戎谷徹也: 2013年1月アーカイブ

2013年1月29日

シローのリンゴは終わりじゃない

 

1月27日(日)の早朝、

大地を守る会の看板生産者の一人である長野のリンゴ農家、

原志朗さんが亡くなった。 享年50歳の若さで。。。

 

彼が厳しい闘病の中にあることを知らされたのは、

昨年の秋も深まりかけた頃だった。

年を越せないかも・・・と言われた。

以来、訃報は覚悟していたけど、いざ連絡を受けると、やっぱりショックだ。

予想だにしなかった早すぎる別れ、辛すぎる。

 

本日、告別式。

幕張から乗り継ぐこと約4時間半。

新宿から特急あずさに乗って、終点・松本から松本電鉄に乗り換えて、

波田という駅に着く。

途中、持参した本をパラパラめくっても頭に入らず、

少しずつ形を変えてゆく八ヶ岳をぼんやりと眺めていた。

会場で、長野に移り住んだ懐かしいOBたちと会う。

「お互い老けたね」 とか言い合いながら、みんなで眺めた志朗くんの笑顔が

一番若々しくも見えて、いっそう切なさがこみ上げてくる。

 

e13012901.jpg

 

体調の異変に気づいて検査したところ、

胆管がんが発見されたのが昨年5月のこと。

以後入退院を繰り返しながら、様々な療法にも挑み、たたかい続けた。

昨年のクリスマス・イブの日に自宅に戻って、

そして1月27日の朝、ついに永久の眠りに就いた。

 

最後まで心配していたのが、妻と一人息子のこと。

女房の明子さんは、大地を守る会の元職員。

息子の光太朗くんは中学1年生。

しっかり者の明子さんが気丈に挨拶された。

「志朗さんの遺志を継いで、やっていきます。」

 

明子さんをして 「職人」 と言わせたほどに、

志朗くんは栽培技術を追い求めた。

父親の今朝生(けさしげ) さんも、リンゴ栽培ではカリスマと言われた人だった。

学校を出た後、農業を継ぐ前に流通の現場も知っておきたいと、

大地を守る会でアルバイトをした時期がある。

当時の調布センターに寝泊まりして、

毎晩のように飲み、語り、一緒に歌ったりしたもんだ。

当時はヒッピーのような奴らが何人もいたものだから、

悪い影響を受けちゃうと親父さんに申し開きできないよ、

とか笑いながら一緒に仕事した。

しかし多少は影響を与えてしまったのか、たしか

一時海外に旅に出たこともあったな。

あの頃から僕らは、原志朗とは会えば  " やあ、シロー "  だ。

 

自分の思う栽培技術を追求したかったのだろう、

実家は次男の俊朗さんに譲って、新たな園地でリンゴ栽培に挑んだ。

おそらくは、まだ道半ばの悔しい思いもあることだろう。

紅玉という古い品種を愛していた。

 

志朗くんは亡くなっても、彼が育てたリンゴの樹は健在だ。

「原さんのふじ」 にも、人気のセット 「りんご七会(ななえ)」 にも、

志朗が育て、明子さんや俊朗くんや広瀬 (元職員で今は立派なりんご農家)

や仲間たちが守り続けてくれるフジや紅玉やグラニュースミスが、

来年も再来年も入ってくることだろう。

その度に、僕らは志朗くんを思い出して、

こっそり語りかけたりしながら、齧ってやるのだ。

シローのリンゴは終わらない。

 

天国には大好きだったバイクもロック音楽も、ないかもね。

親父さんとリンゴ栽培論争でも、とことんやってくれ。

どうか安らかに。

合掌

 



2013年1月28日

「食べる」 という哲学

 

「逃げられない食生活というものがある」

と明峰(あけみね)哲夫さんは言い放った。 

これは、生きるためにどう食を選ぶのか、という問いである。

被ばくの覚悟を息子にまで強いている狂った親父のようだが、

選んだ私の生き方 (食の選択) をもって子を育てる、

という責任の取り方を表明しているのだとも言える。

それくらい 「食」 は生き方につながっている、と主張しているのだ。

 

これだけ食と農にこだわった親父は、そういない。

日本で有機農業運動が生まれた黎明期の1970年代から、

「たまごの会」 の活動などを通して  " 有機農業とは何か "  を追求してきた

哲人の生き様を、冷静に読み取りたいと思う。

原理主義者の主張は少数派であるがゆえに美しい、とも思いながら。

 ≪ 僕の勝手な歴史年表(記憶) では、「たまごの会」 とは、

   インテリと農民が出会い、一瞬の光彩を放って分裂した、

   まさに運動の卵をどう正しく孵化させるか議論しあった

   時代の申し子のような存在である。≫

 

明峰さんの息子さんはお陰で寿命が多少短くなったかもしれないが、

それは誰も証明できないことだし (そもそも寿命そのものが分からないし)、

別な選択をすればしたで不幸な結果になるかも知れない。

人生の因果は誰にも予測できない 「一発勝負」 なのだ。

ただ 「食」 の大切さが徹底的に刷り込まれたことで、きっと

骨太な人生を生きるんだろうと思う。 明峰さんはそれを望んだのだ。

 

「どんな線量であってもリスクはある」 と小出さんは言う。

しかし同時に (自然放射能の影響は別として)、

「地球上に (放射性物質から) 汚染されてない食べ物などない」 とも言う。

程度の問題だけだ、と。

3.11前にも、米の濃度は 0.1Bq 程度はあった。

ゼロを求めることは不可能、な社会をもう僕らはすでに作ってしまっている。

しかし子供にはできるだけ低いものを与えるべきである、と考える。

こちらも最後は 「生き方」 の問題として語るのである。

みんなそれぞれに、自身の哲学 (あるいは人生観) に帰する。

3.11は僕らに、腹を決めろと迫っているかのようだ。

 

モヤモヤ感を無理やり整理しながらレポートを続けようとしていたところに、

昨年の晩秋あたりから宣告が予告されていた訃報が届いた。

長野のりんご農家、原志朗が亡くなったとの連絡。

 

もう書けないので、今夜はここまで。

明日、告別式に向かいます。

 



2013年1月27日

食べるべきか・食べざるべきか~ の議論はもうやめたい

 

(前回からの続き)

