戎谷徹也: 2013年9月アーカイブ

2013年9月26日

はたらくケンタローの背に、谷川俊太郎の詩が流れる

 

長崎は島原から (このレポートはあとで)。

稲刈りに続いて、この間のトピックを 2 本。

 

9月13日(金)。

丸の内での 『行幸マルシェ × 青空市場』 に出店。 

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大丸有つながる食プロジェクト」 の紹介と、

マルシェにコラボするかたちで

大地を守る会の野菜を使って本日のみ限定料理を出してくれた

スペイン・バル 「モン‐シルクロ」 さんを、今回はPR。

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本来の目的はレストランの共同仕入の仕組みをつくることで、

安全性や環境に配慮された食材のネットワークを広げることなのだが、

こういう出店ではどうしても販売自体に力が入ってしまう。

レストランとのコラボ手法をもう少し考えたい。

 

翌9月14日(土)。

二人のおじさんを連れて、小平の生産者・川里賢太郎さんを訪ねた。

一人(下の写真左端) は、ドキュメンタリー映画のプロデューサー、

モンタージュ」 という会社の小松原時夫さん。 

小松原さんとは、1995年に制作した 「続あらかわ ~水の共同体を求めて~

でお手伝いさせていただいた時からのお付き合いだ。

当時小松原さんが所属していたのは、

水俣病の映画などで知られる 「シグロ」 だった。

 

で、もう一人(写真中央) は、映画監督の杉本信昭さん。

右が川里賢太郎くん。

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今回、この二人がつくろうとしている作品は、

様々なジャンル・現場で働く若者群像を撮って、

その姿に詩人・谷川俊太郎が詩を入れる、というものらしい。 

昨年、小松原さんは紀伊国屋書店から

『詩人・谷川俊太郎』 という作品を世に出している。

谷川さんが自らの試作と半生を語った初めての映像記録で、

平成24年度教育映像祭で文部科学大臣賞を受賞している。

その流れから、今回の企画が生まれたらしい。

そこで、" 無農薬での野菜作りを営む都市農家の若者 "  を一人

登場させようという魂胆だ。

というか、小松原さんから誰かいないかと聞かれ、

「こういうのはどうか」 と提案してしまったんだけど、

賢太郎さんにとっては実にハタ迷惑なことだったろう。

 

「 映画の取材なんて、勘弁して下さいよ~。

 エビさん、オレの性格知ってるでしょう」

と頑なに断わるところをなだめ、すかし、

「まあ・・・いっぺん会うだけ会いましょうか」 まで漕ぎつけた。

 

そこで今日、顔合わせと下見となった次第。 

 

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今はちょうど隙間の、次の出荷に向けて少し余裕のある時期。 

順番に出荷できるよう、少しずつ種を播いていってる。

細かい作業計画が彼の頭には入っているのである。

 

 いざ会えば、丁寧に礼儀正しく、説明し、

受け答えてくれる賢太郎氏であった。

 

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計算通り。

今月末にはロケがスタートすることになった。

監督。

もし可能ならば、「映画?」 と聞いて 「人前でチャラチャラするな!」

と怒鳴ったという気丈なおばあ様も登場させてくれると嬉しいのですが。

そこは今回の企画意図とは違うのでしょうが、

都市近郊の4世帯同居の楽しい家庭の風景も

チラッと挿入してほしいと思ったりして。

時にコワい顔を見せるお父さんの弘さんが、

この日はとても優しい笑顔で孫に接していたのも、素敵な光景だった。

 

完成は来春あたりのよう。

できましたら、お知らせします。

 

説明の合い間にも、苗の様子を観察する川里賢太郎。

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詩の巨人・谷川俊太郎が、はたらくケンタローの背中に

どんな言葉を編んでくれるのか。 

考えてみれば、すごいことだな。

スゴイことだぞ、これって。

賢太郎様。 あとは知りませんので、頑張ってください。

 



2013年9月24日

『大地を守る会の稲作体験』田、24回目の収穫

 

放射能連続講座のレポートを続けている間にも、

イベント(行事・事件) は起きている。

トピックだけでも拾って、残しておきたい。

 

まずは、9月8日(日)。

千葉県山武市の 『大地を守る会の稲作体験』 の田んぼは、

早くも稲刈りとなる。

ついこの間(5月12日)、かわいい苗を植えたと思っていたら、

もうここまで育って、子孫を残した。

1 粒から 1000 粒*) の種を。 ( ・・多めの概算です。)

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たった4ヶ月という時間だけど、季節は春から夏・秋と移っていて、

看板にもそれなりに風雨にさらされた跡が見える。

陽光を浴び、梅雨に打たれ、草と競い合い、

虫たちの攻撃には独自の戦法で対抗し、酷暑にも台風にも耐え・・・・

稲には稲の逞しい営みがあった。 

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僕らはその生命をいただいて生き延びる。 

自然の恵みに感謝する、そんな気持ちも生まれてくるというものだ。

 

最初はおっかなびっくりだった子どもたちの手つきも、

コツさえ覚えれば一気に得意げになる。

君は今日から  " 鎌を使える子 "  になったんだね。

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心配していた雨にもたたられず、稲刈り終了!

田植え-草取り2回-稲刈りと、皆勤賞の人には

やり終えた満足感が湧き出す瞬間。

それにしても草が多いね。

オモダカとコナギだけでも何とかしたい。

これらも刈り取って帰ってくれると有り難いのだが・・・

 


昼食後の交流会では、

毎回人気の 「陶(すえ)さんの生き物教室」。

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いろんな虫の生態や植物との関係など、

陶ハカセのネタは尽きない。

へえ~ とかオオッ とか感心させながら

  " この世に無駄な生命はない "  ことをさりげなく教える。

生物多様性を育む農業は、平和の思想だからね。 

 

佐藤秀雄さんのお話を聴く会。 

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消費者に見えないところの農作業の話など、

こちらは  " だっぺよー "  が入るとなぜか説得力が増すから不思議だ。 

 

みんなで制作した 「でっかい絵日記」 をバックに、

家族ごとに記念撮影。

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今回は野村さやか実行委員長の友人のカメラマンが友情出演で

写真係を引き受けてくれた(手前の方)。

どんだけ違うんだろう、と思っていたけど、

さすが、とてもイイ表情を捉えている。 出来が全然違う・・・・

稲作体験 Facebook  からぜひアーカイブを。 

 ⇒ https://www.facebook.com/DWMKinasakuT

 

お。 出たな、亀吉 Tシャツ軍団。 

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「ボス、今年の出来はどうッスか」

「ちょっと少ない・・・かなあ」

「はっきりしないッスね」

「うっせぇんだよ、むずかしんだよ! オレくらい色あせるまで着てから言え!」

と言ってるんだかどうだか知らないけれど、

後日、収穫量は 450㎏(7俵半) と判明。

この体験田の平年収量はだいたい8俵あたりだから、

やはりちょっと悔しい数字ではある

(面積が 13a なので8俵自体少なめだけど。 去年は9俵半だった)。

紙マルチが剥がれたりズレたりして欠株が出たこと、

そしてやっぱり草(が多い) かなあ。

 

ま、何はともあれ 『大地を守る会の稲作体験』 24回目も、

無事収穫。

皆さま、今年の田んぼは楽しかったでしょうか。 

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空模様を気にしながら、記念写真を撮って解散。

写真は届くお米のラベルになる。 

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あとは、美味しいお米に仕上がっていることを祈るのみ!

