戎谷徹也: 2011年11月アーカイブ

2011年11月30日

『原発国民投票』 と、テレビCM拒否

 

僕より上の世代の人は、元東大全共闘議長の肩書きで

懐かしむ名前だろうか。

国内留学で湯川秀樹博士の教えも受け、将来を嘱望されながら在野に下り、

今は科学史家として存在感を確固としてきた山本義隆さん。

この方が書かれた

『福島の原発事故をめぐって ~いくつか学び考えたこと』 (みすず書房)

が本屋さんの棚から僕を見ているようで、見返すと今度は、「読め」 と脅迫する。

もう、この世代、キライ!

 

科学技術というものは、

「有害物質を完全に回収し無害化しうる技術がともなってはじめて、

 その技術は完成されたことになる」

と山本さんは規定する。 したがって、

「無害化不可能な有害物質を生みだし続ける原子力発電は、

 未熟な技術と言わざるをえない」 と。

 

にもかかわらず、強引な見切り発車で遮二無二建設を進めたのは、

戦後の政治的思惑と、政・官・財が一体となって築いた巨大な利権構造による。

「安全神話」 と 「原子力ムラ」 という伏魔殿は

それを維持・補完するために必須のアイテムだった。

 

「 " 怪物 "  化した組織のなかで、技術者や科学者は主体性を喪失してゆく。」

こうして形成された原発ファシズムと、フクシマの惨劇。

これは、「端的に子孫に対する犯罪である」 と山本さんは弾劾している。

 

最後の一節が、重たい。

 

  日本人は、ヒロシマとナガサキで被曝しただけではない。

  今後日本は、フクシマの事故でもってアメリカとフランスについで

  太平洋を放射性物質で汚染した三番目の国として、世界から語られることになるであろう。

  この国はまた、大気圏で原爆実験をやったアメリカやソ連とならんで、

  大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。

 

たしかに、フクシマから放出された汚染水は、日本から4,000km離れた太平洋の

日付変更線のあたりまで至っていることが確認されている。

僕らの国は、もはや被害者だけでなくて、加害者の立場にもなってしまった。

 

それでもまだこの国には、未だに経済優先で原発必要論を語る人たちがいる。

今も極度の不安の中で暮らす人たちがいること、美しい村が丸ごと捨てられたことなど、

意に介してないかのようだ。

事故後10年近くなって子どもたちの甲状腺ガンがピークに達したという

チェルノブイリの教訓は、はたしてどこまで生かされるだろうか。

 

「原発」 なるものへの判断は、誰が下すべきものなのか。

それは 「国民」 だろう -という呼びかけがある。

『 原発国民投票 』 - いかがだろうか。 もちろん判断はそれぞれで。

 

これを呼びかけている人たちの中に、

いま一緒に放射能基準を検討している 「カタログハウス」 さんがいて、

発行する雑誌 『通販生活』 秋冬号の巻頭特集が 「1日も早く、原発国民投票を」 ときた。

気合入ってるねぇ。

とエールを送っていたところ、

何とこの雑誌のテレビCMが放送局から断られたというのだ。

 


11月23日付の朝日新聞-「CM天気図」 というコラムで、

天野祐吉さんがそれをすっぱ抜いた。

以下、冒頭部分を引用したい。

 

  こういうテレビCM,見た?

  黒い画面に白い文字の文章があらわれ、それを読む大滝秀治さんの声が流れる。

  「 原発、いつ、やめるのか、それともいつ、再開するのか。

   それを決めるのは、電力会社でも役所でも政治家でもなくて、

   私たち国民一人一人。 通販生活秋冬号の巻頭特集は、『原発国民投票』 」

  見た人はいない。

  だってテレビに流れてないんだから。

  カタログハウスがそういうCMを作ったんだけど、テレビ局に放送を断られたんだって。

 

テレビ局はどうやら、これを意見広告と判断したようなのだが、

「国民投票」 という民主的手法の呼びかけである。

しかもお金を払って流す雑誌のCMなんだけど・・・・・

ご覧になりたい方は、カタログハウスさんのHPをどうぞ。

 

さて、この 「みんなで決めよう 『原発』 国民投票」 という市民グループ。

脱原発でも原発推進でもない。

原発の是非を有権者が決める国民投票を実現させることを目標として結成された。

詩人の谷川俊太郎さんや俳優の山本太郎さんなど、

たくさんの著名人が賛同人になっている。

 

反対でも賛成でもなく、と言っているのだけれど、

国民投票に反対しているのは、どうも推進派の方々のように見える。

旗色が悪いと読んでいるのかもしれないが、それよりも

国民をバカにしていると思えてならない。

「重要な国策を国民投票で決めるのはおかしい」 って、何かヘンだよね。

国民はバカなほうがよいとでも思っているのだろう。

こんな政治家に未来は託せない、と思って、

" 反対に反対 "  の意味で、署名に賛同することにした。

 

CM放送拒否で逆に話題がネットとかで広がって、

もしかしてカタログさん、してやったり、かしら。

 



2011年11月22日

共同テーブル

 

(株)カタログハウス、生活クラブ生協、パルシステム生協、(株)大地を守る会。

4団体による、放射能基準を検討する 「共同テーブル」。

正式名称は 「食品と放射能問題検討共同テーブル」 と言います。

9月から3回の会合を経て基本合意に至り、プレス・リリースに踏み切りました。

HPでもアップされているので、ぜひご確認ください。

 

http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2011/11/post-37.html

 

本件に対して、いろんな質問が寄せられています。

どれも実に自然な疑問ばかり。

説明責任もありますかね。

この場を借りて、いくつかお答えしておきます。

 


<疑問その1> なんでこの4団体なの?

