戎谷徹也: 2011年10月アーカイブ

2011年10月30日

それでも我らは種を播く

 

今日は朝日新聞主催のシンポジウムに参加してきた。

場所は有楽町マリオンの10階、朝日ホール。

テーマは、「放射能と向き合う~低レベルの影響」。

エッセンスだけでもお伝えしたいと思うが、その前に、

10月16日(日) のシンポジウムの報告をしておかなければならない。

 

日比谷公園の 「土と平和の祭典」 を午前中であとにして、午後からは

有機農業技術会議主催による 「原発と有機農業」 シンポジウムに参加する。

会場は水道橋にある 「在日本韓国YMCA」 国際ホール。

夏日となったこの日、汗を拭き吹きギリギリ会場に到着する。 

 

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" それでも種を播こう "

- 震災直後から呼びかけがあり、この名称で会が立ち上がり、

何度か会合を重ねてきた方々の手による節目のシンポジウムと言っていいだろうか。

 


第一部は、4名のパネリストからの問題提起。

第二部は、そのパネラーを中心にディスカッション、という構成。

 

まずは、二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事で

ふくしま有機ネット代表も務める 菅野正寿さん

8月には ヒマワリ畑 も見せていただいた。

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東京からふるさと・東和に戻ったのが30年前。

有機農業による地域づくりに取り組み始めたのが25年前。

悪戦苦闘の年月を経て、新規就農者も受け入れ、

地域資源の循環・里山の再生に自信を深めてきたところで、

人も土も里山もずたずたにされてしまった、そんな深い怒りが伝わってくる。

菅野さんが語る原風景は、童謡 「赤とんぼ」 の一節に重なっている。

    ♪ 山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか-

 

今日は、「希望を持って農業を始めた若者たちの健康を見てあげてほしい」 と訴える。

なんて罪作りな社会なんだろう。。。

 

震災後の東和での取り組みをずっと調査してきた

茨城大学農学部研究員の飯塚里恵子さんが、その報告をはさむ。

「葛藤を乗り越えて復興プログラムへと踏み出させた力は、

 地域の仲間たちと培ってきた絆と地域の将来への 「夢」 だった。」

 

田畑を耕し、種を播き、直売所には徹底して地元産の野菜を置き、

自ら測定を開始し、長野・佐久総合病院と連携して地域住民へのケアも始めた。

埼玉・小川町の金子美登さんに倣って、

ヒマワリやナタネを栽培して、油を絞り、エネルギー循環を目指す。

これらのつながりはすべて有機農業を実践するなかで築かれてきたものだ。

希望の絆は断ち切れてはいない。

 

問題提起の2人目は、大阪で有機農産物の流通を行なっている

「安全な食べものネットワーク オルター」 顧問・三浦和彦さんから、

「有機流通の現在 -私たちが向き合った 「福島原発事故」-」 。

大阪においても、震災と事故の影響は大きく、日々苦悩しながらの判断が続いたようだ。

しかし、放射性物質の自主基準を1ベクレルに設定したことに対しては、

その非現実性に対して会場から批判も出された。

 

3人目は、農業生物学研究室主宰・明峯哲夫さんによる 「放射能汚染と有機農業」。

「 もはや放射能と共存するしかない時代に入っていて、

 それぞれに  " 食べること "  (何を食べるか) の主体性が問われている。

  少々汚染された食べものでも口にするということだ。」

その上で有機農業の力を語る。

この方の哲学的姿勢には感服するしかない。

 

4人目は、茨城大学教授・中島紀一さん。

「反原発から自然共生・農本の地平へ」 と題して、

改めて故・高木仁三郎さんの反原発・脱原発の思想的な深まりを辿りながら、

その歩みを引き継いでいきたいという思いが語られた。

 

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第2部では、議論となった放射性物質の基準に対して、

司会のコモンズ・大江正章さんから発言を求められてしまった。

 

僕が訴えたのは、

生産者と消費者にとって安心して採用できる物差し、つまり最も適正な基準というのは、

流通者がめいめいに 〇 ベクレルだとか言い合うことではなく、

垣根を超えた共同の作業で進めなければならないことではないか、ということに尽きる。

そこで 「食品の放射能基準のあるべき姿」 を可視化する作業を

いくつかの団体で開始する準備をしていることを報告した。

難解な問題を一つずつクリアにしながら、みんなでリテラシーを磨き、

放射能との向き合い方・たたかい方を、整理してみたいと思うのである。

どんなゴールが待っているのかはまだ見えないけど、

粘り強くやるつもりだ、と。

 