おっと、もう一回、オプション企画の収穫祭があったね。

少なくても嬉しい、僕らが育てたお米、楽しみましょう。

 

何回やっても、今年の稲作は1回しかない。

思い出も積み重ねて24年。

バトンをつなぎ続けてくれたスタッフたちに、

初代実行委員長として、深く深く、感謝したい。

来年は25回め。 やるしかないよね。

 

すみません。

トピック三連発といきたかったんですが、ここまで。

明日の夜は長崎。

ホテルで続きを書く決意で眠らせていただきます。

 



2013年9月18日

" 日本一まっとうな学食 " と佐藤佐市さん

 

放射能連続講座Ⅱ-第 6 回 を終えた翌日(9月 1日)、

僕は佐藤佐市さんをエアコンの壊れた愛車に乗せて、

都内のホテルから埼玉県飯能市へと向かった。

 

二人で訪ねたのは、「自由の森学園」。

飯能市街から旧名栗村に向かう途中の

小岩井という地区の山の上にある私立の中高一貫校で、

明星学園小中学校の校長だった故遠藤豊氏が中心になって、

1985 年に創立された。

点数序列主義を排し、自由・自立・豊かな表現力を理念として掲げる。

理論的な柱となっているのは、数学者・遠山啓の教育論である。

その校風によってか、芸術家や芸能人家庭の子が多いようで、

元俳優(現在・農業) の菅原文太さんが 90 年代に理事長を務めたことでも

話題になったことがある。

生徒たちの自主活動・自主運営を重んずるがゆえに、

時に  " 自由とは何か "  で批判の的にされることもある、

まあ個性派の学校としては横綱大関級だろう。

 

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そんな指導方法や校風もさることながら、

実はホンモノの横綱級と評されているのが、食への取り組みである。

食材の安全性へのこだわりは調味料にまでおよび、

農産物は各地の生産者から直接仕入れ、

天然酵母でパンを焼き、麺も自家製麺、漬物や梅干しも自家製と、

手づくりを徹底する。

それを全国から集まった寮生たちのために 1日 3食こしらえる。

提供する場はたんなる 「食堂」 ではない。

栄養士と調理師さんによって運営される 「食生活部」 という

食を学ぶ部として存在するのだ。

 

「自由の森学園食生活部」 の 28 年の軌跡には

相当なご苦労があったようだが、そのへんのところは

学園の卒業生(2 期生) である  " やまけん "  こと山本謙治さんの編著

『日本で一番まっとうな学食』(家の光協会) に詳しいので、譲りたい。

学校給食に関心ある方はぜひ。

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さて、この自由の森学園に佐市さんをご案内したのは他でもない。

学園では3.11前まで、佐市さんたち東和の有機農産物を

直接取り寄せていたのだが、原発事故によってそれが途絶えてしまったのだった。

 


育ち盛りの中高生を預かる学校としては、

それは致し方ない判断だった。 

佐市さんも 「仕方ねえな」 と無理やり自分に言いきかせたようだ。

そしてその後も再開には至らずにきていたのだが、

管理栄養士の N さんが大地を守る会の会員で、

3 月に開かれた 学校給食全国集会 に呼ばれた際にお会いして、

実はずっと佐市さんのことを気にかけている、ということを知らされた。

(上記のやまけんの本は、その時に N さんから頂いたもの。)

 

今回の講座で佐市さんをお呼びすることが決まった時、

僕は真っ先に N さんにメールでお知らせして、描いていた計画を提案した。

「佐市さんを自森にお連れしましょうか。」

佐市さんも大変喜んで、二つ返事で 「一泊する」 と答えてくれた。

あとは N さんのご尽力で、話はトントン拍子に進んだ。

講座にも、学園から鬼沢真之理事長や食生活部の泥谷(ひじや)千代子さんら

6 名の先生方が参加してくれた。

これは僕にとって思いもかけない共鳴だった。

 

学園は夏休み中にも拘らず、

先生や関係者の方など 10 名の方が集まってくれた。

前日の講座に続き、

この 2 年半の二本松での出来事や、

生産者として取り組んできたことを話す佐藤佐市さん。

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放射能の質問にも答え、

彼ら福島の有機農家は本当によく学んだなあ、と感心する。 

 

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アットホームな感じで質疑や意見が交わされ、

この間の時間の重さを共有しながら、

ゆっくりと失いかけていたものをお互いに取り戻す。

 

お昼は食堂に招かれ、

休日のはずなのに厨房を稼働させて作っていただいた食事を頂戴した。

どれも美味しい。 優しい感じがする。

野菜も自然な味わいがあって、癒されるようだ。

僕は例によって 「食う」 に集中して、写真撮るのをすっかり忘れる。

 

食堂では、明日から新学期が始まるということで、

帰ってきた寮生が集まってくる。 

送ってきた親たちも一緒になって、バーベキューが始まりだした。

おそらく学園の卒業生と思われるお母さんと先生が、

友人同士のような感じで会話が交わされるのだった。

 

散策がてら学園内を案内していただく。

遠征用のトラック発見。 

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「自由の森学園サンバ音楽隊」 は2000 年夏、

高校生チームとして初めて浅草サンバカーニバルに出場した経歴を持つ。

人力飛行機部は、鳥コン

(人力飛行機による飛行時間・距離を競う 「鳥人間コンテスト選手権大会」)

にも出ている。 実力のほどは知らないけど。

郷土芸能部は、地元の祭りなどにも積極的に参加している。

ユニークな部活動が生徒たちの発案で生まれ、

一般の学科授業とは違う目線で学びを体験し、

表現力やコミュニケーション力が培われていくのだろうか。

 

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生徒たちがつくったツリー・ハウス。

思春期の貴重な時間に自然を体感できることは、大切なことだ。

 

実はこの 3 月まで 26 年間、

我が家は自森より 2 ㎞ ほど先(奥) の地区にあった。

平日はほとんど帰らなかったけど、まあご近所だと言っていいだろう。

自由の森学園の歴史を地域の目線で眺めていた者にとっては、

正直言って評判は芳しいものではなかった。

川の調査をしていても、また授業をサボって河原で遊んでる・・・

とか理不尽な噂もたてられたりしていたようだが、

そう言われてもしょうがないような・・・ところもあった。

設立して 28 年。

ユニークすぎるだけに、地元に根づくにはまだ時間がかかる。

 

生徒たちが 「米を作ってみたい」 と言って始めた、

という田んぼも案内してもらった。

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いやはや、草が多過ぎる。

イノシシ対策にと電気柵を張ってはいるが、畦も草ぼうぼうで・・・

案の定漏電して利かなくなっていて、すでにイノシシに荒らされていた。

夏休み中、サボったね。

農を甘く見てはいけない、 汗をいっぱい流さないと。 

もう少し地元農家の教えを乞うた方がいいのでは・・・とは、

帰り途の佐市さんとの会話である。

 

