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2014年5月11日

堰(水路) さらい

 

5月1日に邑南町から帰ってきて、一日置いて 3日。

今度は車で東北道を北上。 要所要所で渋滞に遭い、

観光客を横目で睨みながら、郡山から磐越道に入って会津若松で降り、

喜多方・大和川酒造で 「種蒔人」 を積んで、山都まで。

休憩時間も含めてほぼ 7時間。 

 

この8年、GW後半は堰さらいボランティアと決めている。

余計なことは考えないようにして・・・

そんな感じで今年もやってきましたよ、

この里に。

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一見変わらない風景なんだけど、

やはりこちらの棚田も、年を追って不耕作田が増えている。

美しい風景は元からそこにあったわけでなく、

人の手によってつくられてきたのだと説いたのは民俗学者・柳田國男だが、

日本はいま、まったくその真逆の道を歩んでいる。

失われたものはおそらく、もう取り戻せない。

 


いつもなら満開の桜が出迎えてくれるのだが、

今年はもう散っていた。

でも草花たちはあちこちで競い合っていて、

充分に目を楽しませてくれる。

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到着したボランティアたちは順次 「いいでの湯」 に浸かって、

みんなで準備して、前夜祭へと突入する。

今年も50人以上のボランティアが集まった。

 

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しかし地元農家は今年も減ったとのこと。

かつて50戸あった農家が、今年は11戸になった。

堰が維持できない戸数まで減ってしまうと、

その時点ですべての田んぼがいっぺんに消失する。

集落そのものの存続が、

浅見さんはじめ新規就農者の肩にかかってきているということである。

 

それにしても、ここに来るボランティアは酒飲みが多い。

「種蒔人」 もしっかり貢献している。

会員の皆様が飲み続けてくれたお陰で、

1本につき 100円ずつ積み立ててきた 「種蒔人基金」 から、

今年も 2ダース(2日分) の 「種蒔人」 をカンパさせていただいた。

ささやかな、人をつなぐ潤滑油として。

またこういう人たちがいてくれることで、

原料の水と米も守れるわけで。

 

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こごみ、ウド、タラの芽・・・ 山菜の天ぷらが実に美味しい。

山に入って、適度に摘んで、適度に手を入れる。

けっして自然のまま(放ったらかし) にしない。

そうすることで生物の多様性はかえって高まり (これを 「中規模撹乱説」 という)、

いつまでも数々の資源と恵みをもたらしてくれる。

これが里山の原理である。

 

自著 『ぼくが百姓になった理由(わけ)』 のPRをする浅見彰宏さん。

一昨年に山都に入植して仲間に加わった

長谷川浩さん(元福島県農業研究センター研究員) の

著書 『食べものとエネルギーの自産自消』(ともにコモンズ刊)

とも合わせて。

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さて翌 4日。

本木上堰延べ 6kmの堰さらいの開始。

いつものように上流から降りてくる早稲谷班と、

下流から上っていく本木班に分かれる。 出会うまで終われない。

 

僕は今年は本木班に編成される。

事前にスコップ組とフォーク組みが指定されたのだが、

僕も含めた数名は 「両方」 と書いてある。

土砂も枝木も落葉もとにかく全部対処しろ、ってことね。

キャリアとともに楽になっていくのではない。

任務は重くなっていくのである。 これ、世の習いなんだそうだ。

肉体労働もか・・・ ま、いいけど。

 

本木班、朝 7時半集合。 

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作業開始ポイントまで軽トラで護送され、 

あとはひたすら、浚うべし、浚うべし・・・

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冬の間に落ちた倒木も、枯枝枯葉も、土砂も浚い、

水を通してゆく。

全長 6kmの高度差は 65mとのことだが、

ほとんど水平に近い傾斜が続く。

尾根に沿ってゆっくりと、温みながら水が下っていけるように

掘られている。 

 

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江戸時代中期、1736年に着工し11年かけて完成した。 

以来 278年、修復を重ねながら麓の田を潤してきた。

この堰より上に人家はない。

上流は飯豊山のブナ原生林である。

降った雨や雪が森の力によって浄化され、ミネラルも一緒に運んで

美味しい米をもたらしてくれる。

この価値を、経済の尺度で計れるものなら計ってみてほしい。

外部経済ぶんも含めるなら、

その数字は誰も支払えない額になるはずである。

潰してはならない、汚してはならない。

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疲れたので続く。

 



2014年4月29日

福島の魚を食べる

 

今夜は広島に来ています。

広島駅新幹線口近くのホテルにチェックインして、

近所にあった地酒と地魚の居酒屋でテキトーな気分になって、

部屋に戻ってパソコンに向かっています。

明日は、中国山地の真ん中で食をテーマに地域起こしを進める

島根県邑南町に向かいます。

 

さて、4月26日(土) の会合ハシゴの締め。

御徒町の寿司処 「しゅん」 で行なわれた 「福島の魚を食べる会」。

この「食べる会」は 2回目で、1回目は所用があって出られなかった。

なんとしても 今度は出なきゃね、ということで

案内をもらってすぐに申し込んでいた。

昨今、土日は平日より忙しい。

 

ゲストで来られたのは、

いわき市漁業協同組合久之浜支所 「熊野丸」 の漁師、

新妻竹彦さん。 

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震災とフクイチ事故から 3年の時間と今の思いを、

淡々と語ってくれた。

今もまだ漁は限定的なもので、週2回の試験操業、

なおかつ魚種もミズダコやコウナゴなど、放射性物質のモニタリング検査で

安全性レベルが確認されたものに限定されている。

東電の賠償は続いているが、

漁師の生きがいが補償されることはない。

このままでは漁師は減り続けることだろう。

 

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農業以上に高齢化が進む日本の沿岸漁業にあって、

福島・浜通りの漁業は優等生だった。

ただ獲って売ればいいというようなやり方ではなく、

資源管理に基づいた 「いい魚をちゃんとした値段で売る」

経営感覚が育っていた。

だから仲買や小売店からも支持され、まっとうな値段で取引された。

それは福島ブランドのひとつだったと言ってもいい。

我々のような団体との産直も必要としないくらいに、

浜通りの魚は高級割烹とかに回っていたのである。

 

それが2011年3月11日を境に崩壊した。

ブランド力と誇りは、お金では補償できない。

しかも彼らを支えたいと心を砕くのは、原発推進派ではない。

ゲンパツは、いざとなったら 「地域を使い捨てる(切り捨てる)」

発想に基づいている。

 

新鮮で美味しい魚をいただきながら話し合っても、

特効薬が見つかるわけではない。

しかし語り合うことこそが大切な一歩であり、

消費者とつながっている実感こそ、いま彼らが願っているものである。

彼らは被害者でありながら、

加害者になってはならないという思いで慎重に操業を続け、

情報を公開しながら出口を探しているのだ。

 

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届いたキチジをベースにした刺し盛をいただく。

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美味い。

いま福島沖は、究極の資源管理状態にあって、

どんどん魚が増えているらしい。

しかし指定魚種以外は、網にかかっても捨てざるを得ない。

漁師のため息は深く、まだ長いトンネルの中を進んでいる。

 

新妻さんは別に我々との取引を求めているわけではない。

ただ消費者の気持ちを知りたいとの思いでこの企画に乗ってくれた。

僕らはもっともっと、ちゃんと話し合い理解し合うことが必要だ。

理論も戦略も、現場を救えなければ意味がない。

でなかったら消費者も未来も守れないのだから。

 



2014年4月28日

谷川さん、詩をひとつ・・・

 

  万有引力とは

  引き合う孤独の力である

 

  宇宙はひずんでいる

  それ故みんなはもとめ合う ・・・

    -谷川俊太郎 「二十億光年の孤独」 の一節-

 

1950年、19歳の若さで鮮烈の詩壇デビューを果たし、

80歳を過ぎてなお  " 言葉の力 "  を探し続ける詩人、谷川俊太郎。

幸か不幸か、不登校の青年のまま

「詩人の道」 に進んでしまったがゆえに、

谷川さんは社会で働いたことがない (詩人・作家としての仕事は別として)。

そんな谷川さんが、働く人々の姿を見つめ、詩を編む。

あるいは震災後の福島でふるさとを記録し続ける高校生たちに、

詩のエールを送る。

その両者の姿をカメラで追いかけながら、一本の映画にまとめる。

2年近くかけて完成した映画のタイトルは、

『谷川さん詩をひとつ作ってください』

そのまんまですねえ。

いいんだか悪いんだかよく分からないので、コメントは避けておこう。

で、中身は、、、どんな作品に仕上がったか。

 

4月26日(土) 午後 3時、

日比谷から京橋まで移動。

分かりにくいビルの地下に 「京橋テアトル」 という試写室がある。

ここか? と覗いていたら、

中のエレベーター前から川里賢太郎さんが声をかけてくれた。

「いよいよ銀幕デビューですね。 おめでとうございます」

「どんなふうに編集されたんですかねぇ。 けっこうドキドキしますよ」

とか話しながら地下に降りる。

 

定員 40人ばかりの小さな試写室だった。

(株)モンタージュの小松原時夫さん、監督の杉本信昭さんに挨拶し、

賢太郎君と並んで座る。

いつもTシャツだという谷川さんの姿もあった。

 


封切り前に、ストーリーを紹介するのはやめておきたい。

登場するのはこんな人たちだ。

震災後のふるさとの光景を記録し続ける

福島県相馬高校放送部の女子高校生たちと顧問の先生。

大阪・釜ヶ崎で日雇いの暮らしを続ける元文学青年のおっちゃん。

青森・津軽のイタコさん。

長崎・諫早湾で漁を続ける夫婦。

そして東京都小平で代々農業を営んできた川里家の後継ぎ、賢太郎くん。

 

飾りのない日々の暮らしや営みの中にも歴史があり、

人とのつながりがあり、固有の思いや隠された苦悩がある。

最後に、そんな 「私」 のために用意された谷川さんの詩を、

それぞれが朗読する。

哀しみを慰め、人を優しくつなげ、あるいは気を昂ぶらせる

詩の力と意味が浮かび上がってくる。

とても良い作品に仕上がったと思った。

 

試写が終わって、監督が礼を述べる。

谷川さんも高い評価だ。

「どっかの賞に出品してもいいんじゃない」 と褒める。

感想を求められた賢太郎くん。

「いや、改めて、俺ってイイ男だと思いました」

いいね。

 

早くみんなに観てもらいたいところなのだが、

劇場公開は 9月から、とのこと。

どうも監督がイタコ婆さんから父の霊を呼び出してもらった際に、

秋から運気が巡ってくる(それまで我慢しろ) と言われたんだそうだ。

ならしょうがないか- と納得する優しい我々。

 

試写会終了後、賢太郎くんとのツーショットをお願いしたところ、

谷川さんは気さくに応じてくれた。

「ブログにアップしてもいいですか?」

「ああ、いいですよ。 どうぞどうぞ」

谷川俊太郎は、いい人だった。

センシティブなところは、おそらく我々の想像を超えているのだろうが。

 

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詩集とサインペンも持ってくるんだったと、

欲張るミーハーな自分を発見して、ちょっと恥ずかしくなったりして。

 

僕が詩人・谷川俊太郎の名前を知ったのは、10代のいつだったか。

それは詩集ではなくて、フォーク歌手・高石ともやが歌った一曲だった。

武満徹が曲をつけた 「死んだ男の残したものは」。

以来、冒頭で引用したデビュー作だけでなく、

たくさんの詩に出会ったはずなのだが、

この詩だけは、今でも全部そらんじることができる。

 

  死んだ男の残したものは

  ひとりの妻とひとりの子ども

  他には何も残さなかった

  墓石ひとつ残さなかった

  ・・・・・・・・・・

  死んだ兵士の残したものは

  こわれた銃とゆがんだ地球

  他には何も残せなかった

  平和ひとつ残せなかった

  ・・・・・・・・・・

 

賢太郎くんが親父さんから受け継いだ手を抜かない仕事ぶりと、

土へのこだわり、家族との時間。

その姿に詩人・谷川俊太郎が見たものは、

つながっていく家族の愛、のようだった。

もう一度ちゃんと聞いて覚えたいのだが、

監督の運気が訪れる秋までおあずけ。

 

帰りがけ、小松原さんが

「一杯いかがですか、谷川さんも囲んで」

と誘ってくれた。

なんと言うことか・・・

美味しい飲み会が、今日は三つも-。

 

丁重にお断りしながら、

後ろ髪を引かれる思いで、今度は京橋から御徒町へ。

「しゅん」 というお寿司屋さんで 「福島のさかなを食べる会」。

福島・いわきの漁師さんがやってくるのだ。

行かねばならない。

続きは明日。

 



2014年4月22日

原点を思い出させてくれた丹那交流会

 

4月19日(土)、箱根の南に位置する静岡県田方郡函南町。

大地を守る会の低温殺菌牛乳(通称 「大地牛乳」) のふるさと

丹那盆地のこの日は、

とても風が強くて、時折小雨も降る肌寒い一日だった。 

満開で出迎えてくれた菜の花も、少々寒そうに震えている。

 

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伊豆・丹那盆地は 130年に及ぶ酪農の歴史を誇る里である。

360度山に囲まれ、町とか村とかではなく、里と呼ぶほうが似合っている。

ここで 函南東部農協 主催による 「丹那・生産者交流会」 が催された。

会場は、18年前に建設された 「酪農王国 オラッチェ」。

 

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この交流会の歴史も古い。

国内では当時ほとんどなかった低温殺菌牛乳(65℃・30分殺菌、最初は62℃だった)

を開発したのが82年 8月のことだから、もうかれこれ 32年になる。

今でも超高温殺菌(130℃-2秒) が主流という悲しい乳文化のこの国で、

それは画期的な取り組みだった。

 

相当な覚悟で導入してくれた低温殺菌の製造ラインを維持すべく、

まだ組織の小さかった大地を守る会は、

他の流通組織や静岡県下の消費者団体にも働きかけて、

共同でこのホンモノの牛乳を育てようと呼びかけた。

そこで結成されたのが 「丹那の低温殺菌牛乳を育てる団体連絡会」(略称 「丹低団」) だ。

当然のごとく生産者との交流も活発になる。

 

僕が入社したのもちょうどその頃で、

生まれたばかりの大地牛乳の生産と消費を安定させるべく、

にわか仕込みの知識で宣伝しては、

消費者の方々を事あるごとにお連れしたものだった。

東名高速道路から小田原厚木道路-箱根ターンパイクと自ら運転して。

丹那交流会は低温殺菌牛乳の歴史そのものと言ってもいい。

と偉そうに言いながら、僕がこの交流会に参加するのは

15年ぶりくらいなんだけど。

 


今回首都圏から集まってくれた会員さんは 80名ほど。

ちょっと寒い開会式となったが、

リピーターの方は 「去年もこんなだったし、慣れてます」 と笑ってくれる。

ま、バーベキューが始まれば体もあったまるか、ってなもんで。

 

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挨拶しているのは農協の組合長で、

オラッチェの代表も務められている片野敏和さん。

その後ろ(写真左)に控えているのが、

低温殺菌部会長の酪農家・川口さん。

 

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低温殺菌部会の酪農家は、現在10名。

そのなかで最も若手である大塚さん夫妻が紹介される。

 

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大塚さんは酪農家の次男として育ち、元教師だったのだが、

お父さんが体をこわしたのを機に酪農を継ぐことを決心した。

「やっぱり俺らの代で牛飼いを終わらせるわけにいかないと思って・・・」。

継いでから結婚もできて、子どもも生まれて、

子どものためにも良質な牛乳を生産し続けたいと思って、頑張ってます。 

 

有害な菌を死滅させて栄養価を残す、

そのための殺菌法としてパスツールがあみ出したのが 「パスチャライゼーション」

と言われる低温殺菌法(62~65℃・30分もしくは75℃15秒) である。

当然、超高温殺菌に比べると生産効率が落ちる。

しかも牛乳を低温で処理するということは、

もともとの原乳がきれい(衛生的) でなければならない。

雑菌数の少ない乳を生産するには、

牛舎の衛生管理から牛の健康管理まで細かく気を配る。

広大な牧野で育てる欧米では当たり前の殺菌法だが、

狭い面積で採算の合う乳量生産を余儀なくされている日本の酪農では、

なかなかに厳しい。

低温殺菌牛乳を維持させるためには、

少々高くても支援したいという消費者の存在が必須となる。

ホンモノの牛乳を理解してくれる消費者がいてくれる

と信じることで、生産者も頑張れる。

若い生産者が、誇りを持って牛を育てられる社会にしたいものだ。

 

酪農王国にはいろんな動物がいる。

小さい頃から生き物と触れ合うのは大切なことだ。 

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バターやアイスクリームの手づくりも体験できる。

ここのアイスクリームはメチャメチャ評判がいい。

それは原乳の質と新鮮さによる。

 

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大地を守る会が丹那牛乳(函南東部農協)さんに低温殺菌牛乳の開発を

持ちかけたのにはワケがある。

管内の牧場と工場の距離が極めて短いこと(新鮮なうちに処理できる)、

東京に近いこと(新鮮なうちに運べる)、

もともとの乳質がいいこと(牛を健康に育てている)。

 

1980年代に入り、原乳が余ってきたことも背景にあって、

大手乳業メーカーが無菌パックに詰めた LL(ロングライフ) ミルクを開発し、

それを常温で流通できるように法改正しようと厚労省に働きかけた。

それに対して中小メーカーや酪農団体が激しく反対し、

全国の消費者団体も呼応してLLミルクの反対運動がまき起こった。

大地を守る会も運動に賛同したのだが、

牛乳について学ぶなかで、低温殺菌という本来の牛乳を

生産者と一緒に開発しようという方針に至った。

そこで白羽の矢を立てたのが丹那牛乳だった。

 

生産者にとっては相当にリスクの高い、迷惑な話であったようだ。

それでも応じてくれたのは、酪農家としてのプライドがうずいたからだと思う。

どこよりも先んじてホンモノの牛乳を実現して見せようか、という

意気に火がついたというか。

 

LL牛乳反対から低温殺菌牛乳の開発へ。

反対に留まらず、あるべき提案をぶつける。

この運動論は、

以後の大地を守る会の生き方を決定づけたと言ってもいい。

 

バーベキューのお肉は岩手県山形村の日本短角牛。

やっぱ短角は美味い。

加えてオラッチェ自慢の 「風の谷のビール」。

どれも提案型運動の産物である。

交流もだんだんと打ち解けていく。

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空模様も怪しいので、急きょ農協の会議室に場所を移して

車座での懇親会となる。 

 

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生産者の思い、牛を育てる日々の苦労など聞いているうちに、

「そもそも何で低温殺菌をやろうと思ったんですか?」

の質問が飛び出した。

石川さんから 「そこは大地さんから・・・」 と目配せが。

喜んで、久しぶりでの低温殺菌牛乳開発秘話を披露させていただいた次第。

 

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駆け足で牛乳工場を見学して、

オラッチェ向かいにある、片野組合長の牛舎を見学。

昨今は伝染病の心配もあって、

道路からの説明となる。

 

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牛にストレスをかけないように配慮された、

仕切り壁なしのフリーバーン牛舎。

牛たちも僕らに興味を持って、じっとこちらを眺める。

もっと近づいて来てほしかったのかも。

飼い主の心が想像される。 

 

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久しぶりの丹那交流会で、自分の原点を蘇らせた一日。

今日は書けなかったけど、 僕は去年から、

オラッチェ内にあるジャム&ケーキ工房 「フルーツバスケット」 の

取締役を任免されている。

放射能対策やらローソンさん営業やら生産部長やら、

この間兼務が続いたので肩書きだけの状態だったのだけど、

  いよいよ本気でこの地に関わろうと思っているところである。

「地域」 とい うテーマとともに。

 



2014年3月16日

99 %の革命を -さんぶ野菜ネットワーク総会から

 

14日(金)は、千葉・成田の某ホテルで行なわれた

「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会に出席した。

 

行けば、あの日と同じ会場である。 3 年前の 3 月 11日。

会議の途中から大揺れに揺れ始め、外に避難させられ、

ロビーの TV 大画面からは

家屋やハウスを呑み込んでいく津波の映像が映し出され、

携帯はつながらず、外国人客はインターネット・コーナーに殺到し、

日本人は公衆電話に長蛇の列を作り、さんぶ野菜ネットの総会も流れた。。。

自然と 「思い出すねぇ」 の会話になる。


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何も変わってないかのように、総会は進行する。

でもみんなの心の中には、それぞれに微妙な 3 年の変遷がある。

それを受け止めて生きているかが、僕らに問われている。



事業報告や決算報告、活動計画に事業予算など

予定の議事が淡々と処理され、

新しく加入した組合員と研修生が紹介された。

これから有機農業を目指す若者たち。 

のセレモニーの意味は、けっして小さくない。


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僕らは取引先のオブザーバーなので拍手するのみだが、

毎年々々取引先を招いて総会を開く生産団体は他にない。

立派なもんだと思う。


今年は例年以上に平穏に終了し、記念講演に移る。

講師は東京大学大学院農学部教授、鈴木宣弘さん。

元農林水産省国際部で農産物貿易交渉などにあたった経歴がある。

反 TPP (環太平洋連携協定) の論客である。

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講演タイトルは、

「日本の食と地域の未来を拓く -強い農業への道-」。


鈴木さんはのっけっから、

今のこの国は 「今だけ、金だけ、自分だけ」 しか見ていない人たちによって

将来を危うくされている、と喝破した。 

このままでは日本は崩壊する、と。


  TPP 交渉はなかなか合意形成に至らず、

  まとまらないのでは、という楽観論も出てきたが、予断は許さない。 

  また農産物交渉で日本が譲らないから合意できないのだ、という

  日本農業悪玉論も間違っている。

  問題は米国からの一方的な要求に各国が警戒し、応じない姿勢を強めていることだ。

  ベトナムやマレーシアやオーストラリアが何に反発しているのか、

  日本はちゃんと分析する必要がある。


  日本はすでに、軽自動車の税金引き上げや医薬品の価格引き上げ、

  がん保険の取り扱い(全国の郵便局で米国保険会社のがん保険を売り始めたこと)、

  BSE の輸入条件緩和、ISDS(投資家対国家紛争処理) 条項などで譲歩を続け、

  国会決議で約束した国益保護を放棄してきている。

  「聖域は守る」 「食の安全基準は守る」 と国民の前では標榜しつつ、

  その実、アメリカの要求に屈している、というより

  進んで 「追加払い」 しているのが現状である。

  この先も、GM(遺伝子組み換え) 食品の拡大や食品添加物基準の緩和、

  「表示制度」 への変更圧力が懸念される。

  世界に冠たる国民皆保険制度も危うい。


  ノーベル経済学賞を受賞したスティッグリッツ教授は言っている。

  「TPP は、1 %の人口で米国の富の 40 %を握る巨大企業の

    " 1 %の、1 %による、1 %のための "  協定である。」

  失うものが最大で得るものが最少という史上最悪の選択肢、それが TPP だ。

  食糧自給率は 20 %前後まで落ち込み(農水省試算)、

  医療は崩壊し、雇用も減り、しかし得られる利益は

  アジア中心のどの FTA (自由貿易協定) よりも小さい(内閣府試算)。


  「1.5 %の一次産業の GDP (国内総生産) を守るために 98.5 %を犠牲にするのか」

  と言い放った民主党の大物政治家がいた。

  しかし、「たとえ 1.5 %だとしても、それが 100 %の消費者を支えている」。

  これは日本人による反論ではない。

  アメリカの NPO 「パブリックシティズン」、ローリー・ワラック氏の言葉である。

  しかも一次産業は食料だけではない、国土や領土を守るものでもある。

  尖閣諸島にも昔は日本人が住んでいて、漁業という産業が存在していたことを

  忘れてはならない。


  自分たちの食は、自分たちで守らなければならない。

  食に安さだけを追求することは、命を削り、次世代に負担を強いることだ。

  1 個 80 円の卵を買って、

  「 これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられる。

   そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」

  といとも簡単に答えたのは、スイスの小学生の女の子だった。

  スイスでここまで国民意識が育つには、生産と消費が連携した

  長く地道な努力があったからである。

  日本でも  " やればできる "  ことではないだろうか。


  アジア主導の、柔軟で互恵的な経済連携が、世界の均衡ある発展につながる。

  今こそ冷静な判断をしたい。

  「1 %のための経済学、1 %のためのマスコミ」 ではなく、

  「99 %のための経済学、99 %のためのマスコミ」 に転換させよう。

  「99 %の革命」 を起こす時である!


いや、なかなかに熱い講演だった。

99 %の革命。 鍵を握るのは、世界を変えるのは女性の力だろう、

と鈴木教授は結んだのだった。


夜は懇親会。

鈴木さんと同じテーブルの席を指定されていたので、

いろいろと突っ込んでみたいと思ったのだが、

残念ながら鈴木さんは、次の予定があるとかで帰られた。

またの機会とするか。


懇親会の途中で、組合員の表彰式。

今年、最高の出荷伸び率を果たした人。

特定の作物で一番出荷量の多かった人、などが表彰された。


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「いや、伸び率といっても分母が小さいんで・・・」 とはにかむ生産者。

どうも、年によって表彰する項目が違うようである。

みんなで励まし合い、伸ばし合っているのだろう。

拍手。


最後に、締めの挨拶を求められた。

何を喋ったんだったか、、、

鈴木講演の、明日からの我々にとってのポイントは何か、

を僕なりに整理したつもりだったのだが、ヤバい、正確に思い出せない。

帰り際に一人の生産者から、

「そういうことなんですよね。 一番良く分かりました」

と言ってくれたことで良しとしたい。




2014年3月13日

農地除染から地域の再生へ-語り続ける伊藤俊彦

 

3月11日夕方、オーストラリアからやってきた

IFOAM (International Federation of Organic Agriculture Movements、

アイフォーム:国際有機農業運動連盟) 理事長、アンドレ・ロイ氏ご一行と

須賀川駅で合流。

夜は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんが気を利かして手配してくれた

豆腐の懐石料理を楽しんでもらう。 

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過去何度か来日経験のあるロイ氏。

和食は大好きだそうで、昨日は納豆も食べたそうである。 

四国出身のワタクシが慣れるのに十数年かかったあの醗酵食品を!

 

昨年12月、「和食」 がユネスコの無形文化遺産に登録された

風土と人の技で磨き上げてきた絶妙なバランスと美、

しつらえとおもてなしの心が失われつつあると言われる中で、

世界の人々が注目し絶賛しているというのも皮肉な話である。

「日本人の心のやさしさは日本食にあるのではないか」

と語ったのはかのアインシュタインだが、

その精神世界を置き忘れ、日本人はどこに向かって突っ走っているのか。

・・・と偉そうにのたまわってみるが、

自分自身底が知れていることも充分承知している。

 

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食材をひとつひとつ確かめながら、

very good! を連発してくれるミスター・ロイ。

ああ、もっとちゃんと日本の伝統を解説できるようになりたい、

とつくづく思う。

お隣は、通訳も兼ねて同行された IFOAMジャパン 理事長の村山勝茂さん。

もちろん話は食に留まらず、有機農業の世界へと広がってゆく。

同行されたのは他に、オーガニック認証機関である

(株)アファス認証センターの渡邊義明さん、渡邊悠さん。

自然農法の団体 「秀明自然農法ネットワーク」 の手戸伸一理事長と、

福島県石川町の小豆畑(あずはた)守さん。

小豆畑さんは 「種採り百姓人」 を自称する自然農法実践者である。

ジェイラップの次の視察先になっている。

 

さて翌12日、一行は朝からジェイラップの事務所を訪問する。

伊藤さんたちが必死の思いで取り組んできた放射能対策についての

聞き取りと質疑が始まる。

このやり取りがまた、簡単に終わらないのである。 


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農地とくに水田での放射性物質の動きをひとつひとつ検証し、

データを蓄積させてきたこと。

そのデータを基に、さらにはチェルノブイリから学び、

研究者を尋ねては吸収しまくって、

米の安全性を確保するために取ってきた数々の対策。。。

伊藤さんが順を追って説明していくのだが、

節々でロイ氏からの質問が飛び出す。

村山さんが通訳し、伊藤さんが説明し、時々僕も割って入らせてもらったりしながら、

少しずつ少しずつ議論が深まっていく。


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専門用語も繰り出されたりするので、

村山さんも時々辞書を開いたりして、大変だ。 


伊藤さんとしてはもっともっと説明を掘り下げていきたかったことと思われる。

ロイ氏もまだまだ聞きたいことがある、といった面持ちなのだが、

何しろ午前中しか時間がない。

ひと通りのところで説明を切り上げ、施設を案内する。


米の全袋検査に使った測定器を見る。

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これは福島県の持ち物で、

ジェイラップは県からの委託で全袋検査に携わった。

ベルトコンベア式で 30㎏の米袋(玄米) が通過し、

国の基準値である 100Bqを超える可能性があると判断されたものは、

ゲルマニウム半導体検出器での精密な測定に回される。

厚生労働省が定めるスクリーニング法では、

基準値 100 未満であることを担保するためには、

その半分の 50Bq を正確に測定できる精度が必要とされている。

つまりこの機械で仮に 50 をわずかに超えるレベルで検出された場合は、

わずかではあれ 100 を超える可能性が残る、と判断するわけである。

そこで県の検査では 「25Bq 未満」 を測定基準として実施された。


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この検査器が県内 173カ所に計 202台配備され、

検査された昨年産米が 1081万 8127袋(× 30㎏≒32万4544トン)

うち 99.934 %の米が 25 Bq未満、

国の基準である 100Bqを超えたのは 28袋のみ、という結果である。

かかった費用は昨年で約 70億円 (一昨年は90億) とか。

これもまったくゲンパツ事故によって国民に課せられた負債である

自然再生エネルギーでは電気代が上がる、

なんて言ってる場合ではないと思うのだが。


続いてジェイラップの検査室を覗く。

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大地を守る会とカタログハウスさんが貸し出した

同じ型の測定器が仲良く並んでいる。

彼らはこの 2台を駆使して測定し続けた。

そして今でもデータ取りに余念がない。

「もう大丈夫」 の先まで続けないと、カンペキとは言えないのだ。


倉庫や加工場の屋根に設置された太陽光パネル。

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脱原発を宣言した県の一員として、

未来を創造する始まりの土地として、やれることはすべてやる。

そんな意思が、パネル一枚一枚に託されている。


農地再生のために導入した大型トラクター。

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これで反転耕(プラウ耕) をやって、

表面の凹凸を横回転ロータリーで踏圧、均平にして、

さらにロータリー耕で表層を固めて、レーザーレベラーで繰り返し均(なら) す。

これを地域全体で徹底させるために、

彼らは農閑期を返上して作業委託を請け負っている。

農地だけでない、これはコミュニティ再生の事業でもあるのだ。


最後に記念写真を。


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時間切れとなって、分かれる前にロイが言うのだ。

「今年の秋の世界大会で、ぜひ発表してほしい。」

日本での放射能対策を、特に福島の農民が報告することは、

とても意義のあることだと。

聞けば開催は10月、場所はトルコ・イスタンブールだと言う。

忙しい収穫時期にトルコまで、しかも渡航費の支援等はないと言う。

いくらなんでも福島の農民にトルコまで自費で行けとは、さすがに言えない。


もっと君たちと話がしたい。

大地を守る会についてももっと知りたいし、

今後の展開について意見交換したい。

そう言いながら、ロイ氏は次の視察先へと向かわれたのだった。

握手して、カッコよく 「イスタンブールで会おう」 とは言えず。




2014年2月21日

ジェイラップ3年間の思いをぶつける、新春講座

 

昨日は朝日新聞の雑誌 『アエラ』 から、

今日は朝日新聞千葉総局から、取材を受けた。

当会が実施してきた放射能対策について、また現在の状況や

今後の展望などについてお聞きしたいと。

久しぶりの放射能系での取材、しかも続けざまにやってきた。

さらには今日の取材の直後、福島大学の先生から、

朝日の記者を紹介したいのだが、とのメールが飛び込んできた。 

どうやら別な記者さんも同様の取材をして回っているようだ。 

戸惑いつつ、 「さっき1時間半、お話ししたところですが」 とメールを返した次第。


おそらくは、「3.11から 3年~」 の特集でも組まれるのだろうかと察する。

メディアのパターンとして、だいたい  " あの日(その日) "  近くなると 

「あれから〇〇年、忘れまじ」 といった特集が組まれたりする。

それ自体を悪く言うつもりは毛頭ないけれど、

直前になって集まって来られると、やっぱちょっとね。

もっと普段に歩かないと掘り下げられないんじゃないの、とは言ってみたくなる。

「記念日扱い」 で済ますと、アリバイづくりにも見えてくるし。

(『アエラ』 の記者さんはかなり粘り強く福島を歩いている方ではあった。)


当事者にとってそれは、切り離されたおとといの話ではない。

今も日々続くたたかいの核にところに、

" 私の3.11 " (あるいは原発事故と放射能汚染) は脈打っている。

たとえば、この人たちの取り組みをずっとフォーカスし続けてみれば、

希望はどこにあるのかが垣間見えてくるはずだ。


 - と、ジャーナリズムへの苦言を前置きにして、

   アップできてなかったレポートの続きにつなげたい。


1 月 25日(土)、米プロジェクト21主催 『新春講座』 の報告を、遅まきながら。

テーマは、「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」。

講師は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。

場所は、大地を守る会六本木会議室。

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僕らがずっと大事にしてきたアイテム、「大地を守る会の備蓄米」。

作ってくれている生産者団体である 「稲田稲作研究会」 と、

彼らの米づくりを全面的に支え、集荷から貯蔵-精米-販売まで一手に引き受ける

(株)ジェイラップが一体となって進めてきた除染対策は、

この 3 年間ではたしてどこまで到達したか。


昨年(2013年) 産の備蓄米は、我々の通常の測定で

検出限界値(3Bq) 未満まで下がってきているのだが、

ジェイラップではさらに精密な長時間測定を検査機関に依頼し、

炊いたご飯にして 0.2 Bq未満というレベルまで確認している。

これは被ばくの基準とされる年間 1mSv の 10 万分の 1 に相当する。

さすがにここまでくれば、「西の方が安全」 とは言わせないぞ、

という思いが伊藤さんにはある。


福島、いや日本の農産物では、今はもう

食べて内部被ばくを心配するレベルではないだろう、と伊藤さんは考えている。

ただし、継続して測ることが重要である。

また、どういった知識や理解をもって(出荷等の) 判断をしているのか

を見ておくこと(=見える相手であること) が大切である、

も付け加えた。

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さらに、ちゃんと繊維質を摂ることが大事だと、食べ方を語ることも忘れない。

チェルノブィリ後のウクライナでも、黒いパン(全粒粉のパン) を食べよ、

という食事指導がされた。

玄麦のほうが濃度が高くても、排出力と免疫力強化において勝る、

という判断からである。

消化しないものの中にデトックス効果がある。

心配し過ぎて食事のバランスが乱れることのほうが危ない、は正しい。

伊藤さんは、こういった対策の基礎知識を、

小児科医の 菅谷昭さん(現松本市長) や、チェルノブイリ救援・中部の河田昌東さんなど

多くの識者にぶつかりながら吸収してきた。


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さらに伊藤さんやジェイラップ、稲作研究会の人たちのすごいところは、

得た知見や仮説をすぐに実験や実践に結びつけていったことだろう。

とにかく家族を守るために、やれるだけのことをやる。 あとで後悔しないためにも。

一生懸命やって無駄なことはない、と信じて仲間とやってきた。

・・・伊藤節が炸裂し始める。


ジェイラップは、2011年秋の収穫が終わってから、

田んぼの反転耕(天地返し) に取り組み始めた。

有効土層(表土) 15センチと下層土 15センチをひっくり返す作業である。

周りからは、そんなことをしたらコメが作れなくなるとか機械が入らなくなる

といった批判もあったようだが、伊藤さんたちはひるまなかった。

それまでの様々な実験や調査によって、科学的根拠を獲得していたのだ。


水田土壌は畑と違い、耕起作業で放射性セシウムが平均的に分散されない。

セシウムは比重の軽い粒子に付着しやすく、代かきをした際には、

表層の懸濁水のほうが高い濃度になる。

何度やったとしても、水に浮く軽い土壌粒子とともに上に移動する。

そのセシウムはやがて沈降し表土に堆積する。

したがって田んぼでは、表層10センチに9割のセシウムが集積することになる。

この事実を、彼らは自分たちの実験で立証していたのである。


天地返しすることによって、確実に線量は下がる。

そのあと、ゆるくなった田んぼは踏み固めればよい。

その確信のもと、

2011年秋から冬にかけて、まずは仲間の水田 30ha で実施した。

線量の低下を証明し、さらに翌年にちゃんと美味い米が獲れたことで、

地元の農家たちを唸らせた。

2012年秋は 120ha までに拡大した。

そして、「伊藤たちの言っているほうがまともじゃないか」 「ジェイラップにやってほしい」

という住民の声の高まりとともに、行政も認めざるを得なくなった。

2013年の秋には、行政が窓口になり、反転耕の申し込みを受け付け、

ジェイラップに作業を委託するという形にまで発展した。

今では、須賀川市や福島県の除染マニュアルに反映されるまでに至っている。


彼らをここまで動かせたのは、自分たちの農地は自分たちの手で守る、

という矜持のようなものだ。

「 よそから来たゼネコン任せでは、こんなことはやれないですよ。

 彼らは証明されてないことはできませんから。

 でも私たちが示したのは、表土を剥いで仮置き場を作って、なんていう対策は

 不要だということです。」


反転耕によって、空間線量が 40% 減少した。

これは、米の安全性を守るだけでなく、住民の健康を守る(=吸入による被ばくを防ぐ)

ことにもつながっている。

「 空間線量が高くなるのは、春一番が吹く頃と風の通り道。

 通学する子どもたちの被ばくを防ぐためにも、やってよかったと思いますね。」

そういえば、伊藤さんは前に語っていた。

「 いつか孫やその孫に、よくやったと褒めてもらえるだけのことを、やっておきたい。

 なんであの時やらなかったんだ、なんて言われたら、

 オレは死んでも死にきれない。」

彼にはおそらく、先祖から子孫につながる鎖が見えているのだろう。

 " 今はたすべき責任 "  とは、命のつながりを守ることなのだ。


反転耕は地下水の汚染を招く、と批判する学者がおられた。

それに対しても、伊藤さんの反論は説得力がある。

土壌粒子に付着した放射性セシウムは、1年に 1センチずつ、

壊変(崩壊、30年に半減-60年に4分の1~) しながら沈降していく。

300年で100分の1 になった時点で、3メートル沈んだ計算である。

そんな浅い井戸は、そうない。

むしろ 1000分の1 の濃度に下がるまで、がっちりと土の力で封じ込める。

この方法が最も確実でコストもかからないやり方ではないか。

これはまた、土を守り続ける農業をちゃんと持続させることが大切だ、

ということでもある。


行政の後押しを得て、伊藤さんは、あと2年で

 1,100ha の反転耕を達成させる計画である。

点々とやるのでなく、「片っぱしから、面的な展開」 で進めると。

そうすることで上流からの移染もなくなる。

放射性物質を運ぶのは、風と水である。

対策は地域全体で、面的に取り組むことで有効度が飛躍的に高まる。


反転耕を進めるために、ジェイラップでは欧米の大型トラクターを購入した。

タイヤの直径が 1m80cm もあるデカいやつだ。

チェルノブイリ後の除染にも使われたタイプで、キャビンのドアを閉めると

空気圧が高まって外からの埃が入ってこないように作られている。

オペレーターの健康にも配慮した仕様である。

日本には残念ながらそういうものがない。

1台 1200万円、これを 6台 購入した。

誰もが無謀な投資だと指摘した、あるいは笑った。

しかし、伊藤さんの計算はこうである。

日本のトラクターは軽量化が進んでいるため、

だいたい 2,500時間でエンジンの交換が必要になる。

だけどこいつは、25,000時間持つ。

また北海道の畜産農家だと、このクラスの機械を使う。

北海道の牧場に人気のある機種にして、

3年後に半額で売却する買い手を見つけておけば、何とかなる。。。

そして実際に、そうしたのである。

この話には、会場からも感嘆の声と拍手が沸いた。


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問題は、やる覚悟があるか、である。

界で初めて、水田が放射性物質に汚染されるという事態に遭った。

しかしその対策では、世界に貢献できるものをつくったという自負はある。

(活かされる、という事態はあってはならないけれども-)

・・・こう言えるだけの研究者が、日本にいるだろうか。


ジェイラップは、この一連の取り組みが高く評価され、

昨年、全国農業コンクールで名誉賞に輝いた。

福島に伊藤俊彦という人物がいたことは、日本にとって幸いであった。

僕は腹の底から、そう思っている。


「こんなに元気になった私を見てほしい、そう思ってやってきました。」

「私が大地を守る会が好きなのは、ただのモノの関係だけでなく、

 しっかりした学び合いがあって、つながっていることです。」

そして最後に、こんなふうに結ばれた。


いま巷では、TPP やら減反政策見直しやらで騒がしいが、

農家もさすがに赤字になってまで米を作り続ける人はいない。

しかしその後は、モノが足りなくなって値上がりしていくことになる。

一次産業をダメにして、最後にしっぺ返しを食うのは消費者ということになる。

食べ物は、ある日突然なくなる。 だんだんに、ということではない。

しかし 「備蓄米」 は、買っていただける分は必ず作り続けます。

作る責任と買う責任が一体になったら、モノづくりはなくならない。

約束を守り合う 1 対 1 の関係があれば、そのつながりは生き残る。

仕組みより、生き方のように思う。

つながってよかったと思える、そう信じ合える関係の中で脈々と生き続ければ、

それはきっと次の時代のマニュアルになる。

そういうところに身を置き続けたいと思う。

「備蓄米」(の申し込み数)は事故によって減ってしまったけれど、

稲田のイノベーションは進んでいます。

もっとイイ産地に、ゼッタイにしてみせます。

これからのたたかいっぷりを、どうか見ていてほしい。


いまジェイラップの倉庫の屋根には、太陽光パネルが貼られている。

さらにもっと多様な自然エネルギーの活用を、伊藤さんは模索している。


この国の未来をどう築き直すのか。

この問いに対して、諦める、という言葉はあり得ない。

明日に希望を渡すためにも、「備蓄米」 は人をつなぎ続けたい。

今年の秋には、去年台風でできなかったぶんも含めて、

盛大に収穫を祝い合いたいと思う。




2014年2月18日

大雪被害-緊急支援のお願い!

 

1月下旬からあれもこれもと動きまくり、

土日も出ずっぱりで、まったく書けない日々が続いた。

かくして、未完成のまま残っている日記が 7 本。

書くパワーが落ちた要因がもう一つあって、

2月3日、神奈川・黒崎有機栽培研究会の石渡剛さんが亡くなられた。

1月15日の神奈川新年会で楽しく飲んだばかり。

まだ 46 歳という、いよいよ脂が乗ってきた後継者である。

あまりに突然のことで、ご家族の驚きと悲しみはいかばかりか。。。

言葉も浮かばず、ただ絶句するのみ。

それでもお父さんの稔さんからは、

恒例の 「春の三浦・大根収穫祭」(3月22日) は予定通りやろう、

と言ってくれている。

この場を借りて、謹んでご冥福を祈りたい。

 

・・・・・と、その間にも記録的な豪雪が 2 度も襲ってきて、

とんでもない事態が起きている。

山梨など数か所で、交通が遮断されて配送が不能になってしまった。

お届けできなかった会員の方々には本当に申し訳ありません。

一方生産地では、福島から長野まで、

軒並み・・・ パイプハウス倒壊の連絡である。

集められた情報一覧は、こんな文字で埋め尽くされている。

 ・積雪 1m。 葉物ハウス、育苗ハウス、ともに潰れた。 ヤマト便来ず、出荷できない。(群馬)

 ・積雪 1m。 育苗ハウス潰れた。5月出荷の苗を搬出中。(群馬)

 ・積雪 1m。 ホームセンターの雪かきスコップも売り切れ、板の棒をつけて売ってた。(長野)

 ・積雪 1m。 家の周りの雪かきで精一杯。 桃のハウスが潰れた。 

   ブドウのハウスも2棟やられた。  樹は大丈夫だと思うが、畑まで行けない。(山梨)

 ・積雪 70 cm。 トンネル潰れて雪に埋まっている。 今後の成育? 分からない。(埼玉)

 ・積雪1m。 工場は大丈夫だが、物流が動かない。(長野)

 ・春から出荷予定の人参・かぶ・大根のトンネルがすべて潰れた。 

  畑に入れず、来週まで出荷見込み立たず。(埼玉)

 ・ホウレン草を出していたメンバー全員のハウスが倒壊、出荷断念。 

  自衛隊の作業者が集結してきている。(長野)

 ・昨年張り替えたばかりのハウス倒壊。 歳だし、もう直せない。(長野)

 ・全棟倒壊、今年の出荷はなくなる。(埼玉、卵)

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

読むだけで、ドキドキしてくる。


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写真は、群馬県倉渕村(現高崎市) に就農した元社員・鈴木康弘さんから

スタッフに送られてきたもの。

夜8時に雪下ろしをして、夜中にもう一度行こうとしたが、積雪でハウスに辿り着けず。

停電にもなり、ハウスに謝りながら家に戻った、と書いている。

倉渕だけでもかなりのハウスが潰れていて、

目を疑うような光景が広がっているという。


3.11 は別として、僕が大地を守る会に入社して以来 31年になるが、

おそらく最大規模の損害になるだろう。

保険だけでは再起できない人も出てくるかもしれない。

「もうダメだ。 農業は終わりにしようと思う」 との声も、

福島から聞こえてきている。。。


いま社内では、義援金募集の準備に入っています。

社員を募って復旧作業ボランティア隊を結成しようという声も上がってきています。

週末(22~23日) に開催する

大地を守る会のオーガニックフェスタ(東京集会)」 でも、

緊急カンパ箱を設置する予定です。

たくさんの方々のご支援をお願いしたいところです。




2014年1月29日

IPM と環境保全型農業を学ぶ新年会

 

明日から出ずっぱりで、今週はもう書けそうにないので、

何とか一つだけでもアップしておきたい。

 

1月23日(木)、群馬・伊香保温泉にて、

群馬県の生産者 40 名が集まって新年会を開催。

幹事を務めたのは、北群馬郡吉岡町のトマト農家・栗田文明さん。

6年前の 「第13回全国環境保全型農業推進コンクール」 で

農林水産大臣賞を受賞された精農の人。


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懇親会の前に、例によって勉強会を開く。

講師をお願いしたのは、保全生物的防除研究事務所代表、根本久さん。

埼玉県農林総合研究センターの副所長を務めて、昨年退官された。

農薬に頼らない、土着天敵を活用した IPM(総合的害虫管理) 技術を

日本に広めた権威の一人である。

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根本さんは、日本における環境保全型農業の取り組みの遅れを

厳しく指摘された。

欧米では、農業(という産業) 自体に環境破壊的要素があるがゆえに、

そのリスクを最小限に喰いとめ、保全型農業を発展させようという

明確な意思がはたらいている。

海外の研究者とも親交のある根本さんには、

日本の指導者はまるで 「井の中の蛙」 に見えるようだ。

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EU では、第三者機関を設けて、専門家たちによるリスク分析と議論に

時間をかけてきた歴史がある。

その上で、予防原則も機能させながら、

保全型農業を進める農家にはインセンティブを与える制度が発展してきた。

それに対して日本は、いわゆる " 業界 "  寄りの立場で常に動いている。

1999 年に環境保全型農業の推進を掲げてからも、

根本的姿勢は変わってないように思える。


例えば、かつて農薬多投型の農業を行なっていたオランダは、

IPM の技術を積極的に取り入れ、農薬の使用量を減らし、

なおかつ農産物輸出大国に成長させてきている。

かたや日本は、単位面積当たりの農薬使用量では韓国とトップを争いながら、

農業を衰退させつつある。

長らく技術指導の現場にいた根本さんにとっては、

忸怩たる思いが深くあるのだろう。

農政に対する批判も、以前より厳しくなっているような気がしたのだった。


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根本さんは、生産現場における病害虫リスクの問題に対し、

化学合成農薬に頼らない技術の方向性を示しながら、

分かりやすく説明された。

作物や虫の名が具体的に出てくるので、質問も現場の悩みが率直に出され、

やりとりも実情に沿いながら進められた。


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新年会と謳って集まり、共通の悩みを語り合い、学び、

互いを刺激し合う。

これはこれで意味のある仕掛けだと思っているのだが、

欲を言えば普段の技術交流をもっと活発に進めたいところではある。


参加者の挨拶の中から、今回はお二人を。

「くらぶち草の会」 のメンバーで、元大地職員の鈴木康弘くん。

まだまだ学ばなきゃいけないことが多く・・・

とか言いながらも、なかなか逞しい有機農業者になってきているようで、

こちらも嬉しくなる。 

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甘楽町有機農業研究会を率いてきた吉田恭一さん。 

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昨年、歴史ある公益社団法人「大日本農会」(総裁:桂宮宜仁親王) から

優れた農業功績者に贈られる 「緑白綬有功章」(りょくはくじゅゆうこうしょう) 

が授与された。

養蚕農家から有機栽培経営に転換し、甘楽町有機農業研究会を設立。

有機認証の取得など経営の安定化に努め、地域農業の発展に

けん引役として貢献した、との評価である。

照れながら報告する吉田さんに、会場から拍手が沸いた。

こういった受賞に冷ややかな方もおられるが、

地域のために働いてきた長年の苦労が認められた証しであり、

周りにとっても励みになることではある。 讃えたいと思う。


夜は遅くまで飲み、語り合って、

「今年も頑張りましょう」 と握手して、別れる。

遅い新年の約束だけど、互いに気持ちを新たにする

誓いの儀式のようなものか。

それも日々の日常の中で忘れていくのが常であるがゆえに、

この時期にこそ僕らは、産地を回る義務を課しているのかもしれない、

と思ったりする。


帰りに、栗田文明さんのハウスを見学させていただく。

冒頭で紹介したように、こちらは 「全国環境保全型農業コンクール」 での

「農林水産大臣賞」 の受賞者だ。

ちなみに、まったく同じ年(2008年) に、

千葉の 「さんぶ野菜ネットワーク」 も農林水産大臣賞を受賞している。 

すごい人たちと付き合ってるんだなと、改めて身が引き締まる。


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石の多い利根川河川敷で、就農して40年。

ひたすら土づくりに邁進し、トマト一筋に生きてきた。

化学肥料は使わず、10種類以上の有機質肥料と微生物資材を施す。

マルハナバチを放すこともあって農薬も極力使わない。

もちろん土壌消毒もしない。

病気にかかった葉は一枚一枚ガスバーナーで焼いて、菌の繁殖を食い止める

こういった労を厭わないだけでなく、

それは丹念な観察が土台にあってできることである。

畑がきれいに見えるのも、頷ける。

暖房用燃料の使用を抑えるために、ハウス設計にも様々な工夫を凝らしている。

水も控えるため、やや小ぶりだが、糖度の高いトマトが育つ。

 

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少ない栽培面積で、土地条件も悪い中で、どうやってトマト栽培で生きていくか。

道を探して探して、辿りついたのが環境保全を土台にした農業であった。

ハウスの中で家族が一緒になって働き、

ベビーカーでは赤ちゃんが穏やかな表情で僕らを見つめていた。

トマトの木の下でのんびりと寝そべっていた猫が、

突然の闖入者に驚きもせず、人懐っこく我々の足元をウロウロしてくれる。

見学中、常連さんらしいご婦人がトマトを買いに立ち寄られた。

文明さんの奥様の美鳥(みどり) さんが、予め取ってあった袋を差し出す。

けっこうな量のトマトが入っている。 

トマトの好きな人が通ってくるハウス、なのだ。


そんなわけで、ご家族全員での一枚をお願いする。

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左から、美鳥さん、友香さん、愛季(あき)ちゃん、和巳さん、そして文明さん。


栗田さんのトマトは、これからさらに味が乗ってくるはず。

美味しいトマトを今年も期待して、ハウスを後にする。


農薬に頼らず、生物多様性を活かしながら

環境との調和を図る持続型農業によって、健康な作物が育ち、人も健康になる。

そんな農が当たり前になる時代を早く築きたいものだと

思いを新たにしつつ、僕は群馬から霞ヶ関へと向かったのだった。




2014年1月27日

浅見さん、お疲れ様。 風は吹いたよ。


1月22日(水)、山形県白鷹町・加藤秀一さんの告別式から帰って、

翌23日(木) は群馬・伊香保温泉にて群馬県内の生産者たちとの新年会に出席。

一泊して24日(金)、吉岡町・栗田文明さんのトマトハウスを見学して、

午後は霞ヶ関の参議院会館まで出向き、「有機農業の明日を語る会」 に参加。

25日(土) は、専門委員会「米プロジェクト21」 主催の新春講座

「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」 を六本木にて開催。

26日(日) は、「ネオニコチノイド系農薬を使わない病害虫防除を探るフォーラム」

の第 2 回ワークショップにパネラーとして参加した。


例によって終了後に懇親会が持たれ、気になってしょうがなかった

福島・喜多方市長選の選挙結果を確かめることができたのは、

昨夜遅くのことだった。

以前にも報告したけど、この市長選に

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんが出馬していたのだ。


結果は以下の通り。

   山口信也氏(現職) 14,842票

   浅見彰宏氏(新人)  6,886票

ダブルスコアの敗退だったが、多くの人が喝采している。

「大切な市長選挙を、無投票で終わらせてはいけない」

と出馬を決意したのが 2 カ月前。

突貫の準備と 2 週間の選挙運動で、知名度もないに等しい

千葉出身の新規就農者に対して、7 千人近い市民が彼に投票したのだ。

" 市民が主役のまちづくり " " 新しい循環型の地域づくり "  を謳い、

「希望の種まき式」 と銘打った出陣式には、

歌手の加藤登紀子さんが旅の途中に事務所に立ち寄るといった演出も

取り入れるなど、なかなかの戦術家ぶりも発揮した。

" 風は吹いた "  と言っていいんじゃない、浅見さん。

未来への種は、たしかに運ばれた。

芽を育て花を咲かせられるかは、明日からの仕事にかかっている。

今日のところは、「お疲れさんでやんした。」

2月 8日の 「大和川酒造交流会」 では、蔵人に帰った君を称えよう。


浅見彰宏の果敢なるたたかいぶりについては、

彼の公式サイトで楽しんでいただけると嬉しいです。

 ⇒ http://asamiakihiro.com/


とまあそんなワケで、次から次へとレポートも進めないとダメなんだけど、

今週も、千葉、茨城での新年会、

そして土日は福島での国際会議、とイベントが続いている。

溜まった宿題は、来週から順次報告ということで、

ここはヒラにご容赦願います。

今日はとり急ぎ、浅見さんへのエールまで。




2014年1月22日

加藤秀一さんに捧ぐ

 

前回、少々思いつめ気味の感懐を綴ってしまったのは、

この人の訃報が影響したのかもしれない。

山形県白鷹町、「しらたかノラの会」 元代表の加藤秀一さんが亡くなった。

悲しい知らせを受け取ったのは18日。

今日、仕事も放ったらかして、告別式に向かった。

 

山形新幹線の赤湯駅から山形鉄道に乗り継いで1時間。

終点の荒砥駅で、ノラの会の山本昌継さんが愛娘・みのりちゃんを抱いて、

軽トラで待っていてくれた。

似合わない礼服と黒のネクタイを見て、泣きそうになった。

 

途中、吹雪と青空が目まぐるしく変わる山形路だった。

内陸に進むに連れ雪が深くなっていった。

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加藤秀一さんとの出会いは1986年だった。

アメリカから理不尽な米の輸入圧力が始まって、

全国的に反対運動が高まる中で、いくつかの団体から、

ただハチマキ締めて反対運動をやるだけでなく、

米の産直・提携運動によって日本の水田と農を守ろう、という声が上がった。

そこで結成されたのが、

「日本の水田を守ろう!提携米アクションネットワーク」 だ。

 


当時はまだ米の食糧管理制度が健在で、

減反政策が強制的に実施されていた時代。

提携米ネットワークは、

「減反政策は農民の主体性を奪い、日本の農業を衰退させるものだ」

と主張し、運動を展開した。

 

これは国家の政策と対峙するだけではなかった。

減反政策が、目標数量を達成しないと地域に補助金が下りない、といった具合に

地域共同体のしがらみを利用しながら進めてきたがゆえに、

反対するということは必然的に地域内での対立を生むことにもなった。

いや、対立ではない。

反対することは、集落内で孤立することを意味していた。

 

それでも加藤秀一さんは、

提携米ネットワーク設立の呼びかけ人にも堂々と名を連ねて、

反対の立場を表明した。

高校時代は生徒会長を引き受け、当時は青年団長を務めるなど

信頼の篤かった彼も、その一事で

地元から村八分的な仕打ちを受けることになった。

消防団長も辞めさせられ、

87年冬、秀一さんは初めて川崎の飯場に出稼ぎに出ている。

 

早くから有機農業の意味を理解し、率先した人でもあった。

10アールという小面積ではあれ、

米の無農薬栽培を実現して見せたのは1971年のこと。

大地を守る会が誕生する4年前、日本有機農業研究会が発足した年だ。

 

81年には、冬の仕事作りのために農産加工を手がけ始める。

出稼ぎから帰り、88年、秀一さんは新しい農産加工所を建設する。

しかし減反反対運動の先頭に立ったことが災いしたのだろうか。

取引が始まるはずだった生協から味噌餅の販売が断られ、

秀一さんはいきなり窮地に立たされたのだった。

自分たちの米で、自信を持って作った餅が大量に滞留した。

 

秀一さんとの関係が深まったのは、そこからである。

あの時、僕はその餅の販売を思い切って引き受けたのだ。

今だから語れる、トレース (原材料・製造工程の確認) あと回しの判断だった。

内容への信頼はもちろんあってのことだけれど、

それでも内心ビクビクと、クビを覚悟しながらの決行だった。

基準は運動と信頼と仁義だと、開き直った。

なんとも決意主義的な、懐かしい思い出である。

でもその味噌餅は、今でも定番商品として立派に続いている。

(25年前の話。 今では仕組み上不可能。 そのルールも自分でつくった。)

 

1994年、平成の米パニックと呼ばれた冷害・米不足の翌年。

提携米ネットワークは多くの団体に呼びかけて、

「減反政策差し止め訴訟」 に打って出る。

米を作らせない政策は、法によって保障された国民の 「生存権」 を奪う

日本国憲法違反の政策である、と。

 

毎回の裁判で、原告団は人を繰り出して主張を展開した。

加藤さんは、「減反政策を受け入れているのは農家の自主的判断である」

(国からの強制ではない) という被告・農水省の主張に対して、

自らの体験をもとに、そのカラクリをあばいた。

僕は、減反政策が農業の持っている環境保全機能(公共財産) を

喪失させていっていることを主張した。

興奮して途中から震えが止まらなくなったことを、今でも覚えている。

 

僕らはあの頃たしかに連帯していたし、

裁判の勝敗とは別に高揚していた。

(結果は棄却。 訴える筋合いのものではないという門前払いだった。)

でも加藤さんにとっては、相当な心労が続いたことだったのだろう。

自らつくった白鷹農産加工研究会と別れ、2006年、

秀一さんは若い仲間とともに、新たに 「しらたかノラの会」 を結成する。

その頃から体調を崩された。

 

血気盛んな若い頃からの仲間が駆けつけ、

告別式の後も集って、思い出を語り合った。

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高畠町の星寛治さんや、おきたま興農舎の小林亮さん、

長井市・レインボープランで名を馳せた菅野芳秀さん、

一緒に提携米運動を担った庄内協同ファームの面々・・・

 

最後に、ノラの会現代表の大内文雄さんが挨拶を述べた。

「秀一さんは、種を蒔き続けてくれた人でした」

ホント、その通りだと思う。

 

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秀一さんは、はにかんだような笑いがとても可愛い人だった。

純粋な人なんだなあ、と思ったものだ。

でも腹の中は、農の民として生きる誇りと、怒りと、意地で満ちていた。

名刺の肩書きに 「百姓」 と刷った最初の人だ。

 

悲しみ沈んでいる場合ではない。

それは秀一さんの望む姿勢ではない。

彼の遺志と矜持をちょっとでも懐に入れて生きていくことで、

彼もまた生き続ける。

そうやって命(いのち) はつながっていくのだ。

大内さんたちがつくる味噌餅の中にだって。。。

 

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昨年末の三里塚の萩原進さんに続いて、

  魂を語る農民がまた一人、いなくなった。

  偉そうに書いてるけど、けっこうこたえている。

  でも、加藤秀一と一緒にたたかえたことは、僕にとって誇りである。

  背中はどんどん重くなるけど、

  背負って生きないと、、、死ぬのが怖い。

 



2014年1月11日

顔の見える関係

 

スーパーの鮮魚コーナーを覗けば、

「バナメイエビ」 なるエビが何気に登場している。

まるで昨日まで 「新潟産コシヒカリ」 に化けていた米が、

ある日からフツーに 「●● 県産コシヒカリ」 として店頭に置かれるみたいに。

 

冷凍食品コーナーに回れば、20品目におよぶ製品の写真つきで、

「回収しています」 という POP が貼られている。

それはあくまでもこの店で売られていた商品ということで、

マルハニチロの回収製品は全部で 94 品目 640 万袋に及んでいる。

しかも回収作業は思うように進んでいないようだ。


そうこうしているうちに被害の訴えは日々日々増えていって、

ついに 1000件を突破した。 その範囲は 35都道府県に広がっている。

これらの数字はおとといの数字なので (1/8夕方時点での厚労省集約)、

原因が特定されない間は、まだまだ増えることだろう。

その間、収去したのか持ち込まれたのかはよく分からないけど、

100検体近くのサンプルが検査されていて、すべて見事に

マラチオン(商品名マラソン) は検出されていないと言う。

一方、検出された製品の最高濃度は 2万 6千 ppm!

こうなると、ほぼ限定的な事件のようではある。


優れた品質管理をやっていたはずの大手企業の内部で何が起こったのか。

事実だけでなく背景を検証しないと、

世間から忘れられることはあっても、本当の解決にはつながらないだろう。

当たり前に横行していた表示偽装、不気味な農薬混入事件・・・

食に関する不祥事や事件は今に始まったことではないけれど、

病いは深刻な症状を呈してきていると感じてしまうのは、僕だけだろうか。


おそらく生産・製造現場だけの問題ではないと思う。 

生産プロセスが見えない中で、他人任せの消費が要求するレベルとの断絶が

大切なものを失わせてしまっているような気がする。

食(=健康) を守る生産と消費の輪の大切さを唱えながら、

一方で否応なく競争社会を生きざるをえない我々としても、

ここはようよう考えなければならない。

 

そんな思いを抱きながら、生産者との新年会シリーズに突入している。

トップバッターはいつも 「東京有機クラブ」。



8日の夕方、三鷹のそば屋さんの一室を借りて、

小金井の阪本吉五郎一家、小平の川里弘一家、府中の藤村和正一家が集う。

みんな30年来のお付き合い。

派に後継者が育ち、都市農業をしっかりと守ってきた。

若手たちはこれからの話、

お父さんたちは昔の苦労話に花が咲く。

「こんな世間知らずの若者らによく付き合ってきたもんだ」

とからかわれながらも、俺の目に狂いはなかったとも言われれば、嬉しくもあり。

今年も元気で頑張っていきましょう、と酒を酌み交わす。


以前に紹介 した、川里賢太郎さんの映画撮影はほぼ終えたようで、

いま編集に入っている。

ケンタローの働く姿に、谷川俊太郎の詩が重なる。

3月完成の予定。 ケンタロー銀幕デビュー!  いや、待ち遠しい。


続いては昨日(10日)、

埼玉県本庄市のホテルにて 「埼玉大地」 の総会と新年会。

瀬山明グループ(本庄市)、黒沢グループ、比留間農園(ともに深谷市)、

吉沢グループ(川越市)、飯島グループ(上里町)、福井一洋さん(日高市)、

三枝晃男さん(志木市)、といった面々が集まる。

それぞれ独立した個人農家だが、会費を出し合って

緩やかに結束するかたちで 「埼玉大地」 は運営されている。

現在の会長は瀬山明さん。

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 (写真は、総会の席でローソンとの事業提携について報告する山口英樹取締役)


毎年、新年に総会を開いて、一年の活動を振り返り、今年の計画を立てる。

また講師を招いて勉強会を行なう。

今回のテーマは、なんとフルボ酸資材の活用。

昨年11月の女性生産者会議で、畠山重篤さんが力を込めて語った、あのフルボ酸だ。

その報告 の中で、僕はこう書いた。

   畠山さんは今、ミネラルの運び屋・フルボ酸の

   新たな力を証明しようとしている。

   それは、フルボ酸のキレート(結合)力は、

   放射性物質対策としても高い効果を発揮するであろう、

   というものだ。


まさにその研究を行なっていた会社の人を呼んで、

フルボ酸の活用を学ぼうというプログラムが用意されたのである。

まだまだ研究開発途上にあり、高価な資材なのだが、

もっと広がれば価格も安くできるようになる。

様々な可能性を秘めた未開拓資源のパワーを、

飲むとけっこう野卑な連中が、ああだこうだと楽しげに論評しながら拓こうとしている。

彼らにとっては  " 面白い資材があるので、ちょっと検証してみよう "  という

興味本位の探究心なのだが、

こちらは畠山さんの話を聞いているだけに、内心嬉しくてしょうがなかった。

僕らの生産者ネットワークは、やっぱ強力だ。


" 顔の見える関係 "  とは、

有機農業の世界で古くから語られてきた基本テーゼのひとつだが、

生産プロセスが見え、その努力の過程が伝わり、

食べることで再生産 (持続可能性) を支える関係は、

けっして古い時代のスローガンではない。

食の市場がグローバルになればなるほど、

" 食べる "  という命がけの行為の土台思想として、

しっかり堅持し続けたいと思うのである。


新年会と称して、僕らはただ飲んでるワケではない、のであります。


ちなみに、畠山さんが語っていた放射性物質に対する研究成果も出ていると、

講師の方から聞き出した。

しかし国はこのデータをまったく認めてくれないのだと言う。

あとで送ってもらう約束をしたのだが、

「一緒に農水とたたかいましょう」 と真顔で迫られた。

喧嘩するならやってもいいけど、僕としては現場に役立たせることを優先させたい。

現場から説得力を持った成果を築いていくことも、たたかいだからね。

いやちょっと、今年はのっけからワクワクしてきたぞ。




2013年12月28日

萩原進さん


前回日記の最後でも触れたけど、

今日、成田市の八冨斎場にて、

「三里塚産直の会」 代表・萩原進さんの告別式がしめやかに行なわれた。

会場に入りきれないほどの弔問客が訪れ、

進さんとの別れを惜しんだ。


亡くなられたのが21日の夜。

先週も電話で話したばっかりなのに・・・

と仕入担当の結城修も驚く突然の訃報だった。

仲間との楽しい忘年会の帰りに倒られたとのこと。

福島と沖縄と三里塚の連帯、を語っていたと言う。

心筋梗塞、享年 69歳。



我々にとっての萩原進さんは、生産グループ 「三里塚産直の会」 の代表。

言わば有機農業のリーダーの一人であるが、

社会的にはむしろ、成田空港建設反対運動 (三里塚闘争とも呼ばれる)

の闘士として、その名を轟かせている。

空港建設計画に対して、三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成されたのが 1966年。

建設用地内に農地を持つ農家の息子として、

進さんは迷うことなく運動に身を投じた。 当時 22歳。

青年行動隊長を務めた時期もあり、文字通り体を張ってたたかい続けた。

彼にとってこの運動は、

国家の横暴に対して農民の生きる権利を示すたたかいだった。

空港が完成して同盟が分裂した後も、進さんは妥協を許さず、

一貫して農地を死守し続けてきた。

まさに三里塚闘争の歴史に筋を通した志士として、その人生を貫徹された。


世間ではこの反対運動を  " 過激派の運動 "  と理解している人が多いが、

その世間で言うところの過激派、いわゆる新左翼党派(セクト) は、

ここではあくまでも支援者の立場であった。

反対同盟の初代委員長は戸村一作さんというキリスト者で、

すべての支援を等しく受け入れたこともあって、

党派間での争い(いわゆる内ゲバ) も三里塚では慎むという時代が長くあったのだが、

やがて争いが持ち込まれ、同盟分裂後は、

市民レベルでの支援者も多くが離れていった。


僕が進さんとやり合ったのは、2011年の夏のことだった。

放射能汚染に不安を抱いて東北の野菜を拒否する消費者が相次ぐなかで、

西日本の生産者の野菜セットを組んだことがきっかけだった。

「福島や関東の農家をつぶす気か」

「応援を訴えるのが、君らの務めじゃないのか」

進さんは烈火のごとく怒り、

大地を守る会への野菜の出荷を引き上げる、と宣言してきた。

「両者をつなぐ立場として、消費者の強い要望に対しては応える必要がある」

「このままでは共倒れになりかねない」

「福島県産も関東産も、測定した上でちゃんと販売は続ける。 支援も続ける」

 - そう説明しても、受け入れてくれなかった。


出荷やめたら消費者とのつながりを拒否するってことになる。

それは本末転倒の方針だ。

僕はそう主張したが、進さんは断固として

「俺の野菜は福島にカンパする。 お前らには渡さない」 と言い放った。


「原理主義者め!」 とか吐き捨てながら、でも僕はこういう人は嫌いじゃない。

実は好きだ、と言ってもいい。

冷戦はしばらく続いて、時期を見て再開となるのだが、

この一件の決着は、まだついてない。

そろそろ一升瓶持って顔を見せようかな・・・

と思いながら、後回しにしてしまった。

もう相手にしてもらえないなんて、

肩すかしを食らったような、ぽっかりと空洞ができたような、

後悔先に立たず。。。


娘婿の富雄さんによれば、

孫の成長を誰よりも喜び、相当な好々爺だったようだ。

優しく、繊細で、しかし鉄の意志をもった昭和の烈士。

ご冥福を祈るしかない。


法要が終わり、「反対同盟の歌」 の大合唱に送られて、

進さんは出棺された。 

   大地を打てば地底より  原初の響き鳴りわたる

   土に生まれ土に活き  骨を埋めるその土の

   誇りも高き農地死守  われらが業に栄えあれ!


その詩の通りに生きた人だった。

合掌




2013年12月16日

二本松から南相馬へ (+ご案内を一つ)

 

「農家民宿」 とは、農家の家(うち) に泊まらせて頂くことだ。

予め料金が設定されているので余計な気兼ねは不要だけれども、

ホテルとは違うので、やはり礼儀は欠かせない。

たとえ話題は尽きなくても、切り上げは常識の範囲にすべきだろう。

なにより奥様に迷惑をかけてしまう。

いい歳して相変わらずのサル以下人生。。。

 

それにしても星空の綺麗だったこと。

忘れていた本当の空が、広がっていた。

この空が見れるのは、地上での暮らし方による。

東京だって、ライトをすべて消せば、天気が良い日には

美しい星座が確認できるはずだ。 安達太良の空ほどではないにしても。

 

武藤様。 お世話になりました。

宵っ張りの客でスミマセンでした。

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さて、4日間にわたる福島漬けの最終日。 

バス2台で東京からやってきた「農と食のあたらしい未来を探る バスツアー」

一行(約90人) は、11月24日(日)8:30、「道の駅とうわ」 に再集合して、

米の全袋検査所を視察し、二本松市から南相馬市へと向かった。

 


「道の駅 南相馬」 の研修室で、

お二人から現地での取り組みを伺う。

 

NPO法人 JIN 代表の川村博さん。 浪江町出身。

介護老人保健施設の副施設長などを経て、実家で農業を営む。

震災後は避難者の生活不活発病の防止などに奔走しながら、

浪江町サポートセンターの設置を提案し、

現在その運営(福島県からの委託) に携わっている。

昨年4月には、仮設住宅に入居する障がい者とともに 「サラダ農園」 を開設。

約 2町歩(≒2ha) の畑とビニールハウス 4棟で、

無農薬・無肥料による野菜栽培に挑んでいる。

来年には農業専門の会社を立ち上げて、高齢者も雇用する予定である。

「戻りたい」 と願う人たちのために、

農業を基盤としたコミュニティづくりを進めたいと抱負を語る。

 

原町有機稲作研究会の杉内清繁さん。

福島県有機農業ネットワークの副代表も務める。

大震災と原発事故という二重被災を経験して、私たちは何を学んだか。

その学びをこれからどう活かしていくのか。

静かな語り口で、この2年半の取り組みを振り返ってくれた。

正確な情報や知識がいかに大事であるか。

油糧作物の栽培による農地除染の試みの報告。

そして農地を活かしたエネルギー生産 (小水力やバイオマス熱利用など)

も視野に入れながら、自然環境と共生する社会づくりに向かっている。

 

 

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「 Fukushima を英語で表せば Happy Island だ。

 私たちは負けない。

 Fukushima から Happy で Sustainable な社会をつくっていく。

 3.11で犠牲になった人たちのぶんまで、

 そして次世代の子どもたちに新しい社会を残す。

 それが私たちの役割だと考えています。」

 

有機農業者には、本当に意志が強く、モラルの高い人が多い。

様々な生命との 「共生」 が、その思想の土台にあるからだろうか。

彼らの粘り強い営みによって、新しい道が開かれていってる。

福島はいつか  " 最もモラルのある、哲人たちの国 " 

と呼ばれるようになるかも知れない。 我々は学ばなければならない。

 

最後の目的地は、南相馬市小高区。

有機農業のベテラン、根本洸一さんのほ場。

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原発から 11km という説明だったか。

種をまく、土を耕す、それが私の人生。

何があっても、ここで土とともに生きる。

 ・・・ この生き方を、誰も否定することはできない。

 

みんなで人参の収穫作業をやらせていただく。

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今年 6月の放射能連続講座 をきっかけに

ファイトケミカルに目覚めたエビちゃんは、

偉そうに 「葉っぱも持って帰りましょう」 などと

講釈したりするのだった。

 

帰りのバスで眺めた南相馬市南部、海岸線の様子。

 

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なんといううら哀しい光景だろうか。。。

 

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原発事故さえなければ、復興は間違いなくもっと早く、

確実に進んだであろう。

ゲンパツというとんでもない不良債権が奪ったものは、

たくさんの命、暮らし、経済、自然、風景、心・・・

とても計測できない、天文学的な価値の総体だ。

しかもこの負債処理が永遠に続くなんて、、、耐えられない。

 

それでも自らにムチを打ち、前を見る人たちがいるのである。 

官に頼らず、除染に挑み続け、今日も耕す人たち。

あれから 3 度目の冬だというのに、歓喜はまだ訪れてこない。

都会では忘れようとする空気すら感じさせる。

僕らは  " 寄り添う "  とかいう、どこか対弱者的な目線ではなく、

DNAの鎖のように離れずに連なっているという意思を、

しっかりと伝え続ける必要があるんじゃないか、Fukushima に対して。

 

しつこく書かせていただいた福島レポートを、

新年の講座の予告をもって締めさせていただきたい。

 

10月に台風のせいで開催できなかった

「大地を守る会の備蓄米・収穫祭」 のリベンジ企画を用意しました。

 

大地を守る会専門委員会「米プロジェクト」 新年学習会

『ジェイラップ 2013年の取り組みから学ぶ』

「大地を守る会の備蓄米」の生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)

を率いてきた(株)ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんをお招きして、

" さらに安全な "  米づくりと、地域環境の再生に邁進した2013年の取り組みを

お聞きするとともに、その成果と課題から

未来に向けての視座を学びたいと思います。

 ・ 放射性物質はどのレベルまで下げられたか(安全性の現状)。

 ・ 除染はどこまで可能か、なぜ必要なのか。

 ・ 安全な食と環境を未来に残すために、私たちにできることは何か。 等

会員に限定せず、広く参加を募ります (会場は狭いですが)。

 

◆日 時: 2014年1月25日(土) 午後2時~4時

◆場 所: 大地を守る会六本木分室 3階会議室

       (地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩7分)

◆ゲスト: ジェイラップ代表 伊藤俊彦さん他

◆定 員: 30名

◆参加費: 無料

※ 終了後、丸の内にある大地を守る会直営店

  「農園カフェ&バル Daichi&keats」 にて、伊藤さんを囲んで

  懇親会を予定しています。(自由参加。参加費3000円ほど)

◆ 申し込み方法:

   HPでもご案内する予定ですが、とりあえず戎谷まで

   メールにてお申込ください。折り返しご連絡差し上げます。

    ⇒ ebisudani_tetsuya@dachi.or.jp

                          ( アンダーバーが入ります。お間違いなく。)

 

たくさんのご参加をお待ちします。

 

本年最後の福島リポート。

最後まで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 



2013年12月11日

桑の葉とオーガニック・コットン

 

11月21日(金)、

福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、

羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、

二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、

里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを

学ばせていただく。

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旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。

2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。

その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、

気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。

有機農業を土台として、

農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、

特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、

新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。

やってくる若者たちも後を絶たない。

厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、

そんな里山を創り上げてきたのだ。

 

里山の再生にひと役買ったのは、

自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。

桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。

しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。

やけくそになっても仕方のない話だ。

そこで彼らを支えたものは何だったのか。

仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?

危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道

「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」

を選んだ人たちの話。

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僕らは簡単に  " 支援 "  と言ったりするが、

逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、

逆に学ぶことの方が多い。

むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。

 

直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。

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道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、

僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、

いわきへと向かった。

そこで次に出迎えてくれたのは、

楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。

 

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春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、

やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、

秋に開果したコットンボールに迎えられると、

種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。

いやあ、みんな前を向いて歩いている。

 

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昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。

塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。

綿の自給率 0 %の日本で、

福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。

 

栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。

農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。

小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。

 

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春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。

夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。

花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。

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やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。

これをつまみながら収穫する。

 

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綿毛の中には、種が育っている。

綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。

これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、

長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。

ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。

 

ただしあまりに軽いもので、

単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、

とても経済的に合うシロモノではない。

「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。

ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、

ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。

でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が

いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。

これは、考える素材である。

 

「儲けなんか考えたら、とてもできないです」

と美知さんは語る。

それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。

人と人が信頼でつながって、食や農業を、

生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。

 

訪問の本来の目的は、塩害対策だった。

勝弥さんの春菊畑に回る。

塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。

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この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、

冬の間に土壌改良を行なう。

有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。

これが効かなかったら、すべて私の責任である。

小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、

年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、

小林家を後にした。

 

ようやく家の建て直しが終わり、

「何とか前を向いて、やって行きます」

と笑う小林夫妻。

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東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。

彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。

ここにも、教えられる福島の人がいる。

 



2013年12月 8日

本当の空を取り戻したい・・・ 福島で女性生産者会議

 

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  智恵子は東京に空がないといふ

  ほんとの空が見たいといふ

  ・・・・・・・・・・

  阿多多羅山の山の上に

  毎日出ている青い空が

  智恵子のほんとうの空だといふ (高村光太郎 「あどけない空の話」)


「 智恵子が言った  " ほんとの空 "  が汚されてしまいました。

 でも、私たちは負けません。

 ここで頑張って、ほんとうの空を取り戻したいです。」


11月21日(木)、

安達太良山の麓にある岳温泉(福島県二本松市) で開催された 

「第4回女性生産者会議」 でのひとコマ。

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」理事・佐藤佐市さんのお連れ合い、

佐藤洋子さんがそう言って、マイクを握り締めた。

大地を守る会には中玉トマトや寒じめホウレンソウを出荷してくれている。


なんで僕らは福島と連帯しなければならないのか。

なんで  " 福島の再生なくして日本の未来はない " と言い続けてきたのか。

女性たちの発言から、その心が語られたような気がする。

それは、ほんとうの空と、土と、つながりを取り戻すためだ。



「 今はフジの収穫真っ最中です。

 リンゴも一個々々顔が違っていて、人間と同じですね。

 2012年の冬は、リンゴの粗皮削りを必死でやりました。

 放射能も 「検出せず」 のレベルになって、ホッとしています。

 注文は徐々に戻ってきて、それでも (原発事故前の) 5~6割でしょうか。

 余ったリンゴでシードルを作りました。 それが人気で喜んでいます。

 たくさんの人に来てほしいと、農家民宿も始めました。」

     (羽山園芸組合、武藤幸子さん・熊谷弥生さん・武藤明子さん)


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羽山園芸組合さんは、今回の幹事を務めてくれた。


「 有機農業を続けて40年が経ちました。

 岳(だけ) 温泉とは、私たちの野菜を使ってもらって食品残さを堆肥にするという

 循環型農業でのお付き合いがありました。

 それも止まってしまいました。 

 山の落ち葉の利用も今は控えています。 良い堆肥だったんですけど。

 この循環を何とかして早く取り戻したいです。」

     (二本松有機農業研究会、渡辺博子さん)

 

「 9 軒で始めた福島有機倶楽部も、千葉や宮城、いわきや都路村(現田村市)

 に移られて、現在のメンバーは 2軒になりました。

 障がい者の人たちと作業所を開いて農業をやってきましたが、

 今度これだけの震災に遭ったら守りきれないと思って、解散しました。

 瓦礫の撤去では広島や九州からボランティアの方が来てくれました。

 3.11の 2週間前に有機JASの認定を取得したばっかりで、

 何でこうなるのかと思いましたが、

 皆さんが来てくれたことで気持ちも上向きになりました。

 そして大地さんから継続して販売すると言われた時に、

 " やれる! "  と思いました。

 水路と基盤を整備し、有機JASも取り直します。

 有機農業から学んだことは、嘘をつかないこと、誠実であること、です。」

     (福島有機倶楽部、小林美知さん)

 

「 3.11の直後は、何をつくっても気が乗らなかった。

 今の販売量は以前の3割減くらいまで戻って、何とか生活できる状態。

 風評被害はまだ残ってる。

 5年後10年後を考えると、後継者がやっていけるのかが心配です。

 10月の 「土と平和の祭典」 で、3人の OL さんが売り子に協力してくれたのが

 とても嬉しかった。」

     (福島わかば会、佐藤徳子さん、他8名)

 

「 二本松・東和地区にはたくさんの新規就農者がいて、今も来てくれます。

 3.11後、一人だけ帰ったけど、皆残ってくれた。

 東和の良さを味わってもらおうと農家民宿も始めました。

 以前に野菜を送っていた自由の森学園(埼玉県飯能市) の人たちが

 遊びに来てくれたのが嬉しかったですね。」

     (ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会、大野美和子さん)

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(右が冒頭の佐藤洋子さん)


一番遠くから参加されたのが、

島根県浜田市(旧弥栄村)・やさか共同農場の佐藤富子さん。

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「 今回は福島での開催だと聞いて、行かなきゃいけないと思いました。

 行って、福島の人たちの生の声を聞きたいと、ずっと思っていました。

 自分たちも原発を許してきたんじゃないのか、そんな思いがあって・・・

 大阪で20年、弥栄で40年が経ちました。

 人口1500人を切った村で、仲間が40人。 半分は県外からの移住者。

 若い人もいます。 皆さんの話を持って帰ります。」


他には山形、宮城、栃木、群馬、茨城から、

総勢30名の  " 母ちゃんたち "  が集った。


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藤田社長から大地を守る会の全体状況の報告、

戎谷からローソンさんとの事業提携の進捗についての報告、

" 森は海の恋人 " 畠山重篤さんの講演があって、

温泉に入って、懇親会は2次会まで盛り上がる。


畠山さんの講演は次に回すとして、

翌22日は、羽山園芸組合代表・武藤喜三さんのりんご園で

りんご狩りを堪能させていただく。


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挨拶する武藤喜三さん。

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淡々と、安全で美味しいリンゴづくりに勤しんできた優しいお父さん

といった風情だけど、

12年冬の徹底した除染作業 をやり切ってきた根性の人だ。


今年も安定して美味しいりんごを育ててくれた。

このリンゴに、武藤さんたちの願いが込められている。

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これぞという実をもぎ、食べてみる。

当然のことながら、美味しい!の感嘆の声も上がる。

いっぱいもいで、お土産に。

彼女たちにしてみれば、束の間の休息、か。


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では、リンゴの樹ををバックに記念撮影。 

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羽山園芸組合の皆さんでも一枚。 

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3.11 は言葉では表せない悔しさと労苦を運んできたけれど、

それでも次世代のために " ほんとうの空を取り戻すまで頑張る "  

" やれるだけのことをやりますから " と語るら彼女らの強さによって、

僕らは生かされているんだと思えてくる。

いやこれは、未来の命から託された仕事をやってくれているのだ。

いま、目の前で。。。


最後は、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会が運営を委託されている

道の駅を訪ね、東和での取り組みを見学する。

すみません、続く。




2013年12月 3日

日本の原風景・里山の棚田米-フードアクション最優秀賞受賞!


農林水産省が後援する 『食と農林漁業の祭典』 シリーズ。
その最後のイベントで、本日、ビッグなニュースが発表された。

国産農産物の消費拡大と食料自給率向上に寄与した
取り組みを表彰する
大地を守る会が頒布会形式(全6回) で販売してきた
「日本の原風景・里山の棚田米」 企画が、
最優秀賞 を受賞した。
 
コメの消費低迷と価格下落に加え、高齢化が進む中山間地農業。
里山の自然と暮らしを支えてきた棚田も荒れていく一方のなかで、
何とか販売で支えたいと力を入れてきたものだ。
 
島根県浜田市(旧弥栄村) 「森の里工房生産組合」 のお米を
「棚田米」 と銘打って販売を開始したのが2010年。
今年から 6ヶ所の契約産地を選んで、頒布会形式での販売にトライした。
 
地道に売った棚田のお米が、3 年間で約 70トン。
この取り組みが評価されての受賞となった。
地域にどれだけの貢献を果たせたのかは心許ないけど、
素直に胸を張りたい。

僕は出られなかったけど、授賞式での記念写真を貼りつけたい。
社長(前列中央) もいい笑顔だが、
左隣の佐藤隆さん(森の里工房生産組合) が喜んで参列してくれたことが、
何よりも嬉しい。
生産者にとって、これが励みになればと願うところである。

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日本の気候風土に絶妙にマッチした水田稲作は、
日本人の暮らしの土台となり、文化形成にも大きな影響を与えてきた。
そしてこの急峻な地形の多い国土で、傾斜地を見事に活用し、
食料生産と環境保全、生物多様性の維持(というより増進)
を支えてきたのが棚田である。

しかし平地のように効率化や生産性を上げられるものでなく、
その作業の大変さから、高齢化とともに放棄水田が増えてきた。
今では、日本の棚田の4割が失われたといわれている。

営々とマンパワーで築いてきた芸術的な棚田の崩壊は、
おそらく現代の機械技術では再現できない。
僕らは、途方もない知的財産を捨てた時代の人々に、
まさになろうとしている。


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今回の最優秀賞の受賞を、生産者とともに弾みにしたい。

これはたんに、懐かしい原風景を守ろうという情緒的な話ではない。
未来に残すべき、持続可能な社会資源の貯金システムがここにあるのだから。

しっかりと食べることで、それだけで、
生産者の誇りを支え、美しい環境とそれを支える技術を継承することができる。
もちろん食べる人の健康を守ることにもつながる。

【以下、案内】
大地を守る会では、この受賞を機に
ウェブストアでの取り扱いも開始しました。
1月には頒布会の追加募集も行なう予定です。

この機会にぜひ一度、食べてみてほしい。
そして一瞬でも、里山の保全につながっていることに思いを馳せていただけるなら、
嬉しいです。

会員向け頒布会で登場する生産者は以下の通り。

 1.石川県加賀市、橋詰善庸さんのコシヒカリ(有機栽培)
 2.富山県入善町、「富山・自然を愛するネットワーク」 さんのコシヒカリ(有機栽培)
 3.新潟県佐渡市、「佐渡トキの田んぼを守る会」 さんのコシヒカリ(農薬不使用)
 4.新潟県上越市、内藤利孝さんのコシヒカリ(有機栽培)
 5.新潟県十日町市、佐藤克未さんのコシヒカリ(有機栽培)
 6.宮城県大崎市、「蕪栗米生産組合」 さんのヒトメボレ(有機栽培)

ウェブストアのご利用は、こちらからどうぞ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
棚田を訪ね生産者と交流する機会も用意したいと考えています。
(来年夏には佐渡ツアーを計画中。)

=追伸=
フードアクション・アワードの商品部門では、
「純米富士酢」 の飯尾醸造さん(京都府宮津市) が優秀賞を受賞。
こちらも京都・丹後の棚田をしっかり守って、
伝統的な静置発酵法によって酢を作り続けてきた長年のお取引先です。
合わせて報告まで。



2013年12月 1日

シェフと畑をつなげる

 

2013年もあっという間に師走に突入。。。

焦るぞ。

11月のレポートを急がねば。 

腰が痛い痛いと情けなく呻きながらも、なんだかんだ動いた月だった。

 

11月18日(月)、夜。

東京・丸の内、新丸ビル10階 「エコッツェリア」 にて、

地球大学 × 食と農林漁業の祭典 『農業分野の新ビジネス』」 

が開催される。

実は11月は、農林水産省が旗振り役になって様々なイベントが展開された

食と農林漁業の祭典」 月間だった。

前回報告した 「食の絆サミット」 も、その一環として開かれたものだ。

そして今回は、地球大学とのコラボで行なわれたセミナーのひとつ、

ということになる。

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例によって竹村真一さん(京都造形芸術大学教授) をモデレーターとして、

4名のゲストが新しい農業の姿やビジネスの可能性について語った。

大地を守る会代表、藤田和芳もその一人として、

有機農業の果たす役割について語った。

 

竹村さんやゲストの間でのやり取りがあった後は、

自由に語り合う懇親会となる。

食材は、丸の内の直営レストラン 「Daichi & keats」(ダイチ・アンド・キーツ) にて

用意させていただいた。

 

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こういう場って、けっこう料理が残ってしまったりするのだけど、

お陰さまで好評を博し、きれいになくなった。 

次はお店のほうにもぜひ足をお運びくださいませ、と宣伝。


翌19日(火)は、その 「Daichi & keats」 にて、

レストランのシェフやオーナー向けの試食会を開く。

8日の行幸マルシェに続く、さんぶ野菜ネットワークのPR 第2段。

 

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今が旬の、人参、里芋、小松菜、カブ、ミニ白菜を、

生で、ボイルして、あるいは蒸して、素材の味を確かめていただく。 

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人参の甘さに感動され、

「何もつけないのが一番おいしい」 という感想までいただいた。

生産者にとっては最高の賛辞だね。

町田マネージャーの説明もさりげなく力が入る。

 

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ケータイで撮ってきた畑の写真を見せながら、

身を乗り出して説明する石橋明さん。

 

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事務局の山本治代さんはパネルを持参して、

さんぶの野菜の美味しさをアピール。

土づくりからキッチリやってるからね、こういう野菜を使ってもらわなきゃあ、

とけっこう押しも強い。 

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・・と、さんぶをしっかりインプットしていただいたところで、

28日(木)、今度は丸の内からマイクロバスを仕立てて現地視察ツアーとなる。

 

まずは石橋さんの里芋畑で、

里芋掘りを実体験していただく。

 

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里芋は、親芋の回りに子芋・孫芋がくっついている。

傷つけないように鍬を入れ、テコの原理でグイと掘り上げる。 

 

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そんでもって小芋らを剥がし、土を除いて、選別して出荷する。

里芋掘りは面白い。

だけどそれをずっと続けて出荷までの作業となると、しんどい。

手間のかかる作物なのだ。

少しは想像していただけただろうか。

 

石橋さんのハウスを見る。

小松菜と水菜がきれいに育っている。

 

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有機農業にとって土づくりがいかに大切か、

そして葉物の生理と育て方まで、

懇切丁寧に話す石橋明さんがいた。

 

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昼食は、農家料理で。

シェフの方々に対して何をお出しすりゃいいのよ、

とか悩んでいたけど、

どっこい、シェフを唸らせるシュフの手料理だった。 

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「いやあ、美味しくて、食べ過ぎちゃいましたよ」 と

若いイケメンのシェフに感激されて、ご機嫌の主婦でございました。

奥様方、お手間取らせました。

 

昼食後も精力的に畑を回る。

人参畑で説明するのは、

さんぶ野菜ネットワーク代表の富谷亜喜博さん。

 

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ここでカメラのバッテリーが切れてしまう。。。

人参を抜いてもらい、富谷さんの堆肥を見せていただき、

ブロッコリィ収穫もプチ体験していただき、、、

夕方の仕込みがあるのでと、慌しく帰路に着く。

 

帰ってから、クリスマスイブの日に人参を葉付きのままで使いたい、

というリクエストが入ってきた。

しかし、とても無理です、と冷たく断る。

12月に入ると霜にやられて、人参の葉は枯れてしまうからね。

でも、それだけ感じさせるものがあったのだろう。

 

料理人たちも忙しい。

なかなか畑を見ることなんてできないんですよと、

そんな話も聞かせてもらった。

自然の移ろいや畑に合わせて調理するって、

都会ではそう簡単なことではない。

でも、畑を見て、モノの力を引き出そうとしてくれる料理人の創造力は、

あなどれない。 つなげたいと思う。

葉っぱつき人参の料理は春まで待ってもらおう。

 

都会では、子どもたちへの食育だけでなく、

シェフ育も必要なのかもしれない。

そんなアイディアも浮かんだりするのだけれど、

「遊びが過ぎるぞ」 という会社のセリフも聞こえてくる。。。

 

掘った里芋をそのままひと株もらって、持ち帰った。

洗って、食卓に飾ってみる。

 

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子沢山の縁起物。 

八つ頭ほどではないけど、

ひと足早く正月が来たみたいな気分になる。

 



2013年11月22日

合成ビタミンC添加なし「有機緑茶」

 

福島・郡山のビジネスホテルに潜り込んでます。

今年何回目の福島だろう。。。

 

昨日から二本松の岳(だけ)温泉で 『第4回 女性生産者会議』 を開催。

ダンナを置いて意気揚々とやってきた 30 名の母ちゃんたちと語り合った。

記念講演にお招きしたのは、宮城・気仙沼の  "森は海の恋人"  の人、

畠山重篤さん

実は数日前に畠山さんもワタクシと同じ患いに陥ったようで

出席が危ぶまれたのだが、何とか辿りついてくれた。

ちょうど一年ぶりの再会。

今回はさらに進化した畠山ワールドを展開してくれた。

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そんでもって今日は朝から二本松市東和地区(旧東和町) を皆で訪れ、

羽山園芸組合さんのりんご園でりんご狩りを楽しませてもらい、

道の駅・ふくしま東和で

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 の取り組みを聞かせていただく。

 

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解散後、元気な母ちゃんたちと分かれ、

いわき市 「福島有機倶楽部」 の小林勝弥さんを訪ねた。

こちらは除染ではなく除塩。

津波による塩害で今も難儀していて、

大地を守る会から除塩用の資材を提供させていただいたのだが、

連れ合いの美知さんが会議に参加されたのをこれ幸いと、

帰りの車に乗せてもらって立ち寄ることにした。

ブツと畑を確認し、今後の進め方について勝弥さんと話し合う。

 

そこでなお東京に帰らず、内陸に戻って郡山に辿りついている。

明日は郡山・ビッグパレットふくしまで開催される

ふくしまオーガニックフェスタ2013」 に参加する計画である。

 

この二日間のレポートはどうも長くなりそうなので、

追って報告させていただくとして(もう飲んで寝たいし)、

取り急ぎ前回からの続きで、溜まっている写真をピックアップして、

今夜は終わりにしたい。

 

11月3-4日は、「秋田・ブナを植えるつどい」 をキャンセルして休ませてもらい、

11月5日(火)は夕方まで仕事して、夜のうちに広島に入る。

6日早朝から三原市にある (株)ヒロシマ・コープさんを訪問して、

新しく開発したPETボトルでの 「大地を守る会の有機緑茶」 の

製造に立ち会った。

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これも生産部長の仕事なのって?