有機農業技術会議代表理事、明峰哲夫さんの論。

「 放射能はどんな線量でもリスクはある(閾値はない)、は前提の話として、

 それでも福島に留まって農業をやる、その意味を考えたい。

 中濃度あるいは低濃度の外部被ばくを受けながら、

 安全な食べ物を作ってくれている人たちがいる。

 そのような農業者の犠牲の上に立っていることを、どう考えるのか。

 

 「危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない」

 これは論理的に正しいかどうか、ということではない。

 農地や山林や家畜を担いで逃げることはできない。

 " 逃げられない営み "  によって社会は支えられているのだ。

 それだけに私たちの責任は重たい。

 " 食べない "  というのは、福島から逃げていることと同義である。

 

 " 危険だから逃げる "  でなく、" 大丈夫だと思うから留まる "  でもなく、

 " 危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない "

 という第3の道を、圧倒的多数の農業者たちが選択したのである。

 このことの意味を考えなければならない。」

 

e13012307.JPG

 

「有機質で腐植が多い肥沃な農地はベクレル数が低い」

ということを経験的に獲得してきた菅野正寿(すげの・せいじ) さんが

その思いを語る。

「 何で逃げないのか、とヨーロッパの記者に聞かれたが、

 3500年続いてきた稲作文化を支える農耕民族として、

 逃げるワケにはいかなかった。

 この土地でどうやって生きるか、が問題だった。

 

 昔から  " 良い田んぼ "  と言われた田んぼの米はゼロ Bq だった。

 ゼオライトより、良い堆肥を施した方がよいとさえ思う。

 地形も土壌の性質も知っているのは農家自身。

 農家と科学者が一緒になって取り組む必要がある。」

 

小出裕章さん。

「 苦悩の中で逃げずに、生産している人たちがいることは理解している。

 その人たちとどう連帯するかが私の課題である。

 しかし  " 逃げたい "  という人たちに対しては国が支援しなければならない、

 ということははっきりと言っておきたい。」

 


「第3の道と言われたが、むしろそれこそ第1の道なのかもしれない」

と中島紀一さんがフォローする。

「 自給率の高い地域というのは、

 ある意味でもっとも人間らしい生活をしてきた地域でもある。

 そこでは、その土地で暮らすことは本来の暮らし方そのものであって、

 簡単に逃げられるものではない。

 むしろ人類固有の価値だとも言える。」

 

しかし小出さんは 「子どもを巻き添えにしてはいけない」 という。

今たたかっているのは放射能である。 放射能には勝てない。

特に子どもは一手にそのダメージを引き受けている。

大人が留まると、子どもも留まらせてしまうことにつながってしまう。

その考え方には、私は躊躇せざるを得ない。

 

「私は食べる」 と言い切る小出さんは、

親と子で食事を分けることもやむを得ないと考える。

これに真っ向から反論、いや 「もう一つの視点もあるのではないか」 と

問題提起するのが明峰さんである。

「 子どもを守ろう、には異論を挟む余地はない。

 しかし、それも程度の問題ではないか。

 子どもだけを特別扱いにしてよいのだろうか。

 子どもにも 「一緒にたたかおう」 と言うのも、親の責任ではないか。

 チェルノブイリの時も、私は子どもと一緒に食べた。

 " オレを恨むな、ゲンパツを恨め " と言いながら。

 

 逃げられない食生活があることも知るべきだ。

 食をともにすることは子育ての大切なファクターであり、

 健康のために分けることが唯一の選択ではない。」

 

暴論と叩かれるのは覚悟の上で、

言っておかなければならないと思ってきたことだと吐露しながら、

小出さんというより会場に挑みかかってくる明峰哲夫だった。

重たい意見だ。。。

いやしかし、この対立にはどこか違和感が残る。。。

 

小出さんが最後のほうで漏らした。

「 農民の土地に対する執着は理解できる。

 様々な生き方があって、私から一概にこうしろとは言えない。」

 

住民の暮らしを守るために、取るべき国の責任は明確にしなければならない。

しかし個々の生き方まで強制的に縛ることはできない。

というのが本来のありようかと思うが、

強制すべきレベルを議論しなければならないほどに、

罪なことをしてしまったということか。

この議論は決着がつかない。

避難したいのにできない、あるいは避難所から次の暮らしの見通しが立たない、

という人たちがいる、放置されている現状がある。

そのことを議論した方がいいんじゃないか。

 

e13012304.JPG

 

休憩後、質疑があり、コーディネーターの大江さんから、

福島県産の物流状況はどうか、とコメントを求められたのだが、

違和感を引きずってしまっていて、

頭の中が未整理のままマイクを握ってしまった。

以下のような主旨の発言をしたつもりなのだが、

まとまっていただろうか、とても不安。。。

 

福島は、私たちにとって大切な一大産地である。

明峰さんは 「 " 食べない " は福島から逃げる行為」 と言われたが、

大地を守る会を含め、産地や農民との関係を大切にしたいと考えた組織の多くは、

取り扱いを継続した。

お店でいえば、「たとえ売れなくても、棚からは外さない」 という姿勢を示したのだ。

売り場から外すことは、関係を断ち切ることである。

棚があることで、情報は流れ、支援の道筋も作られる。

しかしそれを維持するには、測定結果の開示は必須条件だった。

菅野さんの二本松東和にはカタログハウスさんが、

私たちは須賀川にと、測定器を送って支援するという形がつくられた。

測定器は、生産者の対策を検証する道具にもなった。

関係は以前よりも強化された、とも言えるかもしれない。

 

とはいえ、福島産の農産物に対する拒絶反応は今も根強くある。

測定結果を示しても、そう簡単には拭えない不安が存在している。

徐々に、少しずつ回復している (時間がかかる)、

というのが私の現状認識である。

 

討論を聴いての感想をひと言でいえば、

「正解はない」 ということだろう。

科学者はそれぞれの信念や科学的根拠に基づいて語っていただければよい。

余計な政治的配慮などが伴ったりすると、かえって不信感を醸成させる。

あとはそれぞれ個々の判断ということになるのだろう。

避難すべき、食べるべき、と  " べき論 "  だけで論争しても相互理解に進まない、

人それぞれの思いや世界観・人生観があるのだと思う。

 

私たちがとってきたスタンスは、

" そこに仲間がいて、たたかっている以上、支援する "  である。

これまで私たちの食卓を支えてくれた人を裏切るわけにいかない以上、

それしかない。

そして、測定結果を伝え、自分たちの基準値を示して、

食べてほしいと伝えるのみである。

 