まだ中途なくせに、決意だけは偉そうに報告するものだから、

とんでもない期待感を抱かせてしまったかもしれない。

でも、やる気です。

混乱と不安の社会にあって、これは挑戦するだけでも意味と価値がある。

力量はともかく、その確信だけは揺らぎない。

僕だって、「それでも種を播く」 一人でありたい。

 

このブログもまた、これからだんだんと

その底なしの深みにはまっていくのかもしれない。 ゾクゾクするね。

 



2011年10月29日

土と平和

 

原発のコストは実はけっこう高いのだとか、

ようやく  " 裸の王様 "  の生の姿が晒されてきているね。

みんながお金を出して飾ってあげてたものだ、悔しいけど。

しかもそのツケ(核廃棄物管理) は、

100万年先の子どもたちにまで負担させるものとして眼前に (いや、隠しながら)

積み上げられていってる。

100万年・・・ 今から100万年前といえば、

ホモ・サピエンスが登場する前、ヒマラヤ山脈が形成された頃に遡る。

とてつもないゴミを今、僕らはどんどん作り出している。

このコストはみんなで負い続けなければならない、ずっと、ずっと、忘れずに。

推進派の方々は、このストレスをどんな理屈で解消しているのだろうか。

 

核燃サイクルの虚像も以前から訴えてきたのだが、

その声は力にならず今日を迎えてしまった。 この悔しさは今でも言葉にならない。

僕らにも、この現実の到来を先送りしていた甘えもある。

3.11以後に脱原発を唱え始めた学者やオピニオン・リーダーの方々、

頼むから語り続けてもらいたい。 変節や転向はなし、でね。

 

僕らが脱原発とセットで語ってきたこと。

生命の連鎖を支える土台となる世界 -「土」 と共に生きよう。

 

10月16日(日) の記録を残しておきたい。

日比谷公園で開催された 「土と平和の祭典 2011」

汗ばむような好天の下、

今年も 「土」 と聞くと胸ざわめかせる人たちが集ってきた。

 

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大地を守る会も出展。

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応援に来てくれた生産者の方々-

さんぶ野菜ネットワーク、埼玉大地、福島わかば会、新萌会、羽山園芸組合、長有研、

舟形マッシュルーム・・・遠方からありがとうございました。

他にも単独で出展されたり、福島の生産者共同でブースを出した方々、

お疲れさまでした。

 

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首都のど真ん中で、大地を謳う。

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お登紀さんと辻信一さん(明治学院大学) が、本当のシアワセについて語っている。 

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土を大事にする。 土と共に生きる。

それは自然環境と調査した暮らしを心がけることであり、

「平和」 の思想となる。

 

「土と平和のトークステージ」

どう放射能に向き合うか-  Yae ちゃん(種まき大作戦実行委員長) の司会で

藤田代表もゲストとして語っている。

ちゃんとした情報開示の上に、一人ひとりの判断力が問われている。

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単独出展のなかから今年はこの人。

茨城県筑西市で有機米を栽培する大嶋農場。 

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代表の大嶋康司さん。 自らの米を 「百笑米」 と名づけた。

若者たちを受け入れ、育てながら、未来につながる農業を目指している。

原発事故には希望も夢も失いかけたが、前に向かってやるしかないと、

田んぼの土の分析もやって意を込めて米づくりに入った。

土からはセシウムは出たけれど、米からは検出されてない。

今日は一生懸命アピールしたい、と胸を張る。

大嶋さん、いい笑顔です。

 

大地を守る会のブースに入って売り子を始めた途端、

OBの先輩がやってきて 「もう飲んでるのか」 と言われたので、やめることにした。

20代の青空市での売り子から始まった 「大地」人生。

口上は内心自信あるのだが、どうも、叩き売り調になってしまうのかな・・・

 

みんな元気、を確かめて日比谷から水道橋へ。

午後は、有機農業技術会議主催による 「原発と有機農業」 というシンポジウムに出る。

その報告は次回に。



2011年10月27日

「ニコニコ生放送」 体験

 

10月1日付で  " 〇〇特命担当 " (自分で言うのがとても恥ずかしい)

という一人部署に任命されてより、

あれよあれよと矢のように時間が過ぎてゆく。

農産グループの継続課題も少々引きずりつつ、

新たな仕込みや仕掛けもそれなりにやってきたつもりなんだけど、

土日や夜の会合が一気に増えてきて、ブログに到達しない日々が続いた。

IT能力のレベルアップか、書き方の要領を変えるしかない、

とか何度も思いながら・・・おいつけない。

河島英五じゃないけど、" 時代おくれ "  のブログになりそうだ。

演歌は嫌いじゃないが・・・

 

ネット時代についてゆけてないのを実感したのは、

先週の金曜日(10月21日) のこと。 こんな初体験をした。

 

お昼時に広報に電話が入り、深夜の生番組に出演してくれと言う。

「ニコニコ生放送」 というインターネットで配信される動画制作会社からである。

どんな番組かと聞けば-

  『 緊急報告!アナタの食べものは大丈夫?