これは子会社である (株)フルーツバスケットの タダ働き取締役

としての仕事なのであります。 

朝6時から茶葉の抽出が始まり、4回の試験抽出-成分割合の確認を経て、

充填本番を始める。 いや実に、想像以上に複雑な工程だった。

 

大地を守る会がPETボトルのお茶を販売することについては、

違和感を持たれる方も多いかもしれない。

何を隠そう、僕もその一人である。

やっぱお茶はちゃんと急須で入れて飲みたい。

あるいは冷蔵庫で冷やしたり、マイボトルに入れて携帯するとか。

・・・しかし現実は、PETボトル茶全盛時代になってしまっている。

茶葉そのものの販売は苦戦を強いられ、

急須のない家庭も珍しくないと言われる。

しかもほとんどが当たり前のように

酸化防止剤としてビタミンCが添加されている。

これではせっかく有機栽培で育てた茶葉も農家も、哀しい。

お茶はちゃんと入れて飲むようにしよう(努力目標)、と改めて自戒しつつ、

あくまでも 「どうせ飲むんだったらこれを」 という代替として提案したい。

 

ここでビタミンCについて触れておきたいのだけれど、

お茶やジュース・缶詰などに添加されているビタミンCは、

柑橘などから抽出した天然のビタミンCではなく、

L‐アスコルビン酸など人工的に合成されたものである。

トウモロコシなどのデンプン(ブドウ糖)を化学分解して作られる。

この製造過程で石油を原料とした薬品も用いられる。

化学構造から天然のものと同じとされ、

壊血病予防など健康に必要な栄養成分と語られたりするが、

そもそもビタミンCは酸化されやすい性質が利用されている

ということを忘れてはいけない。

つまり自身が酸化することによって食品の酸化を防いでいるわけで、

酸化されたビタミンCには栄養的価値はなくなっている。

ビタミンCが酸化しつくされた後の品質劣化は急激である。

しかもこの酸化反応の過程で、

合成ビタミンCでは活性酸素が発生することがつきとめられている。

放射能講座で毎回のように登場した 「活性酸素」 というヤツ。

ガンや生活習慣病や老化の原因になる。

 

また原料として使用されるトウモロコシは100%輸入であり、

遺伝子組み換えでないとの IPハンドリング(分別生産流通管理) の

証明書確保はほぼ不可能の世界である。

原料として有機栽培の茶葉を使用しても、

製品は 「有機茶」(有機JAS認定) にはならない。

 

外で買うならこれを、ということでローソンさんにも提案中。

国内産(今回の生産地は鹿児島) 有機栽培茶葉100%

かつ ビタミンC無添加「有機緑茶」 です。

なので賞味期限は短く(それでもしっかり殺菌してます)、

常温で9ヶ月となってます。

 

さて、トピックをもうひとつ。 

11月8日(金)、月一回酸化、じゃなくて参加している

丸の内・行幸通りの 「行幸マルシェ × 青空市場」。

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今回は、人参・里芋・白菜・・・と冬物が出そろってきたところで、

千葉・さんぶ野菜ネットワークの野菜一本で勝負した。 

 さんぶからも二人の生産者、吉田邦雄さんと下山修弘さんが

売り子として出張ってくれた。

 

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さんぶの野菜は、ここで食べられます。 

とさりげなく 「Daichi & keats」 のPRも。

おススメは、農園ポトフと農園タパス。 ぜひお立ち寄りください。

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せっかく一日出張して来ていただいたので、

主宰者である永島敏行さんとの記念写真を一枚いただく。

「おう、おう、山武ね。 知ってるよ、もちろん!」

と気さくに応じてくれた。 

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(永島さんをはさんで、左が下山修弘さん、右が吉田邦雄さん)

 

今月は、丸の内のシェフたち向けに、

マルシェ - 試食会 - 現地視察ツアーと、

さんぶ野菜を前面に出しての連続攻撃をかけているのであります。

 



2013年10月12日

干ばつの長崎へ

 

まったく時は矢のように過ぎていく。

もはや焦りを通り越して、開き直りの心境。

9月の出張レポートを飛ばすことなく、書いて終わらせよう。 

 

9月26-27日。

山口新取締役をお連れして、長崎県南島原市口之津町に入る。

リアス式海岸、石で積んだ棚田と段々畑、

温泉と雲仙普賢岳、そして天草の半島。

口之津町はその南端に位置する。

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訪ねたのは、長崎有機農業研究会の事業部門を担う (株)長有研

今年で設立30年を迎えた。

大地を守る会は、その歴史丸ごとお付き合いさせていただいたことになる。

 

長有研のセンターは、山の上にある。

来る度に、もっと便のいいところに建てればいいのに、と思うのだが、

そこは設立時の台所事情あってのことだろうから、仕方がない。

この土地を提供したのは、

設立時からのリーダーの一人・松藤行雄さん。

建てた倉庫一つにも、人々の思いや覚悟の軌跡が

染みついている。

 

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今回の目的は、

ローソンという全国に店舗網を持つ組織と事業提携するに至った経過や

今後の展開の方向について説明し、理解していただくこと。

その上で、これまでにない多様な販売チャンネルを前にして、

どう生産者にとってメリットのある形を創り上げるか、を話し合うこと。

こんなことができる、そのための条件は、できないことはできない、

そういったことを本音で語り合うことで、進む道を見定めていきたい。

なんたってこの道は枝分かれが多そうで、

もし罠にハマったとすれば、それは誰のせいでもない、

我々の意思と判断によるワケだからね。

 


 

代表の長尾泰博さんや事務局との話し合いを終え、

間もなく収穫が始まろうとしているミカン畑を視察して、 

山口取締役は忙しなく次の目的地へと向かい、

僕はもう少し他の畑を回っておいとました。

 

今回見させていただいたのは、馬場一さんのみかん園。

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熊本の 「ひごあけぼの」 という系統の枝を友人から分けてもらって、

自分で育てたオリジナルの品種。 「花子」 と名づけられている。

糖度は高く乗るが酸が抜けにくいと言う。

そこで酸抜けを促進させるために、馬場さんは白マルチを張って

適度に土の保湿を維持させている。

普通は乾燥させることで糖度が上がるのだが (水分が多いと薄味になる)、

「花子」 では糖度を多少抑えても(それでも充分にある)、

適当に保水してやるのだと。

過湿と乾燥を繰り返さないために、

一本一本マルチを剥がしては水をやって元に戻す作業を繰り返す。

これは相当手間のかかる仕事だ。

そのぶん愛着も涌き、馬場さん自慢の 「花子」 となる。 

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下まで降りてきて、トマトの中村さんを訪ねる。

8月の後継者会議にも参加してくれた中村智幸さんが出迎えてくれた。

就農して10年、28歳、すでにトマト部会長である。

 

もうすぐ第一子誕生とか。

嬉しそうだ。

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中村さんが育てるトマトの品種は 「ごほうび」。

果肉のしまりがよく糖度と酸度のバランスが取れた品種。 

12月頭には収穫が始まる。

" としちゃんのトマト "  と別枠での販売実績もある親父(敏信さん) は

けっこう高い壁かもしれないけど、やってくれそうな感じだね。

頑張ってください、パパ (・・は早いか)。

 

それにしても 9月の長崎はまだ暑く、干ばつ状態である。

乾き切った土に、ブロッコリーの苗もきつそうだ。

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キャベツの苗に水をやっているが、

やる傍から乾いていってる。

 

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山中の畑や田んぼだけでなく、

こういう開けた場所にも電気柵が張られている。 

イノシシは今や平場にも出没するのだそうだ。

 

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電気柵を漏電から防ぐには、周辺の雑草管理が欠かせない。

畑や田んぼでの作業の他に、

せっせと畦や道路脇の草刈をしなければならない。

この作業がけっこう大変なのだ。

周りの農家は普通に除草剤をかけている。

高齢化していく農家に 「撒くな」 とはなかなか言い難いとですよ、

という本音が長尾会長の口から漏れる。

つらいね。。。

 

研修生を育てるためにつくった農場 「ぎっどろファーム」、

松尾さんのアスパラ畑などを回って、長崎をあとにする。

 

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なお、ずっと同行してくれた新人スタッフが一人。

前川隆文さん、先月まで大地を守る会の社員だった男。

郷里の長崎に戻り、長有研さんが拾ってくれた。

彼が長有研での日々をブログに書いている。

この日のこと も早々に上げてくれているので、

覗いてくれると嬉しいです。

 

最後におまけを。

長有研に向かう前に立ち寄った佐世保の食品加工会社

「アリアケジャパン」 さんが、

前日に送ってあった大地を守る会の野菜を使ってスープを

作ってくれていた。

といっても手の込んだものでなく、

4種類 (玉ねぎ・人参・キャベツ・南瓜) の野菜を水で煮ただけのもの。

6月の放射能連続講座でお呼びした麻布医院・高橋弘院長が薦める

「ファイトケミカル・スープ」 だ。

 

左が大地を守る会の野菜、右が市販の野菜で煮てみたもの。

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左のほうが若干色が濃い。

味も濃いですね、との評価を得た。

工場の研究スタッフの方が、検査結果を知らせてくれた。

ブリックス(Brix:一般的に糖度と理解されるが、ここでは水溶性固形分濃度)

で2度高い、と。 濃密なのだ。

大地を守る会の野菜には、力がある。

食品加工会社の方からも高い評価を頂いたことを

報告しておきたい。

 



2013年10月 2日

吉野を駆けながら、有機農業の受け皿づくりを考える

 

原発を推進してきた国家の宰相も務めた方が、

至極まっとうな発言をしている。

いや別に褒めるほどの内容ではない。

多くの国民が感じ取っていることだ。

「 原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに

 原発を進める方がよほど無責任だ」

  (小泉純一郎氏の講演での発言。10月2日付 「朝日新聞」 朝刊より)

 

どうもフィンランドの 「オンカロ」(※) を視察して

原発はダメだと感じ取ったらしい。

「原発に未来は託せない」 と言い続けてきた人たちにとっては、

何を今さら、どのツラ下げて・・・ とムカつくところだろう。

政治的思惑を感じ取って警戒する人もいる。

ワタクシとしても、本音は精一杯皮肉ってみたいところだが、

ここは過去の責任や変節を批判するよりも、勇気ある転換だと

あえて拍手を送っておきたいと思うのである。

時代はこのように動いていくものだし。

もちろん信用するかどうかは、今後の動き次第として。

 (※ 「オンカロ」・・・フィンランドのオルキルオト島に建設されている

  放射性廃棄物の地層処分場の通称名。 " 隠された場所 "  という意味。

  固い岩盤を Z状に約 5km掘り、地下 500m の場所で永久保管される。

  設計された耐久年数は10万年。

  10万年後の安全は、そもそも人類は・・・誰も分からない。

  2020年、操業開始予定。)

  

さて、、、10月に入っちゃいましたね。

あっという間に上半期が終わり、事業年度の後半戦突入。

ここでまたも社内では部署再編が行なわれ、

私エビスダニは、農産物・畜産物・水産物の仕入部門として

生まれ変わった 「生産部」 の部長を命ぜられました。

2年ぶりの仕入部署への復帰です。

しかも今度は畜産も水産も含めての任務となって、

責任の重大さを噛みしめているところ。

加えて、5月からローソンさんへの営業を託された 「特販課」 は、

「特販チーム」 として生産部内に留め置かれた次第。

つまり引き続きやれ、ってことのよう。

「放射能対策特命担当」 も兼任で続きます。

6月から拝命した (株)フルーツバスケット(子会社の農産加工部門)

の取締役としてのプレッシャーも静かに満ち潮気味で・・・

どうなっちゃうんでしょうね。

やれるだけのことをやって、行けるところまで行って、

何が見え、つかめるのか、やってみなきゃ分からない、という心境。

 

それやこれやで追い詰められたような状況にありながらも、

9月下旬には 2つの産地と 1つの  " 地域 "  を回らせてもらった。

そんなに出かけていいのかと自問自答しながら、

しかしどれもたんなる視察とかではない。

次の展開、構想づくりに向けての模索である。

2つの産地に同行されたのは、

ローソンさんから常勤で派遣された山口英樹取締役。

ご本人たっての希望でもある。

 

以下、順番にご報告。

(遅れ遅れなのはお許しを。) 

 

9月19~20日、奈良県は五條市に本拠を置く

「農業生産法人 王隠堂農園」 を訪問。

この時期となれば、大地を守る会の柿では  " 顔 "  になっていただいている

仁司与士久さんから訪ねるのが順番である。

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会うなり、

「戎谷さんはこの畑、10年ぶりくらいでしょう」 とやられた。

まったくその通りだ。

見に来たつもりが、見られている。

 

仁司さんには、その10年くらいの間、

農薬をどこまで減らすか、で散々苦労をかけた。

厄介だったのはタンソ病だ。

収量をかなり落とした年もあった。

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「果樹の減農薬栽培」 とひと言で言うが、その幅は広い。

特に大地を守る会の場合、自主基準のなかに  " 使ってはいけない農薬 "  がある。

農薬の使用回数を減らすだけなら手はある。

しかし 「その農薬は駄目」 あるいは 「できるだけ控えて」 という縛りがあって、

そこがけっこう厳しい、とよく農家に言われたりする。

「強い(=よく効く) 農薬を使って回数を減らした " 減農薬栽培 " 」

という傾向に陥ることなく、その上を目指したい。

口で言うのは簡単だが、現場は大変である。

過去の担当者が何度も仁司さんとやり取りしていたのを、覚えている。

 

今はだいぶ落ち着いてきた感じだが、

全ての課題がクリアできたわけではない。

でも、仁司さんが最大限頑張って育てた柿こそが、僕らが売る柿なのだ。

去年も、今年も、来年も、胸を張ってね。

 

今回、仁司さんから教わったのは、

環状剥皮(はくひ) という技術。

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枝の一部の樹皮をキレイに剥ぎとることで、

葉から作られた養分が根に送られないようにする。

 (枝葉からつくられた養分は樹皮を通って根に送られる。

  根からの養分は中心部を通って送られる。)

そのことで、葉からの養分が実に移行し大きくなる。

もちろん全ての枝でやるわけではなく、部分的に剥ぐことによって

樹勢を整える(樹勢が強すぎると実が落下する) という効果もある。 

順番に熟させることにもなるようだ。

 

二日間案内してくれた和田宗隆専務と。

和田さんは王隠堂農園の関連会社、(株)パンドラファームの代表も務めている。

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台風による落下もあったが、被害はそれほどでもなかった様子。

「かなり色づきも早い。予定通り(9月最終週) 出せまっせ」

と太鼓判を押す。

王隠堂農園からは、この刀根柿から始まり、

平核無柿(ひらたねなしがき、10月下旬)、富有柿(11月~) と続く。

順調に進みますように。

 

イノシシに齧られた痕。

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獣害対策は、どこの山間地も頭が痛い。

加えて奈良は、鹿が増えすぎて困っている。

 

もう一軒、柿の生産者(大植稔さん)を回り、

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(でっかい法蓮坊柿が自慢)

 

里芋やミブナをお願いしている高橋いさおさんを訪ね、 

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(当地の里芋は、今年は不作のよう) 

 

僕が密かに注目している

ヤマトトウキの栽培地を見せていただく。

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生薬の原料である。

ここ奈良・吉野はかつて生薬の一大産地だった。

それが中国産原料に席巻され、ほとんど消えてしまった。

今や漢方薬の原料は中国に押えられ、

レアアース並みの戦略商品となっている。

僕らは知らない間に、胃袋から健康まで、他国に依存してしまった。

その結果の一つの姿が、荒れる山間地である。

栽培技術が残っている(栽培経験者が生きている) 間に、復活させたい。

中山間地の耕作を維持し、高齢者も活き活きと働き、

農業が健全に持続させることによって、私たちの健康も支えられる。

獣たちとも共存したい。

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和田さんと、何とか形にしたい、と話してきた

突破口としてのヤマトトウキ。

大手製薬会社に安く買い取られるのでなく、自分たちの力とネットワークで。

この宿題は、なんとしてもやり遂げたいと思う。

 

王隠堂さんの、貴重な文化遺産ともいえるご実家を改装して

開かれた里山レストラン 「農悠舎 王隠堂」 で昼食をとらせていただく。

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鎌倉時代が終わり、室町時代に移る間の南北朝時代(14世紀中期~後期)、

吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまったことで授かった名前が

「王隠堂(おういんどう)」。

以来600数十年、この名を守ってきた。

その名が想像させる通り、この家は山の奥にある。

とても不便なところである。

当主である王隠堂誠海(まさみ) さん曰く。

「下の小学校に通うだけでも、大変なトレーニングだったわ。

 真っ暗になるときもあるさけな。 山道に柱時計を立てとったくらいや。」

 

「名前も家も残すゆうことは、大変なことですわ。」

悩んだ末に、誠海さんは改装して農家レストランに設えた。

野菜ばっかしの料理だが、これがかなり美味しい。

客も絶えないのだとか。

レストランを任されている女性陣(最高齢は80歳だとか)

も活き活き働いている。

 

誠海さんはじめ王隠堂農園のスタッフたちと、

弊社・山口取締役も交え、有機農業の近未来像を語り合う。

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農家の作る野菜をくまなく利用できる体制を築きたい。

みんなで共同して、いい産地づくりをしたい。

熱く語る王隠堂誠海であった。

 

最後に、

和歌山に建設した農産加工場、(株)オルトを視察する。

オルトは現在、息子の正悟哉(まさや) さんが切り盛りしている。

ここでもいろんな可能性について意見交換する。

二日間、駆け足で、

京都-奈良・吉野-紀州-大阪と回って岐路につく。

明日は土曜日、世間は 3連休。

ああ、熊野あたりを散策して帰りたい・・・・

しかし許してくれない。

次は福島が待っている。

 



2013年9月26日

はたらくケンタローの背に、谷川俊太郎の詩が流れる

 

長崎は島原から (このレポートはあとで)。

稲刈りに続いて、この間のトピックを 2 本。

 

9月13日(金)。

丸の内での 『行幸マルシェ × 青空市場』 に出店。 

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大丸有つながる食プロジェクト」 の紹介と、

マルシェにコラボするかたちで

大地を守る会の野菜を使って本日のみ限定料理を出してくれた

スペイン・バル 「モン‐シルクロ」 さんを、今回はPR。

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本来の目的はレストランの共同仕入の仕組みをつくることで、

安全性や環境に配慮された食材のネットワークを広げることなのだが、

こういう出店ではどうしても販売自体に力が入ってしまう。

レストランとのコラボ手法をもう少し考えたい。

 

翌9月14日(土)。

二人のおじさんを連れて、小平の生産者・川里賢太郎さんを訪ねた。

一人(下の写真左端) は、ドキュメンタリー映画のプロデューサー、

モンタージュ」 という会社の小松原時夫さん。 

小松原さんとは、1995年に制作した 「続あらかわ ~水の共同体を求めて~

でお手伝いさせていただいた時からのお付き合いだ。

当時小松原さんが所属していたのは、

水俣病の映画などで知られる 「シグロ」 だった。

 

で、もう一人(写真中央) は、映画監督の杉本信昭さん。

右が川里賢太郎くん。

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今回、この二人がつくろうとしている作品は、

様々なジャンル・現場で働く若者群像を撮って、

その姿に詩人・谷川俊太郎が詩を入れる、というものらしい。 

昨年、小松原さんは紀伊国屋書店から

『詩人・谷川俊太郎』 という作品を世に出している。

谷川さんが自らの試作と半生を語った初めての映像記録で、

平成24年度教育映像祭で文部科学大臣賞を受賞している。

その流れから、今回の企画が生まれたらしい。

そこで、" 無農薬での野菜作りを営む都市農家の若者 "  を一人

登場させようという魂胆だ。

というか、小松原さんから誰かいないかと聞かれ、

「こういうのはどうか」 と提案してしまったんだけど、

賢太郎さんにとっては実にハタ迷惑なことだったろう。

 

「 映画の取材なんて、勘弁して下さいよ~。

 エビさん、オレの性格知ってるでしょう」

と頑なに断わるところをなだめ、すかし、

「まあ・・・いっぺん会うだけ会いましょうか」 まで漕ぎつけた。

 

そこで今日、顔合わせと下見となった次第。 

 

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今はちょうど隙間の、次の出荷に向けて少し余裕のある時期。 

順番に出荷できるよう、少しずつ種を播いていってる。

細かい作業計画が彼の頭には入っているのである。

 

 いざ会えば、丁寧に礼儀正しく、説明し、

受け答えてくれる賢太郎氏であった。

 

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計算通り。

今月末にはロケがスタートすることになった。

監督。

もし可能ならば、「映画?」 と聞いて 「人前でチャラチャラするな!」

と怒鳴ったという気丈なおばあ様も登場させてくれると嬉しいのですが。

そこは今回の企画意図とは違うのでしょうが、

都市近郊の4世帯同居の楽しい家庭の風景も

チラッと挿入してほしいと思ったりして。

時にコワい顔を見せるお父さんの弘さんが、

この日はとても優しい笑顔で孫に接していたのも、素敵な光景だった。

 

完成は来春あたりのよう。

できましたら、お知らせします。

 

説明の合い間にも、苗の様子を観察する川里賢太郎。

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詩の巨人・谷川俊太郎が、はたらくケンタローの背中に

どんな言葉を編んでくれるのか。 

考えてみれば、すごいことだな。

スゴイことだぞ、これって。

賢太郎様。 あとは知りませんので、頑張ってください。

 



2013年9月16日

" 進化を誓う " お祭りにしよう

 

台風による激しい雨と風に弄ばれながら休日出勤。

東北方向へと走り去っていく雲を眺め、

自然の猛威に叩かれては鍛えてきた我が民族の底力を思う。

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大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回。

『福島と語ろう!』

最後に、3名の生産者からのメッセージを。

 

まだ福島を忘れずにいてくれたことに、とても嬉しい気持ちになりました。

心配なのは低線量被ばくの影響です。

データを取り続けていってほしいと願っています。

  -福島有機倶楽部・阿部拓(ひらく) さん。

 

原発事故は、過去の何にも比べものにならないくらいの困難だ。

それでも、これまで通り暮らしていきたいと思う。

これを普通の困難だと思って一日一日を暮らし続け、

ひとつひとつ解決していきたい。

これまで受け入れた新規就農者が36人。

事故後もやって来てくれる若者がいる。

いいところがあるから来てくれるんだと思うし、

東京ともつながってるんだなあ、と気づかされる。

彼らがやってんのに、オレたちが怖がって何もやんねえワケにはいかない。

真実を知りながら、一緒に歩いていきたいと思う。

  -ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市(さいち) さん。

 

福島県は、農業就業者の数が日本で第2位の県です。

それが今、県内の離農率が20%近い数字に跳ね上がってきている。

日本の農業(=将来の食生産) への影響はとても大きい。

どうかこのことを忘れないでほしい。

だから食べてくれ、と言いたいのでなく、

科学的なデータをもとに、大丈夫なものは

少しずつでも消費を取り戻していってあげてほしい。

  -稲田稲作研究会(ジェイラップ)・伊藤俊彦さん。 

    

コーディネーターの大江さんがまとめる。

 

皆さん、ぜひ福島に足を運んでほしい。

生産者に会ってほしい。

畑を見てほしい。

様々な取り組みが福島の地で行われている。

福島の復興なくして、日本の未来はないです。

 

僕もそう思う。

この秋、福島県須賀川市の稲田という地区の

丘の上にあるライスセンターの屋根に、太陽光パネルが敷き詰められた。

未来への責任を果たす、と何度も何度も自分に言い聞かせ

持続させた彼らの意思と願いが込められたものだ。

ゲンパツには絶対に頼らない!

必死の防戦だけじゃない。 オレたちは進軍するんだ!

ライスセンターの屋根にも進化への意思がある。

一人でも多くの人に、見てほしい。

 

10月26日(土)開催の

備蓄米 「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭 

  ~ 3度目の秋、未来に向かってコメを作ります

目下、参加者募集中!です。

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html 

 

伊藤俊彦さんから収穫祭に寄せた一文が届いたので、

ここに掲載して講座レポート終了としたい。

 


ここ福島は桃の季節が終わり、

秋を告げる  " 梨 "  や  " ぶどう "  が美味しい季節となり、

田んぼの稲穂が黄金色に色づいて、

まさに収穫の時を迎えようとしています。

 

大地を守る会の皆さまとの関係も四半世紀を超え、

この間、大勢の社員の方々や会員の方々との出会いがあり、

多くを学び、多くを感じ、食を通して五感でつながってきたように思えます。

 

特に3.11以降、放射能測定器を真っ先に貸与いただくなど、

身に余るご支援を賜りましたこと。

このご恩を私たちは生涯忘れることはありません。

何より、皆さまからの  " 憂いのこもった励まし "  の数々は、

不安払しょくの種となり、復興を目指す気概となり、

自立に向けて歩きだすきっかけとなりました。

 

原子力災害という先の見えない逆境の中、

家族や仲間や子どもたちを守るためにご案内いただいた多くの学びを

片っ端から生活の中に取り込み、精査しながら

2年半が過ぎました。

この2年半の学びと実践から得た多くの知見から、

科学的根拠をもって、今後

" 研究会の生産者がつくる農産物を食べ続けても内部被ばくを引き起こすことはない "

と判断できるまでになりました。

今では同居する6歳と3歳の孫たちが同じ食卓を囲み、

何に箸をつけても不安なく見守れるようになりました。

" 家族に不安なく食べさせられる農産物であること "

を当初からの出荷基準にしてきたことは、

皆さまとつながりを持ち続ける中で身についた 

" 食の安全 "  に対する信念の行使であり、

つながりの容(かたち) であると認識しています。

 

2011年秋の復興祭、2012年秋の自立祭では、

深い情けと憂いに感動した涙の収穫祭でした。

この10月26日に予定されています2013年の収穫祭では、

" 今後の進化を誓う "  おもいきり前向きな  " 決意のお祭り "  に

したいと考えております。

この災害から学び、そして実感した

" 頑張ってもできないことより、頑張ったらできることのほうが遥かに多い "

という生き方を合言葉にさせていただく所存です。

 

この7月、毎日新聞社主催の 「第62回全国農業コンクール」 が

昭和32年以来56年ぶりに福島で開催され、

農業生産法人稲田アグリサービスと (株)ジェイラップの連携による

農業振興活動が評価され、

グランプリには至りませんでしたが

毎日新聞社"名誉賞"、"農林水産大臣賞"、"福島民報社賞" 

などの賞をいただきました。

これを契機に、受賞に慢心することなく、さらに産地組織の結束を高め、

学んで、学んで、私たちなりの近未来を創造していくことを決意したところです。

 

皆さまのお陰で元気を取り戻した 「稲作研究会の収穫祭」 に

ぜひご来場いただけますことを願い、

生産者・社員・その家族一同でお待ちいたしております。

  -農業生産法人稲田アグリサービス、(株)ジェイラップ  伊藤俊彦

 



2013年9月15日

反転耕にかけた未来への責任

 

いやはや、こき使われる毎日。

なかなかスピーディに続けられないですね。

でも続けます。

 

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』。

福島有機倶楽部・阿部拓さんの話を受けて、

コーディネーターの大江正章さんがフォローしてくれた。

 

有機倶楽部に残った2軒のうち1軒の方 (小林勝弥さん・美知さん夫妻)に、

大江さんは7月に取材で訪れている。

とても明るく元気な奥さんだが、話を聞いているうちに

感極まってきて、泣きながら当時の状況を話してくれたそうだ。

「 いわき市でも、2万4千人の人が避難を余儀なくされた。

 目立った活動をしている所ばかりが報道されがちだが、

 今も苦しんでいる地域がたくさんあることを知っておいてほしい。

 移る・移らない は各々に考えた末のこと。

 それぞれの選択を尊重しながら応援していく姿勢が

 私たちに求められているように思います。」

 

さて3番手は、

福島県須賀川市 「稲田稲作研究会」 伊藤俊彦さん(「ジェイラップ」代表)。

この2年半にわたって積み重ねてきた対策と、

そこから得られたデータを示しながら、伊藤さんは説明を進める。

どの知見も試行錯誤を経て獲得した  " 未来への財産 "  である。

 

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事故のあった2011年、伊藤さんたちは

「稲田稲作研究会」 メンバー全員の、341枚の田んぼごとに

土と玄米の測定を行なった。 

そこで一番高かった玄米の数値は 19.9 Bq(ベクレル)、平均で 3.11 Bq。

2年目となった昨年では、最大測定値が 11.8 Bq、平均値が 2.66 Bq。

着実に下げられたと思っている。

かたや、除染対策を行なっていない近隣の数値では、

最大値が 22.2 Bq、平均値が 6.71 Bq。

稲作研究会のほ場で、10Bqを超えたのは3つだったのに対して、

未対策地では66を数えた。

やれば結果はついてくる、

少しでも下げられるなら面倒でもやらなければならない。

それは生産者としての責任だと、伊藤さんは考える。

 

(注:数値はすべてセシウム134 と 137 の合算値。)

 


昨年福島県で実施された米の全袋検査では、

農家の保有米も含めて検査されている。

結果は、99.7%が 25 Bq(検出限界値) 未満だった。 

  (注... ジェイラップも検査所となって地域の米の測定を引き受けている。)

 国の基準(100 Bq) を超えた米は 0.0001%、

100万分の1という数字である。

50 Bq以上は再検査に回されている。

稲田稲作研究会では県より細かいデータを取り、

11年秋の収穫後に反転耕(天地返し) の実施に踏み切った。

これまでに 120 haの田んぼでやり終えている。

その結果として、反転耕実施ほ場では

10 Bqを超える田んぼはゼロになった (平均値 2.14 Bq)。

 

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福1原発事故によって私たちは、

水田が汚染されるという世界で初めての経験をしたことになる。

まったくデータがない中で、いろんな実験にもトライしながら、

伊藤さんたちはいくつもの知見を獲得していった。

 

その過程で、田んぼと畑の構造的な違いも発見する。

高濃度の土に水を加えて撹拌して置いておくと、

だんだんと重い土が沈殿していって、上のほうに薄く濁った水の層が残る。

その薄濁った水の濃度が高いことに気づいたのだ。

つまり、畑は耕すことで分散していくが、

水田は水を張ってかき回す代かきという作業があり

(目的は、土の塊を砕いて田面を平にすることで田植えをし易くさせる)、

そこで放射性セシウム(Cs) は、「代かきすると表面に上がってくる(戻ってくる)」。

どうも Cs をよく吸着するゼオライの種類によって、

比重の軽いものにくっついている可能性がある。

かき回しても表面に戻ってしまうのであれば、

まだ Cs が沈降していない 15 cm下の下層土と入れ替え、

下に閉じ込めることが最も有効な手だということになる。

その場所の空間線量も確実に下げられる。

 

また表面の土ぼこりは風に舞う。

除染しても、吹き溜まりの場所は濃度(線量) が戻ってしまう傾向がある。

春風の舞う日に、農作業する農家やその脇を通学する子どもたちに、

土ぼこりを吸わせてはいけない。

 

仮に 4 Bq の玄米を精米した場合、白米は 1 Bq 以下になる。

その米を研いで水を加えて炊飯すると、さらに 5 分の 1 になる。

今の米であれば、年間 60 ㎏(日本人の平均消費量) 食べても、

1000分の1 ミリシーベルト以下である。

 

土ぼこり 1 g を吸う方が、米を食べるより内部被ばくのリスクが大きい。

 

伊藤さんたちが反転耕を徹底してやると決めた根拠は、

科学的データと、大人としての将来に対する責任感、に他ならない。

自分たちが農業できればいい、国の基準未満ならそれでいいではないか、

という話ではないのだ。

農作物のためだけでなく、地域の人たちの健康被害をできる限り防ぐために、

やれることは、やる。

そういう姿勢を持った農家になろうと、伊藤さんは言い続けてきた。

 

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そんな取り組みが、地域全体にも認められてきて、

今年の秋から 3 年かけて 1500 ha の反転耕を実施することになった。

自分たちの田んぼさえ良ければ、ではない。

地域全体を守ることで、自分たちの米も家族も守ることができる。

伊藤さんたちは、その率先垂範を見事にやってのけたのだ。

 

他の地域で反転耕が進まない理由の一つは、

日本のトラクターでは歯がたたないからだと、伊藤さんは言う。

そこでジェイラップでは、EU製の150馬力の大型トラクターを手に入れた。

チェルノブイリ後に開発されたトラクターで、

キャビンのドアを閉めると気圧が変わって、外からの埃が入らない構造になっている。

オペレーターの健康にも配慮されたものだ。

日本のメーカーから、なんで日本製を使ってくれないのかと聞かれ、

「日本のトラクターは零戦だ」 と言ってやった。

農作業者の体のことなんか考えてないだろう、と。

 

「 数 km の面単位でやった時に、どれだけ線量が下がるのか。

 そのデータを、来年の春にはお見せしたい。

 そのために、今年の稲刈りが終わったら、すぐに作業に入ります。

 科学的根拠を持って、着々と進めていきたい。」

 

聞いてるだけで、胸が震えてくる。

僕たちは、命の糧を通じて、彼らとつながっている。

このつながりを築いてこれたことを、僕は腹の底から誇りに思う。

 

あと一回。

3人の言葉を拾って、終わりにしたい。

 

≪注≫

「大地を守る会の備蓄米」 については、

ゲルマニウム半導体検出器による自社測定を行ない、

すべてのサンプル玄米で 「不検出」(検出限界値=3 Bq) となっています。

 



2013年9月12日

新天地を拓く父と、残った農地を守る息子

 

千葉・海浜幕張にも赤とんぼの姿が見えたね。

収穫の季節に入ってきたんだな、と思う。

しかしこいつらはいったいどこで産卵-繁殖しているんだろう。

 

さて、放射能連続講座Ⅱ-第6回レポートを続けます。

アーカイブをご覧いただいた方には " 今さら " の記事かもしれないけど、

レポートを残しておくのが自分の義務だとも思っていて、お許しを。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事・佐藤佐市さんに続いては、

福島の浜通り、いわき市から 「福島有機倶楽部」代表の阿部拓さん。

6 年前に 7 軒の農家で結成。

有機JAS 認証を取得して野菜作りに励んできた。

そこに地震と津波、原発事故。

いわき市では津波で 446 人が亡くなった。

 

農家が移住するという、重大な決意を迫られるなか、

有機倶楽部では 5 軒のメンバーが移転を余儀なくされた。

双葉町の鶴見博さんは千葉に移り、新天地で有機農業を再開した。

一人は北海道に農地を求めて就農の準備中。

旧都路村の仮設住宅に移った仲間は、まだ農業をやれない状態。

原発から 40km 圏内にいた一人は、有機JAS認定を諦めて脱会した。

もう一人は津波による塩害によって、

作物を作っても夏になると枯れてしまう状態である。

 

阿部さんは1ヶ月避難した後に戻ったのだが、

畑の状態が悪く、撤退を決意。

その後、宮城県大崎市に農地を得て再スタートを切るも、

販売先がなく、無農薬でつくっても地元JAに出荷するしかなかった。

今年、大地を守る会に米と野菜を出荷する

「蕪栗(かぶくり)米生産組合」 野菜部会に入ることができ、

ようやく落ち着いて野菜作りができるようになった。 

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いわきにはもう一ヶ所、

40㎞(原発からの距離ではない) ほど離れた場所に畑があって

そこは息子さんが 「残って、やる」 というので、任せることにした。

離れ離れでの農業になってしまったが、

それぞれ懸命に有機農業でやっていこうと思っている。

そんなわけで 「福島有機倶楽部」 は

2名のメンバーで何とか続けている状態である。

 


しかし、2軒の農家で続けているといっても、

原発事故によって販路はまったく閉ざされてしまった。

取引のあった団体からはほとんど断られ、

窓口を開き続けてくれたのは、大地を守る会だけである。

(現在、他は直売所での販売という状態。)

 

宮城では、減反田を借りることができ、土づくりから始めた。

まったく最初からの出直しで、土ができるのに 3 年はかかるだろう。

収量も上がらない中で続けている。

それでも、いずれ有機認証を取るつもりでやっている。

 

とにかくこの2年間は、

虚脱感や精神的ダメージから抜け出すのが精いっぱいだった。

とても佐藤佐市さんや、ジェイラップの伊藤さんのような

元気の出る話はできないです。 申し訳ないけど。

 

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「原発事故さえなければ」 と、つくづく思う。

放射性物質は、土や海を汚染しただけでなく、

人間に対しても内部被ばくという汚染をもたらした。

風評被害の影響は今も続いていて、

放射性物質「不検出」 のデータを示しても、なかなか売れない。

 

損害賠償をすればいいじゃないか、という人もいるけれど、

販売して得るお金と賠償金では、喜びが違う。

賠償金では、虚しさしか残らない。 心が蝕まれていくようだ。

何度も何度も、書類を用意しては交渉を繰り返し、ヘトヘトになる。

苦痛になって、諦めが出てくる。

野菜の種をまいた方が、よっぽど元気が出る。

 

原発は人間の手に負えない、とつくづく思う。

賠償金だけでは、心の被ばくを感じる。

 

今は、2 軒の農家で必死で続けている。

やり続けることから、突破口を見い出したい。

消費者の方々にお願いしたいことは、

「不検出」 だったら食べてもらうことはできないだろうか。

私たちは手を尽くし、種をまき続けるしかない。

そんな農民がいることを、どうか忘れないでほしい。

種をまき続けながら、原発に頼らない生き方を模索していきたい。

 

続いてジェイラップ・伊藤俊彦さんの話へと進みたいのだが、

すみません。 今日はここまでで。

 

心の被ばく・・・・・今もこの被害は続いている。

それは賠償の対象にはならない。

阿部さんを受け入れてくれた蕪栗の生産者にも感謝しながら、

数年後に、有機JASマークの貼られた阿部さんの野菜が届くことを、

忘れずに待ち続けたいと思う。

 



2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

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トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

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旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

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二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

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続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



2013年9月 7日

この田園に、たたかいの証しがある!

 

8月30日(金)、

後継者会議の現地視察途中で切り上げ、会社に戻る。

弥生ファームの皆さん、ごめんなさい。

 

実はこの日の夕方、福島県須賀川市では、

ジェイラップの 「全国農業コンクール 名誉賞・福島民報社賞

の受賞報告会が開かれていて、

伊藤俊彦さんから招待を頂いていたのだが、

出張で溜めてしまった仕事もあるし、翌日には放射能連続講座も控えていて、 

さすがに断念した。

羽田に戻ってその足で須賀川に向かえば

16時の開会に間に合わなくもない・・・

という思惑が捨て切れず、ギリギリまで迷ったのだった。

 

伊藤さんも忙しい。

受賞報告会には、須賀川市長から毎日新聞の福島支局長など

多数の来賓もあり、鏡開きでは何と、

原料米の契約栽培などでお付き合いのある酒造3社

(大和川酒造、金寶酒造、廣戸川酒造) の薦樽(こもだる) が3つ

並べられて行われたとのこと。

おそらく遅くまでたくさんの人に囲まれたことだろう。

しかも翌日は、大地を守る会の放射能連続講座のパネラーとして、

上京してもらわなければならないワケで。

ちなみに、大和川酒造店の樽酒は、

「種蒔人基金」 から提供させていただいたことも、お伝えしておきたい。

 

ここで放射能連続講座のレポートへと急がねばならないところなんだが、

先にこの写真をアップしておきたいと思う。

9月3日、実りの秋を前にする稲田地区の風景。

美しいでしょう、田が荒れてない。

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春にも書いた ことだけど、

伊藤さんたちジェイラップは、震災と原発災害後に減った耕作地を

見事に蘇らせていった。 

理論的根拠をもって除染し、科学的数値で米の安全度を示し、

自分たち(稲田稲作研究会) の米の信頼回復だけじゃなく、

地域全体の再生へと導いたのだ。

この田園は奇跡だ。 ここにこそ、たたかいの証しがある。

 

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伊藤さんは、8月31日には放射能連続講座で話し、

軽く一杯やってとんぼ帰りした後、

翌9月1日には、

チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんや

栃木の民間稲作研究所・稲葉光圀さんとともに、南相馬へと飛んでいる。

現地の農家たちと放射性物質の移行や除染の考え方について、

これまでの経験に基づく知見を伝え、今後の対策を話し合ったようだ。

この模様は、

9月22日(日)10:05~10:58、NHKテレビの復興サポート番組

で流れるとのこと。

 予告はこちら ⇒ http://www.nhk.or.jp/ashita/support/index.html#next

ジェイラップの農地除染風景も紹介されるかもしれない。

お時間ある方はぜひ!

 

9月3日は、収穫前にと、駆け足で立ち寄ったのだが、

伊藤さんは疲れも見せず、田んぼを案内してくれた。

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今年の出来もいい、と伊藤さんは胸を張る。

田植え時の水不足、7月の長雨と時にゲリラ豪雨、8月の猛暑を乗り切って、

手をかけたぶん期待に応えてくれる稲たち。

慈しみたくもなる。

 

ここは実験ほ場。

2年間耕作が放棄されて、草だらけになっていた田んぼだ。

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耕し直し、ゼオライトを投与し、反転耕をやって、もう一度ゼオライトを散布し、

放射性物質を封じ込める。

この作業によって周辺の空間線量も確実に下がっている。

子どもたちの内部被爆を限りなく防ぐ努力、でもあるのだ。

 

伊藤さんの心に、春はまだ戻っていない。

たたかいの終着点は見えないけど、

「いつか孫に褒めてもらえる仕事をしておきたい」 という願いは、

立派に果たしたんじゃないか。

本当に頑張ったと思う、ジェイラップの人たちは。

 

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すべての生命が讃えているよ、と

ポーズをとって迎えてくれたアキアカネに敬意を表して、記しておこう。

 

書いていて、後悔がぶり返してくる。

無理してでも、受賞報告会に行けばよかったなあ。

行って、天晴れ!のひと言でも発したかった。

ま、この思いは、10月26日(土) の収穫祭に取っておこう。

 

「稲田収穫祭」、現在募集中。

一般参加も大歓迎!!! です。

福島・中通りで起きた奇跡を、皆さんの眼で、しかと確かめてほしい。

案内と申し込みはこちらから。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html

 

すみません。

放射能連続講座のレポートは次回に。

 



2013年9月 4日

有機農業しかない!! だろう。

 

新規就農を支援しても、販路の開拓が難しい。

この悩みに特効薬はない。

前回の末尾の言葉はいかにも冷たいようだけど、

自分の経営規模やスタイルに合わせて考えるしかない。

例えば浅見さんたちのような多品種少量生産では、

個人・地域・直売所・地元の食品加工所といった相手がマッチする。

大地を守る会には仲間と共同での野菜セットか、

一定の生産量がある場合のみ単品オーダーが可能になる。

これが庄右衛門インゲンなら、

畑事情に合わせて出荷できる 「日本むかし野菜」 で受け入れ可能だ。

 

僕が言えることは、新規就農で

いきなり大きな流通組織に頼るというのは無理というか、

かえって危険だろうということだ。

地域を眺めてみてはどうか、可能性が見えてこないだろうか。

近場の地方都市に消費者はいないか、そんなはずはないだろう。

レストランやパン屋さんと連携して何か新しいモノや仕掛けが作れないか。

学校給食に交渉の余地はないか。

給食で採用されたなら、子供たちの食育を積極的にお手伝いしよう。

お年寄りのためにできることはないか・・・

見つめてみよう、地域を。 視野はちょっと広めに、異業種も含めて。

 

気候変動は激しくなっている。

TPP は仁義なき価格競争の世界をもたらしそうだ。

見えてくるのは食糧危機だというのも、頷ける。

そんな中で、この国の農業就業者はどんどんいなくなっている。

ピーク時に1,454万人いた農業者は、いまや239万人とされる。

16%にまで落ち込んだのだ。

しかもこの1年で、10万人以上減ったのをご存知だろうか。

農業者の平均年齢(65.8歳) をみれば、この流れは止まらない。

いま目の前で (正確には背後で)、雪崩は激しく進んでいるのである。

しかしその現象は、関心ない人の目には入らない。

 

一方、新規に就農した人の数は昨年 5.6万人。

これを二ケタにしないと収支が合わないわけだが、

それならそれで、たくさんのチャンスが広がっているとも読める。

有機農業従事者の平均年齢は全体の平均より5歳若い、

というデータもある。

後継者がいる率も高く、

何より有機農業に突出しているのは、新規参入者の多さだ。

いま新規就農を考える人のほとんどは有機農業を志向している。

これは何を意味するか。

 

ディスカッションではバラ色の未来は描けなかったけど、

後継者といわれる人たちの肩にかかってきていることはたしかなワケで、

いっちょやったろか、と胸を張って行こうじゃないか。

マーケットがない、ではなくて、マーケットに目を開かせるために、

あるいは地域住民を安定消費者に変えるために、

どうするかを考えよう。

 

次に、

ワシにも1時間、いや30分でエエ、発表の時間をくれ!

とプログラムにねじ込ませたのは、

高知県下の生産者をとりまとめる 「高生連」 事務局の田中正晴さんだ。

 

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田中さんは、高知大学の学生時代から

公害問題や原発建設への反対運動、自然保護などに取り組んできた。 

その延長で、自然塩づくりや有機農業のネットワークづくりに邁進する

人生を送ることになる。 

「この話を30分でまとめるのは大変なんやけど・・・」 と、

田中さんは高知での反公害・反原発のたたかいを一気に辿りながら、

県下での有機農業の歴史をかぶらせていく。

なるほど。

若者たちに、有機農業はたんなる  " 安全な食 "  生産の話ではない、

いのちを守るたたかいとともにあるんだと伝えたいのだ、と読んだ。

ここにも熱い男が一人、いた。

 

夜は楽しく飲み、

翌日は (株)弥生ファームの生産ほ場を視察。

生産法人名は 「(有)大地と自然の恵み」 。

10名の社員を雇用し、有機認定ほ場は 7ha に広がる。

 

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ニラのハウスに、出荷場。

ベテランの母ちゃんたちが素早い手さばきで調製している。

 

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ニラの正品一袋つくるのも、簡単ではない。

脇のオレンジ色のコンテナには、一見して、これも?

と思える葉がパッパパッパとはじかれていく。

こういう現場も、見なきゃ分からない。

誰ともなく、もったいないね、の言葉が漏れてくるのだが、

品質の安定とクレームの少なさが産地の評価につながる。

複雑な心境・・・ も忘れないようにしたい。

 

こちらはユズ畑。

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「弥生ファーム」 と 「大地と自然の恵み」(代表:小田々智徳さん)

の掲げる理念は、

① 自然界との共存共栄

② 有機農業者が誇りを持って農業に取り組める社会環境つくりに努力する。

③ 豊かな大地と自然を次世代に引き継ぐことができる総合的な環境つくりを行い、

  有機農業に携わる全ての人に恵みが得られるよう努力する。

 

毎年かわる天候に振り回されながら、

一本のニラ、一個のユズに、理念と苦闘の結果が表現される。

厳しい世界だよね。

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じっくりと回りたかったのだけど、

視察途中で一足先に帰らせていただく。 

 

解散時の記念写真は、農産チーム・市川泰仙提供。 

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後継者会議も10回目となり、年々少しずつ顔ぶれも違ってくるし、

時代とともに農業観も経営感覚も変化してくることは仕方のないことだ。

それでも、今日の君は先人たちの汗の上に立っているのである。

土台をしっかり踏みしめて、飛んでほしい。

社会の様相とデータが指している未来の方図は、有機農業である。

それは間違いない。

 

解散後、残った参加者たちは、オプションで設定された

木質ペレット・ヒーティングシステムの見学に回ったようだ。

 (株)相愛エコデザイン推進室の前田誠一さんが、

ブログで紹介してくれているので貼りつけたい。

 ⇒  http://soai-net.jimdo.com/

 

前田くん、実は大地を守る会の元社員。

OB が各地で頑張ってくれるのは、嬉しく、励みになる。

 

「第10回 全国農業後継者会議」 レポート、

終わります。

 



2013年9月 2日

『語ろう! これからの農業』 -後継者会議から(続)

 

「第10回 全国農業後継者会議」 報告を続ける。

 

有機農業の本質的な価値を受け継ごうとする浅見彰宏さんの基調講演に続いて、

浅見さんも含めた3名の生産者によるパネルディスカッション。

後継者といっても、今回お願いしたパネラーは、

すでに地域の牽引者として活躍する脂の乗った40代である。

テーマは、『語ろう! これからの農業』。

僭越ながら、コーディネーターを務めさせていただく。 

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まずは浅見さん、基調講演で言い足りなかったことや

今の課題、同世代に伝えたいことがあれば、と水を向ける。

 

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山間地での有機農業の意義と役割をしっかりと整理したうえで、

浅見さんは 「責任のないものにも責任を持つ生き方」 をしたいと語る。 

260年続いてきた水路を守るために奮闘するのも、

自分の田んぼのためだけじゃない。

地域を守ることは、農の役割の重要な柱だと考える。

だから新規就農者を支援し、「会津耕人会たべらんしょ」 のメンバーも

増やしていきたい。

そのためには、少量多品目栽培をベースにしながらも、

安定した販路も確保する必要があり、

これまであまり考えることのなかった  " 基幹作物 "  という視点も

取り入れる時期に来ているか、と思い始めている。

彼がいま考えているのは、在来品種 「庄右衛門インゲン」 である。

たしかに柔らかくて美味しいインゲンだ。

しかも自分たちで種を保全できる。

(注・・・大地を守る会では、「とくたろうさん」 改め 「日本むかし野菜」 に登録すると、

 この時期に何度か届きます。)

小さな農家で生きていきながら、次の世代に希望を引き継ごうと思っている。

 

続いては、高知県佐川町の田村雄一さん。

ニラ栽培と酪農を主体としつつ、「SOEL」(ソエル) という

有機農業研修組織をつくって若手育成に努める46歳。

会津耕人会の野菜セットに続く形で、

研修生たちが育てた 「高生連の tururu 河鹿の里野菜セット」 を届けてくれる。

毎回のていねいな包装に、

三浦さん夫妻の指導の証しが感じ取れるセットだ。 

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田村さんは30歳で脱サラし、農業を継いだ。

有機農業に転進したのは、お父さんの病死がきっかけだという。

高知県は単位面積あたりの農薬使用量が日本一の県で、

当時佐川町に有機農業をやっている農家は一軒もなかった。

「有機でやる」 と言ったとき、

周囲の言葉は 「田村は潰れる」 だった。

以来、潰れるワケにはいかない、と覚悟を決めてやってきた。

 

研修組織を立ち上げたのは、就農して3年でやめるパターンを見たこと。

自分の持っている資源・設備・労力を活用して、若手の育成をしたいと考えた。

現在、SOEL(サカワ・オーガニック・エコロジー・ラボラトリィ) には、

4名の研修生がいて、うち3名は県外からである。

課題は、入手できる土地が条件不利地ばかりであること。

そして新規組に販路がないこと。

地域農業全体の衰退と、諸費用の高騰も不安である。

新規就農者へのメッセージとしては、

いきなり高品質や多収穫を目指さず、未利用資源を有効活用しながら、

「しぶとく、無難に、そこそこに」、

まずは有機で飯が食えるようになること。

 

田村さんには高校生の息子がいる。

小さな時から農作業で遊ばせて、何かできるたびに、とにかく褒めた。

今ではそこそこの仕事はできるようになっている、という。

素晴らしい。

潰れるどころか、誰が農の未来を支えようとしているのか、

と言いたいところだろう。

 

3番手は、島根県浜田市から

「いわみ地方有機野菜の会」 の三浦大輔さん、40歳。

浜田市といっても、5市町村が合併してからは

日本海から広島県境まで至る広域の市となった。

三浦さんが住むのは浜田市弥栄町、旧弥栄村といえば山間地である。

やっぱ旧市町村を示さないと地域が見えてこないよね。 

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三浦さんが森林組合の勤めを辞め、地元に帰って農業を始めたのが7年前。

コンビニも信号もない、働く場所もない村に帰る以上、

地元に恩返しがしたい、仕事を創り出したい、と思った。

幸い佐々木一郎さんという先人がいて、

「いわみ地方有機野菜の会」 という組織がつくられていた。

この出会いによって、三浦さんは最初から有機農業で始めるのだが、

もともと有機農業をやりたかったのではなく、

地元で農業でやっていけるようにするために選んだのが、有機農業だった。

サラリーマンと同等レベルの生活ができる、儲かる農業がしたかった、

と本音を隠さない。

山間部で日照時間が短く、街への距離が長いため輸送コストがかかる。

野菜の価値でたたかえる有機農業でいこう、と考えたのだ。

こういう経営感覚で有機に参入する人が現われることを、

良い悪いと峻別してはいけない。

これは有機に力がついてきた証左であって、 問題はその次である。

同じ山間地で生きることを決めた浅見さんと三浦さんが

何を語り合いどうつながるか、だろう。

ちなみに、浜田市弥栄町 (弥栄自治区) が昨年発行した

有機農業普及パンフレット の表紙には、こう謳われている。

「山村だからこそ、有機農業。」

山村に若者がやってくる、有機農業者が増える、子供が生まれる、

そうやって何かが変わっていく。

 

三浦さんはハウスを1棟建てるところから始め、

最初の年に11棟まで増やした。

市も支援してくれて、現在では66棟。

面積にして1.3ha という規模にまで達し、

葉物野菜中心での周年出荷体制を確立させている。

常雇用が2名、パート・アルバイトが15名。

この経営は楽ではないだろうと予測もするが、

立派な雇用創出である。

経営のコツは? と尋ねてみた。

明快な答えが返ってきた -「ビジョンを持つことです。」

 

5年前、いわみ地方有機野菜の会は、全会員の出資によって

販売会社 「(株)ぐり~んは~と」 を設立した。

これによって販売先が広がる中でも、作ることに集中できるようになった。

 

もちろん、課題や悩みもある。

病害虫対策、品質の向上、新規就農者のための販路の確保と経営安定支援。。。

最近は調理をしない、包丁もないという家庭が増えているのが心配だ。

生鮮物だけで売れなくなっている。

年間品目を増やして、いろんな生活スタイルやニーズに対応した

供給力をつけていきたい。

近年、夏が長くなってきている感じがしていて、

ハウスを回していく (栽培作物を変えながら年間出荷計画を立てる)

のに狂いが生じたりすることがある。

 

さて、会場とのやり取りでは、

販売会社立ち上げまでの経過や、山間地での水の確保の問題などが

話題に上がったが、一番集中したのは販路の問題だろか。

一般市場での有機農産物の販売は伸びてなく、

既存の団体や販売先はベテラン組が押えてしまっていて、参入できない。

また隙間を狙おうとすると旬を外すことにもなり、

結果的に生産コストが上がる。 何を作ればいいんだろう。

結局、新規就農者を育てても・・・という閉塞感や焦りがある。

このテーマについては、パネラーと言えども明快な答えがあるわけではないが、

いくつかのキーワードがメモられている。

増えてない、ということは減ってもいないわけで、充分に可能性はある。

まずは地域、地場に目を向ける、など。

 

議論をいま振り返って思うことは、

これはいつの時代にもついて回った悩みだった、ということだ。

時にブームのように伸びた時期もあったが、その次には必ず壁があった。

有機農業運動草創期の生産者の悩みに答えたのが

「大地を守る会の設立」(1975年) であったように、

ブームの兆しを捉えブレイクさせたのが 「らでぃっしゅぼ~やの設立」(1987年)

であったように、 

新たなムーブメントを起こすか、あるいは地域を掘り下げるか、

戦略は自らの生き方の延長線上に、あるはずだ。

有機農業推進法ができて、就農支援制度までつくられた時代にあって、

販路拡大の知恵まで先人に頼ってはいけないんじゃないか。

 

続く。

 



2013年9月 1日

ボクが百姓になった理由(わけ) -全国農業後継者会議から

 

週の後半から4日間、外出が続いた。

8月29(木)-30(金) は、高知で 「第10回 全国農業後継者会議」 を開催。

北は宮城から南は沖縄まで、

60名の農業後継者や新規就農者、そして研修中の若者たちが集まった。

(中には60を超えての 「新規後継者」 もいたけど、

 全部若者ということにしておきたい。)

 

続いて31日(土) は 「放射能連続講座Ⅱ-第6回」。

福島の生産者3名をゲストに招き、語ってもらった。

そして今日は、そのゲストの一人、二本松市の佐藤佐市(さとう・さいち) さんを

埼玉県飯能市の 「自由の森学園」 にお連れした。

佐市さんの野菜をずっと学園の食堂で使っていたのだが、

原発事故によって途絶えてしまっていた。

それでも今回の講座をきっかっけに動いてくれた先生がいて、

この機会に 「久しぶりに、ぜひ学園にも」 という話になったのだった。

佐市さんも大変喜んでくれたので、

ここは勝手知ったる飯能ロード、運転手を務めさせていただいた次第である。

講座にも、理事長はじめ6人の先生が参加してくれた。

 

実に濃密な4日間だった。

こういうイベントフルな日程を終えたあとは心地よい疲れを楽しみたいものだが、

間を置くと書けなくなるので、ちょっとずつでも順番に振り返ってみたい。

 

まずは 「全国農業後継者会議」 から-。

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会場は高知市内のホテル。

例によって、藤田代表の冒頭挨拶。

 

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「農業は命を育む産業だと思っている。

 農民には魅力的な人が多い。 それは日々生命に触れているからだろう。

 安倍首相はTPP参加を表明したが、

 世界は戦争への危機や石油の枯渇、異常気象など、極めて不安定な時代に入っている。

 食糧危機も迫っていると言われる中で、

 どうやって食の生産基盤を守っていくかが鍵である。

 自分の意思で、意欲を持って農業を選んだ皆さんこそが、次の時代を創る。

 大地を守る会も、皆さんと消費者をつなげながら、

 ただ単独で頑張るだけでなく、

 買い支える力を強化していくために、たくさんの仲間を増やしていきたい。」

 

今回の幹事を引き受けてくれた、高知・弥生ファームの

小田々仁徳(おだた・まさのり) さん。

昨年、秋田県大潟村で開催した際に、次は高知で、と真っ先に手を挙げてくれた。

 

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「原発、TPP、歴史的豪雨に干ばつなど、

 日本は大きな変化に見舞われていますが、変化に対応しつつ、

 みんながつながって、大きな力になってたたかっていくことが大事です。」

 

今年の生産者会議には、

事業提携したローソン社の方も顔を見せてくれている。

代表して挨拶される(株)ローソン常務取締役、加茂正治さん(写真右端)。

加茂さんは、(株)大地を守る会の取締役でもある。

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ローソンはこの春、" 健康を応援する "  宣言を発し、

野菜を食べようキャンペーンを開始した。

「10年かけて、ホンモノだと言われるようになりたい」 と決意が語られた。

 

さて、本番。

今回の基調講演は、本ブログでもお馴染の方。

福島県喜多方市から参加してくれた 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

彼自身の農園の名は 「ひぐらし農園」 と言う。

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千葉県出身。

大手の鉄鋼メーカーに就職するも、

1993年の大冷害をきっかけに農業に関心を持つようになり、2年後に退社。

埼玉県小川町の金子美登(よしのり) さんの農場での研修を経て、

1996年7月、喜多方市山都町に移住、就農した。

以来17年、夏は農業、冬は造り酒屋(大和川酒造店)での蔵人として働く。

 

今回の基調講演のタイトルは、

ぼくが百姓になった理由(わけ)・・・山村で目指す自給知足』

 

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浅見さんの山間地へのこだわりは、彼の有機農業観からきている。

有畜複合経営で少量多品種栽培、資源の地域内循環と地域内自給、

自然との共生、生物多様性の維持など、

彼が求める農の形態を持続的に営むためには、

水源地の保全や里山の適切な維持管理(利用すること) が必要である。

山間地の保全は下流域の環境を守ることにもつながっていて、

その意味でもそこは多数の小規模農家 (山林も守る複合経営農家)

の集合体である方が健全な形だということになる。

わずかな人数の大規模農家で維持できるものではない、

というか大規模化自体が不可能な場所なのだから。

それは自給をベースにした有機農業のスタイルに合う。

 

土地と風土を活かした自給的暮らしを土台として、

地域での暮らしや共同体存続のお手伝いをしながら、

山間地農業の振興に貢献する。

それが 「ひぐらし農園」 の社会的役割だと、浅見さんは語るのだった。

浅見さんが2000年からボランティアを募って維持してきた堰(せき) は、

今や都市生活者とつながる水路の役目を果たしている。

 

3.11で福島の農家が直面したことは、

環境の破壊のみならず、生産と消費の間での信頼の崩壊をもたらし、

避難を余儀なくされた人たちにとってはふるさとの喪失であった。

あらためて食の安全とは何かを考えさせられ、

到達したのは、「未来へつなぐ」 という社会的役割を放棄するわけにはいかない、

という心境だった。

放射能から逃げるのではなく、向き合い、耕し続けると決意した。

 

幸いにも、放射能の作物への影響の研究が進み、

日本の土壌では作物への移行は極めて少ないことが判ってきた。

このことに感謝し、未来へつなぐための新たな仕組みを創り出してゆきたい。

最初に目指した 「自己実現」 から、地域づくり、そして共生の社会へ。

 

経済原理からみれば条件の悪い、人もいなくなっていく山間地に

新規の就農者としての役割を見い出し、地域活性化に挑む。。。

それぞれに土地条件は違っても、

農の持っている役割や力は共通である。

都会から山間地に就農して17年。

今や地域になくてはならない存在になった先輩からの、力強いプレゼンだった。

 

すみません。 今日はここまで。

続く。

 



2013年8月25日

郷酒(さとざけ)、3年連続「金賞」受賞!

 

昨日は、夕方から飲んだ。

しかも  " とりあえずビール "  などない、

のっけから日本酒一本。

 

我らが銘酒 「種蒔人」 の蔵元、大和川酒造店(福島県喜多方市) の

『大吟醸 弥右衛門(やえもん)』 が、

全国新酒鑑評会で見事、金賞を受賞した。

しかも3年連続という快挙だ。

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したがって、祝う会も3年連続。

当然のごとく、" 日本酒でカンパイ!"  の夕べとなる。

 

毎度書いてきたことだが、大和川酒造のこだわりは、

その土地の米で酒を醸してこそ 「地酒」 であろう、という哲学である。

東北での栽培は無理と言われてきた酒造好適米 「山田錦」 を

自社田「大和川ファーム」 で育て、地の水、地の技で最高の地酒に仕上げる。

そして  " この酒で獲ってやる "  と決めた全国での金賞獲得。 

弥右衛門さんは、この意気地を込めた酒を 「郷酒(さとざけ)」 と表現し、

地酒に代わる言葉として世界に広めたいと企んでいる。

 

というワケで、

第3回 「郷酒を楽しむ会」、の開催。 

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会場は、有楽町にある日本外国特派員協会。

 

挨拶に立つ、九代目・佐藤弥右衛門さん。

「金賞を祝う会」 にすると来年できないかもしれないので・・・

と笑いを取って、

「金賞は、続けて取ってこそホンモノと言われる。

 郷酒は3年連続。 正真正銘の金賞酒として誇りたい」

と胸を張った。

あっぱれ、大和川酒造店!

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最初の来賓挨拶に指名されたのは、

環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也さん。

 


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「長州人の私が会津に足を運ぶようになったのは、弥右衛門さんのせいです。

 最初は殺されるかもしれないと恐怖も感じたけれど、

 会津でのエネルギー自立運動に少しでもお役に立てたなら、

 かつて会津を賊軍に落としこめたことへの、私なりの罪滅ぼしにもなるかと。

 東電から水系を取り戻すたたかい、やりましょう!」

 

そしてあろうことか、乾杯の発声に指名されてしまった。

開会5分前に、「エビちゃん、カンパイ、ヨロシク」 という無茶振り。 

もう、勘弁してよ。。。

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大和川さんとのお付き合いも、ついに20年になった。

忘れもしない、平成の大冷害と言われた1993年。

一枚でも多くの田んぼを残したいと、

稲田稲作研究会の伊藤俊彦氏(当時は農協職員) と一緒に乗り込んで、

「俺たちの酒を造ってほしい」 と頼み込んだ。

当時専務だった佐藤芳伸さん(現在の弥右衛門さん) は、

拍子抜けするくらいの一発回答で受けてくれて、

そうと決まったら、とラーメンを食いに出た。

 

あれから20年。

大和川酒造はどんどん人脈を広げ、

ニホンシュの命運を背負って世界にまで飛び出した。

 

2011年の春。

原発事故の影響が予測しきれないまま米づくりに突入したのだが、

万が一を心配して大和川ファームが原料米栽培を引き受けてくれて、

稲田(須賀川) で育ち始めた苗を会津まで運んだ。

大和川さんから無事田植え完了という知らせを受けたとき、

僕は今年の米で造られた 「種蒔人」 をゼッタイに忘れない、と肝に銘じた。

米づくりがリレーされたお酒って、前代未聞のことだろう。

 

奇しくも、3年連続金賞の快進撃は、この年から始まった。

さらに会津電力へと弥右衛門さんのたたかいは続く、郷酒とともに。

これは未来への希望をかけたたたかいである。

挑み続ける大和川酒造店に与えられた金賞の栄誉と、

郷酒に連なるすべての人たちのご健勝を祈念して、乾杯!

(・・・という感じで、何度も噛みながら。)

 

楽しむ会には、超ビッグなゲストが招かれていた。

能楽囃子大倉流大鼓(おおつづみ)奏者、重要無形文化財総合認定保持者、

能楽師の 大倉正之助 さん。 

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生で聴く大鼓の迫力に、会場は一瞬にして圧倒される。

ローマ法王に招聘されてクリスマスの日に宮殿で独演したという雲上の人の演奏が、

郷酒をいっそう奥深いものにしてくれる。

能楽なんてさっぱり分からないけど、

これは一度ちゃんと鑑賞する必要があるなあ・・・

なんて感じ入っていたら、大倉さんのほうから声をかけてくれた。

「大地を守る会の初代会長・藤本敏夫さん(故人)は、よく聴きに来てくれたんですよ」

だと!!!

感激の極みで、1枚お願いする。

我ながら、面の皮が厚い。

 

宴たけなわの中で、アナウンスがあって壇上を振り返れば、

これまたテレビや雑誌でしか見たことないお方の登場。

世界的ファッションデザイナー、コシノジュンコ女史ではないか。

 

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私と大和川さんの関係は・・・

写真を撮るのに焦って、どういうご関係なのか聞き取れなかった。

まったくどういう関係なんだよ。

人脈はどこまで広がっているのか、恐るべし、佐藤弥右衛門。

 

佐藤和典工場長(杜氏) はじめ、晴れの舞台に立つ蔵人たち。

米の種まきから始まり(厳密にはその前作業から)、

実際に造ったのは、俺たちだ! 

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一段と高まる拍手。 

一人一人、胴上げしてあげたいくらい。

 

楽しむ会のあとも場所を替え、

酒客たちは日本酒で何度もカンパイするのだった。

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郷酒とともに拓かれていく未来に、広がっていく希望に、

もう一回、乾杯!

終わんないね・・・

 

最後にお知らせ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

大和川酒造での酒造り体験企画を準備中です。

袋絞りという伝統的手法で贅沢なお酒を一樽、一緒にやってみませんか。

もちろん部分的な体験でしかありませんが、

お米が並行複醗酵という複雑な工程を経て清酒に仕上がっていく世界を

体感し、最後はそれぞれにマイ・ラベルを貼って、

" オレの酒・私だけのお酒 "  を楽しみます。

贈り物にも使えます。

会報誌 『NEWS大地を守る』 12月号にて告知します。

乞うご期待。

 



2013年8月21日

営まれてこそ続く未来への財産

 

斎藤さんの田んぼを後にして、

次に訪れたのは 「トキの森公園」。

 

ここでトキ保護から野生復帰までの歴史を辿ってみると-

大英博物館がトキに 「ニッポニア・ニッポン」 という学名を付したのが 1871年。

日本の特別天然記念物に指定されたのが 1952年。

国際保護鳥に選定されたのが 1960年。

佐渡・新穂村に 「トキ保護センター」 が開設されたのが 1967年。

1981年、佐渡に残っていた野生のトキ 5羽を捕獲し、センターで飼育を始める。

以降、中国から借りたりもしながらペアリングを試みるが成功せず。

1989年、中国で初めて人工ふ化に成功。

1994年、保護センターを含める形で 「トキの森公園」 がオープン。

 一般公開が始まる。

1999年、国内で初めて人工繁殖に成功。 「ユウユウ」 誕生。

2003年10月10日、日本最後の野生トキ 「キン」 死亡。 享年36歳。

2007年、11ペアから14羽のヒナが育つ (自然繁殖11羽)。

2008年9月25日、10羽のトキが野外に試験放鳥される。

 以降、今年の6月まで8回の放鳥が行われた。

2010年、放鳥トキの営巣確認。 産卵が確認されるもふ化せず。

2012年4~5月、自然界で36年ぶりのヒナ誕生が確認される。

 

これまでに放鳥された数、125羽。

うち 70羽が生存しているとされる。

野生化で誕生したトキの数、22羽。 うち12羽が生存中 (6羽死亡、4羽は収容)。

 - 以上、パンフレットおよびHPから -

 

自然に放たれるのを待つトキたち。

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トキはコウノトリ目だと理解していたが、

数年前にペリカン目に変更されたことを初めて知った。

この違いは何なんだ。 

今度、陶ハカセに会ったら聞いてみよう。

 (それくらい自分で調べろ、と言われそうだけど・・・)

 

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さて、ペリカン、じゃなかったトキのおさらいをしたところで、

ここなら運がよければ野生トキが見えるかもしれない、

というスポットに案内される。

「あくまでも、運がよかったら、ですからね」

渡辺課長に念を押される。

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なるほど。 水辺があり、営巣できる森がある。

しかも巣に戻ってくる夕方の時間帯。

さあて、本日の我々の運力やいかに。

 


あの林のあの木の上のほうに白いものがチラチラ、見えない?

いやあ見えないなあ、巣じゃないかなあ・・・

とか言い合いながら、10分ほど待っただろうか。

誰かが叫んだ。

「来た!」

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オオー! と歓声が上がる。

コンパクトカメラのズームでは、ここまでが限界。

一羽発見で喜んでいるのも束の間、

続いて4羽の編隊が帰って来た。

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田んぼの上を悠々と舞うトキ。

驚きの声が、ゆっくりと感動のため息に変わる。

 

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この風景を取り戻すのに約半世紀。

時代に抵抗するかのように棚田を復元し、餌場を増やし、

トキと共存する環境を蘇らせてきた。

大の大人たちが、数羽の野鳥を見て感慨に浸っている。

失っていた大事なものを、少しは見つめ直すことができただろうか。。。

 

島に復活したニッポニア・ニッポンと、どう暮らしていくか。

米が高く売れるなら、といった算盤ではすまないよね。

このペリカン目の鳥を眺めては、島のありように思いを巡らせたりしながら、

島の人々は生きていくことになるんだろう。

何かが試されている、のかもしれない。

 

「皆さん、何か(運を) 持ってますねぇ」

とおだてられ、とてもイイ気分になって、

「また来るから。 元気でいてね」 と、トキに別れを告げる。

 

途中、斎藤さんが昨年からチャレンジしている

自然栽培の田んぼに立ち寄る。

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『奇跡のりんご』 で話題の木村秋則さんの指導を受けて、

2枚の田んぼで始めている。

木村さんについては、ここでコメントは控える。

話を聞いて、「試しにやってみるか」 という斎藤さんの探究心にこそ

真髄があるので。

来年、再来年、あるいはその先の結果が、

何かを教えてくれるだろう。 

 

夜は露天風呂のある温泉宿で楽しく懇親会をやって、

翌8月18日(日)。

千葉孝志さん、マゴメさんと別れて、我々「米プロ」 一行は、

斎藤さんの車で、棚田保全に取り組む NPO法人を訪ねた。

 

岩首(いわくび) という地区で、

廃校となった小学校を借りて運営されている

「NPO法人さど 岩首分室」。

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ここでガイドしてくれたのは、佐渡棚田協議会会長、

" 棚田おじさん "  の愛称で呼ばれている大石惣一郎さん。

 

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集落内の名所 「養老の滝」 を見て、 

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大石さん自慢の 「岩首棚田」 を登る。 

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眼下に碧い海を望む。

2011年、日本でいち早く 「世界農業遺産(GIAHS)」 に登録された、

佐渡を代表する棚田。

初めて来た土地なのに、懐かしさのような感情が涌いてくる。

この 「遺産」 は、博物館でも史跡でもない。

人の暮らしとともに息づいているからこそ、

愛おしくなるのではないか。

営まれているからこそ続く、未来への資産である。

 

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「美しい村など、はじめからあったわけではない。」

民俗学の泰斗、柳田國男の言葉だ。

 

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先人たちの汗の賜物、営々と受け継がれてきた宝物を、

この国は  " 生産効率 "  という近代経済のモノサシで捨て去ろうとしている。

大丈夫かニッポン・・・・・ 遠くを見つめるエビであった。

キマってない? 失礼しました。

 

では、棚田と日本海をバックに記念撮影。

気分を変えて、棚田ヤンキー参上! でいきましょうか。

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法(のり) には、ミソハギが咲いている。

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お盆の頃に咲くので盆花とも言われている。

あえてこの草は刈らずに残すんだそうだ。

あぜの花もまた、郷愁を誘う脇役である。

 

駆け足で佐渡金山にも立ち寄って、帰途に着く。

最初から最後まで、ずっと案内してくれた斎藤真一郎さんに深く感謝。

 

来年、佐渡ツアーを実現させることを約束して、

島を後にする。

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2013年8月19日

朱鷺の舞う島へ

 

・・・やってきた。 

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大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーたちと組んだ、

公式ツアー企画を検討するための予備調査も兼ねての訪問。

僕にとって佐渡は、11年ぶり である。

 

8月17日(土)、7時48分発Maxとき307号で新潟へ。

新潟港からジェットフォイルで65分、

昼過ぎに佐渡島の真ん中に位置する両津港に到着。

港で出迎えてくれたのは、

佐渡 「トキの田んぼを守る会」 代表の斎藤真一郎さんと

大井克己さん、土屋健一さん、そして

佐渡市農林水産課長の渡辺竜五さん。

渡辺さんが市のマイクロバスを用意してくれて、運転手まで買って出てくれた。

 

港では、お米の仕入・保管・精米等でお世話になっている (株)マゴメの

馬込和明社長も合流。

さらには、なんと宮城県大崎市から車を飛ばして、

「蕪栗(かぶくり) 米生産組合」 代表の千葉孝志・孝子夫妻まで

駆けつけてくれた。

千葉さんも実は、生産組合の視察企画を考えての佐渡入りである。

そしてバスに乗り込めば、

佐渡の平たねなし柿の生産者、矢田徹夫さんが

笑顔で待ちかまえていた。

「矢田さんじゃないスか! いやーご無沙汰です。 お元気そうでなにより!」

この面子がそろっただけで、充実の交流が約束されたようなものだ。

 

まずは腹ごしらえ。

佐渡のB級グルメとして売り出し中の、佐渡天然ブリカツ丼。 

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佐渡の海で獲れた天然ブリに、

米は 「朱鷺と暮らす郷づくり認定ほ場」 で栽培されたコシヒカリ。

衣はその米粉使用という " オール佐渡 "  のこだわり。

その土地の食を記憶させることは、旅の大事な要素である。

しかも、庶民も気軽に食べられるお値段であることがキモだ。

" B級 "  にもちゃんとしたコンセプトがある、ってことね。

ウマかったです。 ご馳走さまでした。

 

さて、豪華メンバーとなった我々一座は、

両津から加茂湖を右手になぞりながら島の南側・小佐渡山地へと

入っていく。

朱鷺湖と命名されたらしい小倉川ダム湖からさらに上流に登り、

到着したのは、小倉千枚田。

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1969年から始まった減反政策以降だんだんと耕作放棄されてゆき、

荒廃地になってきたところを、5年前に復活のための支援が呼びかけられ、

オーナー制度 「トキの島農園小倉千枚田」 がスタートした。 

 

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田んぼごとにオーナーの名札が立てられている。

オーナー1口(1区画) 3万円で、30㎏のお米が届けられる。

募集した65口のオーナーは、すぐに予約が埋まったほどの人気である。

おかげで田んぼは90枚近くにまで復活した。 

それにしてもこの傾斜、小さな機械しか入れられない。

草を刈り、畦を塗り直し、水路を補修して、、、

かなり厄介な作業だったろうと推測する。

 

棚田の解説をしてくれる渡辺課長。 

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渡辺さんの話によれば、佐渡の棚田は、

金山発見によるゴールドラッシュの賜物である。

採掘の労働者はじめ人口が増え、米の需要が高まるにつれて、

棚田が開かれていったのだという。

しかも佐渡には自作農が多かった。

だから守ってこれたのだとも。

 

中には、こんな奥にまで、とビックリするような場所にも

田んぼがあったりするらしい。

いわゆる  " 隠し田 "  というやつか。

金山が発見されたのは、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)。

江戸幕府は佐渡を藩とせず、天領として直接統治した。

流人や無宿人も含め増える人口に対して、

秩序を保つためにも食糧は厳しく取り立てられたに違いない。

隠し田という言葉には、農民が刻んだ深い皺の、

その溝の奥に染み込ませた執念を思わせる響きがある。

 

よく見るとまだ荒地も残っていたりするけれど、

まあ見事に復田させたものではある。

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話を聞かされると、僕も一口、という気になるのだが、

その前に食べなきゃいけない、約束の米がたくさんあって。。。 

 

一角で、畦を野焼きしている作業が見られた。 

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野焼きは禁止された行為ではないか、と思われるかもしれないが、

農地や草地、林地の現場では、その必要性と効果は認められてきたものだ。

焼くことによって地表の植物が焼失し (地下部分は生きている)、

優先種による支配への遷移を防ぐ。

枯れ草もなくなり、裸地になって炭や灰が残る。

黒くなった地面に直接日光が当たると地温が上がり、

地中の微生物が活性化される。

それまで支配しつつあった優先種がいなくなったことで、

様々な埋土種子が発芽してきて、植物の種類が多くなる。

植物の種類が増えると昆虫の種類も増える。

窒素量が増加し、灰分とともに植物の栄養となって利用される。

その意味で、野焼きはただ草を刈るよりも生物多様性を高める。

適度にかく乱してやったほうが生物多様性が高まることを、

中規模攪乱説という。

 

また炭は長く土中に固定される。

CO2を吸収して育ち、炭となって土の浄化を助ける。

カーボン・オフセットという概念にも含まれる技術であって、

農林草地の野焼きは、CO2の増大を招くものではない。

ゴミを燃やしているワケでは決してないのだ。

 

山から下りて、斎藤さんの田んぼを見せていただく。

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冬水たんぼに江(え) の設置など、生き物たちのために田んぼを活かす。

経済的な生産性追求でない、もっと大きな世界と共存するための手仕事を、

米価低迷の時代にあって実践する人たちがいる。

僕らはこの外部経済 (それがあることによって、その商品価値以外の価値が守られている)

の意味を、ちゃんと問い直さなければならない。

 

ただ冬水たんぼは、けっして良いことだけではないようである。

収量や食味の点から見ても、3年目から弊害が出てくる、と斉藤さんは語る。

草の出方にも傾向があるようで、この技術を活かしきるには

もっと実践者同士の技術交流が必要なようだ。

 

斉藤さんの説明に反応し、自らの経験からアドバイスを送る

宮城の千葉孝志(こうし)さん (写真中央)。

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田んぼの縁にもう一本の水路をつくり、

田んぼを干した時にも水生生物が生きられる場所を用意する。

この 「江(え)」、ビオトープは、仲間の共同作業でつくられたものだ。

 

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トキの野外復帰を進め共存する、と口で言うのは簡単だけど、

このフィールドは国立公園内の話ではない。

これは一次産業者たちの暮らしとともに実現させるプロジェクトなのである。

僕らのベスト・タイアップは、どんな形なのだろうか。。。

 

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思いを深めるには、現場をもっと知らなければならない。

いや感じ取る必要がある。

 

さあ、トキを見に行こうか。

 



2013年8月13日

戦車からトラクターへ

 

今日は旧暦(太陰太陽暦) 七月七日、本来の七夕の日。

七夕とは秋の季語でもあり、やはり七夕はこの日にしたいと、

月のカレンダーがそれとなく主張している。

 

今年はお盆休みも取れず、

仕事、会議、仕事、会議、合い間に出張・・・ みたいな日々。

強がって仕事中毒を自慢したりしながら。。。

 

8月13日。

今夜、郷里では、春に急死した高校の同級生を偲ぶ会が開かれた。

仲間内の電話・メールだけで25人集まったとの連絡。

3年前に開いた同窓会では幹事を務め、

二次会のカラオケで一緒に河島英五の 『時代おくれ』 を歌った。

元野球部で少々いじられキャラのイイ奴だった。

今朝は早くに、帰省途中の女子(いつまで経っても女子) から

「エビちゃんは出るんやろな」 のメールもあって、

ますます無念な気持ちが募る。

やっぱ、こういう義理は欠いてはいけないか。

 

関東から、一人でヤツに杯を捧げる。

こうやって人との別れを経験しながら、

僕らは生の意味をたしかめていくんだろうか。

僕のなかでは、ヤツは今も生きていて、楽しげにジョークを飛ばしている。

御霊を迎え、交信し、送るお盆の儀式が、どこにいても蘇る。 この時期になると。

お遍路の国で育った DNA なのかな。

N へ- ちゃんと帰れよ、またね。

 

さて、変わり種の新規就農者を一人見つけたので、

ご紹介しておきたい。

 

沢木勇一、43歳。

 

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元陸上自衛隊員。

PKO(国際連合平和維持活動) 支援で、

ゴラン高原(イスラエルとシリアの国境地帯) に派遣されたという男。

戦車に乗ってたという。

除隊して2年間、

千葉県 「さんぶ野菜ネットワーク」 の常勤理事・下山久信さんのもとで研修を重ね、

今年の春、農地を得て独立した。

 

就農への動機を聞けば、

子供が生れ、しっかりと大地に根づいた暮らしをしたいと思った、とのこと。

「今度、ゴラン高原の話を聞かせてください」 とお願いした。

 

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人参の播種前に水をくれている。

なかなか丁寧な作業をしていると思った。

教えられた手順を頭に入れる+状況に応じた対応能力

+手抜きをしない勤勉さ、が農家に好かれるコツだ。

簡単に言っているけど、これが実に一筋縄ではいかないのである。

 

農林水産省の新規就農総合支援事業の青年就農給付金に

何とか間に合ったと、

研修から農地斡旋まで世話を焼いた下山さんは安堵している。

就農時年齢で45歳までという条件で、

年間150万円(2年間限定) の助成が得られるのだ。

 

沢木さんは地主さんにも気に入られたようで、

あそこの畑も使ってくれと頼まれたりして、

いきなり2町歩(=ha) の農地を任された。

 

「 いや、やる気ある。 なんたって覚えが早いんだ。

 やっぱ戦車扱ってたからな、筋が違う・・ 」

と独自の理論を展開する下山さん(下の写真左)。

嬉しそうだ。

 

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新規就農者が、いきなり有機農業で2ヘクタール。

「時代は変わるよ、エビちゃん」

と下山久信は将来を見据える。

沢木さんの後ろの畑では、麦が植わっている。

有機農業は土づくりから。 教えを守っている。

 

借りたハウスでは、薬剤を使わない太陽熱での土壌殺菌。

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しかし、有機栽培の本当の苦労はこれからなんだよね。

 

途中、さんぶ野菜ネットワーク理事長の富谷亜喜博さんの畑に立ち寄れば、

炎天下の中、こちらも二人の研修生に指南の真っ最中。

 

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ロープワークひとつとっても、

サッとやって、こうやるのよ、と言われても、エッ?

という感じが伝わってくる。

でも若者たちも、数時間後には当たり前にこなすようになるのだ。

 

世の中に悲観ばかりしている場合ではない。

それぞれのフィールドで、みんな何かをつなげようとしている。

故郷のご先祖や同級生への不義理に対する弁解じゃないけど、

僕もここで頑張ってるから、とは言わせてくれ。

 



2013年7月20日

ジェイラップ、「全国農業コンクール」 名誉賞受賞

 

7月18日、

日本における農業の先駆的活動を顕彰する

「全国農業コンクール」 の第62回全国大会が、福島県郡山市で開催された。

毎日新聞社とその年の開催自治体の共催で実施されてきたもので、

歴史と規模(全都道府県の予選から進められる) からいっても、

国内最大の農業コンクールと言われる。

 

その今年の全国大会で、

「大地を守る会の備蓄米」 で深いお付き合いのある

ジェイラップ(代表:伊藤俊彦氏) が、

見事、名誉賞(農林水産大臣賞・毎日新聞社賞) ならびに

福島民報社賞(共催新聞社の最高賞) を受賞した。

惜しくもグランプリ(毎日農業大賞) は逃したが、

銀メダルに相当する栄誉である。

毎日新聞の発表記事はこちらから。

 ⇒ http://no-kon.com/contents/topics34 

 

地元紙 「福島民報」 1面トップでは、最終候補 20団体の発表(プレゼン) に触れ、

ジェイラップはこう紹介された。

「 稲田アグリサービスとジェイラップは原発事故後、

 放射性物質の特性などを学び、放射性物質の検査機器導入や、

 農地の反転耕対策の事例を取り上げた。

 コメやキュウリなどを栽培しており、

 放射性物質に対するきめ細かな情報発信で農業を継続した実績などをアピールした。

 伊藤俊彦社長(55) は 「今後も地域の農地除染などを通して

 原発事故の不安解消のために努めたい」 と喜びを語った。」

 


同じく社会面では、 『福島の「農」 底力発信』 の見出しが踊っている。

こちらからも一部、抜粋させていただきたい。

「 地震で農地に被害が出た上、風評被害で居酒屋チェーンなどの取引先や

 個人客が離れ、年商は大幅にダウンした。

 除染の効果が本当に出るのか、心配で眠れない夜もあった。

 それでも逃げ出さなかった。

 マニュアルのない道を歩くのは慣れていた。

  「学ばなければ進化はない」 と、ひたすら打開策につながる情報を集め、

 それを実践することで逆境を乗り越えていった。

 県内最高賞を手にし、責任の重さを感じている。

 これまでに得たノウハウを地域の農地除染に生かす活動を計画する。

 その一方で新たな挑戦として野菜の乾燥加工事業を拡大する考えだ。

  「今後も諦めの悪い人生を送っていきたい」 と自分を鼓舞した。」

 

「諦めない」 と言わず、「諦めの悪い人生を送りたい」 と言うあたりが、

伊藤俊彦のワルなところだ。

 あの田園地帯で、いったいどんな青少年期を過ごしたのか。

生産者の誰に聞いても、「あれは突然変異」 としか答えてくれない。

まあ生態系では、常にわずかな確率で突然変異体が生まれ、

それが多様性や進化を促してきたものではあるけど。。。

 

なお、この農業コンクールでは過去、

お付き合いのある以下の生産団体・個人が

受賞していることも付け加えておきたい。

昨年の61回大会では、やさか共同農場(島根) が名誉賞+ グランプリ

の栄冠に輝いている。

59回では、イチゴの戸村弘一さん(栃木) が名誉賞。

57回では、群馬のグリーンリーフが名誉賞と天皇杯をゲット。

55回では、無茶々園(愛媛) が優秀賞。

50回では、月山パイロットファーム(山形) が名誉賞。

この10年で確実に風が変わってきている、ということではないだろうか。

時代は我らに舵を求めてきている。

 

しかし、みんなシャイというか、別に宣伝することでもないしィ、という態度で、

だいたいしばらくしてから知らされる。

 (僕らも、権威あるコンクールにはアンテナ張ってないし。)

今回はたまたま、2週間くらい前に 「18日に寄ってもいいかな」 と連絡したところ、

「その日だけはちょっと・・・」 と口ごもるので、事態を知った次第である。

 

最終選考となる18日のプレゼンに、

伊藤さんは原稿も用意せず出かけたようで、

「これが失敗したかな」 と、ちょっとグランプリを逃した悔しさも滲ませる。

まあたしかに、この機会は1回だけだからね。

ここ(最終選考) まできちゃうと、逆に惜しいことをしたという思いも残るだろう。

「でもまあ準優勝のほうが、人生の目標がまだ先にあるってことで。。。」

おお、甲子園球児の心境だね。

 

ま、僕も嬉しい。

販売者として誇りすら感じる。

伊藤さん、ジェイラップの皆さん、生産団体である稲田稲作研究会の皆さん、

おめでとうございます!

眠れない夜を重ねながら走り続けて、

ほら、拓いた道を沢山の人が歩いてくるよ。

本当に皆さん、頑張ったと思う。

 

秋の収穫祭での話題がまたひとつ、増えた。

こうやって歴史が作られ、未来が切り開かれてゆく。

 

※ 今年の 「備蓄米収穫祭」 は10月26日(土) です。

   昨年同様、東京駅からバスを仕立てて向かいます。

   たくさんの参加で祝いたいと思います。

 



2013年7月 3日

今年も元気 で "たべらんしょ"

 

時候は梅雨の真っ只中にあっても、

夏野菜の畑仕事はいよいよ忙しくなってくる。

そんな折に、いよいよ夏近しか、

と僕らにスイッチを入れてくれるのが、会津からの便りだ。

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんから、

「会津の若者たちの野菜セット」 の予告に入れるメッセージが届いた。

ひと足早く、全文一挙掲載といきたい。

 

  震災から3度目の夏を迎えようとしています。

  畑では、3月11日に希望を込めて播いた野菜たちがすくすくと育ち、

  収穫の時を待っています。

  夜になると、田んぼの周りではすべての音がかき消されるほどの

  カエルの大合唱に包まれ、ホタルが盛んに飛び交っています。

  以前なら当たり前に感じていた農村の風景が、

  震災後はとても有難いものに感じられるようになりました。

 


  しかしこの2年余り続いている福島の農家の苦悩は、

  相変わらず解決の糸口がつかめていません。

  幸いなことに、放射能の農作物への移行は、

  一部のものを除きほとんどないことが判ってきました。

  これは予想を超えた土の放射能を固定する能力のおかげであると同時に、

  農家が汚染を真摯に受け止め、

  作物への移行を防ぐための栽培技術を、

  研究者と連携しながら追求してきた結果でもあります。

 

  しかし残念ながら今でも福島県産の農産物を敬遠する消費者は多く、

  市場価格も低迷しています。

  努力が報われない。

  思いが伝わらない。

  これこそが福島の農業、農家を苦しめ、

  そして農村を崩壊へと向かわせるもっとも危険な因子です。

 

  どうしたらこの状況から抜け出せるのか。

  それは福島のことをより多くの方に知ってもらうこと、

  福島をもっと身近に感じてもらうことしかないと、

  私たちは思っています。

  新しいつながりを創る。

  福島から新しい農業のあり方を発信する。

  それが私たち 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の新たなる目標です。

  

  今年もまた大地を守る会のご協力を得て、

  セット野菜を皆さんにお届けできることとなりました。

  ただ、私たちは単に美味しさや安心だけを届けるつもりではありません。

  この野菜たちを通して、多くの方に福島を想い、

  未来のあり方を一緒に考えるきっかけになってもらえたらと願っています。

  福島の豊かな農村が、これからも当たり前であり続けるために、

  皆さんとつながっていきたいと強く思っています。

  今年もどうぞよろしくお願いします。

 

写真も一緒に届いた。

遠く後方に万年雪を頂く飯豊山が見える。 

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写真の手前一番左が浅見彰宏さん。 右から二人目がお連れ合いの晴美さん。

後ろ右から二人目、犬を抱いているのが

チャルジョウ農場 2代目の小川未明(みはる) さん。

その右端が浅見さんと同じく冬は大和川酒造の蔵人となる板橋大くん。

そして研修生たち。

おや、手前一番右は東南アジアからのお客さん?

かと思ったら、福島県農業総合センターの研究員だった長谷川浩さんではないか。

震災後は福島県有機農業ネットワークの事務局長も務めていて、

ついに意を決して、ここ山都に就農された。

あのう・・・ 「若者たちの~ 」 なんですけど。。。

とまあカタい事言うのはやめときましょうか。

メンバーが増えることはイイことです。 受け入れましょう。

編笠、似合ってますよ。

 

この山間地で有機農業に挑む若者たちと出会って 6 年。

つなげてくれたのは、銘酒 「種蒔人」(たねまきびと)。

浅見さんやチャルジョウ農場主・小川光さんと出会い、

光さんから 「若者たちの販路がない。彼らにも販売の喜びと厳しさを経験させたい」

と託されて、できたのがこの野菜セットである。

今年もお届けできる喜びを、彼らと一緒にかみしめたい。

 

里山の環境を守り、未来にいのちをつなぐランナーたちへ。

今年も、あのオリジナル・ミニトマト 「紅涙」(こうるい) の感動を、

たくさんの人に届けてやってくれ。

 



2013年6月27日

未来のために、オレはやる!

 

この間飛ばしてしまったトピック -その2。

 

6月12日(水)

昨日本ブログに初登場したローソン・山口英樹さんを、

静岡県函南町の (株)フルーツバスケットにご案内する。

ジャムやケーキの工房の他、酪農王国の施設をご覧いただき、

代表の加藤保明さんも交えて、今後の農産加工の展開について意見交換する。

産地を下支えできる農産加工の進め方について。

視察と会談後、

山口さんはさらに焼津のほうに流れ、自分はとんぼ返り。

 

6月13日(木)

福島県須賀川市、ジェイラップ(稲田稲作研究会) を訪ねる。

 

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代表の伊藤俊彦さんの車で回りながら、

去年と微妙に違う様子に、少し胸が震え、慎重に尋ねた。

「田んぼ、増えてない?」

耕作地が増えたんじゃないか、という意味だ。

風景が、美しくなっている。

「 ああ、増えましたね。 俺たちがやってきたことが間違ってないと

 地域の人たちが認めてくれた結果です。」

 


震災と原発事故に見舞われた一昨年は、120 町歩(= ha ) を除染し、耕した。

昨年は 150 町歩の除染に取り組んだ。

ゼオライトをすき込んでの反転耕 (天地返し)。

下に沈んでいたミネラルが表に出てきて、有効土層が深くなった。

堆肥を入れなくても収穫量が伸びた。

反転耕のあとにしっかり踏み込むことで機械も入れるようにした。

 

伊藤さんは地域の指導に呼ばれるようになっていた。

JA や自治体の説明会には顔を出さない地元の人も、伊藤さんの話は聞く。

「もう除染はやらなくてもいい」 という空気が広がる中で、

なぜ徹底する必要があるのかを伊藤さんは説く。

米を売るためだけじゃない。

春先の風が吹く頃に、背の小っちゃな子どもたちが

少しでも吸引して内部被ばくしないために、未来のために、

子孫からよくやったと言われたいために、

良い死に方をしたいために、オレはやる!

 

あの2011年という年の稲作研究会の取り組みに寄り添いながら、

このたたかいは地域を救う道しるべになると、

そう書いたのは、2011年の暮れ のことだった。

あの時の確信通りに進んできている。

いま地域全体での反転耕の実施へと広がり、

市役所がジェイラップへの作業依頼を取りまとめるまでになった。 

 

今日も測定は丹念に続けられている。

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大地を守る会とカタログハウスが提供した測定器が仲良く並んで、

働いてくれている。

 

昨年秋、収穫後の全袋検査を実施したことで終わらせず、 

彼らは今も日々、

精米調整前の玄米 - 精米後の白米、と何度も確かめている。

妥協しない彼らの信念を支えているのは、未来への責任である。

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このご時世にあって、田んぼが復活し、 

美しい風景が蘇っている。 

 

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このプロセスに立ち会っているのは、僕だけじゃない。

食べる人たちの声援もまた、この風景に貢献している。

 

伊藤さんに、一枚の連絡便(会員さんからのお便り) をお渡しした。

「 備蓄米、待ってました!

 福1 の原発事故から 1年、の去年。

 注文しようかどうしようか迷いに迷いました。 申し訳ないですけど。

 でも、カタログを通して、生産者の方々の血のにじむ努力を見て、

 注文させていただきました。

 ふっくら炊きあがったご飯を食べた瞬間、

 注文してよかった、とうるうるしながら思いました。

 今年もよろしくお願いします!!」

 

春先から低温が続き、かつ雨不足もあって、

田植えができなかったという場所があちこちに発生しているなかで、

この地では、希望が蘇ってきている。

美しい田園を支えるのは、何よりも未来への希望なのだ。

 

稲田から帰ってきて、16日の日曜日。

今度は二本松の菅野正寿さんから呼び出され、都心に出かけた。

その話は、次回に-

 



2013年6月26日

「耕す」 農場

 

放射能講座のレポートを続けている間にも、

あちこち出歩いたりもしていて、いくつかトピックを拾っておきたい。

 

一ヶ月も前の話になっちゃったけど、

5月31日(金)、千葉県は木更津にある農場を訪ねた。

名前は、農業生産法人 「株式会社 耕す」 という。 

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ap bank と言えばご存知の方も多いことと思う。

音楽プロデューサーの小林武史さんと Mr.Children の櫻井和寿さん、

音楽家・坂本龍一さんが拠出し合って設立した、

環境プロジェクトに融資を行なう市民バンク。

その ap bank が 2009年、

「融資」 という枠を超えて、プロジェクトそのものに関わる

「明日(あす)ラボ」 というセクションを立ち上げた。

そこで翌10年の3月に設立されたのが、この農業生産法人 「耕す」 である。

 

ご覧の、山に囲まれた盆地一帯が 「耕す」 の農場。

面積にして 30 ha(約9万坪)。 東京ドーム 6 杯分ある。

20年前に閉鎖された牧場の跡地で、

荒地となっていたところを開墾し、農地として再生させるところから始めた。

スタッフは農業の経験もない若者たちである。

 


現在耕作できているのはまだ 4 ha ほどだが、

有機の認証も取得して様々な野菜をつくっている。

大地を守る会では、7月からのナスと

秋に収穫される 「小糸在来」 という在来種の大豆(枝豆) を契約している。

 

写真手前、南側斜面には

発電量 1 メガワットという太陽光発電が設置されている。

太陽電池モジュール 4164枚。 壮観である。

 

農場を案内してくれたのは、

農場長の豊増洋右(とよます・ようすけ)さん (写真左)。

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豊増さんとは、数年前の ap bank fes の実行委員会だったかで

一度会ったことがあるのだが、

彼がここの農場長になっていたとは全然知らなかった。

「 農業経験はまったくなかったです。

 自分から農場をやろうと提案したんです。

 この3年、がむしゃらに勉強しましたよ。」

山本太郎似のマスク全面に、やる気が溢れている。

 

ちなみに、上の写真の右のネクタイの方は、山口英樹さん。

株式会社ローソンの 「エンタテイメント・ホームコンビニエンスグループ CEO補佐」

という肩書きの方。 CEO とは 「最高経営責任者」 の略。

7月には我が社の常勤取締役となる予定である。

ローソンと大地を守る会の事業提携がどんな新しい価値を生み出すのか、

我々の挑戦は静かに進んでいる (わが特販課はまったく静かではないけど)。

 

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プロ農家から見ればもったいないくらいの農地なのだが、

「早く若者を育てられる体制にしたい」

という豊増さんの言葉から、

この国の農業への危機感とともに、方向性も感じさせられる。

実は千葉県は耕作放棄地がどんどん増えている地帯なのだ。

 

この日は、「耕す」 の野菜を引き受けている (株)kurkku (クルック) の

スタッフさんたちも顔を見せた。

こちらも小林武史さんが代表を務める会社で、

表参道や神宮前エリアを中心に 6 店舗のレストランやカフェを運営している。

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しっかり教えてるじゃない、豊増さん。 なかなか。

 

しかしこれだけの農場規模を運営するのは、ただ事ではない。

ap bank の融資がいくらで、返済計画がどうなっているのか、

までは突っ込んで聞かなかったけど、

若者たちのお遊びだった、と言われないよう、頑張ってほしい。

 

とりあえず、いいナスが届くことを祈ってるよ。 

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2013年5月21日

除塩

 

5月16日(木)、福島から郡山に下り(上り?)、

高速バスで浜通り・いわき市まで向かう。 所要時間、1時間半。

いわきで訪ねたのは、福島有機倶楽部・小林勝弥さん。

先に書いたとおり、今回の目的は除染ではなく除塩、塩害対策の打ち合わせである。

 

奥様の美知さんが駅まで迎えに来てくれて、畑に直行する。

ソラマメが育っている。

働いているのは、障がい者たち。

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美知さんは、障がい者の自立支援活動を行なう

NPO法人「ゴールデンハープ」 という団体に属されていて、

「フルクテン」 という小規模作業所を運営している。

ノルウェー風のパン 「フルクテン」 を製造・販売して、収益を工賃として分配する。

また農業セラピーの実践として、農作業の場を提供する。

こちらは勝弥さんが教える。

美知さん曰く。

「 失敗もいっぱいやってくれるんですけど、

 勝弥さんは、ほんとうに優しく、辛抱強く教えてくれます。」

 

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しかし、震災と原発事故による影響で売上は激減し、

この活動もついに休止せざるを得ないところまできてしまった。

美知さんが胸の内を語ってくれる。

「 何とか続けたいと頑張ってきましたけど、もう (賃金を) 払えないです。

 それに、今度あれだけの津波がきたら、あの人たちを守れる自信がありません。」

私はそれでも、農業セラピーの力は信じてる・・・ と言いながら。

 

「 勝弥さんも畑が塩害にあって、風評被害でモノも売れなくなるし、

 相当落ち込んでたはずなんですが、黙々とやってました。 

 これからは私がお手伝いしてあげなくちゃ、って思ってます。」

 


これが塩害で、野菜が作れなくなったハウス。

手前の2棟が空いた状態である。

 

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塩分は水で流す、というのが基本なのだが、

地盤沈下によって、その水(地下水) に塩水が入ってくる。

去年、春菊を作ってみたが、しょっぱい春菊になっちゃって・・・

と笑う勝弥さん。

土が締まっていって、白く潮が吹いたような塊もあった。

 

それでも起こしている。 

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何とかしたいのだが・・・

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こちらが海に近い露地の畑。

去年はソバを蒔いてみた。 まあまあ出来たことは出来たけど・・・

と言葉が続かない。

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防風林の向こうに道路が一本、その先は浜である。

 

せっかく有機の認証も取ってやってきた。

農薬や化学肥料は入れたくない。

さて、どうやって回復させるか・・・

僕が提案を持ち込んだ資材についての詳細は省かせていただくが

(ここで特定資材の宣伝みたいになってはいけないので)、

塩分を好むバクテリア(好塩性細菌)を使って発酵させた炭化肥料である。

有機JAS認定のほ場でも使えると判断している。

もちろん認証機関にデータを提出して判定を仰ぐようにと、メーカーには伝えている。

 

仮に効果はなくても、マイナスになるものでもないだろう、

と考えての提案だが、小林さんは 「やってみたい」 と前向きに答えてくれる。

メーカーさんからは 「試験データを取らせてくれるなら原価で提供したい」

と申し出てくれている。

 

6月から開始しよう、ということになった。

力になれれば嬉しいのだが、さて結果やいかに-

 

障がい者たちと一緒に育てている畑では今、

ソラマメの花が順番に咲き出している。 

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実も成ってきている。

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たくさんの収穫があることを祈りたい。

 

海のそばの畑にも、花は咲いていた。

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花は咲く。。。

歌の文句じゃないけれど、私は何を残せるのだろう。

 

一見、2年前の大災害など想像もできない浜辺だが、

通ってきた途中では、ガンガンと堤防工事が行なわれていた。

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2013年4月11日

高知から、田植え順調、の便り

 

4月に入ると、南国・高知から、田植えの便りが届いてくる。

今年の高知市から南国市あたりでは、

3月の平均気温が平年より2度近く高かったようで、

降水量は半分以下、逆に日照時間は平年比113%、

観測史上最も暖かい3月だった、とのこと。

これは生産団体 「高生連」 の事務局・星川茂博さんがメールで送ってくれる

『高生連からのコメ便り』 からの情報。

 

ということは、苗の生長が早くなって、

育苗ハウスの高温対策に苦労した年だった、ということになる。

4月6~7日に日本列島を通過したモーレツ低気圧の被害も少なかったようで、

「稲刈りは順調に進んでいます」 という嬉しい知らせ。

 

4月5日、香南市の村上信一郎さん、紙マルチ田植えスタート。

苗踏み効果で苗の揃いが良い。

同じく4月5日、香南市 「福家ライスファミリー」 の寺川賢二さん、

暖かかったこともあり例年より早めに作業を進め、今日で田植えは終了。

4月8日、南国市の西村昭夫さん、6日の荒天を見越して作業を遅らせた。

今年は息子さんに田植えを任せて、悠然と見守り隊。

 

2年前の4月に届いた星川さんの便りには、たしか

「こうして普通に田植えができることの幸せを感じています」

というくだりがあった。

南四国の、とある田んぼの前で、これはとても有り難いことなんだ、

と田植え作業を見つめている青年がいた。

それくらい異常な国になってしまっていた。 今も影響は続いている。

 

いよいよ田植え前線が北上していく季節となって、

この列島の田園が輝き、農民たちの笑顔がつながっていくことを祈りたいのだが、

どうあがいても癒えることのない傷や怒りを鎮めながら、

黙々と田植えする無告の民たちがいることも、忘れないでいたい。

 

高知からの春の便りに、改めてこの2年の歳月を思ってしまうのだった。

 



2013年4月 1日

会津の堰さらい-『美味しんぼ』 に登場

 

「Daichi & keats」 日本酒セミナーで PR させてもらった

福島県喜多方市山都町での堰さらいの話が、

先週(3月25日) 発売のコミック誌 「ビッグコミック・スピリッツ」 の

長寿漫画 『美味しんぼ』 で紹介された。 

 

原作者の雁屋哲さんとは 昨年の堰さらい でお会いして、

福島を回っていると聞いていたが、

2年以上の取材を経て 「福島編 (第604話 「福島の真実」)」

の連載開始となったものだ。

それだけ慎重に、また緊張感を持ってこのテーマに挑んだということだろうか。

 

堰さらいボランティアの仕掛け人、浅見彰宏さんが

リアルに描かれている。 

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この漫画の特徴は、花咲アキラ氏によって

自然の風景や背景が実に精緻に描かれていることだ。

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福島有機農業ネットワークの活動も紹介され、

今週号では 「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバー、渡部よしのさんも登場している。

原発事故から2年、さてこの 「福島の真実」編 はどう落ち着くのだろうか。

 

実は雁屋哲さんには、放射能連続講座での講演をお願いした経緯がある。

私たちはこれから福島の食や生産者との関係を

どう築き直していけばいいのか、

取材を経てお考えになっていることをお話いただけないか

とメールしたのだが、

見事に断られてしまった。

作者は、漫画という手法を通じて、いろんな考えや思いを

登場人物の口を借りて語らせるワケで、

今の段階で、作者の考えを開陳することは控えたい、と。

 

たしかに、仰る通りだと思った。

しかもお願いしたのが、これから福島編の連載を始めようという段階で、

いろんな思いがめぐっているようでもあった。

「いま話をさせると、何喋るか分かりません。 国への批判で暴走するかも・・・」

と、事務所の方も怖れていた。

 

海原雄山と山岡士郎の 「お前の根がここにある」 福島対決の結末を

楽しみにしながら、今年も堰さらいに行くことにしよう。

 - というワケで、今年も堰さらいの案内です。

関心ある方は、「続きを読む」 をクリックしてください。

 


【浅見さんからの呼びかけ】

喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、

町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。

周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、

濃緑の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。

それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく

山の上部にまで田んぼが拓かれ、田園風景が形造られているのです。

その水路は 「本木上堰」 と呼ばれています。

水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

深い森の中を澄んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

先人の稲作への情熱が伝わってきます。

しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

そこでもっとも重労働である春の総人足 (清掃作業) の

お手伝いをしてくれる方を募集しております。

皆さん、この風景を守り続けるために是非ご協力ください。

 

【作業内容】

冬の間に水路に溜まった土砂や落ち葉をさらったり、

雪崩などによって抜けてしまった箇所の修復など。

 

【スケジュール】

5月3日(金) 夕刻 JR磐越西線山都駅集合

5月4日(土) 早朝より水路清掃作業(昼休みをはさみ夕刻まで)。

         夕刻より交流会。

5月5日(日) 午前中解散。 希望者には山都町周辺をご案内します。

 

【宿泊場所】 本木または早稲谷の集会所を予定。 連泊可能です。

【参加費用】 交通費は自己負担でお願いします。

         宿泊費は1泊 500円。 交流会費 1,000円。

【用意するもの】

作業着、軍手、長靴、雨具、帽子、タオル・洗面用具、着替え、など。

お持ちの方は寝袋を持参いただけると助かります。

 

【その他】

・ 朝食は宿泊者で作ります。お手伝いください。

・ 参加者には、秋に上堰の田んぼで獲れたお米をお届けします。

 

詳細お問い合わせは、本ブログの 「コメント」 から

メールアドレスを付けて、お送りください (問い合わせは公開されません)。

折り返しお返事を差し上げます。

 

★ この堰の保全活動には、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」(たねまきびと)

  の売上の一部が積み立てられている 「種蒔人基金」 も応援しています。

 



2013年3月31日

「D & k」 日本酒セミナーの夕べ

 

昨夜は 「Daichi & keats」 1周年記念企画シリーズ最終回、

「日本酒セミナー」 が開かれた。

大和川酒造店から佐藤和典工場長がゲストに招かれ、

大和川さんの4種類のお酒を飲み比べながら、

君島料理長が考えた 「日本酒に合う料理」 を堪能していただいた。

 

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参加いただいた方は約40名。

大地を守る会の会員さんはむしろ少なく、

「D & k」 のファンとなったお客さんのほうが多かったかな。 

加えて、ツイッターやフェイスブックで見つけたという方々、

中には大和川さんから通販で取り寄せている、というおじさんもいた。

 


会津の気候風土や米づくりについて、

また一貫して地元の米を使い続けてきた大和川酒造のこだわりについて、

説明する工場長。

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いや、これからは 「杜氏」 と呼ばなければいけない。

いつも当たり前に 「工場長」 と呼び慣れてしまっているけど、

越後杜氏・阿部伊立(あべ・いたつ) 氏引退後は、

工場長が杜氏を引き継いだワケなんだから、

ここはやっぱ 「イヨッ、杜氏!」、だよね。

 

「種蒔人」の紹介のところでは、

開発のコンセプトや 「種蒔人基金」 にかけた思いなどについて

喋らせていただいた。

この酒が飲まれるたびに、森が守られ ~

思いが強いぶん、長くなってしまった。 ごめんね、町田店長。

 

本日の料理を説明する、君島繁夫料理長。

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本職はイタリアンなのだが、今日は特別に

日本酒に合うオリジナル料理を用意してくれた。

 

本日の大和川ラインナップ。 

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まずは 「活性にごり・純米酒 弥右衛門」。

原料米は五百万石。 まだビン内で酵母が活きていて、炭酸ガスが内包している。

甘さと炭酸ガスの酸味が調和した、スパーリング感覚のお酒。

食前酒から乾杯まで。

 

続いて本番、「純米吟醸 種蒔人 あらばしり」 を

料理とともに堪能していただく。

原料米は、稲田稲作研究会が育てた「美山錦」、無農薬栽培。

酵母は「うつくしま夢酵母」(F7-01)、精米歩合55%、日本酒度+5、酸度1.4。

芳醇な香りと程よい酸味、キレのある搾りたて。

5月頃までは、一切火入れをしていない生生(なま・なま) で、

その後は生貯蔵酒 (ビン詰め時に1回のみ火入れ) となる。

 

次は 「純米吟醸 雪蔵囲い」。

会津の豊富な雪を利用して雪中貯蔵されたお酒。 

酵母はこれも福島県で開発された「煌酵母」、華やかな吟醸香が特徴。

 

あとはお好きな酒をお代わりしていただきながら料理を楽しみ、

親睦を温めていただく。

気持ちよくなった僕は、テーブルを回りながら、

5月に行なわれる山都での堰さらいのPRなどをしたりして・・・

 

最後。 食後のデザートには桃のリキュール 「桃の涙」 を。

純米酒と桃の果汁をコラボさせ、爽やかな甘みが口に広がる新感覚のお酒。

この商品化の裏には哀しい物語がある。

常に高い評価を得てきた福島の桃だったのに、

ご多分にもれず一昨年から販売不振に陥ってしまった。

今年も美味しい桃ができたのに・・・・・その涙を受け止め、

新しいお酒として生まれ変わらせたのが、このお酒。

飲んでつながる復興支援。

大和川酒造からお取り寄せできます。 

⇒ http://yamatogawa.by.shopserve.jp/SHOP/470205.html

 

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皆さん、ご満足頂けたようで、私も満足。

正直、話とお酒の説明に夢中で、

料理の写真をまったく撮ってなかった事に気がついた。

というか、後半(メイン料理) はほとんど食べてないんじゃないかしら

 ・・・・エエーッ! 残念。

君島料理長、こんどまたお願いします。

 

終了後は工場長、もとい、杜氏を誘って、線路をまたいで日本橋まで。

そこでまた大和川の酒のある料理屋でお疲れさん会。

盛り上がったのは、会員を募って袋絞り酒をつくろう! と決めたこと。

できた酒は会員で全量引き取り。

 

こういう感じで吊らされて、自然にポタポタと落ちてゆく、

とてもナチュラルで、しかし少々贅沢なお酒。

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さて一本いくらになるか、何人集まれば実現できるか、

これから皮算用が始まる。

これは仕事なのか、遊びなのか・・・

いずれにしても、モットーは 「仕事は楽しく、遊びは真剣に」 だからね。

楽しく、かつ真剣にやりたい。

 



2013年3月20日

祝!開店 「ふくしまオルガン堂 下北沢」

 

突風が砂塵を巻き上げたかと思えば、記録的な夏日がやってきたりして、

ヘンな陽気が続いてる。

そんでもって今日は春分の日。

世間は春の気分なのかもしれないけれど、こっちは休日返上して、

来週(27日) 行なわれる学校給食全国集会の発表資料を仕上げる。

この手の宿題が、締め切りを過ぎて尻に火がつかないと、やっつけられない。

この性分が変えられないまま、長いこと生きてきてしまった。。。

与えられたテーマも、プレッシャーだった。

『ゼロリスクがありえない中で、どう食べるか』 ・・・ きついすね。

2年間取り組んできたことと、今到達している心境をお話しするしかない。

はたしてお役に立てるかどうか心許ない。

 

さてと、資料を送って開き直ったところで、

遅ればせながら日曜日の報告を。

 

「福島県有機農業ネットワーク」 が東京にアンテナショップを開設した。

菅野正寿さん(ネットワーク理事長) から開店祝いのご案内をいただいたので、

お祝いを持って足を運んだ。

場所は、若者の街、ファッションの街、演劇の街、下北沢。

 

何年ぶりだろう、下北沢に降りたのは。

若者たちで賑わう商店街を通り過ぎて、歩くこと約15分。

世田谷区代沢の住宅街の一角にオープンしたお店の名は

『ふくしまオルガン堂 下北沢』。

 

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少々奮発して、お花も贈らせていただいた。 

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原発事故から2年。

放射能とたたかいながら、「希望の種を蒔こう」 と励まし合ってきた2年でもあった。

この思いを、東京の人たちに伝えたい。

そして、ちゃんと測定して得られた結果もつけて、福島の有機農産物を

胸を張って PR したい。

東京と福島をつなぐ拠点にしたい。

東京に避難した方々との交流の場にもしたい。

 

そんな思いをいっぱい詰め込んでオープンした、小さなお店。

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オルガンの言葉は、オーガニック(Organic) と、

対話・交流を奏でるという意味が込められている。

 

挨拶する菅野正寿さん。 

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この日は、山都町・浅見彰宏さんのお連れ合い、晴美さんも

助っ人に駆けつけられていた。 

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そして何と!

