戎谷徹也: 2011年3月アーカイブ

2011年3月30日

有機農家の死

 

天下無敵さん、たかはしさん、

いただいたコメントに 「有り難う」 と返してよいのか、言葉が浮かびません。

福島県須賀川市で、有機農業30年という農家の方が亡くなられました。

我々の関係者ではないのでお名前も分かりませんが、本当につらいすね。 

報道によれば、キャベツの出荷が止められた (正確には 「摂取制限の指示」)

その翌日に縊死(いし) されたとのこと。

福島県産というだけで、大気汚染濃度だってさほども進んでいない土地で。

朝日新聞(3月29日付朝刊) には、こう書かれていました。

 

 男性(64歳) は30年以上前から有機栽培にこだわり、

  自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。

 キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、

 この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。 

 農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。

 「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。

 そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。

 

安全安心に誇りを持っていたことの裏返しとしての絶望が、その方を襲ったのでしょうか。

生きられた喜びで雄々しく再建に向かう人々がいる時を同じくして、

自ら人生を絶つ人が現われてしまいました。

しかもこれから私たちが頼りにしなければならないはずの

土壌の力を知る人の中から。

 

もっとも誇りとした世界が、もっとも嫌忌するものによって汚される、

その絶望が心身の破断へと至らせたのか、真実は知る由もありませんが、

「原発に殺された」 -遺族の方のコメントがやるせません。

 

その方の魂に向かって、

あえてこう呼びかけることを、お許し願いたい。

 - まだ眠ることなく、私たちとともにいてほしい。

 

いまそれぞれの胸の中にある無念や悔しさを

全部集めて、進軍したい。 希望に向かって。

 



2011年3月28日

出荷停止は危機管理になっているか?

 

被災者の一日も早い暮らしの安定と復興を願って、

力を合わせて前に進もうとした矢先、

放射能という、永遠に眠らせておかなければならなかった怪獣が

爆発とともに天空に吹き上げられ、

のたうっては人の善意をあざ嗤い、かき乱し、

私たちの心を被災地から遠ざけていく。

この怪獣は自らを制御することができない、愛をもってしても。

 

いま首都圏の人々は、" がんばろう日本 "  に共振する市民の顔と、

" 放射能への恐怖 "  にうろたえる消費者心理で悶えている。

牛乳やら野菜やら水やら、あちこちのいろんなモノが測定され、

ひとつのサンプルが暫定的に設定された規制値にひっかかると、

出荷停止や摂取制限という形で、一気に 「県」 単位で規制がかけられる。

「食べてもただちに健康危害がおきるものではない」 という解説付きで。

タバコよりリスクは少ない、という記事もあった。

しかし疑心暗鬼は増幅するいっぽうで、つながりが分断されていってる。

 

家族を守りたいと思う行動は当然であり、責めるわけにはいかない。

しかし、いま進んでいる食品規制は、はたしてこれでいいのだろうか。

このままでは相当にヤバイ、そんな気がしてならないでいる。

なんだろう、この激しい焦燥感は。

何か本質的なものが欠落していないだろうか。

風評被害から生産者も消費者も守らなければならないはずの行政が、

風評被害を広げてしまっていないだろうか。

 

悶々とする中で、問題はやっぱこれだよ、と思ったのは、

風向や大気も含めた汚染の状態も無視して、内陸部の会津地方まで、

福島県だからとひと括りにされて何種類かの野菜が出荷制限されたことだ。

 

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(3月24日付・朝日新聞夕刊)


福島・浜通り(太平洋沿岸地帯) では、この時期はだいたい風は西よりで、

海に向かって吹いていたと思う。

汚染はけっして規則正しく同心円的に拡がるわけではない。

水であれば、たとえば利根川上流が汚染されれば、

汚染は群馬県という行政区分ではなく、あるいは半径何キロという円でもなく、

水系に沿って一気に東京(河口) へと伝ってくる。

空から降ってくるものの影響を測るのは、単純な直線距離ではなく、

風の向きと力、そして地形だろう。

現場は実験室の中のシャーレではない。

西に100キロ離れた会津地方まで 「県」 という単位で同列に規制する

この判断基準はどこからくるのか。

答えはこれでいいだろうか。 -判断を県という自治体にさせているからだ。

どなたか専門家の方がいらっしゃれば、教えてほしい。

 

