戎谷徹也: 2013年10月アーカイブ

2013年10月20日

雨中の 「土と平和の祭典」

 

ヤバイよ、そうとうヤバイ。。。

好きでもないのに長年連れ添ってきた椎間板ヘルニアが悪化して、

とうとう歩くのも困難な状態に陥ってしまった。

坐骨神経痛の症状も出て(思えば予兆はあった)、とにかく痛いよ、痛い。

医者の判定は 「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」。

なんやねん、それ。

説明だけでは物足らずネットで調べたところ、原因はともかく治療法は諸説紛々。

「医者の言うことを信じるな」 なんて本まである。

〇 に近い △ を選択するのは、なかなかに難しい。

冷静に読み解く前に、とにかく◎(特効薬) が欲しい今の心境。

これまで東西を問わず様々な治療に挑戦するも、

いずれも中途半端で終わらせてきた。

そのツケがついに回ってきたということか。 サル以下の人生・・・トホホ。

 

そんなワケで昨日(19日)は、

楽しみにしていた 「稲作体験田」 での収穫祭をパスさせていただき、

今日は遠方から出てきてくれた生産者との約束があったので、

頑張って日比谷公園まで出かけた。

薬でだましだまし・・・。

 

早いもので7年目となる 『土と平和の祭典』

今年は今までにない、どしゃ降りのなかでの開催となる。

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雨の中、ヨタヨタと到着したのはお昼を過ぎて、

小ぶりになってきた頃だが、売り子たちはすでに諦めムード。 

青空イベントにつきもののリスクとは言え、

出展者には厳しい一日になった。

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今年、大地を守る会のブースに協力してくれたのは、

佃煮の遠忠食品さん、さんぶ野菜ネットワークさん、

福島の果樹生産グループの新萌会さんと羽山園芸組合さん、

山形から戸沢村パプリカ栽培研究会さんに舟形マッシュルームさん、

長野・佐久ゆうきの会さん。

ご協力ありがとうございました。

だいぶ野菜や果物が残ってしまったけど、お許しを。 

 

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逆に夕方来られた方は、

きっと持ち切れないくらいの戦利品をゲットしたのではないだろうか。 

 

種まき食堂も、多分に関係者たちで食べっこし合ってる感じ。

お金の地域内循環みたいに。 

僕も協力する。

寺田本家さんからは純米酒 「香取」 を一本。

足腰は痛くても、好きな酒の備蓄は欠かせない。

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広場の中では、小さなトークセッション。

映画監督の鎌仲ひとみさん(ハンチング帽の方) 相手に語っているのは、

半農半教師を実践されている小口広太さんだ(長野・おぐち自給農園)。

テーマはきっと、福島の有機農業者の苦闘、といったところか。

生産者との約束があって、じっくりと聞けなくてすみません。

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ステージでは、加藤登紀子さんが仕切ってる。

「今、若者たちが農業に挑む! ~新規就農・農業後継者リレートーク~」

の一コマ。

右は有機農業界のカリスマ、埼玉県小川町の金子美登さん。

左は山形・米沢郷牧場の伊藤幸蔵さん。

さんぶ野菜ネットワークの富谷亜喜博さんや、

愛媛・無茶々園の宇都宮俊文さんの顔も壇上にあり、

新規就農した仲間を紹介していた。

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ブースで元気だったのが、

茨城筑西市、「百笑米」 の大島康司さんと仲間たち。 

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雑穀入り焼餅をいただく。

販売には厳しい状況が続いているけど、若者たちの未来のためにも、

頑張らないといけないですね、お互いに。

 

今年のテーマは、「未来(たね) を守る」。

すべては未来の子どもたちのために-

仲間の輪を確かめて、明日からも歩み続けましょう。

 -なんて、お前に言われたくない、か。 トホホだ、悔しい。

 



2013年10月18日

" 希望 " の源はどこに

 

" 分断 "  を越えなければ、希望は語れない。

しかも環境や平和を守ろうとする人たちほどカンペキを求めて批判しあい、

スクラムが組めないでいる。

これじゃあ再稼動や原発輸出を推し進める側の思うツボだよね。

 

-と、我々を叱咤するかのように宿題を提示した上で、

鎌田さんは自ら撮った写真を映しながら話を進める。

 

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例えば、事故後も緊急時避難準備区域に残り、末期ガンとたたかいながら、

80人以上の赤ちゃんをとり上げた

南相馬・原町中央産婦人科医院・高橋亨平先生の話。

残念ながら今年1月、74歳で亡くなられた。

高橋先生は生前語っていたそうだ。

「妊婦と子どもを守れない社会に未来はない。」

 

例えば、ベッドが満杯になっても来る人を拒まず治療を続けた

ひらた中央病院(石川郡平田村) の話。

今も全国すべての人に門戸を広げ、

ホールボディカウンターによる検査を無料で受け付けている。

本来は国がやるべき仕事なのだが、

だからと言ってやらないワケにはいかない。

目の前の困っている人、待っている人をどう助けるか、

1例でも子どもの悲劇を生み出さないために、

現場でやれる最大限のことをやる。

それが大人の務めだと、鎌田さんは強調する。

こういう人たちから僕らは何を学ぶのか。

 