「60歳以上は食べよう」 という小出さんの論を借用させてもらったこともあるが、

そう簡単には受け入れられなかった。

また小出さんの主張される

「60禁(60歳未満は食べるのを控える)・50禁・40禁~」

というような基準設定は、

全般的にかなり低い水準に落ち着きつつある現状を考えると、

非現実的というか、設定そのものが不可能だと思う。

 

土を回復するために人智を尽くす、その作業を支えるのは

今に生きるものの義務だと思っている。

(もちろん  " 支える "  とは、食べることだけではない。)

放射能とたたかっている人は、未来社会を築いている人たちだ。

私たちが直面している生存の危機は、

エネルギー・資源問題、温暖化、生物多様性の喪失などたくさんあるが、

総合的に対処する力を持っているのが有機農業だと信じている。

そういう観点からも、福島のたたかいを受け止め、

粘り強く、人をつなげていきたい。

 

・・・・・と、そんなことを考えたのだが、

喋れたのはおそらく半分くらいだったような気がする。

 

e13012308.JPG

最後に、福島から来られた方々が紹介され、

代表して山都(喜多方市) に住む渡部よしのさんが、

これまでの苦しみや現状を語ってくれた。

よしのさんは新規就農者ではないが、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバーとして、会津ネギなど

地域で育まれてきた在来野菜を作り続けてくれている。

 

閉会後、小出さんに挨拶する。 

実は小出さんも、昨年の放射能連続講座に呼ぼうとして、

どうしても都合が合わなかった方の一人だ。

「まだ諦めてませんから」 と伝えると、

「いやあ、大地を守る会に僕が貢献できるものはないよ」

と言われてしまった。 

改めて小出さんを呼ぶかどうか、正直言って、僕は迷っている。

" 食べる・食べない "  をべき論で区分けしたくない。

小出さんにはやっぱり、食品をどうのではなく、

原発そのものを語ってもらった方がカッコいいと思う。

 

討論会報告は以上。

疲れた。。。

 



2013年1月26日

復興の道は、どっちだ? 

 

このブログを書くのは、だいたい夜になる。

しかし今週は頭から 3 連荘(レンチャン)。。。

夜が潰れると、どうにも書くようにならない。

 

日曜日(20日) は、池袋の立教大学にて、

日本有機農業技術会議と有機農業学会、出版社コモンズの共催による

原発事故・放射能汚染と農業・農村の復興の道

と題した公開討論会が開かれ、

終了後、関係者の方々と一杯やってしまう。

月曜日(21日) の夜は、丸の内・地球大学に参加。

火曜日(22日) は岩手・陸前高田のお醤油屋さんである、

八木澤商店代表・河野通洋さんが来社され、

夜、震災後の復興への取り組み等について

社員向けにお話しをしていただく時間が設けられた。

お話の後、これまた軽く一杯。

で、昨日(25日) は他団体の方からお誘いがあり、情報交換を兼ねて一席。

 

とまあそんな調子でネタがどんどん滞留してきて、気は焦るも筆は持てず。

端折りながらも、順次レポートしていかねば。

 

20日(日) の討論会は、なかなか重たい議論だった。 

放射能による農産物の汚染状況をどう認識するか、

「避難すべきか残るべきか」 「子どもに食べさせてよいか」

といった争点をどう整理すればよいのか・・・、など

何点かの論点をめぐっての本音トークが展開された。

討論者は、以下の4名。

 〇 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さん。

 〇 有機農業技術会議代表理事 明峰哲夫さん。

 〇 茨城大学名誉教授 中島紀一さん(日本有機農業学会理事)。

 〇 福島県有機農業ネットワーク代表 菅野正寿さん。

コーディネーターはコモンズ代表の大江正章さん。

 

走り書きのメモを元に起こしているので、正確な発言とは異なるかもしれない、

と断った上で、以下、レポートしてみたい。

 

トップバッターは、小出裕章さん。

「農業者を前に、避難すべきか、食べるべきか、といった話はとてもしにくい。

 殴られるかもしれないが、私は科学者としての 「原理・原則」 に則って

 語らざるを得ない。」

 

e13012302.JPG

 


「 福島原発事故によって放出された放射性物質の量は、

 広島・長崎に落とされた原爆数百発分に相当する。

 しかも大地をなめるように拡がっていった。

 福島県のかなりのエリアが、法律上 「放射線管理区域」 とされる

 4万ベクレル(/㎡ ) を超えて汚染された。

 それは、そこを出る時には必ずボディ・チェックを受け、

 4万ベクレルを超えるものは持ち出してはならないという決まりのある、

 本当なら人間が生むべきではない場所であり、私は専門家として

 「住んでよい」 と言うわけにはいかない。 住んでほしくない。」

 

e13012303.JPG

 

一方、原発から 50㎞ の距離にある二本松市東和地区で

有機農業を実践する菅野正寿さん。

「 阿武隈山系のアブクマという言葉は、アイヌ語で  " 牛の背中 "  という意味。

 そんな中山間地の一角で、私たちの住む旧東和町は、

 かつては養蚕を基幹とした村だった。

 一時は養蚕業の衰退とともに桑畑は荒れる一方となったが、

 有機農業をベースに都市の消費者とつながって、

 新しい地域づくりを進めてきた。

 研修生や新規就農者も積極的に受け入れ、いろんな成果が見えてきたところで、

 原発事故というとんでもない災禍に見舞われてしまった。

 いま福島では、16万人もの人が県内外に避難しているという

 異常な事態である。

 

 家に戻り農業を始めてくれた娘は、

 ホールボディカウンターの検査で ND の結果をもらったが、

 それはあくまでも検出下限値以下という意味であり、

 不安が消えたわけではない。

 何Bq(ベクレル) 以下なら大丈夫なのか、明確な基準は存在しない。

 低線量内部被ばくの問題が、住民を不安にさせている。

 政府には、昨年6月に制定された生活支援法を早急に実施してもらいたい。

 学校給食では、昨年12月より地元産米が使われるようになったが、

 野菜については 「ゼロでも使ってほしくない」 という声があって、

 まだ復活できてない。

 

 住宅の除染も始まったが、なかなか思うように進んでいない。

 一ヶ月も経つと (雨や風の影響か) 元の線量に戻ったりしている。

 周辺の森林の除染を進めるべきなのだが、手がつけられていない。

 そもそも大手ゼネコンに丸投げしてしまっている状態で、

 本当は住民の手で進められるようにしたい。

 復興のプロセスに住民を参加させるべきではないか。

 

