戎谷徹也: 2012年3月アーカイブ

2012年3月31日

ニッポンのリグビタートル -無名の英雄たちよ

 

強風の一日。

出かける予定だったのが電車が止まり、お陰で仕事をいくつか処理した。

悩みの種は、底なし沼にはまったようなこのブログ。

この間、アップしたいネタも溜まり続けているのだけど、

その前に重かった、実に重かった東北レポートを終えなければならない。

 

3月24日(土)、「福島視察・全国集会」。 

前回、伊藤俊彦の決め台詞まで書いた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

この確認ができただけでも、今日の一日は価値がある。

 

シンポジウム終了後は、交流会。

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福島の地産地消をリードしてきた 「ホテル・ヴィライナワシロ」元料理長・山際博美氏と、

「ホテル華の湯」料理長・斉藤正大氏が技を競った、

福島産&有機をベースにした食材の数々に皆感激しつつ舌鼓を打つ。

お酒は、大地を守る会でもおなじみの金寶(きんぽう)酒造に大和川酒造ときた。

 

「どこよりも美しい村づくり」 に取り組んできた福島県飯館村をPRする

" までい大使 "  の一人、大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さん。

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「原発はもうやめにしましょう。

 新しいエネルギー時代を、福島から発信したいし、福島にはその力がある!」

とハッパをかける。

福島の意地をかけたような交流会だった。

 

二日目(25日) は、2コースに分かれての現地視察。

僕は 「放射能とたたかう農業者」 視察コースを希望する。

 


福島市にある果樹園での除染作業を見る。

まず、ぶどうの樹の粗皮(そひ) 削りの様子。 

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もともと梨・ブドウ・リンゴなどでは、

病虫害対策のために表皮を削ることは、前からあった方法である。

加えて今回は、放射性物質は表皮に付着していることが分かってきているため、

この時期に徹底的に削ることが推奨されている。

 

続いて、高圧洗浄機による水洗い作業。 

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皮を剥ぐわけにいかない桃やサクランボでは、この方法を徹底する。

降り注いだ放射性物質は枝の背中(上部) に多く付着しているため、

上からの洗浄となる。

これらの作業により、樹体に付着した放射性物質の9割以上を取り除くことができる、

というのがこれまでの試験によって実証されてきたことだ。

 

これらは、平成23年度産の果実や土壌の検査から、

放射性物質は土壌の表層0~3cmにほとんど留まっていることが判明していて、

根域に達していないことで、根からの吸収は考えられず、

樹体からの移行と判断されての対策である。

土の中でセシウムをがっちりとつかまえているのは粘土粒子である。

 

しかし、言葉の正しき意味においては、この作業は  " 除染 "  ではない。

食べ物である果実に移行させないための抑制対策である。

洗浄により地面に落ちた放射性物質は、土壌の粘土粒子によってつかまえさせる。

削られた粗皮は土に還すことはできず、まだ処分方法が定まっていない。

おそらくはチップや粉にして容積を小さくして、然るべき処理施設で燃やすか

埋める・・・ ということになろうかと思う。

 

対策の結果は秋に判明する。 まだまだ予断を許さない、というところか。

まあ、それでも

「福島市の前年度産の桃やリンゴ、梨は、新基準値(100ベクレル) を下回ってます」

というのが福島県の農業振興普及部からの説明である。

100以下、しかも低い水準のものがほとんど、とのデータを見せられる。

 

次の視察先は、二本松市東和地区。 

菅野正寿さんの田んぼでの反転耕起作業を見る。

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今、ジェイラップ(稲田稲作研究会) でもやっている作業だ。

しかもこちらは、天ぷら油を再精製したVDF燃料でトラクターを動かしている。

 

水の入口にはゼオライトを敷き、セシウムを吸着させる。 

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食の安全と安心を取り戻すために、

皆で 「やれることはやり切ろう」 と必死である。

人工放射能という魔の兵器に、体を張った総力戦で対峙する農民たち。

泣けてくる。。。

 

視察団一行と途中で分かれ、

僕は大地を守る会がリンゴで契約している二本松の生産者団体

「羽山園芸組合」 に回る。

こちらでも同様の作業の真っ最中である。

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これはサクランボでの洗浄風景。

 

リンゴは脚立に上っての作業。

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粗皮削りを終えたリンゴの樹。 

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羽山園芸組合の3名。 

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左から、熊谷耕一さん、武藤喜三さん、武藤善朗さん。

 

「羽山 (という地元の山) が遮ってくれて、ここいらは (線量は)低い方」

だと言いながら、彼らの不安は、まだまだ消えない。

何度となく聞かされた言葉 - 「とにかくやるだけのことはやりますから」(喜三さん)。

ドキドキしながら秋まで過ごすことになるのだろう。

 

羽山園芸組合を最後に、東北をあとにする。

 