ヴィライナワシロの元料理長、山際博美さんの姿も。 

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今は福島の食材を提案する 「山際食彩工房」 を主宰している。

実は、大地を守る会の元職員も一人、お世話になっている。

 

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お祝いのケーキは、当会でもお馴染のナチュランドさんから。 

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福島の地酒も並べられている。 

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菅野さんから頼まれて、

僭越ながら、乾杯の音頭を取らせていただく羽目に。。。

 

照れながらケーキカットする菅野さんだった。

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お店も続けていくとなると、けっこう厳しいこともあるに違いない。

それでも、ここまで頑張ってきたみんなの力と和を結びながら、

楽しくやっていただけたら、と思う。

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この2年、苦闘しながらも、

福島の有機農業者たちは王道を忘れずに歩んできたと思う。

本当に頑張ったと思う。

僕らはつい軽々しく 「支援」 とかいう言葉を使ってしまうけれど、

むしろ僕らのほうこそたくさんのことを教えられてきた。

しかも下北沢という街にお店をオープンさせるまで、前を向いて走って来られたこと。

ただもう スゴイ! のひと言に尽きる。

この可愛らしいお店が、福島の思いの発信基地となって、

また新しい都市との交流の場となって、

多くの人に愛されることを願ってます。

 

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皆様、お近くにお越しの節は、ぜひお立ち寄りください。 

「ふくしまオルガン堂 下北沢」 の HP はこちらから

⇒ http://www.farm-n.jp/yuuki/organ/ 

 



2013年3月16日

農と医の連携 -さんぶ野菜ネットワーク総会から

 

昨日は成田の某ホテルで、「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会に出席した。

2年前の総会は、忘れもしない3月11日。

あの激震は、まさにこの総会の途中で発生した。

会議室から避難して、ホテルのテレビ大画面から見た津波の光景。

これが今起きている現実なのか、、、今でも明瞭に思い出される。

 

そして2年後の3月15日は、安倍首相がついに

TPP (環太平洋連携協定) への交渉参加を表明するという日にぶつかった。

何かが起きる、何かとぶつかるさんぶの総会・・・・

とか言いながら、総会自体は滞りなく終了。

 

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震災よりも原発事故による放射能問題で、

福島だけでなく関東各地の生産地も打撃を受けてきた2年間だった。

それでも 「さんぶ野菜ネットワーク」 では前年を上回る売上実績を果たし、

新規就農者が6名、新たな組合員として迎えられた。

研修生も8名いて、有機農業での自立に向かって頑張っている。

交渉内容が明らかにされないという TPP への不安は拭えず、

詭弁に満ちた開放論に怒りも収まらないが、

ここで後ろ向きになるわけにはいかない。

何とか農地を守りながら、地域を盛り上げていきたい、との決意が語られた。

 

前に呼ばれ、抱負を述べる新組合員の方々。 

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ネットワーク代表の富谷亜喜博さんによれば

「みんなすごい学歴の人たち」 だそう。

頭でっかちにならず、将来の中核になれるよう頑張ってほしい。

 

さて、この日の記念講演に招かれたのは、

北里大学名誉教授で、(財)微生物応用技術研究所長の

陽 捷行(みなみ・かつゆき) さん。

直接お会いするのは初めてだが、北里大学副学長時代に、

藤田社長宛てに送られてくる通信を読ませてもらいながら、

僕はこの方からたくさんのことを学ばせていただいた、そんな経緯がある。

 


陽(みなみ) 先生が一貫して提唱してきたことは、

「環境を基とした農と医の連携」 である。

 

20世紀は、「技術知」(ものをつくる知的能力) の勝利であった。

それによって文明が発達してきたとも言える。

しかし技術知には表と裏、光と影があり、結果的に

様々なかたちでの 「分離の病」 に侵されてきた。

一方で、人類が長い時間を通して生活の場から観察し、獲得してきた知恵がある。

これを陽先生は 「生態知」 と呼ぶ。

生態知は文化の進展をもたらしてきた。

技術知も生態知もともに人間の英知が生み出した貴重な財産である。

これからは、この二つを融合させた 「統合知」 の獲得が求められている。

 

たとえば堆肥などの有機物の施用が作物の増収に役立つ、という知識を

人は経験と観察から獲得したが(生態知)、

技術知に基づく農業生産の増大を目的とした過剰な窒素の使用は、

温室効果ガスの問題や河川の水質汚染、富栄養化などの

環境問題を引き起こしてきた(=分離の病の一形態)。

これからは、作物による窒素吸収効率の向上によって

亜酸化窒素や硝酸態窒素の発生を抑制するといったように、

農業生産と環境保全を健全に調和させる 「統合知」 へと

向かわなければならない。

21世紀は 「分離の病」 を克服する時代となる (でなければ生き残れない)。

 

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ここで忘れられがちなのが、人々の健康の基は何か、ということである。

医療の発達が 「健康」 ではない。

基は、環境と農業(健全な食の生産) である。

かつて農業生産を考える人たちは、よく土壌学を学んだ (陽先生の専門は土壌学である)。

今は環境を考える人たちのほうが土壌学を勉強している。

土の健康(=農) こそ、人の健康(=医) につながっている。

そもそもこの世に境目などないのだが、

学問はすべてを分離させて発展させてきてしまった。

 

農と医と人の健康、この境界をつなぐ言葉は、実は様々にある。

医食同源、身土不二、地産地消・・・そして農医連携だ。

(「農医連携」 は陽先生の造語。 医学の世界には 「医農連携」 という言葉があるが、

 先に病気があるわけではないから、と先生は逆にして使っている。)

 

先生は、農医連携を心した先達の名前を次々と挙げながら話を進める。

何人か挙げると-

・ ヒポクラテス・・・ 「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか。」

・ シーボルト・・・ 植物の育種から土壌まで研究し、かつ植物の薬効も研究し普及させた。

・ 北里柴三郎・・・ 医の基本は予防にあるとの信念で、環境を通した農と医の連携を説いた。

・ シュタイナー・・・ 宇宙的な生態系の原理に基づくバイオダイナミック農法を提唱。

・ 新渡戸稲造・・・ 「武士道」 の前に、「農業本論」 で 「農業は健康を養う」 と語る。

・ アレキシス・カレル・・・ 「土壌が人間全般の基礎なのであるから、私たちが近代的

  農業経済学のやり方によって崩壊させてきた土壌に再び調和をもたらす以外に、

  健康な世界がやってくる見込みはない。

  生き物はすべて土壌肥沃度(地力) に応じて健康か不健康になる。」

・ アルバート・ハワード・・・ 有機農業運動の創始者。 「土壌、植物、動物、人間、

  これらの4つの健康は、ひとつの鎖の環で結ばれている。」

・ アンドルー・ワイル・・・ 統合医療の世界的権威。 『医食同源』 『人はなぜ治るのか』 は

  世界的ベストセラー。 「健康な食生活は健康なライフスタイルの礎石である。」

 

日本はこれからの10年、20年で大きく社会構造を変えていく。

防災・地域の再生・医療・介護・農業・・・・・統合した公共政策を築く必要がある。

これに民間としてどう取り組んでいくか、が重要な鍵である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シャンシャンと総会をやって飲む、んじゃなく、

こうやってしっかり座学も忘れない。

有機農業の人たちは、そういう意味でも、

この国の未来に欠かせない存在なのだと思うのである。 

 

国民の健康は、社会の安定の土台である。

そのためにあるはずのセーフティ・ネットをすべて崩壊させかねない TPP とは、

いったい誰のためか。

自由貿易による 「成長神話」 は、

ひと握りの勝者をつくるために修復を繰り返しながら再構築されてきて、

いよいよ最終のリーグ戦に入ったみたいだ。

恐ろしいのは、このゲームの進行とともに

社会全体が脆弱になっていってるとしか思えないことだ。

このゲームでは、勝者もまた生き残ることはできない。

なぜなら地球の調和(健康) を壊しながら勝ち残ろうとしているワケだから。

その前に、ただアメリカの餌食になるだけのような気もするが。。。

 

陽先生の影響でたくさんの本を読まされたが、

やっぱ僕の中でのベストは、今もってこの一行だね。

『 国民が健康であること、これは平凡な業績ではない。 』

     (アルバート・ハワード  『ハワードの有機農業』 より)

 

さんぶ野菜ネットワークの皆様。

無事総会成立、おめでとうございました。

陽先生とも話ができまして、良い刺激を有り難うございました。

ひるむことなく、前に進みましょう。

 



2013年3月 6日

「アド街ック天国」 と 「遠くへ行きたい」(予告)

 

昨日、社内でいっとき盛り上がった話題をひとつ。

TBSテレビの朝番組、「みのもんたの朝ズバッ」 の

「ニュース目のつけドコロ」 というコーナーで、

大地を守る会が取り扱う 「もったいナイ魚」 が紹介されたのです。

これまで捨てられていた未利用魚が流通に乗り、家庭で食べられているという話。

スーパーなどでは並ばないチカやミズダコの頭も登場して、

我が水産物仕入担当者のひと言 -「売れてます!」 が流れた。

僕も観るつもりで目覚ましをかけたのだけど、

朝6時に起きられず (放送は6:30頃から約2分間だったそう)、

みんなの評判を聞いて回るだけ。

質問から 「売れてます!」 の間に、一瞬の間(ま) があったようで、

社員の声は、「笑えた」 「微笑ましい」 から 「あれはバレた」(何が?) まで。

まあ 「もったいない」シリーズばかりが売れても、それはそれで困るので、

あんまり無理しないで、「もう少しファンを増やしたいですね」 くらいがよかったかもね。

 

テレビ話題になったので、生産者が登場する番組予告を二つ。

 


ひとつめ。

関東地区では3月16日(土) 午後9時から、

テレビ東京 「出没!アド街ック天国」 に、大和川酒造店 さんが登場します。

今回は会津・喜多方が誇る飯豊山の伏流水がテーマだそうで、

1月に、大和川さんの蔵で仕込み水をタンクに入れる場面や北方風土館などを

撮影していかれたとのこと。

どうせなら2月の 「大和川酒造交流会」 も撮ってほしかったなぁ、

「天国」 といえばこのツアーじゃんか。。。

ま、冷静に、冷静に。

そんなことはともかく、種蒔人ファンは必見です。 お見逃しなく!

番組HPはこちら ⇒ http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/ 

 

 

ふたつめ。

こちらは日本テレビ(制作は読売テレビ)の長寿番組、『遠くへ行きたい』。

放送は3月17日(日)朝7:30~。

北海道はオホーツクの町・遠軽(えんがる) 町で

在来豆を販売する 「べにや長谷川商店」 さんが登場します。

今回旅する人は元Jリーガー日本代表選手、今は

スポーツコメンテーターとして活躍する武田修宏(のぶひろ) さん。

オホーツクの流氷を眺め、網走産の魚介に出会い、ワカサギの伝統漁を見学し~

山間部の遠軽町で犬ぞりを体験して、そして

「在来種の豆」 に全国から注文が来るというお店を訪ね、そこで

地元に伝承されてきた前川金時を使った 「ばたばた焼き」 なるものを発見する~

というストーリー。

番組HPはこちら ⇒ http://www.ytv.co.jp/tohku/

 

最初にこの一報をくれたのは、会員の O さんからでした。

べにやさんが募っている 「在来種の豆の 畑のオーナー」 にも入っている方。

Oさん、ご連絡ありがとうございました。

17日は、ゼッタイに早起きします。

(念のために録画も・・・) 

 



2013年2月13日

再生は、自立と自給から!-「種蒔人」で連帯する

 

第17回 大和川酒造交流会、後編。

 

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夕方からの懇親会は、

昔の蔵を見学・イベント用に改造した 「北方風土館」 に移動し、

その中にある 「昭和蔵」 にて開催。

1990 (平成2) 年に現在の 「飯豊蔵」 ができるまでは、

ここに樽が所狭しと並べられ、昔ながらの酒造りが営まれていた。

漆喰が塗り直され、温度湿度の調節だけでなく音響効果も良いため、

今ではコンサートなどにも利用されている。

 

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歓迎の挨拶は、大和川酒造店9代目代表社員、佐藤弥右衛門(やえもん) さん。 

 会津電力構想 の話をお伝えしたのは12月だったが、

2ヶ月を経て、「社団法人 会津自然エネルギー機構」 を設立させるまでに至った。

酒蔵の親分というよりは、ここまでくると

会津の自立に賭ける  " 志士 "  の趣である。

 

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 「 これまでの会津は、まるで東京の植民地だった。

  しかしここ会津は、食料自給率 1,000% はあるであろう豊かな地である。

  東京にモノを送るばかりの時代から、自立を目指す時が来た。

  足元を見れば、エネルギー資源は満ち満ちている。

 

  福島県(議会) は脱原発を選択した。

  「 原子力に依存しない安全で持続的に発展可能な社会づくりを目指し、

  新しい福島を創る」 と謳った以上、私たちが果たす責任は重い。

  少なくとも10年以内に、県内のエネルギーを再生可能エネルギーで供給する

  体制を創りあげたい。

  会津の持つ水資源、地熱、太陽光、森林資源、風力や雪の利用研究を促進し、

  投資を行ない、地域に安全で安価なエネルギーを供給することで

  地場産業の活性化や産業の振興に寄与したい。

 

  16万人の 「原発難民」 を生んだ福島に、原発との共存はあり得ない。

  東電と福島県の 「契約」 は破綻した。

  東京電力さんには撤退していただくしかない。

  猪苗代湖を東京電力から取り戻してみせよう。

  会津の自立と独立の精神を持って

  「一般社団法人会津自然エネルギー機構」 を設立し、

  会津から福島、そしてこの国の再生に臨む。」

 

2月20日には、記者会見と設立記念講演会を開催する段取りになっている。

ゲストには、末吉竹二郎氏 (国連環境計画・金融イニシアチブ特別顧問)、

赤坂憲雄氏 (福島県立博物館長、学習院大学教授)、

飯田哲也氏 (NPO環境エネルギー政策研究所所長) が名を連ねている。

この方々には顧問に就任してもらう策略である。

 

清酒 「種蒔人」 の原料米生産者である、稲田稲作研究会から

代表して伊藤俊彦さんが挨拶に立つ。

こちらは福島県の中通り、須賀川の地で

やはりエネルギー自給構想を練っているところだ。

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昨年10月に開催した 自然エネルギーの生産者会議 に参加した伊藤さんは、

その後改めて仲間を連れて、那須野ヶ原土地改良区の視察に行っている。

やるしかない、前に進むしかない、その思いは弥右衛門さんにも負けてない。

 

「種蒔人」 は人と人、人と環境をつなげ、「前 (未来)」 へと進む。

蒔かれた種が芽を出し、花を咲かせて、実を結ぶまで、

僕らも一緒に歩み続けなければならない。

 

今年は、喜多方で会津料理づくしの店を営む 「田舎屋」 さんが

出張って来てくれて、絶品の料理が並べられた。 

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そして新酒 「種蒔人」。 

 

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" この世の天国 "  の役者が揃ったところで、乾杯! 

 

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あとはもう、写真など撮っている場合ではなく、

飲み、食べ、語りあい、、、 

良い酒と良い食は、人を良くつなげる。 

イイ仲間との語らいは、明日の活力を生む。

「種蒔人」 はつねに人の和を醸す酒でありたい。 

 

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最後は熱塩温泉 -「山形屋」 で仕上げ。

極楽。

 

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この国の再生を、福島から。

みんなが立つなら、「種蒔人」 も、連帯に迷いはない。

 



2013年2月11日

今年も 「天国はここに」 -大和川酒造交流会

 

2月9日(土)。

今年もやってきた会津・喜多方、大和川酒造店・飯豊(いいで) 蔵。

第17回となる 「大和川酒造交流会」 の開催。

最初の頃に参加されたおじ様のひと言から、

「この世の天国ツアー」 という冠をいただいた至福のイベント。

いつの頃からか 「極楽ツアー」 とも呼ばれるようになった。

 

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今年もバッチリ、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人(たねまきびと)」 の

搾(しぼ) りに合わせることができた。

挨拶もそこそこに、

「今ちょうど搾ってますので、まずは試飲といきましょう」

と佐藤和典工場長に誘(いざな) われる一行。 

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まだ炭酸ガスがピンピンと跳ねている、いわゆる 「荒ばしり」。

雑味のない芳醇な香りに包まれ、酒客にはたまらない感激の一瞬。

淡麗とは違う、パンチの利いた辛口。

「うん、イイすね、今年も!」

- このひと言を聞けただけで、予は満足でござる。

 

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「種蒔人」 タンクに貼られた、仕込み24番の数字。

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秋の後半からその年の酒造りが始まって、

水がもっともピュアになる厳寒期に仕込む(寒造り) のが、

吟醸・大吟醸といったその蔵にとっての勝負の酒だ。

2 トンの原料米が投入されたが、その米は 55% まで削られている。

玄米に換算し直すと約 3,600 ㎏ (60俵)。

稲田稲作研究会(須賀川市) が無農薬で育てた酒造好適米 「美山錦」 を

惜しげもなく削って、純米吟醸 「種蒔人」 は完成する。

 


タンクの上(2階) で、まさに搾り中のモロミを味わう初参加の男性。

ご夫婦で申し込まれた会員さんについてきた息子さんだ。 

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真剣そのもの。 いい顔してる。

日本酒文化がこうして受け継がれてゆく。 素晴らしいではないか。

 

大吟醸の香りを楽しむ。 

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吟醸香は、米ではなく酵母によって創りだされる。

しかも酵母の種類によって、バナナ香とかリンゴ香などと微妙に香りが異なる。

どういう大吟醸酒をつくるか、に蔵の個性が見えてくる。

ただ、たまに香りを強調し過ぎるような酒に出会うことがあるが、

あれはいただけない、と個人的には思う。

最初の一杯でいい、という感じになるんだよね。

 

さらに参加者を唸らせたのが、こちら。

" 袋吊り "  と呼ばれる手法で搾っている。

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木綿の酒袋にモロミを入れ、自然にゆっくりと滴り落ちてくるのを待つ。

圧力をかけないからなのか、とても綺麗で品のあるお酒になる。

 

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これはもう、大吟醸以上に贅沢な酒だ。

「雫(しずく)酒」 と銘打って販売している蔵もある

(「金寶(きんぽう) 自然酒」 でお馴染みの 仁井田本家 さん)。 

 

「大地さんでこの造りを体験する会員を募って、やってみませんか」

と工場長にそそのかされ、すっかりその気になった参加者が数名。

小さな樽でやるとして、さて、いくらの酒を何本買い取ることになるか......

ちょっと真面目に計算してみようか、とまんざらでもない自分がいたりして。

 

蔵人3人衆。

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左から、社長の次男・哲野(てつや) さん、浅見彰宏さん、板橋大さん。

浅見さんはご存知、山都町に就農した次世代リーダー。

板橋さんは U ターンで山都に戻って農業を始めた。

二人は夏に野菜セットを届けてくれる 「あいづ耕人会たべらんしょ」

の主力メンバーである。

 

自著のPRも忘れない浅見彰宏。 

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来週開催の 「大地を守る東京集会-オーガニックフェスタ」 では、

放射能連続講座でスピーチをお願いしている。  

 

飯豊蔵をバックに、記念撮影。 

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みんなの後ろに積まれた雪の中には、

「雪室貯蔵」 の純米酒が眠っている。

 

さあ、いざ交流会に。 

すみません、続く。 

 



2013年2月 7日

陸前高田で復興にかける八木澤商店、"魂" を語る

 

引き続き、こちらの報告も遅ればせながら。

 

1月22日(火)、大地を守る会の幕張本社に、

岩手県陸前高田市から老舗の醤油メーカー

 (株)八木澤商店の九代目社長、河野通洋さんが来社された。

せっかくの機会だから、ということで

夜に社員向けに河野さんの話を聞く場が設けられた。

 

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1807(文化4) 年、八木澤酒造として創業。 以来205年の歴史を誇る。

全国しょうゆ品評会で何度も農林水産大臣賞を受賞した、

東北一の哲学のある醤油メーカーと称えられてきた。

しかし2011年3月11日の震災で蔵も工場も全壊。

この難局を乗り切るにあたって、

先代の和義さんは息子の通洋さんに再建を託した。

 

絶望的な状況の中で、敢然と 「再建する!」 宣言をした若社長。

いよいよ新工場でのしょうゆ製造開始、まで漕ぎつけた。

快活さの中に気骨を感じさせる青年。

ジョークも飛ばしながら、歯切れのよい語り口で、

八木澤商店復活の物語を語ってくれた。 

 


僕は15分ほど遅れて席に着いたのだが、

通洋さんはちょうど八木澤商店の経営理念を語っていた。 

一.私たちは、食を通して感謝する心を広げ、

   地域の自然と共にすこやかに暮らせる社会をつくります。

一.私たちは、和の心を持って共に学び、

   誠実で優しい食の匠を目指します。

一.私たちは、醤(ひしお) の醸造文化を進化させ伝承することで

   命の環(わ) を未来につないでゆきます。

 

この経営理念に沿って、

まずは自分たち(地域) の自給率を上げることをモットーとして営んできた。

70代の生産者も一緒になって米をつくり、

それを地元の飲食店でも活用し、食育活動にも活かす。

地域丸ごとになって子どもたちを育てることで、後継者が育ち文化が継承されてきた。

それが地域に付加価値を与えることにもつながった。

 

地方にとって厳しい経済情勢の中でも、地域の経営者が集まって、

" 一社も潰さず、一社でも新しい雇用を生み出してゆこう "  と

皆で決算書を持ち寄って話し合ったりしてきた。

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3.11によって、2万4千人の人口の町で1800人が亡くなったが、

皆で助け合って、子どもたちは守りぬいた。

八木澤商店のある地区は 99% が壊滅したが、

3月14日には、「生命の存続 (生きる、暮らしを守る)」 を基本方針に掲げ、

まずは地域の生命維持のための物資の配給ボランティア活動から再出発した。

残った自動車学校をベースキャンプにして、

救援物資を配りながら、教室を使って勉強会を開いた。

官も民もなく、銀行も一緒になって

地域の事業所の倒産防止と雇用の確保のために奔走した。

 

八木澤商店としては、自動車学校に仮住まいをしながら、

4月1日から仲間の同業者に依頼しての委託製造を始め、

5月2日には4アイテムの製品を初出荷することができた。

順次製造アイテムを増やしつつ、商品がそろう前に東京に営業に出た。

 

ミュージシャンを救うことを目的に設立された

ミュージックセキュリティーズという復興ファンドから声がかかり、

半分は義援金・半分はファンドという形で再建のための出資を募り、

目標とした金額を3ヶ月で集めることができた。

 

2011年の12月には一関市花泉町につゆとたれの製造工場を借り、

自社での醤油加工品の製造を再開。

12年5月には同市大東町の小学校跡地を買い取り、新工場の建設に着手。

同年8月、陸前高田市矢作町に残っていた廃業した旅館を改築して

新本社(店舗) をオープンさせた。

外装は土蔵の壁に漆喰を塗った 「なまこ壁」 を再現させた。

 ( 左官屋さんは 「これが人生最後の漆喰塗りの仕事だ」 と語っていたが、

  それが新聞に紹介されたことで、注文が殺到したそうだ。)

小学校の校舎が残ったままの新工場は12月に完成し、

いよいよ念願の新しい仕込みが始まる。

 

震災から半年後の9月、

河野さんたち陸前高田の経営者が集まって、

復興のためのまちづくりの会社 「なつかしい未来創造 株式会社」 を設立した。

復興の先にある 「なつかしい未来」 に向かって、

50年で500人の雇用を生み出す新事業を展開させるのだと言う。

" 私たちは、みんながニコニコできる地域をつくるため、

  人々が共感する事業をたくさん生み出します。 "  と謳う。 

この会社の設立には、大地を守る会代表の藤田和芳が代表理事を務める

社団法人 ソーシャル・ビジネス・ネットワーク」 も協力している。

 

「 被災地は暗い顔して暮らしてると思ってませんか?

 そんなことはありません。 むしろ都会の人より明るく前を向いてます」

と言い切る河野通洋さん。

彼が言う岩手県人のポリシーは、

宮沢賢治が 「農民芸術概論綱要」 で謳った  " 全体幸福論 " 

(「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」) である。

たしかに、昨年10月に紹介した 山形村のバッタリー村 にも掲げられていた。

 

また、いま抱いている思いとして、彼は新渡戸稲造の言葉を挙げた。

「 逆境にある人は常に もう少しだ と言って進むといい。

 やがて必ず前途に光がさしてくる。」

 

「 もう少しだ、もう少しだ、と言い聞かせながら前に進んでいきたい。

 そして今年には、売上を採算分岐点まで回復させます。」

そう明言して胸を張る河野通洋さん。 輝いてるね。

この若きリーダーと彼を信じる仲間たちなら、やり遂げるに違いない。

そういえば昨年の9月、学生のインターンシップを受け入れた際に、

復興支援の一環で八木澤商店の若い女性社員が一人、研修で参加されていた。

あの子もきっと目を輝かせながら今日も働いていることだろう。

 

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八木澤商店の HP はこちらから

 ⇒ http://www.yagisawa-s.co.jp/ 

3.11直後の生々しい様子、そして復興にかける意気込みが伝わってきます。

 

なお、大地を守る会のウェブストア では、

「八木澤商店のしょうゆドレッシング」 をご紹介中です。

ご利用いいただければ嬉しいです。

 



2013年2月 2日

次世代のために耕し、たたかう -福島新年会から

 

今年の産地新年会シリーズ 「福島編」 は、1月31日から一泊で開催。

今回の幹事となったジェイラップさん(須賀川市) が用意してくれた会場は、

磐梯熱海温泉。 

参加者は9団体から22名+1名(個人契約)、計23名の生産者が参加された。

 

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昨年 は原発事故の影響をモロに受けてきての新年会となり、

河田昌東さん(チェルノブィリ救援・中部) や野中法昌さん(新潟大学) を招いての

対策会議を兼ねたものになったが、

今年もやっぱりこのテーマは外せず、学習会が組まれた。

お呼びしたのは、福島県農業総合センター生産環境部長、吉岡邦雄さん。

農地における放射性物質除去・低減技術の研究・開発に関する

最新の動向を報告いただいた。

 

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東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故は、

県内の農業生産にとって甚大な影響を与えることになることを予感させた。

そこで県農業総合センターでは、

農地での放射能対策の知見がまったくない中で、

各部署からメンバーを選抜して対策チームを結成し、7本の柱を立てて、

調査・研究と技術開発を進めてきた。

 

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詳細な報告は省かせていただくこととするが、

「県内農用地土壌の放射性物質の分布状況の把握」 では、

事故のあった 3 月末から 8 月まで

県内 371 地点の農地を 8 回にわたって調査し、

続いて 10 月から 2012 年 2 月までに 2,247 地点の調査を行ない、

それぞれ農水省のマップ作成に貢献した。

放射性物質の垂直分布では、耕耘(こううん) することによって、

根からの吸収を低減させることができることを判明させた。

 

「放射性物質の簡易測定法の開発」 では、

NaI シンチレーションカウンターを使っての測定法を開発して

県内 14 ヶ所の農林事務所に配備し、地域の詳細なマップ作りを進めた。

(現在ではガンマ線スペクトロメーターが各市町村・JA に配備され、

 シンチレーションカウンターの役割は終えた。)

 

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収穫された農産物の検査では、ただ作物別の結果を分類するだけでなく、

土壌性質との関係性や肥料成分による効果の違いなどを調べ、

一定の知見を得てきている。

今では定説のように言われている交換性カリウムの有効性も確かめられ、

稲に対するカリを与える適期なども見えてきている。

除去技術では効率的な装置の開発をすすめ一部では実用化に至った。

 - などなど、まだ研究途上のものも含めて網羅的な報告をいただいた。

 

講演後の質疑では、質問は時間をオーバーして続いたのだが、

吉岡さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれて、

「いつでも連絡いただければ、できる限りお手伝いいたしますので-」

とも言ってくれた。 

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それぞれのグループからも、報告をいただく。

いわき市の福島有機倶楽部の生産者たちは、津波の被害が甚大で、

残ったメンバーは2軒になってしまった。

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阿部拓さん(写真右端) は宮城で農地を取得し、新たな活路を見出そうとしている。

いわきの農地は今、息子の哲弥さん(左端) が守っている。

小林勝弥さん(中央) も 「苦戦してますが、微生物の力を信じて、頑張ります」。 

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。 

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「耕しながら、放射能とたたかっていく」 と力を込めた。

「 福島をもう一度、安全な農産物の供給基地にしたい。

 次世代につなぐために、安全性を立証させる責任が俺たちにはある 。」

大内さんは仲間らと 『福島百年未来塾』 を立ち上げ、

勉強会を重ねている。

 

福島わかば会(本部は福島市)、大野寛市郎さん。 

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メンバーの住む地域の範囲が広く、バラつきがあるのが悩みだが、

とにかく全員で取り組んできた。

「 今の消費者の気持ちは、安全は分かっても安心ができない、という

 感じのような気がする。

 これからは 「安心」 を取り戻せるよう、消費者とも積極的に会話していきたい。

 オレらも頑張っているので、大地の職員も頑張ってほしい。」(事務局・佐藤泉さん)

 

やまろく米出荷協議会、佐藤正夫さん。

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原発事故によって、長年かけて築いてきたブランドが崩壊した気分である。

特に、有機や特別栽培米が苦戦している。

価格への圧力も厳しい。

農家の経営を守るためにも、肥料設計も見直しながら、

減収させないように支援していきたい。

 

今回の幹事、ジェイラップ (稲田稲作研究会) は5人で参加。

代表で挨拶するのは、常松義彰さん。 

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自分たちだけでなく、須賀川全体の信頼を獲得するために、

徹底的に除染作業に取り組んできた。

ちゃんと安心して食べられる米が作れるのだということを、

周りに伝えていくことが使命だと考えている。

岩崎晃久さん(左端) のひと言。

「いま一歳の子が、元気に育っていく姿を、皆さんに見せます。」

 

そして、喜多方から 「会津電力」 構想をぶち上げた、

大和川酒造店・佐藤弥右衛門さん。

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福島県議会は、脱原発を宣言した。

しかし自然エネルギーの方向性を、県はまだ示せないでいる。

それを形にしていく責任が、我々にはある。

自分たちの手でエネルギーを創出していこう。

 

弥右衛門さんは 「ホラ吹いてたら、あとに引けなくなっちゃったよ」

と笑いながらも、すでに

『社団法人 会津電力』 の設立文書を書き上げている。

2月23日には設立総会が開かれる段取りだ。

 

皆で学び、励まし合い、最後は楽しく飲んだ一夜。

もっとも厳しい、茨の道になっちゃったけれども、

福島の有機農業者たちは、必死で己を鼓吹しながら前に進もうとしている。

共通する思いは、次世代に何を残すか、だ。

福島だからこその希望を発信しよう❢

 

僕も、この場に立ち会った者であることを忘れずに、

今年も歩かなければならない。

 

今年の新年会、これにて終了。

 



2013年1月29日

シローのリンゴは終わりじゃない

 

1月27日(日)の早朝、

大地を守る会の看板生産者の一人である長野のリンゴ農家、

原志朗さんが亡くなった。 享年50歳の若さで。。。

 

彼が厳しい闘病の中にあることを知らされたのは、

昨年の秋も深まりかけた頃だった。

年を越せないかも・・・と言われた。

以来、訃報は覚悟していたけど、いざ連絡を受けると、やっぱりショックだ。

予想だにしなかった早すぎる別れ、辛すぎる。

 

本日、告別式。

幕張から乗り継ぐこと約4時間半。

新宿から特急あずさに乗って、終点・松本から松本電鉄に乗り換えて、

波田という駅に着く。

途中、持参した本をパラパラめくっても頭に入らず、

少しずつ形を変えてゆく八ヶ岳をぼんやりと眺めていた。

会場で、長野に移り住んだ懐かしいOBたちと会う。

「お互い老けたね」 とか言い合いながら、みんなで眺めた志朗くんの笑顔が

一番若々しくも見えて、いっそう切なさがこみ上げてくる。

 

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体調の異変に気づいて検査したところ、

胆管がんが発見されたのが昨年5月のこと。

以後入退院を繰り返しながら、様々な療法にも挑み、たたかい続けた。

昨年のクリスマス・イブの日に自宅に戻って、

そして1月27日の朝、ついに永久の眠りに就いた。

 

最後まで心配していたのが、妻と一人息子のこと。

女房の明子さんは、大地を守る会の元職員。

息子の光太朗くんは中学1年生。

しっかり者の明子さんが気丈に挨拶された。

「志朗さんの遺志を継いで、やっていきます。」

 

明子さんをして 「職人」 と言わせたほどに、

志朗くんは栽培技術を追い求めた。

父親の今朝生(けさしげ) さんも、リンゴ栽培ではカリスマと言われた人だった。

学校を出た後、農業を継ぐ前に流通の現場も知っておきたいと、

大地を守る会でアルバイトをした時期がある。

当時の調布センターに寝泊まりして、

毎晩のように飲み、語り、一緒に歌ったりしたもんだ。

当時はヒッピーのような奴らが何人もいたものだから、

悪い影響を受けちゃうと親父さんに申し開きできないよ、

とか笑いながら一緒に仕事した。

しかし多少は影響を与えてしまったのか、たしか

一時海外に旅に出たこともあったな。

あの頃から僕らは、原志朗とは会えば  " やあ、シロー "  だ。

 

自分の思う栽培技術を追求したかったのだろう、

実家は次男の俊朗さんに譲って、新たな園地でリンゴ栽培に挑んだ。

おそらくは、まだ道半ばの悔しい思いもあることだろう。

紅玉という古い品種を愛していた。

 

志朗くんは亡くなっても、彼が育てたリンゴの樹は健在だ。

「原さんのふじ」 にも、人気のセット 「りんご七会(ななえ)」 にも、

志朗が育て、明子さんや俊朗くんや広瀬 (元職員で今は立派なりんご農家)

や仲間たちが守り続けてくれるフジや紅玉やグラニュースミスが、

来年も再来年も入ってくることだろう。

その度に、僕らは志朗くんを思い出して、

こっそり語りかけたりしながら、齧ってやるのだ。

シローのリンゴは終わらない。

 

天国には大好きだったバイクもロック音楽も、ないかもね。

親父さんとリンゴ栽培論争でも、とことんやってくれ。

どうか安らかに。

合掌

 



2013年1月15日

大雪パニックと 「サラメシ」

 

今季の初雪はいきなりの大雪となって、風も強く、

お陰で首都圏の物流は大混乱に陥ってしまった。

大地を守る会においても昨日は配達が完了せず、

お届けできなかった会員の方々には、モノが食料であるだけに、

金額では計れないストレスを与えたことと思う。

この場を借りてお詫びいたします。

 

この影響は玉突き的に続くので、混乱はまだ数日尾を引きそう。

それにしてもたった一発の雪で遮断されてしまう。

交通網が発達 (複雑化) したぶん、逆に

都市はこういう自然現象に対して相当に脆くなってしまったように思う。

僕が入社した頃(●●年前) は、根性で配達し切れ!と言われたりして、

ヒィヒィ言いながらも何とかやった(やれた) ものだが、

 -夜の11時半頃に鎌倉の会員宅に着いて、亡霊を見るみたいに驚かれた記憶がある-

しかし今はいきなり  " なんともならない "  パニックに立ち往生してしまう。

 

今日は、物流センターへの応援や会員さんへの連絡などで社員が刈り出されている。

しかし僕はまるで戦力外通告。

「エビさんは、今の電話システムが分かってないから使えないです。」

見守るしかない、このもどかしさ。。。

現場応援!と指示され、嬉々として走り出す男どもを見ていると、

ある種の懐かしさも涌いてくるのだった。 血が騒ぐんだよね。

いやもしかして、今の連中には普段のストレスのほうが大きいのか・・・

 

ま、そんな感じで気もそぞろになりながら、

自分には自分に与えられたミッションがある、と言い聞かせて、

去年のうちに終わらせたかった宿題をひとつ、" とりあえず " 完了させる。

この話はいずれすることになると思う。

 

さて、冷たい雨に変わった夜道を急いで帰った昨晩。

なんとかNHKの 「サラメシ」 には間に合った。

番組後半、おにぎりには海苔! という展開で、成清海苔店・成清忠登場。

いきなり撮影班に向かって

「あんたもウマイめし食いたいやろ。 ワシも食いたか。」 (だったっけ・・)

おお、カッコいいじゃないか。

 

皿垣漁協も紹介され、一番積みへのこだわりが語られる。

そしてロットごとに乾燥を調節する、真剣勝負な成清忠の姿。

仕事してるねぇ~(失礼)。

 

忠さんによれば、撮影は二日に渡って行なわれ、

昨日と同じ服を着ろと言われ、何度も同じ場面を撮らされたとのこと。

「おふくろも、何回もおにぎり握らされたとですよ。」

おふくろさんのおにぎりは、シンプルな三角の塩むすび。

ジワ~ッと口のなかで溶ける一番積み海苔があれば、それでいい。

 

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雪に見舞われ、うろたえた一日の最後に、温かい日本の食。

成清家の皆さま、お疲れ様でした。 そして  " ごちそうさま! "  です。

再放送は17日のお昼、12:20から。

観れなかった方は、ぜひ。

 

忠さんも参加してくれた

12日(土)の 「おさかな喰楽部新年勉強会」 の報告は次回に。

 



2012年12月27日

NHK 「サラメシ」 に成清(なりきよ)海苔店 登場!

 

≪来年の予告編Ⅱ≫

NHKテレビで毎週月曜日の夜(22:55~) に放映されている

サラメシ」 という番組があります。

 

ランチをのぞけば、人生が見えてくる

働くオトナの昼ごはん それが「サラメシ」

 

が番組のキャッチフレーズ。

" サラリーマンの昼めし "  だからサラメシ。

中井貴一がやけに明るい声でナレーションをつとめていて、

いろんな職場を訪ねては、楽しいお昼ごはんの風景を紹介しています。 

堂々と弁当も覗いては、家族の愛を確かめたりして。

けっこう人気の番組だそうです。

 

その 「サラメシ」 に、何と!

「有明一番摘み」 でお馴染の 成清海苔店 さん(福岡県柳川市) が登場します。

放送は1月7日か14日とのこと。

 

取材のきっかけは、番組でおにぎり特集を組むことになって、

大地を守る会が食材提供や生産地紹介でお手伝いした

『おにぎり』(グラフィック社刊) という本を番組の方がご覧になって

問い合わせて来られ、成清さんを紹介させていただいた、といういきさつ。

 

↓ こちらが、その 『おにぎり』。

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47都道府県のおにぎりと米文化の話が散りばめられた、

懐かしさとともにやけにおにぎりを食べたくなってしまう本。

 

おにぎりといえば海苔。

そこで極上の有明海苔の生産現場を訪ねる。

酸処理をしない、環境に配慮した海苔。

見た目より味と風味にこだわった有明一番摘み海苔が紹介され、

忠さんのコメントで決められている。

「海苔は、米の恋人です。」

どっかで聞いたようなフレーズだけど、いいね。

 

『おにぎり』 では、成清さんの海苔だけでなく、

王隠堂農園(奈良) さんの梅干しや、

島根県弥栄町 「森の里工房生産組合」 のきれいな棚田と

竹田英雄さんの有機米も登場。

弥栄町のおにぎり名人、岩田千恵子おばあちゃんの

「朴葉(ほおば) の混ぜご飯おにぎり」 は、

自然の四季とともにある食の豊かさを伝えてくれます。

 

さてさて、「サラメシ」 では

成清海苔店のどんなお昼風景が映し出されることでしょう。

忠さん千賀さん夫妻のアツアツぶりも見せつけられるのでしょうか。

ウ~ン、ドキドキしますね。 お楽しみに。

 

< P.S. >

成清さんを紹介した日記はもうずいぶん前になっちゃったみたい。

『柳川掘割(やながわほりわり) 物語』 と一緒に書いたのが最後か。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/01/12/

参考まで。

 



2012年12月 7日

「会津電力」 で 独立運動!

 

「 脱原発ができるできないと、国は右往左往しているが、

 福島にはそんな暇はない」

こんな書き出しの新聞記事が目に飛び込んできた。

『 自然エネで  " 独立運動 "  』 と、過激な見出しが躍っている。

 

12月3日付・東京新聞、「こちら特報部」。

コメントの主は、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」(たねまきびと) の蔵元、

「大和川酒造店」 9代目・佐藤弥右衛門(やえもん) さんである。

2面にわたって掲載されている。

 

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弥右衛門さんは近隣の仲間とともに研究会を結成し、

11月、エネルギーの地産地消を目指す 「会津電力」 構想をぶち上げた。

「独立運動さながらの熱意で全会津の結集を呼び掛ける」 と、

記者までがアドレナリンを噴出させているかのような書きっぷりだ。

 


弥右衛門さんは、すでに7月18日、

全国新酒鑑評会での金賞受賞を祝って池袋で開催された

郷酒(さとざけ) を楽しむ会」 の席でも、

「福島はエネルギー自給を達成してみせる!」 と気炎を上げていた。

その構想がいよいよ動き出したわけだ。

 

「 小水力でも太陽光でも、できるところから始めたい。

 いずれ東京電力が持っている猪苗代湖などの水利権も買い戻す」

と鼻息が荒い。

この決意の裏には、つねに東京に収奪されてきた歴史への反骨がある。

原発事故は、その会津DNAにさらに火を付けた。

「 福島の土地を汚した東電は責任を取ってもらなきゃならないが、

 われわれも会津の歴史や自然を次代に伝える責任がある。

 どんなに困難であっても自然エネルギーに転換するしかない。」

「 自分たちの電力は自分たちでつくってこそ、地方は自立できる。」

 

県も 「2040年には県内需要の100%を自然エネルギーで賄う」

という目標を掲げている。

洋上風力発電、温泉熱を利用した地熱発電、間伐材を使ってのバイオマス発電

などのプロジェクトも県内各地でスタートしている。

会津は何と言っても  " 森と水 "  であろう。

震災直後から一升瓶に水を詰めて飯館村や相馬に走った弥右衛門さんの、

これは人生を賭したたたかいになるのだろうか。

 

福島・中通りの須賀川では、ジェイラップ・伊藤俊彦が具体化に向けて動いている。

県内各地で狼煙(のろし) が上がっている。

具体的なアドバイスで奔走してくれているのは、

環境エネルギー政策研究所(飯田哲也代表) の研究員、浦井彰さんである。

 

血が騒ぐ。

「種蒔人」 を注ぐ手にも、つい力が入る。。。

 

さてそこで、

日頃より 「種蒔人」 をご愛飲いただいております会員の皆様。

来年の 「大和川酒造交流会」 は、例年にも増して熱い夜になることでしょう。

日程は2月9日(土)、宿はいつもの通り熱塩温泉(10日朝解散)。

この日に搾りを合わせて、これから醸造に入ります。

原料米生産者(稲田稲作研究会) ともども新酒完成を祝い、

未来を語り合いたく思います。

どうぞ奮ってご参集くださいますよう、お願い申し上げます。

( 会員の方には、年明け配布の 「NEWS大地を守る」1月号で募集します。

 非会員の方は、本ブログのコメントをご利用ください。

 その場合、アドレスをお忘れなく。 このコメントはアップされません。)

 

みんなで飲んで、飲んで、

飲むたびにチビチビと貯めてきた 「種蒔人基金」 も

今こそ活用の時が来たのかもしれない。

しかし・・・ もっと飲んでおけばよかった。。。

 



2012年12月 4日

「備蓄米」 生産者からの手紙

 

大地を守る会 「備蓄米(大地恵穂)」 ご予約の皆様へ

 

・・・と題した手紙を、備蓄米生産者を代表して

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんがしたためてくれた。

しかしここに書かれた内容は、 「備蓄米」 申込者だけでなく、

福島で格闘してきた生産者の取り組みや思いとして、広く、

多くの方に伝えたいと思う。

ここに掲載させていただくことを、ご了承願います。 

 

 

"復興" から "自立" へ、感謝の心とともに歩んできました。

 

あの日(3.11)から2回目の稲刈りを終えて間もなく、

10月27日に開催しました "風土 in FOOD 自立祭" には

多数の会員の皆様に駆けつけていただき、

本当にありがとうございました。

 

おかげさまで、家族と連れだって参加した生産者たちも

心からの笑みに包まれ、心和むひと時を過ごさせていただきました。

心から感謝、感謝です。

 

昨年は、大震災と原子力災害からの "復興" を誓い合い、

今年は、本当の復興は "自立するところにある" ことを

確認し合いました。

 

稲田稲作研究会は、少しずつ自信を取り戻し、

少しずつ元気になっています。

 

 

家族・仲間を守るために、子ども目線で判定することを学びました。

 

家族や仲間を原子力災害の被害者にしないための学びと行動は、

私たちの農業にも活かされ、

家族や仲間を内部被曝から守り切る農産物を作ること、

測定によって子ども視点で安全性をジャッジすること、

などの対応策を定着させました。

 

家族や仲間のために行なってきたこの当たり前の姿勢を、

出荷する農産物にも適応させることで、

"子ども目線でジャッジした農産物の出荷" を貫き通すことができた

と確信しています。

 

逆境の中から得られた数々の知見や結果の集積は、

私たちが家族や仲間を想うところから生まれたものです。

その思いは学びと測定という科学的根拠に裏打ちされ、

皆さんにお届けする農産物も、

私たちの家族に向けた必死の思いや学びが

共有されたものであることを、何よりもお伝えしたく思います。

 

 

たゆまぬ "実践" から "希望" をつかみ、さらに前へと進みます。

 

昨年の稲作は、

学ぶこと、考えること、決断すること、行動すること、

全てが手探りの中から始まりました。

 

"対策" を思い立っても、思うだけでは何も得られない。

対策を施しても、収穫して見なければ結果は解らない。

長期戦を予感させる不安の中で、

一枚一枚の田んぼから土や稲のサンプルを採取し、

汚染の実態を見極めることから始まり、

得られた知見や仮説を片っ端から実践しました。

 

無我夢中の時を経て、得られた結果は

年間60kg食べても、安全基準(年間1mSv) の1,000分の1程度

というものでした。

弛まぬ自助努力は、今期の稲作に向けて希望の種を残しました。

 

希望の種は "やる気" に変わり、

さらに昨年を下回る結果が得られてきています。

そしていま稲作研究会では、もっと前へ!とばかりに、

来季に向け、収穫を終えたばかりの約150haの水田で、

さらなる減線作業の真っ最中です。

 

 

「今年も頑張りました」

と胸を張ってお届けできる喜びをかみしめながら、

「子どもたちの未来のために」

生産者としての責任を全うします。

 

今期も備蓄米をご予約いただきました皆様、

本当にありがとうございます。

 

皆様からの "予約" という力強いメッセージが、

私たちへの大きな励みとなり、

加えて "未来ある子どもたちの人生がかかっている" と、

生産者としての責任を強く自覚させてくれています。

 

昨年産の「大地恵穂」は、一度たりとも、

2ベクレルを超える玄米・白米はお届けしていないと認識しています。

精米を行う際に常に気を配ってきた

「品質の不公平を作らない」 という姿勢と技術が、

それを実現させる仕組みにもつながったものです

 

安全基準の1,000分の1以下という数値をどう判断されるかは

皆様に一任するしかありません。

私たちにできることは、ご購入いただいた皆様に対し、

安全で美味しいお米を "可能な限り品質の不公平を作ることなく"

粛々とお届けさせていただくのみであります。

 

皆様に励まされながら、稲作研究会は学び続け、

生産活動を止めずに自立を目指せるまでになりました。

今年収穫された「大地恵穂」は、

昨年よりもさらに高い安全性が確保されています。

猛暑の影響によって若干の白濁が見られますが、

たんぱく値からして食味は申し分ない筈です。

 

ある意味、極めてあきらめの悪い農家が作ったお米です。

それはまた、私たちが一緒に暮らす子どもたちに、

それだけ手を抜くことなく頑張ってきたんだという誇りをもって、

普通に食べさせているお米でもあります。

そんなお米を皆様にお届けできる喜びを、今かみしめています。

 

来年の秋までの一年、

「備蓄米・大地恵穂(だいちけいすい)」が

皆様の食卓の安心や幸せな笑顔を支えられることを

心より願いながら、

万全の体制で保管させていただくことを、ここにお約束いたします。

 

収穫の秋を終え、深い深い感謝の念とともに-

 

2012年11月

稲田稲作研究会会長 渡辺良勝

(株)ジェイラップ代表 伊藤俊彦

 

以上です。

読んでいただき、有り難うございました。

 



2012年12月 2日

水とともに 「未来を拓く農業」

 

会津・喜多方市山都町 「堰(せき) と里山を守る会」 から

しばらく前に届いていたお米 - 「上堰米」(じょうせきまい) を食べる。

今年5月の堰さらいボランティア に参加したお礼として送られてきたものだ。

コシヒカリとヒトメボレが一袋ずつ。

堰さらいの写真が貼られている。

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下手な写真が腹立たしいのだけれど、

ピカピカと輝いていて、本当に美味しい米だった。

10月に行なわれた須賀川での 「備蓄米収穫祭」 でお土産にもらった新米も

美味しかった。 福島の米はやっぱ、ウマいと思う、掛け値なしで。

 

同封されていた 「上堰だより」 によれば、

越冬のために家に入ってくるカメムシの数はいつもより少なく、

カマキリの卵の位置は低めで、ソバの背丈も低かったそうで、

「今年の冬は積雪量が少ないかもしれません」 とある。

 

また、10月にインド・ハイデラバードで開かれた

国連生物多様性条約第11回締約国会議(COP11) の

サイド・イベントに参加された浅見彰宏さんの報告も記されている。

サイド・イベントとは、政府間で議論する本会議に対して、

NGOが企画する対抗イベントのこと。

「農業は土や水を通して生態系の保全と関係が深く、農業と原発は両立できない」

と英語で訴えてきたそうだ。

そして 「堰と里山を守る会」 の活動を、美しい風景とともに伝えることができたと。

すごいなあ。 浅見彰宏は国際人だ。

 


ここで、浅見さんが11月に出されたばかりの本を

紹介したい。 

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コモンズから、「有機農業選書」 のシリーズとして出版された。 1900円+税。

「 会津の山村へ移住して16年。

 有機農業で自立し、江戸時代から続く水路を守り、

 地域社会の担い手として活躍する、社会派農民の書き下ろし」 とある。

 

「ひぐらし農園」 と名づけた山村農園での四季の暮らしが綴られ、

有機農業の世界に飛び込んだ経緯やⅠターンゆえの苦労、

そして地域の人々との関わりや堰を守る活動から獲得してきた

農への思い、農の哲学が、実に読みやすいタッチで語られている。

放射能汚染とたたかってきた苦悩も、苦悩で終わらない、

有機農業の力と明日を信じる浅見さんの願いが伝わってくる。

 

最後のほうで思いがけず、大地を守る会とのつながりと

「会津の若者たちの野菜セット」 企画が実現したくだりも紹介されていて、

嬉しくなってしまった。

 

最後に掲げられた浅見彰宏の信条。

「 ひぐらし農園のめざす農業は 『未来を拓く農業』 でありたい。

 そのためには、社会性があり、永続的であり、科学的であり、誠実であること。

 そして、排他的であってはならない。」

 

イイね。

浅見さんが農から発信するなら、僕はこの地平から応えたい。

そしてつなげてゆきましょう、人と人を、価値と価値を。

未来開拓者は、いま、あらゆる分野から生まれ出なければならないのだ。

 

食べものと環境とのつながりを見つめ直し、

暮らしをどう設計するか、し直すか、

一人一人が立ち止まって考える時代にあって、

16年前に、農の世界に、しかも雪深い山村に飛び込んだフロンティア、

「社会派」 農民が描く未来のかたち。

ぜひたくさんの人たちに読んでほしいと思う。

 



2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

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これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

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お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

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「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

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東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

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仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

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このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

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一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

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ワラの香りがする牛肉!!!

 

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燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

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山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



2012年11月13日

ブナ1本で 一反の田を

 

  森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)

                                                 - 『森は海の恋人』 より -

 

11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。 

(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)

前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、

彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。

いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。

 

まだ目新しい、キレイな看板が立っている。

今日のために立てたのかしら。

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ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。

「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。

 

それにしてもスタッフの方々は大変だ。 

わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。

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ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。

ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。 

 

2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。

見慣れた横断幕が掲げられている。

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南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。

八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。 

源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。

 

今年の参加者は150人くらいか。

大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。

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諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。

我々は5班にあてがわれる。 

少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。

いざ作業開始。

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黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。

子どもたちの未来のために- 

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親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。 

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黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、

水源の環境維持も、おそらく同義である。

ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。

 

自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、

将来の水を担保させる。

これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、

すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。

だから僕は前から機会あるごとに、

こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ

(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、

と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。

消費は何でも同じではないのに。

 

安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、

こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、

「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。

一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、

社会の基盤づくりでもあるのだ。

 

思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。

 

20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。

今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。

5 班の方々、お疲れさまでした。

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20年間で、植えた広葉樹が15,130本。

持続こそ力、だね。

 

今年も変わらず、美味しい水だった。

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永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。

 

作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。

毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの

「ぶなっこコンサート」 も開かれる。 

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(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)

 

オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、

そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、

みんなで合唱する。

 

交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。

今も残る、第1回(1993年) の時の看板。 

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しっかりしたブナの森に育ってきている。

その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない

生産者たちの汗がある。 

 

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カモシカのフン、発見。 

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しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。

野生動物も増えているらしい。  

森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。

 

植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。

「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。 

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古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。

約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、

反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)

= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。

 

この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、

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僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを

根底から変えなければならない時に来ているのではないか。

 

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、

今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。

来年も植えるかどうかは未定、とのこと。

 

それでも、できることならこれからも来たいと思う。

断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。

自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。

 



2012年11月12日

心に ブナの森を

 

水は生命を支える土台であり、しかも  " 水系 "  は

エネルギーも提供してくれる重要な地域資源になる。 

地域の力でエネルギーを創り出せば、

お金(富) も外に出てゆくことなく、地域で循環させることができる。

 

その資源の源といえば、森に他ならない。

森と水系をしっかりと守りさえすれば、

水はいつまでも私たちに安心の土台を与え続けてくれる。

 

しかし、水資源の涵養が維持されなければ、水流はやがて途絶える。

あるいは鉄砲水となって麓や町に災害をもたらす。

そのあとには水不足が待っている。

またひとたび水系が汚染されると、

人々は未来への予知不能な不安に怯えることになる。

まさに今の世がそうだ。

僕らは水が教えてくれる大もとの作業も忘れずに続けなければならない。

人の心に木を植える。。。

 

栃木・那須から帰って、一日おいて11月2日、秋田に向かう。

第20回に到達した 「秋田・ブナを植えるつどい」。

記念講演も用意され、

この地でブナを植える活動のきっかけを与えてくれた畠山重篤さんが呼ばれた。

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秋田行きの 「こまち号」 が強風のためだいぶ遅れ、

会場である五城目町の 「五城館」 に着いた時は、

すでに畠山さんの講演が始まっていて、元気な声が会場の外まで聞こえてくる。

身振り手振りを交えながら、畠山ワールドの展開。

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畠山さんの話は後半しか聞けなかったけど、

おそらくは震災の凄まじい体験から始まり、自然の力あるいは偉大さ

(もしかしたら人間というもののちっぽけさ) が語られ、

おそらくは生命が湧くほどに豊か " だった " 幼少の頃の暮らしも語られ、

山や森とのつながりへと展開されていったのではないかと推測する。

 

山の落ち葉らの腐植から生まれるフルボ酸が鉄とくっついてフルボ酸鉄となり、

川を伝って海に運ばれながら植物やプランクトンを育てる連関。

僕が椅子に座った時は、まさに畠山さんの十八番(おはこ) である

" 地球は鉄の惑星でもある (鉄があったゆえに植物が生まれた) " 

の世界へと聴衆を誘っているところだった。

 

シベリアからオホーツク海を経て三陸にいたる陸と海のメカニズム。

学者たちが後追いのような形で証明してくる生命のつながり。

津波の後、例年より強い勢いで育っているカキたちと自然の奥深さ。

さらにはカキという生物の面白さ・・・ 全身で表現する畠山重篤さんがいた。

元気になって、ホントよかった。

 

畠山さんは昨年2月、

国連森林フォーラムが 「2011年・国際森林年」 にちなんで設定した、

森を守るために地道で独創的な活動をする 「フォレスト・ヒーローズ」

8人の一人として選出され、世界から称えられた。

 

授賞式はニューヨーク・国連本部で行なわれた。

そこで貰ったという金メダルを見せてくれる。 

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今や世界から注目される  " 森のヒーロー "  となった畠山さん。 

「 " 森を守る "  功労者に、漁師を選んでくれたことが嬉しい」 と語る。

「これは、森を考える時は川や海のことも考えよう、というメッセージになった」 と。

 

  森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく (熊谷龍子)

 

 - これからも広葉樹の森を育てながら海を守っていきたい。

地震と津波というとてつもない災禍や絶望を超えてきて、

この人のなかにある木は、さらに巨きく枝を伸ばし葉を繁らせたように思う。

震災後の牡蠣のように。

 

秋田から帰ってきて、久しぶりに 『森は海の恋人』

(1994年・北斗出版刊、今は文春文庫で買えます) を手に取った。

山にも海にも、たくさんの生き物(幸) が

当たり前のように満ち満ちていた時代があった。

例えばこんなくだりがある。

 

  広葉樹の山々の沢から流れる水は、どんなに大雨が降っても濁ることはなく、

  川には魚が満ち溢れていた。 岩魚(いわな)、山女(やまめ)、鰻、いくらでも採れた。

  夜突きといって、松の根に火を灯して、夜、川に入ると、

  一尺五寸を越す岩魚がウヨウヨしていた。

  いつでも採れるので、食べる分しか採らなかった。

  山女も、鱒(ます) のような大きなのが居て、ヤスで突いて何なく採った。

  腰に下げたフクベは忽ち重くなり、家に帰ると直ぐ割いて竹串に刺し、

  炉端で焼いて御菜(おかず) にした。

  「ほんとに夢のようでがす!!」 とおばあちゃんも、目をしばたたかせている。

  夢のような話は、まだ続く。

 

山と海の深いつながり (「木造船は、海に浮かぶ森であった」 とか)、

子供を一人前の漁師に育ててゆく人と自然と生き物たち、

そのつながりがもたらす豊饒の世界が、実に愛情深く描かれている。

加えて、関係を断ち切ってゆく 「近代」 という波がもたらした貧しい世界も。

熊谷龍子さんの格調高い短歌を配置して、

これはすごい文学作品だと、改めて思ったのだった。  

 

講演会が終わった後、畠山さんにご挨拶をして、いつぞやのお礼を言う。

かすかに覚えていてくれたか、いやどうだか分からないが、

でもまあ 「ああ! おーおー」 と笑って応えてくれた。

これだけで、僕は満足。

 

夜は、「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さん宅で、

懇親会という名の楽しい宴会。

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黒瀬さんが男鹿の港の市場から調達してきたマグロと、

いつも陣中見舞いに来てくれる安保農場・安保鶴美さんのきりたんぽをメインに、

今回の秋田の地酒は、銘酒 「白瀑(しらたき)」。

 

黒瀬さんと安保さん。

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黒瀬家は家族も増えて賑やかだ。

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息子の友基・恵理さん夫妻に、

長男・悠真くん(5歳)、長女・花穂ちゃん(3歳)、次女・志穂ちゃん(1歳)。

 

本番を前にして、例によって飲み過ぎ、

もうずいぶん古い付き合いになった奈良のSさんと遅くまで語り合ったのだが、

朝になると何を話したのか、どうも思い出せない。

これは大事なことや、大事なことやからエビちゃんに伝えておくんやぞ、

とか言われていたように思うのだが・・・

スミマセン、Sさん。 また来年もお願いします。

 



2012年11月 6日

それでも 世界一の米を!

 

「備蓄米 収穫祭」 & 「自立祭」 レポート - PartⅡ

 

収穫祭で飲んだり語り合っている間に地元の方々や関係者も集まってきていて、

午後2時半、「自立祭」 の開催が宣言される。

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「元気ですかーッ!」

気勢を上げる稲作研究会会長・渡辺良勝さん。

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右は落ち着いた司会さばきを見せるジェイラップ専務の関根政一さん。

 

自慢の食材や季節の果物が並べられる。

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すっかりお馴染みになった佐藤良二さんの手打ちうどん。

今年は天ぷらも登場。

お好きな具で天ぷらうどんを、どうぞ。 ニクイね。 

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あちこち歩きながら、生産者と語り合ったりしているうちに、

食べそびれてしまった。

きれいに揚がった色とりどりの野菜や菊の花の天ぷら・・・ くやしい。

 


改めて壇上に立ち、挨拶する伊藤俊彦さん。 

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原発事故と放射能に慄きつつも、立ち向かってきた俺たちのたたかいは

無駄ではなかったし、むしろ予想以上の成果を獲得した。

そして昨年の 「復興祭」 から一年。 今年もみんなで頑張ることができた。

自分たちの地域は自分たちの手で守る、という自信も取り戻せたように思う。

そんな自立に向かう意気込みを込め、

関係者の皆様の支援に支えられたことに深く感謝して、

「自立祭」 を祝いたい。。。。 (本当はもっとカッコいい挨拶だった。)

 

ここに到着して、慌ただしくなったスケジュールの確認中に聞かされた

感謝状授与という話。

え? え? 何それ? 聞いてないよ。

「ああ、いま初めて言ってるんだけど、貰ってくれるよね。」

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照れも通り越して、恐縮しまくり。 文面にも気が込められていて・・・

 

『 感謝状
  大地を守る会 藤田和芳殿

貴社におかれましては 東日本大震災による被災ならびに
東京電力福島第一原子力発電所事故に起因する原子力災害に慄き 
意気消沈する私たちに対し 復興への導きと希望の再生のために 
救援物資の提供 原子力災害に対峙する学び 放射能分析設備の貸与 
復興に向けた経済支援 独自の情報発信活動など 
積極的なご支援を賜ってまいりました。
特に原子力災害という未知の環境汚染対策に対しましては 
共に闘っていただいているという実感の中で 
この逆境に立ち向かう気力と勇気を賜りました。

おかげ様をもちまして 顔を上げ 前を向き 
一歩ずつですが復興に向けての気概を増幅させ 
生きることの基本である " 自立 " を目指せるまでになりました。

2012年  " 風土 in FOOD 自立祭 "  を開催するにあたりまして
復興から自立に向けて継続的に努力精進してまいりますことを
お約束申し上げますと伴に 一層のご指導 ご尽力を賜りますことを
切にお願い申し上げます。

ここに賜りました数々のご厚情に対しまして 
真心からの深謝の念を感謝状に込め お伝え申し上げます。

二〇一二年十月二十七日
株式会社ジェイラップ
農業生産法人 稲田アグリサービス
代表 伊藤俊彦 』

聞いている途中から、この1年半を思っってしまい、

泣き虫のワタクシは耐えることができない。

必死でこらえながら (いや、すでにむせび泣いているのだけど)、

感謝の言葉を伝えさせていただいた次第。

戎谷挨拶.JPG

何を言ったのか思い出せない。

夢を語り合いながら一緒にたたかって来れたことに、そして

素晴らしい米を消費者に届けることができる喜びをかみしめていること。

この2年、ひたすら頑張ってこられた皆さんと連なって仕事ができたことは、

僕の誇りです。 深く感謝申し上げたい。 

声を詰まらせながら、そんな感じだったような・・・

 

お酒を持ってお祝いに駆けつけてくれた大和川酒造店・佐藤和典工場長(写真左)、

次世代のリーダー・伊藤大輔くん(中央) と一緒に一枚。

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では、こちらからもささやかではありますが、

収穫祭に参加された会員や職員からのメッセージを、贈らせていただく。 

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渡しているのは、会員で 「米プロジェクト21」 メンバーの鬼弦千枝子さん。 

「あの日から大変な困難とたたかってきた稲田の生産者はスゴイ! 

 これは私にとっても誇りです!」

(本当はもっとカッコいい挨拶だった。

 鬼弦さんのブログ でもレポートされてます。ぜひご覧ください。)

 

「自立祭」 宴たけなわのところで、

最後に記念撮影。

集合写真.JPG

 

皆さんが笑顔で収まってくれて、また感激が募る。

そして、、、生産者に見送られながら、慌ただしく帰途に。 

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バスの中で頂戴した感想に、またまた泣きそうになる。

「大地を守る会の会員で、本当によかった。」

 

最後にお知らせ。

備蓄米の追加募集が近々のうちにも行なわれます。

会員の方々にはチラシが入ります。 WEBストアからも申し込めます。

 

2009年3月に出版された、稲田の取り組みのルポルタージュがある。

このタイトルをもう一度、蘇らせたい。

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(奥野修司著、講談社刊 1,800円/近々文庫化されるとの情報あり)

 

まさにこのタイトルを借りて 新年の講演会 をやったのは2年前。

何だか遠い昔のような気がする。

 

彼らの、今の思いは、こうだろうか。

『それでも 俺たちは 世界一の米を作ってみせる!』

 

どんな困難な時も、この志を忘れることなく、常に前を向いて

" 安全で美味しい "  米作りを目指してきた稲田稲作研究会。

今年も美味しいお米ができたことを、ここに報告いたします。

しかも責任持って、来年の秋までモミ付きで貯蔵します。

1993年の大冷害の教訓から生まれた、

世界一美味い(と自負する) お米の、世界一の保管システムで、

一年間の 「食卓の安心」 をお約束します。

 

稲作研究会の生産者たちは、放射能対策に対しても敢然と立ち向かいました。

「できることはすべてやろう」 を合い言葉に、

徹底した検査と具体的な対策のたゆみない実施により、

検査したすべての玄米で 「ND(検出下限値未満)」 を達成しました。

 

そして今、彼らの夢は 「自然エネルギーの郷づくり」 へと広がっています。

彼らを支えているのは、

20年以上にわたる  " 食べてくれる人のたしかな存在 "  に他なりません。

 

今年最後の募集となりました。

未来への夢を託した渾身のコシヒカリで、一年の安心と笑顔の食卓を

一人でも多くの方にお届けできることを願っています。

 

 2回にわたる 「収穫祭&自立祭」 のレポートでは、

   弊社EC戦略室・大塚二郎撮影の写真をたくさん借りちゃいました。

   ありがとう。

 



2012年11月 5日

「備蓄米」収穫祭 & 自立祭

 

改めて、10月27日(土)の 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 から振り返りを。 

少しでも現地の空気が伝えられたなら嬉しいです。

 

東北自動車道で事故渋滞の連続攻撃に見舞われた我ら一行は、

1時間半遅れで、須賀川市は 「稲田」 と呼ばれる地区に到着。

早速ほ場に出向き、今年取り組んだ除染の実演を見学する。

耕起風景.JPG

どうもザックリと 「除染」 と言ってしまってるけど、

ここでの対策は土を剥ぐわけではない。

 プラウ耕といって、土の表層と深層をひっくり返す反転耕。 天地返しとも言う。

セシウムが留まっているのはせいぜい表土10cmあたりまで。

そこで表層30cmを下の層と反転させることで、

根の成長期では届かない下層にセシウムをとじ込める。

 

生産者団体 「稲田稲作研究会」 を束ねるジェイラップでは、

昨年耕作を放棄した田んぼも借り受け、反転耕を実施して、

線量を3分の1まで下げることに成功した。

彼らは地域全体の安全確保のためにも動いてきたのだ。

 

実演を見学する参加者たち。

見学風景.JPG

 

説明するジェイラップ代表、伊藤俊彦さん。

圃場で説明する伊藤俊彦.JPG

 

天地返しによって表層にあった土の栄養分がなくなって、

稲の生育によくないのでは、という声もあるが、伊藤さんは動じない。

「 もともと昔からあった土づくりの技術ですよ。

 これでかえって根の張りが良くなって強い稲になるはず」 と解説する。

 


本当はこれだけでなく、

一年かけてやってきた対策をひと通り見てもらおうと、

生産者たちは張り切って準備していたのだが、

残念ながら割愛させていただく。

ライスセンターでも、自慢の太陽熱乾燥とモミ貯蔵のタンクを見てもらい、

あとは簡略した説明となる。

 

太陽熱での乾燥設備。

太陽熱乾燥.JPG

小さな穴が空いているベッドにモミが並べられ、

ラインの奥にあるプロペラが回りながら撹拌してゆく。

こうして理想的な乾燥状態に持っていって、いったん眠りに着かせる。

 

こちらがモミ貯蔵タンク。

モミ貯蔵タンク.JPG

一基150トン × 3基で、450トンの保管能力がある。

保管されたモミ米は、注文に応じて籾すりされ、

精米-袋詰めまで一貫してここのライスセンターで行なわれる。

来年の梅雨を越しても品質を劣化させない、

まさに 「備蓄米」 のために作られたような設備だ。

 

駆け足で見学して、交流会の席へと急かされる。

生産者たちには、随分と待たせてしまった。

交流会.JPG

 

挨拶もそこそこに、乾杯をやって、懇親会突入。

今年も食べてくれる人の顔が見れる。

その喜びは、消費者が想像している以上に大きい。

生産者紹介.JPG

 

自慢の生産者を紹介する常松さん。

こうやって毎年繰り返しながら、僕らの信頼関係は知らず知らず深まってゆく。

 

今年の特徴は、大地を守る会と稲田稲作研究会の 「収穫祭」 だけじゃないこと。

地元地域の人たちも招いての感謝祭も一緒に実施されたのである。

昨年は別な日程で、「復興祭」 と銘打って開催されたものだが、

今年は、「風土 in FOOD 自立祭」 となった。

 

「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で、守る育てていくために

「復興から自立へ!」

そうだ、力強く、前に進もう!

 

会場を広げて、「自立祭」 の開催。

風土 in FOOD.JPG 

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2012年10月15日

"奇跡の出会い" から30年 ~ 山形村物語(最終回)

 

しつこい山形村レポート、最終回とします。

 

広々とした牧場で悠然と過ごす短角牛を眺め、

直後に牛ステーキを 「なるほど」 とか言いながら腹に収めた一行は、

休む間もなく会議室に。 

村 (今は 「町」 だけど) の関係者に集まってもらっての意見交換会を開催。

 

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口火を切ってもらったのは、元山形村・村長の小笠原寛さん。

1983年、35歳の若さで村長となり、4期16年にわたって村の発展に貢献された。

就任当時、たしか日本一若い村長さんとして

週刊誌にも登場したことがあったと記憶している。

今も毎日山に入る、現役の林業家だ。

 

「 30年前に村長選に立候補しようと思ったきっかけは、

 とにかく村の人たちに自信と誇りを持たせたい、という一心だった」

と小笠原さんは語る。

都会に出た時に、「岩手県山形村出身です」 と胸を張って言えるような村にしたいと。

 

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小笠原村政のポイントは、地元にある資源と文化を見直し、

それを基盤にして  " 自立 "  を目指したことにあったように思う。

レジャー施設やリゾート開発といった都市追従型の資源の切り売りではなく、

短角牛と山林資源を柱にした地場産業のしっかりした立て直しと、

地域の文化を再発見して、食の安全や環境で勝負しようとしたことだ。

〇〇がないからできない、ではなくて、〇〇がないからこそ〇〇ができる、と

村民たちとの対話を進めた。

当時としてはまだ新しいグリーンツーリズムの発想も持っておられた。

そして文化の再発見には、外からの視点が必要だとも考えておられた。

 

そんな時に、大地を守る会と出会ったのである。

小笠原さんにとって 「この出会いは、まさに奇跡だった!」。

 

都市との交流が盛んになるにつれ、村への誇りも湧いてくるようになった。

短角牛にも一流シェフのファンがついてきて、

草を食む健康な牛-グラス・ビーフ として注目されてきた。

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100%国産飼料への道のりは簡単なものではなかったが、

「これで自分たちのブランド・イメージが固まった」 と、

短角牛肥育部会長の下館進さん (上の写真右端) は語る。

若手のホープである柿木敏由貴さん (同左から二人目) が

家に戻って就農しようと決意したのも、

「経済だけじゃない。 たくさんのファンが来てくれ、価値を認めてくれる」

「外(都市) の人たちとの交流が活発に行なわれている」 ことを

「面白い」 と思ったから。

 

自給飼料を増やすために、遊休地をデント・コーン畑に変えてきた。

これは景観維持にも貢献している。

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しかしそれでも、生産者の減少による悩みは、ここも同じである。

林業も高齢化が進み、

確実に 「山を手入れする人は減ってきている」 (小笠原寛さん)。

それによって自慢の山の幸も少なくなってきた。

これからの重大な課題である。

 

短角牛を使い切るために、スジ肉やたくさんの具材を使って

短角牛マンを開発した 「短角牛マン母ちゃんの会」 の下館豊さん (下の写真・右) と、

「まめぶの家」 を運営する谷地ユワノ (同・左) さん。

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牛マンの開発にあたっては、

配合を変えたり具材を付け加えたり、何回も何回も試作して生み出された。

今も季節によって具を変えたりしている。

日量300~400個つくれるようになって、

ようやく観光会社からも大量の注文が入ってきたと喜んでいる。

 

まめぶに至っては、7つの集落ごとに具や味付けが違っていて、

以前に 「まめぶサミット」 というのを開いてコンテストをやったが、

みんな自分のが一番だと主張して、決められなかったとか。

この各戸秘伝の味が今や久慈の郷土料理として市全体に広がって、

月一回の料理教室も開いている。

近々北九州で開かれる 「B-1グランプリ (B級ご当地グルメ大会)」 

にも出展するらしい。 

まめぶを   " B級グルメ "  とはいかがなものかと思ったが、まあ

前に出ようという勢いがあるのはイイことか。

 

最後のあたりで、牛の王子様・カッキー こと柿木敏由貴が注文をつけた。

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スローフードとして短角牛が認定されたけど ( 『味の箱舟』 のこと)、

あまり経済にはつながってないように感じる。

いま検討されている 「マニュアル」 というヤツも、

ただの紹介や参考書のようなものでなく、

現実に地域の経済 (生産者の経営) に貢献できるものに作り上げてほしい。

 

委員会一同、「肝に銘じます」 。

 

肝に銘じたところで、山形村編、終わり。

ようやく終わったと思ったところで、

明日は朝6時に出発して、福井県小浜市に向かうことになっている。

今夜は飲まない、少ししか。。。

 



2012年10月13日

山形村 「物語」Ⅱ - 走る短角牛

 

今日は、 NPO法人農商工連携サポートセンターが主催する

「食農起業塾」 というセミナーに呼ばれ、1時間半の講義を務めてきた。

セミナーには、食や地域起こしで起業を目指す人、農業を夢見ている人など、

年齢もバラバラな25人ほどの男女が参加されていて、

与えられたタイトルは 「大地を守る会が目指す流通」 というものだったが、

勝手に 「大地を守る会が目指す流通とソーシャルビジネスの展開」 と書き加えて、

大地を守る会が誕生した背景から歴史、現在の事業や活動の概要、

そして自分たちに課してきたミッションの意味やこれからの課題などについて

お話しさせていただいた。

 

こういう場で大地を守る会の話をするとなると、必然的に

「食とは何か」 という観点を土台にせざるを得なくなっちゃうのだけど、

食を育む自然や環境とのつながりは、どうしても欠かせない要素となる。

食に関わる人の営みは常に環境にも深く、あるいは間接的に関与していて、

その質によって例えば生物多様性を豊かにすることもあれば、

激しくダメージを与える場合もある。

前者は人の心身も豊かにさせてくれるものとなり、

後者は持続性すら失いかねないものとなる。

どっちに転ぶにせよ、その最大の貢献者は 「食べる」 という行為である。

何を選び、どう食べるかという 「消費」 の質が、

社会の命運を決める最大要素の一つだと言えるのではないか、

とすら僕は思うのである。

 

「 君はどんなものを食べているか言ってみたまえ。

 君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

とは、18世紀から19世紀にかけてフランスに生きた美食家、

ブリア・サヴァランの有名すぎるアフォリズムだが、

不思議なことに、その著書 『美味礼讃』 の冒頭で、

上記の一行前に記された言葉が引用されることは少ないように思う。

曰く- 「国民の盛衰は、その食べ方いかんによる。」

この意味において、「食文化」 とは趣味やグルメの話ではない。

 (いや、サヴァラン先生は 「グルマン」 と呼んで真の美食家の意味を説いておられる。)

 

郷土の伝統食を、当たり前のように家庭の味として育んできたということは、

その風土や環境が大切にされてきたことと、いわば同義である。

厳しい東北の気候風土にマッチして、粗飼料で逞しく生きてきた

「日本短角種」 を、何としても守っていきたい、という心が、

輸入濃厚飼料による霜降り牛肉によって淘汰されてしまった時、

この国が失うのは一つの種だけではないだろう。

 

「食文化を地域活性化の材料に」 と考えることはまあ良しとして、

ならばこの風景を、何としても見てもらわなければならないと思ったんだ。 

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山形町荷軽部に開かれた短角牛の基幹牧場、通称 「エリート牧場」。 

この呼び方は個人的には好きじゃないけど、

まあ生産者にとってはこの環境こそがエリートなのだろう

(種牛のエリートが放されているというのが本意らしいが)、

林地も含めて約60ヘクタールの土地に60頭の牛が放牧されている。

それが2ヶ所。 つまり一頭につき1ヘクタール。

欧米でも理想とされる放牧面積だ。

 

田んぼや畑と同様、元はといえば自然を破壊してつくられた

牛肉生産のためのほ場なのではあるけれど、

草を食む牛という動物への配慮をもって開かれたものである。

問題はそれをどう大切に維持させていくかの思想ということになるだろう。

 

牛たちは、厳しい冬季は牛舎内で育てられ、春になると山の放牧地に放たれる。

牛たちは喜んで走り回るという。

思いっきり駆けたあとで子を探す母牛がいたりするらしい。

そして放牧期間中に自然交配され、冬に牛舎で子を産む。

仔牛は母に連れられて放牧され、母乳で育つ。

短角牛の母は子育て上手と言われていて、

よって牛は気だてがよく健強に育つ。

 

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自然のなかで育った短角牛の肉質は、低脂肪で赤身になる。

引き締まった肉には、旨みの源であるグルタミン酸やイノシン酸が豊富で、

噛むほどに味わいが増す。

そもそも脂肪のとり過ぎを気にしながら、筋肉に脂が入った柔らかい牛肉を求めること自体、

極めて不自然な欲求と言える。

サヴァラン先生が現在の日本を見たら、どんな皮肉の言葉を発することだろう。

 

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「いやあ、牛って走るの早いんですわ。」

そんな説明を聞ける場所が、この国の何処にあるだろうか。

 

エリート牧場を視察後、昼食は 「平庭山荘」 という村唯一のホテルで、

短角牛ステーキを注文する。

人間の頭は実に自分に都合よくできているものだ。

彼らの肉を食らうのに抵抗感がない。

まあ農水省の方や調査員の方々にも食べてもらわなければならないし。。。

 

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平庭山荘に注文がある。

美味しかったです。 とても美味しかったけど、

ステーキだけじゃなく、もっとリーズナブルなお値段で短角牛を食べられる

料理も用意してほしい。 せめて、せめて1,000円前後までで。

けっこう懐にもこたえる昼食でした。

領収書を貰ったって、会社が持ってくれるわけないし。。。

皆さんもここは短角牛ステーキを食べるしかないという気分で、

村に貢献した視察にはなったけど。

 

午後は、関係者が集まってきて意見交換会が設定された。

すみません。思い入れが強くて、終わらないね。

さらに続くで。。。

 



2012年10月12日

岩手県山形村 「物語」 - 農舎とバッタリー

 

「物語が生まれる社会の豊かさ」 とは哲学者・内山節の言葉だが、

ここ岩手県久慈市山形町、僕らが今も言う 「山形村」 にも、

人の交流によって数々の物語が生まれた。

 

「食文化」 の専門家でもない自分が検討委員に推挙され、

自分の持っている最大限の知識とセンスで、できるだけ貢献したいと思って

吟味した結果、推薦した地域がふたつ。 

そして山形村が調査地域としてピックアップされた。

全国各地で模索されている地域活性化の取り組みに、

少しでもヒントになるものが提出できれば嬉しい。

 

10月11日、朝9時前に農水省の担当官がバス停に到着し、

昨夜山形村入りした調査員お二人とともに、村内を巡り始める。

 

久慈市山形支所で、山形村短角牛の概要をレクチャーしていただき、

最初に訪れたのは、第3セクター 「有限会社 総合農舎山形村」。

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短角牛をはじめとする地元一次産品の持続的な安定生産を支えるための加工施設として、

久慈市と新岩手農業協同組合、そして(株)大地を守る会の共同出資により

1994年に設立された (当初の出資者は、山形村、陸中農協、(株)大地牧場)。

 

設立されて18年が経ち、これまでに開発された加工品は150アイテムに上る。

従業員はパートタイマー含め32名。 すべて地元雇用である。

年間売上約2億円の半分は、働く村の人たちの給与と

地元生産者の収入(=農舎の仕入額) に落ちている格好だ。

 


到着して、工場長の木藤古(きとうご) 修一さんがイの一番に見せてくれたのが

これ、松茸!

「ようやくとれ始めましたよう。 1ヶ月遅れですかね~。 

 会員さんを待たせてしまっているようで、スミマセ~ン」 と頭を下げる。

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山形村を代表する山の幸。

まだ小ぶりだけど、これから順次発送が開始される。

農林水産大臣から頂いた認定証と一緒に記念撮影。

 

こちらは山ぶどう。 野村系と言われる品種で、粒が大きく糖度がある。

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山ぶどうの生産者は48人いるが、生産工程がきちんとトレースできる

3名と契約している。

大地を守る会の基準に基づいた生産を約束してくれた3名、という意味である。

 

その山ぶどうを原料に作られた、100%果汁とワイン。 

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山ぶどうワインは、イオンさんのブランド 「フード・アルチザン」 にも認定され、

11月にはお店に並ぶことになっている。

 

大地を守る会で独占しないのかって?

Non Non! ひとつの販売先に経営を依存してはいかんのです。

しっかりと自力で販路を開拓することが、地域に根を張る加工場としての

大切な自立戦略なのです。

というわけで、今年の春からは、

アレフさん (ハンバーガーレストラン「びっくりドンキー」を経営、宗教団体ではありません)

から委託された外販用ハンバーグの製造も始まっている。

こういう広がりがあるからこそ推薦もできるわけである。

 

こんな企画も用意されている。

11月9日、あの世界のトップソムリエ・田崎真也さんを招いての

山ぶどうサミットだと。

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もちろん山形村短角牛についても、

着実に消化する受け皿として機能している。

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写真右端が木藤古修一さん。

 

続いて向かったのは、修一さんのお父さんである

徳一郎さんが運営する 山村生活体験工房 「バッタリー村」。

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戸数5、人口18人、

国からの助成は一切受けてない日本一小さな村。

出迎えてくれたのはバッタリー村大使、山羊の 「とみー」 ちゃん。

女の子ですけど。 

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バッタリーとは、わずかな沢の流れを利用して石臼を搗いて、

雑穀を製粉したりする道具のこと。 立派な自然エネルギー技術である。

この村には、宿泊所 「創作館」 はじめ、炭焼き体験所、

炭焼き小屋を復元した「山村文化研究所」、

露天の五右衛門風呂 「徳の湯」 などがあり、

自然を活かした生活文化を体感しようと、毎年たくさんの人が訪れる。

まさにグリーンツーリズム立村。

 

今年は都市との交流30年を記念して、新たな公園が開設された。 

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公園といっても、どうも山の入口に看板を立てただけのように見える。 

う~む、逆転の発想か。

 

木藤古徳一郎村長。

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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 

宮沢賢治の 「農民芸術論綱要」 を村の精神として掲げる、誇り高き村長である。

僕の好きな一節は以下。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ

 

  ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ来ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園と

  われらすべての生活を ひとつの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか

 

ちなみに、大地を守る会で販売する自家採種の野菜や地方品種のブランド名である

「とくたろうさん」 は、徳一郎さんのお父さんの名前から頂戴したものである。

じっくりと徳一郎さんの話を聞きたかったのだが、

今日のスケジュールはせわしない。

いよいよ短角牛へと向かう。

 

さらに続く。

 



2012年10月11日

ふるさとの 「食文化」 が誇りとなる道筋

 

岩手県九戸郡山形村。 現在は岩手県久慈市山形町。 

2006(平成18) 年3月、久慈市との合併で 「村」 は消滅した。

しかし、僕らにとってはやっぱり 「山形村」 は 「山形村」 だ。

その気持ちは 「村」 の人にとっても強いものがあって、

我らが山形村短角牛は、合併の翌年、思い切って商標登録を取得した。

村の名をこの牛に託したのだ。

したがって、『山形村短角牛』 は愛称や名残りで呼んでいるのではなく、

正しい名称であることを、ここに改めて宣言しておきたい。

 

その短角牛と白樺の里にやってきた。

何年ぶりだろう。 10年以上にはなるね。 

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以前(8月10日付9月20日付) お伝えした、

農水省他関係省庁によってつくられた 「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

久慈市山形町が事例調査の対象地域のひとつとして選ばれた。

今日はその調査にやってきたのである。

 

平庭高原にある、東北で唯一の闘牛場。

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大会は今度の日曜日(14日) だとかで、幟(のぼり) も立って準備万端相整い、

あとは牛の登場を待つばかり、という感じ。

ああ、それに合わせて来たかったのに、、、

いや、これは観光ではないのだと自分に言い聞かせる。

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実は昨日のうちに現地に入った僕は、

宿でひと足お先に山形村の食材を堪能させていただいた次第 (もちろん自腹)。

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ウグイの塩焼きにシメジの煮浸しに米ナス焼き・・・

そして、これが山形村の郷土食の代表選手とも言える 「まめぶ汁」。 

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胡桃と黒砂糖の入った小麦団子に焼き豆腐・野菜・きのこが入ったすまし汁。

正月・結婚式から葬式まで、地元では欠かせない行事食の一品。

各家庭ごとにその家の味があると言われる。

この山形村の伝統食が、今では久慈市全体の郷土食として語られるようになった。

嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・

というのが山形村のお母ちゃんたちの心境のようだ。

 

こちらは 「ひっつみ」。 (写真が下手でスミマセン。)

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小麦粉をこね、薄く伸ばして手でちぎって (これを 「ひっつむ」 という)、

鶏肉や季節の野菜、きのこなどと一緒に煮込む。

 

これらのふるさと料理や昔から栽培されてきた雑穀など、

村の人にとっては当たり前すぎて  " 価値を見直す "  など考えもしなかった食材を、

「発見」 したのは都市の消費者との交流によってだった。

30年前の話である。

きっかけは、大地を守る会が、日本の風土に根ざした健康な牛肉として

山形村の 「日本短角種」 という品種の牛肉を販売したことによる。

 

Gパン姿の、金もない若者がやってきて、「短角牛」 を販売したいと言う。

こんな素性の知れん奴らに売って大丈夫なのか、

村はすったもんだの議論になったようだが、

不自然な霜降り肉が幅を利かす市場競争のなかで、

このまま短角牛を脱落させるわけにはいかない、少しこいつらに賭けてみるべか、

ということになったらしい。

牛のことはよく分かってなさそうだが、一所懸命な感じだし・・・

決断したのは、当時の陸中農協販売部長だった木藤古徳一郎さん。

現在の 「バッタリー村」(後述) 村長さんである。

 

1981年12月、3頭の出荷から 「大地を守る会」 との取引が始まった。

そして2年後、「山形村産地交流ツアー」 が開催される。

都会の消費者が山形村に足を踏み入れて感激したのは、

風土に根ざした食とそれを育む自然の姿だった。

 

いま大地を守る会国際局の顧問をしていただいている小松光一さんが、

こんなふうに書いている。

「 山形村には、日本各地では近代化によってつぶされてしまった暮らし方や文化が、

 いまだ 「未開」 のプリミティブなものとして残存していた。

 いわば、山形村は、農業近代化が充分に開花結実しえないままに、

 農業近代化をのりこえようとする団体、「大地を守る会」 に出会ってしまった・・・ 」

  - 小松光一・小笠原寛著 『山間地農村の産直革命』(農文協、1995年刊) より -

 

以来30年。

山形村と大地を守る会の交流は続き、

2005年には国産飼料100%の牛肉を実現した。

サシ(脂、霜降り) の入らない赤身肉として、

健康な香りのする旨み成分の高い牛肉として、

今や何人もの一流シェフから評価を頂くようになった 「山形村短角牛」。

この牛肉を柱として、気がつけば、

まめぶやひっつみも自慢の郷土食として堂々と振るまわれるようにもなった。

 

そして今日は、「食文化を地域活性化につなげるためのマニュアル作成」

にあたっての、事例調査となったわけである。

 

続く。

 



2012年10月 3日

収穫祭 & 自立祭

 

幸い台風17号の被害はそれほどなく(沖縄を除いて)、

しかしホッとする間もなく、真っ盛りとなった今年の収穫の秋はどこも豊作気味で、

販売へのプレッシャーはどんどんきつくなってきている。 踏ん張り時だね。

 

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 でも、今月は二つの収穫祭が続く。

10月20日(土) が、千葉・山武での 「稲作体験」 最終イベントとなる収穫祭。

そして27日(土) が、福島・須賀川での 「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭。

 

その 「備蓄米」 収穫祭では、

例年にない試みが準備されてきている。

生産者組織 「稲田稲作研究会」 の米の集出荷を担当する (株)ジェイラップが主催して、

地元の人たちを招いての

 『風土 in FOOD 自立祭』 と銘打ったイベントが組まれ、

大地を守る会との収穫祭も、これにジョイントするという仕掛けになったのである。

 

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(昨年の収穫祭から)

 

ジェイラップでは実は昨年もこの時期に、

地元の人たちと一緒に 「復興祭」 というのを催している。

そして今年は、「復興から自立へ」 をテーマに掲げた。

そこで、例年だと9月末か10月頭に催していた当会の収穫祭も、

それに合わせる形で日程を組むことにした。

備蓄米の生産者と大地を守る会の消費者による収穫祝い、という枠を越えて、

地域の人たちとも一緒に 「自立」 を謳おうというワケだ。

 

純粋に 「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で守り育てていくために-。

  (ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんの呼びかけから)

 

さて、そこでご案内です。

大地を守る会では、東京駅から大型バスを借り切って向かいますが、

席がわずかながら残っております。 いかがでしょうか。

震災による被害、さらには原発事故という苦難を乗り越え、

一丸となって対策に取り組んできた生産者たちの生の声に耳を傾け、

未来に向けた意気込みを感じ取っていただけたなら嬉しいです。

 

スケジュールは以下の通りです (「続きを読む」 をクリック)。

 


◆日程 10月27日(土)

◆行程   7:50 東京駅八重洲中央口ヤンマービル前集合

       8:00 出発

      10:45 東北自動車道・鏡石PAスマート出口下車

      11:00 現地着

            ほ場見学~除染実演

      12:00 施設見学(米乾燥設備、備蓄米貯蔵タンク、精米設備など)

      13:30 交流会 ~地元の食材一杯の交流会です~

              生産者紹介、会員からのメッセージなどなど

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 (昨年の交流会風景)

 

      14:30 「風土 in FOOD」 開催

              オープニング/トークショー/旬彩料理と地酒満喫・直売コーナー

              /屋外ライブ など

      16:00~16:30 終了(「風土 in FOOD」 は続いています) バス発

      19:00頃 東京駅着 解散

◆参加費(バス代込み) 大人(中学生以上) 3,000円、小学生以上 1,000円

                小学生未満 無料

◆持ち物 水筒など。 お弁当は不要ですが、食事開始が13:30頃になります。

※ 車・電車での参加も OK です。 最寄駅=東北本線・鏡石駅(送迎します)

 

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 (同上)

 

行ってみようかしら、と思われた方は、

「コメント」 にてご連絡ください (メールアドレスをお忘れなく)。

折り返し詳細の連絡を差し上げます。 (コメントはアップしません。)

 

復興から自立へ!

