戎谷徹也: 2014年3月アーカイブ

2014年3月30日

" 私だけの酒 " ではなく、種を蒔き続ける人々に

 

今日は久しぶりに自宅でくつろいでいる。

で、楽しみにしていた作業に取りかかる。

結局ほとんど参加できなかった 「大地を守るお酒造り体験」 で

仕上がった酒が届いていて、

それにマイ・ラベルを貼るという、ワクワクするような作業。

世界に、ただここにしかない、私だけの酒が出来上がる。

 

3月21日、この企画に参加した人たちによって

銘々に用意したラベルが貼られて、

「完成!」 の報告が写真つきで送られてきていた。

 

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いいねえ、壮観だ。 それぞれに考え、工夫された跡が見える。

「 エビちゃんには裏ラベルだけ貼ったのを送っといたからね~

 じゃ、これからみんなと打ち上げ~す ♪♪ 」

のメールがムカつく。

 

クソ~~ッ。 見てろ! てなもんで。

ワタクシとしても悩んだ末に、

欲張って 3種類のラベルを貼らせていただいた。

どうでしょうか。

 

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2月はなかなかブログに手が回らず、

2月 8日に行なわれた大和川酒造交流会の報告もできずじまいだった。

実はこの日と翌 9日が 「大地を守る酒造り体験」 の開始日でもあって、

洗米-浸漬-蒸し-仕込みまでやった。

2日目だけは立ち会えたので、写真だけでもアップしておきたい。

 

洗って、水に漬けて、水を切って、

蒸し器に投入。

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蒸し上がると冷風で温度を下げ、仕込みに入る。

今回は正攻法の三段仕込で。

初添えの 「櫂入れ」 作業。

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櫂棒(かいぼう) を入れ、

もろ味を混ぜると同時に下のガスを抜く。

 

温度を見ているのは、蔵人・浅見彰宏氏。 

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次の作業体験は 1 カ月後。

搾れる状態となったもろ味を布袋に入れ、

樽の上から吊るす作業となる。

引力の法則に従ってタラリ、タラ~リとお酒が滴り落ちてきて、

チョー贅沢な 「袋しぼり酒」(雫酒:「しずくしゅ」 とも言う) の原酒誕生!となる

原料はもちろん、「種蒔人」 と同じ稲田稲作研究会作 「美山錦」 である。

 

この小さなタンクで造られた清酒を買い取れる数さえ集まれば、実現する。

設定された条件は、1口= 4合瓶で12本、2万 3千円

(にごり酒 2本と酒粕のおまけ付き)。

これが 25 口集まれば催行という条件で、なんとか 25 口ギリギリ集まった。

そして 3月 21日、オリジナルのラベルを携えて集合! という流れ。

 

酒好きのお遊びと思われるだろうが

(まあ、そういう部分もないワケではないが・・・)、

「並行複醗酵」 という世界に冠たる醸造技術と発酵の世界を体で感じ、

米文化の奥深さに感動できる貴重な機会である。

しかも、来年もやれる保証は、まったくない。

ここだけの・・・だけでなく、人生で一回きりの・・・になる可能性もある。

じっくりと味わっていただきたい。

 

2月の大和川酒造交流会のひとコマ。 

醸造蔵(「飯豊蔵」)の屋根には、太陽光パネルが張られている

(雪が覆っている部分)。

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夜の交流会の様子も。

原料米生産者も一緒に、酒のこと、米のこと、会津料理のこと、

そして未来への夢やホラも含めて、語り合う。

 

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盛り上げ役はもちろん、

搾ったばかりの 「種蒔人」(たねまきびと)。

今年もイイ酒に仕上がって-

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誰が名づけたか、「この世の天国ツアー」。

シアワセなひと時を思い出しながら、

我がラベルを眺め、

ふと東北の地図を広げてみたりして。。。

 

これは私だけの酒ではない。

では、復興を願いつつ、一献!

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写真は、仕込み水の源・飯豊山(いいでさん) 頂上で撮った

記念のショット。

 

友よ。

種を蒔く人々よ。 

希望を失うことなく、生きて、 蒔き続け、花を咲かせよう。

・・・ 1 本 1本に感謝を込めて、ラベルを貼った 1日。

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2014年3月26日

『日本食文化ナビ』 の完成


前回、堰さらいボランティアを呼び掛けさせていただきましたが、

長い日記の最後につけたため少々不安あり、

改めてご案内させていただきます。


里山の自然を満喫しながら、思いっ切り汗を流してみませんか。

新規就農者と語り合ったり、地元の人たちとの交流も楽しいものです。

申し込みの基本は、直接浅見さんの ブログ からお願いします。

注意事項はしっかり読んでね。

東京方面から参加してみたいという方は、

大地を守る会・戎谷 にご連絡いただいても結構です。

席が空いていれば、車に同乗も可能です (お約束はできませんが)。

行程は以下の通り。

 5月3日 : 早朝都心発 -大和川酒造店立ち寄り(酒調達) -現地で前夜祭・公民館泊

 5月4日 : 早朝から堰さらい作業 -温泉 -夕方から交流会・公民館泊

 5月5日 : 山都散策(チャルジョウ農場訪問) -帰京

  ※ ただし、ゴールデンウィークの渋滞を覚悟してください。

お問い合わせは、戎谷まで。

 ⇒ ebisudani_tetsuya@daichi.or.jp 


続いて本題に。

昨日、農林水産省から、待っていた制作物が届いた。


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送っていただいたのは、農水省大臣官房政策課・食ビジョン推進室から。