思えば、、、世界には今も432基のゲンパツが存在し、

放射性物質の影響はグローバルであり、

かつすでに 「管理」 という名での付き合いは永遠(十万年以上) である。 

私たちがこの宇宙船地球号をどのような形で次世代に継承するにせよ、

彼ら生産者たちの悪戦苦闘は、

  " 二度と起きてはならない、その時のためのマニュアル "  として

残さなければならない。

アフリカ大陸の原発だって、いざとなれば救わなければならないワケだし。

 

彼ら生産者たちは、

ニッポンのリグビタートル (チェルノブイリの事故処理に当たった消防士たち) だ。

たくさんの無名の英雄たちが福島を、そして未来を支えようとしている。

地球市民の一人として見過ごすわけにはいかない。

 

だって、いつか孫やその孫たちから

" どうしてマニュアルを残してくれなかったんですか "  なんて、

言われたくない。

でもそのためには、付き合ってくれる(食べる) 人が必要となる。。。

 

21世紀は、哲学の世紀になるかもしれないね。

いや、ならなければならないのかも。

 

いま福島原発で闘っている文字通りのリグビタートルは、

いつか、チェルノブイリのように英雄として称えられるのだろうか。

それとも歴史に埋もれるだけなのだろうか。

 

顔も名前も分からない原発現場でたたかう人たち、

再興に挑みながら助け合う三陸の人々、必死で土を耕す農民たち、

そして、、、結果を受け止め、食べる人々。

たくさんの無名の英雄たちがいることに深く感謝して、

変えよう、日本を!

- この言葉をもって、東北レポートを終えたい。

 



2012年3月28日

世界一優秀な農民になろう

 

3月24日(土)、磐梯熱海での全国集会に向かう前に、

福島市松川町の 「やまろく商店」 さんを訪ねる。

福島市から二本松市にかけて百数十軒の米の生産者を束ね、

「やまろく米出荷協議会」 を運営する。

 

社長の佐藤正夫さん。

抱えているのは、セシウム対策として農家に配っているソフトシリカ。

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モンモリロナイトという自然の粘土鉱物で、

以前から土壌改良や稲体の強化に活用されてきたものである。

 

昨年は、周囲から 「米を作らない方がいいのでは」 という声もあったようだが、

メンバーは明確な意思を持って作付した。

田を荒らすわけにはいかない。

先祖から受け継いできたように、この田を次代に渡すために。

米はほとんど10ベクレル未満に抑え込んだ。 一部では超える米もあったが、

有機栽培の田んぼは低い、という確信も得られた。

今年は 「すべて10ベクレル未満にする」 と、協議会総会で確認し合った。

大地を守る会の自主基準で、米を10ベクレルに設定できたのも、

「やまろく」 さんの力強い決議があったことによる。

 

思い返せば1993年、

日本が歴史的大冷害に見舞われ、米の値段が暴騰して、

当時の細川政権は米の緊急輸入を発動した。

あの時、「やまろく米出荷協議会」 は、敢然と

「消費者が困っている。 値上げはしない!」 と宣言してくれた。

あれ依頼のお付き合いである。

今こちらが支えられないでどうする、と思うのである。

ここで仁義を通さなかったら、この世が廃(すた) る。

 

思いがけず、弊社・藤田社長がツイッターで後方支援してくれた。

   今朝から、わが家のご飯は福島産コシヒカリに変わった。

   大地を守る会の自主基準では米はセシウム10ベクレル/㎏ 以下だが、

   この米は測定値最大で33ベクレル/㎏ だった。

   生産者を応援すべく大地を守る会は会員に測定値を公表して販売している。

   妻と相談して食べることにした。 美味しいね、と妻。 (3月23日付)

 

「私はやっぱり食べられない」 という反応もあったようだが、

「無理しないでいいですよ」 と返している。

子どもに配慮しつつ、大人は食べる。

ま、そこはあまり気張らず、

それぞれに持続可能な形で 「支え合い」 の輪を維持させたい。

 

今年の取り組みを確認したところで、

佐藤社長の車に乗せてもらって磐梯熱海に向かう。

会場は 「ホテル華の湯」。

ジェイラップ・伊藤俊彦さんと合流し、一緒にラーメン食べてシンポジウムに。

 

「 福島視察・全国集会 農から復興の光が見える!

 ~有機農業がつくる持続可能な社会へ~ 」

 

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全国から300人くらいの参加者があり、 

会場はすでに熱気に満ちていた。

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開会を宣言する、福島県有機農業ネットワーク代表・菅野正寿さん。 

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子や孫に安心して食べさせられる野菜を育てたい、その一心で耕してきた。

結果は予想を超えて、検出されてないものばかりになってきている。

土の力を信じて、耕しながら前に進みたい。

今日を、「がんばろう日本」 から 「変えよう!日本を」 の分岐点にしたい。

 

「福島における放射能汚染の実態と今後の対策」 など、

3名の先生による講演があり、続いてパネルディスカッション。

タイトルは 「福島県農産物の風評被害の実態と今後の対策」。

菅野正寿さんをコーディネーターとして、

パネリストは、滝澤行雄さん(秋田大学名誉教授)、伊藤俊彦さん(ジェイラップ)、

大津山ひろみさん(生活クラブ福島理事長)、そして戎谷。

 