" 安全で美味しい米づくり "  に懸けてきた彼らが、

いよいよ脱原発社会に向けて、

自然エネルギーによる自立した地域を築こうと前に進む姿を、見てほしい。

そして彼らの情熱を支えているのは、他ならぬ消費者の存在です。

どこよりも美しい生産地を再建する、

その輪を一人一人のつながりによって大きくしていきたい。

会員・非会員を問わず、一人でも多くの参加を願っています。

 



2012年9月20日

有機農産物はニーズではなくて、未来を育てる食

 

今日は茨城県つくば市にある農林水産省の施設

「農林水産研修所つくば館」 まで出かけて、久しぶりに有機農業の話をしてきた。

農水省が実施している 「農政課題解決研修」 の一環とやらで、

全国の農業改良普及センターの普及員を対象とした

4日間の 「有機農業普及支援研修」 プログラムの一枠での講義を依頼されたのだ。

与えられたテーマは 「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

実は 昨年 も同様のテーマでお話ししたもので、

もう依頼は来ないだろうと思っていたら、「今年もぜひ」 との要請を受けた。

去年の話がどんな評価を受けたのかは分からないけど、

どうやら  " 講師選定のミス "  という判定にはならなかったようである。

 


そもそも有機農産物を  " 消費者ニーズ "  という視点で捉えると本質が見えなくなる。

食品に対するニーズは多種にわたる。 価格・味・規格・鮮度・・・

有機農産物のそれは 「安全性」 ということになるのだろうが、

考えるべきことは、その要求の根底にある 「安全性への不安」 に対して、

生産現場に関わる立場としてどう応えるか、である。

「農薬は安全です」 と説得にかかるか、

「農薬を使わず (あるいは、できるだけ減らして)、安全性だけでなく、

 環境汚染や生態系とのバランスも意識しながら育てる」 かで、

消費(者) との関係の結び方は決定的に変わる。

 

去年のブログにも書いていることだが、

大地を守る会は、消費者ニーズを感じ取ったからこの事業を始めたわけではない。

有機農産物の普及・拡大によって、食の安全=人々の健康、そして地球の健康を、

将来世代のために保証する社会を作りたくて始めたのだ。

それは必然的に生産と消費の関係を問い直す作業でもあり、

ソーシャルビジネスという概念は後から追っかけてきたものでしかない。

これは僕らにとってミッション (使命) そのものである。

 

" 次の社会 "  の答えは、「有機農業」 的社会しかないだろう。

特に3.11後、強くそう思う。

食 ・ 環境 ・ エネルギー・・・ 領域を越えてビジョンをつなげ、

次の社会の姿を示すことが、今まさに求められている。

有機JASマークは、生産者の努力と行為を証明するものではある。

しかしそのマークでブランド競争ができるものではない。

マークの裏にある 「誇り」 を、価格よりも 「価値」 を、伝えられる有機農業を

育成することが皆さんのミッションではないでしょうか。

 

気持ちはあるのだが、さてどこから手をつけたらいいのか・・・

という悩みが、参加された方から出された。

便利な手法や近道は、ないように思う。 僕には見つけられない。

「まずは地元の発掘から始めてはどうか」 とお伝えした。

生産者がいて、販路に苦しんでいるなら、地元の学校給食に提案してみては。

母親たちに 「価値」 が認められたなら、次の道が見えてくる。

・・・・・ま、言うだけならなんぼでも言える。

いざやるとなると、それはそれはしんどい作業になるかもしれない。

でも誰かのために苦労を背負ってみる、それはチャレンジする価値のあることだと思う。

人と社会のイイつながりを創り出せたなら、それは自分にしか味わえない喜びにもなるし。

 

僕にとって今日の話は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル」 検討会にも

しっかりとつながっている。

委員を引き受けた本意というか、腹の底に潜ませている期待は、

「地域を育てる食」 はきっと 「有機農業」 的世界につながっている、という予感である。

その発見と発展にわずかでも貢献できたなら、喜びだよね。

 

検討会では、地域食文化による地域活性化を形にした事例調査をやることになって、

僕は岩手県山形村(現・久慈市山形町、我らが短角牛の郷) と、

島根県隠岐郡海士町を推薦させていただいた。

候補地は事務局や他の委員からも多数出され、

嬉しいことに山形村が  " 深掘りすべき事例 "  のひとつとして採用された。

 

久しぶりに山形村に行ける立派な理由をこしらえることができた。

ついにこのブログでも、山形村を紹介する日がやってくる。 

待ってろよ、牛たち。

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2012年9月11日

紅涙 (こうるい)

 

先週末に届いた、「あいづ耕人会たべらんしょ」 若者たちの野菜セット。

定番品として毎回入れていい、と伝えてあるのが、

地元在来種の庄右衛門インゲンとこれ、オリジナル・ミニトマト。

品種名は 「紅涙」(こうるい) という。

 

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酸味が爽やかで、味のバランスがとてもよくて、とにかく品がいい、とでも言おうか。

僕のなかでは1番のミニトマトだ。

チャルジョウ農場主・小川光 の傑作品。

この種が、光さんから若者たちに受け継がれている。

売ることが誇りにさえ思える品種。

まだ 「会津の若者たちの野菜セット」 でしか扱えてないけれど、

これから間違いなく彼らの自立を支えてくれるはずだ。

こんな野菜を、いつまでも、消費の力で支え応援していけたら、嬉しい。

 

今年も美味しくいただくことができた。

「たべらんしょ」 若者たちと、オーダーしてくれた会員の方々に、感謝。

 



2012年8月26日

稲田を自然エネルギーの郷に・・・

 

連続講座・第4回を整理している間にも、

世の中は動いている。

今年の暑い夏のピーク時でも、電力は余裕を持って供給されたことが判明した。

関西電力管内も、大飯原発の再稼動がなくても

電力会社間の融通で足りただろうという結果である。

 

政府が3択で問うた原発割合に対する国民の回答は、

討論型世論調査で47%、意見聴取会で68%、パブリックコメントでは90%が、

「原発0%」 を支持した。

 

もはや 「勝負あった」 と言わざるを得ない。

当初の読みが外れた方々は、

「意見を言う人は反対派に多い」 とか、「偏りがある」 とか、

恥ずかしい強弁を始めたようだが、

上記の3形式で国民の声を聞いてエネルギー政策を決める、

と言ったワケなんだから、その方針に沿って進めてもらわねばならない。

 

さて、僕らも前に進まなければならない。

8月23日(木)、福島県須賀川市・ジェイラップを訪問して行なった

小さなミーティングの報告をしておきたい。

同行していただいたのは、環境エネルギー政策研究所(ISEP) の研究員、

浦井彰さん。 

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ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんとずっと話し合ってきたことを、

いよいよ実行に移そうという魂胆である。

「ここ稲田地区を、エネルギー自給率100%の郷にしよう。」

 


構想は、太陽熱・風力・水力・バイオマスのベストミックスであるが、

まずは、自分たちでできるところから始めよう。

ジェイラップの施設の概要を浦井さんに見てもらい、

太陽光パネルの設置について検討する。

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屋根の方角から耐荷重の問題、電線の位置などチェックし、

「これなら相当できる」 という感触を確かにする。

 

しかもセンターの倉庫は、屋根にスプリンクラーが設置されていて、

井戸水を汲み揚げて水を散水する仕組みになっている。

夏に倉庫内の温度を一定に保たせるための工夫で、

たしかに倉庫内は涼しく快適なのだ。

「これでパネルを冷やせば発電効率はぐんと上がりますよ!」 と

浦井さんも嬉しそうに話す。

 

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こんな感じ。

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こちらは、例の食品の乾燥工場。

南向きの屋根も、なにやら主張していないか。。。

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丘の上から全体を眺めながら、会話が弾む。 

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問題は、風力・水力・バイオマスとなると、

地元住民合意の上で、地域一体型で進める必要がある。

そのための具体的プランを描かなければならない。

ま、そこはダテに何度も酒を酌み交わしてきたわけではない。

イメージはできている。

 

今回同席いただいた上の写真左の背中の方は、

水道や浄化槽のメンテナンス業を営む 「(株)ひまわり」 という会社の、佐藤博社長。

須賀川で取り組まれている 「菜の花プロジェクト」 のリーダーであり、

今年4月に開催された 「第12回全国菜の花サミット in ふくしま」 (※) の

実行委員長も務められた方である。

  (※) 過去のブログ参照 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/29/

                   http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2012/04/30/

 

休耕田や転作田を使って菜の花を栽培し、

ナタネ油を絞って学校給食や家庭で利用してもらい、

廃油を回収してディーゼル燃料 (BDF) に精製して、ゴミ収集車を走らせる。

昨年3.11の直後にガソリンがなくなったときも、

須賀川では3台の収集車がいつも通り回っていたという話である。

 

すでに基盤はあるのだ。

こういった地元の静脈産業や企業・自治体・住民を巻き込んで、

エネルギー自立の町を、フクシマに建設する。

  バイオマスでは 森林除染に貢献できるものにしたい、というのが野望である。

  環境再生とともに、食の安全もはかられる。

  長い道程になるだろうが、誰かが始めなければ進まないし、

これは、稲田の米が当たり前に生産し続けられる(=食べてくれる) ことで、

実現することなのである。

 

(株)ひまわりで、廃食油の精製プラントの説明をしてくれたのは、

総務部長の岩崎康夫さん。 

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なんと、大地を守る会の備蓄米の生産集団である 「稲田稲作研究会」 の元代表、

岩崎隆さんの弟さんである。

こういうつながりを発見するのは、本当に楽しい。

 



2012年7月19日

郷酒

 

 - と書いて、「さとざけ」 と読む。

初めて聞いた、という方も多いことと思う。

それもそのはず、これは最近生まれた言葉である。

全国各地に点在する36の小さな蔵が集まって活動する

日本地酒協同組合」 が新たにつくった造語。

 

「郷酒(さとざけ)」 は 「地酒(じざけ)」 とは違う。

「地酒」 とは、その土地で造られた地の酒という意味だけど、

特に原料までは規定していない。

それに対して 「郷酒」 とは、原料である米からして地元で栽培したお酒、

というこだわりを表現したもので (もちろん仕込み水も)、

長年、日本地酒協同組合を引っ張ってきた元理事長(現在は専務理事) である

大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さんは、

「これからは、この言葉を広めていきたい」 と目論んでいる。

 

実は 「地酒」 という言葉も、知られていない各地の銘酒に光を当てようと、

日本地酒協同組合が 「全国地酒頒布会」 を催してから広まっていったものと聞いている。

で、これからは 「地酒」 じゃなく 「郷酒」 だと?

そう。

何を隠そう、その 「郷酒」 をもって全国新酒鑑評会2年連続金賞受賞

という栄冠を勝ち取った蔵こそ、

会津・喜多方の 「大和川酒造店」 に他ならない。

 

というわけで昨夜(7月18日)、

大和川酒造の2年連続金賞受賞を祝って、

「郷酒(さとざけ) を楽しむ会」 なる催しが開かれたのだった。

場所は池袋・東武百貨店バンケットホール。

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全国新酒鑑評会に出品するお酒の多くは酒造好適米 「山田錦」 で造られている、

という話は日本酒愛好家の間では常識である。 

山田錦の産地は兵庫県で、蔵の腕を競う鑑評会のために多くの蔵は、

その山田錦を兵庫県から仕入れている。

 

この風潮に敢然と立ち向かったのが、大和川酒造店だった。

地元の米を使ってこそ地酒屋であろう、という意地と誇りをかけて、

自社保有の田んぼで山田錦の栽培に挑んだのだ。

暖地の米である山田錦を雪深い会津で育てる。 これは暴挙に等しかった。

雪の中で稲刈りをやった話など、何度となく聞かされたものだ。

しかし苦節13年、今や自社農場 「大和川ファーム」 は

酒造好適米の横綱 「山田錦」 栽培の北限地と言われ、

そして2年連続の金賞、という栄誉をゲットしたのである。

 

お祝いに駆けつけた応援団を前に挨拶に立つ九代目・佐藤弥右衛門さん。

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右が工場長&杜氏を務める弟の和典さん。

左が大和川ファームの責任者、磯辺英世さん。

 

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集まった酒客たち。 

 

次世代も育ってきた。

長男の雅一さん。 右が次男の哲野(てつや) さん。 

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去年のパーティ は、震災と原発事故もあって感動もひとしおだった。

今年はだいぶ落ち着いた趣になったけど、 

復興はまだまだ終わっていない。

 

九代目弥右衛門の宣言。

「福島はこれから、食だけでなくエネルギーでも自給率100%を目指す!」

 

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おめでとうございました。

これからも共に-

 



2012年7月11日

耕し続けたい! の思いを込めた野菜セットを

 

番組の途中ですが、お知らせを一つ。

 

宅配会員の方々には今週のカタログと一緒にチラシが入っているかと思いますが、

僕の所属する専門委員会 「米プロジェクト21」 からの応援企画である

『 ~里山の有機農業とつながる~

 会津・山都の若者たちの野菜セット』 も、

早いもので5年目のご案内となりました。

 

このセットをつくるのに結成された 「あいづ耕人会たべらんしょ」 を代表して、

浅見彰宏さんからメッセージが届けられたので、

ここでもぜひ紹介させていただきたいのです。

 

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 ( 「たべらんしょ」 のメンバーたち。

  後ろ左から二人目、愛犬を抱いているのが浅見彰宏さん。)

 

今年は3月11日に最初の種を播きました。

まだ辺りには 1m もの雪の残る中、鎮魂と希望の思いを込めた種蒔きでした。

その野菜たちも気温の上昇とともにぐんぐん育ち、

間もなく収穫の時を迎えます。

 


昨年の今頃、私たちは不安の中にいました。

未曾有の放射能漏れ事故で、一体これからどうなっていくのか。

会津での放射能の影響はどれくらいなのか。

福島で農業が続けられるのだろうか。

不安を払拭するために、

そして今まで通り安心な農産物を作り続けることができるのか

確認するために、収穫のたびに野菜を検査に出しました。

そしてうれしいことに、放射能が検出されることはありませんでした。

 

風向きの影響で、喜多方市山都町での放射能の降下はわずかに留まりました。

しかしその偶然の上に胡坐をかいていくわけにはいきません。

と同時に有機農業の基本である土づくりや循環を

断ち切ることもしたくはありません。

ゆえに今年は農産物だけでなく、田畑に投入する堆肥やぼかし、

米糠、鶏糞などの有機質肥料も放射能検査をしています。

これ以上の放射能の蓄積や拡散を防ぐため、

そしてこれからも会津で安心な農産物を生産し続けるために。

 

一方で残念ながら福島全体では、農業はますます苦境に立たされています。

昨年の混乱の中、多くの農民や研究者の努力や検証の結果、

会津だけでなく中通りや浜通りでも放射能の作物への移行は

予想以上に少ないことが判りました。 そのメカニズムも判りつつあります。

福島の豊かな土壌は、降下した放射性物質の多くを土中に吸着させ、

農作物への移行を防いだのです。

 

しかし放射能は土壌だけでなく、農家の心にも大きな影を落としました。

先祖伝来の土地で耕し続けることはおろか、住む所さえ奪われた人たち。

土地を耕し作物を育てたことをなじられ、

被害者がまるで加害者のように言われたこと。

真摯にデータを取り、公表することが一部の人には理解されないこと。

そしてこの春には

県内の一部の地域では新たな作付禁止、制限指示も出されました。

誰かのせいで勝手に降り注いだ放射能を、

農家自身が骨を折って除染しなければならないという現実。

その厳しさを前にあきらめという気持ちが広がっています。

あれだけ美しかった福島の豊かな農村風景が、

まるで櫛の歯が抜けるように、壊れ始めています。

それはただ農地が荒れていくだけではありません。

地域社会が壊れ始めているのです。

 

だからこそ、今までと同じように農業と向き合え

土に触れることができる有難さを、

私たち 「あいづ耕人会たべらんしょ」 は昨年よりも増して感じます。

そしてこの幸運に感謝し、耕せる以上は、

できなくなってしまった人たちの思いも込めて耕し続けなければなりません。

 

今年も山都町にはたくさんの新規就農希望者が集まってきてくれました。

彼らも近い将来、福島の代弁者・後継者にきっとなってくれるはずです。

そんな私たちの思いも一緒に、

野菜セットを味わっていただければうれしいです。

 

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山都(やまと) という美しい名の中山間地の村で、

有機農業に挑む若者たちと出会って5年になる。

つないでくれたのは、

米の生産者・稲田稲作研究会や蔵元・大和川酒造店と一緒に開発した

純米酒 「種蒔人(たねまきびと)」 だった。

山都に入植し、冬は酒蔵で働く浅見さんと出会い、

当地で有機農業を実践・指導する 「チャルジョウ農場」 の

小川光・未明(みはる)父子とつながり、

そこで鍛えられた若者たちによる野菜セットが初めて届いたのが、

4年前の秋のこと。

以来、少しずつでも継続できる喜びを、彼らとともに噛みしめてきた。

 

原発事故と放射能汚染という過酷な事態を経験しながらも、

ここ山都には、有機農業を目指す若者が途絶えることなくやってくる。

彼らはやがて里山や水系を守る柱となってくれることだろう。

未来への希望を捨てない、未来を信じる若者たちが育てた野菜。

彼らが守ろうとしている会津の伝統品種も、さりげなく入ってくるはず。

 

一人でも多くの人に食べてほしい!

今年はホントに、ホントに、そう思うのであります。

 



2012年6月26日

科学者国際会議と現場の知

 

23日(土) から昨日まで、二泊三日で福島を回ってきた。 

23~24日は、猪苗代にある 「ヴィラ イナワシロ」 にて、

『市民科学者国際会議』 に参加。

でもってその帰りの足で、須賀川の「ジェイラップ」を訪問。

代表の伊藤俊彦さんと、米の対策の現状確認と、これからの作戦会議。 

秘密の会議とか言いながら、所はばからず、お互いでかい声で

深夜まで語り合った。

 

「ヴィラ イナワシロ」 - ここに来るのは2年ぶり。

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2年前の 『有機農業フォーラム』 では、総料理長・山際博美さんの手による

地産地消の料理に感動したのだったが、山際さんは昨年独立されて、

あの美しい料理に出会うことができなかった。

それどころか無残にも変貌していて、正直言ってがっかり、のレベル。

今回は特に海外からたくさんのゲストが来られたのだから、

自然豊かな猪苗代の風景とともに、和の料理を堪能してもらいたかった。

短期間で準備を進めた実行委員会を責めるつもりは毛頭ない。

哲学を持った一人の料理人、こういう人の存在の大きさを、

改めて実感した次第である。

 

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さて、『市民科学者国際会議』 。 

3.11以降、放射能汚染と被曝の影響を最小限にすべく取り組んできた

科学者と市民が一堂に会し、内部被曝の知見を持ちより、

放射線防護のあり方や今後の方向性について語り合う。

科学を市民の手に、市民のための科学を、そんな視点を共有する人々が

ヨーロッパ各国から、そして日本から集まった。

 

会場内での撮影や録音は禁じられたので、写真はなし。

丸二日間の会議内容は多岐にわたり、ここではとても整理し切れない。

いずれ細切れにでも触れてゆくことで、ご容赦願いたい。

概要は特設WEBサイトにて ⇒ www.csrp.jp

 


ここで僕の勝手な印象に基づく全体的な共通認識をまとめてみれば、

1.「(生涯被ばく量が) 100ミリシーベルト以下であれば人体への影響はない」

  という国際基準は、内部被曝の影響を極めて過小評価しており、

  核や原発を推進する立場からの、政治的な判断である。

2.低線量被曝の影響の大きさを示唆するデータはいくつも出てきているが、

  科学的エビデンス(因果関係の立証) を求められているうちに、

  たくさんの被害が抹殺されていっている。

3.放射能による健康危害はガンだけでなく、

  様々な疾病との関連から精神的影響まで、幅広く考えなければならない。

4.福島での国の対策は非常にお粗末なものであり、今も遅れたままである。

  救いは、民間レベルで必死の対策が取られてきたこと。

  医療や健康相談などでもたくさんの医師がボランティア的に支えていること。

  (その裏返しとして、国への厳しい批判や怒りの言動となって表われる。)

 

今回の座長を務められた

ドイツ放射線防護協会のセバスチャン・プフルークバイル博士が、

最後のまとめで語った言葉。

「(内部被曝に対する) 過大評価と過小評価の、両極端を乗り越える

 新しい方向に向かわなければならない。」

 

過小評価には 「そうしたいから」 という意図があり、

それが真実であったとするなら、「それはよかったですね」 ですむのだが、

逆の結果が明らかになってきた場合に対処できない恐れがある。

被害や影響は多少過大に見積もって、そこから対策を考えることで、

被害を抑えることができる。

ここに 「予防原則」 の意味がある。

 

福島県内から参加された方、あるいは福島から避難したという方々には、

科学者の厳密な論争はストレス以外の何物でもなかったようだ。

「あなた方は (福島の現状を前に) いったい何を議論しているのか!」

といった声が上がった。

手弁当でここまで来られた科学者や医者に向かって失礼な罵声だとは思ったが、

行政の対応などにイラ立ちながら暮らす人々からの、

切実な期待なんだと受け止めてもらうしかない。

 

科学と市民は、いつだって彼岸で対峙しているわけではない。

科学者が対立している間にも、その狭間で日々判断しながら暮らしている。

長い時間をかけて立証される疫学調査の、

結果が出るまで思考を停止しているわけでもなく、

疫学的思考は科学者だけが行なっているわけでもない。

市民は市民なりに  " 科学している "  のである。

科学者はそのレベルをよく理解して、知の橋渡しをする必要がある。

科学の言う  " リスクコミュニケーション "  がうまくいかない時というのは、

だいたい初動から相手を理解できていないことが多い。

 

報告の中で驚いたことは、

フランスで福島由来と判断されたヨウ素131が検出されていたという事実。

私たちが思っているよりずっと、外国は事態を冷静に分析していて、

僕らは本当に事実がちゃんと知らされているのだろうか、

という不安が捨てきれない。 このことこそが問題だ。

 

かたや、徹底的に事実を自分たちのモノにしたいと、

測定器を届けた途端に、何から何まで測り始めたジェイラップの生産者たち。

彼らは今、自分たちの土地の状態を、誰よりも把握している。

 

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学者も舌を巻いた、汚染MAP。

これをもとに対策を立て、今年はもっと高みを目指す。

 

本邦初公開。 田んぼごとの土質のマッピング。 

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土質の違いによる養分吸収力も把握し、適正な施肥設計を立ててゆく、

というのが本来の目的だったはずだが、

これが放射能対策にも活かされることになる。

 

考えられるだけ考え抜いて、とにかく、実践する。

結果は何らかの形で、その行為に反応してくる。

伊藤さんはほとんど仮説に基づいて動く実践主義者なのだが、

僕はこれこそ科学者の資質だと思ったりするのである。

 

一人田んぼを見つめる伊藤俊彦がいる(左端の畦の上)。

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今年の成果が、思った通り! となるかどうかは、まだ判らない。

 

伊藤さんとの秘密会議の内容は、秘密です。

 



2012年6月16日

エネルギーを語る 梅

 

『 キャンドルナイト @ 増上寺 』 の日。

大飯原発再稼動決定の報道をカーラジオで聴きながら、

群馬・高崎へと走る。 いや、榛名町へ、と本当は言いたい。

市町村合併は、どうも日本人から土地感覚を奪っていくような気がしてならない。

住所から榛名の文字は消えたけど、

やっぱ僕としては、高崎ではなく、榛名に向かっている、と言いたい。

 

榛名で訪ねたのは、梅の湯浅農園さん(代表:湯浅直樹さん) 。

無農薬で梅を栽培し、加工まで行なう。

かつ湯浅さんの自慢は、

太陽光発電をベースにしたエネルギー自給率の高さである。

 

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湯浅太陽光 「発電所」 と掲げるところに、湯浅さんの哲学がある。

太陽光発電によってハウス照明や保冷庫の電気を自給し、

電気自動車やフォークリフトを走らせている。

電力会社への売電では、昨年45万円の収益があった。

太陽熱温水システムでお風呂のお湯をまかなっている。

梅の剪定枝や間伐材などを利用した薪ボイラーによって冬の暖房を乗り切る。

バイオマスならぬ  " バイオモス (燃す) "  と湯浅さんは名づけている。

 

その上にある 「榛名町きのこ生産組合 上神支部」 は、

昨年、地域内のシイタケから基準値を超える放射能が検出されたことによって

地域全体が出荷自粛となり、ついに解散となった。

この問題の厄介なところは、今年たとえ 「不検出」 の結果を得たところで、

販売が元に戻る保証がない、という闇の中に置かれることだ。

この地域に対する評価を挽回するのにどれだけの時間がかかるのか、

誰にも見えない中、それに耐えるだけの体力 (経済力) が続かない、

と判断されての解散・・・ と聞かされた。

 

中山間地農業の経営における重要な柱がひとつ、折れてしまった。

電力会社からの補償は、シイタケ販売での1年の損失補てんだけ。

当地のシイタケの原木は、今も放置されたままだ。

地域資源の循環回復にこそ、

国や電力会社は責任を持たなければならないのではないだろうか。

まるで補償金という名の手切れ金みたいで、腹の底から怒りがこみ上げてくる。

 

シイタケでの出荷規制についても、僕は言いたいことがある。

昨年の事故直後での汚染による影響はともかくとして、

今そしてこれからは原木の除染が鍵となるだろう。 由来は原木なのだ。

基準を超えたシイタケが発生した地域をまるごと出荷停止にするという

「地域」 を単位にした隔離政策のような対症療法ではなく、

徹底した原木のトレース(出自を明確にし検査を徹底する) と浄化を実施し、

その安全性を確かめた原木で栽培されたものを供給する、

というシステムづくりに向かうことが、適切な施策というものではないか。

 

ナラ・クヌギなどのホダ木をシイタケ栽培の原木として使用する際には、

一度水に漬ける(浸漬) 工程がある。

ここでセシウムの除去試験をいろんな形で実施することを提唱したい。

(高圧洗浄機での洗浄では、40%程度セシウムが低減することが分かっている。)

 

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湯浅さんが太陽光発電システムを導入したのは、

阪神淡路大震災の翌年、96年からである。

震災の時、湯浅さんは

自身が理事を務める 「日本青年団協議会」 の視察団メンバーとして韓国にいた。

「食糧もエネルギーも輸入に頼っている日本の危うさ」 を、

外国にいて強く感じたという。

 

今日、湯浅さんを訪ねることになったのは、

梅の収穫までに訪問するという約束を果たしておきたかったことに加えて、

この日にひと組の消費者が千葉から梅の収穫のお手伝いに来る、

ということもあった。

一緒に話を聞かせてもらえば湯浅さんの手間も省けるだろう。

合わせて、湯浅さんが心待ちにしている一枚の紙、

放射能検査結果の通知書を持参した。

測定結果は 「 ND (不検出/検出限界値10Bq)」。

まずはひと安心。 湯浅さんの安堵した顔が見れて、こちらもホッとする。

 

収穫作業を楽しむ親子。 

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収穫した梅を、キズものを取り除きながら、

サイズによって選別する。 

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この日の梅酒用青梅の出荷先は有機野菜の宅配会社、

業界では老舗と言われる 「大地を守る会」 というところに、40 ㎏。

まだ昨年からの影響が残っている。 厳しい数字だ。

( なお、袋の口を閉じるテーピングが下手なのが届きましたら、

 それは大地を守る会のエビスダニという人のせいだそうです。)

 

お昼を食べた後しばし、湯浅さんの栽培へのこだわりや、

自然エネルギーへの取り組みなどを聞かせてもらう。 

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湯浅さんのテーマは、徹底した自給自足。

電気機器メーカーに16年勤めて家業を継いだ時から築いてきた。

有機農業によって 「食」 を自給する。

深井戸を掘り 「水」 を自給する。

そして 「エネルギー」 の自給を達成させる。

それは自ずと自然を汚染させない生き方とリンクするものとなる。

 

原発事故は、彼の目指す体系の糸を断ち切るものに他ならなかった。

怒りや悔しさは収まるものではないが、敗北はもっと悔しい。

完全自給システムの完成に向けて、湯浅さんの挑戦は続く。

 

大地を守る会でも、自然再生エネルギー社会の建設に向けて

提案型のプランを模索している。

湯浅さんの挑戦は、僕らにとっても一つのモデルとなる。

何かしら支援の形を考えたいと思う。

 

自然塩にもこだわる湯浅農園の梅はしょっぱい、昔梅干しの味がする。

夢への意思がぎゅうぎゅうに詰まった梅だね。

春の低温がたたり、今年の梅の収穫量は平年の半分くらい。

彼の心中は、去年からずっと梅雨の真っただ中にある。

 

いつか、梅雨は明ける。

その時に歓喜の雄叫びを上げるためには、ただ待つのでなく、

意思を持って進まなければならない。

耐えるんじゃない、鍛えるんだ。

 

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2012年6月15日

レンコン産地を守る " 7人の侍 " に

 

今日は、茨城は土浦にやってきた。

大地を守る会が契約しているレンコンの生産者たちに集まってもらって、

放射能対策の会議を開く。

 

レンコンは田んぼでの栽培だから、当然水が入る、しかもたっぷりと。

川は山からいろんな養分を運んできてくれるが、

いま気をつけなければならないのは放射性物質の移動である。

どう推移するかは予断を許さない。

漠とした不安を抱きながら過ごすより、しっかり現実を捉えながら、

できれば先手を打ってガードしておきたい。

 

古くからのお付き合いである 「常総センター」 の加工施設 「北斗の会」 事務所に、

レンコン契約農家7名全員が集まってくれた。

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我が方からは、これからの経過観察で協力をお願いした上田昌文さん

(NPO法人市民科学研究室代表)と、

対策資材の検討をお願いした資材メーカーの方をお連れした。

 


昨年の測定では、セシウムが微量ながらも検出された所と、

まったくされなかった所がある。

どうも水系や場所によって違いがある。

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そこで、全員の蓮田の位置を確認し、昨年のデータを突き合わせて、

これからの継続的測定を実施する場所を検討する。

そこで土と水の状態を確かめ、入ってくる水を継続的に測定する。

またセシウムを吸着する資材を選択し、施用して、比較試験を行なう。

合い言葉は、「今年のレンコンからはゼッタイに検出させない」。

 

 

人によっては、こういう対策や測定を行なうこと自体、

まるで汚染されているみたいに映って、また風評被害を生む、

という懸念を示す生産者もいる。 

しかし、現実をベールにくるんで 「安全」 を標ぼうすることはできないし、

ひとたび予想を超える事実が発覚した際に (それは想定外ではないはずだが)、

" 対策がとられていない "  ということのほうがずっとヤバイ。

それは昨年の経験で痛いほど感じたはずだ。

 

食べる人の健康に責任を持ちたい、

そう願う生産者であれば、現実に立ち向かっていくしかない。

声をかければ、「待ってたよ~、エビスダニ君」 と言って

一斉に集まってくれる生産者を持っていることは、誇りにしたい。

 

「よし、やろう。 良いもんなら試してみよう。 もっとデータがほしいな」

と常総センター代表・桜井義男さんは反応し、みんなにハッパをかけてくれる。

僕も、ゼッタイに成果を上げて見せたい、と決意を新たにするのである。

 

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この対策は、7人の農家のためだけではない。

秋になって、この一大産地に悲劇が起きてはならないのだ。

この地域を守る  " 7人の侍 "  になったくらいの気分でいきましょう。

人智を尽くし、胸を張って、美味しいレンコンの収穫を迎えたいと、切に思う。

 



2012年5月11日

菅野正寿、満身に怒りを込めて

 

里山交流会で、二本松市から招かれた菅野正寿(すげの・せいじ) さんは、

各地からやってきたボランティアたちに向かって、

いま福島の生産現場で進んでいる事態を、訴えるように語った。

 

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食品中の放射性物質に関する国の新基準値 (米は100Bq/㎏) が施行される

4月1日の2日前、3月29日付で農林水産省から1枚の通知が出された。

通知の書名は 「100Bq/㎏を超える23年産米の特別隔離対策について」。

 

そこにはこう書かれていた。 

「食品中の放射性物質の新基準値の水準(100Bq/㎏) を考慮し、

 暫定規制値(500Bq/㎏) を超える放射性セシウムの検出により

 出荷が制限された23年産米だけでなく、100Bq/㎏を超える23年産米についても、

 市場流通から隔離することとする。」

 

しかも、暫定規制値(500Bq) を超えた米だけでなく、

本調査と緊急調査で新基準値(100Bq) を超えた米(=暫定規制値未満)

が発生した地域の、すべての米が 「隔離対象」 とされたのである。

なんら説明もなく、3月末の一枚の通知によって。

これによって、菅野さんたちが必死の対策努力をもって生産し、

測定を行ない、ND(検出限界値以下) を確認した上で、

その旨表示して販売していたコメまでが、

自慢の直売所 「道の駅 ふくしま東和」 から一方的に撤去された。

 

「ND なのに、それまでも ・・・」

これでは 「安全な米作り」 に賭けてきた生産者が浮かばれない。

菅野さんの怒りは収まらない。

 

検査して合格した米までが、地区でひと括りにされて 「隔離」 された。

法律上のことで言えば、米については新基準後も経過措置が取られていて、

今年の10月までは暫定規制値が適用されることになっている。

今回の一方的措置は、経過措置を無視していることと、

基準内(しかもND) であることが確かめられているものまで販売を禁止するという、

二重の意味で国の方針に離反しているのではないだろうか。

生産者や販売者の自主的な考えに基づくものではない。

国からの指示、である。

菅野さんの憤りが伝播してきて、僕の腸(はらわた) も煮えてくる。


菅野さんの訴えは、これに留まらない。 

 

菅野さんの地域は 100~500Bq の間の米が検出された地区で、

国は条件つきで作付を認めていたものだが (「事前出荷制限区域」 と言われる)、

その指示がまた現場を無視した一方的通告なのである。 

 

国から当該区域の農家に指示されていたことは、

ア) 可能な範囲で反転耕や深耕等を行なうほか、

イ) 水田の土壌条件等に応じたカリ肥料や土壌改良資材の投入、

等により、

農地の除染や放射性物質の吸収抑制対策を講じていることを確認すること。

- ということだったのだが、それが県 - 市町村と降りてきた段階で、

ゼオライトを300㎏、ケイ酸カリ20㎏、ケイカリン50㎏(ともに10アール当たり)

投入せよ、という指示になった。

 

「ゼオライト300㎏なんて、科学的に実証されてない」 と菅野さんは言う。

いや、かなり多過ぎる、というのが僕の感想。

それに 「ゼオライト」 とひと言でいっても、実は数百種類あって、

セシウムの吸着能力も千差万別だと言われている。

その辺のデータは明らかにせず (業者への利益誘導になる、という言い分らしい)、

ただ300㎏撒け、とは乱暴すぎる。

カリ肥料についても、「投入適期がまったく考慮されてない」。

加えて、その作業記録を一筆(田んぼ1枚) ごとに台帳管理しろというお達し。

試験栽培も認められないという。

 

これらの指示が4月に入って押し付けられてきたものだから、

高齢者を中心に、今年の稲作を断念する人が増えているそうである。

「出荷段階で全袋検査する方針なんだから、

 事前から強制的に、しかも地域一括で制限をかけるとは、

 農家の主体性を奪う以外の何物でもない!」

菅野さんの怒りは、もっともだと思う。

 

思うに、国にとって、農家の主体性や自立は厄介なことなのだ。

恐れているのではないか、とすら思える。

そして、民間の力を活用するとか連携するという発想に乏しい。

ジェイラップが須賀川で取り組んだ対策事例などは、

民間力を活用すれば、食の安全に対する信頼回復が

もっと効果的かつ効率的に進むことを示唆している、

と思うのだけれど。

 

信用してないのかな、国民を。

それとも自己保身なのだろうか。

手続きひとつとっても、福島農家の意欲を逆なでするような手法では、

生産者の経営安定も消費者の信頼も得られない、とだけは言っておきたい。

 

先だって紹介した 『放射能に克つ、農の営み』(コモンズ刊) に続いて、

菅野さんが執筆されている本(17人による共著、戎谷も執筆)

が出版された。 

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『脱原発の大義 -地域破壊の歴史に終止符を-』

(農文協ブックレット、800円+税)

 

「有機農業がつくる、ふくしま再生への道」

というタイトルで、菅野さんはここでも熱く語っている。

 

   私たちはあらためて日本型食生活の大切さを教えられた。

   母なる大地と太陽の力を活かす、有機農業による生命力ある農畜産物が

   健康な体と健康な人間関係をつくると思うのだ。

 

「放射性物質を土中に埋葬して 農の営みを続ける」

菅野正寿、心魂を込めた宣言である。

 



2012年5月 9日

光(ひかる)さん と 未明(みはる)くん

 

想定外にしんどかった特命堰さらい体験と里山交流会が明けた翌5月4日、

会員さんもお誘いして、帰る前にチャルジョウ農場に立ち寄る。

 

農場主の 小川光さん は、地元の方々から耕作を依頼された西会津の農場に

主体を移していて、こちらは息子の未明(みはる) さんが仕切っている。

 

覗けば、オリジナル品種のトマト 「紅涙(こうるい)」 の定植に入っていた。  

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ここは標高400メートル。 まだ朝夕は肌寒い山間部。

水も引けない場所で、光さんは無潅水での有機栽培技術を確立させた。

冷涼な気候は病害虫が少なく有機栽培に向いている、と光さんは言う。

ただし生産性は低い、はずなのだが、そこからが光さんのスゴイところである。

徹底した省エネ・低コストと環境共生で 「ちゃんと食える」 農業を実践してきた。

 

ヨモギなどの野草を生やし、害虫の天敵を共生させる。

有機質肥料もあえて生で使い、作物の根が伸びてゆく先に施す(溝施肥)。

ハウスの資材はすべてリサイクル。 パイプも農家から譲り受けては修理して使う。

わき芽や側枝をあえて取らない多本仕立のトマト、メロン栽培。

光さんが編み出した技術は本にもなり ( 『トマト、メロンの自然流栽培』 )、

08年には農水省の 「現場創造型技術 『匠の技』」 の認定を受けた。

 

息子の未明さんも、負けてない。 

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一昨年、NPOふるさと回帰支援センターが実施している

「農村六起」 プロジェクトの第1回ビジネスコンペで見事受賞し、

「ふるさと起業家」 7名に選ばれた。

 

「農村六起」 とは、六次産業 (1次・2次・3次産業をミックスさせた事業) 化の

ビジネス・プランを持って地域活性化を目指そう、という意味。

未明さんは、会津在来種の雑穀や豆類を遊休地で栽培し、

加工・販売するプランを構想している。

しかも都会から若者たちを呼び込み、地域活性にもつなげたいと、

親父に負けず、立派な農村起業家として頭角を現してきている。

 

ちなみに未明(みはる) という名は、

童話作家・小川未明(みめい) から頂いたものである。

相当に影響を受けたようだ。

僕も小学生の時、誕生日に母親から童話集を買ってもらったことがある。

赤いろうそくと人魚、牛女(うしおんな)、野ばら、港についた黒んぼ、といった

ヒューマニズム溢れる作品群が強く心の底に残っている。

でも、、、名前にまでつけられるとちょっと、しんどいかも。。。

 

研修生に、ロシアから来た若者が加わっていた。

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有機農場での研修や農作業先を提供する (農場は宿と食事を提供する)

国際的ネットワーク組織 「ウーフ(WWOOF)」 の紹介でやってきた。

「次はヨルダンに行く計画」 だと言う。 

こういう若者が増えている。

昔なら、こんな生き方してると、ヒッピーと言われて親は泣いたものだが。。。 

ま、頑張ってくれたまえ。

いや、" 頑張る "  という言葉も、彼らには適切ではないのかもしれない。

 

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好きにすれば・・・・・て感じ? 

 

未明さんを代表として、浅見彰宏さんや新規就農者・研修生たちで結成された

「あいづ耕人会たべらんしょ」も4年目に入った。

夏には 「会津の若者たちの野菜セット」 が組まれる他、

在来種 「庄右衛門いんげん」 が

とくたろうさん 』(地方品種・自家採種品種のファンクラブ) に入る予定です。

乞うご期待。

 

さて、残してしまった話題がある。

里山交流会で聞かされた、菅野正寿さんの重たい報告。 

すみません、気を締め直して・・・ 続く。

 



2012年4月30日

須賀川から、新しい社会づくりを-

 

4月28-29日、福島県須賀川市で開催された

「 第12回 菜の花サミット in ふくしま」 レポートを続けます。

 

" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "  

ドイツでバイオマスエネルギー村を誕生させたマリアンネ教授からの

刺激的な激励メッセージを受けて、

福島県下で取り組まれてきた 4つの事例が報告された。 

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【報告1】- 「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」

  東北大学環境システム生物学分野教授、中井裕氏より。

【報告2】- 「菜種に対する放射性物質の影響について」

  福島県農業総合センター作物園芸部畑作科主任研究員、平山孝氏より。

【報告3】- 「菜の花の栽培技術について」

  株式会社エコERC代表取締役、爲廣正彦氏より。

【報告4】- 「須賀川市菜の花プロジェクトの取り組みについて」

  株式会社ひまわり総務部長、岩崎康夫氏より。

 

4つの報告を僕なりにまとめて要約すれば、以下のようになるだろうか。

1.この1年、各地で試験されたナタネやヒマワリ、エゴマ等による

  「(放射性物質の) 除染効果」 は必ずしも高いとは言えないが、

  搾油した油にはほとんど移行しないため、

  畑の有効活用とエネルギー自給への取り組みとしては高い有用性がある。

  塩害農地対策としての効果を上げるには、耐塩性品種の選抜が課題のようだ。

2.ナタネ栽培を起点として、「食」 と 「エネルギー」 生産のサイクルを、

  地域の多業種が連携することで実現できれば、

  持続可能な新規の環境産業の創出 が期待できる。

3.須賀川市で展開されている菜の花プロジェクトは、以下の点で特筆される。

  A) 耕作放棄地を再生させる効果がある。

  B) 搾油された油を学校給食で使用 ⇒ 使用済み油を回収 ⇒ 

    バイオ燃料(BDF)に精製 ⇒ 軽油の代替燃料として活用する、

    という地域循環が成立している (回収には地元スーパーも参加)。

    これによって、震災直後に石油燃料が途絶えた時も、須賀川市では

    ゴミ収集車3台がいつもと同じように回ることができた!

  C) 菜の花の種まきを子どもたちが行なうことで環境教育に役立っている。

3.課題は、品種選定から安定生産、燃料の品質向上など様々に残っているが、

  とにかくポイントは、生産(製造・再生) と消費(活用) のリンクである。

  地場生産された菜種油には、油代以外の多面的な経済価値が含まれている。

  そのことをどう伝えていくか(=消費の安定的確保) が重要だと思えた。

 

続く第3部では、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんと

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事・河田昌東さんによる対談が組まれた。

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対談テーマは、「福島の放射能と食の安全」。

 

伊藤俊彦さん

 - 間違いなく、「この一年、放射能について最も勉強し、たたかった農民」 の代表だろう。

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共同テーブルで実施した学習会(白石久仁雄氏今中哲二氏) や

専門家ヒアリング(菅谷昭・松本市長) にも食らいつくように参加してきた成果が

資料によくまとめられ、また発言の随所に活かされていた。

 

伊藤さんは断言する。

「汚染されない農作物をつくるための生産技術の研究と革新に向かうか、

 ただ手をこまねいて国の基準値内に収まるのを待つか。

 これによって我々(福島) の農業の未来は明暗を分けることになるだろう。」

 

放射性物質の性質や挙動を学び、

土壌の力を分析し、食物の機能から鉱物資材の専門書まで読み漁り、

理論的根拠を忘れることなく対策を組み立ててきた。

その執念にずっと付き合ってきた専門家が、河田昌東さんである。

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チェルノブイリの経験から得た知見をもとに、

ジェイラップ(稲田稲作研究会)の試行錯誤を支えてくれた。

 

いま伊藤さんが考えていることは、

食物の力が最大限に活かされるための生産技術の確立である。

例えば、玄米には、ペクチンやセルロース・ヘミセルロース、フィチン酸など、

内部被曝対策に有効とされる機能性要素が豊富に含まれている。

自らが生産する  " 安全で機能的な玄米 "  で孫を守って見せる。

汚染されない稲作技術を確立させ、詳細な分析に基づく安全確認を経て、

玄米の機能性を最大限に生かした  " 放射能対策食 "  を目指したい。

 

例えば、黒米にある抗酸化物質(ポリフェノール、アントシアニン) や

アミノ酪酸(ギャバ)、赤米に含まれるタンニンの金属イオン結合効果。

例えば、インゲンやサヤエンドウはカリウムの吸収量が多く、

したがってセシウムが移行しやすい作物であるが、一方で

セシウムの排泄機能に長けるペクチン含有量が高いという特性もある。

汚染されない栽培技術が確立されれば、

インゲンやサヤエンドウは放射能対策の極めて有効な作物になる。

 

勉強し、挑戦し続ける百姓でありたい。

そして、福島の人のほうが健康だと言えるまでにしたい!

 

伊藤俊彦渾身のプレゼン。 

売ってみせないと、合わせる顔がない。。。。

 

一日目の最後に、

岩瀬農業高校の生徒たちによる 「サミット宣言」 が読み上げられた。 

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私たちは福島が大好きです。

福島はステキなところです。

私たちはあきらめません。

日本の再生を、この福島から始めましょう。

 

夜の歓迎レセプション、交流会。

河田昌東さんと談笑する二本松有機農業研究会・大内信一さんがいた。

ツーショットの一枚を頂く。 

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夜は、伊藤さんと二人で、須賀川の夜をはしごする。

この人とは、なんぼ話しても話し足りない。

 

二日目は、

分科会① - 「農地の放射線量低減対策と食の安全確保について」 に参加。

ジェイラップの対策事例から学ぼうというグループ。

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詳細なデータMAPを示しながら、

昨年の成果と今年の対策を語る伊藤俊彦さん。 

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僕は、ところどころで補完する係として一番前に座らせられる。

伊藤さんの指示は、次のひと言をガツンとやれ、というものだった。

「 国の基準以内に収まればいいということではない。

 常に安全な農産物生産に向けてたたかう姿勢を見せること。

 消費者の信頼は、それによって帰ってくる。」

言えたかどうかは、どうも心もとないけど。。。

 

最後のまとめは、菜の花プロジェクト・ネットワーク代表、藤井洵子さん。

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二日間にわたる盛りだくさんのプログラムをやり切ってくれた

須賀川市のスタッフたちの頑張りに感謝しつつ、

「今日の成功をバネに、全国の仲間とともに、新しい社会づくりに踏み出していきましょう」

と力強く締めくくられた。

 

「エネルギー自給へのイノベーションを、須賀川から発信したい」

と熱く語る伊藤俊彦。 

彼との付き合いも、米から始まって、酒、乾燥野菜ときて、

さらに深みに向かう予感を抱きながら、須賀川を後にしたのだった。

 



2012年4月 1日

堰さらい隊員 募集

 

長い東北レポートになってしまった。

ま、それだけ重かったのだろうと推測いただけると有り難いです。

 

さて、福島の全国集会の司会を務めたのは、

 「あいづ耕人会たべらんしょ」(喜多方市山都町) の浅見彰宏さんだった。

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ここで、東北レポート・番外編として、

浅見さんからの呼びかけを紹介しておきたい。

大地を守る会が販売している 「福島と北関東の農家がんばろうセット」

に入れているリーフレットにも掲載したもの。

このブログを前から見ていただいている方には恒例の、

5月4日の堰さらいのお誘い、である。

 

  喜多方市山都町本木(もとき) および早稲谷(わせだに) 地区は、

  100軒足らずの小さな集落です。

  周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、民家や田畑が点在する静かなところです。

  そんな山村に一つの秘密があります。

  それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

 

  水路があるからこそ、急峻な地形の中、田園風景が形造られているのです。

  山中を延々6キロあまり続くこの水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、

  そのほとんどは当時の形、すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

  しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

  人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

 

  水路が放棄された時、両地区のほとんどの田んぼは耕作不可能となり、

  美しい風景も失われてしまいます。

  そこでもっとも重労働である春の総人足(清掃作業) のお手伝いを

  してくれる方を募集しております。

  皆さん、この風景を守り続けるために是非ご協力ください。

 

  ◆作業内容......冬の間に水路に溜まった土砂や落葉をさらったり、

    雪崩などによって抜けてしまった箇所の修復など。

  ◆スケジュール......5月3日(木)前泊 ~ 5月4日(金)朝から堰さらい作業。

    3日夜は 「前夜祭」、地元の方々や参加者と交流します。

    4日夜は慰労を兼ねた 「里山交流会」(参加自由、作業後帰る方もいます。)

  ◆宿泊場所......本木または早稲谷地区の集会所。 3日・4日と連泊可能です。

  ◆交通手段......JR磐越西線・山都駅から送迎 (交通費はご負担ください)。

    車で参加される方には地図をお送りします。

  ◆参加費用......宿泊費=1泊 500円。 夜の交流会費用= 1,000円。

  ◆用意するもの......汚れてもいい作業着・着替え、タオル、軍手、長靴、水筒、

    洗面具(風呂は温泉 「いいでの湯」 を利用。入浴料=大人300円、小人150円)、

    寝袋(あればでOK)、公民館に雑魚寝を想定しての寝具(ジャージ等)。

    

  ※ 申し込み・お問い合わせは、本ブログの「コメント」にて、

    メールアドレスをご記入の上、ご連絡ください。(コメントはアップされません)

 

参考までに、昨年の様子は下記を ↓

  http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2011/05/05/

 



2012年3月31日

ニッポンのリグビタートル -無名の英雄たちよ

 

強風の一日。

出かける予定だったのが電車が止まり、お陰で仕事をいくつか処理した。

悩みの種は、底なし沼にはまったようなこのブログ。

この間、アップしたいネタも溜まり続けているのだけど、

その前に重かった、実に重かった東北レポートを終えなければならない。

 

3月24日(土)、「福島視察・全国集会」。 

前回、伊藤俊彦の決め台詞まで書いた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

この確認ができただけでも、今日の一日は価値がある。

 

シンポジウム終了後は、交流会。

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福島の地産地消をリードしてきた 「ホテル・ヴィライナワシロ」元料理長・山際博美氏と、

「ホテル華の湯」料理長・斉藤正大氏が技を競った、

福島産&有機をベースにした食材の数々に皆感激しつつ舌鼓を打つ。

お酒は、大地を守る会でもおなじみの金寶(きんぽう)酒造に大和川酒造ときた。

 

「どこよりも美しい村づくり」 に取り組んできた福島県飯館村をPRする

" までい大使 "  の一人、大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さん。

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「原発はもうやめにしましょう。

 新しいエネルギー時代を、福島から発信したいし、福島にはその力がある!」

とハッパをかける。

福島の意地をかけたような交流会だった。

 

二日目(25日) は、2コースに分かれての現地視察。

僕は 「放射能とたたかう農業者」 視察コースを希望する。

 


福島市にある果樹園での除染作業を見る。

まず、ぶどうの樹の粗皮(そひ) 削りの様子。 

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もともと梨・ブドウ・リンゴなどでは、

病虫害対策のために表皮を削ることは、前からあった方法である。

加えて今回は、放射性物質は表皮に付着していることが分かってきているため、

この時期に徹底的に削ることが推奨されている。

 

続いて、高圧洗浄機による水洗い作業。 

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皮を剥ぐわけにいかない桃やサクランボでは、この方法を徹底する。

降り注いだ放射性物質は枝の背中(上部) に多く付着しているため、

上からの洗浄となる。

これらの作業により、樹体に付着した放射性物質の9割以上を取り除くことができる、

というのがこれまでの試験によって実証されてきたことだ。

 

これらは、平成23年度産の果実や土壌の検査から、

放射性物質は土壌の表層0~3cmにほとんど留まっていることが判明していて、

根域に達していないことで、根からの吸収は考えられず、

樹体からの移行と判断されての対策である。

土の中でセシウムをがっちりとつかまえているのは粘土粒子である。

 

しかし、言葉の正しき意味においては、この作業は  " 除染 "  ではない。

食べ物である果実に移行させないための抑制対策である。

洗浄により地面に落ちた放射性物質は、土壌の粘土粒子によってつかまえさせる。

削られた粗皮は土に還すことはできず、まだ処分方法が定まっていない。

おそらくはチップや粉にして容積を小さくして、然るべき処理施設で燃やすか

埋める・・・ ということになろうかと思う。

 

対策の結果は秋に判明する。 まだまだ予断を許さない、というところか。

まあ、それでも

「福島市の前年度産の桃やリンゴ、梨は、新基準値(100ベクレル) を下回ってます」

というのが福島県の農業振興普及部からの説明である。

100以下、しかも低い水準のものがほとんど、とのデータを見せられる。

 

次の視察先は、二本松市東和地区。 

菅野正寿さんの田んぼでの反転耕起作業を見る。

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今、ジェイラップ(稲田稲作研究会) でもやっている作業だ。

しかもこちらは、天ぷら油を再精製したVDF燃料でトラクターを動かしている。

 

水の入口にはゼオライトを敷き、セシウムを吸着させる。 

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食の安全と安心を取り戻すために、

皆で 「やれることはやり切ろう」 と必死である。

人工放射能という魔の兵器に、体を張った総力戦で対峙する農民たち。

泣けてくる。。。

 

視察団一行と途中で分かれ、

僕は大地を守る会がリンゴで契約している二本松の生産者団体

「羽山園芸組合」 に回る。

こちらでも同様の作業の真っ最中である。

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これはサクランボでの洗浄風景。

 

リンゴは脚立に上っての作業。

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粗皮削りを終えたリンゴの樹。 

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羽山園芸組合の3名。 

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左から、熊谷耕一さん、武藤喜三さん、武藤善朗さん。

 

「羽山 (という地元の山) が遮ってくれて、ここいらは (線量は)低い方」

だと言いながら、彼らの不安は、まだまだ消えない。

何度となく聞かされた言葉 - 「とにかくやるだけのことはやりますから」(喜三さん)。

ドキドキしながら秋まで過ごすことになるのだろう。

 

羽山園芸組合を最後に、東北をあとにする。

 

思えば、、、世界には今も432基のゲンパツが存在し、

放射性物質の影響はグローバルであり、

かつすでに 「管理」 という名での付き合いは永遠(十万年以上) である。 

私たちがこの宇宙船地球号をどのような形で次世代に継承するにせよ、

彼ら生産者たちの悪戦苦闘は、

  " 二度と起きてはならない、その時のためのマニュアル "  として

残さなければならない。

アフリカ大陸の原発だって、いざとなれば救わなければならないワケだし。

 

彼ら生産者たちは、

ニッポンのリグビタートル (チェルノブイリの事故処理に当たった消防士たち) だ。

たくさんの無名の英雄たちが福島を、そして未来を支えようとしている。

地球市民の一人として見過ごすわけにはいかない。

 

だって、いつか孫やその孫たちから

" どうしてマニュアルを残してくれなかったんですか "  なんて、

言われたくない。

でもそのためには、付き合ってくれる(食べる) 人が必要となる。。。

 

21世紀は、哲学の世紀になるかもしれないね。

いや、ならなければならないのかも。

 

いま福島原発で闘っている文字通りのリグビタートルは、

いつか、チェルノブイリのように英雄として称えられるのだろうか。

それとも歴史に埋もれるだけなのだろうか。

 

顔も名前も分からない原発現場でたたかう人たち、

再興に挑みながら助け合う三陸の人々、必死で土を耕す農民たち、

そして、、、結果を受け止め、食べる人々。

たくさんの無名の英雄たちがいることに深く感謝して、

変えよう、日本を!

- この言葉をもって、東北レポートを終えたい。

 



2012年3月28日

世界一優秀な農民になろう

 

3月24日(土)、磐梯熱海での全国集会に向かう前に、

福島市松川町の 「やまろく商店」 さんを訪ねる。

福島市から二本松市にかけて百数十軒の米の生産者を束ね、

「やまろく米出荷協議会」 を運営する。

 

社長の佐藤正夫さん。

抱えているのは、セシウム対策として農家に配っているソフトシリカ。

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モンモリロナイトという自然の粘土鉱物で、

以前から土壌改良や稲体の強化に活用されてきたものである。

 

昨年は、周囲から 「米を作らない方がいいのでは」 という声もあったようだが、

メンバーは明確な意思を持って作付した。

田を荒らすわけにはいかない。

先祖から受け継いできたように、この田を次代に渡すために。

米はほとんど10ベクレル未満に抑え込んだ。 一部では超える米もあったが、

有機栽培の田んぼは低い、という確信も得られた。

今年は 「すべて10ベクレル未満にする」 と、協議会総会で確認し合った。

大地を守る会の自主基準で、米を10ベクレルに設定できたのも、

「やまろく」 さんの力強い決議があったことによる。

 

思い返せば1993年、

日本が歴史的大冷害に見舞われ、米の値段が暴騰して、

当時の細川政権は米の緊急輸入を発動した。

あの時、「やまろく米出荷協議会」 は、敢然と

「消費者が困っている。 値上げはしない!」 と宣言してくれた。

あれ依頼のお付き合いである。

今こちらが支えられないでどうする、と思うのである。

ここで仁義を通さなかったら、この世が廃(すた) る。

 

思いがけず、弊社・藤田社長がツイッターで後方支援してくれた。

   今朝から、わが家のご飯は福島産コシヒカリに変わった。

   大地を守る会の自主基準では米はセシウム10ベクレル/㎏ 以下だが、

   この米は測定値最大で33ベクレル/㎏ だった。

   生産者を応援すべく大地を守る会は会員に測定値を公表して販売している。

   妻と相談して食べることにした。 美味しいね、と妻。 (3月23日付)

 

「私はやっぱり食べられない」 という反応もあったようだが、

「無理しないでいいですよ」 と返している。

子どもに配慮しつつ、大人は食べる。

ま、そこはあまり気張らず、

それぞれに持続可能な形で 「支え合い」 の輪を維持させたい。

 

今年の取り組みを確認したところで、

佐藤社長の車に乗せてもらって磐梯熱海に向かう。

会場は 「ホテル華の湯」。

ジェイラップ・伊藤俊彦さんと合流し、一緒にラーメン食べてシンポジウムに。

 

「 福島視察・全国集会 農から復興の光が見える!

 ~有機農業がつくる持続可能な社会へ~ 」

 

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全国から300人くらいの参加者があり、 

会場はすでに熱気に満ちていた。

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開会を宣言する、福島県有機農業ネットワーク代表・菅野正寿さん。 

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子や孫に安心して食べさせられる野菜を育てたい、その一心で耕してきた。

結果は予想を超えて、検出されてないものばかりになってきている。

土の力を信じて、耕しながら前に進みたい。

今日を、「がんばろう日本」 から 「変えよう!日本を」 の分岐点にしたい。

 

「福島における放射能汚染の実態と今後の対策」 など、

3名の先生による講演があり、続いてパネルディスカッション。

タイトルは 「福島県農産物の風評被害の実態と今後の対策」。

菅野正寿さんをコーディネーターとして、

パネリストは、滝澤行雄さん(秋田大学名誉教授)、伊藤俊彦さん(ジェイラップ)、

大津山ひろみさん(生活クラブ福島理事長)、そして戎谷。

 

前に座らせられていると、どうも全体の流れはうまくまとめられない。

自分の話したことはだいたい以下の感じ。

 ・「風評被害」 と呼ぶのはやめよう。

  実体のない評判による被害ではない。 ましてや消費者が加害者なわけもない。

  ともに原発事故による被害者として理解し合うことで、大本を断つことができる。

 ・大地を守る会で取り組んできた対策や基準についての考え方について。

  「内部被爆から子どもを守る」 という姿勢を生産者とともに示すことで、

  つながりを取り戻したい。

 ・そのために頑張ってくれている生産者の取り組みを正しく伝え、

  実態を踏まえつつ、 「大人は食べる」 運動も進めたい。

 ・これは未来のために、「国土を回復させる」 運動である。

  そのために生産と消費をつなげる努力を続けるのが流通者の使命だと思っている。

 ・特に有機農業の力を信じる者として、皆さんの営為をしっかりと伝えていきたい。

とまあ、必死でエールを送ったつもりである。

 

僕の隣に座った伊藤俊彦さん。

これまでの取り組みと成果を語った上で、皆を奮い立たせた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

フクシマで今、国土を守る精鋭部隊が形成されつつある。

 

・・・・・今回で最後まで書き終えるつもりでいたのだが、

すみません。 本日の作業ここまで。

 



2012年3月27日

石巻から塩竃に

 

 " 他者の沈黙にむけて送りとどける " 

と書いたのは、宮城県石巻市出身の作家・辺見庸である

( 『瓦礫の中から言葉を ~わたしの〈死者〉へ 』 から )。

作家はその命を削りながら言葉を探すというけど、

僕は何を見つけ出せるのか、震災から1年後の東北でまださ迷っている。

 

石巻では、高橋徳治商店 を訪ねた。

車で流れながら、道路事情もよく分からなかったので、

正確な時間を伝えられなかったこともあって、

社長の高橋英雄さんは先客と商談中。

代わって息子さんの利彰さんが工場を案内してくれた。

ま、こちらも、皆さんが元気で働いている様子をたしかめれば、

という感じでの陣中見舞いというか表敬訪問である。 長居は禁物。

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表面上は復旧したかに見える工場だが、

動く製造ラインは7本のうちの1本だけ。 稼働率は震災前の15~20%という状態だ。

79名いた従業員のうち、今雇用できているのは23名。

 

工場内の津波浸水の跡を見せられ、

周りの状況からみても、1年でよくぞここまで復旧させたと思う。

「取引先の皆さんがたくさん応援に来てくれて、そのお陰です。」(利彰さん)

大地を守る会も、おさかな喰楽部の人たちが中心になって、

浸入した泥の片づけボランティアに来ている。

 

いろんな工程を手作業で乗り切りながら、

数百あった製品をひとつずつ復活させていくしかない。

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「地元の原料がまだ入る状態になってないんで・・・」

石巻の原料をベースにやってきた水産加工者の歩みは、

地元漁業の復活とともにある。 道のりはまだまだ長い。

秋には新工場がお隣・松島町の高台に完成する予定である。

ようやく土地の引渡しが終わったとのこと。

年末商材の製造には間に合わせたいね・・・ 「そうですね」 と頷く利彰さん。

今は復活第一号の 「おとうふ揚げ」 をヨロシク、ですね。

 

帰り際、英雄さんが声をかけてきた。

「エネルギーの自給に向けて進みたいと思ってる。 知恵を貸してくれ。」

望むところです。

 


港周辺の様子には言葉は出てこず、ため息のみ。

 

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更地になったところに設置された小さな社。

復興を祈願して石巻を後にする。

 

松島町でカキの二宮さん宅に立ち寄る。

義政さんは葬式があって出かけた後だったが、

貴美子さんと、仕事から帰ってきた息子さんの義秋さんが、

仮住まいのアパートで出迎えてくれた。

炬燵に入って、適当にお喋りして、おいとまする。

来年のカキ復活に期待して-。

 

この行程で、塩竃の遠藤蒲鉾店を外すと、あとが怖い。

由美さんから 「ご飯食べずに来てね」 と再三言われていたのだが、

そうもいかない時間となって、お詫びする。

「じゃあ、今度は泊まりで来ること」 と約束させられた。

 

こちらもご長男の哲生くんが案内してくれる。

伝統の石臼、健在。

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女性陣が 「大地から届いたごぼう」 を処理している。

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ごぼう天の原料ですね。

ウチの野菜は泥つきのままだし、サイズも不ぞろいで ・・・すみません、厄介かけます。

優しく笑ってくれるが、腹の中は 「まったくね」 か。

「ゴボウの次は蓮根ね」 と由美さんが指示する。

全部手作業である。

 

哲生さんのお連れ合い、美紗子さんにも入ってもらって

玄関で記念に、というより訪問した証拠写真を一枚いただく。

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美紗子さんは埼玉出身。

「由美さん、いじめてない?」

「何言ってんのよ~。 もう可愛くて可愛くてよ、ねえ。」

 

観光地は横目で通り過ぎ、

三陸の海と浜の姿を目に焼き付けながら、走ってきた。

走行距離約 450km の貴重な東北旅だった。

 

23日夕方、冷たい雨の仙台でレンタカーを返して、

福島に到着してビジネスホテル泊。

明日は、磐梯熱海で全国集会。 パネラーなのだが何も考えられない。

 

気になるのは、茜さんからもらったお土産のロールケーキ。

常温のままだけど、「須佐さん(千葉さん生前時の担当職員) に渡してね」 と

頼まれたのだ。

帰るまで食べるわけにいかない。

 



2012年3月25日

志津川で千葉さんを訪ねる

 

5日間の東北出張から帰ってきた。

この重圧から逃れたいと思いつつ、しかしそこに彼や彼女がいて、

元気で頑張ると笑ってくれる限り、僕も現実に立ち向かわなければならない。

以下、東北レポートを続けたい。

 

東北行二日目(3/22) は、海岸線に沿って岩手から宮城に向かって走る。

メディアで報道された街だけでなく、

通過する土地土地がどこもかしこも壊滅的だ。

取り残されたような集落が現われては消えてゆく。

僕の田舎にもよく似た小さな入江の集落には住居も人影もなく、

ただ集められた瓦礫の山がそこに暮らしがあったことを伝えている。

 

どこも、なんとか瓦礫がまとめられた、という感じ。

大きな街では建物がまだ悲惨な姿をとどめ、

地べたは片づいてきているものの、コンクリの土台が残っている風景は

かえって寂寞とした世の無常を感じさせる。

 

陸前高田の様子。

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話題になった奇跡の一本松。  

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残念なことに地下水の高い塩分濃度によって根腐れを起こし、

すでに生存は絶望的らしい。

 

宮城に入り、気仙沼から南三陸へ。

唐桑 ~ 本吉 ~ 志津川 と、漁港や自然の姿を記憶にとどめながら走る。

いったい僕は何をしているんだろうという気にさせられる。

 


志津川の町の姿。

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この町で津波で亡くなられたエリンギの生産者、故千葉幸教さん のご家族を訪ねた。

山の一角に建てられた仮設住宅で、3人は元気に暮らしていた。

お嬢ちゃんたちはそろばん塾に行っていて会えなかったけど、

「二人でそろばん塾」 と聞くと、なんか嬉しくもあった。 ガンバレーと言いたくなる。

幸教さんの遺影に線香を上げさせていただく。 優しい表情の写真だった。

 

奥さんの茜さんはケーキ工房で働いているとのこと。

南三陸町歌津にあるロールケーキとチュイルの店 「パティスリークリコ」 だと言う。

あれま、なんと、  " 裏の離れ "  を用意してくれた南三陸町歌津の宿

「ニュー泊崎荘」 のなかにあるケーキ工房ではないか。

震災直後、冷凍庫にあった1,000本のロールケーキを被災者たちに配ったことで

" 絆 ロールケーキ "  と呼ばれ評判になった。

 

いい職場を得たようで、よかった。

別れ際、茜さんが 「ディズニーランド は、ホントに楽しかったです」 と言ってくれた。

いい思い出になったのなら、こっちこそ嬉しい。

千葉さんのエリンギのファンだった方々、またご心配いただいた皆さん、

奥さんも娘さんも元気でしたから、ご安心ください。

 

仮設住宅を後にして、千葉さんの会社 「志津川アグリフード」 の建物に立ち寄る。

外観だけがそのまま残った姿に、ただ手を合わせるのみ。

 

つらい目に遭っても海を恨むわけではない。 

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やっぱり海とともに生きていきたい、と海の人は言う。

今年のワカメは豊漁のようだ。

このまま再興に進んでほしい、と願わずにいられない。

 

気持ちを整理しつつ、石巻に向かう。

 



2012年3月22日

釜石から

 

直前になるまで行程を定められなかったことも災いして、

岩手県釜石に向かうのに、三日前に

東北新幹線・新花巻駅でレンタカーを借りようとしたらすでに予約一杯で、

手前の北上駅でようやく軽を一台押えることができた。

今の三陸方面は平常時とは違うことを改めて思い知り、

慌てて宿もあちこち当たって、二日目は何とか

宮城県南三陸町のホテルの  " 離れの一室 "  というのを確保した。

 

建設会社によると思われる 「貸し切り」 の札がかかった宿の

" 離れ "  と呼ばれる本館裏の簡易宿舎ふう建屋の一室で、

東北出張の経過を記し始める二日目の夜。

宿代が正規の部屋と同じなのが少々納得ゆかないけど、、、

3月下旬でまだ寒い東北、部屋を用意してくれただけでも感謝すべきか。

ノムさんみたいなボヤキはやめてストーブをつけ、丹前を羽織って

大人しくパソコンに向かう。 まずは昨日の報告から。

 

3月21日(水) 朝6時半、5日間にわたる東北出張に出発。

10時41分、北上駅着。

レンタカーを借り、遠野街道に向かって走り始めたら

工事による通行止め区間にぶつかり、北に迂回したりしながら、

遠野の道の駅 「風の丘」 でCSR推進本部事務局長・吉田和生と合流。

ここで行者にんにくラーメンを食べ、午後1時半、釜石市役所に到着。

 

震災1年後の、街なかの風景。

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復興はまだ、まだである。

 

大地を守る会は、この街に設立されたNPO法人「東北復興支援機構」 に

ガンマ線スペクトロメーター1台を提供(無償貸与) した。

つながるきっかけは 「鮮魚の達人」 たちのネットワークだった。

昨年11月末に設置し、検査トレーニングなどを経て、

いよいよ4月から地元漁業者からの測定依頼を受ける体制へと進んできた。

しかも釜石市の放射能対策の方針とリンクする形となり、

市が策定した 「地域水産物の放射能測定に関する基本方針」 のなかで、

「測定調査に必要な人員の手当てを図る」 とともに、

測定結果を市のホームページで公表する、という関係に発展した。

 

そこで昨日は、

市による地元漁業者や水産加工業者向けの説明会が開催されることとなり、

合わせて放射能についての話をしてくれ、という依頼を受けての訪問となった次第。

ここでのお話は吉田が務め、僕は補佐役。

 

津波被害を免れた高台にある事務所に設置された測定器。

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生産地への貸し出しは福島県須賀川市・ジェイラップに続いて2台目。

こちらは自治体の取り組みにも貢献する形での本格スタートとなったわけで、

今後の水産物の状況把握とともに、

漁業者・事業者そして消費者の安心に貢献できるよう、

計画的に進めてゆかなければならないと思う。

 

その測定実務を担うNPO法人 「東北復興支援機構」

副理事長の三塚浩之さんに案内いただき、

大地を守る会の復興支援基金からお贈りした漁船を確認する。

 

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この船は、山形・舟形マッシュルームさんからの義援金によって調達したものである。

マッシュルーム菌舎の倒壊など甚大な被害を受けたにもかかわらず、

大地を守る会からの義援金をそっくり 「三陸の方々のために役立ててほしい」

とカンパしていただいた。

残念ながら船主の佐々木健一さんとはお会いできなかったが、

漁船登録で少々手間取っているらしい。

漁に出るようになったら、舟形マッシュさんも招いて祝いたいものだ。

 

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写真左が三塚浩之さん。

釜石発⇒復興未来行き切符 諦めない限り有効 1枚300円

なるチケット販売を企画するなどのアイデアマンでもある。 

右が吉田和生。 専門委員会 「おさかな喰楽部」 を率いる炊き出し隊長。

 

車で移動しながら眺める震災の爪あとには言葉も浮かばず、

ただため息ばかり。 

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夜は遠野まで戻って、「民宿とおの」 に泊まる。

三塚さん推薦の、隣接する古民家を移築したレストラン 「要(よう)」 で食事。

料理も素晴らしかったが、自家製ドブロクがとにかく旨かった。

民話の里・遠野にお越しの節は、ぜひ。

 

今朝は宿で吉田と別れ、僕はふたたび釜石を経由して

陸前高田~宮城県気仙沼と通過して、南三陸町へと向かう。

 

釜石湾をあとにする。

崩壊した堤防から威力を想像するも、今日の海はただただ穏やかに凪いでいる。

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湾を望む釜石大観音さま。

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たくさんの深い哀しみを抱きしめ、愛をすべての人に。

 



2012年3月 8日

オリーブは平和のシンボルだから

 

バナナやコーヒーなど、フェアトレード製品でお付き合いのある

オルタートレード・ジャパン (ATJ) からの招きで来日し、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 にも参加して挨拶をしてくれた

パレスチナのオリーブオイルの生産者、サイード・ジャナンさんが、

6日(火)の夜、大地を守る会の幕張本社を訪ねてくれ、

職員有志のために話をする時間を取ってくれた。

 

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オリーブの栽培と、オイルの製造・販売によって農民の自立を目指す彼らに対して、

大地を守る会がカンパを募ったのはもう4年以上前のことになるか。

私たちが送った資金によって建設された農道は 「だいち ロード」 と命名された。

平等で持続可能な農業、地域コミュニティの自立を目指し、

今も水資源の安定確保や失業・貧困対策に取り組んでいるのだが、

来られた時はいつも、 「道ができた」 ことへの感謝の言葉を、彼らは忘れない。

そして昨年は、オリーブオイルの販売利益から

東日本大震災の被災地への義援金を送ってくれた。

こういう関係を丹念に紡いでゆくことで、平和への道が拓かれてゆくのだろう。

 

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サイードさんは、1968年生まれ。

ベツレヘム大学から米国・フロリダ国際大学で学び、

カナダの酒造メーカーで史上最年少の海外支店長としてインドネシアに勤務した。

UNDP(国連開発計画) の仕事経験もあり、4ヶ国語を流暢にこなし、

その他に3ヶ国語も使えるというマルチリンガル。

僕がそのレベルに達するには、5回は生まれ変わらなければならない。

しかもリセットなしで。

 

そんな立派なキャリアの持ち主が、なぜ不安定な母国に戻り、

給料も少ないであろうフェアトレードの世界に?

答えは、女手ひとつで育ててくれた母が一人でエルサレムに暮らしているから。

母の愛は世界共通である。

 

オーガニックとフェアトレードの認証を取り、

より高品質なエキストラ・バージンオイルを目指して、

農家や搾油所のトレーニングを重ねている。

「オリーブは、私たちにとって平和のシンボルなのです。」

思いを生産物に託して、一歩々々歩みましょう、平和への道を。

 

そして昨日(7日) はフランスから来訪者あり、説明要員に狩り出された。

その話は、次に。

 



2012年2月29日

2月の締めは庄内で

 

2月は逃げる、という言葉があるけれど、

まったくあれよあれよという間に過ぎてしまい、

エネシフ勉強会の話も、

共同テーブルで行なった白石久二雄さんの勉強会の話も、

朝日新聞のシンポジウムの話も書けず、

20日に発表した放射性物質に対する自主基準についてもフォローできないまま、

今月の締めは、山形・庄内から。

 

鶴岡に本拠を置く農事組合法人「庄内協同ファーム」 の 「第12回 生産者集会」

が昨日開かれ、僕は

「3.11後の消費者の動向と大地を守る会の取り組み」 について話をしろ、

というご指名を頂戴したのである。

講演は午後だったのだが、では午前中の会議から聞かせてもらいましょうか、

というお願いをして、 

早朝の庄内空港行きの飛行機に乗って、10時からの会議に間に合わせた。

しかし・・・ 軽い傍聴のつもりだったのだが、そこは敵もさるもの、

「来賓」 とかに仕立て上げられて挨拶をする羽目になってしまった。

 

でも午前の会議から出たいと思ったのにはワケがある。

1999年、僕は庄内協同ファームが最初にこの会合を開いた際に呼ばれていて、

有機の認証制度をどう評価し乗り越えていくか、

なんて話を偉そうにしたのだった。

80年代、協同ファームとお付き合いが始まった頃

(当時は 「庄内農民レポート」 という、たたかう農民集団だった)、

「無農薬を求めるのは、消費者のエゴだ!」 とか言い放っていた彼らが、

敢然と  " 自分たちの営農の証明 "  としてのシステム認証に取り組んだのが

2000年からだった。

99年の生産者集会は、言わばその出発点となった会議だった。

 

システム認証とは、有機JAS認証のように、ひとつの規格基準に基づいて

結果を認証するだけでなく、営農全体のプロセスも含めて、

環境対策という視点をもって認証するいうもの。

大地を守る会の初代会長である故・藤本敏夫さんが提唱し、

当時、多くの生産団体が取り組んだ。

 

しかし、書類の煩雑さや認証コストの問題に加えて、

日々の変化に追われてしまう農業という仕事の宿命もあってか、

数年で  " 精根尽きる "  人たちが続出した。

それでも、この経験は活かそうと、環境対策への基本方針やプログラムは

しっかりと自主的に継続させている人たちがいる。

庄内協同ファームもそのひとつである。

その今を確かめたい、と思って朝から参加させてもらった次第である。

 

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あれからいろんな紆余曲折があったことと思うが、

地道に発展させてきたことが読み取れる。

生産品目別に 『生産・環境プログラム』 が策定されていて、

掲げた目標に対する反省点や課題とともに、今年のプログラムが確認される。

「安心農産物生産委員会」 では、

水稲の有機栽培技術の安定に向けて各技術の検証が行なわれ、

新たな実験への取り組み計画が提案された。

また、原発問題に取り組むことが改めて提起され、

組織の 「環境方針」 に新たに 「自然再生エネルギーの活用」 という一文

を加えることが承認された。

有機JASの監査では、細かい指摘も受けたようだが、

いや実にきっちりと積み上げてきた、という印象である。

 

午後は、ふたつの講演。 

まずは茨城大学教授・中島紀一さんから、

「大震災・原発事故後の有機農業の取り組み」と題してのお話。

 

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実は99年の 「第1回 生産者集会」 も、中島先生と一緒だった。

きしくも干支が一巡したところで同じ顔ぶれになって、

新たな課題への取り組みが話し合われるという、何だかヘンな縁まで感じるのだった。 

 

中島先生はこの1年を振り返りながら、

「有機農業者たちは、本当によく頑張った」 と評価した。

当初は 「有機農産物のほうが危いのではないか」 と囁かれるなかで、

正確な現状把握と対策を立て、実験を繰り返しては新たな知見を獲得し、

逆に有機農業の力を立証させてきた。

幸い、農産物での残留はかなり低いレベルに落ち着いてきた。

有機農業の世界こそ、農の営みを再建する道を指し示すものではないか。

 

 続いて、二本松市東和地区に何度も入って

農家の声を聞き取りしてきた茨城大学・博士特別研究員の飯塚理恵子さんからの報告。

 

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丹念な聞き取り記録から、そこで暮らす農家の深い葛藤が伝わってくる。

その上でなお地域で生きることを選んだ人たちの声から、

再生への道もまた浮かび上がってくるのだった。 

 

第二部の最後は、戎谷から。

大地を守る会が行なってきた放射能対策の概要と、

新たに設定した基準についての考え方を中心にお話しさせていただいた。

一見たいそう厳しい基準を設定したかに見えるけれど、

これまでの測定データをもとに、

生産者とともに達成できるであろう指標として設定したこと。

何よりも 「子どもたちの未来を、未来の子どもたちを守ろう」 という、

大地を守る会が設立時に掲げた原点に立って考えたこと。

その上で、自主基準値を超えるもの(もちろん国の基準範囲内) が発生した場合には、

そのリスクを大人たちで引き受けることを提案することもある、

という姿勢に立ちたいと思っていること。

 

僕の結論は以下に尽きる。

「(国の)基準値未満なんだから食べてくれ」 よりも

「子どもたちの未来を守ってみせる!」 という気概を示そうではないか。

その姿勢と努力によって、つながりを再生させたい。

 

夜は、しつこい連中と飲み、議論する。

議論がいつまでも終わらないのは、ネタの問題ではなくて、

お酒の力でもなくて、人による。

 

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1日の福島での生産者会議に始まって、29日の庄内で締めた2月。

今年の東北は雪が多い。

「大雪の年は豊作になる」 という言い伝えがあるけれど、

希望よりも、雪解け後の不安が頭をよぎる。

陰鬱な陰とのたたかいは、まだまだ続くね。

 

朝日新聞の朝刊に、

2月18日に行なわれたシンポジウムの記録が掲載されたのをチェックして

庄内を後にする。

 

週末には年に一回の一大イベント

「大地を守る東京集会 (今年は「大地を守る会のオーガニックフェスタ」)」 が待っている。

 



2012年2月21日

絆に感謝! 大和川酒造交流会

 

とにかく、これはなんとしてもアップしておきたい。

2月11日(土)、第16回 「大和川酒造交流会」。

 

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1994年2月、前年の大冷害を乗り越えて、

大地を守る会オリジナル純米酒第一号が完成した。

会員から名称を募り、そのお酒は 「夢醸」(むじょう) と名づけられた。

みんなの夢を丹念に醸(かも) してゆこう、という思いが込められている。

西暦2000年。 21世紀を迎え、「夢醸」 は 「種蒔人」(たねまきびと) と改名した。

 

どんなにつらいときも、たとえ絶望の淵にあっても、明日のために種をまく。

そんな農民の魂に学びながら、希望の種をまき続けよう。

 

そして今年。

数えて19回目の酒造りは、初年度以来の大ピンチの年となった。

震災に加えて原発事故。

原料米をつくる福島県須賀川市・稲田稲作研究会(ジェイラップ) では、

ダムの決壊まであって(現在も行方不明の方がいる)、

4月に入った時点でまだどれだけの作付ができるのか、読めない状態になっていた。

放射能の不安もあった。

酒米どころではない、というのが正直なところだったと思う。

 

それでも彼らは、「種蒔人」 は途絶えさせるわけにはいかないっすよね、

と踏ん張ってくれた。

つらく厳しいなかで、産地リレーが行なわれた。

苗作りまでは稲作研究会で行ない、その苗を会津・喜多方までトラックで運んで、

大和川酒造の自社田(大和川ファーム) で栽培を行なってくれたのだ。

18年間、淡々と続いてきた  " 育て、醸し、飲む "  リレー。

 - この絆こそが、今年の 「種蒔人」 を完成させたのだ。

今年の酒は、忘れない。 一本は死ぬまで取っておくと決めた。

 

発酵途上の吟醸酒、大吟醸酒・・・を試飲させていただく。

至福のひと時。 

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今年の 「種蒔人」 は、二日前に絞られていた。

いつもこの交流会の日に絞れるように仕込みに入るのだが、

そこは  " 醗酵 "  という世界。 いつもいつも計算通りにいくとは限らない。

 

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今年の 「種蒔人」 は、いつもより優しい感じか。

こういう年だから? 酵母も気をきかして・・・ そうね、すべて愛の力だ、ウン。

すべての  " つながり "  に感謝して飲みたいと思う。

 


飯豊蔵(いいでくら、現在の工場の名称) で新酒をたしかめたあとは、

今は見学やイベント用に改装された旧蔵 「北方風土館」 を見学。

 

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そして待ちに待った交流会。

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" 会津づくし "  の料理の数々。

純米吟醸、大吟醸、金賞受賞酒、種蒔人・・・ と居並ぶ酒たち。

 

そして、いい仲間たち。

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稲田稲作研究会(ジェイラップ) の面々。

 

大和川酒造店代表、九代目・佐藤弥右衛門。

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役者がすべてそろったところで、

ジェイラップ・関根政一さんが音頭をとる。

 

「希望の酒に、乾杯!」

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お式のお決まりの台詞ではないけれど、

楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

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冬は蔵人、浅見彰宏さん。

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夏になれば、「会津の若者たちの野菜セット」 の生産者

(「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバー) として登場する。

春のGWには、また 山都の堰さらい が待っているね。

村の労働力は年々衰えていくけど、先人が営々と守ってきた貴重な水路だ。

やれる間は守っていかねば、と浅見さんは泰然と構えている。

僕らもお手伝いの人足を少しずつ増やしながら、応援を続けるつもりである。

 

「種蒔人」  - 本当にシアワセなお酒だと思う。

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2002年から始めた 「種蒔人基金」 も、ついに200万円に到達した。

「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」

を合い言葉に、一本につき100円を貯金してきたものだ。

 

堰さらい後の交流会用にお酒 (もちろん 「種蒔人」) をカンパしたり、

仕込み水の源流である霊峰・飯豊山の清掃などに活用しつつ、

それでも200万円が蓄えられた。 飲みも飲んだり2万本!

言っちゃってもいいすか。 言わせてもらいます。

「飲んべえだって、飲むことで、田んぼや水を守っているのだ!」

まったく、命がけだね・・・

 

これから1年、僕はこの希望の酒に励まされながら過ごすことになる。

そして来年は、いよいよ20回目の仕込みだ。

記念すべき交流会にしたいと思う。

「夢醸」 を、そして 「種蒔人」 を愛してくれたみんなに集ってもらって、

基金の使いみちを語り合うというのはどうだろうか。

みんなで飲み続けながら貯めたお金に、命を吹き込みたい。

 

それまで、どうか変わらずに。

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命がけの飲兵衛たち。

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お疲れ様でした。 

 



2012年2月10日

宮城からエネシフ勉強会へ

 

今週は頭から宮城に出張した。

予定していた用務は7日(火)の宮城県生産者の新年会への参加だったのだが、

前日に仙台まで移動し、厚生労働省による

「食品に関するリスクコミュニケーション  ~食品中の放射性物質対策に関する説明会~」

に参加することにした。

これは昨年末に発表された新基準案に関する説明の場として設定されたもので、

1月16日の東京での開催を皮切りに2月いっぱいまでかけて全国7ヵ所で開催されている。

実は東京での開催に申し込む前に先着200名様が埋まってしまったので、

いったんは諦めたのだが、前日入りすれば仙台で聴けるかと思い申し込んだ次第。

 

ご説明は以下の4項目に分かれて行なわれた。

1.食品中の放射性物質による健康影響について

  内閣府食品安全委員会事務局勧告広報課より。

2.食品中の放射性物質の新たな基準値について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  基準審査課新開発食品保健対策室バイオ食品専門官より。

3.食品中の放射性物質の検査について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  監視安全課輸出食品安全対策官より。

4.農業生産現場における対応について

  農林水産省生産局農産部穀物課より。

 

特段の新しい情報はなかったけど、

基準運用の方針や詳細部分での見解がいくつか確かめられた。

新基準値案に対する当方の見解は 「共同テーブル」 で提出した 「提言」 に

集約されるが、やはり根本的な争点は以下に尽きそうだ。

 - まだ未解明な 「食品による内部被ばくの影響」 をどういう視点で捉えるか。

 


説明された基準設定や各種政策は間違いなく前進したと思う。

それは認めるところではあるが、

「充分な安全係数をかけて設定した」 という説明に終始しつつ、

「基準値(案) が緩和されることはないのか」 の質問に対して、

「できるだけ低減させていく方向性である」 (ホント?) と答えたところは、

ある種の使い分け的な印象が拭えなかった。

リスク・コミュニケーションというわりには、

お上からの  " 説明あるいは回答 "  の枠である。

もう少し社会的議論を深めるというセンスがほしいものだ。

民間の力ですでに前に行っている部分だってある。

 

ま、こちらも基準の設定を迫られている立場である。

予防原則の観点と生産者との連帯をどう折り合いつけるか。

どうも 「特命担当」 はいま極度のプレッシャーで、

ストレスもピークを迎えている様子だが (身体のあちこちから反応があって)、

腹をくくるまでもう一歩二歩、生産者との対話を続けなければならない。

 

夜は最安値のビジネスホテルに潜り込み、

7日、新年会会場である松島海岸に向かう。 

景色を眺める余裕もなく (復興途上の風景を電車でちらちら見つつ)、

午前中から会場であるホテルに入って、翌日に発生してしまった講演の準備をする。

 

午後3時頃から生産者が集まり始め、

まずは会議室で藤田社長はじめ、新任部長の挨拶など。

戎谷からは、国の新しい基準値と当社の考え方について説明させていただく。

 

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夜の宴会は割愛。

仙台黒豚会、仙台みどり会、ライスネット仙台、蕪栗米生産組合、同野菜部会の皆さん、

N.O.Aの高橋伸さん、無農薬生産組合の石井稔さん、卵の若竹智司さん、

遠藤蒲鉾店の遠藤栄治・由美さん夫妻、高橋徳治商店の高橋英雄さん、

マミヤプランの間宮恵津子さん、奥松島水産振興会の二宮義政・貴美子さん夫妻、

みんな元気な顔を見せてくれたことを報告しておきたい。

 

「操業が一部でも再開できたのは、

 お付き合いいただいている団体の皆さんの支援があったから」

と語る高橋英雄さん。

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震災による深い傷を胸に秘めて、

「みんな、本当に変わらなきゃいかんです」

の言葉が、こたえた。

 

翌8日は、担当の生産者とともに散っていく職員を横目に、

寂しく東京へと引き返す。

夕方から、衆議院第一議員会館で開かれた

「エネシフ・ジャパン 第16回勉強会」 にパネラーとして参加。

テーマは、『 " 3.11後 "  の 「食のリスク」 とどう向き合うか 』。

詳細は・・・・・

もう一人のパネラーである神里達博さん (東京大学大学院工学系研究科)

の話は紹介したいところだが、息が切れてきた。

当日の様子がすでに Ustream でアップされたようなので、

エネ・シフの HP  でご確認いただければ、有り難いです。

自分は恥ずかしくて見れないけど。。。

 



2012年2月 5日

点から面へ進もう -福島会議(Ⅱ)

 

寒い寒いと言っているうちに、暦は立春に入っていた。

春に向けて、急がなければならない。

2月1日、福島県生産者会議のレポートを続けます。

 

ジェイラップ(稲田稲作研究会、福島県須賀川市) の報告。 

この日、伊藤俊彦代表は農水省に呼ばれて欠席となり、

報告するのは常松義彰さん。

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ジェイラップの取り組みについてはこれまで何度か書いてきたが

(直近では昨年 12月25日 の日記参照)、

改めて 「田んぼ341枚のデータベース」 の価値を実感させられる。

 

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全ほ場にわたって、土と米との相関関係を測定したことによって、 

地形や水系との関係、耕作放棄地との関係なども見えてきて、

地域全体の対策の方向性まで示唆するものになった。

須賀川市、いや福島県にとっても貴重な先駆的データになるはずだ。

水田内での放射性物質の動態も調べ、今年の対策もほぼ固めた。

すでに土の反転耕起の作業に入っている。

 

ジェイラップの取り組みをずっとフォローしてくれたのが、河田昌東(まさはる) さん。

元名古屋大学教授で、現在 「チェルノブイリ救援・中部」理事。

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河田さんは、ジェイラップをサポートしただけでなく、相馬でも詳細なデータを取ってきた。

それらの結果から、地勢をよく見て対策を取る必要があることを説いた。

民間の力で進めてきたデータ蓄積と対策の共有が、大きな力になることを

期待を込めて語ってくれた。

 

佐藤守さん、野中昌法さん、河田昌東さんを助言者として、

参加された生産者グループごとに取り組み報告を行ない、

また疑問点などを提出してもらう。

 

福島わかば会は畑を12区に分け、

薬師(モンモリロナイト系の土壌改良材、有機JAS適合資材)、コフナ、ぼかし肥料、

地枸有機エキス(麦焼酎のもろみ副産物、有機JAS適合資材)、

硫酸カリなどの各種組み合わせによる試験を実施した。

結果は間もなく見えてくる。

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。

                                     (以下、写真撮影=市川泰仙)

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こちらには法政大学のグループがデータ取りで協力している。

 

やまろく米出荷協議会からは、佐藤正夫さん。

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佐藤さんが採用したのはソフトシリカ (これもモンモリロナイト系の粘土鉱物)。

これを水田の水口に置くよう指導したところ、施した田んぼはセシウム濃度が低く出た。

今年はさらに徹底してより安全性を高めていくことを総会で確認し合ったとのことである。

 

いわき市から参加された福島有機倶楽部の阿部拓(ひらく) さん。

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地震、津波、原発事故による放射能汚染・・・未曽有の災禍に見舞われ、

当地を去った仲間もいる。

しかし阿部さんは息子さんとともに 「農業を続ける」 意思を捨てない。

ハウス栽培で、野菜からの放射性物質の検出は殆どなかったのだが、

放射性物質が大地に降ったことには変わらない。

菌の利用や除染作物の活用など、阿部さんの試行錯誤は続いている。

 

質問に応える佐藤さん、野中さん。

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質疑応答は、時間を大幅に超過して終了。

成果や課題をがっちりと共有して全体の対策を強化するには、

一回の会議では足りない感が残った。

情報のネットワークを強化して、" 点から面へ " と進まなければならない。

 

春から取り組んでいる 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 には、

今も粘り強い支持が寄せられている。

これまで会員から寄せられた応援メッセージを冊子に綴じて、

生産者たちにお渡しした。

 

「地震が起きた日から3カ月が過ぎました。

 被災地におられる皆さんの心と体の疲れのことを考えると、とても胸が痛みます。

 少ししか手助けすることはできないのですが、" がんばろうセット "  を食べて

 心をつなげていきたいです。 少しずつ皆さんの置かれている状況が良くなりますよう

 願っています。 体調を崩さぬようご自愛ください。」

「この時期、私と夫はわかば会のきゅうりとトマトなしには過ごせません。

 暑い中ですが、よろしくお願いします。」

「いつも美味しい野菜を有り難うございます。

 皆さんがずっと農業を続けていけるよう、応援しながらおいしくいただいています。

 皆さんに支えられて、私たちの食生活は充実したものになってます。」

「新年おめでとうございます。

 今年は穏やかな年になりますよう祈っております。

 がんばろうセットがある限り続けてゆきますので、皆さんもお体大切に。」

・・・・・・・・・・

こんな言葉が続いている。

 

ゆっくりと読みながらページをめくっている生産者の姿は、

それだけで胸に迫ってくるものがあって、

この苦難が喜びに変わるまで負けるわけにはいかない、

何としても最短で走りたい、と思う。

希望の春を迎えるためにも。

 



2012年2月 4日

点から面へ進もう! -福島会議

 

さて、2月1日、福島で生産者との会議を行なってきたので、

その報告を。

 

例年、1月に入ると関東から東北1都7県、8ヵ所で生産者との新年会が開かれる。

農産の仕入部署では  " 死のロード "  と呼ばれる産地行脚である。

昨年までは僕も農産グループ長として、

やんごとない業務以外は体の続く限り回ったものだが、

今年は立場も変わり、また火急の課題山積ということもあって、

1月はパスさせていただいた。

 

しかし福島に限っては、このタイミングでやらなければならないことがあった。

昨年から各産地で取り組んだ放射能対策の成果や課題を共有し、

連携を強化して、より効率的な対策を各産地で目指すことを確認したい。

僕の中で今年のテーマは決まっている。 " 点から面へ "  だ。

しかもこれは、大地を守る会の生産者だけの話では終わらせない。

美しい福島を取り戻すための牽引的な役割も果たそうではないか。

 - そんなわけで、昼間はそのための会議に設定させていただいた。

 

場所は、福島市・穴原温泉。 

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発表者は3名、加えて2名の専門家を助言者として招いた。

 

まずは福島県農業総合センター果樹研究所、佐藤守専門研究員。

本来は果樹の育種 (品種改良) が専門なのだが、

昨年3.11以降、除染問題は 「お前がやれ」 と言われて、猛勉強した。

「人生でこんなに働いたことはない」 と言う。

 

たしかな科学的知見の少ないなかで、現場調査や比較試験を蓄積しながら、

現場で使える除染対策に取り組んできた。

「納得できない情報や指令には従わない」 と言い切る。

これまでの行政からの対策指導に対しても、歯に衣着せず批評する。

昨年の3月12日、研究所の果樹園から 「屋内に戻るよう」 に指示された際も、

「公務員に避難しろというなら、先に住民に知らせるべきだ」 と言い放ったらしい。

それは小気味良いのだが、職場内の立場がとても心配になる。

「はい。 変人扱いです」 と表情も変えず言う。

(こんなこと書いちゃっていいのだろうか・・・いや心配だ。)

 

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土壌中の放射性物質の垂直分布、水平分布、経時的推移など、

果樹園地での様々な調査や試験で見えてきた汚染状況と除染対策は、

まだ仮説や私見の枠とことわりつつも、

ある程度の確信を持って具体的な方法論を示唆された。

生産者を前に 「いつでも連絡してくれていい」 と伝える姿勢も嬉しい。

 

次に、二つの生産現場から報告をいただく。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 から、佐藤佐市さん。

 

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東和地区での取り組み-「災害復興プログラム」 は

ホームページでも概要が出ているので、そちらをご覧いただければと思う。

  http://www.touwanosato.net/kyougikai.html

 

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新潟大学や茨城大学などの支援を得て、

4つの水源と山林2400ヵ所の放射能調査を行ない、

農地では100mメッシュでのデジタル・マップを作成した。

じいちゃんやばあちゃんの野菜を子や孫に食べさせたいの一心で

測定を行ない、情報を公開してきた。

その上で、道の駅では、地元産の野菜を優先する、を貫徹してきた。

課題は、田畑の線量別対策、そして 「心の除染」 だと語る。

「土を剥ぐなんて、可哀想でできない」 の言葉が切ない。

 

佐藤さんが紹介された若者、アリマ・タカフミさん。 

東和で農業研修を続けて、いざ独立という段になって3.11に見舞われた。

 

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相当な悩みもあっただろうが、ここで就農すると決意してくれた。

佐市さんたちにとっては、その存在自体が希望だったかもしれない。

 

生産者の報告をフォローする形で専門家に登場いただく。

それが今回の手法である。

お呼びしたのは東和での取り組みをサポートした

新潟大学教授・野中昌法(まさのり) さん。

 

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野中さんは、「除染という言葉はもう使う必要はないんじゃないか」 と言う。

耕しながら対策を打っていくことだと。

農の営みを継続することで放射能に打ち勝つことができる。

キーとなるのは、粘土と腐植。 つまり総合的土づくりだ。

まだ時間がかかることだが、この裏づけをしっかり獲得できれば、

有機農業の確実な前進にもつながると思う。

 

次は須賀川・ジェイラップの番なのだが、

例によって 「続く」 で、すみません。

 



2011年12月27日

大地を守る会の皆様へ

 

福島県須賀川市・ジェイラップ(稲田稲作研究会) 代表、伊藤俊彦さんから

手紙を託されました。

大地を守る会の会員の皆様へのメッセージです。

ここで紹介するのが適切かどうか悩むところですが、

この苦難の年を越す前にお伝えしたく、転載させていただきます。

 

大地を守る会のみなさまへ。

 

311日、あの忌まわしい大震災と原発事故から9カ月が過ぎます。

 

「ここから逃げる。逃げない。」

「この野菜を食べる。食べない。」

「窓を開ける。開けない。」

「洗濯物を外に干す。干さない。」

「孫たちと外で遊ぶ。遊ばない。」

 こんな日がどれほど続いたことでしょうか。

 

当初は成す術もなく、何から手を付けて良いものやら

戸惑うばかりの日々でしたが、

みなさまからの心のこもったご好意や

力強いメッセ-ジを頂戴する度に、勇気づけられ、励まされ、

一歩ずつですが前に向かって進む気力を取り戻すことができました。

 

「外部被曝・内部被曝」「ベクレル・シ-ベルト」

聞きなれない言葉が連日周囲を飛び交う中で、

「ガンマ線測定器」という、大変高価な機材を

意の一番に貸し出していただきましたこと。

 

特に今年の「収穫祭」は、

わたしたちから希望を失わせまいとするみなさまのご厚情に接し、

記憶に残る大きな感動をいただきましたこと。

 

「備蓄米 大地恵穂」の受注に奔走いただきましたこと。

 

救援物資や過分な義援金まで頂戴しましたこと。

 

度々みなさまに当地をご訪問いただくなど、

何度も勇気づけていただきましたこと。

 

恵まれすぎるほどの復興環境を

あらゆる分野でご提供していただきました。

 

おかげさまで、

「放射能による健康被害から家族や子供たちを守り抜こう」

を合言葉に、効率的な学びと実践の両立を重ねることができました。

 

手探りの、小さくとも着実な実践の成果は、

97ha341枚の田んぼから収獲された「大地恵穂」に、

近未来への希望に繋がる想定以上の好結果を残すことができました。

 

今年、幾多の苦難を乗り越えて育った「大地恵穂」は、

自らの家族にも幼い子供たちにも疑心すること無く食べさせられる

安全な米となりました。

 

「大地恵穂」は、ご存じの通り大地を守る会の紙面やDM

17年前からご紹介いただいてきたお米です。

本来は、「安心・安全・高食味」を不変のテ-マとしてきた

アイテムです。

 

この国難とも言うべき有事下で、

それぞれのご事情もあろうと言うのに、

暖かく見守り続けていただいたみなさまに、

今期の稲作に込めた復興への想いを乗せてお届けさせていただきます。

 

学び、そして実践することで身に着いた新たな知見は、

今後のわたしたちの新たな能力となり、

農産物を通して表現されていくものと確信しています。

これも一重に、

大地を守る会のみなさまの深いご厚情に支えられての結果であると、

その意義の深さを真摯に受け止めております。

 

数々のご厚情や過分なご支援を賜りながら、

甘えるばかりで満足なご挨拶もできないままに

9カ月もの時間が経ってしまいました。本当に恐縮です。

 

顔を上げて前に向かう気にさせていただきましたこと。

本当に、本当にありがとうございました。

あらためまして、

下名以下、生産者ならびに社員そしてその家族に代わり、

心からの感謝の意をお伝え申し上げます。

 

「やれば出来る」を実践した縁起米になったと確信します。

 

共にこの実りを祝っていただければ幸いです。

 

             201112月 吉日             

            (株)ジェイラップ

            代表 伊藤俊彦 

 

伊藤さん。 有難うございました。

私たち社員一同も、このつながりの意味を深くかみしめ、

希望のステップへの励みとさせていただきたいと思います。

 



2011年12月25日

復興から生まれるイノベーション

 

12月19日(月)、栃木・那須塩原から福島・須賀川に北上して、

ジェイラップでの勉強会に参加する。

 

ジェイラップで取り組んだ放射能対策と測定結果から、たくさんのことが  " 見えてきた " 。

その成果を共有し、次の課題を確かめ合う。

稲田稲作研究会のメンバーだけでなく、

近隣農家や関係者にも呼びかけて開かれた。 

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まずは、ジェイラップの対策をずっとフォローしてくれた

「チェルノブイリ救援中部」 理事の河田昌東さんからのお話。 

 

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河田さんはウクライナでの除染対策の経験や、

福島県内各地での調査・実験を踏まえ、汚染土壌対策のポイントを解説する。

 

  まず、広大な田畑での表土剥離は現実的には困難であろうが、

  果樹園では下草を剥ぐだけでも違う。 剥いだ後にはクローバーの種を播く。

  それだけでも空間線量は5分の1から6分の1に減少する。

  反転耕は、農作物にセシウムを移行(吸収) させないためには有効。

  他に微細土壌粒子の除去、バイオレメディエーションという方法がある。

  施肥関係での汚染抑制対策では、

  ・カリウム肥料をやる。

  ・カルシウムはストロンチウム90対策になる。 土壌PHを上げる効果もある。

  ・腐葉土はセシウムを吸収する有機物を豊富にさせる。

  ・窒素肥料は吸収を促進してしまうので要注意。

   (逆に除去作物を植えた時には有効ということでもある)

 

  セシウム137の作物への蓄積では、

  ナス科(ナス・トマトなど)、ウリ科(キュウリなど)、ネギ類には蓄積が少ない。

  アブラナ科は高くなる。

  栄養素としてのカリウムが高い(カリウム吸収力が強い) 作物は高くなるが、

  土質にも左右されるので、正しく知るためにも、たくさんの土壌データの収集が必要である。

 

  この間出てしまった福島県内での高濃度汚染米は、

  もっと精密な予備調査をやっていれば防げたことだ。

  事実を知ることを怖れると、結果的にもっと悪い事態を生んでしまう。

  分かってきていることは、地形と土質。

  山の水が直接入る田んぼ、砂質土壌、土のカリウム濃度が低い田んぼ、

  水のアンモニウム濃度が高い所、など。

  山の水を取り入れている田んぼなら水口にゼオライトを施すなど、

  水田の環境を考えて対策を打つことが肝要である。

 

  ウクライナのバイオレメディエーション実験では、

  ナタネで放射能を吸収させ、子実から油を搾ってバイオディーゼルとして使う。

  残ったバイオマスは地下タンクを作ってメタン発酵させ、バイオガスとして活用する。

  最後の廃液 (ここに放射性物質は凝縮されてくる) は吸着剤を使ってろ過して

  液肥として再利用し、最後の吸着剤は低レベル廃棄物として処分場で保管する。

 

  残念ながら、ナタネでの吸収能は高くはなく、短期的な浄化は期待できない。

  しかし裏作で栽培した作物 (麦類や蕎麦など) の汚染を防ぐ効果がある。

  ナタネは連作できない作物だが、逆に、

  ナタネ - 通常作物(小麦など) - トマトなど汚染しにくい作物 - ナタネ、

  といった連作を組めば、除染 (食物への汚染防止) +エネルギー生産の体系が形成できる。

 

昨日の稲葉さんの話といい、今私たちが取り組もうとしていることは

単純な 「汚染対策」 ではなく、「復興」 プロジェクトなのだと思うのである。

これも復興から生まれるひとつのイノベーションだ。

 

続いて、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんからの報告。 

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341ほ場、約100ヘクタールの田んぼでの対策の実践とデータ取り。

一地域でこれだけのことをやった事例はない。

結果は、見事なものだ。

カリウムの効果が確かめられただけでなく、

伊藤さんはスウェーデンのデータまで引っ張ってきて、

森林への K(カリウム) 施肥の有効性まで説きだした。

「 森林へのK施肥は、植物および菌類への放射性 Cs 蓄積を低減するために

 適切かつ有効な長期的措置であることを示唆している。」

 

また、耕起、代掻き、田植えと通常作業を行なった水田土壌の

深度別の放射性物質の分布を調べ、いくつかの考察が示された。

それは来年の代掻き時での実験に応用される。

 

綿密な汚染データ・マップからも、次年度の対策が検証されている。

これはジェイラップ・稲作研究会だけのものでなく、

地域全体にとっての貴重な道しるべだ。

取り組んだ対策を、すべてデータとして残していくことで、さらに仮説が検証され、

しっかりとした放射能対策技術が築かれてゆく。

農水省の方へ。

税金食いながら、「注目してます」 とか言ってる場合じゃないだろ。

支援の方法を考えてもらいたい。

国と地方自治体と民間の連携を、もっと強化できないものか、と思うのだ。

 

各種のゼオライト資材を前に意見交換する河田さんと伊藤さん。

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脇でカメラを回しているのは、NHKさん。

収穫祭のときとまた違ったチームがやってきている。

 

測定室も見学する取材班。 

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集められた玄米サンプル。 

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現在、測定器は2台になった。 

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右の「 do 」シールが大地を守る会から、

そして左がカタログハウスさんからの提供 (貸し出し) 。

仲良く並んで、測定をバックアップしている。

データ取りは、まだまだ続くのである。

 

 

なお、大地を守る会のホームページでも、

この間の取り組みや伊藤さんからのメッセージがアップされていますので、

ぜひご参照ください。

 http://www.daichi-m.co.jp/info/news/2011/1107_3251.html 

 

機関誌 「NEWS だいちをまもる」 12月号もよかったら。

 http://www.daichi-m.co.jp/blog/report/pdf/1112.pdf

 

また、ウクライナでの取り組みについて詳しく知りたい方は、

『チェルノブイリの菜の花畑から ~放射能汚染下の地域振興~』

(河田昌東・藤井絢子編著、創森社刊、本体価格1,600円)

がおススメです。

福島原発事故を受けての解説もあり、

巻末に挿入された 「チェルノブイリから福島へのメッセージ」 からは、

国際連帯の大切さが伝わってきます。

 



2011年11月18日

さんぶ野菜ネットワーク、新センター建設

 

千葉・海浜幕張、通勤途中にある隠れ小路の風景。

冬に向かう時節、枯葉はいろんな情感を誘い出してくれるけど、

今年の落葉はなんだか我々の罪を抱いて落ちてくるようで、

陰鬱とした心境にさせられる。

 

放射能汚染にTPP・・・

こんな厳しい環境の中でも、敢然と船出する人たちはいる。

千葉・さんぶ野菜ネットワークが新しい集出荷貯蔵施設を完成させ、

昨日はめでたい落成式が催された。 

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当時の山武農協・睦岡園芸部に有機部会が発足したのが1988年。

2005年に販売部門として独立し、「農事組合法人 さんぶ野菜ネットワーク」 を設立。

そしてついに自前のセンターを完成させた。 

国の 「食糧自給率向上・産地再生緊急対策事業」 からの助成があったとはいえ、

約50人のメンバーも出資し合って、借金を背負ってのスタートだ。

 

挨拶する代表理事・富谷亜喜博さん (大地を守る会CSR推進委員でもある)。

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以下、富谷さんの挨拶から-

 

  1988年に、農薬や化学肥料に頼らない農業を実践しようと有機部会が発足して、

  早いもので23年。

  ますます悪化する経済状況のなかで、少しでも前に進むために、

  集出荷貯蔵施設を持ち自立することにしました。

 

  生産者と事務局が一体となり、出荷作業の軽減や貯蔵施設を利用した安定供給を

  目指すことにより、取引先との信頼関係をさらに深め、

  また新たな取り組みにもチャレンジしていきたい。 

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  本年は、東日本大震災・福島第1原発事故、また相次ぐ台風による被害など、

  未曽有の災害が続いた年となりました。

  放射能問題は風評被害を呼び、私たちの産地にも大きな打撃となりました。

  信頼回復には農産物の検査結果を開示し、時間をかけて取り組んでいくことになります。

 

  また日本政府は今月11日にTPPへの交渉参加を表明しました。

  農業は計り知れない打撃を被ることが懸念されます。

  私たち自身が大きく農業の変革に取り組まなければなりません。

 

  農業従事者の平均年齢は66歳になり、耕作を断念せざるをえない農家が増えています。

  今後、この緑豊かな日本は誰によって守られるのでしょうか。

  世界の人口が70億人を超え、食料不足が懸念されるなか、

  農業者の果たす役割はますます大きくなると思われます。

 

  この地に生まれ育った農業者と、農業に未来を感じて集まった新規の就農者が

  ともに刺激し合い、発足当初からの 「いのちのたべもの」 という合言葉と

  顔の見える関係・ネットワーク(つながり)を大切にして、

  「魅力ある農業」 の実現に、新集出荷貯蔵施設を基点に進んでいきたいと思います。

 

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振り返れば、このセンター建設を総会で諮ったのが、あの3.11の日。

成田のホテルで、まさにこの議案の審議中に揺れ始めたのだった。

シャンデリアが大揺れする中、それでも決議まで進もうとしていたよね。

「私たちの意思が揺れてはいかん、という大地の怒りでしょうか」

(でしたっけ・・) と言った富谷さんの発言を、

うまいこと言うなぁ~ とか思いながら机の下に潜ろうとしたのを覚えている。

 

結局総会は中止となり、後日設定された臨時総会で可決された。

4月27日に着工し、10月25日に工事完了・引き渡しとなった。

いわくつきの集出荷センター。 組合員の方々も感慨深いものがあるだろう。

 

式典のあとは、祝宴。

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奥さんたちのグループ 「さんさんママさん」 たちが、

さんぶの野菜でこしらえた手料理がふんだんに振る舞われた。 

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どれも美味しかったです。 持って帰りたかったです。

 ご馳走様でした。

 

当日パンフレットに抜粋された ≪23年の歩み≫ を見れば、

ホント、ウチもよく付き合ったと思う。

1988年12月 無農薬有機部会 設立総会 -部会員28名-

1989年 5月 「大地」への野菜出荷開始 -雲地幸夫氏のチンゲン菜-

  (当時広報だった僕は、雑誌 『クロワッサン』 の記者を、雲地さんの畑にお連れした。)

 同年   11月 大地を守る会との収穫交流会

1990年 1月 大地を守る会 「東京集会」 参加。

 同年   5月 第1回・大地を守る会 「稲作体験」。

                       - 稲作体験も今年で22回(年) を数えるまでになった。

   ・・・・

   ・・・・

 

3年前からは、農業の担い手育成を目指し、新規就農者の受け入れを

積極的に進めてきた。

この間、15人が新規組合員となり、6名の研修生が就農を目標に頑張っている。

 

事務局の人たちの表情も晴れやかだ。

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挨拶しているのは福島・熱塩加納村出身の花見博州さん。

ちなみに、花見さんのお父さんは、

熱塩加納村で地元産野菜を使った学校給食を始めようとした際に、

最初に手を上げた農民である。

 

歩んできた歴史を振り返り、亡くなられた先達の名前も出たりして、

" 鬼の下山 " 常勤理事も感無量か、こんな一瞬も。 

怒られるかもしれないけど、、、アップしちゃお。

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山武の皆さま、おめでとうございます。

皆さんの挑戦に、腹の底から敬意を表します。

苦難の道になるかもしれませんが、未来への道しるべをつけるべく、

ともに頑張りましょう!!!