栄養士の N さんが撮ってくれた写真が送られてきた。

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イイ感じですね。

佐市さんもさりげなく V サインなんか送っちゃって。

右から二人目が鬼沢理事長。 

左端が、ビオトープ作りや、ニホンミツバチの飼育、

焼き畑によるソバ栽培試験区などを案内してくれた理科の伊藤賢典先生。

 

放射能連続講座がくれたご褒美のような、感動の一日だった。

こういう想定外の喜びがあると、やることも無駄ではない、と思えてくる。

 

別れ際、生徒たちの東和ツアーをゼッタイに復活させます、

と N さんは嬉しそうに語る。 

あまり急がず、じっくりとね、と答えた。

ふたたび冷房の利かない車に乗せて、

それでも楽しくお喋りしながら佐市さんを大宮駅までお送りした。

 

お土産に頂いた天然酵母パンとクッキーを大事に抱えて、

佐市さんは二本松・東和へと帰っていった。

その背中を見ながら、僕は確信する。

佐市さんと自森の関係は、3.11前よりずっと深いものに育ってゆく。

間違いない。

 



2013年9月16日

" 進化を誓う " お祭りにしよう

 

台風による激しい雨と風に弄ばれながら休日出勤。

東北方向へと走り去っていく雲を眺め、

自然の猛威に叩かれては鍛えてきた我が民族の底力を思う。

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大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回。

『福島と語ろう!』

最後に、3名の生産者からのメッセージを。

 

まだ福島を忘れずにいてくれたことに、とても嬉しい気持ちになりました。

心配なのは低線量被ばくの影響です。

データを取り続けていってほしいと願っています。

  -福島有機倶楽部・阿部拓(ひらく) さん。

 

原発事故は、過去の何にも比べものにならないくらいの困難だ。

それでも、これまで通り暮らしていきたいと思う。

これを普通の困難だと思って一日一日を暮らし続け、

ひとつひとつ解決していきたい。

これまで受け入れた新規就農者が36人。

事故後もやって来てくれる若者がいる。

いいところがあるから来てくれるんだと思うし、

東京ともつながってるんだなあ、と気づかされる。

彼らがやってんのに、オレたちが怖がって何もやんねえワケにはいかない。

真実を知りながら、一緒に歩いていきたいと思う。

  -ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市(さいち) さん。

 

福島県は、農業就業者の数が日本で第2位の県です。

それが今、県内の離農率が20%近い数字に跳ね上がってきている。

日本の農業(=将来の食生産) への影響はとても大きい。

どうかこのことを忘れないでほしい。

だから食べてくれ、と言いたいのでなく、

科学的なデータをもとに、大丈夫なものは

少しずつでも消費を取り戻していってあげてほしい。

  -稲田稲作研究会(ジェイラップ)・伊藤俊彦さん。 

    

コーディネーターの大江さんがまとめる。

 

皆さん、ぜひ福島に足を運んでほしい。

生産者に会ってほしい。

畑を見てほしい。

様々な取り組みが福島の地で行われている。

福島の復興なくして、日本の未来はないです。

 

僕もそう思う。

この秋、福島県須賀川市の稲田という地区の

丘の上にあるライスセンターの屋根に、太陽光パネルが敷き詰められた。

未来への責任を果たす、と何度も何度も自分に言い聞かせ

持続させた彼らの意思と願いが込められたものだ。

ゲンパツには絶対に頼らない!

必死の防戦だけじゃない。 オレたちは進軍するんだ!

ライスセンターの屋根にも進化への意思がある。

一人でも多くの人に、見てほしい。

 

10月26日(土)開催の

備蓄米 「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭 

  ~ 3度目の秋、未来に向かってコメを作ります

目下、参加者募集中!です。

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html 

 

伊藤俊彦さんから収穫祭に寄せた一文が届いたので、

ここに掲載して講座レポート終了としたい。

 


ここ福島は桃の季節が終わり、

秋を告げる  " 梨 "  や  " ぶどう "  が美味しい季節となり、

田んぼの稲穂が黄金色に色づいて、

まさに収穫の時を迎えようとしています。

 

大地を守る会の皆さまとの関係も四半世紀を超え、

この間、大勢の社員の方々や会員の方々との出会いがあり、

多くを学び、多くを感じ、食を通して五感でつながってきたように思えます。

 

特に3.11以降、放射能測定器を真っ先に貸与いただくなど、

身に余るご支援を賜りましたこと。

このご恩を私たちは生涯忘れることはありません。

何より、皆さまからの  " 憂いのこもった励まし "  の数々は、

不安払しょくの種となり、復興を目指す気概となり、

自立に向けて歩きだすきっかけとなりました。

 

原子力災害という先の見えない逆境の中、

家族や仲間や子どもたちを守るためにご案内いただいた多くの学びを

片っ端から生活の中に取り込み、精査しながら

2年半が過ぎました。

この2年半の学びと実践から得た多くの知見から、

科学的根拠をもって、今後

" 研究会の生産者がつくる農産物を食べ続けても内部被ばくを引き起こすことはない "

と判断できるまでになりました。

今では同居する6歳と3歳の孫たちが同じ食卓を囲み、

何に箸をつけても不安なく見守れるようになりました。

" 家族に不安なく食べさせられる農産物であること "

を当初からの出荷基準にしてきたことは、

皆さまとつながりを持ち続ける中で身についた 

" 食の安全 "  に対する信念の行使であり、

つながりの容(かたち) であると認識しています。

 

2011年秋の復興祭、2012年秋の自立祭では、

深い情けと憂いに感動した涙の収穫祭でした。

この10月26日に予定されています2013年の収穫祭では、

" 今後の進化を誓う "  おもいきり前向きな  " 決意のお祭り "  に

したいと考えております。

この災害から学び、そして実感した

" 頑張ってもできないことより、頑張ったらできることのほうが遥かに多い "

という生き方を合言葉にさせていただく所存です。

 

この7月、毎日新聞社主催の 「第62回全国農業コンクール」 が

昭和32年以来56年ぶりに福島で開催され、

農業生産法人稲田アグリサービスと (株)ジェイラップの連携による

農業振興活動が評価され、

グランプリには至りませんでしたが

毎日新聞社"名誉賞"、"農林水産大臣賞"、"福島民報社賞" 

などの賞をいただきました。

これを契機に、受賞に慢心することなく、さらに産地組織の結束を高め、

学んで、学んで、私たちなりの近未来を創造していくことを決意したところです。

 

皆さまのお陰で元気を取り戻した 「稲作研究会の収穫祭」 に

ぜひご来場いただけますことを願い、

生産者・社員・その家族一同でお待ちいたしております。

  -農業生産法人稲田アグリサービス、(株)ジェイラップ  伊藤俊彦

 



2013年9月15日

反転耕にかけた未来への責任

 

いやはや、こき使われる毎日。

なかなかスピーディに続けられないですね。

でも続けます。

 

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』。

福島有機倶楽部・阿部拓さんの話を受けて、

コーディネーターの大江正章さんがフォローしてくれた。

 