 森林の除染は難しい問題だが、

 キノコがよく吸収しているのを逆手にとって、

 伐採した木をチップにして敷き詰めて、カビや菌の力を借りて除染できないか、

 目下専門家とともに研究中である。

 

 福島では、出荷制限や自粛などによって耕作放棄地が増えている。

 セイダカアワダチソウの風景が広がっている。

 しかし復興が進んだのは、実は耕して米や野菜を作ってきた農地である。

 米の全袋検査では、99.8% が 25Bq 以下という結果だった。

 野菜ではほとんど検出されていない。

 まさに 「土の力と農人の耕す力で 『福島の奇跡』 が起きた」(中島紀一さんの言葉)。

 ふくしま有機農業ネットワークでは、米と野菜、雑穀については

 40Bq/㎏ 以下を基準にしようと提言している。 

 

 この問題を、ただ 「食べる・食べない」 とか、「逃げる・逃げない」 といった

 狭い議論で終わらせてほしくない。

 ゴミや基地や原発を地方に押しつけてきた日本の構造こそ

 見つめ直して欲しい。」

 

e13012305.JPG

 

「住んでほしくない (避難と生活保障は国の責任)」 という小出さんも、

" 食べる・食べない "  については、明快に  " 食べる "  派である。

「 私はとにかく、子どもを守りたいという一心である。

 一次産業も守りたい。 

 だから  " 社会的責任として、大人は食べるべきだ "  と主張してきた。

 チェルノブイリのときも、私は普通にヨーロッパ産のスパゲティを食べた。

 しかし子どもには食べさせなかった。」

 

ここで、小出さんは一つのグラフを示す。

e13012306.JPG

 

「放射線ガン死の年齢依存性」。 

1万人の人が1シーベルト被曝した場合が、1万人・シーベルト。

1mSv(ミリシーベルト) だと1000万人として、

それだけ等しく被ばくした場合に、

ガン死者数が何人になるかを年齢別に推計したもの。

左端の棒がゼロ歳児の場合で、15,152人。

右端が55歳で、49人。

全年齢で平均した場合の死者数 3,731人。

ほぼ30歳あたりが平均になる。

それ以上の年齢になると、放射線の影響は段階的に鈍化する。

 

小出さんの言う  " 食べる "  とは、たんに責任や覚悟を迫っているのでなく

(いや、それは相当に迫っているが)、

それなりのデータに基づいてもいる、ということである。

 

中島紀一さんが、現状把握の整理を提示する。

「 現状では、一部の果物や山野草、キノコ、タケノコといったものを除いて、

 ほとんど検出されなくなってきている。

 確率論的には、内部被ばくは相当に低いレベルになっている、と言ってよいだろう。

 

 降下した放射性物質よりもはるかに膨大な量の土が

 放射性物質をつかまえ、固定化させてくれた。

 土は放射線の遮蔽効果も発揮してくれている。

 また粘土だけでなく、堆肥や腐植といった有機物も

 固定能力が高いことが見えてきている。

 当初は堆肥を入れる有機農業のほうが危ないとも言われたが、

 " 土をつくる "  ことの意味がここにもあったということだ。

 そういう視点からも、" 復興の筋道・留まって耕すこと・食べること "

 の意味と価値を捉え返す必要がある。」

 

ここで哲人、明峰哲夫がマイクを握る。

 

あれぇ・・・

端折るつもりが、終わんないね。 それだけ慎重になっているのか。

スミマセン、続く。

 



2013年1月23日

《予告》 「放射能連続講座 Ⅱ」-第2回は児玉龍彦氏

 

2月24日(日)に開催する 「2013年 大地を守る東京集会」 で

放射能講座をやります、というのは昨年末にもお知らせしましたが、

この 「放射能講座 東京集会編」 を、

この間準備を進めていた 『大地を守る会の 放射能連続講座 パートⅡ』

の皮きり、つまり第1回と位置づけて、ここから

第Ⅱクールをスタートさせることといたしました。

 

目下、何人かの方との交渉を進めているところですが、

第2回までは確定したので、

ここで改めて 「予告編」 を挿入させていただきます。

 

一発目は2月24日(日)、

東京集会の会場である蒲田の 「大田区産業プラザ PIO」 にて。

時間は10時半~12時。

講師は、NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さん。

昨年の連続講座第1回に続いて、今回もトップバッターを切っていただきます。

 

e13012300(上田昌文).jpg (上田昌文さん)

 

テーマは、「放射能汚染の現状と課題を整理してみよう」 。

忌わしい原発事故から2年近く経って、今の汚染状況はどうなっているのか。

何がどこまで分かり、何がまだ分かってないのか。

何が大丈夫で、何に気をつけるべきなのか。

被ばくと健康リスクの関係についても未だ意見が分かれる中、

私たちはどう理解して対処すべきなのか。。。

この難題に対して、これまでの厖大な測定データをもとに、

可能な限り整理してもらいます。

 

また全国から生産者が集まってくる、せっかくの東京集会です。

このコーナーのゲストに、生産者を2名お呼びしました。

一人は、「大地を守る会の備蓄米」 でおなじみ、稲田稲作研究会の伊藤俊彦さん。

もう一人は、若手を代表して 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

この2年の苦闘を振り返りながら、今の思いを語っていただきます。

 

予定は1時間半ですが、時間切れで「ハイ、終わり」 とはせず、

今回は終了後に 「コミュニケーション・タイム」 を設けることとしました。

質問のある方には残っていただいて、できるだけ質問に答えようと、

昨年の反省から考えてみました。

 

続いて第2回は、4月18日(木)に開催します。

講師は、東京大学アイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授。

一昨年の7月、国会の参考人に招聘された際に、

政府の対応を厳しく批判された方です。

福島での除染活動の支援も続けられているようで、

夏までの期間で空いているのはこの日しかない、

という日と時間を奪取、いえ、頂戴しました。

ということで、時間は18時半~20時半。

場所は、日比谷公園内にある 「日比谷図書文化館・コンベンションホール」。

 

e13012301(児玉教授).jpg (児玉龍彦さん)

 

お願いしたテーマは、

「改めて内部被ばくの問題を考える ~未来のために正しい知識を~ 』。

児玉さんは新たな視点で内部被ばくの影響や仕組みを研究されています。

その先端の話を伺います。 乞うご期待。

 

実は、昨年も交渉しながら、ついに時間が取れなかったいきさつがあります。

かなり 「執念深いヤツ」 と思われたかもしれません。

もし当日機嫌が悪そうだったら、それはワタクシのせいです。

 

昨年の6回シリーズでは、汚染状況の正確な把握と、

健康リスクに対する知識や判断力の獲得を目指しました。

この第Ⅱクールでは、より明確に

「3.11を乗り越えて、本来の食と、人と社会の健康を取り戻す」

ための道筋を探りたいと思います。

たくさんの方のご参加をお待ちします!!

