戎谷徹也: 2013年7月アーカイブ

2013年7月20日

ジェイラップ、「全国農業コンクール」 名誉賞受賞

 

7月18日、

日本における農業の先駆的活動を顕彰する

「全国農業コンクール」 の第62回全国大会が、福島県郡山市で開催された。

毎日新聞社とその年の開催自治体の共催で実施されてきたもので、

歴史と規模(全都道府県の予選から進められる) からいっても、

国内最大の農業コンクールと言われる。

 

その今年の全国大会で、

「大地を守る会の備蓄米」 で深いお付き合いのある

ジェイラップ(代表:伊藤俊彦氏) が、

見事、名誉賞(農林水産大臣賞・毎日新聞社賞) ならびに

福島民報社賞(共催新聞社の最高賞) を受賞した。

惜しくもグランプリ(毎日農業大賞) は逃したが、

銀メダルに相当する栄誉である。

毎日新聞の発表記事はこちらから。

 ⇒ http://no-kon.com/contents/topics34 

 

地元紙 「福島民報」 1面トップでは、最終候補 20団体の発表(プレゼン) に触れ、

ジェイラップはこう紹介された。

「 稲田アグリサービスとジェイラップは原発事故後、

 放射性物質の特性などを学び、放射性物質の検査機器導入や、

 農地の反転耕対策の事例を取り上げた。

 コメやキュウリなどを栽培しており、

 放射性物質に対するきめ細かな情報発信で農業を継続した実績などをアピールした。

 伊藤俊彦社長(55) は 「今後も地域の農地除染などを通して

 原発事故の不安解消のために努めたい」 と喜びを語った。」

 


同じく社会面では、 『福島の「農」 底力発信』 の見出しが踊っている。

こちらからも一部、抜粋させていただきたい。

「 地震で農地に被害が出た上、風評被害で居酒屋チェーンなどの取引先や

 個人客が離れ、年商は大幅にダウンした。

 除染の効果が本当に出るのか、心配で眠れない夜もあった。

 それでも逃げ出さなかった。

 マニュアルのない道を歩くのは慣れていた。

  「学ばなければ進化はない」 と、ひたすら打開策につながる情報を集め、

 それを実践することで逆境を乗り越えていった。

 県内最高賞を手にし、責任の重さを感じている。

 これまでに得たノウハウを地域の農地除染に生かす活動を計画する。

 その一方で新たな挑戦として野菜の乾燥加工事業を拡大する考えだ。

  「今後も諦めの悪い人生を送っていきたい」 と自分を鼓舞した。」

 

「諦めない」 と言わず、「諦めの悪い人生を送りたい」 と言うあたりが、

伊藤俊彦のワルなところだ。

 あの田園地帯で、いったいどんな青少年期を過ごしたのか。

生産者の誰に聞いても、「あれは突然変異」 としか答えてくれない。

まあ生態系では、常にわずかな確率で突然変異体が生まれ、

それが多様性や進化を促してきたものではあるけど。。。

 

なお、この農業コンクールでは過去、

お付き合いのある以下の生産団体・個人が

受賞していることも付け加えておきたい。

昨年の61回大会では、やさか共同農場(島根) が名誉賞+ グランプリ

の栄冠に輝いている。

59回では、イチゴの戸村弘一さん(栃木) が名誉賞。

57回では、群馬のグリーンリーフが名誉賞と天皇杯をゲット。

55回では、無茶々園(愛媛) が優秀賞。

50回では、月山パイロットファーム(山形) が名誉賞。

この10年で確実に風が変わってきている、ということではないだろうか。

時代は我らに舵を求めてきている。

 

しかし、みんなシャイというか、別に宣伝することでもないしィ、という態度で、

だいたいしばらくしてから知らされる。

 (僕らも、権威あるコンクールにはアンテナ張ってないし。)

今回はたまたま、2週間くらい前に 「18日に寄ってもいいかな」 と連絡したところ、

「その日だけはちょっと・・・」 と口ごもるので、事態を知った次第である。

 

最終選考となる18日のプレゼンに、

伊藤さんは原稿も用意せず出かけたようで、

「これが失敗したかな」 と、ちょっとグランプリを逃した悔しさも滲ませる。

まあたしかに、この機会は1回だけだからね。

ここ(最終選考) まできちゃうと、逆に惜しいことをしたという思いも残るだろう。

「でもまあ準優勝のほうが、人生の目標がまだ先にあるってことで。。。」

おお、甲子園球児の心境だね。

 

ま、僕も嬉しい。

販売者として誇りすら感じる。

伊藤さん、ジェイラップの皆さん、生産団体である稲田稲作研究会の皆さん、

おめでとうございます!

眠れない夜を重ねながら走り続けて、

ほら、拓いた道を沢山の人が歩いてくるよ。

本当に皆さん、頑張ったと思う。

 

秋の収穫祭での話題がまたひとつ、増えた。

こうやって歴史が作られ、未来が切り開かれてゆく。

 

※ 今年の 「備蓄米収穫祭」 は10月26日(土) です。

   昨年同様、東京駅からバスを仕立てて向かいます。

   たくさんの参加で祝いたいと思います。

 



2013年7月16日

無農薬野菜の方が危険? -5年後の「続」

 

「農薬かんたん講座」 をやった勢いのあるうちに、

書きとめておこうかと思う。

 

しばらく前から気になっていることがある。

このブログを始めて丸 6 年。

気合い入れて書いたものからお気楽なものまで、

これまで 762 本の記事をアップしたが (目指せ 1000本!)、

一番投稿(コメント) が多い、

というより、今もってポツポツとコメントが寄せられる記事が、一本ある。

無農薬野菜の方が危険? 』 というタイトルで、

2008年7月16日付だから、ちょうど 5 年前の今日書いたものだ。

 

どうやら何かで検索して辿りついてるようなので、

試しに 「無農薬野菜 危険」 をキーワードに検索してみたら、

なんと、このブログがトップに出るではないか!

