのは、だいたい耐えられない。

もっと上手に話していたつもりだったのに全然ダメじゃん・・・とか思うのだ。

ましてや自分の間の抜けた顔をテレビの向こうに見るのは、ホントに度胸がいる。

まあ、届いた食品の安全をていねいに確認していることを

紹介していただいたことに感謝しよう。

生産者にもフィードバックして、除染等の取り組みも支援しているというような話も、

ワンカットはさんでくれたし。

ただ一ヶ所。

器械が受け止める環境中の放射線値は常に変動しているのだけど、

一番低いところを見せて、あえて野菜との差を出そうとされたのは、

少々意図的な匂いがしましたが。

 

でもって、布団かぶってフテ寝していると、ケータイが鳴り始めて、

「読売テレビ見たぞ~、頑張っとるな~」 と懐かしい訛りの声。

高校時代の仲間からだ。 どうやら関西方面でも流れたらしい。

「 お前文系やったくせに、何や偉っそうに放射能の話やしよって・・・

 ほんでも大変やなあ、放射能は。。。

 まあ活躍しとるようで、わしも嬉しいわ。 また飲も~、ほなな~。」

放射能を他人事みたいに・・・くそ!

 

ちなみに、「ほな」 は、関東で 「じゃあ」。

「ほなな」 は 「じゃあな」 に相当する。

上京した頃は、「じゃあ」 と言って手を振る若者たちの姿がとてもカッコよく見えたものだ。

そういえば、郷里には別れ際の挨拶が 「ま!」 だけという地域があった。

「ま!」 「ま!」 と言い合って別れるのだ。

あそこはどういう先祖なのか・・・言語学者か民俗学者の方、いかがでしょう。

 

そんなどうでもいいことを思案している場合ではなくなってきた。 

問題は、台風12号である。

夜、西から応援野菜セットでお世話になった王隠堂農園(奈良県五條市) の

和田専務に電話する。

「 いや~スゴイ雨ですわ。 まあ所々崩れたりしてるらしいんやけど、

 まあ生産者は皆さん大丈夫ですわ。 えらいご心配おかけしてすんません。」

 元々雨の多い熊野地方で、深層崩壊らしい山崩れが起きるのだから、

尋常な雨量ではなかったことと思う。

 

月曜日には、みんなからの 「見ましたよ。 よかったですよ」 という

お愛想や慰めはそっちのけで、各地の状況を聞いて回る。

幸い人は無事だが、被害はあちこちに出ている。

三重県南牟婁(むろ) 郡御浜町にある王隠堂グループの 「御浜天地農場」 では、

一部畑が流されたようだ。

しかも今回の台風は、日本海に抜けて終わりではなく、

関東にも高原産地にも、そして北海道にまで雨を運んでしまった。

西日本に北海道・・・・・

野菜の出荷が混乱すること必至。 品質も心配なところだ。

ああ、ため息が出る。

 

ウロウロしていたら、「シューイチ」 に対する極めつけの反応が届く。

鳥取・境港の 福栄・岩田健二郎 から。

「 にっちょう (日曜) 日の朝イチに見る顔ではないな~ 」

ムカつく! どうせアタイは夜型ですが、あんたに言われたあない! です。

 

いや、そんなセコい反応をしてはいけないのである。

みんな喜んで、励ましてくれているのだ。

礼を言え、バカ者!

 

はい、すみません。

声をかけてくれた皆様に、遠くからお電話かけていただいた皆様に、

この場を借りて感謝申し上げます。

不肖エビスダニ、引き続き精進に努めます。

 

奈良から一気に北海道へ。

2月の東京集会の、異常気象をテーマにしたトークセッションで、

岩田さんと一緒にステージに上がってもらった

富良野の石山耕太さん(太田農園) が心配になってきた今日である。

 



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