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2014年5月11日

堰(水路) さらい

 

5月1日に邑南町から帰ってきて、一日置いて 3日。

今度は車で東北道を北上。 要所要所で渋滞に遭い、

観光客を横目で睨みながら、郡山から磐越道に入って会津若松で降り、

喜多方・大和川酒造で 「種蒔人」 を積んで、山都まで。

休憩時間も含めてほぼ 7時間。 

 

この8年、GW後半は堰さらいボランティアと決めている。

余計なことは考えないようにして・・・

そんな感じで今年もやってきましたよ、

この里に。

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一見変わらない風景なんだけど、

やはりこちらの棚田も、年を追って不耕作田が増えている。

美しい風景は元からそこにあったわけでなく、

人の手によってつくられてきたのだと説いたのは民俗学者・柳田國男だが、

日本はいま、まったくその真逆の道を歩んでいる。

失われたものはおそらく、もう取り戻せない。

 


いつもなら満開の桜が出迎えてくれるのだが、

今年はもう散っていた。

でも草花たちはあちこちで競い合っていて、

充分に目を楽しませてくれる。

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到着したボランティアたちは順次 「いいでの湯」 に浸かって、

みんなで準備して、前夜祭へと突入する。

今年も50人以上のボランティアが集まった。

 

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しかし地元農家は今年も減ったとのこと。

かつて50戸あった農家が、今年は11戸になった。

堰が維持できない戸数まで減ってしまうと、

その時点ですべての田んぼがいっぺんに消失する。

集落そのものの存続が、

浅見さんはじめ新規就農者の肩にかかってきているということである。

 

それにしても、ここに来るボランティアは酒飲みが多い。

「種蒔人」 もしっかり貢献している。

会員の皆様が飲み続けてくれたお陰で、

1本につき 100円ずつ積み立ててきた 「種蒔人基金」 から、

今年も 2ダース(2日分) の 「種蒔人」 をカンパさせていただいた。

ささやかな、人をつなぐ潤滑油として。

またこういう人たちがいてくれることで、

原料の水と米も守れるわけで。

 

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こごみ、ウド、タラの芽・・・ 山菜の天ぷらが実に美味しい。

山に入って、適度に摘んで、適度に手を入れる。

けっして自然のまま(放ったらかし) にしない。

そうすることで生物の多様性はかえって高まり (これを 「中規模撹乱説」 という)、

いつまでも数々の資源と恵みをもたらしてくれる。

これが里山の原理である。

 

自著 『ぼくが百姓になった理由(わけ)』 のPRをする浅見彰宏さん。

一昨年に山都に入植して仲間に加わった

長谷川浩さん(元福島県農業研究センター研究員) の

著書 『食べものとエネルギーの自産自消』(ともにコモンズ刊)

とも合わせて。

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さて翌 4日。

本木上堰延べ 6kmの堰さらいの開始。

いつものように上流から降りてくる早稲谷班と、

下流から上っていく本木班に分かれる。 出会うまで終われない。

 

僕は今年は本木班に編成される。

事前にスコップ組とフォーク組みが指定されたのだが、

僕も含めた数名は 「両方」 と書いてある。

土砂も枝木も落葉もとにかく全部対処しろ、ってことね。

キャリアとともに楽になっていくのではない。

任務は重くなっていくのである。 これ、世の習いなんだそうだ。

肉体労働もか・・・ ま、いいけど。

 

本木班、朝 7時半集合。 

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作業開始ポイントまで軽トラで護送され、 

あとはひたすら、浚うべし、浚うべし・・・

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冬の間に落ちた倒木も、枯枝枯葉も、土砂も浚い、

水を通してゆく。

全長 6kmの高度差は 65mとのことだが、

ほとんど水平に近い傾斜が続く。

尾根に沿ってゆっくりと、温みながら水が下っていけるように

掘られている。 

 

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江戸時代中期、1736年に着工し11年かけて完成した。 

以来 278年、修復を重ねながら麓の田を潤してきた。

この堰より上に人家はない。

上流は飯豊山のブナ原生林である。

降った雨や雪が森の力によって浄化され、ミネラルも一緒に運んで

美味しい米をもたらしてくれる。

この価値を、経済の尺度で計れるものなら計ってみてほしい。

外部経済ぶんも含めるなら、

その数字は誰も支払えない額になるはずである。

潰してはならない、汚してはならない。

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疲れたので続く。

 



2014年4月29日

福島の魚を食べる

 

今夜は広島に来ています。

広島駅新幹線口近くのホテルにチェックインして、

近所にあった地酒と地魚の居酒屋でテキトーな気分になって、

部屋に戻ってパソコンに向かっています。

明日は、中国山地の真ん中で食をテーマに地域起こしを進める

島根県邑南町に向かいます。

 

さて、4月26日(土) の会合ハシゴの締め。

御徒町の寿司処 「しゅん」 で行なわれた 「福島の魚を食べる会」。

この「食べる会」は 2回目で、1回目は所用があって出られなかった。

なんとしても 今度は出なきゃね、ということで

案内をもらってすぐに申し込んでいた。

昨今、土日は平日より忙しい。

 

ゲストで来られたのは、

いわき市漁業協同組合久之浜支所 「熊野丸」 の漁師、

新妻竹彦さん。 

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震災とフクイチ事故から 3年の時間と今の思いを、

淡々と語ってくれた。

今もまだ漁は限定的なもので、週2回の試験操業、

なおかつ魚種もミズダコやコウナゴなど、放射性物質のモニタリング検査で

安全性レベルが確認されたものに限定されている。

東電の賠償は続いているが、

漁師の生きがいが補償されることはない。

このままでは漁師は減り続けることだろう。

 

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農業以上に高齢化が進む日本の沿岸漁業にあって、

福島・浜通りの漁業は優等生だった。

ただ獲って売ればいいというようなやり方ではなく、

資源管理に基づいた 「いい魚をちゃんとした値段で売る」

経営感覚が育っていた。

だから仲買や小売店からも支持され、まっとうな値段で取引された。

それは福島ブランドのひとつだったと言ってもいい。

我々のような団体との産直も必要としないくらいに、

浜通りの魚は高級割烹とかに回っていたのである。

 

それが2011年3月11日を境に崩壊した。

ブランド力と誇りは、お金では補償できない。

しかも彼らを支えたいと心を砕くのは、原発推進派ではない。

ゲンパツは、いざとなったら 「地域を使い捨てる(切り捨てる)」

発想に基づいている。

 

新鮮で美味しい魚をいただきながら話し合っても、

特効薬が見つかるわけではない。

しかし語り合うことこそが大切な一歩であり、

消費者とつながっている実感こそ、いま彼らが願っているものである。

彼らは被害者でありながら、

加害者になってはならないという思いで慎重に操業を続け、

情報を公開しながら出口を探しているのだ。

 

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届いたキチジをベースにした刺し盛をいただく。

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美味い。

いま福島沖は、究極の資源管理状態にあって、

どんどん魚が増えているらしい。

しかし指定魚種以外は、網にかかっても捨てざるを得ない。

漁師のため息は深く、まだ長いトンネルの中を進んでいる。

 

新妻さんは別に我々との取引を求めているわけではない。

ただ消費者の気持ちを知りたいとの思いでこの企画に乗ってくれた。

僕らはもっともっと、ちゃんと話し合い理解し合うことが必要だ。

理論も戦略も、現場を救えなければ意味がない。

でなかったら消費者も未来も守れないのだから。

 



2014年4月28日

谷川さん、詩をひとつ・・・

 

  万有引力とは

  引き合う孤独の力である

 

  宇宙はひずんでいる

  それ故みんなはもとめ合う ・・・

    -谷川俊太郎 「二十億光年の孤独」 の一節-

 

1950年、19歳の若さで鮮烈の詩壇デビューを果たし、

80歳を過ぎてなお  " 言葉の力 "  を探し続ける詩人、谷川俊太郎。

幸か不幸か、不登校の青年のまま

「詩人の道」 に進んでしまったがゆえに、

谷川さんは社会で働いたことがない (詩人・作家としての仕事は別として)。

そんな谷川さんが、働く人々の姿を見つめ、詩を編む。

あるいは震災後の福島でふるさとを記録し続ける高校生たちに、

詩のエールを送る。

その両者の姿をカメラで追いかけながら、一本の映画にまとめる。

2年近くかけて完成した映画のタイトルは、

『谷川さん詩をひとつ作ってください』

そのまんまですねえ。

いいんだか悪いんだかよく分からないので、コメントは避けておこう。

で、中身は、、、どんな作品に仕上がったか。

 

4月26日(土) 午後 3時、

日比谷から京橋まで移動。

分かりにくいビルの地下に 「京橋テアトル」 という試写室がある。

ここか? と覗いていたら、

中のエレベーター前から川里賢太郎さんが声をかけてくれた。

「いよいよ銀幕デビューですね。 おめでとうございます」

「どんなふうに編集されたんですかねぇ。 けっこうドキドキしますよ」

とか話しながら地下に降りる。

 

定員 40人ばかりの小さな試写室だった。

(株)モンタージュの小松原時夫さん、監督の杉本信昭さんに挨拶し、

賢太郎君と並んで座る。

いつもTシャツだという谷川さんの姿もあった。

 


封切り前に、ストーリーを紹介するのはやめておきたい。

登場するのはこんな人たちだ。

震災後のふるさとの光景を記録し続ける

福島県相馬高校放送部の女子高校生たちと顧問の先生。

大阪・釜ヶ崎で日雇いの暮らしを続ける元文学青年のおっちゃん。

青森・津軽のイタコさん。

長崎・諫早湾で漁を続ける夫婦。

そして東京都小平で代々農業を営んできた川里家の後継ぎ、賢太郎くん。

 

飾りのない日々の暮らしや営みの中にも歴史があり、

人とのつながりがあり、固有の思いや隠された苦悩がある。

最後に、そんな 「私」 のために用意された谷川さんの詩を、

それぞれが朗読する。

哀しみを慰め、人を優しくつなげ、あるいは気を昂ぶらせる

詩の力と意味が浮かび上がってくる。

とても良い作品に仕上がったと思った。

 

試写が終わって、監督が礼を述べる。

谷川さんも高い評価だ。

「どっかの賞に出品してもいいんじゃない」 と褒める。

感想を求められた賢太郎くん。

「いや、改めて、俺ってイイ男だと思いました」

いいね。

 

早くみんなに観てもらいたいところなのだが、

劇場公開は 9月から、とのこと。

どうも監督がイタコ婆さんから父の霊を呼び出してもらった際に、

秋から運気が巡ってくる(それまで我慢しろ) と言われたんだそうだ。

ならしょうがないか- と納得する優しい我々。

 

試写会終了後、賢太郎くんとのツーショットをお願いしたところ、

谷川さんは気さくに応じてくれた。

「ブログにアップしてもいいですか?」

「ああ、いいですよ。 どうぞどうぞ」

谷川俊太郎は、いい人だった。

センシティブなところは、おそらく我々の想像を超えているのだろうが。

 

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詩集とサインペンも持ってくるんだったと、

欲張るミーハーな自分を発見して、ちょっと恥ずかしくなったりして。

 

僕が詩人・谷川俊太郎の名前を知ったのは、10代のいつだったか。

それは詩集ではなくて、フォーク歌手・高石ともやが歌った一曲だった。

武満徹が曲をつけた 「死んだ男の残したものは」。

以来、冒頭で引用したデビュー作だけでなく、

たくさんの詩に出会ったはずなのだが、

この詩だけは、今でも全部そらんじることができる。

 

  死んだ男の残したものは

  ひとりの妻とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  墓石ひとつ残さなかった

  ・・・・・・・・・・

  死んだ兵士の残したものは

  こわれた銃とゆがんだ地球

  他には何も残せなかった

  平和ひとつ残せなかった

  ・・・・・・・・・・

 

賢太郎くんが親父さんから受け継いだ手を抜かない仕事ぶりと、

土へのこだわり、家族との時間。

その姿に詩人・谷川俊太郎が見たものは、

つながっていく家族の愛、のようだった。

もう一度ちゃんと聞いて覚えたいのだが、

監督の運気が訪れる秋までおあずけ。

 

帰りがけ、小松原さんが

「一杯いかがですか、谷川さんも囲んで」

と誘ってくれた。

なんと言うことか・・・

美味しい飲み会が、今日は三つも-。

 

丁重にお断りしながら、

後ろ髪を引かれる思いで、今度は京橋から御徒町へ。

「しゅん」 というお寿司屋さんで 「福島のさかなを食べる会」。

福島・いわきの漁師さんがやってくるのだ。

行かねばならない。

続きは明日。

 



2014年4月22日

原点を思い出させてくれた丹那交流会

 

4月19日(土)、箱根の南に位置する静岡県田方郡函南町。

大地を守る会の低温殺菌牛乳(通称 「大地牛乳」) のふるさと

丹那盆地のこの日は、

とても風が強くて、時折小雨も降る肌寒い一日だった。 

満開で出迎えてくれた菜の花も、少々寒そうに震えている。

 

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伊豆・丹那盆地は 130年に及ぶ酪農の歴史を誇る里である。

360度山に囲まれ、町とか村とかではなく、里と呼ぶほうが似合っている。

ここで 函南東部農協 主催による 「丹那・生産者交流会」 が催された。

会場は、18年前に建設された 「酪農王国 オラッチェ」。

 

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この交流会の歴史も古い。

国内では当時ほとんどなかった低温殺菌牛乳(65℃・30分殺菌、最初は62℃だった)

を開発したのが82年 8月のことだから、もうかれこれ 32年になる。

今でも超高温殺菌(130℃-2秒) が主流という悲しい乳文化のこの国で、

それは画期的な取り組みだった。

 

相当な覚悟で導入してくれた低温殺菌の製造ラインを維持すべく、

まだ組織の小さかった大地を守る会は、

他の流通組織や静岡県下の消費者団体にも働きかけて、

共同でこのホンモノの牛乳を育てようと呼びかけた。

そこで結成されたのが 「丹那の低温殺菌牛乳を育てる団体連絡会」(略称 「丹低団」) だ。

当然のごとく生産者との交流も活発になる。

 

僕が入社したのもちょうどその頃で、

生まれたばかりの大地牛乳の生産と消費を安定させるべく、

にわか仕込みの知識で宣伝しては、

消費者の方々を事あるごとにお連れしたものだった。

東名高速道路から小田原厚木道路-箱根ターンパイクと自ら運転して。

丹那交流会は低温殺菌牛乳の歴史そのものと言ってもいい。

と偉そうに言いながら、僕がこの交流会に参加するのは

15年ぶりくらいなんだけど。

 


今回首都圏から集まってくれた会員さんは 80名ほど。

ちょっと寒い開会式となったが、

リピーターの方は 「去年もこんなだったし、慣れてます」 と笑ってくれる。

ま、バーベキューが始まれば体もあったまるか、ってなもんで。

 

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挨拶しているのは農協の組合長で、

オラッチェの代表も務められている片野敏和さん。

その後ろ(写真左)に控えているのが、

低温殺菌部会長の酪農家・川口さん。

 

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低温殺菌部会の酪農家は、現在10名。

そのなかで最も若手である大塚さん夫妻が紹介される。

 

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大塚さんは酪農家の次男として育ち、元教師だったのだが、

お父さんが体をこわしたのを機に酪農を継ぐことを決心した。

「やっぱり俺らの代で牛飼いを終わらせるわけにいかないと思って・・・」。

継いでから結婚もできて、子どもも生まれて、

子どものためにも良質な牛乳を生産し続けたいと思って、頑張ってます。 

 

有害な菌を死滅させて栄養価を残す、

そのための殺菌法としてパスツールがあみ出したのが 「パスチャライゼーション」

と言われる低温殺菌法(62~65℃・30分もしくは75℃15秒) である。

当然、超高温殺菌に比べると生産効率が落ちる。

しかも牛乳を低温で処理するということは、

もともとの原乳がきれい(衛生的) でなければならない。

雑菌数の少ない乳を生産するには、

牛舎の衛生管理から牛の健康管理まで細かく気を配る。

広大な牧野で育てる欧米では当たり前の殺菌法だが、

狭い面積で採算の合う乳量生産を余儀なくされている日本の酪農では、

なかなかに厳しい。

低温殺菌牛乳を維持させるためには、

少々高くても支援したいという消費者の存在が必須となる。

ホンモノの牛乳を理解してくれる消費者がいてくれる

と信じることで、生産者も頑張れる。

若い生産者が、誇りを持って牛を育てられる社会にしたいものだ。

 

酪農王国にはいろんな動物がいる。

小さい頃から生き物と触れ合うのは大切なことだ。 

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バターやアイスクリームの手づくりも体験できる。

ここのアイスクリームはメチャメチャ評判がいい。

それは原乳の質と新鮮さによる。

 

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大地を守る会が丹那牛乳(函南東部農協)さんに低温殺菌牛乳の開発を

持ちかけたのにはワケがある。

管内の牧場と工場の距離が極めて短いこと(新鮮なうちに処理できる)、

東京に近いこと(新鮮なうちに運べる)、

もともとの乳質がいいこと(牛を健康に育てている)。

 

1980年代に入り、原乳が余ってきたことも背景にあって、

大手乳業メーカーが無菌パックに詰めた LL(ロングライフ) ミルクを開発し、

それを常温で流通できるように法改正しようと厚労省に働きかけた。

それに対して中小メーカーや酪農団体が激しく反対し、

全国の消費者団体も呼応してLLミルクの反対運動がまき起こった。

大地を守る会も運動に賛同したのだが、

牛乳について学ぶなかで、低温殺菌という本来の牛乳を

生産者と一緒に開発しようという方針に至った。

そこで白羽の矢を立てたのが丹那牛乳だった。

 

生産者にとっては相当にリスクの高い、迷惑な話であったようだ。

それでも応じてくれたのは、酪農家としてのプライドがうずいたからだと思う。

どこよりも先んじてホンモノの牛乳を実現して見せようか、という

意気に火がついたというか。

 

LL牛乳反対から低温殺菌牛乳の開発へ。

反対に留まらず、あるべき提案をぶつける。

この運動論は、

以後の大地を守る会の生き方を決定づけたと言ってもいい。

 

バーベキューのお肉は岩手県山形村の日本短角牛。

やっぱ短角は美味い。

加えてオラッチェ自慢の 「風の谷のビール」。

どれも提案型運動の産物である。

交流もだんだんと打ち解けていく。

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空模様も怪しいので、急きょ農協の会議室に場所を移して

車座での懇親会となる。 

 

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生産者の思い、牛を育てる日々の苦労など聞いているうちに、

「そもそも何で低温殺菌をやろうと思ったんですか?」

の質問が飛び出した。

石川さんから 「そこは大地さんから・・・」 と目配せが。

喜んで、久しぶりでの低温殺菌牛乳開発秘話を披露させていただいた次第。

 

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駆け足で牛乳工場を見学して、

オラッチェ向かいにある、片野組合長の牛舎を見学。

昨今は伝染病の心配もあって、

道路からの説明となる。

 

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牛にストレスをかけないように配慮された、

仕切り壁なしのフリーバーン牛舎。

牛たちも僕らに興味を持って、じっとこちらを眺める。

もっと近づいて来てほしかったのかも。

飼い主の心が想像される。 

 

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久しぶりの丹那交流会で、自分の原点を蘇らせた一日。

今日は書けなかったけど、 僕は去年から、

オラッチェ内にあるジャム&ケーキ工房 「フルーツバスケット」 の

取締役を任免されている。

放射能対策やらローソンさん営業やら生産部長やら、

この間兼務が続いたので肩書きだけの状態だったのだけど、

  いよいよ本気でこの地に関わろうと思っているところである。

「地域」 とい うテーマとともに。

 



2014年3月16日

99 %の革命を -さんぶ野菜ネットワーク総会から

 

14日(金)は、千葉・成田の某ホテルで行なわれた

「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会に出席した。

 

行けば、あの日と同じ会場である。 3 年前の 3 月 11日。

会議の途中から大揺れに揺れ始め、外に避難させられ、

ロビーの TV 大画面からは

家屋やハウスを呑み込んでいく津波の映像が映し出され、

携帯はつながらず、外国人客はインターネット・コーナーに殺到し、

日本人は公衆電話に長蛇の列を作り、さんぶ野菜ネットの総会も流れた。。。

自然と 「思い出すねぇ」 の会話になる。


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何も変わってないかのように、総会は進行する。

でもみんなの心の中には、それぞれに微妙な 3 年の変遷がある。

それを受け止めて生きているかが、僕らに問われている。



事業報告や決算報告、活動計画に事業予算など

予定の議事が淡々と処理され、

新しく加入した組合員と研修生が紹介された。

これから有機農業を目指す若者たち。 

のセレモニーの意味は、けっして小さくない。


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僕らは取引先のオブザーバーなので拍手するのみだが、

毎年々々取引先を招いて総会を開く生産団体は他にない。

立派なもんだと思う。


今年は例年以上に平穏に終了し、記念講演に移る。

講師は東京大学大学院農学部教授、鈴木宣弘さん。

元農林水産省国際部で農産物貿易交渉などにあたった経歴がある。

反 TPP (環太平洋連携協定) の論客である。

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講演タイトルは、

「日本の食と地域の未来を拓く -強い農業への道-」。


鈴木さんはのっけっから、

今のこの国は 「今だけ、金だけ、自分だけ」 しか見ていない人たちによって

将来を危うくされている、と喝破した。 

このままでは日本は崩壊する、と。


  TPP 交渉はなかなか合意形成に至らず、

  まとまらないのでは、という楽観論も出てきたが、予断は許さない。 

  また農産物交渉で日本が譲らないから合意できないのだ、という

  日本農業悪玉論も間違っている。

  問題は米国からの一方的な要求に各国が警戒し、応じない姿勢を強めていることだ。

  ベトナムやマレーシアやオーストラリアが何に反発しているのか、

  日本はちゃんと分析する必要がある。


  日本はすでに、軽自動車の税金引き上げや医薬品の価格引き上げ、

  がん保険の取り扱い(全国の郵便局で米国保険会社のがん保険を売り始めたこと)、

  BSE の輸入条件緩和、ISDS(投資家対国家紛争処理) 条項などで譲歩を続け、

  国会決議で約束した国益保護を放棄してきている。

  「聖域は守る」 「食の安全基準は守る」 と国民の前では標榜しつつ、

  その実、アメリカの要求に屈している、というより

  進んで 「追加払い」 しているのが現状である。

  この先も、GM(遺伝子組み換え) 食品の拡大や食品添加物基準の緩和、

  「表示制度」 への変更圧力が懸念される。

  世界に冠たる国民皆保険制度も危うい。


  ノーベル経済学賞を受賞したスティッグリッツ教授は言っている。

  「TPP は、1 %の人口で米国の富の 40 %を握る巨大企業の

    " 1 %の、1 %による、1 %のための "  協定である。」

  失うものが最大で得るものが最少という史上最悪の選択肢、それが TPP だ。

  食糧自給率は 20 %前後まで落ち込み(農水省試算)、

  医療は崩壊し、雇用も減り、しかし得られる利益は

  アジア中心のどの FTA (自由貿易協定) よりも小さい(内閣府試算)。


  「1.5 %の一次産業の GDP (国内総生産) を守るために 98.5 %を犠牲にするのか」

  と言い放った民主党の大物政治家がいた。

  しかし、「たとえ 1.5 %だとしても、それが 100 %の消費者を支えている」。

  これは日本人による反論ではない。

  アメリカの NPO 「パブリックシティズン」、ローリー・ワラック氏の言葉である。

  しかも一次産業は食料だけではない、国土や領土を守るものでもある。

  尖閣諸島にも昔は日本人が住んでいて、漁業という産業が存在していたことを

  忘れてはならない。


  自分たちの食は、自分たちで守らなければならない。

  食に安さだけを追求することは、命を削り、次世代に負担を強いることだ。

  1 個 80 円の卵を買って、

  「 これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられる。

   そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」

  といとも簡単に答えたのは、スイスの小学生の女の子だった。

  スイスでここまで国民意識が育つには、生産と消費が連携した

  長く地道な努力があったからである。

  日本でも  " やればできる "  ことではないだろうか。


  アジア主導の、柔軟で互恵的な経済連携が、世界の均衡ある発展につながる。

  今こそ冷静な判断をしたい。

  「1 %のための経済学、1 %のためのマスコミ」 ではなく、

  「99 %のための経済学、99 %のためのマスコミ」 に転換させよう。

  「99 %の革命」 を起こす時である!


いや、なかなかに熱い講演だった。

99 %の革命。 鍵を握るのは、世界を変えるのは女性の力だろう、

と鈴木教授は結んだのだった。


夜は懇親会。

鈴木さんと同じテーブルの席を指定されていたので、

いろいろと突っ込んでみたいと思ったのだが、

残念ながら鈴木さんは、次の予定があるとかで帰られた。

またの機会とするか。


懇親会の途中で、組合員の表彰式。

今年、最高の出荷伸び率を果たした人。

特定の作物で一番出荷量の多かった人、などが表彰された。


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「いや、伸び率といっても分母が小さいんで・・・」 とはにかむ生産者。

どうも、年によって表彰する項目が違うようである。

みんなで励まし合い、伸ばし合っているのだろう。

拍手。


最後に、締めの挨拶を求められた。

何を喋ったんだったか、、、

鈴木講演の、明日からの我々にとってのポイントは何か、

を僕なりに整理したつもりだったのだが、ヤバい、正確に思い出せない。

帰り際に一人の生産者から、

「そういうことなんですよね。 一番良く分かりました」

と言ってくれたことで良しとしたい。




2014年3月13日

農地除染から地域の再生へ-語り続ける伊藤俊彦

 

3月11日夕方、オーストラリアからやってきた

IFOAM (International Federation of Organic Agriculture Movements、

アイフォーム:国際有機農業運動連盟) 理事長、アンドレ・ロイ氏ご一行と

須賀川駅で合流。

夜は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんが気を利かして手配してくれた

豆腐の懐石料理を楽しんでもらう。 

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過去何度か来日経験のあるロイ氏。

和食は大好きだそうで、昨日は納豆も食べたそうである。 

四国出身のワタクシが慣れるのに十数年かかったあの醗酵食品を!

 

昨年12月、「和食」 がユネスコの無形文化遺産に登録された

風土と人の技で磨き上げてきた絶妙なバランスと美、

しつらえとおもてなしの心が失われつつあると言われる中で、

世界の人々が注目し絶賛しているというのも皮肉な話である。

「日本人の心のやさしさは日本食にあるのではないか」

と語ったのはかのアインシュタインだが、

その精神世界を置き忘れ、日本人はどこに向かって突っ走っているのか。

・・・と偉そうにのたまわってみるが、

自分自身底が知れていることも充分承知している。

 

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食材をひとつひとつ確かめながら、

very good! を連発してくれるミスター・ロイ。

ああ、もっとちゃんと日本の伝統を解説できるようになりたい、

とつくづく思う。

お隣は、通訳も兼ねて同行された IFOAMジャパン 理事長の村山勝茂さん。

もちろん話は食に留まらず、有機農業の世界へと広がってゆく。

同行されたのは他に、オーガニック認証機関である

(株)アファス認証センターの渡邊義明さん、渡邊悠さん。

自然農法の団体 「秀明自然農法ネットワーク」 の手戸伸一理事長と、

福島県石川町の小豆畑(あずはた)守さん。

小豆畑さんは 「種採り百姓人」 を自称する自然農法実践者である。

ジェイラップの次の視察先になっている。

 

さて翌12日、一行は朝からジェイラップの事務所を訪問する。

伊藤さんたちが必死の思いで取り組んできた放射能対策についての

聞き取りと質疑が始まる。

このやり取りがまた、簡単に終わらないのである。 


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農地とくに水田での放射性物質の動きをひとつひとつ検証し、

データを蓄積させてきたこと。

そのデータを基に、さらにはチェルノブイリから学び、

研究者を尋ねては吸収しまくって、

米の安全性を確保するために取ってきた数々の対策。。。

伊藤さんが順を追って説明していくのだが、

節々でロイ氏からの質問が飛び出す。

村山さんが通訳し、伊藤さんが説明し、時々僕も割って入らせてもらったりしながら、

少しずつ少しずつ議論が深まっていく。


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専門用語も繰り出されたりするので、

村山さんも時々辞書を開いたりして、大変だ。 


伊藤さんとしてはもっともっと説明を掘り下げていきたかったことと思われる。

ロイ氏もまだまだ聞きたいことがある、といった面持ちなのだが、

何しろ午前中しか時間がない。

ひと通りのところで説明を切り上げ、施設を案内する。


米の全袋検査に使った測定器を見る。

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これは福島県の持ち物で、

ジェイラップは県からの委託で全袋検査に携わった。

ベルトコンベア式で 30㎏の米袋(玄米) が通過し、

国の基準値である 100Bqを超える可能性があると判断されたものは、

ゲルマニウム半導体検出器での精密な測定に回される。

厚生労働省が定めるスクリーニング法では、

基準値 100 未満であることを担保するためには、

その半分の 50Bq を正確に測定できる精度が必要とされている。

つまりこの機械で仮に 50 をわずかに超えるレベルで検出された場合は、

わずかではあれ 100 を超える可能性が残る、と判断するわけである。

そこで県の検査では 「25Bq 未満」 を測定基準として実施された。


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この検査器が県内 173カ所に計 202台配備され、

検査された昨年産米が 1081万 8127袋(× 30㎏≒32万4544トン)

うち 99.934 %の米が 25 Bq未満、

国の基準である 100Bqを超えたのは 28袋のみ、という結果である。

かかった費用は昨年で約 70億円 (一昨年は90億) とか。

これもまったくゲンパツ事故によって国民に課せられた負債である

自然再生エネルギーでは電気代が上がる、

なんて言ってる場合ではないと思うのだが。


続いてジェイラップの検査室を覗く。

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大地を守る会とカタログハウスさんが貸し出した

同じ型の測定器が仲良く並んでいる。

彼らはこの 2台を駆使して測定し続けた。

そして今でもデータ取りに余念がない。

「もう大丈夫」 の先まで続けないと、カンペキとは言えないのだ。


倉庫や加工場の屋根に設置された太陽光パネル。

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脱原発を宣言した県の一員として、

未来を創造する始まりの土地として、やれることはすべてやる。

そんな意思が、パネル一枚一枚に託されている。


農地再生のために導入した大型トラクター。

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これで反転耕(プラウ耕) をやって、

表面の凹凸を横回転ロータリーで踏圧、均平にして、

さらにロータリー耕で表層を固めて、レーザーレベラーで繰り返し均(なら) す。

これを地域全体で徹底させるために、

彼らは農閑期を返上して作業委託を請け負っている。

農地だけでない、これはコミュニティ再生の事業でもあるのだ。


最後に記念写真を。


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時間切れとなって、分かれる前にロイが言うのだ。

「今年の秋の世界大会で、ぜひ発表してほしい。」

日本での放射能対策を、特に福島の農民が報告することは、

とても意義のあることだと。

聞けば開催は10月、場所はトルコ・イスタンブールだと言う。

忙しい収穫時期にトルコまで、しかも渡航費の支援等はないと言う。

いくらなんでも福島の農民にトルコまで自費で行けとは、さすがに言えない。


もっと君たちと話がしたい。

大地を守る会についてももっと知りたいし、

今後の展開について意見交換したい。

そう言いながら、ロイ氏は次の視察先へと向かわれたのだった。

握手して、カッコよく 「イスタンブールで会おう」 とは言えず。




2014年2月21日

ジェイラップ3年間の思いをぶつける、新春講座

 

昨日は朝日新聞の雑誌 『アエラ』 から、

今日は朝日新聞千葉総局から、取材を受けた。

当会が実施してきた放射能対策について、また現在の状況や

今後の展望などについてお聞きしたいと。

久しぶりの放射能系での取材、しかも続けざまにやってきた。

さらには今日の取材の直後、福島大学の先生から、

朝日の記者を紹介したいのだが、とのメールが飛び込んできた。 

どうやら別な記者さんも同様の取材をして回っているようだ。 

戸惑いつつ、 「さっき1時間半、お話ししたところですが」 とメールを返した次第。


おそらくは、「3.11から 3年~」 の特集でも組まれるのだろうかと察する。

メディアのパターンとして、だいたい  " あの日(その日) "  近くなると 

「あれから〇〇年、忘れまじ」 といった特集が組まれたりする。

それ自体を悪く言うつもりは毛頭ないけれど、

直前になって集まって来られると、やっぱちょっとね。

もっと普段に歩かないと掘り下げられないんじゃないの、とは言ってみたくなる。

「記念日扱い」 で済ますと、アリバイづくりにも見えてくるし。

(『アエラ』 の記者さんはかなり粘り強く福島を歩いている方ではあった。)


当事者にとってそれは、切り離されたおとといの話ではない。

今も日々続くたたかいの核にところに、

" 私の3.11 " (あるいは原発事故と放射能汚染) は脈打っている。

たとえば、この人たちの取り組みをずっとフォーカスし続けてみれば、

希望はどこにあるのかが垣間見えてくるはずだ。


 - と、ジャーナリズムへの苦言を前置きにして、

   アップできてなかったレポートの続きにつなげたい。


1 月 25日(土)、米プロジェクト21主催 『新春講座』 の報告を、遅まきながら。

テーマは、「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」。

講師は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。

場所は、大地を守る会六本木会議室。

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僕らがずっと大事にしてきたアイテム、「大地を守る会の備蓄米」。

作ってくれている生産者団体である 「稲田稲作研究会」 と、

彼らの米づくりを全面的に支え、集荷から貯蔵-精米-販売まで一手に引き受ける

(株)ジェイラップが一体となって進めてきた除染対策は、

この 3 年間ではたしてどこまで到達したか。


昨年(2013年) 産の備蓄米は、我々の通常の測定で

検出限界値(3Bq) 未満まで下がってきているのだが、

ジェイラップではさらに精密な長時間測定を検査機関に依頼し、

炊いたご飯にして 0.2 Bq未満というレベルまで確認している。

これは被ばくの基準とされる年間 1mSv の 10 万分の 1 に相当する。

さすがにここまでくれば、「西の方が安全」 とは言わせないぞ、

という思いが伊藤さんにはある。


福島、いや日本の農産物では、今はもう

食べて内部被ばくを心配するレベルではないだろう、と伊藤さんは考えている。

ただし、継続して測ることが重要である。

また、どういった知識や理解をもって(出荷等の) 判断をしているのか

を見ておくこと(=見える相手であること) が大切である、

も付け加えた。

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さらに、ちゃんと繊維質を摂ることが大事だと、食べ方を語ることも忘れない。

チェルノブィリ後のウクライナでも、黒いパン(全粒粉のパン) を食べよ、

という食事指導がされた。

玄麦のほうが濃度が高くても、排出力と免疫力強化において勝る、

という判断からである。

消化しないものの中にデトックス効果がある。

心配し過ぎて食事のバランスが乱れることのほうが危ない、は正しい。

伊藤さんは、こういった対策の基礎知識を、

小児科医の 菅谷昭さん(現松本市長) や、チェルノブイリ救援・中部の河田昌東さんなど

多くの識者にぶつかりながら吸収してきた。


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さらに伊藤さんやジェイラップ、稲作研究会の人たちのすごいところは、

得た知見や仮説をすぐに実験や実践に結びつけていったことだろう。

とにかく家族を守るために、やれるだけのことをやる。 あとで後悔しないためにも。

一生懸命やって無駄なことはない、と信じて仲間とやってきた。

・・・伊藤節が炸裂し始める。


ジェイラップは、2011年秋の収穫が終わってから、

田んぼの反転耕(天地返し) に取り組み始めた。

有効土層(表土) 15センチと下層土 15センチをひっくり返す作業である。

周りからは、そんなことをしたらコメが作れなくなるとか機械が入らなくなる

といった批判もあったようだが、伊藤さんたちはひるまなかった。

それまでの様々な実験や調査によって、科学的根拠を獲得していたのだ。


水田土壌は畑と違い、耕起作業で放射性セシウムが平均的に分散されない。

セシウムは比重の軽い粒子に付着しやすく、代かきをした際には、

表層の懸濁水のほうが高い濃度になる。

何度やったとしても、水に浮く軽い土壌粒子とともに上に移動する。

そのセシウムはやがて沈降し表土に堆積する。

したがって田んぼでは、表層10センチに9割のセシウムが集積することになる。

この事実を、彼らは自分たちの実験で立証していたのである。


天地返しすることによって、確実に線量は下がる。

そのあと、ゆるくなった田んぼは踏み固めればよい。

その確信のもと、

2011年秋から冬にかけて、まずは仲間の水田 30ha で実施した。

線量の低下を証明し、さらに翌年にちゃんと美味い米が獲れたことで、

地元の農家たちを唸らせた。

2012年秋は 120ha までに拡大した。

そして、「伊藤たちの言っているほうがまともじゃないか」 「ジェイラップにやってほしい」

という住民の声の高まりとともに、行政も認めざるを得なくなった。

2013年の秋には、行政が窓口になり、反転耕の申し込みを受け付け、

ジェイラップに作業を委託するという形にまで発展した。

今では、須賀川市や福島県の除染マニュアルに反映されるまでに至っている。


彼らをここまで動かせたのは、自分たちの農地は自分たちの手で守る、

という矜持のようなものだ。

「 よそから来たゼネコン任せでは、こんなことはやれないですよ。

 彼らは証明されてないことはできませんから。

 でも私たちが示したのは、表土を剥いで仮置き場を作って、なんていう対策は

 不要だということです。」


反転耕によって、空間線量が 40% 減少した。

これは、米の安全性を守るだけでなく、住民の健康を守る(=吸入による被ばくを防ぐ)

ことにもつながっている。

「 空間線量が高くなるのは、春一番が吹く頃と風の通り道。

 通学する子どもたちの被ばくを防ぐためにも、やってよかったと思いますね。」

そういえば、伊藤さんは前に語っていた。

「 いつか孫やその孫に、よくやったと褒めてもらえるだけのことを、やっておきたい。

 なんであの時やらなかったんだ、なんて言われたら、

 オレは死んでも死にきれない。」

彼にはおそらく、先祖から子孫につながる鎖が見えているのだろう。

 " 今はたすべき責任 "  とは、命のつながりを守ることなのだ。


反転耕は地下水の汚染を招く、と批判する学者がおられた。

それに対しても、伊藤さんの反論は説得力がある。

土壌粒子に付着した放射性セシウムは、1年に 1センチずつ、

壊変(崩壊、30年に半減-60年に4分の1~) しながら沈降していく。

300年で100分の1 になった時点で、3メートル沈んだ計算である。

そんな浅い井戸は、そうない。

むしろ 1000分の1 の濃度に下がるまで、がっちりと土の力で封じ込める。

この方法が最も確実でコストもかからないやり方ではないか。

これはまた、土を守り続ける農業をちゃんと持続させることが大切だ、

ということでもある。


行政の後押しを得て、伊藤さんは、あと2年で

 1,100ha の反転耕を達成させる計画である。

点々とやるのでなく、「片っぱしから、面的な展開」 で進めると。

そうすることで上流からの移染もなくなる。

放射性物質を運ぶのは、風と水である。

対策は地域全体で、面的に取り組むことで有効度が飛躍的に高まる。


反転耕を進めるために、ジェイラップでは欧米の大型トラクターを購入した。

タイヤの直径が 1m80cm もあるデカいやつだ。

チェルノブイリ後の除染にも使われたタイプで、キャビンのドアを閉めると

空気圧が高まって外からの埃が入ってこないように作られている。

オペレーターの健康にも配慮した仕様である。

日本には残念ながらそういうものがない。

1台 1200万円、これを 6台 購入した。

誰もが無謀な投資だと指摘した、あるいは笑った。

しかし、伊藤さんの計算はこうである。

日本のトラクターは軽量化が進んでいるため、

だいたい 2,500時間でエンジンの交換が必要になる。

だけどこいつは、25,000時間持つ。

また北海道の畜産農家だと、このクラスの機械を使う。

北海道の牧場に人気のある機種にして、

3年後に半額で売却する買い手を見つけておけば、何とかなる。。。

そして実際に、そうしたのである。

この話には、会場からも感嘆の声と拍手が沸いた。


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問題は、やる覚悟があるか、である。

界で初めて、水田が放射性物質に汚染されるという事態に遭った。

しかしその対策では、世界に貢献できるものをつくったという自負はある。

(活かされる、という事態はあってはならないけれども-)

・・・こう言えるだけの研究者が、日本にいるだろうか。


ジェイラップは、この一連の取り組みが高く評価され、

昨年、全国農業コンクールで名誉賞に輝いた。

福島に伊藤俊彦という人物がいたことは、日本にとって幸いであった。

僕は腹の底から、そう思っている。


「こんなに元気になった私を見てほしい、そう思ってやってきました。」

「私が大地を守る会が好きなのは、ただのモノの関係だけでなく、

 しっかりした学び合いがあって、つながっていることです。」

そして最後に、こんなふうに結ばれた。


いま巷では、TPP やら減反政策見直しやらで騒がしいが、

農家もさすがに赤字になってまで米を作り続ける人はいない。

しかしその後は、モノが足りなくなって値上がりしていくことになる。

一次産業をダメにして、最後にしっぺ返しを食うのは消費者ということになる。

食べ物は、ある日突然なくなる。 だんだんに、ということではない。

しかし 「備蓄米」 は、買っていただける分は必ず作り続けます。

作る責任と買う責任が一体になったら、モノづくりはなくならない。

約束を守り合う 1 対 1 の関係があれば、そのつながりは生き残る。

仕組みより、生き方のように思う。

つながってよかったと思える、そう信じ合える関係の中で脈々と生き続ければ、

それはきっと次の時代のマニュアルになる。

そういうところに身を置き続けたいと思う。

「備蓄米」(の申し込み数)は事故によって減ってしまったけれど、

稲田のイノベーションは進んでいます。

もっとイイ産地に、ゼッタイにしてみせます。

これからのたたかいっぷりを、どうか見ていてほしい。


いまジェイラップの倉庫の屋根には、太陽光パネルが貼られている。

さらにもっと多様な自然エネルギーの活用を、伊藤さんは模索している。


この国の未来をどう築き直すのか。

この問いに対して、諦める、という言葉はあり得ない。

明日に希望を渡すためにも、「備蓄米」 は人をつなぎ続けたい。

今年の秋には、去年台風でできなかったぶんも含めて、

盛大に収穫を祝い合いたいと思う。




2014年2月18日

大雪被害-緊急支援のお願い!

 

1月下旬からあれもこれもと動きまくり、

土日も出ずっぱりで、まったく書けない日々が続いた。

かくして、未完成のまま残っている日記が 7 本。

書くパワーが落ちた要因がもう一つあって、

2月3日、神奈川・黒崎有機栽培研究会の石渡剛さんが亡くなられた。

1月15日の神奈川新年会で楽しく飲んだばかり。

まだ 46 歳という、いよいよ脂が乗ってきた後継者である。

あまりに突然のことで、ご家族の驚きと悲しみはいかばかりか。。。

言葉も浮かばず、ただ絶句するのみ。

それでもお父さんの稔さんからは、

恒例の 「春の三浦・大根収穫祭」(3月22日) は予定通りやろう、

と言ってくれている。

この場を借りて、謹んでご冥福を祈りたい。

 

・・・・・と、その間にも記録的な豪雪が 2 度も襲ってきて、

とんでもない事態が起きている。

山梨など数か所で、交通が遮断されて配送が不能になってしまった。

お届けできなかった会員の方々には本当に申し訳ありません。

一方生産地では、福島から長野まで、

軒並み・・・ パイプハウス倒壊の連絡である。

集められた情報一覧は、こんな文字で埋め尽くされている。

 ・積雪 1m。 葉物ハウス、育苗ハウス、ともに潰れた。 ヤマト便来ず、出荷できない。(群馬)

 ・積雪 1m。 育苗ハウス潰れた。5月出荷の苗を搬出中。(群馬)

 ・積雪 1m。 ホームセンターの雪かきスコップも売り切れ、板の棒をつけて売ってた。(長野)

 ・積雪 1m。 家の周りの雪かきで精一杯。 桃のハウスが潰れた。 

   ブドウのハウスも2棟やられた。  樹は大丈夫だと思うが、畑まで行けない。(山梨)

 ・積雪 70 cm。 トンネル潰れて雪に埋まっている。 今後の成育? 分からない。(埼玉)

 ・積雪1m。 工場は大丈夫だが、物流が動かない。(長野)

 ・春から出荷予定の人参・かぶ・大根のトンネルがすべて潰れた。 

  畑に入れず、来週まで出荷見込み立たず。(埼玉)

 ・ホウレン草を出していたメンバー全員のハウスが倒壊、出荷断念。 

  自衛隊の作業者が集結してきている。(長野)

 ・昨年張り替えたばかりのハウス倒壊。 歳だし、もう直せない。(長野)

 ・全棟倒壊、今年の出荷はなくなる。(埼玉、卵)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

読むだけで、ドキドキしてくる。


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写真は、群馬県倉渕村(現高崎市) に就農した元社員・鈴木康弘さんから

スタッフに送られてきたもの。

夜8時に雪下ろしをして、夜中にもう一度行こうとしたが、積雪でハウスに辿り着けず。

停電にもなり、ハウスに謝りながら家に戻った、と書いている。

倉渕だけでもかなりのハウスが潰れていて、

目を疑うような光景が広がっているという。


3.11 は別として、僕が大地を守る会に入社して以来 31年になるが、

おそらく最大規模の損害になるだろう。

保険だけでは再起できない人も出てくるかもしれない。

「もうダメだ。 農業は終わりにしようと思う」 との声も、

福島から聞こえてきている。。。


いま社内では、義援金募集の準備に入っています。

社員を募って復旧作業ボランティア隊を結成しようという声も上がってきています。

週末(22~23日) に開催する

大地を守る会のオーガニックフェスタ(東京集会)」 でも、

緊急カンパ箱を設置する予定です。

たくさんの方々のご支援をお願いしたいところです。




2014年1月29日

IPM と環境保全型農業を学ぶ新年会

 

明日から出ずっぱりで、今週はもう書けそうにないので、

何とか一つだけでもアップしておきたい。

 

1月23日(木)、群馬・伊香保温泉にて、

群馬県の生産者 40 名が集まって新年会を開催。

幹事を務めたのは、北群馬郡吉岡町のトマト農家・栗田文明さん。

6年前の 「第13回全国環境保全型農業推進コンクール」 で

農林水産大臣賞を受賞された精農の人。


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懇親会の前に、例によって勉強会を開く。

講師をお願いしたのは、保全生物的防除研究事務所代表、根本久さん。

埼玉県農林総合研究センターの副所長を務めて、昨年退官された。

農薬に頼らない、土着天敵を活用した IPM(総合的害虫管理) 技術を

日本に広めた権威の一人である。

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根本さんは、日本における環境保全型農業の取り組みの遅れを

厳しく指摘された。

欧米では、農業(という産業) 自体に環境破壊的要素があるがゆえに、

そのリスクを最小限に喰いとめ、保全型農業を発展させようという

明確な意思がはたらいている。

海外の研究者とも親交のある根本さんには、

日本の指導者はまるで 「井の中の蛙」 に見えるようだ。

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EU では、第三者機関を設けて、専門家たちによるリスク分析と議論に

時間をかけてきた歴史がある。

その上で、予防原則も機能させながら、

保全型農業を進める農家にはインセンティブを与える制度が発展してきた。

それに対して日本は、いわゆる " 業界 "  寄りの立場で常に動いている。

1999 年に環境保全型農業の推進を掲げてからも、

根本的姿勢は変わってないように思える。


例えば、かつて農薬多投型の農業を行なっていたオランダは、

IPM の技術を積極的に取り入れ、農薬の使用量を減らし、

なおかつ農産物輸出大国に成長させてきている。

かたや日本は、単位面積当たりの農薬使用量では韓国とトップを争いながら、

農業を衰退させつつある。

長らく技術指導の現場にいた根本さんにとっては、

忸怩たる思いが深くあるのだろう。

農政に対する批判も、以前より厳しくなっているような気がしたのだった。


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根本さんは、生産現場における病害虫リスクの問題に対し、

化学合成農薬に頼らない技術の方向性を示しながら、

分かりやすく説明された。

作物や虫の名が具体的に出てくるので、質問も現場の悩みが率直に出され、

やりとりも実情に沿いながら進められた。


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新年会と謳って集まり、共通の悩みを語り合い、学び、

互いを刺激し合う。

これはこれで意味のある仕掛けだと思っているのだが、

欲を言えば普段の技術交流をもっと活発に進めたいところではある。


参加者の挨拶の中から、今回はお二人を。

「くらぶち草の会」 のメンバーで、元大地職員の鈴木康弘くん。

まだまだ学ばなきゃいけないことが多く・・・

とか言いながらも、なかなか逞しい有機農業者になってきているようで、

こちらも嬉しくなる。 

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甘楽町有機農業研究会を率いてきた吉田恭一さん。 

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昨年、歴史ある公益社団法人「大日本農会」(総裁:桂宮宜仁親王) から

優れた農業功績者に贈られる 「緑白綬有功章」(りょくはくじゅゆうこうしょう) 

が授与された。

養蚕農家から有機栽培経営に転換し、甘楽町有機農業研究会を設立。

有機認証の取得など経営の安定化に努め、地域農業の発展に

けん引役として貢献した、との評価である。

照れながら報告する吉田さんに、会場から拍手が沸いた。

こういった受賞に冷ややかな方もおられるが、

地域のために働いてきた長年の苦労が認められた証しであり、

周りにとっても励みになることではある。 讃えたいと思う。


夜は遅くまで飲み、語り合って、

「今年も頑張りましょう」 と握手して、別れる。

遅い新年の約束だけど、互いに気持ちを新たにする

誓いの儀式のようなものか。

それも日々の日常の中で忘れていくのが常であるがゆえに、

この時期にこそ僕らは、産地を回る義務を課しているのかもしれない、

と思ったりする。


帰りに、栗田文明さんのハウスを見学させていただく。

冒頭で紹介したように、こちらは 「全国環境保全型農業コンクール」 での

「農林水産大臣賞」 の受賞者だ。

ちなみに、まったく同じ年(2008年) に、

千葉の 「さんぶ野菜ネットワーク」 も農林水産大臣賞を受賞している。 

すごい人たちと付き合ってるんだなと、改めて身が引き締まる。


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石の多い利根川河川敷で、就農して40年。

ひたすら土づくりに邁進し、トマト一筋に生きてきた。

化学肥料は使わず、10種類以上の有機質肥料と微生物資材を施す。

マルハナバチを放すこともあって農薬も極力使わない。

もちろん土壌消毒もしない。

病気にかかった葉は一枚一枚ガスバーナーで焼いて、菌の繁殖を食い止める

こういった労を厭わないだけでなく、

それは丹念な観察が土台にあってできることである。

畑がきれいに見えるのも、頷ける。

暖房用燃料の使用を抑えるために、ハウス設計にも様々な工夫を凝らしている。

水も控えるため、やや小ぶりだが、糖度の高いトマトが育つ。

 

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少ない栽培面積で、土地条件も悪い中で、どうやってトマト栽培で生きていくか。

道を探して探して、辿りついたのが環境保全を土台にした農業であった。

ハウスの中で家族が一緒になって働き、

ベビーカーでは赤ちゃんが穏やかな表情で僕らを見つめていた。

トマトの木の下でのんびりと寝そべっていた猫が、

突然の闖入者に驚きもせず、人懐っこく我々の足元をウロウロしてくれる。

見学中、常連さんらしいご婦人がトマトを買いに立ち寄られた。

文明さんの奥様の美鳥(みどり) さんが、予め取ってあった袋を差し出す。

けっこうな量のトマトが入っている。 

トマトの好きな人が通ってくるハウス、なのだ。


そんなわけで、ご家族全員での一枚をお願いする。

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左から、美鳥さん、友香さん、愛季(あき)ちゃん、和巳さん、そして文明さん。


栗田さんのトマトは、これからさらに味が乗ってくるはず。

美味しいトマトを今年も期待して、ハウスを後にする。


農薬に頼らず、生物多様性を活かしながら

環境との調和を図る持続型農業によって、健康な作物が育ち、人も健康になる。

そんな農が当たり前になる時代を早く築きたいものだと

思いを新たにしつつ、僕は群馬から霞ヶ関へと向かったのだった。




2014年1月27日

浅見さん、お疲れ様。 風は吹いたよ。


1月22日(水)、山形県白鷹町・加藤秀一さんの告別式から帰って、

翌23日(木) は群馬・伊香保温泉にて群馬県内の生産者たちとの新年会に出席。

一泊して24日(金)、吉岡町・栗田文明さんのトマトハウスを見学して、

午後は霞ヶ関の参議院会館まで出向き、「有機農業の明日を語る会」 に参加。

25日(土) は、専門委員会「米プロジェクト21」 主催の新春講座

「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」 を六本木にて開催。

26日(日) は、「ネオニコチノイド系農薬を使わない病害虫防除を探るフォーラム」

の第 2 回ワークショップにパネラーとして参加した。


例によって終了後に懇親会が持たれ、気になってしょうがなかった

福島・喜多方市長選の選挙結果を確かめることができたのは、

昨夜遅くのことだった。

以前にも報告したけど、この市長選に

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんが出馬していたのだ。


結果は以下の通り。

   山口信也氏(現職) 14,842票

   浅見彰宏氏(新人)  6,886票

ダブルスコアの敗退だったが、多くの人が喝采している。

「大切な市長選挙を、無投票で終わらせてはいけない」

と出馬を決意したのが 2 カ月前。

突貫の準備と 2 週間の選挙運動で、知名度もないに等しい

千葉出身の新規就農者に対して、7 千人近い市民が彼に投票したのだ。

" 市民が主役のまちづくり " " 新しい循環型の地域づくり "  を謳い、

「希望の種まき式」 と銘打った出陣式には、

歌手の加藤登紀子さんが旅の途中に事務所に立ち寄るといった演出も

取り入れるなど、なかなかの戦術家ぶりも発揮した。

" 風は吹いた "  と言っていいんじゃない、浅見さん。

未来への種は、たしかに運ばれた。

芽を育て花を咲かせられるかは、明日からの仕事にかかっている。

今日のところは、「お疲れさんでやんした。」

2月 8日の 「大和川酒造交流会」 では、蔵人に帰った君を称えよう。


浅見彰宏の果敢なるたたかいぶりについては、

彼の公式サイトで楽しんでいただけると嬉しいです。

 ⇒ http://asamiakihiro.com/


とまあそんなワケで、次から次へとレポートも進めないとダメなんだけど、

今週も、千葉、茨城での新年会、

そして土日は福島での国際会議、とイベントが続いている。

溜まった宿題は、来週から順次報告ということで、

ここはヒラにご容赦願います。

今日はとり急ぎ、浅見さんへのエールまで。




2014年1月22日

加藤秀一さんに捧ぐ

 

前回、少々思いつめ気味の感懐を綴ってしまったのは、

この人の訃報が影響したのかもしれない。

山形県白鷹町、「しらたかノラの会」 元代表の加藤秀一さんが亡くなった。

悲しい知らせを受け取ったのは18日。

今日、仕事も放ったらかして、告別式に向かった。

 

山形新幹線の赤湯駅から山形鉄道に乗り継いで1時間。

終点の荒砥駅で、ノラの会の山本昌継さんが愛娘・みのりちゃんを抱いて、

軽トラで待っていてくれた。

似合わない礼服と黒のネクタイを見て、泣きそうになった。

 

途中、吹雪と青空が目まぐるしく変わる山形路だった。

内陸に進むに連れ雪が深くなっていった。

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加藤秀一さんとの出会いは1986年だった。

アメリカから理不尽な米の輸入圧力が始まって、

全国的に反対運動が高まる中で、いくつかの団体から、

ただハチマキ締めて反対運動をやるだけでなく、

米の産直・提携運動によって日本の水田と農を守ろう、という声が上がった。

そこで結成されたのが、

「日本の水田を守ろう!提携米アクションネットワーク」 だ。

 


当時はまだ米の食糧管理制度が健在で、

減反政策が強制的に実施されていた時代。

提携米ネットワークは、

「減反政策は農民の主体性を奪い、日本の農業を衰退させるものだ」

と主張し、運動を展開した。

 

これは国家の政策と対峙するだけではなかった。

減反政策が、目標数量を達成しないと地域に補助金が下りない、といった具合に

地域共同体のしがらみを利用しながら進めてきたがゆえに、

反対するということは必然的に地域内での対立を生むことにもなった。

いや、対立ではない。

反対することは、集落内で孤立することを意味していた。

 

それでも加藤秀一さんは、

提携米ネットワーク設立の呼びかけ人にも堂々と名を連ねて、

反対の立場を表明した。

高校時代は生徒会長を引き受け、当時は青年団長を務めるなど

信頼の篤かった彼も、その一事で

地元から村八分的な仕打ちを受けることになった。

消防団長も辞めさせられ、

87年冬、秀一さんは初めて川崎の飯場に出稼ぎに出ている。

 

早くから有機農業の意味を理解し、率先した人でもあった。

10アールという小面積ではあれ、

米の無農薬栽培を実現して見せたのは1971年のこと。

大地を守る会が誕生する4年前、日本有機農業研究会が発足した年だ。

 

81年には、冬の仕事作りのために農産加工を手がけ始める。

出稼ぎから帰り、88年、秀一さんは新しい農産加工所を建設する。

しかし減反反対運動の先頭に立ったことが災いしたのだろうか。

取引が始まるはずだった生協から味噌餅の販売が断られ、

秀一さんはいきなり窮地に立たされたのだった。

自分たちの米で、自信を持って作った餅が大量に滞留した。

 

秀一さんとの関係が深まったのは、そこからである。

あの時、僕はその餅の販売を思い切って引き受けたのだ。

今だから語れる、トレース (原材料・製造工程の確認) あと回しの判断だった。

内容への信頼はもちろんあってのことだけれど、

それでも内心ビクビクと、クビを覚悟しながらの決行だった。

基準は運動と信頼と仁義だと、開き直った。

なんとも決意主義的な、懐かしい思い出である。

でもその味噌餅は、今でも定番商品として立派に続いている。

(25年前の話。 今では仕組み上不可能。 そのルールも自分でつくった。)

 

1994年、平成の米パニックと呼ばれた冷害・米不足の翌年。

提携米ネットワークは多くの団体に呼びかけて、

「減反政策差し止め訴訟」 に打って出る。

米を作らせない政策は、法によって保障された国民の 「生存権」 を奪う

日本国憲法違反の政策である、と。

 

毎回の裁判で、原告団は人を繰り出して主張を展開した。

加藤さんは、「減反政策を受け入れているのは農家の自主的判断である」

(国からの強制ではない) という被告・農水省の主張に対して、

自らの体験をもとに、そのカラクリをあばいた。

僕は、減反政策が農業の持っている環境保全機能(公共財産) を

喪失させていっていることを主張した。

興奮して途中から震えが止まらなくなったことを、今でも覚えている。

 

僕らはあの頃たしかに連帯していたし、

裁判の勝敗とは別に高揚していた。

(結果は棄却。 訴える筋合いのものではないという門前払いだった。)

でも加藤さんにとっては、相当な心労が続いたことだったのだろう。

自らつくった白鷹農産加工研究会と別れ、2006年、

秀一さんは若い仲間とともに、新たに 「しらたかノラの会」 を結成する。

その頃から体調を崩された。

 

血気盛んな若い頃からの仲間が駆けつけ、

告別式の後も集って、思い出を語り合った。

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高畠町の星寛治さんや、おきたま興農舎の小林亮さん、

長井市・レインボープランで名を馳せた菅野芳秀さん、

一緒に提携米運動を担った庄内協同ファームの面々・・・

 

最後に、ノラの会現代表の大内文雄さんが挨拶を述べた。

「秀一さんは、種を蒔き続けてくれた人でした」

ホント、その通りだと思う。

 

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秀一さんは、はにかんだような笑いがとても可愛い人だった。

純粋な人なんだなあ、と思ったものだ。

でも腹の中は、農の民として生きる誇りと、怒りと、意地で満ちていた。

名刺の肩書きに 「百姓」 と刷った最初の人だ。

 

悲しみ沈んでいる場合ではない。

それは秀一さんの望む姿勢ではない。

彼の遺志と矜持をちょっとでも懐に入れて生きていくことで、

彼もまた生き続ける。

そうやって命(いのち) はつながっていくのだ。

大内さんたちがつくる味噌餅の中にだって。。。

 

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昨年末の三里塚の萩原進さんに続いて、

  魂を語る農民がまた一人、いなくなった。

  偉そうに書いてるけど、けっこうこたえている。

  でも、加藤秀一と一緒にたたかえたことは、僕にとって誇りである。

  背中はどんどん重くなるけど、

  背負って生きないと、、、死ぬのが怖い。

 



2014年1月11日

顔の見える関係

 

スーパーの鮮魚コーナーを覗けば、

「バナメイエビ」 なるエビが何気に登場している。

まるで昨日まで 「新潟産コシヒカリ」 に化けていた米が、

ある日からフツーに 「●● 県産コシヒカリ」 として店頭に置かれるみたいに。

 

冷凍食品コーナーに回れば、20品目におよぶ製品の写真つきで、

「回収しています」 という POP が貼られている。

それはあくまでもこの店で売られていた商品ということで、

マルハニチロの回収製品は全部で 94 品目 640 万袋に及んでいる。

しかも回収作業は思うように進んでいないようだ。


そうこうしているうちに被害の訴えは日々日々増えていって、

ついに 1000件を突破した。 その範囲は 35都道府県に広がっている。

これらの数字はおとといの数字なので (1/8夕方時点での厚労省集約)、

原因が特定されない間は、まだまだ増えることだろう。

その間、収去したのか持ち込まれたのかはよく分からないけど、

100検体近くのサンプルが検査されていて、すべて見事に

マラチオン(商品名マラソン) は検出されていないと言う。

一方、検出された製品の最高濃度は 2万 6千 ppm!

こうなると、ほぼ限定的な事件のようではある。


優れた品質管理をやっていたはずの大手企業の内部で何が起こったのか。

事実だけでなく背景を検証しないと、

世間から忘れられることはあっても、本当の解決にはつながらないだろう。

当たり前に横行していた表示偽装、不気味な農薬混入事件・・・

食に関する不祥事や事件は今に始まったことではないけれど、

病いは深刻な症状を呈してきていると感じてしまうのは、僕だけだろうか。


おそらく生産・製造現場だけの問題ではないと思う。 

生産プロセスが見えない中で、他人任せの消費が要求するレベルとの断絶が

大切なものを失わせてしまっているような気がする。

食(=健康) を守る生産と消費の輪の大切さを唱えながら、

一方で否応なく競争社会を生きざるをえない我々としても、

ここはようよう考えなければならない。

 

そんな思いを抱きながら、生産者との新年会シリーズに突入している。

トップバッターはいつも 「東京有機クラブ」。



8日の夕方、三鷹のそば屋さんの一室を借りて、

小金井の阪本吉五郎一家、小平の川里弘一家、府中の藤村和正一家が集う。

みんな30年来のお付き合い。

派に後継者が育ち、都市農業をしっかりと守ってきた。

若手たちはこれからの話、

お父さんたちは昔の苦労話に花が咲く。

「こんな世間知らずの若者らによく付き合ってきたもんだ」

とからかわれながらも、俺の目に狂いはなかったとも言われれば、嬉しくもあり。

今年も元気で頑張っていきましょう、と酒を酌み交わす。


以前に紹介 した、川里賢太郎さんの映画撮影はほぼ終えたようで、

いま編集に入っている。

ケンタローの働く姿に、谷川俊太郎の詩が重なる。

3月完成の予定。 ケンタロー銀幕デビュー!  いや、待ち遠しい。


続いては昨日(10日)、

埼玉県本庄市のホテルにて 「埼玉大地」 の総会と新年会。

瀬山明グループ(本庄市)、黒沢グループ、比留間農園(ともに深谷市)、

吉沢グループ(川越市)、飯島グループ(上里町)、福井一洋さん(日高市)、

三枝晃男さん(志木市)、といった面々が集まる。

それぞれ独立した個人農家だが、会費を出し合って

緩やかに結束するかたちで 「埼玉大地」 は運営されている。

現在の会長は瀬山明さん。

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 (写真は、総会の席でローソンとの事業提携について報告する山口英樹取締役)


毎年、新年に総会を開いて、一年の活動を振り返り、今年の計画を立てる。

また講師を招いて勉強会を行なう。

今回のテーマは、なんとフルボ酸資材の活用。

昨年11月の女性生産者会議で、畠山重篤さんが力を込めて語った、あのフルボ酸だ。

その報告 の中で、僕はこう書いた。

   畠山さんは今、ミネラルの運び屋・フルボ酸の

   新たな力を証明しようとしている。

   それは、フルボ酸のキレート(結合)力は、

   放射性物質対策としても高い効果を発揮するであろう、

   というものだ。


まさにその研究を行なっていた会社の人を呼んで、

フルボ酸の活用を学ぼうというプログラムが用意されたのである。

まだまだ研究開発途上にあり、高価な資材なのだが、

もっと広がれば価格も安くできるようになる。

様々な可能性を秘めた未開拓資源のパワーを、

飲むとけっこう野卑な連中が、ああだこうだと楽しげに論評しながら拓こうとしている。

彼らにとっては  " 面白い資材があるので、ちょっと検証してみよう "  という

興味本位の探究心なのだが、

こちらは畠山さんの話を聞いているだけに、内心嬉しくてしょうがなかった。

僕らの生産者ネットワークは、やっぱ強力だ。


" 顔の見える関係 "  とは、

有機農業の世界で古くから語られてきた基本テーゼのひとつだが、

生産プロセスが見え、その努力の過程が伝わり、

食べることで再生産 (持続可能性) を支える関係は、

けっして古い時代のスローガンではない。

食の市場がグローバルになればなるほど、

" 食べる "  という命がけの行為の土台思想として、

しっかり堅持し続けたいと思うのである。


新年会と称して、僕らはただ飲んでるワケではない、のであります。


ちなみに、畠山さんが語っていた放射性物質に対する研究成果も出ていると、

講師の方から聞き出した。

しかし国はこのデータをまったく認めてくれないのだと言う。

あとで送ってもらう約束をしたのだが、

「一緒に農水とたたかいましょう」 と真顔で迫られた。

喧嘩するならやってもいいけど、僕としては現場に役立たせることを優先させたい。

現場から説得力を持った成果を築いていくことも、たたかいだからね。

いやちょっと、今年はのっけからワクワクしてきたぞ。




2013年12月28日

萩原進さん


前回日記の最後でも触れたけど、

今日、成田市の八冨斎場にて、

「三里塚産直の会」 代表・萩原進さんの告別式がしめやかに行なわれた。

会場に入りきれないほどの弔問客が訪れ、

進さんとの別れを惜しんだ。


亡くなられたのが21日の夜。

先週も電話で話したばっかりなのに・・・

と仕入担当の結城修も驚く突然の訃報だった。

仲間との楽しい忘年会の帰りに倒られたとのこと。

福島と沖縄と三里塚の連帯、を語っていたと言う。

心筋梗塞、享年 69歳。



我々にとっての萩原進さんは、生産グループ 「三里塚産直の会」 の代表。

言わば有機農業のリーダーの一人であるが、

社会的にはむしろ、成田空港建設反対運動 (三里塚闘争とも呼ばれる)

の闘士として、その名を轟かせている。

空港建設計画に対して、三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成されたのが 1966年。

建設用地内に農地を持つ農家の息子として、

進さんは迷うことなく運動に身を投じた。 当時 22歳。

青年行動隊長を務めた時期もあり、文字通り体を張ってたたかい続けた。

彼にとってこの運動は、

国家の横暴に対して農民の生きる権利を示すたたかいだった。

空港が完成して同盟が分裂した後も、進さんは妥協を許さず、

一貫して農地を死守し続けてきた。

まさに三里塚闘争の歴史に筋を通した志士として、その人生を貫徹された。


世間ではこの反対運動を  " 過激派の運動 "  と理解している人が多いが、

その世間で言うところの過激派、いわゆる新左翼党派(セクト) は、

ここではあくまでも支援者の立場であった。

反対同盟の初代委員長は戸村一作さんというキリスト者で、

すべての支援を等しく受け入れたこともあって、

党派間での争い(いわゆる内ゲバ) も三里塚では慎むという時代が長くあったのだが、

やがて争いが持ち込まれ、同盟分裂後は、

市民レベルでの支援者も多くが離れていった。


僕が進さんとやり合ったのは、2011年の夏のことだった。

放射能汚染に不安を抱いて東北の野菜を拒否する消費者が相次ぐなかで、

西日本の生産者の野菜セットを組んだことがきっかけだった。

「福島や関東の農家をつぶす気か」

「応援を訴えるのが、君らの務めじゃないのか」

進さんは烈火のごとく怒り、

大地を守る会への野菜の出荷を引き上げる、と宣言してきた。

「両者をつなぐ立場として、消費者の強い要望に対しては応える必要がある」

「このままでは共倒れになりかねない」

「福島県産も関東産も、測定した上でちゃんと販売は続ける。 支援も続ける」

 - そう説明しても、受け入れてくれなかった。


出荷やめたら消費者とのつながりを拒否するってことになる。

それは本末転倒の方針だ。

僕はそう主張したが、進さんは断固として

「俺の野菜は福島にカンパする。 お前らには渡さない」 と言い放った。


「原理主義者め!」 とか吐き捨てながら、でも僕はこういう人は嫌いじゃない。

実は好きだ、と言ってもいい。

冷戦はしばらく続いて、時期を見て再開となるのだが、

この一件の決着は、まだついてない。

そろそろ一升瓶持って顔を見せようかな・・・

と思いながら、後回しにしてしまった。

もう相手にしてもらえないなんて、

肩すかしを食らったような、ぽっかりと空洞ができたような、

後悔先に立たず。。。


娘婿の富雄さんによれば、

孫の成長を誰よりも喜び、相当な好々爺だったようだ。

優しく、繊細で、しかし鉄の意志をもった昭和の烈士。

ご冥福を祈るしかない。


法要が終わり、「反対同盟の歌」 の大合唱に送られて、

進さんは出棺された。 

   大地を打てば地底より  原初の響き鳴りわたる

   土に生まれ土に活き  骨を埋めるその土の

   誇りも高き農地死守  われらが業に栄えあれ!


その詩の通りに生きた人だった。

合掌




2013年12月16日

二本松から南相馬へ (+ご案内を一つ)

 

「農家民宿」 とは、農家の家(うち) に泊まらせて頂くことだ。

予め料金が設定されているので余計な気兼ねは不要だけれども、

ホテルとは違うので、やはり礼儀は欠かせない。

たとえ話題は尽きなくても、切り上げは常識の範囲にすべきだろう。

なにより奥様に迷惑をかけてしまう。

いい歳して相変わらずのサル以下人生。。。

 

それにしても星空の綺麗だったこと。

忘れていた本当の空が、広がっていた。

この空が見れるのは、地上での暮らし方による。

東京だって、ライトをすべて消せば、天気が良い日には

美しい星座が確認できるはずだ。 安達太良の空ほどではないにしても。

 

武藤様。 お世話になりました。

宵っ張りの客でスミマセンでした。

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さて、4日間にわたる福島漬けの最終日。 

バス2台で東京からやってきた「農と食のあたらしい未来を探る バスツアー」

一行(約90人) は、11月24日(日)8:30、「道の駅とうわ」 に再集合して、

米の全袋検査所を視察し、二本松市から南相馬市へと向かった。

 


「道の駅 南相馬」 の研修室で、

お二人から現地での取り組みを伺う。

 

NPO法人 JIN 代表の川村博さん。 浪江町出身。

介護老人保健施設の副施設長などを経て、実家で農業を営む。

震災後は避難者の生活不活発病の防止などに奔走しながら、

浪江町サポートセンターの設置を提案し、

現在その運営(福島県からの委託) に携わっている。

昨年4月には、仮設住宅に入居する障がい者とともに 「サラダ農園」 を開設。

約 2町歩(≒2ha) の畑とビニールハウス 4棟で、

無農薬・無肥料による野菜栽培に挑んでいる。

来年には農業専門の会社を立ち上げて、高齢者も雇用する予定である。

「戻りたい」 と願う人たちのために、

農業を基盤としたコミュニティづくりを進めたいと抱負を語る。

 

原町有機稲作研究会の杉内清繁さん。

福島県有機農業ネットワークの副代表も務める。

大震災と原発事故という二重被災を経験して、私たちは何を学んだか。

その学びをこれからどう活かしていくのか。

静かな語り口で、この2年半の取り組みを振り返ってくれた。

正確な情報や知識がいかに大事であるか。

油糧作物の栽培による農地除染の試みの報告。

そして農地を活かしたエネルギー生産 (小水力やバイオマス熱利用など)

も視野に入れながら、自然環境と共生する社会づくりに向かっている。

 

 

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「 Fukushima を英語で表せば Happy Island だ。

 私たちは負けない。

 Fukushima から Happy で Sustainable な社会をつくっていく。

 3.11で犠牲になった人たちのぶんまで、

 そして次世代の子どもたちに新しい社会を残す。

 それが私たちの役割だと考えています。」

 

有機農業者には、本当に意志が強く、モラルの高い人が多い。

様々な生命との 「共生」 が、その思想の土台にあるからだろうか。

彼らの粘り強い営みによって、新しい道が開かれていってる。

福島はいつか  " 最もモラルのある、哲人たちの国 " 

と呼ばれるようになるかも知れない。 我々は学ばなければならない。

 

最後の目的地は、南相馬市小高区。

有機農業のベテラン、根本洸一さんのほ場。

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原発から 11km という説明だったか。

種をまく、土を耕す、それが私の人生。

何があっても、ここで土とともに生きる。

 ・・・ この生き方を、誰も否定することはできない。

 

みんなで人参の収穫作業をやらせていただく。

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今年 6月の放射能連続講座 をきっかけに

ファイトケミカルに目覚めたエビちゃんは、

偉そうに 「葉っぱも持って帰りましょう」 などと

講釈したりするのだった。

 

帰りのバスで眺めた南相馬市南部、海岸線の様子。

 

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なんといううら哀しい光景だろうか。。。

 

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原発事故さえなければ、復興は間違いなくもっと早く、

確実に進んだであろう。

ゲンパツというとんでもない不良債権が奪ったものは、

たくさんの命、暮らし、経済、自然、風景、心・・・

とても計測できない、天文学的な価値の総体だ。

しかもこの負債処理が永遠に続くなんて、、、耐えられない。

 

それでも自らにムチを打ち、前を見る人たちがいるのである。 

官に頼らず、除染に挑み続け、今日も耕す人たち。

あれから 3 度目の冬だというのに、歓喜はまだ訪れてこない。

都会では忘れようとする空気すら感じさせる。

僕らは  " 寄り添う "  とかいう、どこか対弱者的な目線ではなく、

DNAの鎖のように離れずに連なっているという意思を、

しっかりと伝え続ける必要があるんじゃないか、Fukushima に対して。

 

しつこく書かせていただいた福島レポートを、

新年の講座の予告をもって締めさせていただきたい。

 

10月に台風のせいで開催できなかった

「大地を守る会の備蓄米・収穫祭」 のリベンジ企画を用意しました。

 

大地を守る会専門委員会「米プロジェクト」 新年学習会

『ジェイラップ 2013年の取り組みから学ぶ』

「大地を守る会の備蓄米」の生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)

を率いてきた(株)ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんをお招きして、

" さらに安全な "  米づくりと、地域環境の再生に邁進した2013年の取り組みを

お聞きするとともに、その成果と課題から

未来に向けての視座を学びたいと思います。

 ・ 放射性物質はどのレベルまで下げられたか(安全性の現状)。

 ・ 除染はどこまで可能か、なぜ必要なのか。

 ・ 安全な食と環境を未来に残すために、私たちにできることは何か。 等

会員に限定せず、広く参加を募ります (会場は狭いですが)。

 

◆日 時: 2014年1月25日(土) 午後2時~4時

◆場 所: 大地を守る会六本木分室 3階会議室

       (地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩7分)

◆ゲスト: ジェイラップ代表 伊藤俊彦さん他

◆定 員: 30名

◆参加費: 無料

※ 終了後、丸の内にある大地を守る会直営店

  「農園カフェ&バル Daichi&keats」 にて、伊藤さんを囲んで

  懇親会を予定しています。(自由参加。参加費3000円ほど)

◆ 申し込み方法:

   HPでもご案内する予定ですが、とりあえず戎谷まで

   メールにてお申込ください。折り返しご連絡差し上げます。

    ⇒ ebisudani_tetsuya@dachi.or.jp

                          ( アンダーバーが入ります。お間違いなく。)

 

たくさんのご参加をお待ちします。

 

本年最後の福島リポート。

最後まで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 



2013年12月11日

桑の葉とオーガニック・コットン

 

11月21日(金)、

福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、

羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、

二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、

里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを

学ばせていただく。

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旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。

2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。

その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、

気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。

有機農業を土台として、

農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、

特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、

新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。

やってくる若者たちも後を絶たない。

厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、

そんな里山を創り上げてきたのだ。

 

里山の再生にひと役買ったのは、

自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。

桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。

しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。

やけくそになっても仕方のない話だ。

そこで彼らを支えたものは何だったのか。

仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?

危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道

「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」

を選んだ人たちの話。

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僕らは簡単に  " 支援 "  と言ったりするが、

逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、

逆に学ぶことの方が多い。

むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。

 

直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。

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道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、

僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、

いわきへと向かった。

そこで次に出迎えてくれたのは、

楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。

 

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春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、

やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、

秋に開果したコットンボールに迎えられると、

種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。

いやあ、みんな前を向いて歩いている。

 

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昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。

塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。

綿の自給率 0 %の日本で、

福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。

 

栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。

農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。

小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。

 

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春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。

夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。

花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。

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やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。

これをつまみながら収穫する。

 

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綿毛の中には、種が育っている。

綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。

これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、

長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。

ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。

 

ただしあまりに軽いもので、

単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、

とても経済的に合うシロモノではない。

「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。

ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、

ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。

でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が

いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。

これは、考える素材である。

 

「儲けなんか考えたら、とてもできないです」

と美知さんは語る。

それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。

人と人が信頼でつながって、食や農業を、

生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。

 

訪問の本来の目的は、塩害対策だった。

勝弥さんの春菊畑に回る。

塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。

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この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、

冬の間に土壌改良を行なう。

有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。

これが効かなかったら、すべて私の責任である。

小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、

年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、

小林家を後にした。

 

ようやく家の建て直しが終わり、

「何とか前を向いて、やって行きます」

と笑う小林夫妻。

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東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。

彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。

ここにも、教えられる福島の人がいる。

 



2013年12月 8日

本当の空を取り戻したい・・・ 福島で女性生産者会議

 

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  智恵子は東京に空がないといふ

  ほんとの空が見たいといふ

  ・・・・・・・・・・

  阿多多羅山の山の上に

  毎日出ている青い空が

  智恵子のほんとうの空だといふ (高村光太郎 「あどけない空の話」)


「 智恵子が言った  " ほんとの空 "  が汚されてしまいました。

 でも、私たちは負けません。

 ここで頑張って、ほんとうの空を取り戻したいです。」


11月21日(木)、

安達太良山の麓にある岳温泉(福島県二本松市) で開催された 

「第4回女性生産者会議」 でのひとコマ。

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」理事・佐藤佐市さんのお連れ合い、

佐藤洋子さんがそう言って、マイクを握り締めた。

大地を守る会には中玉トマトや寒じめホウレンソウを出荷してくれている。


なんで僕らは福島と連帯しなければならないのか。

なんで  " 福島の再生なくして日本の未来はない " と言い続けてきたのか。

女性たちの発言から、その心が語られたような気がする。

それは、ほんとうの空と、土と、つながりを取り戻すためだ。



「 今はフジの収穫真っ最中です。

 リンゴも一個々々顔が違っていて、人間と同じですね。

 2012年の冬は、リンゴの粗皮削りを必死でやりました。

 放射能も 「検出せず」 のレベルになって、ホッとしています。

 注文は徐々に戻ってきて、それでも (原発事故前の) 5~6割でしょうか。

 余ったリンゴでシードルを作りました。 それが人気で喜んでいます。

 たくさんの人に来てほしいと、農家民宿も始めました。」

     (羽山園芸組合、武藤幸子さん・熊谷弥生さん・武藤明子さん)


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羽山園芸組合さんは、今回の幹事を務めてくれた。


「 有機農業を続けて40年が経ちました。

 岳(だけ) 温泉とは、私たちの野菜を使ってもらって食品残さを堆肥にするという

 循環型農業でのお付き合いがありました。

 それも止まってしまいました。 

 山の落ち葉の利用も今は控えています。 良い堆肥だったんですけど。

 この循環を何とかして早く取り戻したいです。」

     (二本松有機農業研究会、渡辺博子さん)

 

「 9 軒で始めた福島有機倶楽部も、千葉や宮城、いわきや都路村(現田村市)

 に移られて、現在のメンバーは 2軒になりました。

 障がい者の人たちと作業所を開いて農業をやってきましたが、

 今度これだけの震災に遭ったら守りきれないと思って、解散しました。

 瓦礫の撤去では広島や九州からボランティアの方が来てくれました。

 3.11の 2週間前に有機JASの認定を取得したばっかりで、

 何でこうなるのかと思いましたが、

 皆さんが来てくれたことで気持ちも上向きになりました。

 そして大地さんから継続して販売すると言われた時に、

 " やれる! "  と思いました。

 水路と基盤を整備し、有機JASも取り直します。

 有機農業から学んだことは、嘘をつかないこと、誠実であること、です。」

     (福島有機倶楽部、小林美知さん)

 

「 3.11の直後は、何をつくっても気が乗らなかった。

 今の販売量は以前の3割減くらいまで戻って、何とか生活できる状態。

 風評被害はまだ残ってる。

 5年後10年後を考えると、後継者がやっていけるのかが心配です。

 10月の 「土と平和の祭典」 で、3人の OL さんが売り子に協力してくれたのが

 とても嬉しかった。」

     (福島わかば会、佐藤徳子さん、他8名)

 

「 二本松・東和地区にはたくさんの新規就農者がいて、今も来てくれます。

 3.11後、一人だけ帰ったけど、皆残ってくれた。

 東和の良さを味わってもらおうと農家民宿も始めました。

 以前に野菜を送っていた自由の森学園(埼玉県飯能市) の人たちが

 遊びに来てくれたのが嬉しかったですね。」

     (ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会、大野美和子さん)

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(右が冒頭の佐藤洋子さん)


一番遠くから参加されたのが、

島根県浜田市(旧弥栄村)・やさか共同農場の佐藤富子さん。

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「 今回は福島での開催だと聞いて、行かなきゃいけないと思いました。

 行って、福島の人たちの生の声を聞きたいと、ずっと思っていました。

 自分たちも原発を許してきたんじゃないのか、そんな思いがあって・・・

 大阪で20年、弥栄で40年が経ちました。

 人口1500人を切った村で、仲間が40人。 半分は県外からの移住者。

 若い人もいます。 皆さんの話を持って帰ります。」


他には山形、宮城、栃木、群馬、茨城から、

総勢30名の  " 母ちゃんたち "  が集った。


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藤田社長から大地を守る会の全体状況の報告、

戎谷からローソンさんとの事業提携の進捗についての報告、

" 森は海の恋人 " 畠山重篤さんの講演があって、

温泉に入って、懇親会は2次会まで盛り上がる。


畠山さんの講演は次に回すとして、

翌22日は、羽山園芸組合代表・武藤喜三さんのりんご園で

りんご狩りを堪能させていただく。


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挨拶する武藤喜三さん。

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淡々と、安全で美味しいリンゴづくりに勤しんできた優しいお父さん

といった風情だけど、

12年冬の徹底した除染作業 をやり切ってきた根性の人だ。


今年も安定して美味しいりんごを育ててくれた。

このリンゴに、武藤さんたちの願いが込められている。

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これぞという実をもぎ、食べてみる。

当然のことながら、美味しい!の感嘆の声も上がる。

いっぱいもいで、お土産に。

彼女たちにしてみれば、束の間の休息、か。


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では、リンゴの樹ををバックに記念撮影。 

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羽山園芸組合の皆さんでも一枚。 

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3.11 は言葉では表せない悔しさと労苦を運んできたけれど、

それでも次世代のために " ほんとうの空を取り戻すまで頑張る "  

" やれるだけのことをやりますから " と語るら彼女らの強さによって、

僕らは生かされているんだと思えてくる。

いやこれは、未来の命から託された仕事をやってくれているのだ。

いま、目の前で。。。


最後は、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会が運営を委託されている

道の駅を訪ね、東和での取り組みを見学する。

すみません、続く。




2013年12月 3日

日本の原風景・里山の棚田米-フードアクション最優秀賞受賞!