- 特段の理由はないんです。 予め考えてこうなったわけでなく、

  六ヶ所村の核燃サイクルに反対する運動や遺伝子組み換え問題など、

  いろんな運動を一緒にやってきた関係(生活クラブさん、パルさん) や、

  福島・ジェイラップの放射能対策を双方から支援した関係(カタログハウスさん) で

  声をかけたのがきっかけで、まずは我々でやってみようということになりました。

  あえて共通点を抽出するなら、脱原発の姿勢を共有しているということ

  +首都圏・流通(生協さんは正確には 「流通」という業態ではないですが)、

  でしょうか。 もちろん食品の安全性へのこだわりや生産者支援の姿勢で

  一致できる部分がある、というのが前提です。

 

<疑問その2> 広く参加を呼びかけないのか?

- もっともな疑問ですね。上記の4団体で集まった際に、さらに広く呼びかける、

  ということも検討しましたが、多種多様な意見が持ち込まれることが想像され、

  はたしてまとめ上げられるか、という懸念が強く出されました。

  団体の数が多くなると必然的に 「運営」 や 「調整」 に時間が割かれることになります。

  加えて、意見の食い違いから対立や批判を招いてしまっては、

  主旨とは逆の結果になってしまうことになります。

  この業界(?) は、個性派や主張・信念の強い方々が実に多いのです。

  「まとめられなくなる怖れ」 という力量的な限界、これが正直なところです。

  どこに声をかけて、どこは呼ばない、という判断もできません。

  そんなことをすれば、その時点で「終わる」 可能性があります。

  スピードも必要とされるテーマだけに、とにかく我々の力量にしたがって

  目標到達に向かおう、と判断しました。

  もちろん閉鎖的でよいとは思っていません。一定の目処が立ったところで、

  共通資産にできると判断できれば、広く呼びかけることも考えたいと思っています。

 

<疑問その3> 検討はどんな形で進められるのか?

- 食品に含まれる放射性物質は限りなく少ないほうがよい (しきい値はない)

  という認識と、すでに放射能が大地や海に降ってしまった現実の狭間で、

  私たちは今後放射能とどう向き合っていかなければならないのか、

  という視点からスタートしています。

  その上で規制値の適正な設定はどのようなものであるべきか、

  専門家の意見も可能な限り吸収しながら構築してゆきたいと思ってます。

  実際は、悩みが深くなるばかり、というのが今のところですが。

 

<疑問その4> いつ頃までにまとめる予定か?

- 一刻も早く、と考えてはいるのですが、4団体での合同作業になるため

  相応の時間がかかることでしょう。 今想定している目標は、年度内、です。

 

<疑問その5> 国への要求という形をとるのか?

- 国は国で基準の見直しを進めていますが、対立を前提にしているものではありません。

  主旨文にも書いたとおり、

  「それが 「公」 の基準検討を補完するものになれば幸いであり、

   あるいは対立するものになったとしても、

   国民レベルでの健全な議論に寄与するものになることを確信」 しての作業です。

  公・民双方からの議論と作業の積み重ねが、

  生産者も消費者も納得できる 「指標」 の獲得につながる、と信じています。

  新聞記事を見て、電話をかけてこられた ●●●● 省の方、

  喧嘩することが目的ではないので、どうぞご安心ください。

 

とりあえずこんなところで。

また随時、検討プロセスも含めて報告してまいります。

ご期待ください、と力強く胸を張りたいところですが、

前代未聞の作業だということがじわじわと涌いてきて、

震えているのが正直なところです。

 



2011年11月20日

六本木ヒルズで 「放射能と向き合う」

 

まったく広報はいろんな依頼を受けてくる。

日曜日がまた潰れてしまったではないか。。。

 

本日の指令は、「午後3時半、六本木ヒルズに直行せよ!」

六本木ヒルズ!!! オイラなんかの行く場所ではないと思っていた。

大地を守る会の六本木事務所からも近いのだが、

前を通ることはあっても、足を踏み入れたことがない。

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地下鉄通路を上がれば、いきなりこんな感じ。

迷ってしまわないか不安で早く出たら、30分前に着いてしまった。

 

六本木ヒルズ森タワー 2F 「ヒルズカフェ」。 

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ここで17日より 「企業と環境展」 というのが開催されていて、本日が最終日。

主催は、港区内で様々な環境問題に取り組む事業者で構成する

「みなと環境にやさしい事業者連合」。

六本木に事務所がある関係で、大地を守る会も加盟している。

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 その最後のプログラムが、これ。 

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アースデイダイアログ 「放射能と向き合う未来の食卓」。 

ゲストが、お互いに 「変わった名字ですね」 と言い合う3名。

吉度(よしど) さん、親跡(ちかあと) さん、戎谷(えびすだに) さん。

 

" むかし兄弟、いまライバル "  の 『らでぃっしゅぼーや』 さんと席を並べての

食と放射能鼎談。

親跡さんは取締役ながら 「放射能対策チームリーダー」。

僕、「特命担当」。

お久しぶりの挨拶もそこそこに、何の因果かね、と新しい名刺を交換し合う。

 


トークセッションの前に、 

らでぃっしゅぼーや・潮田和也氏とヤスヨさんのユニット 

 " ドライドボニート " (カツオ節という意味だとか) による夕暮れライブ。

 

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プロのギタリストなのに、らでぃっしゅ さんに籍を置いて、

楽しそうに農家を回っている、憎たらしいヤツ (嫉妬丸出しか)。

ま、今日は ヤスヨさんの美しい歌声もあって、しばし癒してもらいました。

 

さて、トーク風景。 

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話はいきなり食品の放射能基準から始まった。

親跡さんが、消費者の強い要望もあって自主基準値(50Bq) を設定した説明をすれば、

僕は、生協も含めた4団体で統一基準を作ってみようと動いていることを報告。

これは正確には、「4団体の」 共通基準を作ろうとしているのではない。

「あるべき公的基準」 を我々サイドからも考え、社会に提示しよう、というものだ。

放射能に関しては、流通の中で基準が乱立するような世界はよろしくない。

ちゃんと生産者にも消費者にも信頼される統一基準が必要だと思うのである。

基準値の低さで競争してしまうと、かえって不安を煽る結果にもなりかねない。

 

