戎谷徹也: 2011年12月アーカイブ

2011年12月20日

大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト

 

さて、改めて

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告を。

 

稲葉さんが完成させた有機栽培による米・麦・大豆の輪作体系については

過去にも紹介しているので、こちらをご参照願いたい。

 2009年1月29日  2010年6月10日

大地を守る会では、麦の利用先をつなげることで、ささやかながらこの循環に協力してきた。

現在、稲葉さんたちの有機小麦は

香川県小豆島の 「ヤマヒサ」 さんという醤油屋さんが使ってくれている。

 

しかし放射能は、有機だからと配慮してくれるわけではなく、

あの時紹介した、稲葉さん自慢の貴重な有機による米の種モミ生産ほ場にも

約1,000ベクレルのセシウムが降ってしまった。

 

しかしそれを乗り越える根性を持っているのが有機農業者たちでもある。

稲葉さんは、除染作物としてナタネとヒマワリを選択し、それを輪作の中に組み込んだのだ。

 


稲葉さんが南相馬市で実施したヒマワリでの除染効果試験では、

ヒマワリ一本で約500ベクレルのセシウムを回収した。

周りの土壌濃度が4,090ベクレルで、これと比較すれば0.123の移行率となる。

ヒマワリ栽培跡地の濃度は2,590ベクレル。

 

もともとのカリウム吸収力からみて、ヒマワリに高い除染効果はないと判断していたものの、

この結果は稲葉さんをかなり勇気づけたようだ。

ところが、稲葉さんが発表した直後に、農水省は飯館村での実験結果により

「ヒマワリには除染効果なし」 と発表した。

農水省他7つの独立行政法人と11大学、6県の農業試験場、1財団法人、3民間企業が

協力して実施した試験での移行率は、0.0067と出た。

 

この違いはヒマワリの採取日にある - と稲葉さんは主張する。

稲葉さんの試験では8月29日の成熟期に刈り取ったのに対して、

農水の試験では8月5日、つまり開花期の言わば 「青刈り」 である。

「これじゃあ、やっても意味がない。 市民レベルの研究を抑える腹なんじゃないか」

と稲葉さんは憤っている。

 

もともとのねらいが、単純な除染目的ではない。

ナタネや大豆も組み合わせて、長い年月をかけて除染を続けながら、

かつ食用作物への吸収を抑える。

ヒマワリやナタネはちゃんと実を熟させて、油を絞って収入源をひとつ確保する。

大豆油も菜種油も圧搾法で絞ることでトランス脂肪酸を含まない油が手に入る。

油にはセシウムは移行しないことが分かっている。

油脂類の自給率向上にも寄与できる。

搾油後の残渣はメタン発酵させ、消化液からセシウムを回収し、残りは有機液肥にする。

メタン・ガスは各種の燃料として利用する。

食用に用いた植物油の回収ができれば、廃油を精製してディーゼル発電機や

トラクター・コンバインの燃料にも活用できる。

 

循環のなかでの食料&エネルギー創造と 「放射能封じ込め」 の体系づくりへの挑戦。

僕らはやっぱ、こういう人たちに救われることになるのだろう。

各作物の活かし方は、たくさんの試験を蓄積させながら議論してゆけばいい。

 

稲葉さんの熱い報告の後は、

パネルディスカッションや質疑応答などが翌日11時まで繰り広げられた。

二日目の、農水省生産局の方からの報告-「有機農業の今日的課題と展望」 については、

申し訳ないが、ほとんど記憶に残らなかった。

 

集会終了後、オプションで企画された民間稲作研究所見学に参加する。

作付けされたナタネの畑。

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完成した搾油所 (写真手前の建物)。

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初めて来たときには更地だったところに、

技術支援センター、パン工房、搾油工場と、来るたびに建物が増え、人が集まり、

稲葉さんの言う 「エネルギー創造型有機農場」 が形作られてゆく。

 

これが中の装置類。

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この日は、有機農業推進フェアと称しての交流イベントが行なわれていて、

有機農産物の直売コーナーや地ビールの販売テントが並び、餅がつかれ、

手打ち蕎麦、トン汁、パン工房で焼いたピザなどが参加者に振る舞われた。

 

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こちらも地域でナタネを栽培し、搾油まで計画している

庄内協同ファームの菅原孝明さん(左) と、熱心な意見交換をする稲葉さん。

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福島県・二本松有機農業研究会の大内信一さんの姿も見られた。

彼らは本当に研鑽を欠かさない。

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「いや~、大地さんの今年のキュウリの注文には助けられた」

と言われたのには、こっちが感激しちゃった。

「 来年の早いうちに福島の生産者で集まって、今年の成果と課題を共有して、

 次につなげていきましょう。」

「そうだね、そうすべ。 頼むよ、大地さん。」

 

