戎谷徹也: 2012年8月アーカイブ

2012年8月28日

今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~

 

「 原発の開発とともに進んできた第七次エネルギー革命の時代は、

 ゆっくりと衰退への道に入っていく。

 それに替わって、生態圏の生成の原理に立ち戻って、

 そこに別の豊かさを取り戻そうとする、

 第八次エネルギー革命の時代が隆起する。

 それに連動して、経済の思想が根底からの転換をはじめる。

 社会は再生への運動をはじめる。

 とてつもない災禍をくぐり抜けたあと、日本の進むべき道は、

 いまやはっきりと前方に見えてきているのではないか。」

   (『日本の大転換』 中沢新一著、集英社新書)

 

いまこの方を知る人たちは、思想家・人類学者としてより、

グリーン・アクティブ」 の代表としての中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長)

に注目していると思われる。

この政治的仕掛けへの論評は僕にはまだ無理なので控えるとして、

今日は、11月に予定している 「藤本敏夫 没後10年を語る」 での記念講演について、

中沢さんの研究所までお願いに上がった。

藤本さんの奥様・歌手の加藤登紀子さんも一緒だった。

 

すでに登紀子さんや弊社・藤田社長から依頼され快諾を頂いていたもので、

僕としては概要説明や実務的な詰めを兼ねた表敬訪問のつもりだったが、

自ら同行されたところに、登紀子さんがこの日に託す思いの強さを感じた。

登紀子さんにはきっと、中沢さんの講演に期待するイメージがあるのだ。

 

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 (おねだりして1枚。 素人写真に登紀子さんは渋々OKを出してくれた。)

 

登紀子さんの思いは、当日の記念講演タイトルに表現されている。

 「 今こそ農業の時代 ~藤本敏夫から託された未来~ 」

 


大地を守る会初代会長・藤本敏夫が生前語っていた言葉がある。

 - 歴史は未来からやってくる。

 - 地球の上に土下座して、すべてをそこからはじめたい。

 - 自然と歴史を喪失した都市の中で、伝統の保存ではなく、

       伝統の創造のために行為しなければならない。

 - 農業の生命産業としての再構築しかない。

 - 危機だからこそ創造が可能だ。

 - 今、私たちは失望に向かって動いていっているかもしれない。

   (しかし) どんなことがあっても、どのような状況にあっても、

   希望を持ち続けなければならない。

 

「第八次エネルギー革命」 を、植物の光合成から、

つまり第1次産業の力に求める中沢さんが、

どんなふうに 「藤本後10年」 を整理し、3.11を踏まえた展望を指し示してくれるか、

期待したい。

 

案内チラシのリード文は、以下のようにしたためさせていただいた。

 - 希代の英傑・藤本敏夫が没し、10年の歳月が流れました。

  彼が語り描いた農からの希望と未来の姿は、未完のまま、

  しかし輝きを失うことなく、今も私たちを励まし続けています。 ・・・・・

 

登紀子さんからのメッセージも届いている。

「 藤本敏夫が他界してからの10年、めくるめくように時代が動きましたね。

 鴨川自然王国に若い人たちが来るようになり、

 娘の Yae が農業を目指す若者と結婚したことは、思いがけない喜びでした!

 去年の震災からまた新たな意味で、農的生活を求める人たちが増えています。

 楽しくなきゃ人生じゃない!

 生きる喜びこそが、社会を変える!

 何もかもが行き詰っているように見えるけど、

 スマイル・レボリューションはもう始まっていると思っています。

 藤本敏夫の時代から次の世代へ、革命のバトンをつないでいけるよう、

 大いに熱い思いを語りたく思います!

 どうぞ、たくさんの方のご参加を、楽しみにしております。」

 

では改めて- 

「 藤本敏夫 没後10年を語る

   ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~ 」

2012年11月17日(土)17:00~21:00。

日比谷公園内 「松本楼」(まつもとろう) にて。

中沢氏の記念講演の他、

トークセッション - 「 『青年帰農』 から始まった10年 若者たちの新しい生き方」。

後半の立食パーティでは、

松本楼に顔向けできないはずの暑苦しい闘争世代 (土下座して入れ!) と

爽やかな若者たちのリレートーク、

そして登紀子 & Yae  さんの歌なども予定しています。

会費は、少々お高いですが、1万円。

 

大地を守る会の会員の方々には、10月1日の週にご案内を配布します。

それに合わせてHPでも告知します。

どうぞ、世代を超えてご参集くださいますよう。

 



2012年8月26日

稲田を自然エネルギーの郷に・・・

 

連続講座・第4回を整理している間にも、

世の中は動いている。

今年の暑い夏のピーク時でも、電力は余裕を持って供給されたことが判明した。

関西電力管内も、大飯原発の再稼動がなくても

電力会社間の融通で足りただろうという結果である。

 

政府が3択で問うた原発割合に対する国民の回答は、

討論型世論調査で47%、意見聴取会で68%、パブリックコメントでは90%が、

「原発0%」 を支持した。

 

もはや 「勝負あった」 と言わざるを得ない。

当初の読みが外れた方々は、

「意見を言う人は反対派に多い」 とか、「偏りがある」 とか、

恥ずかしい強弁を始めたようだが、

上記の3形式で国民の声を聞いてエネルギー政策を決める、

と言ったワケなんだから、その方針に沿って進めてもらわねばならない。

 

さて、僕らも前に進まなければならない。

8月23日(木)、福島県須賀川市・ジェイラップを訪問して行なった

小さなミーティングの報告をしておきたい。

同行していただいたのは、環境エネルギー政策研究所(ISEP) の研究員、

浦井彰さん。 

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ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんとずっと話し合ってきたことを、

いよいよ実行に移そうという魂胆である。

「ここ稲田地区を、エネルギー自給率100%の郷にしよう。」

 


構想は、太陽熱・風力・水力・バイオマスのベストミックスであるが、

まずは、自分たちでできるところから始めよう。

ジェイラップの施設の概要を浦井さんに見てもらい、

太陽光パネルの設置について検討する。

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屋根の方角から耐荷重の問題、電線の位置などチェックし、

「これなら相当できる」 という感触を確かにする。

 

しかもセンターの倉庫は、屋根にスプリンクラーが設置されていて、

井戸水を汲み揚げて水を散水する仕組みになっている。

夏に倉庫内の温度を一定に保たせるための工夫で、

たしかに倉庫内は涼しく快適なのだ。

「これでパネルを冷やせば発電効率はぐんと上がりますよ!」 と

浦井さんも嬉しそうに話す。

 

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こんな感じ。

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こちらは、例の食品の乾燥工場。

南向きの屋根も、なにやら主張していないか。。。

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丘の上から全体を眺めながら、会話が弾む。 

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問題は、風力・水力・バイオマスとなると、

地元住民合意の上で、地域一体型で進める必要がある。

そのための具体的プランを描かなければならない。

ま、そこはダテに何度も酒を酌み交わしてきたわけではない。

イメージはできている。

 