前に座らせられていると、どうも全体の流れはうまくまとめられない。

自分の話したことはだいたい以下の感じ。

 ・「風評被害」 と呼ぶのはやめよう。

  実体のない評判による被害ではない。 ましてや消費者が加害者なわけもない。

  ともに原発事故による被害者として理解し合うことで、大本を断つことができる。

 ・大地を守る会で取り組んできた対策や基準についての考え方について。

  「内部被爆から子どもを守る」 という姿勢を生産者とともに示すことで、

  つながりを取り戻したい。

 ・そのために頑張ってくれている生産者の取り組みを正しく伝え、

  実態を踏まえつつ、 「大人は食べる」 運動も進めたい。

 ・これは未来のために、「国土を回復させる」 運動である。

  そのために生産と消費をつなげる努力を続けるのが流通者の使命だと思っている。

 ・特に有機農業の力を信じる者として、皆さんの営為をしっかりと伝えていきたい。

とまあ、必死でエールを送ったつもりである。

 

僕の隣に座った伊藤俊彦さん。

これまでの取り組みと成果を語った上で、皆を奮い立たせた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

フクシマで今、国土を守る精鋭部隊が形成されつつある。

 

・・・・・今回で最後まで書き終えるつもりでいたのだが、

すみません。 本日の作業ここまで。

 



2012年3月27日

石巻から塩竃に

 

 " 他者の沈黙にむけて送りとどける " 

と書いたのは、宮城県石巻市出身の作家・辺見庸である

( 『瓦礫の中から言葉を ~わたしの〈死者〉へ 』 から )。

作家はその命を削りながら言葉を探すというけど、

僕は何を見つけ出せるのか、震災から1年後の東北でまださ迷っている。

 

石巻では、高橋徳治商店 を訪ねた。

車で流れながら、道路事情もよく分からなかったので、

正確な時間を伝えられなかったこともあって、

社長の高橋英雄さんは先客と商談中。

代わって息子さんの利彰さんが工場を案内してくれた。

ま、こちらも、皆さんが元気で働いている様子をたしかめれば、

という感じでの陣中見舞いというか表敬訪問である。 長居は禁物。

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表面上は復旧したかに見える工場だが、

動く製造ラインは7本のうちの1本だけ。 稼働率は震災前の15~20%という状態だ。

79名いた従業員のうち、今雇用できているのは23名。

 

工場内の津波浸水の跡を見せられ、

周りの状況からみても、1年でよくぞここまで復旧させたと思う。

「取引先の皆さんがたくさん応援に来てくれて、そのお陰です。」(利彰さん)

大地を守る会も、おさかな喰楽部の人たちが中心になって、

浸入した泥の片づけボランティアに来ている。

 

いろんな工程を手作業で乗り切りながら、

数百あった製品をひとつずつ復活させていくしかない。

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「地元の原料がまだ入る状態になってないんで・・・」

石巻の原料をベースにやってきた水産加工者の歩みは、

地元漁業の復活とともにある。 道のりはまだまだ長い。

秋には新工場がお隣・松島町の高台に完成する予定である。

ようやく土地の引渡しが終わったとのこと。

年末商材の製造には間に合わせたいね・・・ 「そうですね」 と頷く利彰さん。

今は復活第一号の 「おとうふ揚げ」 をヨロシク、ですね。

 

帰り際、英雄さんが声をかけてきた。

「エネルギーの自給に向けて進みたいと思ってる。 知恵を貸してくれ。」

望むところです。

 


港周辺の様子には言葉は出てこず、ため息のみ。

 

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更地になったところに設置された小さな社。

復興を祈願して石巻を後にする。

 

松島町でカキの二宮さん宅に立ち寄る。

義政さんは葬式があって出かけた後だったが、

貴美子さんと、仕事から帰ってきた息子さんの義秋さんが、

仮住まいのアパートで出迎えてくれた。

炬燵に入って、適当にお喋りして、おいとまする。

来年のカキ復活に期待して-。

 

この行程で、塩竃の遠藤蒲鉾店を外すと、あとが怖い。

由美さんから 「ご飯食べずに来てね」 と再三言われていたのだが、

そうもいかない時間となって、お詫びする。

「じゃあ、今度は泊まりで来ること」 と約束させられた。

 

こちらもご長男の哲生くんが案内してくれる。

伝統の石臼、健在。

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女性陣が 「大地から届いたごぼう」 を処理している。

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ごぼう天の原料ですね。

ウチの野菜は泥つきのままだし、サイズも不ぞろいで ・・・すみません、厄介かけます。

優しく笑ってくれるが、腹の中は 「まったくね」 か。

「ゴボウの次は蓮根ね」 と由美さんが指示する。

全部手作業である。

 