この危機は、地球儀を見ながら考えなければならないと思う。

中国から黄沙が飛んでくる季節のうちに、

何としても収束させなければならなかったのだ。 もう無理のようだけど。

 

出荷停止(あるいは自粛) という措置に怒っているのではない。

その規制値に文句を言っているのでもない、今は。

とりあえず疑問は置いて、僕らも従っているワケだし。

ただ、放射能汚染という超ド級の非常事態にあって、

「県」 単位の判断というのは、いくらなんでも稚拙で乱暴すぎないだろうか。

各地の大気モニタリング測定や風をもとに拡散実態を追い、

モノの検査測定値も見ながら、人も含めて規制を指示してゆくべきではないか。

地方自治体の防衛本能に任せる話ではない。

 

非常事態にあっては、行動原理はひとつにしなければならない。

ここでいえば、それは国でなければできないことだ。

「国が情報を集約し、(ひとつの物差しに沿って) 指示する」

こそが必要だと思う。

危機管理の基本だと言ってもいい。

 

すでに県レベルで 「出荷停止」 の判断が異なってきている。

めいめいの小賢しい計算はやめて、行動の目安は一緒にして動かないと、

疑心暗鬼は加速し、必要な人のところに必要なモノが行き渡らなくなる。

 

大地を守る会がいま採用している流通可否判定基準は、

国が出した暫定基準値である。

「そんなんでいいのか!」 というお叱りの言葉も聞こえてきている。

しかし・・・ふだん厳しい安全基準を謳ってはいても、

こういう時に跳ね上がった勝手な行動は慎むべきだと思うのである。

これは自信をもって言ってるわけではなくて、

それしかないんじゃないか、というのがあれこれ考えた結果での、

偽らざる本音である。

 

いたずらに基準をあらそって消費心理を混乱させないために、

行動の基準は一致させて動くことが必要だ、と肝に銘じたいと思うのである。

流通がバラバラに動くと、

生産はゆるいほうに流れ、消費は厳密なほうに流れる。

モノの流れがバラバラになって、対策は後手後手になってしまう。

 

重ねて強調しておきたい。

これは平時の話ではなく、

放射能という、安全を保証する閾値(いきち、しきいち) を明解に設定できない

敵を相手にしている、いままさに進む極めて危険な非常事態での行動規範について、

である。

 

危険度最強レベルの非常事態が進行している。

誰も 「安全です」 と断言できる世界は喪われてきている。

最低ここまでのラインは維持したい、というレベルが国によって示されたなら、

いったんはそれに基づいて行動しよう。

そこに最も多くのデータが集積され

(それは僕らがこれまでやってきたサンプル数の比ではない)、

現状に基づいて適切な判断がそこでされるなら。

しかし、その必死の信頼を担保するだけの判断と指導体制がないとなると、

危機管理システムは機能しない。

みんなが自己保身に走ったら、社会は崩壊する。

 

ここは骨太でいきたい。

ホウレンソウは食べても大丈夫ですか?

-大丈夫です。 僕も食べてます。

  ただし長びけば長びくほど、そうは言えなくなる、という事態が進行しています。

落ち着いた行動が、みんなを守ります。

対策や対応も早くなります。

 

ただ、国や行政の動きがバラバラなままだと、いつまでも紳士ではいられなくなる。

「ここは独自路線で自らの身とみんなを守りましょう」

と叫んでしまう時がきそうで、怖い。

 

せっかく入荷したにも拘らず流通停止にしてしまった 

「くらぶち草の会」(群馬) のホウレンソウをたくさん持ち帰って、

せっせと茹でて、毎日食べている。

草の会の皆さん、僕が食べた分は払います。

 

上に貼り付けた新聞記事。 最後のところで、大地を守る会の生産者である

二本松市の大野達弘さん (NPO 東和ふるさとづくり協議会) が登場して、

語っている。

 

  「安全安心に自信があった品物なのに・・・」。

  地域をあげて無農薬や有機栽培に取り組み、

  山あいの不利な条件を克服する農業を実践してきた。

  県外から新規就農する若者も出てきていた。

  その矢先の原発事故。

  「我々は何も悪いことをしていないのに、なぜこんなことになるのか。

  早く作物が安全だといってもらえるようになりたい」

 



2011年3月27日

こんな時だから

 