大事なのは実態(測定結果) の情報公開であること。

基準値を設定しても、測定情報が開示されなかったら、

基準が担保されていることにはならない。

逆に測定情報をよくよく見れば、現在の食品の放射能汚染がどの水準にあるか、

ほぼほぼ掴めるまでになってきている。

(50という基準値は、実態を見た上での設定でもあろうと思う。)

50Bq(ベクレル) を基準にする団体のほうが100Bqの団体より安全性が高い、

というような話ではないので、実態を把握することに努めましょう。

 

実態を知るには、できるだけたくさんの入荷物を測定する必要がある。

しかも信頼に足る方法でやらなければならない。

それは実にコストのかかる話である。

そこはどの団体も、今もって苦労しているところだ。

ゲルマニウム半導体検出器1台、ガンマ線スペクトロメータ5台 (1台は福島・ジェイラップに)

という当社の体制は、なかなか誇れるものだと思っている。

(自力で揃えられたわけではないので、そこはふまえておくとして-)

 

放射能に安全を線引きできる 「しきい値」 はない。

これが我々が取っている立場である。

だとすると、「これ以下は安全」 と言える数値は軽々には設定できない。

かといってお手上げして、野放図に何でも流通させていいわけではない。

どこかで線引きが必要になる。

過去の調査データや科学的知見、食生活バランス等をもとに一定のラインを設定し、

物理学者・武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 のような考え方をもって

整理するしか、今は方法がないように思われる。

数値が落ち着いてきている今のうちに、できるだけの知見を集めて、考えてみたい。

それまでは、実態を見て、それぞれの価値観で判断してもらうしかない。

特定の作物以外はほとんど 「不検出」 レベルになってきてるし。

 

僕が今回、基準の問題以上に強調したかったことは、前にも書いたけど、

「放射能対策には、放射能だけ見てはダメ」 ということ。

人間の体には、放射能によって多少ダメージを受けても、

遺伝子を修復する力が備わっている。

その免疫力を高めるには、できるだけ他の化学物質の影響も考慮して、

バランスの取れた 「よい食事」 をとることが何よりも基本なのである。

放射能対策は総合力でいきましょう。

気になる場合は、よく洗う・皮をむく・茹でる (セシウムは水に溶けやすい)・・・

ま、調理や食べ方については、

マクロビオティックの料理家である吉度さんに聞いてください。

 

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そして、もうひとつ。

世界の人口が70億を突破し、食料問題や環境問題が切迫してくる中、

未来世代のためにも 「この国土を守る」、という強い意識が必要だと思っていること。

そのために 生産者と消費者が対立することなく、 共同で守り合う世界を育てたい。

それは、除染を含めて食品への移行(汚染) を必死で食い止めようとしている生産者を、

「食べる」 という行為を通じて 支援してほしいこと。

もちろん子どもには配慮が必要だけど、

(数字を見た上で) 「大人はしっかり食べよう」、と訴えたいです。

未来への責任において。 

 

自分の話ばっかりでスミマセン。

前に座っていたもんで、ちゃんと話を書き留めてなく・・・

吉度さんが最後にまとめてくれた。

強く、生きましょう! 

この記憶に尽きる。

 

終わった後、今宵は 六本木農園 で一献。 

吉度さんを横目に、親跡さんと銘酒 「五人娘」 をクイクイと飲みまくってしまった。

 



2011年11月18日

さんぶ野菜ネットワーク、新センター建設

 

千葉・海浜幕張、通勤途中にある隠れ小路の風景。

冬に向かう時節、枯葉はいろんな情感を誘い出してくれるけど、

今年の落葉はなんだか我々の罪を抱いて落ちてくるようで、

陰鬱とした心境にさせられる。

 

放射能汚染にTPP・・・

こんな厳しい環境の中でも、敢然と船出する人たちはいる。

千葉・さんぶ野菜ネットワークが新しい集出荷貯蔵施設を完成させ、

昨日はめでたい落成式が催された。 

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当時の山武農協・睦岡園芸部に有機部会が発足したのが1988年。

2005年に販売部門として独立し、「農事組合法人 さんぶ野菜ネットワーク」 を設立。

そしてついに自前のセンターを完成させた。 

国の 「食糧自給率向上・産地再生緊急対策事業」 からの助成があったとはいえ、

約50人のメンバーも出資し合って、借金を背負ってのスタートだ。

 

挨拶する代表理事・富谷亜喜博さん (大地を守る会CSR推進委員でもある)。

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以下、富谷さんの挨拶から-

 

  1988年に、農薬や化学肥料に頼らない農業を実践しようと有機部会が発足して、

  早いもので23年。

  ますます悪化する経済状況のなかで、少しでも前に進むために、

  集出荷貯蔵施設を持ち自立することにしました。

 

  生産者と事務局が一体となり、出荷作業の軽減や貯蔵施設を利用した安定供給を

  目指すことにより、取引先との信頼関係をさらに深め、

  また新たな取り組みにもチャレンジしていきたい。 

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  本年は、東日本大震災・福島第1原発事故、また相次ぐ台風による被害など、

  未曽有の災害が続いた年となりました。

  放射能問題は風評被害を呼び、私たちの産地にも大きな打撃となりました。

  信頼回復には農産物の検査結果を開示し、時間をかけて取り組んでいくことになります。

 

  また日本政府は今月11日にTPPへの交渉参加を表明しました。

  農業は計り知れない打撃を被ることが懸念されます。

  私たち自身が大きく農業の変革に取り組まなければなりません。

 