例えば、白血病を患ったベラルーシの少年、アンドレイ君の話。

亡くなる前に 「パイナップルが食べたい」 と聞いて、

日本の看護師たちが雪の中、一軒一軒店をたずね

パイナップルを探して歩いた。

アンドレイ君は亡くなり、鎌田さんは 「助けれらなかった」 と悔やむのだが、

お母さんは、こう言ったそうだ。

「雪の中、息子のためにパイナップルを探してくれた日本人がいたことを、

 私は忘れません。 日本人に感謝しています。」

 

イラクには9年にわたって毎月300万円ぶんの薬を送り続けている。

劣化ウラン弾が原因と思われる白血病で亡くなった少女は

絵を描くのが好きだった。

その絵をバレンタイン・チョコの缶のフタに印刷して寄付を募っている。

その少女が亡くなる前に言ってくれた。

「私は死にます。 でも私は幸せでした。」

学校には行けなかったけれど、この絵によって日本の人たちとつながり、

仲間の子どもたちが救えるなら、私は幸せだと。

 

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たくさんの人たちが目頭を押えながら聴き入っている。 

絶望的な状況の中でも、希望は芽生える。

この希望の根源は何だ・・・・・ 僕にはこの言葉しか浮かんでこなかった。

愛、か。

 

もちろんこのひと言で済ましてよいとは思ってない。

冷静な分析も、しっかりと声を上げることも、行動も必要だ。

でも、人をつなげ、現場で最善を尽くさせる力は、本能のような 「愛」 なのだろう。

そして論理だけで決めつけず、現場の苦悩を知ること、

あるいは想像力をはたらかせることが大切だ。

現場の困難さや様々な事情、違いを理解し合い、

〇 を目指しながら今の △ をしっかりと刻む、

その原動力となるものを失わずに歩いていきたい。

これが僕なりに受け止めた、

鎌田さんからの  " 希望への答え "  だった。

 

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途中、加藤登紀子さんと一緒につくられたCD 『ふくしま・うた語り』 の曲が流れ、

鎌田さんの詩 「海よ、大地よ」 の朗読があった。

その一節に、大地を守る会初代会長・故藤本敏夫さんの名前が出てくる。

 

  1968年、日本を変えようとした一人の若者が怒っていた。

  「人間は、地球のすべての生きものたちに、土下座して謝るべきだ」

  この男は2011年の出来事をマチガイナクこの時、予感していた。

 

地球に土下座して、やり直そう。

僕がこのメッセージに出会ったのは80年代だけど、新鮮だった。

もう一度、怒りだけでなく、深い反省から出直す心が求められている。

" 分断 "  を越えて進むためにも。

 

チョー多忙な中、講演を引き受けていただいた鎌田さんに感謝して、

ここで新著の紹介を。

日比谷図書文化館は販売禁止のため貢献できなかったし。

 

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〇に近い△を生きる 「正論」や「正解」にだまされるな

(ポプラ新書、780円+税)

 

鎌田さんは書いている。

「〇 と × の間にある無数の △=「別解」 に、限りない自由や魅力を感じる。」

「自分の自由を守るのは、いつも希望だった。」

「地球の人間は、愛に一生懸命になるしかない。」

 

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約 1年半、13回にわたって行なった

「大地を守る会の 放射能連続講座」、これにて終了です。

改めて、安い講演料で快く受けていただいた講師の方々と、

毎回のように足を運んでくれた会員の皆様、

時に休み返上で手伝ってくれたスタッフに、

深く感謝申し上げます。

至らない点、不満に思われた点など多々あり、

要望もたくさん承りました。

今後に活かしていきたいと思います。

(ただし何でもできるわけではありません。 〇 に近い △ でお願いします。)

 

希望を失うことなく、前に! 歩み続けたいです。 

 



2013年10月16日

連続講座最終回-鎌田實さんが語る " 希望 "

 

台風26号来襲。

電車も止まり、交通網は大混乱の様子。

職場は就業時間になっても人はまばらで、土曜日のようだった。

(それでも物流は止まることなく走ってくれている。)

今日は、農水省で予定されていた

「第2回 日本食文化ナビ活用推進検討会」 も中止の連絡が入る。

 

甚大な被害を受けた地域の方々には、一人でも多くの方の無事と

一日も早い暮らしの復興を祈るしか今の僕には術がない。

一方、北海道・帯広では平年より22日早く積雪を記録したとの報道。

十勝や富良野あたりの生産者の顔が浮かぶ。

どこか狂った自然のリズムだ。

すべてが平衡に向かってのダイナミズムなんだけど。。。

 

暴風とともに凄まじい量の水が太平洋から運ばれてきて、

やられてもやられても、自然の力を受け止めて生きてきた民族。

こんな日、決まって浮かぶ言葉が哲学者・和辻哲郎の 「湿潤」 である。

 

  湿気は最も堪え難く、また最も防ぎ難いものである。

  にもかかわらず、湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。

  その理由の一つは、

  陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。

  洋上において堪え難いモンスーンは、

  実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。

  この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、

  旺盛なる植物によって覆われる。

  特に暑熱と湿気とを条件とする種々の草木が、この時期に生い、育ち、成熟する。

  大地は至るところ植物的なる 「生」 を現わし、

  従って動物的なる生をも繁栄させるのである。

  かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充満し横溢せる場所となる。

    (和辻哲郎著 『風土 -人間学的考察-』/岩波文庫より)

 

" 耐える "  とは、ただ我慢することではない。

我々は日々" 鍛え "  られているのだ。

そう思いたい。

 