今回同席いただいた上の写真左の背中の方は、

水道や浄化槽のメンテナンス業を営む 「(株)ひまわり」 という会社の、佐藤博社長。

須賀川で取り組まれている 「菜の花プロジェクト」 のリーダーであり、

今年4月に開催された 「第12回全国菜の花サミット in ふくしま」 (※) の

実行委員長も務められた方である。

  (※) 過去のブログ参照 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/29/

                   http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/30/

 

休耕田や転作田を使って菜の花を栽培し、

ナタネ油を絞って学校給食や家庭で利用してもらい、

廃油を回収してディーゼル燃料 (BDF) に精製して、ゴミ収集車を走らせる。

昨年3.11の直後にガソリンがなくなったときも、

須賀川では3台の収集車がいつも通り回っていたという話である。

 

すでに基盤はあるのだ。

こういった地元の静脈産業や企業・自治体・住民を巻き込んで、

エネルギー自立の町を、フクシマに建設する。

  バイオマスでは 森林除染に貢献できるものにしたい、というのが野望である。

  環境再生とともに、食の安全もはかられる。

  長い道程になるだろうが、誰かが始めなければ進まないし、

これは、稲田の米が当たり前に生産し続けられる(=食べてくれる) ことで、

実現することなのである。

 

(株)ひまわりで、廃食油の精製プラントの説明をしてくれたのは、

総務部長の岩崎康夫さん。 

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なんと、大地を守る会の備蓄米の生産集団である 「稲田稲作研究会」 の元代表、

岩崎隆さんの弟さんである。

こういうつながりを発見するのは、本当に楽しい。

 



2012年8月25日

インフラ復旧の前に、産業政策を!

 

大地を守る会の放射能連続講座・第4回 - 「海の汚染を考える」。

講師に招いた勝川俊雄さんには、

専門とする海の資源管理の話も少し盛り込んでいただければ、とお願いしていた。

最後の10分。 やはり本業の話になると、熱が入った。

 

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東日本大震災による一次産業の被害額は1兆2千億円に上り、

阪神淡路など過去の震災に比べても、農林水産業の被害が突出している。

しかし漁業の復興策はインフラ整備に偏重した予算配分になっていて、

その先のビジョンが示されていない。

港や船を3.11前の状態に戻そうとしているだけ。

 

すでに漁業は急激に衰退の途をたどっていて、

10年先が見通せない状態になっている。

そこでただインフラや構造物を元に戻しても、展望は開けない。

やる気のある漁業者からは、

「ゼロから再出発するなら、漁業そのものを何とかしたい」

という声が、聞こえてきている。

構造的な問題を解決して、

10年後20年後の地域経済を支えられる産業として育て直さなければならない。

 


インフラ復旧型の復興事例として、北海道の奥尻島がある。

93年の奥尻地震で島の漁業は壊滅的被害を受けたが、

被害総額を上回る復興資金が集められ、

防潮堤や漁船などすべてリフレッシュして、5年で完全復興した。

しかしその後島はどうなったか。

漁業者は半分以下になり、島を出た若者は帰ってこなくなった。

かつてゼロだった限界集落が9ヶ所にまで増え、

コンクリートの構造物だけが残っている。

いま、三陸もその方向に向かっている。

 

かたや北海道最北端、宗谷岬の南にある猿払村では、

ホタテ養殖業で安定した収益を上げるまでになり、

高等教育を受けた若者たちが帰ってきている。

グループで企業経営する者も現われ、後継者は順番待ちの状態である。

 

三陸を奥尻にするのか、猿払にするのか。

新しい人が入ってくるような産業に育てなくてはならない。

インフラ整備の前に産業政策が必要なのだ。

 

漁業の収益は、「漁獲量 × 魚価 - コスト」 という計算になるが、

漁獲量は増えず、魚価も上がらず、コストは下がらず、どれも難しい状態。

漁業者の年間平均所得は260万円である。

 

資源の減少は、その相対的帰結として 「獲り過ぎ」 を招いている。

たとえば日本人の好きな大衆魚であるサバは、

90年代以降、減少の一途をたどり、親魚を獲り尽くすという悪循環に陥った。

今はわずかに残った親魚の産卵に依存し、

未成熟の小さなサバを競争しながら獲っている。

それらは 「ろうそくサバ」 と呼ばれ、養殖のエサにするか、

中国やアフリカに捨て値のような値段で輸出されている。

結果的に親魚も育たず、

成魚サイズのサバはノルウェーから輸入しているのである。

 

そのノルウェーでは、資源管理が徹底され、

親魚量を維持しながらサバ漁が営まれていて、持続的に儲かる漁業に成長している。

いわば、ノルウェーが利子で暮らしているのに対して、

日本は元本を切り崩している状態だ。

62円で幼魚(=2年後の成魚) を売って、

300円でノルウェーから成魚を買っている不思議の国・ニッポン。

 

ちゃんと資源管理すれば、量は維持され、魚価も上がる。

しかし、日々獲ることで生活せざるを得ない漁師に任せては、できない。

回復するまでには、時間もかかる。

これは、国の役割なのである。

 

しかしただ手をこまねいて見ているだけでは始まらない。

現状の中でやれることとして、売るほうで何とかしたいと思った。

たとえば東北の毛ガニ漁は、一日の売上が3万円程度。

高く売ろうと思っても、魚価はスーパーの原価主義に押さえつけられている。

そこで漁師のために高く買ってくれる人をつなげたいと、

ある居酒屋チェーンの社長を連れて行って、何か売れるものはないかと探したところ、

市場で値がつかず捨てられていたケツブというツブガイを、発見した。

殻が固く内臓が苦いので嫌われていたのだが、

身は美味いと地元では食されていたものである。

居酒屋の社長さんも気に入って、キロ200円で商談が成立した。

しかもそのツブガイ、毛ガニ漁での漁獲の9割を占める厄介者だった。

1日の漁で1トンは獲れていたという。

これが全部売れれば20万円、毛ガニと合わせて23万円となる。

 

先日その居酒屋に漁師さんをお連れして、お祝いをやったところ、

漁師さんがトイレに行ったきり帰ってこない。

見れば、カウンターのお客さんに向かって、

これは俺が獲ったツブガイだと熱心に説明しているのだった。

お客さんも大喜びである。 

こんな関係を築きたい。

生産と消費の距離をもっと縮めることが大事だと思う。

そしてもっと地域の魅力を掘り起こしたい。

田舎の価値を見つけるには、消費者や外部の目線が必要だ。

人をつなげ、一緒に宝探しをやってます。

 

・・・・・

僕がこのところ悶々としていたのは、こういうことだったのかもしれない。

海と原発、食文化と地域活性化、いくつかの糸がつながったような気がした。

なんやかやと身に降りかかってくる様々な宿題は、

然るべくしてやって来ている、そんな気さえしてくるのだった。

 

質疑のところで佐々木さんが質問した。

「漁業も経営感覚を持った企業的な視点を育てるべきか?」

<勝川>

必ずしもそうは思わない。 経営形態の問題ではないだろう。

日本で子サバを獲っているのは主に企業の船である。

一方、ノルウェーの漁業は家業で営まれている。

でも儲かっているから、息子たちは意欲的に継いでいる。

新しい生産的な沿岸漁業のあり方を考えていきたい。

 