 



2013年1月19日

地域を元気づける食、への道筋は見えているか・・・

 

おさかな勉強会のレポートを書いている間にも、

ちょこちょこと動いていて、簡単な報告だけでもアップしておきたい。

 

1月16日(水)は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」 に出席。

その土地の風土に根ざした伝統的食文化を、地域の活性化に結びつける、

その道筋を地域の人たちの力で見つけ、発信し、地域を元気にする、

そのための 「活用マニュアル」(仮称) の作成。

 

この課題に、竹村真一座長を筆頭に6人の委員が集められた。

ゴールが年度末と決まっているので、ダラダラとやってるわけにはいかない。

いよいよその具体的な構成の検討となる。

これまでの議論をもとに事務局から構成案が示され、

それをたたきながらブラッシュアップさせていく。

まあ委員はそれぞれのイメージを持っていて、銘々に言いたいことを言うのだが、

それらを受けて形にしてくる事務局はたいしたもんだ、と

今回は素直に感心させられた。

(いつも批判してばっかりでなく、評価すべきところははちゃんと評価しよう。)

 

委員が顔を揃えての検討会は、ここまでで 3 回。

短い議論で結果を出さなければならない。

もし違和感が残っているなら、その原因を絞り出さなければならない。

あと1ヶ月で。 けっこうしんどいぞ。

 


詳細は省かせていただくとして (議事録は HP でアップされます。要約だけど)、

最後に、委員の方々のコラムも入れたいとの提案を受ける。

ワタクシに与えられたテーマは、

「食の風景 ~その地域ならではの景観を生み出す食文化~ 」。

戎谷さんの発言に沿った感じでお題をつけてみたんですけど・・・

逃げられないように仕向けられている感じ。

 

また今回は、ゲストにノンフィクション作家の島村菜津さんが招かれ、

イタリアのスローフードの展開について解説いただいた。

島村さんとは、丸の内の 『地球大学』 でご一緒して以来、3年ぶりか。

北海道での取材から何とか帰って来ることができて、

自宅の雪かきをしているうちに 「予定が頭から飛んじゃって~」 と、

だいぶ遅れて息荒く駆け込んできた。

人間だもの・・・ みたいな姿を見るのは、内心楽しい。

 

イタリアから生まれたスローフード運動も、

今や世界的なムーブメントに発展してきているが、

背景にあるのは、20世紀後半からの

山間地の過疎化や農村文化の疲弊に対する危機感だった。

そこで地域文化の見直しの気運を後押ししたのは、外部の目や声だった。

何もないと思っていた地元の価値や財産への気づきは、

往々にして外との交わりによって生まれる。

我々の仕事は、そんな変化を助けるものになるだろうか。

ああ、会議よりも旅をしたい。。。

 

そして翌17日は、群馬での生産者新年会に出席。

場所は伊香保温泉。 

e13011901.JPG

参加者44名。 今回の幹事団体は 「銀河高原ファーム」。

挨拶されているのは、代表の山口一弘さん。

 

年に一回の、県下の生産者たちの顔合わせだからね。

みんなで温泉に浸かって交流を深めるのも悪くないよね。

とか言いながら、昨今エビが登場すると、話はカタくなってしまうのである。

新年会の前に会議室を用意してもらって、

大地を守る会の放射能対策の経過や現在の状況、これからの取り組み

などについて報告させていただいた次第。

しかし、ふつう会議室で小一時間も喋ると、

途中で居眠りを始める生産者がいたりするのだが、

今回はみんな真剣な眼差しで聞いてくれた。

いかにこの問題が、皆の心に影を残してきたか・・・

 

昨年の測定結果では、ほとんどの農作物は

「放射性物質不検出(=検出下限値以下)」 か、検出されても極めて低い値である。

しかし山や川からの影響も含めて、まだ油断はできない。

しっかりと事実を把握しながら、安全性を確保していきたい。

そのための測定ならいつでも協力する。

土でも水でも持ってきていいから (ただし必ず事前に連絡すること)。

しつこいようだけど、「子供たちの未来を守る」 ために頑張ってみせる、

と言える我々になろう。

 

宴会を終え、部屋に戻ってもみんな集まってきて、話は尽きない。

以前にこの産地新年会回り(全部で8ヵ所) を 「死のロード」 と呼んで

生産者からひんしゅくを買ったことがあったけど、そう言いながら内心は

生産者とどっぷりとやり合っていることを自慢したかったんだ。

農産グループから離れて、なかなか新年会に行けなくなって、

正直ちょっと寂しい。

 

「食」 と 「農」 が、地域を再生させる。

その道筋に立っているのなら、僕らはいつでも会える。

そう信じて歩き続けるんだね、このロードを。

 



2013年1月18日

魚を食べる資格を取り戻す

 

「日本人に魚を食べる資格はあるのか」

 - 勝川さんの話は続く。

 

日本の食卓は輸入に依存してしまっている。

しかし今や欧州の輸入単価が上がってきている。

すでに日本は90年代にアメリカに抜かれ、欧州に追いつかれた格好だ。

輸入量、金額ともに5年で半減した。

円高ならまだ買えるが、円安になると・・・ 魚は食べられなくなるかも。

 

では漁業資源は世界的に減っているのかと言えば、そうではない。

世界の漁業生産は、実は伸びている。

漁獲量上位15ヶ国のうち、この50年で減らしているのは日本だけ。

2048年に日本の漁業は崩壊する、という説がある。

最大値の10%を割るとその産業は消える、という論理だ。

このままでいいのか・・・

 

悲観してばかりいてもしょうがない。

方法はある。 

e13011305.JPG

 


漁業を発展させ、魚食文化を守るために、

ちゃんと資源管理を進めればよいのだ。

漁獲規制を行ない、漁船ごとに個別漁業枠を設ける。

そうすることで 「獲らなきゃ獲られる」 という悪循環の競争から脱却できる。

実際に資源管理で順調に伸ばしている国が存在しているではないか。

ノルウェー、アイスランド、ニュージーランド、オーストラリアなど。

残念ながら日本は崩壊中の国である。

 