さて、そろそろこの宿題をまとめなければならない。

10月4日(金)に開催した、

「大地を守る会の 放射能連続講座Ⅱ」 シリーズの最終回(第7回)。

お願いしたのは長野・諏訪中央病院名誉院長で、

日本チェルノブイリ連帯基金 理事長の 鎌田實 さん。

" がんばらない "  けど  " あきらめない "  の人。

 

タイトルは、

『鎌田實さんが語る、希望 ~子供たちの未来のために~』。

" 子供たちの未来のために "  は、

大地を守る会が設立された 38年前から掲げてきたスローガンだ。

あえてこの副題をつけて、鎌田さんにお願いした。

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 (会場は、日比谷図書文化館・コンベンションホール)

 


鎌田さんが語ってくれた話を要約してみる。

 

大地を守る会は、僕に希望を語れという。

しかし、未来への希望を語るためには、

いま様々な局面で起きている  " 分断 "  を乗り越えなければならない。

避難した人たちと残らざるを得なかった人たち、

数値を冷静に読み取り判断しようとする人と 「ゼロでないとダメ」 という人、

帰りたいと願う人と新天地で生きようとする人・・・・・

みんな被害者なのに、いたる所で対立と分断が生まれている。

これを乗り越える道筋を見つけ出さないと、希望は語れない。

被害者は連帯が必要。

スクラムを組んで、政府や東電に要求を続けることが大事である。

 

そのためには、わずかな違いで人を非難したり否定したりしないで、

それぞれの考え方を理解し、接点を見つけ出す努力をしなければならない。

〇か × かではなく、〇に近い△を見つけ出す作業、

それが民主主義の姿だと思う。

 

いま福島の子どもたちのために必要なことは、

健康診断のスピーディな実施、それも継続的にやり続けること。

次に  " 放射能の見える化 " 、そのための徹底した測定と情報公開。

そして保養、できれば一年に1ヶ月程度の期間で。

(代謝の早い子どもは、それだけで劇的に減る。)

低線量内部被ばくの影響についてはまだ分からないことが多い。

だからこそ、徹底した検査でデータを積み上げていくことが必要なのに、

国はまったくやろうとしない。

忘れられていくことを待っているかのようだ。

将来、差別的な  " 分断 "  が起きないためにも、

今やれることをしっかりやっていくことが重要なことだ。

 

最大限やれることをやる、

それが27年間に渡ってチェルノブイリを支援してきた経験で掴んだことだった。

何もやらずに 「大丈夫だ」 と言ったり、

わずかな妥協も許せないと批判し続ける態度は、

現場感覚に合わない。

「(事故が)起きてしまった中で、どうやって子どもの命を守るのか」

という目の前の現実に対しては、

たくさんの考え方があるなかで、〇にできるだけ近い△を探すしかない。

 

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長年地域医療に取り組んできて、長野県は日本一の長寿県になった。

粘り強く生活習慣を変えていく努力をしたが、

例えば減塩の味噌汁を徹底させるより効果的だったのが、

野菜をふんだんに使った具沢山の味噌汁だった。 野菜の力は大きい。

 

しかしもっと興味深いのは、ハーバード大学の研究グループが

日本の長寿の要因を調査して導き出した見解である。

それは 「社会的格差が少ない。 そして人と人の絆・つながりがある」

というものだった。

なぜ長野県が長寿で、医療費が少ないのか。

鎌田の考えは、高齢者の就業率が日本一だということだ。

高齢者が生きがいを持って仕事 (その多くは小さな農業) をし、

助け合って生きている。

お金はたくさんなくても幸せ、これが長寿の秘訣だった。

しかし小さな農も、国民皆保険という素晴らしい医療制度も、

TPPによって崩されようとしている、たいした議論もないまま・・・。

みんなもっと声を上げないといけない。

 

動脈硬化やガン化を起こすフリーラジカルの中に、

活性酸素、農薬、放射線などがあるが、

フリーラジカルを暴れさせないために、抗酸化力のある色素が大切。

野菜を摂ることは、実は放射線防護にも大変有効である。

加えて醗酵食品が挙げられる。

食によって免疫システムを強化することを忘れないようにしたい。

そして自分なりの数値基準を持つことだ。

その判断力を得るためにも、

データを取り続けること、そして見える化が必要なのである。。。

 

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この連続講座も昨年の 6月に始めてから延べ 13回、

12人の専門家と 4人の生産者を招いて

放射能とどう向き合うかを模索してきたけど、

ほぼ鎌田さんの話に集約されたような気がする。

 

しかし、希望を語るためには乗り越えなければならないことがある、

と鎌田さんは強調される。

僕らにはまだ、希望は語れないのか。

どうすれば乗り越えられるのか・・・

いや、答えは、鎌田さんがスライドを映しながら語ったエピソードの中に

見事に示されてあるように思えた。

それは、みんなの中にあるものだ。 

この答え、間違ってないと思う。

長くなったので、次回に。

 



2013年10月12日

干ばつの長崎へ

 

まったく時は矢のように過ぎていく。

もはや焦りを通り越して、開き直りの心境。

9月の出張レポートを飛ばすことなく、書いて終わらせよう。 

 

9月26-27日。

山口新取締役をお連れして、長崎県南島原市口之津町に入る。

リアス式海岸、石で積んだ棚田と段々畑、

温泉と雲仙普賢岳、そして天草の半島。

口之津町はその南端に位置する。

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訪ねたのは、長崎有機農業研究会の事業部門を担う (株)長有研