日本の漁業の問題、復興のあり方、放射能と魚の問題など、

もっと知りたいと思われた方には、

勝川さんの以下の著書をぜひ。

『日本の魚は大丈夫か-漁業は三陸から生まれ変わる』

(NHK出版新書、740円+税)

こういうのもあります。

『漁業という日本の問題』(NTT出版、1900円+税)

 

講座終了後、三重に帰る前に少し時間があるというので、

勝川さんを丸の内の 『 Daichi & keats 』 にお招きした。

大地食材の料理を、ウマいよ、ウマい! と

本当においしそうに食べてくれた。

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(大地を守る会の職員たちと。 左中央が勝川さん、その手前がエビ。)

 

想定外の楽しい時間まで頂戴して、感謝。

 

さてと、、、

4回を終え、たくさんの質問が手元に残っている。

何とかしなければと思ってはいるのだが・・・

 



2012年8月23日

「海の汚染を考える」(Ⅱ) ...自己責任の前に

 

放射能問題の厄介さは、

「安全」 の明確な線引きができない (しきい値がない) ことだ。

数年・数十年先の、因果関係が証明できない

(科学者が言うところの 「エビデンスがない」) リスクで論争が行なわれている。

結局のところ、私たちが日々迫られる食物の選択においては、

自分で判断する 「物差し」(基準) を持つしかない。

しんどいね。

 

たとえば僕の場合でいえば 「大地を守る会の基準」 ということになるが、

本音を言えば、モノの測定 「値」 ではなく、

自分と同じ物差しを持ってくれている 「人」 である。 

「彼がつくったものなら食べる」 が、僕の判断基準になっている。

とはいえ、そう言ってええ格好できる裏には、

「しかも、今の汚染水準はこのレベルだから」

という個人的な  " 安心の基準 "  も実は漠としながらも持っていて、

だから言えてるワケよね。

 

しかしこの個人的な安心基準は、人に強制できない。

「食べて大丈夫?」 と聞かれて、「僕なら食べる」 としか言えない。

組織としての公式回答も

「測定結果はND(検出限界値未満) です。 判断はご自身でお願いします」

となる。

勝川さんも講演の中で、何度か 「大丈夫」 というセリフを口にするし、

質疑では 「自分の子どもにも魚を食べさせてます」 と明言するのだが、

「あくまでも自分の意見として・・」 という注釈も慎重に入れ込みながら語るのである。

 

しかしやはり、「本当に食べて大丈夫なのか?」 との問いは絶えない。

後半のやり取りで、コーディネーターの佐々木俊尚さんは、

そこから切り出した。

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「 勝川さんのお話しには、科学者としての誠実さを感じました。

 本当に大丈夫か? の疑問に明解な答えは出せないのでしょう。

 しかし、どっちか言って下さいよ、という思いも本音としてある。

 これは、どうやって自分のスタンスを見つけるか、どういうふうに食と生活に向き合うか、

 それぞれの立ち位置が問われているということなんだと、私は理解しました。」

 

否応なく自己責任の時代となってしまったということか。。。

リテラシー (知識や知性・判断力) が求められるワケだ。

しかし、とは言え、この混乱には国の責任もあるだろう。

 


そこで佐々木さんは、こう突っ込んでゆく。

「 国への不信感が一気に募ってしまった原因はどこにあるのか。

 たとえば水産庁は最初に 「海の魚には蓄積しない」 かのように伝えた。

 しかしコウナゴから高濃度の数値が検出された。 

 分からずに書いたのか? 」

 

勝川さんの解説はこう。

いや、分かっていたはずである。 

分かっていたが、不安を煽らないようにという配慮から

まるで魚は大丈夫かのように読める書き方をして、

結果的に裏目に出たということである。

最初に素直に理解した人は、「残る」 となって驚き、怒ったことだろう。

最初から分かっていることを全部出しておけばよかった。

今は情報を絞って世論をコントロールできる時代ではない。

出せる情報は全部出して、

モニタリングを強化して 「国民の健康を守る」 という姿勢を伝えるべきだった。

 

佐々木さんの質問が続く。

「 どこで獲れた魚か、どこを回遊してきたのか、そういうトレサビリティは可能なのか?」

<勝川>

どこで獲れたのかを追うことは、技術的に可能である。

欧米ではすでにやっている。 漁船にはGPSがついていて追跡できている。

ただし回遊の経路を正確に追うことはできない。

アメリカの西海岸でクロマグロからセシウムが検出されて、

「そんなに早く動いていたのか」 と関係者が驚いたほどである。

 

<佐々木>

海流の説明は説得力があったが、魚はそれを越えてきている、ということはないのか?

<勝川>

海流で傾向はだいたい分かる。 銚子沖から南の魚は低いというデータになっている。

しかし、「混ざりにくい」 が、「混ざらない」 ことを保証するものではない。

( 講演の中で、マダラは南北に回遊するので濃度の高いものが北で揚がることがある、

 という話もあった。)

 

<佐々木>

水産物流通でトレサビリティが進んだり、 ⅠT 化への可能性は?

<勝川>

なかなか難しい。 産地でセリで買われた後はいろんなルートで流れる。

ⅠDタグなどでトレースする仕組みがあれば、ある程度不安は解消されるだろうが、

中間流通の企業戦略が透明化を阻んでいる。

トレサビリティによってメリットがある、ということが見えてこないと進まないだろう。

 

<佐々木>

第三者的機関が必要というのは理解できるが、

日本の現状では体制 Vs 反体制の図式になっていて、

「すべて安全」 か 「すべて危険」 になりがち。

その間に真実があると思うのだが、誰が担えばよいと思うか?

(大地を守る会のような団体がやるべきなんだろうが・・・と)

<勝川>

いろんなスタンスの科学者がいていいのだが、

とにかくちゃんと議論してたたかってほしい。

カナダでは、両者が喧々囂々とやり合っているのを見たことがある。

日本では両方がただ言いっ放し。

議論することで、その論のプロセスが見えてくる。

 

独立した財源で科学者が活動できるような社会がほしい。

国が信用できないとなった場合の、自分たちの側の科学者が少ない。

まるで国選弁護人しかいない裁判制度のようなものだ。

 

<佐々木>

養殖モノはどうなのか?

<勝川>

養殖にも二種類ある。

特にエサを与えずに種をつけて育つものは大丈夫だと思っている。

海藻などは意外と生え変わりが早く、今は検査しても出ないと思う。

エサをやる養殖では、エサの影響が心配なので検査を続けるしかない。

(幸か不幸か) 日本はエサの自給率も低く、南米などから魚粉が入ってきている。

それらは (こと放射能に関しては) 大丈夫だろう。

漁師たちも真剣で、リスクが大きいので相当気を使っている。

 

実はノルウェーでは、いつ何をやったのかという

エサの履歴がちゃんと分かる仕組みになっている。

トレサビリティ は消費者だけでなく、生産者も守る、のである。

 

<佐々木>

自治体による検査体制の信頼性の差はあるのか?