地域に受け継がれてきた食文化を活用して地域を活性化したい。

その水先案内になるようなマニュアルを作成しようという委員会が昨年発足し、

約半年かけて 『地域食文化ナビ』 という制作物が完成した。

しかしホントに使えるものにするには幾つかの改良が必要だということになって、

改めて 委員会が招集された のが昨年の 8月。

いったん役目を終えた委員会を再度招集する意気込みが

霞ヶ関にあったというのは、ちょっとした驚きだったけど、

竹村真一座長の呼びかけに喜んで参加させていただいたのだった。


そしてバージョンアップして完成した 

『 日本食文化ナビ -食で地域を元気にする本 』

今回は、本体とダイジェスト版という構成でなく、

各地の事例や考えるヒント等を盛り込んだ 「BOOK」 という解説本と、

自身でチェックし書き込んでいける 「NOTE」 の 2本立てとなった。


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「NOTE」 は A5 版サイズの薄い手帳なので、

カバンに潜ませて持ち歩いてくれれば、との狙いである。


ケーススタディとして、以下の事例がレポートされている。

福井県小浜市、岩手県一関市、岩手県久慈市(旧山形村)、宮崎県西米良村、

石川県、山形県おきたま地域、栃木県、長野県長野市、新潟県湯沢町ほか、

三重県鳥羽市、高知県馬路村、島根県邑南町、熊本県玉名市ほか、

大分県日田市、沖縄県やんばる地域。

海外では、フランス・イタリア・韓国・オーストリアの事例が盛り込まれた。


地域食文化の特徴や魅力への気づき、「食」の循環を見渡してみる、

地域食文化を創造的にデザインしてみる、「食」をキーワードにどう価値を創造するか、

マーケットへの発信、地域全体で育み次世代に伝える、

といった視点でヒントになる素材が提供できたなら嬉しい。


僕なりに考えたいくつかの改善点も反映され、まずまずの出来ではないかと

思っている次第。

しかし大事なことは、我々の自己満足ではなく、

各地で地域おこしや宝物探しに悩んでいる人たちの役に立てるかどうか、である。

全国地方自治体の然るべき部署には送られたことと思う。

あとはさらに進化させてもらえることを願っている。


「BOOK」 の最後に、委員による 座談会 が収録された。

まあ僕はつまらないことしか喋ってないけど、

最初に細川モモさんが、現在の日本の食をめぐる問題点について、

かなり的確な論点整理をやってくれているので、

ここはぜひご一読願いたいところである。


大震災から、わずかながらも福島の再生に関わり、

昨年から 「地域の力フォーラム」 や 「食文化ナビ」 に付き合ってきて、

いよいよ僕の中で、「地域」 というテーマが大きな位置を占めつつある。

新しい年度に替わろうとする時に、抑え難く湧いてくるものがある。

お前に何ができるのか、、、

テッテー的に悩んでみたい、とナビをめくりながら思うのである。




2014年3月24日

地域の力と内発的復興のために-


お彼岸の日のお通夜に参列した帰り道、

大地を守る会の職員や OB、生産者と誘い合って飲んだ。

あえてなのか、みんな楽しく飲もうとする。

それが先に逝った仲間への弔いであると信じてるみたいに。

この輪の真ん中に道場さんもいて、

「お~い、ビールあと2本!」 を連発しながら笑っているんだと、

そんな気分で酒も会話も、彼に飲ませ聞かせるように進むのだった。

 

翌日(22日) は、下北沢の ふくしまオルガン堂 に出かけた。

福島・喜多方市の市長選をたたかった浅見彰宏さんから、

東京で応援してくれた人たちに御礼の報告会をやりたい

という案内をもらっていたので。

「喜多方から始めよう、浅見彰宏報告会」 と題して夕方から開催。

遅れていったところ、20人ほどの人が集まっていた。


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選挙の結果は、以前 にも報告した通り。

たった 3 ヶ月の準備と運動期間で、

ほとんど無名の候補者が約 3 分の 1 の得票を獲得した。

それだけ潜在していた 「変わらなきゃ」 の気運を動かしたということだ。

多くの人が大健闘だと称えているが、

中には 「これだけしか取れなかったのか」 という厳しい批評もあれば、

あと1カ月あれば・・・ という悔しさをにじませる声もある。

でも、今日の浅見さんは爽やかである。

それなりにやり切ったという思いと手応えが、次へと歩ませているのだろう。


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特に子どもたちが誇れるような地域をつくりたい。

たとえ都会に出ていかざるを得なくなったとしても、そんな若者たちのためにも

美しい故郷にしたい、と語る。

「四国から出てきたエビさん、どうですか?」

と突然ふられて、一瞬ひるんだけど、まさにその通りだよ。

「田舎が誇れるって、どっか自信につながっているような気がする。」

街に出るしかなかった小っちゃな漁村の三男坊でも、

あの海はいつまでも僕の骨としてある。 

子どもの頃、原発誘致計画をふたつ、潰した地域だ。 蹂躙する奴は許さない。


「喜多方の豊富な地域資源を活かした、最先端の田舎にしたい。」

浅見さんの力強い言葉に、

誰かから 「じゃあ 4 年後!」 の声も挙がる。

いや待て。 4 年後の選挙に出るかどうかよりも、

その時までにどんな地域づくりを進めるかだろう、みんなの力で。


ここで折角なので、報告できてなかった

2月 16日(日) に開催されたフォーラムのレポートも入れておきたい。

「 ~地域の力シンポジウム~

 3.11 東日本大震災と内発的復興

 -農山村と都市の新しい結びつきを考える- 

会場は渋谷区外苑にある 「日本青年館」。


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基調講演は、「地域フォーラム」委員長、出版社コモンズ代表の大江正章さん。

大江さんは、内発的復興に必要な 6 つの視点を提示された。

1.犠牲のシステムからの脱却

  地方、第一次産業、自然、環境に犠牲を押し付けないこと。

  ゲンパツはまさに犠牲のシステムである。

2.地域循環型社会の構築

  第一次産業と地場産業をベースに、商業・金融機関・地域メディアも一体となった

  経済の地域循環を築くこと。

3.経済成長優先主義から脱成長へ

  経済成長(お金) のみを物事の判断基準にしてはならない。

4.内発的な力と外来的な力の交響

  外部からの力を活かし融合させるような地域主体の形成。

  主役はあくまでも内側にあること。

5.自然観の転換

  自然とともに生きる、という思想を育みたい。

6.故郷への想いの継承

  人間関係や風景を含めて、いま暮らすかけがえのない地域こそが故郷である。

 

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そして地域の力を活かした内発的復興への取り組み事例として、

3 つの地域を上げた。

里山の再生から地域特産品の開発、新規就農者の学びの場としての

「あぶくま農と暮らし塾」 を誕生させた

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市東和地区)。

新しい産業づくりを目指してオーガニックコットンの栽培に取り組み、

コミュニティ電力事業を進めるまでにいたった

いわきおてんと SUN プロジェクト」(いわき市)。

壊滅的被害を受けながら、NGOや被災地支援ファンドなどの支援を得て、

漁師たちによる株式会社づくりや共同作業所、アンテナショップの経営

などに取り組む宮城県石巻市北上地区。


地域の魅力を再発見し、若者がその地域を好きになれば、

彼らが地域の元気の素をつくっていく気運が生まれる。

企業誘致や公共事業に依存しても失敗する。

地域は内発的にしか発展しない。


続いて特別報告者として発言したのが浅見さんである。

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大手鉄鋼メーカーを辞め、喜多方市山都町の山間地に移住して 17年。 

山間地農業の役割と現状での問題点を整理しながら、

山間部に残る水路の保全に取り組んだ思い、

そして堰さらいボランティアを受け入れた経過とその効果が報告された。


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地域の宝ものを発掘し、内と外の視点からその意味を再確認し、

担い手を育てる力にしてきたこと。

協働者(ボランティア) との交流から、都市と農村の互恵的な関係を築く。

そのためにはつなぎ役の存在が欠かせない。

新規就農者を取りまとめ、兼業でも生きていけるカタチをつくっていくことで、

後継者が育ち、地域に力が生まれていく。

この里山を慈しみ、誇りを持つ若者たちを一人でも多く育てること。

それが私の役割かな、と。 

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チャルジョウ農場・小川光さんのもとで学んでいた若者たちをまとめ、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の組織化を働きかけた者としては、