    ~ 放射線による食品汚染の実態に迫る ~ 』

 

外部の人には見せられない弁当を食べる自分に、

広報担当が気を使いながら打診してくる。

う~、、、まあ、いいけど、、、いつ? エエッ! 今夜かよ!

 

この感じ・・・ 過去にもあった。

93年の米の緊急輸入で大騒ぎしてた時に、 『 朝まで生テレビ 』 から

お声がかかったときも、当日だった。

しかし、、、夜の10時、指定された場所に出向けば、

そこは日本橋にある雑居ビル。 スタジオふうにセットされた一室で、

若いスタッフとゲストの先生たちが、あーだこーだ言いながら

準備に勤しんでいるのだ。

テレビ局で用意されたものとは違った手づくり感があって、

10時半、緊張感なく (というより心の準備なく) 本番突入となった。

 


ゲストは、

高エネルギー加速器研究機構教授・野尻美保子さん、

東京大学大学院理学系研究科教授・早野龍五さん、

三重大学生物資源学部准教授・勝川俊雄さん、そしてワタシ。

司会は、ジャーナリストの津田大介さん。

 

3人の先生方がそれぞれに、放射能の基本から国の暫定規制値の意味などを、

フリップを使って 「分かりやすく」 を意識しながら解説する。

食品検査の実態を知ってもらうために、

スタジオに測定器 (ガンマ線スペクトロメータ) を運び込んで、

測定の実演までやってみせたのには、感心させられた。

男たちが汗かきながら担いで階段を上ったようだ。

「事実を正確に知ってもらおう」 と努力されている先生たちも多いのだ。

 

モニターを見れば、瞬時に視聴者からのコメントが次から次へと流れてくる。

「そのTシャツ、かっこいいね」 とか、誰かが冗談言って笑うと 「笑ってる場合か!」 とか、

「信用できない」 とか、「早くヒジキの結果を見せろ」 とか、

「こういうのをテレビでもやるべきだ」 とか ・・・

僕が発言してた時に 「エビちゃんブログ、見てるよ~」 と流れて嬉しくなったのだが、

あとで知人からの応援だったことが判明した。

質問もいくつか採用されて、コメントを求められる。

 

まあそんな感じで、発言は制約されることなく、喋り過ぎたりしてるうちに、

津田さんがサラリと、「反響も多いので、延長しましょう」 と言ってのける。

そして、終了したのが深夜の1時。 勢いで1時間延長しちゃったのだ。

このフレキシブルでヴィヴィッドな 「やっちゃえ」共有感は、楽しい。

既成の討論番組が時代遅れに見えてくる。

 

先生たちがよく喋ったので、出番はそう多くはなかったのだが、

いろんな刺激を受けて実に面白い体験だった。

 

制作会社が用意してくれたビジネスホテルに潜り込んだが寝つけない。

しょうがないのでコンビニで純米酒を買って、しばし反省。

 

こういう番組に出るには瞬時の対応力が必要だ。

そのためには日頃から頭を整理しておかなければならない。

 

先生たちが言うには、まだ基本的な知識に混乱が見られるとのこと。

「だから我々も伝える努力をもっとしないといけないです。」

なるほど。

僕も気をつけよう。

 

<豆知識> みたいなのを、しばらく続けてみましょうか。

ニコニコ生放送で早野先生の説明を聞きながら、改めて思ったことから。

食品の放射線を測ろうと機器を購入する人がいますが、

ガイガーカウンターやサーベイメーター(線量計) といった数万円クラスの測定器は、

空間線量を測定する装置であって、

食品の放射線量を正確に測るものではありません。

当社でも入荷した農産物を、まずはシンチレーション・サーベイメーターでチェックしていますが、

空間線量(バックグラウンド) をしっかり把握した上で、

またモノが集まった状態 (じゃが芋なら1個取り出してではなく、箱の中)

にしっかり当ててバックグラウンド値との差を見て判断するようにしています。

(差が明確に出るようなら、ラインには乗せず、スペクトロメータで計測する。)

空間線量も数秒単位で変動しますし、地形や地質の影響を受けます。

あくまでも参考値として、あるいは継続して測りながら変動を比較したり、

傾向を判断するものとして活用しましょう。

 