  農業従事者の平均年齢は66歳になり、耕作を断念せざるをえない農家が増えています。

  今後、この緑豊かな日本は誰によって守られるのでしょうか。

  世界の人口が70億人を超え、食料不足が懸念されるなか、

  農業者の果たす役割はますます大きくなると思われます。

 

  この地に生まれ育った農業者と、農業に未来を感じて集まった新規の就農者が

  ともに刺激し合い、発足当初からの 「いのちのたべもの」 という合言葉と

  顔の見える関係・ネットワーク(つながり)を大切にして、

  「魅力ある農業」 の実現に、新集出荷貯蔵施設を基点に進んでいきたいと思います。

 

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振り返れば、このセンター建設を総会で諮ったのが、あの3.11の日。

成田のホテルで、まさにこの議案の審議中に揺れ始めたのだった。

シャンデリアが大揺れする中、それでも決議まで進もうとしていたよね。

「私たちの意思が揺れてはいかん、という大地の怒りでしょうか」

(でしたっけ・・) と言った富谷さんの発言を、

うまいこと言うなぁ~ とか思いながら机の下に潜ろうとしたのを覚えている。

 

結局総会は中止となり、後日設定された臨時総会で可決された。

4月27日に着工し、10月25日に工事完了・引き渡しとなった。

いわくつきの集出荷センター。 組合員の方々も感慨深いものがあるだろう。

 

式典のあとは、祝宴。

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奥さんたちのグループ 「さんさんママさん」 たちが、

さんぶの野菜でこしらえた手料理がふんだんに振る舞われた。 

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どれも美味しかったです。 持って帰りたかったです。

 ご馳走様でした。

 

当日パンフレットに抜粋された ≪23年の歩み≫ を見れば、

ホント、ウチもよく付き合ったと思う。

1988年12月 無農薬有機部会 設立総会 -部会員28名-

1989年 5月 「大地」への野菜出荷開始 -雲地幸夫氏のチンゲン菜-

  (当時広報だった僕は、雑誌 『クロワッサン』 の記者を、雲地さんの畑にお連れした。)

 同年   11月 大地を守る会との収穫交流会

1990年 1月 大地を守る会 「東京集会」 参加。

 同年   5月 第1回・大地を守る会 「稲作体験」。

                       - 稲作体験も今年で22回(年) を数えるまでになった。

   ・・・・

   ・・・・

 

3年前からは、農業の担い手育成を目指し、新規就農者の受け入れを

積極的に進めてきた。

この間、15人が新規組合員となり、6名の研修生が就農を目標に頑張っている。

 

事務局の人たちの表情も晴れやかだ。

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挨拶しているのは福島・熱塩加納村出身の花見博州さん。

ちなみに、花見さんのお父さんは、

熱塩加納村で地元産野菜を使った学校給食を始めようとした際に、

最初に手を上げた農民である。

 

歩んできた歴史を振り返り、亡くなられた先達の名前も出たりして、

" 鬼の下山 " 常勤理事も感無量か、こんな一瞬も。 

怒られるかもしれないけど、、、アップしちゃお。

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山武の皆さま、おめでとうございます。

皆さんの挑戦に、腹の底から敬意を表します。

苦難の道になるかもしれませんが、未来への道しるべをつけるべく、

ともに頑張りましょう!!!

 



2011年11月15日

有機農業で街を救う日を -ベトナム体験記③

 

本ブログにコメントを寄せていただいた千葉県佐原市の K さん。

アップするにはちょっと悩む部分があり、保留になってます。

記されていたアドレスにお返事を書いたのですが、エラーで返ってきました。

できましたら再度アドレスをお知らせいただけますでしょうか。

それにしても、懐かしいお名前にビックリしましたよ。

K さんに読んでもらっていたとは、とても嬉しいです。

 

コメントによれば、職場で TPP 問題で議論になったとのこと。

「考え方の合わない人との議論は疲れる。」

お気持ちはよく分かります。 

でも論争って、論破しようとすればするほどかみ合わなくなりますよね。

根本的な違いがどこにあるのか、双方で突き止めていこうという合意がないと、

なかなか生産的な議論になりません。

そういう自分も、すぐに否定から入ったりするんですけど。

先に大人になる必要があるのでしょうが、これが難しいです。

お互いまだまだ精進ということで。

 

さて、ベトナム体験記を終わりにしないと。

 

ホアビン省タンラック郡ナムソン村では、

ルンさんという副村長さんのお家に泊まらせていただいた。

伝統的高床式住居。

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といっても土台はコンクリだし屋根はトタンなので、

昔のまんまということではないと思うのだが、正確には分からない。

熱帯モンスーンの湿度対策が生んだ建築様式、

といったうろ覚えの知識しかないくせに、

床の下で犬や鶏が家族のように振る舞っている風景に懐かしさを覚えたのは、なんでだろう。

 

ここはムオン族という少数民族の地域。

若者は今もわりと残っていて家族農業を営んでいる。

 

客人が来た時に、おもてなしの料理を作るのは

若者男子の仕事なのだそうだ。 

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ルンさんが気を揉んで、調理場と待っている我々の間を行ったりきたりする。

「暗くならないと鶏をつぶせない (捕まえられない) もんで・・・」

これが本当なのか冗談なのか、確かめられなかった。

 

料理は辛い味つけを想像していたが、意外とほどよく、

どれもこれも口に合った。

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ただ生野菜のなかに 「ウッ・・・やられた!」 みたいに苦いのがあった以外は。

その一つはよく知っているドクダミってやつだ。 初めて生で齧った。

そこら辺の草なら何でも食べられるような気になってくる。

 

宴会風景。 

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焼酎をお猪口に注いで、一気飲みで乾杯!