それなりに貢献できたか、という自負も密かに持っていたものだが、

いや実は、仕掛けにまんまと乗せられたのはオレの方だったのかもしれない、

いうことにも思い至らせられたのだった。 

もしかして、してやられたのか。。。

でもまあ、ほぼ狙い通りの答えを用意したとは思ってる。


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二人の報告の後は、

福島県有機農業ネットワーク理事長・菅野正寿産をコーディネーターに、

4人のパネラーによる活動報告。

広告代理店の立場で  " 農に触れる "  活動を展開する (株)博報堂の藤井久さん。

国士舘大学文学部准教授で、学生たちの農業体験や交流を続けながら

中山間地での地域発展を研究する宮地忠幸さん。 専門は経済地理学。

持続的な社会づくりのための調査・研究や地域開発支援に取り組む

一般財団法人 CSOネットワーク事務局長・黒田かをりさん。

そして流通という立場から戎谷。

福島の農産物との付き合いから学んできたことをお話しさせていただいた。

それぞれに5分や10分じゃ語り切れない思いを抱えているのだった。


さて、今年も堰さらいには行くしかない。

地域の力を掘り起こし、「内発的復興」 がどういうカタチとなって進むのか、

ここまできたら、とことん付き合うしかない。


最後にご案内。

東京方面から堰さらいボランティアに参加してみたいという方がおられましたら、

直接浅見さんの ブログ からお申し込みください (注意事項はしっかり読んで)。

あるいは大地を守る会・戎谷 にご連絡いただいても結構です。

席が空いていれば、車に同乗も可能です (お約束はできませんが)。

行程は以下の通り。

5月3日:早朝都心発 -大和川酒造店立ち寄り(酒調達) -現地で前夜祭・公民館泊

5月4日:早朝から堰さらい作業 -温泉 -夕方から交流会・公民館泊

5月5日:山都散策(チャルジョウ農場訪問) -帰京

ただし、ゴールデンウィークの渋滞を覚悟してください。

お問い合わせは、戎谷まで。

 ⇒ ebisudani_tetsuya@daichi.or.jp 




2014年3月23日

道場公基さんに


21~22日は大和川酒造店に行って、

仲間を募って実現させた袋しぼり酒の完成に立ち会い、

マイラベルを貼って祝い酒! の予定だったのだが、

訃報が入り、急きょお通夜に参列することになった。

1999年に(株)大地を守る会に統合された

元(株)大地牧場の社長を長く務められた道場公基(どうじょう・まさき) さんが

亡くなられたのだ。


情に篤く、面倒見のいい親分肌の社長だった。

大地を守る会の畜産部門を担い、

日本短角牛を通じた岩手県山形村(現・久慈市) との深い提携関係は

この人なくしては語れない、という存在だった。

中国残留孤児の帰国者たちの社会復帰にも尽力され、

多数の帰国者を畜産加工場に受け入れて表彰されたりもした。

大地牧場退社後も、初代会長だった藤本敏夫さん(2002年没) の事業を

陰で支え続けた。

肺ガンを患い、闘病生活は 3 年に及んだ。 

危ぶまれた時期もあったが、だいぶ回復してきて、

昨年の大地を守る東京集会では 「お~い、エビちゃん、復活したぞ!」 と、

元気な姿を見せてくれたのだったが。。。


自宅が近かったこともあって、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいた。

道場さんはビール派だったので、

頂きものの日本酒などが手に入ると、よく呼ばれた。

ある時など、「日本酒に開眼したから来い」 と電話があって出向いてみると、

「ウマい、ウマい」 と飲んでいたのは焼酎だった。

焼酎をストレートでクイクイと・・・これにずっと付き合うわけにはいかないので、

恐る恐る 「道場さん、これ焼酎です」 と水を差してしまった。

道場さんは驚きながらも 「焼酎ってのもウマいもんだな」 と笑った。

楽しいエピソードを語り始めたら切りがないくらいある、

実に豪放な方だった。


今の時代、70歳は若すぎる。

良くなってきていると思っていただけに、

突然の訃報で、御礼を言えずじまいとなってしまった。

どうか安らかに、と祈るしかない。 合掌




2014年3月18日

都市と農村をどう結び直すか・・・

 

今日、関東に春一番が吹き荒れた。 

嵐は嫌いじゃない。

 ・・・とかポーズとってる場合ではないんだよ、おい!

 

土日に出かけては飲んだくれているうちに、

締め切りをとっくに過ぎた原稿にいよいよ追い詰められ、

何とか書き上げて依頼先に送った次第。

ああしんど。 やれやれ。

 

2400字の原稿依頼にこんなに苦しめられたのは久しぶりのことだ。

(締め切りを守らない、とは別の意味で。)

お題に金縛りにあってしまったのかもしれない。

食を通じて、都市と農村をどう結び直せばよいのか」。

とくに福島に焦点を当てて、という宿題だった。

原発事故と放射能汚染という苦難を経験してきて、

どう立て直していくのかと問われても、

僕の中で答えは多様にあるワケではない。

 

一品一品の、結果としての安全性にとどまらず、

それを保証し合い、育て上げていける生産と消費の関係を、

地道に築き直していきたい。

それが未来を保証することにつながると信じている。

哲学者・内山節さんの言う 「確かな関係の創造」

(『新・幸福論 -「近現代」の次に来るもの』/新潮選書)

に向かいたい。。。

 

きれい事のような書き方である。

でも、実現させるのに時間がかかろうが、ジグザグ進もうが、

胸を張って歩いていける、これが僕が選んだ王道なのだ。

そして苦境の中で教えられた希望について、

「大地を守る会の備蓄米」 を事例として書かせていただいた。

色々と考えあぐねても、結局は自分が歩いてきた世界以上に、

そうは語れないものだった。

 

原稿は、以前に報告した 「地域の力フォーラム」 からの依頼。

フォーラムの事務局を担う 「一般財団法人 CSOネットワーク」 から、

福島の復興をかけて行動してきた方たちの論考とともに、

近々ブックレットとして刊行される予定である。

 



2014年3月17日

おひさまスパーリングで、乾杯!

 

15日(土)夕方、

丸の内永楽ビル - iiyo!(イーヨ!)横丁にある農園カフェ&バル

「Daichi & keats」(ダイチ・アンド・キーツ) に向かう。

目的は、大和川酒造店が造った発泡日本酒

「おひさまスパークリング」 の完成を祝う乾杯パーティ。

 

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昨年春に実施した 「顔の見えるエネルギーコンペ」。

大和川さんはコンペ受賞後、

直ちに酒造蔵の屋根に太陽光パネル設置にとりかかり、

そのエネルギーを活用して発泡日本酒を完成させた。

一刻も早く意思を形にしたいという熱意が、この手際に表れている。

この冬の間にも、ひとつのモデルを示したかったんだろう。

ちなみに、「おひさま~」 の命名は大地を守る会の若手女子である。

 

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まずは佐藤和典工場長(兼 杜氏) のご挨拶。

酒造りの工程、その大元となる米づくりでのこだわりが映像とともに紹介される。

そして少しずつでもエネルギーの自給を進めたいという願いが

輪になって広がっていって、

こんな画期的なお酒が生まれたことに感謝したいと


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「とにかく、乾杯しましょう! 味わってみてください。」 

待ってましたとばかりにグラスに注ぐ時の、皆の嬉しそうな顔。。。

では、カンパイ! 