哲生さんのお連れ合い、美紗子さんにも入ってもらって

玄関で記念に、というより訪問した証拠写真を一枚いただく。

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美紗子さんは埼玉出身。

「由美さん、いじめてない?」

「何言ってんのよ~。 もう可愛くて可愛くてよ、ねえ。」

 

観光地は横目で通り過ぎ、

三陸の海と浜の姿を目に焼き付けながら、走ってきた。

走行距離約 450km の貴重な東北旅だった。

 

23日夕方、冷たい雨の仙台でレンタカーを返して、

福島に到着してビジネスホテル泊。

明日は、磐梯熱海で全国集会。 パネラーなのだが何も考えられない。

 

気になるのは、茜さんからもらったお土産のロールケーキ。

常温のままだけど、「須佐さん(千葉さん生前時の担当職員) に渡してね」 と

頼まれたのだ。

帰るまで食べるわけにいかない。

 



2012年3月25日

志津川で千葉さんを訪ねる

 

5日間の東北出張から帰ってきた。

この重圧から逃れたいと思いつつ、しかしそこに彼や彼女がいて、

元気で頑張ると笑ってくれる限り、僕も現実に立ち向かわなければならない。

以下、東北レポートを続けたい。

 

東北行二日目(3/22) は、海岸線に沿って岩手から宮城に向かって走る。

メディアで報道された街だけでなく、

通過する土地土地がどこもかしこも壊滅的だ。

取り残されたような集落が現われては消えてゆく。

僕の田舎にもよく似た小さな入江の集落には住居も人影もなく、

ただ集められた瓦礫の山がそこに暮らしがあったことを伝えている。

 

どこも、なんとか瓦礫がまとめられた、という感じ。

大きな街では建物がまだ悲惨な姿をとどめ、

地べたは片づいてきているものの、コンクリの土台が残っている風景は

かえって寂寞とした世の無常を感じさせる。

 

陸前高田の様子。

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話題になった奇跡の一本松。  

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残念なことに地下水の高い塩分濃度によって根腐れを起こし、

すでに生存は絶望的らしい。

 

宮城に入り、気仙沼から南三陸へ。

唐桑 ~ 本吉 ~ 志津川 と、漁港や自然の姿を記憶にとどめながら走る。

いったい僕は何をしているんだろうという気にさせられる。

 


志津川の町の姿。

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この町で津波で亡くなられたエリンギの生産者、故千葉幸教さん のご家族を訪ねた。

山の一角に建てられた仮設住宅で、3人は元気に暮らしていた。

お嬢ちゃんたちはそろばん塾に行っていて会えなかったけど、

「二人でそろばん塾」 と聞くと、なんか嬉しくもあった。 ガンバレーと言いたくなる。

幸教さんの遺影に線香を上げさせていただく。 優しい表情の写真だった。

 

奥さんの茜さんはケーキ工房で働いているとのこと。

南三陸町歌津にあるロールケーキとチュイルの店 「パティスリークリコ」 だと言う。

あれま、なんと、  " 裏の離れ "  を用意してくれた南三陸町歌津の宿

「ニュー泊崎荘」 のなかにあるケーキ工房ではないか。

震災直後、冷凍庫にあった1,000本のロールケーキを被災者たちに配ったことで

" 絆 ロールケーキ "  と呼ばれ評判になった。

 

いい職場を得たようで、よかった。

別れ際、茜さんが 「ディズニーランド は、ホントに楽しかったです」 と言ってくれた。

いい思い出になったのなら、こっちこそ嬉しい。

千葉さんのエリンギのファンだった方々、またご心配いただいた皆さん、

奥さんも娘さんも元気でしたから、ご安心ください。

 

仮設住宅を後にして、千葉さんの会社 「志津川アグリフード」 の建物に立ち寄る。

外観だけがそのまま残った姿に、ただ手を合わせるのみ。

 

つらい目に遭っても海を恨むわけではない。 

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やっぱり海とともに生きていきたい、と海の人は言う。

今年のワカメは豊漁のようだ。

このまま再興に進んでほしい、と願わずにいられない。

 

気持ちを整理しつつ、石巻に向かう。

 



2012年3月22日

釜石から

 

直前になるまで行程を定められなかったことも災いして、

岩手県釜石に向かうのに、三日前に

東北新幹線・新花巻駅でレンタカーを借りようとしたらすでに予約一杯で、

手前の北上駅でようやく軽を一台押えることができた。

今の三陸方面は平常時とは違うことを改めて思い知り、

慌てて宿もあちこち当たって、二日目は何とか

宮城県南三陸町のホテルの  " 離れの一室 "  というのを確保した。

 

建設会社によると思われる 「貸し切り」 の札がかかった宿の

" 離れ "  と呼ばれる本館裏の簡易宿舎ふう建屋の一室で、

東北出張の経過を記し始める二日目の夜。

宿代が正規の部屋と同じなのが少々納得ゆかないけど、、、

3月下旬でまだ寒い東北、部屋を用意してくれただけでも感謝すべきか。

ノムさんみたいなボヤキはやめてストーブをつけ、丹前を羽織って

大人しくパソコンに向かう。 まずは昨日の報告から。

 