ヤバイよ、ヤバイ、、、背筋がゾクゾクしてきたぞ。。。

 

まあ、いただいたコメントは概ね好評なので、

なにもビビることはないんだけど、

改めてネットの怖さを感じた瞬間だった。

 

読み返せば、かなりくどい文章である。

大筋においては今もそう認識は変わってないので、

ま、これはこれでそのままにしておくとして (書き直すワケにもいかないし)、

この現象が意味するところは、

" 無農薬(あるいは有機) 野菜は危険 "  といった論を

今もって主張されている方がいるということなのだろう。

検索したついでにあれこれチェックしてみたが、

どうも有機農業に対する認識不足か偏見が根っこにあるようで、

批判したいがために1点を突く手法だったり、

「安全」 を人体だけの問題で考えていたりと、

粗っぽいものが多い。

これはいずれ追記しておかなければならない、と思っていた。

 


植物が昆虫や菌からの攻撃に対して生成する物質が

ヒトのアレルギー発症の原因物質になる可能性がある。

現実にそういう人はいるのだと、最近になってメールをくれた方もいる。

しかし・・・それで農薬を擁護するのは牽強付会(こじつけ) というものだろう。

食物アレルギーを持つ人たちは、医者にも診てもらいながら、

アレルゲンを特定し対策を考える。

だからといって、牛乳や大豆やエビ・カニそのものを悪者にする人はいない。

無農薬野菜でアレルギーが出る人というのは、

自然の植物すべてにアレルギー反応を起こすのだろうか。

「無農薬野菜だから」 という前に、もう少し調べたほうがいいように思う。

原因物質は 「無農薬」 ではなくて、何か特定の物質だと考えるのが、

農薬擁護派の好きな科学的態度というものではないか。

ぜひアドバイスしてあげてほしい。

 

こちらも、たとえば化学物質過敏症の存在などをもって

農薬を全否定しようとしているのではない。

ただ農薬は間違いなく人間が作り出した  " リスク "  であることを

承知しておかなければならない、と言いたいのだ。

農薬はすでに、しっかりしたマネジメント(管理) の対象なのである。

なぜ GAP (Good Agricuitural Practice:適正農業規範

/農業生産におけるリスク管理基準) などという仕組みが生まれ、

生産現場に求められているのか。

批判合戦のような姿勢による安易な否定あるいは擁護は、

ヒトや環境にできるだけ配慮した薬剤を開発しよう、と努力されてきた

製剤メーカの近年の開発プロセス (=リスクを承知する人たちの努力) を

踏みにじることにもつながりかねない。

要するに健全な議論を妨げるものだと言いたいワケです。

 

付け加えるならば、

植物は敵に攻撃された際、あるシグナルを発することが分かってきている。

それによって周辺の植物も、生体防御たんぱく質を作り出し始める。

「農薬使用」 と 「農薬不使用」 で、微量レベルのアレルゲン物質の有無が

明確に分かれるとは、どうも考えづらい。

 

有機農業は、(化学合成)農薬を否定する立場である。

環境への負荷の低さと生物多様性の維持という観点から見れば、

明らかに優位性があることを僕は疑わない。

資源の循環や永続性の観点から言っても、望ましい。

栄養価も高い。 いや正確には、その作物本来の栄養価値を持つ。

したがって、ヒトの健康にとっても良い。

5年前に書いたファイトアレキシンは、

まさに先月行なった放射能連続講座で取り上げたファイトケミカルにも

つながるものだ。

土壌の健全性を育てる有機農業は、発展させるべきである。

しかしその技術は、まだ発展途上なのだ。

 

一方で、今日の社会に於いて、有機農業だけでやれない限界性は、

別なところにある。

トマトやキャベツを一年じゅう供給しなければならない  " 需要 "  というやつだ。

あるいは需給のリスク・ヘッジという観点もある。

ここでは減農薬ですら、農家に無理強いしている場合がある。

大地を守る会の生産基準は、そこを意識するがゆえに分かりにくくなっている。

さらには、無農薬ではまだまだ困難な作物がある。

最も難しい作物は、リンゴだろうか。

(いま評判の  " 奇跡のリンゴ "  については、以前に触れた ので割愛したい。)

 

食品流通で生きている僕の、現段階での立場は、

「農薬をすべて否定することはできない」 である。

だからこそ、有機農業をもっと進化させたいし、

農薬の使用にあたっては、

消費者に信頼される管理(マネジメント) を徹底したい。

 

また堆肥に由来する問題を、有機農業批判とつなげて語る人たちが、

相変わらず存在する。

何をかいわんや、である。

堆肥利用は有機農業者だけの専売特許ではない。

慣行栽培と言われる人だって堆肥は活用する。

土づくりは農業技術の大元だったはずである。

問題は、その質と使い方に帰する。

硝酸態窒素を問うなら、むしろ化学肥料こそ問題である。

化学肥料を疑わない人は、水質汚染に配慮しているだろうか。

化学肥料だけで充分だと思っているのだろうか。

とてもいただけない。

 