有機倶楽部に残った2軒のうち1軒の方 (小林勝弥さん・美知さん夫妻)に、

大江さんは7月に取材で訪れている。

とても明るく元気な奥さんだが、話を聞いているうちに

感極まってきて、泣きながら当時の状況を話してくれたそうだ。

「 いわき市でも、2万4千人の人が避難を余儀なくされた。

 目立った活動をしている所ばかりが報道されがちだが、

 今も苦しんでいる地域がたくさんあることを知っておいてほしい。

 移る・移らない は各々に考えた末のこと。

 それぞれの選択を尊重しながら応援していく姿勢が

 私たちに求められているように思います。」

 

さて3番手は、

福島県須賀川市 「稲田稲作研究会」 伊藤俊彦さん(「ジェイラップ」代表)。

この2年半にわたって積み重ねてきた対策と、

そこから得られたデータを示しながら、伊藤さんは説明を進める。

どの知見も試行錯誤を経て獲得した  " 未来への財産 "  である。

 

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事故のあった2011年、伊藤さんたちは

「稲田稲作研究会」 メンバー全員の、341枚の田んぼごとに

土と玄米の測定を行なった。 

そこで一番高かった玄米の数値は 19.9 Bq(ベクレル)、平均で 3.11 Bq。

2年目となった昨年では、最大測定値が 11.8 Bq、平均値が 2.66 Bq。

着実に下げられたと思っている。

かたや、除染対策を行なっていない近隣の数値では、

最大値が 22.2 Bq、平均値が 6.71 Bq。

稲作研究会のほ場で、10Bqを超えたのは3つだったのに対して、

未対策地では66を数えた。

やれば結果はついてくる、

少しでも下げられるなら面倒でもやらなければならない。

それは生産者としての責任だと、伊藤さんは考える。

 

(注:数値はすべてセシウム134 と 137 の合算値。)

 


昨年福島県で実施された米の全袋検査では、

農家の保有米も含めて検査されている。

結果は、99.7%が 25 Bq(検出限界値) 未満だった。 

  (注... ジェイラップも検査所となって地域の米の測定を引き受けている。)

 国の基準(100 Bq) を超えた米は 0.0001%、

100万分の1という数字である。

50 Bq以上は再検査に回されている。

稲田稲作研究会では県より細かいデータを取り、

11年秋の収穫後に反転耕(天地返し) の実施に踏み切った。

これまでに 120 haの田んぼでやり終えている。

その結果として、反転耕実施ほ場では

10 Bqを超える田んぼはゼロになった (平均値 2.14 Bq)。

 

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福1原発事故によって私たちは、

水田が汚染されるという世界で初めての経験をしたことになる。

まったくデータがない中で、いろんな実験にもトライしながら、

伊藤さんたちはいくつもの知見を獲得していった。

 

その過程で、田んぼと畑の構造的な違いも発見する。

高濃度の土に水を加えて撹拌して置いておくと、

だんだんと重い土が沈殿していって、上のほうに薄く濁った水の層が残る。

その薄濁った水の濃度が高いことに気づいたのだ。

つまり、畑は耕すことで分散していくが、

水田は水を張ってかき回す代かきという作業があり

(目的は、土の塊を砕いて田面を平にすることで田植えをし易くさせる)、

そこで放射性セシウム(Cs) は、「代かきすると表面に上がってくる(戻ってくる)」。

どうも Cs をよく吸着するゼオライの種類によって、

比重の軽いものにくっついている可能性がある。

かき回しても表面に戻ってしまうのであれば、

まだ Cs が沈降していない 15 cm下の下層土と入れ替え、

下に閉じ込めることが最も有効な手だということになる。

その場所の空間線量も確実に下げられる。

 

また表面の土ぼこりは風に舞う。

除染しても、吹き溜まりの場所は濃度(線量) が戻ってしまう傾向がある。

春風の舞う日に、農作業する農家やその脇を通学する子どもたちに、

土ぼこりを吸わせてはいけない。

 

仮に 4 Bq の玄米を精米した場合、白米は 1 Bq 以下になる。

その米を研いで水を加えて炊飯すると、さらに 5 分の 1 になる。

今の米であれば、年間 60 ㎏(日本人の平均消費量) 食べても、

1000分の1 ミリシーベルト以下である。

 

土ぼこり 1 g を吸う方が、米を食べるより内部被ばくのリスクが大きい。

 

伊藤さんたちが反転耕を徹底してやると決めた根拠は、

科学的データと、大人としての将来に対する責任感、に他ならない。

自分たちが農業できればいい、国の基準未満ならそれでいいではないか、

という話ではないのだ。

農作物のためだけでなく、地域の人たちの健康被害をできる限り防ぐために、

やれることは、やる。

そういう姿勢を持った農家になろうと、伊藤さんは言い続けてきた。

 

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そんな取り組みが、地域全体にも認められてきて、

今年の秋から 3 年かけて 1500 ha の反転耕を実施することになった。

自分たちの田んぼさえ良ければ、ではない。

地域全体を守ることで、自分たちの米も家族も守ることができる。

伊藤さんたちは、その率先垂範を見事にやってのけたのだ。

 

他の地域で反転耕が進まない理由の一つは、

日本のトラクターでは歯がたたないからだと、伊藤さんは言う。

そこでジェイラップでは、EU製の150馬力の大型トラクターを手に入れた。

チェルノブイリ後に開発されたトラクターで、

キャビンのドアを閉めると気圧が変わって、外からの埃が入らない構造になっている。

オペレーターの健康にも配慮されたものだ。

日本のメーカーから、なんで日本製を使ってくれないのかと聞かれ、

「日本のトラクターは零戦だ」 と言ってやった。

農作業者の体のことなんか考えてないだろう、と。

 

「 数 km の面単位でやった時に、どれだけ線量が下がるのか。

 そのデータを、来年の春にはお見せしたい。

 そのために、今年の稲刈りが終わったら、すぐに作業に入ります。

 科学的根拠を持って、着々と進めていきたい。」

 

聞いてるだけで、胸が震えてくる。

僕たちは、命の糧を通じて、彼らとつながっている。

このつながりを築いてこれたことを、僕は腹の底から誇りに思う。

 

あと一回。

3人の言葉を拾って、終わりにしたい。

 

≪注≫

「大地を守る会の備蓄米」 については、

ゲルマニウム半導体検出器による自社測定を行ない、

すべてのサンプル玄米で 「不検出」(検出限界値=3 Bq) となっています。

 



2013年9月12日

新天地を拓く父と、残った農地を守る息子

 

千葉・海浜幕張にも赤とんぼの姿が見えたね。

収穫の季節に入ってきたんだな、と思う。

しかしこいつらはいったいどこで産卵-繁殖しているんだろう。

 

さて、放射能連続講座Ⅱ-第6回レポートを続けます。

アーカイブをご覧いただいた方には " 今さら " の記事かもしれないけど、

レポートを残しておくのが自分の義務だとも思っていて、お許しを。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事・佐藤佐市さんに続いては、