ノルウェーが日本に魚を売って儲けている話は、以前に書いた通り。

獲り方とは、残し方なのである。

幼魚を成魚に育てて、食べる。

これは美味しい魚が手に入るという意味でもある。

乱獲スパイラルから脱却させ、利子で食えるようにしなければならない。

これは漁民個人のモラルではなく、制度の問題である。

 

太平洋クロマグロの9割以上は1歳までに漁獲されている。

6年泳がせれば自然と自給できるようになるのに。

乱獲をやめれば食卓も支えられるのに。

 

この国のもう一つの問題は、補助金にある。

「漁業振興のために」 使われる補助金の額は、日本はダントツなのだが、

その多くは港湾整備とかの名目で土木事業に流れる。

このままでは、いくら補助金を増やしても資源は増えない。

 

税金が、海のためでも漁師のためでも食べる人のためでもない何ものかに

吸い取られていく構造が、ここにもある。

変えるためには、国内世論が形成されなければならない。

政治はとても大切なことなのだが、

多くの国民は実態を知らされてないがために、無関心のままでいる。

欧米では、自然保護団体が大きな役割を果たしている。

外からのサポート勢力を育てたい。

 

消費者教育も大事なことである。

消費には責任が伴うことを、もっと考えてほしい。

" 持続的に獲る - 持続的に食べる "  の関係を築きたい。

 

魚屋さんという存在も貴重だった。

昔の魚屋さんは、サカナの知識や食べ方というソフトウェアも一緒に売っていた。

今はただスーパーの棚に切り身が並ぶだけで、

消費者は 「魚離れ」 ではなく、「魚知らず」 になってしまっている。

関心がないワケではない。 知る機会がなくなってきているのだ。

「サカナくん」 なんていうタレントが人気を博す国なんて、他にない。

こんな国でもまだまだ希望はある、と思いたい。

 

「価格」 「味」 「鮮度」 に加えて、

「持続性」 という新しい価値を創造したい。

 

勝川講座レポートは、ここまで。

勉強会のあとは、丸の内のお店 「Daichi & keats」 で新年会。

 

e13011306.JPG

 

勝川さんを囲んで、あるいはめいめいに輪をつくって、

海の問題、魚の問題、天下国家の問題、その他バカ話など織り交ぜながら、

大いにはずんだのだった。

 

e13011307.JPG

 

帰宅し、出刃と刺身包丁を取り出して、久しぶりに研いでやる。

ゆっくりと、錆びつつある自分の根性も研ぎ直したく。

 



2013年1月16日

日本の魚は大丈夫か-

 

未来のために、持続可能な食べ方をしましょう。

 - 三重大学資源生物学部准教授・勝川俊雄さん(農学博士) が語る。 

 

1月12日(土)、 専門委員会 「おさかな喰楽部」 による新年勉強会。

テーマは、勝川さんの本のタイトルそのまんま、

「日本の魚は大丈夫か」。

場所は、魚といえば築地だと、「築地市場厚生会館」。

分かりやすい、一本気な魚屋たち。

 

予告でも書いた通り、

昨年8月18日に実施した 「放射能連続講座・第4回-海の汚染を考える」 で、

「勝川さんの専門領域の話をじっくりと聞きたい」

という要望がたくさん上がったことに応えて、おさかな喰楽部が設定してくれたもの。

今回は、放射能連続講座で訴えられた内容を、

豊富なデータを基に掘り下げる形で展開していただいた。

 

以前報告した内容 (8/25 「インフラ復旧の前に、産業政策を!」

とかぶるところは割愛しつつ、メモと記憶を頼りにいくつかピックアップしてみたい。

 

e13011301.JPG

 


水産資源に関しては、国内外で時に真逆の論調がされることを、

まずは頭に入れておいてほしい。

たとえばクロマグロ。

その数は最盛期の5%にまで減少(95%減) したと諸外国は指摘する。

しかし日本では、3.6倍に復活してきている、という主張がなされている。

日本の主張は受け入れられるでしょうか。

 

国内では二つの論調がある。

ひとつは、日本人の魚離れが進んでいる、もっと魚を食べよう、という主張。

もうひとつは、水産資源が枯渇していってる、資源を回復させよう、という主張。

 

問題は消費ではなく、供給の側にある。

魚の消費量は、言われるほど減ってはいない。

そもそも日本人は、(海の周辺を除いて) 戦前まではそれほど魚を食べていない。

魚の消費量は、実は冷蔵庫の普及とともに増えてきたのである。

 

日本は世界第2位の漁獲量を誇りながら、世界一の水産物輸入国である。

漁獲量1位のアイスランドの自給率は 2,565 %。

かたや第2位の日本の自給率は 62 %。

いかに魚を食べているか、ということを数字は物語っている。

(自給量+その2/3ぶんを余計に消費している計算。)

 

e13011302.JPG

 

戦後、漁獲量が増えていったのは、

マイワシ・バブルのような時代があったお陰だが、

それも80年代をもって崩壊した。

また60年代まではひたすら漁場を拡大できたが、

70年代の200海里設定で、日本は漁場から締め出された。

 

東シナ海は世界有数の魚場であったが、

戦前に開発されたトロール船による底引網漁で乱獲が始まり、

マダイなどの高級魚は10年で獲り尽されてしまった。

戦争によって一時的に資源の回復が進み、

戦後、過ちを繰り返すなと言われながら、結局同じ失敗の道を歩んだ。

今は、漁業者の9割が資源量の減少を実感しているのが現実である。

 

e13011303.JPG

 

天然の魚がダメなら養殖があるじゃないか、という人がいる。

しかし実際には、養殖生産は頭打ちになっている。

魚の養殖は、ブリ(ハマチ)、マダイで9割を占めていて、

多様性がなく、天然の替わりにはなり得ない。

しかも餌は天然魚!なのである。

クロマグロを 1 ㎏太らせるのに 15 ㎏のマイワシやサバの幼魚が必要とされる。

70~80年代の養殖は、マイワシの豊漁で支えられたものだった。

つまり養殖とは豊富な天然魚の存在を前提とした産業であり、

天然より厳しい生産方式であることを知らなければならない。

(海藻などエサを不要とする養殖は別。)

 