農林水産省が後援する 『食と農林漁業の祭典』 シリーズ。
その最後のイベントで、本日、ビッグなニュースが発表された。

国産農産物の消費拡大と食料自給率向上に寄与した
取り組みを表彰する
大地を守る会が頒布会形式(全6回) で販売してきた
「日本の原風景・里山の棚田米」 企画が、
最優秀賞 を受賞した。
 
コメの消費低迷と価格下落に加え、高齢化が進む中山間地農業。
里山の自然と暮らしを支えてきた棚田も荒れていく一方のなかで、
何とか販売で支えたいと力を入れてきたものだ。
 
島根県浜田市(旧弥栄村) 「森の里工房生産組合」 のお米を
「棚田米」 と銘打って販売を開始したのが2010年。
今年から 6ヶ所の契約産地を選んで、頒布会形式での販売にトライした。
 
地道に売った棚田のお米が、3 年間で約 70トン。
この取り組みが評価されての受賞となった。
地域にどれだけの貢献を果たせたのかは心許ないけど、
素直に胸を張りたい。

僕は出られなかったけど、授賞式での記念写真を貼りつけたい。
社長(前列中央) もいい笑顔だが、
左隣の佐藤隆さん(森の里工房生産組合) が喜んで参列してくれたことが、
何よりも嬉しい。
生産者にとって、これが励みになればと願うところである。

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日本の気候風土に絶妙にマッチした水田稲作は、
日本人の暮らしの土台となり、文化形成にも大きな影響を与えてきた。
そしてこの急峻な地形の多い国土で、傾斜地を見事に活用し、
食料生産と環境保全、生物多様性の維持(というより増進)
を支えてきたのが棚田である。

しかし平地のように効率化や生産性を上げられるものでなく、
その作業の大変さから、高齢化とともに放棄水田が増えてきた。
今では、日本の棚田の4割が失われたといわれている。

営々とマンパワーで築いてきた芸術的な棚田の崩壊は、
おそらく現代の機械技術では再現できない。
僕らは、途方もない知的財産を捨てた時代の人々に、
まさになろうとしている。


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今回の最優秀賞の受賞を、生産者とともに弾みにしたい。

これはたんに、懐かしい原風景を守ろうという情緒的な話ではない。
未来に残すべき、持続可能な社会資源の貯金システムがここにあるのだから。

しっかりと食べることで、それだけで、
生産者の誇りを支え、美しい環境とそれを支える技術を継承することができる。
もちろん食べる人の健康を守ることにもつながる。

【以下、案内】
大地を守る会では、この受賞を機に
ウェブストアでの取り扱いも開始しました。
1月には頒布会の追加募集も行なう予定です。

この機会にぜひ一度、食べてみてほしい。
そして一瞬でも、里山の保全につながっていることに思いを馳せていただけるなら、
嬉しいです。

会員向け頒布会で登場する生産者は以下の通り。

 1.石川県加賀市、橋詰善庸さんのコシヒカリ(有機栽培)
 2.富山県入善町、「富山・自然を愛するネットワーク」 さんのコシヒカリ(有機栽培)
 3.新潟県佐渡市、「佐渡トキの田んぼを守る会」 さんのコシヒカリ(農薬不使用)
 4.新潟県上越市、内藤利孝さんのコシヒカリ(有機栽培)
 5.新潟県十日町市、佐藤克未さんのコシヒカリ(有機栽培)
 6.宮城県大崎市、「蕪栗米生産組合」 さんのヒトメボレ(有機栽培)

ウェブストアのご利用は、こちらからどうぞ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
棚田を訪ね生産者と交流する機会も用意したいと考えています。
(来年夏には佐渡ツアーを計画中。)

=追伸=
フードアクション・アワードの商品部門では、
「純米富士酢」 の飯尾醸造さん(京都府宮津市) が優秀賞を受賞。
こちらも京都・丹後の棚田をしっかり守って、
伝統的な静置発酵法によって酢を作り続けてきた長年のお取引先です。
合わせて報告まで。



2013年12月 1日

シェフと畑をつなげる

 

2013年もあっという間に師走に突入。。。

焦るぞ。

11月のレポートを急がねば。 

腰が痛い痛いと情けなく呻きながらも、なんだかんだ動いた月だった。

 

11月18日(月)、夜。

東京・丸の内、新丸ビル10階 「エコッツェリア」 にて、

地球大学 × 食と農林漁業の祭典 『農業分野の新ビジネス』」 

が開催される。

実は11月は、農林水産省が旗振り役になって様々なイベントが展開された

食と農林漁業の祭典」 月間だった。

前回報告した 「食の絆サミット」 も、その一環として開かれたものだ。

そして今回は、地球大学とのコラボで行なわれたセミナーのひとつ、

ということになる。

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例によって竹村真一さん(京都造形芸術大学教授) をモデレーターとして、

4名のゲストが新しい農業の姿やビジネスの可能性について語った。

大地を守る会代表、藤田和芳もその一人として、

有機農業の果たす役割について語った。

 

竹村さんやゲストの間でのやり取りがあった後は、

自由に語り合う懇親会となる。

食材は、丸の内の直営レストラン 「Daichi & keats」(ダイチ・アンド・キーツ) にて

用意させていただいた。

 

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こういう場って、けっこう料理が残ってしまったりするのだけど、

お陰さまで好評を博し、きれいになくなった。 

次はお店のほうにもぜひ足をお運びくださいませ、と宣伝。


翌19日(火)は、その 「Daichi & keats」 にて、

レストランのシェフやオーナー向けの試食会を開く。

8日の行幸マルシェに続く、さんぶ野菜ネットワークのPR 第2段。

 

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今が旬の、人参、里芋、小松菜、カブ、ミニ白菜を、

生で、ボイルして、あるいは蒸して、素材の味を確かめていただく。 

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人参の甘さに感動され、

「何もつけないのが一番おいしい」 という感想までいただいた。

生産者にとっては最高の賛辞だね。

町田マネージャーの説明もさりげなく力が入る。

 

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ケータイで撮ってきた畑の写真を見せながら、

身を乗り出して説明する石橋明さん。

 

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事務局の山本治代さんはパネルを持参して、

さんぶの野菜の美味しさをアピール。

土づくりからキッチリやってるからね、こういう野菜を使ってもらわなきゃあ、

とけっこう押しも強い。 

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・・と、さんぶをしっかりインプットしていただいたところで、

28日(木)、今度は丸の内からマイクロバスを仕立てて現地視察ツアーとなる。

 

まずは石橋さんの里芋畑で、

里芋掘りを実体験していただく。

 

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里芋は、親芋の回りに子芋・孫芋がくっついている。

傷つけないように鍬を入れ、テコの原理でグイと掘り上げる。 

 

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そんでもって小芋らを剥がし、土を除いて、選別して出荷する。

里芋掘りは面白い。

だけどそれをずっと続けて出荷までの作業となると、しんどい。

手間のかかる作物なのだ。

少しは想像していただけただろうか。

 

石橋さんのハウスを見る。

小松菜と水菜がきれいに育っている。

 

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有機農業にとって土づくりがいかに大切か、

そして葉物の生理と育て方まで、

懇切丁寧に話す石橋明さんがいた。

 

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昼食は、農家料理で。

シェフの方々に対して何をお出しすりゃいいのよ、

とか悩んでいたけど、

どっこい、シェフを唸らせるシュフの手料理だった。 

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「いやあ、美味しくて、食べ過ぎちゃいましたよ」 と

若いイケメンのシェフに感激されて、ご機嫌の主婦でございました。

奥様方、お手間取らせました。

 

昼食後も精力的に畑を回る。

人参畑で説明するのは、

さんぶ野菜ネットワーク代表の富谷亜喜博さん。

 

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ここでカメラのバッテリーが切れてしまう。。。

人参を抜いてもらい、富谷さんの堆肥を見せていただき、

ブロッコリィ収穫もプチ体験していただき、、、

夕方の仕込みがあるのでと、慌しく帰路に着く。

 

帰ってから、クリスマスイブの日に人参を葉付きのままで使いたい、

というリクエストが入ってきた。

しかし、とても無理です、と冷たく断る。

12月に入ると霜にやられて、人参の葉は枯れてしまうからね。

でも、それだけ感じさせるものがあったのだろう。

 

料理人たちも忙しい。

なかなか畑を見ることなんてできないんですよと、

そんな話も聞かせてもらった。

自然の移ろいや畑に合わせて調理するって、

都会ではそう簡単なことではない。

でも、畑を見て、モノの力を引き出そうとしてくれる料理人の創造力は、

あなどれない。 つなげたいと思う。

葉っぱつき人参の料理は春まで待ってもらおう。

 

都会では、子どもたちへの食育だけでなく、

シェフ育も必要なのかもしれない。

そんなアイディアも浮かんだりするのだけれど、

「遊びが過ぎるぞ」 という会社のセリフも聞こえてくる。。。

 

掘った里芋をそのままひと株もらって、持ち帰った。

洗って、食卓に飾ってみる。

 

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子沢山の縁起物。 

八つ頭ほどではないけど、

ひと足早く正月が来たみたいな気分になる。

 



2013年11月22日

合成ビタミンC添加なし「有機緑茶」

 

福島・郡山のビジネスホテルに潜り込んでます。

今年何回目の福島だろう。。。

 

昨日から二本松の岳(だけ)温泉で 『第4回 女性生産者会議』 を開催。

ダンナを置いて意気揚々とやってきた 30 名の母ちゃんたちと語り合った。

記念講演にお招きしたのは、宮城・気仙沼の  "森は海の恋人"  の人、

畠山重篤さん

実は数日前に畠山さんもワタクシと同じ患いに陥ったようで

出席が危ぶまれたのだが、何とか辿りついてくれた。

ちょうど一年ぶりの再会。

今回はさらに進化した畠山ワールドを展開してくれた。

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そんでもって今日は朝から二本松市東和地区(旧東和町) を皆で訪れ、

羽山園芸組合さんのりんご園でりんご狩りを楽しませてもらい、

道の駅・ふくしま東和で

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 の取り組みを聞かせていただく。

 

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解散後、元気な母ちゃんたちと分かれ、

いわき市 「福島有機倶楽部」 の小林勝弥さんを訪ねた。

こちらは除染ではなく除塩。

津波による塩害で今も難儀していて、

大地を守る会から除塩用の資材を提供させていただいたのだが、

連れ合いの美知さんが会議に参加されたのをこれ幸いと、

帰りの車に乗せてもらって立ち寄ることにした。

ブツと畑を確認し、今後の進め方について勝弥さんと話し合う。

 

そこでなお東京に帰らず、内陸に戻って郡山に辿りついている。

明日は郡山・ビッグパレットふくしまで開催される

ふくしまオーガニックフェスタ2013」 に参加する計画である。

 

この二日間のレポートはどうも長くなりそうなので、

追って報告させていただくとして(もう飲んで寝たいし)、

取り急ぎ前回からの続きで、溜まっている写真をピックアップして、

今夜は終わりにしたい。

 

11月3-4日は、「秋田・ブナを植えるつどい」 をキャンセルして休ませてもらい、

11月5日(火)は夕方まで仕事して、夜のうちに広島に入る。

6日早朝から三原市にある (株)ヒロシマ・コープさんを訪問して、

新しく開発したPETボトルでの 「大地を守る会の有機緑茶」 の

製造に立ち会った。

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これも生産部長の仕事なのって?

これは子会社である (株)フルーツバスケットの タダ働き取締役

としての仕事なのであります。 

朝6時から茶葉の抽出が始まり、4回の試験抽出-成分割合の確認を経て、

充填本番を始める。 いや実に、想像以上に複雑な工程だった。

 

大地を守る会がPETボトルのお茶を販売することについては、

違和感を持たれる方も多いかもしれない。

何を隠そう、僕もその一人である。

やっぱお茶はちゃんと急須で入れて飲みたい。

あるいは冷蔵庫で冷やしたり、マイボトルに入れて携帯するとか。

・・・しかし現実は、PETボトル茶全盛時代になってしまっている。

茶葉そのものの販売は苦戦を強いられ、

急須のない家庭も珍しくないと言われる。

しかもほとんどが当たり前のように

酸化防止剤としてビタミンCが添加されている。

これではせっかく有機栽培で育てた茶葉も農家も、哀しい。

お茶はちゃんと入れて飲むようにしよう(努力目標)、と改めて自戒しつつ、

あくまでも 「どうせ飲むんだったらこれを」 という代替として提案したい。

 

ここでビタミンCについて触れておきたいのだけれど、

お茶やジュース・缶詰などに添加されているビタミンCは、

柑橘などから抽出した天然のビタミンCではなく、

L‐アスコルビン酸など人工的に合成されたものである。

トウモロコシなどのデンプン(ブドウ糖)を化学分解して作られる。

この製造過程で石油を原料とした薬品も用いられる。

化学構造から天然のものと同じとされ、

壊血病予防など健康に必要な栄養成分と語られたりするが、

そもそもビタミンCは酸化されやすい性質が利用されている

ということを忘れてはいけない。

つまり自身が酸化することによって食品の酸化を防いでいるわけで、

酸化されたビタミンCには栄養的価値はなくなっている。

ビタミンCが酸化しつくされた後の品質劣化は急激である。

しかもこの酸化反応の過程で、

合成ビタミンCでは活性酸素が発生することがつきとめられている。

放射能講座で毎回のように登場した 「活性酸素」 というヤツ。

ガンや生活習慣病や老化の原因になる。

 

また原料として使用されるトウモロコシは100%輸入であり、

遺伝子組み換えでないとの IPハンドリング(分別生産流通管理) の

証明書確保はほぼ不可能の世界である。

原料として有機栽培の茶葉を使用しても、

製品は 「有機茶」(有機JAS認定) にはならない。

 

外で買うならこれを、ということでローソンさんにも提案中。

国内産(今回の生産地は鹿児島) 有機栽培茶葉100%

かつ ビタミンC無添加「有機緑茶」 です。

なので賞味期限は短く(それでもしっかり殺菌してます)、

常温で9ヶ月となってます。

 

さて、トピックをもうひとつ。 

11月8日(金)、月一回酸化、じゃなくて参加している

丸の内・行幸通りの 「行幸マルシェ × 青空市場」。

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今回は、人参・里芋・白菜・・・と冬物が出そろってきたところで、

千葉・さんぶ野菜ネットワークの野菜一本で勝負した。 

 さんぶからも二人の生産者、吉田邦雄さんと下山修弘さんが

売り子として出張ってくれた。

 

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さんぶの野菜は、ここで食べられます。 

とさりげなく 「Daichi & keats」 のPRも。

おススメは、農園ポトフと農園タパス。 ぜひお立ち寄りください。

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せっかく一日出張して来ていただいたので、

主宰者である永島敏行さんとの記念写真を一枚いただく。

「おう、おう、山武ね。 知ってるよ、もちろん!」

と気さくに応じてくれた。 

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(永島さんをはさんで、左が下山修弘さん、右が吉田邦雄さん)

 

今月は、丸の内のシェフたち向けに、

マルシェ - 試食会 - 現地視察ツアーと、

さんぶ野菜を前面に出しての連続攻撃をかけているのであります。

 



2013年10月12日

干ばつの長崎へ

 

まったく時は矢のように過ぎていく。

もはや焦りを通り越して、開き直りの心境。

9月の出張レポートを飛ばすことなく、書いて終わらせよう。 

 

9月26-27日。

山口新取締役をお連れして、長崎県南島原市口之津町に入る。

リアス式海岸、石で積んだ棚田と段々畑、

温泉と雲仙普賢岳、そして天草の半島。

口之津町はその南端に位置する。

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訪ねたのは、長崎有機農業研究会の事業部門を担う (株)長有研

今年で設立30年を迎えた。

大地を守る会は、その歴史丸ごとお付き合いさせていただいたことになる。

 

長有研のセンターは、山の上にある。

来る度に、もっと便のいいところに建てればいいのに、と思うのだが、

そこは設立時の台所事情あってのことだろうから、仕方がない。

この土地を提供したのは、

設立時からのリーダーの一人・松藤行雄さん。

建てた倉庫一つにも、人々の思いや覚悟の軌跡が

染みついている。

 

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今回の目的は、

ローソンという全国に店舗網を持つ組織と事業提携するに至った経過や

今後の展開の方向について説明し、理解していただくこと。

その上で、これまでにない多様な販売チャンネルを前にして、

どう生産者にとってメリットのある形を創り上げるか、を話し合うこと。

こんなことができる、そのための条件は、できないことはできない、

そういったことを本音で語り合うことで、進む道を見定めていきたい。

なんたってこの道は枝分かれが多そうで、

もし罠にハマったとすれば、それは誰のせいでもない、

我々の意思と判断によるワケだからね。

 


 

代表の長尾泰博さんや事務局との話し合いを終え、

間もなく収穫が始まろうとしているミカン畑を視察して、 

山口取締役は忙しなく次の目的地へと向かい、

僕はもう少し他の畑を回っておいとました。

 

今回見させていただいたのは、馬場一さんのみかん園。

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熊本の 「ひごあけぼの」 という系統の枝を友人から分けてもらって、

自分で育てたオリジナルの品種。 「花子」 と名づけられている。

糖度は高く乗るが酸が抜けにくいと言う。

そこで酸抜けを促進させるために、馬場さんは白マルチを張って

適度に土の保湿を維持させている。

普通は乾燥させることで糖度が上がるのだが (水分が多いと薄味になる)、

「花子」 では糖度を多少抑えても(それでも充分にある)、

適当に保水してやるのだと。

過湿と乾燥を繰り返さないために、

一本一本マルチを剥がしては水をやって元に戻す作業を繰り返す。

これは相当手間のかかる仕事だ。

そのぶん愛着も涌き、馬場さん自慢の 「花子」 となる。 

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下まで降りてきて、トマトの中村さんを訪ねる。

8月の後継者会議にも参加してくれた中村智幸さんが出迎えてくれた。

就農して10年、28歳、すでにトマト部会長である。

 

もうすぐ第一子誕生とか。

嬉しそうだ。

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中村さんが育てるトマトの品種は 「ごほうび」。

果肉のしまりがよく糖度と酸度のバランスが取れた品種。 

12月頭には収穫が始まる。

" としちゃんのトマト "  と別枠での販売実績もある親父(敏信さん) は

けっこう高い壁かもしれないけど、やってくれそうな感じだね。

頑張ってください、パパ (・・は早いか)。

 

それにしても 9月の長崎はまだ暑く、干ばつ状態である。

乾き切った土に、ブロッコリーの苗もきつそうだ。

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キャベツの苗に水をやっているが、

やる傍から乾いていってる。

 

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山中の畑や田んぼだけでなく、

こういう開けた場所にも電気柵が張られている。 

イノシシは今や平場にも出没するのだそうだ。

 

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電気柵を漏電から防ぐには、周辺の雑草管理が欠かせない。

畑や田んぼでの作業の他に、

せっせと畦や道路脇の草刈をしなければならない。

この作業がけっこう大変なのだ。

周りの農家は普通に除草剤をかけている。

高齢化していく農家に 「撒くな」 とはなかなか言い難いとですよ、

という本音が長尾会長の口から漏れる。

つらいね。。。

 

研修生を育てるためにつくった農場 「ぎっどろファーム」、

松尾さんのアスパラ畑などを回って、長崎をあとにする。

 

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なお、ずっと同行してくれた新人スタッフが一人。

前川隆文さん、先月まで大地を守る会の社員だった男。

郷里の長崎に戻り、長有研さんが拾ってくれた。

彼が長有研での日々をブログに書いている。

この日のこと も早々に上げてくれているので、

覗いてくれると嬉しいです。

 

最後におまけを。

長有研に向かう前に立ち寄った佐世保の食品加工会社

「アリアケジャパン」 さんが、

前日に送ってあった大地を守る会の野菜を使ってスープを

作ってくれていた。

といっても手の込んだものでなく、

4種類 (玉ねぎ・人参・キャベツ・南瓜) の野菜を水で煮ただけのもの。

6月の放射能連続講座でお呼びした麻布医院・高橋弘院長が薦める

「ファイトケミカル・スープ」 だ。

 

左が大地を守る会の野菜、右が市販の野菜で煮てみたもの。

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左のほうが若干色が濃い。

味も濃いですね、との評価を得た。

工場の研究スタッフの方が、検査結果を知らせてくれた。

ブリックス(Brix:一般的に糖度と理解されるが、ここでは水溶性固形分濃度)

で2度高い、と。 濃密なのだ。

大地を守る会の野菜には、力がある。

食品加工会社の方からも高い評価を頂いたことを

報告しておきたい。

 



2013年10月 2日

吉野を駆けながら、有機農業の受け皿づくりを考える

 

原発を推進してきた国家の宰相も務めた方が、

至極まっとうな発言をしている。

いや別に褒めるほどの内容ではない。

多くの国民が感じ取っていることだ。

「 原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに

 原発を進める方がよほど無責任だ」

  (小泉純一郎氏の講演での発言。10月2日付 「朝日新聞」 朝刊より)

 

どうもフィンランドの 「オンカロ」(※) を視察して

原発はダメだと感じ取ったらしい。

「原発に未来は託せない」 と言い続けてきた人たちにとっては、

何を今さら、どのツラ下げて・・・ とムカつくところだろう。

政治的思惑を感じ取って警戒する人もいる。

ワタクシとしても、本音は精一杯皮肉ってみたいところだが、

ここは過去の責任や変節を批判するよりも、勇気ある転換だと

あえて拍手を送っておきたいと思うのである。

時代はこのように動いていくものだし。

もちろん信用するかどうかは、今後の動き次第として。

 (※ 「オンカロ」・・・フィンランドのオルキルオト島に建設されている

  放射性廃棄物の地層処分場の通称名。 " 隠された場所 "  という意味。

  固い岩盤を Z状に約 5km掘り、地下 500m の場所で永久保管される。

  設計された耐久年数は10万年。

  10万年後の安全は、そもそも人類は・・・誰も分からない。

  2020年、操業開始予定。)

  

さて、、、10月に入っちゃいましたね。

あっという間に上半期が終わり、事業年度の後半戦突入。

ここでまたも社内では部署再編が行なわれ、

私エビスダニは、農産物・畜産物・水産物の仕入部門として

生まれ変わった 「生産部」 の部長を命ぜられました。

2年ぶりの仕入部署への復帰です。

しかも今度は畜産も水産も含めての任務となって、

責任の重大さを噛みしめているところ。

加えて、5月からローソンさんへの営業を託された 「特販課」 は、

「特販チーム」 として生産部内に留め置かれた次第。

つまり引き続きやれ、ってことのよう。

「放射能対策特命担当」 も兼任で続きます。

6月から拝命した (株)フルーツバスケット(子会社の農産加工部門)

の取締役としてのプレッシャーも静かに満ち潮気味で・・・

どうなっちゃうんでしょうね。

やれるだけのことをやって、行けるところまで行って、

何が見え、つかめるのか、やってみなきゃ分からない、という心境。

 

それやこれやで追い詰められたような状況にありながらも、

9月下旬には 2つの産地と 1つの  " 地域 "  を回らせてもらった。

そんなに出かけていいのかと自問自答しながら、

しかしどれもたんなる視察とかではない。

次の展開、構想づくりに向けての模索である。

2つの産地に同行されたのは、

ローソンさんから常勤で派遣された山口英樹取締役。

ご本人たっての希望でもある。

 

以下、順番にご報告。

(遅れ遅れなのはお許しを。) 

 

9月19~20日、奈良県は五條市に本拠を置く

「農業生産法人 王隠堂農園」 を訪問。

この時期となれば、大地を守る会の柿では  " 顔 "  になっていただいている

仁司与士久さんから訪ねるのが順番である。

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会うなり、

「戎谷さんはこの畑、10年ぶりくらいでしょう」 とやられた。

まったくその通りだ。

見に来たつもりが、見られている。

 

仁司さんには、その10年くらいの間、

農薬をどこまで減らすか、で散々苦労をかけた。

厄介だったのはタンソ病だ。

収量をかなり落とした年もあった。

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「果樹の減農薬栽培」 とひと言で言うが、その幅は広い。

特に大地を守る会の場合、自主基準のなかに  " 使ってはいけない農薬 "  がある。

農薬の使用回数を減らすだけなら手はある。

しかし 「その農薬は駄目」 あるいは 「できるだけ控えて」 という縛りがあって、

そこがけっこう厳しい、とよく農家に言われたりする。

「強い(=よく効く) 農薬を使って回数を減らした " 減農薬栽培 " 」

という傾向に陥ることなく、その上を目指したい。

口で言うのは簡単だが、現場は大変である。

過去の担当者が何度も仁司さんとやり取りしていたのを、覚えている。

 

今はだいぶ落ち着いてきた感じだが、

全ての課題がクリアできたわけではない。

でも、仁司さんが最大限頑張って育てた柿こそが、僕らが売る柿なのだ。

去年も、今年も、来年も、胸を張ってね。

 

今回、仁司さんから教わったのは、

環状剥皮(はくひ) という技術。

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枝の一部の樹皮をキレイに剥ぎとることで、

葉から作られた養分が根に送られないようにする。

 (枝葉からつくられた養分は樹皮を通って根に送られる。

  根からの養分は中心部を通って送られる。)

そのことで、葉からの養分が実に移行し大きくなる。

もちろん全ての枝でやるわけではなく、部分的に剥ぐことによって

樹勢を整える(樹勢が強すぎると実が落下する) という効果もある。 

順番に熟させることにもなるようだ。

 

二日間案内してくれた和田宗隆専務と。

和田さんは王隠堂農園の関連会社、(株)パンドラファームの代表も務めている。

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台風による落下もあったが、被害はそれほどでもなかった様子。

「かなり色づきも早い。予定通り(9月最終週) 出せまっせ」

と太鼓判を押す。

王隠堂農園からは、この刀根柿から始まり、

平核無柿(ひらたねなしがき、10月下旬)、富有柿(11月~) と続く。

順調に進みますように。

 

イノシシに齧られた痕。

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獣害対策は、どこの山間地も頭が痛い。

加えて奈良は、鹿が増えすぎて困っている。

 

もう一軒、柿の生産者(大植稔さん)を回り、

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(でっかい法蓮坊柿が自慢)

 

里芋やミブナをお願いしている高橋いさおさんを訪ね、 

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(当地の里芋は、今年は不作のよう) 

 

僕が密かに注目している

ヤマトトウキの栽培地を見せていただく。

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生薬の原料である。

ここ奈良・吉野はかつて生薬の一大産地だった。

それが中国産原料に席巻され、ほとんど消えてしまった。

今や漢方薬の原料は中国に押えられ、

レアアース並みの戦略商品となっている。

僕らは知らない間に、胃袋から健康まで、他国に依存してしまった。

その結果の一つの姿が、荒れる山間地である。

栽培技術が残っている(栽培経験者が生きている) 間に、復活させたい。

中山間地の耕作を維持し、高齢者も活き活きと働き、

農業が健全に持続させることによって、私たちの健康も支えられる。

獣たちとも共存したい。

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和田さんと、何とか形にしたい、と話してきた

突破口としてのヤマトトウキ。

大手製薬会社に安く買い取られるのでなく、自分たちの力とネットワークで。

この宿題は、なんとしてもやり遂げたいと思う。

 

王隠堂さんの、貴重な文化遺産ともいえるご実家を改装して

開かれた里山レストラン 「農悠舎 王隠堂」 で昼食をとらせていただく。

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鎌倉時代が終わり、室町時代に移る間の南北朝時代(14世紀中期~後期)、

吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまったことで授かった名前が

「王隠堂(おういんどう)」。

以来600数十年、この名を守ってきた。

その名が想像させる通り、この家は山の奥にある。

とても不便なところである。

当主である王隠堂誠海(まさみ) さん曰く。

「下の小学校に通うだけでも、大変なトレーニングだったわ。

 真っ暗になるときもあるさけな。 山道に柱時計を立てとったくらいや。」

 

「名前も家も残すゆうことは、大変なことですわ。」

悩んだ末に、誠海さんは改装して農家レストランに設えた。

野菜ばっかしの料理だが、これがかなり美味しい。

客も絶えないのだとか。

レストランを任されている女性陣(最高齢は80歳だとか)

も活き活き働いている。

 

誠海さんはじめ王隠堂農園のスタッフたちと、

弊社・山口取締役も交え、有機農業の近未来像を語り合う。

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農家の作る野菜をくまなく利用できる体制を築きたい。

みんなで共同して、いい産地づくりをしたい。

熱く語る王隠堂誠海であった。

 

最後に、

和歌山に建設した農産加工場、(株)オルトを視察する。

オルトは現在、息子の正悟哉(まさや) さんが切り盛りしている。

ここでもいろんな可能性について意見交換する。

二日間、駆け足で、

京都-奈良・吉野-紀州-大阪と回って岐路につく。

明日は土曜日、世間は 3連休。

ああ、熊野あたりを散策して帰りたい・・・・

しかし許してくれない。

次は福島が待っている。

 



2013年9月26日

はたらくケンタローの背に、谷川俊太郎の詩が流れる

 

長崎は島原から (このレポートはあとで)。

稲刈りに続いて、この間のトピックを 2 本。

 

9月13日(金)。

丸の内での 『行幸マルシェ × 青空市場』 に出店。 

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大丸有つながる食プロジェクト」 の紹介と、

マルシェにコラボするかたちで

大地を守る会の野菜を使って本日のみ限定料理を出してくれた

スペイン・バル 「モン‐シルクロ」 さんを、今回はPR。

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本来の目的はレストランの共同仕入の仕組みをつくることで、

安全性や環境に配慮された食材のネットワークを広げることなのだが、

こういう出店ではどうしても販売自体に力が入ってしまう。

レストランとのコラボ手法をもう少し考えたい。

 

翌9月14日(土)。

二人のおじさんを連れて、小平の生産者・川里賢太郎さんを訪ねた。

一人(下の写真左端) は、ドキュメンタリー映画のプロデューサー、

モンタージュ」 という会社の小松原時夫さん。 

小松原さんとは、1995年に制作した 「続あらかわ ~水の共同体を求めて~

でお手伝いさせていただいた時からのお付き合いだ。

当時小松原さんが所属していたのは、

水俣病の映画などで知られる 「シグロ」 だった。

 

で、もう一人(写真中央) は、映画監督の杉本信昭さん。

右が川里賢太郎くん。

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今回、この二人がつくろうとしている作品は、

様々なジャンル・現場で働く若者群像を撮って、

その姿に詩人・谷川俊太郎が詩を入れる、というものらしい。 

昨年、小松原さんは紀伊国屋書店から

『詩人・谷川俊太郎』 という作品を世に出している。

谷川さんが自らの試作と半生を語った初めての映像記録で、

平成24年度教育映像祭で文部科学大臣賞を受賞している。

その流れから、今回の企画が生まれたらしい。

そこで、" 無農薬での野菜作りを営む都市農家の若者 "  を一人

登場させようという魂胆だ。

というか、小松原さんから誰かいないかと聞かれ、

「こういうのはどうか」 と提案してしまったんだけど、

賢太郎さんにとっては実にハタ迷惑なことだったろう。

 

「 映画の取材なんて、勘弁して下さいよ~。

 エビさん、オレの性格知ってるでしょう」

と頑なに断わるところをなだめ、すかし、

「まあ・・・いっぺん会うだけ会いましょうか」 まで漕ぎつけた。

 

そこで今日、顔合わせと下見となった次第。 

 

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今はちょうど隙間の、次の出荷に向けて少し余裕のある時期。 

順番に出荷できるよう、少しずつ種を播いていってる。

細かい作業計画が彼の頭には入っているのである。

 

 いざ会えば、丁寧に礼儀正しく、説明し、

受け答えてくれる賢太郎氏であった。

 

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計算通り。

今月末にはロケがスタートすることになった。

監督。

もし可能ならば、「映画?」 と聞いて 「人前でチャラチャラするな!」

と怒鳴ったという気丈なおばあ様も登場させてくれると嬉しいのですが。

そこは今回の企画意図とは違うのでしょうが、

都市近郊の4世帯同居の楽しい家庭の風景も

チラッと挿入してほしいと思ったりして。

時にコワい顔を見せるお父さんの弘さんが、

この日はとても優しい笑顔で孫に接していたのも、素敵な光景だった。

 

完成は来春あたりのよう。

できましたら、お知らせします。

 

説明の合い間にも、苗の様子を観察する川里賢太郎。

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詩の巨人・谷川俊太郎が、はたらくケンタローの背中に

どんな言葉を編んでくれるのか。 

考えてみれば、すごいことだな。

スゴイことだぞ、これって。

賢太郎様。 あとは知りませんので、頑張ってください。

 



2013年9月16日

" 進化を誓う " お祭りにしよう

 

台風による激しい雨と風に弄ばれながら休日出勤。

東北方向へと走り去っていく雲を眺め、

自然の猛威に叩かれては鍛えてきた我が民族の底力を思う。

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大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回。

『福島と語ろう!』

最後に、3名の生産者からのメッセージを。

 

まだ福島を忘れずにいてくれたことに、とても嬉しい気持ちになりました。

心配なのは低線量被ばくの影響です。

データを取り続けていってほしいと願っています。

  -福島有機倶楽部・阿部拓(ひらく) さん。

 

原発事故は、過去の何にも比べものにならないくらいの困難だ。

それでも、これまで通り暮らしていきたいと思う。

これを普通の困難だと思って一日一日を暮らし続け、

ひとつひとつ解決していきたい。

これまで受け入れた新規就農者が36人。

事故後もやって来てくれる若者がいる。

いいところがあるから来てくれるんだと思うし、

東京ともつながってるんだなあ、と気づかされる。

彼らがやってんのに、オレたちが怖がって何もやんねえワケにはいかない。

真実を知りながら、一緒に歩いていきたいと思う。

  -ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市(さいち) さん。

 

福島県は、農業就業者の数が日本で第2位の県です。

それが今、県内の離農率が20%近い数字に跳ね上がってきている。

日本の農業(=将来の食生産) への影響はとても大きい。

どうかこのことを忘れないでほしい。

だから食べてくれ、と言いたいのでなく、

科学的なデータをもとに、大丈夫なものは

少しずつでも消費を取り戻していってあげてほしい。

  -稲田稲作研究会(ジェイラップ)・伊藤俊彦さん。 

    

コーディネーターの大江さんがまとめる。

 

皆さん、ぜひ福島に足を運んでほしい。

生産者に会ってほしい。

畑を見てほしい。

様々な取り組みが福島の地で行われている。

福島の復興なくして、日本の未来はないです。

 

僕もそう思う。

この秋、福島県須賀川市の稲田という地区の

丘の上にあるライスセンターの屋根に、太陽光パネルが敷き詰められた。

未来への責任を果たす、と何度も何度も自分に言い聞かせ

持続させた彼らの意思と願いが込められたものだ。

ゲンパツには絶対に頼らない!

必死の防戦だけじゃない。 オレたちは進軍するんだ!

ライスセンターの屋根にも進化への意思がある。

一人でも多くの人に、見てほしい。

 

10月26日(土)開催の

備蓄米 「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭 

  ~ 3度目の秋、未来に向かってコメを作ります

目下、参加者募集中!です。

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html 

 

伊藤俊彦さんから収穫祭に寄せた一文が届いたので、

ここに掲載して講座レポート終了としたい。

 


ここ福島は桃の季節が終わり、

秋を告げる  " 梨 "  や  " ぶどう "  が美味しい季節となり、

田んぼの稲穂が黄金色に色づいて、

まさに収穫の時を迎えようとしています。

 

大地を守る会の皆さまとの関係も四半世紀を超え、

この間、大勢の社員の方々や会員の方々との出会いがあり、

多くを学び、多くを感じ、食を通して五感でつながってきたように思えます。

 

特に3.11以降、放射能測定器を真っ先に貸与いただくなど、

身に余るご支援を賜りましたこと。

このご恩を私たちは生涯忘れることはありません。

何より、皆さまからの  " 憂いのこもった励まし "  の数々は、

不安払しょくの種となり、復興を目指す気概となり、

自立に向けて歩きだすきっかけとなりました。

 

原子力災害という先の見えない逆境の中、

家族や仲間や子どもたちを守るためにご案内いただいた多くの学びを

片っ端から生活の中に取り込み、精査しながら

2年半が過ぎました。

この2年半の学びと実践から得た多くの知見から、

科学的根拠をもって、今後

" 研究会の生産者がつくる農産物を食べ続けても内部被ばくを引き起こすことはない "

と判断できるまでになりました。

今では同居する6歳と3歳の孫たちが同じ食卓を囲み、

何に箸をつけても不安なく見守れるようになりました。

" 家族に不安なく食べさせられる農産物であること "

を当初からの出荷基準にしてきたことは、

皆さまとつながりを持ち続ける中で身についた 

" 食の安全 "  に対する信念の行使であり、

つながりの容(かたち) であると認識しています。

 

2011年秋の復興祭、2012年秋の自立祭では、

深い情けと憂いに感動した涙の収穫祭でした。

この10月26日に予定されています2013年の収穫祭では、

" 今後の進化を誓う "  おもいきり前向きな  " 決意のお祭り "  に

したいと考えております。

この災害から学び、そして実感した

" 頑張ってもできないことより、頑張ったらできることのほうが遥かに多い "

という生き方を合言葉にさせていただく所存です。

 

この7月、毎日新聞社主催の 「第62回全国農業コンクール」 が

昭和32年以来56年ぶりに福島で開催され、

農業生産法人稲田アグリサービスと (株)ジェイラップの連携による

農業振興活動が評価され、

グランプリには至りませんでしたが

毎日新聞社"名誉賞"、"農林水産大臣賞"、"福島民報社賞" 

などの賞をいただきました。

これを契機に、受賞に慢心することなく、さらに産地組織の結束を高め、

学んで、学んで、私たちなりの近未来を創造していくことを決意したところです。

 

皆さまのお陰で元気を取り戻した 「稲作研究会の収穫祭」 に

ぜひご来場いただけますことを願い、

生産者・社員・その家族一同でお待ちいたしております。

  -農業生産法人稲田アグリサービス、(株)ジェイラップ  伊藤俊彦

 



2013年9月15日

反転耕にかけた未来への責任

 

いやはや、こき使われる毎日。

なかなかスピーディに続けられないですね。

でも続けます。

 

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』。

福島有機倶楽部・阿部拓さんの話を受けて、

コーディネーターの大江正章さんがフォローしてくれた。

 

有機倶楽部に残った2軒のうち1軒の方 (小林勝弥さん・美知さん夫妻)に、

大江さんは7月に取材で訪れている。

とても明るく元気な奥さんだが、話を聞いているうちに

感極まってきて、泣きながら当時の状況を話してくれたそうだ。

「 いわき市でも、2万4千人の人が避難を余儀なくされた。

 目立った活動をしている所ばかりが報道されがちだが、

 今も苦しんでいる地域がたくさんあることを知っておいてほしい。

 移る・移らない は各々に考えた末のこと。

 それぞれの選択を尊重しながら応援していく姿勢が

 私たちに求められているように思います。」

 

さて3番手は、

福島県須賀川市 「稲田稲作研究会」 伊藤俊彦さん(「ジェイラップ」代表)。

この2年半にわたって積み重ねてきた対策と、

そこから得られたデータを示しながら、伊藤さんは説明を進める。

どの知見も試行錯誤を経て獲得した  " 未来への財産 "  である。

 

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事故のあった2011年、伊藤さんたちは

「稲田稲作研究会」 メンバー全員の、341枚の田んぼごとに

土と玄米の測定を行なった。 

そこで一番高かった玄米の数値は 19.9 Bq(ベクレル)、平均で 3.11 Bq。

2年目となった昨年では、最大測定値が 11.8 Bq、平均値が 2.66 Bq。

着実に下げられたと思っている。

かたや、除染対策を行なっていない近隣の数値では、

最大値が 22.2 Bq、平均値が 6.71 Bq。

稲作研究会のほ場で、10Bqを超えたのは3つだったのに対して、

未対策地では66を数えた。

やれば結果はついてくる、

少しでも下げられるなら面倒でもやらなければならない。

それは生産者としての責任だと、伊藤さんは考える。

 

(注:数値はすべてセシウム134 と 137 の合算値。)

 


昨年福島県で実施された米の全袋検査では、

農家の保有米も含めて検査されている。

結果は、99.7%が 25 Bq(検出限界値) 未満だった。 

  (注... ジェイラップも検査所となって地域の米の測定を引き受けている。)

 国の基準(100 Bq) を超えた米は 0.0001%、

100万分の1という数字である。

50 Bq以上は再検査に回されている。

稲田稲作研究会では県より細かいデータを取り、

11年秋の収穫後に反転耕(天地返し) の実施に踏み切った。

これまでに 120 haの田んぼでやり終えている。

その結果として、反転耕実施ほ場では

10 Bqを超える田んぼはゼロになった (平均値 2.14 Bq)。

 

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福1原発事故によって私たちは、

水田が汚染されるという世界で初めての経験をしたことになる。

まったくデータがない中で、いろんな実験にもトライしながら、

伊藤さんたちはいくつもの知見を獲得していった。

 

その過程で、田んぼと畑の構造的な違いも発見する。

高濃度の土に水を加えて撹拌して置いておくと、

だんだんと重い土が沈殿していって、上のほうに薄く濁った水の層が残る。

その薄濁った水の濃度が高いことに気づいたのだ。

つまり、畑は耕すことで分散していくが、

水田は水を張ってかき回す代かきという作業があり

(目的は、土の塊を砕いて田面を平にすることで田植えをし易くさせる)、

そこで放射性セシウム(Cs) は、「代かきすると表面に上がってくる(戻ってくる)」。

どうも Cs をよく吸着するゼオライの種類によって、

比重の軽いものにくっついている可能性がある。

かき回しても表面に戻ってしまうのであれば、

まだ Cs が沈降していない 15 cm下の下層土と入れ替え、

下に閉じ込めることが最も有効な手だということになる。

その場所の空間線量も確実に下げられる。

 

また表面の土ぼこりは風に舞う。

除染しても、吹き溜まりの場所は濃度(線量) が戻ってしまう傾向がある。

春風の舞う日に、農作業する農家やその脇を通学する子どもたちに、

土ぼこりを吸わせてはいけない。

 

仮に 4 Bq の玄米を精米した場合、白米は 1 Bq 以下になる。

その米を研いで水を加えて炊飯すると、さらに 5 分の 1 になる。

今の米であれば、年間 60 ㎏(日本人の平均消費量) 食べても、

1000分の1 ミリシーベルト以下である。

 

土ぼこり 1 g を吸う方が、米を食べるより内部被ばくのリスクが大きい。

 

伊藤さんたちが反転耕を徹底してやると決めた根拠は、

科学的データと、大人としての将来に対する責任感、に他ならない。

自分たちが農業できればいい、国の基準未満ならそれでいいではないか、

という話ではないのだ。

農作物のためだけでなく、地域の人たちの健康被害をできる限り防ぐために、

やれることは、やる。

そういう姿勢を持った農家になろうと、伊藤さんは言い続けてきた。

 

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そんな取り組みが、地域全体にも認められてきて、

今年の秋から 3 年かけて 1500 ha の反転耕を実施することになった。

自分たちの田んぼさえ良ければ、ではない。

地域全体を守ることで、自分たちの米も家族も守ることができる。

伊藤さんたちは、その率先垂範を見事にやってのけたのだ。

 

他の地域で反転耕が進まない理由の一つは、

日本のトラクターでは歯がたたないからだと、伊藤さんは言う。

そこでジェイラップでは、EU製の150馬力の大型トラクターを手に入れた。

チェルノブイリ後に開発されたトラクターで、

キャビンのドアを閉めると気圧が変わって、外からの埃が入らない構造になっている。

オペレーターの健康にも配慮されたものだ。

日本のメーカーから、なんで日本製を使ってくれないのかと聞かれ、

「日本のトラクターは零戦だ」 と言ってやった。

農作業者の体のことなんか考えてないだろう、と。

 

「 数 km の面単位でやった時に、どれだけ線量が下がるのか。

 そのデータを、来年の春にはお見せしたい。

 そのために、今年の稲刈りが終わったら、すぐに作業に入ります。

 科学的根拠を持って、着々と進めていきたい。」

 

聞いてるだけで、胸が震えてくる。

僕たちは、命の糧を通じて、彼らとつながっている。

このつながりを築いてこれたことを、僕は腹の底から誇りに思う。

 

あと一回。

3人の言葉を拾って、終わりにしたい。

 

≪注≫

「大地を守る会の備蓄米」 については、

ゲルマニウム半導体検出器による自社測定を行ない、

すべてのサンプル玄米で 「不検出」(検出限界値=3 Bq) となっています。

 



2013年9月12日

新天地を拓く父と、残った農地を守る息子

 

千葉・海浜幕張にも赤とんぼの姿が見えたね。

収穫の季節に入ってきたんだな、と思う。

しかしこいつらはいったいどこで産卵-繁殖しているんだろう。

 

さて、放射能連続講座Ⅱ-第6回レポートを続けます。

アーカイブをご覧いただいた方には " 今さら " の記事かもしれないけど、

レポートを残しておくのが自分の義務だとも思っていて、お許しを。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事・佐藤佐市さんに続いては、

福島の浜通り、いわき市から 「福島有機倶楽部」代表の阿部拓さん。

6 年前に 7 軒の農家で結成。

有機JAS 認証を取得して野菜作りに励んできた。

そこに地震と津波、原発事故。

いわき市では津波で 446 人が亡くなった。

 

農家が移住するという、重大な決意を迫られるなか、

有機倶楽部では 5 軒のメンバーが移転を余儀なくされた。

双葉町の鶴見博さんは千葉に移り、新天地で有機農業を再開した。

一人は北海道に農地を求めて就農の準備中。

旧都路村の仮設住宅に移った仲間は、まだ農業をやれない状態。

原発から 40km 圏内にいた一人は、有機JAS認定を諦めて脱会した。

もう一人は津波による塩害によって、

作物を作っても夏になると枯れてしまう状態である。

 

阿部さんは1ヶ月避難した後に戻ったのだが、

畑の状態が悪く、撤退を決意。

その後、宮城県大崎市に農地を得て再スタートを切るも、

販売先がなく、無農薬でつくっても地元JAに出荷するしかなかった。

今年、大地を守る会に米と野菜を出荷する

「蕪栗(かぶくり)米生産組合」 野菜部会に入ることができ、

ようやく落ち着いて野菜作りができるようになった。 

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いわきにはもう一ヶ所、

40㎞(原発からの距離ではない) ほど離れた場所に畑があって

そこは息子さんが 「残って、やる」 というので、任せることにした。

離れ離れでの農業になってしまったが、

それぞれ懸命に有機農業でやっていこうと思っている。

そんなわけで 「福島有機倶楽部」 は

2名のメンバーで何とか続けている状態である。

 


しかし、2軒の農家で続けているといっても、

原発事故によって販路はまったく閉ざされてしまった。

取引のあった団体からはほとんど断られ、

窓口を開き続けてくれたのは、大地を守る会だけである。

(現在、他は直売所での販売という状態。)

 

宮城では、減反田を借りることができ、土づくりから始めた。

まったく最初からの出直しで、土ができるのに 3 年はかかるだろう。

収量も上がらない中で続けている。

それでも、いずれ有機認証を取るつもりでやっている。

 

とにかくこの2年間は、

虚脱感や精神的ダメージから抜け出すのが精いっぱいだった。

とても佐藤佐市さんや、ジェイラップの伊藤さんのような

元気の出る話はできないです。 申し訳ないけど。

 

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「原発事故さえなければ」 と、つくづく思う。

放射性物質は、土や海を汚染しただけでなく、

人間に対しても内部被ばくという汚染をもたらした。

風評被害の影響は今も続いていて、

放射性物質「不検出」 のデータを示しても、なかなか売れない。

 

損害賠償をすればいいじゃないか、という人もいるけれど、

販売して得るお金と賠償金では、喜びが違う。

賠償金では、虚しさしか残らない。 心が蝕まれていくようだ。

何度も何度も、書類を用意しては交渉を繰り返し、ヘトヘトになる。

苦痛になって、諦めが出てくる。

野菜の種をまいた方が、よっぽど元気が出る。

 

原発は人間の手に負えない、とつくづく思う。

賠償金だけでは、心の被ばくを感じる。

 

今は、2 軒の農家で必死で続けている。

やり続けることから、突破口を見い出したい。

消費者の方々にお願いしたいことは、

「不検出」 だったら食べてもらうことはできないだろうか。

私たちは手を尽くし、種をまき続けるしかない。

そんな農民がいることを、どうか忘れないでほしい。

種をまき続けながら、原発に頼らない生き方を模索していきたい。

 

続いてジェイラップ・伊藤俊彦さんの話へと進みたいのだが、

すみません。 今日はここまでで。

 

心の被ばく・・・・・今もこの被害は続いている。

それは賠償の対象にはならない。

阿部さんを受け入れてくれた蕪栗の生産者にも感謝しながら、

数年後に、有機JASマークの貼られた阿部さんの野菜が届くことを、

忘れずに待ち続けたいと思う。

 



2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

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トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

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旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

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二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

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続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



2013年9月 7日

この田園に、たたかいの証しがある!

 

8月30日(金)、

後継者会議の現地視察途中で切り上げ、会社に戻る。

弥生ファームの皆さん、ごめんなさい。

 

実はこの日の夕方、福島県須賀川市では、

ジェイラップの 「全国農業コンクール 名誉賞・福島民報社賞

の受賞報告会が開かれていて、

伊藤俊彦さんから招待を頂いていたのだが、

出張で溜めてしまった仕事もあるし、翌日には放射能連続講座も控えていて、 

さすがに断念した。

羽田に戻ってその足で須賀川に向かえば

16時の開会に間に合わなくもない・・・

という思惑が捨て切れず、ギリギリまで迷ったのだった。

 

伊藤さんも忙しい。

受賞報告会には、須賀川市長から毎日新聞の福島支局長など

多数の来賓もあり、鏡開きでは何と、

原料米の契約栽培などでお付き合いのある酒造3社

(大和川酒造、金寶酒造、廣戸川酒造) の薦樽(こもだる) が3つ

並べられて行われたとのこと。

おそらく遅くまでたくさんの人に囲まれたことだろう。

しかも翌日は、大地を守る会の放射能連続講座のパネラーとして、

上京してもらわなければならないワケで。

ちなみに、大和川酒造店の樽酒は、

「種蒔人基金」 から提供させていただいたことも、お伝えしておきたい。

 

ここで放射能連続講座のレポートへと急がねばならないところなんだが、

先にこの写真をアップしておきたいと思う。

9月3日、実りの秋を前にする稲田地区の風景。

美しいでしょう、田が荒れてない。

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春にも書いた ことだけど、

伊藤さんたちジェイラップは、震災と原発災害後に減った耕作地を

見事に蘇らせていった。 

理論的根拠をもって除染し、科学的数値で米の安全度を示し、

自分たち(稲田稲作研究会) の米の信頼回復だけじゃなく、

地域全体の再生へと導いたのだ。

この田園は奇跡だ。 ここにこそ、たたかいの証しがある。

 

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伊藤さんは、8月31日には放射能連続講座で話し、

軽く一杯やってとんぼ帰りした後、

翌9月1日には、

チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんや

栃木の民間稲作研究所・稲葉光圀さんとともに、南相馬へと飛んでいる。

現地の農家たちと放射性物質の移行や除染の考え方について、

これまでの経験に基づく知見を伝え、今後の対策を話し合ったようだ。

この模様は、

9月22日(日)10:05~10:58、NHKテレビの復興サポート番組

で流れるとのこと。

 予告はこちら ⇒ http://www.nhk.or.jp/ashita/support/index.html#next

ジェイラップの農地除染風景も紹介されるかもしれない。

お時間ある方はぜひ!

 

9月3日は、収穫前にと、駆け足で立ち寄ったのだが、

伊藤さんは疲れも見せず、田んぼを案内してくれた。

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今年の出来もいい、と伊藤さんは胸を張る。

田植え時の水不足、7月の長雨と時にゲリラ豪雨、8月の猛暑を乗り切って、

手をかけたぶん期待に応えてくれる稲たち。

慈しみたくもなる。

 

ここは実験ほ場。

2年間耕作が放棄されて、草だらけになっていた田んぼだ。

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耕し直し、ゼオライトを投与し、反転耕をやって、もう一度ゼオライトを散布し、

放射性物質を封じ込める。

この作業によって周辺の空間線量も確実に下がっている。

子どもたちの内部被爆を限りなく防ぐ努力、でもあるのだ。

 

伊藤さんの心に、春はまだ戻っていない。

たたかいの終着点は見えないけど、

「いつか孫に褒めてもらえる仕事をしておきたい」 という願いは、

立派に果たしたんじゃないか。

本当に頑張ったと思う、ジェイラップの人たちは。

 

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すべての生命が讃えているよ、と

ポーズをとって迎えてくれたアキアカネに敬意を表して、記しておこう。

 

書いていて、後悔がぶり返してくる。

無理してでも、受賞報告会に行けばよかったなあ。

行って、天晴れ!のひと言でも発したかった。

ま、この思いは、10月26日(土) の収穫祭に取っておこう。

 

「稲田収穫祭」、現在募集中。

一般参加も大歓迎!!! です。

福島・中通りで起きた奇跡を、皆さんの眼で、しかと確かめてほしい。

案内と申し込みはこちらから。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html

 

すみません。

放射能連続講座のレポートは次回に。

 



2013年9月 4日

有機農業しかない!! だろう。

 

新規就農を支援しても、販路の開拓が難しい。

この悩みに特効薬はない。

前回の末尾の言葉はいかにも冷たいようだけど、

自分の経営規模やスタイルに合わせて考えるしかない。

例えば浅見さんたちのような多品種少量生産では、

個人・地域・直売所・地元の食品加工所といった相手がマッチする。

大地を守る会には仲間と共同での野菜セットか、

一定の生産量がある場合のみ単品オーダーが可能になる。

これが庄右衛門インゲンなら、

畑事情に合わせて出荷できる 「日本むかし野菜」 で受け入れ可能だ。

 

僕が言えることは、新規就農で

いきなり大きな流通組織に頼るというのは無理というか、

かえって危険だろうということだ。

地域を眺めてみてはどうか、可能性が見えてこないだろうか。

近場の地方都市に消費者はいないか、そんなはずはないだろう。

レストランやパン屋さんと連携して何か新しいモノや仕掛けが作れないか。

学校給食に交渉の余地はないか。

給食で採用されたなら、子供たちの食育を積極的にお手伝いしよう。

お年寄りのためにできることはないか・・・

見つめてみよう、地域を。 視野はちょっと広めに、異業種も含めて。

 

気候変動は激しくなっている。

TPP は仁義なき価格競争の世界をもたらしそうだ。

見えてくるのは食糧危機だというのも、頷ける。

そんな中で、この国の農業就業者はどんどんいなくなっている。

ピーク時に1,454万人いた農業者は、いまや239万人とされる。

16%にまで落ち込んだのだ。

しかもこの1年で、10万人以上減ったのをご存知だろうか。

農業者の平均年齢(65.8歳) をみれば、この流れは止まらない。

いま目の前で (正確には背後で)、雪崩は激しく進んでいるのである。

しかしその現象は、関心ない人の目には入らない。

 

一方、新規に就農した人の数は昨年 5.6万人。

これを二ケタにしないと収支が合わないわけだが、

それならそれで、たくさんのチャンスが広がっているとも読める。

有機農業従事者の平均年齢は全体の平均より5歳若い、

というデータもある。

後継者がいる率も高く、

何より有機農業に突出しているのは、新規参入者の多さだ。

いま新規就農を考える人のほとんどは有機農業を志向している。

これは何を意味するか。

 

ディスカッションではバラ色の未来は描けなかったけど、

後継者といわれる人たちの肩にかかってきていることはたしかなワケで、

いっちょやったろか、と胸を張って行こうじゃないか。

マーケットがない、ではなくて、マーケットに目を開かせるために、

あるいは地域住民を安定消費者に変えるために、

どうするかを考えよう。

 

次に、

ワシにも1時間、いや30分でエエ、発表の時間をくれ!

とプログラムにねじ込ませたのは、

高知県下の生産者をとりまとめる 「高生連」 事務局の田中正晴さんだ。

 

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田中さんは、高知大学の学生時代から

公害問題や原発建設への反対運動、自然保護などに取り組んできた。 

その延長で、自然塩づくりや有機農業のネットワークづくりに邁進する

人生を送ることになる。 

「この話を30分でまとめるのは大変なんやけど・・・」 と、

田中さんは高知での反公害・反原発のたたかいを一気に辿りながら、

県下での有機農業の歴史をかぶらせていく。

なるほど。

若者たちに、有機農業はたんなる  " 安全な食 "  生産の話ではない、

いのちを守るたたかいとともにあるんだと伝えたいのだ、と読んだ。

ここにも熱い男が一人、いた。

 

夜は楽しく飲み、

翌日は (株)弥生ファームの生産ほ場を視察。

生産法人名は 「(有)大地と自然の恵み」 。

10名の社員を雇用し、有機認定ほ場は 7ha に広がる。

 

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ニラのハウスに、出荷場。

ベテランの母ちゃんたちが素早い手さばきで調製している。

 

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ニラの正品一袋つくるのも、簡単ではない。

脇のオレンジ色のコンテナには、一見して、これも?

と思える葉がパッパパッパとはじかれていく。

こういう現場も、見なきゃ分からない。

誰ともなく、もったいないね、の言葉が漏れてくるのだが、

品質の安定とクレームの少なさが産地の評価につながる。

複雑な心境・・・ も忘れないようにしたい。

 

こちらはユズ畑。

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「弥生ファーム」 と 「大地と自然の恵み」(代表:小田々智徳さん)

の掲げる理念は、

① 自然界との共存共栄

② 有機農業者が誇りを持って農業に取り組める社会環境つくりに努力する。

③ 豊かな大地と自然を次世代に引き継ぐことができる総合的な環境つくりを行い、

  有機農業に携わる全ての人に恵みが得られるよう努力する。

 

毎年かわる天候に振り回されながら、

一本のニラ、一個のユズに、理念と苦闘の結果が表現される。

厳しい世界だよね。

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じっくりと回りたかったのだけど、

視察途中で一足先に帰らせていただく。 

 

解散時の記念写真は、農産チーム・市川泰仙提供。 

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後継者会議も10回目となり、年々少しずつ顔ぶれも違ってくるし、

時代とともに農業観も経営感覚も変化してくることは仕方のないことだ。

それでも、今日の君は先人たちの汗の上に立っているのである。

土台をしっかり踏みしめて、飛んでほしい。

社会の様相とデータが指している未来の方図は、有機農業である。

それは間違いない。

 

解散後、残った参加者たちは、オプションで設定された

木質ペレット・ヒーティングシステムの見学に回ったようだ。

 (株)相愛エコデザイン推進室の前田誠一さんが、

ブログで紹介してくれているので貼りつけたい。

 ⇒  http://soai-net.jimdo.com/

 

前田くん、実は大地を守る会の元社員。

OB が各地で頑張ってくれるのは、嬉しく、励みになる。

 

「第10回 全国農業後継者会議」 レポート、

終わります。

 



2013年9月 2日

『語ろう! これからの農業』 -後継者会議から(続)

 

「第10回 全国農業後継者会議」 報告を続ける。

 

有機農業の本質的な価値を受け継ごうとする浅見彰宏さんの基調講演に続いて、

浅見さんも含めた3名の生産者によるパネルディスカッション。

後継者といっても、今回お願いしたパネラーは、

すでに地域の牽引者として活躍する脂の乗った40代である。

テーマは、『語ろう! これからの農業』。

僭越ながら、コーディネーターを務めさせていただく。 

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まずは浅見さん、基調講演で言い足りなかったことや

今の課題、同世代に伝えたいことがあれば、と水を向ける。

 

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山間地での有機農業の意義と役割をしっかりと整理したうえで、

浅見さんは 「責任のないものにも責任を持つ生き方」 をしたいと語る。 

260年続いてきた水路を守るために奮闘するのも、

自分の田んぼのためだけじゃない。

地域を守ることは、農の役割の重要な柱だと考える。

だから新規就農者を支援し、「会津耕人会たべらんしょ」 のメンバーも

増やしていきたい。

そのためには、少量多品目栽培をベースにしながらも、

安定した販路も確保する必要があり、

これまであまり考えることのなかった  " 基幹作物 "  という視点も

取り入れる時期に来ているか、と思い始めている。

彼がいま考えているのは、在来品種 「庄右衛門インゲン」 である。

たしかに柔らかくて美味しいインゲンだ。

しかも自分たちで種を保全できる。

(注・・・大地を守る会では、「とくたろうさん」 改め 「日本むかし野菜」 に登録すると、

 この時期に何度か届きます。)

小さな農家で生きていきながら、次の世代に希望を引き継ごうと思っている。

 

続いては、高知県佐川町の田村雄一さん。

ニラ栽培と酪農を主体としつつ、「SOEL」(ソエル) という

有機農業研修組織をつくって若手育成に努める46歳。

会津耕人会の野菜セットに続く形で、

研修生たちが育てた 「高生連の tururu 河鹿の里野菜セット」 を届けてくれる。

毎回のていねいな包装に、

三浦さん夫妻の指導の証しが感じ取れるセットだ。 

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田村さんは30歳で脱サラし、農業を継いだ。

有機農業に転進したのは、お父さんの病死がきっかけだという。

高知県は単位面積あたりの農薬使用量が日本一の県で、

当時佐川町に有機農業をやっている農家は一軒もなかった。

「有機でやる」 と言ったとき、

周囲の言葉は 「田村は潰れる」 だった。

以来、潰れるワケにはいかない、と覚悟を決めてやってきた。

 

研修組織を立ち上げたのは、就農して3年でやめるパターンを見たこと。

自分の持っている資源・設備・労力を活用して、若手の育成をしたいと考えた。

現在、SOEL(サカワ・オーガニック・エコロジー・ラボラトリィ) には、

4名の研修生がいて、うち3名は県外からである。

課題は、入手できる土地が条件不利地ばかりであること。

そして新規組に販路がないこと。

地域農業全体の衰退と、諸費用の高騰も不安である。

新規就農者へのメッセージとしては、

いきなり高品質や多収穫を目指さず、未利用資源を有効活用しながら、

「しぶとく、無難に、そこそこに」、

まずは有機で飯が食えるようになること。

 

田村さんには高校生の息子がいる。

小さな時から農作業で遊ばせて、何かできるたびに、とにかく褒めた。

今ではそこそこの仕事はできるようになっている、という。

素晴らしい。

潰れるどころか、誰が農の未来を支えようとしているのか、

と言いたいところだろう。

 

3番手は、島根県浜田市から

「いわみ地方有機野菜の会」 の三浦大輔さん、40歳。

浜田市といっても、5市町村が合併してからは

日本海から広島県境まで至る広域の市となった。

三浦さんが住むのは浜田市弥栄町、旧弥栄村といえば山間地である。

やっぱ旧市町村を示さないと地域が見えてこないよね。 

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三浦さんが森林組合の勤めを辞め、地元に帰って農業を始めたのが7年前。

コンビニも信号もない、働く場所もない村に帰る以上、

地元に恩返しがしたい、仕事を創り出したい、と思った。

幸い佐々木一郎さんという先人がいて、

「いわみ地方有機野菜の会」 という組織がつくられていた。

この出会いによって、三浦さんは最初から有機農業で始めるのだが、

もともと有機農業をやりたかったのではなく、

地元で農業でやっていけるようにするために選んだのが、有機農業だった。

サラリーマンと同等レベルの生活ができる、儲かる農業がしたかった、

と本音を隠さない。

山間部で日照時間が短く、街への距離が長いため輸送コストがかかる。

野菜の価値でたたかえる有機農業でいこう、と考えたのだ。

こういう経営感覚で有機に参入する人が現われることを、

良い悪いと峻別してはいけない。

これは有機に力がついてきた証左であって、 問題はその次である。

同じ山間地で生きることを決めた浅見さんと三浦さんが

何を語り合いどうつながるか、だろう。

ちなみに、浜田市弥栄町 (弥栄自治区) が昨年発行した

有機農業普及パンフレット の表紙には、こう謳われている。

「山村だからこそ、有機農業。」

山村に若者がやってくる、有機農業者が増える、子供が生まれる、

そうやって何かが変わっていく。

 

三浦さんはハウスを1棟建てるところから始め、

最初の年に11棟まで増やした。

市も支援してくれて、現在では66棟。

面積にして1.3ha という規模にまで達し、

葉物野菜中心での周年出荷体制を確立させている。

常雇用が2名、パート・アルバイトが15名。

この経営は楽ではないだろうと予測もするが、

立派な雇用創出である。

経営のコツは? と尋ねてみた。

明快な答えが返ってきた -「ビジョンを持つことです。」

 

5年前、いわみ地方有機野菜の会は、全会員の出資によって

販売会社 「(株)ぐり~んは~と」 を設立した。

これによって販売先が広がる中でも、作ることに集中できるようになった。

 

もちろん、課題や悩みもある。

病害虫対策、品質の向上、新規就農者のための販路の確保と経営安定支援。。。

最近は調理をしない、包丁もないという家庭が増えているのが心配だ。

生鮮物だけで売れなくなっている。

年間品目を増やして、いろんな生活スタイルやニーズに対応した

供給力をつけていきたい。

近年、夏が長くなってきている感じがしていて、

ハウスを回していく (栽培作物を変えながら年間出荷計画を立てる)

のに狂いが生じたりすることがある。

 

さて、会場とのやり取りでは、

販売会社立ち上げまでの経過や、山間地での水の確保の問題などが

話題に上がったが、一番集中したのは販路の問題だろか。

一般市場での有機農産物の販売は伸びてなく、

既存の団体や販売先はベテラン組が押えてしまっていて、参入できない。

また隙間を狙おうとすると旬を外すことにもなり、

結果的に生産コストが上がる。 何を作ればいいんだろう。

結局、新規就農者を育てても・・・という閉塞感や焦りがある。

このテーマについては、パネラーと言えども明快な答えがあるわけではないが、

いくつかのキーワードがメモられている。

増えてない、ということは減ってもいないわけで、充分に可能性はある。

まずは地域、地場に目を向ける、など。

 

議論をいま振り返って思うことは、

これはいつの時代にもついて回った悩みだった、ということだ。

時にブームのように伸びた時期もあったが、その次には必ず壁があった。

有機農業運動草創期の生産者の悩みに答えたのが

「大地を守る会の設立」(1975年) であったように、

ブームの兆しを捉えブレイクさせたのが 「らでぃっしゅぼ~やの設立」(1987年)

であったように、 

新たなムーブメントを起こすか、あるいは地域を掘り下げるか、

戦略は自らの生き方の延長線上に、あるはずだ。

有機農業推進法ができて、就農支援制度までつくられた時代にあって、

販路拡大の知恵まで先人に頼ってはいけないんじゃないか。

 

続く。

 



2013年9月 1日

ボクが百姓になった理由(わけ) -全国農業後継者会議から

 

週の後半から4日間、外出が続いた。

8月29(木)-30(金) は、高知で 「第10回 全国農業後継者会議」 を開催。

北は宮城から南は沖縄まで、

60名の農業後継者や新規就農者、そして研修中の若者たちが集まった。

(中には60を超えての 「新規後継者」 もいたけど、

 全部若者ということにしておきたい。)

 

続いて31日(土) は 「放射能連続講座Ⅱ-第6回」。

福島の生産者3名をゲストに招き、語ってもらった。

そして今日は、そのゲストの一人、二本松市の佐藤佐市(さとう・さいち) さんを

埼玉県飯能市の 「自由の森学園」 にお連れした。

佐市さんの野菜をずっと学園の食堂で使っていたのだが、

原発事故によって途絶えてしまっていた。

それでも今回の講座をきっかっけに動いてくれた先生がいて、

この機会に 「久しぶりに、ぜひ学園にも」 という話になったのだった。

佐市さんも大変喜んでくれたので、

ここは勝手知ったる飯能ロード、運転手を務めさせていただいた次第である。

講座にも、理事長はじめ6人の先生が参加してくれた。

 

実に濃密な4日間だった。

こういうイベントフルな日程を終えたあとは心地よい疲れを楽しみたいものだが、

間を置くと書けなくなるので、ちょっとずつでも順番に振り返ってみたい。

 

まずは 「全国農業後継者会議」 から-。

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会場は高知市内のホテル。

例によって、藤田代表の冒頭挨拶。

 

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「農業は命を育む産業だと思っている。

 農民には魅力的な人が多い。 それは日々生命に触れているからだろう。

 安倍首相はTPP参加を表明したが、

 世界は戦争への危機や石油の枯渇、異常気象など、極めて不安定な時代に入っている。

 食糧危機も迫っていると言われる中で、

 どうやって食の生産基盤を守っていくかが鍵である。

 自分の意思で、意欲を持って農業を選んだ皆さんこそが、次の時代を創る。

 大地を守る会も、皆さんと消費者をつなげながら、

 ただ単独で頑張るだけでなく、

 買い支える力を強化していくために、たくさんの仲間を増やしていきたい。」

 

今回の幹事を引き受けてくれた、高知・弥生ファームの

小田々仁徳(おだた・まさのり) さん。

昨年、秋田県大潟村で開催した際に、次は高知で、と真っ先に手を挙げてくれた。

 

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「原発、TPP、歴史的豪雨に干ばつなど、

 日本は大きな変化に見舞われていますが、変化に対応しつつ、

 みんながつながって、大きな力になってたたかっていくことが大事です。」

 

今年の生産者会議には、

事業提携したローソン社の方も顔を見せてくれている。

代表して挨拶される(株)ローソン常務取締役、加茂正治さん(写真右端)。

加茂さんは、(株)大地を守る会の取締役でもある。

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ローソンはこの春、" 健康を応援する "  宣言を発し、

野菜を食べようキャンペーンを開始した。

「10年かけて、ホンモノだと言われるようになりたい」 と決意が語られた。

 

さて、本番。

今回の基調講演は、本ブログでもお馴染の方。

福島県喜多方市から参加してくれた 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

彼自身の農園の名は 「ひぐらし農園」 と言う。

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千葉県出身。

大手の鉄鋼メーカーに就職するも、

1993年の大冷害をきっかけに農業に関心を持つようになり、2年後に退社。

埼玉県小川町の金子美登(よしのり) さんの農場での研修を経て、

1996年7月、喜多方市山都町に移住、就農した。

以来17年、夏は農業、冬は造り酒屋(大和川酒造店)での蔵人として働く。

 

今回の基調講演のタイトルは、

ぼくが百姓になった理由(わけ)・・・山村で目指す自給知足』

 

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浅見さんの山間地へのこだわりは、彼の有機農業観からきている。

有畜複合経営で少量多品種栽培、資源の地域内循環と地域内自給、

自然との共生、生物多様性の維持など、

彼が求める農の形態を持続的に営むためには、

水源地の保全や里山の適切な維持管理(利用すること) が必要である。

山間地の保全は下流域の環境を守ることにもつながっていて、

その意味でもそこは多数の小規模農家 (山林も守る複合経営農家)

の集合体である方が健全な形だということになる。

わずかな人数の大規模農家で維持できるものではない、

というか大規模化自体が不可能な場所なのだから。

それは自給をベースにした有機農業のスタイルに合う。

 

土地と風土を活かした自給的暮らしを土台として、

地域での暮らしや共同体存続のお手伝いをしながら、

山間地農業の振興に貢献する。

それが 「ひぐらし農園」 の社会的役割だと、浅見さんは語るのだった。

浅見さんが2000年からボランティアを募って維持してきた堰(せき) は、

今や都市生活者とつながる水路の役目を果たしている。

 

3.11で福島の農家が直面したことは、

環境の破壊のみならず、生産と消費の間での信頼の崩壊をもたらし、

避難を余儀なくされた人たちにとってはふるさとの喪失であった。

あらためて食の安全とは何かを考えさせられ、

到達したのは、「未来へつなぐ」 という社会的役割を放棄するわけにはいかない、

という心境だった。

放射能から逃げるのではなく、向き合い、耕し続けると決意した。

 

幸いにも、放射能の作物への影響の研究が進み、

日本の土壌では作物への移行は極めて少ないことが判ってきた。

このことに感謝し、未来へつなぐための新たな仕組みを創り出してゆきたい。

最初に目指した 「自己実現」 から、地域づくり、そして共生の社会へ。

 

経済原理からみれば条件の悪い、人もいなくなっていく山間地に

新規の就農者としての役割を見い出し、地域活性化に挑む。。。

それぞれに土地条件は違っても、

農の持っている役割や力は共通である。

都会から山間地に就農して17年。

今や地域になくてはならない存在になった先輩からの、力強いプレゼンだった。

 

すみません。 今日はここまで。

続く。

 



2013年8月25日

郷酒(さとざけ)、3年連続「金賞」受賞!

 

昨日は、夕方から飲んだ。

しかも  " とりあえずビール "  などない、

のっけから日本酒一本。

 

我らが銘酒 「種蒔人」 の蔵元、大和川酒造店(福島県喜多方市) の

『大吟醸 弥右衛門(やえもん)』 が、

全国新酒鑑評会で見事、金賞を受賞した。

しかも3年連続という快挙だ。

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したがって、祝う会も3年連続。

当然のごとく、" 日本酒でカンパイ!"  の夕べとなる。

 

毎度書いてきたことだが、大和川酒造のこだわりは、

その土地の米で酒を醸してこそ 「地酒」 であろう、という哲学である。

東北での栽培は無理と言われてきた酒造好適米 「山田錦」 を

自社田「大和川ファーム」 で育て、地の水、地の技で最高の地酒に仕上げる。

そして  " この酒で獲ってやる "  と決めた全国での金賞獲得。 

弥右衛門さんは、この意気地を込めた酒を 「郷酒(さとざけ)」 と表現し、

地酒に代わる言葉として世界に広めたいと企んでいる。

 

というワケで、

第3回 「郷酒を楽しむ会」、の開催。 

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会場は、有楽町にある日本外国特派員協会。

 

挨拶に立つ、九代目・佐藤弥右衛門さん。

「金賞を祝う会」 にすると来年できないかもしれないので・・・

と笑いを取って、

「金賞は、続けて取ってこそホンモノと言われる。

 郷酒は3年連続。 正真正銘の金賞酒として誇りたい」

と胸を張った。

あっぱれ、大和川酒造店!

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最初の来賓挨拶に指名されたのは、

環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也さん。

 


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「長州人の私が会津に足を運ぶようになったのは、弥右衛門さんのせいです。

 最初は殺されるかもしれないと恐怖も感じたけれど、

 会津でのエネルギー自立運動に少しでもお役に立てたなら、

 かつて会津を賊軍に落としこめたことへの、私なりの罪滅ぼしにもなるかと。

 東電から水系を取り戻すたたかい、やりましょう!」

 

そしてあろうことか、乾杯の発声に指名されてしまった。

開会5分前に、「エビちゃん、カンパイ、ヨロシク」 という無茶振り。 

もう、勘弁してよ。。。

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大和川さんとのお付き合いも、ついに20年になった。

忘れもしない、平成の大冷害と言われた1993年。

一枚でも多くの田んぼを残したいと、

稲田稲作研究会の伊藤俊彦氏(当時は農協職員) と一緒に乗り込んで、

「俺たちの酒を造ってほしい」 と頼み込んだ。

当時専務だった佐藤芳伸さん(現在の弥右衛門さん) は、

拍子抜けするくらいの一発回答で受けてくれて、

そうと決まったら、とラーメンを食いに出た。

 

あれから20年。

大和川酒造はどんどん人脈を広げ、

ニホンシュの命運を背負って世界にまで飛び出した。

 

2011年の春。

原発事故の影響が予測しきれないまま米づくりに突入したのだが、

万が一を心配して大和川ファームが原料米栽培を引き受けてくれて、

稲田(須賀川) で育ち始めた苗を会津まで運んだ。

大和川さんから無事田植え完了という知らせを受けたとき、

僕は今年の米で造られた 「種蒔人」 をゼッタイに忘れない、と肝に銘じた。

米づくりがリレーされたお酒って、前代未聞のことだろう。

 

奇しくも、3年連続金賞の快進撃は、この年から始まった。

さらに会津電力へと弥右衛門さんのたたかいは続く、郷酒とともに。

これは未来への希望をかけたたたかいである。

挑み続ける大和川酒造店に与えられた金賞の栄誉と、

郷酒に連なるすべての人たちのご健勝を祈念して、乾杯!

(・・・という感じで、何度も噛みながら。)

 

楽しむ会には、超ビッグなゲストが招かれていた。

能楽囃子大倉流大鼓(おおつづみ)奏者、重要無形文化財総合認定保持者、

能楽師の 大倉正之助 さん。 

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生で聴く大鼓の迫力に、会場は一瞬にして圧倒される。

ローマ法王に招聘されてクリスマスの日に宮殿で独演したという雲上の人の演奏が、

郷酒をいっそう奥深いものにしてくれる。

能楽なんてさっぱり分からないけど、

これは一度ちゃんと鑑賞する必要があるなあ・・・

なんて感じ入っていたら、大倉さんのほうから声をかけてくれた。

「大地を守る会の初代会長・藤本敏夫さん(故人)は、よく聴きに来てくれたんですよ」

だと!!!

感激の極みで、1枚お願いする。

我ながら、面の皮が厚い。

 

宴たけなわの中で、アナウンスがあって壇上を振り返れば、

これまたテレビや雑誌でしか見たことないお方の登場。

世界的ファッションデザイナー、コシノジュンコ女史ではないか。

 

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私と大和川さんの関係は・・・

写真を撮るのに焦って、どういうご関係なのか聞き取れなかった。

まったくどういう関係なんだよ。

人脈はどこまで広がっているのか、恐るべし、佐藤弥右衛門。

 

佐藤和典工場長(杜氏) はじめ、晴れの舞台に立つ蔵人たち。

米の種まきから始まり(厳密にはその前作業から)、

実際に造ったのは、俺たちだ! 

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一段と高まる拍手。 

一人一人、胴上げしてあげたいくらい。

 

楽しむ会のあとも場所を替え、

酒客たちは日本酒で何度もカンパイするのだった。

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郷酒とともに拓かれていく未来に、広がっていく希望に、

もう一回、乾杯!

終わんないね・・・

 

最後にお知らせ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

大和川酒造での酒造り体験企画を準備中です。

袋絞りという伝統的手法で贅沢なお酒を一樽、一緒にやってみませんか。

もちろん部分的な体験でしかありませんが、

お米が並行複醗酵という複雑な工程を経て清酒に仕上がっていく世界を

体感し、最後はそれぞれにマイ・ラベルを貼って、

" オレの酒・私だけのお酒 "  を楽しみます。

贈り物にも使えます。

会報誌 『NEWS大地を守る』 12月号にて告知します。

乞うご期待。

 



2013年8月21日

営まれてこそ続く未来への財産

 

斎藤さんの田んぼを後にして、

次に訪れたのは 「トキの森公園」。

 

ここでトキ保護から野生復帰までの歴史を辿ってみると-

大英博物館がトキに 「ニッポニア・ニッポン」 という学名を付したのが 1871年。

日本の特別天然記念物に指定されたのが 1952年。

国際保護鳥に選定されたのが 1960年。

佐渡・新穂村に 「トキ保護センター」 が開設されたのが 1967年。

1981年、佐渡に残っていた野生のトキ 5羽を捕獲し、センターで飼育を始める。

以降、中国から借りたりもしながらペアリングを試みるが成功せず。

1989年、中国で初めて人工ふ化に成功。

1994年、保護センターを含める形で 「トキの森公園」 がオープン。

 一般公開が始まる。

1999年、国内で初めて人工繁殖に成功。 「ユウユウ」 誕生。

2003年10月10日、日本最後の野生トキ 「キン」 死亡。 享年36歳。

2007年、11ペアから14羽のヒナが育つ (自然繁殖11羽)。

2008年9月25日、10羽のトキが野外に試験放鳥される。

 以降、今年の6月まで8回の放鳥が行われた。

2010年、放鳥トキの営巣確認。 産卵が確認されるもふ化せず。

2012年4~5月、自然界で36年ぶりのヒナ誕生が確認される。

 

これまでに放鳥された数、125羽。

うち 70羽が生存しているとされる。

野生化で誕生したトキの数、22羽。 うち12羽が生存中 (6羽死亡、4羽は収容)。

 - 以上、パンフレットおよびHPから -

 

自然に放たれるのを待つトキたち。

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トキはコウノトリ目だと理解していたが、

数年前にペリカン目に変更されたことを初めて知った。

この違いは何なんだ。 

今度、陶ハカセに会ったら聞いてみよう。

 (それくらい自分で調べろ、と言われそうだけど・・・)

 

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さて、ペリカン、じゃなかったトキのおさらいをしたところで、

ここなら運がよければ野生トキが見えるかもしれない、

というスポットに案内される。

「あくまでも、運がよかったら、ですからね」

渡辺課長に念を押される。

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なるほど。 水辺があり、営巣できる森がある。

しかも巣に戻ってくる夕方の時間帯。

さあて、本日の我々の運力やいかに。

 


あの林のあの木の上のほうに白いものがチラチラ、見えない?