<勝川>

しっかりした検査体制を持っている自治体は少ない。

多くは外部の検査機関に出していて、その意味では結果への信用度は同じだと思う。

問題はサンプルの選び方である。

たとえば宮城では、最初は岩手よりのほうばかり測っていた。

そっちのほうが漁業が盛んで、復興のスピードも速かったということがあるが、

「福島よりの魚の測定を避けている」 ように見えてしまった。

本当は汚染の全貌を知ることが大事だったのだが、

水産業界のために測っていたということだ。

誰のための、何のための調査なのか、によって信頼性は変わってくる。

 

レポートが長くなってしまったが、

ここで勝川さんが講演で語った 「見えてきた問題点」 について触れておきたい。 

 

ひとつは調査体制の見直しが必要、ということ。

いま行政や業界で食品を測っては公開しているが、

携わっているのは  " (測定値が) 高く出てほしくない "  人たちである。

そこでサンプルの選び方などへの不信感が残ったりする。

検査プロセスには透明性が必要だ。

消費者あるいは第三者的立場の人も巻き込んだ調査体制がほしい。

 

サイエンスがからむ時には科学者の判断が鍵になるが、

その科学者が信頼を失ってしまった。

仮に妥当な決定をしても支持されない、とても不幸な事態になっている。

これからは説明プロセスとコミュニケーションが大事である。

ただ 「医者の言うことを信じなさい」 と処方箋を渡す昔の医者ではなく、

きちんと説明して、なおかつセカンドオピニオンを認める

今の医者のスタイルに専門家も変わっていかなければならない。

 

政府や官僚が専門家の意見を聞いて意思決定したものについて、

妥当性を判断する 〔科学者+国民〕 の機能が求められる。

海外では、その役割を環境NGOが担ってきている。

欧米の環境NGOでは、専門家を多数雇う力を持っている団体もある。

権力に屈しない、独立した科学的判断ができる機関が必要だ。

 

たとえば日本では、グリーンピースの海洋調査の申し出を拒否したが、

むしろ活用すべきではなかったか。

政治的意図を持って調査されるのではないかと危惧するなら、

政府関係者が調査に同行して、同じサンプルを国も検査すればよかったのだ。

批判的な団体を排除せず、逆に利用することによって

信頼は高まるのではないかと思う。

 

・・・・・ どうでしょう。

いろんな問題点が見えてきたことかと思います。

合わせて戎谷が勝川氏を呼んだ意図も透けて見えてきたような・・・

 

最後にもう一回、勝川氏の本業の話を。

 



2012年8月22日

連続講座・第4回-「海の汚染を考える」

 

海と原発、漁業の衰退と地方の疲弊、食の構造変化と食文化の見直し・・・

それらがまだ頭の中を巡っていて、

気の晴れない状態が続いているのだけど、

連続講座・第4回の報告は終わらせておきたい。

 

8月18日(土)、

大地を守る会の放射能連続講座・第4回 - 「海の汚染を考える」。

漁業の資源管理を専門とする勝川俊雄さんも、

放射能に対する知識は、3.11まではゼロに等しかった、と吐露する。

ちゃんと調べなければ、と思ったのは、

もちろん専門分野との関連もあるだろうが、

「自分の子どもに魚を食べさせてもいいのか」 という自問からだった。

 

しかし海洋汚染の実態を知るには、幅広い知識が必要とされる。

放射能に対する知識から、海流による影響について、

あるいは魚の生体機能との関係について、などなど。

しかもまだ海や魚は未解明の部分が多く、

人々の関心は高いものの、圧倒的に情報が不足していた。

そこで専門家同士のネットワークを活用しながら情報を集め、

ブログやツイッターで情報発信を始めたところ、

予想を超える反響があり、あちこちから声がかかるようになった。

 

講演は、核分裂と放射能についての基礎知識から始まり、

海の汚染についての話へと進んでゆく。

 

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海洋開発機構(JAMSTEC) の試算によれば、

海に直接流れた放射性セシウムの総量は、4200~5600 テラ(兆) ベクレル。

大気中から雨などによって運ばれた量は1200~1500 テラベクレル。

しかしフランスの研究機関の試算ではその5倍という指摘があり、

東電の試算では逆に 6分の1 となっている。

 

海の調査が難しいのは、常に動いているから。

もう一つの経路である川から流れてくる量はまだ分かってなく、

沿岸流も予測不可能で、陸地のような正確な汚染マップが作れないのである。

したがって長期的なモニタリングが必要になる。

 

海洋汚染のメカニズムとしては、

海底に沈降したものは、局所的だが長期化する。

移流・拡散していったものは、範囲は広がるが影響は小さく短期的となる。

福島原発の立地場所は、親潮と黒潮が交差し太平洋に流れていく出口にあたる。

したがって黒潮にぶつかって東に流れ、拡散した。

お陰で今では、関東以南ではほとんど検出されない。

これが九州の原発だったら、

太平洋沿岸の九州から関東まで広く汚染されたかもしれない。

 

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さて、海に放出された放射性物質は生物にどう取り込まれてゆくか。

生物濃縮はするのか?

これらはまだ分からないことだらけなのである。 

水産庁は当初、「海の魚には蓄積されない」 とHPで発表した。

しかしその直後に高濃度のコウナゴが発見された。

今は、「海中濃度の5-100倍」 と修正されている。

( ⇒ http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/index.html のQ5 参照)

 

水銀や農薬の濃縮係数は数万倍というケタになるが、

放射性物質はそれに比べれば意外と高くない。

( だから大丈夫という意味ではなく、リスクは放射能だけではないという、

 相対的比較として理解してほしい。 重金属や農薬の問題も忘れてほしくない。)

 

県別・生息地別にデータを見ると、

福島県中心に高く、また淡水魚の方が高い値で検出されている。

海のごく表層や表層の生物(コウナゴやプランクトンなど) 、

海藻類、無脊椎生物(イカ・タコ・エビ・カニ・貝類など) は全般的に低く、

今はもうリスクは少なくなっていると考えてよいだろう。

中層・低層の魚(スズキ・ヒラメなど) は地域によって高めに出ているものがある。

 

よく 「〇〇〇 の 〇〇〇 は大丈夫か?」 と聞かれるが、

これは自分で調べて判断していただくしかない。

水産庁のHPから 「放射性物質の調査結果」 をダウンロードして、

エクセルファイルを開いて、フィルターを使って指定して検索する。

これによって大まかな傾向が分かる。

( ⇒ http://www.jfa.maff.go.jp/j/sigen/housyaseibussitutyousakekka/index.html )

 

国が事故直後に発表した食品の暫定規制値は、批判が多かった。

しかし汚染が未知数の状況で、線引きは極めて難しかったと思う。

基準値が高いと内部被ばくのリスクは高まり、低いと供給が困難になってしまう。

4月からの新基準値では、食品による内部被ばく量を

年間1mSv (ミリシーベルト) 未満に抑えるという考えに沿っているが、

この基準値ギリギリの食品を一年間食べ続けたとしても、

1mSv には達しないという設定になっている。

しかも現在はさらに減ってきている、という事実は押えておいてほしい。

 

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「魚は食べていいの?」 - これは自分で決めるしかない。

公的基準は最低限の安全保証として必要なものである。

その上で安全マージンをどこまで取るかは、個人の選択になる。

それは多様な判断があってもいい。

大事なことは、いろんな人の意見を聞くことだと思う。

そしてその人の意見の、結論よりプロセスを理解して判断したい。

自分(勝川氏) の意見も、耳半分で聞いてもらえれば有り難い。

 