解散前に、会議室で最後の確認会。 

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完成した油を手にする稲葉さん。

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稲葉光圀試算。

ひまわり油 - 300 cc ・ 800円。

いかがでしょうか。

 

やあ、お久しぶり。  元気そうで、よかった。 

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ただ・・・君たちは、草食うからなぁ。 何が起きたかも分からずに。 

昨今は素直な動物を見るのが切ない。

腹の中で謝るしかない。 ごめん、本当に。

 



2011年12月19日

地域に広がる有機農業 関東集会

 

12月17日(土)、

野田首相が 「原発事故収束を宣言」 したという記事を読みながら、

栃木・那須塩原に向かう。

本来の 「冷温停止」 ではない 「冷温停止状態」 で 「事故収束」 とは・・・・

炉内の状態も分からず、

今も6千万ベクレル/時の放射性物質が放出されているというのに。

危険な政治的判断というしかない。

「事故収束」・・・ この言葉が意図して選ばれたのなら、

何か重大なものがひとつ、切り捨てられたような気がしてならない。

 

那須塩原で開かれたのは、

『 地域に広がる有機農業 関東集会

 消費者・生産者が共に創る有機農業  - 震災・放射能汚染を乗り越えて 』

という集まり。 一泊二日で催された。

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記念講演に呼ばれたのは、前福島県知事・佐藤栄佐久さん。

「たたかう知事」 と言われ、政府の原発政策にも対立姿勢を見せ続けた方だ。

" 収賄額ゼロの収賄罪 "  という不思議な罪で知事を追われた。

 

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有機農業の推進も強く進め、福島は有機農業の先進県と言われるまでになった。

国に臆することなくモノを言い、たたかってきた思いが、発言の端々に感じられる。

特に佐藤さんが強調したのは、

2006年5月に、ストラスブール欧州地方自治体会議に出席して、

チェルノブイリ20周年を記念して採択された 「スラヴィティチ宣言」 の5原則だった。

政府と地方自治体の役割を示し、

「地域住民の連帯」 と 「透明性と情報」 を謳ったこの原則を、覚えておいてほしいと。

 

3.地域住民の連帯

チェルノブイリの惨事が白日の下にさらしたのは、

核の事故が地方・国・世界の地域の境界にとどまらないという現実である。

原子力の安全は国の政治・行政上の制限によって縛られてはならない。

国の縛りを越えて関係諸地域すべてをイコールパートナーとする

真の地域住民の団結と越境的協力体制が必要である。

 

4.透明性と情報

広範で継続的な情報アクセスが確立されなければならない。

国際機関、各国政府、原子力事業者、発電所長は、偽りのない詳細な情報を

隣接地域とその周辺、国際社会に対して提供する義務を有する。

この義務は平時においても緊急時においても変わることはない。

 

「 『緊急時においても』 ですよ、皆さん。 私はこれを強く国に主張したいです。」

辞任後から3.11、そしてその後の福島の惨状は、

佐藤さんにとって 「悔しい」 などというレベルではないだろう。

でも今や彼方此方から講演に呼ばれるようになってきて、

ここで再度、出番が来たようです。 頑張っていただけたら、と思う。

 

続いての基調講演では、

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告。

 

この話は・・・ 少々ややこしいので、すみません、次回に。

栃木から福島・ジェイラップを回って帰ってきたところで、ちょっと頭を冷やしたいし。

 


 



2011年12月16日

カキの鉄人に学ぶ

 

NHKで放送されている人気番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀』

今週12日の放送は見なくちゃと思いながら、仕事が終わらず見逃してしまった。

録画もしてなくて、昨夜、深夜0時15分からの再放送を見る。

今回の登場は、カキの巨人、気仙沼の畠山重篤さんだ。

題して 「それでも、海を信じている」 。 カッコいいね。

 

" 森は海の恋人 " 

世紀をまたいだ最大のコピーだと思っている。

畠山さんの紹介は不要だよね。

気仙沼湾に注ぐ大川の上流部に木を植えて23年、その数2万本。

気仙沼の海とカキを再生させた男の物語はあまりにも有名だ。

僕が訪ねて行ったのは17~8年前だったか。

アポとって行ったのに、畠山さんは小学校の講演が入っていて、

お陰で校長室での挨拶まで付き合わされた思い出がある。

 

そして今年、震災で壊滅したカキ養殖復活の一章が加えられた。

この章は始まったばかりだ。

 

畠山さんはこの震災で、苦しい時から支え続けてくれた母、小雪さんを失っている。

小雪さんの言葉- 「自分の信念をつらぬきなさい」 に泣けてくる。

 