いやあ見えないなあ、巣じゃないかなあ・・・

とか言い合いながら、10分ほど待っただろうか。

誰かが叫んだ。

「来た!」

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オオー! と歓声が上がる。

コンパクトカメラのズームでは、ここまでが限界。

一羽発見で喜んでいるのも束の間、

続いて4羽の編隊が帰って来た。

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田んぼの上を悠々と舞うトキ。

驚きの声が、ゆっくりと感動のため息に変わる。

 

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この風景を取り戻すのに約半世紀。

時代に抵抗するかのように棚田を復元し、餌場を増やし、

トキと共存する環境を蘇らせてきた。

大の大人たちが、数羽の野鳥を見て感慨に浸っている。

失っていた大事なものを、少しは見つめ直すことができただろうか。。。

 

島に復活したニッポニア・ニッポンと、どう暮らしていくか。

米が高く売れるなら、といった算盤ではすまないよね。

このペリカン目の鳥を眺めては、島のありように思いを巡らせたりしながら、

島の人々は生きていくことになるんだろう。

何かが試されている、のかもしれない。

 

「皆さん、何か(運を) 持ってますねぇ」

とおだてられ、とてもイイ気分になって、

「また来るから。 元気でいてね」 と、トキに別れを告げる。

 

途中、斎藤さんが昨年からチャレンジしている

自然栽培の田んぼに立ち寄る。

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『奇跡のりんご』 で話題の木村秋則さんの指導を受けて、

2枚の田んぼで始めている。

木村さんについては、ここでコメントは控える。

話を聞いて、「試しにやってみるか」 という斎藤さんの探究心にこそ

真髄があるので。

来年、再来年、あるいはその先の結果が、

何かを教えてくれるだろう。 

 

夜は露天風呂のある温泉宿で楽しく懇親会をやって、

翌8月18日(日)。

千葉孝志さん、マゴメさんと別れて、我々「米プロ」 一行は、

斎藤さんの車で、棚田保全に取り組む NPO法人を訪ねた。

 

岩首(いわくび) という地区で、

廃校となった小学校を借りて運営されている

「NPO法人さど 岩首分室」。

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ここでガイドしてくれたのは、佐渡棚田協議会会長、

" 棚田おじさん "  の愛称で呼ばれている大石惣一郎さん。

 

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集落内の名所 「養老の滝」 を見て、 

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大石さん自慢の 「岩首棚田」 を登る。 

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眼下に碧い海を望む。

2011年、日本でいち早く 「世界農業遺産(GIAHS)」 に登録された、

佐渡を代表する棚田。

初めて来た土地なのに、懐かしさのような感情が涌いてくる。

この 「遺産」 は、博物館でも史跡でもない。

人の暮らしとともに息づいているからこそ、

愛おしくなるのではないか。

営まれているからこそ続く、未来への資産である。

 

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「美しい村など、はじめからあったわけではない。」

民俗学の泰斗、柳田國男の言葉だ。

 

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先人たちの汗の賜物、営々と受け継がれてきた宝物を、

この国は  " 生産効率 "  という近代経済のモノサシで捨て去ろうとしている。

大丈夫かニッポン・・・・・ 遠くを見つめるエビであった。

キマってない? 失礼しました。

 

では、棚田と日本海をバックに記念撮影。

気分を変えて、棚田ヤンキー参上! でいきましょうか。

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法(のり) には、ミソハギが咲いている。

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お盆の頃に咲くので盆花とも言われている。

あえてこの草は刈らずに残すんだそうだ。

あぜの花もまた、郷愁を誘う脇役である。

 

駆け足で佐渡金山にも立ち寄って、帰途に着く。

最初から最後まで、ずっと案内してくれた斎藤真一郎さんに深く感謝。

 

来年、佐渡ツアーを実現させることを約束して、

島を後にする。

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2013年8月19日

朱鷺の舞う島へ

 

・・・やってきた。 

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大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーたちと組んだ、

公式ツアー企画を検討するための予備調査も兼ねての訪問。

僕にとって佐渡は、11年ぶり である。

 

8月17日(土)、7時48分発Maxとき307号で新潟へ。

新潟港からジェットフォイルで65分、

昼過ぎに佐渡島の真ん中に位置する両津港に到着。

港で出迎えてくれたのは、

佐渡 「トキの田んぼを守る会」 代表の斎藤真一郎さんと

大井克己さん、土屋健一さん、そして

佐渡市農林水産課長の渡辺竜五さん。

渡辺さんが市のマイクロバスを用意してくれて、運転手まで買って出てくれた。

 

港では、お米の仕入・保管・精米等でお世話になっている (株)マゴメの

馬込和明社長も合流。

さらには、なんと宮城県大崎市から車を飛ばして、

「蕪栗(かぶくり) 米生産組合」 代表の千葉孝志・孝子夫妻まで

駆けつけてくれた。

千葉さんも実は、生産組合の視察企画を考えての佐渡入りである。

そしてバスに乗り込めば、

佐渡の平たねなし柿の生産者、矢田徹夫さんが

笑顔で待ちかまえていた。

「矢田さんじゃないスか! いやーご無沙汰です。 お元気そうでなにより!」

この面子がそろっただけで、充実の交流が約束されたようなものだ。

 

まずは腹ごしらえ。

佐渡のB級グルメとして売り出し中の、佐渡天然ブリカツ丼。 

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佐渡の海で獲れた天然ブリに、

米は 「朱鷺と暮らす郷づくり認定ほ場」 で栽培されたコシヒカリ。

衣はその米粉使用という " オール佐渡 "  のこだわり。

その土地の食を記憶させることは、旅の大事な要素である。

しかも、庶民も気軽に食べられるお値段であることがキモだ。

" B級 "  にもちゃんとしたコンセプトがある、ってことね。

ウマかったです。 ご馳走さまでした。

 

さて、豪華メンバーとなった我々一座は、

両津から加茂湖を右手になぞりながら島の南側・小佐渡山地へと

入っていく。

朱鷺湖と命名されたらしい小倉川ダム湖からさらに上流に登り、

到着したのは、小倉千枚田。

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1969年から始まった減反政策以降だんだんと耕作放棄されてゆき、

荒廃地になってきたところを、5年前に復活のための支援が呼びかけられ、

オーナー制度 「トキの島農園小倉千枚田」 がスタートした。 

 

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田んぼごとにオーナーの名札が立てられている。

オーナー1口(1区画) 3万円で、30㎏のお米が届けられる。

募集した65口のオーナーは、すぐに予約が埋まったほどの人気である。

おかげで田んぼは90枚近くにまで復活した。 

それにしてもこの傾斜、小さな機械しか入れられない。

草を刈り、畦を塗り直し、水路を補修して、、、

かなり厄介な作業だったろうと推測する。

 

棚田の解説をしてくれる渡辺課長。 

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渡辺さんの話によれば、佐渡の棚田は、

金山発見によるゴールドラッシュの賜物である。

採掘の労働者はじめ人口が増え、米の需要が高まるにつれて、

棚田が開かれていったのだという。

しかも佐渡には自作農が多かった。

だから守ってこれたのだとも。

 

中には、こんな奥にまで、とビックリするような場所にも

田んぼがあったりするらしい。

いわゆる  " 隠し田 "  というやつか。

金山が発見されたのは、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)。

江戸幕府は佐渡を藩とせず、天領として直接統治した。

流人や無宿人も含め増える人口に対して、

秩序を保つためにも食糧は厳しく取り立てられたに違いない。

隠し田という言葉には、農民が刻んだ深い皺の、

その溝の奥に染み込ませた執念を思わせる響きがある。

 

よく見るとまだ荒地も残っていたりするけれど、

まあ見事に復田させたものではある。

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話を聞かされると、僕も一口、という気になるのだが、

その前に食べなきゃいけない、約束の米がたくさんあって。。。 

 

一角で、畦を野焼きしている作業が見られた。 

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野焼きは禁止された行為ではないか、と思われるかもしれないが、

農地や草地、林地の現場では、その必要性と効果は認められてきたものだ。

焼くことによって地表の植物が焼失し (地下部分は生きている)、

優先種による支配への遷移を防ぐ。

枯れ草もなくなり、裸地になって炭や灰が残る。

黒くなった地面に直接日光が当たると地温が上がり、

地中の微生物が活性化される。

それまで支配しつつあった優先種がいなくなったことで、

様々な埋土種子が発芽してきて、植物の種類が多くなる。

植物の種類が増えると昆虫の種類も増える。

窒素量が増加し、灰分とともに植物の栄養となって利用される。

その意味で、野焼きはただ草を刈るよりも生物多様性を高める。

適度にかく乱してやったほうが生物多様性が高まることを、

中規模攪乱説という。

 

また炭は長く土中に固定される。

CO2を吸収して育ち、炭となって土の浄化を助ける。

カーボン・オフセットという概念にも含まれる技術であって、

農林草地の野焼きは、CO2の増大を招くものではない。

ゴミを燃やしているワケでは決してないのだ。

 

山から下りて、斎藤さんの田んぼを見せていただく。

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冬水たんぼに江(え) の設置など、生き物たちのために田んぼを活かす。

経済的な生産性追求でない、もっと大きな世界と共存するための手仕事を、

米価低迷の時代にあって実践する人たちがいる。

僕らはこの外部経済 (それがあることによって、その商品価値以外の価値が守られている)

の意味を、ちゃんと問い直さなければならない。

 

ただ冬水たんぼは、けっして良いことだけではないようである。

収量や食味の点から見ても、3年目から弊害が出てくる、と斉藤さんは語る。

草の出方にも傾向があるようで、この技術を活かしきるには

もっと実践者同士の技術交流が必要なようだ。

 

斉藤さんの説明に反応し、自らの経験からアドバイスを送る

宮城の千葉孝志(こうし)さん (写真中央)。

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田んぼの縁にもう一本の水路をつくり、

田んぼを干した時にも水生生物が生きられる場所を用意する。

この 「江(え)」、ビオトープは、仲間の共同作業でつくられたものだ。

 

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トキの野外復帰を進め共存する、と口で言うのは簡単だけど、

このフィールドは国立公園内の話ではない。

これは一次産業者たちの暮らしとともに実現させるプロジェクトなのである。

僕らのベスト・タイアップは、どんな形なのだろうか。。。

 

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思いを深めるには、現場をもっと知らなければならない。

いや感じ取る必要がある。

 

さあ、トキを見に行こうか。

 



2013年8月13日

戦車からトラクターへ

 

今日は旧暦(太陰太陽暦) 七月七日、本来の七夕の日。

七夕とは秋の季語でもあり、やはり七夕はこの日にしたいと、

月のカレンダーがそれとなく主張している。

 

今年はお盆休みも取れず、

仕事、会議、仕事、会議、合い間に出張・・・ みたいな日々。

強がって仕事中毒を自慢したりしながら。。。

 

8月13日。

今夜、郷里では、春に急死した高校の同級生を偲ぶ会が開かれた。

仲間内の電話・メールだけで25人集まったとの連絡。

3年前に開いた同窓会では幹事を務め、

二次会のカラオケで一緒に河島英五の 『時代おくれ』 を歌った。

元野球部で少々いじられキャラのイイ奴だった。

今朝は早くに、帰省途中の女子(いつまで経っても女子) から

「エビちゃんは出るんやろな」 のメールもあって、

ますます無念な気持ちが募る。

やっぱ、こういう義理は欠いてはいけないか。

 

関東から、一人でヤツに杯を捧げる。

こうやって人との別れを経験しながら、

僕らは生の意味をたしかめていくんだろうか。

僕のなかでは、ヤツは今も生きていて、楽しげにジョークを飛ばしている。

御霊を迎え、交信し、送るお盆の儀式が、どこにいても蘇る。 この時期になると。

お遍路の国で育った DNA なのかな。

N へ- ちゃんと帰れよ、またね。

 

さて、変わり種の新規就農者を一人見つけたので、

ご紹介しておきたい。

 

沢木勇一、43歳。

 

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元陸上自衛隊員。

PKO(国際連合平和維持活動) 支援で、

ゴラン高原(イスラエルとシリアの国境地帯) に派遣されたという男。

戦車に乗ってたという。

除隊して2年間、

千葉県 「さんぶ野菜ネットワーク」 の常勤理事・下山久信さんのもとで研修を重ね、

今年の春、農地を得て独立した。

 

就農への動機を聞けば、

子供が生れ、しっかりと大地に根づいた暮らしをしたいと思った、とのこと。

「今度、ゴラン高原の話を聞かせてください」 とお願いした。

 

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人参の播種前に水をくれている。

なかなか丁寧な作業をしていると思った。

教えられた手順を頭に入れる+状況に応じた対応能力

+手抜きをしない勤勉さ、が農家に好かれるコツだ。

簡単に言っているけど、これが実に一筋縄ではいかないのである。

 

農林水産省の新規就農総合支援事業の青年就農給付金に

何とか間に合ったと、

研修から農地斡旋まで世話を焼いた下山さんは安堵している。

就農時年齢で45歳までという条件で、

年間150万円(2年間限定) の助成が得られるのだ。

 

沢木さんは地主さんにも気に入られたようで、

あそこの畑も使ってくれと頼まれたりして、

いきなり2町歩(=ha) の農地を任された。

 

「 いや、やる気ある。 なんたって覚えが早いんだ。

 やっぱ戦車扱ってたからな、筋が違う・・ 」

と独自の理論を展開する下山さん(下の写真左)。

嬉しそうだ。

 

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新規就農者が、いきなり有機農業で2ヘクタール。

「時代は変わるよ、エビちゃん」

と下山久信は将来を見据える。

沢木さんの後ろの畑では、麦が植わっている。

有機農業は土づくりから。 教えを守っている。

 

借りたハウスでは、薬剤を使わない太陽熱での土壌殺菌。

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しかし、有機栽培の本当の苦労はこれからなんだよね。

 

途中、さんぶ野菜ネットワーク理事長の富谷亜喜博さんの畑に立ち寄れば、

炎天下の中、こちらも二人の研修生に指南の真っ最中。

 

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ロープワークひとつとっても、

サッとやって、こうやるのよ、と言われても、エッ?

という感じが伝わってくる。

でも若者たちも、数時間後には当たり前にこなすようになるのだ。

 

世の中に悲観ばかりしている場合ではない。

それぞれのフィールドで、みんな何かをつなげようとしている。

故郷のご先祖や同級生への不義理に対する弁解じゃないけど、

僕もここで頑張ってるから、とは言わせてくれ。

 



2013年7月20日

ジェイラップ、「全国農業コンクール」 名誉賞受賞

 

7月18日、

日本における農業の先駆的活動を顕彰する

「全国農業コンクール」 の第62回全国大会が、福島県郡山市で開催された。

毎日新聞社とその年の開催自治体の共催で実施されてきたもので、

歴史と規模(全都道府県の予選から進められる) からいっても、

国内最大の農業コンクールと言われる。

 

その今年の全国大会で、

「大地を守る会の備蓄米」 で深いお付き合いのある

ジェイラップ(代表:伊藤俊彦氏) が、

見事、名誉賞(農林水産大臣賞・毎日新聞社賞) ならびに

福島民報社賞(共催新聞社の最高賞) を受賞した。

惜しくもグランプリ(毎日農業大賞) は逃したが、

銀メダルに相当する栄誉である。

毎日新聞の発表記事はこちらから。

 ⇒ http://no-kon.com/contents/topics34 

 

地元紙 「福島民報」 1面トップでは、最終候補 20団体の発表(プレゼン) に触れ、

ジェイラップはこう紹介された。

「 稲田アグリサービスとジェイラップは原発事故後、

 放射性物質の特性などを学び、放射性物質の検査機器導入や、

 農地の反転耕対策の事例を取り上げた。

 コメやキュウリなどを栽培しており、

 放射性物質に対するきめ細かな情報発信で農業を継続した実績などをアピールした。

 伊藤俊彦社長(55) は 「今後も地域の農地除染などを通して

 原発事故の不安解消のために努めたい」 と喜びを語った。」

 


同じく社会面では、 『福島の「農」 底力発信』 の見出しが踊っている。

こちらからも一部、抜粋させていただきたい。

「 地震で農地に被害が出た上、風評被害で居酒屋チェーンなどの取引先や

 個人客が離れ、年商は大幅にダウンした。

 除染の効果が本当に出るのか、心配で眠れない夜もあった。

 それでも逃げ出さなかった。

 マニュアルのない道を歩くのは慣れていた。

  「学ばなければ進化はない」 と、ひたすら打開策につながる情報を集め、

 それを実践することで逆境を乗り越えていった。

 県内最高賞を手にし、責任の重さを感じている。

 これまでに得たノウハウを地域の農地除染に生かす活動を計画する。

 その一方で新たな挑戦として野菜の乾燥加工事業を拡大する考えだ。

  「今後も諦めの悪い人生を送っていきたい」 と自分を鼓舞した。」

 

「諦めない」 と言わず、「諦めの悪い人生を送りたい」 と言うあたりが、

伊藤俊彦のワルなところだ。

 あの田園地帯で、いったいどんな青少年期を過ごしたのか。

生産者の誰に聞いても、「あれは突然変異」 としか答えてくれない。

まあ生態系では、常にわずかな確率で突然変異体が生まれ、

それが多様性や進化を促してきたものではあるけど。。。

 

なお、この農業コンクールでは過去、

お付き合いのある以下の生産団体・個人が

受賞していることも付け加えておきたい。

昨年の61回大会では、やさか共同農場(島根) が名誉賞+ グランプリ

の栄冠に輝いている。

59回では、イチゴの戸村弘一さん(栃木) が名誉賞。

57回では、群馬のグリーンリーフが名誉賞と天皇杯をゲット。

55回では、無茶々園(愛媛) が優秀賞。

50回では、月山パイロットファーム(山形) が名誉賞。

この10年で確実に風が変わってきている、ということではないだろうか。

時代は我らに舵を求めてきている。

 

しかし、みんなシャイというか、別に宣伝することでもないしィ、という態度で、

だいたいしばらくしてから知らされる。

 (僕らも、権威あるコンクールにはアンテナ張ってないし。)

今回はたまたま、2週間くらい前に 「18日に寄ってもいいかな」 と連絡したところ、

「その日だけはちょっと・・・」 と口ごもるので、事態を知った次第である。

 

最終選考となる18日のプレゼンに、

伊藤さんは原稿も用意せず出かけたようで、

「これが失敗したかな」 と、ちょっとグランプリを逃した悔しさも滲ませる。

まあたしかに、この機会は1回だけだからね。

ここ(最終選考) まできちゃうと、逆に惜しいことをしたという思いも残るだろう。

「でもまあ準優勝のほうが、人生の目標がまだ先にあるってことで。。。」

おお、甲子園球児の心境だね。

 

ま、僕も嬉しい。

販売者として誇りすら感じる。

伊藤さん、ジェイラップの皆さん、生産団体である稲田稲作研究会の皆さん、

おめでとうございます!

眠れない夜を重ねながら走り続けて、

ほら、拓いた道を沢山の人が歩いてくるよ。

本当に皆さん、頑張ったと思う。

 

秋の収穫祭での話題がまたひとつ、増えた。

こうやって歴史が作られ、未来が切り開かれてゆく。

 

※ 今年の 「備蓄米収穫祭」 は10月26日(土) です。

   昨年同様、東京駅からバスを仕立てて向かいます。

   たくさんの参加で祝いたいと思います。

 



2013年7月 3日

今年も元気 で "たべらんしょ"

 

時候は梅雨の真っ只中にあっても、

夏野菜の畑仕事はいよいよ忙しくなってくる。

そんな折に、いよいよ夏近しか、

と僕らにスイッチを入れてくれるのが、会津からの便りだ。

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんから、

「会津の若者たちの野菜セット」 の予告に入れるメッセージが届いた。

ひと足早く、全文一挙掲載といきたい。

 

  震災から3度目の夏を迎えようとしています。

  畑では、3月11日に希望を込めて播いた野菜たちがすくすくと育ち、

  収穫の時を待っています。

  夜になると、田んぼの周りではすべての音がかき消されるほどの

  カエルの大合唱に包まれ、ホタルが盛んに飛び交っています。

  以前なら当たり前に感じていた農村の風景が、

  震災後はとても有難いものに感じられるようになりました。

 


  しかしこの2年余り続いている福島の農家の苦悩は、

  相変わらず解決の糸口がつかめていません。

  幸いなことに、放射能の農作物への移行は、

  一部のものを除きほとんどないことが判ってきました。

  これは予想を超えた土の放射能を固定する能力のおかげであると同時に、

  農家が汚染を真摯に受け止め、

  作物への移行を防ぐための栽培技術を、

  研究者と連携しながら追求してきた結果でもあります。

 

  しかし残念ながら今でも福島県産の農産物を敬遠する消費者は多く、

  市場価格も低迷しています。

  努力が報われない。

  思いが伝わらない。

  これこそが福島の農業、農家を苦しめ、

  そして農村を崩壊へと向かわせるもっとも危険な因子です。

 

  どうしたらこの状況から抜け出せるのか。

  それは福島のことをより多くの方に知ってもらうこと、

  福島をもっと身近に感じてもらうことしかないと、

  私たちは思っています。

  新しいつながりを創る。

  福島から新しい農業のあり方を発信する。

  それが私たち 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の新たなる目標です。

  

  今年もまた大地を守る会のご協力を得て、

  セット野菜を皆さんにお届けできることとなりました。

  ただ、私たちは単に美味しさや安心だけを届けるつもりではありません。

  この野菜たちを通して、多くの方に福島を想い、

  未来のあり方を一緒に考えるきっかけになってもらえたらと願っています。

  福島の豊かな農村が、これからも当たり前であり続けるために、

  皆さんとつながっていきたいと強く思っています。

  今年もどうぞよろしくお願いします。

 

写真も一緒に届いた。

遠く後方に万年雪を頂く飯豊山が見える。 

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写真の手前一番左が浅見彰宏さん。 右から二人目がお連れ合いの晴美さん。

後ろ右から二人目、犬を抱いているのが

チャルジョウ農場 2代目の小川未明(みはる) さん。

その右端が浅見さんと同じく冬は大和川酒造の蔵人となる板橋大くん。

そして研修生たち。

おや、手前一番右は東南アジアからのお客さん?

かと思ったら、福島県農業総合センターの研究員だった長谷川浩さんではないか。

震災後は福島県有機農業ネットワークの事務局長も務めていて、

ついに意を決して、ここ山都に就農された。

あのう・・・ 「若者たちの~ 」 なんですけど。。。

とまあカタい事言うのはやめときましょうか。

メンバーが増えることはイイことです。 受け入れましょう。

編笠、似合ってますよ。

 

この山間地で有機農業に挑む若者たちと出会って 6 年。

つなげてくれたのは、銘酒 「種蒔人」(たねまきびと)。

浅見さんやチャルジョウ農場主・小川光さんと出会い、

光さんから 「若者たちの販路がない。彼らにも販売の喜びと厳しさを経験させたい」

と託されて、できたのがこの野菜セットである。

今年もお届けできる喜びを、彼らと一緒にかみしめたい。

 

里山の環境を守り、未来にいのちをつなぐランナーたちへ。

今年も、あのオリジナル・ミニトマト 「紅涙」(こうるい) の感動を、

たくさんの人に届けてやってくれ。

 



2013年6月27日

未来のために、オレはやる!

 

この間飛ばしてしまったトピック -その2。

 

6月12日(水)

昨日本ブログに初登場したローソン・山口英樹さんを、

静岡県函南町の (株)フルーツバスケットにご案内する。

ジャムやケーキの工房の他、酪農王国の施設をご覧いただき、

代表の加藤保明さんも交えて、今後の農産加工の展開について意見交換する。

産地を下支えできる農産加工の進め方について。

視察と会談後、

山口さんはさらに焼津のほうに流れ、自分はとんぼ返り。

 

6月13日(木)

福島県須賀川市、ジェイラップ(稲田稲作研究会) を訪ねる。

 

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代表の伊藤俊彦さんの車で回りながら、

去年と微妙に違う様子に、少し胸が震え、慎重に尋ねた。

「田んぼ、増えてない?」

耕作地が増えたんじゃないか、という意味だ。

風景が、美しくなっている。

「 ああ、増えましたね。 俺たちがやってきたことが間違ってないと

 地域の人たちが認めてくれた結果です。」

 


震災と原発事故に見舞われた一昨年は、120 町歩(= ha ) を除染し、耕した。

昨年は 150 町歩の除染に取り組んだ。

ゼオライトをすき込んでの反転耕 (天地返し)。

下に沈んでいたミネラルが表に出てきて、有効土層が深くなった。

堆肥を入れなくても収穫量が伸びた。

反転耕のあとにしっかり踏み込むことで機械も入れるようにした。

 

伊藤さんは地域の指導に呼ばれるようになっていた。

JA や自治体の説明会には顔を出さない地元の人も、伊藤さんの話は聞く。

「もう除染はやらなくてもいい」 という空気が広がる中で、

なぜ徹底する必要があるのかを伊藤さんは説く。

米を売るためだけじゃない。

春先の風が吹く頃に、背の小っちゃな子どもたちが

少しでも吸引して内部被ばくしないために、未来のために、

子孫からよくやったと言われたいために、

良い死に方をしたいために、オレはやる!

 

あの2011年という年の稲作研究会の取り組みに寄り添いながら、

このたたかいは地域を救う道しるべになると、

そう書いたのは、2011年の暮れ のことだった。

あの時の確信通りに進んできている。

いま地域全体での反転耕の実施へと広がり、

市役所がジェイラップへの作業依頼を取りまとめるまでになった。 

 

今日も測定は丹念に続けられている。

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大地を守る会とカタログハウスが提供した測定器が仲良く並んで、

働いてくれている。

 

昨年秋、収穫後の全袋検査を実施したことで終わらせず、 

彼らは今も日々、

精米調整前の玄米 - 精米後の白米、と何度も確かめている。

妥協しない彼らの信念を支えているのは、未来への責任である。

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このご時世にあって、田んぼが復活し、 

美しい風景が蘇っている。 

 

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このプロセスに立ち会っているのは、僕だけじゃない。

食べる人たちの声援もまた、この風景に貢献している。

 

伊藤さんに、一枚の連絡便(会員さんからのお便り) をお渡しした。

「 備蓄米、待ってました!

 福1 の原発事故から 1年、の去年。

 注文しようかどうしようか迷いに迷いました。 申し訳ないですけど。

 でも、カタログを通して、生産者の方々の血のにじむ努力を見て、

 注文させていただきました。

 ふっくら炊きあがったご飯を食べた瞬間、

 注文してよかった、とうるうるしながら思いました。

 今年もよろしくお願いします!!」

 

春先から低温が続き、かつ雨不足もあって、

田植えができなかったという場所があちこちに発生しているなかで、

この地では、希望が蘇ってきている。

美しい田園を支えるのは、何よりも未来への希望なのだ。

 

稲田から帰ってきて、16日の日曜日。

今度は二本松の菅野正寿さんから呼び出され、都心に出かけた。

その話は、次回に-

 



2013年6月26日

「耕す」 農場

 

放射能講座のレポートを続けている間にも、

あちこち出歩いたりもしていて、いくつかトピックを拾っておきたい。

 

一ヶ月も前の話になっちゃったけど、

5月31日(金)、千葉県は木更津にある農場を訪ねた。

名前は、農業生産法人 「株式会社 耕す」 という。 

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ap bank と言えばご存知の方も多いことと思う。

音楽プロデューサーの小林武史さんと Mr.Children の櫻井和寿さん、

音楽家・坂本龍一さんが拠出し合って設立した、

環境プロジェクトに融資を行なう市民バンク。

その ap bank が 2009年、

「融資」 という枠を超えて、プロジェクトそのものに関わる

「明日(あす)ラボ」 というセクションを立ち上げた。

そこで翌10年の3月に設立されたのが、この農業生産法人 「耕す」 である。

 

ご覧の、山に囲まれた盆地一帯が 「耕す」 の農場。

面積にして 30 ha(約9万坪)。 東京ドーム 6 杯分ある。

20年前に閉鎖された牧場の跡地で、

荒地となっていたところを開墾し、農地として再生させるところから始めた。

スタッフは農業の経験もない若者たちである。

 


現在耕作できているのはまだ 4 ha ほどだが、

有機の認証も取得して様々な野菜をつくっている。

大地を守る会では、7月からのナスと

秋に収穫される 「小糸在来」 という在来種の大豆(枝豆) を契約している。

 

写真手前、南側斜面には

発電量 1 メガワットという太陽光発電が設置されている。

太陽電池モジュール 4164枚。 壮観である。

 

農場を案内してくれたのは、

農場長の豊増洋右(とよます・ようすけ)さん (写真左)。

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豊増さんとは、数年前の ap bank fes の実行委員会だったかで

一度会ったことがあるのだが、

彼がここの農場長になっていたとは全然知らなかった。

「 農業経験はまったくなかったです。

 自分から農場をやろうと提案したんです。

 この3年、がむしゃらに勉強しましたよ。」

山本太郎似のマスク全面に、やる気が溢れている。

 

ちなみに、上の写真の右のネクタイの方は、山口英樹さん。

株式会社ローソンの 「エンタテイメント・ホームコンビニエンスグループ CEO補佐」

という肩書きの方。 CEO とは 「最高経営責任者」 の略。

7月には我が社の常勤取締役となる予定である。

ローソンと大地を守る会の事業提携がどんな新しい価値を生み出すのか、

我々の挑戦は静かに進んでいる (わが特販課はまったく静かではないけど)。

 

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プロ農家から見ればもったいないくらいの農地なのだが、

「早く若者を育てられる体制にしたい」

という豊増さんの言葉から、

この国の農業への危機感とともに、方向性も感じさせられる。

実は千葉県は耕作放棄地がどんどん増えている地帯なのだ。

 

この日は、「耕す」 の野菜を引き受けている (株)kurkku (クルック) の

スタッフさんたちも顔を見せた。

こちらも小林武史さんが代表を務める会社で、

表参道や神宮前エリアを中心に 6 店舗のレストランやカフェを運営している。

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しっかり教えてるじゃない、豊増さん。 なかなか。

 

しかしこれだけの農場規模を運営するのは、ただ事ではない。

ap bank の融資がいくらで、返済計画がどうなっているのか、

までは突っ込んで聞かなかったけど、

若者たちのお遊びだった、と言われないよう、頑張ってほしい。

 

とりあえず、いいナスが届くことを祈ってるよ。 

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2013年5月21日

除塩

 

5月16日(木)、福島から郡山に下り(上り?)、

高速バスで浜通り・いわき市まで向かう。 所要時間、1時間半。

いわきで訪ねたのは、福島有機倶楽部・小林勝弥さん。

先に書いたとおり、今回の目的は除染ではなく除塩、塩害対策の打ち合わせである。

 

奥様の美知さんが駅まで迎えに来てくれて、畑に直行する。

ソラマメが育っている。

働いているのは、障がい者たち。

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美知さんは、障がい者の自立支援活動を行なう

NPO法人「ゴールデンハープ」 という団体に属されていて、

「フルクテン」 という小規模作業所を運営している。

ノルウェー風のパン 「フルクテン」 を製造・販売して、収益を工賃として分配する。

また農業セラピーの実践として、農作業の場を提供する。

こちらは勝弥さんが教える。

美知さん曰く。

「 失敗もいっぱいやってくれるんですけど、

 勝弥さんは、ほんとうに優しく、辛抱強く教えてくれます。」

 

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しかし、震災と原発事故による影響で売上は激減し、

この活動もついに休止せざるを得ないところまできてしまった。

美知さんが胸の内を語ってくれる。

「 何とか続けたいと頑張ってきましたけど、もう (賃金を) 払えないです。

 それに、今度あれだけの津波がきたら、あの人たちを守れる自信がありません。」

私はそれでも、農業セラピーの力は信じてる・・・ と言いながら。

 

「 勝弥さんも畑が塩害にあって、風評被害でモノも売れなくなるし、

 相当落ち込んでたはずなんですが、黙々とやってました。 

 これからは私がお手伝いしてあげなくちゃ、って思ってます。」

 


これが塩害で、野菜が作れなくなったハウス。

手前の2棟が空いた状態である。

 

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塩分は水で流す、というのが基本なのだが、

地盤沈下によって、その水(地下水) に塩水が入ってくる。

去年、春菊を作ってみたが、しょっぱい春菊になっちゃって・・・

と笑う勝弥さん。

土が締まっていって、白く潮が吹いたような塊もあった。

 

それでも起こしている。 

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何とかしたいのだが・・・

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こちらが海に近い露地の畑。

去年はソバを蒔いてみた。 まあまあ出来たことは出来たけど・・・

と言葉が続かない。

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防風林の向こうに道路が一本、その先は浜である。

 

せっかく有機の認証も取ってやってきた。

農薬や化学肥料は入れたくない。

さて、どうやって回復させるか・・・

僕が提案を持ち込んだ資材についての詳細は省かせていただくが

(ここで特定資材の宣伝みたいになってはいけないので)、

塩分を好むバクテリア(好塩性細菌)を使って発酵させた炭化肥料である。

有機JAS認定のほ場でも使えると判断している。

もちろん認証機関にデータを提出して判定を仰ぐようにと、メーカーには伝えている。

 

仮に効果はなくても、マイナスになるものでもないだろう、

と考えての提案だが、小林さんは 「やってみたい」 と前向きに答えてくれる。

メーカーさんからは 「試験データを取らせてくれるなら原価で提供したい」

と申し出てくれている。

 

6月から開始しよう、ということになった。

力になれれば嬉しいのだが、さて結果やいかに-

 

障がい者たちと一緒に育てている畑では今、

ソラマメの花が順番に咲き出している。 

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実も成ってきている。

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たくさんの収穫があることを祈りたい。

 

海のそばの畑にも、花は咲いていた。

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花は咲く。。。

歌の文句じゃないけれど、私は何を残せるのだろう。

 

一見、2年前の大災害など想像もできない浜辺だが、

通ってきた途中では、ガンガンと堤防工事が行なわれていた。

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2013年4月11日

高知から、田植え順調、の便り

 

4月に入ると、南国・高知から、田植えの便りが届いてくる。

今年の高知市から南国市あたりでは、

3月の平均気温が平年より2度近く高かったようで、

降水量は半分以下、逆に日照時間は平年比113%、

観測史上最も暖かい3月だった、とのこと。

これは生産団体 「高生連」 の事務局・星川茂博さんがメールで送ってくれる

『高生連からのコメ便り』 からの情報。

 

ということは、苗の生長が早くなって、

育苗ハウスの高温対策に苦労した年だった、ということになる。

4月6~7日に日本列島を通過したモーレツ低気圧の被害も少なかったようで、

「稲刈りは順調に進んでいます」 という嬉しい知らせ。

 

4月5日、香南市の村上信一郎さん、紙マルチ田植えスタート。

苗踏み効果で苗の揃いが良い。

同じく4月5日、香南市 「福家ライスファミリー」 の寺川賢二さん、

暖かかったこともあり例年より早めに作業を進め、今日で田植えは終了。

4月8日、南国市の西村昭夫さん、6日の荒天を見越して作業を遅らせた。

今年は息子さんに田植えを任せて、悠然と見守り隊。

 

2年前の4月に届いた星川さんの便りには、たしか

「こうして普通に田植えができることの幸せを感じています」

というくだりがあった。

南四国の、とある田んぼの前で、これはとても有り難いことなんだ、

と田植え作業を見つめている青年がいた。

それくらい異常な国になってしまっていた。 今も影響は続いている。

 

いよいよ田植え前線が北上していく季節となって、

この列島の田園が輝き、農民たちの笑顔がつながっていくことを祈りたいのだが、

どうあがいても癒えることのない傷や怒りを鎮めながら、

黙々と田植えする無告の民たちがいることも、忘れないでいたい。

 

高知からの春の便りに、改めてこの2年の歳月を思ってしまうのだった。

 



2013年4月 1日

会津の堰さらい-『美味しんぼ』 に登場

 

「Daichi & keats」 日本酒セミナーで PR させてもらった

福島県喜多方市山都町での堰さらいの話が、

先週(3月25日) 発売のコミック誌 「ビッグコミック・スピリッツ」 の

長寿漫画 『美味しんぼ』 で紹介された。 

 

原作者の雁屋哲さんとは 昨年の堰さらい でお会いして、

福島を回っていると聞いていたが、

2年以上の取材を経て 「福島編 (第604話 「福島の真実」)」

の連載開始となったものだ。

それだけ慎重に、また緊張感を持ってこのテーマに挑んだということだろうか。

 

堰さらいボランティアの仕掛け人、浅見彰宏さんが

リアルに描かれている。 

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この漫画の特徴は、花咲アキラ氏によって

自然の風景や背景が実に精緻に描かれていることだ。

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福島有機農業ネットワークの活動も紹介され、

今週号では 「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバー、渡部よしのさんも登場している。

原発事故から2年、さてこの 「福島の真実」編 はどう落ち着くのだろうか。

 

実は雁屋哲さんには、放射能連続講座での講演をお願いした経緯がある。

私たちはこれから福島の食や生産者との関係を

どう築き直していけばいいのか、

取材を経てお考えになっていることをお話いただけないか

とメールしたのだが、

見事に断られてしまった。

作者は、漫画という手法を通じて、いろんな考えや思いを

登場人物の口を借りて語らせるワケで、

今の段階で、作者の考えを開陳することは控えたい、と。

 

たしかに、仰る通りだと思った。

しかもお願いしたのが、これから福島編の連載を始めようという段階で、

いろんな思いがめぐっているようでもあった。

「いま話をさせると、何喋るか分かりません。 国への批判で暴走するかも・・・」

と、事務所の方も怖れていた。

 

海原雄山と山岡士郎の 「お前の根がここにある」 福島対決の結末を

楽しみにしながら、今年も堰さらいに行くことにしよう。

 - というワケで、今年も堰さらいの案内です。

関心ある方は、「続きを読む」 をクリックしてください。

 


【浅見さんからの呼びかけ】

喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、

町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。

周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、

濃緑の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。

それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく

山の上部にまで田んぼが拓かれ、田園風景が形造られているのです。

その水路は 「本木上堰」 と呼ばれています。

水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

深い森の中を澄んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

先人の稲作への情熱が伝わってきます。

しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

そこでもっとも重労働である春の総人足 (清掃作業) の

お手伝いをしてくれる方を募集しております。

皆さん、この風景を守り続けるために是非ご協力ください。

 

【作業内容】

冬の間に水路に溜まった土砂や落ち葉をさらったり、

雪崩などによって抜けてしまった箇所の修復など。

 

【スケジュール】

5月3日(金) 夕刻 JR磐越西線山都駅集合

5月4日(土) 早朝より水路清掃作業(昼休みをはさみ夕刻まで)。

         夕刻より交流会。

5月5日(日) 午前中解散。 希望者には山都町周辺をご案内します。

 

【宿泊場所】 本木または早稲谷の集会所を予定。 連泊可能です。

【参加費用】 交通費は自己負担でお願いします。

         宿泊費は1泊 500円。 交流会費 1,000円。

【用意するもの】

作業着、軍手、長靴、雨具、帽子、タオル・洗面用具、着替え、など。

お持ちの方は寝袋を持参いただけると助かります。

 

【その他】

・ 朝食は宿泊者で作ります。お手伝いください。

・ 参加者には、秋に上堰の田んぼで獲れたお米をお届けします。

 

詳細お問い合わせは、本ブログの 「コメント」 から

メールアドレスを付けて、お送りください (問い合わせは公開されません)。

折り返しお返事を差し上げます。

 

★ この堰の保全活動には、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」(たねまきびと)

  の売上の一部が積み立てられている 「種蒔人基金」 も応援しています。

 



2013年3月31日

「D & k」 日本酒セミナーの夕べ

 

昨夜は 「Daichi & keats」 1周年記念企画シリーズ最終回、

「日本酒セミナー」 が開かれた。

大和川酒造店から佐藤和典工場長がゲストに招かれ、

大和川さんの4種類のお酒を飲み比べながら、

君島料理長が考えた 「日本酒に合う料理」 を堪能していただいた。

 

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参加いただいた方は約40名。

大地を守る会の会員さんはむしろ少なく、

「D & k」 のファンとなったお客さんのほうが多かったかな。 

加えて、ツイッターやフェイスブックで見つけたという方々、

中には大和川さんから通販で取り寄せている、というおじさんもいた。

 


会津の気候風土や米づくりについて、

また一貫して地元の米を使い続けてきた大和川酒造のこだわりについて、

説明する工場長。

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いや、これからは 「杜氏」 と呼ばなければいけない。

いつも当たり前に 「工場長」 と呼び慣れてしまっているけど、

越後杜氏・阿部伊立(あべ・いたつ) 氏引退後は、

工場長が杜氏を引き継いだワケなんだから、

ここはやっぱ 「イヨッ、杜氏!」、だよね。

 

「種蒔人」の紹介のところでは、

開発のコンセプトや 「種蒔人基金」 にかけた思いなどについて

喋らせていただいた。

この酒が飲まれるたびに、森が守られ ~

思いが強いぶん、長くなってしまった。 ごめんね、町田店長。

 

本日の料理を説明する、君島繁夫料理長。

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本職はイタリアンなのだが、今日は特別に

日本酒に合うオリジナル料理を用意してくれた。

 

本日の大和川ラインナップ。 

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まずは 「活性にごり・純米酒 弥右衛門」。

原料米は五百万石。 まだビン内で酵母が活きていて、炭酸ガスが内包している。

甘さと炭酸ガスの酸味が調和した、スパーリング感覚のお酒。

食前酒から乾杯まで。

 

続いて本番、「純米吟醸 種蒔人 あらばしり」 を

料理とともに堪能していただく。

原料米は、稲田稲作研究会が育てた「美山錦」、無農薬栽培。

酵母は「うつくしま夢酵母」(F7-01)、精米歩合55%、日本酒度+5、酸度1.4。

芳醇な香りと程よい酸味、キレのある搾りたて。

5月頃までは、一切火入れをしていない生生(なま・なま) で、

その後は生貯蔵酒 (ビン詰め時に1回のみ火入れ) となる。

 

次は 「純米吟醸 雪蔵囲い」。

会津の豊富な雪を利用して雪中貯蔵されたお酒。 

酵母はこれも福島県で開発された「煌酵母」、華やかな吟醸香が特徴。

 

あとはお好きな酒をお代わりしていただきながら料理を楽しみ、

親睦を温めていただく。

気持ちよくなった僕は、テーブルを回りながら、

5月に行なわれる山都での堰さらいのPRなどをしたりして・・・

 

最後。 食後のデザートには桃のリキュール 「桃の涙」 を。

純米酒と桃の果汁をコラボさせ、爽やかな甘みが口に広がる新感覚のお酒。

この商品化の裏には哀しい物語がある。

常に高い評価を得てきた福島の桃だったのに、

ご多分にもれず一昨年から販売不振に陥ってしまった。

今年も美味しい桃ができたのに・・・・・その涙を受け止め、

新しいお酒として生まれ変わらせたのが、このお酒。

飲んでつながる復興支援。

大和川酒造からお取り寄せできます。 

⇒ http://yamatogawa.by.shopserve.jp/SHOP/470205.html

 

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皆さん、ご満足頂けたようで、私も満足。

正直、話とお酒の説明に夢中で、

料理の写真をまったく撮ってなかった事に気がついた。

というか、後半(メイン料理) はほとんど食べてないんじゃないかしら

 ・・・・エエーッ! 残念。

君島料理長、こんどまたお願いします。

 

終了後は工場長、もとい、杜氏を誘って、線路をまたいで日本橋まで。

そこでまた大和川の酒のある料理屋でお疲れさん会。

盛り上がったのは、会員を募って袋絞り酒をつくろう! と決めたこと。

できた酒は会員で全量引き取り。

 

こういう感じで吊らされて、自然にポタポタと落ちてゆく、

とてもナチュラルで、しかし少々贅沢なお酒。

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さて一本いくらになるか、何人集まれば実現できるか、

これから皮算用が始まる。

これは仕事なのか、遊びなのか・・・

いずれにしても、モットーは 「仕事は楽しく、遊びは真剣に」 だからね。

楽しく、かつ真剣にやりたい。

 



2013年3月20日

祝!開店 「ふくしまオルガン堂 下北沢」

 

突風が砂塵を巻き上げたかと思えば、記録的な夏日がやってきたりして、

ヘンな陽気が続いてる。

そんでもって今日は春分の日。

世間は春の気分なのかもしれないけれど、こっちは休日返上して、

来週(27日) 行なわれる学校給食全国集会の発表資料を仕上げる。

この手の宿題が、締め切りを過ぎて尻に火がつかないと、やっつけられない。

この性分が変えられないまま、長いこと生きてきてしまった。。。

与えられたテーマも、プレッシャーだった。

『ゼロリスクがありえない中で、どう食べるか』 ・・・ きついすね。

2年間取り組んできたことと、今到達している心境をお話しするしかない。

はたしてお役に立てるかどうか心許ない。

 

さてと、資料を送って開き直ったところで、

遅ればせながら日曜日の報告を。

 

「福島県有機農業ネットワーク」 が東京にアンテナショップを開設した。

菅野正寿さん(ネットワーク理事長) から開店祝いのご案内をいただいたので、

お祝いを持って足を運んだ。

場所は、若者の街、ファッションの街、演劇の街、下北沢。

 

何年ぶりだろう、下北沢に降りたのは。

若者たちで賑わう商店街を通り過ぎて、歩くこと約15分。

世田谷区代沢の住宅街の一角にオープンしたお店の名は

『ふくしまオルガン堂 下北沢』。

 

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少々奮発して、お花も贈らせていただいた。 

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原発事故から2年。

放射能とたたかいながら、「希望の種を蒔こう」 と励まし合ってきた2年でもあった。

この思いを、東京の人たちに伝えたい。

そして、ちゃんと測定して得られた結果もつけて、福島の有機農産物を

胸を張って PR したい。

東京と福島をつなぐ拠点にしたい。

東京に避難した方々との交流の場にもしたい。

 

そんな思いをいっぱい詰め込んでオープンした、小さなお店。

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オルガンの言葉は、オーガニック(Organic) と、

対話・交流を奏でるという意味が込められている。

 

挨拶する菅野正寿さん。 

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この日は、山都町・浅見彰宏さんのお連れ合い、晴美さんも

助っ人に駆けつけられていた。 

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そして何と!

ヴィライナワシロの元料理長、山際博美さんの姿も。 

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今は福島の食材を提案する 「山際食彩工房」 を主宰している。

実は、大地を守る会の元職員も一人、お世話になっている。

 

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お祝いのケーキは、当会でもお馴染のナチュランドさんから。 

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福島の地酒も並べられている。 

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菅野さんから頼まれて、

僭越ながら、乾杯の音頭を取らせていただく羽目に。。。

 

照れながらケーキカットする菅野さんだった。

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お店も続けていくとなると、けっこう厳しいこともあるに違いない。

それでも、ここまで頑張ってきたみんなの力と和を結びながら、

楽しくやっていただけたら、と思う。

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この2年、苦闘しながらも、

福島の有機農業者たちは王道を忘れずに歩んできたと思う。

本当に頑張ったと思う。

僕らはつい軽々しく 「支援」 とかいう言葉を使ってしまうけれど、

むしろ僕らのほうこそたくさんのことを教えられてきた。

しかも下北沢という街にお店をオープンさせるまで、前を向いて走って来られたこと。

ただもう スゴイ! のひと言に尽きる。

この可愛らしいお店が、福島の思いの発信基地となって、

また新しい都市との交流の場となって、

多くの人に愛されることを願ってます。

 

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皆様、お近くにお越しの節は、ぜひお立ち寄りください。 

「ふくしまオルガン堂 下北沢」 の HP はこちらから

⇒ http://www.farm-n.jp/yuuki/organ/ 

 



2013年3月16日

農と医の連携 -さんぶ野菜ネットワーク総会から

 

昨日は成田の某ホテルで、「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会に出席した。

2年前の総会は、忘れもしない3月11日。

あの激震は、まさにこの総会の途中で発生した。

会議室から避難して、ホテルのテレビ大画面から見た津波の光景。

これが今起きている現実なのか、、、今でも明瞭に思い出される。

 

そして2年後の3月15日は、安倍首相がついに

TPP (環太平洋連携協定) への交渉参加を表明するという日にぶつかった。

何かが起きる、何かとぶつかるさんぶの総会・・・・

とか言いながら、総会自体は滞りなく終了。

 

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震災よりも原発事故による放射能問題で、

福島だけでなく関東各地の生産地も打撃を受けてきた2年間だった。

それでも 「さんぶ野菜ネットワーク」 では前年を上回る売上実績を果たし、

新規就農者が6名、新たな組合員として迎えられた。

研修生も8名いて、有機農業での自立に向かって頑張っている。

交渉内容が明らかにされないという TPP への不安は拭えず、

詭弁に満ちた開放論に怒りも収まらないが、

ここで後ろ向きになるわけにはいかない。

何とか農地を守りながら、地域を盛り上げていきたい、との決意が語られた。

 

前に呼ばれ、抱負を述べる新組合員の方々。 

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ネットワーク代表の富谷亜喜博さんによれば

「みんなすごい学歴の人たち」 だそう。

頭でっかちにならず、将来の中核になれるよう頑張ってほしい。

 

さて、この日の記念講演に招かれたのは、

北里大学名誉教授で、(財)微生物応用技術研究所長の

陽 捷行(みなみ・かつゆき) さん。

直接お会いするのは初めてだが、北里大学副学長時代に、

藤田社長宛てに送られてくる通信を読ませてもらいながら、

僕はこの方からたくさんのことを学ばせていただいた、そんな経緯がある。

 


陽(みなみ) 先生が一貫して提唱してきたことは、

「環境を基とした農と医の連携」 である。

 

20世紀は、「技術知」(ものをつくる知的能力) の勝利であった。

それによって文明が発達してきたとも言える。

しかし技術知には表と裏、光と影があり、結果的に

様々なかたちでの 「分離の病」 に侵されてきた。

一方で、人類が長い時間を通して生活の場から観察し、獲得してきた知恵がある。

これを陽先生は 「生態知」 と呼ぶ。

生態知は文化の進展をもたらしてきた。

技術知も生態知もともに人間の英知が生み出した貴重な財産である。

これからは、この二つを融合させた 「統合知」 の獲得が求められている。

 

たとえば堆肥などの有機物の施用が作物の増収に役立つ、という知識を

人は経験と観察から獲得したが(生態知)、

技術知に基づく農業生産の増大を目的とした過剰な窒素の使用は、

温室効果ガスの問題や河川の水質汚染、富栄養化などの

環境問題を引き起こしてきた(=分離の病の一形態)。

これからは、作物による窒素吸収効率の向上によって

亜酸化窒素や硝酸態窒素の発生を抑制するといったように、

農業生産と環境保全を健全に調和させる 「統合知」 へと

向かわなければならない。

21世紀は 「分離の病」 を克服する時代となる (でなければ生き残れない)。

 

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ここで忘れられがちなのが、人々の健康の基は何か、ということである。

医療の発達が 「健康」 ではない。

基は、環境と農業(健全な食の生産) である。

かつて農業生産を考える人たちは、よく土壌学を学んだ (陽先生の専門は土壌学である)。

今は環境を考える人たちのほうが土壌学を勉強している。

土の健康(=農) こそ、人の健康(=医) につながっている。

そもそもこの世に境目などないのだが、

学問はすべてを分離させて発展させてきてしまった。

 

農と医と人の健康、この境界をつなぐ言葉は、実は様々にある。

医食同源、身土不二、地産地消・・・そして農医連携だ。

(「農医連携」 は陽先生の造語。 医学の世界には 「医農連携」 という言葉があるが、

 先に病気があるわけではないから、と先生は逆にして使っている。)

 

先生は、農医連携を心した先達の名前を次々と挙げながら話を進める。

何人か挙げると-

・ ヒポクラテス・・・ 「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか。」

・ シーボルト・・・ 植物の育種から土壌まで研究し、かつ植物の薬効も研究し普及させた。

・ 北里柴三郎・・・ 医の基本は予防にあるとの信念で、環境を通した農と医の連携を説いた。

・ シュタイナー・・・ 宇宙的な生態系の原理に基づくバイオダイナミック農法を提唱。

・ 新渡戸稲造・・・ 「武士道」 の前に、「農業本論」 で 「農業は健康を養う」 と語る。

・ アレキシス・カレル・・・ 「土壌が人間全般の基礎なのであるから、私たちが近代的

  農業経済学のやり方によって崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、

  健康な世界がやってくる見込みはない。

  生き物はすべて土壌肥沃度(地力) に応じて健康か不健康になる。」

・ アルバート・ハワード・・・ 有機農業運動の創始者。 「土壌、植物、動物、人間、

  これらの4つの健康は、ひとつの鎖の環で結ばれている。」

・ アンドルー・ワイル・・・ 統合医療の世界的権威。 『医食同源』 『人はなぜ治るのか』 は

  世界的ベストセラー。 「健康な食生活は健康なライフスタイルの礎石である。」

 

日本はこれからの10年、20年で大きく社会構造を変えていく。

防災・地域の再生・医療・介護・農業・・・・・統合した公共政策を築く必要がある。

これに民間としてどう取り組んでいくか、が重要な鍵である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シャンシャンと総会をやって飲む、んじゃなく、

こうやってしっかり座学も忘れない。

有機農業の人たちは、そういう意味でも、

この国の未来に欠かせない存在なのだと思うのである。 

 

国民の健康は、社会の安定の土台である。

そのためにあるはずのセーフティ・ネットをすべて崩壊させかねない TPP とは、

いったい誰のためか。

自由貿易による 「成長神話」 は、

ひと握りの勝者をつくるために修復を繰り返しながら再構築されてきて、

いよいよ最終のリーグ戦に入ったみたいだ。

恐ろしいのは、このゲームの進行とともに

社会全体が脆弱になっていってるとしか思えないことだ。

このゲームでは、勝者もまた生き残ることはできない。

なぜなら地球の調和(健康) を壊しながら勝ち残ろうとしているワケだから。

その前に、ただアメリカの餌食になるだけのような気もするが。。。

 

陽先生の影響でたくさんの本を読まされたが、

やっぱ僕の中でのベストは、今もってこの一行だね。

『 国民が健康であること、これは平凡な業績ではない。 』

     (アルバート・ハワード  『ハワードの有機農業』 より)

 

さんぶ野菜ネットワークの皆様。

無事総会成立、おめでとうございました。

陽先生とも話ができまして、良い刺激を有り難うございました。

ひるむことなく、前に進みましょう。

 



2013年3月 6日

「アド街ック天国」 と 「遠くへ行きたい」(予告)

 

昨日、社内でいっとき盛り上がった話題をひとつ。

TBSテレビの朝番組、「みのもんたの朝ズバッ」 の

「ニュース目のつけドコロ」 というコーナーで、

大地を守る会が取り扱う 「もったいナイ魚」 が紹介されたのです。

これまで捨てられていた未利用魚が流通に乗り、家庭で食べられているという話。

スーパーなどでは並ばないチカやミズダコの頭も登場して、

我が水産物仕入担当者のひと言 -「売れてます!」 が流れた。

僕も観るつもりで目覚ましをかけたのだけど、

朝6時に起きられず (放送は6:30頃から約2分間だったそう)、

みんなの評判を聞いて回るだけ。

質問から 「売れてます!」 の間に、一瞬の間(ま) があったようで、

社員の声は、「笑えた」 「微笑ましい」 から 「あれはバレた」(何が?) まで。

まあ 「もったいない」シリーズばかりが売れても、それはそれで困るので、

あんまり無理しないで、「もう少しファンを増やしたいですね」 くらいがよかったかもね。

 

テレビ話題になったので、生産者が登場する番組予告を二つ。

 


ひとつめ。

関東地区では3月16日(土) 午後9時から、

テレビ東京 「出没!アド街ック天国」 に、大和川酒造店 さんが登場します。

今回は会津・喜多方が誇る飯豊山の伏流水がテーマだそうで、

1月に、大和川さんの蔵で仕込み水をタンクに入れる場面や北方風土館などを

撮影していかれたとのこと。

どうせなら2月の 「大和川酒造交流会」 も撮ってほしかったなぁ、

「天国」 といえばこのツアーじゃんか。。。

ま、冷静に、冷静に。

そんなことはともかく、種蒔人ファンは必見です。 お見逃しなく!

番組HPはこちら ⇒ http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/ 

 

 

ふたつめ。

こちらは日本テレビ(制作は読売テレビ)の長寿番組、『遠くへ行きたい』。

放送は3月17日(日)朝7:30~。

北海道はオホーツクの町・遠軽(えんがる) 町で

在来豆を販売する 「べにや長谷川商店」 さんが登場します。

今回旅する人は元Jリーガー日本代表選手、今は

スポーツコメンテーターとして活躍する武田修宏(のぶひろ) さん。

オホーツクの流氷を眺め、網走産の魚介に出会い、ワカサギの伝統漁を見学し~

山間部の遠軽町で犬ぞりを体験して、そして

「在来種の豆」 に全国から注文が来るというお店を訪ね、そこで

地元に伝承されてきた前川金時を使った 「ばたばた焼き」 なるものを発見する~

というストーリー。

番組HPはこちら ⇒ http://www.ytv.co.jp/tohku/

 

最初にこの一報をくれたのは、会員の O さんからでした。

べにやさんが募っている 「在来種の豆の 畑のオーナー」 にも入っている方。

Oさん、ご連絡ありがとうございました。

17日は、ゼッタイに早起きします。

(念のために録画も・・・) 

 



2013年2月13日

再生は、自立と自給から!-「種蒔人」で連帯する

 

第17回 大和川酒造交流会、後編。

 

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夕方からの懇親会は、

昔の蔵を見学・イベント用に改造した 「北方風土館」 に移動し、

その中にある 「昭和蔵」 にて開催。

1990 (平成2) 年に現在の 「飯豊蔵」 ができるまでは、

ここに樽が所狭しと並べられ、昔ながらの酒造りが営まれていた。

漆喰が塗り直され、温度湿度の調節だけでなく音響効果も良いため、

今ではコンサートなどにも利用されている。

 

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歓迎の挨拶は、大和川酒造店9代目代表社員、佐藤弥右衛門(やえもん) さん。 

 会津電力構想 の話をお伝えしたのは12月だったが、

2ヶ月を経て、「社団法人 会津自然エネルギー機構」 を設立させるまでに至った。

酒蔵の親分というよりは、ここまでくると

会津の自立に賭ける  " 志士 "  の趣である。

 

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 「 これまでの会津は、まるで東京の植民地だった。

  しかしここ会津は、食料自給率 1,000% はあるであろう豊かな地である。

  東京にモノを送るばかりの時代から、自立を目指す時が来た。

  足元を見れば、エネルギー資源は満ち満ちている。

 

  福島県(議会) は脱原発を選択した。

  「 原子力に依存しない安全で持続的に発展可能な社会づくりを目指し、

  新しい福島を創る」 と謳った以上、私たちが果たす責任は重い。

  少なくとも10年以内に、県内のエネルギーを再生可能エネルギーで供給する

  体制を創りあげたい。

  会津の持つ水資源、地熱、太陽光、森林資源、風力や雪の利用研究を促進し、

  投資を行ない、地域に安全で安価なエネルギーを供給することで

  地場産業の活性化や産業の振興に寄与したい。

 

  16万人の 「原発難民」 を生んだ福島に、原発との共存はあり得ない。

  東電と福島県の 「契約」 は破綻した。

  東京電力さんには撤退していただくしかない。

  猪苗代湖を東京電力から取り戻してみせよう。

  会津の自立と独立の精神を持って

  「一般社団法人会津自然エネルギー機構」 を設立し、

  会津から福島、そしてこの国の再生に臨む。」

 

2月20日には、記者会見と設立記念講演会を開催する段取りになっている。

ゲストには、末吉竹二郎氏 (国連環境計画・金融イニシアチブ特別顧問)、

赤坂憲雄氏 (福島県立博物館長、学習院大学教授)、

飯田哲也氏 (NPO環境エネルギー政策研究所所長) が名を連ねている。

この方々には顧問に就任してもらう策略である。

 

清酒 「種蒔人」 の原料米生産者である、稲田稲作研究会から

代表して伊藤俊彦さんが挨拶に立つ。

こちらは福島県の中通り、須賀川の地で

やはりエネルギー自給構想を練っているところだ。

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昨年10月に開催した 自然エネルギーの生産者会議 に参加した伊藤さんは、

その後改めて仲間を連れて、那須野ヶ原土地改良区の視察に行っている。

やるしかない、前に進むしかない、その思いは弥右衛門さんにも負けてない。

 

「種蒔人」 は人と人、人と環境をつなげ、「前 (未来)」 へと進む。

蒔かれた種が芽を出し、花を咲かせて、実を結ぶまで、

僕らも一緒に歩み続けなければならない。

 

今年は、喜多方で会津料理づくしの店を営む 「田舎屋」 さんが

出張って来てくれて、絶品の料理が並べられた。 

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そして新酒 「種蒔人」。 

 

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" この世の天国 "  の役者が揃ったところで、乾杯! 

 

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あとはもう、写真など撮っている場合ではなく、

飲み、食べ、語りあい、、、 

良い酒と良い食は、人を良くつなげる。 

イイ仲間との語らいは、明日の活力を生む。

「種蒔人」 はつねに人の和を醸す酒でありたい。 

 

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最後は熱塩温泉 -「山形屋」 で仕上げ。

極楽。

 

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この国の再生を、福島から。

みんなが立つなら、「種蒔人」 も、連帯に迷いはない。

 



2013年2月11日

今年も 「天国はここに」 -大和川酒造交流会

 

2月9日(土)。

今年もやってきた会津・喜多方、大和川酒造店・飯豊(いいで) 蔵。

第17回となる 「大和川酒造交流会」 の開催。

最初の頃に参加されたおじ様のひと言から、

「この世の天国ツアー」 という冠をいただいた至福のイベント。

いつの頃からか 「極楽ツアー」 とも呼ばれるようになった。

 

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今年もバッチリ、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人(たねまきびと)」 の

搾(しぼ) りに合わせることができた。

挨拶もそこそこに、

「今ちょうど搾ってますので、まずは試飲といきましょう」

と佐藤和典工場長に誘(いざな) われる一行。 

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まだ炭酸ガスがピンピンと跳ねている、いわゆる 「荒ばしり」。

雑味のない芳醇な香りに包まれ、酒客にはたまらない感激の一瞬。

淡麗とは違う、パンチの利いた辛口。

「うん、イイすね、今年も!」

- このひと言を聞けただけで、予は満足でござる。

 

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「種蒔人」 タンクに貼られた、仕込み24番の数字。

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秋の後半からその年の酒造りが始まって、

水がもっともピュアになる厳寒期に仕込む(寒造り) のが、

吟醸・大吟醸といったその蔵にとっての勝負の酒だ。

2 トンの原料米が投入されたが、その米は 55% まで削られている。

玄米に換算し直すと約 3,600 ㎏ (60俵)。

稲田稲作研究会(須賀川市) が無農薬で育てた酒造好適米 「美山錦」 を

惜しげもなく削って、純米吟醸 「種蒔人」 は完成する。

 


タンクの上(2階) で、まさに搾り中のモロミを味わう初参加の男性。

ご夫婦で申し込まれた会員さんについてきた息子さんだ。 

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真剣そのもの。 いい顔してる。

日本酒文化がこうして受け継がれてゆく。 素晴らしいではないか。

 

大吟醸の香りを楽しむ。 

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吟醸香は、米ではなく酵母によって創りだされる。

しかも酵母の種類によって、バナナ香とかリンゴ香などと微妙に香りが異なる。

どういう大吟醸酒をつくるか、に蔵の個性が見えてくる。

ただ、たまに香りを強調し過ぎるような酒に出会うことがあるが、

あれはいただけない、と個人的には思う。

最初の一杯でいい、という感じになるんだよね。

 

さらに参加者を唸らせたのが、こちら。

" 袋吊り "  と呼ばれる手法で搾っている。

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木綿の酒袋にモロミを入れ、自然にゆっくりと滴り落ちてくるのを待つ。

圧力をかけないからなのか、とても綺麗で品のあるお酒になる。

 

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これはもう、大吟醸以上に贅沢な酒だ。

「雫(しずく)酒」 と銘打って販売している蔵もある

(「金寶(きんぽう) 自然酒」 でお馴染みの 仁井田本家 さん)。 

 

「大地さんでこの造りを体験する会員を募って、やってみませんか」

と工場長にそそのかされ、すっかりその気になった参加者が数名。

小さな樽でやるとして、さて、いくらの酒を何本買い取ることになるか......

ちょっと真面目に計算してみようか、とまんざらでもない自分がいたりして。

 

蔵人3人衆。

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左から、社長の次男・哲野(てつや) さん、浅見彰宏さん、板橋大さん。

浅見さんはご存知、山都町に就農した次世代リーダー。

板橋さんは U ターンで山都に戻って農業を始めた。

二人は夏に野菜セットを届けてくれる 「あいづ耕人会たべらんしょ」

の主力メンバーである。

 

自著のPRも忘れない浅見彰宏。 

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来週開催の 「大地を守る東京集会-オーガニックフェスタ」 では、

放射能連続講座でスピーチをお願いしている。  

 

飯豊蔵をバックに、記念撮影。 

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みんなの後ろに積まれた雪の中には、

「雪室貯蔵」 の純米酒が眠っている。

 

さあ、いざ交流会に。 

すみません、続く。 

 



2013年2月 7日

陸前高田で復興にかける八木澤商店、"魂" を語る

 

引き続き、こちらの報告も遅ればせながら。

 

1月22日(火)、大地を守る会の幕張本社に、

岩手県陸前高田市から老舗の醤油メーカー

 (株)八木澤商店の九代目社長、河野通洋さんが来社された。

せっかくの機会だから、ということで

夜に社員向けに河野さんの話を聞く場が設けられた。

 

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1807(文化4) 年、八木澤酒造として創業。 以来205年の歴史を誇る。

全国しょうゆ品評会で何度も農林水産大臣賞を受賞した、

東北一の哲学のある醤油メーカーと称えられてきた。

しかし2011年3月11日の震災で蔵も工場も全壊。

この難局を乗り切るにあたって、

先代の和義さんは息子の通洋さんに再建を託した。

 

絶望的な状況の中で、敢然と 「再建する!」 宣言をした若社長。

いよいよ新工場でのしょうゆ製造開始、まで漕ぎつけた。

快活さの中に気骨を感じさせる青年。

ジョークも飛ばしながら、歯切れのよい語り口で、

八木澤商店復活の物語を語ってくれた。 

 


僕は15分ほど遅れて席に着いたのだが、

通洋さんはちょうど八木澤商店の経営理念を語っていた。 

一.私たちは、食を通して感謝する心を広げ、

   地域の自然と共にすこやかに暮らせる社会をつくります。

一.私たちは、和の心を持って共に学び、

   誠実で優しい食の匠を目指します。

一.私たちは、醤(ひしお) の醸造文化を進化させ伝承することで

   命の環(わ) を未来につないでゆきます。

 

この経営理念に沿って、

まずは自分たち(地域) の自給率を上げることをモットーとして営んできた。

70代の生産者も一緒になって米をつくり、

それを地元の飲食店でも活用し、食育活動にも活かす。

地域丸ごとになって子どもたちを育てることで、後継者が育ち文化が継承されてきた。

それが地域に付加価値を与えることにもつながった。

 

地方にとって厳しい経済情勢の中でも、地域の経営者が集まって、

" 一社も潰さず、一社でも新しい雇用を生み出してゆこう "  と

皆で決算書を持ち寄って話し合ったりしてきた。

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3.11によって、2万4千人の人口の町で1800人が亡くなったが、

皆で助け合って、子どもたちは守りぬいた。

八木澤商店のある地区は 99% が壊滅したが、

3月14日には、「生命の存続 (生きる、暮らしを守る)」 を基本方針に掲げ、

まずは地域の生命維持のための物資の配給ボランティア活動から再出発した。

残った自動車学校をベースキャンプにして、

救援物資を配りながら、教室を使って勉強会を開いた。

官も民もなく、銀行も一緒になって

地域の事業所の倒産防止と雇用の確保のために奔走した。

 

八木澤商店としては、自動車学校に仮住まいをしながら、

4月1日から仲間の同業者に依頼しての委託製造を始め、

5月2日には4アイテムの製品を初出荷することができた。

順次製造アイテムを増やしつつ、商品がそろう前に東京に営業に出た。

 

ミュージシャンを救うことを目的に設立された

ミュージックセキュリティーズという復興ファンドから声がかかり、

半分は義援金・半分はファンドという形で再建のための出資を募り、

目標とした金額を3ヶ月で集めることができた。

 

2011年の12月には一関市花泉町につゆとたれの製造工場を借り、

自社での醤油加工品の製造を再開。

12年5月には同市大東町の小学校跡地を買い取り、新工場の建設に着手。

同年8月、陸前高田市矢作町に残っていた廃業した旅館を改築して

新本社(店舗) をオープンさせた。

外装は土蔵の壁に漆喰を塗った 「なまこ壁」 を再現させた。

 ( 左官屋さんは 「これが人生最後の漆喰塗りの仕事だ」 と語っていたが、

  それが新聞に紹介されたことで、注文が殺到したそうだ。)

小学校の校舎が残ったままの新工場は12月に完成し、

いよいよ念願の新しい仕込みが始まる。

 

震災から半年後の9月、

河野さんたち陸前高田の経営者が集まって、

復興のためのまちづくりの会社 「なつかしい未来創造 株式会社」 を設立した。

復興の先にある 「なつかしい未来」 に向かって、

50年で500人の雇用を生み出す新事業を展開させるのだと言う。

" 私たちは、みんながニコニコできる地域をつくるため、

  人々が共感する事業をたくさん生み出します。 "  と謳う。 

この会社の設立には、大地を守る会代表の藤田和芳が代表理事を務める

社団法人 ソーシャル・ビジネス・ネットワーク」 も協力している。

 

「 被災地は暗い顔して暮らしてると思ってませんか?

 そんなことはありません。 むしろ都会の人より明るく前を向いてます」

と言い切る河野通洋さん。

彼が言う岩手県人のポリシーは、

宮沢賢治が 「農民芸術概論綱要」 で謳った  " 全体幸福論 " 

(「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」) である。

たしかに、昨年10月に紹介した 山形村のバッタリー村 にも掲げられていた。

 

また、いま抱いている思いとして、彼は新渡戸稲造の言葉を挙げた。

「 逆境にある人は常に もう少しだ と言って進むといい。

 やがて必ず前途に光がさしてくる。」

 

「 もう少しだ、もう少しだ、と言い聞かせながら前に進んでいきたい。

 そして今年には、売上を採算分岐点まで回復させます。」

そう明言して胸を張る河野通洋さん。 輝いてるね。

この若きリーダーと彼を信じる仲間たちなら、やり遂げるに違いない。

そういえば昨年の9月、学生のインターンシップを受け入れた際に、

復興支援の一環で八木澤商店の若い女性社員が一人、研修で参加されていた。

あの子もきっと目を輝かせながら今日も働いていることだろう。

 

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八木澤商店の HP はこちらから

 ⇒ http://www.yagisawa-s.co.jp/ 

3.11直後の生々しい様子、そして復興にかける意気込みが伝わってきます。

 

なお、大地を守る会のウェブストア では、

「八木澤商店のしょうゆドレッシング」 をご紹介中です。

ご利用いいただければ嬉しいです。

 



2013年2月 2日

次世代のために耕し、たたかう -福島新年会から

 

今年の産地新年会シリーズ 「福島編」 は、1月31日から一泊で開催。

今回の幹事となったジェイラップさん(須賀川市) が用意してくれた会場は、

磐梯熱海温泉。 

参加者は9団体から22名+1名(個人契約)、計23名の生産者が参加された。

 

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昨年 は原発事故の影響をモロに受けてきての新年会となり、

河田昌東さん(チェルノブィリ救援・中部) や野中法昌さん(新潟大学) を招いての

対策会議を兼ねたものになったが、

今年もやっぱりこのテーマは外せず、学習会が組まれた。

お呼びしたのは、福島県農業総合センター生産環境部長、吉岡邦雄さん。

農地における放射性物質除去・低減技術の研究・開発に関する

最新の動向を報告いただいた。

 

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東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故は、

県内の農業生産にとって甚大な影響を与えることになることを予感させた。

そこで県農業総合センターでは、

農地での放射能対策の知見がまったくない中で、

各部署からメンバーを選抜して対策チームを結成し、7本の柱を立てて、

調査・研究と技術開発を進めてきた。

 

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詳細な報告は省かせていただくこととするが、

「県内農用地土壌の放射性物質の分布状況の把握」 では、

事故のあった 3 月末から 8 月まで

県内 371 地点の農地を 8 回にわたって調査し、

続いて 10 月から 2012 年 2 月までに 2,247 地点の調査を行ない、

それぞれ農水省のマップ作成に貢献した。

放射性物質の垂直分布では、耕耘(こううん) することによって、

根からの吸収を低減させることができることを判明させた。

 

「放射性物質の簡易測定法の開発」 では、

NaI シンチレーションカウンターを使っての測定法を開発して

県内 14 ヶ所の農林事務所に配備し、地域の詳細なマップ作りを進めた。

(現在ではガンマ線スペクトロメーターが各市町村・JA に配備され、

 シンチレーションカウンターの役割は終えた。)

 

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収穫された農産物の検査では、ただ作物別の結果を分類するだけでなく、

土壌性質との関係性や肥料成分による効果の違いなどを調べ、

一定の知見を得てきている。

今では定説のように言われている交換性カリウムの有効性も確かめられ、

稲に対するカリを与える適期なども見えてきている。

除去技術では効率的な装置の開発をすすめ一部では実用化に至った。

 - などなど、まだ研究途上のものも含めて網羅的な報告をいただいた。

 

講演後の質疑では、質問は時間をオーバーして続いたのだが、

吉岡さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれて、

「いつでも連絡いただければ、できる限りお手伝いいたしますので-」

とも言ってくれた。 

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それぞれのグループからも、報告をいただく。

いわき市の福島有機倶楽部の生産者たちは、津波の被害が甚大で、

残ったメンバーは2軒になってしまった。

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阿部拓さん(写真右端) は宮城で農地を取得し、新たな活路を見出そうとしている。

いわきの農地は今、息子の哲弥さん(左端) が守っている。

小林勝弥さん(中央) も 「苦戦してますが、微生物の力を信じて、頑張ります」。 

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。 

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「耕しながら、放射能とたたかっていく」 と力を込めた。

「 福島をもう一度、安全な農産物の供給基地にしたい。

 次世代につなぐために、安全性を立証させる責任が俺たちにはある 。」

大内さんは仲間らと 『福島百年未来塾』 を立ち上げ、

勉強会を重ねている。

 

福島わかば会(本部は福島市)、大野寛市郎さん。 

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メンバーの住む地域の範囲が広く、バラつきがあるのが悩みだが、

とにかく全員で取り組んできた。

「 今の消費者の気持ちは、安全は分かっても安心ができない、という

 感じのような気がする。

 これからは 「安心」 を取り戻せるよう、消費者とも積極的に会話していきたい。

 オレらも頑張っているので、大地の職員も頑張ってほしい。」(事務局・佐藤泉さん)

 

やまろく米出荷協議会、佐藤正夫さん。

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原発事故によって、長年かけて築いてきたブランドが崩壊した気分である。

特に、有機や特別栽培米が苦戦している。

価格への圧力も厳しい。

農家の経営を守るためにも、肥料設計も見直しながら、

減収させないように支援していきたい。

 

今回の幹事、ジェイラップ (稲田稲作研究会) は5人で参加。

代表で挨拶するのは、常松義彰さん。 

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自分たちだけでなく、須賀川全体の信頼を獲得するために、

徹底的に除染作業に取り組んできた。

ちゃんと安心して食べられる米が作れるのだということを、

周りに伝えていくことが使命だと考えている。

岩崎晃久さん(左端) のひと言。

「いま一歳の子が、元気に育っていく姿を、皆さんに見せます。」

 

そして、喜多方から 「会津電力」 構想をぶち上げた、

大和川酒造店・佐藤弥右衛門さん。

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福島県議会は、脱原発を宣言した。

しかし自然エネルギーの方向性を、県はまだ示せないでいる。

それを形にしていく責任が、我々にはある。

自分たちの手でエネルギーを創出していこう。

 

弥右衛門さんは 「ホラ吹いてたら、あとに引けなくなっちゃったよ」

と笑いながらも、すでに

『社団法人 会津電力』 の設立文書を書き上げている。

2月23日には設立総会が開かれる段取りだ。

 

皆で学び、励まし合い、最後は楽しく飲んだ一夜。

もっとも厳しい、茨の道になっちゃったけれども、

福島の有機農業者たちは、必死で己を鼓吹しながら前に進もうとしている。

共通する思いは、次世代に何を残すか、だ。

福島だからこその希望を発信しよう❢

 

僕も、この場に立ち会った者であることを忘れずに、

今年も歩かなければならない。

 

今年の新年会、これにて終了。

 



2013年1月29日

シローのリンゴは終わりじゃない

 

1月27日(日)の早朝、

大地を守る会の看板生産者の一人である長野のリンゴ農家、

原志朗さんが亡くなった。 享年50歳の若さで。。。

 

彼が厳しい闘病の中にあることを知らされたのは、

昨年の秋も深まりかけた頃だった。

年を越せないかも・・・と言われた。

以来、訃報は覚悟していたけど、いざ連絡を受けると、やっぱりショックだ。

予想だにしなかった早すぎる別れ、辛すぎる。

 

本日、告別式。

幕張から乗り継ぐこと約4時間半。

新宿から特急あずさに乗って、終点・松本から松本電鉄に乗り換えて、

波田という駅に着く。

途中、持参した本をパラパラめくっても頭に入らず、

少しずつ形を変えてゆく八ヶ岳をぼんやりと眺めていた。

会場で、長野に移り住んだ懐かしいOBたちと会う。

「お互い老けたね」 とか言い合いながら、みんなで眺めた志朗くんの笑顔が

一番若々しくも見えて、いっそう切なさがこみ上げてくる。

 

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体調の異変に気づいて検査したところ、

胆管がんが発見されたのが昨年5月のこと。

以後入退院を繰り返しながら、様々な療法にも挑み、たたかい続けた。

昨年のクリスマス・イブの日に自宅に戻って、

そして1月27日の朝、ついに永久の眠りに就いた。

 

最後まで心配していたのが、妻と一人息子のこと。

女房の明子さんは、大地を守る会の元職員。

息子の光太朗くんは中学1年生。

しっかり者の明子さんが気丈に挨拶された。

「志朗さんの遺志を継いで、やっていきます。」

 

明子さんをして 「職人」 と言わせたほどに、

志朗くんは栽培技術を追い求めた。

父親の今朝生(けさしげ) さんも、リンゴ栽培ではカリスマと言われた人だった。

学校を出た後、農業を継ぐ前に流通の現場も知っておきたいと、

大地を守る会でアルバイトをした時期がある。

当時の調布センターに寝泊まりして、

毎晩のように飲み、語り、一緒に歌ったりしたもんだ。

当時はヒッピーのような奴らが何人もいたものだから、

悪い影響を受けちゃうと親父さんに申し開きできないよ、

とか笑いながら一緒に仕事した。

しかし多少は影響を与えてしまったのか、たしか

一時海外に旅に出たこともあったな。

あの頃から僕らは、原志朗とは会えば  " やあ、シロー "  だ。

 

自分の思う栽培技術を追求したかったのだろう、

実家は次男の俊朗さんに譲って、新たな園地でリンゴ栽培に挑んだ。

おそらくは、まだ道半ばの悔しい思いもあることだろう。

紅玉という古い品種を愛していた。

 

志朗くんは亡くなっても、彼が育てたリンゴの樹は健在だ。

「原さんのふじ」 にも、人気のセット 「りんご七会(ななえ)」 にも、

志朗が育て、明子さんや俊朗くんや広瀬 (元職員で今は立派なりんご農家)

や仲間たちが守り続けてくれるフジや紅玉やグラニュースミスが、

来年も再来年も入ってくることだろう。

その度に、僕らは志朗くんを思い出して、

こっそり語りかけたりしながら、齧ってやるのだ。

シローのリンゴは終わらない。

 

天国には大好きだったバイクもロック音楽も、ないかもね。

親父さんとリンゴ栽培論争でも、とことんやってくれ。

どうか安らかに。

合掌

 



2013年1月15日

大雪パニックと 「サラメシ」

 

今季の初雪はいきなりの大雪となって、風も強く、

お陰で首都圏の物流は大混乱に陥ってしまった。

大地を守る会においても昨日は配達が完了せず、

お届けできなかった会員の方々には、モノが食料であるだけに、

金額では計れないストレスを与えたことと思う。

この場を借りてお詫びいたします。

 

この影響は玉突き的に続くので、混乱はまだ数日尾を引きそう。

それにしてもたった一発の雪で遮断されてしまう。

交通網が発達 (複雑化) したぶん、逆に

都市はこういう自然現象に対して相当に脆くなってしまったように思う。

僕が入社した頃(●●年前) は、根性で配達し切れ!と言われたりして、

ヒィヒィ言いながらも何とかやった(やれた) ものだが、

 -夜の11時半頃に鎌倉の会員宅に着いて、亡霊を見るみたいに驚かれた記憶がある-

しかし今はいきなり  " なんともならない "  パニックに立ち往生してしまう。

 

今日は、物流センターへの応援や会員さんへの連絡などで社員が刈り出されている。

しかし僕はまるで戦力外通告。

「エビさんは、今の電話システムが分かってないから使えないです。」

見守るしかない、このもどかしさ。。。

現場応援!と指示され、嬉々として走り出す男どもを見ていると、

ある種の懐かしさも涌いてくるのだった。 血が騒ぐんだよね。

いやもしかして、今の連中には普段のストレスのほうが大きいのか・・・

 

ま、そんな感じで気もそぞろになりながら、

自分には自分に与えられたミッションがある、と言い聞かせて、

去年のうちに終わらせたかった宿題をひとつ、" とりあえず " 完了させる。

この話はいずれすることになると思う。

 

さて、冷たい雨に変わった夜道を急いで帰った昨晩。

なんとかNHKの 「サラメシ」 には間に合った。

番組後半、おにぎりには海苔! という展開で、成清海苔店・成清忠登場。

いきなり撮影班に向かって

「あんたもウマイめし食いたいやろ。 ワシも食いたか。」 (だったっけ・・)

おお、カッコいいじゃないか。

 

皿垣漁協も紹介され、一番積みへのこだわりが語られる。

そしてロットごとに乾燥を調節する、真剣勝負な成清忠の姿。

仕事してるねぇ~(失礼)。

 

忠さんによれば、撮影は二日に渡って行なわれ、

昨日と同じ服を着ろと言われ、何度も同じ場面を撮らされたとのこと。

「おふくろも、何回もおにぎり握らされたとですよ。」

おふくろさんのおにぎりは、シンプルな三角の塩むすび。

ジワ~ッと口のなかで溶ける一番積み海苔があれば、それでいい。

 

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雪に見舞われ、うろたえた一日の最後に、温かい日本の食。

成清家の皆さま、お疲れ様でした。 そして  " ごちそうさま! "  です。

再放送は17日のお昼、12:20から。

観れなかった方は、ぜひ。

 

忠さんも参加してくれた

12日(土)の 「おさかな喰楽部新年勉強会」 の報告は次回に。

 



2012年12月27日

NHK 「サラメシ」 に成清(なりきよ)海苔店 登場!