総量をどう規制するかについて言うと、

年間 1mSv に相当するベクレル数は、セシウム134 と 137 が 1:1 と仮定して、

大人=60606 Bq、子ども=88106 Bq、乳児=42553 Bq である。

1日1ベクレル摂取し続けたとして、年間 365Bq となる。

 

例えば、ICRP (国際放射線防護委員会) の国際基準を厳しく批判する

ECRR (欧州放射線リスク委員会) は、0.1mSv/年のレベルを主張しているが、

これは大人=6061 Bq という数字に相当する。

参考にしてほしい。

 

また 「被ばく量」 は = 「濃度 × 摂食量」 で見る必要がある。

50 Bq/㎏ のものを 100g 食べれば、5 Bq の摂取となる。

同じ濃度(50 Bq/㎏ ) の銀杏を食べたとしたら、それはごくわずかな量である。

濃度だけ見ないで、米など日常的に多く食べるものに注意することが必要だ。

(以下、続く)

 



2012年8月19日

海は誰のものでもなく

 

・・・・・ と前回書いたけど、

この国には 「海は漁師たちのもの」 という認識が、今もって根強くある。

海を生業の場とする人たちにこそ権利があると、

漁師まちに育った僕もそれは当然のことのように思って育った。

 

しかし、いつの頃からか、それは違うと思うようになった。

海は誰のものでもない、みんなのもの(公共財) である、未来の世代も含めて。

いつの頃からか・・・・・それは原発に 「海が売られてゆく」 につれ、

とでも言ったらいいか。

だんだんと割り切れない思いを募らせていったように思う。

 


漁業組合が漁業権を売ったからといって、海まで買い取られたわけではない。

漁業権を放棄した段階で、「海が盗られた」 と観念してしまうのは、

「海は漁師たちのもの」 という認識によってしまうからなのではないだろうか。

 

思うに、沿岸漁業の衰退は、高度経済成長とともに進んだ。

環境破壊と乱獲 (これはコインの表裏のような関係) だけでなく、

流通ネットワークの拡大や食の工業化とともに進行した。

それによって生産と消費の距離が離れてゆき、決定的な乖離が生まれてしまった。

自分がつくった(育てた・獲った) ものがどこへゆくのか見えない、

かたやどこの誰がつくったものか分からないまま食べる。

しかも値段は流通段階で決められる。

一緒に海を守る関係が切れたところに、札束の攻勢がかけられて、

漁民のたたかいに運動的な支援者はきてくれても、

「消費者」 の支援はまったく実感できなくなってしまった。

漁民や地元自治体だけが悪いわけではない。

みんなどこかで勘違いを 「神話」 にして、自ら孤立の道を選び、

あるいは簡単に見捨てる人たちになってしまった。

海は 「みんなで守らなければならない」 ものだったのだが。

 

脱原発社会を構想する今、

たんにエネルギーをめぐる議論だけでなく、

生産と消費の関係を見直し、

大事なものを取り戻すことも求められているように思うのである。

 

さてそこに、放射能という恐ろしい敵まで

視野に入れなければならなくなってしまった海がある。

僕たちはどうしたらいいのか。。。

 

昨日開いた

「大地を守る会の放射能連続講座・第4回 ~海の汚染を考える~」。

勝川俊雄氏の話をまとめようと思ったのに、

どうも雑念が払えない。。。

酒も入ってしまったので、講演レポートは次回に。 すみません。

 



2012年8月15日

『 故郷 』

 

11日の夜に帰って14日の朝には発つという、中二日の里帰りを敢行。

墓参りをして仏さんをお迎えして、

お坊さん(地元では  " おじゅっさん "  と言う) を呼んでお経をあげてもらって、

仏さんをお見送りすることなく、いわんや阿波踊りに興じることもなく、帰ってきた。 

まったく親不孝モンである。

 

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9日に行なわれた農林水産省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」 では、

自己紹介がてら、こんな軽いエピソードを披露してしまった。

 僕の田舎は南四国の小さな漁村で、

 この時期の食卓は毎日のように、カツオの刺身だった。

 高校生の時、そのことを仲間にぼやいたら、

 「エビんちに行くとカツオがたらふく食べられる!」 というので

 友達が何人も遊びに来てしまった。

 お袋は気合いが入って、「今日は料理をしなければ」 と、肉を買ってきた。

 (僕はそれ以来、友達を呼ぶと肉が食える、という公式を覚えた。)」

 

自慢話ではなくて、哀しいオチのつく話である。

あの頃の海は豊饒だった。

漁師たちには自信がみなぎっていて、

だから原発建設の計画が持ち上がった時も、一気呵成に潰したものだ。

今はそんな勢いなど見る影もない。

 


地元の漁協(自宅の隣にあった) に勤めていた母は、

漁師から毎日のように漁の残りものをもらって、お陰で魚に困ることはなかった。

「またカツオか・・・」 とぼやく、飢えたおぼっちゃま3人を横目に、

母は持ち帰ったカツオをさっさとさばいて、スダチをふんだんに絞って、

「これ食べとき」 と大皿を置いて、また浜(港の仕事) に戻っていった。

おそらく、ただ切るだけの刺身は、「料理」 の範疇ではなかったのだ。

一方で僕が一番好きだったのは、

金にならない雑魚をすりつぶして揚げた、この地方でいう 「天ぷら」、ざこ天だった。

おやつは何と言っても、磯もん(磯遊びで取ってきた小さな巻貝) である。

僕たちの 「食文化」 は、海とともにある暮らしそのものであり、

その文化をゲンパツに売り渡すことなど、到底考えられることではなかった。

 

しかし、、、今なら売るかもしれない。

海は誰のものでもなく、未来から預かっている永久資産のはずなのに。

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食文化マニュアル検討委員会で、中田典子委員から、

福井県小浜市での食を基盤にしてのまちづくりや食育活動についての

素晴らしいプレゼンを聞かされたあとに、

しぼんでゆく我が故郷を目の当たりにしながら、浮かんできたのは

小浜に隣接する大飯 (現:おおい町) 出身の作家、故・水上勉の

 『故郷』 という作品の一節だ。

 

  「 成長やないぞ・・・・・魚もすまん磯に荒廃させといてなにが成長かいな。

   これは退化や。 せやよってに、フィリピンから、兵隊で死んだ人らの

   生まれ変わりの娘さんらがはるばるやって来て、

   村を立て直すために肥えくみはじめとる・・・・・そんなことわからんのかいな 」

 

「食文化」 を、特産品のカタログのようなものにしたくない。

生命の湧く海や大地とともにいることの 「誇り」 を蘇らせるような、

そんな力を吹き込ませたいものだ。

『故郷』 にはこんな親子の会話の場面も出てくる。

 