これを延々と強要された以外は、言うことなし。

 

寝袋で寝ようとすると、奥さんが蚊帳を吊ってくれた。

これまた懐かしさが込み上げてくる。

夜は何度となく、激しいスコールの音に起こされる。

まったきアジアの一夜。。。

 

その間、僕のワーク・ブーツが犬たちにしゃぶられていたのを知るのは、朝のことだった。

靴紐がち切れて散乱していた。

ルンさん家の犬は僕のことが大好きになって、帰したくなかったんだと思う。

翌日のワークショップではこう言って笑いを取るしかなかった。

多少フォーマルな席があることも意識して選んだつもりだったが、

ベトナムの農家に泊まる場合は、革はやめておこう。

 

朝の散歩で見た風景。

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一見すれば、伝統的パーマ・カルチャーの世界。

しかしここに広がってきているのは、換金作物としてのさとうきび栽培だ。

農薬が当たり前のように撒かれるようになった。

 

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こちらはホアビン市での夜。 

ベトナム各地から集まってきた農家と農業専門機関・行政の職員たちと交流する。

 

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愛媛・中島のレモン農家、泉精一さんみたいな闊達で笑顔のおじさんが来て、

しきりと日本を褒めてくれる。

「中国と日本を選べと言われれば、ワシは間違いなく日本を選ぶ。」

いやいや・・・仲良くやりましょうよ。 「いや、日本が好きじゃ」 てな感じで。

このおじさん、人民委員会でのプレゼンでは、じっと僕を見て、

通訳のたびにウンウンと頷いてくれる。 特にベトナム戦争のくだりのあたり。

 

ベトナムでの米の有機栽培では、アヒル農法が広がっているようで、

日本の合鴨農法の権威、福岡の古野隆雄さんも指導に来られたのだとか。

どうやら、このおじさんたちの心を掴んだ日本人は古野さんと読んだ。

 

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有機農業はどこも元気だ。

加えて僕としては、熱心に聞いてくれた女性たちに期待したい。

 

ハノイに帰ってきて、

ふたたびこのエネルギーに巻き込まれる。

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伊能さんにわがままを言って、

ホーチミンの遺体が安置されているホーチミン廟と、

その隣にある 「ホーおじさんの家」 を訪ねさせてもらった。

 

ホーチミン廟。

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ここで、ホーチミンは宣言した。

「独立と自由ほど、尊いものはない!」

 

今やすっかり賄賂社会と言われ、開放経済にひた走るベトナム社会主義共和国。

観光名所となったホーさんの家も塗り替えられ、

きれいなウッディハウス調だ。

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期待した感慨は涌いてこず、夢の中に置いておけばよかったかしら。

 

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ハノイ市街の真ん中にあるハノイ大聖堂。

その下を、バイクと自動車が叫びながら駆け巡り、人は平然と横切っている。

 

いつか有機農業がハノイに向けて進軍してくる。

たたかう聖母の衣をまとって。

彼女たちは宣言するだろう。

「命を守るものはお金ではない。 いのちは、食べものにある!」

再び彼らと会えることを思いながら、玉石混淆の熱いベトナムを後にする。

 

最後に、プレゼンのスライドには 「原発に反対し・・・」

という文言も入れてあったのだが、宴席等でも質問はまったくなかった。

日本から輸出されようとしていることがどの程度伝わっているのか、分からずじまい。

ま、これは我々のほうの問題だけど。

 



2011年11月13日

食を守るとは- ベトナム体験記②

 

一週間ぶりに自宅に帰り、

録画してあったNHK 「クローズアップ現代」(11月8日放送) を観た。

放射能対策に挑む福島の農民リーダー、二人。

NHKなので団体名は出なかったけど、ジェイラップ(須賀川市) の伊藤俊彦さんと

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市) の菅野正寿さんだ。

このブログにも何度か登場している二人。

う~ん、頑張ってるねぇ。 こっちまで自慢したい気分になってくる。

備蓄米収穫祭の映像も冒頭で、橋本直弘君の「カンパ~イ!」 の一瞬が映された。

予告通り、ホント一瞬だったね。

直弘君のお父さん、文夫さんが

長年かけて作ってきた土を慈しみながら涙をこらえる姿がたまらなく切ない。

彼らの必死のたたかいを支えられる我らでありたいと思う。

 

さて、ベトナム体験記を続ける。

 

ベトナム独立の英雄・ホーチミン像や、マルクス・レーニンの絵を背にして、

大地を守る会を一つの事例としながら、有機農業というものの力と、

生産と消費のあるべき関係作りについて、発表させていただく。

大地を守る会のたどってきた歴史や企業理念に自身の経験をかぶせながら、

僕はどこかで、自分が追っている夢も語っていたかもしれない。

 

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  (それにしても社会主義国というのは偶像崇拝が過ぎる。

   ホーチミンさんははたしてこんな国の形を望んだのだろうか。。。)

 

4ヵ所でのプレゼンは、まずは感謝の言葉から始めた。

 - 3.11震災に対する世界中からの温かい支援に対して、

  日本人の一人として、心から御礼申し上げたい。  

拍手をいただけたことで、少しは心が通じたように思う。

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(フーヴィン村でのミーティング風景)

 

大地を守る会の話をする前に、押えておいてほしい時間がある。

日本で農薬・化学肥料が大量に使われるようになったのはたかだか50年前、

1960年代からのこと。

そして10年もしないうちに農家の健康被害が顕在化し始め、

「農薬公害」 と言われる言葉が生まれ、

70年には有機農業運動が全国的に広がる時代に入っていたこと。

それは有機農業を認めない市場流通のあり方に対する批判から、

生産者と消費者の直接提携という形で発展した (したがって 「運動」 と呼ばれた) が、

運動のエネルギーは必然的に 「社会化」 も求め始める。

大地を守る会が誕生した1975年とは、そんな時代だったこと。

それは生産からでもなく、消費からでもなく、

「生産と消費を健全な形でつなげる」 必要を感じとった若者たちが始めたもので、

新しい仕事スタイルの創出でもあった。

 