 



2011年11月 5日

米と塩と、酒 -原発を止めた町から

 

二つのシンポジウムの報告を約束したのだけど、

ベトナムに飛ぶ前にどうしても書いておきたいことが、もう一つ。

 

10月6日付の日記に書いた一節。

  3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

  「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

  まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

  20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

  15年ぶりの表敬訪問。

 

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僕がこの任務を受けるにあたって、自分に言い聞かせたのは

 「希望を示せなければ、全うしたことにはならない」 ということだ。

その意味で、この先駆者を訪ねることは恩師への報告のようなものだったのだけど、

それ以上に、ここは何より、先進地なのである。

 

この間しつこいくらいに 「備蓄米」 産地 (稲田稲作研究会とジェイラップ) の

取り組みを書いてきたけど、僕にとっての先駆的モデルは、ここにある。

 

僕と島岡さんとのお付き合いの発端は、原発ではない。

減反政策とのたたかいだった。

米が余っているからと言って、なぜ国から減反を強制させられなければならないのか。

生産調整などというものは、民の力 (主体性) に任せるべきだ。

それぞれの地域づくりと結びつきながら。

減反政策の失敗は、滋賀県の面積相当分の耕作放棄地が示している。

地球人口70億に突入した今日、耕地を荒らす国など、ありえない。

制度を強制しておいて、

荒らしたのは 「公」 じゃなく 「民」 だ、という政治家や官僚が、僕は大嫌いだ。

言っとくけど、社会科学徒の前では通用しないからね。

 

島岡幹夫にとっては、原発も減反もいらん、この町はワシらの手で作らせてよ、

ということだったんだと思う。

 

10月4日、秋晴れの日本列島を飛んだ。

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あとは、

採用いただいた  " 原発を止めた男たちが対案で示したアイテム "  3品

の同時販売にあたって、営業サイドに投げた粗原稿ですませたい。

 

原発を止めた町から生まれた、米、塩、酒、のコラボに挑戦してみました。

会員の皆様には、メニュー148で同時投入です。

会員外の方は、ウェブサイトで購入できます (近々登場)。

コンセプトは、「原発止めても、楽しう生きとりますきに!」 って感じか。

 


原発を止めて23年、

美しいふる里づくりは今も続いています。

 

高知県窪川町(現四万十町) で、

無農薬での米作りに励む島岡幹夫さんのヒノヒカリをお届けします。

 

島岡さんは1980年代、

町の原発誘致計画を8年かけて止めたリーダー。

 

原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、

いったんは対立した農家も巻き込みながら有機農業の仲間を増やし、

耕作放棄された棚田の再生や森林保全そして自然エネルギーの創造と、

島岡さんの  " どこよりも美しいふる里づくり "  への挑戦は

尽きることなく今も続いています。

 

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   島岡さんたちは今、耕作放棄された棚田を開墾し直している。

   この上の山林も手入れして、子どもたちの体験と憩いの森にしたい、と語る。

   「ワシらの世代がやれることは、そんなことやろ、エビスダニ君。」

   

タイの農民自立のための支援活動も長く続けていて、

タイ北部のタラート村で 「島岡農業塾」 を開き、

私財を投じて3つ目の池を完成させました。

村の人々は 「島岡基金」 として大切に運営しています。

 

「原発に頼らんでも暮らしは守れる!」

 -信念の男・島岡幹夫が育てた  " 未来への懸け橋 " 

のようなお米です。

 

限定70俵。 ぜひ食べて応援してください!

  

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   写真左は、二日間案内してくれた 「高生連」 代表・松林直行さん。

   佐賀県出身ながら、高知大学時代に学生運動と原発問題に立ち会うこととなって、

   この地に根を生やす羽目になってしまった (と僕は解釈している)。

    

   島岡幹夫・愛直(まさなお) 親子と一緒に、次にに向かったのは

   旧大正町にある、無手無冠 (むてむか) 酒造さん。

 

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   社長の山本彰宏さんは酔狂な人で、

   店をたたんだ銀行の支店を買い取って、こんなふうにしてしまった。

 

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   四万十川焼酎銀行・・・

   口座を開こうか、とも思ったが先が不安なのでやめた。

   

   店内の中で、山本彰宏・頭取! を囲んで島岡親子。

   う~ん、絵としてはどうも・・・ 使えないね。

 

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   しかし、山本社長には、こっぴどくやれれた。

   「3.11のあと、大地はもっとやってくれると思うとったけど、なんかイマイチや。

   もっとガーンとやってくれ!」

   人の苦労も知らんと・・・ 高知のクソ親父め。 くやしい。。。

   普段は饒舌な島岡さんが、ただニヤニヤと笑っている。

   以下、宣伝の原稿より。

 

「美しいふる里づくり」 を陰で支える

四万十純米酒

 

高知県窪川町(現四万十町) の島岡幹夫さんが育てた

無農薬米を原料とした、大地を守る会オリジナルの純米酒です。

「その土地の匂いがする酒を醸したい」 をモットーに、

どっしりとした濃醇タイプに仕上がっています。

 

社名の 「無手無冠(むてむか) 酒造」 は、

一切の混ぜものをしない(「無添加」 から) というポリシーを表わしています。

 

島岡さんとのお付き合いの中から生まれた、

無農薬栽培を支え、「美しい里づくりに貢献する」 日本酒。

 

 

 

   続いて、山間部の大正町から一気に下り、太平洋を望む黒潮町へ。

 

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土佐の海を守らんと生まれた天日・手揉み塩

「美味海(うまみ)」

 

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  ( 地元の杉を使った手づくりのかん水設備。

   海水を何度も循環させ、海水の6倍まで濃縮させます。)

 

土佐・黒潮町の浜から汲んだ海水を、太陽と風が濃縮させてゆく。

それを手で優しく揉み、音楽を聴かせ、じっくりと結晶させることで、

塩が 「美味海(うまみ)」 になりました。

 

 

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自然エネルギーの力を最大限に生かして、

ひと粒ひと粒に微量元素(ミネラル) が凝縮された、いのちの母なる塩。

 

窪川町の原発誘致計画に対して、

「自然豊かな土佐湾には、原発ではなく、天日塩のタワーを!」

という対案によって生まれた塩づくりも、

今では天日塩を振りかけただけの鰹のタタキが静かなブームになるなど、

高知県自慢の特産品へと成長しました。

 

まろやかで甘味を感じるお塩。素材の味を引き立たせてくれます。

おにぎりに、天ぷらや刺身のつけ塩に、焼き魚に、他なんでもOK

 

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「海工房(かいこうぼう)」 代表の西隈隆則さん。

1982年「生命と塩の会」設立より、

土佐の黒潮とともに生きてきました。

 

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今宵は龍馬になった気分で、

南国土佐の  " どこよりも美しい里 "  にかける男たちと

黒潮に思いを馳せながら、

MSC認証・一本釣りカツオに美味海の塩をふって、一献。

-は、いかがでしょう。

ニッポンを洗濯しちゃりたく候。

 

   原発なんかないほうが、豊かになる。

   自立心と創造力が、未来を建設する!

   以上、提案でした。

 

   では、いざベトナムへ-

   戻りは11日・・・の予定です。

 



2011年11月 2日

この土地は俺たちが守る!

 

10月30日の朝日新聞主催シンポジウムに続いて、

31日(月) は、食と農の再生会議主催 「福島第1原発事故を考える国民集会」 に参加。

場所は永田町にある憲政記念会館。

ともにちゃんと報告したいと思うが、要点を整理するのは少々骨が折れる。

その前に一報が入ったので、お知らせを。

 

11月8日(火) 午後7時半~ NHK 「クローズアップ現代」 にて

「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である

稲田稲作研究会およびジェイラップの取り組みが放送されます。

 

  自分の土地は自分で守る~ 

  農地の除染に福島の農家たちが立ち上がった。

  ~ 浮かび上がる真実。 農家たちの格闘のリポート。 -だと。 カッコいいぞ!

 

10月1日の収穫祭の模様もしっかり撮影されていたので、

少しは流れるのではないかと期待しています。

 

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ただ、僕は残念ながらこの日に見ることができない。

6日から11日まで、ベトナムに行っちゃうんだよね。

いや別に、原発輸出反対とか、貿易交渉に行くわけではありません。

春から頼まれていた仕事で、

ベトナム北部で農民の自立と農村開発の支援活動を行なっているNPOから、

有機農業で暮らしを立て直してゆくために都市(ハノイ)の消費者とどうつながるか、

日本で取り組まれてきた有機農業の事例を農民たちに伝えてほしい、

という話です。

 

3つの村を回って、ワークショップが計画されている。

行政 (郡の人民委員会) や他の国から来られた方々との会議もあるようだ。

 

超大国アメリカに蟻のようなたたかいで立ち向かった国。

枯葉剤を浴びながら数百キロに及ぶ地下トンネルで対抗した農民たち。

少年・エビちゃんに強い衝撃を与えた多民族国家 -ベトナム。

最後の日に時間が許されるなら、ホーチミン廟の前に立ってみたい。

歴史に残る偉人の中で尊敬する人物はたくさんいるが、

政治的指導者でのビッグ3は、ガンジー・ホーチミン・周恩来・・・かな。

 

もし帰ってこれなかったら、

エビスダニは、ベトナムの大地で有機農業運動に殉じた、ということにしてほしい。

退職金は? ...... ほしいに決まってるだろ。

 

伊藤俊彦がカッコよく映っていることを期待しつつ、

さて、ベトナムに発つ前に、どこまで書けるか。

 

<P.S.>

「備蓄米」 は予約・登録制ですが、

ネット(ウェブストア) では、稲田米が購入できるキャンペーンを計画中です。

大地を守る会のホームページ でご確認ください。

 



2011年10月15日

たくさんの希望のメッセージに感謝です。

 

さて、続きを急がなければ。

もたもたしている間に、伊藤俊彦さんから連絡が入る。

ようやっと新米検査の半分が終わったと。

稲田稲作研究会の田んぼ400枚全部、面積にして120ヘクタール分という

膨大なデータが、今この時間にも蓄積されていってる。

しかも玄米-白米-ご飯(炊いた状態) の比較までやろうというのだ。

 

結果は197件中186件がND (不検出=検出限界値10ベクレル)。

20ベクレル越えはないと。 自治体発表ならすべてNDだ。

「エビちゃん! 稲作研究会は、ホントに頑張ったよ!」

早期に100町歩(≒ ヘクタール) を超す田んぼにカリウムを散布した成果が

はっきりと現われてきた。

測定担当の小林章さんがやせ細ってないか気になるところですが・・・

 

この笑顔がいつまでも絶えない世界を、残したい。

それが僕らに課せられた義務だから。

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最終結果まで、もう少しだね。

頑張りましょう。

 


収穫祭では、皆さんから頂戴したメッセージを模造紙に貼り付けて

お渡しした。

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生産者にカメラを向ければ、目頭を押さえる関根政一親分(専務) が・・・

 

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励ましてくれ、感謝の言葉までもらって・・・

緊張と不安の7ヶ月を生きてきて、ここまで来れたという

喜びと少しの安堵が伝わってくる。

 

事前に送られてきたメッセージも温かいものばかりで、

読み切れない。

  

  いつも美味しいお米をありがとうございます。

  備蓄米開始から毎年お願いしております。

  在職中はずーっとお弁当でした。 冷めても美味しいご飯に、毎日やる気を頂きました。

  (食べ終わって満足の表情を浮かべると、いつも同僚に笑われておりました。)

  私は足が不自由ですので、どうしても自分でできない作業などを、

  若手の同僚や男子に代行してもらった折、彼らは

  「感謝の気持ちは、弁当がよい」 と、美味しいご飯で、気持ちよく実行してくれました。

  夫の友人は、泊まった翌日の朝食のご飯を楽しみにしております。

  あれもこれも、お米を作ってくださる方々のお陰でした。

  ありがとうございます。 いろいろ大変でしょうが、くれぐれもご自愛ください。

 

  今年は備蓄米を申し込むかどうしようかと迷いました。

  結局、体に良い食べものに取り組んでいる大地を信頼して例年通り申し込みました。

  生産者の皆様方の怒りはよくわかります。

  国は方向も決まらず、おたおたしているだけです。

  経済的には大変でしょうが、自立するのが一番です。

  これからも検査結果を公表して、消費者の信頼を得てください。

  結果が残念な数値であっても、公表することで先の生産、販売につながりますから。

  今まで通りのお付き合いを長く続けていきたいです。

  野菜、果物はできるだけ福島産のを買っております。

  何が入っているか信用できない外国産はいけません。

  安いからと飛びつくのは、そろそろ止めたほうがいいですね。

 

  稲作研究会の皆さま

  我が家では備蓄米の精度ができて以来、その趣旨に賛同して毎年登録しています。

  安心でおいしいお米が毎日いただけることに感謝しています。

  登録時期が例年より遅く心配していましたが、この制度が続行されるなら、

  生産者の皆さんを信じ、申し込むと決めていました。

  その後、TVで皆さんの取り組みが報道され、

  やっぱり頑張っていられるのだと感銘を受けました。

  ありがとうございました。

 

全部紹介できないのがつらいけど、リーフレットにして何部か印刷して、

生産者にお渡ししたことを報告しておきます。

参加された方々の声も含めて、メッセージすべてが  " 希望 "  のタネです。

 

最後に挨拶に立った伊藤俊彦さんが、

仲間の労をねぎらった途端に、声を詰まらせた。

「みんな愚痴一つ言わず、朝から晩まで働いてくれて・・・・・」

 

帰り際、息子の大輔くんがぽつりと漏らしてくれた。

「親父の涙を始めて見ました。」

 

本当に涙、涙の収穫祭だった。

苦しい時に、信じ合える人がいることの喜びをかみしめながら、

僕も期待通り、泣きの挨拶になっちゃった。

「生産と消費を信頼でつなぐ、って口で言うほど簡単なことではないけど、

 この仕事をやってきてホントによかった。 とてもシアワセな気持ちで一杯です。」

 

さて、最後にもう一つ-

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭には、こんな方も登場してくれた。

滋賀県近江八幡市に本拠を置き、今や全国的ネットワークに発展した

「菜の花プロジェクトネットワーク」 代表の藤井絢子(あやこ) さん。

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休耕田や転作田を活用してナタネを植えてバイオ燃料を作り、

滋賀県愛東町の公用車を走らせた女傑。

「空いてる田んぼが油田になった」 と話題になった。

2007年からは、チェルノブイリ救援・中部と連携して、

「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」 に取り組んでいる。

この日も、福島の菜の花プロジェクトの支援に訪れていて、

この交流会に合流してくれた。

「ジェイラップの除染活動や、皆様の強い絆に感動しています。」

 

" 希望 "  は素敵な人たちをつないでくれるものなんだね。

 

なお、この日取材に入ったNHKさんですが、

平日夜7:30から放送されている 「クローズアップ現代」 で取り上げてくれる予定です。

放送日は未定ですが、11月のどこか、とのこと。

決まり次第お知らせいたします。 乞うご期待、ということで。

 



2011年10月14日

" 希望の米 " は、ここにある!(続)

 

あれえ・・・あっという間に日が経っていって、焦るなあ。

どうにもブログにたどり着けない、気が急くばかりの

 " 転換期間中・特命担当 "  という快眠不足の日々。

 

枕元で、初代会長・故藤本敏夫さんの懐かしい言葉がフッと降りてくる。

" 言い訳人生におさらばしよう。 "

そうだよね。 言い訳する時間があったら、恥かいたっていいから前に進むのだ。

その向こうに待っている人がいる、この時の意味をかみしめろ、馬鹿者!

 

2011年10月1日(土)、稲田稲作研究会 (ジェイラップ) との

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭レポートを続けます。

 

この仕事をやって間もなく29年。

こんなシアワセな気持ちになったことがあっただろうか。

回を重ねるごとに達成感は強くなっていたけど、

今年の感激は、状況が状況だけに、ひとしお感がある。

 

ひと通りの見学を終えた後に、楽しい楽しい交流会へと場が移って、

とても温かい時間になった。

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おいしくて、楽しい食がある。

それは自然と人の  " 気 "  が調和した結果だと思う。

加えて信頼できる人がいる。 それは間違いなく生命体の免疫力を高める。

日々目の前に示される ppm や μ (マイクロ) -ともに100万分の1- といった

極小レベルの冷たい数値によって排除したり失わせるわけにはいかない

未来への 「保証システム」 がここにある。 

 

生産者はみんな  " 泣き "  をこらえながらの挨拶だ。

稲田稲作研究会会長・渡辺良勝から-

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来てくれただけで嬉しい・・・ 頑張る、作る責任を果たしてみせる、てな感じで。

(スミマセン。 何言ったか覚えてないけど、印象で。)

不安や悩みと葛藤しながら稲を育ててきたこの半年。

頼みの綱は消費者の応えだった。

今年も作ってよかった、と口に出してしまった瞬間に、込み上げてくるものがある。

 

「私も泣いてます」 とか言いながら、

しっかり挨拶できるのは、意外と女子のほうなんだよね。 

今日のために、前日遅くまで仕込みをやってくれた女性陣を代表して、

伊藤美代子さん。

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彼女たちの支えがあって、この場が出来上がっている。

ありがとうございます。 -なんて感謝の言葉も薄っぺらな気がして、

なんかもっと気の利いた言葉はないのか、

と自問自答する気の利かない男たちは、ただすすり泣いている。

 

参加された会員さん全員に、

今日の感想や日頃の思いや生産者への言葉をいただく。

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生産者たちは自然にハンドマイクの移動に沿って動いている。

一人ひとりの励ましや感謝の言葉が胸を打つ。

 

来れなかった方からのメッセージも続けたい。

 

  皆様の取り組みと努力に、心から感謝しています。

  三人家族で多く注文しては申し訳ないので遠慮していたのですが、

  今年は2口お願いしました (笑)。

  いつにもまして、ありがたくいただきます。

 

  3月、これから何を食べればいいんだろう? と不安に駆られた私でしたが、

  すぐに、これからも大地を守る会を信じていくと決めることができ、

  それからは自分の食べ物に関しては迷いなく暮らしてこられています。

  今まで大地を守る会の食べ物をずっと食べてきて、

  生産者の皆さんと大地を守る会の信頼関係を信じてきたからだと思っていましたが、

  皆さんの除染作業への取り組みの記事を読み、私が決めたのはつまり、

  生産者の方がたを信じるということだったのだなあと思いました。

  それは、生産者の皆さんの手に、命を預けるということでした。

  私たちの命を預かっていることをはっきりとわかってくださっている皆さんの姿勢が、

  逆に私にそれを教えてくれました。

 

参加者のなかに、こんな若者もいた。 兄弟での参加である。

「僕たちがまだ小っちゃかった頃に、合鴨の進水式に来たことがあって、

 今日は17,8年ぶりでしょうか。 参加させてもらいました。」

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合鴨進水式・・・。

1990年、当時の稲作研究会会長・岩崎隆さんが合鴨農法で無農薬栽培に挑んでから、

無農薬栽培を広げ安定させるために、鴨肉を引き取るオーナーを募集した時代があった。 

あの頃、オーナーたちで鴨のヒナを田んぼに放す儀式をやってたんだよね。

お兄ちゃん (写真左) はまだちびっ子で、弟の君はお母さんにおんぶされていた。

そのお兄ちゃんが22歳になって、今日はなんと彼女を連れて参加してくれた。

もうそれだけで涙がちょちょぎれるよ。

僕は一週間ほど前に職員・布施から君たちの参加を知らされて、

古い段ボール箱の中から当時の写真を探し出したんだ。 一枚進呈できてよかった。

 

NHKの取材班が、参加者にインタビューしている。

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何を聞いているのか、どう答えているのか、ちょっと気になるけど、

そこはお任せするしかない。

どうぞ自然にやってください、としか言ってないし。

 

会津・喜多方から、大和川酒造・佐藤典明工場長も、

「種蒔人」や金賞受賞酒を持って参加してくれた。

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今年の原料米(美山錦) は、震災の影響が大きかった須賀川の状態を考慮して、

苗まではジェイラップで育ててから、

喜多方に運んで大和川さんの自社田での栽培をお願いした。

美山錦は早稲米なので、すでに収穫を終え、

ジェイラップに置いた放射能測定器での検査も終了している。

結果はND (不検出=検出限界値以下) 。 よかったです。

 

ごめん。 終わらないね。

ここまでで、とりあえずアップします。

 



2011年10月10日

" 希望の米 " は、ここにある!

 

いやあ、ホント、書けませんね。

なかなかブログに至らない、その前に沈没する日々。

いえ、酒のせいではありません。 酒量はむしろかなり減ってる。

 

抱えたテーマが放射能という未経験領域で、一つ一つの事項に明確な道がない。

最後は、責任を自覚した上での判断とか決断で進むことになる。

きついトレーニングさせられてるなあ、と思うのであります。

加えて継続して引きずっている案件がある。

それがまた、それぞれに重たくて、一つ進捗させるたびにフッとため息ついて、

まっこと肝の小さい人間だなあと実感するのであります。

 

しかし、先送りすればするだけ書けなくなっちゃうし・・・

ゼッタイに抜かすわけにいかない報告も待っている。

細切れに続けることになりそうですが、前に進みます。

 

2011年10月1日。

「今年はやりますか?」 と聞かれて、迷ってしまった自分が恥ずかしい、

と思い改め、実施を決断した 「大地を守る会の備蓄米」 の収穫祭。

やってよかった。 本当に、やってよかったと思う。

 

" これが僕らに与えられた試練なら、立ち向かうしかない "

空いたパンドラの箱から最後に託されたのが  " 希望 "  なら、

絶対に確かなものにしてみせる。 

思いつめてきた半年だった。 それだけに喜びも大きい。

 

募集をすれば、例年以上の参加者が集ってくれた。

マイクロバスを大型バスに切り替えて、全員を受け入れた。

参加いただいた皆様に深く感謝、です。

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 (カメラ隊は、NHKの方々。)

 

参加できなかった方々からも、たくさんのメッセージが寄せられた。

これもまた勇気の素で、嬉しいなんてもんじゃない。

「生産者の前で読もう! でもオレは読まない (泣いちゃう) から」

と早々に宣言。

 

  いつも美味しいお米を作ってくださり、ありがとうございます。

  3月の震災で、本当に悲しい、悔しい思いをされたと思います。

  皆様のお体が一番心配です。

  今回の収穫祭に参加することができませんが、心から応援しています。

  美味しいお米を楽しみにしています。

  心から感謝申し上げます。

 

  毎年美味しくいただいています。

  子どもが二人いるので、正直、今年は注文する時、どうするか迷いました。

  でも、取り組みの姿勢をみて、ご信頼申し上げることにしました。

  子どもたちともYOUTUBEを見て、話をしました。

  ご苦労が多いと思いますが、おからだに無理せず美味しいお米を作ってください。

  楽しみにしています。

 

  成長期の息子ふたりを抱える我が家にとって

  お米は欠かすことのできない大切な食材です。

  毎年お米の袋に書かれている文字を見ながら

  いつも変わらぬ大地の恵みを頂けることに感謝しています。

  たくさんたくさん家族でいただきます。 ありがとうございます。

 

「ずっと食べ続けてくれた皆さんの前で、人智を尽くしたと言えるように、、、

 頑張ってきたつもりです。」

グッと歯を食いしばる伊藤俊彦代表の挨拶と説明の後、

稔った田んぼの前で記念撮影。

「合い言葉は?」 - すかさずジェイラップの関根政一さんが言った。

「希望の米! でいきましょう」

 

よっしゃ。 では、希望の~ 米!

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本当だ。 希望の米が、いま僕の目の前で輝いている。

そしてファインダーからみんなの笑顔が・・・ああ、

我慢してたら鼻水が出てきた。。。 もうダメだ。

 

君たちの笑顔が見たかったよ。 来てくれてありがとう!

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空もさやかに晴れてくれて、

「もっと田んぼにいたい~」

 ・・・生産者には天使の言葉に聞こえたんじゃないだろうか。

 

大地震にも耐えてくれた太陽熱乾燥施設。

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今年も続々と、収穫された米が入り始めた。 

変わらぬ秋の風景のようでいて、違うのは

今年は田んぼごとに放射能検査を行なうという、前代未聞の挑戦をしていることだ。

その数 400枚。 面積にして120ヘクタール分のサンプル。

それぞれにモミ-玄米-白米、と検査する。

どこにもないデータの集積が、福島の一角で進んでいる。

 

地震で大きな損壊を受けた精米ライン。

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これを1週間で復旧させた。

「あのパニックの最中に、メンテナンス会社の連中が呼ぶ前に来てくれて、

 寒いなか工場に寝泊りして復旧にあたってくれた。

 いかに普段の関係が大事かを思い知らされました。」(伊藤俊彦さん)

 

いただいたメッセージから-

 

  今年も例年通り備蓄米を注文しました。

  いつもよりたくさんの苦労の末に、皆さんが作ってくださったお米を大切にいただきます。

  天災と人災のダブルパンチにも負けずに丹精込めて作ってくださったお米は、

  きっといつもより美味しいと思います。

 

  ホームページで、震災当時~今までの様子、活動を読ませて頂きました。

  目に見えない被害に対処することは並大抵のことではできません。

  皆様の努力に逆に言葉を失いました。ただただ頭が下がるだけです。

  何かしなければと思うだけで、実際にはただいただくばかりの自分が、はずかしいです。

  稲と同じように福島で暮らしてきた方々が、

  健康で、元気でおられますことをお祈りいたします。

  いつもありがとうございます。

 

  一日でも早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせるっていう

  その意気込み、取り組み。 応援します。

  今年もおいしいお米待っています。 

 

  毎年備蓄米をおいしくいただいております。

  放射能の影響は際限がなく、皆様方のご苦労を思うと本当に頭が下がります。

  これからも大変な作業の連続でしょうが頑張ってください。

  何もできない自分が歯がゆいですが、いつまでも応援しています。

 

  稲田稲作研究会のお米をいただくようになって何年たつか忘れてしまいましたが、

  第1回の募集のときから毎年楽しみにいただいてきました。

  3月11日の原発事故後、今年の米作りはどうなるのかと心配していましたが、

  いつもと同じように募集があってとても嬉しく、そして研究会の皆さまに感謝しております。

  真摯な生産者とそれを支える消費者がいてはじめて日本の農業が存在すると

  思っております。

  微力な私には、生産していただいたものを大切に食することしかできませんが・・・。

  どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

いえいえ、けっして微力なわけないです。 食べてくれることこそ力です。

 

ジェイラップと一緒に挑んできた乾燥野菜の開発-「はたまるプロジェクト」 も、

新工場ができて新たな段階に入った。 

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これまでの試作品を並べ、説明する伊藤大輔くん。

一品一品が試行錯誤の記念品だね。

 

お陰で、オリジナルの皮むき器やスライサーが所狭しと、

いや、広い部屋に並ぶ。。。

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広めにつくったところに、相当な期待の高さが窺い知れる。 

建屋の大きさは、こんな感じ。

 

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さて、ひと通り見学したあとは、お待ちかねの交流会。

 

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続きは、明日に、、、書けるか。。。

 



2011年10月 6日

安全なだけでなく、前より美味くなった! と言わせる。

 

すみません。

異動前後のせわしなさで、ブログのほうにまったく手が回ってませんでした。

時間というより、気持ちの問題ですかね。

しかも農産グループの仕事は細切れに引き継ぎながら、

次の仕事は一気にギアをアップさせたような感じで。

と言ってもこれまでの延長なんだけど。

 

前回の日記のあと、 

9月29日(木) は、4つの団体のトップの方々と秘密の会合を設定。

テーマは食品の放射能基準の正しい考え方について。

内容は近いうちにお知らせできるかと思います。

そして30日(金) には福島県須賀川市、ジェイラップに向かう。

この日はお米の話ではない。

岩手県久慈市(旧山形村) から短角牛の生産者に来てもらって、

牛の除染対策会議を開いたのです。

 

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今回試してみようとしているのは、ゼオライト (沸石) の粉末。

ゼオライトといっても、ケイ酸アルミニウム主体の多孔質鉱物の総称で、

その数は数百種類あると言われている。 

そのイオン交換能力の性質から土壌改良や水質改善に広く利用されているもので、

欧米ではサプリメントとして普及しているし、

家畜の餌に混ぜると生育が良くなることも証明されている。

(悪玉菌を出して善玉菌を増やす。

 血液がきれいになり、健康状態がよくなって、肉質が向上する、という理屈。)

特に3.11以降は、セシウム吸着力で注目されているものだ。

 

久慈といえば岩手の県北で、旧山形村はその内陸部に位置する。

原発事故の影響はかなり少ないほうなのだが、

規制値を超えた牛肉が県内で発生したため、県全域で出荷がストップした。

我々はいち早く短角牛の全頭検査を実施して、

その安全性を確かめる体制を取ったのだが、行政の規制は変わらなかった。

「まるで岩手全体が汚染されたみたいに思われたのではないか」

という生産者の不安は今も深く、販売不振に喘いでいる。

 

とはいえ牧草地のなかにはセシウムが検出されたところもあって、

生産者たちは今年の一番草を食わせるのを控えている。

牧草地対策、そしてゼッタイに肉に移染させない対策を徹底させるために、

ゼオライトの力を借りようというわけだ。

 

それがなぜジェイラップで?

長年、牛の健康と肉質の向上を目的としてゼオライト利用の研究をされてきた方が

福島にいて、ジェイラップの伊藤俊彦さんを経由して検討会をお願いした、というわけ。

久慈と東京の中間なのでお互い3時間ですむし、

僕にとっては翌日の備蓄米収穫祭のための打ち合わせもできるし、

何より一往復分の交通費が浮く。

 

検討はかなりイイ感じで進み、具体的な手当ての方法までまとまった。

「安全なだけでなく、3.11以前より美味しくなった、と言わせようじゃないか!」

・・・来たときは少々落ち込んだ感のあった生産者たちが、

笑顔も見せながら帰っていかれた。

国産飼料100%の牛肉を実現した彼らなら、やってくれると信じている。

 

帰る前に、放射能測定器も見ていただく。 

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これと同じものが大地を守る会のセンターに4台ある。

ゲルマニウム半導体検出器も威力を発揮し始めている。

測定でのバックアップは任せてくれ。

 

このやり取りを、脇で面白そうに眺めている男がいた。

 " やまけん "  の名で食の世界を闊歩している山本謙治である。

彼はこの日、別件で伊藤さんの取材に入っていた。

彼のレポートは近々、大地を守る会のホームページで登場するはずである。

大地を守る会の 「TTP (ちゃんとたべようプロジェクト)」 コーナーにて。

乞うご期待。 

 

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やまけんのブログでいつも、スゴいなあ!と思うのは写真のシャープさである。

マニュアルできちっと撮れるテクやセンスの違いはもちろんのことなんだけど、

ストロボ付きアンブレラを持ち歩いている姿まで見ると、

彼はすでにプロなのだと思い知る。

ウチの広報・中川が 「傘をこっちに向けろ」 とか、助手のようにこき使われている。

 

笑顔がほしいね~と、やまけんさん。

脇から茶化したりする。 

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ああ、いい笑顔だ。

やるだけのことをやった、という自負がある。

頭もヒゲも白くなったけど・・・

明日の収穫祭も、こんな感じでお願いしますよお。

 

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精一杯、手を尽くした田んぼ。

収穫は、一週間後あたりか。

何が起きようが生きるのみ、とばかりに美しく実った田んぼ。

早くも泣けてきて。。。 ありがとうの気を送る。

 

この日は須賀川に一泊し、

明けて10月1日(土) は、感動と涙の収穫祭になった。

この報告は次回に。

 

10月2日(日) は、段ボール数箱持って、引っ越し作業。

北の窓際から南の窓際に。

3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

15年ぶりの表敬訪問。

これは僕にとって、気合いとエネルギーを強化するためにも、必要な手続きだった。

 

遅ればせながら順次報告、ということでお許しを。

 



2011年9月11日

稲田の挑戦は続いている

 

今日は一週間遅れとなった 「稲作体験田」 の稲刈りの日なのだが、

こちらは若い実行委員会諸君にお願いして、

僕は急きょ須賀川・ジェイラップに向かうことになった。

 

ここに当社の放射能測定器を一台据え付けてもらったことはお伝えしてきた通りだが、

これまで測定してきた200件あまりの土やイネの結果を検証して、

取ってきた対策やこれからやろうとしている方向が誤ってないかどうかを

確認することになったのだ。

測定結果の評価と対策のアドバイスに協力してくれることになった専門家は、

四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。

NPO法人「チェルノブィリ救援・中部」 理事という肩書のほうが有名か。

8月にジェイラップで地元の方々も招いての講演を開いてから、

測定にもお付き合いを頂いている。

河田さんをジョイントさせたのは 『通販生活』 のカタログハウスさんである。

 

今日は河田さんのご都合に合わせて設定された。

しかもNHKが取材に入ることにもなって、少々ものものしい雰囲気になった。

 

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収穫が近づいてきた稲田の田んぼ。

カリウム散布に各種の実験。

" やれるだけのことはやった "  の思いがある一方で、

それでもこの半年、ざわざわとした胸騒ぎは消えることはなかっただろう。

 

イネは、何事もなかったように、元気に穂を垂れてきている。

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収量は- 「平年作並みだね。 味はイイよ、ゼッタイ」 と胸を張りつつも、

けっして気は晴れていない。

3.11以降味わった激しい怒りや悔しさは消えることはなかった。

原発事故さえなかったら、

俺たちは震災から立ち直ったぞ! と声を張り上げて叫びたいところだろう。

 

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ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん(右)と、測定結果を分析し合う河田昌東さん。

「すごいです。 数だけでなく、これまで仮説だったものの裏付けが取れた

 ものもある。 国にもこれだけのデータはない」 と、感心することしきりである。

 


今の段階でのイネ体と土をサンプリングする小林章さんと伊藤大輔さんを、

NHKが追いかける。  

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「もうそこらへんの土壌分析の専門家並みですよ」

と小林さんをホメまくる伊藤社長。

こう言う時は、相当働かせているに違いないのだ。  

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でもホント。 実にていねいな作業である。 

土は5センチ刻みで計測する。

セシウムはまだ表層に残っていることが、彼には見えている。 

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NHKさんの要望もあって、採取してきたばかりの生のモミのまま

測ってみる。 玄米より高く出てしまうことになるが・・・

30分後、結果は「不検出」!  胸をなでおろす。

「不検出」とは「検出限界値以下」と表現されるものだが、

実際の解析グラフを見れば実にきれいで、「0.0」 と発表してやりたいくらい。

 

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これまでの測定結果を、河田さんのアドバイスも頂きながら、

「ちゃんとしたレポートにまとめますから、期待しててください。」(伊藤さん)

やっぱこの人は、自信に溢れた顔でいてほしい。

 

こんな米作優良地帯なのに、耕作を放棄した田んぼがある。

すでにいろんな草が繁茂して、花を咲かせていたりする。

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専務の関根政一さんに聞けば、

「今年は作付してもダメだと思ったんでしょうね。 いや、切ないっすよ。

  見たくないねぇ、こういう風景は。」 

大丈夫だと分かって来年作ろうと思っても、これでは戻すのも大変だ。

「3年続いたら、もう戻せないですね。」 

 

この草たちもセシウムを吸っているとしたら、土をきれいにしてくれているわけだ。

できれば刈って上げた方がいいのだが・・・

 

そういえば、ヒマワリを植えた場所で、

そのまま土にすき込んでいるという話を聞いた。

ヒマワリの葉茎はかさばり、分解も時間がかかりそうなので、

早目にすき込んでいるのだとか。

何だよ・・・と言いたくなる。

各地の葛藤が、葛藤そのままに聞こえてくるようだ。

 

我々の取り組み結果が、悩む生産者たちを元気づけられるものにしたい。

早く朗報を送りたいと、我々の気持ちはますます逸(はや)ってくる。

 

10月1日(土)には、大地を守る会の会員さんを迎えて、

「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 が予定されている。

「そこでは、喜んでもらえる中間報告をできるようにしますから、

 ぜひ期待しててください!

稲田の挑戦は続く。

これはみんなの  " 希望への挑戦 "  でもある。 

 

収穫祭の参加者募集は23日まで。

今年は頑張って、東京~須賀川間をバスで送迎します。

詳細は 「コメント」 にて、アドレスを付けてお問い合わせください。

 

なお、NHKの取材はこのあともあちこちと続けられるようで、

放送予定は、11月頃になりそうだとか。

放送日と番組名が決まれば、またお知らせいたします。

 

「それでも土をあきらめない!」

そんな農民の魂が届けられれば嬉しいのだが・・・

NHKさん、お願いします!



2011年8月28日

みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!

 

8月18日(木)、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。

二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。

用意されたタイトルは-

 

     -3.11フクシマ後のエネルギー戦略-

  自然エネルギーによる「第4の革命」

 

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テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。

論点は一貫している。

- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。

- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、

  かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。

- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。

- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。

- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、

  「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。

- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。

  かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。

- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。

- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。

  東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。

- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。

  地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。

  自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。

- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。

  持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。

 

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お二人の講演を受けて、戎谷より、

大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、

次の展開に向けての野望も提出させていただく。

 

「 ここからは、我々が考える時です。

 大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、

 脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」

無理矢理(?)、拍手で確認。

 

食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、

我々の手でやれることはすべてやろう。

そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、

という議論に入っていきたい。

できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、

武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。

 

夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、

翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。

 

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「放射能除染対策から地域再生へ」

事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。

      日本短角牛の里で取り組む除染対策。

事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。

      水田での様々な除染試験から総合対策へ。

事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。

      動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。

 

【資源循環・エネルギー自給に向けて】

事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。

      「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。 

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事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

      「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。

事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。

      ここまできたエネルギー自給農園。

 

意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、

おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。

司会をしながら、少し熱くなる。

「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」

 

午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。

放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。

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ここにガンマ線スペクトロメータが4台。

現在、週120検体のペースで測定を続けている。

さらには現地(福島県須賀川市) に1台。

こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。

そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。

 

ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。

生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。

各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。

帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。

「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」

試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。

こんな嬉しいことはない。

 



2011年8月24日

千葉さんのディズニーランド計画、実現

 

生産者会議の報告の前に、もうひとつ。

 

震災で亡くなられた宮城県南三陸町のエリンギの生産者・千葉幸教さんが、

春休みに家族旅行を計画されていた、という話を以前書いたけど、

「落ち着いたら招待したいね」 が、実現しました。

 

申込金をお返ししたいのだが、と千葉さんの消息を尋ねてきた旅行代理店

の方と相談し、職員中心にカンパを募り、

同じような旅行パッケージを奥様の茜さんにお届けしました。

 

そして夏休み最後の週となった22日 (地元小学校の夏休みは25日まで)、

二人のお嬢ちゃんはしっかり宿題も終えて、お母さんと3人で

元気にディズニーランドにやって来てくれたのです。

 

この夏休みは学校のプールに行っただけ、とお姉ちゃんの ゆか ちゃん。

今日(22日) は朝5時前に起きた、と妹の みお ちゃん。

ケータイ写真を奪い合ったり、仲良く笑いながら走り回ってくれて、

僕らのほうが救われたような気持ちになりました。

 

2泊3日というささやかな日程。

3人は、ディズニーランド、ディズニーシーと目一杯楽しんで、

今日、志津川へと帰られました。 

 

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前のブログでは、中学生と小学生と書いてしまいましたが、

僕の思い込みによる間違いでした。

ゆかちゃんが5年生、みおちゃんが3年生です。

 

まだ仮設住宅だけど、助け合いながら、元気に暮らしています。

皆さんに、心から、「有り難うございました!」 

(千葉あかね・ゆか・みお さんより)

  



2011年8月15日

西からも東からも、応援し合う関係を築くこと

 

東京の夕空に、ゴジラ参上。 

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10日の午後から夏休みをもらって、帰る途中に発見。

似てない? 似てるよね。

この頭に乗って進軍してみたいものだ。

しかし、ゴジラが邪悪な都市に怒りをぶつけにやって来たというニュースは、

残念ながら聞かれなかった。

 

11日から3日間という慌しい日程ながら、

郷里に帰って墓参りをしてきました。

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南四国の東海岸。 太平洋を臨む、国道も通ってない小さな漁村。

この海から直線で15kmくらい北の岬に

原子力発電所を建設するという計画が持ち上がって、

住民の激しい反対にあって白紙撤回されたことがあった。

普段は政治のことなど話題にもしない漁民たちがハチマキ締めて

県庁まで抗議に出かけたりしたんだよね。

僕の家の戸口にも 「原発反対の家」 のステッカーがしばらく貼られた。

35年も前のことだ。

もし建っていたら、そろそろ寿命期に入る原発を、

この地の人々は眺めることになる。

 


前にも書いた気がするけど、

極めて保守的なこの地の漁民たちが猛烈に原発に反対したのは、

まだあの頃は漁業で暮らしてゆける自信があったからだ。

海はかけがえのない暮らしの源であり、

大らかに宝ものを与えてくれるみんなの財産だった。

それがもう、この海の豊かさを自慢する人たちはすっかり高齢化してしまって、

町自体が萎んできた感じである。

今なら、もしかしたら、海を売っちゃうのだろうか。。。

原発と一次産業は、どうしても負、いや反の関係にある。

お金といのちは両立しないワケではないはずなのだが、

おそらく両極に位置するからか。

 

9日、長崎で開かれた平和式典で、

田上富久市長が読み上げた平和宣言の一節が、頭の中でダブってくる。

 

  「ノーモア・ヒバクシャ」 を訴えてきた私たちが、どうして

  再び放射線の恐怖に脅えることになったのでしょうか。

  自然への畏れを忘れていなかったか、

  人間の制御力を過信していなかったか、

  未来への責任から目をそらしていなかったか・・・、

  私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、

  根底から議論をし、選択する時がきています。

  たとえ長期間を要するとしても、

  より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、

  原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 

守らなければならないものは何なのか、本当に今、考えなければならない。

そして、行動すべき時は、敢然と動きたい。

あの頃の漁師のおっちゃんや母ちゃんたちのように。

賢治も書いている。

 - なぜやめたんですか。

    ぼくらならどんな意気地ないやつでも

    のどから血が出るまでは叫ぶんですよ。 (『セロ弾きのゴーシュ』) 

 

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あちこちに祀られている神仏に手を合わせて、

肝心のウチの仏さんを見送ることもせず、とんぼ返りする。

 

14日、途中で奈良に迂回して、五條市にある王隠堂農園さんを訪ねた。

6月から取り組んだ企画 - 「西から応援野菜セット」 へのお礼を伝えたかったのだ。

 

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作業場では、まさにセット組の最中だった。 

お盆の真っただ中であるにも拘らず、

作業ローテーションを組んで出勤してくれた女性陣に、深く感謝したい。

 

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実に手際よく箱詰め作業が進んでいく。 

 

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野菜の状態もチェックしているのだが、

時に流通過程で溶けたり傷んだりしたものも発生した。

小売店なら入荷した時点で検品して、バックヤードではじけばよいのだが、

産地から家庭まで、そのまま運ぶものはやはり一定のリスクを伴う。

 

もし傷んだものが入っておりましたら、ご一報ください。

返金処理とかはもちろんのこと、産地へも情報をフィードバックし、

改善に役立てていきますので。

先週はよかったのに、今日は・・・ということもありえます。

一般では隠れて見えなくなる青果物流通の実態が

そのまま届いたりするのが、この流通の妙味です。

どうか温かい目で・・・ と言うと、甘い!と叱られるのではありますが。

 

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王隠堂さんがつなぐ生産者たちの野菜で構成された 「西から応援セット」 も、

来週をもっていったん終了となります。

このあと、王隠堂さんたちの野菜で継続されるものは、

「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収されることになります。

引き続き、「子どもたちへの~」 をご利用いただけたなら幸いです。

 

応援セットは終了しても、それで終わりではない。

これからの有機農業の全国的発展、次世代育成をにらんで、

関係を強化するための作戦会議も開いて、おいとました。

 

吉野の里のお米も、登熟期に入ってきた。

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この国の大地を守るべき主体を育て、ネットワークする。

それは原発に頼らない社会を再建するための地盤となるはずだ。

「西から応援~」 は、消費者の不安に応えた側面もあるが、

食べることで輪がひとつ大きくなったことはたしかである。

 

原発問題は、福島だけではない。

これから全国の原発が、廃炉の時代に入っていく。

西からも東からも、里からも海からも、応援し合うつながりを築いていきたい。

未来のために、教訓は今から形に、である。

 

渋滞のピークを避け、深夜の中央道を走りながら、

明日からの作戦を思い巡らせている。

これで夏休みも終わる。 病気だね、まったく。

 



2011年8月 9日

ヒマワリをシンボルに、里山再生を誓う

 

だれのために 咲いたの それはあなたのためよ ♪♪

                           (伊藤咲子 「ひまわり娘」)

 

  いえ、未来の子どもたちのために 咲かせたの。

  祈りながら 蒔いたの ヒマワリの種を。

 

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須賀川・ジェイラップで測定器の作動とこれからの測定計画を確認した

翌7月30日(土)。

郡山から二本松市に移動して、 

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 代表の大野達弘さん、

副代表の佐藤佐市さんと会い、今後の除染計画について情報交換を行なう。

 

協議会では 「里山再生・災害復興プログラム」 が策定されていて、

いくつかの民間団体の基金からの助成も準備されている。

茨城大学や新潟大学の先生たちも連携したプロジェクトがようやく形となって、

動き始めているのだ。

 

会員の農産物や畑・里山の放射能測定によって実態をつかみ、

測定マップに基づいてく対策を立てる計画だが、

そのひとつに 「SVO」(ストレート・ベジタブル・オイル) 構想がある。

 

農地にヒマワリやナタネを植えて土壌改善をはかり、

収穫した種を搾油して、その油を飲食店、豆腐屋さん、一般家庭などで使い、

使用済み廃食油を回収-濾過して車や農機具の燃料として使用する、

エネルギーの自給と循環の仕組みづくりを目指すものだ。

 


ここは協議会前代表の菅野正寿さんのヒマワリ畑。

 

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地域農業の再興とエネルギー地域循環のシンボルとして、

見事に咲いたヒマワリたち。

 

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しかし、すべてのプログラムに要所要所で立ちはだかるのが、

放射能の移行や挙動である。

測定は福島に設置された市民放射能測定室が連携することになっているが、

測る検体の数はおそらく相当な数になるだろう。

大地を守る会でつくってきた測定体制も必要に応じて協力する旨をお伝えして、

お別れした。

 

農水省を退職して東和に就農して5年。

決意も新たにしている関元弘さんのヒマワリ畑も見て、引き返す。

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郡山に戻り、今度は福島わかば会と打ち合わせ。

こちらでも今後の対策と測定計画を話し合う。

どこもかしこも、あれもこれも、と測定の要望が高まる中で、

ちゃんと計画と目標を立てて取り組まないと、

ただ右往左往する結果にもなりかねない。

みんなの努力が最大限の成果につながるよう、

しっかりとサポートしなければならない。

やらなければならないことを指折りながら、深呼吸をひとつ。

 

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涙なんかいらない いつでも微笑を ♪♪

 

すべての予定が狂ってからもう5ヶ月。

僕はいま、フクシマを回っている、向日葵に勇気づけられながら。

この時間の意味を腹に刻み込んでおくこと、だ。

 



2011年7月27日

までいの大和川酒造、金賞を祝う

 

山崎農研のシンポジウムを、大変失礼ながら、

最後の質疑応答の時間を前に退席させていただき、次の会場に向かう。

何の集まりかというと-

「 ガンバレ福島! その活力を喜多方から!

  ~大和川金賞受賞酒を楽しむ会 」

 

本年度の全国新酒鑑評会にて、

大和川酒造店の大吟醸がめでたく金賞を受賞したのだ。 

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これまでも金賞受賞を祝う会は、地元・喜多方で開かれたりしたのだが、

東京で開くのはこれが初めて。

しかも大和川を愛するファンたちの手によって準備された。

それだけ、今年の受賞は特別な歓びと感慨をみんなに与えたのだ。

 

場所は有楽町・東京国際フォーラムの中にある、

「宝 東京国際フォーラム店 by 夢酒」。

少し遅れて到着したら、すごい数の参加者で、

すでに佐藤弥右衛門社長の挨拶が始まっていた。

 

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挨拶はちゃんと聞けなかったが、社長の思いはこんなだろう。

ひとつは、地酒屋の哲学において金賞を獲得したことだ。

受賞をねらって山田錦などの酒造好適米を各地から取り寄せたりせず、

地元で、社員自らの手で栽培した 『山田錦』 を醸しての栄誉、なのである。

 

地酒とは 「地の米、水、風土で醸すもの」 のポリシーのもと、

1997年に農業生産法人 「大和川ファーム」 を設立して以来、

早生の 「五百万石」 から始まり、中生の 「夢の香」 「美山錦」、

そして高度な栽培技術を要する晩生の 「雄町」 「山田錦」 の栽培に、

困難な東北の地で挑んできた (山田錦は兵庫県で生まれた品種) 。

間違いなく世界最北の山田錦である。

「地酒のかたち」 へのこだわりで、ここまできた。

「どうだい!」 の気分だろうか。

 

もうひとつは、震災の年に、である。

震災後、佐藤社長は自社の仕込み水を一升瓶に詰め、

支援物資と一緒に、自ら車を飛ばして何度も被災地に届けた。

工場の敷地を支援物資の保管場所として開放し、

また 飯館村支援 のために奔走した。

 

までいの大使に、本業での金賞という冠!

ここはファンたちの手で、お祝いと感謝の席を用意しようじゃないか。

呼びかけてくれた実行委員長、杉原英二さんにも感謝したい。

 

飯館村の菅野典雄村長も馳せ参じ、挨拶に立った。

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支援してくれた多くの方に熱い感謝の言葉が語られるとともに、

避難したみんなを一日も早く村に帰れるように頑張りたい、

そしてゼッタイに 「までいの村」 を取り戻して見せる、と決意が表明された。

 

みんなの参加費から、いくばくかの支援金を飯館村に贈る。 

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がんばろう福島! がんばろう飯館!

 

次代を担う後継者にも、この日は刺激になったことだろう。 

挨拶にも力が入る。

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マイクを持っているのが、長男の雅一さん。 

左が次男の哲野 (てつや) さん。

どうも弟のほうが人気があるらしく、兄はちょっと嫉妬気味である。 

 

1993年、あの冷害の年に、大地を守る会オリジナル純米酒第1号を

大和川さんにお願いした我ら 「米プロジェクト21」 としても、

社長を囲んで一枚いただかなければならない。

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「おめでとうございます! 僕らも本当に嬉しいです。」 

 

右から二人目のおじさんは米プロのメンバーではないけど、

勢いで入っていただいた。 お分かりでしょうか・・・・・

あの! そう、あの! サッカー実況のカリスマ! 激闘の語り部!

元NHKアナウンサーで解説委員を務められた山本浩さん (現在は法政大学教授)。

1998年6月、W杯に初出場したフランス大会の第1戦 (Vs.アルゼンチン)

の実況中継の語りは伝説になっている。

「声は届いています、はるか東のほうから ~ 」

サインをもらうのを忘れた。。。

 

山と酒の愉快な仲間たち -「飲めまろ会」 の皆様にも集まってもらわねば。 

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飯豊山登山では、登山靴が割れて、助けられたこともある。

5月の山都の堰さらいでも、いつも何人かと一緒になる。

 

金賞は、我らみんなの誇り、と言わせてもらいましょう。

極上の美酒に酔い、励まし合い、心を一つにして、

美しい復興に向かおうではないか。

 

朝、ドアを開けたところで、一気に花開かせた姿を見せてくれたグラジオラス。

今日のこの日を待って咲いたのか。。。 

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飯館に・・・届いたよ、きっと。

 

欺瞞とうっとうしさに満ち、地域をお金中毒にさせるようなエネルギーなんか、

ない方がいい。

までいの花を咲かせよう。

 



2011年7月12日

畜産物&乳製品生産者会議 -ここでも放射能の勉強

 

続いて、ふたつ目の生産者会議報告を。

 

7月7日(木)、小暑、七夕の日。

東京は神宮にある日本青年館の会議室で開かれた

「第5回畜産物生産者会議 & 第6回牛乳乳製品生産者会議」。

つまり畜産と酪農の合同会議だ。

 今回のテーマは

「畜産物の放射能汚染の影響について」。

 

畜産・酪農家の間で牧草の汚染に対する不安が広がっている。

自身の行為とはまったく関係ない要因に対しても配慮しなければならない

時代になってしまった。

被害者が加害者にもなってしまう放射能社会。

もはや食の生産者として、「知らなかった」 ではすまされなくなっている。

 

ということで、

まずは放射能とその影響について、正確な理解をもつことが必要である。

講師としてお願いしたのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。

 

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お話は、放射能の基本知識から始まり、

福島原発事故の概要とその影響について、

被曝ということの正しい理解、

食品への移行や暫定基準値をどう見るか、 

そしてこれからの放射能環境をどう生きるか・・・・。

 

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さすがに集まった生産者たちは真剣である。

質問もいろいろと出るのだが、

たとえば、放射能の影響は動物に対しても同じだと考えていいのか?

という基本的な質問ひとつとっても、

いかんせん、こと家畜や肉への影響についてはデータがあまりになくて、

分かっていないことだらけのようなのだ。

放射線の影響は原理的には人間と同じはずだが、

牛や豚がどれくらいの時間で、どれくらいの割合でガンに罹るかなどは、

過去にも調査されていない、いや 「少なくとも私は見たことがない」 と伴さん。

チェルノブィリ原発事故によって人に影響が出始めたのが5年。

だとすると、そもそも影響が出る前に出荷されることになるだろうか。

 

ではそのお肉は大丈夫なのか。

粗飼料(ワラなど) から筋肉への移行係数は示されていて、

たとえば、放射性セシウムの牛肉での暫定規制値 500ベクレルを超えないためには、

粗飼料の許容量は 300ベクレル/㎏ となる。

しかしこれも正確かどうか分からない。

牛肉の規制値自体も 「暫定」 であって、含まれている以上、

食べ続ければリスクは高まっていく。

 

福島の農家と飼料用の稲で契約したが、使って大丈夫でしょうか?

-水田では土壌の濃度が5,000ベクレル以下なら作付が認められたが、

  最終的に稲を測って判断するしかないのではないだろうか。

 

では規制値以下であれば、餌に使って、消費者は食べてくれるでしょうか?

----- これは伴さんが答えられるものではない。

しかし流通者としては、彼らの悩みに少しは応える義務もあるように思い、

マイクをお借りした。

モヤモヤとしたまま帰らせるわけにもいかないし。

 

法律上 「作ってよい」 「使ってよい」 ものであり、

私が調べたところでも、作付可能土壌から稲の子実への移行は規制値より

さらに10分の1から100分の1レベルになると推定できるので、

現時点で、その契約農家の稲を使うなとは言えない。

最終的には収穫物を測定して判断することになるけど、

その際には、規制値を根拠にした単純な判定では実はすまなくて、

わずかでも残留が認められた場合、それを使うには、

我々の思想とモラルが問われることになるでしょう。

・ このレベルなので使わせてほしい。

・ 使うことで、その農家とともに  " 農地の再生・浄化 "  に取り組みたい。

 それが将来につなげるための、我々の使命だと思う。

- と、強い気持ちで生産者の姿勢を語れるのなら、私は支持したい。

  きちんと情報を開示して、思いも精一杯語って、売りましょうよ。

 

この生産者や販売者に対する評価は、

消費者と言われる方々に一任するしかない。

 

みんなの悩みは深い。 

しかし、明解な答えはない。 

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質問する、中津ミートの松下憲司さん。

 

除染についての質問も挙がる。

微生物が放射性物質を分解するとか無害化するとかいい情報があるが、

有効な微生物はあるか?

-食べる微生物はいるが、それは核種が微生物に移行したものであって、

 基本的に元素が分解されるということはない。 

 放射性物質である以上、その害が消える (無害化される) ことも考えられない。

 ただし、食べる人の健康のために、食用部分に移行させない、

 ということを第1の目標にして利用することを否定するものではない。

  まだ分かってないことも多いので、いろんな試験をやることは必要だと思う。

 

ナタネでは、種には放射性物質は移行しないので、油で使うことは問題ない。

ただし、除染という効果で考えると、データで見る限り、

実はそんなに吸収されていない。

ゼオライトなどは有効性が認められている。

ただし、いずれにしても移行 (吸収) したものの最終処分は、

現在のところ、埋めるしか方法がない。

 

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なかなかしんどい会議だった。

 

安全をお金で買える時代ではなくなってしまったが、

大地を守る会CSR運営委員会の消費者委員の方が最後に語ってくれた言葉で、

少しは救われただろうか。

 

  私はずっと、買う (食べる) ことで生産者を支えていると思ってきた。

  震災の翌週、さすがに今週は宅配は来れないだろうと諦めていたが、

  当たり前のように配送員が来た時は、涙があふれた。

  支えられていたのは、実は私のほうだった。

  これからも感謝して、食べていきたい。

 

  大地を守る会が測定結果をしっかり開示してくれることをありがたいと思う。

  この安心感は捨てがたく、素性の分からないものを買うくらいなら、

  わずかの残留なら大地を守る会を選びたいと思う。

 

  有機農業のほうが、最終的には放射能にも強かった、

  という結果が出てくると嬉しい。

 

最後の期待には、応えられると思う。

なぜなら、もっとも努力するのが彼らであり、ここにいる人たちだから。

 



2011年7月 9日

米ば守ってみせんといかんばい

 

6月29日、米生産者会議の続き。

 

菊地治己さんの講演のあと、

農産チーム・海老原から米の販売状況が報告され、

米の品種別食べ比べを行なう。

はからずも北海道産の新品種の実力が示された格好になった。

さすがに、おぼろづき、ななつぼし、ゆめぴりか、ふっくりんこ、といった

道産米品種をピッタリ当てるのは難しいと思うが、

僕の間違いは、むしろ  " まさかあの米より美味いはずは・・・ "  という

思い込みによるものである。 いやあ、北海道米をあなどってはならない。

 

続いて戎谷から、

3.11以降の震災・原発事故に対する各種の取り組み状況を報告する。

 

懇親会に入り、全国から参じた生産者が各団体ごとにスピーチに立つ。

スライドショーで全員アップといきたいところだけど、

長くなりすぎるので、すみません。

ただ、この方々だけは紹介しておきたいと思う。

関東から東北にかけて、義援金への感謝の言葉が続いたので。

 

まずは、原発事故の影響を受ける格好になった、

福島市・やまろく米出荷協議会。  

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一所懸命、安全で美味しい米づくりに励んできたのに、

ちゃんと保管してある昨年産の米まで売れ行き不振になって、

この悲しみは言葉では言い尽くせない。

でも頑張りますよ、我々は。

大地さんからの義援金で放射能測定器を買いました。

自分たちでもちゃんと測って、安全を確認しながら供給したい。

食べてくれる人のためなら何でもやりますので、とにかく食べてほしい。

安全で美味しい米をつくり続けたいのです。

 


千葉県・佐原自然農法研究会。

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液状化で浸蝕された田んぼに加えて、パイプラインもやられて、

今年の作付面積は相当減ったけれど、温かい義援金を頂戴して、

みんなで頑張っていい米作ろうと励ましあってます。

 

茨城県稲敷郡、篠田要さん。 

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壊れた家の修復にはたいして力になれない義援金額だったのに、

「本当に嬉しかったですよ、ええ。 元気が出ました。

 家は少しずつ直していきますから。」

佐原自然農法研究会ともども、積極的に職員の研修を受け入れてくれている。

 

宮城から、ライスネット仙台。

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発言している小原文夫さんは、大地を守る会CSR推進委員会の生産者委員であり、

仙台黒豚会、仙台みどり会(野菜のグループ) の代表でもある。

仲間の被災状況はまちまちで、家が潰れた生産者もある。

運営は大変だと思うのだが、

気合いはいつもの通り、力強く意気込みを語る。

 

同じく宮城、蕪栗米生産組合。 

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田んぼの被害はあちこちに発生したが、

三陸の人たちのことを思えば、たいしたことはないと言い聞かしている。

内陸の俺たちがこれくらいで負けるわけにいかないから、と

こちらも強い気持ちで前に進んでいる。

 

皆さん、こちらが恐縮するくらい深い感謝の気持ちが伝えられた。

すごい力になったことを、義援金にご協力いただいた皆様に

この場を借りてお伝えしておきたく思います。

 

もう2、3組、いってみましょうか。

秋田・大潟村から、相馬時博さん (大潟村元気グループ)。

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親父に替わって参加。

大先輩からいっぱい学んで帰りたい、と意欲満々。

いよいよ代替わりに向かって・・・とか書くと親父の喜久雄さんにどやされそうで、

やめておくけど、期待してます。

 

山形から、庄内協同ファームの小野寺喜作さん。

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小野寺さんも震災直後に宮城まで救援活動に出向いた方だ。

衝撃は大きかったようだ。 

この間二人の息子さんが就農して、未来への希望と同じだけ不安もある。

原発は止めるしかないっすよね。

 

一番南からやってきた方にも敬意を表して。

熊本・阿蘇の大和秀輔さん (大和秀輔グループ)。

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阿蘇有機生産組合の下村久明さんも、いつも一緒に来てくれる。

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ともに合鴨農法に取り組む。

北海道でやろうがどこでやろうが、米会議はゼッタイに欠かさない二人。

思いは一本である。

大地を守る会の米の生産者として、

誇りばもってですよ、米ば守って見せんといかんとですよ。

 

ありがたい存在である。

 

去年の開催地・新潟県南魚沼市から、笠原勝彦さん。 

ご夫婦での参加。

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奥様の薫さんは、何と東京育ち。

友人の結婚パーティで勝彦さんが見そめたんだそうだ。

きっと夢をいっぱい語ったんだろう。

元気な農業青年や後継者たちを見ていると、

" 嫁不足 "  なんて言葉は浮かんでこないね、いや、ほんと。

みんな素敵に輝いている。

 

最後に、地元 「北斗会」 の面々。 

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この日の食べ比べでも立証された北海道米の力。

事務局を務める(株)柳沼さんのバックアップで、

技術的進化への取り組みにも余念がない。

栽培期間の短い寒冷地・北海道の悩みは肥料ですかね。

 

おまけ。

旭川での開催ということで、乗り込んできた面々がいた。

美瑛町の早坂清彦さん。

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富良野市から今利一さん。

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今年の畑は、去年にも増して厳しいようだ。

 

中富良野・どらごんふらいの間山幸雄さんと石山耕太さん(太田農園)。

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石山さんとは、今年の東京集会での、異常気象のトーク・セッションで

ご一緒させていただいた。

いま、2月に亡くなられた 布施芳秋さん の農場も手伝ってくれている。

 

二日目はほ場の視察。

旭川で有機栽培面積を広げてきている、石坂昇さんの田んぼを見せていただく。

 

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約40町歩(ヘクタール) のうち、10町歩で有機JASを取得する。

反収(10 a 当たりの収穫量) は当初5俵程度だったのが、

今では10俵にまで達し、慣行栽培よりよく獲れている。 

 

根張りのいい、強い苗を育てるところから勝負は始まっている。 

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左は慣行栽培の苗、右が石坂さんが育てた 「ななつぼし」 の苗。

 

さらにみんなの関心は、除草機である。

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メーカーと共同歩調で改良を重ね、随所にオリジナルの工夫がみられる。

草の対策は、草を出さないこと、つまり種を落とさせないことだ。

 

実演する息子の寿浩さん。

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初期にきっちりと取る。

分けつを旺盛にし、穂数を増やすのが北海道の米作りだとのこと。

 

解散前に記念撮影。

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厳しい年だけど、力を合わせて、前を向いて、頑張りましょう。

 

最後にこいつら。

新潟・オブネットの武田金栄さんを中心に集まってきている若い生産者たち。

「元気のいい若手農家で 『新潟イケメン会』 を結成しました。

  ブランドになりますので、ヨ・ロ・シ・ク!」

 

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ポーズまで決めちゃって、その明るい自信は、褒めてやる。

ただし、新潟+イケメン、というだけで付加価値はつけられないからね。

君らが米のおまけでついてくるワケじゃないし。

個人的には、隣のオヤジのほうがインパクトあると思うぞ。

ま、負けないで頑張ってくれ。

 

どこよりも豊かな田んぼ、そして安全でおいしいお米づくりで競いながらも、

大きな輪をつくっている仲間でもある。

明日に向かって、一緒に走り続けようじゃないか。

 

米ば守ってみせんといかんばい!  だよね。

 



2011年7月 8日

北海道でお米の生産者会議

 

暑いですね。 政治は寒いですが。。。

 

寒いけど、クーラーの役目は果たしてくれないようで・・・

ま、政治へのコメントは避けます。 深読みしてもしょうがないし。

僕らは、やるべきことを急ぎましょう。

この夏を、生産的な汗で、豪胆に乗り切りたい。

 

では、ふたつの生産者会議の報告を-

まずは6月29日(水)~30日(木)、

北海道旭川市で開催された 「第15回全国米生産者会議」。

年1回、各産地を回ってきた米の生産者会議も、

ついに北海道での開催の運びとなった。

今や北海道の米は、内地(死語か・・) の生産者にとって、脅威なのである。

気がつけばこの20年の間に、

美味い! と言わせる米が続々と名乗りを上げてきたのだから。

見てみようじゃないか、その現場を。

 

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今回の幹事団体は、各種の道産米を作ってくれている 「北斗会」 さん。

挨拶するのは、会長の外山義美さん。

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北海道にいても、震災の影響には深く心を痛めている。

東北の人たちに思いを馳せながら、気持ちの晴れない思いで米を作っているようだ。

挨拶にも気持ちがこもっていて、

ああ、今年の生産者会議は仲間との連帯感を確かめ元気を与え合う年だ、

と感じ入る。

 

で、北海道の米の進化について、である。

講演をお願いしたのは 「農業活性化研究所」代表、菊地治己さん。

長く北海道産米の品種改良に尽力し、

この春に上川農業試験場長の職をもって退職された。

演題はまさに、「おいしくなった道産米の秘密」。

 

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北海道で稲作が本格化して130年。

厳しい自然環境にもめげず、戦前の新田開発、戦後の食糧大増産時代を担いながら、

1970年代からの減反政策で北海道の米作付面積は半減した。

量から質へのたたかいが始まる。

1980年、当時の横綱 「コシヒカリ」 「ササニシキ」 を目標とした

「優良米の早期開発プロジェクト」 がスタートする。

 

取ったのは 「成分育種」 という手法。

米の食味を左右すると言われるアミロースと蛋白質の含有量を測り、

値の低いものを選抜していくのである。

選抜した種で幾通りもの交配を行ない、最初の頃は沖縄・石垣島に送っては

年4作 (1年で4年分) というスピードで進めたが、

その後試験場内に巨大なハウスをつくってからは年3作のペースで

栽培試験-選抜-交配-栽培試験を繰り返してきた。

それでもって、世に出るのは何万分の1という世界なのだそうだ。

菊地さんは、朝、昼、夕に〇種類の米を食べ、夜は仲間と酒を飲んではラーメンを食って、

深夜にまた数種類の米を食べる、という日々を過ごしたという。

おかげで胃袋を失った、と。

 

北海道内4つの農業試験場 (上川、中央、道南、北見)上げての

育種プロジェクトの成果は、1988年の 「きらら397」 の登場から始まり、

1996年の 「ほしのゆめ」 で念願のササ・コシ級の評価を獲得し、

「ななつぼし」 「おぼろづき」 を経て、2008年 「ゆめぴりか」 へと至る。

 

しかし今、菊地さんは思っている。

プロジェクト発足から30年。 食味に関しては当初の目標をクリアしたかもしれない。

しかし良食味品種は耐冷性や耐病性に難がある。

また、ただ食味を追求して低蛋白・低アミロース一辺倒の育種戦略だけでなく、

蛋白は必要な栄養源なのだから、高蛋白・良食味の視点もあってよいではないか。

あるいは、アレルギーの出ない昔の品種-「ゆきひかり」 のような品種も

見直す必要があるのではないか。

 

開拓時代の北海道を支えた 「赤毛」 という品種の米がある。

まずい米だと思っていたが、去年食べたら美味かった。

「ゆきひかり」 は、腸の粘膜を保護して善玉菌を増やすことが分かってきている。

昔の米は (その地に根づき、その地の) 日本人の腸を守ってきた、

のではないだろうか。。。

 

定年退職後、菊地さんは改めて人生のテーマを設定されたようだ。

有機農業を北海道農業のスタンダードにしたい。

脱原発に方向転換させ、自然エネルギーで真に豊かな北海道を実現させたい。

そして野望は、大麻の普及だとか。

大麻といっても産業用大麻のことで、プラスチックや繊維の原料として、

あるいは食品や自然エネルギーの素材として、菊地さんは着目している。

 

また新たな知己を得て、僕らのネットワークはこうして広がってゆくのである。

 

・・・続く。 お休みなさい。

 



2011年6月 8日

地域の再生を誓う人々 -福島行脚その⑦

 

5月3日から5日間にわたる福島行脚のレポートも、

ようやく最終日に辿りついた。

重かったな、今年のゴールデンウィーク。

このツケが家庭のメルトダウンにつながらなければよいのだが・・・

いや、私的な話は慎んで、レポートを続けよう。

 

「二本松ウッディハウスとうわ」 という宿泊交流施設で一泊した我々視察団一行は、

5月7日(土)、まずは地元の堆肥センターを見学する。

 

循環型有機農業を目指す有志19名の出資で、

「ゆうきの里」 づくりの土台を形成すべく建設された施設である。

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案内してくれたのは、

協議会初代理事長を務めた菅野正寿(すげの・せいじゅ) さん。

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地元の牧場から出る牛フンに稲ワラや籾殻、食品加工で発生する食品残さなど、

地域資源を最大限に活用して、一次発酵、二次発酵・・・ と

半年かけて四次発酵まで行ない完熟堆肥を完成させる。

それを 「げんき堆肥」 と銘打って、直売所で販売する。

 

農家は畑の土壌診断を行ない、それに基づいた施肥設計を整え、

「げんき堆肥」を適正に使用し、農薬は極力使わず、

栽培履歴を自ら開示する。

それが 「東和げんき野菜」 のブランドとなり、直売所を潤す。

 

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しかし、彼らの精一杯の取り組みにも、原発事故は容赦なかった。

この 「げんき野菜」 も、事故直後から

県内の生協やスーパーから拒否される事態となった。

消費者の買い控え(防衛行為) と、流通者の脅えた自主規制は、意味が違う、

と僕は思っている。

" 売れるか、売れないか、どう売るか、何を伝えるか "  の悩みを経ずに、

早々とつながりを断ち切るのは、流通者のやる仕事ではない。

 

しかしながら、地域資源の循環を支える静脈である自慢の堆肥にさえも、

不安は緩やかな津波のように浸潤してきているのである。

この罪は大きい。

 

見学の後、「道の駅東和 あぶくま館」 に戻り、

現地農家からの報告と意見交換会が再び持たれた。

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菅野正寿さんが今の状況を語る。

露地野菜がほとんど出荷できなくなった。

しいたけは出荷できているが、周辺地域では制限されたところもある。

測定器を購入して観測しているが、場所によってかなり差があるようだ。

ヒマワリの資料を集めタネも買ったが、はたして植えていいものか・・・

「耕すな」 という人から、「深く耕せ」 という人までいて、

私たちは何を基準に判断していいのか、不安は増すばかりである。

それでも桑の生産の準備には入ろうと思っている。

 

全戸避難の指示が出された飯館村から来ていただいた

高橋日出夫さん。 

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今は松川(福島市) に避難されているが、時々は見回りに帰っている。

ブロッコリィを6~7月に収穫する予定で、4月に1町歩(≒1ha) 作付けした。

花のグラジオラスを7月からお盆にかけて、

トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に出荷、、、そんな計画だった。

やませによる冷害のある地域なので、複合経営に取り組んできて、

何とか食べていける、ようやく暮らしの見通しが立ってきたところだった。

 

「原発事故の後、子供がいる若い夫婦はみんな外に出ました。

 残っているのは年寄りだけ。

 私は、できれば村に残って来年に備えたいと思っていたんですが、

 全戸避難となってしまって。

 それでも地区のみんなとは、いつか飯館に戻ろう、そう誓い合って移りました。

 私の住む松塚地区は45戸あって、以前から機関紙を出していまして、

 この機関紙を何とか続けて、みんなに配りながら、

 つながりを持ってやっていこうと思ってます。

 

 私は本当は野菜が好きで、

 農業高校でカリフラワーを見たときの感激が今でも忘れられないんです。

 家は当時、葉タバコと水稲だけだったんですが、野菜作りに魅力を感じて、

 20代半ばに菅野正寿さんと知り合って、安全でおいしい野菜を作って食べてもらおうと

 「福島有機農業産直研究会」 を結成しました。

 末娘はその頃作っていたレタスの味を今でも忘れられないと言ってくれます。 

 

 いま村民が一番知りたいことは、畑や田や山の、土の実態です。

 いろんな取り組みがありますが、どうなんでしょう。

 来年は作付できるんでしょうか。 それが知りたいです。

 飯館はどことも合併せず、  「自主自立のむらづくり」 の道を歩んできました。

 私は理想郷に向かっていると信じていました。

 あの美しい自慢の村が、こんなことになろうとは・・・・・ 」

 

東和に新規就農して5年目の春を迎えた関元弘さん。 

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元農水省の官僚である。

出向先として勤務した東和町に魅せられ、

8年前に霞ヶ関を捨て、夫婦で東和に移り住んだ。

農業の現場で有機農業を実践するのは、以前からの夢だったという。

3年前には有機JASを取得している。

公とも組み、農協や既成の流通ルートを活用した新しい仕組みをつくろうと

4月に 「オーガニックふくしま安達」 という組織を結成したばかり。

実は3月14日が、その設立総会の予定だった。

心昂ぶる絶頂直前での原発事故となったわけだ。

 

事故で一時心が折れそうになったが、

農業をしたくてもできない人がいるのだと思うと、

「ここで負けてられっか」 という気持ちになった。

「立ち上がって、前に進もうと決心しました。」

 

会のシンボルマークは、ヒマワリ。

「土壌浄化とかではなく、復興のシンボルとして」 みんなでヒマワリを植えている。

いずれ二本松全体を有機の里にしたい、と抱負を語る。

 

手元に、菅野正寿さんが書かれた文章がある。

そのなかの一節を紹介したい。

 

  原発の安全神話は崩れた。

  有機農業生産者は、農民は、命の大地を守るため、声をあげなければならない。

  戦後、都市生活者のため労働力も食糧もそして電力も提供し、

  支えてきた東北の農民の声なき声を受け止めなければならない。

  消費文明と人間のエゴの帰結が今回の事故をうみ出したのならば、

  エネルギー政策の抜本的転換、

  つまり持続可能な自然エネルギーへの転換が求められる。

  そしてわたしたちは力をあわせて、希望の種を蒔かなければならない。

 

  「山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」 と唄われた、

  赤とんぼと桑畑と棚田のふるさと ~ 

  今年、黄金色の稲穂に赤とんぼは舞うのだろうか。

 

現地視察と生産者との交流から、早や1ヶ月が経った。

「皆さんのところで育ててほしい」 と、

飯館村の高橋日出夫さんから託されたグラジオラスの球根が、

僕のちっこいプランターで芽を出してしまった。

高橋さんの願いが乗り移ったかのように、逞しく伸びてくる。 

 

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こんなところでゴメンね、だよね、まったく。

最後まで付き合うから、許してくれ。

 



2011年6月 5日

美しい村々に降った放射能 -福島行脚その⑥

 

改めて振り返るまでもなく、

原子力発電という技術は、実に事故やトラブルとのたたかいの歴史だった。

" 一歩間違えば大惨事 "  という事態を繰り返しながら、

世界に誇るニッポンの技術者たちは、

" 未来の国産エネルギー "  に途方もない夢を賭けて未知の領域に挑んできた。

 

しかしこの技術は、放射能を発散するという宿命により、

不幸な足かせも必要とした。

" 事故は起きない "  という神話を前提にしなければ、

一歩も前に進めなかったのだ。

技術革新にとって失敗とは、物語に感動を加える絶妙なダシのようなものなのに。

 

安全神話は、国を挙げて、極めて強固に築かれていった。

放射能漏れや隠蔽・改ざんをさんざん繰り返しながら。。。

「こんな危険なモノとは共存できない」 「事故が起きてからでは手遅れになる」

という反対論は、その神話の壁と政治力、そしてマネーの力を崩すことは出来なかった。 

地震との関連でも、その危うさはつとに指摘されてきたにも拘らず、

「明日起きても不思議ではない」 という主張は、

危険人物の煽動的発言であるかのようにシカトされた。

そうして虚しくモロかったはずの  " 安全神話 "  は、いつしか

リスクを最も理解し警戒していたはずの科学者や技術者の頭をも支配してしまった。

それこそが最強のリスク因子であることに気づくことなく。

 

まあ、しかし、、、そう批判したところで、我々だけが逃げられるワケではない。

この責任は、賛成論者・反対論者を問わず、

現代社会を生きるすべての大人が背負わなければならない。

 

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・・・ そんなことをボンヤリと思いながら、景色を眺め続ける。

 

遺留品の保管所を示す墨で書かれた張り紙が静かに立っている街を後にして、

視察団一行は、浜通りの南相馬から再び内陸へと踵を返した。

何台もの自衛隊の災害救助車両とすれ違いながら、

20km も南に下れば、原発事故によって

行方不明の家族を捜すことすら許されなくなった町があることを考えようとするが、

僕の想像力はとてもついてゆけない。

 

二本松市・旧東和町に向かう途中、飯館村を通過する。

 

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「日本でもっとも美しい村」 のひとつ -福島県南相馬郡飯館村。

原発から約40km離れた地で、全村民が避難を余儀なくされてしまった。

放射能の影はどこにも見えないけど。 

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この田畑も、間もなく放置される。 酷い話だ。

 

夕方、二本松市・旧東和町にある 「道の駅 あぶくま館」 に到着。

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 ここで、有機農業をベースに、

地域の自立と自然循環のふるさとづくりに取り組んできた

生産者たちとの意見交換会を持つ。

 


東和の町づくりを担ってきたのは、

NPO法人 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」。

 

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二本松市に合併された2005年、

それまで築いてきた 「ゆうきの里づくり」 を継承しようと設立された。

かつて県内屈指の養蚕地帯といわれた山村に広がる耕作放棄地を再生させ、

桑を使った特産品を開発し、新規就農者を受け入れ、

「里山の恵みと、人の輝くふるさとづくり」 に邁進してきた。

その実績が評価され、一昨年、過疎地域自立活性化優良事例として、

総務大臣賞を受賞した。

大地を守る会の生産者団体でもあるが、彼らの基本はあくまでも 「地域」 である。

僕はその精神を気高いと思う。

 

95%が東和町の産品で並べられているという直売所。

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壁側の棚には、生産者たちの栽培履歴のファイルが並べられている。

それがトレーサビリティの証明である。

 

協議会理事長の大野達弘さん。

以前は 「福島わかば会」 のメンバーで、前日の福島での会議でも一緒だった。

今は地元・東和の、有機農業の指導者として若者たちを育てている。 

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里山再生を掲げ、復活させた桑園は60ヘクタール。

仲間と一緒に 「桑の葉パウダー」 や 「桑茶」 、そしてジャムから焼酎まで、

次々とヒット商品を開発してきた。

育てた新規就農者は16組20人を数える。

新しいふるさとづくりに手ごたえを感じ取ってきた。

そこに起きたのが、原発事故である。 

「山がどうなるのか、心配で途方にくれている状態」 だと語る。

「でも、みんなで頑張って乗り切ってゆくしかない。 この地で踏ん張っていきたい。」

 

副理事長の佐藤佐市さん。

こちらも元 「わかば会」 のメンバー。

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家庭菜園用の苗も作っていて、園芸福祉も取り入れたいと抱負を語る。

しかし・・・地域資源を循環させることが 「有機」 だと信じてやってきたが、

今は落葉の汚染を心配しなければならなくなった。

悩みは尽きないが、有機農業の 「ゆうき」 は 「勇気」 でもあると思って、

頑張っていきたい。

 

山の落葉、しいたけの原木・・・ 山は資源の宝庫なのに、

今はそれを心配しなければならなくなってしまった。

「使っても大丈夫でしょうか」

実態が正確に分からない以上、明解に答えられる専門家はいない。

 

県は野菜の分析で手一杯なのだという。

「民間の検査機関に出せ」 と言われて問い合わせたら、

バカにならない検査費用だった。

ガイガーカウンターも買ったが、どうやって再生につなげたらいいのか・・・

 

意見交換会を終え、夜には懇親会が持たれたのだが、

山都での堰浚いから福島での生産者との厳しい会議を経て、今日の体験・・・

正直言って、ひどく疲れた感が襲ってきて、

自分でも信じられない。 得意の 「飲み」 に付き合えない。

 

愛媛大学の日鷹一雅さんと溜池や水系の除染についてしばし話し合って、

みんなより早く休ませてもらった。

東和の若者たちと語り合おうと思っていたのに。

 

・・・ああ、終われないね。 続く。

 



2011年5月13日

千葉幸教さんの家族旅行計画

 

福島レポートの途中ですが、書かずにいられない話を。

 

とある旅行代理店から、一本の電話がかかってきた。

エリンギの生産者だった宮城県南三陸町の故 千葉幸教さん のご遺族と

連絡を取りたいのだという。

 

聞けば、千葉さんは家族旅行を計画していたらしい。

中国から来られた奥様と、中学生と小学生の二人のお子様を連れて、春休みに。

行き先は、ディズニーランド。

 

予約金をお返ししたいのだが、連絡先が分からず、

ネットで検索したらこのブログを発見した、とのこと。

 

千葉さんの担当だった須佐武美が対応して、

奥様の連絡先をお知らせした。

 

たったそれだけのことだけど、

子供たちの春休みに、家族でディズニーランド計画・・・

楽しみにしていたんだろうな、千葉さん。

 

このブログも多少は役に立つこともあるのね、とか思う前に、

今になって知らされると、改めて切なさが込み上げてきて、

こんな話が被災者の数だけあるのかと思うと、胸が裂けそうになる。

 

須佐君、さあ。

落ち着いたら、ご招待するってのはどうかな。

みんなでカンパしてさ。

千葉さんのささやかな計画を、どうかな。

 



2011年5月11日

脱原発に向かうしかないです -福島行脚その④

 

今日の朝日新聞朝刊トップの見出し。

「夏の電力 全国で切迫 -原発54基、42基停止も-」

 

震災で止まった青森の東通から茨城・東海までの原発に加え、

これから浜岡原発が止まり、

さらに定期検査を終了しても運転再開を見合わしている原発と

夏までに検査に入る原発が、地元住民との合意が得られずに再開できない場合、

国内の商用原子炉54基のうち42基が止まる事態となる。

国内全電源の2割に相当するらしい。

この夏の電力不足は必至、ということのようだ。

 

電力不足をこれ見よがしに主張して、あるいは計画停電も実施して、

  " だからやっぱり原子力を "  と世論を誘導するねらいだと分析する人もいる。

真偽のほどは知らないが、ならば、こう言うしかない。

 

この夏を、健全に突破しようではないか。

 

楽しく省エネ(節電)、そして再生可能エネルギーに大胆にシフトさせよう。

(大地を守る会では、節電アイデアを募集中 です。)

 

自然エネルギーへの完全シフト -それは充分可能である。

いや可能どころか、今世紀の中頃 (我が子の時代、目の前の話である) には

石油もウランも枯渇すると予測されるなかで、

21世紀のイノベーション(技術革命) は太陽エネルギーの効率的捕捉による

" 低炭素化社会 "  づくりにかかっているといっても過言ではない。

この分野でリーダーシップを発揮することこそ、平和を愛する技術立国の使命である。

 

80年代からの畏友である同時代人の旗手、

竹村真一さん(京都造形芸術大教授) の言葉を借りれば、

「 太陽が提供してくれているエネルギーの、100万分の1でも捕獲して

 利用していくことができれば、この星にはエネルギー問題など存在しなくなる」

(著書 『地球の目線』 や 『環東京湾構想』 から)  のだ。

原子力エネルギーに利権を求めているうちに、

この国は完全にそのレースから遅れをとってしまっている。

 

福島の方々の苦悩と涙への答えは、それしかない。

・・・・・と気合いは入れてみるものの、

なかなか終わらない 「福島行脚」-その④ はつらい報告になる。

以下、続けたい。

 

5月5日の朝、「堰さらい隊」 とともに山都を立った僕は、

会津若松駅で降ろしてもらって、電車で福島へと向かった。

福島県内で野菜の作付契約をしている4つの生産団体に集まってもらって、

異例の合同会議を設定したのだった。

場所は福島市内にある 「福島わかば会」 の事務所。

集まってもらったのは、福島わかば会の他、

二本松有機農業研究会、NPO東和ふるさとづくり協議会、福島有機倶楽部。

 


ログハウスの二階に全部で50人くらいだったろうか、

ぎゅうぎゅうに詰め込んで行なった会議のねらいを要約すれば、

こういうことである。

 

原発事故以降、福島県産の野菜の販売は、正直言って大苦戦の中にある。

大地を守る会では、「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画して

販売に努めているが、皆さんと交わした作付契約量を消化 (販売) し切ることは、

現実的には無理な事態に立ち至っている。 事情をご了解いただくとともに、

この損失はきっちり計算して、東京電力に賠償請求するしかない。

そのための協力は惜しまない。 全力でバックアップする所存です。

 

やったってさぁ、取れる保証はないべ?

-たしかに、僕らの力で保証できるわけではありません。

  しかし、原発事故が招いた被害と影響の大きさと社会的損失は、

  皆さんがどれだけ苦しい思いをしたかも含めて、社会的に示す必要があると思う。

 

具体的に品目ごとに、これからの作付と販売のすり合わせを行ないながら、

「いや、もうそれは (作るのを) やめようと思う」

「予定通り行きたい」

といった意向を、淡々とうかがっていく。 辛い時間が経過していく。

 

質疑のなかで、耐え切れなくなったか、一人の生産者が声を荒げた。

「 避難した子が差別されてるって聞いてるけど、

 俺たち東京電力の電気さ使ってるわけでもねえし、いわば防波堤になってんだよ。

  いったい東京の人は、なに考えてんだよ! 」

 

逃げられないので、東京都民の代理人になって応えるしかない。

「 そういう報道がされていることは知ってます。 でもね、それはごく一部の人です。

 一部の人の心ない言動に胸を痛めている都民のほうが圧倒的に多いはずです。

 十把ひとからげにして非難したり敵意を抱いたりせず、

 支援してくれる人たちへの感謝をもって行動することが今は大切です。

 何をもって応えるかを、考えましょうよ。」

 

・・・そんなことは彼も重々知っているのだ。

言わないでいられない悔しさは、受け止めるしかない。 僕でよければ。

 

とにかく、生産と消費を対立させてはならない。

山都で訴えたことを、ここでも伝える。

子どもを守りたいと思う気持ちを  " 風評被害 "  と一緒にしないように。

それがたとえ拡大解釈によるものだとしても、です。

 

こんな発言もあった。

「 大地さんからいただいた義援金で放射能測定器を買わせてもらおうかと思ってます。

 作る者の責任として。」

---なんてつらいコメントなんだろう。 これが支援の結果? でいいのか。。。

 

大地を守る会に入社して26年。 こんな経験をするとは思ってもいなかった。

 

脱原発に向かうしかないです。

とにかく皆さんの営農を維持するために、できることはすべてやるから、

一緒に前に進んでほしい。

まとめはこれしかない。

 

別れ際、生産者の奥さんが声をかけてくれた。

「春になったのにね、何にもする気力が涌いてこなくてね。

 でも今日皆さんに会えて、やることやらなきゃって思いました。 有り難うございました。」

 

福島担当の佐々木克哉が、

「がんばろうセット」 に入れるリーフレット用に、記念写真を撮りましょうと言う。

福島がんばろう! でいきましょう。

 

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少し笑顔も取り戻してくれたか。

 

決意するところがある。

夏に、「脱原発を宣言する大地を守る会の生産者会議」 を開きたいと思う。

 

福島駅前の一番安いビジネスホテルに潜り込んで、

居酒屋を探す気力もなく、地酒を一本買って部屋で物思いにふける。

駅で流れていた甲子園賛歌 「栄冠は君に輝く」 などを口ずさんでみる。

 

  雲は涌き 光溢れて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

  若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ

  いさぎよし 微笑む希望

  ああ 栄冠は 君に輝く

 

泣けてくるね。

ついでに3番の一節も。

 

  空を切る 球の力に かようもの 美しく におえる健康

  若人よ いざ 緑濃き しゅろの葉かざす 感激を 目蓋にえがけ

 

未来を守らなければならない。 それは僕らの義務だ。

 



2011年5月 9日

母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③

 

「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。

 

原発と放射能汚染の講演に続いては、

この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、

石巻と南相馬での  " 泥だし+炊き出し "  ボランティアに参加した報告がされた。

 

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TV等で何度も見せられた惨状であっても、

やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、

臨場感を持って迫ってくるものがある。

「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」

ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。

生死の境目でなお人を思いやれる心とか、

普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。

自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。

 

講演と報告の後の質疑では、

一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。

「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・

 先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。

 そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。

 どうすればいいんでしょうか。」

 

長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、

質問者には歯がゆい回答になってしまう。

今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、

出来る防衛策をとりながら、、、

長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・

と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、

その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、

僕は目を伏せてしまったのだった。

 


昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、

参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる  " 集中してる "  感じが漂っている。 

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厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、

こんな会議を、、、

やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。

 

さて、重たい雰囲気はここまでとして、

約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。  

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。

それしかない。

今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯! 