   < あれは文明のお化けだよ。 何も年とってからお化けの棺桶のそばへ

   眠りにゆかなくてもいいじゃないか >

   ハドソン河畔のマンションで、子供らは、富美子の故郷移住をそのようにいって

   反対したのだ。

   ・・・・・・・・・・

   原発銀座と人もよぶような所へ、わざわざ、老後になって帰ってゆかなくても、

   と息子たちはいうのだが、富美子はこの意見をまともにうけとれない。

   「 謙ちゃんにかかるとママの故郷は二束三文になっちゃったけどね・・・・・

   ママには、この世にたった一つしかない故郷なの 」

   「 そこが原発の巣になっちまってるんだよ。 ぼくは、異常だと思うよママの故郷は」

   異常か。 ほんとうに異常なのだろうか。 富美子は自問自答して、考えこむ。

   そして、少しまをおいてから息子たちにこういうのだ。

   「 日本はいま、世界一のお金持ちになれた・・・・・

   その原動力を国に提供しているのが若狭なのよ。 ママの故郷なのよ。

   ママの故郷のお爺さんやお婆さんがいなければ、

   日本の今日の発展がなかったかもよ。 そんなに、ママの故郷をいじめないでよ。

   山も海もきれいなところなんだから・・・・・

   あなたたちだって海水浴にいって、大喜びで、いくらむかえにいっても

   晩まで帰ってこなかったじゃない。 すてきな村だいってたくせに・・・・・ 」

   そういっているうちに、富美子は心で泣くのだ。

   どうして、外国へきてまで、こんなことを言いあわねばならないのだろう。

   夫はだまって、聞いているだけだった。

   もちろん、この議論に勝負のついたためしはない。

 

水上勉さんは、故郷・若狭を深い愛をもって描きながら、

原発が人の心や暮らしの底にあった 「安定した重し」 のようなものを壊していく様を、

人それぞれの言葉や情感から表出させていくのだが、

つい自分の故郷の風景をダブらせてしまっている自分を、悔しいと思いながら読んだ。

なお、この作品は1980年代のものである。

 

こちらに戻ってくる前の晩、

漁の減ったカツオを調達してきた老母のセリフが、腹が立つ。

「 この子らは、カツオ切ってやっとったらええんでな、楽な子やった 」

反論は、やめた。

ま、僕の体の素は、海の命でつくられたようなものだ。

「食文化」 の再発見には、山の神さんや海の神さんも動員したい。

怒り来たれ、八百万の神々よ。 

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2012年8月10日

食文化を活かした地域活性化

 

今日は、いやもう日付が変わったので昨日か、

霞ヶ関の農林水産省に出向き、

「地域食文化活用マニュアル検討会」 という会の初会合に出席した。

こういう国の委員会への参加は、

4年前の 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 以来である。

 

この検討会、目的はこう謳われている (開催要項より)。

  「 『食』 に関する将来ビジョン 」 に基づき、

  食文化を総合的に活用する地域づくりのため、

  地域の食文化を活用して地域活性化に繋げるための

  実務的なマニュアルを作成することを目的とし、関係府省の参画のもと、

  有識者による 「地域食文化活用マニュアル検討会」 を開催する。

 

「『食』 に関する将来ビジョン」 とは、

関係府省が連携する形で検討本部が設置され、

一昨年12月に取りまとめられた、「食」 に関する政策ビジョンである。

・ 地域資源を活用した地域の活性化

・ アジアの成長力の取り込みとグローバル化への対応

・ 少子高齢化への対応

・ 食の安全と消費者の信頼の確保

という4つの視点をベースに、10のプロジェクトを進めることが謳われた。

1.地域資源を活用した6次産業化

2.「食文化」 を軸とする観光・産業・文化政策の展開

3.我が国農林水産物・食品の輸出促進による海外展開

4.「交流」 を軸とした農山漁村コミュニティの再生・地域活性化

5.再生可能エネルギーの導入拡大

6.農林水産分野の有する環境保全機能を支える仕組みの構築

7.医療、介護、福祉と食、農の連携

8.全ての世代、様々な立場の人々が参加する 「生涯食育社会」 の構築

9.「食」 に関する将来ビジョンの実現に向けた国民運動の展開

10.総合的な食料安全保障の確立

 

いろんな政策ビジョンが総花的に並べられていて、

過去の政策に対する反省はあるのか、と言いたいところだが、

今の 「食」 をめぐる状況を憂うことはあっても、

自己批判はしないのがこの国の官僚の基本的な習い性である。

こうなってしまったから、こういう状況なので、次はこうします、と

腹立たしいくらいに常に  " チョー前向き "  な種族。

いずれにせよ、これをもとに具体的な施策が立案され、

国家予算(税金) が投入されてゆく。

 

「ビジョン」 が策定された4カ月後の3.11によって事態は一変するのだが、

ここにきて 「ビジョン」 を加速化させねばならない、という動きになってきた。

 

僕が呼ばれた検討会は、上のプロジェクト2.に相当する。

地域の食文化を活用して地域活性化につなげる。

そのための、地方行政マンや地元企業・生産者・住民らが積極的に動けるような

実務的なマニュアルを今年度内に作成したい、と。

 


「マニュアル」 と聞いて、僕の心はまったく動かなかったのだが、

座長が丸の内の 「地球大学」 でお世話になっている竹村真一さん(京都造形大学教授) で、

竹村さんから 「戎谷を入れろ」 という指示だと聞かされると、さすがに断れない。

まあ私でお役に立てるなら精一杯・・・・ と大人ぶった返事をしてしまった。

 

委員は他に以下の方々。

・ 篠崎宏さん (株式会社 JTB総合研究所 主任研究員)

・ 中田典子さん (福井県小浜市役所 企画部食のまちづくり課課長補佐 政策専門員)

・ 古屋由美子さん (有限会社 INRコンサルティング 代表取締役)

・ 細川モモさん (社団法人 Luvtelli  Tokyo & New York 代表理事)

・ 藻谷浩介さん (株式会社 日本総合研究所 調査部主席研究員)

加えて、内閣府、経済産業省、観光庁がオブザーバーとして出席する。

 

開会の冒頭で、農林水産大臣政務官・森本哲生衆議院議員の挨拶がある。

「 私は田舎の出身ですが、今ほど田舎で食べていくことが大変な時代はない。

 これからどう地域を活性化していくか、国はしっかり考えなければならない。

 全国的なうねりにつながるようなマニュアルにまとめていただきたい。」

 

農水省大臣官房の政策課長・大沢誠さんから進め方などの説明がされた後、

一回目ということもあり、銘々の自己紹介や抱負が語られる。

 

竹村座長

「 日本食は、未来の日本の基幹産業になりうるもの。

 マニュアルづくりと言っても、形式的なマニュアルでは意味がない。

 地域の食文化を再発見する 「窓」、「虫めがね」 のようなものを創造的に作りたい。

 日本の食生活のなかにある色々なシーズは未来的なヒントに満ちている。

 日本食をユネスコ無形文化遺産に登録するというだけでなく、

 地球文化としての日本食を世界にプレゼンしていく必要がある。

 戦後日本は、食やエネルギー、水など、すべてをアウトソーシングしてきた。

 今や食べものがどこでどう作られたのかもまったく分からない状況。

 そういった状況に新しい示唆を与えていけるようなマニュアルになればと思う。」

 

篠崎委員

「 観光客は、ストーリー性のあるものに反応する。

 観光のシーンにおいて、食文化の豊かさが期待される一方で、

 地元事業者の多くは食文化についてほとんど語れていないのでは。

 マニュアルが実効性の高いものになることを期待する。」

 