今年で設立30年を迎えた。

大地を守る会は、その歴史丸ごとお付き合いさせていただいたことになる。

 

長有研のセンターは、山の上にある。

来る度に、もっと便のいいところに建てればいいのに、と思うのだが、

そこは設立時の台所事情あってのことだろうから、仕方がない。

この土地を提供したのは、

設立時からのリーダーの一人・松藤行雄さん。

建てた倉庫一つにも、人々の思いや覚悟の軌跡が

染みついている。

 

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今回の目的は、

ローソンという全国に店舗網を持つ組織と事業提携するに至った経過や

今後の展開の方向について説明し、理解していただくこと。

その上で、これまでにない多様な販売チャンネルを前にして、

どう生産者にとってメリットのある形を創り上げるか、を話し合うこと。

こんなことができる、そのための条件は、できないことはできない、

そういったことを本音で語り合うことで、進む道を見定めていきたい。

なんたってこの道は枝分かれが多そうで、

もし罠にハマったとすれば、それは誰のせいでもない、

我々の意思と判断によるワケだからね。

 


 

代表の長尾泰博さんや事務局との話し合いを終え、

間もなく収穫が始まろうとしているミカン畑を視察して、 

山口取締役は忙しなく次の目的地へと向かい、

僕はもう少し他の畑を回っておいとました。

 

今回見させていただいたのは、馬場一さんのみかん園。

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熊本の 「ひごあけぼの」 という系統の枝を友人から分けてもらって、

自分で育てたオリジナルの品種。 「花子」 と名づけられている。

糖度は高く乗るが酸が抜けにくいと言う。

そこで酸抜けを促進させるために、馬場さんは白マルチを張って

適度に土の保湿を維持させている。

普通は乾燥させることで糖度が上がるのだが (水分が多いと薄味になる)、

「花子」 では糖度を多少抑えても(それでも充分にある)、

適当に保水してやるのだと。

過湿と乾燥を繰り返さないために、

一本一本マルチを剥がしては水をやって元に戻す作業を繰り返す。

これは相当手間のかかる仕事だ。

そのぶん愛着も涌き、馬場さん自慢の 「花子」 となる。 

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下まで降りてきて、トマトの中村さんを訪ねる。

8月の後継者会議にも参加してくれた中村智幸さんが出迎えてくれた。

就農して10年、28歳、すでにトマト部会長である。

 

もうすぐ第一子誕生とか。

嬉しそうだ。

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中村さんが育てるトマトの品種は 「ごほうび」。

果肉のしまりがよく糖度と酸度のバランスが取れた品種。 

12月頭には収穫が始まる。

" としちゃんのトマト "  と別枠での販売実績もある親父(敏信さん) は

けっこう高い壁かもしれないけど、やってくれそうな感じだね。

頑張ってください、パパ (・・は早いか)。

 

それにしても 9月の長崎はまだ暑く、干ばつ状態である。

乾き切った土に、ブロッコリーの苗もきつそうだ。

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キャベツの苗に水をやっているが、

やる傍から乾いていってる。

 

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山中の畑や田んぼだけでなく、

こういう開けた場所にも電気柵が張られている。 

イノシシは今や平場にも出没するのだそうだ。

 

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電気柵を漏電から防ぐには、周辺の雑草管理が欠かせない。

畑や田んぼでの作業の他に、

せっせと畦や道路脇の草刈をしなければならない。

この作業がけっこう大変なのだ。

周りの農家は普通に除草剤をかけている。

高齢化していく農家に 「撒くな」 とはなかなか言い難いとですよ、

という本音が長尾会長の口から漏れる。

つらいね。。。

 

研修生を育てるためにつくった農場 「ぎっどろファーム」、

松尾さんのアスパラ畑などを回って、長崎をあとにする。

 

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なお、ずっと同行してくれた新人スタッフが一人。

前川隆文さん、先月まで大地を守る会の社員だった男。

郷里の長崎に戻り、長有研さんが拾ってくれた。

彼が長有研での日々をブログに書いている。

この日のこと も早々に上げてくれているので、

覗いてくれると嬉しいです。

 

最後におまけを。

長有研に向かう前に立ち寄った佐世保の食品加工会社

「アリアケジャパン」 さんが、

前日に送ってあった大地を守る会の野菜を使ってスープを

作ってくれていた。

といっても手の込んだものでなく、

4種類 (玉ねぎ・人参・キャベツ・南瓜) の野菜を水で煮ただけのもの。

6月の放射能連続講座でお呼びした麻布医院・高橋弘院長が薦める

「ファイトケミカル・スープ」 だ。

 

左が大地を守る会の野菜、右が市販の野菜で煮てみたもの。

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左のほうが若干色が濃い。

味も濃いですね、との評価を得た。

工場の研究スタッフの方が、検査結果を知らせてくれた。

ブリックス(Brix:一般的に糖度と理解されるが、ここでは水溶性固形分濃度)

で2度高い、と。 濃密なのだ。

大地を守る会の野菜には、力がある。

食品加工会社の方からも高い評価を頂いたことを

報告しておきたい。

 



2013年10月 8日

街から山へ、山から街へ、風が吹いている

 

「 市に合併して、喜多方市熱塩加納町 となったけど、

 いつまでも美しい 「村」 であり続けたい」

 