3月21日(水) 朝6時半、5日間にわたる東北出張に出発。

10時41分、北上駅着。

レンタカーを借り、遠野街道に向かって走り始めたら

工事による通行止め区間にぶつかり、北に迂回したりしながら、

遠野の道の駅 「風の丘」 でCSR推進本部事務局長・吉田和生と合流。

ここで行者にんにくラーメンを食べ、午後1時半、釜石市役所に到着。

 

震災1年後の、街なかの風景。

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復興はまだ、まだである。

 

大地を守る会は、この街に設立されたNPO法人「東北復興支援機構」 に

ガンマ線スペクトロメーター1台を提供(無償貸与) した。

つながるきっかけは 「鮮魚の達人」 たちのネットワークだった。

昨年11月末に設置し、検査トレーニングなどを経て、

いよいよ4月から地元漁業者からの測定依頼を受ける体制へと進んできた。

しかも釜石市の放射能対策の方針とリンクする形となり、

市が策定した 「地域水産物の放射能測定に関する基本方針」 のなかで、

「測定調査に必要な人員の手当てを図る」 とともに、

測定結果を市のホームページで公表する、という関係に発展した。

 

そこで昨日は、

市による地元漁業者や水産加工業者向けの説明会が開催されることとなり、

合わせて放射能についての話をしてくれ、という依頼を受けての訪問となった次第。

ここでのお話は吉田が務め、僕は補佐役。

 

津波被害を免れた高台にある事務所に設置された測定器。

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生産地への貸し出しは福島県須賀川市・ジェイラップに続いて2台目。

こちらは自治体の取り組みにも貢献する形での本格スタートとなったわけで、

今後の水産物の状況把握とともに、

漁業者・事業者そして消費者の安心に貢献できるよう、

計画的に進めてゆかなければならないと思う。

 

その測定実務を担うNPO法人 「東北復興支援機構」

副理事長の三塚浩之さんに案内いただき、

大地を守る会の復興支援基金からお贈りした漁船を確認する。

 

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この船は、山形・舟形マッシュルームさんからの義援金によって調達したものである。

マッシュルーム菌舎の倒壊など甚大な被害を受けたにもかかわらず、

大地を守る会からの義援金をそっくり 「三陸の方々のために役立ててほしい」

とカンパしていただいた。

残念ながら船主の佐々木健一さんとはお会いできなかったが、

漁船登録で少々手間取っているらしい。

漁に出るようになったら、舟形マッシュさんも招いて祝いたいものだ。

 

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写真左が三塚浩之さん。

釜石発⇒復興未来行き切符 諦めない限り有効 1枚300円

なるチケット販売を企画するなどのアイデアマンでもある。 

右が吉田和生。 専門委員会 「おさかな喰楽部」 を率いる炊き出し隊長。

 

車で移動しながら眺める震災の爪あとには言葉も浮かばず、

ただため息ばかり。 

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夜は遠野まで戻って、「民宿とおの」 に泊まる。

三塚さん推薦の、隣接する古民家を移築したレストラン 「要(よう)」 で食事。

料理も素晴らしかったが、自家製ドブロクがとにかく旨かった。

民話の里・遠野にお越しの節は、ぜひ。

 

今朝は宿で吉田と別れ、僕はふたたび釜石を経由して

陸前高田~宮城県気仙沼と通過して、南三陸町へと向かう。

 

釜石湾をあとにする。

崩壊した堤防から威力を想像するも、今日の海はただただ穏やかに凪いでいる。

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湾を望む釜石大観音さま。

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たくさんの深い哀しみを抱きしめ、愛をすべての人に。

 



2012年3月11日

大地を守る会の自主基準

 

あれから1年が経った。

とてつもなく長かったようでいて、あっという間の1年だった。

いまこうして 「放射能対策特命担当」 などと言われる自分が存在することに、

改めて戦慄を覚える。

 

去年の3月11日のあの時、僕はこの場にいた。

成田の某ホテル。

ここで、「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会が開かれていた。

1年後の3月9日(金)、まったく同じホテルで総会が開かれた。

「今日揺れたら、呪われているとしか思えないね」

とか冗談言い合いながら、さんぶの生産者たちと、この日は楽しく過ごすことができた。

放射能の影響による販売不振は尋常ではなかったのだが、

報告された数字は、よくぞ持ちこたえた、というものだった。

 

この情勢下で、新規就農者も6人。

研修を終えて、晴れて組合員になった。

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頑張ってほしい、なんて言ってられない。

こちらの責任も重大なのである。

 

今日は、日比谷公園での 311市民のつどい 「ピース オン アース」

参加するのもやめて、追い詰められていた原稿をやっつけた。

大地を守る会が設定した、食品の放射性物質に対する自主基準について。

会員に配布する説明パンフレットに、

設定までの道のりや思いを書け、という指令。

 