 

久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら

の元気な姿も確認できた。

「山都の農場は  " どうしようもないバカ息子 "  に託して、私は西会津に住んでます

 (注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、

西会津の名刺を頂戴する。

バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 "  がいなくなって清々している様子。

面白いね。

 

振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。

こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。

 

「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、

水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。

昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。

浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。

 

農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。

食と環境を支える土台が崩れていっている。

それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。

ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。

 

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来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。

 

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2011年5月 8日

里山で原発の勉強会 -福島行脚その②

 

7日(土) の夕方に福島から戻り、今日は会社で溜まりまくったメールを処理。

これをやっとかないと明日からの仕事にスムーズに入れないので。

それにしても・・・ とても濃密な五日間だった。

 

畜産・水産グループの 吉田和生のツイッター を覗けば、

3日に我々が常磐道に迂回した頃、

彼らは神奈川・三浦の岩崎さん (シラスの生産者) から譲り受けた船を積んで、

宮城に向かってすでに渋滞の中にいたことを知る。

気になっていたのだが、首尾よく届けられたようだ。

三浦半島で漁船を調達して、船を失った三陸の漁業者まで届ける。

いつものことながら、吉田隊 (社内用語) の行動は豪快である。

 

福島行脚最後の夜 (6日) は、

二本松市 (旧東和町) の 「ウッディハウスとうわ」 という宿泊施設に泊まったのだけど、

二人部屋で一緒になった放送大学の先生 (NHKのOBさん) と寝ながらした会話が、

「菅さん (実話では呼び捨て) も浜岡 (原発) を止めるくらいの英断がほしいですねぇ」(エビ)

「あいつはできないね」 (先生) だった。

それが翌日の朝刊を見てびっくりした。

『浜岡原発、全面停止へ -首相要請、中電受け入れ』

(5月7日付 「福島民友」 1面)

 

一日経てば裏事情も含めいろんな情報が耳や目にに入ってくるのだが、

いずれであろうが胸に迫ってくるのは、

歴史という時の中にある  " 今 "  をしっかりと捉えたい、という強い思いである。

どんなふうに社会が進むか、そして自分はどう行動するか、、、

後になって 「一生の不覚」 とならないように進まなければならない。

「思想とは覚悟である」 なんていう物騒な言葉も頭をよぎったりして。

若い頃に読んだ、あまり好きじゃない三島由紀夫の 『葉隠入門』 だったか。。。

 

長い余談はさておき、福島行脚レポートを続けたい。

5月4日、堰さらい (地元では 「総人足」 と呼ぶ) の夜は、

地元の方々との楽しい交流会になるのだが、

今年は全体の空気を読んで、

" その前に震災の現状を知り、原発の問題を考えよう " という時間が用意された。

 

『東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会と里山交流会』

第一部 -「私たちは放射能汚染とどう向き合うべきか」

講師は、東北農業研究センター研究員・長谷川浩さん。

日本有機農業学会の理事もされている。

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

有機農業技術についての会議等で話は何度か聞いてきたが、

原発と放射能についても講義されるとは、さすがである。

 


長谷川さんの話は、まずは今進んできる事実確認から始められた。

放射能漏れ事故で最も深刻な打撃を被ったのは福島県だが、

汚染は北半球全体に広がっていっている。

福島県は東京電力の電力を1ワットも使っていないのに、

福島の農民、漁民が最大の犠牲者になってしまった。

浜通りでは第1原発を中心に南北60km がゴーストタウンになった。

 

続いて放射能の基礎知識をおさらいする。

放射性物質というものについて、放射能と放射線の違い、生物に与える影響、等々。

放射能の出ない原子力発電所は理論的にあり得ないことを知っておくこと。

その上で、100%安全な技術というのは存在しないことも。

日本列島は火山、地震、津波、台風の常習地帯であることも。

 

原子力や放射能の専門家ではないので、と断った上で、

長谷川さんの私見が語られた。

放射能も放射性物質も五感では分からないため、数値に頼ることになる。

しかしながら、人間の健康に影響が出ると分かっている最低値=100ミリシーベルト

以下の放射線量についての健康被害は、長期的な影響まで含めると、

実はまだ科学的に証明されていないのである。

疫学調査は、年齢・性別・喫煙・生活習慣などに左右されて、必ずしも明確な結論が出ない。

そこで、「危険であることを証明し切れていない」 を元に、

「大丈夫」 から 「少なければ少ないほど」 という予防原則の観点の間で、

幅広い解釈が成り立ってしまう。

数値に対する判断が、専門家の間でも正反対になることがある、

それが放射能という問題である。

 

いま進んでいる事態は、

低線量を長期間被爆した場合の人体実験にさらされているようなものだが、

しかし開放系空間に放出された放射能の影響を 長期的に見ようとすればするほど、

因果関係の証明は困難なものとなるだろう。

 

長谷川さんの  " 私見 "  はさらに続く。

これまで数多くの大気圏核実験やチェルノブィリ事故、そして今回の事故等によって、

もはや北半球にゼロ・リスクの場所はない。

どの説を採用するか、どこまで許容するかはあなた次第です。

より低いところを望むならば、疎開してください (どこがいいのかは言えないけど)。

でも200万の福島県民が疎開することはほとんど不可能。

そうなったらそれは難民である。

 

水田は kg の土壌あたり 5,000ベクレルまでなら耕作できることになった。

しかしできるだけ土壌中セシウムを吸わない (+減らす) ために、

農民こそが知識を持つ必要がある。 

 

いかに汚染されようが、人はそれでも種を播いて、たべものを収穫し、食べ、

水を飲まなければ生きてゆけない。

 

電気や資源を湯水のように使う「文明病」は、もう終わりにしよう。

不便な生活が正常で、いまほど便利な生活は異常である (それには裏があるが)。

東京は、電気はもちろん、水、食べ物の自給率はほぼ 0% である。

地方を収奪して肥大化してきた。

首都圏の皆さん。 福島県を買い支えてください。

 

配布資料は、電気を使いまくる都市に対する挑発的な文言で締めくくられているのだが、

彼に対する誤解を避けるために紹介は控えておきたい。

研究者の前に、彼も人間なのだ。

 

では、長谷川さんの講義を受ける形で、大地を守る会の戎谷さんからコメントを。

ヤな役回りだな、いつも ・・・・

 

僕の結論はいわば、ご覧の通り、である。

原発というのは低コストなものではなく、温暖化防止につながるものでもなく、

永久的に廃棄物を管理し続けなければならず、

決して人をシアワセにするエネルギーではない。 止めるしかないですよね。

 

消費者の間では確かに福島産の野菜に対する買い控えが起きているけど、

それを風評被害と言って責めてはいけません。

風評被害とは、小さなお子さんを持つ母親の防衛行動とは別にある。

今ここで生産者と消費者が対立してはならないです、ゼッタイに。

ともに暮らしの基盤である食と環境を守るために

支え合いの精神をこそ発揮して前に進みたいものです。

そのために、大地を守る会では 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画し、

消費者と生産者のつながりを維持していこうと頑張ってます。

・・・と上手に言えたかどうかは不明だけど。

 

 

なんだか今回のレポートは長くなりそうだ。

一杯やりたくなったので、この項続く、で。

 



2011年5月 5日

GWは堰さらいから -福島行脚その①

 

福島行脚中です。

 

3日から会津・山都に入り、堰さらいに参加して、

今日は福島市で4つの生産者団体とつらい会議を行なって、

いま福島駅前のホテルに潜り込んで、シャワーして飯を食って

ひと息ついているところ。 

明日6日~7日は日本有機農業学会の方たちと一緒に、

相馬~南相馬の被災地を回り、現地の生産者と交流する予定です。 

以下、順次振り返りながら報告を。

 

5月3日(火)、我々「大地を守る会堰さらい隊」 は、

東北道の渋滞情報をチェックしながら、常磐道に迂回して、

いわきから郡山へ、そして磐越道を走って会津若松で降り、喜多方市に入る。

大和川酒造に立ち寄り、差し入れ用の酒 (種蒔人+α ) を積んで、山都に向かう。

 

5年連続となった堰さらいボランティアも一人二人と仲間が増えてきて、

今年の参加者は6名となった。

 

変わらぬ里の風景が出迎えてくれる。

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ちょうど桜の満開に当たるのも嬉しい。

 

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今年のボランティアは総勢30名弱といったところか。

大地を守る会からは6名だが、

他のグループや単独参加者にも会員さんがいらっしゃって、ちょっと誇らしく思ったりして。 

 

3日の夜は公民館で、前夜祭と称して地元のリーダーやボランティアの方々と懇親会。

そして4日、朝飯をみんなで作って食べ、昼のおにぎりも用意して、

例によって上流から下る組 (早稲谷チーム) と

下流から上る組 (本木チーム) に分かれて、出発。

我々は上流組に編成される。

 

一番上の取水口に到着。

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この 「本木上堰」 の長さが6kmというから、それぞれ約3kmの行程を、

落葉や土砂をさらいながら、ムカデのように進んでいく。

こんな感じで。 

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江戸時代に掘られたという 「本木上堰」。

どれだけの年月がかかったのだろうか。 全貌を示す記録は残ってないようなのだが、

この疏水のお陰で麓の田んぼに水が行き渡るようになった

(いや、これによってたくさんの新田が開かれたのだろう) ことを思えば、

米にかけた執念が偲ばれる。

毎年々々雪や災害で潰されながらも、

連綿と水循環の血脈となって会津山間部の暮らしを下支えしてきた。

5月4日は、田植え前の、集落総出での堰の清掃日というわけだ。

水は地域共同体の絆もつないできたに違いない。

 

コンクリ等で修復された箇所も随所にあって、

人と水路の長い長い付き合いの歴史が想像される。 

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今年の冬は尋常じゃなく雪が多かった。

まだ雪に埋まっている場所もある。

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大雪の影響か地震によるものか聞きそびれたが、

壁が壊れた箇所もある。 

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大人が四つんばいになってようやく入れるかという洞穴がある。

これもいつ掘られたのか、定かな記録はない。 

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山の随所から湧き出る水が一本の水流となって、それを堰が受け止める。

緩やかに下りながら、水は温められ、水田を潤す。 

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堆積した落葉や土砂を浚いながら進む我々にまるで寄り添うように、

水もついてくる。 水量を少しずつ増しながら。 

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途中、スギの大木が倒れて水路を塞いでいたりする。

これはチェーンソーでも持ってこないと始末できない。

何とか枝だけでも落とし片づけ、水を通すようにする。

花粉を10年分くらい浴びただろうか。 スギ花粉症の方には無理な仕事だ。

 

作業の合い間は、風景で癒される。

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こういう生命と自然が一体となった姿を眺めながら汗を拭くときが、

「ああ、今年も来てよかったな」 と思い、感謝するひと時である。

 

下から上ってきた班と合流したのは午後3時前くらいだったか。

終了後は、公民館前で恒例の打ち上げ。

お酒や豚汁が振る舞われ、これまたいつものように豆腐一丁にサバの水煮缶。

豆腐とサバ缶を出すようになった由来は地元の人もよく分からない。

たぶん手軽に用意ができ、その場で食べてもよし、そのまま持ち帰ってもよし、

蛋白源として誰にとっても 「ほど良くありがたい」 ものとして定着したのではなかろうか。

勝手な想像だけど。

 

堰に水が通り、いよいよ田の仕事が始まる。

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この棚田にも、間もなく水が入る。 

 

こうしていつもなら元気が涌いてくるところなのだが、

人々の気持ちに陰鬱な陰を落としているものがある。

原発事故と放射能汚染という問題だ。

夜に開かれた交流会は、そんな今を反映して、

地元住民に広く呼びかけての原発勉強会からスタートした。

 

続きは、スミマセン。 帰ってから。

 



2011年4月27日

堰さらいボランティア、今年も行こうと決めた。

 

ゴールデンウィークは過去4年、

会津・山都 (福島県喜多方市山都町) での堰さらいのボランティアに通ってきた。

今年は、こういう事態となって、迷ったのだけど、

どんな時でも明日のためにやるべきことはやらなければならないと、

腹を決めて行くことにした。

 

若い生産者グループとして3年前に結成した 「あいづ耕人会たべらんしょ」

の浅見彰宏さんからも、「遅まきながら~」 と案内が届いた。

彼もボランティアに出たり、放射能に悩んだりしながら、

この日々を過ごしてきたようだ。

彼のブログ、『ひぐらし農園のその日暮らし通信』 をどうぞ読んでやってください。

  http://white.ap.teacup.com/higurasi/

 

去年は地元の方々との夜の交流会で、

「食と農と堰のかかわりについて」 というテーマで話をさせられたけど、

今年は原発の勉強会が設定されたようだ。

「東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会&里山交流会」

 

やる気になったね。

こうなると、ますます行かないわけにはいかない。

 

去年の作業の様子です。 

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初めてこの情報に触れた方には、昨年の日記もご参照いただけると嬉しいです。

昨年5月5日の日記 → http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/05/05/

 同 5月6日の日記 → http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/05/06/

 

もし、今からでも、「行ってみようか」 と思われた方がいらしたら、

ご一報ください。

下のコメントを利用される場合はメールアドレスをお忘れなく (非公開扱いとします)。

ひぐらし農園・浅見さんへの連絡でも結構です。

大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人(たねまきびと)」 を用意して

お待ちします。

(注 : この堰さらいには、種蒔人の販売で積み立てている「種蒔人基金」

 からも、協賛として毎回交流会用にお酒をカンパしております。)

 



2011年4月14日

今年の合い言葉は 「希望の米」 でいこう

 

余震が治まらない。

しかも福島がずっと揺れ続けている。 もういい加減にしてくれと叫びたくなる。

 

遅まきながら、そんな福島・中通りにある須賀川のジェイラップさん

(生産団体名は 「稲田稲作研究会」 ) に、

救援物資を持ってお見舞いに伺った際の写真をアップしておきたい。

 

3月31日(木)、2トン車をレンタルして、

復旧したばかりの東北道を突っ走ること約3時間。

白河を越えたあたりから急に、高速道路が田舎道みたいになっていて、

亀裂や段差が連続的に発生している。

周りを見れば、損壊したり屋根にシートが掛けられている家屋がいっぱいあって、

相当な地震だったことがうかがわれる。

 

持参した物資は水とお茶、職員のカンパで買った少しの日用品と食べ物。

そして会員の方々から寄せられた義援金から、お見舞い金を用意させていただいた。

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写真中央が関根政一専務、右が伊藤大輔さん(左は農産チーム・須佐武美)。

 

ここ須賀川は新聞等でも報道された通り、藤沼湖という農業用水用ダムが決壊し

何人かの方が亡くなられている。 

崩壊した家屋も多く、ライフラインもしばらく大混乱したようだ。

「水は本当に有り難い。 小さなお子さんのいるメンバーに早速分けてあげたいです。」

「こうやって来ていただいて、水まで持ってきてくれて、ホント、元気が出ます!」

こちらが恐縮して言葉も出ないくらいに感謝されてしまった。

もう一パレット分くらい持ってこれればよかったんだけど、

なかなか確保できなくて・・・と深謝する。

 

被害第一報で、壊れたとお知らせしてしまった備蓄米の貯蔵タンクは

間違いなく無事、を確認。 

まったくビクともせず、頼もしいかぎりである。

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実はタンク以上に心配していた太陽熱乾燥設備も、なんと 「損傷なし」。

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これが壊れていたら・・・ ちょっと想像したくない。

 


損傷が大きかったのは、実は精米ラインだった。

機械が相当に踊って、要所要所のパイプがはずれたりした。 

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メンテナンス会社の人たちが4日間泊まり込んで復旧させた話は、

すでに紹介した通り。

修理に入って一週間で一部配送再開にこぎつけた力技には、本当に感謝したい。

 

さて、こちらが噂の  " はたまる " (畑まるごと乾燥野菜) 用に

新たに建設した乾燥設備の建物。 本邦初公開!

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完成したばかりで地震に見舞われたが、傷一つなく立ってくれていた。

「できたばっかりでねぇ、まだ何も働いてないのに、、、これがやられたら、

 さすがに気持ちも折れたでしょうねえ。 立ち直れなかったかも」

と関根さんは、胸をなでおろしながら語る。

 

機械設備が搬入されてなかったことも幸いした。

高価な機械が入った状態だったら・・・ これまた想像したくない。

なんたってオリジナル仕様の機械がズラリ、

パウダーにする製粉機もそこらへんのものじゃないレベル。

計画より若干遅れ気味だったのが結果オーライとなった。

設備の詳細は、いずれちゃんとご紹介させていただきたい。

 

備蓄米に乾燥野菜。 

僕らがジェイラップと一緒に進化させてきたこれらの取り組みは、

震災など非常時にこそ最も力を発揮するものだ。

本来なら、ともに胸を張って自慢し、働きを見せたいところだが、

原発事故の暗い影が心を晴れなくさせている。

須賀川では、有機農家の自殺者も出ている。

 

「辛い日々ですけど、前を向いて進むしかないっすね。 やることはやりますよ。」

代表の伊藤俊彦さんの言葉は、自身にも言い聞かせているようだった。

やることはやる。

米づくりの準備も敢然と始めた。 今やらないと秋が見えなくなる。 

種籾の温湯消毒。 

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2週間遅れのスタートだけど、田植えの頃には

1週間から10日遅れくらいには挽回する計画である。

ダムが潰れて水が確保できない田んぼもある。

不安は尽きないが、やれることはすべてやって天命を待つ。 

気合い入れてやります。

会員の方々にも、

" 皆さんのおかげで元気になれます。 稲田は頑張っている。

  ゼッタイにいい米を、今年も作って見せます! " と、伝えてほしい。

 

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事務所は約半分ほどが地盤とともに傾いてしまっているのだが、

その中で彼ら彼女たちは明るく仕事に精を出していた。

希望を持って明日に立ち向かうその姿は、僕らにも勇気を与えてくれる。

関根さんと約束した。

今年の米づくりの合い言葉は、「希望の米」 にしよう。

秋に歓びを分かち合うことを誓って、お互いに前に進もう。

 

様々なイベントが中止になる中で、

千葉・山武で毎年開催している 「大地を守る会の稲作体験」 は

実施を決めて募集に入った。

 

私たちは食べることをやめることはできない。

生産者も 「こういう年だからこそやってほしい」 と願っている。

千葉でも、みんなの輪と力で 「希望の米」 を収穫するのだ。

 

帰りの道々で眺めた爪痕はまだ生々しく、写真を撮るのもはばかられたのだが、

常松義憲さんが地震直後に撮影したものをDVDに焼いて渡してくれたので、

何枚かピックアップさせていただく。

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もっとひどく地割れした果樹園もあった。

 

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一日も早い復旧を願ってます。

 



2011年3月26日

感謝と誤報のお詫び。そして願わくば 「希望の米」 へ。

 

地震と津波による大災害が起きてからの日記で、

この間コメントをお寄せいただいた

大豆 さん、ゆう さん、竹田由美子 さん、天下無敵 さん、フカヤ さん、谷川 さん、

小黒江利子 さん、農民たかはし さん、ソレイユ さん、MO さん、ゆかり さん。

お返事も書けずにいまして、すみません。

皆さんの温かいひと言ひと言に、けっこうグッときてました。

皆さんの期待に応えられるよう精一杯やらねば、と読ませていただいておりました。

この場を借りて御礼申し上げます。 有難うございました。

小黒さん、お久しぶり。 元気でボランティアに参加されている由、頑張ってください。

 

また潮田さんには、本当に申し訳ありませんでした。

私自身、無事の一報を得て舞い上がってしまいました。

かえってつらい思いをさせてしまったかと、深く後悔しております。

 

他にも何人か安否確認でお問い合わせを頂戴し、

個別にお返事させていただきました。 

このブログも少しはお役に立てたようで、嬉しいです。

 

第一報ということでは、もうひとつ誤報を出してしまいました。

被害の状況をお伝えする中で、

福島県須賀川市・ジェイラップ (生産団体名=稲田稲作研究会) の

 「備蓄米の貯蔵タンク」 が損傷を受けた、とお伝えしましたが、

正確には 「精米ライン内のタンク」 でした。

地震後の数日、ほとんど連絡が取れない中、

当社職員の携帯電話で幸運にもつながった際に 「タンクが破損」 との報告を受け、

すっかり貯蔵タンクかと思いこんでしまったようで、

そのまま 「被害情報」 として流してしまいました。

正確な確認がなかなかできない状況下で、

いち早くお知らせしたいという思いであったとはいえ、

不正確な情報を流してしまいました。

たくさんの心配の声が寄せられ、感謝とともに、深く深くお詫びする次第です。

 

本日、ジェイラップの関根政一さんから

籾(モミ) 貯蔵タンクの写真が届いたので、アップします。

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写真に張り付けられたコメントは以下の通りです。

 

大地を守る会 備蓄米登録会員様へ

  3月11日に発生しました 「東北地方太平洋沖地震」 にて

  大地を守る会様より 「籾貯蔵タンク」 が破損したとの発表がありましたが、

  安否及び被害状況確認時の情報に行き違いがあり、大変ご心配をおかけしましたが、

  ご覧の通りビクともせず無事ですので、ご安心いただきたく思います。

  この度は、皆さまよりご心配や励ましのお言葉をいただき、

  誠にありがとうございました。

                                 平成23年3月26日

                                   稲田稲作研究会

 

ジェイラップの、その後の驚異的なスピードでの復旧努力については、

お伝えした通りです。

ただ、もっと深刻なのは、実は今年の、これからの米作りです。

須賀川では、新聞等でも報道されましたが、藤沼湖という農業用ダムが決壊し、

用水路や送水ポンプにも被害があり、農業用水の確保が困難なほ場が

多数発生しているという状況です。

それでも稲田稲作研究会では、可能な限り諦めないで作付を行なうこと、

目標、希望、農地を捨てず、前向きに進む決意を確認し合い、

今日から、23年産米の作付に向けて、種籾の温湯消毒を開始しました。

「どの程度の数量が確保できるかは分かりませんが、精一杯頑張ろうと思います」

と関根さんは力強く語ってくれています。

 

しかし、追い打ちをかけるように、福島原発事故の影響が、

日を追って深刻になってきています。

福島第一原発から西南西に70㎞という距離があっても、

福島県内というだけですでに風評被害の影響も受けています。

 

震災や冷害など非常時にこそ力を発揮する 「備蓄米」。

外部からの汚染に対して最も安全で、しかも食味や品質を損なわない 「モミ貯蔵」。

未来への永続性を見据えながら、環境を守る稲作技術を進化させてきた生産者たち。

20年かけて築いてきた最強布陣のシステムも、

もしこのまま放射能問題が長期化すれば、どうなるだろうか。。。

 

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「 見えない先を恐れて、何もしないで立ち止まれば、目標も希望も失ってしまいます。

 私たちはとにかく、安心して食べてもらえる米作りに、ひたすら取り組むのみです。

 いま私たちが作業を始めなかったら、来年のお米がないわけですから。 」

 

「 色々な困難が待ち受けていると思いますが、とにかく前に出るのみです。

 頑張りますから。」

 

ジェイラップ・関根政一さんの言葉は、けっして彼だけのものではなく、

想像を絶する震災に遭いながらも、

いま田んぼに立っている、すべての農民共通の思いに違いありません。

 

ただ前を見るしかない。

秋に見せてくれるであろう黄金色の稔りに希望を託して-

そんな思いで今年の米作りをスタートさせたすべての農民に、

心からエールを送りたい。 そして祈ります。 

 - 雄々しいタンクの写真と関根さんの言葉を見つめながら、そんな思いです。

 

なお、大地を守る会のHPでは、

「大地を守る会の生産者の被害状況」

が一覧にまとめられていますので、どうぞご確認ください。

 



2011年3月21日

みんな頑張っている

 

とてもつらい訃報の悲しみにひたる間もなく、

津波のように追い討ちをかけてくる福島原発事故の影響。

 

避難所では笑顔で励ましあっている人たちがいて、

ボランティアで東北に向かう人がいると思えば、

放射能汚染から逃れるために東京から避難する人も現われてきた。

 

原子力発電所では、50メートルまで近づいて放水を続ける人たちがいる。

彼らの胸の中にあるのは家族と子供の笑顔だろうか。

それとも一人の、孤的な美学がその行動を支えているのだろうか。

一方で、ホウレンソウはどこであっても要らない、という小売店まで現われた。

 

天使の心を発揮する人もいれば、悪魔の言葉を増殖させる人もいる。

僕はこの現実を冷静に受け止められず、翻弄されている。

ただただ判断を誤らないことを願いながら。

 


青森・新農業研究会の一戸寿昭会長から電話が入る。

青森とあって、何か起きたかと一瞬不安がよぎったが、用件は逆だった。

「大地から震災に対する方針が届いてこないんだけど、どうなってんの?」

 

倉庫や冷蔵庫が壊れたにもかかわらず、

「こっちの被害なんてどうってことないんだからさ。 支援の要請をよこしてよ。」

この程度じゃ被災だなんて言ってられない、支援させてほしいのだと言う。

91年の19号台風以来、被害への支援を受けた感謝を忘れない人たち。

この底力。 また涙が出てくる。

 

どこもみんな、建物や設備の損壊はある。 しかしそれで弱音を吐く人がいない。

たとえば本ブログにも時折登場する宮城の大豆生産者、

高橋伸さんのブログ  を見れば、大変な被害だったんだと改めて思う。 

これからの復旧資金は、どれだけの重荷になるだろうか。

でも彼は、心配する僕らに対して、「こっちは大したことないから」 と言ってくれる。

人への思いやり、あるいはへこたれない意思表示として。

 

たとえばこの間報告した福島県須賀川市・ジェイラップ。

驚異的な復旧で、今週末には米の供給を再開させるところまできた。

この程度で泣きごとを言うわけにはいかないという意地もあれば、

求めてくれる消費者に一日も早く届けたいという義務感もあれば、

励ましたいという願いも、やったぞと胸を張りたい男気も、あるのだろう。

みんな、強い。

 

須賀川で起きた農業用ダムの決壊など、

これから見えてくる影響については、改めて記したい。

この地震の影響は、まだまだ想像の範囲を超えて現われてくるだろう。

もうすでに今年の米作りの準備に入っていなければならない時期に

来ていることを想像してみてほしい。

 

ともすれば暗くなる気分をふっ飛ばすかのように、

岩手から突っ走ってきた奴がいた。

「総合農舎山形村」 の所長、木藤古修一さん(下写真の右) と大向さん(同左)。

 

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(写真提供:吉田和生)

 

18日夜20時30分に岩手県久慈市山形村を出発し、不眠不休で国道4号をひた走り、

翌19日朝10時過ぎには習志野物流センターに到着した。

宅配の注文品や東京駅エキュートの商材を、自ら運んできたのだ。

 

翌日の製造業務もあり、昼飯を食って、

集まっていた救援物資を積んで、とんぼ返りした。

帰りはさらに相当な、いや見事な荒業を駆使して走ったようだ。

 

職員中心に、急ぎ集めている救援物資。

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岩手県久慈市に引き取ってもらい、

各被災地にも振り分けてもらうようお願いしている。

 

各地の生産者から支援の申し出が続いている。

速やかにすべての愛に応えたいと思うのだが、

一方で原発事故は、未経験領域の  " 責任の取り方 "  の判断を迫ってくる。

 

この経験を、ひるまず力にしなければならない。

希望を信じて、覚悟を決めて、前に進むしかない。

 



2011年3月20日

悲報

 

コメントにて消息を尋ねられ、

いったんは無事避難されているとの情報をお出しした、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (志津川アグリフード) ですが、

津波による遭難でお亡くなりになったことが判明しました。

 

地震後の第1派では、ご家族と一緒に避難されたのですが、

作業場に取り残された従業員の方を探しに戻られた際に、

第2派の津波に襲われたとのことです。

生存者名簿に記載されていたことや、ホテルに避難されたとの情報も、

おそらくはその時間差によるものかと思われます。

作業場で従業員の方と一緒に発見され、

18日、仙台にお住まいの千葉さんのお姉さまが

南三陸町の遺体が安置されている施設でご確認されました。

なお、奥さまやお子様はご無事です。

 

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(撮影:須佐武美) 

 

千葉さんは、当会との取引が始まってより、

地域で仲間や栽培品目を増やしていきたいと、夢を語っておられました。

残念でなりません。

千葉幸教さんのご冥福を衷心よりお祈りいたします。

 

また情報が錯綜してしまいましたこと、深くお詫びいたします。

 

 



2011年3月18日

心をひとつにして

 

また聞きながら、どっかの会社の社長さんが、ブログで

「今が稼ぎ時」 みたいなことを書いて、バッシングを浴びているという話を聞いた。

物資不足にめげず、厳しい環境下でもみんなが一つになっていたわり合い、

支え合おうとしている中で、

なんという心ない、悲しい発言だろうかと、ブチ切れそうになった。

でも、そう考えている人は多いのかもしれない。

商売自体は何も悪いことではない。

必要とされるモノが人の間をうまく流れることで、人々の暮らしが安定するわけだから。

しかしお金というとても怖い両刃の剣を手段として手に持つ以上、

商いには礼節と仁義を欠かせてはならない、ゼッタイに。 

弱みや混乱に乗じて儲けるのは " 悪徳 "  である。

今だけは、せめて今だけは、この国でそんな姿は見たくない、

聞きたくないと思っていたのだったが。

怒りというより、悔しいと感じてしまうのは、

美しい国であってほしいと思う心根が、僕にもまだ多少は残っているからか。

 

備蓄米の精米ラインに損傷を受けたジェイラップ(福島県須賀川市) の

伊藤俊彦さんからメールが届いた。

 

大地震の後の余震も徐々に減りつつあるようです。 

精米工場の修復も本日(17日) までに一応の対策を完了しました。

明日いっぱいかけて試運転を行う予定です。

埼玉のエンジニアリング会社が、今日で四日目の作業を行なっております。

会社事務所に断熱材を敷き、風呂もシャワーも無しの3泊です。

真っ先に駆けつけ、ひたすらメンテナンスに当たっている姿に

手を合わせたい心境です。

家内の有り合わせ料理を 「おいしい」 と言ってくれる気持ちにも、ただ感謝々々です。

 

自分のことを後回しにして、頑張っている人がここにもいる。

みんなが言い始めている。 「ニッポンはまだ捨てたもんじゃない」。

それにしても猛烈なスピードでの復旧である。

鬼の形相でメンバーを鼓舞する伊藤俊彦、

「こんなのでツライなんて言ってたらバチがあたるぞ」 とか言っているのだろう。

「分かってますよ」 と歯を食いしばって働くメンバーたち。 彼らの顔が見えるようだ。

手を合わせたいのは我々の方である。

 

福岡県久留米市の石橋製油の上野裕嗣さんからも、

ダミ声ながら勢いのある電話がかかってきた。

「 油は油でもウチの油は、今のところあんまり必要ないようなので、

 水とお茶を習志野センターに送りますんで、使ってやってください!

 飛んでいきたいのはやまやまなんですが~、これくらいしかできませんで、

 ホント、なんかですね、お役に立たんといかんと思って、いてもたってもおれませんわ。

 お願いします、使うてください! お願いします! 」

数を聞けば、重量にして約 1.5トン ある。 参ったね。

被災地に届ける約束をして、有り難くお受けすることにした。

 

午後3時、本社にいた社員が集められて、

藤田社長から檄が飛ばされた。

 

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歴史に語り継がれることになるだろう未曽有の大惨事が進行している。

わが社も物流センターに多少の被害が発生したが、

東北で被災した方々に比べれば、何ほどのものでもない。

義援金や救援物資なども含めた被災者支援も最大限行ないたい。 

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福島原発では、暴走を食い止めようと必死で頑張ってくれている人たちがいる。

我々はずっと原発には反対してきた立場ではあるが、

今は政府や電力会社を批判している場合ではない。

私たちはもはや、命がけで作業にあたっている自衛隊や東電の社員さんたちに

かけるしかなくなっている。 彼らの頑張りに心から感謝し、応援したい。

事態は刻一刻と変わっていっているが、

各員、自分の持ち場で全力を尽くし、みんなの力でこの難局を乗り切りたい。


畜産水産グループ長の吉田和生からは、

義援金や救援物資といった一時的なモノだけでなく、

大地を守る会らしい、生産者のネットワークの力も活かした支援を考えたい、

という決意が語られた。

 

考えなければならないことは色々あるが、やってみようか。

鈴木康弘へ。 呼びかけは、お前の一文でいきたい。 受けるよね。

 



2011年3月17日

つながりと支援の輪を形にしよう

 

インターネットの検索から、お二人の方がこのブログにたどり着き、

生産者の安否を尋ねて来られた。

南三陸町の千葉幸教さんと、奥松島 (東松山市野蒜須崎) の二宮義政さん。

僕らももっとも連絡に苦慮した二人だった。

無事をお知らせして喜んでくれるのが、こちらにとってもこんなに嬉しいことかと、

不思議な気持ちになったりしている。

(まだ予断を許さない状況ではあるけれど。)

 

改めて書くと、二宮さんからの一報を受け取った

吉田和生 (畜産水産グループ長) からの報告は、こんな感じだった。

 

  帰れずに会社近くのホテルに泊まっていた3月14日(月) 朝7時前、

  二宮さんから携帯に電話が。

  「生きてたか!」 思わず叫び声を上げてしまった。

  二宮さんの家は、200人の遺体が発見された野蒜海岸、

  そして家の前がそのまま海という場所なので、

  はっきり言ってダメかなという思いが頭をよぎっていたのも事実。

  聞いてみると、地震があった瞬間に車で逃げたが、

  津波に追いつかれ、飲みこまれ、流され、電信柱にぶつかって止まった。

  しかし、窓ガラスが割れ、濁流が。 必死に脱出し、奇跡的に逃れた。

  その後は着のみ着のまま、10ヵ月になる孫の悠斗君を抱え、さまよい続け、

  3日目の夜に利府の親戚にたどり着き、ようやく畳の上で休めた。

  途中、孫は低体温で真っ青になり、

  孫だけは生きて欲しいと、必死にさすりながら、彷徨ったと。

  家も船も流され、孫のミルクにも不自由しているが、

  生きていて良かった。 本当に良かった。。。

 

隣で聞いていた N によれば、あのコワモテ、暴走族上がりの吉田が泣いていたという。

地獄のような惨劇のなかにあっても、

人はつながりと  " 愛 "  によって希望を持つことができる。

TV では子どもたちの健気なボランティアが大人を励ましている。

忘れないようにしよう、この心を。

 

石巻の 「高橋徳治商店」 社長、高橋英雄さんは、

孤立状態だった避難場所で、最後まで残って130人の避難民を誘導したという。

塩釜の 「遠藤蒲鉾店」 遠藤栄治さんは、

従業員全員で高台に避難して、家族も従業員も事なきを得た。

心配していた工場も奇跡的に大きな被害はなく、水道とガスはまだ開通しないが、

今も近隣では遺体が発見される日々だという。 心情は言葉に表せない。

 

あらゆる事態に圧倒される。

どんな言葉も軽くて軽くて、この無力感がやり切れない。

 

ベトナムの農村で地域開発に取り組むNPO団体の Ⅰ さんから

13日に届いたメール。

 

  日を追うごとに被害の状況がわかるようになり、

  ハノイで大変せつなく哀しい思いをしております。

  在ハノイ日本人の中にも東北にご家族がいらっしゃる方が大勢おり、

  未だに連絡が取れず、焦りを感じておられます。

  

  ベトナムのニュースや新聞では、困難な状況の中で、

  日本の皆さんが迅速に冷静に組織的に救援活動を開始し、

  秩序を保って行動していることが高く評価されています。

  私たちにとって、とても辛く厳しい状況ですが、日本の和の精神を大切に、

  この困難と悲しみを力を合わせて乗り越えていきましょう。

 

そして元大地を守る会の職員で、群馬県倉渕村(現高崎市) に入植した

「くらぶち草の会」 の鈴木康弘が、

いてもたっても・・・という心情がにじみ出たプランを送ってよこした。

 


被災者(特に農家がいれば) を受け入れるファームスティの

農家ネットワークを組織してほしいと。

 

  自分たちは農家です。

  ボランティアに行きたくても、自分の持ち場(畑) から離れることはできません。

  しかし一時的な避難先として受け入れることは可能です。

  部屋と食事を提供することぐらいはできます。

  特に農家の方などは、農作業をしながら故郷の再生の時に備えることは

  体育館や仮設施設でもんもんと過ごすより

  精神的にも良い部分が多いのではないかと考えます。

  受け入れ側も農作業をお願いしやすく、強力な助っ人になるでしょう。

  ぜひ、大地の方々や生産者理事の方などで話し合ってもらえればと思い

  メールしました。

  こみ上げてくる悲しみ、悔しさ、そして無力感。 そんな気持ちが

  心の底から湧き上がってくるやる気、使命感に変わってきています。

  それぞれが自分の持ち場で最高の仕事をするしかないと

  みんなが気づいてきているように思います。

  それでは。 畑へ急がねば・・・。

 

分かった。 時間もないけど、精一杯考えてみよう。

 

徳島県阿南市の武田水産・武田輝久さんからも同様の電話が入ってきた。

「 漁師は陸(おか) に上がっても何もでけん。

 三陸の漁師の技術(うで) を徳島で活かしてくれるんやったら、

 何人でも受け入れたるぞお。 」

 

吉田和生もその気になってきた。

大地を守る会のネットワークで、一次産業の懐の深さを、

そこに農や漁があることの有り難さを、みせてやろうか。

 

支援物資や義援金の問い合わせもたくさん入ってきて、

準備も一気に進んできた。

会員の皆さま、生産者の皆様、来週にもご案内を差し上げますので、

ご支援ご協力のほど、お願い申し上げます。

 

物流は、とにかく油、燃料とのたたかいになってきている。

モノがあっても届けられない。

それでもなんとか、同種の代替品を入れさせていただいたりして、

注文の8割強は供給できている感じだろうか。

習志野物流センターのライフラインはまだ修復しないが、

みな気合いで頑張ってくれている。

 

今も余震は続いている。 今日は静岡でも地震があった。

制御不能に陥った福島原発は、大暴走を食い止めるべく必死の防戦を強いられている。

真綿で首を絞められるかのように進むクライシスが、

人々の不安と恐怖を増幅させている。

 

夜、前回の日記で紹介した茨城の濱田幸生さんに返事を出す。

もう気休めの言葉は書けない。

 - 生きましょう。 生きて、この腐れ社会を立て直しましょう。

 



2011年3月15日

安否確認

 

昨日の日記へのコメントを通じて、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (「志津川アグリフード」) の

消息をたずねてこられた潮田沙織 様。

仕入担当・須佐があちこちアンテナを張って調べていたところ、

ようやく 「無事のようです」 の情報提供を得ました。

直接本人と会ってないので、まだ確定とは言えませんが、

ご本人とご家族は近くのホテルと小学校に避難されているようで、

南三陸町の生存者名簿にも記載されているとのことです。

お体の様子がつかめませんが、とりあえずひと安心、というところでしょうか。

よかったです。

 

これで農産関係の生産者はほぼ無事が確認ができました。

「ほぼ」 というのは、団体のメンバー全員の確認まではまだやり切れてない、

という事情です。

 

弊社・幕張本社と習志野物流センターは、

計画停電情報と交通機関の混乱に振り回されながらも、

何とか人の手当てから臨機応変な業務オペレーションまで、

やりくりしながらつないでいます。

昨日は職員の送迎で、京葉線・海浜幕張から総武線・西船橋間の

ピストンもやりました。 車に自転車まで積まされたのは参りましたが。。。

 

配送も遅れ遅れながら、頑張ってくれています。

ただ産地からの物流が、道路事情だけでなく燃料の確保がままならず、

随所でストップしている状態です。

茨城県行方市の卵の生産者、濱田幸生さん (キジムナー農場) が

彼のブログ 「農と島のありんくりん」 で、

あまり報道されない茨城の状況を伝えています。 ぜひ読んでみて下さい。

 

亡くなられた方やご家族の方々には本当に申し訳ない言い方ですが、

大地を守る会の生産者は皆さん、何とか無事で、頑張って生きてます。 

気持ちを切らすことなく復旧に入られた方々には、本当に頭が下がる思いです。

 

いろんな食材が欠品になっています。

それでも他の生産者・メーカーさんのもので代用できるものは

手当てさせていただいています。 

食べていただければ、生産者にとっても嬉しい限りです。

どうか事情ご理解くださいますよう、お願いします。

 

地震に加えて、原発の状況がますます緊迫してきています。

ヘンな情報も乱れ飛び始めているようです。

冷静に判断しながら行動しなければならないですが、

とはいえ最悪の事態になったら・・・ 身も震えてきます。

大地を守る会は、86年のチェルノブイリ事故以来、ずっと原発に反対してきました。

その力が足りなかった悔しさに歯ぎしり噛んでいますが、

しかしここはとにかく、一人でも多くの人を救いたい、その思いに集中したい。

日々のつなぎ (物流と情報の流れ) に汲々としながらも、

やれることはやりきろう、と鞭打っています。

 



2011年3月14日

東日本大震災

 

ため息や涙も飲み込んでしまうような事態が進行していますね。

刻一刻と情勢が変化するなか、情報収集や物流関係での判断等に追われて、

なかなかブログまで手が回りませんでした。

 

まずはとにもかくにも、

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、

一人でも多くのご無事と一日も早い復旧を願わずにはいられません。

 

大地を守る会の公式情報は、HPを見ていただくとして、

取り急ぎ、3月14日午前11時時点での状況です。

 

生産者関係では、これまでのところ、「人」 は無事です。

なかなか安否確認できなかった宮城・岩手・福島方面もようやく連絡が入るようになり、

順次、無事を確認しています。

一番心配していた奥松島の二宮さん(カキ) からも今朝連絡があり、

地震直後に車で逃げたが、津波に追いつかれ、

電柱にぶつかりガラスが割れたので車から脱出、

家族全員で歩いて親戚宅までたどり着いたとのこと。 まさに奇跡の生還!です。

塩釜の遠藤さん(練り物) も、高橋徳治商店さんも、元気です。

 

農産関係で被害が大きかったところでは、

福島・須賀川、ジェイラップの備蓄米の精米ラインが損傷を受けました。

各所に地割れが発生して、メンバーの家屋も相当な被害が出ているようですが、

それでも 「津波や大火に見舞われた方々に比べれば」 と

伊藤俊彦代表の陣頭指揮のもと、気を取り戻して復旧に入っているとのことです。

 

とにかくライフラインがメチャメチャです。

ヤマトの集出荷も止まっていて、モノが届きません。

「ガソリンの確保もままならない」 といった連絡も相次いでいます。

弊社・習志野物流センターの状況はというと、

地震当日は停電と地盤の液状化現象によって避難指示を受けましたが、

12日から早々に業務を再開。

今も断水の状態が続いていますが、今日からの宅配はしっかり走らせています。

ただし時間はお約束できません。

モノも相当量が欠品になってますが、どうかお許しください。

順次回復してゆければいいのですが、計画停電の影響が読めません。

 

以上、取り急ぎ、です。

下の写真は、地震翌日12日の午後の、海浜幕張駅周辺の様子。

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相当な液状化現象があったようです。

というのも、僕は前日は成田で足止めを喰らって会社に戻れなかったのでした。 

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駅は通行止めです。

 

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11日は電車がストップして、

大地を守る会の職員も100人ほどが、幕張テクノガーデン・ビルに泊まったとのこと。

窓から市原のコンビナート炎上を眺めながら。

キノコ雲が上がったのを、呆然と見つめたらしい。

 

同じテクノガーデンに本社がある気象会社、ウェザーニューズ社でも、

2階フロアを開放して、帰れなくなった避難者を受け容れたようです。

ウェザーニューズのUさんから送られてきた様子。

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こういうときに必要なのは、とにかく助け合い、ですね。

みんなで励ましあい、難局を乗り切りましょう。

 



2011年2月25日

布施芳秋さん、安らかに

 

北海道空知郡中富良野町の生産者、

「どらごんふらい」 の副会長を務められた布施芳秋さんが、2月21日、永眠された。

享年62歳の若さだった。

 

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誠実を地で書くように、生きた人だった。

有機農業に邁進して、有機JAS制度ができた時には、

制度に疑問を持ちつつも、認証を取るかどうか真剣に考えられていた。

僕にとっては、大地を守る会の監査・認証システムをつくる上で、

意識した生産者の一人だった。

「どらごんふらい」 の監査を行なった際には、

「せっかくいい仕組みを考えてくれたんだから、大地を守る会の生産者として

ちゃんとやらなきゃいけない」 と、緊張しながら監査を受けてくれた。

僕らはこんな生産者に支えられているのだと思ったものだ。

 

このブログを始めたのは、2007年の6月。

最初に書いたのが、当地に入植した元大地職員、徳弘・藤田夫妻の元気な姿と、

布施さんが廃校になった小学校を改造してつくった 「ぬくもり庵」 の紹介だった。

消費者との交流に利用したい、滞在型の農業体験も受け入れたいと、

いっぱい夢を語っていた。

もしかしたらとても失礼な記事なんじゃないかと畏れたんだけど、

「こんなふうに書いてくれて嬉しいよ」 と、

布施さんは、開設したばかりの僕のブログをとても喜んでくれた。

 

ガンの手術をしたと聞かされたのは、そのしばらく後だったと思う。

術後の回復は順調で、元気になられたと思っていたのだが、

昨年の収穫が終わった秋ごろからまた体調を崩されていた。

 

昨年、その人望を買われて 「どらごんふらい」 の会長に就任した

徳弘くんからのメールには、こう書かれてあった。

 

  18日に病院へ行って言葉を交わしたのが最後でした。

  かなり病状が悪化し、話をするのも辛そうで、目もおそらく見えてない

  状態だったと思います。

  それでも、大地のみんなにくれぐれもよろしく、と言っていました。

  大地との出会いがなければ今の自分はなかった。

  今があるのは大地のおかげ。 大地には期待しているし、頑張ってほしい・・・と。

  「感謝」 という言葉を何度も口にしていました。

  最後までたくさん話をしてくれたのが、やっぱり布施さんらしかったなと思っています。 

 

布施芳秋。 その名の通り、芳しい秋を心に描きながら、北の大地に眠られた。 

どうか心安らかに。

富良野に行けば、またぬくもり庵で会えるよね。 

 



2011年2月19日

15回目のあらばしり体験-大和川交流会

 

一週間の間が空いちゃったけど、アップしておきたい。 

お前はこの日のために生きているのか、と言われても否定しない、

年に一回の 「大和川交流会」。

大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」 の新酒絞りに合わせての

酒蔵での交流会である。

このお酒が造られた最初の年が1994年 (当時の銘柄名は 「夢醸(むじょう)」 )。

3年後の97年から、新酒完成を祝う交流会が欠かさず続いてきた。

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2月12日(土)、会津・喜多方にある 「飯豊(いいで)蔵」。

30年ぶりとも言われる豪雪に包まれながら、寒仕込みの真っ最中だ。

 

今年の交流会参加者一行は、挨拶もそこそこに、

発酵途上のお酒を試飲して回る。

純米吟醸、純米大吟醸、大吟醸・・・・これはあと10日、こっちはあと20日。

う~ん、たまりませんな、この至福。

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そして今まさに絞り中の 「種蒔人」 。

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絞りたて、荒ばしり(新ばしり、とも) ・・・を一献。

よし! 今年もいい酒になった。

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真剣な顔あり、「予は満足じゃ」 ふうあり。。。。

 

厳しい夏を乗り越えてくれた原料米・美山錦と、

飯豊連邦に育まれた水に、今年も感謝!

 

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 「種蒔人」 新酒が会員の前にお目見えするのは27日、

大地を守る東京集会-大地を守る会のオーガニックフェスタ2011-

懇親会の鏡開きにて。

どなた様もどうぞ奮ってご参加ください。

 

さあ、交流会へ。

 


昭和の時代まで、大和川酒造の酒づくりを支えた蔵。

今は「北方風土館」と名を変えて、見学蔵になっている。 

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当時のたたずまいを残し、酒造りの道具などが陳列されている。 

見学コースの最後にはテイスティングルームも用意されている。

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今年の交流会は、餅つきから。 

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9代目、佐藤弥右衛門さん。

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弥右衛門襲名なんて、時代がかっていると思ったもんでしたが、

名乗ってみるとその重さも感じてきましてね。

地域の文化や伝統を守ろうと走り回っていた先代の遺志も

ボチボチと継いでいかなきゃって、ま、色々やってます。

 

原料米生産者、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。

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ずっと食べ続け、飲み続けてくれる消費者のお陰で、私たちも進化して今日があります。

昨年は本当に厳しい米づくりでしたが、そのぶん強い米に育ったと思います。

よくぞ頑張ったと褒めてやりたい。

いい酒に仕上がって、今年の感動はひとしおです。

 

乾杯の音頭は、「稲田稲作研究会」 会長、渡辺義勝さん。 

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あとはもう、解説なし。 

会津料理に舌鼓を打ちながら、

できたばかりの種蒔人に大和川自慢の清酒の数々をいただく。

なんと鑑評会出品作品まで登場して、場はどんどん盛り上がる。

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毎年書いているような気がするが、

いつの年だったか、参加者が漏らしたひと言

「この交流会は、まるでこの世の天国!」 を、今年もまた実感いただけたようで、

主催者としては望外の喜びである。

 

交流会後も、熱塩加納村の宿で、深夜まで語り明かす。

空いた一升瓶が、、、ウン本。

 

朝の青空がまぶしい。

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大和川交流会が終われば、鏡開きまで2週間。

モードは一気に東京集会となる。

 



2011年2月 9日

大作さんの玉ねぎ

 

2週前の1月24日~28日、

宅配会員の方々に1枚のチラシを入れさせていただいた。 

「 緊急入荷 大作さんの玉ねぎ (慣行栽培) の販売について

 

北海道の玉ねぎの大不作によって、春までの玉ねぎがショートする。

北海道の作柄が概ね見えてきた晩秋に入った頃の、ぞっとするような報告。

それなりの余裕も持って総量で約250トンの玉ねぎを道内7産地と契約していたのだが、

はじき出された供給見込みは170トンという数字になった。

流通者の使命としては当然、肩を落としている場合ではなく、

各産地に対して契約分以上の出荷のお願いや新規の産地開拓にもあたるのだが、

僕ら(農産グループ) は、もうひとつの選択を社内に諮った。

「大作(おおさく) 幸一さんの減農薬の玉ねぎを仕入れたい。」

 

大作さんとのお付き合いは大地を守る会設立時代にまで遡る。

じゃが芋の金井正さんとは義理の兄弟で、35年より前に、

二人は互いに明かすことなく無農薬栽培に挑戦し始めた。

入社当時に聞かせてもらった話。

 

  ・・・だってね、戎谷くん。 無農薬で野菜を作るなんて言ったら、周りから何言われるか。

  そんな時代だったんだ。 だけどこんなに農薬かけてちゃいずれダメになるんじゃないか、

  と思ってね。 誰にも言えずに、こっそり一人で始めたわけさ。

  兄 (金井さん) にも言えなかったな。

  それがある日、金井から 「実は・・・」 て聞かされて、オレもだよ! となってね。

  それで大地を紹介してもらったっていきさつさ。

 

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                         (大作幸一さんと息子の淳史さん) 

 

ただ北海道の大面積をすべて無農薬でやるのは厳しい。

大作さんは耕作面積の半分を無農薬で栽培するが、

除草にかかる人手の確保や家族労働の限界から、

その半分はいわゆる減農薬栽培という形で営んできた。

しかし除草剤の使用もあって、当会の生産基準には適合しないため、

大地を守る会で仕入れることは、これまでなかった。

にもかかわらず大作さんは、たとえ他と同じ 「北海道産玉ねぎ」 として一般市場に流れる

ものであっても、できるだけ農薬を減らしたいという努力を惜しまなかった。

今は北海道の慣行栽培の約7割減である。

この姿勢は立派なものだと、僕は心底から思っている。

しかも、これによって大作さんの経営の半分が支えられてきたということは、

大作さんの無農薬玉ねぎを維持させてきた 「弟分」 のようなものではないだろうか。

 

数年前に奥様 (金井さんの妹さん) が亡くなられた時、大作さんは伝えてきた。

「少し無農薬の作付を減らしてもらってもいいかい。」

除草作業のパートさんたちを上手に仕切ってくれていた奥さんの力は大きかったのだ。

肯定も否定もできなくて、つらかった。

 

この期に及んで新規の産地をかけずり回るより (それもするのだけど)、

大作さんのこの玉ねぎを会員に問いたい。

 

しかし、、、生産基準とはイコール取り扱い基準であって、これまではどんなときでも、

足りなくなったからといって基準外のものを仕入れたことはなかった。

これは禁じ手ではないか・・・

 

迷いはなかなか吹っ切れなかったが、ここで素直に告白すれば、

この判断を下したのは単純な自問自答だった。

もしも基準内の玉ねぎがなくなったら、

もし我慢できずに次を選択するのなら、食べるべきは、

大作さんの経営を陰で支えてきたこの玉ねぎだと、お前は思っているのだろう。

仮に有機JASの玉ねぎがスーパーで手に入ろうが、

大作さんの玉ねぎを食べることが自分の果たすべき仁義だと思っているのだろう。

 

会員には欠品にして、陰で取り寄せることはただしい行ないではない。

「皆さんも、この玉ねぎを一緒に食べてくれないだろうか」 と言うべきだろう、と思った。

無農薬玉ねぎを支えるためにも。

選択の権利が残っているときに 「基準外です」 と宣言して扱おう。

無農薬の玉ねぎをできるだけ長く引っ張るためにも、

僕は大作さんの減農薬玉ねぎを食べることを明らかにしておきたい。

他の減農薬のものと区別する必要もあり、化学肥料の問題もあるので、

ここは潔く、大作さんの普段の言い方に倣って 「慣行栽培」 とした。

 

それにもうひとつ、僕をつき動かした世の中の流れがあった。

このまま自社基準の高みから眺めている場合じゃないんじゃないか、

という焦りのようなものか。

 


 

天候不順で北海道産の玉ねぎが2年連続の大不作となって、 

相場も高騰しているのだが (1月の情報で前年比35%高)、

こういうときには決まって輸入が急増する (それによって価格が安定?する)、

というのが近年の動向である。

昨年11月ですでに、前年の年間輸入量を42%上回った。

前年も不作で、その前の年に対して13%増だったので、

2年前に比べて60%輸入が増えている計算になる。

国内流通に占める割合は20%を超えたようだ。

不作を輸入で補っているうちに、世間は関税撤廃!TPP!ときた。

農協はTPP反対を唱えながら、商社と提携関係を強化している。

 

「厳しい基準」 は守りながらも、それではすまない事態が進行している。

水面下で進む土台の崩壊を、対岸の火事にしてはならない。

いや、これは対岸の話ではないワケで、大作さんには笑われるかもしれないけど、

大作さんの経営を全面的に支えるくらいの行動を起こしたい。

 

この選択と提案は、「大地を守る会の生産基準」 に胸を張ってきた者としては、

禁断の果実に手をつけたのかもしれない。

よってチラシは、戎谷の署名でお願いした。

仕入の責任者として首をかけるくらいの構えでいきたいと思ったので。

 

チラシに書いた  " セカンド・ベストの提案 "  というのも、

流通者としては当然の義務と言われるような話なのだが、

僕らにとっては初めての表現である。 狡猾と言われれば返す言葉もないけど、

大地を守る会としての 「農業を守る」 ためのひとつの提案とさせていただいた。

会社の定款である 「一次産業を守る」 に従ったとか言ってしまうと、

開き直りも過ぎるだろうか。。。

今回の提案を "考える素材" として受け止めていただけたなら、 本望としたい。

 

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札幌黄(さっぽろき) という貴重な品種を、種を採りながら守り続ける大作さんの

生き方を、食べることでもっと深くつながり、支援したい。

正しかったかどうかは、我々のこれからの仕事で証明するしかないと思っている。

ご批判はすべて甘んじて受けたい。

 



2011年2月 5日

どこよりも美しいフクシマに

 

2月3日(木)、今年の産地新年会ロードも最終回となる。

福島県下生産者合同での新年会。

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福島県の合同新年会は初めての開催である。

浜通り・中通りから豪雪の会津まで、10の生産者グループ+1メーカーが

磐梯熱海温泉に集う。

 

第一回の幹事を引き受けてくれたのは、

福島市の米の一大生産団体 「やまろく米出荷協議会」 さん。 

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挨拶される会長の加藤和雄さん。 

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やまろく米出荷協議会も、大地さんとお付き合いするなかで、

ただ農薬を減らすだけでなく、環境全体に配慮した農業を考えるまでになってきた。

こうして福島県内の生産者が一堂に会して横のつながりができることは、実に喜ばしい。

そんな思いで幹事を引き受けさせていただいた次第です。

ちょうど福島の真ん中でもあり、私たち自慢の温泉でもある磐梯熱海で

会場を設定させていただきました。

いい湯にも浸かってもらって、有意義な交流になりますよう。

・・・ なかなか心憎い配慮。

 

一回目ということもあって、ゲストは用意せず、

藤田会長の話をしっかりやってもらって、参加者の自己紹介に時間を取った。

写真のチョイスに気を使うのも面倒なので、ちょっと長いけど、

以下、福島を担う生産者リレートークで、どうぞ!

 


トップバッターは若者から。

喜多方市山都町・「あいづ耕人会たべらんしょ」 の小川未明(みはる) さん。  

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新規就農者や研修生たちの野菜セットを出すようになって3年。

主要メンバーは5人。 野菜セット自体はまだ少ないけど、若者たちにとっては

貴重な共同作業であり情報交換の場になっている。

新規就農者も少しずつ増えてきて、地域とのつながりも深まっている。

今年はとにかく雪が多く、新しく建てた小屋が押し潰されそうです。

お父さんは昨年、山崎農業賞を受賞 された光さん。

山都の畑は息子に託して、耕作を頼まれた西会津の農地に出張っているようである。

 

次は、福島では最も古くからのお付き合いである 「福島わかば会」。

新しく会長になられた丹治昭治さんが代表挨拶。

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現在のメンバーは33名。

きゅうり栽培では名人と謳われた故・佐藤円冶さん (元大地を守る会理事)

によって結成されて30余年。 円冶さんの栽培技術は島本微生物農法という。

丹治さんはその伝統を継承すべく頑張っている。

「より美味しくて安全な野菜づくり」 をモットーに、

県下ではいち早くトマトのホルモン処理をやめてハチを導入した。

きゅうりでは10年前から天敵の活用に取り組んでいる。

 

福島有機倶楽部の阿部拓(ひらく) さん。

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浜通りのいわき市から双葉町にまたがる5軒の農家で、3年前に設立した。

すべて有機JASを取得し、パプリカ・春菊・そら豆などを栽培する。

農業技術はまだまだと謙遜しつつ、研修生を育てて独立させていきたいと抱負を語る。

大地を守る会と付き合って有り難いと思うことは、有機農業推進室という部署があって、

いろんな貴重な情報をもらえることだ、なんて嬉しいことを言ってくれる。

 

続いて、二本松有機農業研究会。

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メンバーは13人ほどだが、研究会の歴史は35年。

「大地さんと一緒です。 日本有機農業研究会の大会でよくお会いしましたね。」

メンバーの方と個人的なお付き合いがあったが、会との取引に発展したのは昨年から。

10年前から有機JASを取得し、

きゅうり・なす・いんげん・山菜・縮みホウレンソウなどを栽培する。

 

二本松からもう一組、羽山園芸組合さん。 

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4名の構成員によるリンゴの生産グループ。

定期的に土壌分析をして、パソコンを使って施肥設計をする。

ミネラルと良質の堆肥が基本。

いま特に注目して活用しているのは、竹コプター!

じゃなくて、竹パウダー(竹を粉にして綿菓子のようにしたもの)。

土壌微生物の棲み家になり、土壌病害を防いでくれる力がある。

外観より味を重視し、完熟での収穫を心がけ、葉摘みを控えて糖度を上げる。

地域に合う品種の研究にも余念がない。

 

山都町の米の生産者、鈴木恒雄さん。 

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有機で10町歩の田んぼを耕す。 雪室貯蔵のコシヒカリ。

「農産物とは農の技術で生み出される未来への資源です。 農業にはポリシーが必要です。」

 - 哲学者のようだ。

TPPにひと言。

「昭和37(1962)年、自由化で最初に打撃を被ったのは林業 (木材の自由化) でした。

 今の山の荒廃はそこから始まったことを、私は今も忘れないです。」

 

改めて、やまろく米出荷協議会。

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会員はなんと115名(大地を守る会に登録された生産者会員は35名)。

有機はまだ少ないが、全体で農薬の削減を進めている。

慣行栽培の人たちを包容力で変えていくような優しさを感じさせる団体。

全体の食味も上がっている。 先日も報告した通り、岩井清さん(写真左から二人目) は

有機のコシヒカリで金賞を受賞した一生懸命の人である。

マイクを持っているのは安斉正代さん。 冬水田んぼに取り組んでいる。

 

中通りは須賀川から、ジェイラップ登場。 8名で参加。

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稲田コシヒカリの取引から始まって、17年にわたる備蓄米の取り組み、

清酒「種蒔人」 や 「大地の料理酒」 の原料米栽培、そして 「はたまるプロジェクト」 と、

関係性は着実に進化してきた。

「大地の農産物から海産物まで、すべて活かして、自給率を上げて見せたいです。」

専務の関根政一さんから力強い抱負が述べられた。

乾燥野菜の新工場は3月15日に完成予定である。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 (旧東和町、現二本松市) から、

事務局の斎藤知子さんが参加。 

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「道の駅 ふくしま東和」 を運営しながら、地域おこしや産直事業を展開している。

直売所は二本松市内産のものだけで売り場を作っているという。

こういう人たちがいることで、地域は活き活きしてくる。

 

最後に、大和川酒造店さん(喜多方市)。

加工メーカーを代表して参加をお願いした。 

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寛政2年創業、今年で221年目の酒造りに入っている。

社長は4年前に9代目・佐藤弥右衛門を襲名した。

地元の米や風土にこだわり続けるのが地酒屋の哲学。

身土不二こそ大事、地域の食文化を守っていきたいと、

農業生産法人を設立して、自分たちで蕎麦や各種の酒米を栽培し、

農産加工部門も立ち上げた。

 

農業生産に加工の受け皿がつながり、また地域おこしに取り組む人も加わってきて、

いよいよ福島ネットワークが強力になってきた。

県のキャッチフレーズに  " うつくしま福島 "  というのがあったが、

コピーだけじゃない、どこよりも美しい福島を、みんなの手で築いていこうじゃないか。

 - と気炎を上げる。

 

2011年新年会シリーズの最後にはこれを歌ってやると、

実は仕込んでいた曲があったのだが、つい話し込んで歌いそびれてしまった。

ジュリー(沢田研二) の、「我が窮状」ってやつ。

しょうがないので、温泉につかって一人口ずさんで、終わりにした。

 

  麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが

  忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない ~

  

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          (長野県佐久市、JA佐久浅間臼田有機米部会代表、

                        川妻千将さんの昨年の田んぼ)

 

  英霊の涙に変えて 授かった宝だ

  この窮状 救うために 声なき声よ 集え

  我が窮状 守りきれたら 残す未来 輝くよ 

 

みんなで、どこよりも美しいふるさとを残すために、つながり、競おう。

それが僕らのたたかいでもある。

 



2011年2月 2日

火山灰を被った有機レタスを-

 

宅配会員の方に配布している野菜の最新情報-「ほっとでぇた」 から。

 

【レタス】 生産者- 宮本恒一郎(宮崎県)

霧島山(正確には新燃岳) 噴火に伴う降灰のため、微量の灰が付着している場合があります。

産地で水洗いをして灰を流していますが、

内部に入り込んだ場合、完全に取り除くことが難しいため、

ご使用前に流水で振り洗いをお願いいたします。

 

レタスにも同様のメッセージ・カードを入れる。

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口蹄疫、鳥インフルエンザ、そして新燃岳噴火・・・なんで宮崎ばかり、

という叫びが聞こえてくる。

宮崎県の試算によれば、噴火による野菜の被害は1億円を超す額になるらしい。

食品会社から加工用の取引を断られるケースも出ているという。

 

1月21日の日記で、産地の 「計画出荷」(こちらの注文に合わせて収穫・出荷してもらう)

に触れたけど、その要請はこんな時でもついて回る。

「大変でしょうが、レタスが足りないので、出せるようならお願いします。」

それで宮本さんは、注文に応じて、レタスを収穫しては、洗って出してくれる。

 

昔、生産者から聞かされた話を、思い出した。

「こんな雨なのに、あの人は畑に行って収穫してるよって笑われっちゃうんだよね。

 よっぽど (お金に)困ってるんかい、て言われたりしてな。」

いま宮本さんは、どんな思いで東京を見つめているだろうか。

「注文が変わらず入る」 ことを喜んでくれているなら、嬉しい。

 

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しかし、とはいえ、品質検品チェックの目線に立つと、不安はそれだけではない。 

輸送中のレタスは水を嫌う。

洗って、水分が残ったままラップすると、葉や切り口が濡れた状態になって、

傷みの原因につながる危険性がある。

今は気温が低いので大丈夫かもしれないが、、、不安は残り、

ヤバイのは結局はじくことにもなってしまう。

 

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                               (撮影:海老原康弘)

 

宮本さんのレタスは、有機の田んぼの裏作でつくっています。

したがって当然、レタスも有機栽培です。 

 

噴火に負けず・・・と言うのは簡単で、どんな言葉がいいのだろうと思案しながら、

いやどんな応援よりも、「洗って食べてるよ」 という声こそ届けたい。

切に、お願いします。

 



2011年1月27日

「寒試し」 を肴に自然の変化を語り合う

 

産地新年会も折り返しを過ぎ、

昨夜(26日) は宮城県下の生産者合同新年会が、鳴子温泉で催された。

 

いやとにかく、今年は雪が多い。

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昨年の夏が記録的猛暑かと思えば、

昨年末からの寒波の波状攻撃も凄まじいものがある。

温暖化とは、ただ気温が上昇していくという単純なものではなくて、

気候変動の振幅が激しくなっていくことを意味するらしい。

集中豪雨とか記録的寒波とか、異常気象が頻発するようになる。

それらは地球気候のバランスを整えるための所作だとも言われるが、

とにかく災害のリスクはますます高まっていくわけで、

生態系への影響 (かく乱と動植物の対応変化) とも相まって、

食料生産は情け容赦なく振り回されることになる。

オイラのしんどいなんて、屁のツッパリにもならない。

 

そんな地球の懊悩を肌で感じながら (本当かよ。カッコつけてるね)、

新年会と称して産地を回る。

前にも書いたとおり、これはただの飲み会ではない。

ちゃんと真面目な時間も用意されているので、

それだけは強調しておきたい (言い訳がくどいね。やましいところでもあるのか・・・ )。

僕は出られなかったけど、19日の千葉合同新年会では、

埼玉県農林業総合研究センターの根本久さんを招いて、

天敵の有効利用について勉強会が開かれている。

 

20日の茨城新年会では、あえてゲストは呼ばず、

藤田会長から、今後の大地を守る会の目指す方向をしっかり聞かせてもらおう、

という趣向になった。

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そして宮城では、

古くから農村で伝承されている気象予測を農作業に生かしてきた

山形県村山市の農民・門脇栄悦さんによる講演が企画された。

元農事気象学界副会長。 大地を守る会の生産者会員でもある。

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門脇さんが行なっている気象予測は、「寒試し」 といわれる。

二十四節気の 「寒の入り」(小寒。1月6日、旧暦12月3日) から

「立春」(2月4日、旧暦1月2日) までを一年に見立て、気温変化や降水量を予測する。

高僧・空海の伝とされるが、門脇さんはさらに詳細な気象情報を収集して

精度を上げた予測を立てるまでになった。

今や山形県村山地域の天気予測の当たる確立は8割とのことで、

農業関係者やメディアからの取材も年々増えているようだ。

 

予測の詳細は省かせていただくが、

配布された農事気象学会の今年の予測はと言うと-

12~1月-暖冬の予測だが、時に強烈な乾燥した冷風が吹く。

       降雪地帯の雪は、時に吹雪型となるやも。平地はドカ雪に注意。

       12月 【一白水星】、1月 【九紫火星】 で気象は激変型。又社会情勢も混迷が危惧。

 2~3月-乾寒風吹き、悪性の風邪流行るかも。立春の前後に大雪降る。

 4月   -寒暖の差が激しく凍霜害に留意の事。稲、野菜苗生育不良病害注意。

 5月   -日中の気温は高いが夜間冷える。寒暖の差激しく晩霜・雹害の恐れあり。

 6月   -梅雨入は早く空梅雨型。梅雨明けの土用前後に大雨豪雨注意。低気圧多発。

 7月   -台風の発生は早く数も平年より多い。大型台風が上陸して被害の出る予測。

 8月   -東日本はヤマセ現象で低温。西日本は高温傾向で高温障害の恐れあり。

 9月   -降雹・雷雨・強風・突風などの発生が予測される気象激変型となる。

10月   -台風の発生多く、強烈な風台風の上陸の恐れあり。特に風害に要注意。

  ~ と続く。

実は同じ資料を、埼玉新年会で瀬山明さんからももらった。

月や惑星の動きにも注意を払っていて、民間の気象予測もなかなかに奥が深い。 

 

当たるか当たらないかは僕にはなんとも言えないが

(僕は人災による変動要因のほうが気になっているのでなおさら)、

自然の動きや鼓動に対して姿勢が謙虚になる、というのは大事なことだと思った。

門脇さんは全国各地の寒試しの事例を尋ねて回っていて、

みんな自然を敬う人たちである、と言う。

そして、こんなことも感じているのだそうだ。

「理想とする姿のイメージを思い浮かべている人は、良いものをつくる。」

含蓄があるね。

 

門脇さんはまた、 「種蒔きは満月、移植は新月に」 といった月のリズムを大切にしている。

これはオカルトではない。

和洋を問わず世界のあちこちで、今も農業の世界では生きている話である。

とくたろうさん」 担当の秋元はシュタイナー派なので、すっかりご満悦の様子。

 

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ま、こんな感じで、あとは飲んで語り合おう、となる。

 

参加者皆さんを紹介したいところだが、紙面(?) の都合で割愛させていただく。

話題の人としては、、、

昨年NHKの番組 「プロフェショナル」 で紹介された石井稔さん。

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この人も天候を先取りするタイプである。 

テレビ放映されてから、周りがうるさくなって、問い合わせも増えて大変らしい。

石井さんの米はもうプレミアの世界で、我々が扱う世界を飛びぬけてしまったが、

むしろ僕が自慢したいのは、番組でも紹介されていた、

この人が苦悩していた時代を支えた奥さんのニラを扱ってきたことだ。

宮城の 「無農薬生産組合のニラ」 を今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

宮城新年会には水産や畜産の生産者も参加してくれる。

今年は開催が水曜日となったこともあって参加者は少なかったが、

この方を代表としてアップさせていただきましょう。

遠藤蒲鉾店を支える女将、遠藤由美さん。 

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いつもキリッとして、かつ快活な笑顔に、みんな励まされている。

 

今回の幹事を務めてくれた、蕪栗米生産組合のお三方。

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左から遊佐恭一さん、中鉢隆弘さん、そして千葉孝志さん。

なんと翌日(今日) に同じ場所で総会を設定して、

藤田会長を記念講演者に仕立てて、足止めにさせた。

去年12月の視察の時といい、油断もスキもない。

 

二次会は宿にあったカラオケ・スナックに流れたのだが、

門脇さんを囲んでの天候論議が終わらない。

自然相手の仕事をしている人たちには、興味の尽きないテーマなのである。

 

茨城では、宿の部屋で二次会となった。

八郷の 阿部豊 さんと、久しぶりにフォークソングを歌いまくる。 

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 阿部ちゃんが吉田拓郎の高校の後輩だったというのも初めて聞いた。

こういう夜も、嫌いじゃない。

 

お天道様への敬意を忘れない人たちは、

どこか大らかな諦念を持ち合わせつつ、しかも粘り強い。

みんな腹の中に暦があって、その狂いが大きくなっていることで、

自然の変化を感じ取っている。

 

僕もせめて月の満ち欠けなど意識しながら過ごしてみようかしら。

何か見えてくることがあるだろうか。

・・・なんて呑気な事を言ってる場合じゃないか。

 

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2011年1月25日

食べることで、この国がきれいになる!

 

 " 買う責任 "  と  " 作る責任 "  のコラボ。

伊藤俊彦は、大地を守る会の備蓄米のコンセプトを、ひと言でそう語る。

 

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備蓄米を育ててくれたのは、ただ淡々と買う責任を果たしてくれた消費者の存在だった。

その人たちのためにやるべきことをやろう、オレたちの誇りをかけて。 

世界一美味いと言ってもらえるような米をつくろう!

 

こんな感覚はJAの職員時代には得られなかった。

「うちの米がほしい、と言ってくれる人に売りたい。売らせてくれ。」

「バカヤロー! 100年早い。」

そんなふうに若い頃の伊藤さんは組織の壁に阻まれ続けた。

農協という巨大組織の系統にしたがって働いていればいい。

自分たちの個性を主張することは許されなかった。

そんな時に大地を守る会と出合った。 伊藤俊彦31歳のときだった。

 

僕らも若かったね。

伊藤をして 「法を怖れぬやつら」 と言わしめた仕掛けもやった。

別に法を破ったわけではない。 ただ大義を主張しただけである。

税金など要らない。 オレたちの手で民間備蓄を始めます。

食糧事務所さんには何ら迷惑をかけるものではありません、と

面と向かって胸を張っただけだ。

挿入したハッタリ (ヒ・ミ・ツ です) が少々荒っぽかったけど。

 

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場当たり的な農政からは得られなかった喜びと確信が生まれた。

価格の下落は、やる気が喪失していくだけでなく、手抜きを生む。

しかしあらかじめ価格が決まっていて、収穫前から先行予約が入るとなると、

構えが違ってくる。 生産に集中することもできるようになる。

買う責任を全うしようとしてくれる人に、何をもって返すか。

基準が明確ななか、安全性と食味の両立にもがいてきた。

それが我々を進化させたのだと、伊藤さんは振り返る。

 

失敗もあったね。

ミイラ化したカエルが入っていた、という事件があった。

食味を優先するあまり、水分を高めにして保管したらカビが発生したこともあった。

大地内部でも、このまま続けていいのかという論議が起きたが、ひるまなかった。

それでも買い続けてくれる消費者の存在に、

責任を果たそう、という気概を示さないと終わるわけにはいかなかったのだ。

徹底してラインを見直し、設備を強化し、我々の備蓄米は精神を含めて進化した。

 


備蓄米を始めた1994年は、100年に一度と言われた大冷害の翌年だった。

米価が高騰するなかで、約束した価格で売る、という伊藤さんの立場は苦しいものだった。

100年に一度の儲けを取るか、99年の信用を取るか-

そんな啖呵をきれる人物とつるむ以上、彼を孤立させるわけにいかなかった。

僕らの支援は、売ることである。

しかし・・・・

備蓄米がメディアで紹介されたりすればするほど彼の立場は難しいものになっていって、

結局左遷されてしまう。 

その後、稲作研究会の生産者の後押しもあって、JAを辞め、

仲間とともに自立の道を歩むことになる。

こうなると一蓮托生の世界である。

米が余る時代が続くなか、意地でも備蓄米を続けてきた。

いろんなノウハウが蓄積され、

 「はたまる」 企画を生んだりする関係へと発展してきたことを、

改めて誇りに思う。

 

「去年の夏は、稲も肩で息していました。。」

そんな猛暑にあって、味方してくれたのが、

猪苗代湖から先人が引いてくれた安積疏水の豊富な水だったと言う。

国の礎は単純な経済の数字ではないのだ。

もっと大きなネットワークで私たちの暮らしは支えられている。

わずかな数の儲ける農民だけで営まれる農業になっていいのだろうか。

 

新幹線のトラブルというハプニングで充分な時間を取れなかったけど、

いくつか大切なことは伝えられたのではないかと思う。

佐久の松永さんや飯尾醸造・秋山さん、そして奥野さんの臨機応変なご協力にも感謝して、

米プロジェクト21主催による新年の講演会をお開きとする。

 

終了後、急いで次の企画-「山藤で わしわしご飯を食べる会」 へと流れる。

山藤・西麻布店だけでは入りきれない申し込みがあり、

急きょ広尾店も開放してもらって、二手に分かれての食事会となる。

この場を借りて、山藤に感謝です。

 

西麻布には、伊藤さんと奥野さんと松永さん。

広尾には、午後の部のために駆けつけてくれたジェイラップの

関根政一さんと伊藤大輔さん、と秋山さん。

と分かれてもらって、ご飯をメインとした食事会を楽しんでもらう。

 

こちら西麻布店の様子。

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挨拶しているのは料理長の青木剛三さん。

ご飯をわしわし食べる  -に引かれてやってきた方々とあって、

その食べっぷりは、すがすがしいくらいに豪快だった。

 

ご飯は稲田米。

ダッチ・オーブン(鉄鍋) で炊いたのと、土鍋で炊いたご飯を賞味していただく。

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土鍋の炊き上がりの香りにしっかりした歯ごたえと甘さ。

どんどんお替りが進む。

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                  (店長の後藤美千代さん)

 

ご飯を思いっきり食べる -に合うおかずを料理長にお願いする。 

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ぜんまい白和え、法連草胡麻和え、まぐろ山かけ、卵焼き、じゃが芋土佐煮、

牛蒡蓮根人参の金平、焼き魚、仙台黒豚の西京焼き、、、

煮物はぶり大根。 椀物は小松菜とうす揚げの煮浸し。

先付けには、聖護院大根の千枚漬けといくら正油漬け、イカの塩辛もあった。

そして味噌汁にお漬物。

あたり前のようなライン・アップがとても贅沢に感じるから不思議だ。

ご飯をわしわし、食べる。

成清さんの海苔が出て、それだけでまたご飯をもう一膳。

種蒔人もいこう・・・となれば、もうご機嫌で。

 

「今日締め切りの原稿を抱えているので」-すぐにおいとまするはずだった奥野さんが

最後まで嬉しそうに食べ尽くしてくれている。

 

食べるって、未来への投資でもあるんじゃないか。

本日の結論。

「食べることで、この国がきれいになる!」

 

いただきました、星みっつ!

ご馳走様でした。

 

米プロ諸君も、お疲れ様でした。

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2011年1月23日

"食べる約束" に "作る責任" を果たす

 

しっかり食べる人がいてくれることで、

作る人たちも責任感と誇りが育ち、強くなれる。

それによって食べる人の健康を支える世界が安定する。

これが僕らが築き上げようとしてきたシンプルな循環の世界である。

そのためには愛が必要だとも書いてしまった。

信頼を支える思想として。

互いへの敬意と信頼が育つことでこそ、

食の循環は安心・安全というレベルを越えて未来を拓く、と僕は信じている。

 

その確かなモデルが、ここにある。

「大地を守る会の備蓄米」 という無骨な一本の企画。

平成の米騒動と呼ばれた93年の翌年にスタートして、

米価が下がり続ける中でも17年にわたって確実な予約注文を維持してきた。

生産と消費が信頼を預け合わないと成立できない実験だった。

価格や安全性という物差しだけでは、ここまで継続することもなかっただろう。

米の流通の隙間に咲いたあだ花かのように言う人もいるが、

むしろ希望という言葉こそふさわしい。 

戸別所得補償や環太平洋パートナーシップ協定(TPP) といった

喧しい論争を越えるヒントと資源は、目の前にあるんだと思う。

「地元学」 が唱えるところの  " ないものねだり より あるもの探しを "  のように。

 

そんな思いで、新春の講演会を開催した。

 (企画してくれたのは 「米プロジェクト21」 のスタッフ・西田和弘である。)

 

『 それでも、世界一うまい米をつくる

  -危機に備える俺たちの食料安保- 』

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1月15日(日)、会場は東京・広尾にある日本赤十字看護大学の教室をお借りした。

むさくるしいオヤジでも入れるのか、と聞いたワタシは何を考えていたのだろう

 - なんてことはどうでもいいとして、

受付で 「エビちゃんブログを見て-」 と言ってくれた方が一名いたとか。

感激(涙目)!です。 有り難うございました。

 

ところがところが、まったく想定外の事態となってしまった。

朝からの東北新幹線の連続トラブルのお陰で、

講師にお願いしていた伊藤俊彦さんが到着しないのだ。 

 

さて、どうしたものか。。。

ゲストの奥野修司さん(上記の著者) と掛け合いながら引っ張ろうかとも思ったが、

日頃の行ないが良いと救世主が現われるもので、

なんと生産者がお二人、顔を見せてくれたのだ。 

しかも遠方から、それぞれに有機農業の歴史を背負った方だ。

使わない手はない (いや、失礼)。 

 

事情をお詫びして、いきなりのご指名。

長野県佐久市から来てくれた松永哲男さん。

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JA佐久浅間臼田有機米部会所属。

昭和42(1967)年から無農薬での米づくりに邁進してきた。

「オレなんか、世界一うまいと言える自信はとてもねえが・・・」 と謙遜するが、

しかし休憩の合い間にも有機栽培の技術書を読む方である。 

 


松永さんが辿った道は、戦後日本の食と農業の歴史を映している。

ベトナム戦争、水俣病、その頃から除草剤や化学肥料がどんどん使われるようになって、

親父がガンで死んで、家に戻って米づくりを受け継いだ。

農薬を撒いたあとに体調をおかしくする人が周りに増えてきて、

佐久総合病院の院長さんが警鐘を鳴らした。

有機農業の歴史に燦然と名を残す若月俊一さんである。

「松永さん、このままじゃダメだって、お医者さんが言うんだよね。」

 

いま子供たちの米づくり体験にも田を解放しているが、

今の人たちが食べたり飲んだりしているものを見ると心配でならない。

テーピーピー(TPP)って問題もやっけぇなもんで、

このまま進んだら農業や食べものがどうなっちまうのか、

これは消費者の問題じゃねぇかと思ったりもするんだが、、、

ぜひ皆さんも考えてもらえるとありがてぇなって思う。

 

次は若手。

京都、といっても日本海側、

天の橋立のある宮津市から参加してくれた秋山俊朗(としひろ) さん。

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無農薬米づくりから始まって、純米酒をつくり、酢に仕上げる。

「富士酢」 の蔵元、飯尾醸造 の蔵人兼営業担当である。

さすが若者、ノート・パソコンを持ち歩いていて、「写真があるのでお見せしましょうか。」

教室に丹後山地の棚田の絵が登場した。

 

飯尾醸造さんは創業118年を誇るお酢屋さんで、

ニッポン一の酢をつくりたいという思いで 「富士酢」 と名づけた。 

松永さんが有機農業を始めたのとまさに同じ頃、

同じような危機感を抱いて、飯尾醸造さんも無農薬での原料米作りに取り組んだ。

 

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生産性という側面では条件の悪い棚田だが、

そこは生物多様性を育み、水を涵養する貴重な場所である。

きれいな水と日中の寒暖の差は美味しい米も育てる。

何とかこの美しい棚田を守っていきたいと、自社田にし、みんなで米づくりに励んでいる。

地元の農家からも、JAより3倍も高い値段で引き取っているが、

なかなか後継ぎは帰ってこない。

山もだんだんと荒れてきて、イノシシなどの獣害にも泣かされるようになってきた。

それでも、細々とでも維持していきたいと、秋山さんたちは頑張っている。

こだわりの酢の背中には、こんな田んぼと人の苦悩がある。

 

長野・佐久と京都・飯尾醸造。

奇しくも有機農業のパイオニア的存在の二つの場所から、

歴史を背負ってきた男と受け継ぐ者、そんな二人に助けられた格好になった。 

 

続いて、伊藤さんの講演の後に登場していただく予定だった

奥野j修司さんにも話をつないでもらう。

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雑誌 『文芸春秋』 の取材先として伊藤俊彦さんを紹介してから、

この人とのお付き合いも9年になった。

たった一回の雑誌記事に3ヶ月の取材時間を費やし、その後も7年にわたって、

伊藤俊彦を主人公とする稲田稲作研究会と彼らがつくったジェイラップという会社を

取材し続けた。

 

いやあ、最初に伊藤さんに会ったときには、この男を信用していいのか、

正直ヤバイやつだと思いましたね -という思い出話から始まる。

何たって、いきなり食糧危機を予言したり、

ハッタリのような話を次から次へと聞かされるんですから。

 

しかしそこは、奥野氏も相当にしつこいジャーナリストである。

伊藤の予言を確かめようと中国まで飛んだのだ。

上掲の書は、中国ルポから始まる。

それはこんにちの様相をほぼ予測した内容になっていて、

JA職員時代からの伊藤さんのたたかいや苦悩をなぞっただけでは生れなかった

深みとすごみと生命力を、この本に与えている。

 

奥野さんの中国取材は結局一回では終わらなかった。

その後起きた  " 毒入りギョウザ "  事件などを経て、

奥野さんの確信は伊藤さんの予言に重なってゆく。

世界を食い尽くす勢いの中国から、無頓着な日本の姿が見える。

 

実は奥野さんは自由化自体は問題ではないと思っている。

それよりも、自由化に負けない国づくりができていないことを憂う。

たとえば域内を自由化しながら自給率が下がらないEU各国。

イギリスが戦後、自給率を高めてきた根底には教育があった。

自国の農産物を食べることで国がきれいになる、ということを彼らは知っているのです。

EUで有機農業が支持されるのは、水が守られるからです。

 

いましがた映された棚田は、国土保全の役割を果たしている。

これを  " 食べることで守っていこう "  という消費者がいるならば、

まだこの国は捨てたもんじゃない、と思いますね。

 

これまた上手につないでくれるではないか。

最高の役者たちだ。

 

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3名の話を受ける形でしばしお喋りをして引っ張る。

有機農業の普及が自給率のアップにつながるというのは、どういうことか?

といった質問に応えながら。

 

講演会の予定は12時までだったところ、

11時45分になって、ようやく伊藤さんの到着。

あの野太い神経の持ち主が汗をかいている。

さすがの伊藤俊彦も新幹線の車両を飛ばすことはできなかったようだ。

会場を借りた時間のギリギリまで延長することにして、

伊藤俊彦・新春講演会をお願いする。

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続きは、明日かあさってに- すみません。

 



2011年1月 9日

食のネットワークを強化しよう -埼玉新年会

 

東京有機クラブに続いて翌7日(金)、

新年会第2弾 - 「埼玉大地」 の巻。

埼玉県は本庄市に埼玉県下の生産者23名が集う。

 

「埼玉大地」(瀬山明会長)。 法人ではない。

大地を守る会に出荷する埼玉県下の生産者で横のつながりを持って、

親睦を深めながら、技術を高めあい、大地を守る会を支えていこう。

そんな主旨で結成して25年になる。

メンバーで会費を出し合って、生産者会議の開催に役立てたり、

遠方の会議への参加に対して補助するなど、緩やかながら地道に活動を継続してきている。

昨年は沖縄で開催された 後継者会議

本庄市の瀬山公一さん(瀬山明さんの後継者) が参加する際に補助している。

 

新年会に先立って 「埼玉大地」 の総会が開かれ、

活動報告や計画が簡単に確認されたあと、有機資材の勉強会を行なう。

総会では特段の問題がない限り、我々(大地を守る会事務局) は口をはさまない。

 

前々会長・吉沢重造さん(左、川越市) と、

前会長・榎本文夫さん(右、さいたま市) が並ぶ。

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「このところ少し活動が鈍ってるな。 夏のちょっとした合い間にでも集まってよ、

 暑気払いも兼ねて勉強会でも開いたらよかんべ」 と吉沢さん。

後ろは日高市・福井忠雄さんの後継者、一洋さん。 「埼玉大地」 会計担当。

こんなふうにだんだんと若手に役割が移行している。

 

福井さんと瀬山さんは昨年、

大地を守る会職員の農作業研修を受け入れてくれた。

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ピンボケでスミマセン。

今年もよろしくお願いしますね。

他の埼玉大地の方々もぜひ、畑で職員を鍛えてやってください。 

 

さて、埼玉大地25周年となった今年の新年会は、

初めて県下の加工品メーカーにも声をかけさせていただいた。

参加してくれたのは、本庄中心に県北のメーカーさん8社。

これがまた、古くからつながりがある人たちなのである。

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見てくださ~い!

「これが私たちが共同で開発した、本庄がんもバーガー! で~す。」

味輝さん(上里町) の天然酵母パンに、もぎ豆腐店さんのがんも、

調味料で高橋ソースさん、松田マヨネーズさん、ヤマキさんがコラボして開発した。

野菜ももちろん地元産。

昨年5月の本庄総合公園春まつりにお目見えして人気を博した。

 

1次産業と2次産業と3次産業がつながって6次産業化が言われる昨今。

せっかくこれだけの仲間がいて、パワーもあるんだから、もっともっとつながって

埼玉を盛り上げましょう。 オーッ!

 


気をよくして、僕も挨拶で気勢を上げる。

 TPPで日本農業が崩壊すると農業団体は叫んでいるけれど、

 何があっても国産を、地域の食材を支持する、食文化を守る、

 そんな消費者を一人でも多く増やしていきたい。

 健全な一次産業や食の産業があることによって、生産と消費がつながることによって、

 健康や環境も守られることを、

 いろんな取り組みを通じて伝えていきましょう。 

 

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藤田会長の周りには、

昨年出版した著書にサインを求める生産者が集まっている。

昨年末に紹介した 『有機農業で世界を変える』(工作舎刊) に 

『畑と田んぼと母の漬物』(Bkc刊)。

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同時に2冊も刊行したところに、

35周年にかけた会長の意気込みが感じられる。

 

僕は久しぶりに、(株)ヤマキの木谷富雄社長(下の写真中央) と歓談。

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僕が入社して、初めて見学会を企画して会員さんをお連れした先が、

ヤマキさんの御用蔵だった。 もう27年になる。

今や農業生産法人も抱える ヤマキ御用蔵グループ に発展した。

木谷さんとは新しい取り組みの作戦会議を約束した。

 

写真手前は、(株)大地を守る会の長谷川満取締役。

「こいつは昔から顔(ツラ) がでかかった」 と木谷さんにからかわれている。

後ろは農業生産法人豆太郎の代表、須賀利治さん。

お父さんの一男さんは、有名な自然農法の生産者だ。

 

最後に一枚。

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元大地を守る会の社員、藤森利雄(左) と石井誠一(右)。

藤森くんは鴻巣で有機農業を (一人前というにはまだ少し・・・)、

石井くんは本庄で人気の天然酵母パンと洋菓子の店 「マリーレン」 の店長として、

ともに頑張っている。 

こういうかたちでOBと酒を酌み交わせるのは、最高に楽しい。

 

食のネットワークを強化しよう。

TPPは反対だけど、それ以上に豊かな自立を語り合いたい。

 



2011年1月 8日

産地新年会シリーズ、東京から。

 

年が明ければ産地の新年会が始まる。

今年は2月上旬まで9ヵ所での新年会が組まれていて、

僕はそのうち6ヵ所に参加する予定である。

以前この行脚を  " 死のロード "  などと書いてしまって、

あちこちの生産者から皮肉られてしまった。

戯れ言といえども、控えないとね。

可能な限り産地を回って新年の挨拶をし、互いの健在を喜び、一年の抱負を語り合うのだ。

なんたって社長自ら 「全部出る!」 と宣言しているくらいなんだから、 

我々が弱音を吐くわけにはいかない。

 

スタートは例によって東京からである。

1月6日(木)、「東京有機クラブ」 新年会。

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場所は府中のお蕎麦屋さん。

在所の農家とは古いお付き合いの由緒あるお店のようだ。

奥の間みたいな部屋に席を用意してくれた。

 

代表である小金井の 阪本吉五郎さん とのお付き合いはもう30余年になる。

誰も正確に覚えてない。

メンバーは他に、吉五郎さんの高校の同級生である府中の藤村和正さん、

そして吉五郎さんとは義理の兄弟にあたる小平の川里弘さん。

 

吉五郎さんは数年前に大病を患ったが見事に復活した。

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御年80歳。 口も減らず(失礼!)、意気軒昂である。

でも畑はだいたい息子の啓一さんに任せている。

「ハウスに何が植わってるか、もう見に行きもしねぇな。

 見ると小言言いたくなっちゃうし。」

 

川里弘さん(下の写真・左) もそんな感じ。

今は昨年生まれた孫 (穂高くん) が可愛くてしょうがない、と。

「大地はもう息子に任せた。

 オレはせいぜい 山藤 用の野菜づくりで楽しませてもらうから。」

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阪本啓一・川里賢太郎両名には、

丸の内での東京野菜展開への協力を頼む。

去年夏の ミクニマルノウチ、秋の パスタ饗宴、と付き合ってもらって、

これからのハードルの高さはお二人も感じておられるようだ。

「ま、出来ることはします。 出来ないことはできません、ってことで-」

  - ハイ、分かっております。

 

ここ(東京) に農業がある、その意味や大切さを、

一人でも多くの人に伝えたい。 その仕組みをどうつくるか。

お二人に仁義を切って、今年一年の作業の開始である。

 



2010年12月22日

おきたま興農舎-ぶつかるプライドと醗酵の力

 

昼間の どぶ ● く は効いた。 「甘酒だよ~」 もないと思うが・・・

想定外の展開となった今回の出張。 しんどいけど、続ける。

あきらめも早いけど、しつこいところはかなりしつこいので。

 

12月12日(日)、午後。

蕪栗で千葉さんたちや専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーと分かれ、

僕は大潟村・花咲農園代表の戸澤藤彦さん(米プロのメンバーでもある) の車で

古川駅まで送ってもらう。

そこから福島経由で山形新幹線に乗り換え、夕刻、高畠町に入る。

 

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次なるミッション(使命) は、

米・野菜・果物の生産団体-「おきたま興農舎」 の忘年会である。

忘年会といってもただ宴会をやるのでなく、昼からしっかりと勉強会も開いている。

農政の動きを分析したり、また地域での農業の活性化では実績のある先達、

JA北空知の元組合長・黄倉(おおくら)良二さんを北海道から招いて講演会を行なうなど、

なかなかに硬派の生産者組織である。

 

しかし僕が到着したのは、ちょうど勉強会が終わったところ。

トンネルを越えたら、そこはまた宴席だった・・・・みたいに。

しかもこれがまた濃い~い連中で、

二次会の途中からは生産者同士の熱い技術論議となり、いつ終わるともなく続いた。

僕はどうにもつらくなって、途中で轟沈とさせていただいた次第。

日頃から後輩に伝授している言葉を恥ずかしく思い出す。

「生産者より先に寝るんじゃない!  起きてくれている間はとことん付き合うのだ!」

くそッ、無念である・・・・・

 

興農舎代表・小林亮さんから後日届いた手紙には、こうあった。

 「飲むほどに酔うほどに、腕(技) に自信ありの強者の一言が印象的でした。

   - また一からやり直しだ -

  大粒ぶどうやりんごでは、県内屈指の技術を持ち、かの 江澤正平さん との交友も

  あった K 君の独り言に周りは頷きながら、また一口酒を運んでしまいました。

  来る年に向けて、陽に焼けた輝かな笑顔を取り戻すべく、

  また一歩前に進みたく存じます。」

 


今回嬉しかったのは、古くからの大地を守る会会員で、

 「とくたろうさん」 のデザインや酵母の講座などでお世話になっている、

「ウエダ家」 の植田夏雄さんとご一緒できたことだ。

最初に来賓とかいう居心地の悪い席に座らせられたのだけど、

植田さんが隣だったこともあって、いろいろと酵母の話をうかがうことができた。

 

「ウエダ家」 さんはこのたび、

日本初の100%自然発酵フリーズドライパン種 -「乳COBO 88 おきたま」 を開発した。

  山形のおきたま興農舎とCOBOのコラボレーション。

  興農舎の無農薬米ササニシキをウエダ家が独自に自然発酵し、

  フリーズドライにしたパン種。

  自然発酵のフリーズドライは不可能と言われていた常識を覆したことで、

  一切の添加物を使わなくとも、自然な香りのある、あまみ、うまみのあるパンが実現。

  砂糖を使わなくとも、あまみがあり、

  ミルクやバターを使わなくても、自然発酵ならではの風味があります。

  しかも植物性乳酸菌のはたらきにより、雑味のない、胃もたれしない、

  消化吸収のよいパンづくりが誰でもできるようになった。

  パンは、日本人の食生活の第二の主食として、定着している。

  質の高いおきたまの米を使うことで、ごはんのように毎日食べられる、飽きのこない

  日本人の味覚とからだを育む無添加のパンがつくれる。 (HPより)

 

ウエダ家さんの主催する 「COBO 講座」 はチョー人気の講座だが、

最近は年配男性の参加も増えているのだそうだ。

僕もいずれ、酵母の奥深さを見極めてみたいと思ったりもするのだが、

まあ今の感じだと、、、定年後も生きていられたら、の話かな。

 

植田さんは、興農舎の無農薬米の 「生命力」 を、絶賛する。

こんな話も、会員の方に聞かせたいと思ったのだった。

 

翌13日(月) は、帰る前にラ・フランスの生産者、横山陽一さん宅を訪ねた。

11月にカタログ 「ツチオーネ」 の表紙を飾らせていただいたこともあって、

お礼も言いたくて伺ったのだが、あらためて話を聞くと、カタログで書いた宣伝文句も

けっして誇大広告ではないと思う。

 -山形県で洋梨栽培が始まった100年前から代々続く洋梨農家の4代目。

   的確なタイミングでの有機質肥料の投入や、

   数年先の理想的な樹の形までを考慮した剪定など、

   味に大きく影響する大切な作業を毎年ていねいに続けてきた~

「ラ・フランスを極めたい」 という横山さん。

農薬も相当に減らしてきた姿勢は、皆が一目置く 「ラ・フランスの師匠」 である。

 

課題として話題になったのは、洋ナシにかける袋のこと。

今では果物にかける袋には、だいたい農薬が塗布されている。

横山さんはそれも気にかけて、農薬処理されていない袋を探して使用しているのだが、

それは洋ナシ用のものではなく、薄くて撥水性も弱いようで、「どうもよくない」。

また色が白いので何故かカラスにつつかれるのだそうだ。

それによる被害は、「まあ、1割くらいはあるな」。

これはバカにならない数字だ。

大変な手間をかけてもこれでは、この袋で続けてくれとはなかなかに言いにくい。

「こちらもいろいろと情報を集めて、考えてみますから-」 といってお別れした。

打つ手は、ないわけではない。 動いてみよう。

 

技の話となれば果てしなく激論を交わし、

一方で緻密な努力を惜しまないプライド猛き生産者たち。

植田さんがいう 「生命力」 とは、込められた彼らの 「気」 だね、きっと。

彼らが 「オレのプライドにかけて」 というならば、

こちらも相応の気張りをもって応えていかなければならないということだ。

 

サル以下の、スキだらけの人生だけど、

ただ飲んだくれているわけではないっす、くらいは言っておきたい。

 



2010年12月20日

蕪栗視察・後編 -苦難のミッション

 

さてさて、楽しく飲んだ翌12日(日) のこと。

蕪栗視察団一行は、予定通り早朝のガンの飛び立ちを見るために早起きする。

しかし何故か・・・・・この朝の記憶が、ない。

ワタクシはガンを見たのでせうか。。。 ヤバイね、かなりヤバイ。 

 

後になって参加者から聞いた情報を総合すると、こんな感じだったらしい。

朝5時半、宿のロビー集合。 僕はその前にしっかり歯を磨いていた、らしい。

太陽光パネル設置のキーマンとなってくれた (株)日本エコシステムの

本田一郎取締役も深夜から宿入りしてくれていて、一行は元気よく寒風の中出発した。

ところが僕はカメラを忘れて車中でひと騒ぎ。

しかしあきらめも早い性格ゆえ、 「引き返せ!」 などとヒンシュクを買うようなことはせず、

観念したあとはフツーに楽しく会話した、らしい。

現地・蕪栗沼に到着するや、颯爽とドアを開け車から降りたところ、

千葉さんから 「夜明けまで車の中で静かに待つ」 と教育的指導を受けた。

夜明けとともに数万羽のガンたちの飛び立ちが始まる。

僕はただ両手を広げてガンに手を振り続けていた、らしい。。。

たぶん口も開けっ放していたことだろう。 こういうヤツはいずれ路上で死ぬのだ。

 

宿の部屋に戻った途端に布団の上に倒れ、朝食タイムは爆酔、じゃなく爆睡状態で、

今度は出発する直前に起こされ、本田さんから

「カメラがロビーに落ちてましたよ」 と渡された。

ここからの記憶はある。

嗚呼、僕は雁と交感することはできたのだろうか。

 

そして次なる苦難 (?) が待ち受けていた。 

10時から、千葉さんたちが地元集落で取り組んでいる

「農地・水・環境向上対策事業」 の集まりに、僕らは招かれていた。

この補助事業には 「消費者との交流」 というのが事業計画の細目にあって、

今回の視察はしっかり地元の 「交流事業」 に組み込まれてしまっていたのだった。

千葉孝志(こうし) のしたたかな段取り、あなどれない。

まあ、地元の方々にとってはいつでもやれる企画ではないし、

交流できる機会を用意していただけることは、我々にとっても有意義なことである。

 

 - という建て前論はいいんだけど、

「簡単な挨拶を」 と千葉さんから言われてたのが、

いざ来てみれば 「30分用意してあるから」 とのこと。

神社の鳥居の中にある集落センターに集まってくる軽トラ軍団を見て、

俄かに高まる緊張感。 

開き直ってからが勝負という人生を送っていても、、、頭が働かない。

ようやく気づく。 これは楽しい視察ではない。 仕事、重要なミッションなのだと。

 

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日曜日ということもあって、子供たちも遊びに来る。

ロールベールサイレージらしきものに 「歓迎 大地を守る会」 とある。.

子供たちの落書きが始まる。

上手い・下手とか関係なく、自由に描けるうちに好きなだけ描くといいね。

 

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で、会議が始まる。

僕と本田さんとで1時間。

時々頭の中が白くなりながら、壊れつつある脳に鞭打って、

なんとか言葉をつないでいく。

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大地を守る会の概要の紹介から始まり、

今回の視察の目的、そして千葉さんの先進的取り組みへの敬意と感謝を述べ、

食の安全だけでなく地域環境や生態系の保全まで意識されて活動される

当地に対し、しっかりと食べることでつながらせていただきたい。

厳しい米価に加え、TPPやら何やら、いろんな問題が押し寄せてきているけれども、

生産と消費を強い信頼でつなぐことで、

「安全」 だけでなく、将来に向けての 「安心」 の土台を守り育てていきましょう。

そのためにも、地域の環境向上のために取り組んでいることを、

皆さんの口で積極的に語っていただきたい。

千葉さんの太陽光パネルの設置は、個人ではなかなか真似できないかもしれないけど、

それぞれに自分の手でできること、そして地域でできること、を編み出していってほしい。

・・・・・というようなことを語ったつもりだが、頭と口がつながっていたかは定かでなし。

 

本田さんは、夜の便で駆けつけてきただけあって、気合いが入っている。

国の自然エネルギー政策を批評し分析しつつ、未来社会づくりに向けての

太陽光発電の可能性とメリットを訴える。

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「もし少しでも関心を持っていただけたなら、お配りしているアンケートにご記入いただいて、

  大地を守る会さんにFAXしてください。 あとは戎谷さんがきちんと対応しますから。」 

- そうきたか。

この場を借りて訂正申し上げます。

戎谷ではなく、我が自然住宅事業部が責任と誠意をもって対応させていただきます。

 

会議のあとは、楽しい交流会。

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 「農地・水・環境向上対策」 事業も、来年から政策が変更されることになっている。

集落単位ではなく、個人の取り組みに対しても助成が下りる形になる。

やりやすくなる面もあるだろうが、地域単位で取り組んできた事業にとっては

どんな影響が出るのか、気になるところではある。

戸別所得補償の是非やTPPなど、生産現場の感触もうかがって、

意見交換するつもりだったのだが・・・

お餅と一緒に出された 「甘酒」 にやられ(ドブロクだった) 、

不覚にも目をつむってしまったのだった。

 

さて、が続くが、

お昼過ぎに千葉さんや現地の方々と別れたのだが、

苦難のピークは、このあとにやってきたのだった。

しんどすぎる・・・・・。



2010年12月18日

千葉さんのたたかい

 

朝にゆく雁の鳴く音は吾が如く

 もの念(おも) へかも 声の悲しき  (万葉集巻十、詠人知らず)

 

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いにしえより多くの和歌に詠われ、日本人に親しまれてきた雁。

その声は聞く人のそのときの心情に重なるように響いてくる。

ガンは家族の絆が強く、いつも仲間と群をつくって一緒に行動する。

朝、餌場に向かって飛び立つとき、夕、ねぐらに帰ってくるとき、

彼らは数種類の声で仲間を呼び合い、助け合いながら、生きている。

 

彼らはシベリアのツンドラ大地から4,000kmを旅してやってくる。

その数10数万羽とか言われているが、正確なところは分かっていない。

分かっているのは、この半世紀くらいの間に飛来地が急速に消滅していったことだ。

かつては全国各地にガンの姿が見られたが、ねぐらになる湿地帯が開発されるにつれ、

越冬の集中飛来地はここ宮城県が最南端となった。

今ではマガンの9割が宮城県の伊豆沼から蕪栗沼にいたる周辺に飛来してくる。

 

その蕪栗(かぶくり) で有機米を栽培する生産者、千葉孝志さんは この春

冬にも田んぼに水を張るために井戸を掘り、

太陽エネルギーによって水を汲み上げるという装置を設置した。

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すべては野鳥の餌場とねぐら確保のためである。

分散させる、というねらいもある。

餌場が集中すると、麦の新芽などを食べたりして、

農業との共生もうまくいかなくなる。 

行き場をなくしたガンたちが集まってきて、観光客も増えただろうが、

この状態はけっして望ましいこととはいえない。

それでも何とか共存しようとする千葉さんたちの苦労は、ただただ頭が下がる。

 

いよいよ冬となり、渡り鳥たちもやってきて、

さて太陽光パネルはちゃんと稼働しているだろうか。

鳥たちはこの田をねぐらにしてくれているだろうかと、

12月11日(土)、大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバー

とともに現地を訪れた。

 

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水は張れるようにはなったが、まだ力不足だと、千葉さんは言う。 

12時間蓄電して4時間回せる、しかしこの時期は太陽が照る時間が少ない。

また周囲の見晴らしがいいためか、白鳥やカモは来てくれるが、

警戒心の強いマガンがねぐらにすることはないらしい。

 

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この装置は、(株)日本エコシステムさんから、デモ用の機器を譲ってもらったもの。

設置費用は、エコシステムさんと千葉さんと大地を守る会で折半した。

千葉さんはなるべく経費をかけないようにと、自分の手で畦を塗り、柱を立てた。

すべてを金額に換算すれば、ここの田んぼの米の売上にして7~8年分くらいになるか。

とても真似できるものではない。

 

渡り鳥たちの貴重な越冬地としてラムサール条約に登録された千葉さんたちの田んぼ。

米だけじゃない、生き物も一緒に育てる田んぼ、

この意味を理解するからこそ、千葉さんは率先して自らの姿勢を見せた。 

 

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しかし僕らはまだこの本当の価値や豊かさを表現できていない。

数万羽の渡り鳥たちがここで餌を食み、体力を蓄え、子を育て、

春になる前にシベリアへと帰る。

八郎潟-北海道宮島沼を経て、カムチャッカ半島ハルチェンスコ湖まで

1,000 km を休まずに飛びきる。

彼らを支える沼と田んぼの力を保証できるだけのお米の代金を、

僕らは払い切れているのだろうか。

 

視察時は、周囲で大豆の刈り取りなどで機械が動いていたため、

残念ながら白鳥は飛び去っていて、写真に収めることができなかった。

ま、それは仕方ないとして、一行は田んぼから蕪栗沼まで移動する。 

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鳥たちが餌場から帰ってくる時間だ。

数え切れない大群が押し寄せてくる。 あっちからも、こっちからも。

一同、口をあけてただただ歓声を上げるのみ。

 

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秋の田の穂田を雁がね闇(くら) けくに

夜のほどろにも鳴き渡るかも  (万葉集巻八、聖武天皇) 

 

見よ! この田の力を。 

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彼らは意外なことに虫より草を食べる。 イネの落穂だけでなく、雑草を食べてくれるのだ。

そして貴重なリン酸肥料をお礼に置いていってくれる。

有機栽培を手伝ってくれている仲間だと言うと大げさかもしれないけど、

ちゃんと生命の循環に連なっていて、無償で与え合っている関係ではある。

いつか、大きな生命の連鎖から与えられる枯渇しない  " めぐみ "  によって

私たちも生かされているということが、あたり前に認識される日は来るのだろうか。

ねぐらに帰るガンの鳴く声が切なくも聞こえる。

 

世界で初めて田んぼが貴重な湿地帯として認められた、ここ蕪栗。

注目され人がやってくるのは地域にとっては嬉しいことだろうが、

鳥による作物への食害は日常茶飯事であり、

渡り鳥との共生なんて余計なことと考える人も厳然と存在する。

千葉さんたちの苦労は絶えず、たたかいは続く。

 

夜は宿に他の生産者もやってきて、またお隣の中田町から大豆の生産者・高橋伸くんも

お酒を持って顔を見せてくれた。

楽しい懇親会となったのだが、さて、失敗したのは翌日である。

 



2010年10月21日

安部伊立杜氏の功労に感謝する、の夜

 

話の順番が逆になったけど、

先週末から日曜日の、慌しくも楽しかったロード報告も記しておきたい。

16日(土) は、会津・喜多方で楽しい酒宴に参加して、

翌17日(日) には、朝6時の始発に乗って日比谷公園 「土と平和の祭典」 に直行。

午前中の小音楽堂のトークセッションの司会を何とかこなして、

千葉・寺田本家の濃醇な日本酒で迎い酒をやった途端に、一気に腑抜ける

 - というシアワセな二日間の振り返りを。

 

ラーメンと蔵の町・喜多方の、街の中心地からやや北に位置する場所に、

 「北方風土館」(ほっぽうふうどかん) は立っている。

大和川酒造店が、古い蔵を改造して酒蔵の見学館に設えたものだ。

ここで10月16日(土)、大和川酒造で長年杜氏を務められた安部伊立(いたつ) さんの

功労に感謝する祝賀会が開かれた。

 

会場は、北方風土館内にある 「昭和蔵」。

平成2年まで使われた酒造場で、今はコンサートやイベント会場として活用されている。 

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挨拶する大和川酒造店代表社員(社長)、9代目・佐藤弥右衛門さん。

1971年、社長がまだ東京の大学でブラブラしてた頃に(本人の弁)、

安部伊立は蔵人として大和川に入った。

以来40年、夏は新潟・小千谷で米を作り、

冬になると大和川に来て春まで酒造りに没頭する、という人生を送ってこられた。

黒の革ジャンを羽織って、若い蔵人を引き連れて颯爽と登場していた時代があったそうだ。

クソッ、カッコよ過ぎ~!