 

≪来年の予告編Ⅱ≫

NHKテレビで毎週月曜日の夜(22:55~) に放映されている

サラメシ」 という番組があります。

 

ランチをのぞけば、人生が見えてくる

働くオトナの昼ごはん それが「サラメシ」

 

が番組のキャッチフレーズ。

" サラリーマンの昼めし "  だからサラメシ。

中井貴一がやけに明るい声でナレーションをつとめていて、

いろんな職場を訪ねては、楽しいお昼ごはんの風景を紹介しています。 

堂々と弁当も覗いては、家族の愛を確かめたりして。

けっこう人気の番組だそうです。

 

その 「サラメシ」 に、何と!

「有明一番摘み」 でお馴染の 成清海苔店 さん(福岡県柳川市) が登場します。

放送は1月7日か14日とのこと。

 

取材のきっかけは、番組でおにぎり特集を組むことになって、

大地を守る会が食材提供や生産地紹介でお手伝いした

『おにぎり』(グラフィック社刊) という本を番組の方がご覧になって

問い合わせて来られ、成清さんを紹介させていただいた、といういきさつ。

 

↓ こちらが、その 『おにぎり』。

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47都道府県のおにぎりと米文化の話が散りばめられた、

懐かしさとともにやけにおにぎりを食べたくなってしまう本。

 

おにぎりといえば海苔。

そこで極上の有明海苔の生産現場を訪ねる。

酸処理をしない、環境に配慮した海苔。

見た目より味と風味にこだわった有明一番摘み海苔が紹介され、

忠さんのコメントで決められている。

「海苔は、米の恋人です。」

どっかで聞いたようなフレーズだけど、いいね。

 

『おにぎり』 では、成清さんの海苔だけでなく、

王隠堂農園(奈良) さんの梅干しや、

島根県弥栄町 「森の里工房生産組合」 のきれいな棚田と

竹田英雄さんの有機米も登場。

弥栄町のおにぎり名人、岩田千恵子おばあちゃんの

「朴葉(ほおば) の混ぜご飯おにぎり」 は、

自然の四季とともにある食の豊かさを伝えてくれます。

 

さてさて、「サラメシ」 では

成清海苔店のどんなお昼風景が映し出されることでしょう。

忠さん千賀さん夫妻のアツアツぶりも見せつけられるのでしょうか。

ウ~ン、ドキドキしますね。 お楽しみに。

 

< P.S. >

成清さんを紹介した日記はもうずいぶん前になっちゃったみたい。

『柳川掘割(やながわほりわり) 物語』 と一緒に書いたのが最後か。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/01/12/

参考まで。

 



2012年12月 7日

「会津電力」 で 独立運動!

 

「 脱原発ができるできないと、国は右往左往しているが、

 福島にはそんな暇はない」

こんな書き出しの新聞記事が目に飛び込んできた。

『 自然エネで  " 独立運動 "  』 と、過激な見出しが躍っている。

 

12月3日付・東京新聞、「こちら特報部」。

コメントの主は、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」(たねまきびと) の蔵元、

「大和川酒造店」 9代目・佐藤弥右衛門(やえもん) さんである。

2面にわたって掲載されている。

 

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弥右衛門さんは近隣の仲間とともに研究会を結成し、

11月、エネルギーの地産地消を目指す 「会津電力」 構想をぶち上げた。

「独立運動さながらの熱意で全会津の結集を呼び掛ける」 と、

記者までがアドレナリンを噴出させているかのような書きっぷりだ。

 


弥右衛門さんは、すでに7月18日、

全国新酒鑑評会での金賞受賞を祝って池袋で開催された

郷酒(さとざけ) を楽しむ会」 の席でも、

「福島はエネルギー自給を達成してみせる!」 と気炎を上げていた。

その構想がいよいよ動き出したわけだ。

 

「 小水力でも太陽光でも、できるところから始めたい。

 いずれ東京電力が持っている猪苗代湖などの水利権も買い戻す」

と鼻息が荒い。

この決意の裏には、つねに東京に収奪されてきた歴史への反骨がある。

原発事故は、その会津DNAにさらに火を付けた。

「 福島の土地を汚した東電は責任を取ってもらなきゃならないが、

 われわれも会津の歴史や自然を次代に伝える責任がある。

 どんなに困難であっても自然エネルギーに転換するしかない。」

「 自分たちの電力は自分たちでつくってこそ、地方は自立できる。」

 

県も 「2040年には県内需要の100%を自然エネルギーで賄う」

という目標を掲げている。

洋上風力発電、温泉熱を利用した地熱発電、間伐材を使ってのバイオマス発電

などのプロジェクトも県内各地でスタートしている。

会津は何と言っても  " 森と水 "  であろう。

震災直後から一升瓶に水を詰めて飯館村や相馬に走った弥右衛門さんの、

これは人生を賭したたたかいになるのだろうか。

 

福島・中通りの須賀川では、ジェイラップ・伊藤俊彦が具体化に向けて動いている。

県内各地で狼煙(のろし) が上がっている。

具体的なアドバイスで奔走してくれているのは、

環境エネルギー政策研究所(飯田哲也代表) の研究員、浦井彰さんである。

 

血が騒ぐ。

「種蒔人」 を注ぐ手にも、つい力が入る。。。

 

さてそこで、

日頃より 「種蒔人」 をご愛飲いただいております会員の皆様。

来年の 「大和川酒造交流会」 は、例年にも増して熱い夜になることでしょう。

日程は2月9日(土)、宿はいつもの通り熱塩温泉(10日朝解散)。

この日に搾りを合わせて、これから醸造に入ります。

原料米生産者(稲田稲作研究会) ともども新酒完成を祝い、

未来を語り合いたく思います。

どうぞ奮ってご参集くださいますよう、お願い申し上げます。

( 会員の方には、年明け配布の 「NEWS大地を守る」1月号で募集します。

 非会員の方は、本ブログのコメントをご利用ください。

 その場合、アドレスをお忘れなく。 このコメントはアップされません。)

 

みんなで飲んで、飲んで、

飲むたびにチビチビと貯めてきた 「種蒔人基金」 も

今こそ活用の時が来たのかもしれない。

しかし・・・ もっと飲んでおけばよかった。。。

 



2012年12月 4日

「備蓄米」 生産者からの手紙

 

大地を守る会 「備蓄米(大地恵穂)」 ご予約の皆様へ

 

・・・と題した手紙を、備蓄米生産者を代表して

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんがしたためてくれた。

しかしここに書かれた内容は、 「備蓄米」 申込者だけでなく、

福島で格闘してきた生産者の取り組みや思いとして、広く、

多くの方に伝えたいと思う。

ここに掲載させていただくことを、ご了承願います。 

 

 

"復興" から "自立" へ、感謝の心とともに歩んできました。

 

あの日(3.11)から2回目の稲刈りを終えて間もなく、

10月27日に開催しました "風土 in FOOD 自立祭" には

多数の会員の皆様に駆けつけていただき、

本当にありがとうございました。

 

おかげさまで、家族と連れだって参加した生産者たちも

心からの笑みに包まれ、心和むひと時を過ごさせていただきました。

心から感謝、感謝です。

 

昨年は、大震災と原子力災害からの "復興" を誓い合い、

今年は、本当の復興は "自立するところにある" ことを

確認し合いました。

 

稲田稲作研究会は、少しずつ自信を取り戻し、

少しずつ元気になっています。

 

 

家族・仲間を守るために、子ども目線で判定することを学びました。

 

家族や仲間を原子力災害の被害者にしないための学びと行動は、

私たちの農業にも活かされ、

家族や仲間を内部被曝から守り切る農産物を作ること、

測定によって子ども視点で安全性をジャッジすること、

などの対応策を定着させました。

 

家族や仲間のために行なってきたこの当たり前の姿勢を、

出荷する農産物にも適応させることで、

"子ども目線でジャッジした農産物の出荷" を貫き通すことができた

と確信しています。

 

逆境の中から得られた数々の知見や結果の集積は、

私たちが家族や仲間を想うところから生まれたものです。

その思いは学びと測定という科学的根拠に裏打ちされ、

皆さんにお届けする農産物も、

私たちの家族に向けた必死の思いや学びが

共有されたものであることを、何よりもお伝えしたく思います。

 

 

たゆまぬ "実践" から "希望" をつかみ、さらに前へと進みます。

 

昨年の稲作は、

学ぶこと、考えること、決断すること、行動すること、

全てが手探りの中から始まりました。

 

"対策" を思い立っても、思うだけでは何も得られない。

対策を施しても、収穫して見なければ結果は解らない。

長期戦を予感させる不安の中で、

一枚一枚の田んぼから土や稲のサンプルを採取し、

汚染の実態を見極めることから始まり、

得られた知見や仮説を片っ端から実践しました。

 

無我夢中の時を経て、得られた結果は

年間60kg食べても、安全基準(年間1mSv) の1,000分の1程度

というものでした。

弛まぬ自助努力は、今期の稲作に向けて希望の種を残しました。

 

希望の種は "やる気" に変わり、

さらに昨年を下回る結果が得られてきています。

そしていま稲作研究会では、もっと前へ!とばかりに、

来季に向け、収穫を終えたばかりの約150haの水田で、

さらなる減線作業の真っ最中です。

 

 

「今年も頑張りました」

と胸を張ってお届けできる喜びをかみしめながら、

「子どもたちの未来のために」

生産者としての責任を全うします。

 

今期も備蓄米をご予約いただきました皆様、

本当にありがとうございます。

 

皆様からの "予約" という力強いメッセージが、

私たちへの大きな励みとなり、

加えて "未来ある子どもたちの人生がかかっている" と、

生産者としての責任を強く自覚させてくれています。

 

昨年産の「大地恵穂」は、一度たりとも、

2ベクレルを超える玄米・白米はお届けしていないと認識しています。

精米を行う際に常に気を配ってきた

「品質の不公平を作らない」 という姿勢と技術が、

それを実現させる仕組みにもつながったものです

 

安全基準の1,000分の1以下という数値をどう判断されるかは

皆様に一任するしかありません。

私たちにできることは、ご購入いただいた皆様に対し、

安全で美味しいお米を "可能な限り品質の不公平を作ることなく"

粛々とお届けさせていただくのみであります。

 

皆様に励まされながら、稲作研究会は学び続け、

生産活動を止めずに自立を目指せるまでになりました。

今年収穫された「大地恵穂」は、

昨年よりもさらに高い安全性が確保されています。

猛暑の影響によって若干の白濁が見られますが、

たんぱく値からして食味は申し分ない筈です。

 

ある意味、極めてあきらめの悪い農家が作ったお米です。

それはまた、私たちが一緒に暮らす子どもたちに、

それだけ手を抜くことなく頑張ってきたんだという誇りをもって、

普通に食べさせているお米でもあります。

そんなお米を皆様にお届けできる喜びを、今かみしめています。

 

来年の秋までの一年、

「備蓄米・大地恵穂(だいちけいすい)」が

皆様の食卓の安心や幸せな笑顔を支えられることを

心より願いながら、

万全の体制で保管させていただくことを、ここにお約束いたします。

 

収穫の秋を終え、深い深い感謝の念とともに-

 

2012年11月

稲田稲作研究会会長 渡辺良勝

(株)ジェイラップ代表 伊藤俊彦

 

以上です。

読んでいただき、有り難うございました。

 



2012年12月 2日

水とともに 「未来を拓く農業」

 

会津・喜多方市山都町 「堰(せき) と里山を守る会」 から

しばらく前に届いていたお米 - 「上堰米」(じょうせきまい) を食べる。

今年5月の堰さらいボランティア に参加したお礼として送られてきたものだ。

コシヒカリとヒトメボレが一袋ずつ。

堰さらいの写真が貼られている。

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下手な写真が腹立たしいのだけれど、

ピカピカと輝いていて、本当に美味しい米だった。

10月に行なわれた須賀川での 「備蓄米収穫祭」 でお土産にもらった新米も

美味しかった。 福島の米はやっぱ、ウマいと思う、掛け値なしで。

 

同封されていた 「上堰だより」 によれば、

越冬のために家に入ってくるカメムシの数はいつもより少なく、

カマキリの卵の位置は低めで、ソバの背丈も低かったそうで、

「今年の冬は積雪量が少ないかもしれません」 とある。

 

また、10月にインド・ハイデラバードで開かれた

国連生物多様性条約第11回締約国会議(COP11) の

サイド・イベントに参加された浅見彰宏さんの報告も記されている。

サイド・イベントとは、政府間で議論する本会議に対して、

NGOが企画する対抗イベントのこと。

「農業は土や水を通して生態系の保全と関係が深く、農業と原発は両立できない」

と英語で訴えてきたそうだ。

そして 「堰と里山を守る会」 の活動を、美しい風景とともに伝えることができたと。

すごいなあ。 浅見彰宏は国際人だ。

 


ここで、浅見さんが11月に出されたばかりの本を

紹介したい。 

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コモンズから、「有機農業選書」 のシリーズとして出版された。 1900円+税。

「 会津の山村へ移住して16年。

 有機農業で自立し、江戸時代から続く水路を守り、

 地域社会の担い手として活躍する、社会派農民の書き下ろし」 とある。

 

「ひぐらし農園」 と名づけた山村農園での四季の暮らしが綴られ、

有機農業の世界に飛び込んだ経緯やⅠターンゆえの苦労、

そして地域の人々との関わりや堰を守る活動から獲得してきた

農への思い、農の哲学が、実に読みやすいタッチで語られている。

放射能汚染とたたかってきた苦悩も、苦悩で終わらない、

有機農業の力と明日を信じる浅見さんの願いが伝わってくる。

 

最後のほうで思いがけず、大地を守る会とのつながりと

「会津の若者たちの野菜セット」 企画が実現したくだりも紹介されていて、

嬉しくなってしまった。

 

最後に掲げられた浅見彰宏の信条。

「 ひぐらし農園のめざす農業は 『未来を拓く農業』 でありたい。

 そのためには、社会性があり、永続的であり、科学的であり、誠実であること。

 そして、排他的であってはならない。」

 

イイね。

浅見さんが農から発信するなら、僕はこの地平から応えたい。

そしてつなげてゆきましょう、人と人を、価値と価値を。

未来開拓者は、いま、あらゆる分野から生まれ出なければならないのだ。

 

食べものと環境とのつながりを見つめ直し、

暮らしをどう設計するか、し直すか、

一人一人が立ち止まって考える時代にあって、

16年前に、農の世界に、しかも雪深い山村に飛び込んだフロンティア、

「社会派」 農民が描く未来のかたち。

ぜひたくさんの人たちに読んでほしいと思う。

 



2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

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これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

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お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

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「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

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東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

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仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

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このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

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一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

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ワラの香りがする牛肉!!!

 

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燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

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山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



2012年11月13日

ブナ1本で 一反の田を

 

  森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)

                                                 - 『森は海の恋人』 より -

 

11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。 

(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)

前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、

彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。

いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。

 

まだ目新しい、キレイな看板が立っている。

今日のために立てたのかしら。

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ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。

「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。

 

それにしてもスタッフの方々は大変だ。 

わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。

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ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。

ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。 

 

2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。

見慣れた横断幕が掲げられている。

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南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。

八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。 

源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。

 

今年の参加者は150人くらいか。

大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。

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諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。

我々は5班にあてがわれる。 

少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。

いざ作業開始。

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黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。

子どもたちの未来のために- 

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親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。 

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黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、

水源の環境維持も、おそらく同義である。

ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。

 

自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、

将来の水を担保させる。

これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、

すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。

だから僕は前から機会あるごとに、

こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ

(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、

と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。

消費は何でも同じではないのに。

 

安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、

こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、

「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。

一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、

社会の基盤づくりでもあるのだ。

 

思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。

 

20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。

今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。

5 班の方々、お疲れさまでした。

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20年間で、植えた広葉樹が15,130本。

持続こそ力、だね。

 

今年も変わらず、美味しい水だった。

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永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。

 

作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。

毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの

「ぶなっこコンサート」 も開かれる。 

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(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)

 

オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、

そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、

みんなで合唱する。

 

交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。

今も残る、第1回(1993年) の時の看板。 

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しっかりしたブナの森に育ってきている。

その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない

生産者たちの汗がある。 

 

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カモシカのフン、発見。 

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しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。

野生動物も増えているらしい。  

森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。

 

植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。

「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。 

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古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。

約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、

反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)

= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。

 

この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、

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僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを

根底から変えなければならない時に来ているのではないか。

 

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、

今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。

来年も植えるかどうかは未定、とのこと。

 

それでも、できることならこれからも来たいと思う。

断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。

自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。

 



2012年11月12日

心に ブナの森を

 

水は生命を支える土台であり、しかも  " 水系 "  は

エネルギーも提供してくれる重要な地域資源になる。 

地域の力でエネルギーを創り出せば、

お金(富) も外に出てゆくことなく、地域で循環させることができる。

 

その資源の源といえば、森に他ならない。

森と水系をしっかりと守りさえすれば、

水はいつまでも私たちに安心の土台を与え続けてくれる。

 

しかし、水資源の涵養が維持されなければ、水流はやがて途絶える。

あるいは鉄砲水となって麓や町に災害をもたらす。

そのあとには水不足が待っている。

またひとたび水系が汚染されると、

人々は未来への予知不能な不安に怯えることになる。

まさに今の世がそうだ。

僕らは水が教えてくれる大もとの作業も忘れずに続けなければならない。

人の心に木を植える。。。

 

栃木・那須から帰って、一日おいて11月2日、秋田に向かう。

第20回に到達した 「秋田・ブナを植えるつどい」。

記念講演も用意され、

この地でブナを植える活動のきっかけを与えてくれた畠山重篤さんが呼ばれた。

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秋田行きの 「こまち号」 が強風のためだいぶ遅れ、

会場である五城目町の 「五城館」 に着いた時は、

すでに畠山さんの講演が始まっていて、元気な声が会場の外まで聞こえてくる。

身振り手振りを交えながら、畠山ワールドの展開。

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畠山さんの話は後半しか聞けなかったけど、

おそらくは震災の凄まじい体験から始まり、自然の力あるいは偉大さ

(もしかしたら人間というもののちっぽけさ) が語られ、

おそらくは生命が湧くほどに豊か " だった " 幼少の頃の暮らしも語られ、

山や森とのつながりへと展開されていったのではないかと推測する。

 

山の落ち葉らの腐植から生まれるフルボ酸が鉄とくっついてフルボ酸鉄となり、

川を伝って海に運ばれながら植物やプランクトンを育てる連関。

僕が椅子に座った時は、まさに畠山さんの十八番(おはこ) である

" 地球は鉄の惑星でもある (鉄があったゆえに植物が生まれた) " 

の世界へと聴衆を誘っているところだった。

 

シベリアからオホーツク海を経て三陸にいたる陸と海のメカニズム。

学者たちが後追いのような形で証明してくる生命のつながり。

津波の後、例年より強い勢いで育っているカキたちと自然の奥深さ。

さらにはカキという生物の面白さ・・・ 全身で表現する畠山重篤さんがいた。

元気になって、ホントよかった。

 

畠山さんは昨年2月、

国連森林フォーラムが 「2011年・国際森林年」 にちなんで設定した、

森を守るために地道で独創的な活動をする 「フォレスト・ヒーローズ」

8人の一人として選出され、世界から称えられた。

 

授賞式はニューヨーク・国連本部で行なわれた。

そこで貰ったという金メダルを見せてくれる。 

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今や世界から注目される  " 森のヒーロー "  となった畠山さん。 

「 " 森を守る "  功労者に、漁師を選んでくれたことが嬉しい」 と語る。

「これは、森を考える時は川や海のことも考えよう、というメッセージになった」 と。

 

  森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく (熊谷龍子)

 

 - これからも広葉樹の森を育てながら海を守っていきたい。

地震と津波というとてつもない災禍や絶望を超えてきて、

この人のなかにある木は、さらに巨きく枝を伸ばし葉を繁らせたように思う。

震災後の牡蠣のように。

 

秋田から帰ってきて、久しぶりに 『森は海の恋人』

(1994年・北斗出版刊、今は文春文庫で買えます) を手に取った。

山にも海にも、たくさんの生き物(幸) が

当たり前のように満ち満ちていた時代があった。

例えばこんなくだりがある。

 

  広葉樹の山々の沢から流れる水は、どんなに大雨が降っても濁ることはなく、

  川には魚が満ち溢れていた。 岩魚(いわな)、山女(やまめ)、鰻、いくらでも採れた。

  夜突きといって、松の根に火を灯して、夜、川に入ると、

  一尺五寸を越す岩魚がウヨウヨしていた。

  いつでも採れるので、食べる分しか採らなかった。

  山女も、鱒(ます) のような大きなのが居て、ヤスで突いて何なく採った。

  腰に下げたフクベは忽ち重くなり、家に帰ると直ぐ割いて竹串に刺し、

  炉端で焼いて御菜(おかず) にした。

  「ほんとに夢のようでがす!!」 とおばあちゃんも、目をしばたたかせている。

  夢のような話は、まだ続く。

 

山と海の深いつながり (「木造船は、海に浮かぶ森であった」 とか)、

子供を一人前の漁師に育ててゆく人と自然と生き物たち、

そのつながりがもたらす豊饒の世界が、実に愛情深く描かれている。

加えて、関係を断ち切ってゆく 「近代」 という波がもたらした貧しい世界も。

熊谷龍子さんの格調高い短歌を配置して、

これはすごい文学作品だと、改めて思ったのだった。  

 

講演会が終わった後、畠山さんにご挨拶をして、いつぞやのお礼を言う。

かすかに覚えていてくれたか、いやどうだか分からないが、

でもまあ 「ああ! おーおー」 と笑って応えてくれた。

これだけで、僕は満足。

 

夜は、「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さん宅で、

懇親会という名の楽しい宴会。

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黒瀬さんが男鹿の港の市場から調達してきたマグロと、

いつも陣中見舞いに来てくれる安保農場・安保鶴美さんのきりたんぽをメインに、

今回の秋田の地酒は、銘酒 「白瀑(しらたき)」。

 

黒瀬さんと安保さん。

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黒瀬家は家族も増えて賑やかだ。

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息子の友基・恵理さん夫妻に、

長男・悠真くん(5歳)、長女・花穂ちゃん(3歳)、次女・志穂ちゃん(1歳)。

 

本番を前にして、例によって飲み過ぎ、

もうずいぶん古い付き合いになった奈良のSさんと遅くまで語り合ったのだが、

朝になると何を話したのか、どうも思い出せない。

これは大事なことや、大事なことやからエビちゃんに伝えておくんやぞ、

とか言われていたように思うのだが・・・

スミマセン、Sさん。 また来年もお願いします。

 



2012年11月 6日

それでも 世界一の米を!

 

「備蓄米 収穫祭」 & 「自立祭」 レポート - PartⅡ

 

収穫祭で飲んだり語り合っている間に地元の方々や関係者も集まってきていて、

午後2時半、「自立祭」 の開催が宣言される。

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「元気ですかーッ!」

気勢を上げる稲作研究会会長・渡辺良勝さん。

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右は落ち着いた司会さばきを見せるジェイラップ専務の関根政一さん。

 

自慢の食材や季節の果物が並べられる。

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すっかりお馴染みになった佐藤良二さんの手打ちうどん。

今年は天ぷらも登場。

お好きな具で天ぷらうどんを、どうぞ。 ニクイね。 

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あちこち歩きながら、生産者と語り合ったりしているうちに、

食べそびれてしまった。

きれいに揚がった色とりどりの野菜や菊の花の天ぷら・・・ くやしい。

 


改めて壇上に立ち、挨拶する伊藤俊彦さん。 

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原発事故と放射能に慄きつつも、立ち向かってきた俺たちのたたかいは

無駄ではなかったし、むしろ予想以上の成果を獲得した。

そして昨年の 「復興祭」 から一年。 今年もみんなで頑張ることができた。

自分たちの地域は自分たちの手で守る、という自信も取り戻せたように思う。

そんな自立に向かう意気込みを込め、

関係者の皆様の支援に支えられたことに深く感謝して、

「自立祭」 を祝いたい。。。。 (本当はもっとカッコいい挨拶だった。)

 

ここに到着して、慌ただしくなったスケジュールの確認中に聞かされた

感謝状授与という話。

え? え? 何それ? 聞いてないよ。

「ああ、いま初めて言ってるんだけど、貰ってくれるよね。」

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照れも通り越して、恐縮しまくり。 文面にも気が込められていて・・・

 

『 感謝状
  大地を守る会 藤田和芳殿

貴社におかれましては 東日本大震災による被災ならびに
東京電力福島第一原子力発電所事故に起因する原子力災害に慄き 
意気消沈する私たちに対し 復興への導きと希望の再生のために 
救援物資の提供 原子力災害に対峙する学び 放射能分析設備の貸与 
復興に向けた経済支援 独自の情報発信活動など 
積極的なご支援を賜ってまいりました。
特に原子力災害という未知の環境汚染対策に対しましては 
共に闘っていただいているという実感の中で 
この逆境に立ち向かう気力と勇気を賜りました。

おかげ様をもちまして 顔を上げ 前を向き 
一歩ずつですが復興に向けての気概を増幅させ 
生きることの基本である " 自立 " を目指せるまでになりました。

2012年  " 風土 in FOOD 自立祭 "  を開催するにあたりまして
復興から自立に向けて継続的に努力精進してまいりますことを
お約束申し上げますと伴に 一層のご指導 ご尽力を賜りますことを
切にお願い申し上げます。

ここに賜りました数々のご厚情に対しまして 
真心からの深謝の念を感謝状に込め お伝え申し上げます。

二〇一二年十月二十七日
株式会社ジェイラップ
農業生産法人 稲田アグリサービス
代表 伊藤俊彦 』

聞いている途中から、この1年半を思っってしまい、

泣き虫のワタクシは耐えることができない。

必死でこらえながら (いや、すでにむせび泣いているのだけど)、

感謝の言葉を伝えさせていただいた次第。

戎谷挨拶.JPG

何を言ったのか思い出せない。

夢を語り合いながら一緒にたたかって来れたことに、そして

素晴らしい米を消費者に届けることができる喜びをかみしめていること。

この2年、ひたすら頑張ってこられた皆さんと連なって仕事ができたことは、

僕の誇りです。 深く感謝申し上げたい。 

声を詰まらせながら、そんな感じだったような・・・

 

お酒を持ってお祝いに駆けつけてくれた大和川酒造店・佐藤和典工場長(写真左)、

次世代のリーダー・伊藤大輔くん(中央) と一緒に一枚。

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では、こちらからもささやかではありますが、

収穫祭に参加された会員や職員からのメッセージを、贈らせていただく。 

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渡しているのは、会員で 「米プロジェクト21」 メンバーの鬼弦千枝子さん。 

「あの日から大変な困難とたたかってきた稲田の生産者はスゴイ! 

 これは私にとっても誇りです!」

(本当はもっとカッコいい挨拶だった。

 鬼弦さんのブログ でもレポートされてます。ぜひご覧ください。)

 

「自立祭」 宴たけなわのところで、

最後に記念撮影。

集合写真.JPG

 

皆さんが笑顔で収まってくれて、また感激が募る。

そして、、、生産者に見送られながら、慌ただしく帰途に。 

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バスの中で頂戴した感想に、またまた泣きそうになる。

「大地を守る会の会員で、本当によかった。」

 

最後にお知らせ。

備蓄米の追加募集が近々のうちにも行なわれます。

会員の方々にはチラシが入ります。 WEBストアからも申し込めます。

 

2009年3月に出版された、稲田の取り組みのルポルタージュがある。

このタイトルをもう一度、蘇らせたい。

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(奥野修司著、講談社刊 1,800円/近々文庫化されるとの情報あり)

 

まさにこのタイトルを借りて 新年の講演会 をやったのは2年前。

何だか遠い昔のような気がする。

 

彼らの、今の思いは、こうだろうか。

『それでも 俺たちは 世界一の米を作ってみせる!』

 

どんな困難な時も、この志を忘れることなく、常に前を向いて

" 安全で美味しい "  米作りを目指してきた稲田稲作研究会。

今年も美味しいお米ができたことを、ここに報告いたします。

しかも責任持って、来年の秋までモミ付きで貯蔵します。

1993年の大冷害の教訓から生まれた、

世界一美味い(と自負する) お米の、世界一の保管システムで、

一年間の 「食卓の安心」 をお約束します。

 

稲作研究会の生産者たちは、放射能対策に対しても敢然と立ち向かいました。

「できることはすべてやろう」 を合い言葉に、

徹底した検査と具体的な対策のたゆみない実施により、

検査したすべての玄米で 「ND(検出下限値未満)」 を達成しました。

 

そして今、彼らの夢は 「自然エネルギーの郷づくり」 へと広がっています。

彼らを支えているのは、

20年以上にわたる  " 食べてくれる人のたしかな存在 "  に他なりません。

 

今年最後の募集となりました。

未来への夢を託した渾身のコシヒカリで、一年の安心と笑顔の食卓を

一人でも多くの方にお届けできることを願っています。

 

 2回にわたる 「収穫祭&自立祭」 のレポートでは、

   弊社EC戦略室・大塚二郎撮影の写真をたくさん借りちゃいました。

   ありがとう。

 



2012年11月 5日

「備蓄米」収穫祭 & 自立祭

 

改めて、10月27日(土)の 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 から振り返りを。 

少しでも現地の空気が伝えられたなら嬉しいです。

 

東北自動車道で事故渋滞の連続攻撃に見舞われた我ら一行は、

1時間半遅れで、須賀川市は 「稲田」 と呼ばれる地区に到着。

早速ほ場に出向き、今年取り組んだ除染の実演を見学する。

耕起風景.JPG

どうもザックリと 「除染」 と言ってしまってるけど、

ここでの対策は土を剥ぐわけではない。

 プラウ耕といって、土の表層と深層をひっくり返す反転耕。 天地返しとも言う。

セシウムが留まっているのはせいぜい表土10cmあたりまで。

そこで表層30cmを下の層と反転させることで、

根の成長期では届かない下層にセシウムをとじ込める。

 

生産者団体 「稲田稲作研究会」 を束ねるジェイラップでは、

昨年耕作を放棄した田んぼも借り受け、反転耕を実施して、

線量を3分の1まで下げることに成功した。

彼らは地域全体の安全確保のためにも動いてきたのだ。

 

実演を見学する参加者たち。

見学風景.JPG

 

説明するジェイラップ代表、伊藤俊彦さん。

圃場で説明する伊藤俊彦.JPG

 

天地返しによって表層にあった土の栄養分がなくなって、

稲の生育によくないのでは、という声もあるが、伊藤さんは動じない。

「 もともと昔からあった土づくりの技術ですよ。

 これでかえって根の張りが良くなって強い稲になるはず」 と解説する。

 


本当はこれだけでなく、

一年かけてやってきた対策をひと通り見てもらおうと、

生産者たちは張り切って準備していたのだが、

残念ながら割愛させていただく。

ライスセンターでも、自慢の太陽熱乾燥とモミ貯蔵のタンクを見てもらい、

あとは簡略した説明となる。

 

太陽熱での乾燥設備。

太陽熱乾燥.JPG

小さな穴が空いているベッドにモミが並べられ、

ラインの奥にあるプロペラが回りながら撹拌してゆく。

こうして理想的な乾燥状態に持っていって、いったん眠りに着かせる。

 

こちらがモミ貯蔵タンク。

モミ貯蔵タンク.JPG

一基150トン × 3基で、450トンの保管能力がある。

保管されたモミ米は、注文に応じて籾すりされ、

精米-袋詰めまで一貫してここのライスセンターで行なわれる。

来年の梅雨を越しても品質を劣化させない、

まさに 「備蓄米」 のために作られたような設備だ。

 

駆け足で見学して、交流会の席へと急かされる。

生産者たちには、随分と待たせてしまった。

交流会.JPG

 

挨拶もそこそこに、乾杯をやって、懇親会突入。

今年も食べてくれる人の顔が見れる。

その喜びは、消費者が想像している以上に大きい。

生産者紹介.JPG

 

自慢の生産者を紹介する常松さん。

こうやって毎年繰り返しながら、僕らの信頼関係は知らず知らず深まってゆく。

 

今年の特徴は、大地を守る会と稲田稲作研究会の 「収穫祭」 だけじゃないこと。

地元地域の人たちも招いての感謝祭も一緒に実施されたのである。

昨年は別な日程で、「復興祭」 と銘打って開催されたものだが、

今年は、「風土 in FOOD 自立祭」 となった。

 

「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で、守る育てていくために

「復興から自立へ!」

そうだ、力強く、前に進もう!

 

会場を広げて、「自立祭」 の開催。

風土 in FOOD.JPG 

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2012年10月15日

"奇跡の出会い" から30年 ~ 山形村物語(最終回)

 

しつこい山形村レポート、最終回とします。

 

広々とした牧場で悠然と過ごす短角牛を眺め、

直後に牛ステーキを 「なるほど」 とか言いながら腹に収めた一行は、

休む間もなく会議室に。 

村 (今は 「町」 だけど) の関係者に集まってもらっての意見交換会を開催。

 

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口火を切ってもらったのは、元山形村・村長の小笠原寛さん。

1983年、35歳の若さで村長となり、4期16年にわたって村の発展に貢献された。

就任当時、たしか日本一若い村長さんとして

週刊誌にも登場したことがあったと記憶している。

今も毎日山に入る、現役の林業家だ。

 

「 30年前に村長選に立候補しようと思ったきっかけは、

 とにかく村の人たちに自信と誇りを持たせたい、という一心だった」

と小笠原さんは語る。

都会に出た時に、「岩手県山形村出身です」 と胸を張って言えるような村にしたいと。

 

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小笠原村政のポイントは、地元にある資源と文化を見直し、

それを基盤にして  " 自立 "  を目指したことにあったように思う。

レジャー施設やリゾート開発といった都市追従型の資源の切り売りではなく、

短角牛と山林資源を柱にした地場産業のしっかりした立て直しと、

地域の文化を再発見して、食の安全や環境で勝負しようとしたことだ。

〇〇がないからできない、ではなくて、〇〇がないからこそ〇〇ができる、と

村民たちとの対話を進めた。

当時としてはまだ新しいグリーンツーリズムの発想も持っておられた。

そして文化の再発見には、外からの視点が必要だとも考えておられた。

 

そんな時に、大地を守る会と出会ったのである。

小笠原さんにとって 「この出会いは、まさに奇跡だった!」。

 

都市との交流が盛んになるにつれ、村への誇りも湧いてくるようになった。

短角牛にも一流シェフのファンがついてきて、

草を食む健康な牛-グラス・ビーフ として注目されてきた。

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100%国産飼料への道のりは簡単なものではなかったが、

「これで自分たちのブランド・イメージが固まった」 と、

短角牛肥育部会長の下館進さん (上の写真右端) は語る。

若手のホープである柿木敏由貴さん (同左から二人目) が

家に戻って就農しようと決意したのも、

「経済だけじゃない。 たくさんのファンが来てくれ、価値を認めてくれる」

「外(都市) の人たちとの交流が活発に行なわれている」 ことを

「面白い」 と思ったから。

 

自給飼料を増やすために、遊休地をデント・コーン畑に変えてきた。

これは景観維持にも貢献している。

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しかしそれでも、生産者の減少による悩みは、ここも同じである。

林業も高齢化が進み、

確実に 「山を手入れする人は減ってきている」 (小笠原寛さん)。

それによって自慢の山の幸も少なくなってきた。

これからの重大な課題である。

 

短角牛を使い切るために、スジ肉やたくさんの具材を使って

短角牛マンを開発した 「短角牛マン母ちゃんの会」 の下館豊さん (下の写真・右) と、

「まめぶの家」 を運営する谷地ユワノ (同・左) さん。

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牛マンの開発にあたっては、

配合を変えたり具材を付け加えたり、何回も何回も試作して生み出された。

今も季節によって具を変えたりしている。

日量300~400個つくれるようになって、

ようやく観光会社からも大量の注文が入ってきたと喜んでいる。

 

まめぶに至っては、7つの集落ごとに具や味付けが違っていて、

以前に 「まめぶサミット」 というのを開いてコンテストをやったが、

みんな自分のが一番だと主張して、決められなかったとか。

この各戸秘伝の味が今や久慈の郷土料理として市全体に広がって、

月一回の料理教室も開いている。

近々北九州で開かれる 「B-1グランプリ (B級ご当地グルメ大会)」 

にも出展するらしい。 

まめぶを   " B級グルメ "  とはいかがなものかと思ったが、まあ

前に出ようという勢いがあるのはイイことか。

 

最後のあたりで、牛の王子様・カッキー こと柿木敏由貴が注文をつけた。

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スローフードとして短角牛が認定されたけど ( 『味の箱舟』 のこと)、

あまり経済にはつながってないように感じる。

いま検討されている 「マニュアル」 というヤツも、

ただの紹介や参考書のようなものでなく、

現実に地域の経済 (生産者の経営) に貢献できるものに作り上げてほしい。

 

委員会一同、「肝に銘じます」 。

 

肝に銘じたところで、山形村編、終わり。

ようやく終わったと思ったところで、

明日は朝6時に出発して、福井県小浜市に向かうことになっている。

今夜は飲まない、少ししか。。。

 



2012年10月13日

山形村 「物語」Ⅱ - 走る短角牛

 

今日は、 NPO法人農商工連携サポートセンターが主催する

「食農起業塾」 というセミナーに呼ばれ、1時間半の講義を務めてきた。

セミナーには、食や地域起こしで起業を目指す人、農業を夢見ている人など、

年齢もバラバラな25人ほどの男女が参加されていて、

与えられたタイトルは 「大地を守る会が目指す流通」 というものだったが、

勝手に 「大地を守る会が目指す流通とソーシャルビジネスの展開」 と書き加えて、

大地を守る会が誕生した背景から歴史、現在の事業や活動の概要、

そして自分たちに課してきたミッションの意味やこれからの課題などについて

お話しさせていただいた。

 

こういう場で大地を守る会の話をするとなると、必然的に

「食とは何か」 という観点を土台にせざるを得なくなっちゃうのだけど、

食を育む自然や環境とのつながりは、どうしても欠かせない要素となる。

食に関わる人の営みは常に環境にも深く、あるいは間接的に関与していて、

その質によって例えば生物多様性を豊かにすることもあれば、

激しくダメージを与える場合もある。

前者は人の心身も豊かにさせてくれるものとなり、

後者は持続性すら失いかねないものとなる。

どっちに転ぶにせよ、その最大の貢献者は 「食べる」 という行為である。

何を選び、どう食べるかという 「消費」 の質が、

社会の命運を決める最大要素の一つだと言えるのではないか、

とすら僕は思うのである。

 

「 君はどんなものを食べているか言ってみたまえ。

 君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

とは、18世紀から19世紀にかけてフランスに生きた美食家、

ブリア・サヴァランの有名すぎるアフォリズムだが、

不思議なことに、その著書 『美味礼讃』 の冒頭で、

上記の一行前に記された言葉が引用されることは少ないように思う。

曰く- 「国民の盛衰は、その食べ方いかんによる。」

この意味において、「食文化」 とは趣味やグルメの話ではない。

 (いや、サヴァラン先生は 「グルマン」 と呼んで真の美食家の意味を説いておられる。)

 

郷土の伝統食を、当たり前のように家庭の味として育んできたということは、

その風土や環境が大切にされてきたことと、いわば同義である。

厳しい東北の気候風土にマッチして、粗飼料で逞しく生きてきた

「日本短角種」 を、何としても守っていきたい、という心が、

輸入濃厚飼料による霜降り牛肉によって淘汰されてしまった時、

この国が失うのは一つの種だけではないだろう。

 

「食文化を地域活性化の材料に」 と考えることはまあ良しとして、

ならばこの風景を、何としても見てもらわなければならないと思ったんだ。 

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山形町荷軽部に開かれた短角牛の基幹牧場、通称 「エリート牧場」。 

この呼び方は個人的には好きじゃないけど、

まあ生産者にとってはこの環境こそがエリートなのだろう

(種牛のエリートが放されているというのが本意らしいが)、

林地も含めて約60ヘクタールの土地に60頭の牛が放牧されている。

それが2ヶ所。 つまり一頭につき1ヘクタール。

欧米でも理想とされる放牧面積だ。

 

田んぼや畑と同様、元はといえば自然を破壊してつくられた

牛肉生産のためのほ場なのではあるけれど、

草を食む牛という動物への配慮をもって開かれたものである。

問題はそれをどう大切に維持させていくかの思想ということになるだろう。

 

牛たちは、厳しい冬季は牛舎内で育てられ、春になると山の放牧地に放たれる。

牛たちは喜んで走り回るという。

思いっきり駆けたあとで子を探す母牛がいたりするらしい。

そして放牧期間中に自然交配され、冬に牛舎で子を産む。

仔牛は母に連れられて放牧され、母乳で育つ。

短角牛の母は子育て上手と言われていて、

よって牛は気だてがよく健強に育つ。

 

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自然のなかで育った短角牛の肉質は、低脂肪で赤身になる。

引き締まった肉には、旨みの源であるグルタミン酸やイノシン酸が豊富で、

噛むほどに味わいが増す。

そもそも脂肪のとり過ぎを気にしながら、筋肉に脂が入った柔らかい牛肉を求めること自体、

極めて不自然な欲求と言える。

サヴァラン先生が現在の日本を見たら、どんな皮肉の言葉を発することだろう。

 

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「いやあ、牛って走るの早いんですわ。」

そんな説明を聞ける場所が、この国の何処にあるだろうか。

 

エリート牧場を視察後、昼食は 「平庭山荘」 という村唯一のホテルで、

短角牛ステーキを注文する。

人間の頭は実に自分に都合よくできているものだ。

彼らの肉を食らうのに抵抗感がない。

まあ農水省の方や調査員の方々にも食べてもらわなければならないし。。。

 

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平庭山荘に注文がある。

美味しかったです。 とても美味しかったけど、

ステーキだけじゃなく、もっとリーズナブルなお値段で短角牛を食べられる

料理も用意してほしい。 せめて、せめて1,000円前後までで。

けっこう懐にもこたえる昼食でした。

領収書を貰ったって、会社が持ってくれるわけないし。。。

皆さんもここは短角牛ステーキを食べるしかないという気分で、

村に貢献した視察にはなったけど。

 

午後は、関係者が集まってきて意見交換会が設定された。

すみません。思い入れが強くて、終わらないね。

さらに続くで。。。

 



2012年10月12日

岩手県山形村 「物語」 - 農舎とバッタリー

 

「物語が生まれる社会の豊かさ」 とは哲学者・内山節の言葉だが、

ここ岩手県久慈市山形町、僕らが今も言う 「山形村」 にも、

人の交流によって数々の物語が生まれた。

 

「食文化」 の専門家でもない自分が検討委員に推挙され、

自分の持っている最大限の知識とセンスで、できるだけ貢献したいと思って

吟味した結果、推薦した地域がふたつ。 

そして山形村が調査地域としてピックアップされた。

全国各地で模索されている地域活性化の取り組みに、

少しでもヒントになるものが提出できれば嬉しい。

 

10月11日、朝9時前に農水省の担当官がバス停に到着し、

昨夜山形村入りした調査員お二人とともに、村内を巡り始める。

 

久慈市山形支所で、山形村短角牛の概要をレクチャーしていただき、

最初に訪れたのは、第3セクター 「有限会社 総合農舎山形村」。

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短角牛をはじめとする地元一次産品の持続的な安定生産を支えるための加工施設として、

久慈市と新岩手農業協同組合、そして(株)大地を守る会の共同出資により

1994年に設立された (当初の出資者は、山形村、陸中農協、(株)大地牧場)。

 

設立されて18年が経ち、これまでに開発された加工品は150アイテムに上る。

従業員はパートタイマー含め32名。 すべて地元雇用である。

年間売上約2億円の半分は、働く村の人たちの給与と

地元生産者の収入(=農舎の仕入額) に落ちている格好だ。

 


到着して、工場長の木藤古(きとうご) 修一さんがイの一番に見せてくれたのが

これ、松茸!

「ようやくとれ始めましたよう。 1ヶ月遅れですかね~。 

 会員さんを待たせてしまっているようで、スミマセ~ン」 と頭を下げる。

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山形村を代表する山の幸。

まだ小ぶりだけど、これから順次発送が開始される。

農林水産大臣から頂いた認定証と一緒に記念撮影。

 

こちらは山ぶどう。 野村系と言われる品種で、粒が大きく糖度がある。

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山ぶどうの生産者は48人いるが、生産工程がきちんとトレースできる

3名と契約している。

大地を守る会の基準に基づいた生産を約束してくれた3名、という意味である。

 

その山ぶどうを原料に作られた、100%果汁とワイン。 

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山ぶどうワインは、イオンさんのブランド 「フード・アルチザン」 にも認定され、

11月にはお店に並ぶことになっている。

 

大地を守る会で独占しないのかって?

Non Non! ひとつの販売先に経営を依存してはいかんのです。

しっかりと自力で販路を開拓することが、地域に根を張る加工場としての

大切な自立戦略なのです。

というわけで、今年の春からは、

アレフさん (ハンバーガーレストラン「びっくりドンキー」を経営、宗教団体ではありません)

から委託された外販用ハンバーグの製造も始まっている。

こういう広がりがあるからこそ推薦もできるわけである。

 

こんな企画も用意されている。

11月9日、あの世界のトップソムリエ・田崎真也さんを招いての

山ぶどうサミットだと。

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もちろん山形村短角牛についても、

着実に消化する受け皿として機能している。

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写真右端が木藤古修一さん。

 

続いて向かったのは、修一さんのお父さんである

徳一郎さんが運営する 山村生活体験工房 「バッタリー村」。

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戸数5、人口18人、

国からの助成は一切受けてない日本一小さな村。

出迎えてくれたのはバッタリー村大使、山羊の 「とみー」 ちゃん。

女の子ですけど。 

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バッタリーとは、わずかな沢の流れを利用して石臼を搗いて、

雑穀を製粉したりする道具のこと。 立派な自然エネルギー技術である。

この村には、宿泊所 「創作館」 はじめ、炭焼き体験所、

炭焼き小屋を復元した「山村文化研究所」、

露天の五右衛門風呂 「徳の湯」 などがあり、

自然を活かした生活文化を体感しようと、毎年たくさんの人が訪れる。

まさにグリーンツーリズム立村。

 

今年は都市との交流30年を記念して、新たな公園が開設された。 

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公園といっても、どうも山の入口に看板を立てただけのように見える。 

う~む、逆転の発想か。

 

木藤古徳一郎村長。

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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 

宮沢賢治の 「農民芸術論綱要」 を村の精神として掲げる、誇り高き村長である。

僕の好きな一節は以下。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ

 

  ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ来ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園と

  われらすべての生活を ひとつの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか

 

ちなみに、大地を守る会で販売する自家採種の野菜や地方品種のブランド名である

「とくたろうさん」 は、徳一郎さんのお父さんの名前から頂戴したものである。

じっくりと徳一郎さんの話を聞きたかったのだが、

今日のスケジュールはせわしない。

いよいよ短角牛へと向かう。

 

さらに続く。

 



2012年10月11日

ふるさとの 「食文化」 が誇りとなる道筋

 

岩手県九戸郡山形村。 現在は岩手県久慈市山形町。 

2006(平成18) 年3月、久慈市との合併で 「村」 は消滅した。

しかし、僕らにとってはやっぱり 「山形村」 は 「山形村」 だ。

その気持ちは 「村」 の人にとっても強いものがあって、

我らが山形村短角牛は、合併の翌年、思い切って商標登録を取得した。

村の名をこの牛に託したのだ。

したがって、『山形村短角牛』 は愛称や名残りで呼んでいるのではなく、

正しい名称であることを、ここに改めて宣言しておきたい。

 

その短角牛と白樺の里にやってきた。

何年ぶりだろう。 10年以上にはなるね。 

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以前(8月10日付9月20日付) お伝えした、

農水省他関係省庁によってつくられた 「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

久慈市山形町が事例調査の対象地域のひとつとして選ばれた。

今日はその調査にやってきたのである。

 

平庭高原にある、東北で唯一の闘牛場。

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大会は今度の日曜日(14日) だとかで、幟(のぼり) も立って準備万端相整い、

あとは牛の登場を待つばかり、という感じ。

ああ、それに合わせて来たかったのに、、、

いや、これは観光ではないのだと自分に言い聞かせる。

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実は昨日のうちに現地に入った僕は、

宿でひと足お先に山形村の食材を堪能させていただいた次第 (もちろん自腹)。

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ウグイの塩焼きにシメジの煮浸しに米ナス焼き・・・

そして、これが山形村の郷土食の代表選手とも言える 「まめぶ汁」。 

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胡桃と黒砂糖の入った小麦団子に焼き豆腐・野菜・きのこが入ったすまし汁。

正月・結婚式から葬式まで、地元では欠かせない行事食の一品。

各家庭ごとにその家の味があると言われる。

この山形村の伝統食が、今では久慈市全体の郷土食として語られるようになった。

嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・

というのが山形村のお母ちゃんたちの心境のようだ。

 

こちらは 「ひっつみ」。 (写真が下手でスミマセン。)

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小麦粉をこね、薄く伸ばして手でちぎって (これを 「ひっつむ」 という)、

鶏肉や季節の野菜、きのこなどと一緒に煮込む。

 

これらのふるさと料理や昔から栽培されてきた雑穀など、

村の人にとっては当たり前すぎて  " 価値を見直す "  など考えもしなかった食材を、

「発見」 したのは都市の消費者との交流によってだった。

30年前の話である。

きっかけは、大地を守る会が、日本の風土に根ざした健康な牛肉として

山形村の 「日本短角種」 という品種の牛肉を販売したことによる。

 

Gパン姿の、金もない若者がやってきて、「短角牛」 を販売したいと言う。

こんな素性の知れん奴らに売って大丈夫なのか、

村はすったもんだの議論になったようだが、

不自然な霜降り肉が幅を利かす市場競争のなかで、

このまま短角牛を脱落させるわけにはいかない、少しこいつらに賭けてみるべか、

ということになったらしい。

牛のことはよく分かってなさそうだが、一所懸命な感じだし・・・

決断したのは、当時の陸中農協販売部長だった木藤古徳一郎さん。

現在の 「バッタリー村」(後述) 村長さんである。

 

1981年12月、3頭の出荷から 「大地を守る会」 との取引が始まった。

そして2年後、「山形村産地交流ツアー」 が開催される。

都会の消費者が山形村に足を踏み入れて感激したのは、

風土に根ざした食とそれを育む自然の姿だった。

 

いま大地を守る会国際局の顧問をしていただいている小松光一さんが、

こんなふうに書いている。

「 山形村には、日本各地では近代化によってつぶされてしまった暮らし方や文化が、

 いまだ 「未開」 のプリミティブなものとして残存していた。

 いわば、山形村は、農業近代化が充分に開花結実しえないままに、

 農業近代化をのりこえようとする団体、「大地を守る会」 に出会ってしまった・・・ 」

  - 小松光一・小笠原寛著 『山間地農村の産直革命』(農文協、1995年刊) より -

 

以来30年。

山形村と大地を守る会の交流は続き、

2005年には国産飼料100%の牛肉を実現した。

サシ(脂、霜降り) の入らない赤身肉として、

健康な香りのする旨み成分の高い牛肉として、

今や何人もの一流シェフから評価を頂くようになった 「山形村短角牛」。

この牛肉を柱として、気がつけば、

まめぶやひっつみも自慢の郷土食として堂々と振るまわれるようにもなった。

 

そして今日は、「食文化を地域活性化につなげるためのマニュアル作成」

にあたっての、事例調査となったわけである。

 

続く。

 



2012年10月 3日

収穫祭 & 自立祭

 

幸い台風17号の被害はそれほどなく(沖縄を除いて)、

しかしホッとする間もなく、真っ盛りとなった今年の収穫の秋はどこも豊作気味で、

販売へのプレッシャーはどんどんきつくなってきている。 踏ん張り時だね。

 

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 でも、今月は二つの収穫祭が続く。

10月20日(土) が、千葉・山武での 「稲作体験」 最終イベントとなる収穫祭。

そして27日(土) が、福島・須賀川での 「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭。

 

その 「備蓄米」 収穫祭では、

例年にない試みが準備されてきている。

生産者組織 「稲田稲作研究会」 の米の集出荷を担当する (株)ジェイラップが主催して、

地元の人たちを招いての

 『風土 in FOOD 自立祭』 と銘打ったイベントが組まれ、

大地を守る会との収穫祭も、これにジョイントするという仕掛けになったのである。

 

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(昨年の収穫祭から)

 

ジェイラップでは実は昨年もこの時期に、

地元の人たちと一緒に 「復興祭」 というのを催している。

そして今年は、「復興から自立へ」 をテーマに掲げた。

そこで、例年だと9月末か10月頭に催していた当会の収穫祭も、

それに合わせる形で日程を組むことにした。

備蓄米の生産者と大地を守る会の消費者による収穫祝い、という枠を越えて、

地域の人たちとも一緒に 「自立」 を謳おうというワケだ。

 

純粋に 「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で守り育てていくために-。

  (ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんの呼びかけから)

 

さて、そこでご案内です。

大地を守る会では、東京駅から大型バスを借り切って向かいますが、

席がわずかながら残っております。 いかがでしょうか。

震災による被害、さらには原発事故という苦難を乗り越え、

一丸となって対策に取り組んできた生産者たちの生の声に耳を傾け、

未来に向けた意気込みを感じ取っていただけたなら嬉しいです。

 

スケジュールは以下の通りです (「続きを読む」 をクリック)。

 


◆日程 10月27日(土)

◆行程   7:50 東京駅八重洲中央口ヤンマービル前集合

       8:00 出発

      10:45 東北自動車道・鏡石PAスマート出口下車

      11:00 現地着

            ほ場見学~除染実演

      12:00 施設見学(米乾燥設備、備蓄米貯蔵タンク、精米設備など)

      13:30 交流会 ~地元の食材一杯の交流会です~

              生産者紹介、会員からのメッセージなどなど

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 (昨年の交流会風景)

 

      14:30 「風土 in FOOD」 開催

              オープニング/トークショー/旬彩料理と地酒満喫・直売コーナー

              /屋外ライブ など

      16:00~16:30 終了(「風土 in FOOD」 は続いています) バス発

      19:00頃 東京駅着 解散

◆参加費(バス代込み) 大人(中学生以上) 3,000円、小学生以上 1,000円

                小学生未満 無料

◆持ち物 水筒など。 お弁当は不要ですが、食事開始が13:30頃になります。

※ 車・電車での参加も OK です。 最寄駅=東北本線・鏡石駅(送迎します)

 

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 (同上)

 

行ってみようかしら、と思われた方は、

「コメント」 にてご連絡ください (メールアドレスをお忘れなく)。

折り返し詳細の連絡を差し上げます。 (コメントはアップしません。)

 

復興から自立へ!

" 安全で美味しい米づくり "  に懸けてきた彼らが、

いよいよ脱原発社会に向けて、

自然エネルギーによる自立した地域を築こうと前に進む姿を、見てほしい。

そして彼らの情熱を支えているのは、他ならぬ消費者の存在です。

どこよりも美しい生産地を再建する、

その輪を一人一人のつながりによって大きくしていきたい。

会員・非会員を問わず、一人でも多くの参加を願っています。

 



2012年9月20日

有機農産物はニーズではなくて、未来を育てる食

 

今日は茨城県つくば市にある農林水産省の施設

「農林水産研修所つくば館」 まで出かけて、久しぶりに有機農業の話をしてきた。

農水省が実施している 「農政課題解決研修」 の一環とやらで、

全国の農業改良普及センターの普及員を対象とした

4日間の 「有機農業普及支援研修」 プログラムの一枠での講義を依頼されたのだ。

与えられたテーマは 「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

実は 昨年 も同様のテーマでお話ししたもので、

もう依頼は来ないだろうと思っていたら、「今年もぜひ」 との要請を受けた。

去年の話がどんな評価を受けたのかは分からないけど、

どうやら  " 講師選定のミス "  という判定にはならなかったようである。

 


そもそも有機農産物を  " 消費者ニーズ "  という視点で捉えると本質が見えなくなる。

食品に対するニーズは多種にわたる。 価格・味・規格・鮮度・・・

有機農産物のそれは 「安全性」 ということになるのだろうが、

考えるべきことは、その要求の根底にある 「安全性への不安」 に対して、

生産現場に関わる立場としてどう応えるか、である。

「農薬は安全です」 と説得にかかるか、

「農薬を使わず (あるいは、できるだけ減らして)、安全性だけでなく、

 環境汚染や生態系とのバランスも意識しながら育てる」 かで、

消費(者) との関係の結び方は決定的に変わる。

 

去年のブログにも書いていることだが、

大地を守る会は、消費者ニーズを感じ取ったからこの事業を始めたわけではない。

有機農産物の普及・拡大によって、食の安全=人々の健康、そして地球の健康を、

将来世代のために保証する社会を作りたくて始めたのだ。

それは必然的に生産と消費の関係を問い直す作業でもあり、

ソーシャルビジネスという概念は後から追っかけてきたものでしかない。

これは僕らにとってミッション (使命) そのものである。

 

" 次の社会 "  の答えは、「有機農業」 的社会しかないだろう。

特に3.11後、強くそう思う。

食 ・ 環境 ・ エネルギー・・・ 領域を越えてビジョンをつなげ、

次の社会の姿を示すことが、今まさに求められている。

有機JASマークは、生産者の努力と行為を証明するものではある。

しかしそのマークでブランド競争ができるものではない。

マークの裏にある 「誇り」 を、価格よりも 「価値」 を、伝えられる有機農業を

育成することが皆さんのミッションではないでしょうか。

 

気持ちはあるのだが、さてどこから手をつけたらいいのか・・・

という悩みが、参加された方から出された。

便利な手法や近道は、ないように思う。 僕には見つけられない。

「まずは地元の発掘から始めてはどうか」 とお伝えした。

生産者がいて、販路に苦しんでいるなら、地元の学校給食に提案してみては。

母親たちに 「価値」 が認められたなら、次の道が見えてくる。

・・・・・ま、言うだけならなんぼでも言える。

いざやるとなると、それはそれはしんどい作業になるかもしれない。

でも誰かのために苦労を背負ってみる、それはチャレンジする価値のあることだと思う。

人と社会のイイつながりを創り出せたなら、それは自分にしか味わえない喜びにもなるし。

 

僕にとって今日の話は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル」 検討会にも

しっかりとつながっている。

委員を引き受けた本意というか、腹の底に潜ませている期待は、

「地域を育てる食」 はきっと 「有機農業」 的世界につながっている、という予感である。

その発見と発展にわずかでも貢献できたなら、喜びだよね。

 

検討会では、地域食文化による地域活性化を形にした事例調査をやることになって、

僕は岩手県山形村(現・久慈市山形町、我らが短角牛の郷) と、

島根県隠岐郡海士町を推薦させていただいた。

候補地は事務局や他の委員からも多数出され、

嬉しいことに山形村が  " 深掘りすべき事例 "  のひとつとして採用された。

 

久しぶりに山形村に行ける立派な理由をこしらえることができた。

ついにこのブログでも、山形村を紹介する日がやってくる。 

待ってろよ、牛たち。

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2012年9月11日

紅涙 (こうるい)

 

先週末に届いた、「あいづ耕人会たべらんしょ」 若者たちの野菜セット。

定番品として毎回入れていい、と伝えてあるのが、

地元在来種の庄右衛門インゲンとこれ、オリジナル・ミニトマト。

品種名は 「紅涙」(こうるい) という。

 

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酸味が爽やかで、味のバランスがとてもよくて、とにかく品がいい、とでも言おうか。

僕のなかでは1番のミニトマトだ。

チャルジョウ農場主・小川光 の傑作品。

この種が、光さんから若者たちに受け継がれている。

売ることが誇りにさえ思える品種。

まだ 「会津の若者たちの野菜セット」 でしか扱えてないけれど、

これから間違いなく彼らの自立を支えてくれるはずだ。

こんな野菜を、いつまでも、消費の力で支え応援していけたら、嬉しい。

 

今年も美味しくいただくことができた。

「たべらんしょ」 若者たちと、オーダーしてくれた会員の方々に、感謝。

 



2012年8月26日

稲田を自然エネルギーの郷に・・・

 

連続講座・第4回を整理している間にも、

世の中は動いている。

今年の暑い夏のピーク時でも、電力は余裕を持って供給されたことが判明した。

関西電力管内も、大飯原発の再稼動がなくても

電力会社間の融通で足りただろうという結果である。

 

政府が3択で問うた原発割合に対する国民の回答は、

討論型世論調査で47%、意見聴取会で68%、パブリックコメントでは90%が、

「原発0%」 を支持した。

 

もはや 「勝負あった」 と言わざるを得ない。

当初の読みが外れた方々は、

「意見を言う人は反対派に多い」 とか、「偏りがある」 とか、

恥ずかしい強弁を始めたようだが、

上記の3形式で国民の声を聞いてエネルギー政策を決める、

と言ったワケなんだから、その方針に沿って進めてもらわねばならない。

 

さて、僕らも前に進まなければならない。

8月23日(木)、福島県須賀川市・ジェイラップを訪問して行なった

小さなミーティングの報告をしておきたい。

同行していただいたのは、環境エネルギー政策研究所(ISEP) の研究員、

浦井彰さん。 

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ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんとずっと話し合ってきたことを、

いよいよ実行に移そうという魂胆である。

「ここ稲田地区を、エネルギー自給率100%の郷にしよう。」

 


構想は、太陽熱・風力・水力・バイオマスのベストミックスであるが、

まずは、自分たちでできるところから始めよう。

ジェイラップの施設の概要を浦井さんに見てもらい、

太陽光パネルの設置について検討する。

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屋根の方角から耐荷重の問題、電線の位置などチェックし、

「これなら相当できる」 という感触を確かにする。

 

しかもセンターの倉庫は、屋根にスプリンクラーが設置されていて、

井戸水を汲み揚げて水を散水する仕組みになっている。

夏に倉庫内の温度を一定に保たせるための工夫で、

たしかに倉庫内は涼しく快適なのだ。

「これでパネルを冷やせば発電効率はぐんと上がりますよ!」 と

浦井さんも嬉しそうに話す。

 

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こんな感じ。

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こちらは、例の食品の乾燥工場。

南向きの屋根も、なにやら主張していないか。。。

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丘の上から全体を眺めながら、会話が弾む。 

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問題は、風力・水力・バイオマスとなると、

地元住民合意の上で、地域一体型で進める必要がある。

そのための具体的プランを描かなければならない。

ま、そこはダテに何度も酒を酌み交わしてきたわけではない。

イメージはできている。

 

今回同席いただいた上の写真左の背中の方は、

水道や浄化槽のメンテナンス業を営む 「(株)ひまわり」 という会社の、佐藤博社長。

須賀川で取り組まれている 「菜の花プロジェクト」 のリーダーであり、

今年4月に開催された 「第12回全国菜の花サミット in ふくしま」 (※) の

実行委員長も務められた方である。

  (※) 過去のブログ参照 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/29/

                   http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/30/

 

休耕田や転作田を使って菜の花を栽培し、

ナタネ油を絞って学校給食や家庭で利用してもらい、

廃油を回収してディーゼル燃料 (BDF) に精製して、ゴミ収集車を走らせる。

昨年3.11の直後にガソリンがなくなったときも、

須賀川では3台の収集車がいつも通り回っていたという話である。

 

すでに基盤はあるのだ。

こういった地元の静脈産業や企業・自治体・住民を巻き込んで、

エネルギー自立の町を、フクシマに建設する。

  バイオマスでは 森林除染に貢献できるものにしたい、というのが野望である。

  環境再生とともに、食の安全もはかられる。

  長い道程になるだろうが、誰かが始めなければ進まないし、

これは、稲田の米が当たり前に生産し続けられる(=食べてくれる) ことで、

実現することなのである。

 

(株)ひまわりで、廃食油の精製プラントの説明をしてくれたのは、

総務部長の岩崎康夫さん。 

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なんと、大地を守る会の備蓄米の生産集団である 「稲田稲作研究会」 の元代表、

岩崎隆さんの弟さんである。

こういうつながりを発見するのは、本当に楽しい。

 



2012年7月19日

郷酒

 

 - と書いて、「さとざけ」 と読む。

初めて聞いた、という方も多いことと思う。

それもそのはず、これは最近生まれた言葉である。

全国各地に点在する36の小さな蔵が集まって活動する

日本地酒協同組合」 が新たにつくった造語。

 

「郷酒(さとざけ)」 は 「地酒(じざけ)」 とは違う。

「地酒」 とは、その土地で造られた地の酒という意味だけど、

特に原料までは規定していない。

それに対して 「郷酒」 とは、原料である米からして地元で栽培したお酒、

というこだわりを表現したもので (もちろん仕込み水も)、

長年、日本地酒協同組合を引っ張ってきた元理事長(現在は専務理事) である

大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さんは、

「これからは、この言葉を広めていきたい」 と目論んでいる。

 

実は 「地酒」 という言葉も、知られていない各地の銘酒に光を当てようと、

日本地酒協同組合が 「全国地酒頒布会」 を催してから広まっていったものと聞いている。

で、これからは 「地酒」 じゃなく 「郷酒」 だと?

そう。

何を隠そう、その 「郷酒」 をもって全国新酒鑑評会2年連続金賞受賞

という栄冠を勝ち取った蔵こそ、

会津・喜多方の 「大和川酒造店」 に他ならない。

 

というわけで昨夜(7月18日)、

大和川酒造の2年連続金賞受賞を祝って、

「郷酒(さとざけ) を楽しむ会」 なる催しが開かれたのだった。

場所は池袋・東武百貨店バンケットホール。

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全国新酒鑑評会に出品するお酒の多くは酒造好適米 「山田錦」 で造られている、

という話は日本酒愛好家の間では常識である。 

山田錦の産地は兵庫県で、蔵の腕を競う鑑評会のために多くの蔵は、

その山田錦を兵庫県から仕入れている。

 

この風潮に敢然と立ち向かったのが、大和川酒造店だった。

地元の米を使ってこそ地酒屋であろう、という意地と誇りをかけて、

自社保有の田んぼで山田錦の栽培に挑んだのだ。

暖地の米である山田錦を雪深い会津で育てる。 これは暴挙に等しかった。

雪の中で稲刈りをやった話など、何度となく聞かされたものだ。

しかし苦節13年、今や自社農場 「大和川ファーム」 は

酒造好適米の横綱 「山田錦」 栽培の北限地と言われ、

そして2年連続の金賞、という栄誉をゲットしたのである。

 

お祝いに駆けつけた応援団を前に挨拶に立つ九代目・佐藤弥右衛門さん。

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右が工場長&杜氏を務める弟の和典さん。

左が大和川ファームの責任者、磯辺英世さん。

 

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集まった酒客たち。 

 

次世代も育ってきた。

長男の雅一さん。 右が次男の哲野(てつや) さん。 

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去年のパーティ は、震災と原発事故もあって感動もひとしおだった。

今年はだいぶ落ち着いた趣になったけど、 

復興はまだまだ終わっていない。

 

九代目弥右衛門の宣言。

「福島はこれから、食だけでなくエネルギーでも自給率100%を目指す!」

 

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おめでとうございました。

これからも共に-

 



2012年7月11日

耕し続けたい! の思いを込めた野菜セットを

 

番組の途中ですが、お知らせを一つ。

 

宅配会員の方々には今週のカタログと一緒にチラシが入っているかと思いますが、

僕の所属する専門委員会 「米プロジェクト21」 からの応援企画である

『 ~里山の有機農業とつながる~

 会津・山都の若者たちの野菜セット』 も、

早いもので5年目のご案内となりました。

 

このセットをつくるのに結成された 「あいづ耕人会たべらんしょ」 を代表して、

浅見彰宏さんからメッセージが届けられたので、

ここでもぜひ紹介させていただきたいのです。

 

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 ( 「たべらんしょ」 のメンバーたち。

  後ろ左から二人目、愛犬を抱いているのが浅見彰宏さん。)

 

今年は3月11日に最初の種を播きました。

まだ辺りには 1m もの雪の残る中、鎮魂と希望の思いを込めた種蒔きでした。

その野菜たちも気温の上昇とともにぐんぐん育ち、

間もなく収穫の時を迎えます。

 


昨年の今頃、私たちは不安の中にいました。

未曾有の放射能漏れ事故で、一体これからどうなっていくのか。

会津での放射能の影響はどれくらいなのか。

福島で農業が続けられるのだろうか。

不安を払拭するために、

そして今まで通り安心な農産物を作り続けることができるのか

確認するために、収穫のたびに野菜を検査に出しました。

そしてうれしいことに、放射能が検出されることはありませんでした。

 

風向きの影響で、喜多方市山都町での放射能の降下はわずかに留まりました。

しかしその偶然の上に胡坐をかいていくわけにはいきません。

と同時に有機農業の基本である土づくりや循環を

断ち切ることもしたくはありません。

ゆえに今年は農産物だけでなく、田畑に投入する堆肥やぼかし、

米糠、鶏糞などの有機質肥料も放射能検査をしています。

これ以上の放射能の蓄積や拡散を防ぐため、

そしてこれからも会津で安心な農産物を生産し続けるために。

 

一方で残念ながら福島全体では、農業はますます苦境に立たされています。

昨年の混乱の中、多くの農民や研究者の努力や検証の結果、

会津だけでなく中通りや浜通りでも放射能の作物への移行は

予想以上に少ないことが判りました。 そのメカニズムも判りつつあります。

福島の豊かな土壌は、降下した放射性物質の多くを土中に吸着させ、

農作物への移行を防いだのです。

 

しかし放射能は土壌だけでなく、農家の心にも大きな影を落としました。

先祖伝来の土地で耕し続けることはおろか、住む所さえ奪われた人たち。

土地を耕し作物を育てたことをなじられ、

被害者がまるで加害者のように言われたこと。

真摯にデータを取り、公表することが一部の人には理解されないこと。

そしてこの春には

県内の一部の地域では新たな作付禁止、制限指示も出されました。

誰かのせいで勝手に降り注いだ放射能を、

農家自身が骨を折って除染しなければならないという現実。

その厳しさを前にあきらめという気持ちが広がっています。

あれだけ美しかった福島の豊かな農村風景が、

まるで櫛の歯が抜けるように、壊れ始めています。

それはただ農地が荒れていくだけではありません。

地域社会が壊れ始めているのです。

 

だからこそ、今までと同じように農業と向き合え

土に触れることができる有難さを、

私たち 「あいづ耕人会たべらんしょ」 は昨年よりも増して感じます。

そしてこの幸運に感謝し、耕せる以上は、

できなくなってしまった人たちの思いも込めて耕し続けなければなりません。

 

今年も山都町にはたくさんの新規就農希望者が集まってきてくれました。

彼らも近い将来、福島の代弁者・後継者にきっとなってくれるはずです。

そんな私たちの思いも一緒に、

野菜セットを味わっていただければうれしいです。

 

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山都(やまと) という美しい名の中山間地の村で、

有機農業に挑む若者たちと出会って5年になる。

つないでくれたのは、

米の生産者・稲田稲作研究会や蔵元・大和川酒造店と一緒に開発した

純米酒 「種蒔人(たねまきびと)」 だった。

山都に入植し、冬は酒蔵で働く浅見さんと出会い、

当地で有機農業を実践・指導する 「チャルジョウ農場」 の

小川光・未明(みはる)父子とつながり、

そこで鍛えられた若者たちによる野菜セットが初めて届いたのが、

4年前の秋のこと。

以来、少しずつでも継続できる喜びを、彼らとともに噛みしめてきた。

 

原発事故と放射能汚染という過酷な事態を経験しながらも、

ここ山都には、有機農業を目指す若者が途絶えることなくやってくる。

彼らはやがて里山や水系を守る柱となってくれることだろう。

未来への希望を捨てない、未来を信じる若者たちが育てた野菜。

彼らが守ろうとしている会津の伝統品種も、さりげなく入ってくるはず。

 

一人でも多くの人に食べてほしい!