まったく気持ちに余裕がなくなっていた。

寝床に入り、ため息をつき、そんな自分を振り返りながら、

ふと、もしや・・・ という気がして、パソコンを開き、覗いて見ると、

温かい投稿が一件入っていた。

新潟県佐渡市の 島びとさん からだ。

 

こんな時だから、春の訪れを~

 

佐渡からの心にくいメッセージ。 ありがとうございます。

 

動乱の中で、頭からすっかり消えてしまっていました。 

田んぼスケープ

というサイトをつくったことを。

 

サイト作成者のアラカワ君とは、東京集会で、

以前から上がっていたふたつの課題を何とかしようと話し合ったのにね。

パソコンからも投稿できるようにしたい、

双方向のやりとりができるようにしたい、と。

 

春までには・・・・と話していたのに、

気分はとてもそれどころではなくなってしまった。

 

それでも、、、生産者の皆さん。 

田んぼの前で立ち止まってじっと眺めたときに、

もしその気になったなら、今の様子を送っていただけると、嬉しいです。

現在の心情とともに、あるいは友への小さなメッセージとして。

 

いま画面は、

これまで投稿していただいたものから適当にピックアップして、

ちりばめてます。

とても厳しい春で、慰めにもならないかもしれないけど。

でも、

すべて生命体は、身のまわりの世界がどんな事態になろうと

うろたえながらも自らの生命活動、その役割を全うしようとするわけで、

我にかえる意味でも、

まわりを見渡してみるのは、悪くないことだと思う。

こんな時だから・・・

 



2011年3月 5日

「食の記憶」 が伝える豊かさ ~ だいち交流会 から

 

大地を守る東京集会の1日目、

2月26日(土) に開かれた 「だいち交流会」 の模様もアップしておきたい。 

この日は首都圏13の会場に分散して生産者と消費者の交流が行なわれ、

僕は墨田区・錦糸町の会場に参加した。

こちらの会場を準備してくれたのは、会員が主体となって運営する 「だいちサークル」

のひとつ、Fuwatto の方々である。

 

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こちらで設定されたテーマは、

「日本縦断? 地域の食べ方み~つけた。」

 昔ながらの食べもの、各地の郷土料理、我が家自慢のおススメ料理、

 私だけの 〇〇 な組み合わせ、つくる人特権の味、

 今日はどんなメニューが並ぶかな。

 さあ、みんなで 「食の旅」 に出かけよう。 オー!

 

-というわけで、参加者は少人数で各テーブルを囲み、

与えられたテーマ (お題) に沿って思い描いた答えを紙に記入し、発表する。

お題は3つで、変わるたびにメンバーが入れ替わりながら、進められる。

 

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最初のテーマは 「我が家のおススメ料理、各地域のふるさとの味」。

ふたつめは 「大至急!3分でごはん。あなたならどうする !? 」。

みっつめは 「忘れられない味」。

みんな悩んだり、照れたりしながらも、面白がって書いている。

 

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自分の書いた食材を発表するうちに、雰囲気が自然と和んでくる。

しかも出てきた答えは、見事にそれそれの地域の食文化を反映している。

消費者の場合は、ふるさとの味、である。

「ああ、なるほど」 から 「なにそれ?」 まで。

 


いま思えば、ちゃんとメモしておけばよかったと後悔するほど、

なかなかにその人の素性というかDNAを、見事に表現していたような気がする。

 

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「ふるさとの味」 は、特定の食材であったり、郷土料理だったり、母の秘伝の味だったり。 

「3分でごはん」 では、おにぎりにも微妙な味つけや具材に違いが見える。

納豆が随所に登場するかと思えば、

たとえば僕のように、「忘れられない味」 は、四国から上京して初めて食べた納豆である。

関東の人間は腐ったもん食っとる・・・・・あの驚愕の体験。

連合軍捕虜にゴボウを食べさせた廉(かど) で戦犯に処せられた話など

比ではないと思ったくらいだ。

しかしこの糸を引く怪しい食べものは、腐敗ではなく 「醗酵」 なのだという。

ニッポンは広い! ワシはまだな~んも知らんのんちゃうか、という衝撃。

龍馬もきっと同じ体験をして、世界に目を開いたのだと、僕は今でも秘かに信じている。

 