" 小林芳正節(ぶし)、健在 "  をたしかめて、

我々 「地域の力フォーラム」 一行は市内に戻り、

様々な仕掛けを演出する 「NPO法人 まちづくり喜多方」 を訪ねる。

お話を伺ったのは代表理事の蛭川靖弘さん。

 

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10年前に人口5万人以下の町で初めて、

コミュニティ放送局 「喜多方シティFM 株式会社」 を設立し、

軌道に乗せた実績を持つ(現在は非常勤の取締役)。 

8年前に 「NPO法人まちづくり喜多方」 の設立に参画し、

3年前より代表理事に就任した。

理事には大和川酒造代表・佐藤弥右衛門氏も名を連ねる。

しかも蛭川さんは、弥右衛門さんたちが立ち上げた

「一般社団法人 会津自然エネルギー機構」 の社員でもある。

 


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現在その NPO で準備を進めているのが、太陽光発電の建設。

名前は 「うつくしま太陽光発電所」 という。

「積雪地における融雪システム付き太陽光発電事業の実証」

のためのモデル事業として福島県からも助成を受け、建設に入った。

積雪地域で普及が進まない住宅用のパネルに、

融雪システムを導入することで普及を加速させよう、という狙いである。

建設地は、以前にも紹介 したことのある雄国山麓。

破綻した国のパイロット事業の跡地に、

4年後までに 2 メガ級の発電量を達成する構想。

12月にはいよいよ売電を開始する。

しかも発電で得た収益で、森林も含めた除染事業を推進するのだという。

 

反原発を唱えるだけでなく、自らの手で

福島県を自然エネルギーの先進地に転換させる。

地域住民主導で、なおかつ自力財源による

「地域循環型除染システム」 も創り上げる。

構想は大きく、未来に広がっている。

 

蛭川さんの活動は多岐にわたる。

喜多方の町並み保存や蔵の活用、文化の発信などを託された

「喜多方まちづくりセンター」 の運営、

さらには漆職人の担い手を育てるための仕掛けまでやってる。

蛭川さんの周りには相当な数の人たちが動き、風を吹かせているようだ。

こういう街は面白い。

 

さて、市内から今度は西北に上る。

V 字を逆に書くような移動となって、飯豊山麓・山都町に入る。

今回聞き取らせていただくのは、浅見彰宏さんではなく、

浅見さんの先輩入植者、大友治さんだ。

「元木・早稲谷 堰と里山を守る会」 の事務局長である。

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大友さんがこの山間地・山都に移住したのは1995年。

全共闘世代で、御多分に洩れず学生運動にも参加し、

「左翼の仕事もやりました」 とサラっと言う (仕事の内容は不明)。

その後、半導体関係の仕事を得るが、

宮沢賢治が好きで、農業をやりたいという思いを捨てきれず、

写真と山が好きで、新潟の棚田地帯に憧れたりもして、

あちこちと移転先を求めて回ったが、独身者は相手にしてくれなかった。

あの頃はオウム事件なんかもあったし。。。

 

そんな悶々としていた時に、小川光さん(チャルジョウ農場) の名前を聞き

電話をしたところ、「熱意さえあればいいです」 と

いとも簡単に受け入れてくれた。

小川さんは村の空き家情報にも精通していて、移住はすぐに出来たのだが、

しかし畑は半年見つからなかった。

 

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ようやく区長の紹介で、荒れた畑を 1反(≒10a) 1万円で借りることができた。

でもその年に大水害が発生してダメになり、

翌年は雹(ヒョウ) が降って、きゅうりの出荷が始まった3日目で全滅した。

しかしそこでやめなかったことで、ようやく本気だと思ってくれた。

再び挑戦して、きゅうり作りを通して村の人との信頼関係を築けたと思う。

それからは田んぼも 「借りてくれ」 と言われるようになった。

現在耕作している面積は 3反 3畝(せ)。

他に 1反 6畝を他の人と共同でやっている。

 

獲れた初モノは、必ず集落の人に配って回りました。

回ることで会話も生まれます。

とにかく日常の行動が大事で、公民館活動も積極的に引き受けました。

さなぶり祭りの復活や、笹団子づくりをみんなでやったり。。。

家を回ってはお茶飲みながら昔の暮らしなどを聞いたりして、

各家庭にあった古い写真を600枚お借りして写真展を開いた時には、

村の人たちの忘れかけていた記憶が呼び戻されたみたいで、

たいそう喜ばれました。

 

年寄りの頭の中と手だけにしか残ってない文化がある。

お漬け物の味が一軒々々違うんです。

そこでコンテストもやりましたね。

みんな自分ちのを一番につけるんで、コンテストにはなりませんでしたが、ハハ。

 

堰管理の役員を頼まれた年に、浅見くんからボランティアの話が持ち上がって、

都会から人が来ることに対する抵抗感は強いものがあったけれど、

だんだんと信頼されるようになりましたね。

信頼されると、今度は何から何まで (役職が) 回ってくるんですよ。

今では総会の議長まで任されるようになって。

え~と、こんな話、ダラダラとしてよかったんでしたっけ・・・

 

新規就農心得のようなお話だったが、

これはこれでとても参考になる。 みんな聞き入っていた。

地域で受け継がれてきた文化の豊かさは、地元の人には分からなかったりする。

余所者の再発見によって気づきが生まれることがあるのだ。

大友さんや浅見さんやその後の就農者たち、そして先達の小川さん。

警戒され、怪しまれながら、やがて待たれる存在になって、

今や彼らはミツバチのような媒介者だ。

彼らが飛びまわることで、花が咲き、実が成り、命が継承される。

 

そんなワケで、大友さんの田んぼは、

不便な山の中にある。

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棚田を耕すことは、麓の暮らしを守ることにつながっている。

水が涵養され、大地が削られることなく維持され、糧(かて) が届けられる。

この景観が懐かしく人を安心させるのは、

たゆまぬ人の営みがあるからだ。

 

このお米を、僕らは高い・安いと議論する。

しかし、大友さんがここで汗を流すことで守られているものがあることは、

顧みられない。

値段に含まれていない外部経済の価値を、

僕らはもっと伝えなければならない。

大友さんは、エライ!