有機農業者たちは、堆肥製造技術の追究者である。

その流儀は幾通りもあるが、

余計な病害虫の発生を防ぐためにも堆肥の入れ過ぎには注意する。

堆肥利用による弊害を語る論法って、たとえて言うと、

合成洗剤を批判する向きに対して、「石けんも使い過ぎればよくない」

と主張されるのに似ている。

それは一理ある。 しかし、だからといって、

それで合成洗剤のほうがイイということにはならないし、

むしろ石けんを認めた上での理屈だということに気づいてない。

 

家畜糞尿経由での抗生物質や薬剤の残留が指摘されることがある。

その懸念は無視できない。

ただ、汚染の輪廻を絶つためにこそ、有機農業はある。

有機農業は、有機畜産を常に希求しているのだから。

家畜糞尿を悪とみなして資源循環の系を断ってすましてよいか。

それでは、安全な肉はない、と宣言しているのと同じである。

否定ではなく、健全な家畜生産を求め続けたい。

 

僕は今、こんな議論よりも、

特定の害虫(昆虫) の、この機能を阻害させるといった

ピンポイントで叩く選択性の農薬を数十年かけて作り出すような世界にいる人と

会ってみたい、という欲求を捨て切れないでいる。

ヒトや天敵に影響を与えず、ある害虫のみを殺す農薬を、

農家のために、あるいは食料の安定生産のために、

と思って誇りを持って働いている人たちなんだろうと想像している。

彼らは表舞台に出てこない。

ネオニコチノイド系農薬が叩かれる昨今、どんな思いでいるのだろう。

別に同情したり共感しているのではなくて、ちゃんと会話してみたいのだ。

未来のために。

 

農薬講座では最後に、

これまで何度も引用してきた言葉で締めさせていただいた。

 

  民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

  その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。

 

  国民が健康であることは、

  平凡な業績ではない。

    - 『ハワードの有機農業』(アルバート・ハワード著)より

 

肥沃な土壌づくりで競い合いたいものだ。

 



2013年7月13日

かんたん・・ じゃなかった「農薬講座」

 

これまで、「そう言われてみれば・・」 というくらいに、

意外とやってなかった 「農薬」 の勉強会。

有機農業の話の中で触れることはあっても、

「農薬」 というテーマを前面に出しての講座は、やってない。

意図してやらなかったわけでなく、

農薬=× (やむを得ない場合のみ許容) という前提で

ただ語ってきたように思う。

しかしその中身をいざ掘り下げようとすると、実に奥深い世界に入り込むことになる。

「農耕」 を獲得してからの人類の歴史を語るくらいに。

 

改めて 「農薬」 をテーマに講座をやりたいのだが・・・

CSR推進課からこの企画を示された時は、瞬間的に

それだけは勘弁して! という逃げの気持ちが先にたった。

でも一方で、

このテーマを提示されて、" ああ、いいよ "  と言わなくてどうする、

という気にもなったのだ。

1999年に現在の 「大地を守る会の生産基準」 を策定してから2010年まで、

毎年々々基準の改定を担当してきた者として、

受けて立たなくてどうするよ。

 

とはいえ、CSR推進課がつけてくれたタイトルが、

『大地を守る会の栽培基準と 農薬かんたん講座』。

農薬とはどういうもので、どんな問題があるのか? 分かりやすく解説せよ。

大地を守る会の基準の説明も含めて、制限時間は1時間半。

・・・って、言うのは簡単だけどサ。

農薬の世界ってのはサ、とてもじゃないけど  " かんたん "  ではないのよ。

 

どうまとめるか・・・ 悶々としながら日が過ぎ、

2日前になんとか 38 枚のスライドを作成し、

前日の夜にもう一枚追加して、とりあえず完成させた。

やればやるほど足りない部分を感じながら- 。

 

7月12日(金)。

場所は日比谷図書文化館コンベンションホール。

いつもと違って、講師と言われる側に立つ。

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いろいろと構成を考えてはみたが、

どうしても  " 基本の基 "  をおさらいしないと、次の展開ができない。

結局オーソドックスな流れで組み立てることにした。

 

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「農薬」 とは何か。

どういうものがあるか、その複雑な分類について。

農薬は農業現場だけに使われているものでないこと

(様々な場で、家庭でも、使われていること)。

農薬の歴史と日本での使用実態。

農薬登録=安全性チェックの仕組み。

毒性試験と国の基準の考え方から様々な関連法規まで

(いかにいろんな場面で使われ、規制されているか)。

農薬の 「毒性」 を測るいくつかの指標について。

そして、「農薬は安全」 か・・・ という問題について。

 

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前半戦のつもりが、ここまででほぼ四分の3 の時間を費やしてしまった。

でもそれだけセンシティブな問題なのだ。

本当はもっとディティールを、農薬の光と影の歴史を語りたかったくらい。

虫や菌と薬の果てしないたたかい。

その間にどれだけの人が死んだか(逆に薬によって救われた側面も、実はある)。

レイチェル・カーソンの 『沈黙の春』 から、農薬はいかなる道を歩んだか。

それは環境面から見ても人体への影響からみても、

相当に進化したのではある。

しかし進んでも進んでも、農薬では解決できない根本的な問題が残る。

 

一方で人はひたすら簡便な解決法を求め、あるいは便利な生活を求め、

グローバルな交易が進めば進むほど農薬を必要としていること。

農薬を求めているのは生産者なのか、消費者なのか。。。

とても語り切れるものではなく、その辺は割愛せざるを得なかった。

 

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大地を守る会の生産基準について、

有機農業の意義について、

これらは理念的なポイントを伝えるだけで終わってしまった。

たった一つの農薬を 「使用禁止」 と宣言できるまでのプロセスに

「有機農業運動」 の真髄があると僕は思っていて、

そんな事例を面白く紹介もしてみたかったし、

「減農薬」 を包み込み進化させる運動、

これが 「大地を守る会の有機農産物等生産基準」 のキモであることも

伝えたかったのだけれど、

いやなかなか、やってみると難しいものだった。

 