そして若者たちを突き動かした動機のひとつに、

ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤の衝撃があったことも、ぜひ付け加えておきたい。

 


大地を守る会の企業理念の説明では、

「安全な食」 と言わず 「第一次産業を守る」 と掲げている意味について。

ソーシャルビジネス (社会的企業) としてのミッションでは、

社会への批判で終わらせない、オルタナティブを提案する行動原理を取っていること。

たとえば遺伝子組み換え食品に反対する一方で、

地域の風土と文化に育まれた種 (品種) を、販売を通じて支えようとしていること。

 

大地を守る会の事業概況や歴史をたどりながら、理念を重ね合わせる。

食を運ぶとは-

" 安全・安心 "  への責任を自覚する生産者と消費者をつなげ、

支え合う  " 関係を育てる "  仕事であること。

価格の前に  " 価値を伝えられる流通 "  でありたいと思い続けていること。

たとえば、無農薬の米とは、水系を守ってくれている米である、みたいな。

したがって生産と消費の交流・触れ合いは欠かせない運動であり、事業の一環である。

またグローバル化する世界にあって、

私たちもまた同じ思いで歩んでいる世界中の人たちとつながる必要がある。

 

生産者にその思いさえあれば、流通は作れる。

道に迷っている若者を数人たぶらかせば、いや、その気にさせればいいのです。

 

最後の、郡の人民委員会でのプレゼンでは、特に気合いを入れた。

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日本で今、新しい農業者を育てているのは、有機農業です。

消費者に安心を与えているのは、有機農業です。

有機農業とは、国土と、国民の健康を守る運動なのです。

食を守ることは、国の自立に関わる重要な課題なのです!

 

日本では5年前にようやく国が有機農業の価値を認め、

有機農業を推進する法律が成立しました。

有機農業運動の萌芽期から35年かかりました。

この時間と経験を参考にしていただけるのなら、喜んで協力したい。

(枯葉剤と戦い抜いた) 皆さんの強い意志とエネルギーをもってすれば、

10年もかからず成し遂げられるんじゃないでしょうか。

 

日本からの、もう一人のプレゼンテーター、

京都・太秦(うずまさ) で有機農業を営む長澤源一さん。

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この方もやはり農薬禍によって体を壊し、有機農業に転換した。

まったく収穫できなかった暗黒の時代から20年。

今では京都・嵐山の吉兆や、一流といわれるレストラン・卸から引き合いがある。

「値段はすべて自分がつけます。 それだけのものを作っているという自信があります。」

強気の関西弁が少々憎たらしい。

長澤さんは、同志社大学で有機農業塾を開講する先生でもある。

僕の言う 「次世代農業者を育てているのは有機農業である」 は、間違いない。

 

カンボジアで有機農業者をネットワークし、

有機米を海外に輸出するまでに成長しているCEDAC(シダック) 

という団体のダルンさん。

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エリート家庭の御曹司らしいが、

この仕事にやりがいを感じて、" こっち "  の世界に来てしまった。

カンボジアでもソーシャル・ビジネスが生まれ、成長している。

 

有機農業で野菜や米を作るティブさん。

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少し照れながら、しかし堂々と、いろんな苦労話を笑顔で語る。

気品を感じさせる、素敵な女性だった。

 

タイからの報告者は洪水で欠品となったが、

こうやってアジアの有機農業団体をつなげ、コーディネートする

伊能まゆさんの馬力には脱帽させられた。

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自ら動き、プレゼンし、通訳から解説まで、一人でこなした。 

成果が見えてくるには、まだ時間がかかることと思うが、

体に気をつけて頑張ってほしい。

 

この風景の裏にも様々な悩みが隠されているのだが、

未来に幸いあれ、と願わずに入られない。

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2011年11月12日

ベトナム-その凄まじい現実に立ち向かう女たち

 

11日、北ベトナムの土に漉き込まれることなく、無事帰還しました。

少し仮眠を取って都内での会議に出席し、夜は新しい事業戦略部の飲み会に合流。

でもって今日は、5日分のメールにため息をついている始末。

ベトナム熱を早く冷まさなければ・・・ と思いながら、

気がつくと頭の中で再現されてたりして。 この体験、さてどう整理しようか。

 

憧れのベトナムは、喧騒とジレンマに満ちた国だった。

全開の欲望、ギラギラした個人主義が突っ走っているような街と、

静かに矛盾を深めつつある農村。

 

首都ハノイの街は、まるで無政府状態のようだった。

バイクと車が朝から晩までクラクションを鳴らしあいながら、

日々のたたかいを繰り広げている。

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一方でハノイから100数十キロ離れた農村部には、

時間が止まったような光景が残っている。

 

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こんなのどかな山村で、農薬の問題を話さなければならないというのは、

実に罪な世の中だと思う。

 

今回、訪越の機会を与えてくれたのは

 「Seed to Table」 という日本のNPO団体。

代表の伊能まゆさんは元JVC (日本国際ボランティアセンター) のスタッフで、

2年前にベトナムでの環境保全型地域開発を支援するためにNPOを設立された。

その活動のなかで、伊能さんはいよいよ

有機農業で都市と農村をつなげるステップに入ろうと、

今回のワークショップを企画されたようだ。

 

ハノイから西北約120kmに位置するホアビン省タンラック郡の

3つの村と郡の人民委員会(行政機関) を回って、

日本での有機農産物流通の発展事例として大地を守る会の話をしろ、というミッション。

しかもこれは、

「有機農産物の品質・生産技術の向上および市場アクセスの改善を通じた

 小規模農家の生計改善事業」 という、

ちゃんとした外務省の助成によるプログラムである。

 