福島の浜通り、いわき市から 「福島有機倶楽部」代表の阿部拓さん。

6 年前に 7 軒の農家で結成。

有機JAS 認証を取得して野菜作りに励んできた。

そこに地震と津波、原発事故。

いわき市では津波で 446 人が亡くなった。

 

農家が移住するという、重大な決意を迫られるなか、

有機倶楽部では 5 軒のメンバーが移転を余儀なくされた。

双葉町の鶴見博さんは千葉に移り、新天地で有機農業を再開した。

一人は北海道に農地を求めて就農の準備中。

旧都路村の仮設住宅に移った仲間は、まだ農業をやれない状態。

原発から 40km 圏内にいた一人は、有機JAS認定を諦めて脱会した。

もう一人は津波による塩害によって、

作物を作っても夏になると枯れてしまう状態である。

 

阿部さんは1ヶ月避難した後に戻ったのだが、

畑の状態が悪く、撤退を決意。

その後、宮城県大崎市に農地を得て再スタートを切るも、

販売先がなく、無農薬でつくっても地元JAに出荷するしかなかった。

今年、大地を守る会に米と野菜を出荷する

「蕪栗(かぶくり)米生産組合」 野菜部会に入ることができ、

ようやく落ち着いて野菜作りができるようになった。 

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いわきにはもう一ヶ所、

40㎞(原発からの距離ではない) ほど離れた場所に畑があって

そこは息子さんが 「残って、やる」 というので、任せることにした。

離れ離れでの農業になってしまったが、

それぞれ懸命に有機農業でやっていこうと思っている。

そんなわけで 「福島有機倶楽部」 は

2名のメンバーで何とか続けている状態である。

 


しかし、2軒の農家で続けているといっても、

原発事故によって販路はまったく閉ざされてしまった。

取引のあった団体からはほとんど断られ、

窓口を開き続けてくれたのは、大地を守る会だけである。

(現在、他は直売所での販売という状態。)

 

宮城では、減反田を借りることができ、土づくりから始めた。

まったく最初からの出直しで、土ができるのに 3 年はかかるだろう。

収量も上がらない中で続けている。

それでも、いずれ有機認証を取るつもりでやっている。

 

とにかくこの2年間は、

虚脱感や精神的ダメージから抜け出すのが精いっぱいだった。

とても佐藤佐市さんや、ジェイラップの伊藤さんのような

元気の出る話はできないです。 申し訳ないけど。

 

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「原発事故さえなければ」 と、つくづく思う。

放射性物質は、土や海を汚染しただけでなく、

人間に対しても内部被ばくという汚染をもたらした。

風評被害の影響は今も続いていて、

放射性物質「不検出」 のデータを示しても、なかなか売れない。

 

損害賠償をすればいいじゃないか、という人もいるけれど、

販売して得るお金と賠償金では、喜びが違う。

賠償金では、虚しさしか残らない。 心が蝕まれていくようだ。

何度も何度も、書類を用意しては交渉を繰り返し、ヘトヘトになる。

苦痛になって、諦めが出てくる。

野菜の種をまいた方が、よっぽど元気が出る。

 

原発は人間の手に負えない、とつくづく思う。

賠償金だけでは、心の被ばくを感じる。

 

今は、2 軒の農家で必死で続けている。

やり続けることから、突破口を見い出したい。

消費者の方々にお願いしたいことは、

「不検出」 だったら食べてもらうことはできないだろうか。

私たちは手を尽くし、種をまき続けるしかない。

そんな農民がいることを、どうか忘れないでほしい。

種をまき続けながら、原発に頼らない生き方を模索していきたい。

 

続いてジェイラップ・伊藤俊彦さんの話へと進みたいのだが、

すみません。 今日はここまでで。

 

心の被ばく・・・・・今もこの被害は続いている。

それは賠償の対象にはならない。

阿部さんを受け入れてくれた蕪栗の生産者にも感謝しながら、

数年後に、有機JASマークの貼られた阿部さんの野菜が届くことを、

忘れずに待ち続けたいと思う。

 



2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

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トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

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旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

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二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

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続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



2013年9月 7日

この田園に、たたかいの証しがある!

 

8月30日(金)、

後継者会議の現地視察途中で切り上げ、会社に戻る。

弥生ファームの皆さん、ごめんなさい。

 

実はこの日の夕方、福島県須賀川市では、

ジェイラップの 「全国農業コンクール 名誉賞・福島民報社賞

の受賞報告会が開かれていて、

伊藤俊彦さんから招待を頂いていたのだが、

出張で溜めてしまった仕事もあるし、翌日には放射能連続講座も控えていて、 

さすがに断念した。

羽田に戻ってその足で須賀川に向かえば

16時の開会に間に合わなくもない・・・

という思惑が捨て切れず、ギリギリまで迷ったのだった。

 

伊藤さんも忙しい。

受賞報告会には、須賀川市長から毎日新聞の福島支局長など

多数の来賓もあり、鏡開きでは何と、

原料米の契約栽培などでお付き合いのある酒造3社

(大和川酒造、金寶酒造、廣戸川酒造) の薦樽(こもだる) が3つ

並べられて行われたとのこと。

おそらく遅くまでたくさんの人に囲まれたことだろう。

しかも翌日は、大地を守る会の放射能連続講座のパネラーとして、

上京してもらわなければならないワケで。

ちなみに、大和川酒造店の樽酒は、

「種蒔人基金」 から提供させていただいたことも、お伝えしておきたい。

 

ここで放射能連続講座のレポートへと急がねばならないところなんだが、

先にこの写真をアップしておきたいと思う。

9月3日、実りの秋を前にする稲田地区の風景。

美しいでしょう、田が荒れてない。

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春にも書いた ことだけど、

伊藤さんたちジェイラップは、震災と原発災害後に減った耕作地を

見事に蘇らせていった。 

理論的根拠をもって除染し、科学的数値で米の安全度を示し、

自分たち(稲田稲作研究会) の米の信頼回復だけじゃなく、

地域全体の再生へと導いたのだ。

この田園は奇跡だ。 ここにこそ、たたかいの証しがある。

 

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伊藤さんは、8月31日には放射能連続講座で話し、

軽く一杯やってとんぼ帰りした後、

翌9月1日には、

チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんや

栃木の民間稲作研究所・稲葉光圀さんとともに、南相馬へと飛んでいる。

現地の農家たちと放射性物質の移行や除染の考え方について、

これまでの経験に基づく知見を伝え、今後の対策を話し合ったようだ。

この模様は、

9月22日(日)10:05~10:58、NHKテレビの復興サポート番組

で流れるとのこと。

 予告はこちら ⇒ http://www.nhk.or.jp/ashita/support/index.html#next

ジェイラップの農地除染風景も紹介されるかもしれない。

お時間ある方はぜひ!