今年はホントに、ホントに、そう思うのであります。

 



2012年6月26日

科学者国際会議と現場の知

 

23日(土) から昨日まで、二泊三日で福島を回ってきた。 

23~24日は、猪苗代にある 「ヴィラ イナワシロ」 にて、

『市民科学者国際会議』 に参加。

でもってその帰りの足で、須賀川の「ジェイラップ」を訪問。

代表の伊藤俊彦さんと、米の対策の現状確認と、これからの作戦会議。 

秘密の会議とか言いながら、所はばからず、お互いでかい声で

深夜まで語り合った。

 

「ヴィラ イナワシロ」 - ここに来るのは2年ぶり。

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2年前の 『有機農業フォーラム』 では、総料理長・山際博美さんの手による

地産地消の料理に感動したのだったが、山際さんは昨年独立されて、

あの美しい料理に出会うことができなかった。

それどころか無残にも変貌していて、正直言ってがっかり、のレベル。

今回は特に海外からたくさんのゲストが来られたのだから、

自然豊かな猪苗代の風景とともに、和の料理を堪能してもらいたかった。

短期間で準備を進めた実行委員会を責めるつもりは毛頭ない。

哲学を持った一人の料理人、こういう人の存在の大きさを、

改めて実感した次第である。

 

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さて、『市民科学者国際会議』 。 

3.11以降、放射能汚染と被曝の影響を最小限にすべく取り組んできた

科学者と市民が一堂に会し、内部被曝の知見を持ちより、

放射線防護のあり方や今後の方向性について語り合う。

科学を市民の手に、市民のための科学を、そんな視点を共有する人々が

ヨーロッパ各国から、そして日本から集まった。

 

会場内での撮影や録音は禁じられたので、写真はなし。

丸二日間の会議内容は多岐にわたり、ここではとても整理し切れない。

いずれ細切れにでも触れてゆくことで、ご容赦願いたい。

概要は特設WEBサイトにて ⇒ www.csrp.jp

 


ここで僕の勝手な印象に基づく全体的な共通認識をまとめてみれば、

1.「(生涯被ばく量が) 100ミリシーベルト以下であれば人体への影響はない」

  という国際基準は、内部被曝の影響を極めて過小評価しており、

  核や原発を推進する立場からの、政治的な判断である。

2.低線量被曝の影響の大きさを示唆するデータはいくつも出てきているが、

  科学的エビデンス(因果関係の立証) を求められているうちに、

  たくさんの被害が抹殺されていっている。

3.放射能による健康危害はガンだけでなく、

  様々な疾病との関連から精神的影響まで、幅広く考えなければならない。

4.福島での国の対策は非常にお粗末なものであり、今も遅れたままである。

  救いは、民間レベルで必死の対策が取られてきたこと。

  医療や健康相談などでもたくさんの医師がボランティア的に支えていること。

  (その裏返しとして、国への厳しい批判や怒りの言動となって表われる。)

 

今回の座長を務められた

ドイツ放射線防護協会のセバスチャン・プフルークバイル博士が、

最後のまとめで語った言葉。

「(内部被曝に対する) 過大評価と過小評価の、両極端を乗り越える

 新しい方向に向かわなければならない。」

 

過小評価には 「そうしたいから」 という意図があり、

それが真実であったとするなら、「それはよかったですね」 ですむのだが、

逆の結果が明らかになってきた場合に対処できない恐れがある。

被害や影響は多少過大に見積もって、そこから対策を考えることで、

被害を抑えることができる。

ここに 「予防原則」 の意味がある。

 

福島県内から参加された方、あるいは福島から避難したという方々には、

科学者の厳密な論争はストレス以外の何物でもなかったようだ。

「あなた方は (福島の現状を前に) いったい何を議論しているのか!」

といった声が上がった。

手弁当でここまで来られた科学者や医者に向かって失礼な罵声だとは思ったが、

行政の対応などにイラ立ちながら暮らす人々からの、

切実な期待なんだと受け止めてもらうしかない。

 

科学と市民は、いつだって彼岸で対峙しているわけではない。

科学者が対立している間にも、その狭間で日々判断しながら暮らしている。

長い時間をかけて立証される疫学調査の、

結果が出るまで思考を停止しているわけでもなく、

疫学的思考は科学者だけが行なっているわけでもない。

市民は市民なりに  " 科学している "  のである。

科学者はそのレベルをよく理解して、知の橋渡しをする必要がある。

科学の言う  " リスクコミュニケーション "  がうまくいかない時というのは、

だいたい初動から相手を理解できていないことが多い。

 

報告の中で驚いたことは、

フランスで福島由来と判断されたヨウ素131が検出されていたという事実。

私たちが思っているよりずっと、外国は事態を冷静に分析していて、

僕らは本当に事実がちゃんと知らされているのだろうか、

という不安が捨てきれない。 このことこそが問題だ。

 

かたや、徹底的に事実を自分たちのモノにしたいと、

測定器を届けた途端に、何から何まで測り始めたジェイラップの生産者たち。

彼らは今、自分たちの土地の状態を、誰よりも把握している。

 

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学者も舌を巻いた、汚染MAP。

これをもとに対策を立て、今年はもっと高みを目指す。

 

本邦初公開。 田んぼごとの土質のマッピング。 

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土質の違いによる養分吸収力も把握し、適正な施肥設計を立ててゆく、

というのが本来の目的だったはずだが、

これが放射能対策にも活かされることになる。

 

考えられるだけ考え抜いて、とにかく、実践する。

結果は何らかの形で、その行為に反応してくる。

伊藤さんはほとんど仮説に基づいて動く実践主義者なのだが、

僕はこれこそ科学者の資質だと思ったりするのである。

 

一人田んぼを見つめる伊藤俊彦がいる(左端の畦の上)。

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今年の成果が、思った通り! となるかどうかは、まだ判らない。

 

伊藤さんとの秘密会議の内容は、秘密です。

 



2012年6月16日

エネルギーを語る 梅

 

『 キャンドルナイト @ 増上寺 』 の日。

大飯原発再稼動決定の報道をカーラジオで聴きながら、

群馬・高崎へと走る。 いや、榛名町へ、と本当は言いたい。

市町村合併は、どうも日本人から土地感覚を奪っていくような気がしてならない。

住所から榛名の文字は消えたけど、

やっぱ僕としては、高崎ではなく、榛名に向かっている、と言いたい。

 

榛名で訪ねたのは、梅の湯浅農園さん(代表:湯浅直樹さん) 。

無農薬で梅を栽培し、加工まで行なう。

かつ湯浅さんの自慢は、

太陽光発電をベースにしたエネルギー自給率の高さである。

 

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湯浅太陽光 「発電所」 と掲げるところに、湯浅さんの哲学がある。

太陽光発電によってハウス照明や保冷庫の電気を自給し、

電気自動車やフォークリフトを走らせている。

電力会社への売電では、昨年45万円の収益があった。

太陽熱温水システムでお風呂のお湯をまかなっている。

梅の剪定枝や間伐材などを利用した薪ボイラーによって冬の暖房を乗り切る。

バイオマスならぬ  " バイオモス (燃す) "  と湯浅さんは名づけている。

 

その上にある 「榛名町きのこ生産組合 上神支部」 は、

昨年、地域内のシイタケから基準値を超える放射能が検出されたことによって

地域全体が出荷自粛となり、ついに解散となった。

この問題の厄介なところは、今年たとえ 「不検出」 の結果を得たところで、

販売が元に戻る保証がない、という闇の中に置かれることだ。

この地域に対する評価を挽回するのにどれだけの時間がかかるのか、

誰にも見えない中、それに耐えるだけの体力 (経済力) が続かない、

と判断されての解散・・・ と聞かされた。

 

中山間地農業の経営における重要な柱がひとつ、折れてしまった。

電力会社からの補償は、シイタケ販売での1年の損失補てんだけ。

当地のシイタケの原木は、今も放置されたままだ。

地域資源の循環回復にこそ、

国や電力会社は責任を持たなければならないのではないだろうか。

まるで補償金という名の手切れ金みたいで、腹の底から怒りがこみ上げてくる。

 

シイタケでの出荷規制についても、僕は言いたいことがある。

昨年の事故直後での汚染による影響はともかくとして、

今そしてこれからは原木の除染が鍵となるだろう。 由来は原木なのだ。

基準を超えたシイタケが発生した地域をまるごと出荷停止にするという

「地域」 を単位にした隔離政策のような対症療法ではなく、

徹底した原木のトレース(出自を明確にし検査を徹底する) と浄化を実施し、

その安全性を確かめた原木で栽培されたものを供給する、

というシステムづくりに向かうことが、適切な施策というものではないか。

 

ナラ・クヌギなどのホダ木をシイタケ栽培の原木として使用する際には、

一度水に漬ける(浸漬) 工程がある。

ここでセシウムの除去試験をいろんな形で実施することを提唱したい。

(高圧洗浄機での洗浄では、40%程度セシウムが低減することが分かっている。)

 

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湯浅さんが太陽光発電システムを導入したのは、

阪神淡路大震災の翌年、96年からである。

震災の時、湯浅さんは

自身が理事を務める 「日本青年団協議会」 の視察団メンバーとして韓国にいた。

「食糧もエネルギーも輸入に頼っている日本の危うさ」 を、

外国にいて強く感じたという。

 

今日、湯浅さんを訪ねることになったのは、

梅の収穫までに訪問するという約束を果たしておきたかったことに加えて、

この日にひと組の消費者が千葉から梅の収穫のお手伝いに来る、

ということもあった。

一緒に話を聞かせてもらえば湯浅さんの手間も省けるだろう。

合わせて、湯浅さんが心待ちにしている一枚の紙、

放射能検査結果の通知書を持参した。

測定結果は 「 ND (不検出/検出限界値10Bq)」。

まずはひと安心。 湯浅さんの安堵した顔が見れて、こちらもホッとする。

 

収穫作業を楽しむ親子。 

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収穫した梅を、キズものを取り除きながら、

サイズによって選別する。 

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この日の梅酒用青梅の出荷先は有機野菜の宅配会社、

業界では老舗と言われる 「大地を守る会」 というところに、40 ㎏。

まだ昨年からの影響が残っている。 厳しい数字だ。

( なお、袋の口を閉じるテーピングが下手なのが届きましたら、

 それは大地を守る会のエビスダニという人のせいだそうです。)

 

お昼を食べた後しばし、湯浅さんの栽培へのこだわりや、

自然エネルギーへの取り組みなどを聞かせてもらう。 

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湯浅さんのテーマは、徹底した自給自足。

電気機器メーカーに16年勤めて家業を継いだ時から築いてきた。

有機農業によって 「食」 を自給する。

深井戸を掘り 「水」 を自給する。

そして 「エネルギー」 の自給を達成させる。

それは自ずと自然を汚染させない生き方とリンクするものとなる。

 

原発事故は、彼の目指す体系の糸を断ち切るものに他ならなかった。

怒りや悔しさは収まるものではないが、敗北はもっと悔しい。

完全自給システムの完成に向けて、湯浅さんの挑戦は続く。

 

大地を守る会でも、自然再生エネルギー社会の建設に向けて

提案型のプランを模索している。

湯浅さんの挑戦は、僕らにとっても一つのモデルとなる。

何かしら支援の形を考えたいと思う。

 

自然塩にもこだわる湯浅農園の梅はしょっぱい、昔梅干しの味がする。

夢への意思がぎゅうぎゅうに詰まった梅だね。

春の低温がたたり、今年の梅の収穫量は平年の半分くらい。

彼の心中は、去年からずっと梅雨の真っただ中にある。

 

いつか、梅雨は明ける。

その時に歓喜の雄叫びを上げるためには、ただ待つのでなく、

意思を持って進まなければならない。

耐えるんじゃない、鍛えるんだ。

 

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2012年6月15日

レンコン産地を守る " 7人の侍 " に

 

今日は、茨城は土浦にやってきた。

大地を守る会が契約しているレンコンの生産者たちに集まってもらって、

放射能対策の会議を開く。

 

レンコンは田んぼでの栽培だから、当然水が入る、しかもたっぷりと。

川は山からいろんな養分を運んできてくれるが、

いま気をつけなければならないのは放射性物質の移動である。

どう推移するかは予断を許さない。

漠とした不安を抱きながら過ごすより、しっかり現実を捉えながら、

できれば先手を打ってガードしておきたい。

 

古くからのお付き合いである 「常総センター」 の加工施設 「北斗の会」 事務所に、

レンコン契約農家7名全員が集まってくれた。

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我が方からは、これからの経過観察で協力をお願いした上田昌文さん

(NPO法人市民科学研究室代表)と、

対策資材の検討をお願いした資材メーカーの方をお連れした。

 


昨年の測定では、セシウムが微量ながらも検出された所と、

まったくされなかった所がある。

どうも水系や場所によって違いがある。

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そこで、全員の蓮田の位置を確認し、昨年のデータを突き合わせて、

これからの継続的測定を実施する場所を検討する。

そこで土と水の状態を確かめ、入ってくる水を継続的に測定する。

またセシウムを吸着する資材を選択し、施用して、比較試験を行なう。

合い言葉は、「今年のレンコンからはゼッタイに検出させない」。

 

 

人によっては、こういう対策や測定を行なうこと自体、

まるで汚染されているみたいに映って、また風評被害を生む、

という懸念を示す生産者もいる。 

しかし、現実をベールにくるんで 「安全」 を標ぼうすることはできないし、

ひとたび予想を超える事実が発覚した際に (それは想定外ではないはずだが)、

" 対策がとられていない "  ということのほうがずっとヤバイ。

それは昨年の経験で痛いほど感じたはずだ。

 

食べる人の健康に責任を持ちたい、

そう願う生産者であれば、現実に立ち向かっていくしかない。

声をかければ、「待ってたよ~、エビスダニ君」 と言って

一斉に集まってくれる生産者を持っていることは、誇りにしたい。

 

「よし、やろう。 良いもんなら試してみよう。 もっとデータがほしいな」

と常総センター代表・桜井義男さんは反応し、みんなにハッパをかけてくれる。

僕も、ゼッタイに成果を上げて見せたい、と決意を新たにするのである。

 

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この対策は、7人の農家のためだけではない。

秋になって、この一大産地に悲劇が起きてはならないのだ。

この地域を守る  " 7人の侍 "  になったくらいの気分でいきましょう。

人智を尽くし、胸を張って、美味しいレンコンの収穫を迎えたいと、切に思う。

 



2012年5月11日

菅野正寿、満身に怒りを込めて

 

里山交流会で、二本松市から招かれた菅野正寿(すげの・せいじ) さんは、

各地からやってきたボランティアたちに向かって、

いま福島の生産現場で進んでいる事態を、訴えるように語った。

 

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食品中の放射性物質に関する国の新基準値 (米は100Bq/㎏) が施行される

4月1日の2日前、3月29日付で農林水産省から1枚の通知が出された。

通知の書名は 「100Bq/㎏を超える23年産米の特別隔離対策について」。

 

そこにはこう書かれていた。 

「食品中の放射性物質の新基準値の水準(100Bq/㎏) を考慮し、

 暫定規制値(500Bq/㎏) を超える放射性セシウムの検出により

 出荷が制限された23年産米だけでなく、100Bq/㎏を超える23年産米についても、

 市場流通から隔離することとする。」

 

しかも、暫定規制値(500Bq) を超えた米だけでなく、

本調査と緊急調査で新基準値(100Bq) を超えた米(=暫定規制値未満)

が発生した地域の、すべての米が 「隔離対象」 とされたのである。

なんら説明もなく、3月末の一枚の通知によって。

これによって、菅野さんたちが必死の対策努力をもって生産し、

測定を行ない、ND(検出限界値以下) を確認した上で、

その旨表示して販売していたコメまでが、

自慢の直売所 「道の駅 ふくしま東和」 から一方的に撤去された。

 

「ND なのに、それまでも ・・・」

これでは 「安全な米作り」 に賭けてきた生産者が浮かばれない。

菅野さんの怒りは収まらない。

 

検査して合格した米までが、地区でひと括りにされて 「隔離」 された。

法律上のことで言えば、米については新基準後も経過措置が取られていて、

今年の10月までは暫定規制値が適用されることになっている。

今回の一方的措置は、経過措置を無視していることと、

基準内(しかもND) であることが確かめられているものまで販売を禁止するという、

二重の意味で国の方針に離反しているのではないだろうか。

生産者や販売者の自主的な考えに基づくものではない。

国からの指示、である。

菅野さんの憤りが伝播してきて、僕の腸(はらわた) も煮えてくる。


菅野さんの訴えは、これに留まらない。 

 

菅野さんの地域は 100~500Bq の間の米が検出された地区で、

国は条件つきで作付を認めていたものだが (「事前出荷制限区域」 と言われる)、

その指示がまた現場を無視した一方的通告なのである。 

 

国から当該区域の農家に指示されていたことは、

ア) 可能な範囲で反転耕や深耕等を行なうほか、

イ) 水田の土壌条件等に応じたカリ肥料や土壌改良資材の投入、

等により、

農地の除染や放射性物質の吸収抑制対策を講じていることを確認すること。

- ということだったのだが、それが県 - 市町村と降りてきた段階で、

ゼオライトを300㎏、ケイ酸カリ20㎏、ケイカリン50㎏(ともに10アール当たり)

投入せよ、という指示になった。

 

「ゼオライト300㎏なんて、科学的に実証されてない」 と菅野さんは言う。

いや、かなり多過ぎる、というのが僕の感想。

それに 「ゼオライト」 とひと言でいっても、実は数百種類あって、

セシウムの吸着能力も千差万別だと言われている。

その辺のデータは明らかにせず (業者への利益誘導になる、という言い分らしい)、

ただ300㎏撒け、とは乱暴すぎる。

カリ肥料についても、「投入適期がまったく考慮されてない」。

加えて、その作業記録を一筆(田んぼ1枚) ごとに台帳管理しろというお達し。

試験栽培も認められないという。

 

これらの指示が4月に入って押し付けられてきたものだから、

高齢者を中心に、今年の稲作を断念する人が増えているそうである。

「出荷段階で全袋検査する方針なんだから、

 事前から強制的に、しかも地域一括で制限をかけるとは、

 農家の主体性を奪う以外の何物でもない!」

菅野さんの怒りは、もっともだと思う。

 

思うに、国にとって、農家の主体性や自立は厄介なことなのだ。

恐れているのではないか、とすら思える。

そして、民間の力を活用するとか連携するという発想に乏しい。

ジェイラップが須賀川で取り組んだ対策事例などは、

民間力を活用すれば、食の安全に対する信頼回復が

もっと効果的かつ効率的に進むことを示唆している、

と思うのだけれど。

 

信用してないのかな、国民を。

それとも自己保身なのだろうか。

手続きひとつとっても、福島農家の意欲を逆なでするような手法では、

生産者の経営安定も消費者の信頼も得られない、とだけは言っておきたい。

 

先だって紹介した 『放射能に克つ、農の営み』(コモンズ刊) に続いて、

菅野さんが執筆されている本(17人による共著、戎谷も執筆)

が出版された。 

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『脱原発の大義 -地域破壊の歴史に終止符を-』

(農文協ブックレット、800円+税)

 

「有機農業がつくる、ふくしま再生への道」

というタイトルで、菅野さんはここでも熱く語っている。

 

   私たちはあらためて日本型食生活の大切さを教えられた。

   母なる大地と太陽の力を活かす、有機農業による生命力ある農畜産物が

   健康な体と健康な人間関係をつくると思うのだ。

 

「放射性物質を土中に埋葬して 農の営みを続ける」

菅野正寿、心魂を込めた宣言である。

 



2012年5月 9日

光(ひかる)さん と 未明(みはる)くん

 

想定外にしんどかった特命堰さらい体験と里山交流会が明けた翌5月4日、

会員さんもお誘いして、帰る前にチャルジョウ農場に立ち寄る。

 

農場主の 小川光さん は、地元の方々から耕作を依頼された西会津の農場に

主体を移していて、こちらは息子の未明(みはる) さんが仕切っている。

 

覗けば、オリジナル品種のトマト 「紅涙(こうるい)」 の定植に入っていた。  

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ここは標高400メートル。 まだ朝夕は肌寒い山間部。

水も引けない場所で、光さんは無潅水での有機栽培技術を確立させた。

冷涼な気候は病害虫が少なく有機栽培に向いている、と光さんは言う。

ただし生産性は低い、はずなのだが、そこからが光さんのスゴイところである。

徹底した省エネ・低コストと環境共生で 「ちゃんと食える」 農業を実践してきた。

 

ヨモギなどの野草を生やし、害虫の天敵を共生させる。

有機質肥料もあえて生で使い、作物の根が伸びてゆく先に施す(溝施肥)。

ハウスの資材はすべてリサイクル。 パイプも農家から譲り受けては修理して使う。

わき芽や側枝をあえて取らない多本仕立のトマト、メロン栽培。

光さんが編み出した技術は本にもなり ( 『トマト、メロンの自然流栽培』 )、

08年には農水省の 「現場創造型技術 『匠の技』」 の認定を受けた。

 

息子の未明さんも、負けてない。 

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一昨年、NPOふるさと回帰支援センターが実施している

「農村六起」 プロジェクトの第1回ビジネスコンペで見事受賞し、

「ふるさと起業家」 7名に選ばれた。

 

「農村六起」 とは、六次産業 (1次・2次・3次産業をミックスさせた事業) 化の

ビジネス・プランを持って地域活性化を目指そう、という意味。

未明さんは、会津在来種の雑穀や豆類を遊休地で栽培し、

加工・販売するプランを構想している。

しかも都会から若者たちを呼び込み、地域活性にもつなげたいと、

親父に負けず、立派な農村起業家として頭角を現してきている。

 

ちなみに未明(みはる) という名は、

童話作家・小川未明(みめい) から頂いたものである。

相当に影響を受けたようだ。

僕も小学生の時、誕生日に母親から童話集を買ってもらったことがある。

赤いろうそくと人魚、牛女(うしおんな)、野ばら、港についた黒んぼ、といった

ヒューマニズム溢れる作品群が強く心の底に残っている。

でも、、、名前にまでつけられるとちょっと、しんどいかも。。。

 

研修生に、ロシアから来た若者が加わっていた。

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有機農場での研修や農作業先を提供する (農場は宿と食事を提供する)

国際的ネットワーク組織 「ウーフ(WWOOF)」 の紹介でやってきた。

「次はヨルダンに行く計画」 だと言う。 

こういう若者が増えている。

昔なら、こんな生き方してると、ヒッピーと言われて親は泣いたものだが。。。 

ま、頑張ってくれたまえ。

いや、" 頑張る "  という言葉も、彼らには適切ではないのかもしれない。

 

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好きにすれば・・・・・て感じ? 

 

未明さんを代表として、浅見彰宏さんや新規就農者・研修生たちで結成された

「あいづ耕人会たべらんしょ」も4年目に入った。

夏には 「会津の若者たちの野菜セット」 が組まれる他、

在来種 「庄右衛門いんげん」 が

とくたろうさん 』(地方品種・自家採種品種のファンクラブ) に入る予定です。

乞うご期待。

 

さて、残してしまった話題がある。

里山交流会で聞かされた、菅野正寿さんの重たい報告。 

すみません、気を締め直して・・・ 続く。

 



2012年4月30日

須賀川から、新しい社会づくりを-

 

4月28-29日、福島県須賀川市で開催された

「 第12回 菜の花サミット in ふくしま」 レポートを続けます。

 

" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "  

ドイツでバイオマスエネルギー村を誕生させたマリアンネ教授からの

刺激的な激励メッセージを受けて、

福島県下で取り組まれてきた 4つの事例が報告された。 

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【報告1】- 「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」

  東北大学環境システム生物学分野教授、中井裕氏より。

【報告2】- 「菜種に対する放射性物質の影響について」

  福島県農業総合センター作物園芸部畑作科主任研究員、平山孝氏より。

【報告3】- 「菜の花の栽培技術について」

  株式会社エコERC代表取締役、爲廣正彦氏より。

【報告4】- 「須賀川市菜の花プロジェクトの取り組みについて」

  株式会社ひまわり総務部長、岩崎康夫氏より。

 

4つの報告を僕なりにまとめて要約すれば、以下のようになるだろうか。

1.この1年、各地で試験されたナタネやヒマワリ、エゴマ等による

  「(放射性物質の) 除染効果」 は必ずしも高いとは言えないが、

  搾油した油にはほとんど移行しないため、

  畑の有効活用とエネルギー自給への取り組みとしては高い有用性がある。

  塩害農地対策としての効果を上げるには、耐塩性品種の選抜が課題のようだ。

2.ナタネ栽培を起点として、「食」 と 「エネルギー」 生産のサイクルを、

  地域の多業種が連携することで実現できれば、

  持続可能な新規の環境産業の創出 が期待できる。

3.須賀川市で展開されている菜の花プロジェクトは、以下の点で特筆される。

  A) 耕作放棄地を再生させる効果がある。

  B) 搾油された油を学校給食で使用 ⇒ 使用済み油を回収 ⇒ 

    バイオ燃料(BDF)に精製 ⇒ 軽油の代替燃料として活用する、

    という地域循環が成立している (回収には地元スーパーも参加)。

    これによって、震災直後に石油燃料が途絶えた時も、須賀川市では

    ゴミ収集車3台がいつもと同じように回ることができた!

  C) 菜の花の種まきを子どもたちが行なうことで環境教育に役立っている。

3.課題は、品種選定から安定生産、燃料の品質向上など様々に残っているが、

  とにかくポイントは、生産(製造・再生) と消費(活用) のリンクである。

  地場生産された菜種油には、油代以外の多面的な経済価値が含まれている。

  そのことをどう伝えていくか(=消費の安定的確保) が重要だと思えた。

 

続く第3部では、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんと

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事・河田昌東さんによる対談が組まれた。

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対談テーマは、「福島の放射能と食の安全」。

 

伊藤俊彦さん

 - 間違いなく、「この一年、放射能について最も勉強し、たたかった農民」 の代表だろう。

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共同テーブルで実施した学習会(白石久仁雄氏今中哲二氏) や

専門家ヒアリング(菅谷昭・松本市長) にも食らいつくように参加してきた成果が

資料によくまとめられ、また発言の随所に活かされていた。

 

伊藤さんは断言する。

「汚染されない農作物をつくるための生産技術の研究と革新に向かうか、

 ただ手をこまねいて国の基準値内に収まるのを待つか。

 これによって我々(福島) の農業の未来は明暗を分けることになるだろう。」

 

放射性物質の性質や挙動を学び、

土壌の力を分析し、食物の機能から鉱物資材の専門書まで読み漁り、

理論的根拠を忘れることなく対策を組み立ててきた。

その執念にずっと付き合ってきた専門家が、河田昌東さんである。

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チェルノブイリの経験から得た知見をもとに、

ジェイラップ(稲田稲作研究会)の試行錯誤を支えてくれた。

 

いま伊藤さんが考えていることは、

食物の力が最大限に活かされるための生産技術の確立である。

例えば、玄米には、ペクチンやセルロース・ヘミセルロース、フィチン酸など、

内部被曝対策に有効とされる機能性要素が豊富に含まれている。

自らが生産する  " 安全で機能的な玄米 "  で孫を守って見せる。

汚染されない稲作技術を確立させ、詳細な分析に基づく安全確認を経て、

玄米の機能性を最大限に生かした  " 放射能対策食 "  を目指したい。

 

例えば、黒米にある抗酸化物質(ポリフェノール、アントシアニン) や

アミノ酪酸(ギャバ)、赤米に含まれるタンニンの金属イオン結合効果。

例えば、インゲンやサヤエンドウはカリウムの吸収量が多く、

したがってセシウムが移行しやすい作物であるが、一方で

セシウムの排泄機能に長けるペクチン含有量が高いという特性もある。

汚染されない栽培技術が確立されれば、

インゲンやサヤエンドウは放射能対策の極めて有効な作物になる。

 

勉強し、挑戦し続ける百姓でありたい。

そして、福島の人のほうが健康だと言えるまでにしたい!

 

伊藤俊彦渾身のプレゼン。 

売ってみせないと、合わせる顔がない。。。。

 

一日目の最後に、

岩瀬農業高校の生徒たちによる 「サミット宣言」 が読み上げられた。 

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私たちは福島が大好きです。

福島はステキなところです。

私たちはあきらめません。

日本の再生を、この福島から始めましょう。

 

夜の歓迎レセプション、交流会。

河田昌東さんと談笑する二本松有機農業研究会・大内信一さんがいた。

ツーショットの一枚を頂く。 

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夜は、伊藤さんと二人で、須賀川の夜をはしごする。

この人とは、なんぼ話しても話し足りない。

 

二日目は、

分科会① - 「農地の放射線量低減対策と食の安全確保について」 に参加。

ジェイラップの対策事例から学ぼうというグループ。

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詳細なデータMAPを示しながら、

昨年の成果と今年の対策を語る伊藤俊彦さん。 

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僕は、ところどころで補完する係として一番前に座らせられる。

伊藤さんの指示は、次のひと言をガツンとやれ、というものだった。

「 国の基準以内に収まればいいということではない。

 常に安全な農産物生産に向けてたたかう姿勢を見せること。

 消費者の信頼は、それによって帰ってくる。」

言えたかどうかは、どうも心もとないけど。。。

 

最後のまとめは、菜の花プロジェクト・ネットワーク代表、藤井洵子さん。

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二日間にわたる盛りだくさんのプログラムをやり切ってくれた

須賀川市のスタッフたちの頑張りに感謝しつつ、

「今日の成功をバネに、全国の仲間とともに、新しい社会づくりに踏み出していきましょう」

と力強く締めくくられた。

 

「エネルギー自給へのイノベーションを、須賀川から発信したい」

と熱く語る伊藤俊彦。 

彼との付き合いも、米から始まって、酒、乾燥野菜ときて、

さらに深みに向かう予感を抱きながら、須賀川を後にしたのだった。

 



2012年4月 1日

堰さらい隊員 募集

 

長い東北レポートになってしまった。

ま、それだけ重かったのだろうと推測いただけると有り難いです。

 

さて、福島の全国集会の司会を務めたのは、

 「あいづ耕人会たべらんしょ」(喜多方市山都町) の浅見彰宏さんだった。

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ここで、東北レポート・番外編として、

浅見さんからの呼びかけを紹介しておきたい。

大地を守る会が販売している 「福島と北関東の農家がんばろうセット」

に入れているリーフレットにも掲載したもの。

このブログを前から見ていただいている方には恒例の、

5月4日の堰さらいのお誘い、である。

 

  喜多方市山都町本木(もとき) および早稲谷(わせだに) 地区は、

  100軒足らずの小さな集落です。

  周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、民家や田畑が点在する静かなところです。

  そんな山村に一つの秘密があります。

  それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

 

  水路があるからこそ、急峻な地形の中、田園風景が形造られているのです。

  山中を延々6キロあまり続くこの水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、

  そのほとんどは当時の形、すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

  しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

  人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

 

  水路が放棄された時、両地区のほとんどの田んぼは耕作不可能となり、

  美しい風景も失われてしまいます。

  そこでもっとも重労働である春の総人足(清掃作業) のお手伝いを

  してくれる方を募集しております。

  皆さん、この風景を守り続けるために是非ご協力ください。

 

  ◆作業内容......冬の間に水路に溜まった土砂や落葉をさらったり、

    雪崩などによって抜けてしまった箇所の修復など。

  ◆スケジュール......5月3日(木)前泊 ~ 5月4日(金)朝から堰さらい作業。

    3日夜は 「前夜祭」、地元の方々や参加者と交流します。

    4日夜は慰労を兼ねた 「里山交流会」(参加自由、作業後帰る方もいます。)

  ◆宿泊場所......本木または早稲谷地区の集会所。 3日・4日と連泊可能です。

  ◆交通手段......JR磐越西線・山都駅から送迎 (交通費はご負担ください)。

    車で参加される方には地図をお送りします。

  ◆参加費用......宿泊費=1泊 500円。 夜の交流会費用= 1,000円。

  ◆用意するもの......汚れてもいい作業着・着替え、タオル、軍手、長靴、水筒、

    洗面具(風呂は温泉 「いいでの湯」 を利用。入浴料=大人300円、小人150円)、

    寝袋(あればでOK)、公民館に雑魚寝を想定しての寝具(ジャージ等)。

    

  ※ 申し込み・お問い合わせは、本ブログの「コメント」にて、

    メールアドレスをご記入の上、ご連絡ください。(コメントはアップされません)

 

参考までに、昨年の様子は下記を ↓

  http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2011/05/05/

 



2012年3月31日

ニッポンのリグビタートル -無名の英雄たちよ

 

強風の一日。

出かける予定だったのが電車が止まり、お陰で仕事をいくつか処理した。

悩みの種は、底なし沼にはまったようなこのブログ。

この間、アップしたいネタも溜まり続けているのだけど、

その前に重かった、実に重かった東北レポートを終えなければならない。

 

3月24日(土)、「福島視察・全国集会」。 

前回、伊藤俊彦の決め台詞まで書いた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

この確認ができただけでも、今日の一日は価値がある。

 

シンポジウム終了後は、交流会。

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福島の地産地消をリードしてきた 「ホテル・ヴィライナワシロ」元料理長・山際博美氏と、

「ホテル華の湯」料理長・斉藤正大氏が技を競った、

福島産&有機をベースにした食材の数々に皆感激しつつ舌鼓を打つ。

お酒は、大地を守る会でもおなじみの金寶(きんぽう)酒造に大和川酒造ときた。

 

「どこよりも美しい村づくり」 に取り組んできた福島県飯館村をPRする

" までい大使 "  の一人、大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さん。

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「原発はもうやめにしましょう。

 新しいエネルギー時代を、福島から発信したいし、福島にはその力がある!」

とハッパをかける。

福島の意地をかけたような交流会だった。

 

二日目(25日) は、2コースに分かれての現地視察。

僕は 「放射能とたたかう農業者」 視察コースを希望する。

 


福島市にある果樹園での除染作業を見る。

まず、ぶどうの樹の粗皮(そひ) 削りの様子。 

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もともと梨・ブドウ・リンゴなどでは、

病虫害対策のために表皮を削ることは、前からあった方法である。

加えて今回は、放射性物質は表皮に付着していることが分かってきているため、

この時期に徹底的に削ることが推奨されている。

 

続いて、高圧洗浄機による水洗い作業。 

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皮を剥ぐわけにいかない桃やサクランボでは、この方法を徹底する。

降り注いだ放射性物質は枝の背中(上部) に多く付着しているため、

上からの洗浄となる。

これらの作業により、樹体に付着した放射性物質の9割以上を取り除くことができる、

というのがこれまでの試験によって実証されてきたことだ。

 

これらは、平成23年度産の果実や土壌の検査から、

放射性物質は土壌の表層0~3cmにほとんど留まっていることが判明していて、

根域に達していないことで、根からの吸収は考えられず、

樹体からの移行と判断されての対策である。

土の中でセシウムをがっちりとつかまえているのは粘土粒子である。

 

しかし、言葉の正しき意味においては、この作業は  " 除染 "  ではない。

食べ物である果実に移行させないための抑制対策である。

洗浄により地面に落ちた放射性物質は、土壌の粘土粒子によってつかまえさせる。

削られた粗皮は土に還すことはできず、まだ処分方法が定まっていない。

おそらくはチップや粉にして容積を小さくして、然るべき処理施設で燃やすか

埋める・・・ ということになろうかと思う。

 

対策の結果は秋に判明する。 まだまだ予断を許さない、というところか。

まあ、それでも

「福島市の前年度産の桃やリンゴ、梨は、新基準値(100ベクレル) を下回ってます」

というのが福島県の農業振興普及部からの説明である。

100以下、しかも低い水準のものがほとんど、とのデータを見せられる。

 

次の視察先は、二本松市東和地区。 

菅野正寿さんの田んぼでの反転耕起作業を見る。

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今、ジェイラップ(稲田稲作研究会) でもやっている作業だ。

しかもこちらは、天ぷら油を再精製したVDF燃料でトラクターを動かしている。

 

水の入口にはゼオライトを敷き、セシウムを吸着させる。 

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食の安全と安心を取り戻すために、

皆で 「やれることはやり切ろう」 と必死である。

人工放射能という魔の兵器に、体を張った総力戦で対峙する農民たち。

泣けてくる。。。

 

視察団一行と途中で分かれ、

僕は大地を守る会がリンゴで契約している二本松の生産者団体

「羽山園芸組合」 に回る。

こちらでも同様の作業の真っ最中である。

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これはサクランボでの洗浄風景。

 

リンゴは脚立に上っての作業。

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粗皮削りを終えたリンゴの樹。 

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羽山園芸組合の3名。 

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左から、熊谷耕一さん、武藤喜三さん、武藤善朗さん。

 

「羽山 (という地元の山) が遮ってくれて、ここいらは (線量は)低い方」

だと言いながら、彼らの不安は、まだまだ消えない。

何度となく聞かされた言葉 - 「とにかくやるだけのことはやりますから」(喜三さん)。

ドキドキしながら秋まで過ごすことになるのだろう。

 

羽山園芸組合を最後に、東北をあとにする。

 

思えば、、、世界には今も432基のゲンパツが存在し、

放射性物質の影響はグローバルであり、

かつすでに 「管理」 という名での付き合いは永遠(十万年以上) である。 

私たちがこの宇宙船地球号をどのような形で次世代に継承するにせよ、

彼ら生産者たちの悪戦苦闘は、

  " 二度と起きてはならない、その時のためのマニュアル "  として

残さなければならない。

アフリカ大陸の原発だって、いざとなれば救わなければならないワケだし。

 

彼ら生産者たちは、

ニッポンのリグビタートル (チェルノブイリの事故処理に当たった消防士たち) だ。

たくさんの無名の英雄たちが福島を、そして未来を支えようとしている。

地球市民の一人として見過ごすわけにはいかない。

 

だって、いつか孫やその孫たちから

" どうしてマニュアルを残してくれなかったんですか "  なんて、

言われたくない。

でもそのためには、付き合ってくれる(食べる) 人が必要となる。。。

 

21世紀は、哲学の世紀になるかもしれないね。

いや、ならなければならないのかも。

 

いま福島原発で闘っている文字通りのリグビタートルは、

いつか、チェルノブイリのように英雄として称えられるのだろうか。

それとも歴史に埋もれるだけなのだろうか。

 

顔も名前も分からない原発現場でたたかう人たち、

再興に挑みながら助け合う三陸の人々、必死で土を耕す農民たち、

そして、、、結果を受け止め、食べる人々。

たくさんの無名の英雄たちがいることに深く感謝して、

変えよう、日本を!

- この言葉をもって、東北レポートを終えたい。

 



2012年3月28日

世界一優秀な農民になろう

 

3月24日(土)、磐梯熱海での全国集会に向かう前に、

福島市松川町の 「やまろく商店」 さんを訪ねる。

福島市から二本松市にかけて百数十軒の米の生産者を束ね、

「やまろく米出荷協議会」 を運営する。

 

社長の佐藤正夫さん。

抱えているのは、セシウム対策として農家に配っているソフトシリカ。

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モンモリロナイトという自然の粘土鉱物で、

以前から土壌改良や稲体の強化に活用されてきたものである。

 

昨年は、周囲から 「米を作らない方がいいのでは」 という声もあったようだが、

メンバーは明確な意思を持って作付した。

田を荒らすわけにはいかない。

先祖から受け継いできたように、この田を次代に渡すために。

米はほとんど10ベクレル未満に抑え込んだ。 一部では超える米もあったが、

有機栽培の田んぼは低い、という確信も得られた。

今年は 「すべて10ベクレル未満にする」 と、協議会総会で確認し合った。

大地を守る会の自主基準で、米を10ベクレルに設定できたのも、

「やまろく」 さんの力強い決議があったことによる。

 

思い返せば1993年、

日本が歴史的大冷害に見舞われ、米の値段が暴騰して、

当時の細川政権は米の緊急輸入を発動した。

あの時、「やまろく米出荷協議会」 は、敢然と

「消費者が困っている。 値上げはしない!」 と宣言してくれた。

あれ依頼のお付き合いである。

今こちらが支えられないでどうする、と思うのである。

ここで仁義を通さなかったら、この世が廃(すた) る。

 

思いがけず、弊社・藤田社長がツイッターで後方支援してくれた。

   今朝から、わが家のご飯は福島産コシヒカリに変わった。

   大地を守る会の自主基準では米はセシウム10ベクレル/㎏ 以下だが、

   この米は測定値最大で33ベクレル/㎏ だった。

   生産者を応援すべく大地を守る会は会員に測定値を公表して販売している。

   妻と相談して食べることにした。 美味しいね、と妻。 (3月23日付)

 

「私はやっぱり食べられない」 という反応もあったようだが、

「無理しないでいいですよ」 と返している。

子どもに配慮しつつ、大人は食べる。

ま、そこはあまり気張らず、

それぞれに持続可能な形で 「支え合い」 の輪を維持させたい。

 

今年の取り組みを確認したところで、

佐藤社長の車に乗せてもらって磐梯熱海に向かう。

会場は 「ホテル華の湯」。

ジェイラップ・伊藤俊彦さんと合流し、一緒にラーメン食べてシンポジウムに。

 

「 福島視察・全国集会 農から復興の光が見える!

 ~有機農業がつくる持続可能な社会へ~ 」

 

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全国から300人くらいの参加者があり、 

会場はすでに熱気に満ちていた。

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開会を宣言する、福島県有機農業ネットワーク代表・菅野正寿さん。 

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子や孫に安心して食べさせられる野菜を育てたい、その一心で耕してきた。

結果は予想を超えて、検出されてないものばかりになってきている。

土の力を信じて、耕しながら前に進みたい。

今日を、「がんばろう日本」 から 「変えよう!日本を」 の分岐点にしたい。

 

「福島における放射能汚染の実態と今後の対策」 など、

3名の先生による講演があり、続いてパネルディスカッション。

タイトルは 「福島県農産物の風評被害の実態と今後の対策」。

菅野正寿さんをコーディネーターとして、

パネリストは、滝澤行雄さん(秋田大学名誉教授)、伊藤俊彦さん(ジェイラップ)、

大津山ひろみさん(生活クラブ福島理事長)、そして戎谷。

 

前に座らせられていると、どうも全体の流れはうまくまとめられない。

自分の話したことはだいたい以下の感じ。

 ・「風評被害」 と呼ぶのはやめよう。

  実体のない評判による被害ではない。 ましてや消費者が加害者なわけもない。

  ともに原発事故による被害者として理解し合うことで、大本を断つことができる。

 ・大地を守る会で取り組んできた対策や基準についての考え方について。

  「内部被爆から子どもを守る」 という姿勢を生産者とともに示すことで、

  つながりを取り戻したい。

 ・そのために頑張ってくれている生産者の取り組みを正しく伝え、

  実態を踏まえつつ、 「大人は食べる」 運動も進めたい。

 ・これは未来のために、「国土を回復させる」 運動である。

  そのために生産と消費をつなげる努力を続けるのが流通者の使命だと思っている。

 ・特に有機農業の力を信じる者として、皆さんの営為をしっかりと伝えていきたい。

とまあ、必死でエールを送ったつもりである。

 

僕の隣に座った伊藤俊彦さん。

これまでの取り組みと成果を語った上で、皆を奮い立たせた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

フクシマで今、国土を守る精鋭部隊が形成されつつある。

 

・・・・・今回で最後まで書き終えるつもりでいたのだが、

すみません。 本日の作業ここまで。

 



2012年3月27日

石巻から塩竃に

 

 " 他者の沈黙にむけて送りとどける " 

と書いたのは、宮城県石巻市出身の作家・辺見庸である

( 『瓦礫の中から言葉を ~わたしの〈死者〉へ 』 から )。

作家はその命を削りながら言葉を探すというけど、

僕は何を見つけ出せるのか、震災から1年後の東北でまださ迷っている。

 

石巻では、高橋徳治商店 を訪ねた。

車で流れながら、道路事情もよく分からなかったので、

正確な時間を伝えられなかったこともあって、

社長の高橋英雄さんは先客と商談中。

代わって息子さんの利彰さんが工場を案内してくれた。

ま、こちらも、皆さんが元気で働いている様子をたしかめれば、

という感じでの陣中見舞いというか表敬訪問である。 長居は禁物。

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表面上は復旧したかに見える工場だが、

動く製造ラインは7本のうちの1本だけ。 稼働率は震災前の15~20%という状態だ。

79名いた従業員のうち、今雇用できているのは23名。

 

工場内の津波浸水の跡を見せられ、

周りの状況からみても、1年でよくぞここまで復旧させたと思う。

「取引先の皆さんがたくさん応援に来てくれて、そのお陰です。」(利彰さん)

大地を守る会も、おさかな喰楽部の人たちが中心になって、

浸入した泥の片づけボランティアに来ている。

 

いろんな工程を手作業で乗り切りながら、

数百あった製品をひとつずつ復活させていくしかない。

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「地元の原料がまだ入る状態になってないんで・・・」

石巻の原料をベースにやってきた水産加工者の歩みは、

地元漁業の復活とともにある。 道のりはまだまだ長い。

秋には新工場がお隣・松島町の高台に完成する予定である。

ようやく土地の引渡しが終わったとのこと。

年末商材の製造には間に合わせたいね・・・ 「そうですね」 と頷く利彰さん。

今は復活第一号の 「おとうふ揚げ」 をヨロシク、ですね。

 

帰り際、英雄さんが声をかけてきた。

「エネルギーの自給に向けて進みたいと思ってる。 知恵を貸してくれ。」

望むところです。

 


港周辺の様子には言葉は出てこず、ため息のみ。

 

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更地になったところに設置された小さな社。

復興を祈願して石巻を後にする。

 

松島町でカキの二宮さん宅に立ち寄る。

義政さんは葬式があって出かけた後だったが、

貴美子さんと、仕事から帰ってきた息子さんの義秋さんが、

仮住まいのアパートで出迎えてくれた。

炬燵に入って、適当にお喋りして、おいとまする。

来年のカキ復活に期待して-。

 

この行程で、塩竃の遠藤蒲鉾店を外すと、あとが怖い。

由美さんから 「ご飯食べずに来てね」 と再三言われていたのだが、

そうもいかない時間となって、お詫びする。

「じゃあ、今度は泊まりで来ること」 と約束させられた。

 

こちらもご長男の哲生くんが案内してくれる。

伝統の石臼、健在。

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女性陣が 「大地から届いたごぼう」 を処理している。

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ごぼう天の原料ですね。

ウチの野菜は泥つきのままだし、サイズも不ぞろいで ・・・すみません、厄介かけます。

優しく笑ってくれるが、腹の中は 「まったくね」 か。

「ゴボウの次は蓮根ね」 と由美さんが指示する。

全部手作業である。

 

哲生さんのお連れ合い、美紗子さんにも入ってもらって

玄関で記念に、というより訪問した証拠写真を一枚いただく。

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美紗子さんは埼玉出身。

「由美さん、いじめてない?」

「何言ってんのよ~。 もう可愛くて可愛くてよ、ねえ。」

 

観光地は横目で通り過ぎ、

三陸の海と浜の姿を目に焼き付けながら、走ってきた。

走行距離約 450km の貴重な東北旅だった。

 

23日夕方、冷たい雨の仙台でレンタカーを返して、

福島に到着してビジネスホテル泊。

明日は、磐梯熱海で全国集会。 パネラーなのだが何も考えられない。

 

気になるのは、茜さんからもらったお土産のロールケーキ。

常温のままだけど、「須佐さん(千葉さん生前時の担当職員) に渡してね」 と

頼まれたのだ。

帰るまで食べるわけにいかない。

 



2012年3月25日

志津川で千葉さんを訪ねる

 

5日間の東北出張から帰ってきた。

この重圧から逃れたいと思いつつ、しかしそこに彼や彼女がいて、

元気で頑張ると笑ってくれる限り、僕も現実に立ち向かわなければならない。

以下、東北レポートを続けたい。

 

東北行二日目(3/22) は、海岸線に沿って岩手から宮城に向かって走る。

メディアで報道された街だけでなく、

通過する土地土地がどこもかしこも壊滅的だ。

取り残されたような集落が現われては消えてゆく。

僕の田舎にもよく似た小さな入江の集落には住居も人影もなく、

ただ集められた瓦礫の山がそこに暮らしがあったことを伝えている。

 

どこも、なんとか瓦礫がまとめられた、という感じ。

大きな街では建物がまだ悲惨な姿をとどめ、

地べたは片づいてきているものの、コンクリの土台が残っている風景は

かえって寂寞とした世の無常を感じさせる。

 

陸前高田の様子。

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話題になった奇跡の一本松。  

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残念なことに地下水の高い塩分濃度によって根腐れを起こし、

すでに生存は絶望的らしい。

 

宮城に入り、気仙沼から南三陸へ。

唐桑 ~ 本吉 ~ 志津川 と、漁港や自然の姿を記憶にとどめながら走る。

いったい僕は何をしているんだろうという気にさせられる。

 


志津川の町の姿。

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この町で津波で亡くなられたエリンギの生産者、故千葉幸教さん のご家族を訪ねた。

山の一角に建てられた仮設住宅で、3人は元気に暮らしていた。

お嬢ちゃんたちはそろばん塾に行っていて会えなかったけど、

「二人でそろばん塾」 と聞くと、なんか嬉しくもあった。 ガンバレーと言いたくなる。

幸教さんの遺影に線香を上げさせていただく。 優しい表情の写真だった。

 

奥さんの茜さんはケーキ工房で働いているとのこと。

南三陸町歌津にあるロールケーキとチュイルの店 「パティスリークリコ」 だと言う。

あれま、なんと、  " 裏の離れ "  を用意してくれた南三陸町歌津の宿

「ニュー泊崎荘」 のなかにあるケーキ工房ではないか。

震災直後、冷凍庫にあった1,000本のロールケーキを被災者たちに配ったことで

" 絆 ロールケーキ "  と呼ばれ評判になった。

 

いい職場を得たようで、よかった。

別れ際、茜さんが 「ディズニーランド は、ホントに楽しかったです」 と言ってくれた。

いい思い出になったのなら、こっちこそ嬉しい。

千葉さんのエリンギのファンだった方々、またご心配いただいた皆さん、

奥さんも娘さんも元気でしたから、ご安心ください。

 

仮設住宅を後にして、千葉さんの会社 「志津川アグリフード」 の建物に立ち寄る。

外観だけがそのまま残った姿に、ただ手を合わせるのみ。

 

つらい目に遭っても海を恨むわけではない。 

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やっぱり海とともに生きていきたい、と海の人は言う。

今年のワカメは豊漁のようだ。

このまま再興に進んでほしい、と願わずにいられない。

 

気持ちを整理しつつ、石巻に向かう。

 



2012年3月22日

釜石から

 

直前になるまで行程を定められなかったことも災いして、

岩手県釜石に向かうのに、三日前に

東北新幹線・新花巻駅でレンタカーを借りようとしたらすでに予約一杯で、

手前の北上駅でようやく軽を一台押えることができた。

今の三陸方面は平常時とは違うことを改めて思い知り、

慌てて宿もあちこち当たって、二日目は何とか

宮城県南三陸町のホテルの  " 離れの一室 "  というのを確保した。

 

建設会社によると思われる 「貸し切り」 の札がかかった宿の

" 離れ "  と呼ばれる本館裏の簡易宿舎ふう建屋の一室で、

東北出張の経過を記し始める二日目の夜。

宿代が正規の部屋と同じなのが少々納得ゆかないけど、、、

3月下旬でまだ寒い東北、部屋を用意してくれただけでも感謝すべきか。

ノムさんみたいなボヤキはやめてストーブをつけ、丹前を羽織って

大人しくパソコンに向かう。 まずは昨日の報告から。

 

3月21日(水) 朝6時半、5日間にわたる東北出張に出発。

10時41分、北上駅着。

レンタカーを借り、遠野街道に向かって走り始めたら

工事による通行止め区間にぶつかり、北に迂回したりしながら、

遠野の道の駅 「風の丘」 でCSR推進本部事務局長・吉田和生と合流。

ここで行者にんにくラーメンを食べ、午後1時半、釜石市役所に到着。

 

震災1年後の、街なかの風景。

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復興はまだ、まだである。

 

大地を守る会は、この街に設立されたNPO法人「東北復興支援機構」 に

ガンマ線スペクトロメーター1台を提供(無償貸与) した。

つながるきっかけは 「鮮魚の達人」 たちのネットワークだった。

昨年11月末に設置し、検査トレーニングなどを経て、

いよいよ4月から地元漁業者からの測定依頼を受ける体制へと進んできた。

しかも釜石市の放射能対策の方針とリンクする形となり、

市が策定した 「地域水産物の放射能測定に関する基本方針」 のなかで、

「測定調査に必要な人員の手当てを図る」 とともに、

測定結果を市のホームページで公表する、という関係に発展した。

 

そこで昨日は、

市による地元漁業者や水産加工業者向けの説明会が開催されることとなり、

合わせて放射能についての話をしてくれ、という依頼を受けての訪問となった次第。

ここでのお話は吉田が務め、僕は補佐役。

 

津波被害を免れた高台にある事務所に設置された測定器。

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生産地への貸し出しは福島県須賀川市・ジェイラップに続いて2台目。

こちらは自治体の取り組みにも貢献する形での本格スタートとなったわけで、

今後の水産物の状況把握とともに、

漁業者・事業者そして消費者の安心に貢献できるよう、

計画的に進めてゆかなければならないと思う。

 

その測定実務を担うNPO法人 「東北復興支援機構」

副理事長の三塚浩之さんに案内いただき、

大地を守る会の復興支援基金からお贈りした漁船を確認する。

 

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この船は、山形・舟形マッシュルームさんからの義援金によって調達したものである。

マッシュルーム菌舎の倒壊など甚大な被害を受けたにもかかわらず、

大地を守る会からの義援金をそっくり 「三陸の方々のために役立ててほしい」

とカンパしていただいた。

残念ながら船主の佐々木健一さんとはお会いできなかったが、

漁船登録で少々手間取っているらしい。

漁に出るようになったら、舟形マッシュさんも招いて祝いたいものだ。

 

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写真左が三塚浩之さん。

釜石発⇒復興未来行き切符 諦めない限り有効 1枚300円

なるチケット販売を企画するなどのアイデアマンでもある。 

右が吉田和生。 専門委員会 「おさかな喰楽部」 を率いる炊き出し隊長。

 

車で移動しながら眺める震災の爪あとには言葉も浮かばず、

ただため息ばかり。 

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夜は遠野まで戻って、「民宿とおの」 に泊まる。

三塚さん推薦の、隣接する古民家を移築したレストラン 「要(よう)」 で食事。

料理も素晴らしかったが、自家製ドブロクがとにかく旨かった。

民話の里・遠野にお越しの節は、ぜひ。

 

今朝は宿で吉田と別れ、僕はふたたび釜石を経由して

陸前高田~宮城県気仙沼と通過して、南三陸町へと向かう。

 

釜石湾をあとにする。

崩壊した堤防から威力を想像するも、今日の海はただただ穏やかに凪いでいる。

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湾を望む釜石大観音さま。

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たくさんの深い哀しみを抱きしめ、愛をすべての人に。

 



2012年3月 8日

オリーブは平和のシンボルだから

 

バナナやコーヒーなど、フェアトレード製品でお付き合いのある

オルタートレード・ジャパン (ATJ) からの招きで来日し、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 にも参加して挨拶をしてくれた

パレスチナのオリーブオイルの生産者、サイード・ジャナンさんが、

6日(火)の夜、大地を守る会の幕張本社を訪ねてくれ、

職員有志のために話をする時間を取ってくれた。

 

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オリーブの栽培と、オイルの製造・販売によって農民の自立を目指す彼らに対して、

大地を守る会がカンパを募ったのはもう4年以上前のことになるか。

私たちが送った資金によって建設された農道は 「だいち ロード」 と命名された。

平等で持続可能な農業、地域コミュニティの自立を目指し、

今も水資源の安定確保や失業・貧困対策に取り組んでいるのだが、

来られた時はいつも、 「道ができた」 ことへの感謝の言葉を、彼らは忘れない。

そして昨年は、オリーブオイルの販売利益から

東日本大震災の被災地への義援金を送ってくれた。

こういう関係を丹念に紡いでゆくことで、平和への道が拓かれてゆくのだろう。

 

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サイードさんは、1968年生まれ。

ベツレヘム大学から米国・フロリダ国際大学で学び、

カナダの酒造メーカーで史上最年少の海外支店長としてインドネシアに勤務した。

UNDP(国連開発計画) の仕事経験もあり、4ヶ国語を流暢にこなし、

その他に3ヶ国語も使えるというマルチリンガル。

僕がそのレベルに達するには、5回は生まれ変わらなければならない。

しかもリセットなしで。

 

そんな立派なキャリアの持ち主が、なぜ不安定な母国に戻り、

給料も少ないであろうフェアトレードの世界に?

答えは、女手ひとつで育ててくれた母が一人でエルサレムに暮らしているから。

母の愛は世界共通である。

 

オーガニックとフェアトレードの認証を取り、

より高品質なエキストラ・バージンオイルを目指して、

農家や搾油所のトレーニングを重ねている。

「オリーブは、私たちにとって平和のシンボルなのです。」

思いを生産物に託して、一歩々々歩みましょう、平和への道を。

 

そして昨日(7日) はフランスから来訪者あり、説明要員に狩り出された。

その話は、次に。

 



2012年2月29日

2月の締めは庄内で

 

2月は逃げる、という言葉があるけれど、

まったくあれよあれよという間に過ぎてしまい、

エネシフ勉強会の話も、

共同テーブルで行なった白石久二雄さんの勉強会の話も、

朝日新聞のシンポジウムの話も書けず、

20日に発表した放射性物質に対する自主基準についてもフォローできないまま、

今月の締めは、山形・庄内から。

 

鶴岡に本拠を置く農事組合法人「庄内協同ファーム」 の 「第12回 生産者集会」

が昨日開かれ、僕は

「3.11後の消費者の動向と大地を守る会の取り組み」 について話をしろ、

というご指名を頂戴したのである。

講演は午後だったのだが、では午前中の会議から聞かせてもらいましょうか、

というお願いをして、 

早朝の庄内空港行きの飛行機に乗って、10時からの会議に間に合わせた。

しかし・・・ 軽い傍聴のつもりだったのだが、そこは敵もさるもの、

「来賓」 とかに仕立て上げられて挨拶をする羽目になってしまった。

 

でも午前の会議から出たいと思ったのにはワケがある。

1999年、僕は庄内協同ファームが最初にこの会合を開いた際に呼ばれていて、

有機の認証制度をどう評価し乗り越えていくか、

なんて話を偉そうにしたのだった。

80年代、協同ファームとお付き合いが始まった頃

(当時は 「庄内農民レポート」 という、たたかう農民集団だった)、

「無農薬を求めるのは、消費者のエゴだ!」 とか言い放っていた彼らが、

敢然と  " 自分たちの営農の証明 "  としてのシステム認証に取り組んだのが

2000年からだった。

99年の生産者集会は、言わばその出発点となった会議だった。

 

システム認証とは、有機JAS認証のように、ひとつの規格基準に基づいて

結果を認証するだけでなく、営農全体のプロセスも含めて、

環境対策という視点をもって認証するいうもの。

大地を守る会の初代会長である故・藤本敏夫さんが提唱し、

当時、多くの生産団体が取り組んだ。

 

しかし、書類の煩雑さや認証コストの問題に加えて、

日々の変化に追われてしまう農業という仕事の宿命もあってか、

数年で  " 精根尽きる "  人たちが続出した。

それでも、この経験は活かそうと、環境対策への基本方針やプログラムは

しっかりと自主的に継続させている人たちがいる。

庄内協同ファームもそのひとつである。

その今を確かめたい、と思って朝から参加させてもらった次第である。

 

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あれからいろんな紆余曲折があったことと思うが、

地道に発展させてきたことが読み取れる。

生産品目別に 『生産・環境プログラム』 が策定されていて、

掲げた目標に対する反省点や課題とともに、今年のプログラムが確認される。

「安心農産物生産委員会」 では、

水稲の有機栽培技術の安定に向けて各技術の検証が行なわれ、

新たな実験への取り組み計画が提案された。

また、原発問題に取り組むことが改めて提起され、

組織の 「環境方針」 に新たに 「自然再生エネルギーの活用」 という一文

を加えることが承認された。

有機JASの監査では、細かい指摘も受けたようだが、

いや実にきっちりと積み上げてきた、という印象である。

 

午後は、ふたつの講演。 

まずは茨城大学教授・中島紀一さんから、

「大震災・原発事故後の有機農業の取り組み」と題してのお話。

 

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実は99年の 「第1回 生産者集会」 も、中島先生と一緒だった。

きしくも干支が一巡したところで同じ顔ぶれになって、

新たな課題への取り組みが話し合われるという、何だかヘンな縁まで感じるのだった。 

 

中島先生はこの1年を振り返りながら、

「有機農業者たちは、本当によく頑張った」 と評価した。

当初は 「有機農産物のほうが危いのではないか」 と囁かれるなかで、

正確な現状把握と対策を立て、実験を繰り返しては新たな知見を獲得し、

逆に有機農業の力を立証させてきた。

幸い、農産物での残留はかなり低いレベルに落ち着いてきた。

有機農業の世界こそ、農の営みを再建する道を指し示すものではないか。

 

 続いて、二本松市東和地区に何度も入って

農家の声を聞き取りしてきた茨城大学・博士特別研究員の飯塚理恵子さんからの報告。

 

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丹念な聞き取り記録から、そこで暮らす農家の深い葛藤が伝わってくる。

その上でなお地域で生きることを選んだ人たちの声から、

再生への道もまた浮かび上がってくるのだった。 

 

第二部の最後は、戎谷から。

大地を守る会が行なってきた放射能対策の概要と、

新たに設定した基準についての考え方を中心にお話しさせていただいた。

一見たいそう厳しい基準を設定したかに見えるけれど、

これまでの測定データをもとに、

生産者とともに達成できるであろう指標として設定したこと。

何よりも 「子どもたちの未来を、未来の子どもたちを守ろう」 という、

大地を守る会が設立時に掲げた原点に立って考えたこと。

その上で、自主基準値を超えるもの(もちろん国の基準範囲内) が発生した場合には、

そのリスクを大人たちで引き受けることを提案することもある、

という姿勢に立ちたいと思っていること。

 

僕の結論は以下に尽きる。

「(国の)基準値未満なんだから食べてくれ」 よりも

「子どもたちの未来を守ってみせる!」 という気概を示そうではないか。

その姿勢と努力によって、つながりを再生させたい。

 

夜は、しつこい連中と飲み、議論する。

議論がいつまでも終わらないのは、ネタの問題ではなくて、

お酒の力でもなくて、人による。

 

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1日の福島での生産者会議に始まって、29日の庄内で締めた2月。

今年の東北は雪が多い。

「大雪の年は豊作になる」 という言い伝えがあるけれど、

希望よりも、雪解け後の不安が頭をよぎる。

陰鬱な陰とのたたかいは、まだまだ続くね。

 

朝日新聞の朝刊に、

2月18日に行なわれたシンポジウムの記録が掲載されたのをチェックして

庄内を後にする。

 

週末には年に一回の一大イベント

「大地を守る東京集会 (今年は「大地を守る会のオーガニックフェスタ」)」 が待っている。

 



2012年2月21日

絆に感謝! 大和川酒造交流会

 

とにかく、これはなんとしてもアップしておきたい。

2月11日(土)、第16回 「大和川酒造交流会」。

 

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1994年2月、前年の大冷害を乗り越えて、

大地を守る会オリジナル純米酒第一号が完成した。

会員から名称を募り、そのお酒は 「夢醸」(むじょう) と名づけられた。

みんなの夢を丹念に醸(かも) してゆこう、という思いが込められている。

西暦2000年。 21世紀を迎え、「夢醸」 は 「種蒔人」(たねまきびと) と改名した。

 

どんなにつらいときも、たとえ絶望の淵にあっても、明日のために種をまく。

そんな農民の魂に学びながら、希望の種をまき続けよう。

 

そして今年。

数えて19回目の酒造りは、初年度以来の大ピンチの年となった。

震災に加えて原発事故。

原料米をつくる福島県須賀川市・稲田稲作研究会(ジェイラップ) では、

ダムの決壊まであって(現在も行方不明の方がいる)、

4月に入った時点でまだどれだけの作付ができるのか、読めない状態になっていた。

放射能の不安もあった。

酒米どころではない、というのが正直なところだったと思う。

 

それでも彼らは、「種蒔人」 は途絶えさせるわけにはいかないっすよね、

と踏ん張ってくれた。

つらく厳しいなかで、産地リレーが行なわれた。

苗作りまでは稲作研究会で行ない、その苗を会津・喜多方までトラックで運んで、

大和川酒造の自社田(大和川ファーム) で栽培を行なってくれたのだ。

18年間、淡々と続いてきた  " 育て、醸し、飲む "  リレー。

 - この絆こそが、今年の 「種蒔人」 を完成させたのだ。

今年の酒は、忘れない。 一本は死ぬまで取っておくと決めた。

 

発酵途上の吟醸酒、大吟醸酒・・・を試飲させていただく。

至福のひと時。 

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今年の 「種蒔人」 は、二日前に絞られていた。

いつもこの交流会の日に絞れるように仕込みに入るのだが、

そこは  " 醗酵 "  という世界。 いつもいつも計算通りにいくとは限らない。

 

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今年の 「種蒔人」 は、いつもより優しい感じか。

こういう年だから? 酵母も気をきかして・・・ そうね、すべて愛の力だ、ウン。

すべての  " つながり "  に感謝して飲みたいと思う。

 


飯豊蔵(いいでくら、現在の工場の名称) で新酒をたしかめたあとは、

今は見学やイベント用に改装された旧蔵 「北方風土館」 を見学。

 

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そして待ちに待った交流会。

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" 会津づくし "  の料理の数々。

純米吟醸、大吟醸、金賞受賞酒、種蒔人・・・ と居並ぶ酒たち。

 

そして、いい仲間たち。

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稲田稲作研究会(ジェイラップ) の面々。

 

大和川酒造店代表、九代目・佐藤弥右衛門。

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役者がすべてそろったところで、

ジェイラップ・関根政一さんが音頭をとる。

 

「希望の酒に、乾杯!」

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お式のお決まりの台詞ではないけれど、

楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

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冬は蔵人、浅見彰宏さん。

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夏になれば、「会津の若者たちの野菜セット」 の生産者

(「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバー) として登場する。

春のGWには、また 山都の堰さらい が待っているね。

村の労働力は年々衰えていくけど、先人が営々と守ってきた貴重な水路だ。

やれる間は守っていかねば、と浅見さんは泰然と構えている。

僕らもお手伝いの人足を少しずつ増やしながら、応援を続けるつもりである。

 

「種蒔人」  - 本当にシアワセなお酒だと思う。

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2002年から始めた 「種蒔人基金」 も、ついに200万円に到達した。

「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」

を合い言葉に、一本につき100円を貯金してきたものだ。

 

堰さらい後の交流会用にお酒 (もちろん 「種蒔人」) をカンパしたり、

仕込み水の源流である霊峰・飯豊山の清掃などに活用しつつ、

それでも200万円が蓄えられた。 飲みも飲んだり2万本!

言っちゃってもいいすか。 言わせてもらいます。

「飲んべえだって、飲むことで、田んぼや水を守っているのだ!」

まったく、命がけだね・・・

 

これから1年、僕はこの希望の酒に励まされながら過ごすことになる。

そして来年は、いよいよ20回目の仕込みだ。

記念すべき交流会にしたいと思う。

「夢醸」 を、そして 「種蒔人」 を愛してくれたみんなに集ってもらって、

基金の使いみちを語り合うというのはどうだろうか。

みんなで飲み続けながら貯めたお金に、命を吹き込みたい。

 

それまで、どうか変わらずに。

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命がけの飲兵衛たち。

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お疲れ様でした。 

 



2012年2月10日

宮城からエネシフ勉強会へ

 

今週は頭から宮城に出張した。

予定していた用務は7日(火)の宮城県生産者の新年会への参加だったのだが、

前日に仙台まで移動し、厚生労働省による

「食品に関するリスクコミュニケーション  ~食品中の放射性物質対策に関する説明会~」

に参加することにした。

これは昨年末に発表された新基準案に関する説明の場として設定されたもので、

1月16日の東京での開催を皮切りに2月いっぱいまでかけて全国7ヵ所で開催されている。

実は東京での開催に申し込む前に先着200名様が埋まってしまったので、

いったんは諦めたのだが、前日入りすれば仙台で聴けるかと思い申し込んだ次第。

 

ご説明は以下の4項目に分かれて行なわれた。

1.食品中の放射性物質による健康影響について

  内閣府食品安全委員会事務局勧告広報課より。

2.食品中の放射性物質の新たな基準値について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  基準審査課新開発食品保健対策室バイオ食品専門官より。

3.食品中の放射性物質の検査について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  監視安全課輸出食品安全対策官より。

4.農業生産現場における対応について

  農林水産省生産局農産部穀物課より。

 

特段の新しい情報はなかったけど、

基準運用の方針や詳細部分での見解がいくつか確かめられた。

新基準値案に対する当方の見解は 「共同テーブル」 で提出した 「提言」 に

集約されるが、やはり根本的な争点は以下に尽きそうだ。

 - まだ未解明な 「食品による内部被ばくの影響」 をどういう視点で捉えるか。

 


説明された基準設定や各種政策は間違いなく前進したと思う。

それは認めるところではあるが、

「充分な安全係数をかけて設定した」 という説明に終始しつつ、

「基準値(案) が緩和されることはないのか」 の質問に対して、

「できるだけ低減させていく方向性である」 (ホント?) と答えたところは、

ある種の使い分け的な印象が拭えなかった。

リスク・コミュニケーションというわりには、

お上からの  " 説明あるいは回答 "  の枠である。

もう少し社会的議論を深めるというセンスがほしいものだ。

民間の力ですでに前に行っている部分だってある。

 

ま、こちらも基準の設定を迫られている立場である。

予防原則の観点と生産者との連帯をどう折り合いつけるか。

どうも 「特命担当」 はいま極度のプレッシャーで、

ストレスもピークを迎えている様子だが (身体のあちこちから反応があって)、

腹をくくるまでもう一歩二歩、生産者との対話を続けなければならない。

 

夜は最安値のビジネスホテルに潜り込み、

7日、新年会会場である松島海岸に向かう。 

景色を眺める余裕もなく (復興途上の風景を電車でちらちら見つつ)、

午前中から会場であるホテルに入って、翌日に発生してしまった講演の準備をする。

 

午後3時頃から生産者が集まり始め、

まずは会議室で藤田社長はじめ、新任部長の挨拶など。

戎谷からは、国の新しい基準値と当社の考え方について説明させていただく。

 

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夜の宴会は割愛。

仙台黒豚会、仙台みどり会、ライスネット仙台、蕪栗米生産組合、同野菜部会の皆さん、

N.O.Aの高橋伸さん、無農薬生産組合の石井稔さん、卵の若竹智司さん、

遠藤蒲鉾店の遠藤栄治・由美さん夫妻、高橋徳治商店の高橋英雄さん、

マミヤプランの間宮恵津子さん、奥松島水産振興会の二宮義政・貴美子さん夫妻、

みんな元気な顔を見せてくれたことを報告しておきたい。

 

「操業が一部でも再開できたのは、

 お付き合いいただいている団体の皆さんの支援があったから」

と語る高橋英雄さん。

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震災による深い傷を胸に秘めて、

「みんな、本当に変わらなきゃいかんです」

の言葉が、こたえた。

 

翌8日は、担当の生産者とともに散っていく職員を横目に、

寂しく東京へと引き返す。

夕方から、衆議院第一議員会館で開かれた

「エネシフ・ジャパン 第16回勉強会」 にパネラーとして参加。

テーマは、『 " 3.11後 "  の 「食のリスク」 とどう向き合うか 』。

詳細は・・・・・

もう一人のパネラーである神里達博さん (東京大学大学院工学系研究科)

の話は紹介したいところだが、息が切れてきた。

当日の様子がすでに Ustream でアップされたようなので、

エネ・シフの HP  でご確認いただければ、有り難いです。

自分は恥ずかしくて見れないけど。。。

 



2012年2月 5日

点から面へ進もう -福島会議(Ⅱ)

 

寒い寒いと言っているうちに、暦は立春に入っていた。

春に向けて、急がなければならない。

2月1日、福島県生産者会議のレポートを続けます。

 

ジェイラップ(稲田稲作研究会、福島県須賀川市) の報告。 

この日、伊藤俊彦代表は農水省に呼ばれて欠席となり、

報告するのは常松義彰さん。

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ジェイラップの取り組みについてはこれまで何度か書いてきたが

(直近では昨年 12月25日 の日記参照)、

改めて 「田んぼ341枚のデータベース」 の価値を実感させられる。

 

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全ほ場にわたって、土と米との相関関係を測定したことによって、 

地形や水系との関係、耕作放棄地との関係なども見えてきて、

地域全体の対策の方向性まで示唆するものになった。

須賀川市、いや福島県にとっても貴重な先駆的データになるはずだ。

水田内での放射性物質の動態も調べ、今年の対策もほぼ固めた。

すでに土の反転耕起の作業に入っている。

 

ジェイラップの取り組みをずっとフォローしてくれたのが、河田昌東(まさはる) さん。

元名古屋大学教授で、現在 「チェルノブイリ救援・中部」理事。

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河田さんは、ジェイラップをサポートしただけでなく、相馬でも詳細なデータを取ってきた。

それらの結果から、地勢をよく見て対策を取る必要があることを説いた。

民間の力で進めてきたデータ蓄積と対策の共有が、大きな力になることを

期待を込めて語ってくれた。

 

佐藤守さん、野中昌法さん、河田昌東さんを助言者として、

参加された生産者グループごとに取り組み報告を行ない、

また疑問点などを提出してもらう。

 

福島わかば会は畑を12区に分け、

薬師(モンモリロナイト系の土壌改良材、有機JAS適合資材)、コフナ、ぼかし肥料、

地枸有機エキス(麦焼酎のもろみ副産物、有機JAS適合資材)、

硫酸カリなどの各種組み合わせによる試験を実施した。

結果は間もなく見えてくる。

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。

                                     (以下、写真撮影=市川泰仙)

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こちらには法政大学のグループがデータ取りで協力している。

 

やまろく米出荷協議会からは、佐藤正夫さん。

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佐藤さんが採用したのはソフトシリカ (これもモンモリロナイト系の粘土鉱物)。

これを水田の水口に置くよう指導したところ、施した田んぼはセシウム濃度が低く出た。

今年はさらに徹底してより安全性を高めていくことを総会で確認し合ったとのことである。

 

いわき市から参加された福島有機倶楽部の阿部拓(ひらく) さん。

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地震、津波、原発事故による放射能汚染・・・未曽有の災禍に見舞われ、

当地を去った仲間もいる。

しかし阿部さんは息子さんとともに 「農業を続ける」 意思を捨てない。

ハウス栽培で、野菜からの放射性物質の検出は殆どなかったのだが、

放射性物質が大地に降ったことには変わらない。

菌の利用や除染作物の活用など、阿部さんの試行錯誤は続いている。

 

質問に応える佐藤さん、野中さん。

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質疑応答は、時間を大幅に超過して終了。

成果や課題をがっちりと共有して全体の対策を強化するには、

一回の会議では足りない感が残った。

情報のネットワークを強化して、" 点から面へ " と進まなければならない。

 

春から取り組んでいる 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 には、

今も粘り強い支持が寄せられている。

これまで会員から寄せられた応援メッセージを冊子に綴じて、

生産者たちにお渡しした。

 

「地震が起きた日から3カ月が過ぎました。

 被災地におられる皆さんの心と体の疲れのことを考えると、とても胸が痛みます。

 少ししか手助けすることはできないのですが、" がんばろうセット "  を食べて

 心をつなげていきたいです。 少しずつ皆さんの置かれている状況が良くなりますよう

 願っています。 体調を崩さぬようご自愛ください。」

「この時期、私と夫はわかば会のきゅうりとトマトなしには過ごせません。

 暑い中ですが、よろしくお願いします。」

「いつも美味しい野菜を有り難うございます。

 皆さんがずっと農業を続けていけるよう、応援しながらおいしくいただいています。

 皆さんに支えられて、私たちの食生活は充実したものになってます。」

「新年おめでとうございます。

 今年は穏やかな年になりますよう祈っております。

 がんばろうセットがある限り続けてゆきますので、皆さんもお体大切に。」

・・・・・・・・・・

こんな言葉が続いている。

 

ゆっくりと読みながらページをめくっている生産者の姿は、

それだけで胸に迫ってくるものがあって、

この苦難が喜びに変わるまで負けるわけにはいかない、

何としても最短で走りたい、と思う。

希望の春を迎えるためにも。

 



2012年2月 4日

点から面へ進もう! -福島会議

 

さて、2月1日、福島で生産者との会議を行なってきたので、

その報告を。

 

例年、1月に入ると関東から東北1都7県、8ヵ所で生産者との新年会が開かれる。

農産の仕入部署では  " 死のロード "  と呼ばれる産地行脚である。

昨年までは僕も農産グループ長として、

やんごとない業務以外は体の続く限り回ったものだが、

今年は立場も変わり、また火急の課題山積ということもあって、

1月はパスさせていただいた。

 

しかし福島に限っては、このタイミングでやらなければならないことがあった。

昨年から各産地で取り組んだ放射能対策の成果や課題を共有し、

連携を強化して、より効率的な対策を各産地で目指すことを確認したい。

僕の中で今年のテーマは決まっている。 " 点から面へ "  だ。

しかもこれは、大地を守る会の生産者だけの話では終わらせない。

美しい福島を取り戻すための牽引的な役割も果たそうではないか。

 - そんなわけで、昼間はそのための会議に設定させていただいた。

 

場所は、福島市・穴原温泉。 

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発表者は3名、加えて2名の専門家を助言者として招いた。

 

まずは福島県農業総合センター果樹研究所、佐藤守専門研究員。

本来は果樹の育種 (品種改良) が専門なのだが、

昨年3.11以降、除染問題は 「お前がやれ」 と言われて、猛勉強した。

「人生でこんなに働いたことはない」 と言う。

 

たしかな科学的知見の少ないなかで、現場調査や比較試験を蓄積しながら、

現場で使える除染対策に取り組んできた。

「納得できない情報や指令には従わない」 と言い切る。

これまでの行政からの対策指導に対しても、歯に衣着せず批評する。

昨年の3月12日、研究所の果樹園から 「屋内に戻るよう」 に指示された際も、

「公務員に避難しろというなら、先に住民に知らせるべきだ」 と言い放ったらしい。

それは小気味良いのだが、職場内の立場がとても心配になる。

「はい。 変人扱いです」 と表情も変えず言う。

(こんなこと書いちゃっていいのだろうか・・・いや心配だ。)

 

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土壌中の放射性物質の垂直分布、水平分布、経時的推移など、

果樹園地での様々な調査や試験で見えてきた汚染状況と除染対策は、

まだ仮説や私見の枠とことわりつつも、

ある程度の確信を持って具体的な方法論を示唆された。

生産者を前に 「いつでも連絡してくれていい」 と伝える姿勢も嬉しい。

 

次に、二つの生産現場から報告をいただく。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 から、佐藤佐市さん。

 

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東和地区での取り組み-「災害復興プログラム」 は

ホームページでも概要が出ているので、そちらをご覧いただければと思う。

  http://www.touwanosato.net/kyougikai.html

 

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新潟大学や茨城大学などの支援を得て、

4つの水源と山林2400ヵ所の放射能調査を行ない、

農地では100mメッシュでのデジタル・マップを作成した。

じいちゃんやばあちゃんの野菜を子や孫に食べさせたいの一心で

測定を行ない、情報を公開してきた。

その上で、道の駅では、地元産の野菜を優先する、を貫徹してきた。

課題は、田畑の線量別対策、そして 「心の除染」 だと語る。

「土を剥ぐなんて、可哀想でできない」 の言葉が切ない。

 

佐藤さんが紹介された若者、アリマ・タカフミさん。 

東和で農業研修を続けて、いざ独立という段になって3.11に見舞われた。

 

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相当な悩みもあっただろうが、ここで就農すると決意してくれた。

佐市さんたちにとっては、その存在自体が希望だったかもしれない。

 

生産者の報告をフォローする形で専門家に登場いただく。

それが今回の手法である。

お呼びしたのは東和での取り組みをサポートした

新潟大学教授・野中昌法(まさのり) さん。

 

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野中さんは、「除染という言葉はもう使う必要はないんじゃないか」 と言う。

耕しながら対策を打っていくことだと。

農の営みを継続することで放射能に打ち勝つことができる。

キーとなるのは、粘土と腐植。 つまり総合的土づくりだ。

まだ時間がかかることだが、この裏づけをしっかり獲得できれば、

有機農業の確実な前進にもつながると思う。

 

次は須賀川・ジェイラップの番なのだが、

例によって 「続く」 で、すみません。

 



2011年12月27日

大地を守る会の皆様へ

 

福島県須賀川市・ジェイラップ(稲田稲作研究会) 代表、伊藤俊彦さんから

手紙を託されました。

大地を守る会の会員の皆様へのメッセージです。

ここで紹介するのが適切かどうか悩むところですが、

この苦難の年を越す前にお伝えしたく、転載させていただきます。

 

大地を守る会のみなさまへ。

 

311日、あの忌まわしい大震災と原発事故から9カ月が過ぎます。

 

「ここから逃げる。逃げない。」

「この野菜を食べる。食べない。」

「窓を開ける。開けない。」

「洗濯物を外に干す。干さない。」

「孫たちと外で遊ぶ。遊ばない。」

 こんな日がどれほど続いたことでしょうか。

 

当初は成す術もなく、何から手を付けて良いものやら

戸惑うばかりの日々でしたが、

みなさまからの心のこもったご好意や

力強いメッセ-ジを頂戴する度に、勇気づけられ、励まされ、

一歩ずつですが前に向かって進む気力を取り戻すことができました。

 

「外部被曝・内部被曝」「ベクレル・シ-ベルト」

聞きなれない言葉が連日周囲を飛び交う中で、

「ガンマ線測定器」という、大変高価な機材を

意の一番に貸し出していただきましたこと。

 

特に今年の「収穫祭」は、

わたしたちから希望を失わせまいとするみなさまのご厚情に接し、

記憶に残る大きな感動をいただきましたこと。

 

「備蓄米 大地恵穂」の受注に奔走いただきましたこと。

 

救援物資や過分な義援金まで頂戴しましたこと。

 

度々みなさまに当地をご訪問いただくなど、

何度も勇気づけていただきましたこと。

 

恵まれすぎるほどの復興環境を

あらゆる分野でご提供していただきました。

 

おかげさまで、

「放射能による健康被害から家族や子供たちを守り抜こう」

を合言葉に、効率的な学びと実践の両立を重ねることができました。

 

手探りの、小さくとも着実な実践の成果は、

97ha341枚の田んぼから収獲された「大地恵穂」に、

近未来への希望に繋がる想定以上の好結果を残すことができました。

 

今年、幾多の苦難を乗り越えて育った「大地恵穂」は、

自らの家族にも幼い子供たちにも疑心すること無く食べさせられる

安全な米となりました。

 

「大地恵穂」は、ご存じの通り大地を守る会の紙面やDM

17年前からご紹介いただいてきたお米です。

本来は、「安心・安全・高食味」を不変のテ-マとしてきた

アイテムです。

 

この国難とも言うべき有事下で、

それぞれのご事情もあろうと言うのに、

暖かく見守り続けていただいたみなさまに、

今期の稲作に込めた復興への想いを乗せてお届けさせていただきます。

 

学び、そして実践することで身に着いた新たな知見は、

今後のわたしたちの新たな能力となり、

農産物を通して表現されていくものと確信しています。

これも一重に、

大地を守る会のみなさまの深いご厚情に支えられての結果であると、

その意義の深さを真摯に受け止めております。

 

数々のご厚情や過分なご支援を賜りながら、

甘えるばかりで満足なご挨拶もできないままに

9カ月もの時間が経ってしまいました。本当に恐縮です。

 

顔を上げて前に向かう気にさせていただきましたこと。

本当に、本当にありがとうございました。

あらためまして、

下名以下、生産者ならびに社員そしてその家族に代わり、

心からの感謝の意をお伝え申し上げます。

 

「やれば出来る」を実践した縁起米になったと確信します。

 

共にこの実りを祝っていただければ幸いです。

 

             201112月 吉日             

            (株)ジェイラップ

            代表 伊藤俊彦 

 

伊藤さん。 有難うございました。

私たち社員一同も、このつながりの意味を深くかみしめ、

希望のステップへの励みとさせていただきたいと思います。

 



2011年12月25日

復興から生まれるイノベーション

 

12月19日(月)、栃木・那須塩原から福島・須賀川に北上して、

ジェイラップでの勉強会に参加する。

 

ジェイラップで取り組んだ放射能対策と測定結果から、たくさんのことが  " 見えてきた " 。

その成果を共有し、次の課題を確かめ合う。

稲田稲作研究会のメンバーだけでなく、

近隣農家や関係者にも呼びかけて開かれた。 

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まずは、ジェイラップの対策をずっとフォローしてくれた

「チェルノブイリ救援中部」 理事の河田昌東さんからのお話。 

 

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河田さんはウクライナでの除染対策の経験や、

福島県内各地での調査・実験を踏まえ、汚染土壌対策のポイントを解説する。

 

  まず、広大な田畑での表土剥離は現実的には困難であろうが、

  果樹園では下草を剥ぐだけでも違う。 剥いだ後にはクローバーの種を播く。

  それだけでも空間線量は5分の1から6分の1に減少する。

  反転耕は、農作物にセシウムを移行(吸収) させないためには有効。

  他に微細土壌粒子の除去、バイオレメディエーションという方法がある。

  施肥関係での汚染抑制対策では、

  ・カリウム肥料をやる。

  ・カルシウムはストロンチウム90対策になる。 土壌PHを上げる効果もある。

  ・腐葉土はセシウムを吸収する有機物を豊富にさせる。

  ・窒素肥料は吸収を促進してしまうので要注意。

   (逆に除去作物を植えた時には有効ということでもある)

 

  セシウム137の作物への蓄積では、

  ナス科(ナス・トマトなど)、ウリ科(キュウリなど)、ネギ類には蓄積が少ない。

  アブラナ科は高くなる。

  栄養素としてのカリウムが高い(カリウム吸収力が強い) 作物は高くなるが、

  土質にも左右されるので、正しく知るためにも、たくさんの土壌データの収集が必要である。

 

  この間出てしまった福島県内での高濃度汚染米は、

  もっと精密な予備調査をやっていれば防げたことだ。

  事実を知ることを怖れると、結果的にもっと悪い事態を生んでしまう。

  分かってきていることは、地形と土質。

  山の水が直接入る田んぼ、砂質土壌、土のカリウム濃度が低い田んぼ、

  水のアンモニウム濃度が高い所、など。

  山の水を取り入れている田んぼなら水口にゼオライトを施すなど、

  水田の環境を考えて対策を打つことが肝要である。

 

  ウクライナのバイオレメディエーション実験では、

  ナタネで放射能を吸収させ、子実から油を搾ってバイオディーゼルとして使う。

  残ったバイオマスは地下タンクを作ってメタン発酵させ、バイオガスとして活用する。

  最後の廃液 (ここに放射性物質は凝縮されてくる) は吸着剤を使ってろ過して

  液肥として再利用し、最後の吸着剤は低レベル廃棄物として処分場で保管する。

 

  残念ながら、ナタネでの吸収能は高くはなく、短期的な浄化は期待できない。

  しかし裏作で栽培した作物 (麦類や蕎麦など) の汚染を防ぐ効果がある。

  ナタネは連作できない作物だが、逆に、

  ナタネ - 通常作物(小麦など) - トマトなど汚染しにくい作物 - ナタネ、

  といった連作を組めば、除染 (食物への汚染防止) +エネルギー生産の体系が形成できる。

 

昨日の稲葉さんの話といい、今私たちが取り組もうとしていることは

単純な 「汚染対策」 ではなく、「復興」 プロジェクトなのだと思うのである。

これも復興から生まれるひとつのイノベーションだ。

 

続いて、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんからの報告。 

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341ほ場、約100ヘクタールの田んぼでの対策の実践とデータ取り。

一地域でこれだけのことをやった事例はない。

結果は、見事なものだ。

カリウムの効果が確かめられただけでなく、

伊藤さんはスウェーデンのデータまで引っ張ってきて、

森林への K(カリウム) 施肥の有効性まで説きだした。

「 森林へのK施肥は、植物および菌類への放射性 Cs 蓄積を低減するために

 適切かつ有効な長期的措置であることを示唆している。」

 

また、耕起、代掻き、田植えと通常作業を行なった水田土壌の

深度別の放射性物質の分布を調べ、いくつかの考察が示された。

それは来年の代掻き時での実験に応用される。

 

綿密な汚染データ・マップからも、次年度の対策が検証されている。

これはジェイラップ・稲作研究会だけのものでなく、

地域全体にとっての貴重な道しるべだ。

取り組んだ対策を、すべてデータとして残していくことで、さらに仮説が検証され、

しっかりとした放射能対策技術が築かれてゆく。

農水省の方へ。

税金食いながら、「注目してます」 とか言ってる場合じゃないだろ。

支援の方法を考えてもらいたい。

国と地方自治体と民間の連携を、もっと強化できないものか、と思うのだ。

 

各種のゼオライト資材を前に意見交換する河田さんと伊藤さん。

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脇でカメラを回しているのは、NHKさん。

収穫祭のときとまた違ったチームがやってきている。

 

測定室も見学する取材班。 

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集められた玄米サンプル。 

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現在、測定器は2台になった。 

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右の「 do 」シールが大地を守る会から、

そして左がカタログハウスさんからの提供 (貸し出し) 。

仲良く並んで、測定をバックアップしている。

データ取りは、まだまだ続くのである。

 

 

なお、大地を守る会のホームページでも、

この間の取り組みや伊藤さんからのメッセージがアップされていますので、

ぜひご参照ください。

 http://www.daichi-m.co.jp/info/news/2011/1107_3251.html 

 

機関誌 「NEWS だいちをまもる」 12月号もよかったら。

 http://www.daichi-m.co.jp/blog/report/pdf/1112.pdf

 

また、ウクライナでの取り組みについて詳しく知りたい方は、

『チェルノブイリの菜の花畑から ~放射能汚染下の地域振興~』

(河田昌東・藤井絢子編著、創森社刊、本体価格1,600円)

がおススメです。

福島原発事故を受けての解説もあり、

巻末に挿入された 「チェルノブイリから福島へのメッセージ」 からは、

国際連帯の大切さが伝わってきます。

 



2011年11月18日

さんぶ野菜ネットワーク、新センター建設

 

千葉・海浜幕張、通勤途中にある隠れ小路の風景。

冬に向かう時節、枯葉はいろんな情感を誘い出してくれるけど、

今年の落葉はなんだか我々の罪を抱いて落ちてくるようで、

陰鬱とした心境にさせられる。

 

放射能汚染にTPP・・・

こんな厳しい環境の中でも、敢然と船出する人たちはいる。

千葉・さんぶ野菜ネットワークが新しい集出荷貯蔵施設を完成させ、

昨日はめでたい落成式が催された。 

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当時の山武農協・睦岡園芸部に有機部会が発足したのが1988年。

2005年に販売部門として独立し、「農事組合法人 さんぶ野菜ネットワーク」 を設立。

そしてついに自前のセンターを完成させた。 

国の 「食糧自給率向上・産地再生緊急対策事業」 からの助成があったとはいえ、

約50人のメンバーも出資し合って、借金を背負ってのスタートだ。

 

挨拶する代表理事・富谷亜喜博さん (大地を守る会CSR推進委員でもある)。

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以下、富谷さんの挨拶から-

 

  1988年に、農薬や化学肥料に頼らない農業を実践しようと有機部会が発足して、

  早いもので23年。

  ますます悪化する経済状況のなかで、少しでも前に進むために、

  集出荷貯蔵施設を持ち自立することにしました。

 

  生産者と事務局が一体となり、出荷作業の軽減や貯蔵施設を利用した安定供給を

  目指すことにより、取引先との信頼関係をさらに深め、

  また新たな取り組みにもチャレンジしていきたい。 

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  本年は、東日本大震災・福島第1原発事故、また相次ぐ台風による被害など、

  未曽有の災害が続いた年となりました。

  放射能問題は風評被害を呼び、私たちの産地にも大きな打撃となりました。

  信頼回復には農産物の検査結果を開示し、時間をかけて取り組んでいくことになります。

 

  また日本政府は今月11日にTPPへの交渉参加を表明しました。

  農業は計り知れない打撃を被ることが懸念されます。

  私たち自身が大きく農業の変革に取り組まなければなりません。

 

  農業従事者の平均年齢は66歳になり、耕作を断念せざるをえない農家が増えています。

  今後、この緑豊かな日本は誰によって守られるのでしょうか。

  世界の人口が70億人を超え、食料不足が懸念されるなか、

  農業者の果たす役割はますます大きくなると思われます。

 

  この地に生まれ育った農業者と、農業に未来を感じて集まった新規の就農者が

  ともに刺激し合い、発足当初からの 「いのちのたべもの」 という合言葉と

  顔の見える関係・ネットワーク(つながり)を大切にして、

  「魅力ある農業」 の実現に、新集出荷貯蔵施設を基点に進んでいきたいと思います。

 

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振り返れば、このセンター建設を総会で諮ったのが、あの3.11の日。

成田のホテルで、まさにこの議案の審議中に揺れ始めたのだった。

シャンデリアが大揺れする中、それでも決議まで進もうとしていたよね。

「私たちの意思が揺れてはいかん、という大地の怒りでしょうか」

(でしたっけ・・) と言った富谷さんの発言を、

うまいこと言うなぁ~ とか思いながら机の下に潜ろうとしたのを覚えている。

 

結局総会は中止となり、後日設定された臨時総会で可決された。

4月27日に着工し、10月25日に工事完了・引き渡しとなった。

いわくつきの集出荷センター。 組合員の方々も感慨深いものがあるだろう。

 

式典のあとは、祝宴。

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奥さんたちのグループ 「さんさんママさん」 たちが、

さんぶの野菜でこしらえた手料理がふんだんに振る舞われた。 

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どれも美味しかったです。 持って帰りたかったです。

 ご馳走様でした。

 

当日パンフレットに抜粋された ≪23年の歩み≫ を見れば、

ホント、ウチもよく付き合ったと思う。

1988年12月 無農薬有機部会 設立総会 -部会員28名-

1989年 5月 「大地」への野菜出荷開始 -雲地幸夫氏のチンゲン菜-

  (当時広報だった僕は、雑誌 『クロワッサン』 の記者を、雲地さんの畑にお連れした。)

 同年   11月 大地を守る会との収穫交流会

1990年 1月 大地を守る会 「東京集会」 参加。

 同年   5月 第1回・大地を守る会 「稲作体験」。

                       - 稲作体験も今年で22回(年) を数えるまでになった。

   ・・・・

   ・・・・

 

3年前からは、農業の担い手育成を目指し、新規就農者の受け入れを

積極的に進めてきた。

この間、15人が新規組合員となり、6名の研修生が就農を目標に頑張っている。

 

事務局の人たちの表情も晴れやかだ。

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挨拶しているのは福島・熱塩加納村出身の花見博州さん。

ちなみに、花見さんのお父さんは、

熱塩加納村で地元産野菜を使った学校給食を始めようとした際に、

最初に手を上げた農民である。

 

歩んできた歴史を振り返り、亡くなられた先達の名前も出たりして、

" 鬼の下山 " 常勤理事も感無量か、こんな一瞬も。 

怒られるかもしれないけど、、、アップしちゃお。

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山武の皆さま、おめでとうございます。

皆さんの挑戦に、腹の底から敬意を表します。

苦難の道になるかもしれませんが、未来への道しるべをつけるべく、

ともに頑張りましょう!!!