2011年10月15日

たくさんの希望のメッセージに感謝です。

 

さて、続きを急がなければ。

もたもたしている間に、伊藤俊彦さんから連絡が入る。

ようやっと新米検査の半分が終わったと。

稲田稲作研究会の田んぼ400枚全部、面積にして120ヘクタール分という

膨大なデータが、今この時間にも蓄積されていってる。

しかも玄米-白米-ご飯(炊いた状態) の比較までやろうというのだ。

 

結果は197件中186件がND (不検出=検出限界値10ベクレル)。

20ベクレル越えはないと。 自治体発表ならすべてNDだ。

「エビちゃん! 稲作研究会は、ホントに頑張ったよ!」

早期に100町歩(≒ ヘクタール) を超す田んぼにカリウムを散布した成果が

はっきりと現われてきた。

測定担当の小林章さんがやせ細ってないか気になるところですが・・・

 

この笑顔がいつまでも絶えない世界を、残したい。

それが僕らに課せられた義務だから。

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最終結果まで、もう少しだね。

頑張りましょう。

 


収穫祭では、皆さんから頂戴したメッセージを模造紙に貼り付けて

お渡しした。

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生産者にカメラを向ければ、目頭を押さえる関根政一親分(専務) が・・・

 

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励ましてくれ、感謝の言葉までもらって・・・

緊張と不安の7ヶ月を生きてきて、ここまで来れたという

喜びと少しの安堵が伝わってくる。

 

事前に送られてきたメッセージも温かいものばかりで、

読み切れない。

  

  いつも美味しいお米をありがとうございます。

  備蓄米開始から毎年お願いしております。

  在職中はずーっとお弁当でした。 冷めても美味しいご飯に、毎日やる気を頂きました。

  (食べ終わって満足の表情を浮かべると、いつも同僚に笑われておりました。)

  私は足が不自由ですので、どうしても自分でできない作業などを、

  若手の同僚や男子に代行してもらった折、彼らは

  「感謝の気持ちは、弁当がよい」 と、美味しいご飯で、気持ちよく実行してくれました。

  夫の友人は、泊まった翌日の朝食のご飯を楽しみにしております。

  あれもこれも、お米を作ってくださる方々のお陰でした。

  ありがとうございます。 いろいろ大変でしょうが、くれぐれもご自愛ください。

 

  今年は備蓄米を申し込むかどうしようかと迷いました。

  結局、体に良い食べものに取り組んでいる大地を信頼して例年通り申し込みました。

  生産者の皆様方の怒りはよくわかります。

  国は方向も決まらず、おたおたしているだけです。

  経済的には大変でしょうが、自立するのが一番です。

  これからも検査結果を公表して、消費者の信頼を得てください。

  結果が残念な数値であっても、公表することで先の生産、販売につながりますから。

  今まで通りのお付き合いを長く続けていきたいです。

  野菜、果物はできるだけ福島産のを買っております。

  何が入っているか信用できない外国産はいけません。

  安いからと飛びつくのは、そろそろ止めたほうがいいですね。

 

  稲作研究会の皆さま

  我が家では備蓄米の精度ができて以来、その趣旨に賛同して毎年登録しています。

  安心でおいしいお米が毎日いただけることに感謝しています。

  登録時期が例年より遅く心配していましたが、この制度が続行されるなら、

  生産者の皆さんを信じ、申し込むと決めていました。

  その後、TVで皆さんの取り組みが報道され、

  やっぱり頑張っていられるのだと感銘を受けました。

  ありがとうございました。

 

全部紹介できないのがつらいけど、リーフレットにして何部か印刷して、

生産者にお渡ししたことを報告しておきます。

参加された方々の声も含めて、メッセージすべてが  " 希望 "  のタネです。

 

最後に挨拶に立った伊藤俊彦さんが、

仲間の労をねぎらった途端に、声を詰まらせた。

「みんな愚痴一つ言わず、朝から晩まで働いてくれて・・・・・」

 

帰り際、息子の大輔くんがぽつりと漏らしてくれた。

「親父の涙を始めて見ました。」

 

本当に涙、涙の収穫祭だった。

苦しい時に、信じ合える人がいることの喜びをかみしめながら、

僕も期待通り、泣きの挨拶になっちゃった。

「生産と消費を信頼でつなぐ、って口で言うほど簡単なことではないけど、

 この仕事をやってきてホントによかった。 とてもシアワセな気持ちで一杯です。」

 

さて、最後にもう一つ-

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭には、こんな方も登場してくれた。

滋賀県近江八幡市に本拠を置き、今や全国的ネットワークに発展した

「菜の花プロジェクトネットワーク」 代表の藤井絢子(あやこ) さん。

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休耕田や転作田を活用してナタネを植えてバイオ燃料を作り、