(こっちも嬉しくなって、写真撮るの忘れた。)


会員からの支援をもとに 「大地を守る自然エネルギー推進基金」 が設置され、

若手スタッフたちの発案によってコンペが開催され、

3 団体の企画に資金が提供された。 大和川酒造さんには 245 万円。

太陽エネルギーの力を借りて実現した発泡性純米吟醸酒。

これからの発展をまた、飲んで応援する。

こんな酒は、本当に他にない。

 

醗酵途上で粗搾りして瓶詰め。

瓶内醗酵によって発生する炭酸ガスがそのまま閉じ込められる。

よって開栓時は要注意。

溢れ出さないよう、ゆっくりと、

緩めては閉じ、緩めては閉じ、しながら開けること。

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口の中でプチプチ、シュワシュワと広がる炭酸。

適度の甘さにしっかりとしたキレがあって、雑味がない。

「美味しい!」 「これは進むね~」 の声が弾む。 

新しいバージョンの常備酒として、イイ酒が誕生した。


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料理長の中嶋知行さんが紹介される。 実は福島県の出身。

福島の復興に、自分も料理人として役に立ちたいと、ずっと考えてきた。

こういう楽しい形でつながれることができて嬉しいです。。。

中嶋さんもけっこう熱い人だった。

 

中嶋料理長の力作。 

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おひさまスパークリング・ムース仕立て。

北海道産タコのカルパッチョ。

半熟卵の醤油麹漬け。

新玉ねぎのロースト ・・・

美味しい料理、ウマい酒、楽しい仲間。

これが基本のシアワセ 3重奏ってやつ。

 

参加予定だった佐藤弥右衛門社長は、

北海道での自然エネルギーの集会に呼ばれたとかで欠席となった。

会津電力構想ももう後に引けなくなって、 

「東京電力から福島を取り戻す!」 宣言が、どんどん動き始めた。

では、全国を奔走する弥右衛門さんにもエールを。 乾杯!


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あっという間の 2 時間。

ここでも締めを指名され、昨夜に続いて、何を喋ったか正確に思い出せない。

とにかく思いっきりこの酒の意義を語ろうとして、

まとめられなくなってしまって、

工場長に三本締めの音頭を取ってもらったのだった。


勢いでもう一軒ハシゴして帰り道、

ここに満天の星空があれば、、、と思ったのを覚えている。




2014年3月16日

99 %の革命を -さんぶ野菜ネットワーク総会から

 

14日(金)は、千葉・成田の某ホテルで行なわれた

「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会に出席した。

 

行けば、あの日と同じ会場である。 3 年前の 3 月 11日。

会議の途中から大揺れに揺れ始め、外に避難させられ、

ロビーの TV 大画面からは

家屋やハウスを呑み込んでいく津波の映像が映し出され、

携帯はつながらず、外国人客はインターネット・コーナーに殺到し、

日本人は公衆電話に長蛇の列を作り、さんぶ野菜ネットの総会も流れた。。。

自然と 「思い出すねぇ」 の会話になる。


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何も変わってないかのように、総会は進行する。

でもみんなの心の中には、それぞれに微妙な 3 年の変遷がある。

それを受け止めて生きているかが、僕らに問われている。



事業報告や決算報告、活動計画に事業予算など

予定の議事が淡々と処理され、

新しく加入した組合員と研修生が紹介された。

これから有機農業を目指す若者たち。 

のセレモニーの意味は、けっして小さくない。


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僕らは取引先のオブザーバーなので拍手するのみだが、

毎年々々取引先を招いて総会を開く生産団体は他にない。

立派なもんだと思う。


今年は例年以上に平穏に終了し、記念講演に移る。

講師は東京大学大学院農学部教授、鈴木宣弘さん。

元農林水産省国際部で農産物貿易交渉などにあたった経歴がある。

反 TPP (環太平洋連携協定) の論客である。

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講演タイトルは、

「日本の食と地域の未来を拓く -強い農業への道-」。


鈴木さんはのっけっから、

今のこの国は 「今だけ、金だけ、自分だけ」 しか見ていない人たちによって

将来を危うくされている、と喝破した。 

このままでは日本は崩壊する、と。


  TPP 交渉はなかなか合意形成に至らず、

  まとまらないのでは、という楽観論も出てきたが、予断は許さない。 

  また農産物交渉で日本が譲らないから合意できないのだ、という

  日本農業悪玉論も間違っている。

  問題は米国からの一方的な要求に各国が警戒し、応じない姿勢を強めていることだ。

  ベトナムやマレーシアやオーストラリアが何に反発しているのか、

  日本はちゃんと分析する必要がある。


  日本はすでに、軽自動車の税金引き上げや医薬品の価格引き上げ、

  がん保険の取り扱い(全国の郵便局で米国保険会社のがん保険を売り始めたこと)、

  BSE の輸入条件緩和、ISDS(投資家対国家紛争処理) 条項などで譲歩を続け、

  国会決議で約束した国益保護を放棄してきている。

  「聖域は守る」 「食の安全基準は守る」 と国民の前では標榜しつつ、

  その実、アメリカの要求に屈している、というより

  進んで 「追加払い」 しているのが現状である。

  この先も、GM(遺伝子組み換え) 食品の拡大や食品添加物基準の緩和、

  「表示制度」 への変更圧力が懸念される。

  世界に冠たる国民皆保険制度も危うい。


  ノーベル経済学賞を受賞したスティッグリッツ教授は言っている。

  「TPP は、1 %の人口で米国の富の 40 %を握る巨大企業の

    " 1 %の、1 %による、1 %のための "  協定である。」

  失うものが最大で得るものが最少という史上最悪の選択肢、それが TPP だ。

  食糧自給率は 20 %前後まで落ち込み(農水省試算)、

  医療は崩壊し、雇用も減り、しかし得られる利益は

  アジア中心のどの FTA (自由貿易協定) よりも小さい(内閣府試算)。


  「1.5 %の一次産業の GDP (国内総生産) を守るために 98.5 %を犠牲にするのか」

  と言い放った民主党の大物政治家がいた。

  しかし、「たとえ 1.5 %だとしても、それが 100 %の消費者を支えている」。

  これは日本人による反論ではない。

  アメリカの NPO 「パブリックシティズン」、ローリー・ワラック氏の言葉である。

  しかも一次産業は食料だけではない、国土や領土を守るものでもある。

  尖閣諸島にも昔は日本人が住んでいて、漁業という産業が存在していたことを

  忘れてはならない。


  自分たちの食は、自分たちで守らなければならない。

  食に安さだけを追求することは、命を削り、次世代に負担を強いることだ。

  1 個 80 円の卵を買って、

  「 これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられる。

   そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」

  といとも簡単に答えたのは、スイスの小学生の女の子だった。

  スイスでここまで国民意識が育つには、生産と消費が連携した

  長く地道な努力があったからである。

  日本でも  " やればできる "  ことではないだろうか。


  アジア主導の、柔軟で互恵的な経済連携が、世界の均衡ある発展につながる。

  今こそ冷静な判断をしたい。

  「1 %のための経済学、1 %のためのマスコミ」 ではなく、

  「99 %のための経済学、99 %のためのマスコミ」 に転換させよう。

  「99 %の革命」 を起こす時である!