畠山さんの物語を解説する資格はないので、一冊の本を紹介してすませたい。

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『鉄は魔法つかい』 (小学館刊、本体価格1,300円) 。

小学校高学年なら読めると思う。

命と地球をはぐくむ 「鉄」 のすごい世界が、

カキ再生にかけた男の道のりとともに語られている。

上梓間近で震災に遭って、

でも気を取り直して出版させた力は、お母さんの言葉と、自然の力だったんだと思う。

 

テレビ放送を楽しみにした理由はもう一つあって、

僕はこの番組に一枚の画像を提供してあったんだよね。

畠山さんに 「鉄の力」 を教えることになった松永勝彦さん (当時北海道大学教授) の写真。

なんと 2年前のこのブログ から見つけてくれた。

登場したのは一瞬だったし、「写真提供」 のクレジットも記してくれなかったけど、

まあちょっと、誇らしい気分になったのだった。

 

今日はもう一つ。

二日前に藤田社長が安受け合いしちゃったもんだから、

午後、国会議員の先生の部屋に行くことになった。

 


食品の放射能測定の現状とか、情報公開の問題点とか、課題などについて

レクチャーしてほしいいうことらしい。

と言うわりには永田町の議員会館まで来いと・・・。

「え、え、え、え、、、」 と 「え?」 を5回くらい言っただろうか。

「それって、、、命令ですか?」

「命令じゃないけど、エビスダニってやつを行かせると言っちゃったし・・・」

という感じ。

大地を守る会もいろんなセンセーから声はかかるけど、

特定の政党を支持することはないので、ここでは政党名は伏せておきたい。

 

で、衆議院第一議員会館まで足を運んで、

測定というものの実情と課題に始まって、情報公開の意味とリスク、

我々が生産者と一緒に取り組んだ対策などなど、一所懸命語ってきた。

先生は、聞きたいところだけを急ぎ足で確認していたみたいだけど、

低線量内部被曝への関心を高く持っておられたこと、

除染が有効に働いているか、今後の食の汚染がどうなっていくかなどに

強い懸念を抱いていることは、ありがたいことだと思った。

情報公開(表示) の充実に関して、国会議員はまだ懐疑的な人が多いことを嘆いていた。

「国民が政治を信頼してないんじゃなくて、政治が国民を信頼してない」 と。

 

流通の末端(小売店等) での測定の体制強化よりも、

上流 (生産現場) でのきめ細かい検査と情報公開、

そして結果的に濃度が高かった地区の対策の徹底こそが、

消費を安定させる基本であることを訴えてきた。

公と上流がきっちりと責任もってやっている、という形づくりが必要なのだ。

ありとあらゆるものが流れてくる下流(小売現場) で

 「全品検査」 をすべてに徹底させることなど不可能であるし、

トレース(産地を遡る) ができない場での対策は、形だけの 「撤去」 しかできない。

産地での予備検査がおざなりであったことによって

福島県産米全体に影響を与えたことをもって知るべし、である。

 

福島の 「やまろく米出荷協議会」 の佐藤社長が嘆いていた。

今年は本当に美味い米ができたのに・・・ この悔しさはいかばかりか。

 

その先生は、「せっかくだから」 と他の議員の秘書さんも呼んでくれたりした。

共同テーブルで出した厚生労働省への質問書にも賛同してくれた。

頑張ってほしい。

 

無駄ではなかったみたいだけど、

お陰でワタクシは残業なのである。

何人かが楽しげに飲みに行ってる。 ああ、この世は不条理に満ちている・・・

 

でも、カキの鉄人を見た後だから、頑張れる。

「鉄」 のような流通者になりたい。

 



2011年12月14日

ゼロ・ベクレルを目指して -続き-

 

放射能に関しては、食べものの安全性を保証する閾値はない。

これが大地を守る会の、また基準を検討する 「共同テーブル」 の前提である。

であるならば、「(余計な人工放射能は) ゼロを目指そう」。

これを生産者と消費者の、いやすべての人の共通認識にしたい。

不可能だから無理、ではなくて 「目指す」 努力を続けることで道ができる。

「元を絶つしかない」 を共通の土台に据えて。

 

生産者には、「基準値未満なんだから食べてくれ」 ではなく、

ゼロを目指す姿勢を示し、そのプログラムを持つことが大事である。

「食べる人」 を守るべき 「作る側の責任」 を放棄しない、と言おう。

それが 「美しい国土を取り戻す」 のは誰の手によるのか、のメッセージになる。

「この船に乗らずしてどこへ行く」 くらいの台詞を言い放ってみようじゃないか。

 