 



2011年11月 5日

米と塩と、酒 -原発を止めた町から

 

二つのシンポジウムの報告を約束したのだけど、

ベトナムに飛ぶ前にどうしても書いておきたいことが、もう一つ。

 

10月6日付の日記に書いた一節。

  3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

  「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

  まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

  20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

  15年ぶりの表敬訪問。

 

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僕がこの任務を受けるにあたって、自分に言い聞かせたのは

 「希望を示せなければ、全うしたことにはならない」 ということだ。

その意味で、この先駆者を訪ねることは恩師への報告のようなものだったのだけど、

それ以上に、ここは何より、先進地なのである。

 

この間しつこいくらいに 「備蓄米」 産地 (稲田稲作研究会とジェイラップ) の

取り組みを書いてきたけど、僕にとっての先駆的モデルは、ここにある。

 

僕と島岡さんとのお付き合いの発端は、原発ではない。

減反政策とのたたかいだった。

米が余っているからと言って、なぜ国から減反を強制させられなければならないのか。

生産調整などというものは、民の力 (主体性) に任せるべきだ。

それぞれの地域づくりと結びつきながら。

減反政策の失敗は、滋賀県の面積相当分の耕作放棄地が示している。

地球人口70億に突入した今日、耕地を荒らす国など、ありえない。

制度を強制しておいて、

荒らしたのは 「公」 じゃなく 「民」 だ、という政治家や官僚が、僕は大嫌いだ。

言っとくけど、社会科学徒の前では通用しないからね。

 

島岡幹夫にとっては、原発も減反もいらん、この町はワシらの手で作らせてよ、

ということだったんだと思う。

 

10月4日、秋晴れの日本列島を飛んだ。

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あとは、

採用いただいた  " 原発を止めた男たちが対案で示したアイテム "  3品

の同時販売にあたって、営業サイドに投げた粗原稿ですませたい。

 

原発を止めた町から生まれた、米、塩、酒、のコラボに挑戦してみました。

会員の皆様には、メニュー148で同時投入です。

会員外の方は、ウェブサイトで購入できます (近々登場)。

コンセプトは、「原発止めても、楽しう生きとりますきに!」 って感じか。

 


原発を止めて23年、

美しいふる里づくりは今も続いています。

 

高知県窪川町(現四万十町) で、

無農薬での米作りに励む島岡幹夫さんのヒノヒカリをお届けします。

 

島岡さんは1980年代、

町の原発誘致計画を8年かけて止めたリーダー。

 

原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、

いったんは対立した農家も巻き込みながら有機農業の仲間を増やし、

耕作放棄された棚田の再生や森林保全そして自然エネルギーの創造と、

島岡さんの  " どこよりも美しいふる里づくり "  への挑戦は

尽きることなく今も続いています。

 

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   島岡さんたちは今、耕作放棄された棚田を開墾し直している。

   この上の山林も手入れして、子どもたちの体験と憩いの森にしたい、と語る。

   「ワシらの世代がやれることは、そんなことやろ、エビスダニ君。」

   

タイの農民自立のための支援活動も長く続けていて、

タイ北部のタラート村で 「島岡農業塾」 を開き、

私財を投じて3つ目の池を完成させました。

村の人々は 「島岡基金」 として大切に運営しています。

 

「原発に頼らんでも暮らしは守れる!」

 -信念の男・島岡幹夫が育てた  " 未来への懸け橋 " 

のようなお米です。

 

限定70俵。 ぜひ食べて応援してください!

  

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   写真左は、二日間案内してくれた 「高生連」 代表・松林直行さん。

   佐賀県出身ながら、高知大学時代に学生運動と原発問題に立ち会うこととなって、

   この地に根を生やす羽目になってしまった (と僕は解釈している)。

    

   島岡幹夫・愛直(まさなお) 親子と一緒に、次にに向かったのは

   旧大正町にある、無手無冠 (むてむか) 酒造さん。

 

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   社長の山本彰宏さんは酔狂な人で、

   店をたたんだ銀行の支店を買い取って、こんなふうにしてしまった。

 

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   四万十川焼酎銀行・・・

   口座を開こうか、とも思ったが先が不安なのでやめた。

   

   店内の中で、山本彰宏・頭取! を囲んで島岡親子。

   う~ん、絵としてはどうも・・・ 使えないね。

 

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   しかし、山本社長には、こっぴどくやれれた。

   「3.11のあと、大地はもっとやってくれると思うとったけど、なんかイマイチや。

   もっとガーンとやってくれ!」

   人の苦労も知らんと・・・ 高知のクソ親父め。 くやしい。。。

   普段は饒舌な島岡さんが、ただニヤニヤと笑っている。

   以下、宣伝の原稿より。

 

「美しいふる里づくり」 を陰で支える

四万十純米酒

 

高知県窪川町(現四万十町) の島岡幹夫さんが育てた

無農薬米を原料とした、大地を守る会オリジナルの純米酒です。

「その土地の匂いがする酒を醸したい」 をモットーに、

どっしりとした濃醇タイプに仕上がっています。

 

社名の 「無手無冠(むてむか) 酒造」 は、

一切の混ぜものをしない(「無添加」 から) というポリシーを表わしています。

 

島岡さんとのお付き合いの中から生まれた、

無農薬栽培を支え、「美しい里づくりに貢献する」 日本酒。

 

 

 

   続いて、山間部の大正町から一気に下り、太平洋を望む黒潮町へ。

 

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土佐の海を守らんと生まれた天日・手揉み塩

「美味海(うまみ)」

 

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  ( 地元の杉を使った手づくりのかん水設備。

   海水を何度も循環させ、海水の6倍まで濃縮させます。)

 

土佐・黒潮町の浜から汲んだ海水を、太陽と風が濃縮させてゆく。

それを手で優しく揉み、音楽を聴かせ、じっくりと結晶させることで、

塩が 「美味海(うまみ)」 になりました。

 

 

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自然エネルギーの力を最大限に生かして、

ひと粒ひと粒に微量元素(ミネラル) が凝縮された、いのちの母なる塩。

 

窪川町の原発誘致計画に対して、

「自然豊かな土佐湾には、原発ではなく、天日塩のタワーを!」

という対案によって生まれた塩づくりも、

今では天日塩を振りかけただけの鰹のタタキが静かなブームになるなど、

高知県自慢の特産品へと成長しました。

 

まろやかで甘味を感じるお塩。素材の味を引き立たせてくれます。

おにぎりに、天ぷらや刺身のつけ塩に、焼き魚に、他なんでもOK

 

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「海工房(かいこうぼう)」 代表の西隈隆則さん。

1982年「生命と塩の会」設立より、

土佐の黒潮とともに生きてきました。

 

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今宵は龍馬になった気分で、

南国土佐の  " どこよりも美しい里 "  にかける男たちと

黒潮に思いを馳せながら、

MSC認証・一本釣りカツオに美味海の塩をふって、一献。

-は、いかがでしょう。

ニッポンを洗濯しちゃりたく候。

 

   原発なんかないほうが、豊かになる。

   自立心と創造力が、未来を建設する!

   以上、提案でした。

 

   では、いざベトナムへ-

   戻りは11日・・・の予定です。

 



2011年11月 2日

この土地は俺たちが守る!

 

10月30日の朝日新聞主催シンポジウムに続いて、

31日(月) は、食と農の再生会議主催 「福島第1原発事故を考える国民集会」 に参加。

場所は永田町にある憲政記念会館。

ともにちゃんと報告したいと思うが、要点を整理するのは少々骨が折れる。

その前に一報が入ったので、お知らせを。

 

11月8日(火) 午後7時半~ NHK 「クローズアップ現代」 にて

「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である

稲田稲作研究会およびジェイラップの取り組みが放送されます。

 

  自分の土地は自分で守る~ 

  農地の除染に福島の農家たちが立ち上がった。

  ~ 浮かび上がる真実。 農家たちの格闘のリポート。 -だと。 カッコいいぞ!

 

10月1日の収穫祭の模様もしっかり撮影されていたので、

少しは流れるのではないかと期待しています。

 

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ただ、僕は残念ながらこの日に見ることができない。

6日から11日まで、ベトナムに行っちゃうんだよね。

いや別に、原発輸出反対とか、貿易交渉に行くわけではありません。

春から頼まれていた仕事で、

ベトナム北部で農民の自立と農村開発の支援活動を行なっているNPOから、

有機農業で暮らしを立て直してゆくために都市(ハノイ)の消費者とどうつながるか、

日本で取り組まれてきた有機農業の事例を農民たちに伝えてほしい、

という話です。

 

3つの村を回って、ワークショップが計画されている。

行政 (郡の人民委員会) や他の国から来られた方々との会議もあるようだ。

 

超大国アメリカに蟻のようなたたかいで立ち向かった国。

枯葉剤を浴びながら数百キロに及ぶ地下トンネルで対抗した農民たち。

少年・エビちゃんに強い衝撃を与えた多民族国家 -ベトナム。

最後の日に時間が許されるなら、ホーチミン廟の前に立ってみたい。

歴史に残る偉人の中で尊敬する人物はたくさんいるが、

政治的指導者でのビッグ3は、ガンジー・ホーチミン・周恩来・・・かな。

 

もし帰ってこれなかったら、

エビスダニは、ベトナムの大地で有機農業運動に殉じた、ということにしてほしい。

退職金は? ...... ほしいに決まってるだろ。

 

伊藤俊彦がカッコよく映っていることを期待しつつ、

さて、ベトナムに発つ前に、どこまで書けるか。

 

<P.S.>

「備蓄米」 は予約・登録制ですが、

ネット(ウェブストア) では、稲田米が購入できるキャンペーンを計画中です。

大地を守る会のホームページ でご確認ください。

 



2011年10月15日

たくさんの希望のメッセージに感謝です。

 

さて、続きを急がなければ。

もたもたしている間に、伊藤俊彦さんから連絡が入る。

ようやっと新米検査の半分が終わったと。

稲田稲作研究会の田んぼ400枚全部、面積にして120ヘクタール分という

膨大なデータが、今この時間にも蓄積されていってる。

しかも玄米-白米-ご飯(炊いた状態) の比較までやろうというのだ。

 

結果は197件中186件がND (不検出=検出限界値10ベクレル)。

20ベクレル越えはないと。 自治体発表ならすべてNDだ。

「エビちゃん! 稲作研究会は、ホントに頑張ったよ!」

早期に100町歩(≒ ヘクタール) を超す田んぼにカリウムを散布した成果が

はっきりと現われてきた。

測定担当の小林章さんがやせ細ってないか気になるところですが・・・

 

この笑顔がいつまでも絶えない世界を、残したい。

それが僕らに課せられた義務だから。

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最終結果まで、もう少しだね。

頑張りましょう。

 


収穫祭では、皆さんから頂戴したメッセージを模造紙に貼り付けて

お渡しした。

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生産者にカメラを向ければ、目頭を押さえる関根政一親分(専務) が・・・

 

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励ましてくれ、感謝の言葉までもらって・・・

緊張と不安の7ヶ月を生きてきて、ここまで来れたという

喜びと少しの安堵が伝わってくる。

 

事前に送られてきたメッセージも温かいものばかりで、

読み切れない。

  

  いつも美味しいお米をありがとうございます。

  備蓄米開始から毎年お願いしております。

  在職中はずーっとお弁当でした。 冷めても美味しいご飯に、毎日やる気を頂きました。

  (食べ終わって満足の表情を浮かべると、いつも同僚に笑われておりました。)

  私は足が不自由ですので、どうしても自分でできない作業などを、

  若手の同僚や男子に代行してもらった折、彼らは

  「感謝の気持ちは、弁当がよい」 と、美味しいご飯で、気持ちよく実行してくれました。

  夫の友人は、泊まった翌日の朝食のご飯を楽しみにしております。

  あれもこれも、お米を作ってくださる方々のお陰でした。

  ありがとうございます。 いろいろ大変でしょうが、くれぐれもご自愛ください。

 

  今年は備蓄米を申し込むかどうしようかと迷いました。

  結局、体に良い食べものに取り組んでいる大地を信頼して例年通り申し込みました。

  生産者の皆様方の怒りはよくわかります。

  国は方向も決まらず、おたおたしているだけです。

  経済的には大変でしょうが、自立するのが一番です。

  これからも検査結果を公表して、消費者の信頼を得てください。

  結果が残念な数値であっても、公表することで先の生産、販売につながりますから。

  今まで通りのお付き合いを長く続けていきたいです。

  野菜、果物はできるだけ福島産のを買っております。

  何が入っているか信用できない外国産はいけません。

  安いからと飛びつくのは、そろそろ止めたほうがいいですね。

 

  稲作研究会の皆さま

  我が家では備蓄米の精度ができて以来、その趣旨に賛同して毎年登録しています。

  安心でおいしいお米が毎日いただけることに感謝しています。

  登録時期が例年より遅く心配していましたが、この制度が続行されるなら、

  生産者の皆さんを信じ、申し込むと決めていました。

  その後、TVで皆さんの取り組みが報道され、

  やっぱり頑張っていられるのだと感銘を受けました。

  ありがとうございました。

 

全部紹介できないのがつらいけど、リーフレットにして何部か印刷して、

生産者にお渡ししたことを報告しておきます。

参加された方々の声も含めて、メッセージすべてが  " 希望 "  のタネです。

 

最後に挨拶に立った伊藤俊彦さんが、

仲間の労をねぎらった途端に、声を詰まらせた。

「みんな愚痴一つ言わず、朝から晩まで働いてくれて・・・・・」

 

帰り際、息子の大輔くんがぽつりと漏らしてくれた。

「親父の涙を始めて見ました。」

 

本当に涙、涙の収穫祭だった。

苦しい時に、信じ合える人がいることの喜びをかみしめながら、

僕も期待通り、泣きの挨拶になっちゃった。

「生産と消費を信頼でつなぐ、って口で言うほど簡単なことではないけど、

 この仕事をやってきてホントによかった。 とてもシアワセな気持ちで一杯です。」

 

さて、最後にもう一つ-

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭には、こんな方も登場してくれた。

滋賀県近江八幡市に本拠を置き、今や全国的ネットワークに発展した

「菜の花プロジェクトネットワーク」 代表の藤井絢子(あやこ) さん。

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休耕田や転作田を活用してナタネを植えてバイオ燃料を作り、

滋賀県愛東町の公用車を走らせた女傑。

「空いてる田んぼが油田になった」 と話題になった。

2007年からは、チェルノブイリ救援・中部と連携して、

「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」 に取り組んでいる。

この日も、福島の菜の花プロジェクトの支援に訪れていて、

この交流会に合流してくれた。

「ジェイラップの除染活動や、皆様の強い絆に感動しています。」

 

" 希望 "  は素敵な人たちをつないでくれるものなんだね。

 

なお、この日取材に入ったNHKさんですが、

平日夜7:30から放送されている 「クローズアップ現代」 で取り上げてくれる予定です。

放送日は未定ですが、11月のどこか、とのこと。

決まり次第お知らせいたします。 乞うご期待、ということで。

 



2011年10月14日

" 希望の米 " は、ここにある!(続)

 

あれえ・・・あっという間に日が経っていって、焦るなあ。

どうにもブログにたどり着けない、気が急くばかりの

 " 転換期間中・特命担当 "  という快眠不足の日々。

 

枕元で、初代会長・故藤本敏夫さんの懐かしい言葉がフッと降りてくる。

" 言い訳人生におさらばしよう。 "

そうだよね。 言い訳する時間があったら、恥かいたっていいから前に進むのだ。

その向こうに待っている人がいる、この時の意味をかみしめろ、馬鹿者!

 

2011年10月1日(土)、稲田稲作研究会 (ジェイラップ) との

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭レポートを続けます。

 

この仕事をやって間もなく29年。

こんなシアワセな気持ちになったことがあっただろうか。

回を重ねるごとに達成感は強くなっていたけど、

今年の感激は、状況が状況だけに、ひとしお感がある。

 

ひと通りの見学を終えた後に、楽しい楽しい交流会へと場が移って、

とても温かい時間になった。

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おいしくて、楽しい食がある。

それは自然と人の  " 気 "  が調和した結果だと思う。

加えて信頼できる人がいる。 それは間違いなく生命体の免疫力を高める。

日々目の前に示される ppm や μ (マイクロ) -ともに100万分の1- といった

極小レベルの冷たい数値によって排除したり失わせるわけにはいかない

未来への 「保証システム」 がここにある。 

 

生産者はみんな  " 泣き "  をこらえながらの挨拶だ。

稲田稲作研究会会長・渡辺良勝から-

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来てくれただけで嬉しい・・・ 頑張る、作る責任を果たしてみせる、てな感じで。

(スミマセン。 何言ったか覚えてないけど、印象で。)

不安や悩みと葛藤しながら稲を育ててきたこの半年。

頼みの綱は消費者の応えだった。

今年も作ってよかった、と口に出してしまった瞬間に、込み上げてくるものがある。

 

「私も泣いてます」 とか言いながら、

しっかり挨拶できるのは、意外と女子のほうなんだよね。 

今日のために、前日遅くまで仕込みをやってくれた女性陣を代表して、

伊藤美代子さん。

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彼女たちの支えがあって、この場が出来上がっている。

ありがとうございます。 -なんて感謝の言葉も薄っぺらな気がして、

なんかもっと気の利いた言葉はないのか、

と自問自答する気の利かない男たちは、ただすすり泣いている。

 

参加された会員さん全員に、

今日の感想や日頃の思いや生産者への言葉をいただく。

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生産者たちは自然にハンドマイクの移動に沿って動いている。

一人ひとりの励ましや感謝の言葉が胸を打つ。

 

来れなかった方からのメッセージも続けたい。

 

  皆様の取り組みと努力に、心から感謝しています。

  三人家族で多く注文しては申し訳ないので遠慮していたのですが、

  今年は2口お願いしました (笑)。

  いつにもまして、ありがたくいただきます。

 

  3月、これから何を食べればいいんだろう? と不安に駆られた私でしたが、

  すぐに、これからも大地を守る会を信じていくと決めることができ、

  それからは自分の食べ物に関しては迷いなく暮らしてこられています。

  今まで大地を守る会の食べ物をずっと食べてきて、

  生産者の皆さんと大地を守る会の信頼関係を信じてきたからだと思っていましたが、

  皆さんの除染作業への取り組みの記事を読み、私が決めたのはつまり、

  生産者の方がたを信じるということだったのだなあと思いました。

  それは、生産者の皆さんの手に、命を預けるということでした。

  私たちの命を預かっていることをはっきりとわかってくださっている皆さんの姿勢が、

  逆に私にそれを教えてくれました。

 

参加者のなかに、こんな若者もいた。 兄弟での参加である。

「僕たちがまだ小っちゃかった頃に、合鴨の進水式に来たことがあって、

 今日は17,8年ぶりでしょうか。 参加させてもらいました。」

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合鴨進水式・・・。

1990年、当時の稲作研究会会長・岩崎隆さんが合鴨農法で無農薬栽培に挑んでから、

無農薬栽培を広げ安定させるために、鴨肉を引き取るオーナーを募集した時代があった。 

あの頃、オーナーたちで鴨のヒナを田んぼに放す儀式をやってたんだよね。

お兄ちゃん (写真左) はまだちびっ子で、弟の君はお母さんにおんぶされていた。

そのお兄ちゃんが22歳になって、今日はなんと彼女を連れて参加してくれた。

もうそれだけで涙がちょちょぎれるよ。

僕は一週間ほど前に職員・布施から君たちの参加を知らされて、

古い段ボール箱の中から当時の写真を探し出したんだ。 一枚進呈できてよかった。

 

NHKの取材班が、参加者にインタビューしている。

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何を聞いているのか、どう答えているのか、ちょっと気になるけど、

そこはお任せするしかない。

どうぞ自然にやってください、としか言ってないし。

 

会津・喜多方から、大和川酒造・佐藤典明工場長も、

「種蒔人」や金賞受賞酒を持って参加してくれた。

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今年の原料米(美山錦) は、震災の影響が大きかった須賀川の状態を考慮して、

苗まではジェイラップで育ててから、

喜多方に運んで大和川さんの自社田での栽培をお願いした。

美山錦は早稲米なので、すでに収穫を終え、

ジェイラップに置いた放射能測定器での検査も終了している。

結果はND (不検出=検出限界値以下) 。 よかったです。

 

ごめん。 終わらないね。

ここまでで、とりあえずアップします。

 



2011年10月10日

" 希望の米 " は、ここにある!

 

いやあ、ホント、書けませんね。

なかなかブログに至らない、その前に沈没する日々。

いえ、酒のせいではありません。 酒量はむしろかなり減ってる。

 

抱えたテーマが放射能という未経験領域で、一つ一つの事項に明確な道がない。

最後は、責任を自覚した上での判断とか決断で進むことになる。

きついトレーニングさせられてるなあ、と思うのであります。

加えて継続して引きずっている案件がある。

それがまた、それぞれに重たくて、一つ進捗させるたびにフッとため息ついて、

まっこと肝の小さい人間だなあと実感するのであります。

 

しかし、先送りすればするだけ書けなくなっちゃうし・・・

ゼッタイに抜かすわけにいかない報告も待っている。

細切れに続けることになりそうですが、前に進みます。

 

2011年10月1日。

「今年はやりますか?」 と聞かれて、迷ってしまった自分が恥ずかしい、

と思い改め、実施を決断した 「大地を守る会の備蓄米」 の収穫祭。

やってよかった。 本当に、やってよかったと思う。

 

" これが僕らに与えられた試練なら、立ち向かうしかない "

空いたパンドラの箱から最後に託されたのが  " 希望 "  なら、

絶対に確かなものにしてみせる。 

思いつめてきた半年だった。 それだけに喜びも大きい。

 

募集をすれば、例年以上の参加者が集ってくれた。

マイクロバスを大型バスに切り替えて、全員を受け入れた。

参加いただいた皆様に深く感謝、です。

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 (カメラ隊は、NHKの方々。)

 

参加できなかった方々からも、たくさんのメッセージが寄せられた。

これもまた勇気の素で、嬉しいなんてもんじゃない。

「生産者の前で読もう! でもオレは読まない (泣いちゃう) から」

と早々に宣言。

 

  いつも美味しいお米を作ってくださり、ありがとうございます。

  3月の震災で、本当に悲しい、悔しい思いをされたと思います。

  皆様のお体が一番心配です。

  今回の収穫祭に参加することができませんが、心から応援しています。

  美味しいお米を楽しみにしています。

  心から感謝申し上げます。

 

  毎年美味しくいただいています。

  子どもが二人いるので、正直、今年は注文する時、どうするか迷いました。

  でも、取り組みの姿勢をみて、ご信頼申し上げることにしました。

  子どもたちともYOUTUBEを見て、話をしました。

  ご苦労が多いと思いますが、おからだに無理せず美味しいお米を作ってください。

  楽しみにしています。

 

  成長期の息子ふたりを抱える我が家にとって

  お米は欠かすことのできない大切な食材です。

  毎年お米の袋に書かれている文字を見ながら

  いつも変わらぬ大地の恵みを頂けることに感謝しています。

  たくさんたくさん家族でいただきます。 ありがとうございます。

 

「ずっと食べ続けてくれた皆さんの前で、人智を尽くしたと言えるように、、、

 頑張ってきたつもりです。」

グッと歯を食いしばる伊藤俊彦代表の挨拶と説明の後、

稔った田んぼの前で記念撮影。

「合い言葉は?」 - すかさずジェイラップの関根政一さんが言った。

「希望の米! でいきましょう」

 

よっしゃ。 では、希望の~ 米!

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本当だ。 希望の米が、いま僕の目の前で輝いている。

そしてファインダーからみんなの笑顔が・・・ああ、

我慢してたら鼻水が出てきた。。。 もうダメだ。

 

君たちの笑顔が見たかったよ。 来てくれてありがとう!

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空もさやかに晴れてくれて、

「もっと田んぼにいたい~」

 ・・・生産者には天使の言葉に聞こえたんじゃないだろうか。

 

大地震にも耐えてくれた太陽熱乾燥施設。

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今年も続々と、収穫された米が入り始めた。 

変わらぬ秋の風景のようでいて、違うのは

今年は田んぼごとに放射能検査を行なうという、前代未聞の挑戦をしていることだ。

その数 400枚。 面積にして120ヘクタール分のサンプル。

それぞれにモミ-玄米-白米、と検査する。

どこにもないデータの集積が、福島の一角で進んでいる。

 

地震で大きな損壊を受けた精米ライン。

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これを1週間で復旧させた。

「あのパニックの最中に、メンテナンス会社の連中が呼ぶ前に来てくれて、

 寒いなか工場に寝泊りして復旧にあたってくれた。

 いかに普段の関係が大事かを思い知らされました。」(伊藤俊彦さん)

 

いただいたメッセージから-

 

  今年も例年通り備蓄米を注文しました。

  いつもよりたくさんの苦労の末に、皆さんが作ってくださったお米を大切にいただきます。

  天災と人災のダブルパンチにも負けずに丹精込めて作ってくださったお米は、

  きっといつもより美味しいと思います。

 

  ホームページで、震災当時~今までの様子、活動を読ませて頂きました。

  目に見えない被害に対処することは並大抵のことではできません。

  皆様の努力に逆に言葉を失いました。ただただ頭が下がるだけです。

  何かしなければと思うだけで、実際にはただいただくばかりの自分が、はずかしいです。

  稲と同じように福島で暮らしてきた方々が、

  健康で、元気でおられますことをお祈りいたします。

  いつもありがとうございます。

 

  一日でも早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせるっていう

  その意気込み、取り組み。 応援します。

  今年もおいしいお米待っています。 

 

  毎年備蓄米をおいしくいただいております。

  放射能の影響は際限がなく、皆様方のご苦労を思うと本当に頭が下がります。

  これからも大変な作業の連続でしょうが頑張ってください。

  何もできない自分が歯がゆいですが、いつまでも応援しています。

 

  稲田稲作研究会のお米をいただくようになって何年たつか忘れてしまいましたが、

  第1回の募集のときから毎年楽しみにいただいてきました。

  3月11日の原発事故後、今年の米作りはどうなるのかと心配していましたが、

  いつもと同じように募集があってとても嬉しく、そして研究会の皆さまに感謝しております。

  真摯な生産者とそれを支える消費者がいてはじめて日本の農業が存在すると

  思っております。

  微力な私には、生産していただいたものを大切に食することしかできませんが・・・。

  どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

いえいえ、けっして微力なわけないです。 食べてくれることこそ力です。

 

ジェイラップと一緒に挑んできた乾燥野菜の開発-「はたまるプロジェクト」 も、

新工場ができて新たな段階に入った。 

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これまでの試作品を並べ、説明する伊藤大輔くん。

一品一品が試行錯誤の記念品だね。

 

お陰で、オリジナルの皮むき器やスライサーが所狭しと、

いや、広い部屋に並ぶ。。。

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広めにつくったところに、相当な期待の高さが窺い知れる。 

建屋の大きさは、こんな感じ。

 

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さて、ひと通り見学したあとは、お待ちかねの交流会。

 

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続きは、明日に、、、書けるか。。。

 



2011年10月 6日

安全なだけでなく、前より美味くなった! と言わせる。

 

すみません。

異動前後のせわしなさで、ブログのほうにまったく手が回ってませんでした。

時間というより、気持ちの問題ですかね。

しかも農産グループの仕事は細切れに引き継ぎながら、

次の仕事は一気にギアをアップさせたような感じで。

と言ってもこれまでの延長なんだけど。

 

前回の日記のあと、 

9月29日(木) は、4つの団体のトップの方々と秘密の会合を設定。

テーマは食品の放射能基準の正しい考え方について。

内容は近いうちにお知らせできるかと思います。

そして30日(金) には福島県須賀川市、ジェイラップに向かう。

この日はお米の話ではない。

岩手県久慈市(旧山形村) から短角牛の生産者に来てもらって、

牛の除染対策会議を開いたのです。

 

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今回試してみようとしているのは、ゼオライト (沸石) の粉末。

ゼオライトといっても、ケイ酸アルミニウム主体の多孔質鉱物の総称で、

その数は数百種類あると言われている。 

そのイオン交換能力の性質から土壌改良や水質改善に広く利用されているもので、

欧米ではサプリメントとして普及しているし、

家畜の餌に混ぜると生育が良くなることも証明されている。

(悪玉菌を出して善玉菌を増やす。

 血液がきれいになり、健康状態がよくなって、肉質が向上する、という理屈。)

特に3.11以降は、セシウム吸着力で注目されているものだ。

 

久慈といえば岩手の県北で、旧山形村はその内陸部に位置する。

原発事故の影響はかなり少ないほうなのだが、

規制値を超えた牛肉が県内で発生したため、県全域で出荷がストップした。

我々はいち早く短角牛の全頭検査を実施して、

その安全性を確かめる体制を取ったのだが、行政の規制は変わらなかった。

「まるで岩手全体が汚染されたみたいに思われたのではないか」

という生産者の不安は今も深く、販売不振に喘いでいる。

 

とはいえ牧草地のなかにはセシウムが検出されたところもあって、

生産者たちは今年の一番草を食わせるのを控えている。

牧草地対策、そしてゼッタイに肉に移染させない対策を徹底させるために、

ゼオライトの力を借りようというわけだ。

 

それがなぜジェイラップで?

長年、牛の健康と肉質の向上を目的としてゼオライト利用の研究をされてきた方が

福島にいて、ジェイラップの伊藤俊彦さんを経由して検討会をお願いした、というわけ。

久慈と東京の中間なのでお互い3時間ですむし、

僕にとっては翌日の備蓄米収穫祭のための打ち合わせもできるし、

何より一往復分の交通費が浮く。

 

検討はかなりイイ感じで進み、具体的な手当ての方法までまとまった。

「安全なだけでなく、3.11以前より美味しくなった、と言わせようじゃないか!」

・・・来たときは少々落ち込んだ感のあった生産者たちが、

笑顔も見せながら帰っていかれた。

国産飼料100%の牛肉を実現した彼らなら、やってくれると信じている。

 

帰る前に、放射能測定器も見ていただく。 

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これと同じものが大地を守る会のセンターに4台ある。

ゲルマニウム半導体検出器も威力を発揮し始めている。

測定でのバックアップは任せてくれ。

 

このやり取りを、脇で面白そうに眺めている男がいた。

 " やまけん "  の名で食の世界を闊歩している山本謙治である。

彼はこの日、別件で伊藤さんの取材に入っていた。

彼のレポートは近々、大地を守る会のホームページで登場するはずである。

大地を守る会の 「TTP (ちゃんとたべようプロジェクト)」 コーナーにて。

乞うご期待。 

 

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やまけんのブログでいつも、スゴいなあ!と思うのは写真のシャープさである。

マニュアルできちっと撮れるテクやセンスの違いはもちろんのことなんだけど、

ストロボ付きアンブレラを持ち歩いている姿まで見ると、

彼はすでにプロなのだと思い知る。

ウチの広報・中川が 「傘をこっちに向けろ」 とか、助手のようにこき使われている。

 

笑顔がほしいね~と、やまけんさん。

脇から茶化したりする。 

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ああ、いい笑顔だ。

やるだけのことをやった、という自負がある。

頭もヒゲも白くなったけど・・・

明日の収穫祭も、こんな感じでお願いしますよお。

 

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精一杯、手を尽くした田んぼ。

収穫は、一週間後あたりか。

何が起きようが生きるのみ、とばかりに美しく実った田んぼ。

早くも泣けてきて。。。 ありがとうの気を送る。

 

この日は須賀川に一泊し、

明けて10月1日(土) は、感動と涙の収穫祭になった。

この報告は次回に。

 

10月2日(日) は、段ボール数箱持って、引っ越し作業。

北の窓際から南の窓際に。

3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

15年ぶりの表敬訪問。

これは僕にとって、気合いとエネルギーを強化するためにも、必要な手続きだった。

 

遅ればせながら順次報告、ということでお許しを。

 



2011年9月11日

稲田の挑戦は続いている

 

今日は一週間遅れとなった 「稲作体験田」 の稲刈りの日なのだが、

こちらは若い実行委員会諸君にお願いして、

僕は急きょ須賀川・ジェイラップに向かうことになった。

 

ここに当社の放射能測定器を一台据え付けてもらったことはお伝えしてきた通りだが、

これまで測定してきた200件あまりの土やイネの結果を検証して、

取ってきた対策やこれからやろうとしている方向が誤ってないかどうかを

確認することになったのだ。

測定結果の評価と対策のアドバイスに協力してくれることになった専門家は、

四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。

NPO法人「チェルノブィリ救援・中部」 理事という肩書のほうが有名か。

8月にジェイラップで地元の方々も招いての講演を開いてから、

測定にもお付き合いを頂いている。

河田さんをジョイントさせたのは 『通販生活』 のカタログハウスさんである。

 

今日は河田さんのご都合に合わせて設定された。

しかもNHKが取材に入ることにもなって、少々ものものしい雰囲気になった。

 

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収穫が近づいてきた稲田の田んぼ。

カリウム散布に各種の実験。

" やれるだけのことはやった "  の思いがある一方で、

それでもこの半年、ざわざわとした胸騒ぎは消えることはなかっただろう。

 

イネは、何事もなかったように、元気に穂を垂れてきている。

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収量は- 「平年作並みだね。 味はイイよ、ゼッタイ」 と胸を張りつつも、

けっして気は晴れていない。

3.11以降味わった激しい怒りや悔しさは消えることはなかった。

原発事故さえなかったら、

俺たちは震災から立ち直ったぞ! と声を張り上げて叫びたいところだろう。

 

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ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん(右)と、測定結果を分析し合う河田昌東さん。

「すごいです。 数だけでなく、これまで仮説だったものの裏付けが取れた

 ものもある。 国にもこれだけのデータはない」 と、感心することしきりである。

 


今の段階でのイネ体と土をサンプリングする小林章さんと伊藤大輔さんを、

NHKが追いかける。  

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「もうそこらへんの土壌分析の専門家並みですよ」

と小林さんをホメまくる伊藤社長。

こう言う時は、相当働かせているに違いないのだ。  

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でもホント。 実にていねいな作業である。 

土は5センチ刻みで計測する。

セシウムはまだ表層に残っていることが、彼には見えている。 

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NHKさんの要望もあって、採取してきたばかりの生のモミのまま

測ってみる。 玄米より高く出てしまうことになるが・・・

30分後、結果は「不検出」!  胸をなでおろす。

「不検出」とは「検出限界値以下」と表現されるものだが、

実際の解析グラフを見れば実にきれいで、「0.0」 と発表してやりたいくらい。

 

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これまでの測定結果を、河田さんのアドバイスも頂きながら、

「ちゃんとしたレポートにまとめますから、期待しててください。」(伊藤さん)

やっぱこの人は、自信に溢れた顔でいてほしい。

 

こんな米作優良地帯なのに、耕作を放棄した田んぼがある。

すでにいろんな草が繁茂して、花を咲かせていたりする。

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専務の関根政一さんに聞けば、

「今年は作付してもダメだと思ったんでしょうね。 いや、切ないっすよ。

  見たくないねぇ、こういう風景は。」 

大丈夫だと分かって来年作ろうと思っても、これでは戻すのも大変だ。

「3年続いたら、もう戻せないですね。」 

 

この草たちもセシウムを吸っているとしたら、土をきれいにしてくれているわけだ。

できれば刈って上げた方がいいのだが・・・

 

そういえば、ヒマワリを植えた場所で、

そのまま土にすき込んでいるという話を聞いた。

ヒマワリの葉茎はかさばり、分解も時間がかかりそうなので、

早目にすき込んでいるのだとか。

何だよ・・・と言いたくなる。

各地の葛藤が、葛藤そのままに聞こえてくるようだ。

 

我々の取り組み結果が、悩む生産者たちを元気づけられるものにしたい。

早く朗報を送りたいと、我々の気持ちはますます逸(はや)ってくる。

 

10月1日(土)には、大地を守る会の会員さんを迎えて、

「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 が予定されている。

「そこでは、喜んでもらえる中間報告をできるようにしますから、

 ぜひ期待しててください!

稲田の挑戦は続く。

これはみんなの  " 希望への挑戦 "  でもある。 

 

収穫祭の参加者募集は23日まで。

今年は頑張って、東京~須賀川間をバスで送迎します。

詳細は 「コメント」 にて、アドレスを付けてお問い合わせください。

 

なお、NHKの取材はこのあともあちこちと続けられるようで、

放送予定は、11月頃になりそうだとか。

放送日と番組名が決まれば、またお知らせいたします。

 

「それでも土をあきらめない!」

そんな農民の魂が届けられれば嬉しいのだが・・・

NHKさん、お願いします!



2011年8月28日

みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!

 

8月18日(木)、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。

二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。

用意されたタイトルは-

 

     -3.11フクシマ後のエネルギー戦略-

  自然エネルギーによる「第4の革命」

 

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テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。

論点は一貫している。

- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。

- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、

  かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。

- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。

- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。

- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、

  「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。

- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。

  かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。

- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。

- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。

  東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。

- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。

  地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。

  自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。

- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。

  持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。

 

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お二人の講演を受けて、戎谷より、

大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、

次の展開に向けての野望も提出させていただく。

 

「 ここからは、我々が考える時です。

 大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、

 脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」

無理矢理(?)、拍手で確認。

 

食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、

我々の手でやれることはすべてやろう。

そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、

という議論に入っていきたい。

できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、

武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。

 

夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、

翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。

 

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「放射能除染対策から地域再生へ」

事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。

      日本短角牛の里で取り組む除染対策。

事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。

      水田での様々な除染試験から総合対策へ。

事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。

      動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。

 

【資源循環・エネルギー自給に向けて】

事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。

      「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。 

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事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

      「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。

事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。

      ここまできたエネルギー自給農園。

 

意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、

おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。

司会をしながら、少し熱くなる。

「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」

 

午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。

放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。

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ここにガンマ線スペクトロメータが4台。

現在、週120検体のペースで測定を続けている。

さらには現地(福島県須賀川市) に1台。

こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。

そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。

 

ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。

生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。

各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。

帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。

「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」

試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。

こんな嬉しいことはない。

 



2011年8月24日

千葉さんのディズニーランド計画、実現

 

生産者会議の報告の前に、もうひとつ。

 

震災で亡くなられた宮城県南三陸町のエリンギの生産者・千葉幸教さんが、

春休みに家族旅行を計画されていた、という話を以前書いたけど、

「落ち着いたら招待したいね」 が、実現しました。

 

申込金をお返ししたいのだが、と千葉さんの消息を尋ねてきた旅行代理店

の方と相談し、職員中心にカンパを募り、

同じような旅行パッケージを奥様の茜さんにお届けしました。

 

そして夏休み最後の週となった22日 (地元小学校の夏休みは25日まで)、

二人のお嬢ちゃんはしっかり宿題も終えて、お母さんと3人で

元気にディズニーランドにやって来てくれたのです。

 

この夏休みは学校のプールに行っただけ、とお姉ちゃんの ゆか ちゃん。

今日(22日) は朝5時前に起きた、と妹の みお ちゃん。

ケータイ写真を奪い合ったり、仲良く笑いながら走り回ってくれて、

僕らのほうが救われたような気持ちになりました。

 

2泊3日というささやかな日程。

3人は、ディズニーランド、ディズニーシーと目一杯楽しんで、

今日、志津川へと帰られました。 

 

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前のブログでは、中学生と小学生と書いてしまいましたが、

僕の思い込みによる間違いでした。

ゆかちゃんが5年生、みおちゃんが3年生です。

 

まだ仮設住宅だけど、助け合いながら、元気に暮らしています。

皆さんに、心から、「有り難うございました!」 

(千葉あかね・ゆか・みお さんより)

  



2011年8月15日

西からも東からも、応援し合う関係を築くこと

 

東京の夕空に、ゴジラ参上。 

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10日の午後から夏休みをもらって、帰る途中に発見。

似てない? 似てるよね。

この頭に乗って進軍してみたいものだ。

しかし、ゴジラが邪悪な都市に怒りをぶつけにやって来たというニュースは、

残念ながら聞かれなかった。

 

11日から3日間という慌しい日程ながら、

郷里に帰って墓参りをしてきました。

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南四国の東海岸。 太平洋を臨む、国道も通ってない小さな漁村。

この海から直線で15kmくらい北の岬に

原子力発電所を建設するという計画が持ち上がって、

住民の激しい反対にあって白紙撤回されたことがあった。

普段は政治のことなど話題にもしない漁民たちがハチマキ締めて

県庁まで抗議に出かけたりしたんだよね。

僕の家の戸口にも 「原発反対の家」 のステッカーがしばらく貼られた。

35年も前のことだ。

もし建っていたら、そろそろ寿命期に入る原発を、

この地の人々は眺めることになる。

 


前にも書いた気がするけど、

極めて保守的なこの地の漁民たちが猛烈に原発に反対したのは、

まだあの頃は漁業で暮らしてゆける自信があったからだ。

海はかけがえのない暮らしの源であり、

大らかに宝ものを与えてくれるみんなの財産だった。

それがもう、この海の豊かさを自慢する人たちはすっかり高齢化してしまって、

町自体が萎んできた感じである。

今なら、もしかしたら、海を売っちゃうのだろうか。。。

原発と一次産業は、どうしても負、いや反の関係にある。

お金といのちは両立しないワケではないはずなのだが、

おそらく両極に位置するからか。

 

9日、長崎で開かれた平和式典で、

田上富久市長が読み上げた平和宣言の一節が、頭の中でダブってくる。

 

  「ノーモア・ヒバクシャ」 を訴えてきた私たちが、どうして

  再び放射線の恐怖に脅えることになったのでしょうか。

  自然への畏れを忘れていなかったか、

  人間の制御力を過信していなかったか、

  未来への責任から目をそらしていなかったか・・・、

  私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、

  根底から議論をし、選択する時がきています。

  たとえ長期間を要するとしても、

  より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、

  原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 

守らなければならないものは何なのか、本当に今、考えなければならない。

そして、行動すべき時は、敢然と動きたい。

あの頃の漁師のおっちゃんや母ちゃんたちのように。

賢治も書いている。

 - なぜやめたんですか。

    ぼくらならどんな意気地ないやつでも

    のどから血が出るまでは叫ぶんですよ。 (『セロ弾きのゴーシュ』) 

 

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あちこちに祀られている神仏に手を合わせて、

肝心のウチの仏さんを見送ることもせず、とんぼ返りする。

 

14日、途中で奈良に迂回して、五條市にある王隠堂農園さんを訪ねた。

6月から取り組んだ企画 - 「西から応援野菜セット」 へのお礼を伝えたかったのだ。

 

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作業場では、まさにセット組の最中だった。 

お盆の真っただ中であるにも拘らず、

作業ローテーションを組んで出勤してくれた女性陣に、深く感謝したい。

 

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実に手際よく箱詰め作業が進んでいく。 

 

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野菜の状態もチェックしているのだが、

時に流通過程で溶けたり傷んだりしたものも発生した。

小売店なら入荷した時点で検品して、バックヤードではじけばよいのだが、

産地から家庭まで、そのまま運ぶものはやはり一定のリスクを伴う。

 

もし傷んだものが入っておりましたら、ご一報ください。

返金処理とかはもちろんのこと、産地へも情報をフィードバックし、

改善に役立てていきますので。

先週はよかったのに、今日は・・・ということもありえます。

一般では隠れて見えなくなる青果物流通の実態が

そのまま届いたりするのが、この流通の妙味です。

どうか温かい目で・・・ と言うと、甘い!と叱られるのではありますが。

 

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王隠堂さんがつなぐ生産者たちの野菜で構成された 「西から応援セット」 も、

来週をもっていったん終了となります。

このあと、王隠堂さんたちの野菜で継続されるものは、

「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収されることになります。

引き続き、「子どもたちへの~」 をご利用いただけたなら幸いです。

 

応援セットは終了しても、それで終わりではない。

これからの有機農業の全国的発展、次世代育成をにらんで、

関係を強化するための作戦会議も開いて、おいとました。

 

吉野の里のお米も、登熟期に入ってきた。

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この国の大地を守るべき主体を育て、ネットワークする。

それは原発に頼らない社会を再建するための地盤となるはずだ。

「西から応援~」 は、消費者の不安に応えた側面もあるが、

食べることで輪がひとつ大きくなったことはたしかである。

 

原発問題は、福島だけではない。

これから全国の原発が、廃炉の時代に入っていく。

西からも東からも、里からも海からも、応援し合うつながりを築いていきたい。

未来のために、教訓は今から形に、である。

 

渋滞のピークを避け、深夜の中央道を走りながら、

明日からの作戦を思い巡らせている。

これで夏休みも終わる。 病気だね、まったく。

 



2011年8月 9日

ヒマワリをシンボルに、里山再生を誓う

 

だれのために 咲いたの それはあなたのためよ ♪♪

                           (伊藤咲子 「ひまわり娘」)

 

  いえ、未来の子どもたちのために 咲かせたの。

  祈りながら 蒔いたの ヒマワリの種を。

 

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須賀川・ジェイラップで測定器の作動とこれからの測定計画を確認した

翌7月30日(土)。

郡山から二本松市に移動して、 

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 代表の大野達弘さん、

副代表の佐藤佐市さんと会い、今後の除染計画について情報交換を行なう。

 

協議会では 「里山再生・災害復興プログラム」 が策定されていて、

いくつかの民間団体の基金からの助成も準備されている。

茨城大学や新潟大学の先生たちも連携したプロジェクトがようやく形となって、

動き始めているのだ。

 

会員の農産物や畑・里山の放射能測定によって実態をつかみ、

測定マップに基づいてく対策を立てる計画だが、

そのひとつに 「SVO」(ストレート・ベジタブル・オイル) 構想がある。

 

農地にヒマワリやナタネを植えて土壌改善をはかり、

収穫した種を搾油して、その油を飲食店、豆腐屋さん、一般家庭などで使い、

使用済み廃食油を回収-濾過して車や農機具の燃料として使用する、

エネルギーの自給と循環の仕組みづくりを目指すものだ。

 


ここは協議会前代表の菅野正寿さんのヒマワリ畑。

 

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地域農業の再興とエネルギー地域循環のシンボルとして、

見事に咲いたヒマワリたち。

 

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しかし、すべてのプログラムに要所要所で立ちはだかるのが、

放射能の移行や挙動である。

測定は福島に設置された市民放射能測定室が連携することになっているが、

測る検体の数はおそらく相当な数になるだろう。

大地を守る会でつくってきた測定体制も必要に応じて協力する旨をお伝えして、

お別れした。

 

農水省を退職して東和に就農して5年。

決意も新たにしている関元弘さんのヒマワリ畑も見て、引き返す。

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郡山に戻り、今度は福島わかば会と打ち合わせ。

こちらでも今後の対策と測定計画を話し合う。

どこもかしこも、あれもこれも、と測定の要望が高まる中で、

ちゃんと計画と目標を立てて取り組まないと、

ただ右往左往する結果にもなりかねない。

みんなの努力が最大限の成果につながるよう、

しっかりとサポートしなければならない。

やらなければならないことを指折りながら、深呼吸をひとつ。

 

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涙なんかいらない いつでも微笑を ♪♪

 

すべての予定が狂ってからもう5ヶ月。

僕はいま、フクシマを回っている、向日葵に勇気づけられながら。

この時間の意味を腹に刻み込んでおくこと、だ。

 



2011年7月27日

までいの大和川酒造、金賞を祝う

 

山崎農研のシンポジウムを、大変失礼ながら、

最後の質疑応答の時間を前に退席させていただき、次の会場に向かう。

何の集まりかというと-

「 ガンバレ福島! その活力を喜多方から!

  ~大和川金賞受賞酒を楽しむ会 」

 

本年度の全国新酒鑑評会にて、

大和川酒造店の大吟醸がめでたく金賞を受賞したのだ。 

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これまでも金賞受賞を祝う会は、地元・喜多方で開かれたりしたのだが、

東京で開くのはこれが初めて。

しかも大和川を愛するファンたちの手によって準備された。

それだけ、今年の受賞は特別な歓びと感慨をみんなに与えたのだ。

 

場所は有楽町・東京国際フォーラムの中にある、

「宝 東京国際フォーラム店 by 夢酒」。

少し遅れて到着したら、すごい数の参加者で、

すでに佐藤弥右衛門社長の挨拶が始まっていた。

 

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挨拶はちゃんと聞けなかったが、社長の思いはこんなだろう。

ひとつは、地酒屋の哲学において金賞を獲得したことだ。

受賞をねらって山田錦などの酒造好適米を各地から取り寄せたりせず、

地元で、社員自らの手で栽培した 『山田錦』 を醸しての栄誉、なのである。

 

地酒とは 「地の米、水、風土で醸すもの」 のポリシーのもと、

1997年に農業生産法人 「大和川ファーム」 を設立して以来、

早生の 「五百万石」 から始まり、中生の 「夢の香」 「美山錦」、

そして高度な栽培技術を要する晩生の 「雄町」 「山田錦」 の栽培に、

困難な東北の地で挑んできた (山田錦は兵庫県で生まれた品種) 。

間違いなく世界最北の山田錦である。

「地酒のかたち」 へのこだわりで、ここまできた。

「どうだい!」 の気分だろうか。

 

もうひとつは、震災の年に、である。

震災後、佐藤社長は自社の仕込み水を一升瓶に詰め、

支援物資と一緒に、自ら車を飛ばして何度も被災地に届けた。

工場の敷地を支援物資の保管場所として開放し、

また 飯館村支援 のために奔走した。

 

までいの大使に、本業での金賞という冠!

ここはファンたちの手で、お祝いと感謝の席を用意しようじゃないか。

呼びかけてくれた実行委員長、杉原英二さんにも感謝したい。

 

飯館村の菅野典雄村長も馳せ参じ、挨拶に立った。

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支援してくれた多くの方に熱い感謝の言葉が語られるとともに、

避難したみんなを一日も早く村に帰れるように頑張りたい、

そしてゼッタイに 「までいの村」 を取り戻して見せる、と決意が表明された。

 

みんなの参加費から、いくばくかの支援金を飯館村に贈る。 

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がんばろう福島! がんばろう飯館!

 

次代を担う後継者にも、この日は刺激になったことだろう。 

挨拶にも力が入る。

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マイクを持っているのが、長男の雅一さん。 

左が次男の哲野 (てつや) さん。

どうも弟のほうが人気があるらしく、兄はちょっと嫉妬気味である。 

 

1993年、あの冷害の年に、大地を守る会オリジナル純米酒第1号を

大和川さんにお願いした我ら 「米プロジェクト21」 としても、

社長を囲んで一枚いただかなければならない。

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「おめでとうございます! 僕らも本当に嬉しいです。」 

 

右から二人目のおじさんは米プロのメンバーではないけど、

勢いで入っていただいた。 お分かりでしょうか・・・・・

あの! そう、あの! サッカー実況のカリスマ! 激闘の語り部!

元NHKアナウンサーで解説委員を務められた山本浩さん (現在は法政大学教授)。

1998年6月、W杯に初出場したフランス大会の第1戦 (Vs.アルゼンチン)

の実況中継の語りは伝説になっている。

「声は届いています、はるか東のほうから ~ 」

サインをもらうのを忘れた。。。

 

山と酒の愉快な仲間たち -「飲めまろ会」 の皆様にも集まってもらわねば。 

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飯豊山登山では、登山靴が割れて、助けられたこともある。

5月の山都の堰さらいでも、いつも何人かと一緒になる。

 

金賞は、我らみんなの誇り、と言わせてもらいましょう。

極上の美酒に酔い、励まし合い、心を一つにして、

美しい復興に向かおうではないか。

 

朝、ドアを開けたところで、一気に花開かせた姿を見せてくれたグラジオラス。

今日のこの日を待って咲いたのか。。。 

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飯館に・・・届いたよ、きっと。

 

欺瞞とうっとうしさに満ち、地域をお金中毒にさせるようなエネルギーなんか、

ない方がいい。

までいの花を咲かせよう。

 



2011年7月12日

畜産物&乳製品生産者会議 -ここでも放射能の勉強

 

続いて、ふたつ目の生産者会議報告を。

 

7月7日(木)、小暑、七夕の日。

東京は神宮にある日本青年館の会議室で開かれた

「第5回畜産物生産者会議 & 第6回牛乳乳製品生産者会議」。

つまり畜産と酪農の合同会議だ。

 今回のテーマは

「畜産物の放射能汚染の影響について」。

 

畜産・酪農家の間で牧草の汚染に対する不安が広がっている。

自身の行為とはまったく関係ない要因に対しても配慮しなければならない

時代になってしまった。

被害者が加害者にもなってしまう放射能社会。

もはや食の生産者として、「知らなかった」 ではすまされなくなっている。

 

ということで、

まずは放射能とその影響について、正確な理解をもつことが必要である。

講師としてお願いしたのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。

 

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お話は、放射能の基本知識から始まり、

福島原発事故の概要とその影響について、

被曝ということの正しい理解、

食品への移行や暫定基準値をどう見るか、 

そしてこれからの放射能環境をどう生きるか・・・・。

 

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さすがに集まった生産者たちは真剣である。

質問もいろいろと出るのだが、

たとえば、放射能の影響は動物に対しても同じだと考えていいのか?

という基本的な質問ひとつとっても、

いかんせん、こと家畜や肉への影響についてはデータがあまりになくて、

分かっていないことだらけのようなのだ。

放射線の影響は原理的には人間と同じはずだが、

牛や豚がどれくらいの時間で、どれくらいの割合でガンに罹るかなどは、

過去にも調査されていない、いや 「少なくとも私は見たことがない」 と伴さん。

チェルノブィリ原発事故によって人に影響が出始めたのが5年。

だとすると、そもそも影響が出る前に出荷されることになるだろうか。

 

ではそのお肉は大丈夫なのか。

粗飼料(ワラなど) から筋肉への移行係数は示されていて、

たとえば、放射性セシウムの牛肉での暫定規制値 500ベクレルを超えないためには、

粗飼料の許容量は 300ベクレル/㎏ となる。

しかしこれも正確かどうか分からない。

牛肉の規制値自体も 「暫定」 であって、含まれている以上、

食べ続ければリスクは高まっていく。

 

福島の農家と飼料用の稲で契約したが、使って大丈夫でしょうか?

-水田では土壌の濃度が5,000ベクレル以下なら作付が認められたが、

  最終的に稲を測って判断するしかないのではないだろうか。

 

では規制値以下であれば、餌に使って、消費者は食べてくれるでしょうか?

----- これは伴さんが答えられるものではない。

しかし流通者としては、彼らの悩みに少しは応える義務もあるように思い、

マイクをお借りした。

モヤモヤとしたまま帰らせるわけにもいかないし。

 

法律上 「作ってよい」 「使ってよい」 ものであり、

私が調べたところでも、作付可能土壌から稲の子実への移行は規制値より

さらに10分の1から100分の1レベルになると推定できるので、

現時点で、その契約農家の稲を使うなとは言えない。

最終的には収穫物を測定して判断することになるけど、

その際には、規制値を根拠にした単純な判定では実はすまなくて、

わずかでも残留が認められた場合、それを使うには、

我々の思想とモラルが問われることになるでしょう。

・ このレベルなので使わせてほしい。

・ 使うことで、その農家とともに  " 農地の再生・浄化 "  に取り組みたい。

 それが将来につなげるための、我々の使命だと思う。

- と、強い気持ちで生産者の姿勢を語れるのなら、私は支持したい。

  きちんと情報を開示して、思いも精一杯語って、売りましょうよ。

 

この生産者や販売者に対する評価は、

消費者と言われる方々に一任するしかない。

 

みんなの悩みは深い。 

しかし、明解な答えはない。 

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質問する、中津ミートの松下憲司さん。

 

除染についての質問も挙がる。

微生物が放射性物質を分解するとか無害化するとかいい情報があるが、

有効な微生物はあるか?

-食べる微生物はいるが、それは核種が微生物に移行したものであって、

 基本的に元素が分解されるということはない。 

 放射性物質である以上、その害が消える (無害化される) ことも考えられない。

 ただし、食べる人の健康のために、食用部分に移行させない、

 ということを第1の目標にして利用することを否定するものではない。

  まだ分かってないことも多いので、いろんな試験をやることは必要だと思う。

 

ナタネでは、種には放射性物質は移行しないので、油で使うことは問題ない。

ただし、除染という効果で考えると、データで見る限り、

実はそんなに吸収されていない。

ゼオライトなどは有効性が認められている。

ただし、いずれにしても移行 (吸収) したものの最終処分は、

現在のところ、埋めるしか方法がない。

 

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なかなかしんどい会議だった。

 

安全をお金で買える時代ではなくなってしまったが、

大地を守る会CSR運営委員会の消費者委員の方が最後に語ってくれた言葉で、

少しは救われただろうか。

 

  私はずっと、買う (食べる) ことで生産者を支えていると思ってきた。

  震災の翌週、さすがに今週は宅配は来れないだろうと諦めていたが、

  当たり前のように配送員が来た時は、涙があふれた。

  支えられていたのは、実は私のほうだった。

  これからも感謝して、食べていきたい。

 

  大地を守る会が測定結果をしっかり開示してくれることをありがたいと思う。

  この安心感は捨てがたく、素性の分からないものを買うくらいなら、

  わずかの残留なら大地を守る会を選びたいと思う。

 

  有機農業のほうが、最終的には放射能にも強かった、

  という結果が出てくると嬉しい。

 

最後の期待には、応えられると思う。

なぜなら、もっとも努力するのが彼らであり、ここにいる人たちだから。

 



2011年7月 9日

米ば守ってみせんといかんばい

 

6月29日、米生産者会議の続き。

 

菊地治己さんの講演のあと、

農産チーム・海老原から米の販売状況が報告され、

米の品種別食べ比べを行なう。

はからずも北海道産の新品種の実力が示された格好になった。

さすがに、おぼろづき、ななつぼし、ゆめぴりか、ふっくりんこ、といった

道産米品種をピッタリ当てるのは難しいと思うが、

僕の間違いは、むしろ  " まさかあの米より美味いはずは・・・ "  という

思い込みによるものである。 いやあ、北海道米をあなどってはならない。

 

続いて戎谷から、

3.11以降の震災・原発事故に対する各種の取り組み状況を報告する。

 

懇親会に入り、全国から参じた生産者が各団体ごとにスピーチに立つ。

スライドショーで全員アップといきたいところだけど、

長くなりすぎるので、すみません。

ただ、この方々だけは紹介しておきたいと思う。

関東から東北にかけて、義援金への感謝の言葉が続いたので。

 

まずは、原発事故の影響を受ける格好になった、

福島市・やまろく米出荷協議会。  

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一所懸命、安全で美味しい米づくりに励んできたのに、

ちゃんと保管してある昨年産の米まで売れ行き不振になって、

この悲しみは言葉では言い尽くせない。

でも頑張りますよ、我々は。

大地さんからの義援金で放射能測定器を買いました。

自分たちでもちゃんと測って、安全を確認しながら供給したい。

食べてくれる人のためなら何でもやりますので、とにかく食べてほしい。

安全で美味しい米をつくり続けたいのです。

 


千葉県・佐原自然農法研究会。

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液状化で浸蝕された田んぼに加えて、パイプラインもやられて、

今年の作付面積は相当減ったけれど、温かい義援金を頂戴して、

みんなで頑張っていい米作ろうと励ましあってます。

 

茨城県稲敷郡、篠田要さん。 

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壊れた家の修復にはたいして力になれない義援金額だったのに、

「本当に嬉しかったですよ、ええ。 元気が出ました。

 家は少しずつ直していきますから。」

佐原自然農法研究会ともども、積極的に職員の研修を受け入れてくれている。

 

宮城から、ライスネット仙台。

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発言している小原文夫さんは、大地を守る会CSR推進委員会の生産者委員であり、

仙台黒豚会、仙台みどり会(野菜のグループ) の代表でもある。

仲間の被災状況はまちまちで、家が潰れた生産者もある。

運営は大変だと思うのだが、

気合いはいつもの通り、力強く意気込みを語る。

 

同じく宮城、蕪栗米生産組合。 

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田んぼの被害はあちこちに発生したが、

三陸の人たちのことを思えば、たいしたことはないと言い聞かしている。

内陸の俺たちがこれくらいで負けるわけにいかないから、と

こちらも強い気持ちで前に進んでいる。

 

皆さん、こちらが恐縮するくらい深い感謝の気持ちが伝えられた。

すごい力になったことを、義援金にご協力いただいた皆様に

この場を借りてお伝えしておきたく思います。

 

もう2、3組、いってみましょうか。

秋田・大潟村から、相馬時博さん (大潟村元気グループ)。

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親父に替わって参加。

大先輩からいっぱい学んで帰りたい、と意欲満々。

いよいよ代替わりに向かって・・・とか書くと親父の喜久雄さんにどやされそうで、

やめておくけど、期待してます。

 

山形から、庄内協同ファームの小野寺喜作さん。

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小野寺さんも震災直後に宮城まで救援活動に出向いた方だ。

衝撃は大きかったようだ。 

この間二人の息子さんが就農して、未来への希望と同じだけ不安もある。

原発は止めるしかないっすよね。

 

一番南からやってきた方にも敬意を表して。

熊本・阿蘇の大和秀輔さん (大和秀輔グループ)。

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阿蘇有機生産組合の下村久明さんも、いつも一緒に来てくれる。

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ともに合鴨農法に取り組む。

北海道でやろうがどこでやろうが、米会議はゼッタイに欠かさない二人。

思いは一本である。

大地を守る会の米の生産者として、

誇りばもってですよ、米ば守って見せんといかんとですよ。

 

ありがたい存在である。

 

去年の開催地・新潟県南魚沼市から、笠原勝彦さん。 

ご夫婦での参加。

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奥様の薫さんは、何と東京育ち。

友人の結婚パーティで勝彦さんが見そめたんだそうだ。

きっと夢をいっぱい語ったんだろう。

元気な農業青年や後継者たちを見ていると、

" 嫁不足 "  なんて言葉は浮かんでこないね、いや、ほんと。

みんな素敵に輝いている。

 

最後に、地元 「北斗会」 の面々。 

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この日の食べ比べでも立証された北海道米の力。

事務局を務める(株)柳沼さんのバックアップで、

技術的進化への取り組みにも余念がない。

栽培期間の短い寒冷地・北海道の悩みは肥料ですかね。

 

おまけ。

旭川での開催ということで、乗り込んできた面々がいた。

美瑛町の早坂清彦さん。

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富良野市から今利一さん。

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今年の畑は、去年にも増して厳しいようだ。

 

中富良野・どらごんふらいの間山幸雄さんと石山耕太さん(太田農園)。

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石山さんとは、今年の東京集会での、異常気象のトーク・セッションで

ご一緒させていただいた。

いま、2月に亡くなられた 布施芳秋さん の農場も手伝ってくれている。

 

二日目はほ場の視察。

旭川で有機栽培面積を広げてきている、石坂昇さんの田んぼを見せていただく。

 

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約40町歩(ヘクタール) のうち、10町歩で有機JASを取得する。

反収(10 a 当たりの収穫量) は当初5俵程度だったのが、

今では10俵にまで達し、慣行栽培よりよく獲れている。 

 

根張りのいい、強い苗を育てるところから勝負は始まっている。 

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左は慣行栽培の苗、右が石坂さんが育てた 「ななつぼし」 の苗。

 

さらにみんなの関心は、除草機である。

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メーカーと共同歩調で改良を重ね、随所にオリジナルの工夫がみられる。

草の対策は、草を出さないこと、つまり種を落とさせないことだ。

 

実演する息子の寿浩さん。

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初期にきっちりと取る。

分けつを旺盛にし、穂数を増やすのが北海道の米作りだとのこと。

 

解散前に記念撮影。

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厳しい年だけど、力を合わせて、前を向いて、頑張りましょう。

 

最後にこいつら。

新潟・オブネットの武田金栄さんを中心に集まってきている若い生産者たち。

「元気のいい若手農家で 『新潟イケメン会』 を結成しました。

  ブランドになりますので、ヨ・ロ・シ・ク!」

 

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ポーズまで決めちゃって、その明るい自信は、褒めてやる。

ただし、新潟+イケメン、というだけで付加価値はつけられないからね。

君らが米のおまけでついてくるワケじゃないし。

個人的には、隣のオヤジのほうがインパクトあると思うぞ。

ま、負けないで頑張ってくれ。

 

どこよりも豊かな田んぼ、そして安全でおいしいお米づくりで競いながらも、

大きな輪をつくっている仲間でもある。

明日に向かって、一緒に走り続けようじゃないか。

 

米ば守ってみせんといかんばい!  だよね。

 



2011年7月 8日

北海道でお米の生産者会議

 

暑いですね。 政治は寒いですが。。。

 

寒いけど、クーラーの役目は果たしてくれないようで・・・

ま、政治へのコメントは避けます。 深読みしてもしょうがないし。

僕らは、やるべきことを急ぎましょう。

この夏を、生産的な汗で、豪胆に乗り切りたい。

 

では、ふたつの生産者会議の報告を-

まずは6月29日(水)~30日(木)、

北海道旭川市で開催された 「第15回全国米生産者会議」。

年1回、各産地を回ってきた米の生産者会議も、

ついに北海道での開催の運びとなった。

今や北海道の米は、内地(死語か・・) の生産者にとって、脅威なのである。

気がつけばこの20年の間に、

美味い! と言わせる米が続々と名乗りを上げてきたのだから。

見てみようじゃないか、その現場を。

 

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今回の幹事団体は、各種の道産米を作ってくれている 「北斗会」 さん。

挨拶するのは、会長の外山義美さん。

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北海道にいても、震災の影響には深く心を痛めている。

東北の人たちに思いを馳せながら、気持ちの晴れない思いで米を作っているようだ。

挨拶にも気持ちがこもっていて、

ああ、今年の生産者会議は仲間との連帯感を確かめ元気を与え合う年だ、

と感じ入る。

 

で、北海道の米の進化について、である。

講演をお願いしたのは 「農業活性化研究所」代表、菊地治己さん。

長く北海道産米の品種改良に尽力し、

この春に上川農業試験場長の職をもって退職された。

演題はまさに、「おいしくなった道産米の秘密」。

 

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北海道で稲作が本格化して130年。

厳しい自然環境にもめげず、戦前の新田開発、戦後の食糧大増産時代を担いながら、

1970年代からの減反政策で北海道の米作付面積は半減した。

量から質へのたたかいが始まる。

1980年、当時の横綱 「コシヒカリ」 「ササニシキ」 を目標とした

「優良米の早期開発プロジェクト」 がスタートする。

 

取ったのは 「成分育種」 という手法。

米の食味を左右すると言われるアミロースと蛋白質の含有量を測り、

値の低いものを選抜していくのである。

選抜した種で幾通りもの交配を行ない、最初の頃は沖縄・石垣島に送っては

年4作 (1年で4年分) というスピードで進めたが、

その後試験場内に巨大なハウスをつくってからは年3作のペースで

栽培試験-選抜-交配-栽培試験を繰り返してきた。

それでもって、世に出るのは何万分の1という世界なのだそうだ。

菊地さんは、朝、昼、夕に〇種類の米を食べ、夜は仲間と酒を飲んではラーメンを食って、

深夜にまた数種類の米を食べる、という日々を過ごしたという。

おかげで胃袋を失った、と。

 

北海道内4つの農業試験場 (上川、中央、道南、北見)上げての

育種プロジェクトの成果は、1988年の 「きらら397」 の登場から始まり、

1996年の 「ほしのゆめ」 で念願のササ・コシ級の評価を獲得し、

「ななつぼし」 「おぼろづき」 を経て、2008年 「ゆめぴりか」 へと至る。

 

しかし今、菊地さんは思っている。

プロジェクト発足から30年。 食味に関しては当初の目標をクリアしたかもしれない。

しかし良食味品種は耐冷性や耐病性に難がある。

また、ただ食味を追求して低蛋白・低アミロース一辺倒の育種戦略だけでなく、

蛋白は必要な栄養源なのだから、高蛋白・良食味の視点もあってよいではないか。

あるいは、アレルギーの出ない昔の品種-「ゆきひかり」 のような品種も

見直す必要があるのではないか。

 

開拓時代の北海道を支えた 「赤毛」 という品種の米がある。

まずい米だと思っていたが、去年食べたら美味かった。

「ゆきひかり」 は、腸の粘膜を保護して善玉菌を増やすことが分かってきている。

昔の米は (その地に根づき、その地の) 日本人の腸を守ってきた、

のではないだろうか。。。

 

定年退職後、菊地さんは改めて人生のテーマを設定されたようだ。

有機農業を北海道農業のスタンダードにしたい。

脱原発に方向転換させ、自然エネルギーで真に豊かな北海道を実現させたい。

そして野望は、大麻の普及だとか。

大麻といっても産業用大麻のことで、プラスチックや繊維の原料として、

あるいは食品や自然エネルギーの素材として、菊地さんは着目している。

 

また新たな知己を得て、僕らのネットワークはこうして広がってゆくのである。

 

・・・続く。 お休みなさい。

 



2011年6月 8日

地域の再生を誓う人々 -福島行脚その⑦

 

5月3日から5日間にわたる福島行脚のレポートも、

ようやく最終日に辿りついた。

重かったな、今年のゴールデンウィーク。

このツケが家庭のメルトダウンにつながらなければよいのだが・・・

いや、私的な話は慎んで、レポートを続けよう。

 

「二本松ウッディハウスとうわ」 という宿泊交流施設で一泊した我々視察団一行は、

5月7日(土)、まずは地元の堆肥センターを見学する。

 

循環型有機農業を目指す有志19名の出資で、

「ゆうきの里」 づくりの土台を形成すべく建設された施設である。

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案内してくれたのは、

協議会初代理事長を務めた菅野正寿(すげの・せいじゅ) さん。

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地元の牧場から出る牛フンに稲ワラや籾殻、食品加工で発生する食品残さなど、

地域資源を最大限に活用して、一次発酵、二次発酵・・・ と

半年かけて四次発酵まで行ない完熟堆肥を完成させる。

それを 「げんき堆肥」 と銘打って、直売所で販売する。

 

農家は畑の土壌診断を行ない、それに基づいた施肥設計を整え、

「げんき堆肥」を適正に使用し、農薬は極力使わず、

栽培履歴を自ら開示する。

それが 「東和げんき野菜」 のブランドとなり、直売所を潤す。

 

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しかし、彼らの精一杯の取り組みにも、原発事故は容赦なかった。

この 「げんき野菜」 も、事故直後から

県内の生協やスーパーから拒否される事態となった。

消費者の買い控え(防衛行為) と、流通者の脅えた自主規制は、意味が違う、

と僕は思っている。

" 売れるか、売れないか、どう売るか、何を伝えるか "  の悩みを経ずに、

早々とつながりを断ち切るのは、流通者のやる仕事ではない。

 

しかしながら、地域資源の循環を支える静脈である自慢の堆肥にさえも、

不安は緩やかな津波のように浸潤してきているのである。

この罪は大きい。

 

見学の後、「道の駅東和 あぶくま館」 に戻り、

現地農家からの報告と意見交換会が再び持たれた。

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菅野正寿さんが今の状況を語る。

露地野菜がほとんど出荷できなくなった。

しいたけは出荷できているが、周辺地域では制限されたところもある。

測定器を購入して観測しているが、場所によってかなり差があるようだ。

ヒマワリの資料を集めタネも買ったが、はたして植えていいものか・・・

「耕すな」 という人から、「深く耕せ」 という人までいて、

私たちは何を基準に判断していいのか、不安は増すばかりである。

それでも桑の生産の準備には入ろうと思っている。

 

全戸避難の指示が出された飯館村から来ていただいた

高橋日出夫さん。 

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今は松川(福島市) に避難されているが、時々は見回りに帰っている。

ブロッコリィを6~7月に収穫する予定で、4月に1町歩(≒1ha) 作付けした。

花のグラジオラスを7月からお盆にかけて、

トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に出荷、、、そんな計画だった。

やませによる冷害のある地域なので、複合経営に取り組んできて、

何とか食べていける、ようやく暮らしの見通しが立ってきたところだった。

 

「原発事故の後、子供がいる若い夫婦はみんな外に出ました。

 残っているのは年寄りだけ。

 私は、できれば村に残って来年に備えたいと思っていたんですが、

 全戸避難となってしまって。

 それでも地区のみんなとは、いつか飯館に戻ろう、そう誓い合って移りました。

 私の住む松塚地区は45戸あって、以前から機関紙を出していまして、

 この機関紙を何とか続けて、みんなに配りながら、

 つながりを持ってやっていこうと思ってます。

 

 私は本当は野菜が好きで、

 農業高校でカリフラワーを見たときの感激が今でも忘れられないんです。

 家は当時、葉タバコと水稲だけだったんですが、野菜作りに魅力を感じて、

 20代半ばに菅野正寿さんと知り合って、安全でおいしい野菜を作って食べてもらおうと

 「福島有機農業産直研究会」 を結成しました。

 末娘はその頃作っていたレタスの味を今でも忘れられないと言ってくれます。 

 

 いま村民が一番知りたいことは、畑や田や山の、土の実態です。

 いろんな取り組みがありますが、どうなんでしょう。

 来年は作付できるんでしょうか。 それが知りたいです。

 飯館はどことも合併せず、  「自主自立のむらづくり」 の道を歩んできました。

 私は理想郷に向かっていると信じていました。

 あの美しい自慢の村が、こんなことになろうとは・・・・・ 」

 

東和に新規就農して5年目の春を迎えた関元弘さん。 

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元農水省の官僚である。

出向先として勤務した東和町に魅せられ、

8年前に霞ヶ関を捨て、夫婦で東和に移り住んだ。

農業の現場で有機農業を実践するのは、以前からの夢だったという。

3年前には有機JASを取得している。

公とも組み、農協や既成の流通ルートを活用した新しい仕組みをつくろうと

4月に 「オーガニックふくしま安達」 という組織を結成したばかり。

実は3月14日が、その設立総会の予定だった。

心昂ぶる絶頂直前での原発事故となったわけだ。

 

事故で一時心が折れそうになったが、

農業をしたくてもできない人がいるのだと思うと、

「ここで負けてられっか」 という気持ちになった。

「立ち上がって、前に進もうと決心しました。」

 

会のシンボルマークは、ヒマワリ。

「土壌浄化とかではなく、復興のシンボルとして」 みんなでヒマワリを植えている。

いずれ二本松全体を有機の里にしたい、と抱負を語る。

 

手元に、菅野正寿さんが書かれた文章がある。

そのなかの一節を紹介したい。

 

  原発の安全神話は崩れた。

  有機農業生産者は、農民は、命の大地を守るため、声をあげなければならない。

  戦後、都市生活者のため労働力も食糧もそして電力も提供し、

  支えてきた東北の農民の声なき声を受け止めなければならない。

  消費文明と人間のエゴの帰結が今回の事故をうみ出したのならば、

  エネルギー政策の抜本的転換、

  つまり持続可能な自然エネルギーへの転換が求められる。

  そしてわたしたちは力をあわせて、希望の種を蒔かなければならない。

 

  「山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」 と唄われた、

  赤とんぼと桑畑と棚田のふるさと ~ 

  今年、黄金色の稲穂に赤とんぼは舞うのだろうか。

 

現地視察と生産者との交流から、早や1ヶ月が経った。

「皆さんのところで育ててほしい」 と、

飯館村の高橋日出夫さんから託されたグラジオラスの球根が、

僕のちっこいプランターで芽を出してしまった。

高橋さんの願いが乗り移ったかのように、逞しく伸びてくる。 

 

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こんなところでゴメンね、だよね、まったく。

最後まで付き合うから、許してくれ。

 



2011年6月 5日

美しい村々に降った放射能 -福島行脚その⑥

 

改めて振り返るまでもなく、

原子力発電という技術は、実に事故やトラブルとのたたかいの歴史だった。

" 一歩間違えば大惨事 "  という事態を繰り返しながら、

世界に誇るニッポンの技術者たちは、

" 未来の国産エネルギー "  に途方もない夢を賭けて未知の領域に挑んできた。

 

しかしこの技術は、放射能を発散するという宿命により、

不幸な足かせも必要とした。

" 事故は起きない "  という神話を前提にしなければ、

一歩も前に進めなかったのだ。

技術革新にとって失敗とは、物語に感動を加える絶妙なダシのようなものなのに。

 

安全神話は、国を挙げて、極めて強固に築かれていった。

放射能漏れや隠蔽・改ざんをさんざん繰り返しながら。。。

「こんな危険なモノとは共存できない」 「事故が起きてからでは手遅れになる」

という反対論は、その神話の壁と政治力、そしてマネーの力を崩すことは出来なかった。 

地震との関連でも、その危うさはつとに指摘されてきたにも拘らず、

「明日起きても不思議ではない」 という主張は、

危険人物の煽動的発言であるかのようにシカトされた。

そうして虚しくモロかったはずの  " 安全神話 "  は、いつしか

リスクを最も理解し警戒していたはずの科学者や技術者の頭をも支配してしまった。

それこそが最強のリスク因子であることに気づくことなく。

 

まあ、しかし、、、そう批判したところで、我々だけが逃げられるワケではない。

この責任は、賛成論者・反対論者を問わず、

現代社会を生きるすべての大人が背負わなければならない。

 

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・・・ そんなことをボンヤリと思いながら、景色を眺め続ける。

 

遺留品の保管所を示す墨で書かれた張り紙が静かに立っている街を後にして、

視察団一行は、浜通りの南相馬から再び内陸へと踵を返した。

何台もの自衛隊の災害救助車両とすれ違いながら、

20km も南に下れば、原発事故によって

行方不明の家族を捜すことすら許されなくなった町があることを考えようとするが、

僕の想像力はとてもついてゆけない。

 

二本松市・旧東和町に向かう途中、飯館村を通過する。

 

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「日本でもっとも美しい村」 のひとつ -福島県南相馬郡飯館村。

原発から約40km離れた地で、全村民が避難を余儀なくされてしまった。

放射能の影はどこにも見えないけど。 

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この田畑も、間もなく放置される。 酷い話だ。

 

夕方、二本松市・旧東和町にある 「道の駅 あぶくま館」 に到着。

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 ここで、有機農業をベースに、

地域の自立と自然循環のふるさとづくりに取り組んできた

生産者たちとの意見交換会を持つ。

 


東和の町づくりを担ってきたのは、

NPO法人 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」。

 

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二本松市に合併された2005年、

それまで築いてきた 「ゆうきの里づくり」 を継承しようと設立された。

かつて県内屈指の養蚕地帯といわれた山村に広がる耕作放棄地を再生させ、

桑を使った特産品を開発し、新規就農者を受け入れ、

「里山の恵みと、人の輝くふるさとづくり」 に邁進してきた。

その実績が評価され、一昨年、過疎地域自立活性化優良事例として、

総務大臣賞を受賞した。

大地を守る会の生産者団体でもあるが、彼らの基本はあくまでも 「地域」 である。

僕はその精神を気高いと思う。

 

95%が東和町の産品で並べられているという直売所。

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壁側の棚には、生産者たちの栽培履歴のファイルが並べられている。

それがトレーサビリティの証明である。

 

協議会理事長の大野達弘さん。

以前は 「福島わかば会」 のメンバーで、前日の福島での会議でも一緒だった。

今は地元・東和の、有機農業の指導者として若者たちを育てている。 

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里山再生を掲げ、復活させた桑園は60ヘクタール。

仲間と一緒に 「桑の葉パウダー」 や 「桑茶」 、そしてジャムから焼酎まで、

次々とヒット商品を開発してきた。

育てた新規就農者は16組20人を数える。

新しいふるさとづくりに手ごたえを感じ取ってきた。

そこに起きたのが、原発事故である。 

「山がどうなるのか、心配で途方にくれている状態」 だと語る。

「でも、みんなで頑張って乗り切ってゆくしかない。 この地で踏ん張っていきたい。」

 

副理事長の佐藤佐市さん。

こちらも元 「わかば会」 のメンバー。

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家庭菜園用の苗も作っていて、園芸福祉も取り入れたいと抱負を語る。

しかし・・・地域資源を循環させることが 「有機」 だと信じてやってきたが、

今は落葉の汚染を心配しなければならなくなった。

悩みは尽きないが、有機農業の 「ゆうき」 は 「勇気」 でもあると思って、

頑張っていきたい。

 

山の落葉、しいたけの原木・・・ 山は資源の宝庫なのに、

今はそれを心配しなければならなくなってしまった。

「使っても大丈夫でしょうか」

実態が正確に分からない以上、明解に答えられる専門家はいない。

 

県は野菜の分析で手一杯なのだという。

「民間の検査機関に出せ」 と言われて問い合わせたら、

バカにならない検査費用だった。

ガイガーカウンターも買ったが、どうやって再生につなげたらいいのか・・・

 

意見交換会を終え、夜には懇親会が持たれたのだが、

山都での堰浚いから福島での生産者との厳しい会議を経て、今日の体験・・・

正直言って、ひどく疲れた感が襲ってきて、

自分でも信じられない。 得意の 「飲み」 に付き合えない。

 

愛媛大学の日鷹一雅さんと溜池や水系の除染についてしばし話し合って、

みんなより早く休ませてもらった。

東和の若者たちと語り合おうと思っていたのに。

 

・・・ああ、終われないね。 続く。

 



2011年5月13日

千葉幸教さんの家族旅行計画

 

福島レポートの途中ですが、書かずにいられない話を。

 

とある旅行代理店から、一本の電話がかかってきた。

エリンギの生産者だった宮城県南三陸町の故 千葉幸教さん のご遺族と

連絡を取りたいのだという。

 

聞けば、千葉さんは家族旅行を計画していたらしい。

中国から来られた奥様と、中学生と小学生の二人のお子様を連れて、春休みに。

行き先は、ディズニーランド。

 

予約金をお返ししたいのだが、連絡先が分からず、

ネットで検索したらこのブログを発見した、とのこと。

 

千葉さんの担当だった須佐武美が対応して、

奥様の連絡先をお知らせした。

 

たったそれだけのことだけど、

子供たちの春休みに、家族でディズニーランド計画・・・

楽しみにしていたんだろうな、千葉さん。

 

このブログも多少は役に立つこともあるのね、とか思う前に、

今になって知らされると、改めて切なさが込み上げてきて、

こんな話が被災者の数だけあるのかと思うと、胸が裂けそうになる。

 

須佐君、さあ。

落ち着いたら、ご招待するってのはどうかな。

みんなでカンパしてさ。

千葉さんのささやかな計画を、どうかな。

 



2011年5月11日

脱原発に向かうしかないです -福島行脚その④

 

今日の朝日新聞朝刊トップの見出し。

「夏の電力 全国で切迫 -原発54基、42基停止も-」

 

震災で止まった青森の東通から茨城・東海までの原発に加え、

これから浜岡原発が止まり、

さらに定期検査を終了しても運転再開を見合わしている原発と

夏までに検査に入る原発が、地元住民との合意が得られずに再開できない場合、

国内の商用原子炉54基のうち42基が止まる事態となる。

国内全電源の2割に相当するらしい。

この夏の電力不足は必至、ということのようだ。

 

電力不足をこれ見よがしに主張して、あるいは計画停電も実施して、

  " だからやっぱり原子力を "  と世論を誘導するねらいだと分析する人もいる。

真偽のほどは知らないが、ならば、こう言うしかない。

 

この夏を、健全に突破しようではないか。

 

楽しく省エネ(節電)、そして再生可能エネルギーに大胆にシフトさせよう。

(大地を守る会では、節電アイデアを募集中 です。)

 

自然エネルギーへの完全シフト -それは充分可能である。

いや可能どころか、今世紀の中頃 (我が子の時代、目の前の話である) には

石油もウランも枯渇すると予測されるなかで、

21世紀のイノベーション(技術革命) は太陽エネルギーの効率的捕捉による

" 低炭素化社会 "  づくりにかかっているといっても過言ではない。

この分野でリーダーシップを発揮することこそ、平和を愛する技術立国の使命である。

 

80年代からの畏友である同時代人の旗手、

竹村真一さん(京都造形芸術大教授) の言葉を借りれば、

「 太陽が提供してくれているエネルギーの、100万分の1でも捕獲して

 利用していくことができれば、この星にはエネルギー問題など存在しなくなる」

(著書 『地球の目線』 や 『環東京湾構想』 から)  のだ。

原子力エネルギーに利権を求めているうちに、

この国は完全にそのレースから遅れをとってしまっている。

 

福島の方々の苦悩と涙への答えは、それしかない。

・・・・・と気合いは入れてみるものの、

なかなか終わらない 「福島行脚」-その④ はつらい報告になる。

以下、続けたい。

 

5月5日の朝、「堰さらい隊」 とともに山都を立った僕は、

会津若松駅で降ろしてもらって、電車で福島へと向かった。

福島県内で野菜の作付契約をしている4つの生産団体に集まってもらって、

異例の合同会議を設定したのだった。

場所は福島市内にある 「福島わかば会」 の事務所。

集まってもらったのは、福島わかば会の他、

二本松有機農業研究会、NPO東和ふるさとづくり協議会、福島有機倶楽部。

 


ログハウスの二階に全部で50人くらいだったろうか、

ぎゅうぎゅうに詰め込んで行なった会議のねらいを要約すれば、

こういうことである。

 

原発事故以降、福島県産の野菜の販売は、正直言って大苦戦の中にある。

大地を守る会では、「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画して

販売に努めているが、皆さんと交わした作付契約量を消化 (販売) し切ることは、

現実的には無理な事態に立ち至っている。 事情をご了解いただくとともに、

この損失はきっちり計算して、東京電力に賠償請求するしかない。

そのための協力は惜しまない。 全力でバックアップする所存です。

 

やったってさぁ、取れる保証はないべ?