いや、なかなかに熱い講演だった。

99 %の革命。 鍵を握るのは、世界を変えるのは女性の力だろう、

と鈴木教授は結んだのだった。


夜は懇親会。

鈴木さんと同じテーブルの席を指定されていたので、

いろいろと突っ込んでみたいと思ったのだが、

残念ながら鈴木さんは、次の予定があるとかで帰られた。

またの機会とするか。


懇親会の途中で、組合員の表彰式。

今年、最高の出荷伸び率を果たした人。

特定の作物で一番出荷量の多かった人、などが表彰された。


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「いや、伸び率といっても分母が小さいんで・・・」 とはにかむ生産者。

どうも、年によって表彰する項目が違うようである。

みんなで励まし合い、伸ばし合っているのだろう。

拍手。


最後に、締めの挨拶を求められた。

何を喋ったんだったか、、、

鈴木講演の、明日からの我々にとってのポイントは何か、

を僕なりに整理したつもりだったのだが、ヤバい、正確に思い出せない。

帰り際に一人の生産者から、

「そういうことなんですよね。 一番良く分かりました」

と言ってくれたことで良しとしたい。




2014年3月13日

農地除染から地域の再生へ-語り続ける伊藤俊彦

 

3月11日夕方、オーストラリアからやってきた

IFOAM (International Federation of Organic Agriculture Movements、

アイフォーム:国際有機農業運動連盟) 理事長、アンドレ・ロイ氏ご一行と

須賀川駅で合流。

夜は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんが気を利かして手配してくれた

豆腐の懐石料理を楽しんでもらう。 

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過去何度か来日経験のあるロイ氏。

和食は大好きだそうで、昨日は納豆も食べたそうである。 

四国出身のワタクシが慣れるのに十数年かかったあの醗酵食品を!

 

昨年12月、「和食」 がユネスコの無形文化遺産に登録された

風土と人の技で磨き上げてきた絶妙なバランスと美、

しつらえとおもてなしの心が失われつつあると言われる中で、

世界の人々が注目し絶賛しているというのも皮肉な話である。

「日本人の心のやさしさは日本食にあるのではないか」

と語ったのはかのアインシュタインだが、

その精神世界を置き忘れ、日本人はどこに向かって突っ走っているのか。

・・・と偉そうにのたまわってみるが、

自分自身底が知れていることも充分承知している。

 

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食材をひとつひとつ確かめながら、

very good! を連発してくれるミスター・ロイ。

ああ、もっとちゃんと日本の伝統を解説できるようになりたい、

とつくづく思う。

お隣は、通訳も兼ねて同行された IFOAMジャパン 理事長の村山勝茂さん。

もちろん話は食に留まらず、有機農業の世界へと広がってゆく。

同行されたのは他に、オーガニック認証機関である

(株)アファス認証センターの渡邊義明さん、渡邊悠さん。

自然農法の団体 「秀明自然農法ネットワーク」 の手戸伸一理事長と、

福島県石川町の小豆畑(あずはた)守さん。

小豆畑さんは 「種採り百姓人」 を自称する自然農法実践者である。

ジェイラップの次の視察先になっている。

 

さて翌12日、一行は朝からジェイラップの事務所を訪問する。

伊藤さんたちが必死の思いで取り組んできた放射能対策についての

聞き取りと質疑が始まる。

このやり取りがまた、簡単に終わらないのである。 


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農地とくに水田での放射性物質の動きをひとつひとつ検証し、

データを蓄積させてきたこと。

そのデータを基に、さらにはチェルノブイリから学び、

研究者を尋ねては吸収しまくって、

米の安全性を確保するために取ってきた数々の対策。。。

伊藤さんが順を追って説明していくのだが、

節々でロイ氏からの質問が飛び出す。

村山さんが通訳し、伊藤さんが説明し、時々僕も割って入らせてもらったりしながら、

少しずつ少しずつ議論が深まっていく。


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専門用語も繰り出されたりするので、

村山さんも時々辞書を開いたりして、大変だ。 


伊藤さんとしてはもっともっと説明を掘り下げていきたかったことと思われる。

ロイ氏もまだまだ聞きたいことがある、といった面持ちなのだが、

何しろ午前中しか時間がない。

ひと通りのところで説明を切り上げ、施設を案内する。


米の全袋検査に使った測定器を見る。

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これは福島県の持ち物で、

ジェイラップは県からの委託で全袋検査に携わった。

ベルトコンベア式で 30㎏の米袋(玄米) が通過し、

国の基準値である 100Bqを超える可能性があると判断されたものは、

ゲルマニウム半導体検出器での精密な測定に回される。

厚生労働省が定めるスクリーニング法では、

基準値 100 未満であることを担保するためには、

その半分の 50Bq を正確に測定できる精度が必要とされている。

つまりこの機械で仮に 50 をわずかに超えるレベルで検出された場合は、

わずかではあれ 100 を超える可能性が残る、と判断するわけである。

そこで県の検査では 「25Bq 未満」 を測定基準として実施された。


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この検査器が県内 173カ所に計 202台配備され、

検査された昨年産米が 1081万 8127袋(× 30㎏≒32万4544トン)

うち 99.934 %の米が 25 Bq未満、

国の基準である 100Bqを超えたのは 28袋のみ、という結果である。

かかった費用は昨年で約 70億円 (一昨年は90億) とか。

これもまったくゲンパツ事故によって国民に課せられた負債である

自然再生エネルギーでは電気代が上がる、

なんて言ってる場合ではないと思うのだが。


続いてジェイラップの検査室を覗く。

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大地を守る会とカタログハウスさんが貸し出した

同じ型の測定器が仲良く並んでいる。

彼らはこの 2台を駆使して測定し続けた。

そして今でもデータ取りに余念がない。

「もう大丈夫」 の先まで続けないと、カンペキとは言えないのだ。


倉庫や加工場の屋根に設置された太陽光パネル。

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脱原発を宣言した県の一員として、

未来を創造する始まりの土地として、やれることはすべてやる。

そんな意思が、パネル一枚一枚に託されている。


農地再生のために導入した大型トラクター。

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これで反転耕(プラウ耕) をやって、

表面の凹凸を横回転ロータリーで踏圧、均平にして、

さらにロータリー耕で表層を固めて、レーザーレベラーで繰り返し均(なら) す。

これを地域全体で徹底させるために、

彼らは農閑期を返上して作業委託を請け負っている。

農地だけでない、これはコミュニティ再生の事業でもあるのだ。


最後に記念写真を。


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時間切れとなって、分かれる前にロイが言うのだ。

「今年の秋の世界大会で、ぜひ発表してほしい。」

日本での放射能対策を、特に福島の農民が報告することは、

とても意義のあることだと。

聞けば開催は10月、場所はトルコ・イスタンブールだと言う。

忙しい収穫時期にトルコまで、しかも渡航費の支援等はないと言う。

いくらなんでも福島の農民にトルコまで自費で行けとは、さすがに言えない。


もっと君たちと話がしたい。

大地を守る会についてももっと知りたいし、

今後の展開について意見交換したい。

そう言いながら、ロイ氏は次の視察先へと向かわれたのだった。

握手して、カッコよく 「イスタンブールで会おう」 とは言えず。




2014年3月11日

3月11日、「全国ご当地エネルギー協会」(仮称)の設立!