そして、有機農業から脱原発社会のビジョンづくりへと進みたい。

これが質問を受けたふたつめの視点 - 『有機農業が創出するイノベーション』 だ。

有機農業が貢献する資源循環機能や環境・生物多様性保全機能は、

放射能対策にも有効であることが証明されつつある。

たとえば、土壌の団粒構造、腐植、菌根菌や微生物の力。

有機農業学会では、除草剤散布は菌根菌の発達を阻害することが分かっている、

という研究者にも会った。

僕らが見ているのはけっしてゼオライトだけじゃない。

 

有機農業の 「総合力」 を解き明かしたい。

その力には農業と一次産業が潜在的に持っているエネルギー生産力も含まれる。

 

20年以上も前に 「水田は地球を救う」 と説いた方がいた。

なんと通産省のお役人だった(本田幸雄さんという方で、一度講師に呼んだことがある)。

エネルギー危機と食糧危機は必ずやってくる。

減反などという愚かな政策はやめて、日本人の高度な生産技術と手段(農地) を使って、

食糧備蓄とともに、エネルギー (バイオエタノール) を生産すべきだと。

この主張はしかし、当時はほとんど相手にされなかった。

 

今こそ農業(一次産業) の持っている多様な生産力を花開かせたい。

有機農業が未来を築く! と宣言しようではないか。

そこから新しい仕事も生まれるはずだ。

「若者よ、来たれ!」と発信できる日をたぐり寄せたい。

 


そして消費者には、連なってほしい。

安全な食生産の回復と、安心して暮らせる社会づくりを同時に目指す

「この道のりを食べる」 ことで。

 

あんたは生産者よりだ、とよく言われる。

言われるたびに、そんなこたあない、と反論する。

消費者を、子どもたちの未来を、しっかりと守れる生産者を育てていくこと、

これがどうして生産者よりなんだろうか。

ただそのプロセスにも付き合ってくれないと道が開けない、と訴えているだけなのに。

 

放射能は拡散し循環し始めている。

今も大気や水系への汚染は続いている。

ゼロを達成することは困難なことだと思う。

そもそも放射能汚染はフクシマで始まったわけではない。

チェルノブイリ原発事故が起きた25年前、

セシウムの大気中濃度は通常の4500倍に上昇した。

日本人の平均放射能量は50ベクレルまで上がったと言われている。

さらに遡れば、大気圏核実験が盛んに行なわれていた時代、

日本人成人男子の放射性セシウムの量は730ベクレルにまで達していた

というデータもある(1964年10月)。

 

それでも皆フツーに生きていた、という論で終わらせる人たちがいて、

この数字を出すのは少々ためらうのだけれど

(ガンの増加との因果関係は証明できないし)、

とはいえこの事実とゼロを求めることの困難さは知っておいてもらいたいし、

数字に冷静に向き合う意識は持っておきたいと思う。

その上で、だからこそ、もうこれ以上はゴメンだといいたい。

  " ゼロを目指そう "  とみんなで叫びたい。 

いま元を断たないと、未来はひたすら暗いと思わざるを得ないのだ。

農から進撃したい。

脱原発と (技術とシステムの)イノベーションをセットにして。

 



2011年12月13日

ゼロ・ベクレルを目指して

 

有機農業学会での発言後、頂いた質問や意見は二点に集中した。

そのひとつが、 

" ゼロリスクを求める "  を否定せず、本能と受け止めたい -に対して。

 

放射能は広く飛び散り、ほぼ北半球をあまねく汚染したと思われる。

均質に落ちたわけではなく、まだら模様のようであり、

距離によって相対的に薄まっているものではあるが、しかしそれも流動している。

この国に住んで放射性物質ゼロの食べものを求める姿勢は、

すでに無理というものである。

しかもそういう消費心理と行動が生産地や生産者を切り捨て、

国土の浄化や復興への思いを分断させることにつながっていないだろうか。

大丈夫と思われる程度のものなら、食べよう。 食べてつながろうじゃないか。

- この主張は、支持する。 というより僕自身、強くそう思っている。

 

しかし、だからといって放射能ゼロを求める姿勢を批判しても、

問題の解決にはつながらない、とも思っている。

放射能から逃れたいのは、生産者も消費者も、みんな同じなのだ。

そこから出発したい。

 

ゼロを 「求める」 や 「探す」 行為で終わらず

(これは批判ではなく、 " 終わらず "  という提案です)、

一緒に  " ゼロを目指そう "  の共通認識を持ちたい。

ゼロの目標は、生産者だけの仕事では達成できないのだから。

努力する生産者の、その都度の結果を 「食べる」 ことで支える消費者の存在が欠かせない。

ゼロをよこせ、に対して僕がいま提供できるものは、

「検出限界値以下」 という選択材料としての測定結果(事実) と、

 " ゼロを目指す生産者 "  の意気地だけである。

 

そして作ろうとしている基準値もまた、

ゼロに向かうプロセスと思想を表現したものになるだろう。

 