滋賀県愛東町の公用車を走らせた女傑。

「空いてる田んぼが油田になった」 と話題になった。

2007年からは、チェルノブイリ救援・中部と連携して、

「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」 に取り組んでいる。

この日も、福島の菜の花プロジェクトの支援に訪れていて、

この交流会に合流してくれた。

「ジェイラップの除染活動や、皆様の強い絆に感動しています。」

 

" 希望 "  は素敵な人たちをつないでくれるものなんだね。

 

なお、この日取材に入ったNHKさんですが、

平日夜7:30から放送されている 「クローズアップ現代」 で取り上げてくれる予定です。

放送日は未定ですが、11月のどこか、とのこと。

決まり次第お知らせいたします。 乞うご期待、ということで。

 



2011年10月14日

" 希望の米 " は、ここにある!(続)

 

あれえ・・・あっという間に日が経っていって、焦るなあ。

どうにもブログにたどり着けない、気が急くばかりの

 " 転換期間中・特命担当 "  という快眠不足の日々。

 

枕元で、初代会長・故藤本敏夫さんの懐かしい言葉がフッと降りてくる。

" 言い訳人生におさらばしよう。 "

そうだよね。 言い訳する時間があったら、恥かいたっていいから前に進むのだ。

その向こうに待っている人がいる、この時の意味をかみしめろ、馬鹿者!

 

2011年10月1日(土)、稲田稲作研究会 (ジェイラップ) との

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭レポートを続けます。

 

この仕事をやって間もなく29年。

こんなシアワセな気持ちになったことがあっただろうか。

回を重ねるごとに達成感は強くなっていたけど、

今年の感激は、状況が状況だけに、ひとしお感がある。

 

ひと通りの見学を終えた後に、楽しい楽しい交流会へと場が移って、

とても温かい時間になった。

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おいしくて、楽しい食がある。

それは自然と人の  " 気 "  が調和した結果だと思う。

加えて信頼できる人がいる。 それは間違いなく生命体の免疫力を高める。

日々目の前に示される ppm や μ (マイクロ) -ともに100万分の1- といった

極小レベルの冷たい数値によって排除したり失わせるわけにはいかない

未来への 「保証システム」 がここにある。 

 

生産者はみんな  " 泣き "  をこらえながらの挨拶だ。

稲田稲作研究会会長・渡辺良勝から-

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来てくれただけで嬉しい・・・ 頑張る、作る責任を果たしてみせる、てな感じで。

(スミマセン。 何言ったか覚えてないけど、印象で。)

不安や悩みと葛藤しながら稲を育ててきたこの半年。

頼みの綱は消費者の応えだった。

今年も作ってよかった、と口に出してしまった瞬間に、込み上げてくるものがある。

 

「私も泣いてます」 とか言いながら、

しっかり挨拶できるのは、意外と女子のほうなんだよね。 

今日のために、前日遅くまで仕込みをやってくれた女性陣を代表して、

伊藤美代子さん。

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彼女たちの支えがあって、この場が出来上がっている。

ありがとうございます。 -なんて感謝の言葉も薄っぺらな気がして、

なんかもっと気の利いた言葉はないのか、

と自問自答する気の利かない男たちは、ただすすり泣いている。

 

参加された会員さん全員に、

今日の感想や日頃の思いや生産者への言葉をいただく。

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生産者たちは自然にハンドマイクの移動に沿って動いている。

一人ひとりの励ましや感謝の言葉が胸を打つ。

 

来れなかった方からのメッセージも続けたい。

 

  皆様の取り組みと努力に、心から感謝しています。

  三人家族で多く注文しては申し訳ないので遠慮していたのですが、

  今年は2口お願いしました (笑)。

  いつにもまして、ありがたくいただきます。

 

  3月、これから何を食べればいいんだろう? と不安に駆られた私でしたが、

  すぐに、これからも大地を守る会を信じていくと決めることができ、

  それからは自分の食べ物に関しては迷いなく暮らしてこられています。

  今まで大地を守る会の食べ物をずっと食べてきて、

  生産者の皆さんと大地を守る会の信頼関係を信じてきたからだと思っていましたが、

  皆さんの除染作業への取り組みの記事を読み、私が決めたのはつまり、

  生産者の方がたを信じるということだったのだなあと思いました。

  それは、生産者の皆さんの手に、命を預けるということでした。

  私たちの命を預かっていることをはっきりとわかってくださっている皆さんの姿勢が、

  逆に私にそれを教えてくれました。

 