当会の基準の内容については HP を見ていただくとして、

この基準については生産者はじめ各方面から質問を受けたことでもあるので、

駄文ながらここにアップすることで、説明の一端にしたいと思う。

僕の中では、生産者・ H さんへの手紙のつもりでもある。

 


未来の子どもたちのために-

「大地を守る会の自主基準」 設定までの道のりと、お約束

 

東日本大震災と東京電力福島第1原発の大惨事から、1年が経ちました。

生産者の安否確認やインフラの建て直しに追われながら、

一方で放射能に向き合うという前代未聞の事態に潰されそうになったことを、

思い返しています。

あの状況下でのオペレーションに落ち度はなかったか、

検証する暇(いとま) もないまま、走り続けてきました。

福島をはじめ東日本の第一次産業は、今もって暗い陰に苦しめられています。

 

大地を守る会では、事故以降、

放射能汚染のできるだけ正確な実態把握 (測定体制の強化) と

情報公開に努めるとともに、生産者の対策支援に尽力してきました。

お陰さまで現在、高精度の放射能測定を可能とする体制

(ゲルマニウム半導体検出器 1台、NaI ガンマ線スペクトロメーター 6台

 ~うち 2台は生産地に設置) を整えるまでに至っています。

 

食品における放射性物質の規制に関しても、

拙速に 「規制値」 を設定せず、科学的知見の検証と、

「基準」 を遵守できる体制の確立、生産地での対策の見定めが必要である、

という姿勢に立って検証を進めてきました。

また並行して、他団体とともに 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 を立ち上げ、

" 基準とはどうあるべきか "  について討議を深めてきました。

昨年末に厚生労働省から発表された 「新基準値案」 に対しては、

「共同テーブル」 として 「提言」 を発表し、基準の考え方を提示しました。

 

こういった取り組みを土台として、たどり着いたのが今回の 「自主基準」 です。

「基準」 設定にあたっては、たんに流通を規制する 「数値」 だけでなく、

放射能汚染に対する考え方を示す必要があると考えました。

それを表現したのが基本姿勢の ①~④ です。

また原因の大元である原発に対する私たちの姿勢も、改めてここに明記しました。

 

数値にも意味があります。

根本に据えたのが、大地を守る会の原点である次の言葉です。

 「子どもたちの未来のために、美しい大地ときれいな海を取り戻そう!」

 

私たちはここに、「未来の子どもたち」 を加えました。

長期的な低線量内部被ばくの影響はまだ不明 (未解明) という現状にあって、

将来に禍根を残さないためにも、

「子どもを守る・守ってみせよう」 という基準でありたいと考えました。

 

生産者からは 「厳しすぎる」 という声も上がりました。

しかしあえてお願いしました。

食を生産する者の責任として、「子どもを守る」 と宣言しよう。

ゼロリスクはもはや無理であっても、「ゼロを目指す」 努力をしよう。

そこから 「つながり」 を再構築しよう。 「つながり」 があってこそ、

" 基準を超えた場合でも生産者を切り捨てない "  が実現できます。

その意味でも、この基準は私たちに、

" 何を、どう食べるか "  について、再度学び合うことを求めているように思います。

そういった機会も用意していかなければなりませんね。

 

この基準は、これからの私たちの 「行動規範」 となります。

「未来の子どもたち」 への責任を全うする決意で、

本基準を設定・運用していくことをお約束します。

        (2012年3月11日記、春を待ちわびながら-)

 

 

前回の日記で紹介したユーリ・バンダジェフスキーが語っている。

当局の圧力で投獄の身に遭いながらも、医者としての信念を貫く人の言葉。

 

  被災者の健康状態は、まさに災害である。

  しかし、私自身が医者である限り、見込みなしとは言えない。

  神に誓って私は訴える。

  尽力できる者は状況改善にベストを尽くせ と。

  地球上で生命ほど貴重なものはない。

  私たちはできる限りのことをして、生命を守り通すべきである。

 

集会に行って、みんなと一緒に黙祷はできなかったけど、

僕なりに思いを新たにした一日。

 



2012年3月 9日

ムッシュ と呼んでくれ

 

" ムッシュ・エビスダニ~ "

 ・・・ウ~ン、心地よい響きだ。

 

7日(水) の朝、やってきたのはフランスからの一団。

フランス緑の党の州(だったか) のリーダーと有機農家に女性のジャーナリスト。

福島原発事故以降の日本の状況を知りたくて来日した。

福島の各地を回り、またいろんな団体の話を聞く予定だという。

カメラ班もくっついてきている。

ドキュメンタリーを一本、ねらっているようだ。

 

説明係に指名され、大地を守る会の説明から始まり、 

放射能汚染の経緯と現状、弊社の取り組みなどお話ししていくなかで、

話題は、国や電力会社の事故後の対応のまずさとその影響、そして

安全神話がつくられていった背景などへと広がっていく。

また脱原発の方向を支持する国民が多数を占めてくる中で、

事ここに至ってもなお原発に依存しようとする自治体があることの理由まで聞かれた。

原発マネー (電源三法交付金や電力会社からの寄付金) が

自治体の経営を逆におかしくしてしまったことや、

原発の新規誘致が同じ場所に集中していった原因となったことなどをお話したところ、

何とフランスでも似たような問題はあるのだという。

原発大国フランスでも、内実はもちろん一枚岩ではないということだ。

 

内部被ばくのリスクに対する日本人の認識はどうか?