 

「 杜氏にもなると、あちこちの蔵から呼ばれては移っていくという人も多いのですが、

 安部杜氏は大和川一筋でやってくれました。 本当に心から感謝します」

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感謝状を受け取る安部伊立杜氏。

80歳になられて、なお矍鑠(かくしゃく) としている。

今はさすがに車の運転は家族に禁じられたそうだが、日本酒は欠かさない。

加えて、女の子をからかう、これが健康の秘訣らしい。

これもお手本にしたいが、からかって好かれるには、オトコを磨かなければならない。

う~ん、修行の道は険しいのだ。

 


杜氏(とうじ、とじとも言う) といえば、

社長にも口を挟ませない酒造りの総責任者、長(おさ) である。

長い年月の修行に耐え、匠の世界に立った者にのみ与えられる称号。

手に職を持たない我々サラリーマンには、崇拝しひれ伏すしかない響きがある。

 

「いやなに、ただのスケベ爺いですよ」 と笑う安部杜氏。

我々の前ではいつも優しいお顔で接してくれるのだが、

蔵の中などで時に厳しい眼光を発する瞬間があって、ドキリとさせたりするのだ。

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謝辞を述べる杜氏。

酒造り一筋に生きてきて、こうしてたくさんの人に感謝される喜びはひとしおのよう。

それだけに胸中をよぎる感慨は数々の思い出とも重なっているようであり、

その人にしか出せない喜びの色合いというものを、かもし出す。

 

大和川酒造は、市民の酒造り体験を積極的に受け入れている。

地元・喜多方の市民講座はじめ、東京からも4つのグループが酒造りにやって来ている。

彼らは自分たちの樽を持って、出来た酒は全部買い取って仲間で分け合う。

中には酒米づくりから始めるグループもある。

杜氏は労をいとわず、彼らを指導し、慕われている。

 

大地を守る会は、1993年、須賀川・稲田稲作研究会の酒米を使って

オリジナルの日本酒造りをお願いして以来のお付き合いである。

現在の 『種蒔人』、90年代は 『夢醸(むじょう)』 と名乗った。

" みんなの夢を醸そう " という思いでスタートして、

21世紀を迎え  " 新しい種を蒔き続けるのだ " と宣言した。

杜氏とのお付き合いも、早いもので17年になった。

 

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来賓挨拶でご指名を受けたので、感謝の気持ちとともに、

杜氏が好きだった一人の女の子の近況をお伝えした。

「赤ん坊の頃から大和川酒造交流会に参加して、杜氏、杜氏と慕っていたあの子が、

 なんと京都で立派な舞妓さんになりましたよ。」

少女をして厳格な伝統文化の世界に飛び込ませた原動力が何だったのかは

僕には知る由もないが、物心ついたときから杜氏という言葉と人物と、そして文化に触れ

親しんだことは、彼女の情操を育てたひとつの要素にはなったんじゃないか、

と僕は秘かに想像するのである。

杜氏も驚きながら、ウンウンとうなずくのだった。

 

ご機嫌の安部伊立、80歳が披露する

杜氏の舞い-「広提寺(こうだいじ)」。

 

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赤い衣装がめちゃくちゃ映えているじゃないか。

なにやら妖艶な想像まで沸きあがってくる。

 

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熱塩加納村(現:喜多方市熱塩加納町) から、

小林芳正さんも元気なお姿で登場 (写真左)。 

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安部伊立が酒造りの長なら、こちらは原料米栽培の長である。

「こんな米しかつくれんのか」

「オレの米で、こんな酒しかつくれんのか」 -とやり合ってきた仲。

こういうのをどう言えばいいんだろう。 

管鮑(かんぽう) の交わり? -とも違うね。

罵りあいながら揺るがない信頼。 暑苦しいけど、好きだな。

 

先代(8代目) 弥右衛門の奥様、貴子さんを囲んで一枚頂く。 

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『種蒔人』 のラベル題字は、貴子さんの筆であります。

 

" 熊さん " こと熊久保孝治も、生きてました!

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高輪の 「良志久庵 (らしくあん)」 を閉じられてから、

みんな心配してたんですよ。 

良志久案で 杜氏への感謝の会 をやって以来の再会。

「ま、何とか食いつないでやってますので」 とのこと。

久しぶりの熊さんの手打ち蕎麦に舌鼓を打ち、「また蕎麦を打って~」 コール。

 

飯豊山登山でお世話になった方とも久しぶりに再会したりして、

翌日のことも忘れそうになりながら、

純米、吟醸、大吟醸・・・・と飲みまくったのだった。

 

大和川酒造の皆さんに感謝、です。

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お茶目な杜氏には、みんなでマフラーをプレゼント。

 

 

杜氏、いつまでもお元気で。

2月の大和川交流会での再開、約束したからね。 

舞妓になったAちゃん、来れないかな。 無理だよね。

 

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なお最後になったけど、

この日は 「大地を守る会の稲作体験」 の、現地での収穫祭の日であったにも拘らず、

快く喜多方に送り出してくれた稲作実行委員会のみんなに感謝したい。

 



2010年10月 8日

「備蓄米」 が生んだ新しい価値の扉

 

ああ、なんでこんなしんどいブログを続けているんだろう・・・・

とため息つきながら、でもまだやめるワケにいかないなぁ、と思い直す。

「あんしんはしんどい」--それは僕だけのものではなくて、

グァンバッちゃってくれている生産者と、

食べるという命がけの行為(ですよね) に意思を持ってくれた消費者の顔が見えると、

 " 流通者は安心のネットワーカーでなければならない "  を標榜する自分としては、

まだまだ書き続けなければならない、と自らに試練を課すのである。

これは僕の修行のようなものだ。

 

・・・・・と何度思ったことだろうか。

たとえば備蓄米の収穫祭のように。

 

「大地を守る会の備蓄米」 がつなぐ  " 安心 "  とは、人と人をつなぐだけでなく、

未来に  " 安心 "  を運ぶ時間軸を持っている。

食べものは安くなければならない、という今の時代にあって、

そう安くないお米に一口25㎏の年間予約&先払いという制度が16年続いたことは、

奇跡じゃないかと時に思ったりするのだが、それが奇跡じゃないところに希望がある。

それだけの 「価値」 をつくった人と認めた人がいた、というさりげない実力。

誰からの補助もなく持続する  " 食の信頼の輪 "  。

ここにこそ本質的な意味があって、しかもこれはイベントではない。

 

そんな骨太なコンセプトで続けてきた 「備蓄米」 の、年に一回の  " ハレの日 "  が収穫祭だ。

間が空いちゃったけど、報告の続きをしたい。

 

稲田はすっかり稲刈りシーズンに突入していて、

この日もたくさんの米がライスセンターに運び込まれてくる。

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時あたかも 「平成の大冷害」 と呼ばれた1993年に完成した、

実に因縁深い太陽熱乾燥施設。

時代を先取りしたこの設備で水分調節がされ、しかもモミの状態で保管される。

この設備は、何度来ても見てもらわなければならない。

 

そして、

集荷-品質チェック-乾燥-保管-精米-袋詰めまで一貫した流れを見てもらった次に、

3年越しの取り組みとなった野菜・果物のオリジナル低温乾燥製品を見ていただく。

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このコースに来ると、みんな一瞬米のことを忘れて別な世界に入る。

見よ! この試作の数々を、である。

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大地を守る会内で部署横断的に結成されたプロジェクト・チームと、

生産者がつくった会社-(株)ジェイラップとで進めてきた 「はたまる プロジェクト」。

正式名称は、「畑丸ごと、実から種まで乾燥プロジェクト」 という。

僕としては 「皮から茎から実から種から~」 とか、くどいくらいに表現したいところだったが、

若い人にはヘタなジョークとしか聞こえないようで。。。

コンセプトの解説は8月に実施した試食会の日記を読んでいただければ- としたい。

 

パウダーにスライス、細かく刻んだ状態で乾燥したもの、

などなどが所狭しと並ばれている。 

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栄えある商品化第1号に選ばれたのは-

生姜パウダー、原料は高知県 「大地と自然の恵み」 から。

伊豆の清流で育った本山葵(わさび) のパウダー。

福島わかば会のトマトを使った乾燥トマト (スライス)、の3品。

すべて規格外品と言われたものたちによる 「価値」 の主張である。

 

しかし、いざ本格製造となって苦労したのは、

規格外品あるいは余剰といわれるものたちは、決められた量と納期通りに集まってくれない、

資本主義社会においては極めて生産性の悪い半端者であるということだ。

結果的に、どうしても試食会で会員から示された価格帯には収まりきれなかった。

 

でもね。

この世の平衡は半端者がいるから成り立っているのよ、と声を大にして叫びたい。

生物多様性を支える重要な一員なのです。

蘇らせることで、自給力アップにも、環境保全にも貢献する力を持っているのです。

しかも、台所では 「意外と重宝、好きっ!」 と言わせる自信があります。

食べてほしい。 使ってみてほしい。

モテないハンパ者を代表して、切にお願いする次第であります。

会員の皆様には、11月1日から配布の 「ツチオーネ」 にて登場します。

ここは偉そうに、乞うご期待! と言っておこう。

銀座三越(B3:大地を守る会青果物コーナー) にも出るぞ!

 ・・・宣言しちゃいましたので、ヨロシク!

 

ひと通り見学した後は、お待ちかね、乾杯の儀式。

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例年のことながら、出された食材の素晴らしいこと。

おにぎり、お餅、豚汁、果物、お漬物・・・・

そして圧巻だったのが、米粉と野菜パウダーを使ったケーキやお菓子類の登場。 

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「今日のために、寝ずにつくりました」

と少しテレながら一品一品を紹介する伊藤祐子さん (名前が間違っていたらゴメンなさい)。

 

僕のイチオシはこれ! 

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そういえばカフェ・ツチオーネでの試食会でも、

だだ茶豆のパウダーをすぐにも欲しいと言われた会員さんがいたな。

来年の秋ですね。 

 

いつも感謝の、ジェイラップの女性陣たち。

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男どもが偉そうにハッタリかませられるのは、この人たちのお陰。

 

そして、「これを食べてもらわないと」。

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ネギのパウダーを使った、ネギうどん。

生姜うどんもあわせて試食する。 

「うまい!」 「イケますね」 の声に満足。 

 

収穫祭には欠かせない、餅つき大会。

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厳しかった今年の米づくりの苦労を脇において、

ひと時の交流を楽しむ。

君たちの未来は今の大人の所為にかかっている、その思いは持っているから。

 

「備蓄米」 の地から 「はたまる」 の誕生。

 -この扉が僕らの前に然るべく用意されたのなら、敢然と前に進むしかない。

 



2010年10月 6日

大地を守る会の「備蓄米」 収穫祭

 

つらい夏を越えて、やってきた稔りの季節。

 

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どんな時も安心して食べられるお米が確保されている。

それはいつも安心して最高の米づくりに挑めることと、同義でありたい。

 

1994年、平成の大冷害とか米パニックと呼ばれた翌年から始めた

「大地を守る会の備蓄米」。

以来、保管に失敗したり、「もういいんじゃない」 とか言われた年も経験しながら、

意地を張って続けてきた。

この本当の真価は、まだ見えてない。 本番はこの先にある、という思いがある。

 

春から予約をしてその年の米づくりを支える。

供給は年を越してから、次の収穫までの間に責任を持って引き取る。

信頼とそれなりの覚悟がないと双方成り立たない制度が、

米価が下落し続ける時代の中でも着実に支持されてきたことは、

企画者にとって望外の喜びであり、誇りでもあり、かつ重い責任を感じるものとして

僕の中にある。

 

今年もその収穫を迎え、10月2日(土)、生産者と消費者の交流会が開かれた。 

福島県須賀川市の、小高い丘の上にあるライスセンター。

ここに明日の食のために今年も備蓄米を応援してくれる人たちが集う。

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それにしても、今年の夏はイネにとっても辛かったようだ。

「どんな年も、一定の品質を再現させる」 と豪語してきた

(株)ジェイラップ代表・伊藤俊彦も、「いやぁ、厳しかった」 と告白する。

それでも、できるだけのことはやったという自負はある。

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あんたがそういうなら、俺たちは必死で売るだけだね。

じゃ、田んぼに行って、みんなで収穫を喜ぼうじゃないか。

 


 

猛暑から一転して寒くなって、雨が続いた。

今日は久しぶりの晴天。 ということは農家にとっての仕事日和というわけで、

集まってもらうのに気が引けるような青空に僕らは迎えられたのだが、

「ま、大地さんとの収穫祭ですから・・・よかったですね、いい天気で。」

微妙なニュアンスが心苦しい。

 

すっかりイネが倒れている田んぼが周りに散見される中、

稲田稲作研究会の田んぼは力強く立っている。 

「どうだ」 と言わんばかりの関根専務の顔がある。

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稲田稲作研究会会長、岩崎隆さん。

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これほどに皺が似合う人は、そういない。

隆さんに会うと、たるんでいる自分を恥ずかしいと思う。

 

コンバインに乗っての収穫体験。 

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手刈りとはひと味違った、ちょっと高見からのダイナミックなニッポン稲作民族の力を

感じられるだろうか。

 

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子どもたちは虫取りに興じる。 お父さんも一緒に。

  

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昨今の若いお父さんは、みんながみんなそうそう自然児で生きてきたわけではないので、

あんまり過度に期待するのは酷でもあります。 

一緒に楽しむ、一緒に挑戦する、そういう感じで。。。

 

恒例となりつつある、第3回イナゴ取り選手権大会。 

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こういうのは大人が夢中になる企画なんだと、昨今僕は思い知らされている。

それはそれで楽しいけど。

 

トカゲ、捕まえた! いえ、これはカナヘビです。

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ずっとカナヘビをいたぶり続ける少年。 子供というのは残酷だね。

僕も昔はそうだった。

 

田んぼは生産基地であるとともに、子供たちにとっては自然と触れ合う場でもあった。 

どんな天候に遭っても、みんなの食糧をしっかりと作ってくれ、

たくさんの生き物と戯れる遊び(=教育) の空間でもある田んぼ。

 

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ありがとう、と心から感謝して、記念の一枚を。

 

今年の米の出来は実はかなり厳しい状況が伝えられてきている。

夏の高温で豊作が予測されたこともあって、昨年来からの過剰在庫と絡んで、

米価は新米から下落含みである。

しかし蓋を開けてみればさほどの豊作でもなく、品質も例年より悪いという。

国の補助制度はいともあっけなく破綻するように思える。

その先はどうなるのか、、、

私たちの真価が問われる時が近づいてきているように思うのである。

 

そしてしかも、だからこそ、、、

僕らは、新しい価値づくりにも挑戦しなければならない。

・・・・・眠くなったので、続きは明日に。

 



2010年10月 5日

常識破りのせん定技術を学ぶ-柑橘生産者会議

 

先週は9月30日(金)-10月1日(土)にかけて、

広島県は因島(尾道市) から瀬戸田町(生口島・高根島) と巡りながら、

第5回柑橘生産者会議を開催した。

柑橘の生産者会議は9年ぶり。 

久しぶりの技術研修会に、

和歌山から鹿児島までの12グループ28名の生産者が参加された。

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今回の目的は、従来の常識を覆す独自のせん定技術をあみだし、

かつ無農薬・無施肥でレモンを栽培する

道法正徳 (どうほう・まさのり) さんの理論と技術を学ぼうというもの。

 

広島空港から山陽自動車道で尾道市に入り、尾道大橋を渡って因島に。 

そこでまずは、道法さんが技術指導をしているという万田発酵(株) の柑橘園を見る。 

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道法正徳さん。 

元広島県果実農業協同組合連合会の技師時代、

指導の基本とされた 「開心自然形」 と呼ばれる横に広げて陽を樹にまんべんなく当てる

つくり方ではなく、まったく逆の、徒長枝(立ち枝) を伸ばしていくやり方こそ

本来の仕立て方ではないかと考えるに至った。

それは 「切り上げせん定」 と呼ばれ、

彼はこれによって柑橘農家を悩ませる隔年結果 (豊作と不作が繰り返される) を防ぐ

ことができることを立証した。

 

しかし当然のごとくというか、ありがちな話として、

組織や専門家筋からは受け入れられず、

道法さんは自身の技術論を原稿にまとめ、

農業専門書の出版社である 「農文協(農山漁村文化協会)」 に送って、

川田健次というペンネームで出版にこぎつけることができた。

書名は 『高糖度・連産のミカンつくり ~切り上げせん定とナギナタガヤ草生栽培 』 という。

 

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おかげで左遷も経験したりしながら、5年前についに果実連を辞職。

今は堂々と道法正徳の本名で、全国各地に指導に出かけている。

 


徒長枝を残して上に成らす。

実が成れば枝は垂れ、横に広がる。 

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これは春には立っていた枝である。 最初から横枝をつくってはダメだと。

加えて・・・ 

道法さんのせん定技術は、どの枝を伐り、どういう樹形をつくるかだけでなく、

切り方にも特徴がある。

小型のチェーンソーを使って、素早く、えぐり取るように切る。 

 

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一般的な切り方だと、伐った枝の元が斜めに残るところ、

下からえぐるように切れば先端がなくなり、早くきれいにゆ合するのだと言う。

ゆ合ホルモンは枝の先端からおりてくるため、

このほうが切り口の回復が早くなるということのようだ。

 

チェーンソーを使って実際のせん定を実演する道法さん。 

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道法さんの技術はせん定だけではない。

どの花を残すか、摘果のポイントはどこにあるか。

糖度の乗ったミカンをつくり、隔年結果を防ぐためには、

ホルモンの関係も理解しなければならない。

 

園地見学のあとは、食事前に座学も用意する。 

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どんどん専門的な話になる。

これ以上は表面的な受け売りをしてもかえって底が知れるので控えるが、

道法ワールドはさらに無施肥(肥料をやらない)、そしてナギナタガヤを利用した

除草剤を使わない草生栽培へと広がる。

 

二日目も、朝から勉強会。

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この技術研修会を通じて、色々とお世話になったのが最初に見学した

万田発酵(株) の会長、松浦新吾郎さん。

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「万田酵素」 という植物発酵食品については、東ちづるさんのコマーシャルなんかで

ご覧になった方もおられるかと思う。

ここで製品をPRするわけにはいかないが、

50数種類の野菜・果物・海藻などを3年以上発酵させているとかで、

ここにも発酵という世界にとり憑かれた人がいたぞ、って感じ。

道法さんはここの果樹園の栽培指導をしていて、

松浦会長からの信頼も篤いようで、

会長はずっと我々の脇で道法理論の補足などをするのだった。

 

解散後、希望者はさらに呉市豊浜町まで足を延ばして、

実際の道法さんのレモン栽培を見せていただくこととした。

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道法さんは指導する相手に応じて農薬の使用も認めるが、

自らは無農薬・無施肥を実践している。

 

立派なレモンが成っている。

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NHK広島放送局の取材が入っていて、

感想を聞かれる愛媛県中島町のレモン農家、泉精一さん。

こちらも筋金入りの有機農家である。

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別れる前に一枚。

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それぞれに感じ取り、つかんだものを持ち帰っていただければ、と思う。

隔年結果対策、そして無農薬での美味いミカンづくりへと、

刺激になったなら幸いである。

 

穏やかな瀬戸内の二日間だった。

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2010年9月24日

ハスモンヨトウにカメムシに・・・

 

ミツバチ問題の整理に手こずっているうちに、

産地から悲鳴のような連絡が相次いで入っている。

ハスモンヨトウが全国的に発生して、畑を食い荒らしているのだ。

千葉からも茨城からも埼玉からも、

キャベツに定植した途端に寄って来た、あっという間に食われた・・・という連絡。

 

そしてなんと、東北・宮城からも。

登米市中田町で、大規模に有機大豆栽培を手がける高橋伸さんから

写真が送られてきた。

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有機の小粒大豆畑が一面、白くなっている。

 

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被害は10ヘクタール強に及ぶという。

葉にとどまらず鞘まで食いつくしている。

有機許容の薬剤で何かあるか・・・・・

来年以降の対策として検討しておきたい、と。

そしてひと言 - 「共存も難しい」。 

 


ハスモンヨトウ。 漢字では 「斜紋夜盗」 と書く。

その名の通り斜に紋があり、夜になると土中から現われ、

植物の科目を問わず、貪欲に何でも食う。

「深夜に、むしゃむしゃと夜盗が食べている音が聞こえてくるんだ」

と聞いたことがある。

こういう奴 (yahoo 画像より拝借)。

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成虫になった蛾は、こんな格好。

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こいつの発生は年によって差が大きく、特に夏の高温少雨の年に多発生する。

発生のピークは9~10月。

まさにこの夏の酷暑を反映して、狂ったように異常発生している。

山口県では県内全域に注意報が出されている。 平年の倍以上だとか。

しかし耐寒性は弱いと言われていて、北日本での被害は少ないはずなのだが、

これも今年の全国的高温の影響と思われる。

特に大豆畑では突発的に大発生することが知られている。

土壌が肥沃なコメからの転換畑だとさらに生育が盛んになる。

 

ハスモンヨトウは幼虫が大きくなると、どの農薬も効き目が弱くなる。

そこでクモ類などの天敵を殺してしまうと、さらに大発生を誘引してしまう。

おそらく全国各地で夜盗退治の農薬が散布されていることだろう。

天敵の死滅という悪循環に陥ることも怖いが、

こういうときはまた例によって農薬を撒かない畑との対立も生まれたりするのだ。

今年の 「かけろ」(農薬を撒け) 圧力はかなり強いのではないだろうか。

昔よく聞かされた、

「お前がかけないから、虫が発生する」

「冗談じゃない。 みんなこっちに逃げてくるんだ」 という争いが想起される。

 

甚大な被害を被った高橋さんの大豆畑。

想定被害額は・・・僕の口からはいえないので、

有限会社NOA 専務、 高橋伸のブログ をご覧いただきたい。

この地の状況は他人事ではなく、私たちの日々の小粒納豆の話だと思ってほしい。

 

そして、カメムシである。

こちらもまた同様、暖地型カメムシが東北で増殖している。

その名は、アカスジカスミカメ。

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秋田県で8月下旬に注意報が出されている。

8月中下旬に実施された県内100地点でのすくい取り調査で、

寒地型のアカヒゲホソミドリカスミカメは平年並みなのに、

アカスジは平年の5倍、しかも広域に確認されている。

2007年から増加傾向だという。

確実に温暖化とともに北上してきている。

積雪量の減少で、越冬しやすい環境にもなってきているようだ。

気温の上昇は世代数を増やし、発生量・種類ともに増加してゆく。

今年はアカヒゲよりアカスジによる斑点米増加が懸念される。

県の病害虫防除所での指導薬剤は、ネオニコチノイド系農薬である。

 

害虫と防除の繰り返しは確実に生態系の衰弱につながっていくのだが、、、

この夏の結果は、彼岸を越して、さらにさらに焦燥感を募らせるね。

 



2010年8月11日

はた・まる 試食会

 

先週の水曜日(8月4日)、

自由が丘(九品仏) のカフェ・ツチオーネにて、

「はたまるプロジェクト」 主催による乾燥野菜の試食会が開かれたので、

遅まきながらアップしておきたい。

 

「はたまるプロジェクト」 - 「畑丸ごと 実から種まで乾燥プロジェクト」 の略称。

農産物の仕入部門から加工品の開発部門、販売政策に広報と

部署横断的にスタッフが集まって、

実際の加工を行なってもらう (株)ジェイラップさん(福島県須賀川市) と合同で結成された、

新しいコンセプトでの商品開発を進めるためのプロジェクト・チームである。 

その概要は、3月に行なったキックオフ・ミーティングの報告を参照いただくとして、

いよいよ会員さんへのサンプルのお披露目へと漕ぎつけた。

 

ズラリと並んだ試作品の品々。 

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ビンに入っているのが粉(パウダー)、

袋に入っているのがスライスとかチップにして乾燥させたもの。

その数100種類を超えている。

考えられるものはほとんど試作してきた。

ジェイラップ専務の関根政一さんとスタッフの伊藤大輔さんが胸を張る。

「90くらいまで作ったところで、意地でも (サンプル数を) 三桁にして持って来たくなって、

 徹夜して頑張りましたよ。」

そこで意地を発揮しなくったって、とも思ったが、

ま、アスリートに限らず、そういう数字に挑戦したくなることって、あるね。

 

そのまま食べられるものは、お皿に並べて、試食いただく。

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 トマト、ミニトマト、とうもろこし、パイン、プラム、バナナ。

 低温でゆっくりと乾燥させることで、風味と栄養価を保たせる。

むしろ水分が飛んだ分、エキスが凝縮されて濃厚な味わいになる。

最終的な水分濃度をどこまでにするかが鍵、というか秘伝になるのかな。

 


ジェイラップ代表、伊藤俊彦さんがこのプロジェクトにかける意気込みを語る。 

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ただ規格外品や余剰野菜に新たな価値を付与して製品化する、というだけではない。

ブロッコリィなら捨てられるところの茎も使う (ブロッコリィは捨てられる方が多い)。

トウガラシならヘタも活用する。

皮も、種も、モノによっては根っこも、トライしてみた。

「実は、そういうところの方が栄養価は高かったりするんです。

 そういったところにもこだわりたい。」

 

こういった乾燥野菜を家庭でストックしていただき、時間のない時にさっと使え、

あるいは隠し味に使うなど、料理のバラエティに役立てていただく。

また、少量で栄養バランスが摂れるメリットは、

高齢者の方、一人暮らしの方にも重宝されるのではないか。

ゴミの減量化にもつながるし。

離乳食にも使える、という声も上がった。

ねらい通り、だね。 

 

関根専務からは、製造にあたっての苦労話から、

こだわってきたこと、自分なりのアイディアなどを話していただく。 

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「こんなツラですけど、けっこう繊細なんですぅ。」

ジョークも適当に織り交ぜながら、なかなか聞かせる。 

 

カフェ・ツチオーネのパティシエ、猪股さんが、

事前に送った素材を使って、ケーキやクッキーなど

たくさんの試作にチャレンジしてくれた。 

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どれも大好評。 

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猪股さんによると、

「生のトマトだと青臭さもあるが、乾燥だと甘味と酸味だけになって、とても使いやすい。」

水分がなくなることで、その素材の特徴がストレートに出せる。

タマネギも甘味が強くなって、パン生地への影響が少なく、味が水分で分散されない。

また砂糖や塩も控えられるとか。

 

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粉では、はやりフルーツ系が一番人気か。

皆さん、いろいろと用途のイメージが広がって、会話も徐々に徐々にはずんでくる。

 

そして確実な需要を感じたのは、薬味系(ニンニク、生姜、本わさび、ねぎ、など)。

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はじかれた規格外のワサビ、伊豆の本山葵です。

製品化第1号のラインアップに 「当確」 ランプ点灯!

辛味大根にもたくさんの ◎ が与えられた。

なんせ、ちょっと水を加えただけで、

カンペキな  " 辛み大根おろし "  が再現されたのだから。

 

食堂をやっているという方からは、

●●●●●● のパウダーはすぐにでもほしい、と言われてしまった。

 

野菜のチップは、色々ミックスしてもらえば、おやつに最適。

 

などなどなどなど・・・これ以上ネタを広げるのはもったいないので、

やめておきたい。

 

とにかく、たくさんの貴重なご意見を頂戴しました。

ありがとうございました。

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参加者には、お土産という名の 「宿題」 を持ち帰ってもらう。

「この粉をどんなふうに使ってみたか、写真を撮って感想と一緒に送ってください。」

皆さん、快く引き受けてくれる。

かなりの好反応で、スタッフ一同安堵するとともに、

俄然やる気もアップする。 

 

最初の製品をカタログ 「ツチオーネ」 に登場させる目標の日程は、10月下旬。

これから本番に向けての具体的なオペレーションに入ってゆく。

 

ジェイラップ = 米の生産者団体名では 「稲田稲作研究会」 。

大地を守る会の重要アイテムの一つである 「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である。

その 備蓄米の 「収穫祭」 が例年通り、10月2日(土) に開催される。

当然、乾燥野菜も披露させていただく。

 

というわけで皆様。

次なる試食日は、10月2日、福島の現地で、ということになります。

3年越しのチャレンジの成果を楽しみに、どうぞ奮ってご応募ください。

参加申し込みは、原則として

 『NEWS大地を守る』 9月号の申込用紙にてお願いします。

 

いや、待て。

これじゃ、米より乾燥野菜の宣伝みたいだな。

メインは、あくまでも 「備蓄米」 の収穫を祝う集いですので、お忘れなく。

稲田稲作研究会の、黄金色に輝く田園が待ってます!

 



2010年7月23日

鹿児島で 有機農業フォーラム

 

鹿児島に行ってきました。

昨日から今日にかけて、

かごしま有機生産組合主催による 「第5回有機農業フォーラム」 が開催され、

そこで1時間ほどの講演を依頼されたのです。

 

会場は薩摩川内市、 「湖畔リゾートホテルいむた」 。

ラムサール条約にも登録されている藺牟田(いむた) 湖畔にある。

ベッコウトンボの生息で有名なんだとか。

 

僕に与えられた課題は、

「首都圏における有機農産物の販売動向」。

生産者にはとっても気になる話題だが、語る側にはちょっとつらいテーマである。

 


首都圏での 「有機農産物」 の販売動向といわれても、

販売に関する正確なデータがあるわけではない。

あるのは、有機JAS制度で認証(格付) された農産物の数量データのみである。

しかも存在するデータから読み解こうとすると、

有機農業で頑張っている生産者にはとても厳しい現実を語らざるを得なくなってしまう。

 

たとえばこんな数字がある。

有機農産物の生産量 (「有機」と格付された農産物、ここではすべてこの数字)

の統計が取れるようになったのは、有機JAS制度ができた2001年からであるが、

その年の国内総生産量に占める 「有機農産物」の割合は、0.10%だった。

そして直近のデータである08年には、0.18%になっている。

7年間での伸び率は、0.08%。

数量でいえば、約3万4千トンから5万6千トンで、66%増加となる。

これをどう評価するかは、意見の分かれるところだろうが、

まあ伸びていることは事実である。

とりあえずこれを 「地道に」 と表現させていただく。

 

しかし国民的目線でこのデータを見たときに、

驚かなければならないのは、むしろ国内総生産量の減少ではないかと思う。

7年間で94%に落ち込んでいる。

つまり、分母が6%減ったとろこでの 0.08%増、というわけだ。

分母の数量は、約3,220万トンから約3,024万トンへ。

約200万トン落ち込んだところに、「有機農産物」 が2万トン伸ばした。

衰退していくなかでの 「希望の星」 か、もしかして生き残りをかけての 「有機」 か。

 

憶測で語るのはやめて、もうひとつのデータを提示させていただく。

外国産有機農産物の数字である。

2001年に格付された外国産有機農産物は9万4千トン(すでに今の国内産の倍近い)。

それが08年には、約200万トン。

7年間での伸び率は、2125%(約21倍)。 野菜だけでも730%、米で780%。

まるで国内生産量が減った分を、外国産有機農産物が補ったかのような数字だ。

だとするなら、この数字は絶望的ともいえるし、ある意味での希望ともいえる。

 

こんな数字を示しながら、「有機農産物の販売動向」 をどう語るか・・・

複雑なる心境がご理解いただけるだろうか。

「有機農産物」 マーケットは、間違いなく成長しているのである。

食の自給とは関係なく。

そこで、外国産有機農産物の圧倒的な増加をもって、

結局、有機JAS制度は外国産有機を後押ししただけだと批判する向きがある。

僕の考えるところは、最後の結論まで待ってほしい。

 

個人的感覚だけで喋ってはいけないので、もうひとつのデータを参考に挙げる。

農水省からの委託で、NPO法人 日本有機農業研究会が行なった、

「有機農業に関する消費者の意識調査」 である。 昨年の3月に発表されている。

 

このレポートから炙り出されてくる、消費の像とはこんな感じだ。

・ 「有機農産物」というものの存在については、ほとんどの消費者が知っている。

・ 「有機農産物を一度でも購入した」 経験を持つ人は約6割に達しているが、

   「有機JASマーク」 を理解しているのは1割程度である。

・ 「有機」への理解は 「安全性」 や 「環境にやさしい」 というイメージ。

・ 不満は、圧倒的に価格の高さ、である。 続いて供給の不安定さとまとめられるか。

・ 一方で有機をプラスに評価する人の、価格容認幅は +1割~2割高 くらいまで。

 

他にもいろんな傾向が読み取れるが、まあだいたい想定範囲内である。

こういった調査結果を参考指標にしつつ、

その上で、僕が現実から感じとっている消費と社会的な動向について

触れさせていただいた。

大地を守る会は卸し事業もやっているわけなので、

データだけでお茶を濁しては、石を投げられちゃうだろうし。

 

結論。

有機をめぐる市場は広がりを見せつつも、まだまだ未成熟なのだ。

人々の関心や社会的トレンドは、間違いなく 「有機」 への期待を高めている。

しかしマーケットは動いたが営業メリットは発生せず、

JASマークへの不信感が残る一方で、マーク以上の信頼のツールを編み出せていない。

 

僕は有機JAS制度ができた時から、「JASマークを乗り越えよう」 と

呪文のように唱え続けてきた。

認証やそのマークは自身の営農結果の 「証明書」 である。

それが時代の求めるものであるならば、数々の問題点はあっても、

避けずに正面から突破したいと思ったんだよね。

しかし規格に適合したという 「証明」 をもって、それ以上の価値を、

たとえば自身の食や農業に対する思いを語るものには、けっしてならない。

それ以上の価値は、自らの力で築いていかなければならない。

 

有機JAS制度と表示は、発展への過渡期的必然だったのだ。

結果として外国産有機農産物が氾濫したとするなら、それは制度ではなく、

我々の未熟さの問題である。

 

バカにならないコストと手間をかけて認証に取り組んだ者だからこそ

進むことのできる  " 次のステップ "  がある。

「有機農業」 が目指した社会に向けての、次の一歩に。

 

大地を守る会の最近の動きを紹介しつつ、感じている世の中の変化を伝え、

僕らなりの挑戦の方向を述べさせていただく。

" マーケットの拡大 "  というと商業用語になっちゃうけど、

それは経済の流れとも、人々の意識ともつながって動的なものだし、

なにより生産はそれを強く求めていると思うので、ここでは憚らず使わせていただく。

量だけでなく質の深化も目指して、何を語り、どのようなくさびを打ち込めるか。

証明から価値観を動かす力へ-

 

肝心なことを言い忘れたけど、かごしま有機生産組合は、

実は 「有機的社会」 づくりに向けて、すでに舵を切っているのである。

都市の団体や流通に依存するだけでなく、地域に広がるためのお店を増やし、

直営農場を持ち、農業技術センターを設立させて、

有機農業技術の確立と新規就農者の育成に取り組んでいる。

JASの認証にも取り組んだからこそ、制度に対してモノ申す権利も、

大胆にいえば否定する説明力も持ったことになるワケで、

次の展開への踏み台は、もう足元にあるわけです。

どこよりも活力あるかごしま、を建設してほしい。

 

フォーラムでは、

NPO法人 有機農業技術会議の事務局長・藤田正雄さんの講演もあった。

以前、新規就農者のためのハンドブック-『有機農業をはじめよう!』

の編集で一緒に仕事をさせていただいた方。

藤田さんの講演タイトルは、「土の生き物からみた土づくり」。

多様な生物を活かしながら土をつくる技術。

有機農業の持っている、もっとも根源的な力だ。 化学肥料では土は生産できない。

 

分散会では有機認証のための記帳の煩わしさやコストが語られ、

理想論とは別に、現場でのしんどさは続く。

組合員数が150人にも達すると、組織をまとめるにも相当な苦労があることだろうが、

これからの方向を考えるキーワードのひとつが 「地域」 だとするなら、

自分たちはすでに一つの条件をクリアしつつあることに、どうか自信を持って欲しい。

 

今日の夕方には幕張に戻らなければならない都合があり、

ここでもとんぼ返りになった。

たまにしか来ることができない地方出張なら、

遠方ほどじっくりと見て回って相互理解を深めたいものだが、

現実がなかなか許してくれない。 歯がゆいものだ。 

 

大暑の日のうだる移動に、希望も萎えそうになる。

 



2010年7月16日

20回めの北海道生産者会議

 

北海道に行ってきました。

ジャガイモの花が咲いていました。

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品種はメークイン。 江別市・金井正さんの畑にて。

 

7月15~16日、第20回となった北海道地区生産者ブロック会議を開催。

場所は、千歳空港から札幌に向かう途中の北広島市。 

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今回の幹事は、北海道有機農業協同組合。

2001年、全国で初めて有機農業の専門農協として組織された。

挨拶するのは代表理事・小路健男さん。 

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大地を守る会に出荷するようになったのは2年前から。

若い時から大地を守る会を意識してやってきた、と嬉しいことを言ってくれる。

 


今回の講演は、四日市大学教授で北海道大学名誉教授でもある松永勝彦さん。

テーマは、「森が消えれば海も死ぬ」。

同じタイトルの著書がある。 

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森(山) と海のつながりは、今ではあたり前に語られる話だが、

その関係を科学的に証明する先鞭をつけたのが松永さんである。

20年におよぶフィールドワークによって、

海の磯焼け現象(海の砂漠化) の原因が山にあることを突きとめた。

 

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鍵になるのは鉄である。

鉄は生物に不可欠な元素であるが、自然界では鉄サビの状態で存在していて、

そのままでは光合成生物は取り込めない。

しかし森林の腐植土にはフルボ酸という物質が存在し、

フルボ酸と鉄が結合する(フルボ酸鉄になる) ことによって生物に取り込まれる。

森からフルボ酸鉄やリン、窒素が送られてくることによって、

沿岸海域の生態系は豊かに維持されていたのだ。

 

" 森は海の恋人 "  で有名な宮城・気仙沼の畠山重篤さんのバックボーンともなった

松永さんだが、時に公共事業などを痛烈に批判するためか、

あるいは学者の縄張り体質と対立したためか、

いろいろと圧力もあったらしく、学界は居心地のいいものではなかったようだ。

今は三重で、人工漁礁による海の再生に取り組んでいる。

 

話はもっぱら海から森、森から海だったが、

その視点から語られる 「腐植」 の大切さは、

農業者にとっても意味あるものになったのではないだろうか。

 

二日目は現地視察。

江別の金井正さんのほ場を訪ねる。 

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ジャガイモの花も、そろそろ終盤戦。

春の低温・日照不足からだいぶ復活はしてきたようだが、

このところは乾燥気味で、生産者からはおしなべて 「水が欲しい」 という声が聞かれていた。

 

金井さんも70を越え、今年は怪我もあって心配したのだが、

なんのなんの、矍鑠(かくしゃく) としている。

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金井さんといえば、誰もが認める道具を大切にする人である。

45年前のトラクターを、今でも修理しながら使っている。

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開拓時代の道具も保存し、すべてがきれいに整理整頓されている。 

長い間の習慣で、身と精神の芯まで染みついたものとしか言いようがない。

これがただの性格だったら、毎日神経すり減らしてつらいことだろう。

 

畑の管理にもその生き方が表われている。

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ちょっと草があるだけで気になる人に違いない、そんな畑である。

 

これからの天気がちょうどよく推移することを願って、

看板の前で記念の一枚を撮る。 

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続いて、北広島の佐々木透さん。

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北海道有機農業協同組合の理事もされている方。

こちらは多品種の野菜栽培で、少々手が回らない気味。

 

佐々木さんは学生の頃から農業を志したそうで、

北海道・十勝から沖縄・西表島、さらには長野の川上村、群馬の嬬恋村で

修行を積んでいる。

アメリカの農場でも2年、海外青年協力隊員の経験もある、猛者である。

 

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人参畑は草の中にあり、キャベツ畑にはモンシロチョウが元気に飛び回っていても、

佐々木さんはいっさい農薬は使わない。

修行時代に、農薬を撒いては夜に吐いていた、という経験が

この人の農業スタイルの底辺にあるようだ。

 

草との格闘は人海戦術である。 

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炎天下の中で草をとるパートさんたち。

彼女たちこそ、北海道での有機農業を支える柱のような存在である。

うつむいて黙々と進む姿に、僕らの頭も上がらない。

 

暑いけど爽やかな風も吹いている。

秋の後半からの根菜類は、この夏の北海道にかかっているワケで、

祈る気持ちで、あとにする。

 



2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に

到達しつつある。

小川さんの苦労は報われる。 間違いない。

わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。

 

できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた

祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。

浅見さんと相談してみよう。

 



2010年7月 3日

食文化の伝道師と若者たち

 

6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、

帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。

こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。

30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。

7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。

『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。

 

一週間出ずっぱりとなってしまった。

こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。

ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、

どう転んでも書けそうにない。

何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、

遅れの帳尻を合わせることにしたい。

 

 

「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、

猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。

実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。

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フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)

「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」

というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、

もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。

今回はこちらでお願いする。

 

このホテルの総料理長になって22年。

最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った

 " 華 " のある料理を披露されていたのだが、

福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。

有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。

その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。

 

食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。

山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。

しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、

地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。

それが 「料理」 による地のおもてなしだと。

 


現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、

ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。

 

山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、

大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。

料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、

たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、

調理に変化を持たせたりするのだという。

また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。

さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。

昨年には 「体験農場」 も開設した。

宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、

夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。 

そんなコースを楽しむ人が増えている。

 

生産者の思いや地場作物の物語を  「食」 を通じて伝えるなかで、

地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。

「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。

ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。

気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。 

 

さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。

板橋 大(ゆたか) くん。 

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大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。

酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。

今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。

 

チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。 

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前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。

2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。

 

チャルジョウ農場からもう一人。

写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、

有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。

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「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。

 小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」

彼女たちには、農業への偏見がない。

牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、

美しい被写体を見ている。

要は生き方だよなあ、と感じさせる。

 (オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)

これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、

それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。

 

こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が

もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。

この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。

途中で折れることなく、大事にしてほしい。

 

実践報告でも、若者たちのリレートークでも、

実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。

素直に誇りたい。

 

次は二日目の現地視察。

山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、

このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。

すみません、明日に回します。

 



2010年6月25日

全国米生産者会議-魚沼編

 

沖縄から帰ってきたと思ったら、次は新潟・南魚沼に向かう。

今度はお米の生産者会議である。 

もう14回目となった 『全国米生産者会議』。

今年の幹事は、11年前から有機での米づくりを実践している 「笠原農園」 さん。

代表の笠原勝彦さんを中心に、8名の若いスタッフが常時雇用で頑張っている。

 

6月24日(木)。

会場は、その笠原さんのお米を使っているという旅館 「龍言」 。

将棋のタイトル戦の会場にも選ばれたりしている、当地の老舗旅館である。

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北海道から熊本まで、約100人の生産者が集まる。

いずれも、米づくりにかけては人一倍プライドの強い猛者たち。 

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こちらが笠原勝彦さん。

まだ40代の若きリーダー。

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就農した頃は 「魚沼だから」 と天狗になっていたそうだが、

全国米食味鑑定コンクールに出品するようになって、

もっと美味い米を作る人たちが全国にいることを知り、本気になった。

積極的に先進的な産地を訪ねては学び、

「安全で美味しい米づくり」 をひたすら追求してきた結果、

コンクールでは6年前から5年連続して金賞あるいは特別賞を受賞。

昨年はその栄誉を称えられ、ダイヤモンド褒章をいただいた。

99年から合鴨農法による無農薬栽培を始め、

2001年には有機JASの認証を取得。 

これまで、合鴨、紙マルチ、チェーン除草、スプリング除草など、

あらゆる雑草対策を試してきたという勉強家でもある。

 

会議では、お二人の講演を用意した。

まずは、もうこのブログではお馴染みの、と言っていいだろう、

京都造形芸術大学教授、竹村真一さん。 

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「100万人のキャンドルナイト」 呼びかけ人の一人であり、

「田んぼスケープ」 でコラボさせていただいている。

前から米の生産者会議にお呼びしたいと思っていた方だ。 ようやく実現した。

講演のタイトルは - 「地球目線でコメと田んぼを考える」。

 


竹村さんとのお付き合いは古く、86年の 「ばななぼうと」 からである。

あの時、竹村さんはまだ東大の大学院生だった。

結婚して、息子さんがもう19歳。

「ウチの息子の体は、皆さんの作られたお米でできています。

 皆さんに感謝の言葉を伝えたくて、今日はやって来ました。」

 

竹村さんが開発したデジタル地球儀-「触れる地球」 の映像をバックに、

竹村ブシが展開される。 

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「触れる地球儀」 は直径約1メートル。 地球の1千万分の1のサイズになっている。

私たちの生存を支える大気は地上1万メートルの上空まであるが、

この地球儀で見れば、それはたった1mmの薄い皮膜であることが感じられる。

この地球儀にインターネットが接続され、世界の気象状況や環境変化などの情報が

リアルタイムで映し出される。

太平洋の南で雲が湧き台風に成長していく姿が見え、

あるいは世界の気温変化が視覚的に確認することが出来る。

こんな地球の姿を子どもたちに見せたい。

 

「環境問題が語られない日がないという時代にあってもなお、まだ学校では、

 16世紀に発明された平べったいメルカトル図法の地図が使われている。

 何とかしたいですね。」

「宇宙船地球号とはどんな星なのか、今何が起きているのか、

 誰も知らないまま船に乗っている。」

「アル・ゴアは 『不都合な真実』 と書いたけれども、

 実はこの地球は 『好都合な真実』 に満ち溢れた、有り難い星なのです。」

 

数億年の時間をかけて生物が作りだしてくれた大気。

良い(いい) 加減に落ち着いた温室効果とそれによって維持される水循環。 

生命の進化と生死の繰り返しは土をつくり、環境変化が炭素を閉じ込めてくれた。

それを今、短期間のうちに掘り起こして、CO2 濃度を急上昇させながら

使い切ろうとしている。 大気と水を汚染させながら。

 

原油の価格も上昇を続け、数年後に日本は、

石油を買う金額が国家予算に匹敵するようになる。 

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現代社会が抱える貧困や戦争、環境破壊などの問題の70%は、

エネルギー問題に起因していると言われる。

しかし竹村さんに言わせれば、本当はこの地球上に  " エネルギー問題は存在しない "  。

太陽から地球に降り注いでいるエネルギー量は、なんと人類需要の1.3万倍ある。

たった1時間分で1年分のエネルギー需要を満たす。

「それだけのエネルギーを私たちは太陽から無償で頂いているのです。

 このエネルギーの1万分の一を利用させていただくだけで、

 ほとんどのエネルギー問題はなくなるでしょう。」

 

そしてそれはもう技術的に可能な時代に入ってきている。

我々の技術と社会はまだまだ未成熟なだけだったのだ。

しかし準備は整いつつある。

太陽エネルギーの効率的利用で、私たちは原発など古い発想に頼る必要はなくなり、

多くの環境破壊的な争いごとも乗り越えることができる。

そんな持続可能で、エレガントな未来社会が描ける時代を、私たちは迎えようとしている。

ヒトは地球にとってのやっかいなガン細胞として終わるのでなく、

生物の共存と共創のコーディネーターになりえるのだ。

 

そこで農業もまた、21世紀の新しい価値観で捉え直さなければならない。

循環する自然資源とともにある、生命創造産業の文脈で作り変える時期に来ている。

有機農業の発展はまさにその流れの中にあって、

とりわけ水循環と調和し、生物多様性とも共存できるはずの水田稲作は、

より高次の文明へと向かうための、地球のソフトウェアとなる。

 

ニッポンの有機稲作を牽引してきた皆さん、いかがでしょうか。

これが人類史の文脈でとらえられている田んぼの価値なのです。

分かんねぇよ、あるいは、なんとなくは分かるけど・・・・

という気分にもなるでしょうが、戦略づくりのためにも、

次のビジョンの方向を感知しておくことは必要です。

 

さて次は生々しく、激辛コメントでお馴染みの西出隆一師。

「米の品質・収量アップのための土作りの極意」 と題しての講演。

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西出さんの場合は、生産者から出された土壌診断のデータをもとにに、

具体的に論評し、処方箋を下す、という進め方である。

ここからは 「アンタの田んぼは・・・・ああ、アカンな」 という展開になるので、

省かせていただくことにする。

竹村講演の解説で少々疲れたし。。。

 

二日目の今日は、笠原農園のほ場見学。 

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食味コンクールで金賞を取る実力者、笠原さんでも、

田んぼが 24ha にまで増えると、場所によって質が違ってくる。

昨日は西出さんからだいぶきつい批評を頂戴していた。

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それでも、真摯に受け止め、

真面目に質問していた笠原さんの姿勢に、僕は好感を持った。 

 

有機稲作生産者が集まると、まず注目するのが抑草技術である。

去年話題になったチェーン除草から発展して、今年はこれ。

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スプリング除草。

道具の改良で競うのは、「百姓」 と呼ばれる  " 生きる知恵者 "  たちの

DNAのようなものだね。

 

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合鴨が気持ちよさそうに泳いでいる。 いや、働いている。 

 

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フムフム、魚沼の笠原氏はだいたいこんな感じか・・・・

などと分析したりしながら、したたかなオヤジたちが太陽の下で解散。

お疲れ様でした。

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来年は、魚沼とは違った意味でのライバル、

年々米の評判を上げてきている北海道での開催です。

 

解散後、

福島・ジェイラップさん(稲田稲作研究会) の車に便乗させてもらって、

磐越道経由で、猪苗代で降ろしてもらう。

明日あさってと、次なる会議が待っている。

今夜のうちに体調を戻さないと・・・

昨夜は誰かの部屋に大勢で詰め、尽きない話で延々と飲み、

誰かがサッカーを見始めて、そのまま・・・・となったのだった。

 



2010年6月23日

地下ダムと、僕らの 「宿命」

 

後継者会議・宮古島編を長々と続けてしまったけど、最後に

宮古島の農業と暮らしの根幹ともいえる地下水との関わりについて記したい。

これに触れずして、今回の話は終われないのだ。

 

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最初に書いたように、宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島である。

その断層活動で形成された 「嶺」(丘陵) が縦に走るだけで、

後背山地を持たない、したがって川らしい川もない平坦な島。

この島に雨は年間2200mmも降るのだが (日本の平均降水量は1700~1800mm)、

石灰岩質の土壌は透水性が高く (=保水性が乏しい)、

また地形が低平で川がつくられないため、多くが地下に浸透する構造になっている。

その比率は4割と推定されている。

(日本本土は川によって海に流れ、地下に貯められる量は数%レベルである。)

 

しかし地下に染み込んだ水は、ただ下り続けるわけではない。

サンゴの遺骸でできた石灰岩層の下には、

宮古群島がまだ海面下にあった時代に堆積された 「島尻泥炭層」 という地層があり、

この緻密な泥炭層がしっかりと水を受け止め、浸透をさえぎることで、

水は石灰岩層の隙間に貯められることになる。

この島の石灰岩層は、いわば水をたっぷりと含んだスポンジのようなものだ。

 

さてここからが本番なのだが、問題は、このような地質と構造によって、

島の暮らしは足元の下にある地下水にすべて依存せざるを得ない、

ということなのである。 農業用水も生活用水も、一緒なのだ。

つまりは、生活や農業のあり方がそのまま地下水の水質に反映して、

ストレートに生活にも農業にも跳ね返ってくることになる。

これが 「島の宿命」 というわけだ。

実際に、硝酸態窒素によって地下水汚染が進んでいると最初に指摘されたのは、

1980年代のこと。 

「もう飲めない」 レベルの手前まで至った歴史を、すでにこの島は経験している。

原因のひとつが言わずもがな、化学肥料である。

島での有機農業者たちのたたかいは、そこから始まっている。

 

熱血の生産者、渡真利貞光さん。 年齢不詳 (聞き忘れただけ)。

大地を守る会にはピーマンやゴーヤなどを出荷してくれている。

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渡真利さんの有機農業の考え方は、島の資源を最大限に活用する循環型農法である。

ポイントは草と残さ資源にあるようだ。

夏場にあえて草を生やして、刈り取って土にすき込むことで保肥力を高める。

それに島の主要作物であるサトウキビの搾りかす(バガス) や廃糖蜜、

泡盛の搾りかすなどを利用して 「土ごと発酵」 させる、というものだ。

 

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島においても、化学肥料の使用は本土と同じように増えてきた。

しかし島の石灰岩土壌はカルシウムが豊富なため、

実は化学肥料に含まれる貴重なリン酸はカルシウムと反応して固定化され、

不可給態つまり作物が吸収できない状態となって土壌に蓄積されてしまっている。

そこにバガスや糖蜜を施すことで、リン溶解菌がそれを炭素源のエサとして

乳酸や酢酸などの有機酸を生成させ、それによって土壌 pH が下がり、

リン酸が溶け出して作物に吸収されるようになる。

植物のリン酸利用率が高まり、さらに有機質肥料を施すことによって、

化学肥料を不要にさせ、結果として硝酸態窒素による地下水汚染を防ぐ。 

渡真利さんはこの技術を 「炭素農業」 と呼んだりしている。

 

彼は自身の農法を確立させることで、ただ化学肥料を批判するのでなく

説得力のある形で農民たちを有機農業に転換させたいと願っている。

「有機農業でちゃんと飯が食えることを証明して、島全体を循環型の農業に変えたい。

 私の人生すべてをかける覚悟でやってます。」

 

宮古島には、世界でも珍しい 「地下ダム」 が建設されている。

地下だから 「埋蔵」 と呼ぶべきかしらん。

先に書いた通り、この島の地下水は

水を含んだスポンジのように石灰岩層の隙間に貯まって地下を移動している。

地下ダムはその地下水流の下流域に止水壁を設けて貯め込むという仕組みである。

島の水資源調査に呼ばれたハワイ大学のジョン・F・ミンク博士という方の提言によって、

1979年に実験ダムが作られ、その後93年、96年と、2機が建設された。

すべて国の事業である。

 

地下にあるので見ることができないのだが、

一か所、貯水されている様子を見ることができる施設がある。

「地下ダム資料館」 を訪ねる。

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ガイドしてくれたのは、川満真理子さん。

何を隠そう、渡真利貞光さんのパートナーである。

島の特徴から地下ダムの構造、そして島にとって地下水は命であること、

その地下水を何としてもきれいな状態で守っていきたいと、こちらも情熱の人である。

 

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これが地下ダムの様子。 

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一定の水位以上になると溢れて流れ出る仕組みになっている。

 

このダムがつくられたことによって、潅水設備が行き渡るようになり、

島の農業は干ばつから解放され、水利用型へと変換した。

そう、この島は雨は多いのだが保水性が乏しいため、

いったん少雨の時期が続いたり台風が少ない年などは、

とたんに干ばつに見舞われる、という歴史を繰り返してきた。

台風銀座といわれる地帯で、しょっちゅう被害を受けているばかりと思っていたけど、

台風は大量の水という恵みも運んでくれていたってわけだ。

 

地下ダムができて水が安定的に利用できるようになったことは

喜ばしいことなのだろうが、反面、その収支(使いすぎ) も心配になってくる。

表土の保肥力・保水力を高める渡真利さんの 「炭素農法」 は、

水質の保全だけでなく、水を蓄える力を併せ持った農業である。

島が背負い続けてきた 「宿命」 とはむしろ、

「使いすぎてはならない」 「汚してはならない」 という 「掟」 を伝えるものであり、

持続可能な循環の世界の大切さを教えてくれる島の守り神なのではないか、

とさえ思えてくるのだった。

 

さらに思うに、この 「宿命」 って実は、ひとつのサンゴの島の話ではなくて、

僕らがいる星全体の 「宿命」 と同義だろう。

圧縮された形で、この星の 「宿命」 を教えてくれているのだ。 

僕らは、渡真利さんのピーマンやゴーヤを食べることで、

その 「宿命」 とつながっている。

そしてこの島での、サンゴ礁や水循環をめぐってたどってきた道のりと

これから進む事態は、我々にとって有り難い 「道しるべ」 となるに違いない。

 

すごい大先達に導かれながら、未来は君たちにかかっている。

やったれや、この島を、有機の島に。

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頼むぞ、玉城克明。

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最後に登場した役者が、またスゴイ。

帰りの空港に向かう途中、昼食のお店に飛び込んできたおじさんがいた。

「いやあ、藤田さん。 会えてよかった。 間に合ってよかったよ! 」

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真榮城忠之さん。

元琉球放送の取締役まで務めた方。

藤田会長や前会長の藤本敏夫さんとは、若い頃の東京勤務時代からの付き合いだとか。

しかも驚くべき話を聞かされる。

「地下ダムを作るきっかけは、ぼくの親父が平良市長をやってた時に、

 ミンク博士を調査に呼んだことに始まるんだよね。」

 

今は放送局は退任されて、無農薬でウコン栽培を始めたんだとか。

僕の名刺を見るや、「軌道に乗ったら幕張に行くから、会ってよ。」

広がっていく不思議な縁は、大切にしなければいけないと思う。

 

さてさて、南の島の国家事業を見せられた後で、

来年の開催は、、、、この人が手を挙げてくれた。 

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秋田県大潟村 「ライスロッジ大潟」、黒瀬友基くん。

戦後最大の国家事業と言われた、日本第二の湖・八郎潟を干拓して出現した

大潟村での開催。 この村の歴史もまた、たくさんのことを教えてくれるだろう。

しなやかな感性を持った有機農業の第2世代諸君。

来年は、北で会おう。 

 

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2010年6月22日

楽園の果実

 

宮古島レポートの続きを。

 

6月18日(金) 朝、我々 「大地を守る会 全国後継者会議」 一行は、

宮古島から来間 (くりま) 大橋を渡り、来間島に渡る。

昨夜のビーチから眺めた橋の向こうにある、

周囲10キロ、人口200人に満たない島。

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1995年、日本一長い農道橋が開通して、便利になった反面、

島に車があふれるようになり、ゴミ (現地の人はチリと言う) が増え、

空き巣やバイク泥棒など犯罪まで発生するようになった。

橋は必要だと思いながら、なくしてはいけないものもあるはずだと、

この島の農家に嫁いだ砂川智子さんが、

著書 『楽園の花嫁』 でその光景や悩みを綴っている。

 

さて、この島でのお目当ては、その智子さんの夫、砂川重信さんである。

完熟マンゴーの生産者だ。

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智子さんが惚れた 「日本一黒い男」。 腹ではなく肌のことです。 

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砂川さんのマンゴー、" 完熟 "  の称号は伊達ではない。

なんたって、実が熟して落ちるまで樹に成らせる。

砂川さんのこだわり、というより  " それが自然でしょ "  という感覚が

砂川マンゴーの本質である。 

しかも農薬も化学肥料も一切使わない、有機マンゴー。

断然、味が違う。 濃厚な甘さに上品な酸味、口の中でとろける感触は、

まさに  " 楽園の果実 "  と呼ぶにふさわしい。

 

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沖縄は20数年ぶりで、恥ずかしながら初めて見るマンゴーの樹。

ネットを取れば、まだ赤いけど堂々たる大きさに育っている。 

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これが黄色くなって、袋の中で自然落果するまで待つのである。


智子さんの著書。 

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マンゴー栽培を始めた頃の様子が記されている。

  『 輸入自由化で和牛の値段が下降しはじめる前にどうにかマンゴー栽培を始めたい。

   そう決心した私たちは最初の年に6アール、次の年に20アールのビニールハウスと

   用水池を完成させた。 風速45メートルの台風にも耐えられるという

   沖縄仕様の鉄骨ビニールハウスは、私たちに夢を膨らませ満足感を与えてくれたが、

   炎天下の困難な建設工事と多額の借金という現実も残してくれた。

   マンゴーの苗木は植え付けてから3年めで花が咲き、

   去年から6アール分のマンゴーとパパイヤ、島バナナなども出荷している。

   私たちのマンゴーはすべて 「楽園の果実」 と名付け、

   申し込み順に今朝収穫したものを直接消費者に送っている。

   有機栽培でなるべく農薬を使わないように。

   マンゴーが大好物の私の3人の子供に、安全で美味しいものを食べさせてあげたい。

   そんな親の思いが、そのまま私たちの農業姿勢になっている。

   だが、年々増えてゆく収穫量にどこまでそういう姿勢で対応できるのか・・・。

   理想と現実にどう折り合いをつけていくか・・・。 まだまだこれからだ。 』

1995年頃の話。 お二人の当時の心情がうかがわれる。

 

砂川さんのパッションフルーツ。

ただ酸っぱいだけの果物と思っていた人も、これには驚きの声を上げる。

酸味とのバランスがよく、 「甘い!」 のだ。 

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パッション~といっても 「情熱」 の意味ではない。

その花の形が、欧米では十字架に打たれた釘を連想させるようで、

キリストの受難 (the Passion) の花と名付けられた、のだとか。

 

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それにしても驚いたのが、

閉じていた蕾に声をかけたり触ったりしているうちに、

あっという間に全開まで開いてくれたことだ。

すごいサービス精神!! てことはないよね。 

ハチでも飛んできたと錯覚したのか。 

ちょうどそういう時間だったということもあるのだろうが、

呼ぶ声に応えるかのように動き出した花弁に、来客を喜んでくれている、

と感じたのは僕一人ではなかったと思う。

この花のどこが十字架に打たれた釘に見えるのか、キリスト教門外漢の私には分からない。

「情熱のフルーツ」 にしようよ。 

 

智子さんが運営するカフェ、「楽園の果実」 でひと休みさせていただく。 

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夏のような日差しに、むせ返るような湿度の下で、

爽やかなマンゴージュースが、とても嬉しい。 

智子さんに会えなかったのが残念。

 

観光客や短い滞在者には、ここはまさに  " 楽園 "  である。 

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しかし、それで宮古島レポートを終わらせるわけにはいかない。

「大地を守る会 全国後継者会議」 の視察プログラムを通して、僕らは、

この島に実に深い問題が横たわっていることを知らされたのだ。

それはいま地球上で進行している重大な危機の、ひとつの縮図だと言える。

最後に、地下ダムと有機農業の話を。

 



2010年6月19日

繊細な生態系と大らかな三線に抱かれて

 

サンゴ石灰岩の上で営まれる宮古島の暮らし。

観光客を喜ばせるマリンブルーの海とサンゴ礁、真っ白の砂浜といった風景も、

実は繊細な生態バランスによって成り立っている。 

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さて、昨日からの続きは、

沖縄大学人文学部准教授、盛口満さんの講演である。

題して 「島の農業・環境・生物について」。

要するに好きに喋れ、というようなお題目だ。 

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出身は千葉で、埼玉県飯能市にある 「自由の森学園」 の中学・高校教諭を経て、

2000年に沖縄に移住した。 2007年より現職。

作家・イラストレーターの肩書きもあり、『ゲッチョ先生の卵探検記』 とか

『小さな骨の動物園』 『生き物屋図鑑』 などなど、多数の著作がある。

会長の藤田が、「盛口さんの専門は、なに学になるのですか?」 と聞いたところ、

「僕は特に〇X 学を研究しているってわけじゃなくて、、、ただの理科・生物の教師です」

 

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そんな盛口さんが

「大地を守る会が僕に何を話せというのかよく分からないままやってきまして・・・」

と言いながら、最初に言い放った言葉は、

「食べものって、全部生き物だってこと、皆さん、知ってますよね。」

 

盛口さんが手に持っている骨、何の骨か分かりますでしょうか。

人が描いている外見からのイメージと実際の骨格とは違うのである。

答えは・・・豚。 だったよね、たしか。

 


盛口さんはたくさんの動物の骨を持参して、参加者を驚かせたりしながら、

琉球弧を歩いては聞き取った伝承も紹介しつつ、

生き物たちとのつながりを土台にして島の暮らしや文化が紡がれてきた世界を、

そして生物多様性の意味を紐解いていく。 面白い。

 

盛口さんは、サンゴ礁の秘密にも迫る。

造礁サンゴが繁殖するのは、亜熱帯から温帯の、透明度の高い、浅い海である。

太陽の光が強いため、水の蒸発も多く、したがって塩分濃度も高くなる。

そういうところではプランクトンは育たず、サンゴ礁の海とは、実は貧栄養の海である。

しかしサンゴは体内で光合成を行なう褐虫藻という藻類と共生していて、

その栄養分によって繁殖することができる。

褐虫藻は貧栄養という環境のなかで、サンゴに寄生することで、ともに繁殖する。

サンゴの死骸はたくさんの隙間をもった海底を形成し、様々な小動物の隠れ家を提供する。

石灰分の多い土壌に適した植物が藻場を形成し、藍藻類が窒素固定を行ない生産力を支える。

そこは波が緩いため産卵に適し、魚がやってくる。 

稚魚にとっては揺りかごのような環境だが、それたちを食べにまた魚がやってくる。

そうやって順々に生物の多様性が高まる。 砂浜はウミガメの産卵場になる。

 

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しかし海の富栄養化が進めば、植物プランクトンのほうが優勢になり、

海は濁り始め、褐虫藻が生存できなくなり、サンゴも衰えてゆく。

平坦なサンゴの島で、富栄養化の大きな要因は農業に使われる化学肥料である。

あるいは陸での乱開発によって土壌が流れ込むと、やはり水が濁り、光が当たらなくなり、

サンゴに泥が溜まれば窒息し、共生藻類を失うことで白化し、死にいたる。

サンゴが死ねば、必然的にサンゴによって支えられた生態系が滅ぶ。

「魚が湧く」 とまで言われるサンゴ礁の死滅は、結果として

島の暮らしのサイクルも狂わせてゆく。

私たちが生物多様性という問題を考えなければならないワケが、ここにある。

 

さて若者たちは、座学を終えるや、

陽射しも湿度も尋常ではないにもかかわらず、外に出たがる。

暑いよ暑いよとか言いながら。

 

島の東の突端、東平安名崎の公園で、

西川卓治のマイ・スィート・ハニー、真衣子さんお手製のお弁当をいただく。

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写真を撮らせてもらおうと申し出たら、真衣子さんがどこかにいなくなった。

(別に照れてではなく、次の仕込みに入ったようだ。)

 

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新城海岸に到着。

ここでシュノーケルリングをしばし。

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僕は準備をしてこなかったので、浜を歩き、

藤田会長をはじめとするオッサン軍団とオリオンビールでひと休みする。

 

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いつかこういう島でゆっくりとダイビングを楽しみたいものだ。

(こうみえてもダイバーのライセンスは持ってます。)

そんな日はやってくるのだろうか。

 

瞑想のひと時を終え、ホテルに戻る。

夜は浜辺でバーベキューが用意された。

 

ウィンディまいばま。

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ここの砂浜は粒子が細かく密度も濃い。踏みしめても足が埋まらない。 超一級品だ。

これがすべて生き物の死骸である。

ここまで積もるのにどれほどの時間がかかったことだろう。

「一億年前、ここに風が吹いていた」 とか表現した詩人がいたが、

この島は約300万年前から数10万年前という悠久の時間をかけて、

隆起とサンゴ礁の発達が繰り返されてできたものだ。

200万年前のその日も、いつもと変わらず、

一介のサンゴが波に洗われ、静かに砂になった、って感じか?

 

ワタクシの繊細な詩情などお構いなしに、

野人たちは生命を喰らい始める。 未来はいつまでも続くと信じて。

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今回の立役者、西川卓治に乾杯! 

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しかし、これで終わらないのがオキナワである。

フラダンスのショーが始まった。

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実は、西川くんのお連れ合い、真衣子さんがやっている 「Pua'ena (プアエナ) 宮古」

というフラのチームなんだそうだ。

プアとは花、エナとはエネルギーが満ちるというような意味だとか。

お弁当を食べていた間に彼女がいなくなったのは、練習していたようである。

 

ただ見とれる。

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ようやっと、ツーショットをいただく。

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おいおい、君。。。。。 いいのかぁ? アップしちゃうぞぉ。

 

いよいよ三線の登場。

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奏者は、川満七重さん。 

宮古を代表する三線奏者の友情出演。 感激!ですね。

隣の太鼓は、松堂とおるさん。 

 

さらにサプライズが!

真南風(まはえ) 代表、夏目ちえさんが、フラガール姿で現われる。

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涙そうそうの演奏に乗って、優雅な踊りを披露してくれた。 

 

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フラッシュの嵐・・・・・諸君! これは機微な個人情報ですぞ、なんてことはお構いなし。

僕も10枚ほど頂戴しました。

 

あとはただ、テンション上げるのみ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

ホテルに帰っても、部屋でオトーリの再現。 

ああ、終わんねぇよ。 

 

長寿番組 「世界の車窓から」 ふうに--

明日は、楽園の果実に向かいます。

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2010年6月18日

珊瑚の島で 後継者会議

 

もしお手元にあれば日本地図を開いて、鹿児島から沖縄を眺めてみてほしい。

種子島・屋久島のある大隈諸島からトカラ列島・奄美諸島までを薩南諸島と呼び、

その南方の沖縄諸島・先島諸島は琉球諸島と総称される。

(両方ひっくるめて 「南西諸島」 となる。)

 

しかし僕は 「琉球諸島」 より 「琉球列島」 という呼び方のほうが好きだ。

もっと言えば、 「琉球弧」 という表現に血が騒いだりする。 なんでだろう。

 

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ここは沖縄本島から南西約300kmに位置する、先島諸島・宮古島。

ざっくりと言えば、九州本土と台湾の中間に沖縄本島があり、

沖縄本島と台湾の中間に宮古島がある。

 

山がない、川らしい川もない、丸ごと珊瑚礁によってつくられた島。 

南四国の海に育ったワタクシの目にも、ここは空気も風土も文化も違う

まったくの異国である。

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この島で、 『 大地を守る会 第8回全国後継者会議 』 が開かれた。

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昨年、島根県浜田市(といっても旧弥栄村) の 「やさか共同農場」 で開催した際に、

「来年は宮古島で開催した~い。 ぜひ来て~!!!」

とアッピールしたのが、宮古島に入植して7年の西川卓治くんだった。

 

沖縄本島よりまだ向こうでの開催に、昨年以上に不安先行の準備になったのだが、

そこは7年にわたって親交を温めてきた若者たちの心意気である。

北は秋田・福島から鹿児島まで、内地から14名の次世代生産者たちが

宮古島に乗り込んできてくれた。

せっかくの沖縄行きということで、奥さんとお子さん同伴というのも2組あった。

「オオッス」 という挨拶や、子どもとすぐにうち解ける光景が、とても嬉しく感じる。

 


会議は17~18日の日程で、僕らは16日の午前中に羽田を立ち、

那覇空港を経由して、夕方に現地に入った。

前日入り、ということは・・・・・前夜祭から始まるってことだ。

駆け足で2軒の生産者と畑を回って、夜は彼らの農産物を取りまとめてくれている

 「有限会社 真南風 (まはえ)」 さんとの懇親会に臨む。

宮古島の生産者を中心に、沖縄本島や石垣島からも生産者が集まってくれた。

本番前というのに、二次会まで設定されて、

そこで恐れていた、宮古島伝統の泡盛の回し飲み 「オトーリ」 の洗礼を受ける。

 

「オトーリ」とは-

まず 「親役」 が口上を述べ、コップ酒をイッキ飲みする。

そして親役が酒を注ぎながら座を囲んだ全員にコップが回ってゆく。

回ってきたらイッキに飲む。

ひと回りしたら、親役が次の親を指名して、指名された親はまた口上を述べ、

イッキ飲みする。 それが順番に繰り返される。

もともとは豊作祈願の神事から始まったようだが、いつの間にか島の慣例となって、

沖縄本島の人の間では 「宮古にだけは泊まるな」 とも言われているんだとか。

島内では、この泡盛イッキ回し飲みの是非をめぐって終わりのない論争が続いているらしい。

泡盛を空けながら口角泡を飛ばし・・・て感じかしら。 終わんねぇな、ゼッタイ。

 

そんなキビシイ前夜祭を経て、

6月17日、「大地を守る会 全国後継者会議」 が開催される。

 

恒例の藤田会長挨拶の後、

「真南風 (まはえ)」 代表、夏目ちえさんの挨拶。

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真南風の歴史を語る夏目さん。

歴史をひも解けば、僕らのつながりは1986年秋の大イベント 「ばななぼうと」 にまで遡る。

全国250の市民団体から集まった500名を越す人々がひとつの船に乗り、

徳之島から石垣島までめぐりながら、

「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、市民運動のネットワークづくりを語り合った。

当時、石垣島・白保のサンゴ礁を守りたいと空港建設に反対していた魚住けいさんが、

サンゴ礁とともに生きる島の暮らしを支えるのだと、漁民と手を組んで

天然もずくの産直事業に乗り出していた。

" 批判・告発型の運動から提案型運動へ- " 

今でいう社会起業の先駆けともいえる市民事業の種が一斉に蒔かれた時代だった。

僕もまだ若かったな。

あれから沖縄各地に仲間の生産者が増えていって、「真南風」 設立へと至る。

魚住さんは強い意志をもって走り続け、2004年、ついに天にまで昇ってしまわれた。

そして魚住さんの遺志を継いだのが夏目さんだが、

代表を引き受けるにはずいぶんと悩まれたようである。

背中を押したのが生産者たちであることは言うまでもない。

 

あれから20数年、俺もオッサンになったな・・・などと感慨に耽っているうちにも、

若者たちは屈託なく、ツカミをとりながら自己PRを始めている。

 

3回目だったかの開催地、愛知・天恵グループからは3名の参加。

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3年前の開催地、長崎・長有研からは2名。

過去2回開催した埼玉からは瀬山公一が、昨年のやさか共同農場からは竹岡篤志が、

家族連れでやってきた。

みんな律儀である。

 

今回のニューフェイスはこの人。

長野県松川町 「農事組合法人まし野」 の熊谷拓也くん。

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農大を卒業して、アメリカのリンゴ農園で2年の研修経験を経て、

今年の春、実家に就農した。

夢は、アメリカで自分のリンゴ農園を持つこと、だとか。

 

こちらが今年の開催地・南アフリカ、じゃなかった沖縄の、若手生産者たち。

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左から3番目が、攻めは強いが守りはからきしと思われる西川卓治選手。

出身は大阪で、栃木の有機農家で修行した後、

奥さんの実家・宮古島に二人で帰って、有機農業を始めた。

新規就農にはタフさだけでなく、明るさもあったほうがいい。

ボケで笑いを取る関西DNAと常に前向きな行動力は、

地域を変えるエンジンになるかもしれない。 期待のキャラだ。

 

さて次に、沖縄大学・盛口満先生の講演となるのだが、

疲れたので、今日はここまで。

今回の宮古島体験は、ネタがいろいろあり過ぎて、

こんな調子で続けたらいったい何回の連載になるのかしら。

せめて3回で終わるようにしたい。

 

本土にはいないと思われるトカゲのデート、発見。

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2010年6月10日

麦秋の産地から

 

陰暦で言えば4月28日。 麦秋の季節。

ここは栃木県河内郡上三川町。 稀少ともいえる有機栽培の小麦畑。 

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栽培に取り組んでいるのは 「日本の稲作を守る会」 代表の稲葉光圀さん。

その会の名が示すように、基本は稲作の発展を目的とした会であるが、

稲葉さんが確立した有機稲作技術とは、麦-大豆-米の輪作体系の確立でもあって、

米だけでなく、大豆や麦も安定的にさばけることが求められる。

大地を守る会は、2年前から麦の販売という形で応援するようになった。

「有機」 に転換する期間中の小麦を引き受けたのがきっかけだった。

 

すでに収穫も始まっている。

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ただ春先の天気の悪さも響いてか、今年の麦は全体的に 「半作かなあ」 と

稲葉さんの口ぶりも何となく歯切れが悪い。

 


一方、こちらはまだ青さが残る、隅内俊光さんの麦畑。 

ここは田んぼではなくて畑。 前作は2年続けて大豆とのこと。

「これはいい!」 と稲葉さんも絶賛している。

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素人目にも、たしかに実の入りがいい。 粒が大きく、はじけそうだ。

 

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隅内さん(左、右が稲葉さん) も相当な手応えを感じている様子。

しかし問題はこのあと。 収穫まであと2週間くらいだろうか。

梅雨に入れば、難敵・赤カビ病が心配になる。 

なんとかこのまま持ってほしい。

 

「日本の稲作を守る会」 は有機栽培の実践と販売を担う有限会社なのだが、

もうひとつ、稲葉さんが理事長を務めるNPO法人 「民間稲作研究所」 では、

有機農業推進法によるモデルタウン事業を活用して研修施設を建設した。

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有機農業技術支援センター、研修棟。 昨年6月に完成した。

しかもただの宿泊施設ではない。

雨水を地下に貯め、室内に循環させながら、その気化熱で冷房効果を出す。 

この日は暑かったのだが、たしかに室内は爽やかな感じなのである。

冬は発酵肥料の発熱を活用して暖房する。

屋根には太陽電池を据え、電力もできるだけ自給する。

稲葉さんがモニターを見ながら、「今日は売電できてます。」

 

立派な会議室も設えている。 

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収容人員40人。 こういうスペースを大事にするあたり、元学校の先生らしい。

 

しかし有機農業推進法が求めているのはエコハウスではない、

というのが国の論理である。

環境配慮の部分は助成対象外。 結局、自力資金でやるしかない。

「有機農業の思想でやるからにはさぁ、これくらいこだわりたいじゃない。」

頑張ったですね、稲葉先生。

 

モデルタウン事業は、昨年の事業仕分けで廃止寸前になり、

「収益力向上支援事業」 として形を変えて存続した。

しかし本来の有機農業支援とは質が違ってきていて、

新規就農希望の研修生向けの宿泊施設費用などは助成対象外となってしまった。

稲葉さんは申請の継続をやめ、

「もう自力でやりますよ」 と腹を決めている。

 

そこではからずも、稲葉さんと僕の主張が合致したりするのだった。

経営破たんした国の財政に依存することなく、国民の健康と環境は自力で守るのだ。

自力とは、生産者と消費者の連携しかない。

たとえば食の安全・安心や環境に配慮した農業を支援するなら、

その国産農産物を購入する消費をこそ支援すべきである、ということだ。

僕は今の政治が持っているカードに頼るなら、消費税率のアップは避けて通れないだろう、

と踏んでいるのだが、自国で維持しなければならない主要産物については、

加工品も含めて消費税免除とかいう形で消費支援をしたらどうだろうか。

徴税を強化して生産支援をするのか、賢い消費を応援するのか、

議論する価値はあるんじゃないか。

僕らは、稲葉さんたちの有機小麦を、再生産を維持できる値段で買い取って、

結局、高い醤油を必死で売るわけだけど、

なんか二重に負担させられているようなカラクリを感じざるを得ない。

食べる人たちを支援してくれないと、俺たちもうまくいかないよね・・・と頷き合うのだった。

誰か、このカラクリを 「見える化」 してほしい。

 

傾斜地の草は、山羊が処理してくれている。 

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ヒトが自然循環に配慮してくれるなら、

こういう家畜に生まれ変わってもいいなあと思う。

ワタシ、だいぶ疲れてるかしら・・・。

 

さて、稲葉さんが本当に見せたいのは、実は田んぼである。 

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アミミドロに覆われた田んぼ。

発酵させた米ヌカ肥料で繁殖する。 これで強害草・コナギを抑える。

右側は小動物のためのビオトープか。

稲葉光圀の米・麦・大豆の総合技術への模索は、まだまだ続いているのだった。

 

上三川まできたので、宇都宮を越えて那須まで足を延ばしてみる。

那須有機研究会の田んぼも見ておこうかと。

こちらは合鴨を使っての有機稲作。

民間稲作研究所の認証センターで有機JASの認証も取っている。

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那須疏水の清流の恩恵を受けて、

食味も品質も安定した米を作ってくれている。 

合鴨水稲同時作の課題は食味なのだが、ポイントはミネラルとのこと。

 

田んぼに入ったばかりの合鴨。 元気で活躍を始めている。

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米の産地担当・海老原が生産者のビデオレターを求める。

代表の栗原重男さん(写真中央) が真面目に応じてくれるのが、嬉しい。 

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生産者の声だと、鴨たちも寄ってくるのだった。

秘かに嫉妬を感じるときである。

 

どこも生育が遅れがちな今年の状況。

加えて米価の下落が進む中、みんなの努力が報われる秋になるかどうか。

麦は麦だけの話ではすまず、米は米だけの話ではすまず、

僕はただただ彼らの笑顔に 「逃げられない」 思いを強くさせられるのである。

 



2010年5月28日

環境配慮で競う、きのこ生産者会議

 

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ここは山形県最上郡舟形町。 「有限会社 舟形マッシュルーム」 さん。

5月27日(木)、ここに大地を守る会のきのこ生産者が集合する。

3年ぶりの開催となった 「第5回 全国きのこ生産者会議」。

2年前からお付き合いが始まった舟形マッシュさんの取り組みを

みんなで学ぼうというわけである。

 

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マッシュルームは、太古より馬厩肥などに生えていたキノコだが、

私たちが手にできるマッシュルームはすべて施設での栽培である。

和名からして 「ツクリタケ」 というくらいで。。。

 

舟形マッシュさんのハウスはアルミ製。 腐食に強く衛生的で長持ちする。

代表の長沢光芳さんが会社を設立して10年。

今ではハウスが18棟、フル稼動すれば年間約300トンの生産体制になる。

生産にあたって農薬はいっさい使用しない。 設備の殺菌はすべて蒸気で行なう。

熱は地域資源を再利用したバイオマス蒸気ボイラーでまかない、

培地の廃材は堆肥化し田畑に還す。

JGAP (Japan Good Agricultural Practice:適正農業規範) も取得し、

その環境に配慮した生産体制は、昨年、

農林水産大臣賞と山形県ベストアグリ賞のダブル受賞を果たしている。

 

靴を洗って、中を見せてもらう。 

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一棟の中に2列 × 5段ベッドという構造。

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培地に使われる資材は、競馬場から出る馬厩肥、地元や宮城から運んだ稲ワラ、

缶コーヒーを製造した後のコーヒー豆の搾りかす、

大豆の搾りかす (非遺伝子組み換えのもの) など、未利用資源の活用を徹底する。

それらを発酵させ、コンポスト (マッシュルーム専用の培地) をつくる。

 

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ハウス内を熱殺菌し、上記資材で作られた菌床を敷き詰め、菌を手でまき、

混ぜた上に、ピートモス(泥炭層の堆積土) で覆土する。

 

生育期間は8日とか9日で、3回のピークがあって、

1ベッドの収穫期間は27日ということになる。

収穫はすべて手作業となる。

 

マッシュルームといえばホワイト種が主流だが、

風味や味を重視する方はブラウン種のほうを好む。 

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こちらがホワイト種。 

上品な白、味はブラウンよりまろやかというのが定説。

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これが菌の種。 手で散布される。

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生まれたばかりの真珠のような玉も見える。 アップで撮ると別世界のようだ。

 

舟形マッシュさんの売りの一つ。 

ジャンボ・マッシュルームにスーパージャンボ・マッシュルーム。

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改良品種ではなく、菌のコロニーを固めずに、間引きもしながら

時間をかけて1個を大きくしたもの。 よって生産量は少ない。

 

収穫が手作業なら、軸をカットする作業も手作業となる。

包装も手詰めで品質をチェックする。

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まさにマシュマロのようなまんじゅうが、きれいに並んでいる様である。

 

こちらが廃材チップを利用したバイオマス蒸気ボイラー。

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石油に頼らず、地域資源を無駄なく循環させたいという長沢さんの理念が、

2年間のテスト期間を経て、今年の3月から実現した。

 

収穫の終わった廃床は完熟堆肥に生まれ変わる。

 

施設をひと通り見学した後、参加者一行は最上町の宿に移って、

改めて長沢さんから会社の概要の説明を受ける。 

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長沢さんは、元は缶コーヒーをつくる食品メーカーに勤めていたのだそうだ。

そこでマッシュルーム関係の仕事に回されてノウハウを学んだ後、

家族の事情で実家に戻り、米を作る傍ら、

仲間と一緒に舟形マッシュルーム生産組合を立ち上げたという経歴である。

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マッシュルームの先進地、海外の視察にも余念がない。

国内での生産が横ばいの中、レシピの開発やレストランとの連携などによって、

まだまだマッシュは伸びると断言する。

キノコは体にもいいものだしね。

 

群馬の 「自然耕房(じねんこうぼう)」 さんといい、長野の 「えのきぼうや」 さんといい、

安全なきのこ生産は、資源循環のひとつのツボだ。

大地を守る会のキノコは地域に貢献する、と宣言しておきたい。

 

最上町瀬見温泉は、義経と弁慶が頼朝に追われて落ちてゆく途中、

弁慶が薙刀で湯を掘り当てたという、伝説の湯治場である。

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悠然と流れる清流、小国川 (最上川の支流) が美しい。

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2010年5月 6日

堰が人をつないでいる

 

さて、堰浚いを終えて、夜の 「里山交流会」 までの時間を使って、

チャルジョウ農場 を訪ねる。

 

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元は福島県農業試験場の指導者だった小川光さんが、

中央アジア乾燥地帯での農業指導を経て、

山都町に入植して自ら有機農業の実践に入った。

そして彼独自の技術と理論によって、東北の雪深い山間地の潅水設備もない環境で、

ハウス施設を使っての無農薬栽培の技術を確立させたのだ。

以来、たくさんの若い研修生を育てては、就農の斡旋まで引き受けている。

 

堰浚いボランティアの呼びかけ人である浅見彰宏さんも

小川さんの世話で当地に入植した一人である。

農場の名前は、小川さんが惚れたトルクメニスタン国・チャルジョウの町名に由来する。

 

この日、光さんは新しく借りてほしいという西会津町の畑を見に行って留守だった。

耕作放棄という言葉を許すことができない、一直線の農業指導者なのだ。

" 山都町の空き家情報を最もよく知る人 "  とも言われる。

 

一昨年から小川さんとこの農場の研修生たちの作った野菜をセットにして販売している。

研修生たちが名づけたグループ名は 「あいづ耕人会たべらんしょ」 という。

 

堰浚いに参加された当会の会員の方と、

埼玉県小川町の金子美登さんの農場で研修された二人の若者もお連れする。

実は小川光さんのご長男、未明(みはる) さんも

金子さんの 「霜里農場」 で勉強した経験を持っている。 

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なかなかイイ男だと思うのだが、いかがでしょうか。 

独身です。

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この日はやや遅れ気味であったミニトマトの定植作業に追われていた。

今年、小川さんが引き受けた研修生は10人。

堰浚いにも何人か参加してくれた。

 

楽しそうに、農作業にいそしんでいる。

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農作業は楽しいと、彼らは一様に言う。

しかし、それで生活するとなると、途端に厳しいものになる。

佐賀の農民作家・山下惣一さんのセリフが思い出される。

「農作業は楽しい。 しかし  " 農業 "  となると一転して腹が立つ。」

 

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この農場で育てるミニトマトの品種は 「紅涙(こうるい)」 という。

光さんが育ててきたオリジナル品種。 

水がやれないため逆に味が濃縮される。 酸味もしっかりあって実に美味い。

今年は 「たべらんしょ」 の野菜セットの他に、

庄右衛門インゲンなどが 「とくたろうさん」 で取り扱える手はずになっている。

 

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若者たちの息吹が、そう遠くない将来、

この山間地の環境と暮らしを支える担い手になることだろう。

彼らを応援することで、この国は豊かになる、と僕は思っている。 

 

温泉に入って、公民館に戻る。

夜の 「里山交流会」 の開催。 テーブルには山菜料理が所狭しと並べられる。

里山の自然の恵み一覧のようだ。

心地よい疲れもあって、皆早く 「乾杯!」 といきたいところなのだが、

今年はその前にお勉強会の時間が設けられた。 

せっかくの機会をただの飲み会にするんじゃなく、

堰の大切さや農業のことなども学んで意見交換の場にしたい、

というのが浅見さんのねらいである。

それはまことに結構なのだが、その一番バッターに指名された者は可哀想だ。

浅見さんから出された宿題は、「食と農と堰のかかわりについて」。

しかもお酒を前にしての講演なんで、30分くらいで- だと。

 

みんなの視線が厳しいなあ、と感じながら話をさせていただく。

僕なりに考えた堰の価値と、将来にわたる大切な役割について。

地球規模で進んでいる生物多様性と水の危機という視点を盛り込んで考えてみた。

 

堰自体はその地域の方々のものだけれど、自然環境と水を巧みに生かしながら

食と農を支えてきた水路は、貴重な国民的資産でもある。

それはとても税金で賄えるものではない。

ボランティアはよそ者だけれど、未来の食と環境と、その土台技術を守る仲間として、

この堰が人を呼び、つないでいるとも言えるのではないだろうか。

 

堰を守ることは根っこのところでは食糧安保の問題でもある、

とまとめたかったのだが、時間が気になって言い忘れてしまった。

実にプレッシャーのきつい講演だったよ、浅見さん。

 

多くの方に褒めてはいただいたものの、出来のほどは自分では分からない。

あとはひたすら飲み、たらふく山菜料理を味わい、語り合い、

深夜まで至福の時を過ごさせていただいた次第。

カンパで持参した 「種蒔人」 は、瞬時に空いてしまった。

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翌日、小川未明さんから連絡あり、後のほうの記憶がない、とのこと。

「何か失礼なこと言いませんでしたか?」

もったいないことに、当方も、ただただ楽しかった、という残像のみである。

 

小川光・未明父子や若い研修生たちとの出会いも、堰がくれたものだ。

自然は折り合いさえつければ、たくさんの恵みを与えてくれる。 しかも無償で。

腰は痛いけど。

 



2010年5月 5日

堰さらいは大人の環境教育?

 

ゴールデンウィークはマジに会津詣が恒例となってしまった。

 

5月3日、我々 「大地を守る会の 堰さらい ボランティア班」 は、

渋滞にはまったり迂回したりしながら、

夕刻前には福島県喜多方市山都町早稲谷地区に到着した。

4回目にして出迎えてくれたのは、満開の桜である。

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4月の寒さで、稲の苗の生育もだいぶ遅れ気味とのこと。

短い春に、ハチたちもせっせと働いている。

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まずはゆっくりと温泉に入って、夜は公民館で、

地元の方や集まったボランティアの方々と 「前夜祭」(という名の飲み会) を楽しむ。

今年はボランティアがさらに増えて、40名を超えた。

大地を守る会からも去年より一人増えて、5名 (+子供一人) の参加である。

しかしその一方で、地元では2軒の農家が耕作をやめたとのこと。 

堰の維持は今ではボランティアの力にかかっている、とまで言われるようになった。

「本当にありがたい」 と地元の方々に感謝されたりする。

しかし、この水路を地域の協働で営々と支えてきた歴史に感謝すべきは誰なのか、

堰さらいに参加する人たちは知っている。

 


4日朝、みんなで作った朝ごはんを済ませて、

7時半から 「総人足」 (全戸総出での清掃作業を地元の人はこう呼ぶ) 開始。

総延長6キロに及ぶ 「本木上堰 (もときじょうせき)」 を、

上流の早稲谷の取水口から下っていく班と、

下流の本木集落から上がっていく班に分かれる。

作業は両班が出会うまで終われない。

 

僕は今年は早稲谷班に配属される。

下の写真の右手が、早稲谷川から水を引く取水口。

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ここから堰に溜まった土砂や落ち葉を浚(さら) っていく。

 

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最初は楽しく会話しながら、それが段々と沈黙の作業に変わっていく。

実は前々日から、またしても腰痛をぶり返してしまった私。

立ったり座ったりがひどく辛いのだが、意地もあって必死で作業する。

時々フォークを杖代わりにして、、、

運動会の前になると熱を出す子供みたい、とからかわれたりしながら。。。

 

ま、そんなダメおやじの体たらくにかまうことなく、

ひたすら浚う、浚う、のボランティア諸君。 

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浚う、浚う、浚う。。。

 

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 たまさかの休憩時間。

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時折は山野の植物を愛でたりもする。

カタクリの花、発見。

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しかし・・・くそッ、ピントが合ってないぞ。

 

午後2時過ぎくらいだったか、ようやく合流。

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お疲れ様、でした。

これで今年も水がしっかりつながります。

 

見てお分かりいただけるだろうか。

この堰には傾斜がほとんどない。

尾根筋に沿って掘られた水路はゆっくりと水を集め、温ませながら里に下りてゆく。

しかも素掘りのままの形が残っている。

掘ったのは江戸時代中期、会津藩の命により寛保7年 (1747年) に完成した。

地形と水の原理を操った土木技術は驚嘆に値する。

以来260年余、部分的に少しずつU字溝などで補修されながら、生き続けてきた。

 

5月10日にもなれば、この棚田にも水が入ることになる。

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この風景すべてを、堰が支えてきたのだ。

 

公民館前の広場で、お疲れ様会。

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例によってサバの水煮缶とお豆腐、そして豚汁に麦酒が振る舞われる。

連れの職員Sは会津若松出身で、今もサバ缶は常備品だと言って、

自分の分も上げると、すかさず受け取る。

ま、こいつが一緒に来てくれる限りは運転を任せられるから、安いものだ。

 

夜にも地元の方々との 「里山交流会」 が予定されていて、

僕は宴席の前に講演を依頼されていたこともあって、麦酒は控えめにして、

合い間を縫って、別集落にある小川光さんの 「チャルジョウ農場」 を訪ねることにした。

 

というところで疲れてきたので、この話、明日に続けます。

腰が痛いよ、本格的に。。。。。

 



2010年4月28日

広瀬くんの 「風干りんご」

 

元大地を守る会職員で、長野のリンゴ農家になった広瀬祥寿くんが、

自園のりんご(フジ) を原料に面白い作品を完成させたので、紹介します。

「風干 (かざぼし) りんご」 。 彼らしいネーミングです。

要するに干しりんごですが、我々がプロジェクト・チームをつくって進めている

乾燥野菜(&果物) の開発計画ともつながってのことだけに、

はからずも側面支援を受けたような、嬉しい出来事になったのでした。

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僕らが福島のジェイラップさんと一緒に、乾燥野菜の開発チーム

はたまるプロジェクト」 を結成したという話は一ヶ月ほど前に書いたけど、

実はその時すでに、あましているリンゴで干しりんごを作りいたいとの依頼が

広瀬くんからジェイラップに入っていたのです。

もちろんこちらのインサイダー情報をキャッチしてのこと。 

 

なかなかの素早い動き。 「やるじゃん、広瀬」 と褒めたりしつつ、

実はその時期までりんごを抱えているという切羽詰まった事情も察せられたりして。

こちらの情報は彼にとって救いの神のようなものではなかったかと思う一方、

彼の作品完成によって僕らも勇気づけられた格好になりました。

 


広瀬くんとジェイラップの関根さんの間では、

いろいろと綿密なやりとりが交わされたみたいです。

両人とも相当のこだわり屋というか凝り性で、 

こと自分の仕事に関しては0.1ミリの狂いも許さないようなところがある二人です。

 

か ざ ぼ し り ん ご 。

ふじの皮をむき (本来のコンセプトは  " 皮も生かす "  ですが、

今回は口あたりを優先したようです)、芯を抜いて、5ミリ程度にスライスして、

低温 (25℃以下) の風でゆっくり、じっくり乾燥させました。 

添加物は一切なし。 ナチュラルそのもの。

生のりんごの風味、甘味、酸味、栄養分が、ありのままに凝縮された干しりんご。

少し柔らかめに仕上げてあって、サクサクと口あたりがやさしく、甘みもいやらしくない。

とても自然な風味で、ついつい手が伸びてしまう、そんな感じなのです。

 

他の同様の製品はだいたい80℃くらいの温度をかけるようですが、

それでは風味だけでなく、糖もビタミンも酵素も損なわれてしまいます。

ただし低温だと時間とコストがかかるため、そのぶん高くなります。

広瀬・関根の両氏は、ためらいなく値段よりも食べものの命を取るほうで、

いや~コワいすね。

 

量的な問題もあって、これを当社で取り扱うことはできませんが、

広瀬くんが自力で 「広瀬農園の新作」 として販売している・・・ってことは、

考えてみれば、いや考えなくても、これが

ジェイラップの乾燥設備 (今はまだ実験段階の設備ではあるが) を使っての

商品化、第1号! ってことになっちゃいますね。 なんだ、やられたんじゃん。

(実際は、地元の手打ちうどん屋さんなどですでに野菜パウダーが活用されたりは

 していますが、販売商品としては第1号かと。)

 

先般、彼が実家の栃木に里帰りした際には、

地元の手づくりチョコレート屋さんに気に入られて、

5パックも買い上げてもらったそうです。 5パックも・・・・おめでとう。

 

これを読んでいただいた会員の方には写真だけで申し訳ありませんが、

「はたまるプロジェクト」 でやろうとしていることのイメージが

少しでも具体的に湧いてくれれば幸いです、と思う次第であります。

「はたまるプロジェクト」 では今、いくつかの試作に入ってきています。

初お目見えは、うまくいけば夏の終わり頃には・・・と考えています。

乞うご期待。

 



2010年4月23日

田植えを前に、水路を清める

 

桜は散ってもなかなか春の実感が涌いてこないのだけど、

それでも新学期に入ってゴールデン・ウィークの声が聞こえてくると、僕にとっては、

会津の山あいを縫って水を運ぶ、あの堰(せき) の清掃日が近づいてきたことを意味する。

 

福島県喜多方市山都町の本木・早稲谷地区で、毎年5月4日に行なわれる

本木上堰の清掃作業、通称 「堰浚(さら) い」。

地元では全戸総出で行なわれるため、「春の総人足」 とも呼ばれている。

 

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参加するようになって、もう4回目のGWを迎える。

主催は 「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」。

事務局の浅見彰宏さんからの案内を転載することで紹介に代えたい。

 


  喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、

  町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。

  周囲は飯豊連邦前衛の山々に囲まれ、

  深い広葉樹の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

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  そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。

  それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

  水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく山の上部にまで田んぼが拓かれ、

  田畑と森と民家が調和した風景が作られているのです。

  その水路は 「本木上堰」(もときうわぜき) と呼ばれています。

  早稲谷地区を流れる早稲谷川上流部から取水し、右岸の山中をへつりながら

  下流の本木地区大谷地まで延々6キロあまり続きます。

 

  水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

  すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

  深い森の中を済んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

  先人の稲作への情熱が伝わってきます。

 

  しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、人海戦術に頼らざるを得ない

  この山間の水路の維持がいよいよ困難な状況となってきました。

  水路が放棄された時、両地区のほとんどの田んぼは耕作不可能となり、

  美しい風景も一挙に失われてしまうでしょう。

 

  そこでもっとも重労働である春の総人足のお手伝いをしてくれる方を募集しております。

  皆さん! 先人の熱き想いとたゆまぬ努力が築き上げたこの素晴らしき生活遺産を、

  そして山村の美しき田園風景を後世に引き継ぐため、ぜひご協力ください。 

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作業日は5月4日ですが、早朝から開始するため、前日には現地に集合していただきます。

宿泊は公民館か山荘になります (現地の方にお任せ)。

3日の夜は前夜祭、4日の夕方には交流会が用意されています。

費用は、現地(JR磐越西線・山都駅) までの交通費、宿泊の集会所使用料実費分のみです。

作業着・着替え、軍手、長靴、雨具、洗面具をご用意ください。

 

もうGWの計画を立てられている方が多いかと思いますが、

もしまだ予定がなく、興味を持たれた方がおられましたら、どうぞお問い合わせください。

「堰と里山を守る会」 では会員も募集中です。

堰さらいボランティアに参加できない方で、ご支援いただける方はぜひ。

(メール・アドレスをつけてコメント投稿していただければ、お返事を差し上げます。)

 

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

「種蒔人基金」 を活用して、この堰さらいボランティアに協力しています。

参考までに、過去の日記を貼り付けますので、読んでいただけると嬉しいです。

 ・2009年5月 5日・・・「 堰(せき) -水源を守る

 ・2008年5月 6日・・・「 水路は未来への財産だ!

 ・2007年7月10日・・・「 日本列島の血脈 」

 

さらに今年は、喜多方市の市民グループにも支援の輪が広がって、

福島県からもわずかながら助成が下りたとのこと。

そこで交流会でも、真面目なお勉強の時間を設けるとのことで、

なんと僕に、食と農と堰の関わりについて話をしろとのお沙汰である。

腰だけでなく、気まで重たくなっちゃったりして。

ご恩返しになれば幸いであるが・・・

 



2010年4月10日

千葉さんの田んぼに太陽光発電、完成!