「キックオフ・ワークショップ」 と銘打たれて、

ナムソン村 - ディックザオ村 - フーヴィン村 と巡回する人使いの荒い行程。

日本からは、京都で有機農業を営む長沢源一さんと僕の二人だったが、

カンボジアから、有機農業の支援とネットワーク作りを展開しているCEDACという団体の

ダルンさんという若者と農家のティブさんという女性が参加された。

他にタイからも来られる予定だったが、洪水の影響で断念されたとのこと。

 

各村に建てられた公民館(?) はどれもステレオタイプだ。

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ワークショップでは、まず村の偉い人からの挨拶があり、

続いて伊能さんが今回の意義を伝える。

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ベトナムで広がる経済格差。

開発による農地収用で職を失う農家。

生産コスト増で借金を膨らませる農家。

物価は上昇しても農産物価格は低いままである。

都市化と工業化の進行、旱魃や洪水の多発化、森林の減少と土壌流出。

化学肥料と農薬への依存が強まる一方で病虫害は増加するという悪循環が進行している。

 

都市では大気や生活用水の汚染が進んでいる。

食の欧米化と 「顔の見えない農産物」。

そんななかで、健康志向と食の安全を求める声が高まってきている。

 

地域の自然を守り、安全な食べもの生産・持続的農業を拡げ、

都市の消費者とつながることで、環境を壊さず食糧確保と生計向上を図る。

そのために協力できることがある。

 

なかなかに力強いプレゼンである。

この主旨に沿って、日本での事例を語れということなのね。

 

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各村とも参加者は圧倒的に女性が多く、しかも熱心に聞いてくれる。

ベトナムは女が強い(実はどこもなんだけど) と聞いていたが、これは本当だ。

手前の、缶コーヒーのBOSSの宣伝に出てきそうなお父さんより

ずっと頼もしく感じられた。

 

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じゃあ、一丁やったろか、と気合も入る。

すみません、今日はここまで。 続く。

 



2011年11月 5日

米と塩と、酒 -原発を止めた町から

 

二つのシンポジウムの報告を約束したのだけど、

ベトナムに飛ぶ前にどうしても書いておきたいことが、もう一つ。

 

10月6日付の日記に書いた一節。

  3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

  「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

  まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

  20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

  15年ぶりの表敬訪問。

 

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僕がこの任務を受けるにあたって、自分に言い聞かせたのは

 「希望を示せなければ、全うしたことにはならない」 ということだ。

その意味で、この先駆者を訪ねることは恩師への報告のようなものだったのだけど、

それ以上に、ここは何より、先進地なのである。

 

この間しつこいくらいに 「備蓄米」 産地 (稲田稲作研究会とジェイラップ) の

取り組みを書いてきたけど、僕にとっての先駆的モデルは、ここにある。

 

僕と島岡さんとのお付き合いの発端は、原発ではない。

減反政策とのたたかいだった。

米が余っているからと言って、なぜ国から減反を強制させられなければならないのか。

生産調整などというものは、民の力 (主体性) に任せるべきだ。

それぞれの地域づくりと結びつきながら。

減反政策の失敗は、滋賀県の面積相当分の耕作放棄地が示している。

地球人口70億に突入した今日、耕地を荒らす国など、ありえない。

制度を強制しておいて、

荒らしたのは 「公」 じゃなく 「民」 だ、という政治家や官僚が、僕は大嫌いだ。

言っとくけど、社会科学徒の前では通用しないからね。

 

島岡幹夫にとっては、原発も減反もいらん、この町はワシらの手で作らせてよ、

ということだったんだと思う。

 

10月4日、秋晴れの日本列島を飛んだ。

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あとは、

採用いただいた  " 原発を止めた男たちが対案で示したアイテム "  3品

の同時販売にあたって、営業サイドに投げた粗原稿ですませたい。

 

原発を止めた町から生まれた、米、塩、酒、のコラボに挑戦してみました。

会員の皆様には、メニュー148で同時投入です。

会員外の方は、ウェブサイトで購入できます (近々登場)。

コンセプトは、「原発止めても、楽しう生きとりますきに!」 って感じか。

 


原発を止めて23年、

美しいふる里づくりは今も続いています。

 

高知県窪川町(現四万十町) で、

無農薬での米作りに励む島岡幹夫さんのヒノヒカリをお届けします。

 

島岡さんは1980年代、

町の原発誘致計画を8年かけて止めたリーダー。

 

原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、

いったんは対立した農家も巻き込みながら有機農業の仲間を増やし、

耕作放棄された棚田の再生や森林保全そして自然エネルギーの創造と、

島岡さんの  " どこよりも美しいふる里づくり "  への挑戦は

尽きることなく今も続いています。

 

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   島岡さんたちは今、耕作放棄された棚田を開墾し直している。

   この上の山林も手入れして、子どもたちの体験と憩いの森にしたい、と語る。

   「ワシらの世代がやれることは、そんなことやろ、エビスダニ君。」

   

タイの農民自立のための支援活動も長く続けていて、

タイ北部のタラート村で 「島岡農業塾」 を開き、

私財を投じて3つ目の池を完成させました。

村の人々は 「島岡基金」 として大切に運営しています。

 

「原発に頼らんでも暮らしは守れる!」

 -信念の男・島岡幹夫が育てた  " 未来への懸け橋 " 

のようなお米です。

 

限定70俵。 ぜひ食べて応援してください!