しかも資源量の減少とともに、餌である魚粉の価格はどんどん上昇している。

すでに供給力は一杯一杯の状態で、ペルーのカタクチイワシによる魚粉は

EUと中国の争奪戦となっている。

今年、ペルーはカタクチイワシの漁を 70 %までに規制した。

 

タイやハマチの養殖では、原価の8割が餌代になっている。

これでは人件費は出ない。

この10年、漁業者は全体で2割減となっているが、養殖漁業者は3~4割減少した。

稚魚を放流して資源量を回復させる、いわゆる  " 育てる漁業 "  があるが、

成功した事例であるヒラメを見ても、実際は増えもせず減りもせず、という状況である。

 

そこで問いたい。

「日本人に、魚を食べる資格があるのか?」 

e13011304.JPG

 

2007年、ヨーロッパウナギの輸出が規制されたが、

食べ尽くしたのは日本人である。 資源はほぼ壊滅した。

日本のシラスウナギ(幼魚) は、河川の構造変化もあって減少の一途を辿り、

結果的に獲り過ぎとなり、価格が上昇し、鰻屋さんは閉店してゆく。

 

そもそも、鰻を食べるということは、文化的と言えるのか。

養殖が定着する前は、ウナギを食べることは特別なハレの食事であった。

しかし今は持続性無視の薄利多売の商品となっている。

何というお手軽消費であることか。

漁師たちが乱獲なら、消費者は乱食、ツケは未来に・・・

頼みとすべき水産庁が、消費拡大のために企画したキャンペーンが、

ファーストフィッシュ。

つまり、お手軽に食べられる水産加工品のコンテストだ。

 

何だか絶望的な話ばかり続けているね。

気持ちを切り替えよう。 とりあえず今日はここまで。

 



2013年1月15日

大雪パニックと 「サラメシ」

 

今季の初雪はいきなりの大雪となって、風も強く、

お陰で首都圏の物流は大混乱に陥ってしまった。

大地を守る会においても昨日は配達が完了せず、

お届けできなかった会員の方々には、モノが食料であるだけに、

金額では計れないストレスを与えたことと思う。

この場を借りてお詫びいたします。

 

この影響は玉突き的に続くので、混乱はまだ数日尾を引きそう。

それにしてもたった一発の雪で遮断されてしまう。

交通網が発達 (複雑化) したぶん、逆に

都市はこういう自然現象に対して相当に脆くなってしまったように思う。

僕が入社した頃(●●年前) は、根性で配達し切れ!と言われたりして、

ヒィヒィ言いながらも何とかやった(やれた) ものだが、

 -夜の11時半頃に鎌倉の会員宅に着いて、亡霊を見るみたいに驚かれた記憶がある-

しかし今はいきなり  " なんともならない "  パニックに立ち往生してしまう。

 

今日は、物流センターへの応援や会員さんへの連絡などで社員が刈り出されている。

しかし僕はまるで戦力外通告。

「エビさんは、今の電話システムが分かってないから使えないです。」

見守るしかない、このもどかしさ。。。

現場応援!と指示され、嬉々として走り出す男どもを見ていると、

ある種の懐かしさも涌いてくるのだった。 血が騒ぐんだよね。

いやもしかして、今の連中には普段のストレスのほうが大きいのか・・・

 

ま、そんな感じで気もそぞろになりながら、

自分には自分に与えられたミッションがある、と言い聞かせて、

去年のうちに終わらせたかった宿題をひとつ、" とりあえず " 完了させる。

この話はいずれすることになると思う。

 

さて、冷たい雨に変わった夜道を急いで帰った昨晩。

なんとかNHKの 「サラメシ」 には間に合った。

番組後半、おにぎりには海苔! という展開で、成清海苔店・成清忠登場。

いきなり撮影班に向かって

「あんたもウマイめし食いたいやろ。 ワシも食いたか。」 (だったっけ・・)

おお、カッコいいじゃないか。

 

皿垣漁協も紹介され、一番積みへのこだわりが語られる。

そしてロットごとに乾燥を調節する、真剣勝負な成清忠の姿。

仕事してるねぇ~(失礼)。

 

忠さんによれば、撮影は二日に渡って行なわれ、

昨日と同じ服を着ろと言われ、何度も同じ場面を撮らされたとのこと。

「おふくろも、何回もおにぎり握らされたとですよ。」

おふくろさんのおにぎりは、シンプルな三角の塩むすび。

ジワ~ッと口のなかで溶ける一番積み海苔があれば、それでいい。

 

e13011401.JPG

 

雪に見舞われ、うろたえた一日の最後に、温かい日本の食。

成清家の皆さま、お疲れ様でした。 そして  " ごちそうさま! "  です。

再放送は17日のお昼、12:20から。

観れなかった方は、ぜひ。

 

忠さんも参加してくれた

12日(土)の 「おさかな喰楽部新年勉強会」 の報告は次回に。

 



2013年1月10日

手抜き除染・・・

 

年明け早々から腰が抜けてしまいそうになる報道が続いている。

" 手抜き除染 "  だって・・・

除染作業で回収した落ち葉などを、作業エリア外や川に捨てたり、

水をそのまま流したりしていたらしい。

 

もちろんすべての地域 (現在、本格除染が進められているのは4市町村) で

手抜きが横行しているとは思いたくないが、

安心して暮らしたい、あるいは 「早く故郷に帰りたい」 と願う人たちにとっては、

やり切れない怒りを感じていることだろう。

あるいは福島県全体への不信や不安感につながらないかと

危惧する県民もいるかもしれない。

 

この報道で、除染を請け負った企業や作業員のモラルの低さを嘆いた方もいることと思う。

しかしどう考えても、これは構造的な問題である。

除染のガイドラインを示したものの、仮置き場も決められないまま

ゼネコンに丸投げした政府 (環境省)。

元請けゼネコンはさらに下請けに委託し、

下請け業者は作業員を日雇いして作業にあたる。

どの業者も、赤字で受けることはできないと、

作業者に支払われるはずの危険手当て(1日1万円) が抜かれたりする。

 

現場はといえば、ガイドライン通りにやってたらとても期日までに終わらないし、

周囲からの移染もあったりするなかで限定したエリアの作業じゃ

とても完全な除染なんて無理 、とか思いながら作業にあたる。

現場監督に指示されれば、「そういうものか」 とか 「いいのかなぁ」 とか思いながら、

川で長靴を洗ったり落ち葉を捨て流したりする作業員。

ここに住む人たちのことを思いながら真面目に作業にあたった人にとっては、

ゴミ出しのルールを守らない人々と一緒に住んでいる住人

のような感覚に陥ったことだろうか。

 