 

今日は 3月 11日。

あれから 3 年の月日が流れた。

お前はいったいどれほどの仕事ができたのか。

お前は今、どこにいるんだ。。。

僕は今、福島県郡山市のホテルの一室で一人悶々としている。

自問自答しているうちに眠れなくなって。

 

今日はいろんな催しの案内を頂いていた。

それも記念行事のようなイベントではなくて、

シンポジウムとか放射能対策に関する大学の研究発表会とか。

自分の足取りが見てとれるようだ。


加えて、直前になって入ってきたのが、

「全国ご当地エネルギー協会(仮称) 発起人総会」 の呼びかけである。

東京集会のレポート で書いたあの流れで、

一気に全国組織の立ち上げとなった。

短期間で会場が設定され、「3.11 は参議院議員会館に参集せよ!」 との連絡。

大地を守る会も発起人に藤田和芳代表が名を連ねた関係で、

ISEP(環境エネルギー政策研究所) 代表の飯田哲也さんから、

誰か一人出せ、との指令である。

しかし藤田も戎谷も予定が入っていて、若手も含めて代打を出そうとしたが叶わず、

その旨伝えたところ、「では、メッセージで参加するように」。

そんなワケで、昨日急いでメッセージを書いて、託したのだった。

ちゃんと読んでもらえただろうか。



協会設立が無事承認されたなら、

立ち上げ宣言文を大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さんが読み上げたはず。

手元にその宣言文案がある。


  3.11 以降、日本全国で多くの自然エネルギー事業が立ち上がっています。

  しかし、その大半が地域外資本による 「植民地型開発」 であるほか、

  数少ない地域主体の事業の多くは、資金調達や人材確保、

  事業モデルの選択などに多くの課題を抱えているのが現状です。

  私たち 「全国ご当地エネルギー協会」(仮称) は、

  これらの事業者や協議会、個人がつながり、情報共有や共通の課題の解決をとおして、

  地域主導型の自然エネルギー普及を加速させ、

  それを基盤とする持続可能な地域社会づくりを目指しています。


  私たちは、2014年 1月 31日から 2月 2日まで開催された

  「コミュニティパワー国際会議 2014 in 福島」 において、

  「福島コミュニティパワー宣言」 を採択し、

  そこで新しいネットワークを立ち上げることを約束いたしました。


  二度と東京電力福島第一原発事故のような破局的な事故や環境影響を起こさないため、

  将来世代にこれ以上の放射能汚染や気候変動への対処を負担させないため、

  今ここから歴史的な転換を実現するという思いをこめて、

  東日本大震災からちょうど 3 年目にあたる本日、

  「全国ご当地エネルギー協会」(仮称) を立ち上げることを

  発起人一同で宣言します。

 

遅まきながら、福島の片隅から賛同の拍手を送っておきたい。

宣言文にある コミュニティパワー国際会議 2014 in 福島」 では、

僕も一つのセッションにパネラーとして参加したのだが、

最後に採択された 「福島コミュニティパワー宣言」 は、

ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思う。

文案を執筆したのは、民俗学者・赤坂憲雄さんである。


  巨大な原発事故が起きた。

  いま、怖るべきモラルハザードが始まっている。

  ・・・・・・・・・

  傷付き、足掻いている福島は、あくまで前向きにみずからの将来を創造してゆく、

  そのための始まりの土地になりたいと願う。

  ・・・・・・・・・

  再生可能エネルギーとは、風土とテクノロジーの結婚である。

  ・・・・・・・・・

  いま、ここから歴史を変える


会議最終日となった 2月 2日、「喜多方プラザ」 での様子。

外は雪でも、中は熱気にあふれていた。

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日は経ってしまったけど、

何とか記録としてアップしたいと思っている、のだが。。。


発起人総会をパスして福島に来ているにはワケがあって、

実は IFOAM(国際有機農業運動連盟) 理事長、アンドレ・ロイ氏の来日にあたり、

福島での放射能対策の先進地を視察したいとの希望が上がって、

須賀川・ジェイラップの案内役を引き受けてしまったのだった。

ロイ氏の行程の都合から、事もあろうに 3.11 しかないと。

今夜はとりあえず郡山に入り、

和食・懐石料理と温泉を堪能していただいた次第である。

ロイ様のジェイラップ訪問記は、明日。


3月11日。 

の日を、どれだけの日本人が、どんな思いで過ごしたのか、、、

南半球・オーストラリアからやって来た有機農業のリーダーに、

僕は何も伝えることができないでいる。




2014年3月 5日

ファイトメンテ! 記者発表

 

昨年6月に開催した「放射能連続講座」 でお呼びした

麻布医院院長・高橋弘さんが提唱する野菜の力-「ファイトケミカル」。

講座の後も、何度か医院に出向いては

アドバイスをいただいているうちに、

部署を横断した社内プロジェクトに発展して、

ファイトケミカルをテーマにしたいくつもの商品群が開発されるまでに至った。

 

冷凍スープが 3種類、冷凍スムージーが 3種類、

野菜と組み合わせたドライフルーツが 3種類、

ファイトケミカル基本野菜に人参の葉を加えた粉末スープ、

ティーバック・タイプのベジティー、

そして基本 4種の野菜セット。

これらが何と、一斉同時発売!となったのである。

商品開発はまだこれからも続くとあって、

このシリーズには、「ファイトメンテ」(造語) という冠がつけられた。

 

大地を守る会の新しい商品シリーズの誕生!

ということで本日、少々気合いを入れて記者発表となった。

場所は東銀座の時事通信ホール。

 

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ロビーでは、試飲試食コーナーが設けられた。 

それぞれ3種のファイトケミカル・スープにスムージー、

ドライフルーツ&ベジタブル・・・と並ぶ。

3種とは、ビューティ(抗酸化作用)、リズム(解毒作用)、エナジー(免疫力アップ)

のコンセプトを指し、

例えば、「8種の野菜と大豆のスープ (ビューティ)」 「緑のスムージー (リズム)」

といった格好で展開されていくのである。

 

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参加されたメディア関係者、特に女子の間で

「なにこれ、美味しい!」 「えっ、これイイね。 どこで買えるの?」

といった声が聞こえてくる。

どこで・・・って、大地を守る会に決まってるじゃないスか。

なんて嫌われるようなセリフは吐かず、知らん振りして通り過ぎる。

 

しかし僕が主張したいのは、やっぱこれ。

高橋弘先生推奨、4種の基本野菜セット。

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カボチャ、人参、玉ねぎ、キャベツ。

これを各100g、テキトーに切って、水でコトコト煮て、

スープを飲めば OK! 原体(野菜そのモノ) を買ったほうがお徳なんだし。

忙しい時には、この4種+人参の葉を使った

「ファイトケミカルプラス」 の携帯がおススメ。

普段は畑で捨てている葉っぱを、捨てずに集めてくれたのは、

さんぶ野菜ネットワークの皆さんだ。

 