バンダジェフスキーは知っているか?

-内部被ばくに対する認識は、ICRP(国際放射線防護委員会) のリスク評価が

  全体の基調になっている。

  低線量内部被ばくの問題を指摘する学者や医者は存在するが、採用されていない。

  バンダジェフスキーの研究成果も、ECRR(欧州放射線リスク委員会) のレポート 【注】

  も、昨年11月あたりから翻訳されて出てきたばかりである。

  しかしまだ、" ヨーロッパのみどり派の学者が言っていること "  という感じだ。

  この学問的にグレーな様子が消費者の不安心理に影響を与えていることは、あるだろう。

 

最後に、ジェイラップが作成した測定MAPや、

河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部) たちが作成した

南相馬の詳細な汚染MAPを見せて、

民間レベルでも頑張ってきたことがたくさんあることを伝えた。

 

お役に立てたかどうかは定かではないが、事務所を案内し、

習志野物流センターの測定体制を見てもらい、お帰りいただいた。

これがフランスでどう扱われるのかは、分からない。

ムッシュ・エビはフランス人の目に耐えられるのだろうか・・・

なんて心配しても仕方ないか。

そういえば20年以上も前、雑誌の取材を受けて、

「パリのいたずらっ子のような~」 と書かれたことがあった。

もしかして、意外と合ってるんじゃないか?

いつか、生きている間に、セーヌ河畔に立ってみたいものだ。

 

【注】

1.ユーリ・Ⅰ・バンダジェフスキー

   『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響

   -チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ- 』 (久保田譲訳、合同出版)

  著者は元ベラルーシのゴメリ医科大学初代学長。 チェルノブイリ原発事故後、

  10年にわたって亡くなった患者の病理解剖を続け、また汚染地域住民の大がかりな

  健康調査を実施し、セシウム137の人体への影響の解明に取り組んだ。

  放射性セシウムの影響は特定ガンの発生だけではなく、

  多様な病気に関連していることを示した。

2.ECRR(欧州放射線リスク委員会)

   『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価

   -欧州放射線リスク委員会2010年勧告- 』 (山内知也監訳、明石書店)

  ICRPのリスク評価は政治的で意図的な操作がされていると批判するとともに、

  様々なデータをもって、内部被ばくのリスクを厳しく、かつ総合的に評価し直している。

  バンダジェフスキーもECRRのメンバーである。

 



2012年3月 8日

オリーブは平和のシンボルだから

 

バナナやコーヒーなど、フェアトレード製品でお付き合いのある

オルタートレード・ジャパン (ATJ) からの招きで来日し、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 にも参加して挨拶をしてくれた

パレスチナのオリーブオイルの生産者、サイード・ジャナンさんが、

6日(火)の夜、大地を守る会の幕張本社を訪ねてくれ、

職員有志のために話をする時間を取ってくれた。

 

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オリーブの栽培と、オイルの製造・販売によって農民の自立を目指す彼らに対して、

大地を守る会がカンパを募ったのはもう4年以上前のことになるか。

私たちが送った資金によって建設された農道は 「だいち ロード」 と命名された。

平等で持続可能な農業、地域コミュニティの自立を目指し、

今も水資源の安定確保や失業・貧困対策に取り組んでいるのだが、

来られた時はいつも、 「道ができた」 ことへの感謝の言葉を、彼らは忘れない。

そして昨年は、オリーブオイルの販売利益から

東日本大震災の被災地への義援金を送ってくれた。

こういう関係を丹念に紡いでゆくことで、平和への道が拓かれてゆくのだろう。

 

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サイードさんは、1968年生まれ。

ベツレヘム大学から米国・フロリダ国際大学で学び、

カナダの酒造メーカーで史上最年少の海外支店長としてインドネシアに勤務した。

UNDP(国連開発計画) の仕事経験もあり、4ヶ国語を流暢にこなし、

その他に3ヶ国語も使えるというマルチリンガル。

僕がそのレベルに達するには、5回は生まれ変わらなければならない。

しかもリセットなしで。

 

そんな立派なキャリアの持ち主が、なぜ不安定な母国に戻り、

給料も少ないであろうフェアトレードの世界に?