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田んぼをバックに記念撮影。

大友さん(前列右から二人目) は故郷の恩師みたいだ。

 

視察の最後に、浅見さんが堰を案内してくれる。

 

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お彼岸だというのに日本の街はひどく暑いままだけど、

ここにはさやかな風が吹いている。

新しい時代に向かって、地域パワーを蘇らせる若者たちが、

風に吹かれて一人また一人とやってくる。

 

浅見さんは本当に好きなんだと思う、此処が。 

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民俗学者・柳田國男の言葉が、また蘇る。

 - 美しい村などはじめからあったわけではない。

   美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなったのである。 (『都市と農村』)

 



2013年10月 6日

『地域の力フォーラム』 in 喜多方

 

10月4日(金)、「放射能連続講座Ⅱ」 シリーズを終了させた。

最終回の講師は、鎌田實さん

(諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金理事長)。

『鎌田實さんが語る希望 -子供たちの未来のために-』。

このテーマに、さすが鎌田さん。 しんがりを感動的に締めてくれた。

 

「 大地を守る会から、未来への希望を語れという注文。

 でも希望を語るには、私たちも変わらなければならない」 

 

鎌田さんが語った  " 希望 "  とは何だったのか・・・

この講座をまとめるには、暫くの時間を頂きたい。

その前に、9月の出張報告を終わらせなければ。

 

奈良から帰ってきて、21日は溜まった仕事をやっつけて、

9月22日(日)~23日(月)、 

6月に結成した 「地域の力フォーラム」 のセミナーと現地視察会が

福島・会津で行なわれたので参加する。

皆さん連休返上で集まる。

 

まずは磐梯熱海温泉の旅館 「一鳳館」 に集合し、勉強会。

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皮切りの問題提起者は、

茨城大学農学部の名誉教授となられた中島紀一さん。

農の再生と地域づくりの視点をどう再構築するか、

二本松市東和地区での震災 (原発事故) 後の軌跡を見つめ直しながら、

今の  " 復興 "  の進み方に対する相当ないら立ちも含め、 

中島さんの思いが語られた。 

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中島さんが学ぼうとしているのは、

土地に根ざした自給的小農と、それを基礎とした地域社会づくりの精神が

巌に存在すること。

しかもそこ (東和) は、原発災害を受けた後でさえ、その伝統を守り通そうとする

高齢者たちがいて、暮らしが維持されていること。

 現地の状況に合った適切なプログラムが作られ、

資金運営も自らの手で行なう  " 住民主体 "  がしっかりと形成されていること。

 

現在、各地で  " 復興 "  の名のもとに様々なプロジェクトが進んでいるが、

復興論のほとんどが、零細小農の否定であり、世代交代論であり、

企業型農業への期待であり、住民意思が反映されない開発投資である。

「地域」 という暮らしの土台を忘れることなく、今も活き活きと農を営み続けている

高齢者たちから学ばない  " 若者就農礼讃 "  には、意味がない!

と中島さんは言い放った。

 

目下論争の的となっている TPP 参加の是非においても、

反対派の急先鋒である JA ですら、掲げる政策は

政府の 「攻めの農業」 とほぼ同じである。

農産物輸出の推進、担い手への農地集積、6次産業化の推進、新規就農の促進・・・

そこには自然共生型の地域社会づくりという戦略は描かれてはいない。

高齢者が元気に営み続けられる  " 農 " 、

地域を支え文化を育む農の道を、中島さんは模索し続けている。

 

続いての問題提起者は、

福島県有機農業ネットワーク理事の長谷川浩さん。

農業研究センター勤務という国家公務員の職を辞し、

喜多方市山都という山間地に移って、有機農業の実践者となった。

彼が此の頃とみに主張を強めているのが、

「市民皆農」(みんなで耕そう)、「自産自消」 である。

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ピークオイルや気候変動など、迫りくる大変動時代に備え、

私たちの進むべき道は、食べものとエネルギーの自給である。

大都会を捨て、地方で耕し、エネルギーも自給し、

地域自給圏を創造しよう!