 

9月3日は、収穫前にと、駆け足で立ち寄ったのだが、

伊藤さんは疲れも見せず、田んぼを案内してくれた。

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今年の出来もいい、と伊藤さんは胸を張る。

田植え時の水不足、7月の長雨と時にゲリラ豪雨、8月の猛暑を乗り切って、

手をかけたぶん期待に応えてくれる稲たち。

慈しみたくもなる。

 

ここは実験ほ場。

2年間耕作が放棄されて、草だらけになっていた田んぼだ。

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耕し直し、ゼオライトを投与し、反転耕をやって、もう一度ゼオライトを散布し、

放射性物質を封じ込める。

この作業によって周辺の空間線量も確実に下がっている。

子どもたちの内部被爆を限りなく防ぐ努力、でもあるのだ。

 

伊藤さんの心に、春はまだ戻っていない。

たたかいの終着点は見えないけど、

「いつか孫に褒めてもらえる仕事をしておきたい」 という願いは、

立派に果たしたんじゃないか。

本当に頑張ったと思う、ジェイラップの人たちは。

 

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すべての生命が讃えているよ、と

ポーズをとって迎えてくれたアキアカネに敬意を表して、記しておこう。

 

書いていて、後悔がぶり返してくる。

無理してでも、受賞報告会に行けばよかったなあ。

行って、天晴れ!のひと言でも発したかった。

ま、この思いは、10月26日(土) の収穫祭に取っておこう。

 

「稲田収穫祭」、現在募集中。

一般参加も大歓迎!!! です。

福島・中通りで起きた奇跡を、皆さんの眼で、しかと確かめてほしい。

案内と申し込みはこちらから。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html

 

すみません。

放射能連続講座のレポートは次回に。

 



2013年9月 4日

有機農業しかない!! だろう。

 

新規就農を支援しても、販路の開拓が難しい。

この悩みに特効薬はない。

前回の末尾の言葉はいかにも冷たいようだけど、

自分の経営規模やスタイルに合わせて考えるしかない。

例えば浅見さんたちのような多品種少量生産では、

個人・地域・直売所・地元の食品加工所といった相手がマッチする。

大地を守る会には仲間と共同での野菜セットか、

一定の生産量がある場合のみ単品オーダーが可能になる。

これが庄右衛門インゲンなら、

畑事情に合わせて出荷できる 「日本むかし野菜」 で受け入れ可能だ。

 

僕が言えることは、新規就農で

いきなり大きな流通組織に頼るというのは無理というか、

かえって危険だろうということだ。

地域を眺めてみてはどうか、可能性が見えてこないだろうか。

近場の地方都市に消費者はいないか、そんなはずはないだろう。

レストランやパン屋さんと連携して何か新しいモノや仕掛けが作れないか。

学校給食に交渉の余地はないか。

給食で採用されたなら、子供たちの食育を積極的にお手伝いしよう。

お年寄りのためにできることはないか・・・

見つめてみよう、地域を。 視野はちょっと広めに、異業種も含めて。

 

気候変動は激しくなっている。

TPP は仁義なき価格競争の世界をもたらしそうだ。

見えてくるのは食糧危機だというのも、頷ける。

そんな中で、この国の農業就業者はどんどんいなくなっている。

ピーク時に1,454万人いた農業者は、いまや239万人とされる。

16%にまで落ち込んだのだ。

しかもこの1年で、10万人以上減ったのをご存知だろうか。

農業者の平均年齢(65.8歳) をみれば、この流れは止まらない。

いま目の前で (正確には背後で)、雪崩は激しく進んでいるのである。

しかしその現象は、関心ない人の目には入らない。

 

一方、新規に就農した人の数は昨年 5.6万人。

これを二ケタにしないと収支が合わないわけだが、

それならそれで、たくさんのチャンスが広がっているとも読める。

有機農業従事者の平均年齢は全体の平均より5歳若い、

というデータもある。

後継者がいる率も高く、

何より有機農業に突出しているのは、新規参入者の多さだ。

いま新規就農を考える人のほとんどは有機農業を志向している。

これは何を意味するか。

 

ディスカッションではバラ色の未来は描けなかったけど、

後継者といわれる人たちの肩にかかってきていることはたしかなワケで、

いっちょやったろか、と胸を張って行こうじゃないか。

マーケットがない、ではなくて、マーケットに目を開かせるために、

あるいは地域住民を安定消費者に変えるために、

どうするかを考えよう。

 

次に、

ワシにも1時間、いや30分でエエ、発表の時間をくれ!

とプログラムにねじ込ませたのは、

高知県下の生産者をとりまとめる 「高生連」 事務局の田中正晴さんだ。

 

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田中さんは、高知大学の学生時代から

公害問題や原発建設への反対運動、自然保護などに取り組んできた。 

その延長で、自然塩づくりや有機農業のネットワークづくりに邁進する

人生を送ることになる。 

「この話を30分でまとめるのは大変なんやけど・・・」 と、

田中さんは高知での反公害・反原発のたたかいを一気に辿りながら、

県下での有機農業の歴史をかぶらせていく。

なるほど。

若者たちに、有機農業はたんなる  " 安全な食 "  生産の話ではない、

いのちを守るたたかいとともにあるんだと伝えたいのだ、と読んだ。

ここにも熱い男が一人、いた。

 

夜は楽しく飲み、

翌日は (株)弥生ファームの生産ほ場を視察。

生産法人名は 「(有)大地と自然の恵み」 。

10名の社員を雇用し、有機認定ほ場は 7ha に広がる。

 

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ニラのハウスに、出荷場。

ベテランの母ちゃんたちが素早い手さばきで調製している。

 

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ニラの正品一袋つくるのも、簡単ではない。

脇のオレンジ色のコンテナには、一見して、これも?

と思える葉がパッパパッパとはじかれていく。

こういう現場も、見なきゃ分からない。

誰ともなく、もったいないね、の言葉が漏れてくるのだが、

品質の安定とクレームの少なさが産地の評価につながる。

複雑な心境・・・ も忘れないようにしたい。

 

こちらはユズ畑。

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「弥生ファーム」 と 「大地と自然の恵み」(代表:小田々智徳さん)

の掲げる理念は、

① 自然界との共存共栄

② 有機農業者が誇りを持って農業に取り組める社会環境つくりに努力する。

③ 豊かな大地と自然を次世代に引き継ぐことができる総合的な環境つくりを行い、

  有機農業に携わる全ての人に恵みが得られるよう努力する。

 

毎年かわる天候に振り回されながら、

一本のニラ、一個のユズに、理念と苦闘の結果が表現される。

厳しい世界だよね。

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じっくりと回りたかったのだけど、

視察途中で一足先に帰らせていただく。 

 

解散時の記念写真は、農産チーム・市川泰仙提供。 

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後継者会議も10回目となり、年々少しずつ顔ぶれも違ってくるし、

時代とともに農業観も経営感覚も変化してくることは仕方のないことだ。

それでも、今日の君は先人たちの汗の上に立っているのである。

土台をしっかり踏みしめて、飛んでほしい。

社会の様相とデータが指している未来の方図は、有機農業である。

それは間違いない。

 

解散後、残った参加者たちは、オプションで設定された

木質ペレット・ヒーティングシステムの見学に回ったようだ。

 (株)相愛エコデザイン推進室の前田誠一さんが、

ブログで紹介してくれているので貼りつけたい。

 ⇒  http://soai-net.jimdo.com/

 