終わってみれば、反省点だらけ。

自己採点は 58点。

でもやってみたことで、分かったことも多い。

もし次の機会があるなら、75点まではいけるような気がする。

ただ、「農薬」 とはとても 1時間半ではすまない世界であって、

生産方法や栽培技術の変化、品種改良、

輸出入の増加と侵入害虫の問題、食生活の変化、

さらには気候変動などなどと関連して動いていることを

コンパクトにまとめるのはけっこう難しい。

 

例えば、カメムシという虫の群をとっても、今の分類では益虫と害虫がいる。

しかし本来、カメムシはどちらでもなかったのだ。

例えば、アゲハチョウの幼虫はミカンの葉を食べるが、「害虫」 化しない。

それはなぜか・・・

有機農業とは、

カメムシを害虫ではなく、本来あった  " フツーの虫 "  に戻してやる作業

でもある。

そんな話を  " 分かりやすく、手短かに "

語れるようになりたいと激しく思った 「農薬講座」 であった。

 



2013年7月10日

つながるコンペ

 

7月6日(土)、会津自然エネルギー機構シンポジウムと夜の親睦を終え、

翌7日は弥右衛門さんの案内で、

今が花盛りの 「大和川ファーム」 のソバ畑を見せていただく。

 

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喜多方市の東に位置する雄国(おぐに) 山麓で、

1970年から22年かけて開拓された国のパイロット事業が経営破たんし、

約 900ヘクタールの農地が宙に浮いた。

反骨の志士としては、相当腹に据えかねたのだろう。

弥右衛門さんは、子会社である農業生産法人 「大和川ファーム」 を使って

10ヘクタールの農地を買い取り、ソバを播いた。

 

標高 200~300m ほどの山麓に広がる一面のソバ畑。

会津盆地が眼下に一望できる。

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振り返れば、戦後の食糧難の克服と復員者の就労確保などを名目に、

「新農村建設」 を掲げて展開された戦後の開拓事業は、

その多くが破たんしたと言われている。

全国で約 45万ヘクタールが開墾され (山間の傾斜地が多い)、

約 21万戸が入植したとされているが、農業には適さなかった場所も多く、

たしか事業終了時には半分以上が離農していた、という結果だ。

残された土地は荒れ、

高度経済成長期にはゴルフ場や工業団地に変わっていった。

パイロット事業としては後発の雄国でも、

約 60ヘクタールが遊休地となって今も放置されていると聞く。

 

初めて案内してもらったのは15年くらい前だった。

以後、何度か来る度に、

弥右衛門さんから 「ここで大地を守る会の農場を開かないか」 と

真剣に誘われたのだったが、

「いや、主体は地元の人たちでなければ・・・」

とか言いながら曖昧に逃げた。

パイロット農場がうまくいかなかった理由のひとつは、

地域との折り合いをつけられなかったことではなかっただろうか。

農業をやるというのは、その地域で生きる(=死ぬ) ということだから、

軽々しく答えられるものではない。。。

 

ちなみに戦後開拓事業は、追っかけるように

農家の次三男の就農地確保 (人口増加対策) という意味合いも付加され、

国は 「世紀の大事業」 と謳われた八郎潟の干拓事業などに突っ走ることになる。

しかし夢の農村として誕生した大潟村も、

20年かけて工事が完了した時には、すでに減反政策の時代に入っていた。

この国は今では、戦後開拓どころか

明治維新以降に開田された田んぼをすべて失った計算になっている。

 

民からの国の立て直しを、もっとダイナミックに育てていきたいものだ。 

ソバの花に見とれながら、昨日の発言を反芻する。 

「だからこそ、僕らはつながらなければならない。」

 

大地を守る会が今回のシンポジウムのパネラーに呼ばれた意図も、

その一点にあったのだろう。

シンポで報告させていただいた

大地を守る会の  " 顔の見えるエネルギープラン・コンペ " 」 について、

最後に触れて、終わりにしたい。

 

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このコンペの趣旨と経過については、

すでに 大地を守る会の活動レポート でも報告されているのでそちらに譲りたい。

大地を守る会の生産者・メーカーに対して、

自然エネルギーへの取り組みを資金的に援助する仕組みを立ち上げたのが、

昨年の12月。

今年2月の 東京集会で説明会 を開催し、募集に入った。

締め切りまでに 19団体から 21件の応募企画が送られてきた。

一次審査を通過したのが 5団体。

二次審査として、その5団体によるプレゼンテーションが実施されたのが、5月19日(日)。

 

5団体による熱いたたかい、というほどの雰囲気でもなかったけれど、

プレゼンテーターはやはり緊張して臨んだことと思う。

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写真は、山口県上関町・祝島市場の山戸孝さん。

上関原発の建設に反対するだけでなく、

エネルギー完全自給の島を目指したいと熱く語る。

 

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二次審査に挑んだのは、他に以下の4団体。

〇 有限会社 アイ・ケイ・ビイ (神奈川県相模原市)

  『藤野電力 自然エネルギー充電ステーション事業』

〇 自然(じねん)耕房 株式会社 (群馬県前橋市)

  『循環再生、再利用、廃棄物ゼロへ』

〇 合資会社 大和川酒造店 (福島県喜多方市)

  『自然エネルギーでお米シャンパンづくり』

〇 二本松有機農業研究会 (福島県二本松市)

  『中規模エネルギー会社設立のための調査研究』

 