ま、いろんな形があってもいい。

とにかく、野菜を食べよう!野菜の力を取り込もう。

そのためには野菜は無農薬を選びたい。

人参は皮ごと使うのが基本だからね。

 

次の開発予定のピューレもスタンバイ。

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これらのラインナップによって、少しでも野菜のすごさが伝わればいい。

そして生産者の経営支援につながるなら、言うことはない。

 

発表直前。

スタンバイしたTVカメラは、7台。

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まずは藤田社長の挨拶。

 

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 続いて、山口取締役から

「ファイトメンテ」シリーズの説明。

 

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本シリーズの全体監修は、高橋弘さん。

そして商品開発とレシピ監修が、

アンチエイジングレストラン 「リール」 オーナーシェフの堀知佐子さん。

 

「ではここでスペシャルゲストをお呼びして、

実際に食べていただきましょう」 と司会の斉藤たかこさん。

登場したのは、タレントの水沢アリーさんと岡田圭右(けいすけ) さん。

 

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さすがプロ。 絶妙の掛け合いでファイトケミカルを PR してくれる。

聞くところによると、水沢アリーさんは、

浦和レッズだったかのサッカー選手とラブラブ中 だとかで、

「ジュニア・アスリートフード・マイスター」

の資格取得に向けて 勉強中とのこと。

どうもそっちのネタ狙いで来たメディアもあったようだ。

まあ、それでも明るく 「ファイトメンテ」 を連発してくれて、

仕事意識は外さない。

(アップの写真もたくさん撮ったのだけど、ブログ等での使用は一週間限定

 と釘を刺されたので、遠目のを一枚のみ。)

 

そんなこんなで、僕が今年度のテーマとした ファイトケミカルは、

もはや手に負えないほどの企画 「ファイトメンテ・シリーズ」 となって、

少々派手な船出を果たしたのでありました。

たくさんの人の健康に貢献できれば嬉しい。

 



2014年3月 4日

有機農業こそ復興の鍵

 

「第9回 農を変えたい!東北集会 in ふくしま』

の続き。

 

3月1日(土)夕方、相馬市松川浦 「ホテル夕鶴」 に、

東北を中心に南は九州から、集まった参加者は 150人くらいか。

1 日目は、お二人による基調講演。

新潟大学教授・野中昌法さんからは、「現場と協働した放射能測定と復興」 と題して

二本松市東和地区、南相馬市大田区、飯舘村大久保地区で

地域住民と一体となって取り組んだ測定と対策の経過が報告された。

 

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野中さんの師は、足尾鉱毒事件とたたかった不屈の賢人・田中正造と、

水俣病患者に寄り添い続けた熊本大学の原田正純さん(一昨年没) である。

講演はいつも、原田正純さんが残した言葉から始める。

「弱者の立場で考えること。 そして現場に学ぶこと。」

 


調査・対策の主体はあくまでも、現地の農家である。

農家が主体的に取り組むことで成果が上がる。

研究者はそのサポート役としてある。

生産者・消費者・流通・学者・企業が一体となって理解を深め、

様々なバリアフリーを作ることが大事である。

 

まずは徹底した汚染マップを作成し、実態をつぶさに見通すこと。

田畑 1枚ずつ、あぜ道一本、森林、河川と詳密なデータを取り、

それぞれの汚染の状況に応じた対策を一つ一つ組み立て、実践していくこと。

やっかいな森林では、ウッドチップを用いるなど、

新しい除染試験にもチャレンジした。

そしてデータを取り、成果と課題を確認し、次につなげる。

 

作物へのセシウム移行の理屈が見えてきて、

丹念に土づくりをやってきた有機農業の力も確認された。

今後注意すべきは、ダムから流れてくる農業用水の継続的チェックか。

 

二人目は、東北大学教授の石井圭一さん。

浜通り(相馬、南相馬、いわき、他 7町 3村) のなかでも

南相馬市を中心に調査し、住民の動態(激しい人口減、特に子どもの減少)、

除染の遅れ、鳥獣害の拡大、生産意欲の減退や農業者間の連携不足など、

営農復興への厳しい状況が報告された。

 

そこで石井さんが期待するのは有機農業である。

強い意欲(チャレンジ精神)、技術の多様性、消費者とつながるコミュニケーション力、

横につながっていくネットワーク力、その総合力こそ

浜通りに求められているものではないか、と石井さんは説いた。

 

二日目は、会場を相馬市総合福祉センターに移し、

中島紀一さん(茨城大学名誉教授) の基調講演に始まり、

福祉センターで講師をされている平出美穂子さん(元郡山女子大学) から、

福島県3地方(浜通り・中通り・会津) の食文化が紹介された。

それぞれの地域に残る郷土料理と 「和食」 の豊かさ、

地産地消の価値、なぜ有機農法がよいか、

会津農書が教える伝統野菜の価値、そして21世紀はファイトケミカル!だと。

放射能対策にも役立つ東北野菜の栄養素を見直し、

自然を見つめて師とし、本物の作物を食べてこそ

人間は健康に、死ぬまで元気に生きられる、と結ばれた。

死ぬまで元気に生きる ・・・・僕もそうありたい。

 

次の分科会では、「都市と農村の交流と地域づくり」

というセッションに参加した。

 

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最初の事例発表として、

喜多方市の浅見彰宏さんから、山都町の堰を守る活動のなかで

都市の消費者との輪が広がってきたことが報告された。

当初、堰さらいに都会のボランティアを受け入れることに対しては、

村の人たちには相当の抵抗感があった。

しかし来る人来る人が、水路に感動し、自然に感動し、地元料理に感動し、

リピーターが年々増えてくるに連れ(最初 7名、今 50名)、

地元の人たちは誇りを取り戻すようになってきた。

江戸時代から守ってきた「堰」 が人々をつないだ。

 

交流を続けられる鍵は 4つだと、浅見さんは語る。

地域の宝を守ること、つなぎ役がいること、

担い手が育っていること、協働者(支援者) がいること。

 

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分科会コーディネーターの谷口吉光さん(秋田県立大学) が、

東北各県で展開されるようになった 「オーガニックフェスタ」 の

意義と概要を紹介し、

それを受けて、3人の方が各県でのフェスタの報告を行なった。

皆、大地を守る会に米や野菜を出荷してくれている生産者である。

なんだか、誇りたくなる。 

 

岩手・大東町有機農産物等生産組合の小島幸喜さん。 

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秋田県有機農業推進協議会の相馬喜久男さん(大潟村)。 

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山形からは、おきたま興農舎(高畠町)の小林温さん。

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共通して語られたことは、県内の有機農業者をつなげたこと。

県内の消費者に、有機農業が地域に存在することを知らせたこと。

「 来場された秋田の人から 『私は大地を守る会から買ってる』 と言われて、

 それはショックでしたよ」(相馬さん)