「するしかないでしょう~ ねえっ!!!!!」

 

彼もまた、3.11によって生き方を変えた一人である。 

呼応するかどうかは己れの人生設計も鑑みながら考えるとして、

みんなして暮らし方を見直し、変えるべきものがあるだろう、

という主張は受け止めなければならない。

 

二日目は喜多方市での、3名の実践者を訪ねる。

一人目は、旧熱塩加納村でJAの営農指導を務め上げた小林芳正さん。

この人も「美しい村」 づくりに賭けた人である。

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この村に初めて訪れたのは20年前のことだった。

「戎谷くん。 あっちの山の麓からこっちの山の麓まで、

 この里の田んぼで農薬をふる(散布する) 光景が消えたんだ」

小林さんはそう語って、僕の目を見据えた。

今でも覚えている。

 

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大地を守る会のオリジナル純米酒「種蒔人」(当時の名は「夢醸(むじょう)」)

の開発を後押ししてくれた大恩人。

一時期大病を患って心配していたのだが、今は元気に米も作っている。 

 

小林さんから聞きとる、30有余年にわたるたたかいの歴史。

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農協マンが 「農薬の空中散布を止めよう」 と訴えた時から、

彼の地域との格闘が始まった。 1979年のことである。

有機農業に取り組み、「さゆり米」 というブランドに仕立て上げ、 

" 自分たちの食をこそ豊かにしよう "  と自給運動を展開した。

 若手老人(!) たちを集めて勉強会を開き、

広報誌づくりは夜、自宅に持ち帰って一人で続けた。

県に何度も談判に行って、村の小学校の給食に 「さゆり米」 の導入を認めさせた。

「まごころ野菜の会」 を結成して、今でも120人の農家が

子どもたちのために給食用の野菜を作ってくれている。

地域社会は 「農」 と不可分の関係にあることを、

小林さんは示したのだった。

 

しかし合併後は、小林さんには納得の行かないことが続いているようだ。

「こんなはずじゃなかった。」

「まだまだ、やらなきゃいけないことがある。」

もうひと頑張りしなくては・・・ と笑って立ち上がる小林さん。

改めて頂戴した今の名刺には

「共生塾々長 百姓 小林芳正」 とあった。

枯れてないぞ。

手を握りしめ、深く頭を下げて、「どうかお元気で」 が精いっぱい。

 

小林さんの哲学は地域への愛情とともにあった。

いや、地域の力が彼の哲学を育んだのかもしれない。

彼が歩んだ村づくりの歴史は、書き残しておかなければならない。

カリスマ・小林芳正を陰で支えたたくさんの登場人物とともに。

 

ああ・・・ 感慨に浸って、本日ここまで。

 



2013年10月 2日

吉野を駆けながら、有機農業の受け皿づくりを考える

 

原発を推進してきた国家の宰相も務めた方が、

至極まっとうな発言をしている。

いや別に褒めるほどの内容ではない。

多くの国民が感じ取っていることだ。

「 原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに

 原発を進める方がよほど無責任だ」

  (小泉純一郎氏の講演での発言。10月2日付 「朝日新聞」 朝刊より)

 

どうもフィンランドの 「オンカロ」(※) を視察して

原発はダメだと感じ取ったらしい。

「原発に未来は託せない」 と言い続けてきた人たちにとっては、

何を今さら、どのツラ下げて・・・ とムカつくところだろう。

政治的思惑を感じ取って警戒する人もいる。

ワタクシとしても、本音は精一杯皮肉ってみたいところだが、

ここは過去の責任や変節を批判するよりも、勇気ある転換だと

あえて拍手を送っておきたいと思うのである。

時代はこのように動いていくものだし。

もちろん信用するかどうかは、今後の動き次第として。

 (※ 「オンカロ」・・・フィンランドのオルキルオト島に建設されている

  放射性廃棄物の地層処分場の通称名。 " 隠された場所 "  という意味。

  固い岩盤を Z状に約 5km掘り、地下 500m の場所で永久保管される。

  設計された耐久年数は10万年。

  10万年後の安全は、そもそも人類は・・・誰も分からない。

  2020年、操業開始予定。)

  

さて、、、10月に入っちゃいましたね。

あっという間に上半期が終わり、事業年度の後半戦突入。

ここでまたも社内では部署再編が行なわれ、

私エビスダニは、農産物・畜産物・水産物の仕入部門として

生まれ変わった 「生産部」 の部長を命ぜられました。

2年ぶりの仕入部署への復帰です。

しかも今度は畜産も水産も含めての任務となって、

責任の重大さを噛みしめているところ。

加えて、5月からローソンさんへの営業を託された 「特販課」 は、

「特販チーム」 として生産部内に留め置かれた次第。

つまり引き続きやれ、ってことのよう。

「放射能対策特命担当」 も兼任で続きます。

6月から拝命した (株)フルーツバスケット(子会社の農産加工部門)

の取締役としてのプレッシャーも静かに満ち潮気味で・・・

どうなっちゃうんでしょうね。

やれるだけのことをやって、行けるところまで行って、

何が見え、つかめるのか、やってみなきゃ分からない、という心境。

 

それやこれやで追い詰められたような状況にありながらも、

9月下旬には 2つの産地と 1つの  " 地域 "  を回らせてもらった。

そんなに出かけていいのかと自問自答しながら、

しかしどれもたんなる視察とかではない。

次の展開、構想づくりに向けての模索である。

2つの産地に同行されたのは、

ローソンさんから常勤で派遣された山口英樹取締役。

ご本人たっての希望でもある。

 

以下、順番にご報告。

(遅れ遅れなのはお許しを。) 

 

9月19~20日、奈良県は五條市に本拠を置く

「農業生産法人 王隠堂農園」 を訪問。

この時期となれば、大地を守る会の柿では  " 顔 "  になっていただいている

仁司与士久さんから訪ねるのが順番である。

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会うなり、

「戎谷さんはこの畑、10年ぶりくらいでしょう」 とやられた。

まったくその通りだ。

見に来たつもりが、見られている。

 