審査員は以下の方々。

・ 加藤秀生さん (株式会社自然エネルギー市民ファンド 取締役)

・ 広石拓司さん (株式会社エンパブリック 代表取締役)

・ 松尾寿裕さん (全国小水力利用推進協議会 理事)

・ 三澤 海 さん (株式会社大地を守る会 CSR運営委員)

・ 藤田和芳 (株式会社大地を守る会 代表取締役)

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最終的に助成を獲得したのは3団体だったが、

惜しくも選考から外れた2団体にも奨励金が授与された。

 

受賞3団体のプレゼンテーター。

写真左から、アイ・ケイ・ビイの池辺潤一さん、大和川酒造店の工藤清敏さん、

祝島市場の山戸孝さん。

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ただし、会津のシンポで僕が伝えたことは、

「大和川酒造さん、おめでとうございます。頑張ってください」 では、もつろんない。

このコンペによって、5団体の人たちがつながったことだ。

控え室で、あるいは終了後の懇親会で、

たとえば福島県二本松と山口県上関町の次世代リーダーが語り合い、

意気投合し、アイディアを出し合い、互いにエネルギーを増幅させた。

 

1票の種を播き始めた者、草取りに精出している者、

何度もの収穫を繰り返しながら今も試行錯誤している者、

それぞれが 「一人じゃない」 ことを実感したのではないだろうか。

 

個々の取り組みへの支援以上に、

人と人がつながるコンペを実施できたことを、

誇りとして語らせていただいたのだった。

 

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自然エネルギーを推進するために寄せられた基金をどう役立てるか、

若手職員に預けたところ、アイディアがまとまらず、

到達したのがコンペ方式だった。

結果的に人がつながり、勇気と希望が伝播した。

このエネルギーは、残念ながら一次選考で消えた14団体にも

伝えていかなければならないね。

 

自慢の故郷を蹂躙された怒りをぶつけるかのように、

開墾し直し、ソバの種を播きまくった佐藤弥右衛門。

花はしっかり咲いているよ。

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畑を去る前に、記念撮影。

左から、

赤坂憲雄さん、佐藤弥右衛門さん、志澤昌彦さん、末吉竹二郎さん。

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志がつながれば、1+1 は 2 ではなくなる。

だからこそ、一票もまた大切なのだ。

 

POWER TO THE PEOPLE

POWER TO THE PEOPLE

POWER TO THE PEOPLE

POWER TO THE PEOPLE,RIGHT ON!

民衆にパワー(エネルギー) を、今すぐに!

 



2013年7月 8日

立ち上がる 「会津電力」

 

会津自然エネルギー機構シンポジウム。

第2部は座談会 -「地域主体の再生可能エネルギー事業の実現」。

 

「世界の潮流は、原子力からの撤退と自然エネルギーの急激な増加である。

 構造変化 × 加速度的変化が相乗的に進んでいる。

 しかし日本では逆向きの政治になってしまっている。

 このままでは日本は完全に取り残される。」

飯田哲也さんがハッパをかければ、

金融アナリスト末吉さんが落ち着いた口調で語る。

 

  先般、世界の投資家が香港に集った。

  話し合われたことは、お金(のため) だけで投資を考えない、ということだった。

  環境に配慮された事業に投資する方向へと世界は動いている。

  キーワードは、「ESGへの投資」。

  Eは Environment (環境)、Sは Society (社会)、Gは Governance (企業統治)。 

  ESG 要因を投資プロセスに組み込む。 

  EU ではすでに半分は ESG に配慮した企業に投資されるまでになってきているが、

  日本では 1 %以下である。

  アジア全体ですら 3 %に達しているというのに。

  アベノミクスには、将来の姿が見えない。

  20世紀型の  " 経済の成長 "  だけで中身がない。

  このままでは日本は前進できない。 国際競争にも勝てないだろう。

 

世界的金融アナリストの発言だけに、重いものを感じさせる。

まったく、廃炉への道筋も廃棄物の行方も見えないまま、

とにかく赤字脱却こそ最優先とばかりに原発再稼動に突き進む国だからね。

復興増税を電力会社に回したかと思えば、

除染予算は住民の意向より東電の顔色をうかがって溜め込んでいる。

ガバナンスは国家から崩れていってるようじゃないか。

このまんまにしてイイのか、若者たちよ。

ツケはどんどん君たちに回されているぞ。 

 


末吉さんは、5月に設立されたばかりの

一般社団法人 グリーンファイナンス推進機構」 の理事長に就任された。

金融が健全な社会づくりの推進力となるために、

末吉さんが挙げる 21世紀の金融行動原則がある。

ひとつは、地域の本当の問題解決を図る、その意思をもった企業であるか。

もうひとつは、社会の進むべき方向に沿っているか、正しい軌道に乗っているか。

新しい社会的事業は最初は反対されるものだが、

むしろ少数派だからこそやる意味がある。

転機はたった一票の差によって訪れる。

流れがクロスし、51 対 49 となった時に、決定的な転換が起きるのだ。

 

金融の世界からこういうメッセージが聞けること自体、

時代が変化を必要としているということなのだろう。

僕が言えたことは、わずかな補足程度だった。

この国のまやかし、カラクリを解体させ、地域の主体性や自治を取り戻すための

突破口のひとつが  " エネルギー "  であること。

底辺から、現場から、国づくりを再編させていく作業は、

新たな雇用あるいは仕事の代替案を創り出すものであるべきこと。

したがってそれは、楽しくなければならないこと。 

末吉さんが示した数字に重ねて言うなら、

今はまだ 51票には遠く 30票くらいかしら、とか思ったなら間違いである。

僕の感覚では、それはすでに 60票を超えている。

ただそれぞれがまだ、種であったり早苗であったり穂孕み期だったり、なのだ。

だからこそ、僕らはつながらなければならない。

そこで大地を守る会で実施した 「顔の見えるエネルギープラン・コンペ」

の紹介をさせていただいた。

若い職員たちが出してくれたアイディアである。

その話は最後に触れたい。

 