こうして誰にも達成感は生まれず、形ばかりの実績が積み上げられ、

数千億円の税金が消えていく。

 

ゼネコンを  " 指導 "  するだけではさすがにまずいと考えたか、

環境省は 「除染適正化推進本部」 を立ち上げた。

はたしてどう 「適性化」 されるのか、注視したいところだが、

僕の中にある決定的な疑問は、

どうして現地の業者を使おうとしないのか、ということだ。

できるならその土地に住む人たちも作業計画に関与できる形にすべきだろう。

地元の人たちが納得できる計画を立て、作業員も現地雇用を中心にすれば、

" 私たちの故郷を回復させる "  作業になるし、

それだけで確実に  " 手抜き "  は減るはずだ。 

貴重な税金も地域に還元される。

愛や誇りも取り戻せるかもしれない。

地域が主体となった回復運動を支援することこそが国の役割だと思うのだが、

国が進める  " 除染 "  には、寄り添うゼネコンの姿は見えても、

地元自治体や住民の姿は見えてこない。

このままでは、ただの作業記録以外、何も残らない。

 

震災直後に海外から賞賛されたこの国の民のモラルが、

あろうことか内側から踏みにじられ破壊されていってるように思わされてしまうのは、

僕だけだろうか。

「故郷で死にたい」 と訴えながら仮設で亡くなる人が続いている。

子供を連れ九州に避難した母子が

「帰っても昔のような近所付き合いはできない」 と孤独感を滲ませる。

僕らは今もこんな光景を見せつけられていながら、

一方で 「一丁上がり」 と移動していくゼネコンにお金を吸い取られている。

 

新年にあたり、田中正造の言葉を引いた論説をいくつか見た。

   真の文明は

   山を荒らさず

   川を荒らさず

   村を荒らさず

   人を殺さざるべし

ゲンパツ文明は、見事なくらいにこの真逆の光景を、僕らの前にさらしている。

やめようよ、ホントに。

 



2013年1月 5日

2013年 創造の年にしたい

 

少々遅ればせながら-

皆様 明けましておめでとうございます。

「おめでとう」 とは言えない・言いたくない・・・ といった年賀状も散見される

2013年の幕開けですね。

 

気持ちは晴れませんが、凹 (ヘコ) んでいるわけにも参りません。

時代の変化はジグザグしながら進むのです。

元気出していきましょう!

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

ワーカーホリックとしてはめずらしく、

今年は一日長くお休みを頂戴して (会社自体は2日から稼働してますが)、

本日1月5日より仕事を再開しました。

2013年の始動にあたり、

「放射能対策特命担当」 としての今年のスローガンを掲げます。

退路を断つ、くらいの決意を込めて-

" 対策 から 創造 へ! "

 

気合い入ってる?

そうなのよ。 元旦早々から、喝!を入れられちゃったみたいで。。。

昨年の自爆的解散によって、得票が減ったにもかかわらず圧勝して

選ばれたばかりの宰相のひと言。

「脱原発とか卒原発とか、言葉遊びのような人たちを、国民は信用しなかった。」

モチが詰まりそうになりながら、一発でギアが入った感じ。

しかも次の言葉にも驚かされた。

「新たにつくっていく原発は、事故を起こした福島第1原発とは全然違う。」

何がどう違うというのか・・・

眠れなくなりそうなので、教えて、早く、お願い。

 

早くも公約破棄に向かい始める政権。

しかも新たな神話までつくりだそうとしている。

「安全性に問題ない」 といって寿命を延ばしてきたのは誰だったのか。

まるで古着を捨てるみたいに。。。

正月の言葉遊びであれば、次のようにお返ししたい。

 - では、これまでのはすべて廃炉、ということでヨロシク。

 

未来を傷つけ続ける時代とは、おさらばしたい。

脱原発3年は、そのための希望を見える化させる年にしたい。

 

夕方。

気分転換に思いついて、一番近い風車に立ち寄る。 

e13010501.JPG

夢の島からさらに東京湾にせり出して作られた陸地。

江東区立若洲公園に建てられた風力発電。

 

e13010502.JPG

 


この時は風がほとんどなかったけど、

この一年間の風の力によって

9900本の植林に相当するCO2削減効果があった、と表示されている。 

e13010505.JPG

 

東京都だってこう言ってる。

「 地球上で限りがある石油などの化石燃料や原子力とは異なり、

 自然現象において再生可能な資源-」。

e13010504.JPG

 

手塚治虫さんのメッセージも掲げられている。 

e13010506.JPG

 

ガラスのように壊れやすく、美しい地球。

未来人(子ども) たちの夢を私たちがしっかりと支えて行かなければならない・・・

 

e13010503.JPG

 

若洲公園から対岸に位置する中央防波堤外側埋立地にも

2基の風車が回っている。 

e13010507.JPG

 

富士山のシルエットも入れてみる。

無粋な建物群が消えて、まあまあな感じかしら。 

e13010509.JPG

 

若洲公園と中央防波堤外側埋立地を結ぶ東京ゲートブリッジ、

別名 「恐竜橋」。 

e13010508.JPG

この橋の照明には太陽光発電が使われている。

 

都市文明から生み出された膨大なゴミの上で、

太陽にいのちを託して横たわる21世紀の恐竜。

いろんな意味で首都・東京を象徴する場所だと思う。

 

太陽から地球に降り注ぐエネルギー量は、

たった1 時間で人類が消費するエネルギー量 1年分に相当する。

そのエネルギーの1万分の1を有効利用できれば、

この地球からエネルギー問題はなくなるとも言われる。

おお、素晴らしい! と楽観視できるほど甘くはないことだが、

少なくとも、借金をもとに用立てられた財源を公共事業にばらまくくらいなら、

自然エネルギーに投資すべきである。

「昔のゲンパツとは違う」 とどんなに強弁しようとも、

将来に恐ろしいツケを積み立てていく構造に変わりはない。

 

僕にも、僕なりに引き受けたタスキがある。

次の走者に勇気を与えられるような走りはとても無理だとしても、

このタスキだけはゼッタイにつなげなければならない。

いつか来た道ではなく、

新しい道を開拓する喜びを、小さなものでも、ひとつでも、

未来人に残せるよう、この1年を走り続けたい。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