前田くん、実は大地を守る会の元社員。

OB が各地で頑張ってくれるのは、嬉しく、励みになる。

 

「第10回 全国農業後継者会議」 レポート、

終わります。

 



2013年9月 2日

『語ろう! これからの農業』 -後継者会議から(続)

 

「第10回 全国農業後継者会議」 報告を続ける。

 

有機農業の本質的な価値を受け継ごうとする浅見彰宏さんの基調講演に続いて、

浅見さんも含めた3名の生産者によるパネルディスカッション。

後継者といっても、今回お願いしたパネラーは、

すでに地域の牽引者として活躍する脂の乗った40代である。

テーマは、『語ろう! これからの農業』。

僭越ながら、コーディネーターを務めさせていただく。 

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まずは浅見さん、基調講演で言い足りなかったことや

今の課題、同世代に伝えたいことがあれば、と水を向ける。

 

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山間地での有機農業の意義と役割をしっかりと整理したうえで、

浅見さんは 「責任のないものにも責任を持つ生き方」 をしたいと語る。 

260年続いてきた水路を守るために奮闘するのも、

自分の田んぼのためだけじゃない。

地域を守ることは、農の役割の重要な柱だと考える。

だから新規就農者を支援し、「会津耕人会たべらんしょ」 のメンバーも

増やしていきたい。

そのためには、少量多品目栽培をベースにしながらも、

安定した販路も確保する必要があり、

これまであまり考えることのなかった  " 基幹作物 "  という視点も

取り入れる時期に来ているか、と思い始めている。

彼がいま考えているのは、在来品種 「庄右衛門インゲン」 である。

たしかに柔らかくて美味しいインゲンだ。

しかも自分たちで種を保全できる。

(注・・・大地を守る会では、「とくたろうさん」 改め 「日本むかし野菜」 に登録すると、

 この時期に何度か届きます。)

小さな農家で生きていきながら、次の世代に希望を引き継ごうと思っている。

 

続いては、高知県佐川町の田村雄一さん。

ニラ栽培と酪農を主体としつつ、「SOEL」(ソエル) という

有機農業研修組織をつくって若手育成に努める46歳。

会津耕人会の野菜セットに続く形で、

研修生たちが育てた 「高生連の tururu 河鹿の里野菜セット」 を届けてくれる。

毎回のていねいな包装に、

三浦さん夫妻の指導の証しが感じ取れるセットだ。 

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田村さんは30歳で脱サラし、農業を継いだ。

有機農業に転進したのは、お父さんの病死がきっかけだという。

高知県は単位面積あたりの農薬使用量が日本一の県で、

当時佐川町に有機農業をやっている農家は一軒もなかった。

「有機でやる」 と言ったとき、

周囲の言葉は 「田村は潰れる」 だった。

以来、潰れるワケにはいかない、と覚悟を決めてやってきた。

 

研修組織を立ち上げたのは、就農して3年でやめるパターンを見たこと。

自分の持っている資源・設備・労力を活用して、若手の育成をしたいと考えた。

現在、SOEL(サカワ・オーガニック・エコロジー・ラボラトリィ) には、

4名の研修生がいて、うち3名は県外からである。

課題は、入手できる土地が条件不利地ばかりであること。

そして新規組に販路がないこと。

地域農業全体の衰退と、諸費用の高騰も不安である。

新規就農者へのメッセージとしては、

いきなり高品質や多収穫を目指さず、未利用資源を有効活用しながら、

「しぶとく、無難に、そこそこに」、

まずは有機で飯が食えるようになること。

 

田村さんには高校生の息子がいる。

小さな時から農作業で遊ばせて、何かできるたびに、とにかく褒めた。

今ではそこそこの仕事はできるようになっている、という。

素晴らしい。

潰れるどころか、誰が農の未来を支えようとしているのか、

と言いたいところだろう。

 

3番手は、島根県浜田市から

「いわみ地方有機野菜の会」 の三浦大輔さん、40歳。

浜田市といっても、5市町村が合併してからは

日本海から広島県境まで至る広域の市となった。

三浦さんが住むのは浜田市弥栄町、旧弥栄村といえば山間地である。

やっぱ旧市町村を示さないと地域が見えてこないよね。 

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三浦さんが森林組合の勤めを辞め、地元に帰って農業を始めたのが7年前。

コンビニも信号もない、働く場所もない村に帰る以上、

地元に恩返しがしたい、仕事を創り出したい、と思った。

幸い佐々木一郎さんという先人がいて、

「いわみ地方有機野菜の会」 という組織がつくられていた。

この出会いによって、三浦さんは最初から有機農業で始めるのだが、

もともと有機農業をやりたかったのではなく、

地元で農業でやっていけるようにするために選んだのが、有機農業だった。

サラリーマンと同等レベルの生活ができる、儲かる農業がしたかった、

と本音を隠さない。

山間部で日照時間が短く、街への距離が長いため輸送コストがかかる。

野菜の価値でたたかえる有機農業でいこう、と考えたのだ。

こういう経営感覚で有機に参入する人が現われることを、

良い悪いと峻別してはいけない。

これは有機に力がついてきた証左であって、 問題はその次である。

同じ山間地で生きることを決めた浅見さんと三浦さんが

何を語り合いどうつながるか、だろう。

ちなみに、浜田市弥栄町 (弥栄自治区) が昨年発行した

有機農業普及パンフレット の表紙には、こう謳われている。

「山村だからこそ、有機農業。」

山村に若者がやってくる、有機農業者が増える、子供が生まれる、

そうやって何かが変わっていく。

 

三浦さんはハウスを1棟建てるところから始め、

最初の年に11棟まで増やした。

市も支援してくれて、現在では66棟。

面積にして1.3ha という規模にまで達し、

葉物野菜中心での周年出荷体制を確立させている。

常雇用が2名、パート・アルバイトが15名。

この経営は楽ではないだろうと予測もするが、

立派な雇用創出である。

経営のコツは? と尋ねてみた。

明快な答えが返ってきた -「ビジョンを持つことです。」

 

5年前、いわみ地方有機野菜の会は、全会員の出資によって

販売会社 「(株)ぐり~んは~と」 を設立した。

これによって販売先が広がる中でも、作ることに集中できるようになった。

 

もちろん、課題や悩みもある。

病害虫対策、品質の向上、新規就農者のための販路の確保と経営安定支援。。。

最近は調理をしない、包丁もないという家庭が増えているのが心配だ。

生鮮物だけで売れなくなっている。

年間品目を増やして、いろんな生活スタイルやニーズに対応した

供給力をつけていきたい。

近年、夏が長くなってきている感じがしていて、

ハウスを回していく (栽培作物を変えながら年間出荷計画を立てる)

のに狂いが生じたりすることがある。

 

さて、会場とのやり取りでは、

販売会社立ち上げまでの経過や、山間地での水の確保の問題などが

話題に上がったが、一番集中したのは販路の問題だろか。

一般市場での有機農産物の販売は伸びてなく、

既存の団体や販売先はベテラン組が押えてしまっていて、参入できない。

また隙間を狙おうとすると旬を外すことにもなり、

結果的に生産コストが上がる。 何を作ればいいんだろう。

結局、新規就農者を育てても・・・という閉塞感や焦りがある。

このテーマについては、パネラーと言えども明快な答えがあるわけではないが、

いくつかのキーワードがメモられている。

増えてない、ということは減ってもいないわけで、充分に可能性はある。

まずは地域、地場に目を向ける、など。

 