パネラーや会場とのキャッチボールを経て、

「会津電力 株式会社」 発起人たちが壇上に立つ。

ついに彌右衛門さんのホラがリアリティを持って迫ってきた。

 

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  私たちは様々な議論を重ね、会津地方から、

  原子力に依存せずに再生可能エネルギーの利用を事業の中心とした

  会津電力株式会社を設立することといたしました。

  この会社は一部の投資家のためのものではありません。

  エネルギーの在り方を考えて次世代に引き渡すために、

  個人や企業、組織の方々に呼びかけて、資本参加をいただきます。

  この会社の基本になる理念と運動は会津自然エネルギー機構が受け持ち、

  具体的な事業は小水力や太陽光発電など

  再生可能エネルギーによる発電事業が大きな柱となります。

  8月の設立に向けて有志により準備会を立ち上げました。

  発起人として参加いただき、

  また善意の出資としても、また地域の自立に向けた未来への投資として

  ご出資いただければ幸いです。

                          -設立発起人代表 佐藤彌右衛門

 

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「顧問」 としての参加予定者に、

飯田さんや末吉さんとともに金子勝さん、坂本龍一さんといった名前があり、

藤田和芳(大地を守る会代表) も入っている。

「本人と確認した?」

「いや、まだ。 エビちゃんから言っといて。 よろしく。」

社長というのは、どうもヤな共通項があるね。

 

会津が変わらなければ、日本は変わらない。

福島が苦しむ姿しか子供たちに見せられなかったら、

福島に生きる者として恥ずかしい。

 ・・・ 熱い思いが語られる。

 

変化への、リアリティのある一歩を見せましょう。

応援します。

発起人、パネラーで記念撮影。

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彌右衛門 (「彌」 という字が正しい) さんと飯田さんの顔は大きい

と密かに思っていたけど、やっぱ大きい。

そして今回、飯田哲也氏はラーメンが好き、というのも発見した。

 

二次会は、大和川酒造・北方風土館の2階バルコニーにて。

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さらにギョウザ屋さんにて三次会。

未来に向けての話は尽きない。 

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続く。

本編あと一回、おまけを。

 



2013年7月 7日

地域の自立と再生可能エネルギー

 

6月の24日だったか25日だったか、

大和川酒造・佐藤弥右衛門(やえもん) 代表から電話があって、

急きょ 会津自然エネルギー機構 主催のシンポジウムを開くことになったのだが、

ついては藤田社長にパネラーをお願いできないか、

との依頼である。

日程を聞けば、7月6日(土)。 なんと 2週間後ではないか。

「藤田さんが駄目だったら、エビちゃんでもいいよ。」

「でもいい」・・・かよ。

 

この嫌な予感はほぼ当たるだろうと思いながら、藤田に連絡する。

「もう予定が入っていて × 。 お前が代わりに行け。 以上。」

「断れ」 ではなくて 「行け」 という指示。

やっぱりね・・・

 

オレだってヒマじゃない。

7日は朝から 「稲作体験」 の草取りの日だ。

しかし抵抗の余地はない。

実行委員に頭を下げ、稲作のほうはパスさせていただく。

「(いなくても) 大丈夫で~す。 頑張ってきてくださ~い」

若手職員の台詞が力強くもあり、寂しくもあり・・・。

 

というわけで昨日(6日) は、予定を変えて喜多方に向かう。

「会津は、この手で守る!」

  - 八重に同化しちゃったオヤジたちで溢れる、いま日本で一番熱い国・会津へ。

 

シンポジウムのタイトルは

「地域の自立と再生可能エネルギー」。

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コーディネーターは、福島県立博物館館長の赤坂憲雄さん。

学習院大学教授で、「ふくしま」会議代表も務める方。

パネリストには、環境エネルギー政策研究所代表の飯田哲也さん、

国連環境計画・金融イニシアチブ(UNEPFI) の

スペシャル・アドバイザー(特別顧問) 末吉竹二郎さん、

小田原で全国初といわれる、官民協働によって設立された

市民参加型エネルギー事業会社 「ほうとくエネルギー株式会社」 の志澤昌彦さん、

という錚々たる面々。

ちなみに 「ほうとく」 とは、

小田原が生んだ偉人・二宮尊徳の教えである 「報徳思想」 からきている。

「道徳なき経済は犯罪である。」

聞かせてやりたいね、どこかの国の電力会社に。

 


まず、 「一般社団法人 会津自然エネルギー機構」 の

新たな代表理事になった五十嵐乃里枝さんからの挨拶。

 

「 東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故から 2年4ヶ月。

 地震と津波の甚大な被害から立ち直りつつある地域もありますが、

 福島県では依然として原発事故と放射能汚染の影響を受けています。

 3.11以降、多くの人が、もうこれ以上原子力発電に依存する社会はやめよう、

 と思い至りました。

 人類がコントロールすることができない危ういエネルギーの代わりに、

 身近で再生可能な自然エネルギーによる社会の構築を、この会津からはじめよう、

 という合意のもとに 「会津自然エネルギー機構 AiNEF」 は設立されました。

 

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 私たちが目指すのは、たんに電力を原子力から自然エネルギー発電に変える