中田委員

「 小浜市では、2000年から食を核にした町づくりを推進してきた。

 2001年に全国初の 『食のまちづくり条例』 を制定、

 04年には食育文化都市を宣言し、08年に食育推進計画を策定した。

 食文化や食育を通じて地域を活性化してゆこうと、

 拠点施設として 「食文化館」 もオープンさせた。

 生涯食育として、子供だけでなく大人も含めて食育活動を実践している。

 食文化は、健康につながり、人づくりにつながる。

 キッズキッチンや伝統行事などと結びついたコンテンツを

 地域外の人にも提供することで、観光とも結びついている。」

 

古屋委員

「 日頃から食文化の保護継承を担っているのは、農村地域の女性たち。

 しかし地域の方々はマーケティングの意識が低く、思いつきでモノを作りがち。

 点としての取り組みはあるが、面的な広がりになっている事例が少ない。

 何をPRするか、ストーリー性が大事。

 現場の方々はとても純粋に取り組んでいる。

 その勢いを、食文化の継承や発展にうまく結び付けていけたらと思う。」

 

細川委員

「 ミスユニバースやトップ・アスリートの体づくりに、医療と食の両面から取り組んでいる。

 若い世代は、カロリーを摂ること、食べることは悪であるかのような意識があり、

 貧血、便秘、不妊などの問題が生じている。 食のリテラシーが崩れている。

 アメリカが様々な肥満対策に取り組んでいるにも拘わらず、

 肥満率が下がらないのは、味覚の問題。

 頭では分かっていても、味覚はファーストフードに慣れ、

 それが  " おふくろの味 "  になってしまっている。

 伝統食をもっている国には、伝統食を伝承する責任がある。

 フランスでは味覚教育が盛ん。 

 今やらないとアメリカのような食生活になってしまう、という危機感がある。

  ここで復活できるか、この10年の取り組みが重要である。」

 

藻谷委員

「 食文化の崩壊は最近になって始まったものではない。

 日本の食文化は、醗酵調味料や昆布などの天然だしの活用が特徴だが、

 食の大量生産の中で、きちんと出汁をとらずに簡便な方法で代用するなど、

 日本食本来の味が失われている事例が多い。

 地域の伝統的な加工食品も、商品化・大量生産される過程で、

 本来のものでなくなってしまっている事例も多い。

 本来の日本食文化の基本を押さえたい。」

 

さて戎谷委員はというと、

「 食とは人の健康を支えるものであり、

 その食文化は地域の環境や風土にによって育まれてきたもの。

 地域の食文化を継承するということは、

 その地域の環境を守ることにつながるものでなければならないと思う。

 たんなる食文化の紹介で終わらず、

 地域を健全な姿にただしていくという意味を持たせたい。

 その上で、地域で食べていける道しるべになるようなものを作りたい。

 大地を守る会は設立以来37年にわたって、

 農林水産省の政策とは真逆の提案を行なってきた立場だが、

 地域環境と食を健全な形でリンクさせるために、協力させていただきたい。」

 

あとは各委員が自由に発言して、初回を終える。

それぞれに一家言を持つ委員の中で、自分に期待されているものは何か、

役割イメージをしっかり持って関わっていこうと思う。

 



2012年8月 8日

『日経エコロジー』 対談、その後

 

雑誌 『日経エコロジー』 で対談した松田裕之先生(横浜国立大学教授)

からメールが届いた。

ご自身のブログ で対談の記事をアップするにあたって

事前に確認を求められたことと、

僕の報告 ( 7月5日付日記 ) もチェックしていただいたようで、

それに対する感想も頂戴した。

 

食品における放射性物質の基準については、

松田先生と僕の主張は明らかに異なるので、反論なのかと思って一瞬ビビったが、

なんと 「違いが明確になって、とてもよい」 とのコメントである。

こういうふうに受け止めてくれると、嬉しくなる。

 

その上で、以下の指摘を頂いたので紹介しておきたい。

先の日記で書いた 「食品流通の現場にいる者と公的基準のあり方を論ずる立場の違い」

が鮮明に出ていると思うので。

 

  内部被ばく量を 「十分」 低くするという点には異論ありません。

  「できるだけ低く」 する必要があるかどうかは、今回はそうは思わない

  (カリウム40より既に桁違いに低い) ということです。

 

  原発に反対するのは、事故前からの持論です。

  それと 「今すぐ」(それも再稼働だけ) 止めろというのは別のことです。

 

  自主基準で低い線量の商品を売る自由も買う自由ももちろんあるでしょう。

  それと政府が定める基準は別のことです。

 

  これらの点で意見が合うことはないかもしれませんが、

  実際に被災地農家を支援される商品を売り続けている大地を守る会の皆さんに、

  敬意を表します。

 


さらに、僕の以下の記述に対して注文が入った。

「決定的な違いは公共政策のあり方を考える人と、

 生産と消費をつなぐ流通現場にいる者との違い、なんだよね。

 僕からの要望。

 『国は、国の基準の適切さを必死で訴えてもらいたい。

 その上で、ゼッタイに基準を超えるものは市場に出さないことを担保してほしい。

 とにかく公共基準を誰も信用しない社会は、不幸である。』 」

 

松田先生の指摘。

  前半は肝に銘じさせていただきます。

  後半ですが、「ゼッタイ」 はありません。

  全頭検査の発想ということならば、それは無理でしょう。

 

ま、これはご指摘の通りです。

本意は、国民に対して 「強い決意表明」 を込めたメッセージを届ける必要がある、

ということを言いたかったワケですが、強調し過ぎました。

 

  科学万能論を批判しながら、一方で完璧を求めるというのは、深い矛盾です。

  もちろん十分な体制をとるべきであることは論を待ちません。

 

  捕鯨論争は、国内では2002年のWWFジャパンの対話宣言で、ほぼ決着しています。

  日本政府は信用できないとしても、環境団体も管理の場にまじえて

  沿岸捕鯨を再開することに、反捕鯨派も異論はないでしょう。

  同じような 「信用の回復」 ができればよいのですが、

  福島の放射線はしばらく時間がかかるでしょう。

  しかし、ダイオキシンのように、タブーにはしたくないですね。

 

松田先生、ご意見有り難うございました。

立場や考え方の違いはいかんともし難いところがありますが、

国の基準は 「このレベルに沿って守られている」 という

最低限の合意は必要である、ということでは議論は成り立っていると思っています。

そうでないと、この世はパニックだらけになります。

(昨年の原発事故では、そうなってしまった、という認識です。)

大地を守る会は、その上で  " より安全な食と社会 "  を築くべく、

実践的に活動を行なっていきたいと思います。

その際には国の政策や基準を批判することもありますが、

同時に 「批判するだけでなく提案を」 という私たちの行動原理も

けっして忘れないで進めていく所存です。

 

今はウクライナとのこと。

お体に気をつけて、お過ごしくださいますよう。

 

※ 対談が収録された 『日経エコロジー』 9月号は、現在発売中です。

 



2012年8月 5日

忍びよる穀物危機

 