-たしかに、僕らの力で保証できるわけではありません。

  しかし、原発事故が招いた被害と影響の大きさと社会的損失は、

  皆さんがどれだけ苦しい思いをしたかも含めて、社会的に示す必要があると思う。

 

具体的に品目ごとに、これからの作付と販売のすり合わせを行ないながら、

「いや、もうそれは (作るのを) やめようと思う」

「予定通り行きたい」

といった意向を、淡々とうかがっていく。 辛い時間が経過していく。

 

質疑のなかで、耐え切れなくなったか、一人の生産者が声を荒げた。

「 避難した子が差別されてるって聞いてるけど、

 俺たち東京電力の電気さ使ってるわけでもねえし、いわば防波堤になってんだよ。

  いったい東京の人は、なに考えてんだよ! 」

 

逃げられないので、東京都民の代理人になって応えるしかない。

「 そういう報道がされていることは知ってます。 でもね、それはごく一部の人です。

 一部の人の心ない言動に胸を痛めている都民のほうが圧倒的に多いはずです。

 十把ひとからげにして非難したり敵意を抱いたりせず、

 支援してくれる人たちへの感謝をもって行動することが今は大切です。

 何をもって応えるかを、考えましょうよ。」

 

・・・そんなことは彼も重々知っているのだ。

言わないでいられない悔しさは、受け止めるしかない。 僕でよければ。

 

とにかく、生産と消費を対立させてはならない。

山都で訴えたことを、ここでも伝える。

子どもを守りたいと思う気持ちを  " 風評被害 "  と一緒にしないように。

それがたとえ拡大解釈によるものだとしても、です。

 

こんな発言もあった。

「 大地さんからいただいた義援金で放射能測定器を買わせてもらおうかと思ってます。

 作る者の責任として。」

---なんてつらいコメントなんだろう。 これが支援の結果? でいいのか。。。

 

大地を守る会に入社して26年。 こんな経験をするとは思ってもいなかった。

 

脱原発に向かうしかないです。

とにかく皆さんの営農を維持するために、できることはすべてやるから、

一緒に前に進んでほしい。

まとめはこれしかない。

 

別れ際、生産者の奥さんが声をかけてくれた。

「春になったのにね、何にもする気力が涌いてこなくてね。

 でも今日皆さんに会えて、やることやらなきゃって思いました。 有り難うございました。」

 

福島担当の佐々木克哉が、

「がんばろうセット」 に入れるリーフレット用に、記念写真を撮りましょうと言う。

福島がんばろう! でいきましょう。

 

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少し笑顔も取り戻してくれたか。

 

決意するところがある。

夏に、「脱原発を宣言する大地を守る会の生産者会議」 を開きたいと思う。

 

福島駅前の一番安いビジネスホテルに潜り込んで、

居酒屋を探す気力もなく、地酒を一本買って部屋で物思いにふける。

駅で流れていた甲子園賛歌 「栄冠は君に輝く」 などを口ずさんでみる。

 

  雲は涌き 光溢れて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

  若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ

  いさぎよし 微笑む希望

  ああ 栄冠は 君に輝く

 

泣けてくるね。

ついでに3番の一節も。

 

  空を切る 球の力に かようもの 美しく におえる健康

  若人よ いざ 緑濃き しゅろの葉かざす 感激を 目蓋にえがけ

 

未来を守らなければならない。 それは僕らの義務だ。

 



2011年5月 9日

母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③

 

「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。

 

原発と放射能汚染の講演に続いては、

この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、

石巻と南相馬での  " 泥だし+炊き出し "  ボランティアに参加した報告がされた。

 

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TV等で何度も見せられた惨状であっても、

やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、

臨場感を持って迫ってくるものがある。

「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」

ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。

生死の境目でなお人を思いやれる心とか、

普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。

自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。

 

講演と報告の後の質疑では、

一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。

「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・

 先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。

 そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。

 どうすればいいんでしょうか。」

 

長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、

質問者には歯がゆい回答になってしまう。

今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、

出来る防衛策をとりながら、、、

長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・

と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、

その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、

僕は目を伏せてしまったのだった。

 


昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、

参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる  " 集中してる "  感じが漂っている。 

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厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、

こんな会議を、、、

やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。

 

さて、重たい雰囲気はここまでとして、

約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。  

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。

それしかない。

今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯! 

 

久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら

の元気な姿も確認できた。

「山都の農場は  " どうしようもないバカ息子 "  に託して、私は西会津に住んでます

 (注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、

西会津の名刺を頂戴する。

バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 "  がいなくなって清々している様子。

面白いね。

 

振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。

こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。

 

「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、

水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。

昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。

浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。

 

農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。

食と環境を支える土台が崩れていっている。

それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。

ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。

 

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来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。

 

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2011年5月 8日

里山で原発の勉強会 -福島行脚その②

 

7日(土) の夕方に福島から戻り、今日は会社で溜まりまくったメールを処理。

これをやっとかないと明日からの仕事にスムーズに入れないので。

それにしても・・・ とても濃密な五日間だった。

 

畜産・水産グループの 吉田和生のツイッター を覗けば、

3日に我々が常磐道に迂回した頃、

彼らは神奈川・三浦の岩崎さん (シラスの生産者) から譲り受けた船を積んで、

宮城に向かってすでに渋滞の中にいたことを知る。

気になっていたのだが、首尾よく届けられたようだ。

三浦半島で漁船を調達して、船を失った三陸の漁業者まで届ける。

いつものことながら、吉田隊 (社内用語) の行動は豪快である。

 

福島行脚最後の夜 (6日) は、

二本松市 (旧東和町) の 「ウッディハウスとうわ」 という宿泊施設に泊まったのだけど、

二人部屋で一緒になった放送大学の先生 (NHKのOBさん) と寝ながらした会話が、

「菅さん (実話では呼び捨て) も浜岡 (原発) を止めるくらいの英断がほしいですねぇ」(エビ)

「あいつはできないね」 (先生) だった。

それが翌日の朝刊を見てびっくりした。

『浜岡原発、全面停止へ -首相要請、中電受け入れ』

(5月7日付 「福島民友」 1面)

 

一日経てば裏事情も含めいろんな情報が耳や目にに入ってくるのだが、

いずれであろうが胸に迫ってくるのは、

歴史という時の中にある  " 今 "  をしっかりと捉えたい、という強い思いである。

どんなふうに社会が進むか、そして自分はどう行動するか、、、

後になって 「一生の不覚」 とならないように進まなければならない。

「思想とは覚悟である」 なんていう物騒な言葉も頭をよぎったりして。

若い頃に読んだ、あまり好きじゃない三島由紀夫の 『葉隠入門』 だったか。。。

 

長い余談はさておき、福島行脚レポートを続けたい。

5月4日、堰さらい (地元では 「総人足」 と呼ぶ) の夜は、

地元の方々との楽しい交流会になるのだが、

今年は全体の空気を読んで、

" その前に震災の現状を知り、原発の問題を考えよう " という時間が用意された。

 

『東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会と里山交流会』

第一部 -「私たちは放射能汚染とどう向き合うべきか」

講師は、東北農業研究センター研究員・長谷川浩さん。

日本有機農業学会の理事もされている。

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

有機農業技術についての会議等で話は何度か聞いてきたが、

原発と放射能についても講義されるとは、さすがである。

 


長谷川さんの話は、まずは今進んできる事実確認から始められた。

放射能漏れ事故で最も深刻な打撃を被ったのは福島県だが、

汚染は北半球全体に広がっていっている。

福島県は東京電力の電力を1ワットも使っていないのに、

福島の農民、漁民が最大の犠牲者になってしまった。

浜通りでは第1原発を中心に南北60km がゴーストタウンになった。

 

続いて放射能の基礎知識をおさらいする。

放射性物質というものについて、放射能と放射線の違い、生物に与える影響、等々。

放射能の出ない原子力発電所は理論的にあり得ないことを知っておくこと。

その上で、100%安全な技術というのは存在しないことも。

日本列島は火山、地震、津波、台風の常習地帯であることも。

 

原子力や放射能の専門家ではないので、と断った上で、

長谷川さんの私見が語られた。

放射能も放射性物質も五感では分からないため、数値に頼ることになる。

しかしながら、人間の健康に影響が出ると分かっている最低値=100ミリシーベルト

以下の放射線量についての健康被害は、長期的な影響まで含めると、

実はまだ科学的に証明されていないのである。

疫学調査は、年齢・性別・喫煙・生活習慣などに左右されて、必ずしも明確な結論が出ない。

そこで、「危険であることを証明し切れていない」 を元に、

「大丈夫」 から 「少なければ少ないほど」 という予防原則の観点の間で、

幅広い解釈が成り立ってしまう。

数値に対する判断が、専門家の間でも正反対になることがある、

それが放射能という問題である。

 

いま進んでいる事態は、

低線量を長期間被爆した場合の人体実験にさらされているようなものだが、

しかし開放系空間に放出された放射能の影響を 長期的に見ようとすればするほど、

因果関係の証明は困難なものとなるだろう。

 

長谷川さんの  " 私見 "  はさらに続く。

これまで数多くの大気圏核実験やチェルノブィリ事故、そして今回の事故等によって、

もはや北半球にゼロ・リスクの場所はない。

どの説を採用するか、どこまで許容するかはあなた次第です。

より低いところを望むならば、疎開してください (どこがいいのかは言えないけど)。

でも200万の福島県民が疎開することはほとんど不可能。

そうなったらそれは難民である。

 

水田は kg の土壌あたり 5,000ベクレルまでなら耕作できることになった。

しかしできるだけ土壌中セシウムを吸わない (+減らす) ために、

農民こそが知識を持つ必要がある。 

 

いかに汚染されようが、人はそれでも種を播いて、たべものを収穫し、食べ、

水を飲まなければ生きてゆけない。

 

電気や資源を湯水のように使う「文明病」は、もう終わりにしよう。

不便な生活が正常で、いまほど便利な生活は異常である (それには裏があるが)。

東京は、電気はもちろん、水、食べ物の自給率はほぼ 0% である。

地方を収奪して肥大化してきた。

首都圏の皆さん。 福島県を買い支えてください。

 

配布資料は、電気を使いまくる都市に対する挑発的な文言で締めくくられているのだが、

彼に対する誤解を避けるために紹介は控えておきたい。

研究者の前に、彼も人間なのだ。

 

では、長谷川さんの講義を受ける形で、大地を守る会の戎谷さんからコメントを。

ヤな役回りだな、いつも ・・・・

 

僕の結論はいわば、ご覧の通り、である。

原発というのは低コストなものではなく、温暖化防止につながるものでもなく、

永久的に廃棄物を管理し続けなければならず、

決して人をシアワセにするエネルギーではない。 止めるしかないですよね。

 

消費者の間では確かに福島産の野菜に対する買い控えが起きているけど、

それを風評被害と言って責めてはいけません。

風評被害とは、小さなお子さんを持つ母親の防衛行動とは別にある。

今ここで生産者と消費者が対立してはならないです、ゼッタイに。

ともに暮らしの基盤である食と環境を守るために

支え合いの精神をこそ発揮して前に進みたいものです。

そのために、大地を守る会では 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画し、

消費者と生産者のつながりを維持していこうと頑張ってます。

・・・と上手に言えたかどうかは不明だけど。

 

 

なんだか今回のレポートは長くなりそうだ。

一杯やりたくなったので、この項続く、で。

 



2011年5月 5日

GWは堰さらいから -福島行脚その①

 

福島行脚中です。

 

3日から会津・山都に入り、堰さらいに参加して、

今日は福島市で4つの生産者団体とつらい会議を行なって、

いま福島駅前のホテルに潜り込んで、シャワーして飯を食って

ひと息ついているところ。 

明日6日~7日は日本有機農業学会の方たちと一緒に、

相馬~南相馬の被災地を回り、現地の生産者と交流する予定です。 

以下、順次振り返りながら報告を。

 

5月3日(火)、我々「大地を守る会堰さらい隊」 は、

東北道の渋滞情報をチェックしながら、常磐道に迂回して、

いわきから郡山へ、そして磐越道を走って会津若松で降り、喜多方市に入る。

大和川酒造に立ち寄り、差し入れ用の酒 (種蒔人+α ) を積んで、山都に向かう。

 

5年連続となった堰さらいボランティアも一人二人と仲間が増えてきて、

今年の参加者は6名となった。

 

変わらぬ里の風景が出迎えてくれる。

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ちょうど桜の満開に当たるのも嬉しい。

 

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今年のボランティアは総勢30名弱といったところか。

大地を守る会からは6名だが、

他のグループや単独参加者にも会員さんがいらっしゃって、ちょっと誇らしく思ったりして。 

 

3日の夜は公民館で、前夜祭と称して地元のリーダーやボランティアの方々と懇親会。

そして4日、朝飯をみんなで作って食べ、昼のおにぎりも用意して、

例によって上流から下る組 (早稲谷チーム) と

下流から上る組 (本木チーム) に分かれて、出発。

我々は上流組に編成される。

 

一番上の取水口に到着。

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この 「本木上堰」 の長さが6kmというから、それぞれ約3kmの行程を、

落葉や土砂をさらいながら、ムカデのように進んでいく。

こんな感じで。 

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江戸時代に掘られたという 「本木上堰」。

どれだけの年月がかかったのだろうか。 全貌を示す記録は残ってないようなのだが、

この疏水のお陰で麓の田んぼに水が行き渡るようになった

(いや、これによってたくさんの新田が開かれたのだろう) ことを思えば、

米にかけた執念が偲ばれる。

毎年々々雪や災害で潰されながらも、

連綿と水循環の血脈となって会津山間部の暮らしを下支えしてきた。

5月4日は、田植え前の、集落総出での堰の清掃日というわけだ。

水は地域共同体の絆もつないできたに違いない。

 

コンクリ等で修復された箇所も随所にあって、

人と水路の長い長い付き合いの歴史が想像される。 

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今年の冬は尋常じゃなく雪が多かった。

まだ雪に埋まっている場所もある。

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大雪の影響か地震によるものか聞きそびれたが、

壁が壊れた箇所もある。 

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大人が四つんばいになってようやく入れるかという洞穴がある。

これもいつ掘られたのか、定かな記録はない。 

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山の随所から湧き出る水が一本の水流となって、それを堰が受け止める。

緩やかに下りながら、水は温められ、水田を潤す。 

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堆積した落葉や土砂を浚いながら進む我々にまるで寄り添うように、

水もついてくる。 水量を少しずつ増しながら。 

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途中、スギの大木が倒れて水路を塞いでいたりする。

これはチェーンソーでも持ってこないと始末できない。

何とか枝だけでも落とし片づけ、水を通すようにする。

花粉を10年分くらい浴びただろうか。 スギ花粉症の方には無理な仕事だ。

 

作業の合い間は、風景で癒される。

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こういう生命と自然が一体となった姿を眺めながら汗を拭くときが、

「ああ、今年も来てよかったな」 と思い、感謝するひと時である。

 

下から上ってきた班と合流したのは午後3時前くらいだったか。

終了後は、公民館前で恒例の打ち上げ。

お酒や豚汁が振る舞われ、これまたいつものように豆腐一丁にサバの水煮缶。

豆腐とサバ缶を出すようになった由来は地元の人もよく分からない。

たぶん手軽に用意ができ、その場で食べてもよし、そのまま持ち帰ってもよし、

蛋白源として誰にとっても 「ほど良くありがたい」 ものとして定着したのではなかろうか。

勝手な想像だけど。

 

堰に水が通り、いよいよ田の仕事が始まる。

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この棚田にも、間もなく水が入る。 

 

こうしていつもなら元気が涌いてくるところなのだが、

人々の気持ちに陰鬱な陰を落としているものがある。

原発事故と放射能汚染という問題だ。

夜に開かれた交流会は、そんな今を反映して、

地元住民に広く呼びかけての原発勉強会からスタートした。

 

続きは、スミマセン。 帰ってから。

 



2011年4月27日

堰さらいボランティア、今年も行こうと決めた。

 

ゴールデンウィークは過去4年、

会津・山都 (福島県喜多方市山都町) での堰さらいのボランティアに通ってきた。

今年は、こういう事態となって、迷ったのだけど、

どんな時でも明日のためにやるべきことはやらなければならないと、

腹を決めて行くことにした。

 

若い生産者グループとして3年前に結成した 「あいづ耕人会たべらんしょ」

の浅見彰宏さんからも、「遅まきながら~」 と案内が届いた。

彼もボランティアに出たり、放射能に悩んだりしながら、

この日々を過ごしてきたようだ。

彼のブログ、『ひぐらし農園のその日暮らし通信』 をどうぞ読んでやってください。

  http://white.ap.teacup.com/higurasi/

 

去年は地元の方々との夜の交流会で、

「食と農と堰のかかわりについて」 というテーマで話をさせられたけど、

今年は原発の勉強会が設定されたようだ。

「東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会&里山交流会」

 

やる気になったね。

こうなると、ますます行かないわけにはいかない。

 

去年の作業の様子です。 

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初めてこの情報に触れた方には、昨年の日記もご参照いただけると嬉しいです。

昨年5月5日の日記 → http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/05/05/

 同 5月6日の日記 → http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/05/06/

 

もし、今からでも、「行ってみようか」 と思われた方がいらしたら、

ご一報ください。

下のコメントを利用される場合はメールアドレスをお忘れなく (非公開扱いとします)。

ひぐらし農園・浅見さんへの連絡でも結構です。

大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人(たねまきびと)」 を用意して

お待ちします。

(注 : この堰さらいには、種蒔人の販売で積み立てている「種蒔人基金」

 からも、協賛として毎回交流会用にお酒をカンパしております。)

 



2011年4月14日

今年の合い言葉は 「希望の米」 でいこう

 

余震が治まらない。

しかも福島がずっと揺れ続けている。 もういい加減にしてくれと叫びたくなる。

 

遅まきながら、そんな福島・中通りにある須賀川のジェイラップさん

(生産団体名は 「稲田稲作研究会」 ) に、

救援物資を持ってお見舞いに伺った際の写真をアップしておきたい。

 

3月31日(木)、2トン車をレンタルして、

復旧したばかりの東北道を突っ走ること約3時間。

白河を越えたあたりから急に、高速道路が田舎道みたいになっていて、

亀裂や段差が連続的に発生している。

周りを見れば、損壊したり屋根にシートが掛けられている家屋がいっぱいあって、

相当な地震だったことがうかがわれる。

 

持参した物資は水とお茶、職員のカンパで買った少しの日用品と食べ物。

そして会員の方々から寄せられた義援金から、お見舞い金を用意させていただいた。

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写真中央が関根政一専務、右が伊藤大輔さん(左は農産チーム・須佐武美)。

 

ここ須賀川は新聞等でも報道された通り、藤沼湖という農業用水用ダムが決壊し

何人かの方が亡くなられている。 

崩壊した家屋も多く、ライフラインもしばらく大混乱したようだ。

「水は本当に有り難い。 小さなお子さんのいるメンバーに早速分けてあげたいです。」

「こうやって来ていただいて、水まで持ってきてくれて、ホント、元気が出ます!」

こちらが恐縮して言葉も出ないくらいに感謝されてしまった。

もう一パレット分くらい持ってこれればよかったんだけど、

なかなか確保できなくて・・・と深謝する。

 

被害第一報で、壊れたとお知らせしてしまった備蓄米の貯蔵タンクは

間違いなく無事、を確認。 

まったくビクともせず、頼もしいかぎりである。

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実はタンク以上に心配していた太陽熱乾燥設備も、なんと 「損傷なし」。

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これが壊れていたら・・・ ちょっと想像したくない。

 


損傷が大きかったのは、実は精米ラインだった。

機械が相当に踊って、要所要所のパイプがはずれたりした。 

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メンテナンス会社の人たちが4日間泊まり込んで復旧させた話は、

すでに紹介した通り。

修理に入って一週間で一部配送再開にこぎつけた力技には、本当に感謝したい。

 

さて、こちらが噂の  " はたまる " (畑まるごと乾燥野菜) 用に

新たに建設した乾燥設備の建物。 本邦初公開!

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完成したばかりで地震に見舞われたが、傷一つなく立ってくれていた。

「できたばっかりでねぇ、まだ何も働いてないのに、、、これがやられたら、

 さすがに気持ちも折れたでしょうねえ。 立ち直れなかったかも」

と関根さんは、胸をなでおろしながら語る。

 

機械設備が搬入されてなかったことも幸いした。

高価な機械が入った状態だったら・・・ これまた想像したくない。

なんたってオリジナル仕様の機械がズラリ、

パウダーにする製粉機もそこらへんのものじゃないレベル。

計画より若干遅れ気味だったのが結果オーライとなった。

設備の詳細は、いずれちゃんとご紹介させていただきたい。

 

備蓄米に乾燥野菜。 

僕らがジェイラップと一緒に進化させてきたこれらの取り組みは、

震災など非常時にこそ最も力を発揮するものだ。

本来なら、ともに胸を張って自慢し、働きを見せたいところだが、

原発事故の暗い影が心を晴れなくさせている。

須賀川では、有機農家の自殺者も出ている。

 

「辛い日々ですけど、前を向いて進むしかないっすね。 やることはやりますよ。」

代表の伊藤俊彦さんの言葉は、自身にも言い聞かせているようだった。

やることはやる。

米づくりの準備も敢然と始めた。 今やらないと秋が見えなくなる。 

種籾の温湯消毒。 

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2週間遅れのスタートだけど、田植えの頃には

1週間から10日遅れくらいには挽回する計画である。

ダムが潰れて水が確保できない田んぼもある。

不安は尽きないが、やれることはすべてやって天命を待つ。 

気合い入れてやります。

会員の方々にも、

" 皆さんのおかげで元気になれます。 稲田は頑張っている。

  ゼッタイにいい米を、今年も作って見せます! " と、伝えてほしい。

 

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事務所は約半分ほどが地盤とともに傾いてしまっているのだが、

その中で彼ら彼女たちは明るく仕事に精を出していた。

希望を持って明日に立ち向かうその姿は、僕らにも勇気を与えてくれる。

関根さんと約束した。

今年の米づくりの合い言葉は、「希望の米」 にしよう。

秋に歓びを分かち合うことを誓って、お互いに前に進もう。

 

様々なイベントが中止になる中で、

千葉・山武で毎年開催している 「大地を守る会の稲作体験」 は

実施を決めて募集に入った。

 

私たちは食べることをやめることはできない。

生産者も 「こういう年だからこそやってほしい」 と願っている。

千葉でも、みんなの輪と力で 「希望の米」 を収穫するのだ。

 

帰りの道々で眺めた爪痕はまだ生々しく、写真を撮るのもはばかられたのだが、

常松義憲さんが地震直後に撮影したものをDVDに焼いて渡してくれたので、

何枚かピックアップさせていただく。

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もっとひどく地割れした果樹園もあった。

 

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一日も早い復旧を願ってます。

 



2011年3月26日

感謝と誤報のお詫び。そして願わくば 「希望の米」 へ。

 

地震と津波による大災害が起きてからの日記で、

この間コメントをお寄せいただいた

大豆 さん、ゆう さん、竹田由美子 さん、天下無敵 さん、フカヤ さん、谷川 さん、

小黒江利子 さん、農民たかはし さん、ソレイユ さん、MO さん、ゆかり さん。

お返事も書けずにいまして、すみません。

皆さんの温かいひと言ひと言に、けっこうグッときてました。

皆さんの期待に応えられるよう精一杯やらねば、と読ませていただいておりました。

この場を借りて御礼申し上げます。 有難うございました。

小黒さん、お久しぶり。 元気でボランティアに参加されている由、頑張ってください。

 

また潮田さんには、本当に申し訳ありませんでした。

私自身、無事の一報を得て舞い上がってしまいました。

かえってつらい思いをさせてしまったかと、深く後悔しております。

 

他にも何人か安否確認でお問い合わせを頂戴し、

個別にお返事させていただきました。 

このブログも少しはお役に立てたようで、嬉しいです。

 

第一報ということでは、もうひとつ誤報を出してしまいました。

被害の状況をお伝えする中で、

福島県須賀川市・ジェイラップ (生産団体名=稲田稲作研究会) の

 「備蓄米の貯蔵タンク」 が損傷を受けた、とお伝えしましたが、

正確には 「精米ライン内のタンク」 でした。

地震後の数日、ほとんど連絡が取れない中、

当社職員の携帯電話で幸運にもつながった際に 「タンクが破損」 との報告を受け、

すっかり貯蔵タンクかと思いこんでしまったようで、

そのまま 「被害情報」 として流してしまいました。

正確な確認がなかなかできない状況下で、

いち早くお知らせしたいという思いであったとはいえ、

不正確な情報を流してしまいました。

たくさんの心配の声が寄せられ、感謝とともに、深く深くお詫びする次第です。

 

本日、ジェイラップの関根政一さんから

籾(モミ) 貯蔵タンクの写真が届いたので、アップします。

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写真に張り付けられたコメントは以下の通りです。

 

大地を守る会 備蓄米登録会員様へ

  3月11日に発生しました 「東北地方太平洋沖地震」 にて

  大地を守る会様より 「籾貯蔵タンク」 が破損したとの発表がありましたが、

  安否及び被害状況確認時の情報に行き違いがあり、大変ご心配をおかけしましたが、

  ご覧の通りビクともせず無事ですので、ご安心いただきたく思います。

  この度は、皆さまよりご心配や励ましのお言葉をいただき、

  誠にありがとうございました。

                                 平成23年3月26日

                                   稲田稲作研究会

 

ジェイラップの、その後の驚異的なスピードでの復旧努力については、

お伝えした通りです。

ただ、もっと深刻なのは、実は今年の、これからの米作りです。

須賀川では、新聞等でも報道されましたが、藤沼湖という農業用ダムが決壊し、

用水路や送水ポンプにも被害があり、農業用水の確保が困難なほ場が

多数発生しているという状況です。

それでも稲田稲作研究会では、可能な限り諦めないで作付を行なうこと、

目標、希望、農地を捨てず、前向きに進む決意を確認し合い、

今日から、23年産米の作付に向けて、種籾の温湯消毒を開始しました。

「どの程度の数量が確保できるかは分かりませんが、精一杯頑張ろうと思います」

と関根さんは力強く語ってくれています。

 

しかし、追い打ちをかけるように、福島原発事故の影響が、

日を追って深刻になってきています。

福島第一原発から西南西に70㎞という距離があっても、

福島県内というだけですでに風評被害の影響も受けています。

 

震災や冷害など非常時にこそ力を発揮する 「備蓄米」。

外部からの汚染に対して最も安全で、しかも食味や品質を損なわない 「モミ貯蔵」。

未来への永続性を見据えながら、環境を守る稲作技術を進化させてきた生産者たち。

20年かけて築いてきた最強布陣のシステムも、

もしこのまま放射能問題が長期化すれば、どうなるだろうか。。。

 

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「 見えない先を恐れて、何もしないで立ち止まれば、目標も希望も失ってしまいます。

 私たちはとにかく、安心して食べてもらえる米作りに、ひたすら取り組むのみです。

 いま私たちが作業を始めなかったら、来年のお米がないわけですから。 」

 

「 色々な困難が待ち受けていると思いますが、とにかく前に出るのみです。

 頑張りますから。」

 

ジェイラップ・関根政一さんの言葉は、けっして彼だけのものではなく、

想像を絶する震災に遭いながらも、

いま田んぼに立っている、すべての農民共通の思いに違いありません。

 

ただ前を見るしかない。

秋に見せてくれるであろう黄金色の稔りに希望を託して-

そんな思いで今年の米作りをスタートさせたすべての農民に、

心からエールを送りたい。 そして祈ります。 

 - 雄々しいタンクの写真と関根さんの言葉を見つめながら、そんな思いです。

 

なお、大地を守る会のHPでは、

「大地を守る会の生産者の被害状況」

が一覧にまとめられていますので、どうぞご確認ください。

 



2011年3月21日

みんな頑張っている

 

とてもつらい訃報の悲しみにひたる間もなく、

津波のように追い討ちをかけてくる福島原発事故の影響。

 

避難所では笑顔で励ましあっている人たちがいて、

ボランティアで東北に向かう人がいると思えば、

放射能汚染から逃れるために東京から避難する人も現われてきた。

 

原子力発電所では、50メートルまで近づいて放水を続ける人たちがいる。

彼らの胸の中にあるのは家族と子供の笑顔だろうか。

それとも一人の、孤的な美学がその行動を支えているのだろうか。

一方で、ホウレンソウはどこであっても要らない、という小売店まで現われた。

 

天使の心を発揮する人もいれば、悪魔の言葉を増殖させる人もいる。

僕はこの現実を冷静に受け止められず、翻弄されている。

ただただ判断を誤らないことを願いながら。

 


青森・新農業研究会の一戸寿昭会長から電話が入る。

青森とあって、何か起きたかと一瞬不安がよぎったが、用件は逆だった。

「大地から震災に対する方針が届いてこないんだけど、どうなってんの?」

 

倉庫や冷蔵庫が壊れたにもかかわらず、

「こっちの被害なんてどうってことないんだからさ。 支援の要請をよこしてよ。」

この程度じゃ被災だなんて言ってられない、支援させてほしいのだと言う。

91年の19号台風以来、被害への支援を受けた感謝を忘れない人たち。

この底力。 また涙が出てくる。

 

どこもみんな、建物や設備の損壊はある。 しかしそれで弱音を吐く人がいない。

たとえば本ブログにも時折登場する宮城の大豆生産者、

高橋伸さんのブログ  を見れば、大変な被害だったんだと改めて思う。 

これからの復旧資金は、どれだけの重荷になるだろうか。

でも彼は、心配する僕らに対して、「こっちは大したことないから」 と言ってくれる。

人への思いやり、あるいはへこたれない意思表示として。

 

たとえばこの間報告した福島県須賀川市・ジェイラップ。

驚異的な復旧で、今週末には米の供給を再開させるところまできた。

この程度で泣きごとを言うわけにはいかないという意地もあれば、

求めてくれる消費者に一日も早く届けたいという義務感もあれば、

励ましたいという願いも、やったぞと胸を張りたい男気も、あるのだろう。

みんな、強い。

 

須賀川で起きた農業用ダムの決壊など、

これから見えてくる影響については、改めて記したい。

この地震の影響は、まだまだ想像の範囲を超えて現われてくるだろう。

もうすでに今年の米作りの準備に入っていなければならない時期に

来ていることを想像してみてほしい。

 

ともすれば暗くなる気分をふっ飛ばすかのように、

岩手から突っ走ってきた奴がいた。

「総合農舎山形村」 の所長、木藤古修一さん(下写真の右) と大向さん(同左)。

 

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(写真提供:吉田和生)

 

18日夜20時30分に岩手県久慈市山形村を出発し、不眠不休で国道4号をひた走り、

翌19日朝10時過ぎには習志野物流センターに到着した。

宅配の注文品や東京駅エキュートの商材を、自ら運んできたのだ。

 

翌日の製造業務もあり、昼飯を食って、

集まっていた救援物資を積んで、とんぼ返りした。

帰りはさらに相当な、いや見事な荒業を駆使して走ったようだ。

 

職員中心に、急ぎ集めている救援物資。

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岩手県久慈市に引き取ってもらい、

各被災地にも振り分けてもらうようお願いしている。

 

各地の生産者から支援の申し出が続いている。

速やかにすべての愛に応えたいと思うのだが、

一方で原発事故は、未経験領域の  " 責任の取り方 "  の判断を迫ってくる。

 

この経験を、ひるまず力にしなければならない。

希望を信じて、覚悟を決めて、前に進むしかない。

 



2011年3月20日

悲報

 

コメントにて消息を尋ねられ、

いったんは無事避難されているとの情報をお出しした、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (志津川アグリフード) ですが、

津波による遭難でお亡くなりになったことが判明しました。

 

地震後の第1派では、ご家族と一緒に避難されたのですが、

作業場に取り残された従業員の方を探しに戻られた際に、

第2派の津波に襲われたとのことです。

生存者名簿に記載されていたことや、ホテルに避難されたとの情報も、

おそらくはその時間差によるものかと思われます。

作業場で従業員の方と一緒に発見され、

18日、仙台にお住まいの千葉さんのお姉さまが

南三陸町の遺体が安置されている施設でご確認されました。

なお、奥さまやお子様はご無事です。

 

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(撮影:須佐武美) 

 

千葉さんは、当会との取引が始まってより、

地域で仲間や栽培品目を増やしていきたいと、夢を語っておられました。

残念でなりません。

千葉幸教さんのご冥福を衷心よりお祈りいたします。

 

また情報が錯綜してしまいましたこと、深くお詫びいたします。

 

 



2011年3月18日

心をひとつにして

 

また聞きながら、どっかの会社の社長さんが、ブログで

「今が稼ぎ時」 みたいなことを書いて、バッシングを浴びているという話を聞いた。

物資不足にめげず、厳しい環境下でもみんなが一つになっていたわり合い、

支え合おうとしている中で、

なんという心ない、悲しい発言だろうかと、ブチ切れそうになった。

でも、そう考えている人は多いのかもしれない。

商売自体は何も悪いことではない。

必要とされるモノが人の間をうまく流れることで、人々の暮らしが安定するわけだから。

しかしお金というとても怖い両刃の剣を手段として手に持つ以上、

商いには礼節と仁義を欠かせてはならない、ゼッタイに。 

弱みや混乱に乗じて儲けるのは " 悪徳 "  である。

今だけは、せめて今だけは、この国でそんな姿は見たくない、

聞きたくないと思っていたのだったが。

怒りというより、悔しいと感じてしまうのは、

美しい国であってほしいと思う心根が、僕にもまだ多少は残っているからか。

 

備蓄米の精米ラインに損傷を受けたジェイラップ(福島県須賀川市) の

伊藤俊彦さんからメールが届いた。

 

大地震の後の余震も徐々に減りつつあるようです。 

精米工場の修復も本日(17日) までに一応の対策を完了しました。

明日いっぱいかけて試運転を行う予定です。

埼玉のエンジニアリング会社が、今日で四日目の作業を行なっております。

会社事務所に断熱材を敷き、風呂もシャワーも無しの3泊です。

真っ先に駆けつけ、ひたすらメンテナンスに当たっている姿に

手を合わせたい心境です。

家内の有り合わせ料理を 「おいしい」 と言ってくれる気持ちにも、ただ感謝々々です。

 

自分のことを後回しにして、頑張っている人がここにもいる。

みんなが言い始めている。 「ニッポンはまだ捨てたもんじゃない」。

それにしても猛烈なスピードでの復旧である。

鬼の形相でメンバーを鼓舞する伊藤俊彦、

「こんなのでツライなんて言ってたらバチがあたるぞ」 とか言っているのだろう。

「分かってますよ」 と歯を食いしばって働くメンバーたち。 彼らの顔が見えるようだ。

手を合わせたいのは我々の方である。

 

福岡県久留米市の石橋製油の上野裕嗣さんからも、

ダミ声ながら勢いのある電話がかかってきた。

「 油は油でもウチの油は、今のところあんまり必要ないようなので、

 水とお茶を習志野センターに送りますんで、使ってやってください!

 飛んでいきたいのはやまやまなんですが~、これくらいしかできませんで、

 ホント、なんかですね、お役に立たんといかんと思って、いてもたってもおれませんわ。

 お願いします、使うてください! お願いします! 」

数を聞けば、重量にして約 1.5トン ある。 参ったね。

被災地に届ける約束をして、有り難くお受けすることにした。

 

午後3時、本社にいた社員が集められて、

藤田社長から檄が飛ばされた。

 

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歴史に語り継がれることになるだろう未曽有の大惨事が進行している。

わが社も物流センターに多少の被害が発生したが、

東北で被災した方々に比べれば、何ほどのものでもない。

義援金や救援物資なども含めた被災者支援も最大限行ないたい。 

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福島原発では、暴走を食い止めようと必死で頑張ってくれている人たちがいる。

我々はずっと原発には反対してきた立場ではあるが、

今は政府や電力会社を批判している場合ではない。

私たちはもはや、命がけで作業にあたっている自衛隊や東電の社員さんたちに

かけるしかなくなっている。 彼らの頑張りに心から感謝し、応援したい。

事態は刻一刻と変わっていっているが、

各員、自分の持ち場で全力を尽くし、みんなの力でこの難局を乗り切りたい。


畜産水産グループ長の吉田和生からは、

義援金や救援物資といった一時的なモノだけでなく、

大地を守る会らしい、生産者のネットワークの力も活かした支援を考えたい、

という決意が語られた。

 

考えなければならないことは色々あるが、やってみようか。

鈴木康弘へ。 呼びかけは、お前の一文でいきたい。 受けるよね。

 



2011年3月17日

つながりと支援の輪を形にしよう

 

インターネットの検索から、お二人の方がこのブログにたどり着き、

生産者の安否を尋ねて来られた。

南三陸町の千葉幸教さんと、奥松島 (東松山市野蒜須崎) の二宮義政さん。

僕らももっとも連絡に苦慮した二人だった。

無事をお知らせして喜んでくれるのが、こちらにとってもこんなに嬉しいことかと、

不思議な気持ちになったりしている。

(まだ予断を許さない状況ではあるけれど。)

 

改めて書くと、二宮さんからの一報を受け取った

吉田和生 (畜産水産グループ長) からの報告は、こんな感じだった。

 

  帰れずに会社近くのホテルに泊まっていた3月14日(月) 朝7時前、

  二宮さんから携帯に電話が。

  「生きてたか!」 思わず叫び声を上げてしまった。

  二宮さんの家は、200人の遺体が発見された野蒜海岸、

  そして家の前がそのまま海という場所なので、

  はっきり言ってダメかなという思いが頭をよぎっていたのも事実。

  聞いてみると、地震があった瞬間に車で逃げたが、

  津波に追いつかれ、飲みこまれ、流され、電信柱にぶつかって止まった。

  しかし、窓ガラスが割れ、濁流が。 必死に脱出し、奇跡的に逃れた。

  その後は着のみ着のまま、10ヵ月になる孫の悠斗君を抱え、さまよい続け、

  3日目の夜に利府の親戚にたどり着き、ようやく畳の上で休めた。

  途中、孫は低体温で真っ青になり、

  孫だけは生きて欲しいと、必死にさすりながら、彷徨ったと。

  家も船も流され、孫のミルクにも不自由しているが、

  生きていて良かった。 本当に良かった。。。

 

隣で聞いていた N によれば、あのコワモテ、暴走族上がりの吉田が泣いていたという。

地獄のような惨劇のなかにあっても、

人はつながりと  " 愛 "  によって希望を持つことができる。

TV では子どもたちの健気なボランティアが大人を励ましている。

忘れないようにしよう、この心を。

 

石巻の 「高橋徳治商店」 社長、高橋英雄さんは、

孤立状態だった避難場所で、最後まで残って130人の避難民を誘導したという。

塩釜の 「遠藤蒲鉾店」 遠藤栄治さんは、

従業員全員で高台に避難して、家族も従業員も事なきを得た。

心配していた工場も奇跡的に大きな被害はなく、水道とガスはまだ開通しないが、

今も近隣では遺体が発見される日々だという。 心情は言葉に表せない。

 

あらゆる事態に圧倒される。

どんな言葉も軽くて軽くて、この無力感がやり切れない。

 

ベトナムの農村で地域開発に取り組むNPO団体の Ⅰ さんから

13日に届いたメール。

 

  日を追うごとに被害の状況がわかるようになり、

  ハノイで大変せつなく哀しい思いをしております。

  在ハノイ日本人の中にも東北にご家族がいらっしゃる方が大勢おり、

  未だに連絡が取れず、焦りを感じておられます。

  

  ベトナムのニュースや新聞では、困難な状況の中で、

  日本の皆さんが迅速に冷静に組織的に救援活動を開始し、

  秩序を保って行動していることが高く評価されています。

  私たちにとって、とても辛く厳しい状況ですが、日本の和の精神を大切に、

  この困難と悲しみを力を合わせて乗り越えていきましょう。

 

そして元大地を守る会の職員で、群馬県倉渕村(現高崎市) に入植した

「くらぶち草の会」 の鈴木康弘が、

いてもたっても・・・という心情がにじみ出たプランを送ってよこした。

 


被災者(特に農家がいれば) を受け入れるファームスティの

農家ネットワークを組織してほしいと。

 

  自分たちは農家です。

  ボランティアに行きたくても、自分の持ち場(畑) から離れることはできません。

  しかし一時的な避難先として受け入れることは可能です。

  部屋と食事を提供することぐらいはできます。

  特に農家の方などは、農作業をしながら故郷の再生の時に備えることは

  体育館や仮設施設でもんもんと過ごすより

  精神的にも良い部分が多いのではないかと考えます。

  受け入れ側も農作業をお願いしやすく、強力な助っ人になるでしょう。

  ぜひ、大地の方々や生産者理事の方などで話し合ってもらえればと思い

  メールしました。

  こみ上げてくる悲しみ、悔しさ、そして無力感。 そんな気持ちが

  心の底から湧き上がってくるやる気、使命感に変わってきています。

  それぞれが自分の持ち場で最高の仕事をするしかないと

  みんなが気づいてきているように思います。

  それでは。 畑へ急がねば・・・。

 

分かった。 時間もないけど、精一杯考えてみよう。

 

徳島県阿南市の武田水産・武田輝久さんからも同様の電話が入ってきた。

「 漁師は陸(おか) に上がっても何もでけん。

 三陸の漁師の技術(うで) を徳島で活かしてくれるんやったら、

 何人でも受け入れたるぞお。 」

 

吉田和生もその気になってきた。

大地を守る会のネットワークで、一次産業の懐の深さを、

そこに農や漁があることの有り難さを、みせてやろうか。

 

支援物資や義援金の問い合わせもたくさん入ってきて、

準備も一気に進んできた。

会員の皆さま、生産者の皆様、来週にもご案内を差し上げますので、

ご支援ご協力のほど、お願い申し上げます。

 

物流は、とにかく油、燃料とのたたかいになってきている。

モノがあっても届けられない。

それでもなんとか、同種の代替品を入れさせていただいたりして、

注文の8割強は供給できている感じだろうか。

習志野物流センターのライフラインはまだ修復しないが、

みな気合いで頑張ってくれている。

 

今も余震は続いている。 今日は静岡でも地震があった。

制御不能に陥った福島原発は、大暴走を食い止めるべく必死の防戦を強いられている。

真綿で首を絞められるかのように進むクライシスが、

人々の不安と恐怖を増幅させている。

 

夜、前回の日記で紹介した茨城の濱田幸生さんに返事を出す。

もう気休めの言葉は書けない。

 - 生きましょう。 生きて、この腐れ社会を立て直しましょう。

 



2011年3月15日

安否確認

 

昨日の日記へのコメントを通じて、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (「志津川アグリフード」) の

消息をたずねてこられた潮田沙織 様。

仕入担当・須佐があちこちアンテナを張って調べていたところ、

ようやく 「無事のようです」 の情報提供を得ました。

直接本人と会ってないので、まだ確定とは言えませんが、

ご本人とご家族は近くのホテルと小学校に避難されているようで、

南三陸町の生存者名簿にも記載されているとのことです。

お体の様子がつかめませんが、とりあえずひと安心、というところでしょうか。

よかったです。

 

これで農産関係の生産者はほぼ無事が確認ができました。

「ほぼ」 というのは、団体のメンバー全員の確認まではまだやり切れてない、

という事情です。

 

弊社・幕張本社と習志野物流センターは、

計画停電情報と交通機関の混乱に振り回されながらも、

何とか人の手当てから臨機応変な業務オペレーションまで、

やりくりしながらつないでいます。

昨日は職員の送迎で、京葉線・海浜幕張から総武線・西船橋間の

ピストンもやりました。 車に自転車まで積まされたのは参りましたが。。。

 

配送も遅れ遅れながら、頑張ってくれています。

ただ産地からの物流が、道路事情だけでなく燃料の確保がままならず、

随所でストップしている状態です。

茨城県行方市の卵の生産者、濱田幸生さん (キジムナー農場) が

彼のブログ 「農と島のありんくりん」 で、

あまり報道されない茨城の状況を伝えています。 ぜひ読んでみて下さい。

 

亡くなられた方やご家族の方々には本当に申し訳ない言い方ですが、

大地を守る会の生産者は皆さん、何とか無事で、頑張って生きてます。 

気持ちを切らすことなく復旧に入られた方々には、本当に頭が下がる思いです。

 

いろんな食材が欠品になっています。

それでも他の生産者・メーカーさんのもので代用できるものは

手当てさせていただいています。 

食べていただければ、生産者にとっても嬉しい限りです。

どうか事情ご理解くださいますよう、お願いします。

 

地震に加えて、原発の状況がますます緊迫してきています。

ヘンな情報も乱れ飛び始めているようです。

冷静に判断しながら行動しなければならないですが、

とはいえ最悪の事態になったら・・・ 身も震えてきます。

大地を守る会は、86年のチェルノブイリ事故以来、ずっと原発に反対してきました。

その力が足りなかった悔しさに歯ぎしり噛んでいますが、

しかしここはとにかく、一人でも多くの人を救いたい、その思いに集中したい。

日々のつなぎ (物流と情報の流れ) に汲々としながらも、

やれることはやりきろう、と鞭打っています。

 



2011年3月14日

東日本大震災

 

ため息や涙も飲み込んでしまうような事態が進行していますね。

刻一刻と情勢が変化するなか、情報収集や物流関係での判断等に追われて、

なかなかブログまで手が回りませんでした。

 

まずはとにもかくにも、

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、

一人でも多くのご無事と一日も早い復旧を願わずにはいられません。

 

大地を守る会の公式情報は、HPを見ていただくとして、

取り急ぎ、3月14日午前11時時点での状況です。

 

生産者関係では、これまでのところ、「人」 は無事です。

なかなか安否確認できなかった宮城・岩手・福島方面もようやく連絡が入るようになり、

順次、無事を確認しています。

一番心配していた奥松島の二宮さん(カキ) からも今朝連絡があり、

地震直後に車で逃げたが、津波に追いつかれ、

電柱にぶつかりガラスが割れたので車から脱出、

家族全員で歩いて親戚宅までたどり着いたとのこと。 まさに奇跡の生還!です。

塩釜の遠藤さん(練り物) も、高橋徳治商店さんも、元気です。

 

農産関係で被害が大きかったところでは、

福島・須賀川、ジェイラップの備蓄米の精米ラインが損傷を受けました。

各所に地割れが発生して、メンバーの家屋も相当な被害が出ているようですが、

それでも 「津波や大火に見舞われた方々に比べれば」 と

伊藤俊彦代表の陣頭指揮のもと、気を取り戻して復旧に入っているとのことです。

 

とにかくライフラインがメチャメチャです。

ヤマトの集出荷も止まっていて、モノが届きません。

「ガソリンの確保もままならない」 といった連絡も相次いでいます。

弊社・習志野物流センターの状況はというと、

地震当日は停電と地盤の液状化現象によって避難指示を受けましたが、

12日から早々に業務を再開。

今も断水の状態が続いていますが、今日からの宅配はしっかり走らせています。

ただし時間はお約束できません。

モノも相当量が欠品になってますが、どうかお許しください。

順次回復してゆければいいのですが、計画停電の影響が読めません。

 

以上、取り急ぎ、です。

下の写真は、地震翌日12日の午後の、海浜幕張駅周辺の様子。

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相当な液状化現象があったようです。

というのも、僕は前日は成田で足止めを喰らって会社に戻れなかったのでした。 

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駅は通行止めです。

 

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11日は電車がストップして、

大地を守る会の職員も100人ほどが、幕張テクノガーデン・ビルに泊まったとのこと。

窓から市原のコンビナート炎上を眺めながら。

キノコ雲が上がったのを、呆然と見つめたらしい。

 

同じテクノガーデンに本社がある気象会社、ウェザーニューズ社でも、

2階フロアを開放して、帰れなくなった避難者を受け容れたようです。

ウェザーニューズのUさんから送られてきた様子。

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こういうときに必要なのは、とにかく助け合い、ですね。

みんなで励ましあい、難局を乗り切りましょう。

 



2011年2月25日

布施芳秋さん、安らかに

 

北海道空知郡中富良野町の生産者、

「どらごんふらい」 の副会長を務められた布施芳秋さんが、2月21日、永眠された。

享年62歳の若さだった。

 

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誠実を地で書くように、生きた人だった。

有機農業に邁進して、有機JAS制度ができた時には、

制度に疑問を持ちつつも、認証を取るかどうか真剣に考えられていた。

僕にとっては、大地を守る会の監査・認証システムをつくる上で、

意識した生産者の一人だった。

「どらごんふらい」 の監査を行なった際には、

「せっかくいい仕組みを考えてくれたんだから、大地を守る会の生産者として

ちゃんとやらなきゃいけない」 と、緊張しながら監査を受けてくれた。

僕らはこんな生産者に支えられているのだと思ったものだ。

 

このブログを始めたのは、2007年の6月。

最初に書いたのが、当地に入植した元大地職員、徳弘・藤田夫妻の元気な姿と、

布施さんが廃校になった小学校を改造してつくった 「ぬくもり庵」 の紹介だった。

消費者との交流に利用したい、滞在型の農業体験も受け入れたいと、

いっぱい夢を語っていた。

もしかしたらとても失礼な記事なんじゃないかと畏れたんだけど、

「こんなふうに書いてくれて嬉しいよ」 と、

布施さんは、開設したばかりの僕のブログをとても喜んでくれた。

 

ガンの手術をしたと聞かされたのは、そのしばらく後だったと思う。

術後の回復は順調で、元気になられたと思っていたのだが、

昨年の収穫が終わった秋ごろからまた体調を崩されていた。

 

昨年、その人望を買われて 「どらごんふらい」 の会長に就任した

徳弘くんからのメールには、こう書かれてあった。

 

  18日に病院へ行って言葉を交わしたのが最後でした。

  かなり病状が悪化し、話をするのも辛そうで、目もおそらく見えてない

  状態だったと思います。

  それでも、大地のみんなにくれぐれもよろしく、と言っていました。

  大地との出会いがなければ今の自分はなかった。

  今があるのは大地のおかげ。 大地には期待しているし、頑張ってほしい・・・と。

  「感謝」 という言葉を何度も口にしていました。

  最後までたくさん話をしてくれたのが、やっぱり布施さんらしかったなと思っています。 

 

布施芳秋。 その名の通り、芳しい秋を心に描きながら、北の大地に眠られた。 

どうか心安らかに。

富良野に行けば、またぬくもり庵で会えるよね。 

 



2011年2月19日

15回目のあらばしり体験-大和川交流会

 

一週間の間が空いちゃったけど、アップしておきたい。 

お前はこの日のために生きているのか、と言われても否定しない、

年に一回の 「大和川交流会」。

大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」 の新酒絞りに合わせての

酒蔵での交流会である。

このお酒が造られた最初の年が1994年 (当時の銘柄名は 「夢醸(むじょう)」 )。

3年後の97年から、新酒完成を祝う交流会が欠かさず続いてきた。

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2月12日(土)、会津・喜多方にある 「飯豊(いいで)蔵」。

30年ぶりとも言われる豪雪に包まれながら、寒仕込みの真っ最中だ。

 

今年の交流会参加者一行は、挨拶もそこそこに、

発酵途上のお酒を試飲して回る。

純米吟醸、純米大吟醸、大吟醸・・・・これはあと10日、こっちはあと20日。

う~ん、たまりませんな、この至福。

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そして今まさに絞り中の 「種蒔人」 。

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絞りたて、荒ばしり(新ばしり、とも) ・・・を一献。

よし! 今年もいい酒になった。

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真剣な顔あり、「予は満足じゃ」 ふうあり。。。。

 

厳しい夏を乗り越えてくれた原料米・美山錦と、

飯豊連邦に育まれた水に、今年も感謝!

 

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 「種蒔人」 新酒が会員の前にお目見えするのは27日、

大地を守る東京集会-大地を守る会のオーガニックフェスタ2011-

懇親会の鏡開きにて。

どなた様もどうぞ奮ってご参加ください。

 

さあ、交流会へ。

 


昭和の時代まで、大和川酒造の酒づくりを支えた蔵。

今は「北方風土館」と名を変えて、見学蔵になっている。 

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当時のたたずまいを残し、酒造りの道具などが陳列されている。 

見学コースの最後にはテイスティングルームも用意されている。

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今年の交流会は、餅つきから。 

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9代目、佐藤弥右衛門さん。

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弥右衛門襲名なんて、時代がかっていると思ったもんでしたが、

名乗ってみるとその重さも感じてきましてね。

地域の文化や伝統を守ろうと走り回っていた先代の遺志も

ボチボチと継いでいかなきゃって、ま、色々やってます。

 

原料米生産者、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。

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ずっと食べ続け、飲み続けてくれる消費者のお陰で、私たちも進化して今日があります。

昨年は本当に厳しい米づくりでしたが、そのぶん強い米に育ったと思います。

よくぞ頑張ったと褒めてやりたい。

いい酒に仕上がって、今年の感動はひとしおです。

 

乾杯の音頭は、「稲田稲作研究会」 会長、渡辺義勝さん。 

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あとはもう、解説なし。 

会津料理に舌鼓を打ちながら、

できたばかりの種蒔人に大和川自慢の清酒の数々をいただく。

なんと鑑評会出品作品まで登場して、場はどんどん盛り上がる。

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毎年書いているような気がするが、

いつの年だったか、参加者が漏らしたひと言

「この交流会は、まるでこの世の天国!」 を、今年もまた実感いただけたようで、

主催者としては望外の喜びである。

 

交流会後も、熱塩加納村の宿で、深夜まで語り明かす。

空いた一升瓶が、、、ウン本。

 

朝の青空がまぶしい。

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大和川交流会が終われば、鏡開きまで2週間。

モードは一気に東京集会となる。

 



2011年2月 9日

大作さんの玉ねぎ

 

2週前の1月24日~28日、

宅配会員の方々に1枚のチラシを入れさせていただいた。 

「 緊急入荷 大作さんの玉ねぎ (慣行栽培) の販売について

 

北海道の玉ねぎの大不作によって、春までの玉ねぎがショートする。

北海道の作柄が概ね見えてきた晩秋に入った頃の、ぞっとするような報告。

それなりの余裕も持って総量で約250トンの玉ねぎを道内7産地と契約していたのだが、

はじき出された供給見込みは170トンという数字になった。

流通者の使命としては当然、肩を落としている場合ではなく、

各産地に対して契約分以上の出荷のお願いや新規の産地開拓にもあたるのだが、

僕ら(農産グループ) は、もうひとつの選択を社内に諮った。

「大作(おおさく) 幸一さんの減農薬の玉ねぎを仕入れたい。」

 

大作さんとのお付き合いは大地を守る会設立時代にまで遡る。

じゃが芋の金井正さんとは義理の兄弟で、35年より前に、

二人は互いに明かすことなく無農薬栽培に挑戦し始めた。

入社当時に聞かせてもらった話。

 

  ・・・だってね、戎谷くん。 無農薬で野菜を作るなんて言ったら、周りから何言われるか。

  そんな時代だったんだ。 だけどこんなに農薬かけてちゃいずれダメになるんじゃないか、

  と思ってね。 誰にも言えずに、こっそり一人で始めたわけさ。

  兄 (金井さん) にも言えなかったな。

  それがある日、金井から 「実は・・・」 て聞かされて、オレもだよ! となってね。

  それで大地を紹介してもらったっていきさつさ。

 

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                         (大作幸一さんと息子の淳史さん) 

 

ただ北海道の大面積をすべて無農薬でやるのは厳しい。

大作さんは耕作面積の半分を無農薬で栽培するが、

除草にかかる人手の確保や家族労働の限界から、

その半分はいわゆる減農薬栽培という形で営んできた。

しかし除草剤の使用もあって、当会の生産基準には適合しないため、

大地を守る会で仕入れることは、これまでなかった。

にもかかわらず大作さんは、たとえ他と同じ 「北海道産玉ねぎ」 として一般市場に流れる

ものであっても、できるだけ農薬を減らしたいという努力を惜しまなかった。

今は北海道の慣行栽培の約7割減である。

この姿勢は立派なものだと、僕は心底から思っている。

しかも、これによって大作さんの経営の半分が支えられてきたということは、

大作さんの無農薬玉ねぎを維持させてきた 「弟分」 のようなものではないだろうか。

 

数年前に奥様 (金井さんの妹さん) が亡くなられた時、大作さんは伝えてきた。

「少し無農薬の作付を減らしてもらってもいいかい。」

除草作業のパートさんたちを上手に仕切ってくれていた奥さんの力は大きかったのだ。

肯定も否定もできなくて、つらかった。

 

この期に及んで新規の産地をかけずり回るより (それもするのだけど)、

大作さんのこの玉ねぎを会員に問いたい。

 

しかし、、、生産基準とはイコール取り扱い基準であって、これまではどんなときでも、

足りなくなったからといって基準外のものを仕入れたことはなかった。

これは禁じ手ではないか・・・

 

迷いはなかなか吹っ切れなかったが、ここで素直に告白すれば、

この判断を下したのは単純な自問自答だった。

もしも基準内の玉ねぎがなくなったら、

もし我慢できずに次を選択するのなら、食べるべきは、

大作さんの経営を陰で支えてきたこの玉ねぎだと、お前は思っているのだろう。

仮に有機JASの玉ねぎがスーパーで手に入ろうが、

大作さんの玉ねぎを食べることが自分の果たすべき仁義だと思っているのだろう。

 

会員には欠品にして、陰で取り寄せることはただしい行ないではない。

「皆さんも、この玉ねぎを一緒に食べてくれないだろうか」 と言うべきだろう、と思った。

無農薬玉ねぎを支えるためにも。

選択の権利が残っているときに 「基準外です」 と宣言して扱おう。

無農薬の玉ねぎをできるだけ長く引っ張るためにも、

僕は大作さんの減農薬玉ねぎを食べることを明らかにしておきたい。

他の減農薬のものと区別する必要もあり、化学肥料の問題もあるので、

ここは潔く、大作さんの普段の言い方に倣って 「慣行栽培」 とした。

 

それにもうひとつ、僕をつき動かした世の中の流れがあった。

このまま自社基準の高みから眺めている場合じゃないんじゃないか、

という焦りのようなものか。

 


 

天候不順で北海道産の玉ねぎが2年連続の大不作となって、 

相場も高騰しているのだが (1月の情報で前年比35%高)、

こういうときには決まって輸入が急増する (それによって価格が安定?する)、

というのが近年の動向である。

昨年11月ですでに、前年の年間輸入量を42%上回った。

前年も不作で、その前の年に対して13%増だったので、

2年前に比べて60%輸入が増えている計算になる。

国内流通に占める割合は20%を超えたようだ。

不作を輸入で補っているうちに、世間は関税撤廃!TPP!ときた。

農協はTPP反対を唱えながら、商社と提携関係を強化している。

 

「厳しい基準」 は守りながらも、それではすまない事態が進行している。

水面下で進む土台の崩壊を、対岸の火事にしてはならない。

いや、これは対岸の話ではないワケで、大作さんには笑われるかもしれないけど、

大作さんの経営を全面的に支えるくらいの行動を起こしたい。

 

この選択と提案は、「大地を守る会の生産基準」 に胸を張ってきた者としては、

禁断の果実に手をつけたのかもしれない。

よってチラシは、戎谷の署名でお願いした。

仕入の責任者として首をかけるくらいの構えでいきたいと思ったので。

 

チラシに書いた  " セカンド・ベストの提案 "  というのも、

流通者としては当然の義務と言われるような話なのだが、

僕らにとっては初めての表現である。 狡猾と言われれば返す言葉もないけど、

大地を守る会としての 「農業を守る」 ためのひとつの提案とさせていただいた。

会社の定款である 「一次産業を守る」 に従ったとか言ってしまうと、

開き直りも過ぎるだろうか。。。

今回の提案を "考える素材" として受け止めていただけたなら、 本望としたい。

 

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札幌黄(さっぽろき) という貴重な品種を、種を採りながら守り続ける大作さんの

生き方を、食べることでもっと深くつながり、支援したい。

正しかったかどうかは、我々のこれからの仕事で証明するしかないと思っている。

ご批判はすべて甘んじて受けたい。

 



2011年2月 5日

どこよりも美しいフクシマに

 

2月3日(木)、今年の産地新年会ロードも最終回となる。

福島県下生産者合同での新年会。

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福島県の合同新年会は初めての開催である。

浜通り・中通りから豪雪の会津まで、10の生産者グループ+1メーカーが

磐梯熱海温泉に集う。

 

第一回の幹事を引き受けてくれたのは、

福島市の米の一大生産団体 「やまろく米出荷協議会」 さん。 

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挨拶される会長の加藤和雄さん。 

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やまろく米出荷協議会も、大地さんとお付き合いするなかで、

ただ農薬を減らすだけでなく、環境全体に配慮した農業を考えるまでになってきた。

こうして福島県内の生産者が一堂に会して横のつながりができることは、実に喜ばしい。

そんな思いで幹事を引き受けさせていただいた次第です。

ちょうど福島の真ん中でもあり、私たち自慢の温泉でもある磐梯熱海で

会場を設定させていただきました。

いい湯にも浸かってもらって、有意義な交流になりますよう。

・・・ なかなか心憎い配慮。

 

一回目ということもあって、ゲストは用意せず、

藤田会長の話をしっかりやってもらって、参加者の自己紹介に時間を取った。

写真のチョイスに気を使うのも面倒なので、ちょっと長いけど、

以下、福島を担う生産者リレートークで、どうぞ!

 


トップバッターは若者から。

喜多方市山都町・「あいづ耕人会たべらんしょ」 の小川未明(みはる) さん。  

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新規就農者や研修生たちの野菜セットを出すようになって3年。

主要メンバーは5人。 野菜セット自体はまだ少ないけど、若者たちにとっては

貴重な共同作業であり情報交換の場になっている。

新規就農者も少しずつ増えてきて、地域とのつながりも深まっている。

今年はとにかく雪が多く、新しく建てた小屋が押し潰されそうです。

お父さんは昨年、山崎農業賞を受賞 された光さん。

山都の畑は息子に託して、耕作を頼まれた西会津の農地に出張っているようである。

 

次は、福島では最も古くからのお付き合いである 「福島わかば会」。

新しく会長になられた丹治昭治さんが代表挨拶。

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現在のメンバーは33名。

きゅうり栽培では名人と謳われた故・佐藤円冶さん (元大地を守る会理事)

によって結成されて30余年。 円冶さんの栽培技術は島本微生物農法という。

丹治さんはその伝統を継承すべく頑張っている。

「より美味しくて安全な野菜づくり」 をモットーに、

県下ではいち早くトマトのホルモン処理をやめてハチを導入した。

きゅうりでは10年前から天敵の活用に取り組んでいる。

 

福島有機倶楽部の阿部拓(ひらく) さん。

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浜通りのいわき市から双葉町にまたがる5軒の農家で、3年前に設立した。

すべて有機JASを取得し、パプリカ・春菊・そら豆などを栽培する。

農業技術はまだまだと謙遜しつつ、研修生を育てて独立させていきたいと抱負を語る。

大地を守る会と付き合って有り難いと思うことは、有機農業推進室という部署があって、

いろんな貴重な情報をもらえることだ、なんて嬉しいことを言ってくれる。

 

続いて、二本松有機農業研究会。

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メンバーは13人ほどだが、研究会の歴史は35年。

「大地さんと一緒です。 日本有機農業研究会の大会でよくお会いしましたね。」

メンバーの方と個人的なお付き合いがあったが、会との取引に発展したのは昨年から。

10年前から有機JASを取得し、

きゅうり・なす・いんげん・山菜・縮みホウレンソウなどを栽培する。

 

二本松からもう一組、羽山園芸組合さん。 

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4名の構成員によるリンゴの生産グループ。

定期的に土壌分析をして、パソコンを使って施肥設計をする。

ミネラルと良質の堆肥が基本。

いま特に注目して活用しているのは、竹コプター!

じゃなくて、竹パウダー(竹を粉にして綿菓子のようにしたもの)。

土壌微生物の棲み家になり、土壌病害を防いでくれる力がある。

外観より味を重視し、完熟での収穫を心がけ、葉摘みを控えて糖度を上げる。

地域に合う品種の研究にも余念がない。

 

山都町の米の生産者、鈴木恒雄さん。 

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有機で10町歩の田んぼを耕す。 雪室貯蔵のコシヒカリ。

「農産物とは農の技術で生み出される未来への資源です。 農業にはポリシーが必要です。」

 - 哲学者のようだ。

TPPにひと言。

「昭和37(1962)年、自由化で最初に打撃を被ったのは林業 (木材の自由化) でした。

 今の山の荒廃はそこから始まったことを、私は今も忘れないです。」

 

改めて、やまろく米出荷協議会。

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会員はなんと115名(大地を守る会に登録された生産者会員は35名)。

有機はまだ少ないが、全体で農薬の削減を進めている。

慣行栽培の人たちを包容力で変えていくような優しさを感じさせる団体。

全体の食味も上がっている。 先日も報告した通り、岩井清さん(写真左から二人目) は

有機のコシヒカリで金賞を受賞した一生懸命の人である。

マイクを持っているのは安斉正代さん。 冬水田んぼに取り組んでいる。

 

中通りは須賀川から、ジェイラップ登場。 8名で参加。

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稲田コシヒカリの取引から始まって、17年にわたる備蓄米の取り組み、

清酒「種蒔人」 や 「大地の料理酒」 の原料米栽培、そして 「はたまるプロジェクト」 と、

関係性は着実に進化してきた。

「大地の農産物から海産物まで、すべて活かして、自給率を上げて見せたいです。」

専務の関根政一さんから力強い抱負が述べられた。

乾燥野菜の新工場は3月15日に完成予定である。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 (旧東和町、現二本松市) から、

事務局の斎藤知子さんが参加。 

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「道の駅 ふくしま東和」 を運営しながら、地域おこしや産直事業を展開している。

直売所は二本松市内産のものだけで売り場を作っているという。

こういう人たちがいることで、地域は活き活きしてくる。

 

最後に、大和川酒造店さん(喜多方市)。

加工メーカーを代表して参加をお願いした。 

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寛政2年創業、今年で221年目の酒造りに入っている。

社長は4年前に9代目・佐藤弥右衛門を襲名した。

地元の米や風土にこだわり続けるのが地酒屋の哲学。

身土不二こそ大事、地域の食文化を守っていきたいと、

農業生産法人を設立して、自分たちで蕎麦や各種の酒米を栽培し、

農産加工部門も立ち上げた。

 

農業生産に加工の受け皿がつながり、また地域おこしに取り組む人も加わってきて、

いよいよ福島ネットワークが強力になってきた。

県のキャッチフレーズに  " うつくしま福島 "  というのがあったが、

コピーだけじゃない、どこよりも美しい福島を、みんなの手で築いていこうじゃないか。

 - と気炎を上げる。

 

2011年新年会シリーズの最後にはこれを歌ってやると、

実は仕込んでいた曲があったのだが、つい話し込んで歌いそびれてしまった。

ジュリー(沢田研二) の、「我が窮状」ってやつ。

しょうがないので、温泉につかって一人口ずさんで、終わりにした。

 

  麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが

  忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない ~

  

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          (長野県佐久市、JA佐久浅間臼田有機米部会代表、

                        川妻千将さんの昨年の田んぼ)

 

  英霊の涙に変えて 授かった宝だ

  この窮状 救うために 声なき声よ 集え

  我が窮状 守りきれたら 残す未来 輝くよ 

 

みんなで、どこよりも美しいふるさとを残すために、つながり、競おう。

それが僕らのたたかいでもある。

 



2011年2月 2日

火山灰を被った有機レタスを-

 

宅配会員の方に配布している野菜の最新情報-「ほっとでぇた」 から。

 

【レタス】 生産者- 宮本恒一郎(宮崎県)

霧島山(正確には新燃岳) 噴火に伴う降灰のため、微量の灰が付着している場合があります。

産地で水洗いをして灰を流していますが、

内部に入り込んだ場合、完全に取り除くことが難しいため、

ご使用前に流水で振り洗いをお願いいたします。

 

レタスにも同様のメッセージ・カードを入れる。

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口蹄疫、鳥インフルエンザ、そして新燃岳噴火・・・なんで宮崎ばかり、

という叫びが聞こえてくる。

宮崎県の試算によれば、噴火による野菜の被害は1億円を超す額になるらしい。

食品会社から加工用の取引を断られるケースも出ているという。

 

1月21日の日記で、産地の 「計画出荷」(こちらの注文に合わせて収穫・出荷してもらう)

に触れたけど、その要請はこんな時でもついて回る。

「大変でしょうが、レタスが足りないので、出せるようならお願いします。」

それで宮本さんは、注文に応じて、レタスを収穫しては、洗って出してくれる。

 

昔、生産者から聞かされた話を、思い出した。

「こんな雨なのに、あの人は畑に行って収穫してるよって笑われっちゃうんだよね。

 よっぽど (お金に)困ってるんかい、て言われたりしてな。」

いま宮本さんは、どんな思いで東京を見つめているだろうか。

「注文が変わらず入る」 ことを喜んでくれているなら、嬉しい。

 

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しかし、とはいえ、品質検品チェックの目線に立つと、不安はそれだけではない。 

輸送中のレタスは水を嫌う。

洗って、水分が残ったままラップすると、葉や切り口が濡れた状態になって、

傷みの原因につながる危険性がある。

今は気温が低いので大丈夫かもしれないが、、、不安は残り、

ヤバイのは結局はじくことにもなってしまう。

 

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                               (撮影:海老原康弘)

 

宮本さんのレタスは、有機の田んぼの裏作でつくっています。

したがって当然、レタスも有機栽培です。 

 

噴火に負けず・・・と言うのは簡単で、どんな言葉がいいのだろうと思案しながら、

いやどんな応援よりも、「洗って食べてるよ」 という声こそ届けたい。

切に、お願いします。

 



2011年1月27日

「寒試し」 を肴に自然の変化を語り合う

 

産地新年会も折り返しを過ぎ、

昨夜(26日) は宮城県下の生産者合同新年会が、鳴子温泉で催された。

 

いやとにかく、今年は雪が多い。

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昨年の夏が記録的猛暑かと思えば、

昨年末からの寒波の波状攻撃も凄まじいものがある。

温暖化とは、ただ気温が上昇していくという単純なものではなくて、

気候変動の振幅が激しくなっていくことを意味するらしい。

集中豪雨とか記録的寒波とか、異常気象が頻発するようになる。

それらは地球気候のバランスを整えるための所作だとも言われるが、

とにかく災害のリスクはますます高まっていくわけで、

生態系への影響 (かく乱と動植物の対応変化) とも相まって、

食料生産は情け容赦なく振り回されることになる。

オイラのしんどいなんて、屁のツッパリにもならない。

 

そんな地球の懊悩を肌で感じながら (本当かよ。カッコつけてるね)、

新年会と称して産地を回る。

前にも書いたとおり、これはただの飲み会ではない。

ちゃんと真面目な時間も用意されているので、

それだけは強調しておきたい (言い訳がくどいね。やましいところでもあるのか・・・ )。

僕は出られなかったけど、19日の千葉合同新年会では、

埼玉県農林業総合研究センターの根本久さんを招いて、

天敵の有効利用について勉強会が開かれている。

 

20日の茨城新年会では、あえてゲストは呼ばず、

藤田会長から、今後の大地を守る会の目指す方向をしっかり聞かせてもらおう、

という趣向になった。

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そして宮城では、

古くから農村で伝承されている気象予測を農作業に生かしてきた

山形県村山市の農民・門脇栄悦さんによる講演が企画された。

元農事気象学界副会長。 大地を守る会の生産者会員でもある。

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門脇さんが行なっている気象予測は、「寒試し」 といわれる。

二十四節気の 「寒の入り」(小寒。1月6日、旧暦12月3日) から

「立春」(2月4日、旧暦1月2日) までを一年に見立て、気温変化や降水量を予測する。

高僧・空海の伝とされるが、門脇さんはさらに詳細な気象情報を収集して

精度を上げた予測を立てるまでになった。

今や山形県村山地域の天気予測の当たる確立は8割とのことで、

農業関係者やメディアからの取材も年々増えているようだ。

 

予測の詳細は省かせていただくが、

配布された農事気象学会の今年の予測はと言うと-

12~1月-暖冬の予測だが、時に強烈な乾燥した冷風が吹く。

       降雪地帯の雪は、時に吹雪型となるやも。平地はドカ雪に注意。

       12月 【一白水星】、1月 【九紫火星】 で気象は激変型。又社会情勢も混迷が危惧。

 2~3月-乾寒風吹き、悪性の風邪流行るかも。立春の前後に大雪降る。

 4月   -寒暖の差が激しく凍霜害に留意の事。稲、野菜苗生育不良病害注意。

 5月   -日中の気温は高いが夜間冷える。寒暖の差激しく晩霜・雹害の恐れあり。

 6月   -梅雨入は早く空梅雨型。梅雨明けの土用前後に大雨豪雨注意。低気圧多発。

 7月   -台風の発生は早く数も平年より多い。大型台風が上陸して被害の出る予測。

 8月   -東日本はヤマセ現象で低温。西日本は高温傾向で高温障害の恐れあり。

 9月   -降雹・雷雨・強風・突風などの発生が予測される気象激変型となる。

10月   -台風の発生多く、強烈な風台風の上陸の恐れあり。特に風害に要注意。

  ~ と続く。

実は同じ資料を、埼玉新年会で瀬山明さんからももらった。

月や惑星の動きにも注意を払っていて、民間の気象予測もなかなかに奥が深い。 

 

当たるか当たらないかは僕にはなんとも言えないが

(僕は人災による変動要因のほうが気になっているのでなおさら)、

自然の動きや鼓動に対して姿勢が謙虚になる、というのは大事なことだと思った。

門脇さんは全国各地の寒試しの事例を尋ねて回っていて、

みんな自然を敬う人たちである、と言う。

そして、こんなことも感じているのだそうだ。

「理想とする姿のイメージを思い浮かべている人は、良いものをつくる。」

含蓄があるね。

 

門脇さんはまた、 「種蒔きは満月、移植は新月に」 といった月のリズムを大切にしている。

これはオカルトではない。

和洋を問わず世界のあちこちで、今も農業の世界では生きている話である。

とくたろうさん」 担当の秋元はシュタイナー派なので、すっかりご満悦の様子。

 

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ま、こんな感じで、あとは飲んで語り合おう、となる。

 

参加者皆さんを紹介したいところだが、紙面(?) の都合で割愛させていただく。

話題の人としては、、、

昨年NHKの番組 「プロフェショナル」 で紹介された石井稔さん。

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この人も天候を先取りするタイプである。 

テレビ放映されてから、周りがうるさくなって、問い合わせも増えて大変らしい。

石井さんの米はもうプレミアの世界で、我々が扱う世界を飛びぬけてしまったが、

むしろ僕が自慢したいのは、番組でも紹介されていた、

この人が苦悩していた時代を支えた奥さんのニラを扱ってきたことだ。

宮城の 「無農薬生産組合のニラ」 を今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

宮城新年会には水産や畜産の生産者も参加してくれる。

今年は開催が水曜日となったこともあって参加者は少なかったが、

この方を代表としてアップさせていただきましょう。

遠藤蒲鉾店を支える女将、遠藤由美さん。 

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いつもキリッとして、かつ快活な笑顔に、みんな励まされている。

 

今回の幹事を務めてくれた、蕪栗米生産組合のお三方。

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左から遊佐恭一さん、中鉢隆弘さん、そして千葉孝志さん。

なんと翌日(今日) に同じ場所で総会を設定して、

藤田会長を記念講演者に仕立てて、足止めにさせた。

去年12月の視察の時といい、油断もスキもない。

 

二次会は宿にあったカラオケ・スナックに流れたのだが、

門脇さんを囲んでの天候論議が終わらない。

自然相手の仕事をしている人たちには、興味の尽きないテーマなのである。

 

茨城では、宿の部屋で二次会となった。

八郷の 阿部豊 さんと、久しぶりにフォークソングを歌いまくる。 

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 阿部ちゃんが吉田拓郎の高校の後輩だったというのも初めて聞いた。

こういう夜も、嫌いじゃない。

 

お天道様への敬意を忘れない人たちは、

どこか大らかな諦念を持ち合わせつつ、しかも粘り強い。

みんな腹の中に暦があって、その狂いが大きくなっていることで、

自然の変化を感じ取っている。

 

僕もせめて月の満ち欠けなど意識しながら過ごしてみようかしら。

何か見えてくることがあるだろうか。

・・・なんて呑気な事を言ってる場合じゃないか。

 

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2011年1月25日

食べることで、この国がきれいになる!