参加者のなかに、こんな若者もいた。 兄弟での参加である。

「僕たちがまだ小っちゃかった頃に、合鴨の進水式に来たことがあって、

 今日は17,8年ぶりでしょうか。 参加させてもらいました。」

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合鴨進水式・・・。

1990年、当時の稲作研究会会長・岩崎隆さんが合鴨農法で無農薬栽培に挑んでから、

無農薬栽培を広げ安定させるために、鴨肉を引き取るオーナーを募集した時代があった。 

あの頃、オーナーたちで鴨のヒナを田んぼに放す儀式をやってたんだよね。

お兄ちゃん (写真左) はまだちびっ子で、弟の君はお母さんにおんぶされていた。

そのお兄ちゃんが22歳になって、今日はなんと彼女を連れて参加してくれた。

もうそれだけで涙がちょちょぎれるよ。

僕は一週間ほど前に職員・布施から君たちの参加を知らされて、

古い段ボール箱の中から当時の写真を探し出したんだ。 一枚進呈できてよかった。

 

NHKの取材班が、参加者にインタビューしている。

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何を聞いているのか、どう答えているのか、ちょっと気になるけど、

そこはお任せするしかない。

どうぞ自然にやってください、としか言ってないし。

 

会津・喜多方から、大和川酒造・佐藤典明工場長も、

「種蒔人」や金賞受賞酒を持って参加してくれた。

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今年の原料米(美山錦) は、震災の影響が大きかった須賀川の状態を考慮して、

苗まではジェイラップで育ててから、

喜多方に運んで大和川さんの自社田での栽培をお願いした。

美山錦は早稲米なので、すでに収穫を終え、

ジェイラップに置いた放射能測定器での検査も終了している。

結果はND (不検出=検出限界値以下) 。 よかったです。

 

ごめん。 終わらないね。

ここまでで、とりあえずアップします。

 



2011年10月10日

" 希望の米 " は、ここにある!

 

いやあ、ホント、書けませんね。

なかなかブログに至らない、その前に沈没する日々。

いえ、酒のせいではありません。 酒量はむしろかなり減ってる。

 

抱えたテーマが放射能という未経験領域で、一つ一つの事項に明確な道がない。

最後は、責任を自覚した上での判断とか決断で進むことになる。

きついトレーニングさせられてるなあ、と思うのであります。

加えて継続して引きずっている案件がある。

それがまた、それぞれに重たくて、一つ進捗させるたびにフッとため息ついて、

まっこと肝の小さい人間だなあと実感するのであります。

 

しかし、先送りすればするだけ書けなくなっちゃうし・・・

ゼッタイに抜かすわけにいかない報告も待っている。

細切れに続けることになりそうですが、前に進みます。

 

2011年10月1日。

「今年はやりますか?」 と聞かれて、迷ってしまった自分が恥ずかしい、

と思い改め、実施を決断した 「大地を守る会の備蓄米」 の収穫祭。

やってよかった。 本当に、やってよかったと思う。

 

" これが僕らに与えられた試練なら、立ち向かうしかない "

空いたパンドラの箱から最後に託されたのが  " 希望 "  なら、

絶対に確かなものにしてみせる。 

思いつめてきた半年だった。 それだけに喜びも大きい。

 

募集をすれば、例年以上の参加者が集ってくれた。

マイクロバスを大型バスに切り替えて、全員を受け入れた。

参加いただいた皆様に深く感謝、です。

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 (カメラ隊は、NHKの方々。)

 

参加できなかった方々からも、たくさんのメッセージが寄せられた。

これもまた勇気の素で、嬉しいなんてもんじゃない。

「生産者の前で読もう! でもオレは読まない (泣いちゃう) から」

と早々に宣言。

 

  いつも美味しいお米を作ってくださり、ありがとうございます。

  3月の震災で、本当に悲しい、悔しい思いをされたと思います。

  皆様のお体が一番心配です。

  今回の収穫祭に参加することができませんが、心から応援しています。

  美味しいお米を楽しみにしています。

  心から感謝申し上げます。

 

  毎年美味しくいただいています。

  子どもが二人いるので、正直、今年は注文する時、どうするか迷いました。

  でも、取り組みの姿勢をみて、ご信頼申し上げることにしました。

  子どもたちともYOUTUBEを見て、話をしました。

  ご苦労が多いと思いますが、おからだに無理せず美味しいお米を作ってください。

  楽しみにしています。

 

  成長期の息子ふたりを抱える我が家にとって

  お米は欠かすことのできない大切な食材です。

  毎年お米の袋に書かれている文字を見ながら

  いつも変わらぬ大地の恵みを頂けることに感謝しています。

  たくさんたくさん家族でいただきます。 ありがとうございます。

 

「ずっと食べ続けてくれた皆さんの前で、人智を尽くしたと言えるように、、、

 頑張ってきたつもりです。」

グッと歯を食いしばる伊藤俊彦代表の挨拶と説明の後、

稔った田んぼの前で記念撮影。

「合い言葉は?」 - すかさずジェイラップの関根政一さんが言った。

「希望の米! でいきましょう」

 

よっしゃ。 では、希望の~ 米!