「ゼロをよこせ」 とは = 「美しい国土を返せ」 だと受け止めていて、

そのために生産者と一緒に頑張っているつもりである。

そして  " ゼロを目指す共働 "  が成り立てば、

元を絶つことの共通認識も成立すると思うのである。

原発止めないと、ゼロリスクは達成できないわけだし。

 

そしてふたつめの視点へと続くのだが-

  ・・・すみません。 今日はここまでで。

 

昨日、「食品と放射能問題共同テーブル」 では、

厚生労働省で進められている放射性物質暫定基準値の見直し作業に対し、

6項目の質問書を提出しました。

回答が届き次第、お知らせします。

この質問は、実は喧嘩を始めたわけではなく、我々自身の悩みでもあります。

 



2011年12月11日

有機農業で希望のシナリオを-

 

北国の冬はホンマに天気の変化が激しい。

夕べから降り出した雪が朝になってさらに激しくなったかと思えば、

お昼前には青空が見え始めた。

灰色の世界に、一気に光が射してくる。

これが夕方にはまた灰色の空に変わっているのだ。

 

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雪に翻弄される暮らしが4~5ヵ月も続いて、

春になれば南国人の感覚だと3か月分相当の花が一斉に咲き乱れ始める。

気候風土はきっとそれぞれの色で人々の精神性を育て、

その土地の文化を形成するのだろう。

この島国の人たちは包容力と忍耐をもって自然に対応し、

何というかマンダラ的な調和をはかる感性があるように思う。

善良かつ気まじめに異文化を受容しながら、作り変えてゆくしたたかさも秘めて。

 

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クラークさんの前をおばちゃんが通り過ぎてる・・・

僕はやっぱりこの国が好きだな。

 

地域や仲間を守る際の自治意識とまとまりの強さは世界が認めるところだ。

この国の統治は、中央集権に見せかけながら

しなやかに地域の知恵や主体性を活用するのがいいんじゃないか。

3.11以降、その思いはますます強くなった気がする。

 

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学園の樹々に鳥たちが平和に巣をつくっている。

その下を忙しなく歩き回る人々。 なぜか微笑んでしまう。

 

校舎に入れば、二日目は個別の研究発表会。

ふたつの教室に分かれて、各種の調査・研究報告が20分間隔で組まれている。

5分刻みで鈴が鳴り、みんな時間をきっちりと守ってプレゼンが展開されてゆく。

院生に発表させるケースも多くあった。 教授が生徒の側に座って聞いていたりする。

学会とはトレーニングの場でもあるんだね。

 


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発表された調査・研究成果の数は27。

「合鴨農法における野生鳥獣害の現状」 とか、

「植物共生微生物相の解析による有機栽培作物の特性評価の試み」、

「不耕起・草生栽培における物質循環・養分動態の解明」

といった具合に、20分刻みで発表が進められる。

 

僕が注目していた発表のひとつが、

「原発事故による放射性汚染農地対策にゼオライトは有効か?」。

発表者は東京農業大学応用生物科学部の女子学生。

師匠は、大地を守る会の生産者会議に何度かお呼びした後藤逸男教授。

僕も研究室に一度お邪魔したことがある。

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さすがに学者なので、結論は軽々に出さないが、

ゼオライトには 「可能性がある」 との明確なメッセージが出されていた。 

火山の多い日本に潤沢に存在する鉱物資源であることも有り難い。

 

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別な教室では、ポスターによる発表が12例、掲示されていた。

 

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やや雑駁というか、まだ手探りだね、という内容のものもあったが、

こういう積み重ねが有機農業の奥行きを深めていってくれるはずだ。

有機農業の研究に予算がつくようになって、

いろんな視点での研究が広がってきている。 

ひとつひとつ、生産現場で実証されてゆく日が来ることを願う。

 

さて、一日目の報告をひとつ追加しておきたい。

全体セッションの 2 は 『北海道における有機農業の多様な展開』

と題して行なわれた。 

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発表者に、石狩市(旧厚田村) の長良幸さん(写真右から二人目)、

当麻町・当麻グリーンライフの瀬川守さん(左から二人目)、

北海道有機農業協同組合代表の小路健男さん(左端)と、

大地を守る会の生産者の方々が顔を並べていた。

それぞれに辿ってきた道のりと現在の課題を語る。

コーディネーター(右端)は、農業活性化研究所・菊地治己さん。

7月に旭川で開催した 米の生産者会議 で講演をお願いした方だ。

 

「今年はどうだったですか?」

「今年も、ダメ、ダメ!」 と長さん。 

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そう言いながらも、しっかり息子も継いだようだし、

有機農業塾も始めて地産地消の拠点づくりに頑張っている。 

 