仁司さんには、その10年くらいの間、

農薬をどこまで減らすか、で散々苦労をかけた。

厄介だったのはタンソ病だ。

収量をかなり落とした年もあった。

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「果樹の減農薬栽培」 とひと言で言うが、その幅は広い。

特に大地を守る会の場合、自主基準のなかに  " 使ってはいけない農薬 "  がある。

農薬の使用回数を減らすだけなら手はある。

しかし 「その農薬は駄目」 あるいは 「できるだけ控えて」 という縛りがあって、

そこがけっこう厳しい、とよく農家に言われたりする。

「強い(=よく効く) 農薬を使って回数を減らした " 減農薬栽培 " 」

という傾向に陥ることなく、その上を目指したい。

口で言うのは簡単だが、現場は大変である。

過去の担当者が何度も仁司さんとやり取りしていたのを、覚えている。

 

今はだいぶ落ち着いてきた感じだが、

全ての課題がクリアできたわけではない。

でも、仁司さんが最大限頑張って育てた柿こそが、僕らが売る柿なのだ。

去年も、今年も、来年も、胸を張ってね。

 

今回、仁司さんから教わったのは、

環状剥皮(はくひ) という技術。

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枝の一部の樹皮をキレイに剥ぎとることで、

葉から作られた養分が根に送られないようにする。

 (枝葉からつくられた養分は樹皮を通って根に送られる。

  根からの養分は中心部を通って送られる。)

そのことで、葉からの養分が実に移行し大きくなる。

もちろん全ての枝でやるわけではなく、部分的に剥ぐことによって

樹勢を整える(樹勢が強すぎると実が落下する) という効果もある。 

順番に熟させることにもなるようだ。

 

二日間案内してくれた和田宗隆専務と。

和田さんは王隠堂農園の関連会社、(株)パンドラファームの代表も務めている。

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台風による落下もあったが、被害はそれほどでもなかった様子。

「かなり色づきも早い。予定通り(9月最終週) 出せまっせ」

と太鼓判を押す。

王隠堂農園からは、この刀根柿から始まり、

平核無柿(ひらたねなしがき、10月下旬)、富有柿(11月~) と続く。

順調に進みますように。

 

イノシシに齧られた痕。

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獣害対策は、どこの山間地も頭が痛い。

加えて奈良は、鹿が増えすぎて困っている。

 

もう一軒、柿の生産者(大植稔さん)を回り、

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(でっかい法蓮坊柿が自慢)

 

里芋やミブナをお願いしている高橋いさおさんを訪ね、 

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(当地の里芋は、今年は不作のよう) 

 

僕が密かに注目している

ヤマトトウキの栽培地を見せていただく。

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生薬の原料である。

ここ奈良・吉野はかつて生薬の一大産地だった。

それが中国産原料に席巻され、ほとんど消えてしまった。

今や漢方薬の原料は中国に押えられ、

レアアース並みの戦略商品となっている。

僕らは知らない間に、胃袋から健康まで、他国に依存してしまった。

その結果の一つの姿が、荒れる山間地である。

栽培技術が残っている(栽培経験者が生きている) 間に、復活させたい。

中山間地の耕作を維持し、高齢者も活き活きと働き、

農業が健全に持続させることによって、私たちの健康も支えられる。

獣たちとも共存したい。

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和田さんと、何とか形にしたい、と話してきた

突破口としてのヤマトトウキ。

大手製薬会社に安く買い取られるのでなく、自分たちの力とネットワークで。

この宿題は、なんとしてもやり遂げたいと思う。

 

王隠堂さんの、貴重な文化遺産ともいえるご実家を改装して

開かれた里山レストラン 「農悠舎 王隠堂」 で昼食をとらせていただく。

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鎌倉時代が終わり、室町時代に移る間の南北朝時代(14世紀中期~後期)、

吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまったことで授かった名前が

「王隠堂(おういんどう)」。

以来600数十年、この名を守ってきた。

その名が想像させる通り、この家は山の奥にある。

とても不便なところである。

当主である王隠堂誠海(まさみ) さん曰く。

「下の小学校に通うだけでも、大変なトレーニングだったわ。

 真っ暗になるときもあるさけな。 山道に柱時計を立てとったくらいや。」

 

「名前も家も残すゆうことは、大変なことですわ。」

悩んだ末に、誠海さんは改装して農家レストランに設えた。

野菜ばっかしの料理だが、これがかなり美味しい。

客も絶えないのだとか。

レストランを任されている女性陣(最高齢は80歳だとか)

も活き活き働いている。

 

誠海さんはじめ王隠堂農園のスタッフたちと、

弊社・山口取締役も交え、有機農業の近未来像を語り合う。

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農家の作る野菜をくまなく利用できる体制を築きたい。

みんなで共同して、いい産地づくりをしたい。

熱く語る王隠堂誠海であった。

 

最後に、

和歌山に建設した農産加工場、(株)オルトを視察する。

オルトは現在、息子の正悟哉(まさや) さんが切り盛りしている。

ここでもいろんな可能性について意見交換する。

二日間、駆け足で、

京都-奈良・吉野-紀州-大阪と回って岐路につく。

明日は土曜日、世間は 3連休。

ああ、熊野あたりを散策して帰りたい・・・・

しかし許してくれない。

次は福島が待っている。

 



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