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本当だ。 希望の米が、いま僕の目の前で輝いている。

そしてファインダーからみんなの笑顔が・・・ああ、

我慢してたら鼻水が出てきた。。。 もうダメだ。

 

君たちの笑顔が見たかったよ。 来てくれてありがとう!

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空もさやかに晴れてくれて、

「もっと田んぼにいたい~」

 ・・・生産者には天使の言葉に聞こえたんじゃないだろうか。

 

大地震にも耐えてくれた太陽熱乾燥施設。

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今年も続々と、収穫された米が入り始めた。 

変わらぬ秋の風景のようでいて、違うのは

今年は田んぼごとに放射能検査を行なうという、前代未聞の挑戦をしていることだ。

その数 400枚。 面積にして120ヘクタール分のサンプル。

それぞれにモミ-玄米-白米、と検査する。

どこにもないデータの集積が、福島の一角で進んでいる。

 

地震で大きな損壊を受けた精米ライン。

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これを1週間で復旧させた。

「あのパニックの最中に、メンテナンス会社の連中が呼ぶ前に来てくれて、

 寒いなか工場に寝泊りして復旧にあたってくれた。

 いかに普段の関係が大事かを思い知らされました。」(伊藤俊彦さん)

 

いただいたメッセージから-

 

  今年も例年通り備蓄米を注文しました。

  いつもよりたくさんの苦労の末に、皆さんが作ってくださったお米を大切にいただきます。

  天災と人災のダブルパンチにも負けずに丹精込めて作ってくださったお米は、

  きっといつもより美味しいと思います。

 

  ホームページで、震災当時~今までの様子、活動を読ませて頂きました。

  目に見えない被害に対処することは並大抵のことではできません。

  皆様の努力に逆に言葉を失いました。ただただ頭が下がるだけです。

  何かしなければと思うだけで、実際にはただいただくばかりの自分が、はずかしいです。

  稲と同じように福島で暮らしてきた方々が、

  健康で、元気でおられますことをお祈りいたします。

  いつもありがとうございます。

 

  一日でも早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせるっていう

  その意気込み、取り組み。 応援します。

  今年もおいしいお米待っています。 

 

  毎年備蓄米をおいしくいただいております。

  放射能の影響は際限がなく、皆様方のご苦労を思うと本当に頭が下がります。

  これからも大変な作業の連続でしょうが頑張ってください。

  何もできない自分が歯がゆいですが、いつまでも応援しています。

 

  稲田稲作研究会のお米をいただくようになって何年たつか忘れてしまいましたが、

  第1回の募集のときから毎年楽しみにいただいてきました。

  3月11日の原発事故後、今年の米作りはどうなるのかと心配していましたが、

  いつもと同じように募集があってとても嬉しく、そして研究会の皆さまに感謝しております。

  真摯な生産者とそれを支える消費者がいてはじめて日本の農業が存在すると

  思っております。

  微力な私には、生産していただいたものを大切に食することしかできませんが・・・。

  どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

いえいえ、けっして微力なわけないです。 食べてくれることこそ力です。

 

ジェイラップと一緒に挑んできた乾燥野菜の開発-「はたまるプロジェクト」 も、

新工場ができて新たな段階に入った。 

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これまでの試作品を並べ、説明する伊藤大輔くん。

一品一品が試行錯誤の記念品だね。

 

お陰で、オリジナルの皮むき器やスライサーが所狭しと、

いや、広い部屋に並ぶ。。。

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広めにつくったところに、相当な期待の高さが窺い知れる。 

建屋の大きさは、こんな感じ。

 

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さて、ひと通り見学したあとは、お待ちかねの交流会。

 

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続きは、明日に、、、書けるか。。。

 



2011年10月 6日

安全なだけでなく、前より美味くなった! と言わせる。

 

すみません。

異動前後のせわしなさで、ブログのほうにまったく手が回ってませんでした。

時間というより、気持ちの問題ですかね。

しかも農産グループの仕事は細切れに引き継ぎながら、

次の仕事は一気にギアをアップさせたような感じで。

と言ってもこれまでの延長なんだけど。

 