・・・って、相馬さんだって「大地」 に米を出荷してるんじゃん。

そこで笑いをとるかぁ。 僕も笑ったけど。

 

「 ほとんどの日本人が農と離れて暮らしている。

 なぜ交流が必要かと考えると、

 いのちを実感するというか、生きる力を与え合うっていうか、

 食の距離を縮めることができるからだと思う。

 農業は、コミュニティをつくるんですよね。」(小林さん)

 

有機農業が目指す社会・世界を表現し、人をつなげる。

そのために新しい 「祭り」 が生れている、ということ。

「オーガニックフェスタ」 という祭りは、2004年に東京で始まり、

2008年に鹿児島に飛び火し、そして東北各県で花開きつつある。

まだまだいくぞ。 広げなくてはね。

 

午後にはミニ・シンポジウムがあり、

この二日間で作られた輪だろうか、「若手の会」 や 「女性の会」 から

交流の成果が発表された。

 

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最後に、実行委員長・渡部よしのさん(「あいづ耕人会たべらんしょ」メンバー)

から大会宣言が読み上げられた。

 

   困難に取り囲まれている福島の人々が懸命な復興の努力をされ、

   そこから無数の希望が生れていること・・・

   「オーガニックフェスタ」をはじめ地域の新しいネットワークと

   都市と農村の新しい関係が生まれていること・・・

   逆風のなかで新しい新規就農者が生まれ、地域で受け入れていること・・・

   こうした農の営みから生まれる人と人の新しいつながりを大切にし、

   経済至上主義や TPP の波に対抗して、

   農の持つ価値を若い世代に伝え、人とふるさとが輝く地域の力を

   東北から発信していきましょう。 

 

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『人とふるさとが輝く東北へ

 -食と農の再生をふくしまから-』 終了。

 

なにかあるたびに福島に足を運ぶのは、

福島への連帯という以上に、

自分自身の行動原理をたしかめるためでもある。

この地の再生・復興を果たして未来に残すことは、

我々世代の義務だと思う者であり、したがって

このつながりを捨てることは、諦めることは、

" 私自身の敗北 "  (赤坂憲雄さんの言葉) を意味するからだ。

 

二日目の全体会場で、

ローソンと資本提携した大地を守る会を非難する発言もあった。

指摘された事実がメチャクチャな誤認に基づくものだったので、

そこはしっかり訂正させていただいた次第だが、

これからの行動はみんなが注視していることを忘れてはいけない、

ということなんだろう。

ちょっとしたことで世間は誤解し、悪意で噂が広がる、ということもある。

襟を正しつつ、見てろ! と言うしかない。

 



2014年3月 3日

農を変えたい!東北集会 in ふくしま

 

土日のイベントや出張が続く。 これで 6週目。

3月1日(土)~2日(日)は、

「農を変えたい!東北集会 in ふくしま」 に参加した。

「農を変えたい」 東北シリーズも各県持ち回りで 9 回目を数え、

今年は福島県相馬市での開催の運びとなった。

浜通りの現状を見てほしいという思いを込めて、

あえてこの場所にした、と主催者から聞かされた。


3月1日午前10時半、仙台駅から貸切バスにて出発、

仙台東部道路を南下する。

名取川に差し掛かった瞬間、あの日の津波の映像が蘇る。

名取市から亘理(わたり) 町にかけて、

整地された地面の上にハウスの団地が立ち並ぶ光景を目にする。

かすかに映る中の影は、イチゴの水耕か高設栽培に見えた。

農が土から離れていく・・・・

 

福島県新地町に入ると、

地元のおじちゃんやおばちゃんが 5人ほど乗り込んでくれた。

当時の様子や復興の現況を聞かせてもらいながら、

被災現場を見る。

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人の気配なく、地盤だけが暮らしの形跡を留める。

こんな場所がいたるところに、まだ残っている。

 

破壊されたままの防波堤。

内側も海水に浸かっている、というか

海の中に捨てられた瓦礫のようだ。

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東北学を提唱する民俗学者、赤坂憲雄さんの言葉を思い出す。 

昔は潟として存在していた海縁の場所が、

人口増加とともに埋め立てられて、

人々は海へ海へと生活域を広げていったのだが、

津波はそのような場所をことごとく飲み込んで、

3 年経った今でも湿地状態のまま、というところが多いらしい。

 

「潟に返してやればいいんじゃないか」

と赤坂さんは語っていた。

(『3.11から考える 「この国のかたち」』 新潮選書、および

 『被災地から問う この国のかたち』 イースト新書/玄侑宗久さん・和合亮一さんとの共著)


3 年前の3月にあった境界は、その時点のものでしかない。

それを太古から決められた境界であるかのような前提に立って、

その線引きでどデカい防潮堤を築くことへの違和感が、

どの程度の割合かは分からないけれど、

被災地の人々の心にくすぶり続けていることを、

赤坂さんのひと言が物語っている。

 

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荒涼とした風景に、参加者の会話も続かない。

ため息ばかりが伝わってくる。

 

電車が走ることもなくなった常磐線の線路。


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「今でも一時停止してしまうんですよね。」

笑えない・・・

 

しばらく瓦礫の海と化していた農地も、

遠くは横浜や北海道あたりから土が運ばれ、

だんだんと修復されてきている。

しかしその土も、黄色かったり強酸性だったり、

農地に適さない土が入れられたという。

これはただの土木仕事であって、農業土木の技術ではないと。

・・・なんでこうなるんだろうね。

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一見きれいに整地された田んぼだが、

これから先、はたして作る人がどれだけ残っていくか、

という声も聞かれる。

かたち的には修復されつつあるのだが、

 3.11 前の風景とは違うものに変質していってるような、焦燥を感じる。

 

南相馬市に入り、

大田村地区での試験水田を視察。

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農地除染をやれてない水田で、

新潟大学の野中昌法教授らの支援のもと、

コメづくりの試験栽培が行なわれたのだが、

なかなか思うような結果に到達していない。

試験を続ける必要がある。 しかし農家の体力が・・・・


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除染を兼ねて油脂作物(ヒマワリやナタネ) の栽培を続ける

杉内清繁さん。

賠償金の対象からはずされても、農地回復に挑み続けている。

未来のために。

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あてのない避難ほど辛いものはない。

年寄りは帰ってきたが、若者たちは帰ってこない。

4年続けて作付できないとなると、、、

もう取り戻せないかもしれない。 そんな言葉が重く響いてくる。


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福島の復興なくして、日本の復興はない。

多くの人が言い続けてきた言葉である。

しかし風景は、厳しいままだ。

希望は人の心からしか生まれないのだが、

思いと現実の乖離が埋まらないまま、

時間というやつが無情にその芽を摘んでいってるようだ。

 

それでも信じている人たちがいる以上、

僕らは歩みを止めるわけにはいかない。


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視察後は、東北各地から集まってきた参加者とともに、

相馬市松川浦で操業再開にこぎつけた 「なぎさの奏 ホテル夕鶴」 に参集。

二日間にわたるセッションに入る。

テーマは

『人とふるさとが輝く東北へ -食と農の再生をふくしまから-』。


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続く。




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