全体セッション 3 - 『日本国内における有機畜産の可能性と課題』 がまた

大変に面白かったのだが、いずれ機会があれば報告したい。

 

中島紀一さん(茨城大学) が語っていた。

地域経済の循環は、農の営みを継続することによって取り戻すことができる。

耕作の努力によって、その地域で安心して暮らせる体制の再構築も可能となる。

地球的破滅の方向でなく、未来に向かって希望のシナリオを描くこと、

それが有機農業の役割だ。

 

生産者を支え、励まし、希望と勇気を与えてくれる学問であってほしい。

お願いします。

 



2011年12月10日

日本有機農業学会・大会-「有機農業と原発は共存できない」

 

Boys,be ambitious! 

少年よ、大地を、じゃなかった、大志を抱け!

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北海道に来ています。

夕べのうちに札幌に入り、今日は朝から北海道大学に。

子どもの頃、大志を抱かないといけないんだ~、という脅迫観念を抱かせてくれた恩師、

ウィリアム・スミス・クラーク博士にいちおう仁義を切って、

敷居の高い場所に足を踏み入れる。

「すみません。 ワタクシの大志は、今も迷いのなかにあります。」

 

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北海道大学農学部。

ここで 「第12回 日本有機農業学会 大会」 が二日間にわたって開催され、

参加することになった。

 

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なんでエビが 「学会」 なんてお堅い場に?

そうなのよね。 およそそんな世界には無縁だったのだけど、

この大会の全体セッションの一つで発表を求められたのである。

放射能のせいで。

 

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集まったのは、全国の大学や研究機関から、

各分野で有機農業を研究対象とする先生や学生たち、150人くらいだろうか。

道内の生産者の顔もチラホラ見られた。

 


開会の挨拶などがあった後、

全体セッション1。

テーマは 『 東日本大震災・原発災害に有機農業は何を提起できるか 』。

 

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コーディネーターは、谷口吉光さん(秋田県立大学) と古沢広祐さん(國學院大學)。

このお二人とも古い付き合いになった。

古沢さんから4つの論点が示される。

第1に、有機農業の視点から原発をどうとらえるか。

第2に、食品における 「放射能リスク」 にどう対応するべきなのか。

第3に、放射能低減という課題に、どう貢献してゆくか。

第4に、地域と農業の復興をどう進めるか。

 

発表者は4名。

日本大学生物資源科学部・高橋巌さんは、原発事故を国家的犯罪と断罪する。

どうあがいても人間は自然の摂理と 「循環」 から逃れて生きることはできない。

その 「循環」 の中に放射能が入ってしまったわけだが、だからこそ

「有機農業ならではの脱原発」 の方向性を検討しなくてはならない、と強く訴える。

 

新潟大学農学部・野中昌法さんは、1960年代に行なわれた核実験による

「死の灰」 の農業に対する影響を調べた膨大なデータをもとに、

4月の段階で重要な提言を発表した方だ。

 -土壌の汚染は表層約 5cm に留まっている。

 -汚染の程度は地形・気候条件・栽培方法・施肥管理で異なってくる。

 -したがってきめ細かな土壌汚染地図と、程度に応じた対策が必要である。

 -国は責任をもって事故以前の優良な農地に戻し、農産物の安全性を保証しなければならない。

 -風評被害を防ぐための農業再生の工程表を作成して、国民への理解を求めよ。

 -平成24年度の作付に向けた汚染程度に応じた農業復興計画の提示を。

どれも適切な指摘である。

しかし3番目からの提言は、

適切に実行されたとは言い難い (その結果が、今の福島米の混乱である)。

 

実行したのは、営農の継続を決意した生産者たちだった。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 と、

彼らの支援にあたった野中先生と茨城大学のグループ。

そして須賀川市・ジェイラップと大地を守る会&カタログハウス。

フォローしてくれたのは四日市大学の河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部理事) だ。

データから明らかになってくる汚染の実態、そして対策。

見えてきた世界は、土の力であり、

植物とともに浄化に向かうのが王道であり近道であろう、ということだった。

「有機農業による耕作が被害の拡大を防ぐ (可能性が見えてきた)」

 

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高橋さんも過激だが、野中さんもなかなか熱い方だ。

福島の有機農家の、こんな言葉を紹介している。

「 一生懸命春の太陽光で生育した春野菜が土壌汚染を防いでくれた。

 したがって鋤き込まないで、一本一本、ありがとうという言葉をかけて、手で取り、

 影響のない場所に穴を掘り、埋めた。」

 

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「本来の農学」 を追究する研究者がいてくれること。

これが今、たたかう陣形に欠かせない、必須の兵站部隊なのだ。

依頼を受けて一介の流通者でしかない僕がわざわざ北海道まで出向いたのは、

この一点の思いに尽きる。

 