答えは、女手ひとつで育ててくれた母が一人でエルサレムに暮らしているから。

母の愛は世界共通である。

 

オーガニックとフェアトレードの認証を取り、

より高品質なエキストラ・バージンオイルを目指して、

農家や搾油所のトレーニングを重ねている。

「オリーブは、私たちにとって平和のシンボルなのです。」

思いを生産物に託して、一歩々々歩みましょう、平和への道を。

 

そして昨日(7日) はフランスから来訪者あり、説明要員に狩り出された。

その話は、次に。

 



2012年3月 5日

車座トークの一日

 

大地を守る会が一番大切にしている年に一回の大イベント、「大地を守る東京集会」。

二日間のプログラムが無事終了して、夕べは生産者とともに

朝まで蒲田で飲み、語り合いながら過ごした。

始発で幕張まで帰ってきて、今日は会社に 「存在している」 状態。

 

一日目(土) が地域に分かれての 「だいち交流会」、

二日目(日) はみんな集まっての 「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 と、

今ふうに名前を変えても、僕にとっては、どちらも 「東京集会」 である。

 

今年は、二日目の会場でもある蒲田の 「大田区産業プラザ PIO」 が

前日の 「だいち交流会」 の一会場にも設定され、

専門委員会はこちらに招集がかけられた。

おかげで二泊三日、蒲田にどっぷりと浸かってしまった次第。

 

頭が回らないけど、取り急ぎ1日目の様子をアップしておきたい。

簡単なコメントでお許しを。

 

3月3日(土)、「だいち交流会」 蒲田会場。 

集められた 5 つの専門委員会がブースを分けて、それぞれで車座トークを展開。

加えて、各セクションの職員が順番に呼ばれて仕事の説明をする

「職員と話そうコーナー」 が設置された。

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こちらが、我が専門委員会 「米プロジェクト21」 ブースの開始風景。

(写真撮影:以下すべて西田和弘)  

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南から、北から~ 米の仕入担当・海老原康弘が撮り溜めた生産者のビデオを

約1時間ものに編集してもらって、まずは上映会から。 


続いて 「生産者リレートーク」。

ビデオに登場した生産者たちの生の声を聞いてもらう。

栽培技術へのこだわり、環境への取り組み、日頃の思いなどが

順番に語られていく。

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プログラムⅢ は、「頑張りました! 放射能対策」。

「大地を守る会の備蓄米・大地恵穂(けいすい)」 の

生産者集団・稲田稲作研究会(福島県須賀川市) を束ねる

ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんに、

取り組んできた放射能対策の成果を語ってもらう。 

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全国から集まった米の生産者たちが熱心に聞いてくれたのが嬉しい。

この一年の稲作研究会の試行錯誤で獲得した知見は、

実は稲作技術そのものにも応用できる理論が潜んでいる。 

 

他の専門委員会も盛り上がっている様子。

おさかな喰楽部。

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札幌中一の橋本稔さん。

声も通っていて、気合い入ってる感じ。

 

壁面では、三陸の復興支援を続けてきた数々の写真が掲示された。

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ホント頑張ったよね、おさかな喰楽部は。

 

「大地を守るエコ研究所」 では、

「富士酢」の飯尾醸造・秋山俊朗さんがお話し中。 

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棚田を守りながら米酢を作り続けている。

環境と食のつながりなど語ってくれているに違いない。 

ちなみに秋山さんは、米プロジェクト21のメンバーでもある。 

 

背中でも表現する人たち。

「原発とめよう会」 ブースにて。

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こちらは 「職員と話そう」 コーナー。  

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「誰も聞いてくれないんじゃないのかなぁ」

と心配していた職員がいたけど、けっこうイイ感じじゃないか。

 

米プロジェクト21 のプログラムⅣは、

TPP (環太平洋経済連携協定) の問題に挑んだ。

" WHAT'S TPP? "

問題提起者は、さんぶ野菜ネットワーク・下山久信さん。

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下山さんは、TPPは国家主権を失いかねない重大問題であると訴える。

それを受けて、自由に発言を求める。

「賛成」 論者もいたが、それは 「反対で日本の農業がよくなるのか」 という

苛立ちのようなものに感じられた。

「ただ反対するだけでなく、これをきっかけに国民的議論になることが必要だ」

「そもそもこの国の政府に交渉能力があると思えない」・・・・・

 

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全体的基調は、まさに 「この国をどうするのか」 に対する

両方からの怒りのようなものだった。

一人ひとりに主権者としての自覚が求められている。

TPPは食や農業だけの問題ではないわけだし。

この国のビジョンを示し合い、それでたたかいたいものです・・・ が

苦しまぎれのまとめだった。

 

一専門委員会で取り上げるには無理なテーマ設定だっただろうか。

そうは思わない。

僕らはいつだって語り合うことができる。

大地を守る会には、そんな空間があることを、示したかったんだ。

ビジョンはみんなの力で育てるものだと思うし。

 

ブース間で迷惑にならないようにと、マイクはなし、という指令。

会場の天井が高くて、地声ではなかなか声が通らず、聞きづらかったことと思います。

来ていただいた方々に、この場を借りてお詫び申し上げます。

 

明日もあるというのに、二次会、三次会と続いて午前2時半。

カプセルホテルに潜り込む。

普段の語り合いが足りないってことか。

しんどすぎるぞ ・・・

 



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