前回の日記のあと、 

9月29日(木) は、4つの団体のトップの方々と秘密の会合を設定。

テーマは食品の放射能基準の正しい考え方について。

内容は近いうちにお知らせできるかと思います。

そして30日(金) には福島県須賀川市、ジェイラップに向かう。

この日はお米の話ではない。

岩手県久慈市(旧山形村) から短角牛の生産者に来てもらって、

牛の除染対策会議を開いたのです。

 

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今回試してみようとしているのは、ゼオライト (沸石) の粉末。

ゼオライトといっても、ケイ酸アルミニウム主体の多孔質鉱物の総称で、

その数は数百種類あると言われている。 

そのイオン交換能力の性質から土壌改良や水質改善に広く利用されているもので、

欧米ではサプリメントとして普及しているし、

家畜の餌に混ぜると生育が良くなることも証明されている。

(悪玉菌を出して善玉菌を増やす。

 血液がきれいになり、健康状態がよくなって、肉質が向上する、という理屈。)

特に3.11以降は、セシウム吸着力で注目されているものだ。

 

久慈といえば岩手の県北で、旧山形村はその内陸部に位置する。

原発事故の影響はかなり少ないほうなのだが、

規制値を超えた牛肉が県内で発生したため、県全域で出荷がストップした。

我々はいち早く短角牛の全頭検査を実施して、

その安全性を確かめる体制を取ったのだが、行政の規制は変わらなかった。

「まるで岩手全体が汚染されたみたいに思われたのではないか」

という生産者の不安は今も深く、販売不振に喘いでいる。

 

とはいえ牧草地のなかにはセシウムが検出されたところもあって、

生産者たちは今年の一番草を食わせるのを控えている。

牧草地対策、そしてゼッタイに肉に移染させない対策を徹底させるために、

ゼオライトの力を借りようというわけだ。

 

それがなぜジェイラップで?

長年、牛の健康と肉質の向上を目的としてゼオライト利用の研究をされてきた方が

福島にいて、ジェイラップの伊藤俊彦さんを経由して検討会をお願いした、というわけ。

久慈と東京の中間なのでお互い3時間ですむし、

僕にとっては翌日の備蓄米収穫祭のための打ち合わせもできるし、

何より一往復分の交通費が浮く。

 

検討はかなりイイ感じで進み、具体的な手当ての方法までまとまった。

「安全なだけでなく、3.11以前より美味しくなった、と言わせようじゃないか!」

・・・来たときは少々落ち込んだ感のあった生産者たちが、

笑顔も見せながら帰っていかれた。

国産飼料100%の牛肉を実現した彼らなら、やってくれると信じている。

 

帰る前に、放射能測定器も見ていただく。 

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これと同じものが大地を守る会のセンターに4台ある。

ゲルマニウム半導体検出器も威力を発揮し始めている。

測定でのバックアップは任せてくれ。

 

このやり取りを、脇で面白そうに眺めている男がいた。

 " やまけん "  の名で食の世界を闊歩している山本謙治である。

彼はこの日、別件で伊藤さんの取材に入っていた。

彼のレポートは近々、大地を守る会のホームページで登場するはずである。

大地を守る会の 「TTP (ちゃんとたべようプロジェクト)」 コーナーにて。

乞うご期待。 

 

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やまけんのブログでいつも、スゴいなあ!と思うのは写真のシャープさである。

マニュアルできちっと撮れるテクやセンスの違いはもちろんのことなんだけど、

ストロボ付きアンブレラを持ち歩いている姿まで見ると、

彼はすでにプロなのだと思い知る。

ウチの広報・中川が 「傘をこっちに向けろ」 とか、助手のようにこき使われている。

 

笑顔がほしいね~と、やまけんさん。

脇から茶化したりする。 

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ああ、いい笑顔だ。

やるだけのことをやった、という自負がある。

頭もヒゲも白くなったけど・・・

明日の収穫祭も、こんな感じでお願いしますよお。

 

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精一杯、手を尽くした田んぼ。

収穫は、一週間後あたりか。

何が起きようが生きるのみ、とばかりに美しく実った田んぼ。

早くも泣けてきて。。。 ありがとうの気を送る。

 

この日は須賀川に一泊し、

明けて10月1日(土) は、感動と涙の収穫祭になった。

この報告は次回に。

 

10月2日(日) は、段ボール数箱持って、引っ越し作業。

北の窓際から南の窓際に。

3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

15年ぶりの表敬訪問。

これは僕にとって、気合いとエネルギーを強化するためにも、必要な手続きだった。

 

遅ればせながら順次報告、ということでお許しを。

 



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