続いてエビスダニ氏。 学会で流通者が発言する。

持ち時間は15分。 冬の苦手な男がこのために北海道までやってきた。

原発事故からの対応を辿りながら、僕なりに思いを凝縮させたつもりだった。

早口に、とちりながら、、、5分のオーバーを、谷口さんが許してくれた。

 

話すと長くなるので、提出した 「発言要旨」 をここに記したい。

少しでも行間を読み取っていただけると嬉しい。

①福島第一原発事故後の対応から

 - 風評被害(?) と生産者対応から

 - 測定体制の強化・構築と情報公開の意味

 - 消費者の声と流通団体の対応軌跡

 - 生産者の除染対策支援

②食品における放射性物質の規制値(基準) について

 - 国の暫定基準値はなぜ信頼されなかったのか

 - 基準乱立から、市民の手による共通指針(基準) づくりへ

    ~ 我々は 「暫定基準」 を超えられるか・・・

③ゼロリスク議論から思うこと

 - " ゼロリスクを求める "  を否定せず、本能と受け止めたい。

   ⇒ しかし " 選ぶ・探す " 行動だけでは排除と分断につながる。 誰も救えない。

 - " ゼロリスクを目指す " ための思想と戦略(政策) の再構築こそ求められている。

   > 放射能に向かい合うための 「食の総合力」 を提案したい。

     放射能対策は総合力。 それを提示できるのが  " 有機農業 "  ではないか。

      『 有機農業運動が創出するイノベーション 』 に向かって進む。

     その戦略(政策) に 「脱原発社会の実現」 を明確に組み込む。

④生産者・国土を見捨てない思想の獲得へ

 - 生産者の除染対策支援から見えた世界

   " たたかう生産者 "  の姿勢を見せ続ける!

 - 生産と消費の対立を超える思想を掴みとる、その最大の機会ではないだろうか。

 - 流通が果たす役割とは

  > 「食へのリテラシー」 を育てるのが流通の役割

  > 新しい文化を創り出す、価値創造の競い合いをしたい!

   ⇒ その一歩としての 『共同テーブル』 でありたい。

 

いっぱい補足したいし、その後のセッションも紹介したいのだが、、、

夜の懇親会に、さらに大学前の居酒屋で関係者と一杯やってしまって、

もうここまで。

" (放射能に対して) ゼロ・リスクを求めるのは (利己主義でもあるが) 本能である " 

それを認め合うところから、たたかいの戦略を組み立てたい。

ここで 「脱原発」 は共通の前提となる。

このたたかいは、生産と消費がつながってこそ、勝利する。

流通者として立てた、必死の戦略論である。

幸いたくさんの方から評価をいただけたようなので、今日は良しとしたい。

 



2011年12月 3日

有機農業40年、次の時代を拓くのは誰だ!

 

お前ら、甘ったれてないか!

腹の中で、そう言いたくなった。

 

昨日は終日、蒲田。 

12月2日(土)、アイフォーム (IFOAM,国際有機農業運動連盟)・ジャパン

第1回セミナー は、円卓会議という形で行なわれた。

会場は 「大田区産業プラザPIO」 コンベンションホール。

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この国で、有機農業が運動として展開されるようになって40年の月日が流れた。

大地を守る会が設立して36年。

有機JAS制度がスタートして10年。

有機農業推進法が成立して5年。

国が表示規制だけでなく、有機農業の旗を振るようになって、

全国各地に有機農業推進協議会が発足し、

有機農業を目指す若者たちが増えてきたにもかかわらず、

どうも有機農産物の普及が進展しない。

しかも原発事故-放射能汚染というとんでもない世の中になって、

地域資源の循環を担うはずの有機農業が  " かえって危険 "  とか言われてしまう、

そんな状況が生まれてしまった。

この未曾有の事態を、有機農業はどう乗り切れるのか-

 

この40年の発展を各ステージで牽引してきた団体のお歴々が一堂に会して、

過去の失敗から現在の課題までを共有して、次代に向けての展望を語り合う。

そういう趣旨での招聘(しょうへい) なのだろうと受けとめて、パネラーを引き受けた。

-というより押しつけられた。

でもまあ、慣れてる。 僕はずっとこんな役回りだったし。

 

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居並ぶ先達たちの御説はすべてごもっとも、である。

後継者育成が急がれる、有機農業の技術的課題の克服、

認証制度の問題点と新たな視点への模索、裾野を広げるための戦略、、、

僕は 「放射能汚染への対応」 というテーマで7分の時間を与えられたが、

喋っている途中で制止された。

 

午後からの、会場と一緒になった質疑で、

どうも消化不良な感じで聞いていたのだが、頭にきたのが、次世代からの発言だった。

甘えてないか、お前ら! と思ったのだ。

 