ま、そんな個人的な体験はどうでもいいとして、

「食」 とは、かくも人間を表現する。 ただ生きるために必要なものだが、

それだけに互いを知る上での格好のコミュニケーション素材なのかもしれないし、

であるからこそ 「食」 は人をつなげるのだろう。

ブリア・サヴァランの 『美味礼賛』 だったっけ。

 - あなたが何を食べているのかを言ってみたまえ。 あなたが何者かを言ってみよう。

記憶が曖昧で、スミマセン。

 

「生産者」 と 「消費者」 という枠組みに捉われず、

テーブルを回りながら、キーワードに沿って自己紹介し、

私の 「食風景」 を語り合い、相手を理解する。

初めて会った水産関係の生産者を、「〇〇丼の人」 として記憶に留めたりして。

こういうのもあり、か。 自分にまとわりついている固定観念を少し反省する。

 

会の最後に、「頑固な野良の会」(茨城) の阿部豊さんに、歌で締めてもらう。

 

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大企業勤めを捨て、有機農業の世界に飛び込んでもう20年以上になったね。

農作業のなかで作ったのであろうオリジナル曲に加えて、

サッチモ(ルイ・アームストロング) の 「WHAT  A  WONDERFUL  WORLD」

を自分流に訳したという一曲を披露してくれた。 

 

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もっと時間がほしかった、とみんな思ったことでしょう。

アットホームな、素敵な交流会でした。

Fuwatto の皆さんに感謝、です。

 

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他でも12ヵ所で、

それぞれに趣向を凝らした楽しい交流が繰り広げられたことと思う。

あとは楽しく飲む、も欠かさずに。

 

この地区別交流会も始めて28年。

気がつけば、当時生まれた世代が仕切るまでになっている。

伝統というのは継続のなかで育まれながら、

かつ静かに変化もしているのだった。

 



2011年3月 2日

2011年の 「大地を守る東京集会」, 無事終了

 

" 大地を守る会の オーガニック フェスタ " 

 - 時代遅れのワタシには少々照れくさいようなタイトルを冠した

「大地を守る東京集会」 が無事終了した。

 

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来場者、約 3,500名。 

事故や目だったトラブルもなく、いい交流の一日をつくれたのではないかと思う。

出展いただいた生産者・メーカーの方々に、まずは感謝です。

また、至らない点も多々あったはずのところを

大らかに受け止めながら楽しんでくれた会員の方々と来場者すべての方に、

心から御礼申し上げます。

 

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そして実行委員の方々、お疲れ様でした。

 

1978年2月に 「地球は泣いている 東京集会」 を開催してから、

毎年欠かさず続けてきたこのイベントも、もう34回を数えるまでになった。

思い返せば、僕が二日間にわたる総合司会をやらされたのは、

入社して2年目の84年のことだった。

以来、だいたい司会は生意気そうな若手が指名されるようになった。

翌85年から職員と消費者による実行委員形式でやろうということになって、

僕は実行委員に手を挙げて、

二日間のうちの一日を地区に分かれて交流する企画が実現した。

それやこれらは、いまや大地を守る会の伝統と言われるまでになった。

僕にとっての東京集会自慢はそこまで遡る。

 

そして年々規模が大きくなるに連れ、

実行委員会の負担は当時とは比べものにならなくなったけど、

こういった積み重ねがあって伝統も進化したきたわけだ。 

もちろん実行委員に限らず、スタッフ・出展者全員の力であることは言うまでもない。

それぞれにとっての 「私の自慢の東京集会」 が、また新しく生まれていく、

それこそが嬉しい。

 

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企画は盛りだくさんにあったのだけど、自分の受け持ちもあって、

回れた部分だけでも、盛況ぶりを紹介したい。

写真だけで流します。

雰囲気が少しでも伝われば幸いであります。 

 

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みんな一生懸命生きている。

その生を謳歌しながら、楽しくつながりたい。 

この仕事は、そのためにこそあるんだよね。

 

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未来を生きる子供たちへの責任を果たしたい、と強く思う。

 

失敗はしても、嘘はつかない。

そんな関係を築きたくて続けてきた  " 顔の見える関係 "  づくりだけど、

会長が壇上からお詫びせざるを得ない事態があったこともあって、

盛会であっただけに深く責任の重さを考え直す、

記憶に残さなければならない東京集会となった。

まだまだ、だね。

 



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