  

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   写真左は、二日間案内してくれた 「高生連」 代表・松林直行さん。

   佐賀県出身ながら、高知大学時代に学生運動と原発問題に立ち会うこととなって、

   この地に根を生やす羽目になってしまった (と僕は解釈している)。

    

   島岡幹夫・愛直(まさなお) 親子と一緒に、次にに向かったのは

   旧大正町にある、無手無冠 (むてむか) 酒造さん。

 

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   社長の山本彰宏さんは酔狂な人で、

   店をたたんだ銀行の支店を買い取って、こんなふうにしてしまった。

 

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   四万十川焼酎銀行・・・

   口座を開こうか、とも思ったが先が不安なのでやめた。

   

   店内の中で、山本彰宏・頭取! を囲んで島岡親子。

   う~ん、絵としてはどうも・・・ 使えないね。

 

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   しかし、山本社長には、こっぴどくやれれた。

   「3.11のあと、大地はもっとやってくれると思うとったけど、なんかイマイチや。

   もっとガーンとやってくれ!」

   人の苦労も知らんと・・・ 高知のクソ親父め。 くやしい。。。

   普段は饒舌な島岡さんが、ただニヤニヤと笑っている。

   以下、宣伝の原稿より。

 

「美しいふる里づくり」 を陰で支える

四万十純米酒

 

高知県窪川町(現四万十町) の島岡幹夫さんが育てた

無農薬米を原料とした、大地を守る会オリジナルの純米酒です。

「その土地の匂いがする酒を醸したい」 をモットーに、

どっしりとした濃醇タイプに仕上がっています。

 

社名の 「無手無冠(むてむか) 酒造」 は、

一切の混ぜものをしない(「無添加」 から) というポリシーを表わしています。

 

島岡さんとのお付き合いの中から生まれた、

無農薬栽培を支え、「美しい里づくりに貢献する」 日本酒。

 

 

 

   続いて、山間部の大正町から一気に下り、太平洋を望む黒潮町へ。

 

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土佐の海を守らんと生まれた天日・手揉み塩

「美味海(うまみ)」

 

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  ( 地元の杉を使った手づくりのかん水設備。

   海水を何度も循環させ、海水の6倍まで濃縮させます。)

 

土佐・黒潮町の浜から汲んだ海水を、太陽と風が濃縮させてゆく。

それを手で優しく揉み、音楽を聴かせ、じっくりと結晶させることで、

塩が 「美味海(うまみ)」 になりました。

 

 

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自然エネルギーの力を最大限に生かして、

ひと粒ひと粒に微量元素(ミネラル) が凝縮された、いのちの母なる塩。

 

窪川町の原発誘致計画に対して、

「自然豊かな土佐湾には、原発ではなく、天日塩のタワーを!」

という対案によって生まれた塩づくりも、

今では天日塩を振りかけただけの鰹のタタキが静かなブームになるなど、

高知県自慢の特産品へと成長しました。

 

まろやかで甘味を感じるお塩。素材の味を引き立たせてくれます。

おにぎりに、天ぷらや刺身のつけ塩に、焼き魚に、他なんでもOK

 

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「海工房(かいこうぼう)」 代表の西隈隆則さん。

1982年「生命と塩の会」設立より、

土佐の黒潮とともに生きてきました。

 

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今宵は龍馬になった気分で、

南国土佐の  " どこよりも美しい里 "  にかける男たちと

黒潮に思いを馳せながら、

MSC認証・一本釣りカツオに美味海の塩をふって、一献。

-は、いかがでしょう。

ニッポンを洗濯しちゃりたく候。

 

   原発なんかないほうが、豊かになる。

   自立心と創造力が、未来を建設する!

   以上、提案でした。

 

   では、いざベトナムへ-

   戻りは11日・・・の予定です。

 



2011年11月 2日

この土地は俺たちが守る!

 

10月30日の朝日新聞主催シンポジウムに続いて、

31日(月) は、食と農の再生会議主催 「福島第1原発事故を考える国民集会」 に参加。

場所は永田町にある憲政記念会館。

ともにちゃんと報告したいと思うが、要点を整理するのは少々骨が折れる。

その前に一報が入ったので、お知らせを。

 

11月8日(火) 午後7時半~ NHK 「クローズアップ現代」 にて

「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である

稲田稲作研究会およびジェイラップの取り組みが放送されます。

 

  自分の土地は自分で守る~ 

  農地の除染に福島の農家たちが立ち上がった。

  ~ 浮かび上がる真実。 農家たちの格闘のリポート。 -だと。 カッコいいぞ!

 

10月1日の収穫祭の模様もしっかり撮影されていたので、

少しは流れるのではないかと期待しています。

 

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ただ、僕は残念ながらこの日に見ることができない。

6日から11日まで、ベトナムに行っちゃうんだよね。

いや別に、原発輸出反対とか、貿易交渉に行くわけではありません。

春から頼まれていた仕事で、

ベトナム北部で農民の自立と農村開発の支援活動を行なっているNPOから、

有機農業で暮らしを立て直してゆくために都市(ハノイ)の消費者とどうつながるか、

日本で取り組まれてきた有機農業の事例を農民たちに伝えてほしい、

という話です。

 

3つの村を回って、ワークショップが計画されている。

行政 (郡の人民委員会) や他の国から来られた方々との会議もあるようだ。

 

超大国アメリカに蟻のようなたたかいで立ち向かった国。

枯葉剤を浴びながら数百キロに及ぶ地下トンネルで対抗した農民たち。

少年・エビちゃんに強い衝撃を与えた多民族国家 -ベトナム。

最後の日に時間が許されるなら、ホーチミン廟の前に立ってみたい。

歴史に残る偉人の中で尊敬する人物はたくさんいるが、

政治的指導者でのビッグ3は、ガンジー・ホーチミン・周恩来・・・かな。

 

もし帰ってこれなかったら、

エビスダニは、ベトナムの大地で有機農業運動に殉じた、ということにしてほしい。

退職金は? ...... ほしいに決まってるだろ。

 

伊藤俊彦がカッコよく映っていることを期待しつつ、

さて、ベトナムに発つ前に、どこまで書けるか。

 

<P.S.>

「備蓄米」 は予約・登録制ですが、

ネット(ウェブストア) では、稲田米が購入できるキャンペーンを計画中です。

大地を守る会のホームページ でご確認ください。

 



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