曰く-

「 有機農業で研修中だけど、貯金を食いつぶしている。

 もっと有効な助成制度がないと自立も難しい。」

「 これまでの40年は普及できなかった時代。 問題はロジスティック(物流) です。

 これからは農協や一般マーケットにも買ってもらうための販売を考えたい。」

「 若手の就農者としては、今日の参加費は何だったのか、という気持ちになる。

 誰にどう普及しようとしているのか、何も見えてこない。」

 

聞いていて、思う。

その通りだ。 その通りだけど、いい加減にしろ。

このテーマは、みんなに、つまり自分にも、問われていることなのだ。

僕も若い頃から生意気な口をきいてきたけど、

結局は自分で切り拓かないといけないテーマだと思ってやってきた。

そう思ってやればやるほど、先輩の苦労が分かってきたものだ。

まだ苦労が足りん。

 

思わずマイクを取って語ってしまったけど、はたして理解されただろうか。。。

 

僕が大地を守る会に入社したのが1982年。

あの時、おふくろは電話の向こうで、こう言って泣いた。

「ほんな仕事させるために大学にやったんとちゃうわ! 帰ってきい、親不孝もんが!」

僕自身、ドロップアウトしちゃったかもしれない、と正直ふるえていた。

あれから29年、四国の片田舎で、母は息子を誇りに思ってくれている。

 

歴史的に見れば、間違いなく有機農業は拡がったのだ。

然るべき発展を辿ってきた、と言い換えてもいい。

しかしそれは平坦な右肩上がりではなかった。

壁にぶち当たっては新たな仕掛けをして、大きくしてきたものだ。

「普及できなかった40年」 といった I 君へ。

君がここに来れたのは、君のお父さんが大変な苦労をしてレールを敷いてくれたからだ。

そのことが分からないヤツに、正統な戦略は降りてこない。

 

85年、夜間の宅配を始めたときのことを思い出した。

これは組織の命運がかかっていると思ったものだ。

昼間の共同購入の配送から帰ってきて、トラックを掃除して、また夜に配達に出た。

会員を増やすために、当時の調布センターから周辺の住宅をくまなく回って

訪問営業した時期もある。 あれは辛かったな。

こんなに知られてないのかと思った。

「大地を守る会」 と名乗って、不動産屋に間違われたり、

ヤバイ宗教団体と思われて百10番されそうになったこともある。

まあ、知らない人にとっては、そんなものだろう。

(「大地を守る会」で不動産屋を連想した人は、いま思えば、とても 「いい人」 だと思う)

 

当時、宅配を始めた 「大地」 は潰れる、と噂されたものだ。

しかし、その3年後に誕生した宅配組織 「らでぃっしゅぼーや」 とともに僕らは急成長した。

「らでぃっしゅぼーや」 さんの農産物は、当初はすべてこちらから手配した。

なんでライバルのような会社の設立を支援するのか、、、

ほとんどの人は理解できなかったように思う。

でもこれによって有機農産物市場は拡大し、生産者の増加を牽引したことは間違いない。

運動は 「食のスタイルの提案」 と言われるようになった。

これには、したたかな戦略と運動の結実があったのだ。

 

当時の仕掛け人、徳江倫明さん。 今日は司会役である。

入社当時、理不尽にシゴいて下さった一人。

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助成金制度がほしい。

なんで農協や一般市場を巻き込めなかったのか。

新規就農者はこんな会議に出たくても出られない。。。

 

文句ばっか言ってんじゃないよ。

今は、有機農業推進法で生産能力が高まって、

成長のバランスが並行して進んでない時期に入った、ということなのだ。

(あるいは、マーケットが、いや相手が見えなくなったか・・)

次の戦略は---当然、新しい人たちが切り拓くのだよ。

まったくのゼロから、しかも世間から白い目で見られた時代から築いてきた先達の前で、

言う台詞ではない。

新しい言葉と戦略を、創り出そう! 

この課題は、次の走者が引き受けるべき襷(たすき)、バトンなんだよ。

 

80年代に僕が励まされた言葉がある。

「カネはないけど創造力がある。 創造力が枯渇したら、オレたちは終わる。」

「右でも左でもなく、オレたちは前に進む。」

「未来開拓者になろう。」

 

吉田拓郎も歌ってたじゃないか。

 ♪ 古い船をいま動かせるのは、古い水夫じゃないだろう。

 

それくらいの気概を持って進もうじゃないか。

僕もまだ若いつもりだ。

地平はそこに、目の前に広がっている。 いや、待ってくれている。

 

で・・・えと、なんだっけ。

ま、いいか。 極めて個人的な、集会感想ということで。

 



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