 ということではありません。

 これまで原子力に依存してきたグローバル経済的な、

 搾取し搾取されるようなエネルギーのあり方を問い直し、

 エネルギーを自分たちの手に取り戻すことによって

 地域が自立していく仕組みづくりを始めようとしています。

 会津にある山と水という豊かな自然の恵みを循環させることによって

 エネルギーを手に入れ、

 地域が潤う経済活動につなげていく 「エネルギー自治」 を、

 ここ自由民権運動発祥の地・会津から始めようということです。

 

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 原発事故によって傷つけられた福島という地が再生するということは、

 傷をなかったことにするのではなく、

 また傷に絶望することでもなく、傷に正面から向き合って

 乗り越えていくことに他なりません。

 AiNEF は、エネルギー自治に向けた活動を、皆さんと共に進めていきたい。

 次代を生きる子供たちに、社会は自分たちの手で変えることができる

 という実感とともにこの地域を手渡していくことが、

 いま福島に生きる私たち大人の責務なのではないでしょうか。」

 

力強い挨拶の後、

第1部は映画 『 パワー・トゥ・ザ・ピープル  ~グローバルからローカルへ~

の上映会。

ジョン・レノンのメッセージ、 " Power To The People "  が蘇る。

1971年、レコード発売時の邦訳タイトルは  " 人々に勇気を!"  だった。

 

10年かけて自然エネルギーによる100%の電力自給を果たした

デンマークのサムソ島。

そこでは電力だけでなく、住民がお金を出し合う基金によって助け合う

新たな保険制度までつくられている。

地域でエネルギーもお金も循環する、顔の見える 「小さな社会」。

人々が活き活きと暮らす新しい経済システムへの移行、

自立型の社会建設が、いま世界のあちこちで始まっている。

勇気を持って、未来を選び取りたい。

 

すみません。 続きは明日。

曇り空の会津から帰ってくれば、東京の蒸し暑いこと。

こりゃ今日の草取り部隊はバテたに違いない。

オジサン、もしかしてラッキーだったかも。。。

 



2013年7月 3日

今年も元気 で "たべらんしょ"

 

時候は梅雨の真っ只中にあっても、

夏野菜の畑仕事はいよいよ忙しくなってくる。

そんな折に、いよいよ夏近しか、

と僕らにスイッチを入れてくれるのが、会津からの便りだ。

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんから、

「会津の若者たちの野菜セット」 の予告に入れるメッセージが届いた。

ひと足早く、全文一挙掲載といきたい。

 

  震災から3度目の夏を迎えようとしています。

  畑では、3月11日に希望を込めて播いた野菜たちがすくすくと育ち、

  収穫の時を待っています。

  夜になると、田んぼの周りではすべての音がかき消されるほどの

  カエルの大合唱に包まれ、ホタルが盛んに飛び交っています。

  以前なら当たり前に感じていた農村の風景が、

  震災後はとても有難いものに感じられるようになりました。

 


  しかしこの2年余り続いている福島の農家の苦悩は、

  相変わらず解決の糸口がつかめていません。

  幸いなことに、放射能の農作物への移行は、

  一部のものを除きほとんどないことが判ってきました。

  これは予想を超えた土の放射能を固定する能力のおかげであると同時に、

  農家が汚染を真摯に受け止め、

  作物への移行を防ぐための栽培技術を、

  研究者と連携しながら追求してきた結果でもあります。

 

  しかし残念ながら今でも福島県産の農産物を敬遠する消費者は多く、

  市場価格も低迷しています。

  努力が報われない。

  思いが伝わらない。

  これこそが福島の農業、農家を苦しめ、

  そして農村を崩壊へと向かわせるもっとも危険な因子です。

 

  どうしたらこの状況から抜け出せるのか。

  それは福島のことをより多くの方に知ってもらうこと、

  福島をもっと身近に感じてもらうことしかないと、

  私たちは思っています。

  新しいつながりを創る。

  福島から新しい農業のあり方を発信する。

  それが私たち 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の新たなる目標です。

  

  今年もまた大地を守る会のご協力を得て、

  セット野菜を皆さんにお届けできることとなりました。

  ただ、私たちは単に美味しさや安心だけを届けるつもりではありません。

  この野菜たちを通して、多くの方に福島を想い、

  未来のあり方を一緒に考えるきっかけになってもらえたらと願っています。

  福島の豊かな農村が、これからも当たり前であり続けるために、

  皆さんとつながっていきたいと強く思っています。

  今年もどうぞよろしくお願いします。

 

写真も一緒に届いた。

遠く後方に万年雪を頂く飯豊山が見える。 

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写真の手前一番左が浅見彰宏さん。 右から二人目がお連れ合いの晴美さん。

後ろ右から二人目、犬を抱いているのが

チャルジョウ農場 2代目の小川未明(みはる) さん。

その右端が浅見さんと同じく冬は大和川酒造の蔵人となる板橋大くん。

そして研修生たち。

おや、手前一番右は東南アジアからのお客さん?