議論をいま振り返って思うことは、

これはいつの時代にもついて回った悩みだった、ということだ。

時にブームのように伸びた時期もあったが、その次には必ず壁があった。

有機農業運動草創期の生産者の悩みに答えたのが

「大地を守る会の設立」(1975年) であったように、

ブームの兆しを捉えブレイクさせたのが 「らでぃっしゅぼ~やの設立」(1987年)

であったように、 

新たなムーブメントを起こすか、あるいは地域を掘り下げるか、

戦略は自らの生き方の延長線上に、あるはずだ。

有機農業推進法ができて、就農支援制度までつくられた時代にあって、

販路拡大の知恵まで先人に頼ってはいけないんじゃないか。

 

続く。

 



2013年9月 1日

ボクが百姓になった理由(わけ) -全国農業後継者会議から

 

週の後半から4日間、外出が続いた。

8月29(木)-30(金) は、高知で 「第10回 全国農業後継者会議」 を開催。

北は宮城から南は沖縄まで、

60名の農業後継者や新規就農者、そして研修中の若者たちが集まった。

(中には60を超えての 「新規後継者」 もいたけど、

 全部若者ということにしておきたい。)

 

続いて31日(土) は 「放射能連続講座Ⅱ-第6回」。

福島の生産者3名をゲストに招き、語ってもらった。

そして今日は、そのゲストの一人、二本松市の佐藤佐市(さとう・さいち) さんを

埼玉県飯能市の 「自由の森学園」 にお連れした。

佐市さんの野菜をずっと学園の食堂で使っていたのだが、

原発事故によって途絶えてしまっていた。

それでも今回の講座をきっかっけに動いてくれた先生がいて、

この機会に 「久しぶりに、ぜひ学園にも」 という話になったのだった。

佐市さんも大変喜んでくれたので、

ここは勝手知ったる飯能ロード、運転手を務めさせていただいた次第である。

講座にも、理事長はじめ6人の先生が参加してくれた。

 

実に濃密な4日間だった。

こういうイベントフルな日程を終えたあとは心地よい疲れを楽しみたいものだが、

間を置くと書けなくなるので、ちょっとずつでも順番に振り返ってみたい。

 

まずは 「全国農業後継者会議」 から-。

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会場は高知市内のホテル。

例によって、藤田代表の冒頭挨拶。

 

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「農業は命を育む産業だと思っている。

 農民には魅力的な人が多い。 それは日々生命に触れているからだろう。

 安倍首相はTPP参加を表明したが、

 世界は戦争への危機や石油の枯渇、異常気象など、極めて不安定な時代に入っている。

 食糧危機も迫っていると言われる中で、

 どうやって食の生産基盤を守っていくかが鍵である。

 自分の意思で、意欲を持って農業を選んだ皆さんこそが、次の時代を創る。

 大地を守る会も、皆さんと消費者をつなげながら、

 ただ単独で頑張るだけでなく、

 買い支える力を強化していくために、たくさんの仲間を増やしていきたい。」

 

今回の幹事を引き受けてくれた、高知・弥生ファームの

小田々仁徳(おだた・まさのり) さん。

昨年、秋田県大潟村で開催した際に、次は高知で、と真っ先に手を挙げてくれた。

 

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「原発、TPP、歴史的豪雨に干ばつなど、

 日本は大きな変化に見舞われていますが、変化に対応しつつ、

 みんながつながって、大きな力になってたたかっていくことが大事です。」

 

今年の生産者会議には、

事業提携したローソン社の方も顔を見せてくれている。

代表して挨拶される(株)ローソン常務取締役、加茂正治さん(写真右端)。

加茂さんは、(株)大地を守る会の取締役でもある。

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ローソンはこの春、" 健康を応援する "  宣言を発し、

野菜を食べようキャンペーンを開始した。

「10年かけて、ホンモノだと言われるようになりたい」 と決意が語られた。

 

さて、本番。

今回の基調講演は、本ブログでもお馴染の方。

福島県喜多方市から参加してくれた 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

彼自身の農園の名は 「ひぐらし農園」 と言う。

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千葉県出身。

大手の鉄鋼メーカーに就職するも、

1993年の大冷害をきっかけに農業に関心を持つようになり、2年後に退社。

埼玉県小川町の金子美登(よしのり) さんの農場での研修を経て、

1996年7月、喜多方市山都町に移住、就農した。

以来17年、夏は農業、冬は造り酒屋(大和川酒造店)での蔵人として働く。

 

今回の基調講演のタイトルは、

ぼくが百姓になった理由(わけ)・・・山村で目指す自給知足』

 

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浅見さんの山間地へのこだわりは、彼の有機農業観からきている。

有畜複合経営で少量多品種栽培、資源の地域内循環と地域内自給、

自然との共生、生物多様性の維持など、

彼が求める農の形態を持続的に営むためには、

水源地の保全や里山の適切な維持管理(利用すること) が必要である。

山間地の保全は下流域の環境を守ることにもつながっていて、

その意味でもそこは多数の小規模農家 (山林も守る複合経営農家)

の集合体である方が健全な形だということになる。

わずかな人数の大規模農家で維持できるものではない、

というか大規模化自体が不可能な場所なのだから。

それは自給をベースにした有機農業のスタイルに合う。

 

土地と風土を活かした自給的暮らしを土台として、

地域での暮らしや共同体存続のお手伝いをしながら、

山間地農業の振興に貢献する。

それが 「ひぐらし農園」 の社会的役割だと、浅見さんは語るのだった。

浅見さんが2000年からボランティアを募って維持してきた堰(せき) は、

今や都市生活者とつながる水路の役目を果たしている。

 

3.11で福島の農家が直面したことは、

環境の破壊のみならず、生産と消費の間での信頼の崩壊をもたらし、

避難を余儀なくされた人たちにとってはふるさとの喪失であった。

あらためて食の安全とは何かを考えさせられ、

到達したのは、「未来へつなぐ」 という社会的役割を放棄するわけにはいかない、

という心境だった。

放射能から逃げるのではなく、向き合い、耕し続けると決意した。

 

幸いにも、放射能の作物への影響の研究が進み、

日本の土壌では作物への移行は極めて少ないことが判ってきた。

このことに感謝し、未来へつなぐための新たな仕組みを創り出してゆきたい。

最初に目指した 「自己実現」 から、地域づくり、そして共生の社会へ。

 

経済原理からみれば条件の悪い、人もいなくなっていく山間地に

新規の就農者としての役割を見い出し、地域活性化に挑む。。。

それぞれに土地条件は違っても、

農の持っている役割や力は共通である。

都会から山間地に就農して17年。

今や地域になくてはならない存在になった先輩からの、力強いプレゼンだった。

 

すみません。 今日はここまで。

続く。

 



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