このところ気になっているのが、米国の記録的干ばつである。

1956年以来と言われる最悪規模での干ばつと熱波が6月から続いて、

7月20日にはトウモロコシと大豆の国際相場が過去最高値をつけた。

その後少しの降雨もあって多少持ち直したが、

ここまできて作柄がそう簡単に改善されるとも思われず、

これからさらに厳しい争奪戦(価格上昇) が予測されている。

 

米国の畜産団体が、ガソリンに混ぜるエタノール(トウモロコシ由来)

の使用を減らすよう政府に求めたことが報じられている。

「エタノール需要を抑えなければ、干ばつの影響で

今年から来年に飼料用トウモロコシは供給難に陥る」 と

全米豚生産者評議会は指摘している (7月31日付・日本経済新聞)。

餌の価格が上がれば、日本の畜産への影響も当然出てくる。

そしてお肉の値段だけでなく、

乳製品、油、卵製品(マヨネーズなど)、大豆製品、、、と直撃してくる。

 

今は投機マネーも穀物に手を出して相場を押し上げる。

生存のための基礎食糧が資金のあるところに買い取られ、

儲けの対象になって、値札とともに庶民の台所に到着するのだ。

世界の人口が70億人を超え、

すでに食糧が安く手に入る時代は終わりつつあるのだが、

この国の食の安全保障に対する哲学は、あまりにも貧しい。

 

2007年の秋に訪問 して、翌年には大地を守る会も訪ねてくれた

ノンGM(遺伝子組み換え) コーンの生産者、Mr.ケント・ロックからの便りでは、

25%の収穫減になりそうな予測が届いてきている。

彼はまだセンチュリーコーン(非遺伝子組み換えの品種) の収穫に

自信を見せてくれているのが実に頼もしいのだが、一方で、

すでに保険金の回収に意識を向けている農家がいることも伝えられてきている。

(この事態に遺伝子組み換え作物が貢献する、ということもない。)

 

しかも、生産現場での25%減は、末端の商品価格が25%上がる

ということではない。

需給バランスの緊張による様々な要因が発生し

(売り惜しみ・買い占め・価格上昇を睨んだ流通在庫・加工コストの上昇・・・など)、

相当ヤバイ状況であることを示唆している。

 

自国の農を軽んじた国家は滅びる。

それはすでに確実に進行していると言わざるを得ない。

食と、それを保証する農は、互いに守りあう形でつながらなければならない。

 



2012年8月 3日

原発に頼らない夏

 

暑いっすね~。

おまけに時差8時間のロンドン・オリンピックが気になったりもして・・・

皆様、体調はいかがでしょうか。

 

大地を守る会の幕張本社事務所はビルの21階にあって

窓は開けられず、夕方6時以降は節電対策で冷房を切ります。

これがまた、切った途端にム~ンとしてきて、けっこうつらい。

仕事の効率を上げて早く帰ろう、という狙いもあるのだけど、

思いだけで終わるわけでなく、仕方なく意地で踏ん張る日々であります。

 

さて、放射能連続講座・第3回のレポートを続けている間にも

いろいろとあって、この間の動きをざっと書き留めておきます。

 


7月23日(月)、大学生のインターンシップ(職場研修) とやらで、

この日から一週間、6名の学生が大地を守る会にやってきた。

その初日に講義をやれという人事からの指名で、

大地を守る会の放射能対策から 「有機農業とは-」 のお話しまで、

休憩をはさんで2時間半のエビちゃん講座。

話が重た過ぎたか、頭を支えられなくなった女子が一人。。。

 

一番反応がよかったのは実は学生さんではなく、

岩手・陸前高田からやってきた青年だった。

震災復興支援の一環として、地域産業振興や雇用促進を目的に

企業研修を助成するプログラムで、今回一緒に参加された。

地元の自動車学校が開いた農場で野菜づくりをやっているという。

これから復興を進めていくのに、民間と行政の関係をどう築いて

プランを進めていくか、悩まれていた。

勝手な意見は言えても、具体的なアドバイスはなかなか難しかった。

 

このインターンシップ、8月と9月にも実施される。

次はもっと柔らかく進めなければならない、と反省しきり。

 

24日(火)は、加藤登紀子さんの事務所に行って、

藤本さん没10周年の打ち合せ。 ほぼプログラム概要を固める。

 

25日(水)は、「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 第13回めの会議。

現在 「共同テーブル」 では、

5団体 (生活クラブ生協連合、パルシステム生協連合、グリーンコープ生協連合、

カタログハウス、大地を守る会) のこれまでの放射能測定結果をつき合わせて、

汚染の状況を分析しているところである。

食品の放射能基準ではまだ団体間で違いはあるが、

産地での対策支援について共同で取り組めることがあるのではないか。

そんな思いで、今は地道な検討の段階。

 

27日(金)は、雑誌 『日経ビジネス』 から、測定の現状を取材したいとの依頼があり、

習志野物流センターにある分析室を案内する。

午後は農水省の方がお見えになり、

一昨年末に策定した 『 「食」 に関する将来ビジョン』 のなかの

一プロジェクトの検討委員になってほしいとの要請。

座長を竹村真一さんにお願いしたところ、竹村さんから推薦があったとのこと。

そういう経過を聞いてしまうとムゲに断れなくなって、お受けすることにした。

 

8月1日(水)は、NPO市民科学研究室・上田昌文さんを訪ねる。

今後の放射能汚染の推移をどう予測していくか、

そのためにどのような調査を進めるのが適切か、

意見交換をし、アドバイスもいただく。

 

その足で、放射能連続講座・第4回のコーディネーターをお願いした

ジャーナリストの佐々木俊尚さんを訪ね、講座の打合せを行なう。

ここで佐々木俊尚さんのプロフィールを紹介すると-

1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。

毎日新聞記者、月刊「アスキー」編集部を経てフリージャーナリストに。

著書に、『「当事者」の時代』」(光文社新書)、『キュレーションの時代』(ちくま新書)、

『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、

『2011年新聞・テレビ消滅』 『血統ネット「光の道」革命』(孫正義さんとの共著、文春新書)

など多数。 総務省情報通信白書編集委員。

 

ちなみに、第5回の肥田舜太郎さん講演のコーディネーターは、

オーガニック・ジャーナリストで、「放射能から子どもたちを守る全国ネットワーク」事務局の

吉度日央里(よしど・ひおり) さんにお願いしている。

実は吉度さんからは、9月5日に千葉で行なうシンポジウムへの参加要請があり、

ちょうどコーディネーターを思案していた時でもあって、

逆にこちらからもお願いした次第。

こういう 「向こうから現われてくれた」 みたいな感じの、

「機」 というか 「縁」 のようなタイミングは、けっこう大事にするほうなんで。

 

なお、9月5日のシンポジウムのタイトルは、

千葉県の食べもの・飲みもの、給食の安全性
 ~放射能は大丈夫?~

概要は、吉度さんのツイッターからどうぞ

 ↓
https://twitter.com/hiworisun/status/232090443846909952


なんと、進行は吉度さんと、加藤登紀子さん!

千葉方面の方で、お時間ある方はぜひ。

 

原発に頼らない夏が、今まさに過ぎていってる。

この暑さもせいぜいあと一ヶ月。 元気出して、乗り切りましょう。

 



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