かと思ったら、福島県農業総合センターの研究員だった長谷川浩さんではないか。

震災後は福島県有機農業ネットワークの事務局長も務めていて、

ついに意を決して、ここ山都に就農された。

あのう・・・ 「若者たちの~ 」 なんですけど。。。

とまあカタい事言うのはやめときましょうか。

メンバーが増えることはイイことです。 受け入れましょう。

編笠、似合ってますよ。

 

この山間地で有機農業に挑む若者たちと出会って 6 年。

つなげてくれたのは、銘酒 「種蒔人」(たねまきびと)。

浅見さんやチャルジョウ農場主・小川光さんと出会い、

光さんから 「若者たちの販路がない。彼らにも販売の喜びと厳しさを経験させたい」

と託されて、できたのがこの野菜セットである。

今年もお届けできる喜びを、彼らと一緒にかみしめたい。

 

里山の環境を守り、未来にいのちをつなぐランナーたちへ。

今年も、あのオリジナル・ミニトマト 「紅涙」(こうるい) の感動を、

たくさんの人に届けてやってくれ。

 



2013年7月 1日

やまろく米 + 生物科学安全研究所 + 行幸マルシェ

 

福島の米というと、これまでいろんなプロジェクトを共にしてきた関係で、

どうもジェイラップ(稲田稲作研究会) ばかりを紹介してしまっているが、

もうひとつ強力な団体がある。

福島市に拠点を置く 「やまろく米出荷協議会」 。

こちらにはこんな連絡便がきていることも、紹介しておきたい。

 

  やまろく米協議会の 「有機コシヒカリ」 がとても美味しいです。

  久しぶりに、日本人でよかったなあと思いながらいただいています。

  土鍋の蓋を取ると、ぴかぴかのご飯が、元気だよォ とでも言っているように

  米粒を起立させています。

  たちまち私も笑顔になります。

 

たしかにやまろくさんのコシヒカリも美味いのだ。

しかも有機 JAS 制度ができる前から、

藤本敏夫さん (初代大地を守る会会長) が提唱した

「システム認証」 (ISO の手法を取り入れた統合的な環境マネジメント・システム)

に、グループを上げて取り組んだ骨のある団体である。

 

土鍋で炊飯か、イイなあ。

ああ、腹が減ってきた。。。

あとひと息我慢して、6 月のトピック・レポートをここで終わらせたい。

 

6月21日(金)

一般財団法人 生物科学安全研究所 (RIAS) の第 1 回評議員会に出席。

僕は今年からこの一般財団の評議員を務めることになった。

昨年のうちに推薦を受け、評議員選定委員会という機関での審査を経て

承認されたものである。

 

この財団は、昨年度までは 「財団法人 畜産生物科学安全研究所」

という名称だったのだが、公益法人改革関連法に基づき、

今年度から一般財団法人として再スタートした。

これを機に、対象を家畜に限定せず、「人と動物の健康と環境を守る」 ための

総合研究機関として脱皮がはかられた。

 

組織改革を指導された理事長の萬田富治氏は、

元北里大学獣医学部の教授で、

附属のフィールドサイエンスセンター八雲牧場長だった方。

八雲牧場(北海道ニ海郡八雲町) 時代には、

地域資源循環型畜産に取り組み、自給飼料 100% を実現させ、

有機畜産物の JAS 認証も取得された。

大地を守る会とは、安全で健康な牛肉生産というテーマで

お付き合いさせていただいてきた、そんな関係である。

 


組織を改めるにあたって萬田さんは、国からの財源に頼らない、

自立性の高い事業展開を目指した。

しかも今日の状況にあっては、放射能対策も視野に入れなければならない。

これまでは権威ある専門家や業界の偉い方で占められてきた評議会も、

新たな課題にチャレンジできる開かれたものにしなければならない。

とまあそんなワケで 「大地を守る会から人を出してほしい」 となった次第。

 

で、第 1 回評議員会。

農水省からもそれなりの立場の方が出席され、

たしかにお固い会議ではあった。

合計 18 人の評議員に、これまでにない異色の顔ぶれが、

僕が見たところでは 4 名。

萬田さんの描く  " 市民にも開かれた研究所 "  に向かって

引っ張り込まれた 4 人の 一人 ・・・ってことか、

ヤバイ、これはヤバイ ・・・と相変わらず気づきの遅いワタシ。

萬田さんからは、「期待してますから」 と、

嬉しそうに今後の抱負などをいっぱい聞かせてくれる。

帰ろうったって、もう手遅れである。

 

会議自体は、事業報告や規則の変更や決算報告等々について

意見を述べ、疑問があれば質問し、問題なければ承認する、

という淡々としたもの。

最後に、日頃から生産者・消費者と相対している立場からコメントを求められ、

いかに科学が市民にコミットしてないか、

というようなことを喋らせていただいた。

それだけでも新鮮だったようである。

 

これから 3 ヶ月おきに評議員が招集されるようなのだが、

どうもそれだけですみそうにない。

その間にも、萬田さんの仕掛けの火の粉が飛んできたりするような、

嫌な予感がするのである。

 

さて、もう一本。 

月末には、またやってきた丸の内の 「行幸マルシェ × 青空市場」。 

6月28日(金) 、昼前に会社から抜け出して、売り子三昧。 

疲れてきたので、写真だけでスミマセン。 

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今回は、丸の内・三菱信託銀行ビル地下にある

スペインバル 「Mon‐CIRCULO」(モン・シルクロ) さんがコラボしてくれて、

「大丸有つながる食プロジェクト」 として出店した野菜を使って

この日の特別メニューをお店で出してくれた。

そんなことも紹介しながら、野菜や果物を PR する。

 

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途中、主宰者の永島敏行さんが顔を出して、

出店者にせがまれて記念写真など撮ったりする風景も見受けられた。

でも僕は、男優さんよりご婦人に声をかける方が好き。

「いらっしゃいませ~」 「本当に美味しいよ、無農薬の人参!」

とか叫びながら喉を乾かせて、

Daichi & keats」 で早く 「風の谷のビール」 を飲みたい、

その次は 「種蒔人」 だな、とか考えている。

ま、こんな日もあっていいよね。

 



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