 

 " 買う責任 "  と  " 作る責任 "  のコラボ。

伊藤俊彦は、大地を守る会の備蓄米のコンセプトを、ひと言でそう語る。

 

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備蓄米を育ててくれたのは、ただ淡々と買う責任を果たしてくれた消費者の存在だった。

その人たちのためにやるべきことをやろう、オレたちの誇りをかけて。 

世界一美味いと言ってもらえるような米をつくろう!

 

こんな感覚はJAの職員時代には得られなかった。

「うちの米がほしい、と言ってくれる人に売りたい。売らせてくれ。」

「バカヤロー! 100年早い。」

そんなふうに若い頃の伊藤さんは組織の壁に阻まれ続けた。

農協という巨大組織の系統にしたがって働いていればいい。

自分たちの個性を主張することは許されなかった。

そんな時に大地を守る会と出合った。 伊藤俊彦31歳のときだった。

 

僕らも若かったね。

伊藤をして 「法を怖れぬやつら」 と言わしめた仕掛けもやった。

別に法を破ったわけではない。 ただ大義を主張しただけである。

税金など要らない。 オレたちの手で民間備蓄を始めます。

食糧事務所さんには何ら迷惑をかけるものではありません、と

面と向かって胸を張っただけだ。

挿入したハッタリ (ヒ・ミ・ツ です) が少々荒っぽかったけど。

 

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場当たり的な農政からは得られなかった喜びと確信が生まれた。

価格の下落は、やる気が喪失していくだけでなく、手抜きを生む。

しかしあらかじめ価格が決まっていて、収穫前から先行予約が入るとなると、

構えが違ってくる。 生産に集中することもできるようになる。

買う責任を全うしようとしてくれる人に、何をもって返すか。

基準が明確ななか、安全性と食味の両立にもがいてきた。

それが我々を進化させたのだと、伊藤さんは振り返る。

 

失敗もあったね。

ミイラ化したカエルが入っていた、という事件があった。

食味を優先するあまり、水分を高めにして保管したらカビが発生したこともあった。

大地内部でも、このまま続けていいのかという論議が起きたが、ひるまなかった。

それでも買い続けてくれる消費者の存在に、

責任を果たそう、という気概を示さないと終わるわけにはいかなかったのだ。

徹底してラインを見直し、設備を強化し、我々の備蓄米は精神を含めて進化した。

 


備蓄米を始めた1994年は、100年に一度と言われた大冷害の翌年だった。

米価が高騰するなかで、約束した価格で売る、という伊藤さんの立場は苦しいものだった。

100年に一度の儲けを取るか、99年の信用を取るか-

そんな啖呵をきれる人物とつるむ以上、彼を孤立させるわけにいかなかった。

僕らの支援は、売ることである。

しかし・・・・

備蓄米がメディアで紹介されたりすればするほど彼の立場は難しいものになっていって、

結局左遷されてしまう。 

その後、稲作研究会の生産者の後押しもあって、JAを辞め、

仲間とともに自立の道を歩むことになる。

こうなると一蓮托生の世界である。

米が余る時代が続くなか、意地でも備蓄米を続けてきた。

いろんなノウハウが蓄積され、

 「はたまる」 企画を生んだりする関係へと発展してきたことを、

改めて誇りに思う。

 

「去年の夏は、稲も肩で息していました。。」

そんな猛暑にあって、味方してくれたのが、

猪苗代湖から先人が引いてくれた安積疏水の豊富な水だったと言う。

国の礎は単純な経済の数字ではないのだ。

もっと大きなネットワークで私たちの暮らしは支えられている。

わずかな数の儲ける農民だけで営まれる農業になっていいのだろうか。

 

新幹線のトラブルというハプニングで充分な時間を取れなかったけど、

いくつか大切なことは伝えられたのではないかと思う。

佐久の松永さんや飯尾醸造・秋山さん、そして奥野さんの臨機応変なご協力にも感謝して、

米プロジェクト21主催による新年の講演会をお開きとする。

 

終了後、急いで次の企画-「山藤で わしわしご飯を食べる会」 へと流れる。

山藤・西麻布店だけでは入りきれない申し込みがあり、

急きょ広尾店も開放してもらって、二手に分かれての食事会となる。

この場を借りて、山藤に感謝です。

 

西麻布には、伊藤さんと奥野さんと松永さん。

広尾には、午後の部のために駆けつけてくれたジェイラップの

関根政一さんと伊藤大輔さん、と秋山さん。

と分かれてもらって、ご飯をメインとした食事会を楽しんでもらう。

 

こちら西麻布店の様子。

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挨拶しているのは料理長の青木剛三さん。

ご飯をわしわし食べる  -に引かれてやってきた方々とあって、

その食べっぷりは、すがすがしいくらいに豪快だった。

 

ご飯は稲田米。

ダッチ・オーブン(鉄鍋) で炊いたのと、土鍋で炊いたご飯を賞味していただく。

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土鍋の炊き上がりの香りにしっかりした歯ごたえと甘さ。

どんどんお替りが進む。

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                  (店長の後藤美千代さん)

 

ご飯を思いっきり食べる -に合うおかずを料理長にお願いする。 

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ぜんまい白和え、法連草胡麻和え、まぐろ山かけ、卵焼き、じゃが芋土佐煮、

牛蒡蓮根人参の金平、焼き魚、仙台黒豚の西京焼き、、、

煮物はぶり大根。 椀物は小松菜とうす揚げの煮浸し。

先付けには、聖護院大根の千枚漬けといくら正油漬け、イカの塩辛もあった。

そして味噌汁にお漬物。

あたり前のようなライン・アップがとても贅沢に感じるから不思議だ。

ご飯をわしわし、食べる。

成清さんの海苔が出て、それだけでまたご飯をもう一膳。

種蒔人もいこう・・・となれば、もうご機嫌で。

 

「今日締め切りの原稿を抱えているので」-すぐにおいとまするはずだった奥野さんが

最後まで嬉しそうに食べ尽くしてくれている。

 

食べるって、未来への投資でもあるんじゃないか。

本日の結論。

「食べることで、この国がきれいになる!」

 

いただきました、星みっつ!

ご馳走様でした。

 

米プロ諸君も、お疲れ様でした。

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2011年1月23日

"食べる約束" に "作る責任" を果たす

 

しっかり食べる人がいてくれることで、

作る人たちも責任感と誇りが育ち、強くなれる。

それによって食べる人の健康を支える世界が安定する。

これが僕らが築き上げようとしてきたシンプルな循環の世界である。

そのためには愛が必要だとも書いてしまった。

信頼を支える思想として。

互いへの敬意と信頼が育つことでこそ、

食の循環は安心・安全というレベルを越えて未来を拓く、と僕は信じている。

 

その確かなモデルが、ここにある。

「大地を守る会の備蓄米」 という無骨な一本の企画。

平成の米騒動と呼ばれた93年の翌年にスタートして、

米価が下がり続ける中でも17年にわたって確実な予約注文を維持してきた。

生産と消費が信頼を預け合わないと成立できない実験だった。

価格や安全性という物差しだけでは、ここまで継続することもなかっただろう。

米の流通の隙間に咲いたあだ花かのように言う人もいるが、

むしろ希望という言葉こそふさわしい。 

戸別所得補償や環太平洋パートナーシップ協定(TPP) といった

喧しい論争を越えるヒントと資源は、目の前にあるんだと思う。

「地元学」 が唱えるところの  " ないものねだり より あるもの探しを "  のように。

 

そんな思いで、新春の講演会を開催した。

 (企画してくれたのは 「米プロジェクト21」 のスタッフ・西田和弘である。)

 

『 それでも、世界一うまい米をつくる

  -危機に備える俺たちの食料安保- 』

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1月15日(日)、会場は東京・広尾にある日本赤十字看護大学の教室をお借りした。

むさくるしいオヤジでも入れるのか、と聞いたワタシは何を考えていたのだろう

 - なんてことはどうでもいいとして、

受付で 「エビちゃんブログを見て-」 と言ってくれた方が一名いたとか。

感激(涙目)!です。 有り難うございました。

 

ところがところが、まったく想定外の事態となってしまった。

朝からの東北新幹線の連続トラブルのお陰で、

講師にお願いしていた伊藤俊彦さんが到着しないのだ。 

 

さて、どうしたものか。。。

ゲストの奥野修司さん(上記の著者) と掛け合いながら引っ張ろうかとも思ったが、

日頃の行ないが良いと救世主が現われるもので、

なんと生産者がお二人、顔を見せてくれたのだ。 

しかも遠方から、それぞれに有機農業の歴史を背負った方だ。

使わない手はない (いや、失礼)。 

 

事情をお詫びして、いきなりのご指名。

長野県佐久市から来てくれた松永哲男さん。

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JA佐久浅間臼田有機米部会所属。

昭和42(1967)年から無農薬での米づくりに邁進してきた。

「オレなんか、世界一うまいと言える自信はとてもねえが・・・」 と謙遜するが、

しかし休憩の合い間にも有機栽培の技術書を読む方である。 

 


松永さんが辿った道は、戦後日本の食と農業の歴史を映している。

ベトナム戦争、水俣病、その頃から除草剤や化学肥料がどんどん使われるようになって、

親父がガンで死んで、家に戻って米づくりを受け継いだ。

農薬を撒いたあとに体調をおかしくする人が周りに増えてきて、

佐久総合病院の院長さんが警鐘を鳴らした。

有機農業の歴史に燦然と名を残す若月俊一さんである。

「松永さん、このままじゃダメだって、お医者さんが言うんだよね。」

 

いま子供たちの米づくり体験にも田を解放しているが、

今の人たちが食べたり飲んだりしているものを見ると心配でならない。

テーピーピー(TPP)って問題もやっけぇなもんで、

このまま進んだら農業や食べものがどうなっちまうのか、

これは消費者の問題じゃねぇかと思ったりもするんだが、、、

ぜひ皆さんも考えてもらえるとありがてぇなって思う。

 

次は若手。

京都、といっても日本海側、

天の橋立のある宮津市から参加してくれた秋山俊朗(としひろ) さん。

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無農薬米づくりから始まって、純米酒をつくり、酢に仕上げる。

「富士酢」 の蔵元、飯尾醸造 の蔵人兼営業担当である。

さすが若者、ノート・パソコンを持ち歩いていて、「写真があるのでお見せしましょうか。」

教室に丹後山地の棚田の絵が登場した。

 

飯尾醸造さんは創業118年を誇るお酢屋さんで、

ニッポン一の酢をつくりたいという思いで 「富士酢」 と名づけた。 

松永さんが有機農業を始めたのとまさに同じ頃、

同じような危機感を抱いて、飯尾醸造さんも無農薬での原料米作りに取り組んだ。

 

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生産性という側面では条件の悪い棚田だが、

そこは生物多様性を育み、水を涵養する貴重な場所である。

きれいな水と日中の寒暖の差は美味しい米も育てる。

何とかこの美しい棚田を守っていきたいと、自社田にし、みんなで米づくりに励んでいる。

地元の農家からも、JAより3倍も高い値段で引き取っているが、

なかなか後継ぎは帰ってこない。

山もだんだんと荒れてきて、イノシシなどの獣害にも泣かされるようになってきた。

それでも、細々とでも維持していきたいと、秋山さんたちは頑張っている。

こだわりの酢の背中には、こんな田んぼと人の苦悩がある。

 

長野・佐久と京都・飯尾醸造。

奇しくも有機農業のパイオニア的存在の二つの場所から、

歴史を背負ってきた男と受け継ぐ者、そんな二人に助けられた格好になった。 

 

続いて、伊藤さんの講演の後に登場していただく予定だった

奥野j修司さんにも話をつないでもらう。

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雑誌 『文芸春秋』 の取材先として伊藤俊彦さんを紹介してから、

この人とのお付き合いも9年になった。

たった一回の雑誌記事に3ヶ月の取材時間を費やし、その後も7年にわたって、

伊藤俊彦を主人公とする稲田稲作研究会と彼らがつくったジェイラップという会社を

取材し続けた。

 

いやあ、最初に伊藤さんに会ったときには、この男を信用していいのか、

正直ヤバイやつだと思いましたね -という思い出話から始まる。

何たって、いきなり食糧危機を予言したり、

ハッタリのような話を次から次へと聞かされるんですから。

 

しかしそこは、奥野氏も相当にしつこいジャーナリストである。

伊藤の予言を確かめようと中国まで飛んだのだ。

上掲の書は、中国ルポから始まる。

それはこんにちの様相をほぼ予測した内容になっていて、

JA職員時代からの伊藤さんのたたかいや苦悩をなぞっただけでは生れなかった

深みとすごみと生命力を、この本に与えている。

 

奥野さんの中国取材は結局一回では終わらなかった。

その後起きた  " 毒入りギョウザ "  事件などを経て、

奥野さんの確信は伊藤さんの予言に重なってゆく。

世界を食い尽くす勢いの中国から、無頓着な日本の姿が見える。

 

実は奥野さんは自由化自体は問題ではないと思っている。

それよりも、自由化に負けない国づくりができていないことを憂う。

たとえば域内を自由化しながら自給率が下がらないEU各国。

イギリスが戦後、自給率を高めてきた根底には教育があった。

自国の農産物を食べることで国がきれいになる、ということを彼らは知っているのです。

EUで有機農業が支持されるのは、水が守られるからです。

 

いましがた映された棚田は、国土保全の役割を果たしている。

これを  " 食べることで守っていこう "  という消費者がいるならば、

まだこの国は捨てたもんじゃない、と思いますね。

 

これまた上手につないでくれるではないか。

最高の役者たちだ。

 

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3名の話を受ける形でしばしお喋りをして引っ張る。

有機農業の普及が自給率のアップにつながるというのは、どういうことか?

といった質問に応えながら。

 

講演会の予定は12時までだったところ、

11時45分になって、ようやく伊藤さんの到着。

あの野太い神経の持ち主が汗をかいている。

さすがの伊藤俊彦も新幹線の車両を飛ばすことはできなかったようだ。

会場を借りた時間のギリギリまで延長することにして、

伊藤俊彦・新春講演会をお願いする。

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続きは、明日かあさってに- すみません。

 



2011年1月 9日

食のネットワークを強化しよう -埼玉新年会

 

東京有機クラブに続いて翌7日(金)、

新年会第2弾 - 「埼玉大地」 の巻。

埼玉県は本庄市に埼玉県下の生産者23名が集う。

 

「埼玉大地」(瀬山明会長)。 法人ではない。

大地を守る会に出荷する埼玉県下の生産者で横のつながりを持って、

親睦を深めながら、技術を高めあい、大地を守る会を支えていこう。

そんな主旨で結成して25年になる。

メンバーで会費を出し合って、生産者会議の開催に役立てたり、

遠方の会議への参加に対して補助するなど、緩やかながら地道に活動を継続してきている。

昨年は沖縄で開催された 後継者会議

本庄市の瀬山公一さん(瀬山明さんの後継者) が参加する際に補助している。

 

新年会に先立って 「埼玉大地」 の総会が開かれ、

活動報告や計画が簡単に確認されたあと、有機資材の勉強会を行なう。

総会では特段の問題がない限り、我々(大地を守る会事務局) は口をはさまない。

 

前々会長・吉沢重造さん(左、川越市) と、

前会長・榎本文夫さん(右、さいたま市) が並ぶ。

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「このところ少し活動が鈍ってるな。 夏のちょっとした合い間にでも集まってよ、

 暑気払いも兼ねて勉強会でも開いたらよかんべ」 と吉沢さん。

後ろは日高市・福井忠雄さんの後継者、一洋さん。 「埼玉大地」 会計担当。

こんなふうにだんだんと若手に役割が移行している。

 

福井さんと瀬山さんは昨年、

大地を守る会職員の農作業研修を受け入れてくれた。

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ピンボケでスミマセン。

今年もよろしくお願いしますね。

他の埼玉大地の方々もぜひ、畑で職員を鍛えてやってください。 

 

さて、埼玉大地25周年となった今年の新年会は、

初めて県下の加工品メーカーにも声をかけさせていただいた。

参加してくれたのは、本庄中心に県北のメーカーさん8社。

これがまた、古くからつながりがある人たちなのである。

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見てくださ~い!

「これが私たちが共同で開発した、本庄がんもバーガー! で~す。」

味輝さん(上里町) の天然酵母パンに、もぎ豆腐店さんのがんも、

調味料で高橋ソースさん、松田マヨネーズさん、ヤマキさんがコラボして開発した。

野菜ももちろん地元産。

昨年5月の本庄総合公園春まつりにお目見えして人気を博した。

 

1次産業と2次産業と3次産業がつながって6次産業化が言われる昨今。

せっかくこれだけの仲間がいて、パワーもあるんだから、もっともっとつながって

埼玉を盛り上げましょう。 オーッ!

 


気をよくして、僕も挨拶で気勢を上げる。

 TPPで日本農業が崩壊すると農業団体は叫んでいるけれど、

 何があっても国産を、地域の食材を支持する、食文化を守る、

 そんな消費者を一人でも多く増やしていきたい。

 健全な一次産業や食の産業があることによって、生産と消費がつながることによって、

 健康や環境も守られることを、

 いろんな取り組みを通じて伝えていきましょう。 

 

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藤田会長の周りには、

昨年出版した著書にサインを求める生産者が集まっている。

昨年末に紹介した 『有機農業で世界を変える』(工作舎刊) に 

『畑と田んぼと母の漬物』(Bkc刊)。

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同時に2冊も刊行したところに、

35周年にかけた会長の意気込みが感じられる。

 

僕は久しぶりに、(株)ヤマキの木谷富雄社長(下の写真中央) と歓談。

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僕が入社して、初めて見学会を企画して会員さんをお連れした先が、

ヤマキさんの御用蔵だった。 もう27年になる。

今や農業生産法人も抱える ヤマキ御用蔵グループ に発展した。

木谷さんとは新しい取り組みの作戦会議を約束した。

 

写真手前は、(株)大地を守る会の長谷川満取締役。

「こいつは昔から顔(ツラ) がでかかった」 と木谷さんにからかわれている。

後ろは農業生産法人豆太郎の代表、須賀利治さん。

お父さんの一男さんは、有名な自然農法の生産者だ。

 

最後に一枚。

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元大地を守る会の社員、藤森利雄(左) と石井誠一(右)。

藤森くんは鴻巣で有機農業を (一人前というにはまだ少し・・・)、

石井くんは本庄で人気の天然酵母パンと洋菓子の店 「マリーレン」 の店長として、

ともに頑張っている。 

こういうかたちでOBと酒を酌み交わせるのは、最高に楽しい。

 

食のネットワークを強化しよう。

TPPは反対だけど、それ以上に豊かな自立を語り合いたい。

 



2011年1月 8日

産地新年会シリーズ、東京から。

 

年が明ければ産地の新年会が始まる。

今年は2月上旬まで9ヵ所での新年会が組まれていて、

僕はそのうち6ヵ所に参加する予定である。

以前この行脚を  " 死のロード "  などと書いてしまって、

あちこちの生産者から皮肉られてしまった。

戯れ言といえども、控えないとね。

可能な限り産地を回って新年の挨拶をし、互いの健在を喜び、一年の抱負を語り合うのだ。

なんたって社長自ら 「全部出る!」 と宣言しているくらいなんだから、 

我々が弱音を吐くわけにはいかない。

 

スタートは例によって東京からである。

1月6日(木)、「東京有機クラブ」 新年会。

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場所は府中のお蕎麦屋さん。

在所の農家とは古いお付き合いの由緒あるお店のようだ。

奥の間みたいな部屋に席を用意してくれた。

 

代表である小金井の 阪本吉五郎さん とのお付き合いはもう30余年になる。

誰も正確に覚えてない。

メンバーは他に、吉五郎さんの高校の同級生である府中の藤村和正さん、

そして吉五郎さんとは義理の兄弟にあたる小平の川里弘さん。

 

吉五郎さんは数年前に大病を患ったが見事に復活した。

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御年80歳。 口も減らず(失礼!)、意気軒昂である。

でも畑はだいたい息子の啓一さんに任せている。

「ハウスに何が植わってるか、もう見に行きもしねぇな。

 見ると小言言いたくなっちゃうし。」

 

川里弘さん(下の写真・左) もそんな感じ。

今は昨年生まれた孫 (穂高くん) が可愛くてしょうがない、と。

「大地はもう息子に任せた。

 オレはせいぜい 山藤 用の野菜づくりで楽しませてもらうから。」

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阪本啓一・川里賢太郎両名には、

丸の内での東京野菜展開への協力を頼む。

去年夏の ミクニマルノウチ、秋の パスタ饗宴、と付き合ってもらって、

これからのハードルの高さはお二人も感じておられるようだ。

「ま、出来ることはします。 出来ないことはできません、ってことで-」

  - ハイ、分かっております。

 

ここ(東京) に農業がある、その意味や大切さを、

一人でも多くの人に伝えたい。 その仕組みをどうつくるか。

お二人に仁義を切って、今年一年の作業の開始である。

 



2010年12月22日

おきたま興農舎-ぶつかるプライドと醗酵の力

 

昼間の どぶ ● く は効いた。 「甘酒だよ~」 もないと思うが・・・

想定外の展開となった今回の出張。 しんどいけど、続ける。

あきらめも早いけど、しつこいところはかなりしつこいので。

 

12月12日(日)、午後。

蕪栗で千葉さんたちや専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーと分かれ、

僕は大潟村・花咲農園代表の戸澤藤彦さん(米プロのメンバーでもある) の車で

古川駅まで送ってもらう。

そこから福島経由で山形新幹線に乗り換え、夕刻、高畠町に入る。

 

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次なるミッション(使命) は、

米・野菜・果物の生産団体-「おきたま興農舎」 の忘年会である。

忘年会といってもただ宴会をやるのでなく、昼からしっかりと勉強会も開いている。

農政の動きを分析したり、また地域での農業の活性化では実績のある先達、

JA北空知の元組合長・黄倉(おおくら)良二さんを北海道から招いて講演会を行なうなど、

なかなかに硬派の生産者組織である。

 

しかし僕が到着したのは、ちょうど勉強会が終わったところ。

トンネルを越えたら、そこはまた宴席だった・・・・みたいに。

しかもこれがまた濃い~い連中で、

二次会の途中からは生産者同士の熱い技術論議となり、いつ終わるともなく続いた。

僕はどうにもつらくなって、途中で轟沈とさせていただいた次第。

日頃から後輩に伝授している言葉を恥ずかしく思い出す。

「生産者より先に寝るんじゃない!  起きてくれている間はとことん付き合うのだ!」

くそッ、無念である・・・・・

 

興農舎代表・小林亮さんから後日届いた手紙には、こうあった。

 「飲むほどに酔うほどに、腕(技) に自信ありの強者の一言が印象的でした。

   - また一からやり直しだ -

  大粒ぶどうやりんごでは、県内屈指の技術を持ち、かの 江澤正平さん との交友も

  あった K 君の独り言に周りは頷きながら、また一口酒を運んでしまいました。

  来る年に向けて、陽に焼けた輝かな笑顔を取り戻すべく、

  また一歩前に進みたく存じます。」

 


今回嬉しかったのは、古くからの大地を守る会会員で、

 「とくたろうさん」 のデザインや酵母の講座などでお世話になっている、

「ウエダ家」 の植田夏雄さんとご一緒できたことだ。

最初に来賓とかいう居心地の悪い席に座らせられたのだけど、

植田さんが隣だったこともあって、いろいろと酵母の話をうかがうことができた。

 

「ウエダ家」 さんはこのたび、

日本初の100%自然発酵フリーズドライパン種 -「乳COBO 88 おきたま」 を開発した。

  山形のおきたま興農舎とCOBOのコラボレーション。

  興農舎の無農薬米ササニシキをウエダ家が独自に自然発酵し、

  フリーズドライにしたパン種。

  自然発酵のフリーズドライは不可能と言われていた常識を覆したことで、

  一切の添加物を使わなくとも、自然な香りのある、あまみ、うまみのあるパンが実現。

  砂糖を使わなくとも、あまみがあり、

  ミルクやバターを使わなくても、自然発酵ならではの風味があります。

  しかも植物性乳酸菌のはたらきにより、雑味のない、胃もたれしない、

  消化吸収のよいパンづくりが誰でもできるようになった。

  パンは、日本人の食生活の第二の主食として、定着している。

  質の高いおきたまの米を使うことで、ごはんのように毎日食べられる、飽きのこない

  日本人の味覚とからだを育む無添加のパンがつくれる。 (HPより)

 

ウエダ家さんの主催する 「COBO 講座」 はチョー人気の講座だが、

最近は年配男性の参加も増えているのだそうだ。

僕もいずれ、酵母の奥深さを見極めてみたいと思ったりもするのだが、

まあ今の感じだと、、、定年後も生きていられたら、の話かな。

 

植田さんは、興農舎の無農薬米の 「生命力」 を、絶賛する。

こんな話も、会員の方に聞かせたいと思ったのだった。

 

翌13日(月) は、帰る前にラ・フランスの生産者、横山陽一さん宅を訪ねた。

11月にカタログ 「ツチオーネ」 の表紙を飾らせていただいたこともあって、

お礼も言いたくて伺ったのだが、あらためて話を聞くと、カタログで書いた宣伝文句も

けっして誇大広告ではないと思う。

 -山形県で洋梨栽培が始まった100年前から代々続く洋梨農家の4代目。

   的確なタイミングでの有機質肥料の投入や、

   数年先の理想的な樹の形までを考慮した剪定など、

   味に大きく影響する大切な作業を毎年ていねいに続けてきた~

「ラ・フランスを極めたい」 という横山さん。

農薬も相当に減らしてきた姿勢は、皆が一目置く 「ラ・フランスの師匠」 である。

 

課題として話題になったのは、洋ナシにかける袋のこと。

今では果物にかける袋には、だいたい農薬が塗布されている。

横山さんはそれも気にかけて、農薬処理されていない袋を探して使用しているのだが、

それは洋ナシ用のものではなく、薄くて撥水性も弱いようで、「どうもよくない」。

また色が白いので何故かカラスにつつかれるのだそうだ。

それによる被害は、「まあ、1割くらいはあるな」。

これはバカにならない数字だ。

大変な手間をかけてもこれでは、この袋で続けてくれとはなかなかに言いにくい。

「こちらもいろいろと情報を集めて、考えてみますから-」 といってお別れした。

打つ手は、ないわけではない。 動いてみよう。

 

技の話となれば果てしなく激論を交わし、

一方で緻密な努力を惜しまないプライド猛き生産者たち。

植田さんがいう 「生命力」 とは、込められた彼らの 「気」 だね、きっと。

彼らが 「オレのプライドにかけて」 というならば、

こちらも相応の気張りをもって応えていかなければならないということだ。

 

サル以下の、スキだらけの人生だけど、

ただ飲んだくれているわけではないっす、くらいは言っておきたい。

 



2010年12月20日

蕪栗視察・後編 -苦難のミッション

 

さてさて、楽しく飲んだ翌12日(日) のこと。

蕪栗視察団一行は、予定通り早朝のガンの飛び立ちを見るために早起きする。

しかし何故か・・・・・この朝の記憶が、ない。

ワタクシはガンを見たのでせうか。。。 ヤバイね、かなりヤバイ。 

 

後になって参加者から聞いた情報を総合すると、こんな感じだったらしい。

朝5時半、宿のロビー集合。 僕はその前にしっかり歯を磨いていた、らしい。

太陽光パネル設置のキーマンとなってくれた (株)日本エコシステムの

本田一郎取締役も深夜から宿入りしてくれていて、一行は元気よく寒風の中出発した。

ところが僕はカメラを忘れて車中でひと騒ぎ。

しかしあきらめも早い性格ゆえ、 「引き返せ!」 などとヒンシュクを買うようなことはせず、

観念したあとはフツーに楽しく会話した、らしい。

現地・蕪栗沼に到着するや、颯爽とドアを開け車から降りたところ、

千葉さんから 「夜明けまで車の中で静かに待つ」 と教育的指導を受けた。

夜明けとともに数万羽のガンたちの飛び立ちが始まる。

僕はただ両手を広げてガンに手を振り続けていた、らしい。。。

たぶん口も開けっ放していたことだろう。 こういうヤツはいずれ路上で死ぬのだ。

 

宿の部屋に戻った途端に布団の上に倒れ、朝食タイムは爆酔、じゃなく爆睡状態で、

今度は出発する直前に起こされ、本田さんから

「カメラがロビーに落ちてましたよ」 と渡された。

ここからの記憶はある。

嗚呼、僕は雁と交感することはできたのだろうか。

 

そして次なる苦難 (?) が待ち受けていた。 

10時から、千葉さんたちが地元集落で取り組んでいる

「農地・水・環境向上対策事業」 の集まりに、僕らは招かれていた。

この補助事業には 「消費者との交流」 というのが事業計画の細目にあって、

今回の視察はしっかり地元の 「交流事業」 に組み込まれてしまっていたのだった。

千葉孝志(こうし) のしたたかな段取り、あなどれない。

まあ、地元の方々にとってはいつでもやれる企画ではないし、

交流できる機会を用意していただけることは、我々にとっても有意義なことである。

 

 - という建て前論はいいんだけど、

「簡単な挨拶を」 と千葉さんから言われてたのが、

いざ来てみれば 「30分用意してあるから」 とのこと。

神社の鳥居の中にある集落センターに集まってくる軽トラ軍団を見て、

俄かに高まる緊張感。 

開き直ってからが勝負という人生を送っていても、、、頭が働かない。

ようやく気づく。 これは楽しい視察ではない。 仕事、重要なミッションなのだと。

 

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日曜日ということもあって、子供たちも遊びに来る。

ロールベールサイレージらしきものに 「歓迎 大地を守る会」 とある。.

子供たちの落書きが始まる。

上手い・下手とか関係なく、自由に描けるうちに好きなだけ描くといいね。

 

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で、会議が始まる。

僕と本田さんとで1時間。

時々頭の中が白くなりながら、壊れつつある脳に鞭打って、

なんとか言葉をつないでいく。

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大地を守る会の概要の紹介から始まり、

今回の視察の目的、そして千葉さんの先進的取り組みへの敬意と感謝を述べ、

食の安全だけでなく地域環境や生態系の保全まで意識されて活動される

当地に対し、しっかりと食べることでつながらせていただきたい。

厳しい米価に加え、TPPやら何やら、いろんな問題が押し寄せてきているけれども、

生産と消費を強い信頼でつなぐことで、

「安全」 だけでなく、将来に向けての 「安心」 の土台を守り育てていきましょう。

そのためにも、地域の環境向上のために取り組んでいることを、

皆さんの口で積極的に語っていただきたい。

千葉さんの太陽光パネルの設置は、個人ではなかなか真似できないかもしれないけど、

それぞれに自分の手でできること、そして地域でできること、を編み出していってほしい。

・・・・・というようなことを語ったつもりだが、頭と口がつながっていたかは定かでなし。

 

本田さんは、夜の便で駆けつけてきただけあって、気合いが入っている。

国の自然エネルギー政策を批評し分析しつつ、未来社会づくりに向けての

太陽光発電の可能性とメリットを訴える。

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「もし少しでも関心を持っていただけたなら、お配りしているアンケートにご記入いただいて、

  大地を守る会さんにFAXしてください。 あとは戎谷さんがきちんと対応しますから。」 

- そうきたか。

この場を借りて訂正申し上げます。

戎谷ではなく、我が自然住宅事業部が責任と誠意をもって対応させていただきます。

 

会議のあとは、楽しい交流会。

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 「農地・水・環境向上対策」 事業も、来年から政策が変更されることになっている。

集落単位ではなく、個人の取り組みに対しても助成が下りる形になる。

やりやすくなる面もあるだろうが、地域単位で取り組んできた事業にとっては

どんな影響が出るのか、気になるところではある。

戸別所得補償の是非やTPPなど、生産現場の感触もうかがって、

意見交換するつもりだったのだが・・・

お餅と一緒に出された 「甘酒」 にやられ(ドブロクだった) 、

不覚にも目をつむってしまったのだった。

 

さて、が続くが、

お昼過ぎに千葉さんや現地の方々と別れたのだが、

苦難のピークは、このあとにやってきたのだった。

しんどすぎる・・・・・。



2010年12月18日

千葉さんのたたかい

 

朝にゆく雁の鳴く音は吾が如く

 もの念(おも) へかも 声の悲しき  (万葉集巻十、詠人知らず)

 

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いにしえより多くの和歌に詠われ、日本人に親しまれてきた雁。

その声は聞く人のそのときの心情に重なるように響いてくる。

ガンは家族の絆が強く、いつも仲間と群をつくって一緒に行動する。

朝、餌場に向かって飛び立つとき、夕、ねぐらに帰ってくるとき、

彼らは数種類の声で仲間を呼び合い、助け合いながら、生きている。

 

彼らはシベリアのツンドラ大地から4,000kmを旅してやってくる。

その数10数万羽とか言われているが、正確なところは分かっていない。

分かっているのは、この半世紀くらいの間に飛来地が急速に消滅していったことだ。

かつては全国各地にガンの姿が見られたが、ねぐらになる湿地帯が開発されるにつれ、

越冬の集中飛来地はここ宮城県が最南端となった。

今ではマガンの9割が宮城県の伊豆沼から蕪栗沼にいたる周辺に飛来してくる。

 

その蕪栗(かぶくり) で有機米を栽培する生産者、千葉孝志さんは この春

冬にも田んぼに水を張るために井戸を掘り、

太陽エネルギーによって水を汲み上げるという装置を設置した。

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すべては野鳥の餌場とねぐら確保のためである。

分散させる、というねらいもある。

餌場が集中すると、麦の新芽などを食べたりして、

農業との共生もうまくいかなくなる。 

行き場をなくしたガンたちが集まってきて、観光客も増えただろうが、

この状態はけっして望ましいこととはいえない。

それでも何とか共存しようとする千葉さんたちの苦労は、ただただ頭が下がる。

 

いよいよ冬となり、渡り鳥たちもやってきて、

さて太陽光パネルはちゃんと稼働しているだろうか。

鳥たちはこの田をねぐらにしてくれているだろうかと、

12月11日(土)、大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバー

とともに現地を訪れた。

 

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水は張れるようにはなったが、まだ力不足だと、千葉さんは言う。 

12時間蓄電して4時間回せる、しかしこの時期は太陽が照る時間が少ない。

また周囲の見晴らしがいいためか、白鳥やカモは来てくれるが、

警戒心の強いマガンがねぐらにすることはないらしい。

 

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この装置は、(株)日本エコシステムさんから、デモ用の機器を譲ってもらったもの。

設置費用は、エコシステムさんと千葉さんと大地を守る会で折半した。

千葉さんはなるべく経費をかけないようにと、自分の手で畦を塗り、柱を立てた。

すべてを金額に換算すれば、ここの田んぼの米の売上にして7~8年分くらいになるか。

とても真似できるものではない。

 

渡り鳥たちの貴重な越冬地としてラムサール条約に登録された千葉さんたちの田んぼ。

米だけじゃない、生き物も一緒に育てる田んぼ、

この意味を理解するからこそ、千葉さんは率先して自らの姿勢を見せた。 

 

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しかし僕らはまだこの本当の価値や豊かさを表現できていない。

数万羽の渡り鳥たちがここで餌を食み、体力を蓄え、子を育て、

春になる前にシベリアへと帰る。

八郎潟-北海道宮島沼を経て、カムチャッカ半島ハルチェンスコ湖まで

1,000 km を休まずに飛びきる。

彼らを支える沼と田んぼの力を保証できるだけのお米の代金を、

僕らは払い切れているのだろうか。

 

視察時は、周囲で大豆の刈り取りなどで機械が動いていたため、

残念ながら白鳥は飛び去っていて、写真に収めることができなかった。

ま、それは仕方ないとして、一行は田んぼから蕪栗沼まで移動する。 

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鳥たちが餌場から帰ってくる時間だ。

数え切れない大群が押し寄せてくる。 あっちからも、こっちからも。

一同、口をあけてただただ歓声を上げるのみ。

 

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秋の田の穂田を雁がね闇(くら) けくに

夜のほどろにも鳴き渡るかも  (万葉集巻八、聖武天皇) 

 

見よ! この田の力を。 

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彼らは意外なことに虫より草を食べる。 イネの落穂だけでなく、雑草を食べてくれるのだ。

そして貴重なリン酸肥料をお礼に置いていってくれる。

有機栽培を手伝ってくれている仲間だと言うと大げさかもしれないけど、

ちゃんと生命の循環に連なっていて、無償で与え合っている関係ではある。

いつか、大きな生命の連鎖から与えられる枯渇しない  " めぐみ "  によって

私たちも生かされているということが、あたり前に認識される日は来るのだろうか。

ねぐらに帰るガンの鳴く声が切なくも聞こえる。

 

世界で初めて田んぼが貴重な湿地帯として認められた、ここ蕪栗。

注目され人がやってくるのは地域にとっては嬉しいことだろうが、

鳥による作物への食害は日常茶飯事であり、

渡り鳥との共生なんて余計なことと考える人も厳然と存在する。

千葉さんたちの苦労は絶えず、たたかいは続く。

 

夜は宿に他の生産者もやってきて、またお隣の中田町から大豆の生産者・高橋伸くんも

お酒を持って顔を見せてくれた。

楽しい懇親会となったのだが、さて、失敗したのは翌日である。

 



2010年10月21日

安部伊立杜氏の功労に感謝する、の夜

 

話の順番が逆になったけど、

先週末から日曜日の、慌しくも楽しかったロード報告も記しておきたい。

16日(土) は、会津・喜多方で楽しい酒宴に参加して、

翌17日(日) には、朝6時の始発に乗って日比谷公園 「土と平和の祭典」 に直行。

午前中の小音楽堂のトークセッションの司会を何とかこなして、

千葉・寺田本家の濃醇な日本酒で迎い酒をやった途端に、一気に腑抜ける

 - というシアワセな二日間の振り返りを。

 

ラーメンと蔵の町・喜多方の、街の中心地からやや北に位置する場所に、

 「北方風土館」(ほっぽうふうどかん) は立っている。

大和川酒造店が、古い蔵を改造して酒蔵の見学館に設えたものだ。

ここで10月16日(土)、大和川酒造で長年杜氏を務められた安部伊立(いたつ) さんの

功労に感謝する祝賀会が開かれた。

 

会場は、北方風土館内にある 「昭和蔵」。

平成2年まで使われた酒造場で、今はコンサートやイベント会場として活用されている。 

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挨拶する大和川酒造店代表社員(社長)、9代目・佐藤弥右衛門さん。

1971年、社長がまだ東京の大学でブラブラしてた頃に(本人の弁)、

安部伊立は蔵人として大和川に入った。

以来40年、夏は新潟・小千谷で米を作り、

冬になると大和川に来て春まで酒造りに没頭する、という人生を送ってこられた。

黒の革ジャンを羽織って、若い蔵人を引き連れて颯爽と登場していた時代があったそうだ。

クソッ、カッコよ過ぎ~!

 

「 杜氏にもなると、あちこちの蔵から呼ばれては移っていくという人も多いのですが、

 安部杜氏は大和川一筋でやってくれました。 本当に心から感謝します」

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感謝状を受け取る安部伊立杜氏。

80歳になられて、なお矍鑠(かくしゃく) としている。

今はさすがに車の運転は家族に禁じられたそうだが、日本酒は欠かさない。

加えて、女の子をからかう、これが健康の秘訣らしい。

これもお手本にしたいが、からかって好かれるには、オトコを磨かなければならない。

う~ん、修行の道は険しいのだ。

 


杜氏(とうじ、とじとも言う) といえば、

社長にも口を挟ませない酒造りの総責任者、長(おさ) である。

長い年月の修行に耐え、匠の世界に立った者にのみ与えられる称号。

手に職を持たない我々サラリーマンには、崇拝しひれ伏すしかない響きがある。

 

「いやなに、ただのスケベ爺いですよ」 と笑う安部杜氏。

我々の前ではいつも優しいお顔で接してくれるのだが、

蔵の中などで時に厳しい眼光を発する瞬間があって、ドキリとさせたりするのだ。

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謝辞を述べる杜氏。

酒造り一筋に生きてきて、こうしてたくさんの人に感謝される喜びはひとしおのよう。

それだけに胸中をよぎる感慨は数々の思い出とも重なっているようであり、

その人にしか出せない喜びの色合いというものを、かもし出す。

 

大和川酒造は、市民の酒造り体験を積極的に受け入れている。

地元・喜多方の市民講座はじめ、東京からも4つのグループが酒造りにやって来ている。

彼らは自分たちの樽を持って、出来た酒は全部買い取って仲間で分け合う。

中には酒米づくりから始めるグループもある。

杜氏は労をいとわず、彼らを指導し、慕われている。

 

大地を守る会は、1993年、須賀川・稲田稲作研究会の酒米を使って

オリジナルの日本酒造りをお願いして以来のお付き合いである。

現在の 『種蒔人』、90年代は 『夢醸(むじょう)』 と名乗った。

" みんなの夢を醸そう " という思いでスタートして、

21世紀を迎え  " 新しい種を蒔き続けるのだ " と宣言した。

杜氏とのお付き合いも、早いもので17年になった。

 

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来賓挨拶でご指名を受けたので、感謝の気持ちとともに、

杜氏が好きだった一人の女の子の近況をお伝えした。

「赤ん坊の頃から大和川酒造交流会に参加して、杜氏、杜氏と慕っていたあの子が、

 なんと京都で立派な舞妓さんになりましたよ。」

少女をして厳格な伝統文化の世界に飛び込ませた原動力が何だったのかは

僕には知る由もないが、物心ついたときから杜氏という言葉と人物と、そして文化に触れ

親しんだことは、彼女の情操を育てたひとつの要素にはなったんじゃないか、

と僕は秘かに想像するのである。

杜氏も驚きながら、ウンウンとうなずくのだった。

 

ご機嫌の安部伊立、80歳が披露する

杜氏の舞い-「広提寺(こうだいじ)」。

 

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赤い衣装がめちゃくちゃ映えているじゃないか。

なにやら妖艶な想像まで沸きあがってくる。

 

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熱塩加納村(現:喜多方市熱塩加納町) から、

小林芳正さんも元気なお姿で登場 (写真左)。 

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安部伊立が酒造りの長なら、こちらは原料米栽培の長である。

「こんな米しかつくれんのか」

「オレの米で、こんな酒しかつくれんのか」 -とやり合ってきた仲。

こういうのをどう言えばいいんだろう。 

管鮑(かんぽう) の交わり? -とも違うね。

罵りあいながら揺るがない信頼。 暑苦しいけど、好きだな。

 

先代(8代目) 弥右衛門の奥様、貴子さんを囲んで一枚頂く。 

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『種蒔人』 のラベル題字は、貴子さんの筆であります。

 

" 熊さん " こと熊久保孝治も、生きてました!

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高輪の 「良志久庵 (らしくあん)」 を閉じられてから、

みんな心配してたんですよ。 

良志久案で 杜氏への感謝の会 をやって以来の再会。

「ま、何とか食いつないでやってますので」 とのこと。

久しぶりの熊さんの手打ち蕎麦に舌鼓を打ち、「また蕎麦を打って~」 コール。

 

飯豊山登山でお世話になった方とも久しぶりに再会したりして、

翌日のことも忘れそうになりながら、

純米、吟醸、大吟醸・・・・と飲みまくったのだった。

 

大和川酒造の皆さんに感謝、です。

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お茶目な杜氏には、みんなでマフラーをプレゼント。

 

 

杜氏、いつまでもお元気で。

2月の大和川交流会での再開、約束したからね。 

舞妓になったAちゃん、来れないかな。 無理だよね。

 

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なお最後になったけど、

この日は 「大地を守る会の稲作体験」 の、現地での収穫祭の日であったにも拘らず、

快く喜多方に送り出してくれた稲作実行委員会のみんなに感謝したい。

 



2010年10月 8日

「備蓄米」 が生んだ新しい価値の扉

 

ああ、なんでこんなしんどいブログを続けているんだろう・・・・

とため息つきながら、でもまだやめるワケにいかないなぁ、と思い直す。

「あんしんはしんどい」--それは僕だけのものではなくて、

グァンバッちゃってくれている生産者と、

食べるという命がけの行為(ですよね) に意思を持ってくれた消費者の顔が見えると、

 " 流通者は安心のネットワーカーでなければならない "  を標榜する自分としては、

まだまだ書き続けなければならない、と自らに試練を課すのである。

これは僕の修行のようなものだ。

 

・・・・・と何度思ったことだろうか。

たとえば備蓄米の収穫祭のように。

 

「大地を守る会の備蓄米」 がつなぐ  " 安心 "  とは、人と人をつなぐだけでなく、

未来に  " 安心 "  を運ぶ時間軸を持っている。

食べものは安くなければならない、という今の時代にあって、

そう安くないお米に一口25㎏の年間予約&先払いという制度が16年続いたことは、

奇跡じゃないかと時に思ったりするのだが、それが奇跡じゃないところに希望がある。

それだけの 「価値」 をつくった人と認めた人がいた、というさりげない実力。

誰からの補助もなく持続する  " 食の信頼の輪 "  。

ここにこそ本質的な意味があって、しかもこれはイベントではない。

 

そんな骨太なコンセプトで続けてきた 「備蓄米」 の、年に一回の  " ハレの日 "  が収穫祭だ。

間が空いちゃったけど、報告の続きをしたい。

 

稲田はすっかり稲刈りシーズンに突入していて、

この日もたくさんの米がライスセンターに運び込まれてくる。

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時あたかも 「平成の大冷害」 と呼ばれた1993年に完成した、

実に因縁深い太陽熱乾燥施設。

時代を先取りしたこの設備で水分調節がされ、しかもモミの状態で保管される。

この設備は、何度来ても見てもらわなければならない。

 

そして、

集荷-品質チェック-乾燥-保管-精米-袋詰めまで一貫した流れを見てもらった次に、

3年越しの取り組みとなった野菜・果物のオリジナル低温乾燥製品を見ていただく。

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このコースに来ると、みんな一瞬米のことを忘れて別な世界に入る。

見よ! この試作の数々を、である。

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大地を守る会内で部署横断的に結成されたプロジェクト・チームと、

生産者がつくった会社-(株)ジェイラップとで進めてきた 「はたまる プロジェクト」。

正式名称は、「畑丸ごと、実から種まで乾燥プロジェクト」 という。

僕としては 「皮から茎から実から種から~」 とか、くどいくらいに表現したいところだったが、

若い人にはヘタなジョークとしか聞こえないようで。。。

コンセプトの解説は8月に実施した試食会の日記を読んでいただければ- としたい。

 

パウダーにスライス、細かく刻んだ状態で乾燥したもの、

などなどが所狭しと並ばれている。 

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栄えある商品化第1号に選ばれたのは-

生姜パウダー、原料は高知県 「大地と自然の恵み」 から。

伊豆の清流で育った本山葵(わさび) のパウダー。

福島わかば会のトマトを使った乾燥トマト (スライス)、の3品。

すべて規格外品と言われたものたちによる 「価値」 の主張である。

 

しかし、いざ本格製造となって苦労したのは、

規格外品あるいは余剰といわれるものたちは、決められた量と納期通りに集まってくれない、

資本主義社会においては極めて生産性の悪い半端者であるということだ。

結果的に、どうしても試食会で会員から示された価格帯には収まりきれなかった。

 

でもね。

この世の平衡は半端者がいるから成り立っているのよ、と声を大にして叫びたい。

生物多様性を支える重要な一員なのです。

蘇らせることで、自給力アップにも、環境保全にも貢献する力を持っているのです。

しかも、台所では 「意外と重宝、好きっ!」 と言わせる自信があります。

食べてほしい。 使ってみてほしい。

モテないハンパ者を代表して、切にお願いする次第であります。

会員の皆様には、11月1日から配布の 「ツチオーネ」 にて登場します。

ここは偉そうに、乞うご期待! と言っておこう。

銀座三越(B3:大地を守る会青果物コーナー) にも出るぞ!

 ・・・宣言しちゃいましたので、ヨロシク!

 

ひと通り見学した後は、お待ちかね、乾杯の儀式。

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例年のことながら、出された食材の素晴らしいこと。

おにぎり、お餅、豚汁、果物、お漬物・・・・

そして圧巻だったのが、米粉と野菜パウダーを使ったケーキやお菓子類の登場。 

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「今日のために、寝ずにつくりました」

と少しテレながら一品一品を紹介する伊藤祐子さん (名前が間違っていたらゴメンなさい)。

 

僕のイチオシはこれ! 

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そういえばカフェ・ツチオーネでの試食会でも、

だだ茶豆のパウダーをすぐにも欲しいと言われた会員さんがいたな。

来年の秋ですね。 

 

いつも感謝の、ジェイラップの女性陣たち。

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男どもが偉そうにハッタリかませられるのは、この人たちのお陰。

 

そして、「これを食べてもらわないと」。

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ネギのパウダーを使った、ネギうどん。

生姜うどんもあわせて試食する。 

「うまい!」 「イケますね」 の声に満足。 

 

収穫祭には欠かせない、餅つき大会。

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厳しかった今年の米づくりの苦労を脇において、

ひと時の交流を楽しむ。

君たちの未来は今の大人の所為にかかっている、その思いは持っているから。

 

「備蓄米」 の地から 「はたまる」 の誕生。

 -この扉が僕らの前に然るべく用意されたのなら、敢然と前に進むしかない。

 



2010年10月 6日

大地を守る会の「備蓄米」 収穫祭

 

つらい夏を越えて、やってきた稔りの季節。

 

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どんな時も安心して食べられるお米が確保されている。

それはいつも安心して最高の米づくりに挑めることと、同義でありたい。

 

1994年、平成の大冷害とか米パニックと呼ばれた翌年から始めた

「大地を守る会の備蓄米」。

以来、保管に失敗したり、「もういいんじゃない」 とか言われた年も経験しながら、

意地を張って続けてきた。

この本当の真価は、まだ見えてない。 本番はこの先にある、という思いがある。

 

春から予約をしてその年の米づくりを支える。

供給は年を越してから、次の収穫までの間に責任を持って引き取る。

信頼とそれなりの覚悟がないと双方成り立たない制度が、

米価が下落し続ける時代の中でも着実に支持されてきたことは、

企画者にとって望外の喜びであり、誇りでもあり、かつ重い責任を感じるものとして

僕の中にある。

 

今年もその収穫を迎え、10月2日(土)、生産者と消費者の交流会が開かれた。 

福島県須賀川市の、小高い丘の上にあるライスセンター。

ここに明日の食のために今年も備蓄米を応援してくれる人たちが集う。

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それにしても、今年の夏はイネにとっても辛かったようだ。

「どんな年も、一定の品質を再現させる」 と豪語してきた

(株)ジェイラップ代表・伊藤俊彦も、「いやぁ、厳しかった」 と告白する。

それでも、できるだけのことはやったという自負はある。

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あんたがそういうなら、俺たちは必死で売るだけだね。

じゃ、田んぼに行って、みんなで収穫を喜ぼうじゃないか。

 


 

猛暑から一転して寒くなって、雨が続いた。

今日は久しぶりの晴天。 ということは農家にとっての仕事日和というわけで、

集まってもらうのに気が引けるような青空に僕らは迎えられたのだが、

「ま、大地さんとの収穫祭ですから・・・よかったですね、いい天気で。」

微妙なニュアンスが心苦しい。

 

すっかりイネが倒れている田んぼが周りに散見される中、

稲田稲作研究会の田んぼは力強く立っている。 

「どうだ」 と言わんばかりの関根専務の顔がある。

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稲田稲作研究会会長、岩崎隆さん。

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これほどに皺が似合う人は、そういない。

隆さんに会うと、たるんでいる自分を恥ずかしいと思う。

 

コンバインに乗っての収穫体験。 

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手刈りとはひと味違った、ちょっと高見からのダイナミックなニッポン稲作民族の力を

感じられるだろうか。

 

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子どもたちは虫取りに興じる。 お父さんも一緒に。

  

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昨今の若いお父さんは、みんながみんなそうそう自然児で生きてきたわけではないので、

あんまり過度に期待するのは酷でもあります。 

一緒に楽しむ、一緒に挑戦する、そういう感じで。。。

 

恒例となりつつある、第3回イナゴ取り選手権大会。 

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こういうのは大人が夢中になる企画なんだと、昨今僕は思い知らされている。

それはそれで楽しいけど。

 

トカゲ、捕まえた! いえ、これはカナヘビです。

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ずっとカナヘビをいたぶり続ける少年。 子供というのは残酷だね。

僕も昔はそうだった。

 

田んぼは生産基地であるとともに、子供たちにとっては自然と触れ合う場でもあった。 

どんな天候に遭っても、みんなの食糧をしっかりと作ってくれ、

たくさんの生き物と戯れる遊び(=教育) の空間でもある田んぼ。

 

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ありがとう、と心から感謝して、記念の一枚を。

 

今年の米の出来は実はかなり厳しい状況が伝えられてきている。

夏の高温で豊作が予測されたこともあって、昨年来からの過剰在庫と絡んで、

米価は新米から下落含みである。

しかし蓋を開けてみればさほどの豊作でもなく、品質も例年より悪いという。

国の補助制度はいともあっけなく破綻するように思える。

その先はどうなるのか、、、

私たちの真価が問われる時が近づいてきているように思うのである。

 

そしてしかも、だからこそ、、、

僕らは、新しい価値づくりにも挑戦しなければならない。

・・・・・眠くなったので、続きは明日に。

 



2010年10月 5日

常識破りのせん定技術を学ぶ-柑橘生産者会議

 

先週は9月30日(金)-10月1日(土)にかけて、

広島県は因島(尾道市) から瀬戸田町(生口島・高根島) と巡りながら、

第5回柑橘生産者会議を開催した。

柑橘の生産者会議は9年ぶり。 

久しぶりの技術研修会に、

和歌山から鹿児島までの12グループ28名の生産者が参加された。

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今回の目的は、従来の常識を覆す独自のせん定技術をあみだし、

かつ無農薬・無施肥でレモンを栽培する

道法正徳 (どうほう・まさのり) さんの理論と技術を学ぼうというもの。

 

広島空港から山陽自動車道で尾道市に入り、尾道大橋を渡って因島に。 

そこでまずは、道法さんが技術指導をしているという万田発酵(株) の柑橘園を見る。 

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道法正徳さん。 

元広島県果実農業協同組合連合会の技師時代、

指導の基本とされた 「開心自然形」 と呼ばれる横に広げて陽を樹にまんべんなく当てる

つくり方ではなく、まったく逆の、徒長枝(立ち枝) を伸ばしていくやり方こそ

本来の仕立て方ではないかと考えるに至った。

それは 「切り上げせん定」 と呼ばれ、

彼はこれによって柑橘農家を悩ませる隔年結果 (豊作と不作が繰り返される) を防ぐ

ことができることを立証した。

 

しかし当然のごとくというか、ありがちな話として、

組織や専門家筋からは受け入れられず、

道法さんは自身の技術論を原稿にまとめ、

農業専門書の出版社である 「農文協(農山漁村文化協会)」 に送って、

川田健次というペンネームで出版にこぎつけることができた。

書名は 『高糖度・連産のミカンつくり ~切り上げせん定とナギナタガヤ草生栽培 』 という。

 

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おかげで左遷も経験したりしながら、5年前についに果実連を辞職。

今は堂々と道法正徳の本名で、全国各地に指導に出かけている。

 


徒長枝を残して上に成らす。

実が成れば枝は垂れ、横に広がる。 

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これは春には立っていた枝である。 最初から横枝をつくってはダメだと。

加えて・・・ 

道法さんのせん定技術は、どの枝を伐り、どういう樹形をつくるかだけでなく、

切り方にも特徴がある。

小型のチェーンソーを使って、素早く、えぐり取るように切る。 

 

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一般的な切り方だと、伐った枝の元が斜めに残るところ、

下からえぐるように切れば先端がなくなり、早くきれいにゆ合するのだと言う。

ゆ合ホルモンは枝の先端からおりてくるため、

このほうが切り口の回復が早くなるということのようだ。

 

チェーンソーを使って実際のせん定を実演する道法さん。 

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道法さんの技術はせん定だけではない。

どの花を残すか、摘果のポイントはどこにあるか。

糖度の乗ったミカンをつくり、隔年結果を防ぐためには、

ホルモンの関係も理解しなければならない。

 

園地見学のあとは、食事前に座学も用意する。 

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どんどん専門的な話になる。

これ以上は表面的な受け売りをしてもかえって底が知れるので控えるが、

道法ワールドはさらに無施肥(肥料をやらない)、そしてナギナタガヤを利用した

除草剤を使わない草生栽培へと広がる。

 

二日目も、朝から勉強会。

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この技術研修会を通じて、色々とお世話になったのが最初に見学した

万田発酵(株) の会長、松浦新吾郎さん。

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「万田酵素」 という植物発酵食品については、東ちづるさんのコマーシャルなんかで

ご覧になった方もおられるかと思う。

ここで製品をPRするわけにはいかないが、

50数種類の野菜・果物・海藻などを3年以上発酵させているとかで、

ここにも発酵という世界にとり憑かれた人がいたぞ、って感じ。

道法さんはここの果樹園の栽培指導をしていて、

松浦会長からの信頼も篤いようで、

会長はずっと我々の脇で道法理論の補足などをするのだった。

 

解散後、希望者はさらに呉市豊浜町まで足を延ばして、

実際の道法さんのレモン栽培を見せていただくこととした。

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道法さんは指導する相手に応じて農薬の使用も認めるが、

自らは無農薬・無施肥を実践している。

 

立派なレモンが成っている。

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NHK広島放送局の取材が入っていて、

感想を聞かれる愛媛県中島町のレモン農家、泉精一さん。

こちらも筋金入りの有機農家である。

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別れる前に一枚。

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それぞれに感じ取り、つかんだものを持ち帰っていただければ、と思う。

隔年結果対策、そして無農薬での美味いミカンづくりへと、

刺激になったなら幸いである。

 

穏やかな瀬戸内の二日間だった。

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2010年9月24日

ハスモンヨトウにカメムシに・・・

 

ミツバチ問題の整理に手こずっているうちに、

産地から悲鳴のような連絡が相次いで入っている。

ハスモンヨトウが全国的に発生して、畑を食い荒らしているのだ。

千葉からも茨城からも埼玉からも、

キャベツに定植した途端に寄って来た、あっという間に食われた・・・という連絡。

 

そしてなんと、東北・宮城からも。

登米市中田町で、大規模に有機大豆栽培を手がける高橋伸さんから

写真が送られてきた。

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有機の小粒大豆畑が一面、白くなっている。

 

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被害は10ヘクタール強に及ぶという。

葉にとどまらず鞘まで食いつくしている。

有機許容の薬剤で何かあるか・・・・・

来年以降の対策として検討しておきたい、と。

そしてひと言 - 「共存も難しい」。 

 


ハスモンヨトウ。 漢字では 「斜紋夜盗」 と書く。

その名の通り斜に紋があり、夜になると土中から現われ、

植物の科目を問わず、貪欲に何でも食う。

「深夜に、むしゃむしゃと夜盗が食べている音が聞こえてくるんだ」

と聞いたことがある。

こういう奴 (yahoo 画像より拝借)。

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成虫になった蛾は、こんな格好。

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こいつの発生は年によって差が大きく、特に夏の高温少雨の年に多発生する。

発生のピークは9~10月。

まさにこの夏の酷暑を反映して、狂ったように異常発生している。

山口県では県内全域に注意報が出されている。 平年の倍以上だとか。

しかし耐寒性は弱いと言われていて、北日本での被害は少ないはずなのだが、

これも今年の全国的高温の影響と思われる。

特に大豆畑では突発的に大発生することが知られている。

土壌が肥沃なコメからの転換畑だとさらに生育が盛んになる。

 

ハスモンヨトウは幼虫が大きくなると、どの農薬も効き目が弱くなる。

そこでクモ類などの天敵を殺してしまうと、さらに大発生を誘引してしまう。

おそらく全国各地で夜盗退治の農薬が散布されていることだろう。

天敵の死滅という悪循環に陥ることも怖いが、

こういうときはまた例によって農薬を撒かない畑との対立も生まれたりするのだ。

今年の 「かけろ」(農薬を撒け) 圧力はかなり強いのではないだろうか。

昔よく聞かされた、

「お前がかけないから、虫が発生する」

「冗談じゃない。 みんなこっちに逃げてくるんだ」 という争いが想起される。

 

甚大な被害を被った高橋さんの大豆畑。

想定被害額は・・・僕の口からはいえないので、

有限会社NOA 専務、 高橋伸のブログ をご覧いただきたい。

この地の状況は他人事ではなく、私たちの日々の小粒納豆の話だと思ってほしい。

 

そして、カメムシである。

こちらもまた同様、暖地型カメムシが東北で増殖している。

その名は、アカスジカスミカメ。

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秋田県で8月下旬に注意報が出されている。

8月中下旬に実施された県内100地点でのすくい取り調査で、

寒地型のアカヒゲホソミドリカスミカメは平年並みなのに、

アカスジは平年の5倍、しかも広域に確認されている。

2007年から増加傾向だという。

確実に温暖化とともに北上してきている。

積雪量の減少で、越冬しやすい環境にもなってきているようだ。

気温の上昇は世代数を増やし、発生量・種類ともに増加してゆく。

今年はアカヒゲよりアカスジによる斑点米増加が懸念される。

県の病害虫防除所での指導薬剤は、ネオニコチノイド系農薬である。

 

害虫と防除の繰り返しは確実に生態系の衰弱につながっていくのだが、、、

この夏の結果は、彼岸を越して、さらにさらに焦燥感を募らせるね。

 



2010年8月11日

はた・まる 試食会

 

先週の水曜日(8月4日)、

自由が丘(九品仏) のカフェ・ツチオーネにて、

「はたまるプロジェクト」 主催による乾燥野菜の試食会が開かれたので、

遅まきながらアップしておきたい。

 

「はたまるプロジェクト」 - 「畑丸ごと 実から種まで乾燥プロジェクト」 の略称。

農産物の仕入部門から加工品の開発部門、販売政策に広報と

部署横断的にスタッフが集まって、

実際の加工を行なってもらう (株)ジェイラップさん(福島県須賀川市) と合同で結成された、

新しいコンセプトでの商品開発を進めるためのプロジェクト・チームである。 

その概要は、3月に行なったキックオフ・ミーティングの報告を参照いただくとして、

いよいよ会員さんへのサンプルのお披露目へと漕ぎつけた。

 

ズラリと並んだ試作品の品々。 

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ビンに入っているのが粉(パウダー)、

袋に入っているのがスライスとかチップにして乾燥させたもの。

その数100種類を超えている。

考えられるものはほとんど試作してきた。

ジェイラップ専務の関根政一さんとスタッフの伊藤大輔さんが胸を張る。

「90くらいまで作ったところで、意地でも (サンプル数を) 三桁にして持って来たくなって、

 徹夜して頑張りましたよ。」

そこで意地を発揮しなくったって、とも思ったが、

ま、アスリートに限らず、そういう数字に挑戦したくなることって、あるね。

 

そのまま食べられるものは、お皿に並べて、試食いただく。

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 トマト、ミニトマト、とうもろこし、パイン、プラム、バナナ。

 低温でゆっくりと乾燥させることで、風味と栄養価を保たせる。

むしろ水分が飛んだ分、エキスが凝縮されて濃厚な味わいになる。

最終的な水分濃度をどこまでにするかが鍵、というか秘伝になるのかな。

 


ジェイラップ代表、伊藤俊彦さんがこのプロジェクトにかける意気込みを語る。 

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ただ規格外品や余剰野菜に新たな価値を付与して製品化する、というだけではない。

ブロッコリィなら捨てられるところの茎も使う (ブロッコリィは捨てられる方が多い)。

トウガラシならヘタも活用する。

皮も、種も、モノによっては根っこも、トライしてみた。

「実は、そういうところの方が栄養価は高かったりするんです。

 そういったところにもこだわりたい。」

 

こういった乾燥野菜を家庭でストックしていただき、時間のない時にさっと使え、

あるいは隠し味に使うなど、料理のバラエティに役立てていただく。

また、少量で栄養バランスが摂れるメリットは、

高齢者の方、一人暮らしの方にも重宝されるのではないか。

ゴミの減量化にもつながるし。

離乳食にも使える、という声も上がった。

ねらい通り、だね。 

 

関根専務からは、製造にあたっての苦労話から、

こだわってきたこと、自分なりのアイディアなどを話していただく。 

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「こんなツラですけど、けっこう繊細なんですぅ。」

ジョークも適当に織り交ぜながら、なかなか聞かせる。 

 

カフェ・ツチオーネのパティシエ、猪股さんが、

事前に送った素材を使って、ケーキやクッキーなど

たくさんの試作にチャレンジしてくれた。 

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どれも大好評。 

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猪股さんによると、

「生のトマトだと青臭さもあるが、乾燥だと甘味と酸味だけになって、とても使いやすい。」

水分がなくなることで、その素材の特徴がストレートに出せる。

タマネギも甘味が強くなって、パン生地への影響が少なく、味が水分で分散されない。

また砂糖や塩も控えられるとか。

 

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粉では、はやりフルーツ系が一番人気か。

皆さん、いろいろと用途のイメージが広がって、会話も徐々に徐々にはずんでくる。

 

そして確実な需要を感じたのは、薬味系(ニンニク、生姜、本わさび、ねぎ、など)。

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はじかれた規格外のワサビ、伊豆の本山葵です。

製品化第1号のラインアップに 「当確」 ランプ点灯!

辛味大根にもたくさんの ◎ が与えられた。

なんせ、ちょっと水を加えただけで、

カンペキな  " 辛み大根おろし "  が再現されたのだから。

 

食堂をやっているという方からは、

●●●●●● のパウダーはすぐにでもほしい、と言われてしまった。

 

野菜のチップは、色々ミックスしてもらえば、おやつに最適。

 

などなどなどなど・・・これ以上ネタを広げるのはもったいないので、

やめておきたい。

 

とにかく、たくさんの貴重なご意見を頂戴しました。

ありがとうございました。

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参加者には、お土産という名の 「宿題」 を持ち帰ってもらう。

「この粉をどんなふうに使ってみたか、写真を撮って感想と一緒に送ってください。」

皆さん、快く引き受けてくれる。

かなりの好反応で、スタッフ一同安堵するとともに、

俄然やる気もアップする。 

 

最初の製品をカタログ 「ツチオーネ」 に登場させる目標の日程は、10月下旬。

これから本番に向けての具体的なオペレーションに入ってゆく。

 

ジェイラップ = 米の生産者団体名では 「稲田稲作研究会」 。

大地を守る会の重要アイテムの一つである 「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である。

その 備蓄米の 「収穫祭」 が例年通り、10月2日(土) に開催される。

当然、乾燥野菜も披露させていただく。

 

というわけで皆様。

次なる試食日は、10月2日、福島の現地で、ということになります。

3年越しのチャレンジの成果を楽しみに、どうぞ奮ってご応募ください。

参加申し込みは、原則として

 『NEWS大地を守る』 9月号の申込用紙にてお願いします。

 

いや、待て。

これじゃ、米より乾燥野菜の宣伝みたいだな。

メインは、あくまでも 「備蓄米」 の収穫を祝う集いですので、お忘れなく。

稲田稲作研究会の、黄金色に輝く田園が待ってます!

 



2010年7月23日

鹿児島で 有機農業フォーラム

 

鹿児島に行ってきました。

昨日から今日にかけて、

かごしま有機生産組合主催による 「第5回有機農業フォーラム」 が開催され、

そこで1時間ほどの講演を依頼されたのです。

 

会場は薩摩川内市、 「湖畔リゾートホテルいむた」 。

ラムサール条約にも登録されている藺牟田(いむた) 湖畔にある。

ベッコウトンボの生息で有名なんだとか。

 

僕に与えられた課題は、

「首都圏における有機農産物の販売動向」。

生産者にはとっても気になる話題だが、語る側にはちょっとつらいテーマである。

 


首都圏での 「有機農産物」 の販売動向といわれても、

販売に関する正確なデータがあるわけではない。

あるのは、有機JAS制度で認証(格付) された農産物の数量データのみである。

しかも存在するデータから読み解こうとすると、

有機農業で頑張っている生産者にはとても厳しい現実を語らざるを得なくなってしまう。

 

たとえばこんな数字がある。

有機農産物の生産量 (「有機」と格付された農産物、ここではすべてこの数字)

の統計が取れるようになったのは、有機JAS制度ができた2001年からであるが、

その年の国内総生産量に占める 「有機農産物」の割合は、0.10%だった。

そして直近のデータである08年には、0.18%になっている。

7年間での伸び率は、0.08%。

数量でいえば、約3万4千トンから5万6千トンで、66%増加となる。

これをどう評価するかは、意見の分かれるところだろうが、

まあ伸びていることは事実である。

とりあえずこれを 「地道に」 と表現させていただく。

 

しかし国民的目線でこのデータを見たときに、

驚かなければならないのは、むしろ国内総生産量の減少ではないかと思う。

7年間で94%に落ち込んでいる。

つまり、分母が6%減ったとろこでの 0.08%増、というわけだ。

分母の数量は、約3,220万トンから約3,024万トンへ。

約200万トン落ち込んだところに、「有機農産物」 が2万トン伸ばした。

衰退していくなかでの 「希望の星」 か、もしかして生き残りをかけての 「有機」 か。

 

憶測で語るのはやめて、もうひとつのデータを提示させていただく。

外国産有機農産物の数字である。

2001年に格付された外国産有機農産物は9万4千トン(すでに今の国内産の倍近い)。

それが08年には、約200万トン。

7年間での伸び率は、2125%(約21倍)。 野菜だけでも730%、米で780%。

まるで国内生産量が減った分を、外国産有機農産物が補ったかのような数字だ。

だとするなら、この数字は絶望的ともいえるし、ある意味での希望ともいえる。

 

こんな数字を示しながら、「有機農産物の販売動向」 をどう語るか・・・

複雑なる心境がご理解いただけるだろうか。

「有機農産物」 マーケットは、間違いなく成長しているのである。

食の自給とは関係なく。

そこで、外国産有機農産物の圧倒的な増加をもって、

結局、有機JAS制度は外国産有機を後押ししただけだと批判する向きがある。

僕の考えるところは、最後の結論まで待ってほしい。

 

個人的感覚だけで喋ってはいけないので、もうひとつのデータを参考に挙げる。

農水省からの委託で、NPO法人 日本有機農業研究会が行なった、

「有機農業に関する消費者の意識調査」 である。 昨年の3月に発表されている。

 

このレポートから炙り出されてくる、消費の像とはこんな感じだ。

・ 「有機農産物」というものの存在については、ほとんどの消費者が知っている。

・ 「有機農産物を一度でも購入した」 経験を持つ人は約6割に達しているが、

   「有機JASマーク」 を理解しているのは1割程度である。

・ 「有機」への理解は 「安全性」 や 「環境にやさしい」 というイメージ。

・ 不満は、圧倒的に価格の高さ、である。 続いて供給の不安定さとまとめられるか。

・ 一方で有機をプラスに評価する人の、価格容認幅は +1割~2割高 くらいまで。

 

他にもいろんな傾向が読み取れるが、まあだいたい想定範囲内である。

こういった調査結果を参考指標にしつつ、

その上で、僕が現実から感じとっている消費と社会的な動向について

触れさせていただいた。

大地を守る会は卸し事業もやっているわけなので、

データだけでお茶を濁しては、石を投げられちゃうだろうし。

 

結論。

有機をめぐる市場は広がりを見せつつも、まだまだ未成熟なのだ。

人々の関心や社会的トレンドは、間違いなく 「有機」 への期待を高めている。

しかしマーケットは動いたが営業メリットは発生せず、

JASマークへの不信感が残る一方で、マーク以上の信頼のツールを編み出せていない。

 

僕は有機JAS制度ができた時から、「JASマークを乗り越えよう」 と

呪文のように唱え続けてきた。

認証やそのマークは自身の営農結果の 「証明書」 である。

それが時代の求めるものであるならば、数々の問題点はあっても、

避けずに正面から突破したいと思ったんだよね。

しかし規格に適合したという 「証明」 をもって、それ以上の価値を、

たとえば自身の食や農業に対する思いを語るものには、けっしてならない。

それ以上の価値は、自らの力で築いていかなければならない。

 

有機JAS制度と表示は、発展への過渡期的必然だったのだ。

結果として外国産有機農産物が氾濫したとするなら、それは制度ではなく、

我々の未熟さの問題である。

 

バカにならないコストと手間をかけて認証に取り組んだ者だからこそ

進むことのできる  " 次のステップ "  がある。

「有機農業」 が目指した社会に向けての、次の一歩に。

 

大地を守る会の最近の動きを紹介しつつ、感じている世の中の変化を伝え、

僕らなりの挑戦の方向を述べさせていただく。

" マーケットの拡大 "  というと商業用語になっちゃうけど、

それは経済の流れとも、人々の意識ともつながって動的なものだし、

なにより生産はそれを強く求めていると思うので、ここでは憚らず使わせていただく。

量だけでなく質の深化も目指して、何を語り、どのようなくさびを打ち込めるか。

証明から価値観を動かす力へ-

 

肝心なことを言い忘れたけど、かごしま有機生産組合は、

実は 「有機的社会」 づくりに向けて、すでに舵を切っているのである。

都市の団体や流通に依存するだけでなく、地域に広がるためのお店を増やし、

直営農場を持ち、農業技術センターを設立させて、

有機農業技術の確立と新規就農者の育成に取り組んでいる。

JASの認証にも取り組んだからこそ、制度に対してモノ申す権利も、

大胆にいえば否定する説明力も持ったことになるワケで、

次の展開への踏み台は、もう足元にあるわけです。

どこよりも活力あるかごしま、を建設してほしい。

 

フォーラムでは、

NPO法人 有機農業技術会議の事務局長・藤田正雄さんの講演もあった。

以前、新規就農者のためのハンドブック-『有機農業をはじめよう!』

の編集で一緒に仕事をさせていただいた方。

藤田さんの講演タイトルは、「土の生き物からみた土づくり」。

多様な生物を活かしながら土をつくる技術。

有機農業の持っている、もっとも根源的な力だ。 化学肥料では土は生産できない。

 

分散会では有機認証のための記帳の煩わしさやコストが語られ、

理想論とは別に、現場でのしんどさは続く。

組合員数が150人にも達すると、組織をまとめるにも相当な苦労があることだろうが、

これからの方向を考えるキーワードのひとつが 「地域」 だとするなら、

自分たちはすでに一つの条件をクリアしつつあることに、どうか自信を持って欲しい。

 

今日の夕方には幕張に戻らなければならない都合があり、

ここでもとんぼ返りになった。

たまにしか来ることができない地方出張なら、

遠方ほどじっくりと見て回って相互理解を深めたいものだが、

現実がなかなか許してくれない。 歯がゆいものだ。 

 

大暑の日のうだる移動に、希望も萎えそうになる。

 



2010年7月16日

20回めの北海道生産者会議

 

北海道に行ってきました。

ジャガイモの花が咲いていました。

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品種はメークイン。 江別市・金井正さんの畑にて。

 

7月15~16日、第20回となった北海道地区生産者ブロック会議を開催。

場所は、千歳空港から札幌に向かう途中の北広島市。 

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今回の幹事は、北海道有機農業協同組合。

2001年、全国で初めて有機農業の専門農協として組織された。

挨拶するのは代表理事・小路健男さん。 

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大地を守る会に出荷するようになったのは2年前から。

若い時から大地を守る会を意識してやってきた、と嬉しいことを言ってくれる。

 


今回の講演は、四日市大学教授で北海道大学名誉教授でもある松永勝彦さん。

テーマは、「森が消えれば海も死ぬ」。

同じタイトルの著書がある。 

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森(山) と海のつながりは、今ではあたり前に語られる話だが、

その関係を科学的に証明する先鞭をつけたのが松永さんである。

20年におよぶフィールドワークによって、

海の磯焼け現象(海の砂漠化) の原因が山にあることを突きとめた。

 

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鍵になるのは鉄である。

鉄は生物に不可欠な元素であるが、自然界では鉄サビの状態で存在していて、

そのままでは光合成生物は取り込めない。

しかし森林の腐植土にはフルボ酸という物質が存在し、

フルボ酸と鉄が結合する(フルボ酸鉄になる) ことによって生物に取り込まれる。

森からフルボ酸鉄やリン、窒素が送られてくることによって、

沿岸海域の生態系は豊かに維持されていたのだ。

 

" 森は海の恋人 "  で有名な宮城・気仙沼の畠山重篤さんのバックボーンともなった

松永さんだが、時に公共事業などを痛烈に批判するためか、

あるいは学者の縄張り体質と対立したためか、

いろいろと圧力もあったらしく、学界は居心地のいいものではなかったようだ。

今は三重で、人工漁礁による海の再生に取り組んでいる。

 

話はもっぱら海から森、森から海だったが、

その視点から語られる 「腐植」 の大切さは、

農業者にとっても意味あるものになったのではないだろうか。

 

二日目は現地視察。

江別の金井正さんのほ場を訪ねる。 

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ジャガイモの花も、そろそろ終盤戦。

春の低温・日照不足からだいぶ復活はしてきたようだが、

このところは乾燥気味で、生産者からはおしなべて 「水が欲しい」 という声が聞かれていた。

 

金井さんも70を越え、今年は怪我もあって心配したのだが、

なんのなんの、矍鑠(かくしゃく) としている。

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金井さんといえば、誰もが認める道具を大切にする人である。

45年前のトラクターを、今でも修理しながら使っている。

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開拓時代の道具も保存し、すべてがきれいに整理整頓されている。 

長い間の習慣で、身と精神の芯まで染みついたものとしか言いようがない。

これがただの性格だったら、毎日神経すり減らしてつらいことだろう。

 

畑の管理にもその生き方が表われている。

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ちょっと草があるだけで気になる人に違いない、そんな畑である。

 

これからの天気がちょうどよく推移することを願って、

看板の前で記念の一枚を撮る。 

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続いて、北広島の佐々木透さん。

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北海道有機農業協同組合の理事もされている方。

こちらは多品種の野菜栽培で、少々手が回らない気味。

 

佐々木さんは学生の頃から農業を志したそうで、

北海道・十勝から沖縄・西表島、さらには長野の川上村、群馬の嬬恋村で

修行を積んでいる。

アメリカの農場でも2年、海外青年協力隊員の経験もある、猛者である。

 

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人参畑は草の中にあり、キャベツ畑にはモンシロチョウが元気に飛び回っていても、

佐々木さんはいっさい農薬は使わない。

修行時代に、農薬を撒いては夜に吐いていた、という経験が

この人の農業スタイルの底辺にあるようだ。

 

草との格闘は人海戦術である。 

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炎天下の中で草をとるパートさんたち。

彼女たちこそ、北海道での有機農業を支える柱のような存在である。

うつむいて黙々と進む姿に、僕らの頭も上がらない。

 

暑いけど爽やかな風も吹いている。

秋の後半からの根菜類は、この夏の北海道にかかっているワケで、

祈る気持ちで、あとにする。

 



2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実