 

以前報告した宮城県大崎市の千葉孝志さん(蕪栗米生産組合代表)

の田んぼで、太陽光発電が完成した。

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田園地帯に出現した25枚の太陽光パネル。 圧巻ですね。

日本初! いや世界にも例のない光景だろう。 

 

渡り鳥たちのための冬水田んぼには間に合わなかったけど、

夏場は夏場で利用することで、ピュアな用水が確保できる。

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太陽電池が発電した電力はバッテリーを経由し、

インバーターよりコンプレッサーに供給される。

タイムスイッチによる運転時間制限とリレーによる電圧制御で運転をコントロールする。

10時~15時の間にバッテリー電圧が24V以上になると、

コンプレッサーに電力が供給され、揚水が行なわれる仕組みである。

 


前にも紹介したけど、

太陽電池モジュール(パネル) は (株)日本エコシステムさんからの提供である。 

それでも付属設備や備品、工賃などの費用は馬鹿にならない。

それを千葉さんと日本エコシステムさん、大地を守る会で折半することで

実現の運びとなったものである。 補助金は一切なし。

 

これを仮に生産者がすべて自費で設置するとなると、

今のお米の販売利益で賄えるものではない。

メーカーさんや我々も、これからも続けて支援できるわけではない。

つまり、これだけ見れば、農家が容易に真似できる代物ではなく、

場合によっては 「お遊びですか?」 と言われかねないものである。

 

しかしこの実験から、売電が可能になることが実証できたら、どうなるだろう。

田園には太陽エネルギーが無償の愛のごとく降り注いでいるのだ。

竹村真一さんの言う  " エレガントな未来社会 "  への夢が広がらないだろうか。

 

ここがコンプレッサー部分。

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残念ながら、この装置自体は電力会社の配電系統から独立したシステムのため、

余剰電力の売買はできず、バッテリーに蓄積されるものだが、

どれだけの電力が生み出せるかは、可視化できるのではないだろうか。

 

渡り鳥のため、鳥害に不満を抱く地域との共生のため、

生物多様性を保障する農業を創造するため、千葉さんは設置を決意した。

しかしそれ以上に見る人の想像力を刺激させながら、

太陽を見つめて立ち続けてくれることを、願ってやまない。

 

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これは、文明を滅亡させたイースター島のモアイではない。

文明を切り拓くモジュールでありたい。

 

 ※ 写真は、(株)日本エコシステムさんから提供いただきました。

 



2010年3月25日

乾燥、その奥深い可能性を「見える化」する

 

昨年10月3日に開催した、大地を守る会の 「備蓄米」 収穫祭 のレポートを

ご記憶の方は・・・もういないか。 

お時間の許す方は、上の文字をクリックしていただくとして、

その時の交流会に登場して大好評を博した乾燥野菜が、

足掛け3年に及ぶ試作期間を経て、いよいよ本格的な製品化に向けて動き出した。

 

大地を守る会のスタッフでプロジェクト・チームが結成され、

3月22日、現地(福島県須賀川市)・ジェイラップの事務所で

合同のキックオフ会議が開かれた。

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社内のプロジェクト・チームは、農産グループ・商品グループ・広報グループそして

大地を守る会の農産加工部門である (株)フルーツバスケットも参画して結成された。

プロジェクトの名称は、「畑まるごと 皮から種までなんでも乾燥プロジェクト」。

略して 「はたまるプロジェクト」。

 

ジェイラップ専務の関根政一さん(上の写真右奥の方) が、

2年の歳月をかけて試作した野菜や果物の数は60種類を超える。

形状はスライスやチップ状に刻んだものからパウダー(粉) まで。

試作品のパウダーの数々。

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野菜・果物を乾燥させ保存する。 

このノウハウを獲得することで、畑で発生する余剰品や規格外品が活かせるようになる。

" 捨てる "  から  " 拾う・使い切る "  へ。

しかも貯蔵性が高まり、様々な加工食品の幅が広がる。

いや、それだけじゃない。

関根さんや代表の伊藤俊彦さん(写真、関根さんの手前の方) たちと

何度となく語り合ううちに、

これはとてつもなく奥の深い、新しい可能性の扉を開くものになる、

という確信を、僕らは持つにいたったのである。

 


たとえば、有機・無農薬栽培の規格外品の活用ができれば、

それだけでも安全な農産物生産の拡大・普及をバックアップする力になるだろう。

 

あるいは、食べたり加工する際に捨てられる皮やヘタ、茎や種も使うことができる。

しかも皮やヘタや茎だって、普段食べている可食部と言われる部位よりも

栄養価が高いものがある。 粉にすれば食感上は何ら問題なく、

逆に風味が増したりする場合だってあることを、色んな試食によって

粉たちは証明して見せてくれたのだ。

 

ゴミが資源に変わる? いやいや、もともとゴミなんかではなかったのだのが、

畑の  " 資源力 " 、そのポテンシャルを最大限に引き出す革命的なノウハウを、

僕らは今ようやっと手に入れようとしているのだと言えないだろうか。

だからこその、「はたまるプロジェクト」なのである。

 

その扉を開く会議は、予定時間を越えて続いた。

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離乳食から介護用、防災用の非常食、はてはペットフードまで、

互いのイメージは、どんどん膨らんでいく。

赤ちゃんからお年寄りまで、畑が支える健康生活って感じですかね。

 

これなんかは、これだけで充分、家庭での常備品になるのでは。

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この日の試食は、5種類のうどん。

何を加えたかは、ヒ・ミ・ツ。

それぞれの香りや食感が絶妙に活かされていて、美味い、という前に、

これは面白い! などと口走ってしまうのだった。

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ここで、カレーライスを試食した、と聞いたら、どういうものを想像されるだろうか。

一同、「これ、いけるねぇ」 とうなずきながら食べている。

有名シェフがこしらえた驚きのカレー、といったのとは違う。

思うに、「●●●ちゃんちの野菜カレーは、ひと味違う」 と言わせる、そんな感じなのだ。

もちろんその場合は、お米もこだわって欲しいところである。

 

乾燥室を覗くと、長野のリンゴ農家になった元大地職員、広瀬祥寿くんから送られてきた

リンゴの乾燥が行なわれていた。 

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この作品については、広瀬くんがリンゴのチップとして自力で売るらしく

(大地への提案は来年だとか)、少ししっとり感を残して仕上げている。 

彼のリンゴはもともと味では定評を得ているが、

旨味が上品に濃縮されて、文句なく美味しい。

 

フリーズドライでなく、熱風乾燥でもない、低温でゆっくりと風を送って乾燥させる

「低温除湿」方式。 これによって、しっかりと風味を残す。

 

食味、栄養価、環境への配慮、あらゆるステージで野菜を摂取できる食の提案。

野菜の粉末化やドライフーズは今では珍しくないが、

僕らが進めるプロジェクトは、

畑の受け皿の新しい鉱脈を育てる= 「畑の資源力」 の見える化、という仕事であり、

それによって人々の健康への貢献の底力を、畑から見せる化することである。

で、具体的には?

 -え~と、あの、これ以上は、まだ企業秘密ということで。

 

「こんなこと考えてるんですけどね」 と聞かされてから、3年。

ここまで完成度を上げてきた関根さん+スタッフの執念には脱帽するしかない。

最近は電話しても、

「ああ、スミマセン。 セキネは今、例の場所に引きこもっておりまして・・・」

なんて言われたりする。 

あの強面(コワモテ) で引きこもりか・・・その姿を想像するのはやめて、

じゃあ、何としても花開かせなければ、と思うのである。

 

ジェイラップでは今、本格的な設備の工事に入っている。

完成後、速やかに稼動できるかどうかは、こちらのプロジェクトのスピードにかかっている。

製品がお目見えするのは、夏か、秋口か。

一肌脱ごう!という加工食品メーカーがおられたなら、挙手願いたい。

 

忘れないで付記しておくと、ジェイラップの本業は、米である。

生産者集団 「稲田稲作研究会」 の信頼ブランドでもある 「大地を守る会の備蓄米」 の、

今年の美味い米づくりは、もう始まっている。

この日は種籾の温湯消毒 (薬での消毒はしない) が、

若者たちの手で行なわれていた。 うまく仕上げるコツは、氷だそうである。

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2010年3月 7日

未来は有機農業にあり!

 

3月5日(金)、千葉県成田市内の某ホテルにて、

「農事組合法人 さんぶ野菜ネットワーク」 の第5回通常総会が開かれた。

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一年間の事業活動を総括し、決算報告をし、監査報告を受け、

次期の事業計画や予算案について、組合員からの承認を受けるという、

組織の最高決定機関である。

 

当然のことながら、貸借対照表も損益計算書も売上目標も提示されるわけだが、

ここにすべての取引先を招待して開催するところに、彼らの骨太さを感じる。

しかも利益の扱いやら事業計画について、なかなか活発な議論が行なわれ、

時には執行部が熱くなる場面などもあって、実に好ましく思えるのだ。

(何という上から目線のセリフでしょう。 失礼ですね。)

 

役員や執行部の苦労はどこの組織にもつきものだし、

それが会員や組合員に充分に見えなかったりする場合の軋轢も、よくあることだ。

後ろで取引先が腕組んで眺めるなかで、そんな現実を生々しくやり取りされた皆様に、

敬意を表したい。

 

旧JA山武(現:JA山武郡市) 睦岡支所内に有機部会が設立されて21年。 

農事組合法人として独立して5年。

メンバーは50人を超え、取引先も指折って数えきれないくらいに成長した。

部会設立と同時にお付き合いを始めた大地を守る会としては、

彼らの20年にわたる努力を、素直に讃えたいと思う。

しかもこうやって総会をオープンにしながら運営してきた。 立派である。 

 

この日には特別ゲストも招かれていた。

民主党参議院議員、有機農業推進議員連盟事務局長、

ツルネン・マルティ さん。

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有機農業推進法成立の功労者である。

 


日本憲政史上初の、日本国籍を持つ外国人の国会議員が、

日本の美しさを語り、有機農業の推進を訴えている。

 

フィンランドに生まれ、宣教師として来日して、

日本古典文学の翻訳や英会話塾などやりながら、神奈川県湯河原町の町議になり、

国政選挙に挑戦するも四度の次点経験を経て、

大橋巨泉の辞職による繰り上げで、神がかり的に国会議員になった。

そして次の2007年の参院選では、民主党6位で堂々の再選を果たした。

色々と物議をかもす国会議員が多い中で、

数少ないクリーンで苦労人の政治家の一人ではないか。

 

その人が、有機農業の推進に政治生命をかけるとまで言ってくれている。

演題のタイトルは 「未来は有機農業にあり! 」。

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母国フィンランドでは、昨年の閣議決定で、公共施設(大学、学校、老人ホームなど)

のレストランや食堂で 「ルオム自然食」 と 「ローカル食」 を取り入れるという方針が

採択されたんだと言う。

「ルオム」 とは、フィンランド語での 「自然に従う生き方と農法」 という意味らしい。

有機農業と地産地消を足したようなイメージか。

公共施設では、毎月何日かの 「ルオムの日」 が設定され、

その日は地場食材一色の食事になるんだそうだ。

議員としての残りの時間をこういう食育推進運動にかけたいと、ツルネンさんは熱く語る。

 

たかが30分の、間違いなく安いであろう謝礼での講演に来て、

ちゃんと懇親会まで出てくれて、「有機農業が世界を救う、と私は信じています」 と、

真摯に有機農業の推進を自分の政策として語れる政治家は、

僕の知るところ、この人しかいない。

しかも、みたしなみからして、僕らよりずっと日本伝統にのっとっている。

国会ではどう思われているんだろう・・・。

 

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懇親会では、野菜栽培で優秀な成績を収めた生産者8人の表彰式というのが

初めて行なわれた。

オリンピックの入賞にちなんだらしいが、8人なら毎年入れ替われるくらいに

みんなのモチベーション・アップにもつながるのでは、という配慮らしい。 

こうやって、内発的に切磋琢磨されてゆくなら、表彰もあっていいのかもしれない。

 

総会では、新しく3名の組合員の加入が承認された。

加えて、山武市有機農業推進協議会の尽力で、現在3名の若者が研修中である。

警備会社とか青森の郵便局に勤めていたという経歴の人たちが、

「将来は子どもと一緒に有機農業をやりたい」 と語っている。

昨年の研修生からは、1名の方が土地を見つけるところまできたようだ。

まさに 「未来は有機農業にあり!」 の実践である。

 

「自分たちだって苦しいのに、メンバーを増やしてやっていけるのか」

という声も聞かれたが、組織や地域の活性化に、新しい血は必須である。

食の安全や環境を守る戦力を育てられる力がどこにあるのかを、

後ろに陣取っていたお歴々の前で、あなたたちは表現していたのです。

前に進んでよし、ですよ。

 

大地を守る会の稲作体験も今年で21年目となる。

皆さんと一緒に歩んできたという自負も多少はあるもので、

5回目の総会無事終了をともに祝いたい。 お疲れさまでやんした。

 



2010年3月 4日

オーガニック応援隊

 

今年の 「2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 では、

共通テーマとは別に、もう一つの目玉として、

生産者・メーカーさんたちによる就農相談・求人コーナーが設けられた。

その数14ブース。

チラッとしか覗けなかったのだけど、反応はどうだったのだろうか。

 

奈良・王隠堂農園御浜天地農場さん。

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千葉・さんぶ野菜ネットワークさん。

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山形・おきたま興農舎さん。 

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熊本・肥後あゆみの会さん。 

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・・・などなど。

 

結局販売ばっかりだったというボヤキも一部で聞かれたりしたが、 

就活中の学生も来たようで、全体的にはそこそこの相談があったとのこと。

さて具体的な成果のほどとなると、相談された方自身の

次のアクション次第ということになるのだろう。

 

大地を守る会としては初めての試みだったのだが、

これはけっして一度っきりのイベント的な試みではない。

産地での就農者募集と若者たちの就農希望をつなぐパイプづくりを、

これから積極的に進めてゆこうという、我々の意思表示でもあったのだ。

 

その本気度を表すものとして、

今回の東京集会の開催に合わせて、新しいサイトをひとつオープンさせた。

名づけて ~大地を守る求人情報~ オーガニック応援隊  』

 


現在のところはまだ、東京集会に合わせてのプレ・オープンとして、

出展していただいた団体の情報しか掲載できてないけど、

これから本格的に産地・メーカーの就農・就職 (就漁も就林業も) から

研修生・アルバイト募集などの情報を充実させていく計画である。

 

高齢化や耕作放棄地の増大といったニュースが流れる一方で、

本屋さんには 「農業は儲かる!」 みたいな本が並ぶ奇妙なご時世だけど、

要するに、一次産業が滅ぶことは、実はないのだ。

未来は、環境と調和した農林水産業の担い手たちの手にかかっている。

それは間違いない。

 

昨日は、前にも報告した 「NPO法人有機農業技術会議」 による

就農支援ガイドブック制作のための、最後の編集会議が開かれた。

ガイドブックのタイトルは 「有機農業をはじめよう!」。

有機農業の解説からはじまって、就農までのステップ、

先輩たちの具体的事例やアドバイス、有機に関するQ&A、

情報収集のためのINDEXなど、コンパクトにまとまったように思う。

ガイドブックは今月中にも完成する予定である。

 

風を吹かし、場や情報を提供し、橋をつけ、

山から海までをネットワークしながら、仕事を創り直していきたい。

そうやって時代を変えてゆければいいと思う。

 

近いうちに、本格的に求人情報の受け付けを始めます。

乞うご期待!

 



2010年2月19日

全国水産物生産者会議

 

昨日(2月18日) は、水産物の生産者会議が開催された。

年に1回各地で開催されてきて、19回目を数えるまでになった。

今回は幕張の会議室が使われたこともあって、途中から覗いてみる。

 

今回のテーマは二つ。

その1。 加工場内でのアレルギー事故対策について。

その2。 水産加工場における第三者監査の取り組み。

 

昨年秋に開催した 加工品製造者会議 と同じテーマ設定である。

要するにこの一年、食品加工場の進化をはかった共通テーマというわけだ。

違うのは参加者の顔ぶれ(=原料分野) と講師だけなので、

このねらいとかについては、加工品会議の報告をご参照いただけるとありがたい。

 

テーマその1の講師を務めたのは、(株)大地を守る会品質保証グループの南忠篤。

加工品会議の際は、NPO アトピッ子地球の子ネットワークの赤城智美さんにお願いしたが、

今回は身内で務めさせていただく。

 

アレルギー事故は、起きてからでは遅い。

場合によっては、加害者になるだけでなく、メーカー自身、命取りになる可能性がある。

大地を守る会では、アトピッ子さんと組んで、

工場でのアレルゲン管理からリスク・コミュニケーションまでの

トータルなマニュアルを整備してきた。

僕が安全審査グループにいた時から、実に4年越しの作業である。

大地を守る会の加工食品メーカーとして、ぜひ皆さんで使いこなして欲しい。

 

次は、もうひとつ当会が独自に取り組んできた監査の意義や仕組みについて。

講師は、監査を依頼している(有)リーファース代表の水野葉子さん。

日本での有機農産物の検査を切り拓いた草分けの方である。

ちょっと意固地な個性派が居並ぶ水産関係とあって、御大の登場となったか。

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冒頭の自己紹介で、水野さんは大地を守る会との縁から語ってくれた。

アメリカ・ミネソタ州在住時代、日本語教師をしながらオーガニック食材を探し求めていた。

日本に帰ってきて、日本の有機食品の表示のおかしさを感じて、

改めてアメリカに渡って、日本人として初めてオーガニック検査員の資格を取得した。

日本ではまだ有機の認証制度をつくるかどうかでもめていた頃だ。

そんな折に大地を守る会前会長の藤本敏夫さんと出会った。

すでに病床にあった藤本さんは、これからの有機農業にとっての消費者の役割を語り、

水野さんは監査認証制度の健全な発展を約束したのだと言う。

 

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「藤本さんが亡くなった翌年、私はリーファースという会社を立ち上げました。」

「今こうして、頑張っている生産者を応援するための監査の仕組みをつくろうとしている

 大地を守る会の取り組みに関われることを、嬉しく思います。」

 

オレたちの物語は、実に深い縁でつながりながら、まだまだ続くのだ。

どうぞよろしくお願いします。  

 

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トレーサビリティ(追跡可能性) の仕組みは面倒か。 面倒だ、間違いなく。

「求められていることは分かるが、すべてコストに反映していく」 という意見もあった。

しかし・・・今のフードシステムの中で食べ物を作ることの意味を考えれば、

これは 「食」 に対するモラルと責任感のたたかいのようなものなんだと思う。

そんなことまで考えなきゃいけないのか、という気持ちは分かるけど・・・

 

一回の表示ミスは、一回しか起きない、と言えるか。

想定外の原料が使われてしまった時に、起きるはずのない事故だと済ませられるか。

それではアレルギー事故と同じように命取りになる可能性がある。

そんなことは起きない、と思っている人こそ、監査を受けてみるべきだ。

地獄に落ちる可能性が在るやないや、分かってないことこそ危険である。

 

人がやっている以上、事故は起きる可能性が常にある、のである。

その際に、即座に原因が追及でき、対策の実施と消費者への対応も含めて

迅速に対処できる体制を作っておくことは、余計なコストだろうか。

付け加えれば、クレームやお褒めの言葉の違いと製造ロット番号がヒモついて

トレースできるとしたら、これはいずれメーカー自身の評価の差になってゆくだろう。

最終的にはコストダウンにもつながるはずだ、というのが僕の核心である。

 

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生産者たちの質問は、まだ牧歌的なものだ。

そんなうちにレベルアップは進めなければならない。

 この点に関しては、僕は自分がどんなに嫌われたってかまわないと思っている。

あんたを守っているのはオレだからね、という自負があるから。

 

水野さん、野卑な水産生産者たちに最後まで付き合っていただいて、

ありがとうございました。

 



2010年2月15日

「種蒔人」 の おもてなし

 

南四国育ちの僕にとって、東北の冬は今もって異国である。

しかし、ここは違う。

ああ今年も変わらぬ風景で迎えてくれた、という感慨にひたることができる。

 

福島県喜多方市。 第14回大和川酒造交流会の開催。

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大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」(たねまきびと) の絞りに合わせて

行なわれる毎年の交流会も、今年で14回目となった。

原料米生産者である稲田稲作研究会の伊藤俊彦さん(現:ジェイラップ代表) と組んで、

「オレたちの酒をつくることで田んぼを一枚でも多く残したい」

と大和川酒造さんに乗り込んだのが1993年のことだから、

僕にとっては17年目の喜多方の冬である。

 

手前の蔵もさりげなく瀟洒に改造されていて、

会津には、お手軽になってゆくこの国の風情に一線を画そうとするような、

反骨の矜持というか、美意識が今も残っているように思う。

そんなところが好きだ。

 

どうもこのところ、自分でも見切れてないと自覚できるほどに仕事の範囲が広がっていて、

今回もついに、遅れての合流となってしまう。

参加者一同は、先に醸造蔵を見学し、今年の新酒の出来を確かめて、

旧蔵に設えられた 「良志久庵(らしくあん)」 での懇親会を始めたところだった。

いつの参加者が言ったか、"  この世の天国ツアー  "  を満喫するひと時。

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新酒の悦びもかすんでしまうような、会津・喜多方の郷土料理が

ふんだんに振るまわれる。  

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蕗(ふき)味噌。 沢庵漬け、べったら漬け。

雉子(きじ)鳥の肉掛けつゆ。

喜多方名物、馬刺しに鰊(にしん)の山椒漬け、鳥皮、粕煮、小汁、

そして檜原湖で釣ってきたというわかさぎに蕗のとう、たらの芽の天ぷらがたっぷり。

最後に自社農園「大和川ファーム」 で栽培された雄国蕎麦で締める。

デザートは、蕎麦アイス、酒粕アイスと、ここならでは逸品。

すべて 「美味い!」 としか表現できない情けない私。 ただただシアワセになる。

 

今は杜氏も兼ねる工場長、佐藤和典さん。

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「お陰さまで、今年も良い酒ができました。」

変わらぬ再現性を求めて、蔵の近代化もやった。

議論はあるところだろうが、実業をもって文化を継承するにはリアリズムも必須である。

僕は素直に感謝している。

 

お隣の山都町に入植して10数年。 冬は大和川の蔵人として働く浅見彰宏さん。 

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有機農業の師匠・小川光さんのもとに集まってくる若者たちにとっては、

範となる先人の役目を果たしている。

人手が不足してきた水路の清掃に都会から人を集めた仕掛け人であり、

一昨年から販売している季節アイテム 「会津の若者たちの野菜セット」 も

彼との会話の中から生まれたものだ。

「種蒔人」 の販売とともに貯まってゆく 「種蒔人基金」 も、それらにちょこっと貢献している。

 

社長の九代目弥右衛門さんは所用で途中から抜けたようだが、

この人さえいてくれれば何の問題もない。

九代目婦人、佐藤陽子さん。

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大地に限らず、酒づくり体験などでやってくるみんなのアイドル的存在。

忙しいのに、いつも笑顔でもてなしてくれる。

もう一人のアイドル、工場長夫人は、地域に葬祭があり、工場長代理で出かけたとのこと。 

僕らはホントに、申し訳ないくらいにイイ思いをさせてもらっているよね。

 

そして先代の八代目弥右衛門の奥方、貴子さん。

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2000年、それまでの銘柄名 『夢醸』 から 『種蒔人』 に名前を変えたのも

この交流会でのイベントだったが、その時にお願いして、筆で認(したた)めてもらった。

しかもそれをそのまま、ラベルに使わせてもらったんだよね。

たいそう驚かれていましたが、僕は満足しています。 お元気でなによりです。

 

新しい蔵人に、ちょっとしたイケメンが一人。

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佐藤哲野くん、社長の次男坊だとか。 

世界に冠たる日本酒技術が 「文化」 なら、

君は次代の 「文化人」 像をつくらなければならない。 これは宿命である。 

気負う必要はまったくないけど、頑張って欲しい。

 

では原料米生産者のご紹介。 同志! 伊藤俊彦。

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それでも世界一うまい米をつくる』(講談社) が出版されてから、

取材も増えたことだろうけれど、彼の進化はこんなもんじゃすまない。

食を語るウンチクもどんどん広く、深く、かつしつこくなってきて、

そのテッテイしたこだわりで、またひとつ新しい遊び、じゃなかった仕掛けが

いよいよ本格的に始動しようとしている。

 

次の主役は、この方になろうか。

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写真右がジェイラップ専務の関根政一さん。 左が伊藤大輔くん。

昨年の稲田収穫祭や今回の交流会に参加された方には、いよいよ本格的に!

という話です。 近いうちにちゃんと報告します。 乞うご期待。

 

そんなこんなで盛り上がっている場に、しっとりとした感動を与えてくれた今回のゲストが、

「魂のギタリスト」-福田正二郎さん。 

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談笑しながら聴く人ではなかった・・・・・

「禁じられた遊び」 のメロディに、「オレもこれならちょっと」 だって。 大変失礼しました!

 

食よし、酒よし、そして人の温かい交流。

心のこもったおもてなしに、人と人のつながりを感じ、素直に感謝の言葉を交し合う。

参加者をして  "  この世の天国  "  と言わしめたココロは、

なにより人の気が通じ合える歓びのようなものだったのではないだろうか。

気合いで作った酒で人をつなげられるなら、無上の歓びである。

 

翌朝は現在の醸造蔵 「飯豊蔵」 を再訪し、

種蒔人の酒粕をちょびっと取らせていただいて、お土産に頂いて帰る。

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喜多方の雪景色は、また一段と懐かしい風景になったような気がする。 

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帰りの喜多方駅で眺めた、真っ白の山並み。

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去年は登れなかった飯豊山にも、今年は行かなくちゃいけないか。

種蒔人を持って。

 

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今年も良い出来に仕上がって、有り難うございました。

皆さんに感謝です。 

この仕事だけでも、僕は大地で働けたことに喜びを感じています。

では一献。 

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<P.S.>

「種蒔人」 今年の新酒は、2月27日、

だいちのわ2010 ~大地を守る東京集会 」 の懇親会で鏡開きとなります。

ぜひご来場ください。

 



2010年2月 4日

「野鳥との共存」 はそう簡単なことではない

 

宮城県合同新年会が明けた翌日、

千葉孝志さんの車に便乗して蕪栗(かぶくり:旧田尻町) へと向かう。

千葉さんが設置しようとしている  " 冬水田んぼ "  のための太陽光発電装置

の現地を見ておきたいと思ったのだ。

 

当地にある伊豆沼・長沼地区、そして蕪栗沼や化女沼という湿地帯は、

渡り鳥の貴重な休息地であり、餌の補給地となっている。

しかし日本列島から湿地がどんどん消えていくなかで、

飛来する鳥の数も年々増えてきているようなのだ。

さすがにその受容力にも限界があるし、

かといって野鳥を人の手で餌付けするわけにはいかない。

 

冬に田んぼに水を張ることで渡り鳥たちの餌場を確保する冬水田んぼの取り組みは、

農家が自ら骨を折って渡り鳥との共生を目指すことの宣言である。

しかし、それといえども簡単なことではない。

用水の水位が下がる季節、どの田んぼでも水が引けるわけではないから。

 

そこで千葉さんが今やろうとしていることは、井戸を掘って、

太陽エネルギーの力で水を揚げよう、というものだ。

この構想に、太陽光発電の普及事業を進める日本エコシステムという会社が

名乗りを上げてくれた。 やるからにはこの冬の間に完成させようと、

ようやく設置工事の着工まで漕ぎ着けてきたところである。

 

ここが現地。

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千葉さんの田んぼでは、蕪栗沼と一番離れた所にある。

「なんで、ここにしたの?」

 


鳥たちは昼間、餌を探してあちこち飛んでいるのだから (もちろん一定距離の範囲内で)、

ある場所だけに集中してあるんじゃなくて、分散させてつくっておきたい、

というのが千葉さんの考えだ。

 

上の写真の手前右にあるのが、すでに掘ってある井戸。

そしてこちらが太陽光パネルを設置する場所。

盛土がされ、柱となる杭が立てられている。

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いま千葉さんが悩んでいる最後の選択は、水を揚げる動力装置をどれにするかで、

それが決定すれば、一気に工事に入る手はずである。

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太陽光パネルはエコシステムさんが提供していただけることになっているが、

それでも井戸を掘ったり、付属設備や設置工事まで考えると、その費用はバカにならない。

「まあ、やるしかねえから」 と千葉さんは笑う。

この地で、鳥と共生するということは、温かく見守るということではないのである。

 

千葉さんの倉庫には、すでにパネルが到着している。

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24枚のパネルを、畦に設置する。

角度を何度にするかも重要なポイントである。 千葉さんの悩みは尽きない。

「何たって誰もやったことないもんだから、お手本がないんだよね。」

先駆者とはつらいものだ。 

成功しても得られるものは賞賛くらいで、苦労は続く。 

逆に失敗したら、物笑いのタネにされかねない。

その時は呼んでください。 ガツンと一発、かましましょう。

いや待て待て、これは成功するんだから。

 

そんなお忙しい千葉さんに、もうひとつお願いして、登米市中田町まで走ってもらう。

昨夜飲みながら、高橋伸くんを尋ねる約束をしたのだ。

電話をすると、「エッ、本当に来るんですか」 と驚いている。

さすがに夕べの約束だからね。

それにお父さんの良さんにも会いたくなった。 もう10年以上、会ってない。

 

良さんも元気で迎えてくれた。

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開口一番、「太ったなや。顔が丸くなってる。偉くなって楽してるなぁ 」 と、きつ~い洗礼。

良さんは牛が好きで、今でも宮城牛にこだわっている。

しかもこんなご時勢にもかかわらず、牛を増やし、牛舎まで建て替えている。

地域での米の転作をまとめて引き受け、管理するほ場がすでに100町歩(ha) を超えた。

それらを有機栽培ほ場にして、大豆、麦をつくる。

しかしその規模拡大も、良さんにかかれば

牛の餌の確保と堆肥をつくる必要から、となる。 何事も牛中心で生きてきたような方だ。

畜産経営は大変だと思うけど、こうやって環境保全型の農業をベースに

地域資源の循環に貢献しているわけだ。 誇りを持ってやってきたのだろう。 

倅も立派に育って、前より自信が漲っているような感じですよ。

 

高橋さんに挨拶して帰らねば、と思ったのにはもうひとつ理由があった。

実は夕べ、僕は忘れかけていた重要な視点を、伸くんから思い起こされていた。

「鳥たちのお陰で、こっちはタイヘンっすよ。」

来年に向けて蒔いた大麦の新芽が食べられている、というのだ。

かなりやられているようで、すでにもう 「来年は間違いなく減収です」 だと。

 

周辺地域の農家にとっては、鳥による食害は大変に迷惑な話であって、

ラムサール条約登録で浮かれている場合ではないのである。

加えて、畜産家の良さんは、今でも鶏インフルエンザに渡り鳥が絡んでいると睨んでいる。

伸くんはまだ 「まあ、仕方ないっすねぇ」 と言ってくれるが、

千葉さんたちは、地域のこういう目や圧力と日々対峙しているということなのだ。

米価がまだまだ下がりそうな時代にあってなお、

自らの田んぼを使って、さらに金や労力をかけてまで、離れた所々に餌場を用意するとは。

高橋父子のお陰で、逆に千葉さんが考えている真意の一端を

少しはつかめたような気がしたのだった。 

ラムサール条約や生物多様性の視点だけでは、やっぱ地域の全体像は見えない。

 

地域内に生まれる利害対立は、ちょっとしたことで情けない争いを生んだりする。

相互理解と知恵が発揮できれば、どんな問題も止揚 (高い次元に発展させる形で解決)

できるはずなのだが、いつも腹を決めた個人のたたかいから始まる、のはしんどい。

だから人はつながらなければならない。

 

最後に、高橋伸くん。

突然お邪魔したことで、土づくり研修会に遅れてしまったようで、スミマセンでしたね。

今度は、親父さんも含めて、農業政策についてじっくり語り合いたいと思ったよ。

 



2010年2月 3日

農・畜・水が集まって、宮城新年会

 

2月2日、立春を前にして、首都圏に今年初の積雪が記録された。

千葉・幕張の朝も、雪で洗われている。

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寒椿も寒そう。

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椿といえば、田舎の家の裏にも植わっていて、冬の彩だったな。

実が成ると、中をくり抜いて笛にして、音色を競ったりした。 

昔の子は、自然にあるそこらへんのもので実に他愛なく遊び、笑っていたものだ。

 

しかし椿は残酷な花でもある。

学生時代の寒い冬のある日、僕の部屋があまりに暗かったせいか

(部屋ではなく、僕が、でしょうが)、

訪ねてきてくれた仲間の女性が、よくないことと知りつつ、大胆にも

近所の生垣に咲いていた椿の花を一輪摘んできて、酒のビンか何かに挿して

置いていってくれた。

しばらくは花を眺めながら、少しは明るい気持ちにもなったのだが、

数日後の真夜中、その花がポトッと音をたてて、落ちたんだ。

椿の花は、散らずに、首を切られたように、そのまま落ちる。 

布団に包まって畳の上に落ちた花を同じ目線で見つめながら、

数日デカダンスに耽ったことを覚えている。 

『僕ってなに?』 なんていう、足元のおぼつかない時代をさらっと表現した小説が

芥川賞を受賞した頃だ。 こちらの僕は、気取ってただ暗い本を読んでいた。

いま思えば、実にヒネた、青春のひとコマ・・・・・。

 

産地での新年会行脚も、胸突き八丁ってところか。

昼前に雪溶け始めた幕張を出たのに、夕方にはもう宮城・松島海岸に到着している。

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宮城での新年会は、昨年から農産・畜産・水産の生産者が一堂に会して

開かれるようになった。

これぞ我らがネットワークの資産である。 

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今回の幹事は水産チームで、ここではゲストを呼んでの講演とかはなく、

藤田会長にじっくりと挨拶してもらう。 生産者の意向だったのかな。

 

一昨年からの不況の風は大地にも吹いてきてきて、売上的には厳しい状況が

続いていますが、ただ漫然と手をこまねいているわけではありません。

皆さんが精魂込めて育てた生産物が、より多くの消費者に支持されるよう、

いろいろと手を打っているところです。

こういう時代だからこそ、食べ物の本当の価値や意味を伝えていけるよう、

皆さんと一緒に頑張ってまいりたい。

 

そして宴会へと流れる。

バカ話もまじえながら、しかし皆、この機会を喜んで、

意欲的な情報交換や議論の場と相成るのである。

 


開会の挨拶は、遠藤蒲鉾店のお上、遠藤由美さん。 

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短く、ビシッと決める。 さすがでございます。

 

「お父さんも、短くね!」 と言われて、マイクを握る遠藤英治さん。

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いやあ、大地とはもう、かれこれ30年以上になりましたか・・・

息子もだいぶ仕事ができるようになってきまして、いやまあそれはいいんですが、

とにかく私は大地を守る会の運動に惚れてやってきたわけなんで、

これからは運動にもういっちょう・・・なんて思ったりしておりまして。

 

お父さん、なんかやる気か? 煽られそうな予感である。

 

これまた水産では、最も古いお付き合いの一人。

僕らの牡蠣-カキといえば、奥松島の二宮さん(善政・貴美子夫妻) である。

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今年は息子さんの義秋さんが代表して挨拶する。 嬉しいね。

 

塩釜の酒汐干しの、マミヤプランさん。

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先代が亡くなって10年経ちましたが、ふるさとの産品を真心で守っていきたい。

 

地方の文化は、こういう人たちの思いに支えられていているのだと思う。

地域産業の輪 (食物連鎖のようなつながり) が崩れたときに、

では大都市がどうなるのかのシミュレーションは、実は誰もできていない。

食べ物はいつでも手に入ると思って、生産基盤である土や海や、それに付き合う人が

ないがしろにされた時から、文明の崩壊は加速する、そんな気がする。

 

高橋徳治商店の高橋英雄さん。 

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だいたいねぇ。 「よろしくお願いします」 じゃぁないんだよぉ!

生産者は生産者として、消費者は消費者として、流通は流通の立場で、

何をするのか、どのような役割を果たしていくのか、何を一緒に作るのか、

そこをきちっと・・・・・

 

この人と盃を交わすと、とことんやってしまいそうな、そんな近しい血を感じたりして。

今日はとりあえず遠ざかっておくことにする。 ワタシ、農産なんで。

 

蕪栗米生産者組合からは、3名が参加。

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米の価格がさらに暴落するか、という不安の時に、

もっと環境を視野に入れた米づくりを目指すとは・・・・・

ラムサール条約というお墨付きで米に付加価値がつく、とかそんな問題じゃないんだと、

千葉さんたちの挑戦は、これからも続く。

 

今年初参加は、エリンギの生産者。

本吉郡南三陸町・志津川アグリフードの千葉幸教さん。 

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それまで頂いていた 「ものうファミリー」 さんからの供給ができなくなって、

ものうさんからの紹介でお付き合いが始まった。

物腰の低い実直な方である。 長いお付き合いをお願いいたします。

 

方や、周りから 「やかましい」 と言われる集団がこちら。 

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ある時は豚の生産者=仙台黒豚会。

またある時は米の生産者=ライスネット仙台。

そしてまたある時は野菜の生産者=仙台みどり会。

メンバー生産者が微妙に重なりながら、全体を束ねるのがマイクを握っている小原文夫さん。

それぞれのメンバー曰く。 「やかましいのは、小原代表だけです。」 

ハイ、よく分かっております。 でも代表の孤独も、少しは分かってやらないとね。

 

そして最後にもう一人、有限会社NOA の高橋伸。  

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農家の子倅(こせがれ) とか気楽に称しながら、大豆と麦で100ha (≒100町歩) をこなす。

若手注目株の一人だ。

いつも僕のブログを見てくれているようで、挨拶からいきなり、

「何すか。 伊豆沼まで来て、寄らずに帰っちゃうなんて、随分じゃないっすか」

とやられてしまった。 ゴメンねぇ、いつもせわしなくて。

君の有機大豆のお陰で、いつもの醤油や豆腐や納豆が供給できていることを、

もっとPRしなくちゃね。 いや、ちゃんとつながろう。 東京集会、ヨロシク!

 

帰って見てみたら、ブログの更新もすごすぎるぞ、コラッ! 

きっと仕事も早いんだろうな。

 

・・・・・これだけの面子がいるんだから、もっとできる。 できないといけない。

ああ、やること、いっぱいあるなあ。

 - とか焦りながら、、、3次会となったカラオケで選んだ曲は、河島英五の 「時代遅れ」 。

 

   好きな誰かを 見つめ~続ける 時代遅れの 男~になりたい ♪

 

椿のせいだ・・・

 



2010年1月26日

産地新年会ロード

 

今年も関東を中心に福島・宮城と続く産地での新年会が行なわれている。

2月上旬まで8ヶ所で開催。 僕は今年は5ヶ所に参加することにしている。

今は、その真っ只中。

物言わぬ臓器に向かって、" 耐える "  ではなく " 鍛える "  だ、

とか嘘ぶきながら、出かけている。

 

生産者グループごとに新年の集まりはあるのだろうけど、

それらすべてに顔を出すことは不可能なので、できるだけ県単位で一堂に会して、

研修会も兼ねてやりましょう、という流れにだんだんとなってきた。

埼玉は以前から 「埼玉大地」 という形でまとまっていて、

茨城はさらに前、大地を守る会の草創期に県内の生産者の横のつながりが作られた

歴史がある。 古いぶん、内部でもめたりした苦難も経験しているけど。

 

昨年から、千葉・群馬・宮城でも、まとまっての開催となった。

それぞれに、講師を招いての講演会や勉強会を設定するなど、

「新年会」 もただ事ではなくなってきた感がある。

去年はつい、" 死のロード " などと書いてしまって、

生産者から随分と皮肉られてしまった。

酒を注ぎながら、ふ~ん、つらいんだ、ヤなんだ、来るのが・・・・・ 

すみませんねえ。 

阪神タイガース・ファンには馴染みの言葉なんですよ。 許してチョーダイ。

(筆者注 : 「死のロード」......夏の甲子園を高校球児に明け渡して長期遠征に出ること。

       だいたいこの期間に勝率がガタ落ちする。)

 

宴会風景はあんまり絵にならないので撮らないけど、ま、こんな感じ。 

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これは昨日(25日) 行なわれた 「千葉連合新年会」 風景。

7団体+1名(個人での契約生産者)、大地職員も合わせて計53名が集合。

今年の幹事は 「三里塚酵素の会」(代表:堀越一仁さん)。 

会場は成田山新勝寺参道にある老舗の茶屋で、 

堀越さんたちの野菜も使ってもらっての一席である。 

もちろん、ただ飲むだけじゃなくて、

その前に土壌微生物に関する勉強会も実施されたのだが、

僕は仕事の事情で宴会から合流となってしまったので、写真がないだけ。

なんだ、やっぱり飲みに来ているだけだって?

いやいや、皆さんと今年の抱負や栽培に関する話などなど、

しっかり語り合ってんですよ、こう見えても。

 


皆さん、順番に自己紹介と今年の抱負などを披露していただく。

では、今回の幹事、三里塚酵素の会から。

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堀越のアニキが、増えてきた若者メンバーたちを紹介しているのに、

聞いてない職員が約一名 (右端手前)。

 

おなじみ、さんぶ野菜ネットワークの面々。

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今年も 「大地を守る会の稲作体験」 でお世話になります。

おっとその前に、来月の大地を守る東京集会(「2010だいちのわ」) では、

新規就農希望者の相談を受けるブースを出してくれることになっている。

農業に関心ある若者よ、来たれ!

 

三里塚農法の会は3名で参加。 左が代表の龍崎春雄さん。

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龍崎さんも研修生をお二人連れてきて、紹介してくれた。

千葉には、新規就農者を積極的に受け入れるグループが多い。

龍崎さんには、昨年11月、仲間の三ノ宮廣さんの杉林を見せてもらったお礼を伝える。

「おう、山の管理もちゃんとやってんだぞ」 と嬉しそうに返してくれた。

 

千葉で唯一お米を出していただいている、佐原自然農法研究会。

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代表の篠塚守さん(左端) には、昨年、学生たちの米づくり体験でお世話してもらった。

「まだ米が残ってるよ」 だって。 学生諸君、早く何とかしろ。

来月はまた、東京集会での餅つきが待ってますので、よろしく、です。

 

個人で契約している生産者が一人。 酒井久和さん。

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昨年は栽培管理の監査をやって、細かいチェックをしちゃったけど、

自身の栽培内容全体をきちんと証明できるってことは大切なことなので、

引き続き記録・管理の体制をお願いしますね。 

 

まあこんな感じで、各地の新年会が行なわれている。 

毎回写真をアップして報告したいのだけど、ちょっとこのところキツくて、

生産者には申し訳ないけど、ご勘弁ください。

 

でもこれは紹介しておかなければならないか。

1月14日に行なわれた 「埼玉大地」 の総会(&新年会) では、

新会長に瀬山明さん(下の写真・右端) が就任されました。

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「これからもっともっと、いい野菜を届けられるように、

 年に2~3回は勉強会を実施しますから」 と、やる気満々の宣言でした。

 

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川越の吉沢グループでは、 昨年9月に結婚した深田友章くん(左端) から、

何と1月1日に長女が誕生しました! の報告。

お見事! パチパチパチパチ・・・・・ 

 

埼玉でも新年会前に天敵の活用技術についての勉強会が開かれたのだが、

こちらも悔しいかな、出られず。 仕事で、ですよ、仕事で。  (-_-;)

 

生産者と楽しく飲みながらも、

ある人からは硬派の運動を迫られ、ある人からは販売の拡大をお願いされ、

いずれにしても 「大地に出していることがオレたちの誇りなんだから」 と言ってくれる。

しんどいけど、こうやって新年の洗礼を浴びることで、

一年の覚悟が定まっていくような気もしたりする。

参加できなかった産地の方々には、ごめんなさい。

福島わかば会の皆さん、急な乾杯の指名はやめてください。

動転しちゃって、写真を撮るのをすっかり忘れてしまったじゃないですか。

 

日記もちょっと書けないでいたけど、

とりあえず、今年もみんな元気で、意欲的に切磋琢磨しています、

ということは伝えておきたい。 

 



2010年1月13日

富良野に行った君 から

 

昨年12月4日に書いた 「有機農業を始めよう」 新規就農支援ガイドブックの

編集委員会事務局から、原稿が送られてきた。

" 富良野に行った君 "  からの原稿である。

けっこう早いじゃん。

しかも編集委員会で用意した質問形式の原稿に対して、しっかりと書き込まれている。

いやいや。 「どうせ嫁さんに書かせるんだろうが・・・」 なんて言っちゃって、

大変失礼いたしました。 コメントにも返事しなくて、ゴメンね。

 

職場結婚した徳弘英郎 & 藤田京子夫妻が大地を守る会を辞めて、

有機農業修行を経て、北海道富良野に就農したのは2001年。 

今では家も建て、子どもも3人。 地元でも頼られる存在になりつつある。

大地ライブラリーから-

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                                          (撮影:市川泰仙)

原稿には、

生産者団体 「どらごんふらい」 の方々の尽力によって地域に受け入れてもらったこと、

これまでの苦労や反省は数え切れないくらいあったことが、実直に語られている。

「知ってしまえば10分で行ける道のりを、知らないがために1時間かけて行くような・・」

  


成功の秘訣は?

-成功したとは思ってない。

  失敗をきちんと分析して 「いかに次に生かせるか」 にかかっていると思っている。

 

将来の夢は?

-この地域で農業をやりたいという人、農業ではないけれど何かをやりたい人を

  バックアップし、元々の地域の方々と新しい人たちとでよりよい地域づくりをしたい。

 

これから有機農業を始める人へのアドバイスは?

-頭でっかちにならないこと。

  理想や目標を掲げつつ、上手に妥協する姿勢も必要。

  理想と現実の折り合いをつけるということは、農業に関わらず、

  まさに生きていくことそのもの。 その中から新しい展開が生まれてくる・・・

 

大地で得た教訓も反映されているような、いい感じだ。

 

送られてきた写真からも、彼の足跡と、" 思い " のようなものが感じられる。

農楽舎(のらや) の看板、いいね。

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拓郎くんも、開拓者の子っぽいぞ。

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これ以上ここで紹介すると編集委員会に叱られそうかな。

ま、ガイドブックの予告宣伝だと思って許してください。 

 

徳弘くんへ。

たぶん全文掲載は無理だろうし、写真も絞られるけど、許してね。

編集委員会の期待には充分応えられたと思います。 グッジョブ! ミッションは成功した。

あとは頑張ります。

 

そういえば、このブログの一発目が徳弘夫妻だったなぁ。

今でも、あの記事が記憶に残っている、と言ってくれる人がいる。

今度富良野に行った時には、またいい顔を見せてほしい。

 



2010年1月12日

柳川掘割物語

 

成清忠蔵さんの墓参りもかねて......

などと書いて、今週の会員向けカタログ 『ツチオーネ』 を手にとってみれば、

タイミングの良いことに、表紙は成清海苔店さんである。

海苔の入札で真剣にチェックする代表の忠さんのアップが巻頭を飾っている。

「自分がおいしいと思う海苔しか仕入れません」

-なんか、親父よりずっとカッコいいね。

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成清海苔店は、福岡市柳川にある。

筑後川の下流、有明海に面した水郷の町。

柳川市内にはり巡らされた掘割 (水路網) の秘密については、

アニメ界のゴールデン・コンビ、高畑勲と宮崎駿が作ったドキュメンタリー映画

『柳川掘割物語』 に詳しい。

 

 日本がまだ貧しかった頃、どの村にも小川が流れ・・・

 日本がまだ貧しかった頃、どの町にも掘割があった・・・

 日本がまだ貧しかった頃、手の届くところに水辺があった。

 

加賀美幸子さんのナレーションで始まる美しい作品。

もう20年以上も前の作品だが、

いったんはドブ川と化した柳川掘を再生させた人の歴史や、

筑後川が運ぶ土砂と有明海の干満の差によってつくられた干潟が

海苔も含めたくさんの生物を育んできた仕組みなど、

この国に育まれた水の文化と深い知恵の結晶が見事に描かれている。

この映像、いや掘割が語る 「水とのつながり」 は、

年月を経てますます深く、失いつつあるものの意味を問いかけてきているように思う。

 

映画 『柳川掘割物語』 はDVDになって、スタジオ・ジブリ から購入できます。

ぜひ見ていただきたい作品のひとつ。

 

ちなみに、三鷹・ジブリの森美術館内にあるカフェ 「麦わらぼうし」 には、

大地を守る会の法人 「フルーツバスケット」 のジュースなども入ってますので、

美術館にもぜひ一度足をお運びください。 要予約ですが。

 

問題は、今週の注文。

山藤・梅田料理長おすすめの最高ランク 「新のり・有明海海苔優等」 にするか、

見た目より味重視の方に! 「皿垣漁協産焼のり(きずのり)」 にするか・・・・・

気の小さい私はまだ決めかねている。

ここは年に一回の贅沢といくか。 

いや、こういうのが年に何回もあるからきついんだよね。

でも、これによって人とつながって、幸せを頂いているんだ、とも思うのである。

さて・・・・・

 



2010年1月11日

黒沢賢ちゃん

 

9日からの連休はかねてより、

福岡の成清海苔店さんを訪ねて、厳冬の有明海で海苔摘み体験をする

ツアーに参加する予定を組んでいたのだが、悲報が届いてキャンセルした。

7日の朝、埼玉県深谷市の黒沢賢一さんが亡くなられた、という知らせ。

 

黒沢賢一さん、享年69歳。

一見には、ちょっととっつき悪そうな印象を与えたりする方なのだが、

みんなからいつも 「黒沢賢ちゃん」 と、姓+ちゃんづけで呼ばれていた。

グループの名前も 「黒沢グループ」 ではなく、「黒沢賢一グループ」 である。

人望が厚く、地元の自治会長も務められていた。

有機農業暦は35年に及び、ともすれば地域との軋轢も起きそうなものだが、

人に一目置かせる矍鑠 (かくしゃく) とした貫禄のようなものがあった。

 

昨年の夏に入る頃から闘病生活が続いていた。 

頑張ってほしい、と願っていたのだが・・・。

大地ライブラリーから一枚拝借して-

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黒沢さんの干し大根。 和江さんと一緒に。

 

僕にとってほろ苦い記憶は、一昨年の5月にTV東京で放送された 「カンブリア宮殿」 。

周囲を気遣って駐車場と道路に撒いた除草剤の使用を調べた場面が

意味ありげに編集され、黒沢さんにとってはさぞや面白くないことだったろう、

と気にやんでいたのだが、

黒沢さんは 「こういう現実もあることを知ってもらえばいい」 と泰然とされていた。

 

9日の告別式は、会場に入りきれないほどの弔問客が訪れていた。

皆さんと一緒に、合掌させていただく。

賢ちゃん (と僕は生前には呼べなかった) には、

今年の大地を守る会設立35周年を見届けてほしかったけど、

こればっかりはしょうがないね。

天上で、先に逝った方々と酒宴でも開いてくれると嬉しい。

 

逝く人の蓄積は、言い訳がきかなくなる分、決意も腹の底に溜まってくる。

成清さんのツアーでは、以前大病した時に随分とお世話になった先代の忠蔵さんの

墓参りも予定していたのだが、すみません。

今度ちゃんと行くからね。

 



2009年12月21日

おきたま興農舎 忘年会

 

肌を刺すような寒風の宮城から、大雪の山形へ。

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山形新幹線・赤湯駅。

ここに高倉健でも立っていたら、北のさいはてに来たかと勘違いするかもしれない。

・・・・・と思うのは、私がのんきな四国出身者だからか。

いやいや、地元の人でさえ 「この時期にこれだけ降るのは珍しい」 量らしい。

ま、どっちにしても、私には少々つらい出張になった。

 

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ここの由緒ある温泉宿で昨日(12月20日)、

大地を守る会に米・野菜・果物を出荷していただいている

おきたま興農舎の忘年会が開かれた。

忘年会に出席させていただくのは10年ぶりくらいだろうか。

あの時は有機の認証制度が作られようとしていた時代で、

これからの方向のような話をしろと言われて、喋った記憶がある。

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そう。 忘年会といってもただ飲むのでなく、

記念講演のような勉強会が設定され、かつ米・果樹・野菜に分かれての

1年の反省会もちゃんと行なわれるのである。

 

代表の小林亮さん。

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農民一揆を指揮した先祖が二人いるという家系。

「オレのいのちで済むんなら、いつでも」 -そんな血が流れている。

 


今年の記念講演には、農林水産省の若い官僚の方が呼ばれていた。 

しかしいま彼らには 「人前で喋ってはならない」 というお触れが出されているので、

今回はお忍び、というより公私の私人として自腹で参加したとの事。

というわけなので名前は伏せさせていただく。

 

話の中身はというと、食料自給率向上策や農家への戸別補償制度などなど、

国の対場を代弁しながら、果たしてこれでいいのかと悩みが漏れたり、

「農家はもっと高く売る努力が必要です」 と語りながら

「消費者は安いものを求めている (僕も中国産のほうを買うかも・・・)」

とのたまうなど、(正直だけど) 要所要所で歯切れが悪い。

何よこいつ、と亮さんに問えば、 

「まだ入省して5年なんだ。 気持ちのある奴と思ったから呼んだんだ。

 育ててやりてぇと思ってよ 」 とじつに優しい。

そうまで言われると仕方がない。

このご時勢で農民の集まりに飛び込んできた気概に免じて許すことにした。 

 

分科会では、米部会に参加した。

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最初からいきなり 「ではまず、大地さんから報告を」 と振られた。

亮さんのように人間ができてない僕は、

隣に座った農水省の若者をチクリチクリとやりながら、

米の販売動向から、夏に実施した興農舎の監査結果の報告を行なう。

監査とは、大地を守る会が定めた生産基準に基づく監査のことで、

僕らは昨年から、職員による内部監査を進めるとともに、有機JASの検査員を派遣して

独自に産地の監査を実施するという手法を導入している。

 

今回の監査で改めて見えたのが、ほ場(田んぼ) の所有あるいは栽培管理者が

動いているということである。

生産者ごとに最新のほ場リストを作成し直し、登録を更新したい。

たとえば減反で今年は作らないという場合でも除外せず、登録番号は固定化させ、

ほ場リストが興農舎と大地を守る会のデータベースに常に合致する状態にする。

そうすることで県の監査を受ける際も、すぐに照合ができる。

新しく借りたら、そのつど事務局に報告して、自分の管理台帳に追加する。

面倒な作業ではあるけど、

これが自分の栽培管理を証明するデータの大元になります、と説明する。

意味が分かっている人たちは、話が早い。

地区ごとの地図もつくって、この田んぼは今年は誰が何を作っている

とかも分かるようにしておこう、という話になった。

「今年じゅうには完成させます」 (事務局の五十嵐さん)。

言うことなし。 素晴らしいです。

 

会議では今年使った資材の結果から来年に向けての検討が行なわれた他、

穀物検定協会の方から、今年の興農舎の米についての評価も発表された。

夏場の日照不足など気候不順によって、全体的に品質・収量ともに落ちる年になった

にも拘わらず、興農舎の米は大変素晴らしい結果だったとの事。

多少のご祝儀発言もあっただろうとは思うが、

「皆さんが非常に努力していることが、米から見える」

と繰り返されていたことに、鑑定官の高い評価が窺えた。

「よかった。 頑張ったですね、皆さん」 とこちらも素直に感謝の弁が出る。

ガキ大将の顔のまんま大きくなったような生産者が一人、ウンウンと頷いている。

 

あとは温泉に入って一年の疲れを癒し、酒を酌み交わして労をねぎらい合う。

注がれるたびに 「いっぱい売ってねぇ」 「頼みます」 の台詞が胸にこたえる。 

 

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2009年12月 8日

"冬みず田んぼ" に、太陽光パネル!

 

宮城県大崎市 「蕪栗(かぶくり)米生産組合」代表の

千葉孝志(こうし) さんから電話が入る。

こちらから紹介していた太陽光発電の会社の人が今日、千葉さんを訪ねていて、

その報告である。

「話を聞いて、やることに決めました。 年内のうちに工事に入りますから。」

 

オオーッ! 即決! 大丈夫?

「大丈夫でしょう。 これで何とか冬のうちに水が張れそうかな。」

 

千葉さんの地域、旧田尻町にある蕪栗沼とその周辺の水田地帯が、

渡り鳥が休息するための貴重な湿地帯として

ラムサール条約に登録されたのは4年前のこと。

千葉さんはその前から有機栽培での米づくりをやりながら、

冬にも田んぼに水を張って、" 渡り鳥のための田んぼ "  にしてきた。

鳥たちはただ田んぼで餌を取るだけでなく、田を肥やす養分を残していってくれる。

 

千葉さんの田んぼにたむろするハクチョウたち。

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2年前に撮ったものだが、多少警戒しつつも、そばまで近づいても逃げないのだった。

 


そしてこの冬、千葉さんは用水から水を引くことのできない田んぼ用に、

新たに井戸を掘ろうという計画を立てた。 

しかも井戸水を汲み上げて田んぼに流す動力源として、

太陽エネルギーを利用できないかと考えたのだ。

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          (千葉孝志さん/撮影:農産チーム・海老原康弘)

 

その話に(株)日本エコシステムという太陽光発電の会社が乗ってきてくれた。

モデル実験として商売抜きで一基つくってみよう、

やるならこの冬には実現したい、ということで蕪栗まで出向いてもらった。

畦に太陽光パネルを並べる。 充分いける、という話になったようである。

素晴らしい。

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蕪栗米生産組合の面々と (撮影:同上)。

千葉さんたちは水路から魚たちが田んぼに遡上できるよう、魚道も設置している。

 

現地に赴いた日本エコシステムのHさんからも、翌日メールが入ってきて、

「千葉さんは立派な方で、感心しました」 とある。 

ガンもすでに5万羽ほどやってきていて、感動されて帰ってきたようである。

 

近々にも、田園の中に設置された太陽光発電の風景をお見せしたい。

乞うご期待。



2009年11月 3日

今年のブナの植林は雪だって

 

11月3日、文化の日。

例年だと多少の仕事はあと回しにしても、前日から秋田に遠征するのが定番に

なっているのだが、今年は会議などもあり、動けなかった。

93年から、大潟村の生産者たちが続けている上流部での植林活動、

『秋田・ブナを植えるつどい』 が行なわれる日である。

 

参加した 「米プロジェクト21」(大地を守る会の専門委員会) の仲間から、

携帯で写真付きの速報が送られてきた。

まだ立冬前だというのに、雪と霰(あられ) の中での植林だという知らせ。

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11月3日に雪の中での植林作業というのは、17回にして初めてだね。

さぞや大変なことだろう・・・・・と思ったが、

メールには 「雪の中の紅葉風景は、最高!」 なんて文字が躍っている。

作業のつらさを差し引いてもあまりある自然の美しさを堪能したようだ。

ちょっと、羨ましくなったりして。

 


たしかに、何気ない林も気高く見える。

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雪は風景の基調を純白で覆うから、余分なものが消え去って、

その中に残された、あるいは浮き出た色がすべて映えてくるんだよね。

光の反射もあるかもしれない。

冷たい空気を肌で受け止めながら眺めると、その感動はいっそう強いものとなるのだろうか。

 あんまり寒すぎると、それどころではなくなるけど。

 

ここは上の看板からして第3植栽地の奥にあたるところのようだ。

e09110303.JPG (以上3枚/提供:宮下恵子さん)

植えて3~5年くらいか。

いよいよ何度目かの厳しい冬がやってきたぞ。

ヒトは  " 風雪流れ旅 "  とかに憧れたりするが、彼らは風雪に耐えながら、

ひたすら根を張ることで生き抜くしかない。

そして大地を肥やし、生命循環を支える土台となるんだ。 頑張ってほしい。

 

田に入れる水の源まで足を伸ばし、涵養力の高い広葉樹の森を育てる農民たち。

彼らの作業が財産となって返ってくるのは、まだ数十年先のことだけど、

彼らの営みは、百年単位の視野を僕らに与えてくれる。 

 

ここ数年、食や農業をテーマにして話をする機会があると、

必ず挿入する一枚が、ここでの植林の絵である。 

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(いま講演用スライドで使っている、ちょっと古い写真。 そろそろ更新しなくちゃ)

 

生産者と消費者が協働で豊かな森をつくっています。 未来のために。

 

そしてお決まりの文句を繰り返す。

私たちは、食べることを通じて世界とつながっています。

それは、どのような人と、そしてどのような価値観と繋がるかについて、

否応なく日々選びとっている実践的行為なのです。

私は、こういう農民とつながることに喜びを感じている者です・・・。

 

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(今年の案内チラシに採用いただいた2年前の写真)

 

一本のブナを前にして悠久の時間を想像したとき、死ぬことも怖くなくなる一瞬がある。

あのふるえるような体験は、捨てられない。

ああ、しかし・・・来年は水曜日か。 ますます行けそうにないなぁ。

ごめんね、黒瀬さん(ライスロッヂ大潟代表)、大潟村の皆さん。

 

雪の中の作業に参加いただいた大地を守る会会員の皆様。

お疲れ様でした。 そして、有り難うございました。

 



2009年10月31日

東京レモン! の誕生。

 

レモンの花を生で見た日本人は少ないと思う。 ましてや東京では。

その東京都下の、とある場所で、レモンの花が咲いた。 

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そこは小金井。 周囲をすっかり住宅に囲まれてしまっている

東京有機クラブ代表・阪本吉五郎家の、畑の一角。

ここに阪本さんは、3年前に100本のレモンの木を植えた。

15本くらいは病気などでやられたようだが、残りは逞しく育って、ついに実を成らせた。

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立派にレモンである。 

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この段階で採れば、グリーンレモン。

熟すと黄色に、大正の作家・梶井基次郎ふうにいうと 「レモンエロウ」 の檸檬になる。

農薬は一切使っていない。

阪本家命名 - 「東京レモン」 の誕生!である。

 


ことの発端は、大地を守る会直営の和食居酒屋 「山藤」 の前田寿和支配人が、

山藤オリジナル用にわずかでよいので、レモンを無農薬で作ってくれないか、

と持ちかけたことによるのだと、前田が自慢げに語る。

しかし 「ああ、面白いね。 植えてやるよ」 と言って100本も植えちまったのは、

阪本吉五郎・啓一父子の、冒険心と、東京農民の意地の表現のようなものであった

ことは間違いないと、僕は勝手に推測するのである。

 

去年6月の 「紫陽花鑑賞会」 の際に紹介した苗木が、果実を成らせた。

山藤は一日でも早く欲しいところだろうが、「東京レモン」 初出荷にあたってはやっぱ、

ささやかでも儀式が必要だということで、関係者で収穫祝いをやることになった。

「最初の鋏(ハサミ) は、藤田会長に入れてもらわないと」 と言うあたりが、

任侠の人・阪本吉五郎である。

 

会長も喜んで参上し、嬉しげに鋏を入れる。

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満足そうな吉五郎さん。

 

「エビ! 俺が最初に切った、東京のレモンだぞ!」

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ハイハイ。 記念に一枚、撮っときましょうね。

 

「山藤」 総料理長、梅田鉄哉もこの日を待ってましたと参加。

しかも 「私がいなくちゃ、祝いは始まらないでしょ。」 

その通りです。 ありがとうございます。

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啓一さん(写真左) も、 「どうだい!」 の表情である。 

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この木を世話するのに、どれだけの手をかけたのか、気を配ったのか、

僕には分からない。 阪本さんもニコニコして、当たり前のことは語らない。

栽培記録に記された事実を読むことはできても、

行間を読める人間になるには、まだ時間がかかる。

 

「俺も撮ってくれよ」 -は、長谷川満取締役。

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近々、東京農業大学で、都市農業の未来について講演する予定になっている。

格好のネタができた、と顔に書いてある。

しかも部下の市川に 「パワーポイント (講演用スライド) で」 とまで指示している。

 

俺が捥いだレモンだ。 撮れ。 

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今日の会長は、やけに写真を要求する。

撮るのはいいけど、あとで送らないと機嫌が悪くなるし、面倒なんですけど・・・。

 

さて、レモンの試食会と相成る。

梅さんが最初に出してくれたのが、北海道・厚岸の牡蠣。

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若いレモンは、口の中で酸味がはじける勢いがあって、いやいや、

やり場のないエネルギーに振り回されていた青春時代を思い起こさせるよ。

自然のミネラルの力で奥深く苦味を包ませた牡蠣との調和が、

いのちをいただく 「食」 というものの真髄を、シンプルに伝えてくる。

牡蠣という貝を開いて、この珍妙な形の肉を初めて食ったヒト、

それに柑橘の汁を垂らして食った最初のヒトに、感謝したい。

食の文化は長~いDNAの鎖でつながれているんだ、きっと。

食通家のようにうまく表現できないけど。

 

焦燥とデカダンス(頽廃) に喘ぎながら夭逝した若き基次郎にとって檸檬は、

灰色ベースのカンバスに置いてみた一点のレモンエロウだったのだろうが、

俗人は思う。 病気だから仕方ないとはいえ、君はもっと長く生きるべきだった。

基次郎は緑の檸檬の味を知らないで、逝った。

 

梅さんが、友人の職人に頼んだチーズケーキが用意されていた。 

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捥ぎたてのレモンの一片を添え、阪本さんに捧げる。

 

ケーキの箱には手づくりの帯が巻かれてあった。

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阪本吉五郎、78歳。 農業人生 「最後の挑戦」 だと書かれている。

「最後」 って、ちょっとねぇ、失礼じゃないか? まだ当分くたばりそうにないぞ。

 

見ろよ、この笑顔。

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最後は、ただの宴会。 

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阪本吉五郎が語る昭和の武蔵野の歴史は、聞き取っておく価値があると思った。 

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「みんなさ、土地がいっぱいあっていいですねっていうけどね。 欲しけりゃくれてやるよ。

 葉物を一生懸命作って大地に売ったって、みんな固定資産税で持ってかれてんだよ。

 相続でも物納するしかないから、ひっきょう東京に農地はなくなるな。

 これでいいのか、って聞きたいねぇ。」 ・・・誰に問いかけているのか。

 

吉五郎・啓一のレモンは、メッセージなのだ。

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なお念のために、宅配会員の皆様へ。

このレモンは宅配でご注文を受けられるだけの量はなく、もしご賞味を希望される場合は、

大地を守る会直営店、「山藤」 か 「カフェ・ツチオーネ 自由が丘店」 までお越しの上、

「阪本さんのレモン入ってる?」 とお尋ねください。

「エビちゃんブログを見た」 と言われた方への特典は、特にありません。

いや待て。 ・・・レモン1個なら自腹切ってもいい。 交渉してみよう。

 



2009年10月30日

繊細なる野菜 - レタスを学ぶ

 

レタスはとっても難しい野菜である。

繊細で、傷つきやすく、わずかな温度や湿度の変化にも敏感に反応する、

まるで箱入り娘のような野菜。

 

レタスを語るとき、よく引き合いに出される作品に、

ジョン・スタインベックの 『エデンの東』 がある。

小説よりも、ジェームス・ディーンが演じた映画のほうが有名な気がするのは、

自分が原作を読んでないからか。 あの映画で、

収穫されたレタスを氷で冷やしながら貨車で東部に運ぶシーンが出てくる。

これがうまくいったらボロ儲けの算段だったのだが、途中で貨車が止まってしまい、

扉を開けたら水が流れ落ちてきて、男が中のレタスを取り出して、一瞥するや投げ捨てた。

レタスに負けないくらいにナイーヴな青年を演じたジェームス・ディーンが、

「 レタスで失敗した親父の借金 (と自分への信頼) を取り戻したいんだ 」 

と新たな事業に挑戦する。

原作は1952年。 その頃からすでにレタスの長距離輸送は、

事業家 (アメリカの農園主は事業家である) の野心を掻き立てるテーマだったのだ。

 

そんなレタスの品質保持について勉強しようと、

昨日から30名強の生産者が長野県南佐久郡南牧村に集合した。 

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レタスの品質保持は、今もって我々の重大テーマのひとつである。

流通過程で傷みが広がるのを防ぐために、生産現場で考え得る対策はないか。

そのために発生の原因や対策技術を検証してみよう。

また流通で考えるべきことについても話し合いたい。

会議の表題は 「レタス・キャベツ生産者会議」 だったのだが、

そんなわけで (?)、会議の時間はほとんどレタスの話に費やされてしまった。

 


今回の幹事を務めてくれた地元生産者、有坂広司 (ひろし) さん。

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理論家で研究を怠らない、ちょっと怖い人。

「まあ、生産者だけでなく、大地にもちぃっと勉強してもらわんと・・・・」

僕らはこういう人に支えられている。

 

講演にお呼びしたのは、長野県野菜花き試験場研究員の小木曽秀紀さん。

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レタスの病害の様々なケースに対して、単純に農薬に頼るのではなく、

IPM (総合的病害虫管理) の考え方に沿って対策を講じる研究を重ねてきた。

IPMの定義を要約すれば、こんな感じ。

 - 利用可能なすべての防除技術を、経済性を考慮しつつ慎重に検討し、

      病害虫・雑草の発生増加を抑えるための適切な手段を総合的に講じる技術。

  - これらを通じ、人の健康に対するリスクと環境への負荷を最小限にとどめる。

  - また農業による生態系が有する病害虫および雑草抑制効果を可能な限り活用する

   ことにより、生態系のかく乱を可能な限り抑制し、

      安全な農作物の安定生産に資する技術・考え方の総称である。

ここでは農薬の使用をまったく否定するわけではないので、有機農業とは立ち位置

は異なるが、できるだけ自然の力を活用しようとする技術は、吸収しておこう。

 

農薬を削減するための技術は様々にある。

輪作の導入や緑肥作物の活用、肥培管理、土壌の物理性の改善といった耕種的防除、

熱水による土壌消毒といった物理的防除、

病原菌の繁殖を抑える力を持った植物や虫・微生物などを活用する生物的防除、などなど。

有機農業はそれらを総合的に捉え体系化する未来創造型の農業だと、僕は位置づけている。

 

ここで小木曽氏は、いま農家の頭を悩ましているレタス腐敗病に対して、

健全なレタスの葉から、病原菌を抑える力を持った微生物を発見して、

実用化 (これも防除目的である以上、「農薬」 として登録される)

した 「ベジキーパー水和剤」 を事例として、その特徴や利用方法などについて報告された。

 

次にもう一人ゲストとしてお呼びしたのは、タキイ種苗塩尻試験農場の石田了さん。

いろんなレタスの品種を開発してきた種屋さんである。

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品種ごとの特性や栽培上の留意点などが解説された。

レタスとひと言で言うが、ずいぶんと品種があるものだ。

適切な品種選択も重要なポイントなのであった。

生産者の間でひそひそと情報交換が活発になるのは、こういう話題の時だね。

 

お二人のゲストを相手に、質疑応答も活発に行なわれた。

司会を務めた農産グループ有機農業推進室の古谷隆司が、あれやこれやと

流通過程でレタスに表われてくる症状と原因について聞くも、

答えはだいたい 「そうとは言い切れない。 見てみないと分からないですね。」

表面に現れる症状の原因はひとつではないし、似たる現象も実は異なるものだったりする。

「ウ~ン」 と唸りつつ、推論を絞り込んでいく。

要するに特効薬はひとつではないのだ。

 

レタスの大産地・川上村の生産者、高見沢勉さんにお願いして、

川上村でのレタスとのたたかいの歴史を語っていただいた。

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レタスが日本に入ってきたのは明治初年だが、生産が一気に増えたのは、

戦後の進駐軍用の特需からだった。

その後、食生活の洋風化とともに大幅に消費量が伸びてゆく。

長野の高原地帯は、冷涼な気候がレタス栽培に合って、生産の増加とともに

出荷・保管・流通技術の進化を牽引してきた。

氷詰めでの輸送に挑戦したカリフォルニアの歴史は生かされている。

その一方で、夏季の3ヶ月で1年分を稼ぐような凄まじい生産構造となって、

深夜の0時過ぎから投光器を照らして収穫作業が行なわれるようになった。

日の出までに収穫し、切り口を洗い、しっかりと予冷させ冷蔵車で運ぶ。

また 「レタス産地」 とは、病気と対策のイタチごっこに苦しんできた歴史も抱えている。

レタス御殿が並ぶと言われる地帯でも、そこはけっしてエデンの園ではないのだ。

 

高見沢さんの話で一番こたえたのは、「レタスの収穫適期は一日」 という言葉だった。

一番良い時に収穫したい。 それは生産者なら当然のことだろう。

しかし、そこが会員制の宅配では、なかなかうまくいかない。

会員からの注文、しかも毎日続くオーダーに応じて出荷してもらうために、

" 採り遅れ "  という事態が発生することがある。

しかもいくつもの産地のリレーでつないでいると、出荷を待ってもらったり、

数の調整をしたり、というのが日々の物流の実情である。

雨でも出荷をお願いする時もある。

互いの事情を理解しあう、ではすまない問題が横たわっていて、

販売力の強化、販売チャンネルの複数化 (による調整能力の強化)、

会員に伝える情報の的確さ・・・・・

などなど話は深夜まで続き、延々と複雑化してゆくのだった。

勉強にはなったけど、悩みは尽きない。

 

で、明けて今日は朝から有坂さんの畑を回る。

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レタスは終わって、畑にあるのは白菜。

 

広司さんの風貌は、TVドラマに出てくるベテラン刑事みたいだね。

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このデカ長、栽培技術に関しては、相当に執念深い。

 

黄葉したカラマツが二日酔いの目を癒してくれる。 

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広司さんの息子さんの、泰志さん。

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親父譲りの理論派である。 

 

最後まで残った人で、八ヶ岳連峰をバックに記念撮影。

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がんばろう! レタス!

 

深まりゆく秋、の長野でした。

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2009年10月 4日

今年も開催 -大地を守る会の「備蓄米」収穫祭

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10月3日(土)。 福島県須賀川市。

福島の中通りに位置し、良食味産地として高い評価を受けている地帯である。

ここで、大地を守る会の 「備蓄米-大地恵穂(だいちけいすい)」 の収穫を祝っての

交流会が、今年も開催された。  

 

当初は、1年おきの開催として考えていたものだが、

厳しい天候の中、しっかりと良い品質で収穫まで漕ぎつけようと頑張ってくれた

生産者の成果を消費者の方々に見せたいと思ったのと、

予定より1カ月も早く予約口数の目標に到達した勢いが、

2年続けての開催へとつながった。

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生産者集団 「でんでん倶楽部稲作研究会」 (旧 「稲田稲作研究会」 を改名)

の事務局機能を担っている(株)ジェイラップの施設に集合した参加者一同。

前日までの雨で田んぼには入れず、

楽しみにしていたコンバインに乗っての稲刈り体験は中止。

「エーッ、残念~!」 の声が上がる (これは意外と興奮する体験なのです)。

この日の空模様も、今年の天候を象徴しているかのような曇天である。

 

それでも 「稲田のコシヒカリ」 の収穫は本番を迎え、

研究会自慢の太陽熱乾燥施設もいよいよフル稼働してきている。

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太陽光の中で最も波長の長い 「遠赤外線」 効果による低温乾燥。

火力乾燥が当たり前の時代にあって、15年前 (1994年) に導入した先駆的な施設である。

 


収穫された米が入荷して、検査が行なわれ、

太陽熱乾燥を経て、モミ貯蔵される。 さらに精米・袋詰めそして出荷までの

一連の流れを辿っていく。

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写真左にある貯蔵タンクはアメリカ製。

モミで150トン収容できるタンクが3基、総量450トンの収容力がある。

今年、大地を守る会の備蓄米用に約束した量は、玄米で165トン(2,750俵)。

モミに換算すると、約200トン強。 このタンク1基と3分の1ぶんを、

来年のための備蓄用として消費者が前払いで担保したことになる。

1993年の大冷害の翌年から、豊作で米が余った年も、米価が下がっても、

変わらず続けてきた。

このゆるぎない継続こそが、生産者の意欲と責任感、そして創造性を育てたのだ。

 

こちらが精米工場。

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米の品質を守るために、様々に改良を加えてきた。

ここで説明するのも面倒なくらい、

ジェイラップ自ら  " 複雑怪奇 "  というほどのオリジナル工程になっている。

 

ひと通りの工程を見学した後、田んぼに向かう。

 

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黄金色に輝く田園。 なぜこんなに美しく感じるのだろうね。

 

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今年の経過を説明する稲作研究会前会長・岩崎隆さん。 

「一反歩 (10アール) にして1俵 (玄米60kg) か半俵少ない感じですが、

品質は良いはずです」 と胸を張る。

気温や日照の具合を見ながら、きめ細かい管理をやってきた自負がにじみ出ている。

息子さんも農業を継いで孫もでき、たしか今も5世帯同居の大家族だ。

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんとともに、稲作研究会70名のメンバーを引っ張ってきた。

彼らは有機JASの認証も取っているが、それは無農薬無化学肥料栽培の技術獲得の

プロセスであり、自己証明の管理体制づくりの一環であって、ブランドではない。

ブランドはあくまで、「俺たちの米」 である。

 

田んぼに入れなかったので、これまた恒例となってきた 「イナゴ取り大会」 も中止。

「今年はイナゴのほうが大豊作なんで、いっぱい獲ってもらおうと思ってたんですけど」

と、消費者よりも生産者のほうが残念そうな口ぶりである。 

たしかに、畦に立つだけでビンビン飛んでくる。

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残念でしたね。

来年はいっぱい獲ろう! (え? 来年?・・・なんか、来ると毎年やりたくなっちゃうよね)

 

さて、今回実施したいと思ったのには、もう一つの理由がある。

これは何でしょうか。  

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乾燥野菜です。 

一昨年あたりから色々と試行錯誤して、試作品の完成まで漕ぎつけた。 

野菜が豊作で余った時、畑で捨ててきた規格外品、皮も含めて 「使い切る」 思想が

ここに凝縮される。

 

乾燥室の中の様子。

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きゅうり、トマトなどをスライスしたチップが、ステンレスの棚に並べられ、

こちらも米と同様、熱風でなく、ゆっくりと時間をかけた除湿工程によって乾きながら、

エキスが濃縮されてゆく。 

 

実に色んな野菜や果物が試作された。

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「毎日ごぼうを切り刻んだ時は、もうゴボウなんて食べたくないって思いましたァ。

 これをやっている時は、引きこもりですね。」 (福島弁で語尾が少し上がる)。

見かけによらず、繊細で凝り性な方である。

 

スライスやチップだけでなく、粉末も完成した。

長期保存ができ、いろんな料理に使える優れモノである。

今日は8種類の粉末が用意され、それが何なのかを当てるクイズ大会が行なわれた。

実はイナゴ取りができないことを考慮して、

前夜の打ち合わせで急きょ用意してもらったものだ。

 

その粉を使っての3種類 (人参、ゴボウ、よもぎ) のうどんも試食していただく。

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これがまた大好評で、嬉しい限りだ。

 

野菜や果物を使い切ることで、フードマイレージも下がり、ゴミの減量につながり、

自給率を上げる。

設備の配置や体制作りといった課題はいろいろあるけれど、

加工の受け皿として産地をネットワークできれば、これはゼッタイ秘密兵器になる。

何としても形にしたいと思う。

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そんな未来への意欲も語り合いながらの交流会となる。 

 

子どもたちは餅つきに興じる。

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結果は年によって違いはあるけれど、いつだって収穫は嬉しいものだ。

未来への種も蒔いているのだしね。 

 

清酒 「種蒔人」 の蔵元・大和川酒造店の佐藤芳伸社長も、

忙しい中、酒粕などを持って駆けつけてくれた。

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有り難うございます。

今年も楽しい収穫祭になりました。 

 

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備蓄米-大地恵穂、今年も無事収穫!!

これから来年まで、モミ殻に包まれ、しばしの眠りにつきます。

 

みんなで交わした笑顔が、明日を豊かにする。 間違いないよね。

 



2009年9月28日

厳しい・・・です。

 

野菜が、です。

特に北海道における夏の日照不足と多雨の影響が大きく、

ジャガイモ・玉ねぎ・人参といった基本の根菜類が絶不調。

玉ねぎの達人-札幌の大作幸一さんをして

「長年作ってきたけど、こんな厳しい年は初めて」 と言わしめるほど。

前にも書いたけど、特定産地との契約というのは、その地域、その畑の結果が

モロに直撃してくるので、なかなか供給も如何ともしがたく-。

 

ジャガイモや玉ねぎは当分、量目を調整しながらの綱渡り的な供給となるでしょう。

人参は断続的に供給 (入荷) が途絶えています。

「まだ太ってない、もう少し待って」 「雨で今日も掘れない」・・・・・

市場の値も上がってますが、それでも生産者の皆さんは

約束した値段で、大地を優先して出してくれています。

関東モノが出てくるまで、まだしばらく、厳しい状況が続きます。

基本野菜がない、とは実に切ない! ですね。

 

追い打ちをかけるように、近年にわかに評価を上げてきた北海道の米からも、

つらい写真が送られてきました。

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旭川の隣、東神楽町の北斗会から。

冷夏による冷害に加えて、いもち病が多発しているとのこと。

白く見えているのがイモチです。 


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黄色く色づいているのが実の入った籾 (もみ)。

青いのは不稔(ふねん) 籾。 つまり実が入っていません。

平成5年の大凶作並の作柄になるかもしれない、との声も聞こえてきています。

 

産地担当 (農産チーム職員) も日々ため息つきながら産地と連絡を取り合っていて、

私もちょっと、このところ何も書けませんでした。

 

 

・・・・・なんだか、かなり弱気な調子になってしまったですね。

力強い写真も届いているので、アップしておきましょう。

山形県高畠町、おきたま興農舎・小林温(ゆたか) さんから。 

9月24日、稲刈りが始まりました、の便りです。

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毎年たくさんのカブトエビが湧く、吉田正行さんの田んぼ。

今では米作地帯はほとんどがコンバインで脱穀まで同時にやりますが、

こちらは今もバインダーで刈って、束ねて、杭に掛けての天日乾燥。

作業効率は上がらないけど、これでワラも活用できます。

 

同じくおきたま興農舎、浅野智さん。 夫婦で仲良く。

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「まほろばの里」 と呼ぶにふさわしい光景ではないでしょうか。

お世話様です。 厳しい年でしたけど、無事収穫、有り難うございます。

大事にいただきたいと思います。

 

おきたま興農舎には、先日のコメニストの記者発表に出席いただいた

共同通信の記者さんが取材に来られたとのこと。

いい記事、書いてほしい。

 



2009年9月17日

ネグロスから来会

 

昨日、「たべまも」 キャンペーンとコメニストの記者発表を終えて、

夜、幕張まで帰ってきて仕事をしていると、 「一杯やってるからね・・・」 との連絡。

 

あ、そうか。

今日はATJ (オルター・トレード・ジャパン) の方々が大地を守る会を訪れ、

物流センターを見学して、職員との懇談会とかをやっていたんだった。

終わったあと、帰る前にもう一杯、ってやってるわけだな。

それじゃ、顔を見せないわけにはいかない。

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左側の一番奥の女性が、

現地法人ATC (オルター・トレード社) のジェネラル・マネージャー、ヒルダ・カドヤさん。

その手前が、同マスコバド製糖工場の社長、アーネル・リガホンさん。

ATJ20周年のお祝いも兼ねて来日して、精力的に消費者団体を回ってきたんだろうに、

全然疲れを感じさせない。

二人とも、お国の圧政ともたたかってきた、歴戦の闘士なのである。

 

12日付の日記で書いた 「ばななぼうと」 の話もしたところ、懐かしがってくれた。

あれが出発点だった。 あの船があったから、今の私たちもある。

あれから20年、続けてこれましたよ。 いやいや、頑張ったね。 ありがとう、ありがとう。

 

-ところで、エビスダニさんは、ネグロスには?

-いや、それが・・・・・一度も、まだ。

-じゃあ、来なくちゃいけません。

-そうだよねぇ。 行かなきゃ、とは思ってるんだけど。

-いつ来る? 

- ウッ ・・・・・

-じゃあ来年。 約束 (の握手)。

 

この手に弱いアタシ。

またひとつ、果たさなければならない約束が増えてしまった。

 

しかし、それにしても、何でオレだけ、ふたたび事務所に戻ってるんだろう。

虚しいぞ・・・・

 



2009年9月12日

ATJ 20周年

 

大地を守る会で取り扱っているアイテムは国内生産されたものが基本なんだけど、

国内では生産されてないもの、あっても希少なため取り扱うのが難しいもの、

海外との民衆貿易によって現地の人々の生活向上への支援につながるもの、

などなど、独自の基準を設けて輸入品も扱っている。

 

なかでも先駆的で象徴的なのが、バランゴン・バナナ (フィリピン) になるだろうか。

その輸入元である (株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ) さんが設立20周年を迎え、

記念のシンポジウムとパーティが開かれたので参加させていただいた。

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会場は築地の朝日新聞本社に隣接する浜離宮朝日ホール。

ATJ製品を販売する生協さんや共同購入団体、関係メーカーさんなど、

200名を超す関係者が参加され、盛況な会となった。

 

ATJさんと大地を守る会とは、バナナから取引が始まり、

今ではインドネシアのエコ・シュリンプ、パレスチナのオリーブオイル、

東チモールのコーヒー、と付き合いの幅は随分と広がってきている。

それぞれに現地の人たちとの交流も行なわれてきた。

すべて僕らにとっては、

自給というテーマと、海外とのネットワークという視点をつなぐものだ。 

 


ATJが設立されたのは20年前(1989年) だけど、

本当のきっかけは1986年まで遡る。 

その年の秋、神戸港から南西諸島に向かって 『ばななぼうと』 という船が出航した。

それは市民運動の新たな時代を開くエポック・メーキングとも言えるイベントだった。

 

徳之島で無農薬バナナの栽培に挑戦している農民たちと交流し応援しよう、

という話がいくつかの団体 (大地を守る会もその一つ) の間で持ち上がって、

そこまで行くなら足を延ばして、空港建設に対してサンゴ礁保全の運動をしている

石垣島・白保の漁民たちとも交流しよう、だったら全国の自然保護団体にも声をかけよう、

どうせなら船の中で色んなテーマでワークショップをやってみよう

・・・・・そんなふうに話が大きく広がって、実現したのが 『ばななぼうと』 だった。

 

期しくも1986年という年は、春にソ連・チェルノブィリで原発事故があり、

9月にはアメリカの精米業者協会が日本にコメの市場開放を突きつけてきた年。

今で言うグローバリゼーションが、日本人にも黒船のように自覚された年だ。

食や環境を守ろうという市民運動が俄かに活気づいて、

とはいえインターネットなんて便利な道具もまだ普及されてない時代、

どこもそれぞれ孤立しながらの活動を強いられていた。

そこで僕らは、全国の市民活動団体の住所録を作成したのだった。

「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、ちいさな市民グループまで網羅したリストを、

『ばななぼうと』 という一冊の本にまとめたのだ。

出来上がった連絡網は、異分野の人たちを強烈にネットワークした。

象徴的事件の一つに、日本リサイクル運動市民の会(当時) が立ち上げた

有機農産物の宅配事業がある。

 ( 「らでぃっしゅぼーや」 さんのこと。 大地を守る会は全面的にバックアップした。)

 

生まれた言葉や名言もいくつかある。

 -反対(否定) 運動から提案型運動へ。 その視点から市民事業が生まれ始めた。

   「食える市民運動へ」 なんて生々しい言葉も飛び交った。

   こっちの世界で飯を食おう(=オルタナティブな社会システム=仕事を創造する)

   という機運が生まれ、みんなで作る株式会社という発想が発展した。

 -「この指とまれ」 方式。

   たとえば原発反対の集会を呼びかけても、来ない人を非難しない。

   集まった人たちで、どれだけ魅力的なイベントを作れるかを考える。

 - " オレたちは、右でもなく左でもなく、前へ進む!"

   旧来の左翼的色合いで見られがちな運動 (それはある意味で、そうだった)

   を決定的に意識改革した言葉だったように思う。

 

『ばななぼうと』 に話を戻せば、

船には全国から150団体、約500人の人たちが乗り込んできた。

そのなかに、飢餓に苦しむネグロス島の砂糖労働者の支援活動に取り組む

「ネグロス・キャンペーン委員会」 なる団体の人たちがいた。

 

彼らは、国内農業を大切にしようとする自給派・有機農業派 (我々のこと) に、

鋭い問いを突きつけてきた。

「私たちの暮らしそのものが南の人々を苦しめている。

 国内の安全な食べものを応援して食べる、それでよいのか!」

船内でシンポジウムが開かれ、フィリピンの労働者が惨状を訴え、

どういう形で連帯 (この言葉は当時輝いていた) できるのか、が模索された。

 

商社への依存から脱して、自分たちの手で砂糖の公正な貿易を実現させよう。

いくつかの生協が手を上げ、民衆交易(貿易) という言葉が生まれ、

1987年、ネグロス島からマスコバト糖の輸入が始まった。

フェア・トレードという言葉が登場する前の時代の話である。

そして続いて、ネグロスの人々の自立を掲げて、

島に自生していたバランゴンバナナの輸入が始まったのは89年2月からである。

その年の秋、ATJが設立された。

 

大地を守る会は、ATJに出資する形で応援しつつ、それでも

国産の無農薬バナナやサトウキビの生産を支援する、という立場を堅持した。 

しかし国産バナナは毎年収穫前になると台風に倒されて、

僕らの間ではいつしか  " 幻のバナナ "  とか呼ばれるようになってしまった。

バランゴンバナナの支援(取り扱い) に踏み切ったのは、92,3年あたりだったか。

その後、支援の品目はだんだんと増えてきたが、砂糖はまだやっていない。

でもたとえば、パレスチナには独自の基金を準備しての建設を応援したりしてきた。

そのあたりが大地を守る会の愚直なところだと言われたりしている。

 

いろんな道のりがあって、20年の歴史がつくられた。

もっとも苦しかったのは、もちろん現地の人々である。

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記念のスピーチで壇上に立ったフィリピンの現地法人 「オルター・トレード社」 社長、

ノルマ・ムガールさん。

様々な困難を経験しながらも、ずっと対等に付き合ってくれた日本の仲間への

感謝が、深い言葉で語られた。 そして未来への希望も。

 

20人近いスタッフを前に集めて挨拶するATJ代表の堀田正彦さん。 

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「20年で様々なストーリーが作られたが、これからのヒストリーをどう創造していくか。

 どうかこの者たちを鍛えてやってください。」

 

大地を守る会会長の藤田和芳も挨拶。 

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内容は・・・・・すみません、他の人と談笑してました。

慌てて写真を撮っただけ。 

おそらくは、本当の自立に向けての課題がまだまだある、とか

そんな話をしたんだと思う。

 

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記念講演された大橋正明さん (恵泉女学園大学教授、NPO法人シャプラニールの会理事)

が提起した話も紹介したいけど、長くなってしまったので、この辺でやめます。

要は、事業やマーケットとして成立した感のあるフェアトレード (公正貿易) と、

目指したオルタナティブ (人間と自然の共生を目指すもう一つの道の提案) の、

質と量も含めた内容点検が必要ではないか、ということである。

 

なんだか、ATJ20周年の報告というより、昔話になってしまった。

でも僕にとってのATJとの20年は、このように語り出さないと

整理できないものでもあったのだ、と思う。

 

次のエポック・メーキングは、どんな質のものになるのだろう・・・・・

 



2009年9月11日

友くん、おめでとう!

 

埼玉県川越市の生産者、深田友章くん。 28歳。

本日めでたく、華燭の典!

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新妻の名は友里(ゆり) さん。

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「オレは美人としか結婚しないっすよ!」

などと常日頃からほざいていた友章が、見染めた女性。

アップで見たい方は、" 続きを読む " をクリックどうぞ。


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いや、ホントだ。 う、うらやましい・・・・・。 友、有言実行。 褒めてあげる。

 

思えば君が高校を卒業して、家業を継いだ途端の、お父さんの訃報だった。

このヤンキーみたいな若者が、はたして農業を続けられるのか。

しかも無農薬で・・・・・。 正直言って、みんな不安だった。

土壌分析の勉強会なんかでも、実につまらなさそうにしていたよね。

あれから10年近く経つけど、なかなかどうして、立派にやり続けてきた。

若くして逝った敏夫さんもきっと、天上で号泣していることだろう。

荒井注さんみたいな顔をくしゃくしゃにしてね。 働き者だった。

 

埼玉大地 (埼玉県下の生産者で組織されている会) の人たちの支えも大きかった。

列席された役員の方々の喜びもひとしおに違いない。

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僕らも嬉しい。 よかった、よかった。

 

大地を守る会の生産者会員も農家だけで1,200名を数えるけど、

一家の柱としてやっている生産者としては、おそらく最年少だろう。

深田友章、ついに一人前になりました!

え? まだまだだって。

埼玉大地の親っさん方々、

これからも友章くん友里さん夫妻をよろしくご指導のほど、お願いいたします。

 

深田友章&友里、会心の笑顔。

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来年1月には、父となる。 頑張らなくっちゃね。

おめでとう!

 

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2009年8月21日

「地元資源を見直そう」-後継者会議。

 

島根県浜田市弥栄 (やさか) 町。 旧・弥栄村。

広島県との県境にある、標高400から600mの典型的な山間地の村である。

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8月20日、この村に、全国から若手生産者、次世代のリーダーたちが集まった。

「第7回 全国農業後継者会議」。

 

萩・石見空港からは約1時間の道のりだが、日に1便しかなく、

我々は広島からバスをチャーターし、2時間かけて現地に向かった。 

 

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会場となった 『 弥栄ふるさと体験村 ふるさと交流館 』 。

参加者55名。

 

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昨年は山形の庄内で開かれたこの会議で、来年の開催地として立候補したのが、

今回の受け入れ幹事団体、「やさか共同農場」 だった。

 

挨拶する佐藤大輔さん、28歳。 

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「いやあ、立候補したのはいいんですが、

こんな山奥に本当にみんな来てくれるのか、不安で一杯でした。」

 


みんな律儀なのである。

いや、それよりも、年に一度は会いたい仲間なのだ。

「オッス」 「やあ、元気だった?」

「〇〇ちゃんはどうしたの?」 「あいつは今日は〇〇作業で来れなくって...」

「今年 (の作物の出来) どうよ?」 「いやあ、厳しいなぁ」

・・・・とかいった会話が交わされる。

北海道から沖縄まで、全国に有機農業の友だちがいる。

忙しいけど、金もかかるけど、やっぱ行かなくちゃ、ってわけだ。

 

島根での開催ということで、有機農業運動の先達にご挨拶をお願いした。

出雲にある木次乳業元社長で、今は相談役の佐藤忠吉さん、90歳。

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1960年から、自然と共生する酪農と有機農業を実践してきた先駆者中の先駆者。

つねに農水省と反対のことをやってきた、と笑う。

「私の人生は失敗の連続でした。 戦争、災害、病気、ありとあらゆる艱苦を経験しました。

 しかし、だから今日がある。 いまも新しい発見だらけで、死ぬまで勉強ですな。」

聞いたか、若者。

農民の責任とプライドをかけて、ひたすら安全な食べものを作ろうと思ってやってきた。

いまも牛乳を配達するトラックのボディには

「赤ちゃんには母乳を」 のメッセージが掲げられている。

 

国の方針にいつも逆らってきたもんだから、警察の見張りまでついたとか。

「ウチとやさかさんには公安がついてくれとったです。」

 

やさか共同農場は現在こそ有限会社として法人化されているが、

大輔くんのお父さん、隆さん (やさか共同農場代表) ら4名が

弥栄村に入村したのは、1972年である。

学生運動がやや下火になりつつある時代、町からやってきた若者たちが、

コミューン (共同体) と称して休耕田を耕し、有機農業を始めた。

やっぱ相当に危険視されたことだろう。

共同体のそばに公安刑事のための小屋まで建てられたとか。

今では一緒に酒を飲むこともある、と隆さんは笑っている。

 

やさか共同農場の経営の柱、みそ製造所や畑を見学する一行。

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説明する堀江恵祐さん。 弥栄に来て20年以上になる。 

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隆さんたち先輩が、地元のおばあちゃんたちと一緒に、教えてもらいながら

つくってきた 「やさか味噌」。

今では年間250トンの味噌を仕込む。 原料大豆はすべて島根県産。

ざっくりと計算して60~80トンの県内の大豆を引き受けている勘定だ。

地元の産業を牽引する立派な食品加工メーカーに成長した。

 

今回の記念講演は、「農村の資源を宝に変えるコツとは?」。

講師は、「NPO法人 えがおつなげて」 代表の曽根原久司さん。

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山梨県北杜市を拠点に、都市と農村の交流事業を幅広く展開している。

農村ボランティアを募り、遊休農地を開墾し、地域の担い手を育成する。

企業との連携も積極的に仕掛け、新たな仕事 (商品) づくり、村づくり、人づくり、

そして環境再生へとつながっていく。

限界集落といわれるような農村には、宝物がいっぱいある。

日本の農村はいま、戦後最大のチャンスを迎えている、が曽根原さんの持論である。

 

曽根原さんは元金融機関の経営コンサルタントであったが、

バブル崩壊後の日本の行く末に危機感を感じて、農村の再生という仕事にチャレンジした。

夫婦で体をこわしたのも動機のひとつだったようだが、大地の食材で健康を取り戻したという。

「子どもは無理だろうと医者に言われましたが、今では3人の子どもがおります。」

こういう話も若者たちには聞いて欲しいところだ。

君たちのお父さん、お母さんは偉いのだ。

 

夜は古民家で宴会。 遅くまで飲みながら情報交換し、大いに議論する。

そして二日目は、曽根原さんのリードでワークショップ。

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各出身地域別に6班に分かれて、

各テーブルごとに、自分たちの地域にある資源を書き出す。

環境とか海とか抽象的・大雑把なものでなく、特産品名とか棚田とか、具体的に書く。

次に都市 (消費者) のニーズを思いつくだけ書いてゆく。

そして、資源とニーズを一つ選んで、ビジネスモデルを考案する、という展開。

出てきた案はこんな感じ。

・荒れつつある山武杉を使って木製家具をつくる。

・草刈しながらマムシ捕獲ツアー。

・ねぷた祭りを自分でつくる浅虫温泉癒しの旅。

 などなど。

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僕が参加した中国・四国チームで考案したのは、ミカンの木のオーナー制度。

一本=2万円/年。 毎年80~100㎏のミカンが届く。

子どもが生まれたら植える記念樹としてもOK。 お孫さんへのプレゼントにいかが?

普段の管理は農家がやるが、いつでも作業に来れる。 来れば農家民泊でタダ。 

夜は自慢の星空観察もあり。

 

まあ遊び半分のゲームだけれど、それぞれに自分たちの村の資源を再発見する

機会になったことと思う。 そう、俺たちの地域は資源に満ち満ちているのだ。

 

面白おかしく発表する若者たち。

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地域の資源を捉え直す。

これはきっと彼らにとっても刺激的だったのだろう。 

二日酔いをもろともせず、なかなかやる。

 

解散式。

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最後まで生き生きと闊達な連中。

来年の開催地は・・・・・なんと沖縄・宮古島から手が上がった。

行くしかないぞ、みんな。

 



2009年8月13日

お詫びに補足・訂正 & 賢太郎Ⅱ

 

東北地方は梅雨が明けぬまま立秋を越し

(立秋を過ぎると梅雨明け宣言はしないんだってね)、

あっという間に残暑見舞いの時節となりました。

 

あちこちで豪雨が降り、台風が追い打ちをかけ、さらには地震と、

とんでもない夏になっています。

当会の生産者も苦戦していて、どこもかしこも雨と日照不足の報告。

千葉ではせっかく播いた人参の種が流されています。

お盆までに播き直しができたとしても、生育の遅れは避けられません。

果物産地からも、天に祈るような状況が伝わってきます。

しかも我々のシステムは、会員さんや取引先からの注文に合わせて出荷をお願い

している都合、品質への影響を心配しつつも、雨の中での収穫という

農家の常識ではありえないこともやってもらったりしています。

台風や地震の人的・物的被害はなくても、影響は甚大、といったところです。

これらは生産者と直につながることのリスクとも言えますが、

そのぶん支えあう力も強くありたいものです。

しっかり食べてくださいますよう、切にお願いします。

 

さて、てんさん、RのMさん、にいださん、天下無敵の百姓さん、

この間のコメント有り難うございます。 遅まきながらお返事をアップしています。

簡単でつまらないコメントですが。。。 いつも反応が遅くて申し訳ありません。

 

また、先日書いた記事の補足や訂正の連絡も頂戴しました。

おまけに前回紹介した賢太郎君からも、速攻で写真が送られてきて、

これはアップしないとまずい・・・・

というわけで、まとめてご報告させていただきます。

 


8月1日付の日記で紹介した、北海道・高野さんのジャガイモ畑。

エキ病にやられていたのは男爵ではなく 「わせしろ」 という品種でした。

隣の緑色の畑は 「さやあかね」 。

皮の赤いイモで、エキ病抵抗性の強い新しい品種です。

いけませんねぇ、勝手な思い込みで書いては。 

隣の生産者とお喋りしてたのまでバレちゃったかしら。

ちなみに、欧州からの研修生はイタリア人とのこと。 名前はシルビアさん。

日本からの研修生は佐賀から来た亀川さん。 本気で農業やる気です。

やっぱ日記と言えども、公開する以上ちゃんと取材は必要なのである! 猛省。

 

さて次に、川里賢太郎がブログを見て、ちょっとちょっとエビさん勘弁してよ、

とばかりに写真を送ってよこした。

「オイラの久美子です。 頑張って農作業もやってますよォ!」

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・・・・・って言いたいワケだな。

堆肥を切り返す妻。 よく分かった、頑張ってる、ウン。

 

東京は小平の花小金井という町で、無農薬で野菜づくりに励む若いカップル。

東京の食と緑を支えてくれ、なんてたいそうなことは言わない。

二人で仲良く、農業は楽しい! (つらい時もあるだろうけど)

を実践してくれると、ぼくらも嬉しいです。

 

前からの姿も見たい? 見たいでしょ。 じゃあこれも一緒に。 

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分ぁったよ、シアワセなのは。 ようく分かった。 楽しくやってくれ。

改めて、心から、

「おめでとうございます!

 久美子さん、くれぐれもケンタローをよろしくお願いします。」

 

 

さてさて、最後におまけの一枚。 こちらはコータローです。

届いて三日経ってしまったけど、食べる前に撮ってみた。

長野県南佐久郡佐久穂町に入植した元職員、遠藤幸太郎&優理子の作品。

無農薬で育てたトマトです。

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以前に紹介した時は、佐久の有機農家で修行中だった二人が、

就農して2年目を迎えた。

ご多聞にもれず、ハウスが浸水するなど雨に苦労させられたようだ。

それでもトマトは最盛期を迎え、元職場にも送られてきた (買ってくれ、という意味) 。

立派なトマトである。

今年は有機JASも取得した。 こちらも頑張っている。

「生産者になって、農薬を使わないということがいかに大変か痛感していますが、

これからも初志貫徹したいという所存です」 なんて書いてある。

 

末尾が憎たらしい。

「幸太郎、優里子、みのり ともに元気に毎日を楽しんでいます。

 皆様も誇り高き大地を守る会の仕事を楽しんで、体に気をつけて励んでください。」

 

 - 温かい励ましのお言葉、有り難うございます。 精一杯励ませていただきますよ。

 

・・・と、こんな楽しい日記を書いている脇で、

会員サポート・グループから相談を受けた一件に取りかかっている。

「有機農業で育てた農産物は安全 -というのは科学的にみると間違いです」

という記事に対する見解をまとめよ、というものだ。

整理でき次第、展開してみたいと思う。


 



2009年8月 9日

川里賢太郎を祝う

 

川里賢太郎。

東京都下は武蔵野台地の一角、小平市というベッドタウン地帯で、

葉物を中心に栽培する都市農家。

まだ30代半ばの、次世代を担う農業後継者の一人である。

親父さんの弘さんは東京有機のメンバーで、大地とは古くからの付き合いだ。

そのケンタローくんが今年の2月28日、大地を守る東京集会の日に挙式した。

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そこでだいぶ日にちが経ってしまったが、恥ずかしがって固持するご両人を説き伏せて、

遅まきながら大地職員で一席用意することになった。

昨夜、賢太郎を知る関係者が吉祥寺に集まる。

残念ながらお連れ合いの久美子さんは体調が悪くて来れなかったのだが

(「もしや・・」 とオッサンどもはすぐに別なことを考えるのだが、「それは、ないです」 )、

ま、それは仕方ないこととして、

こじんまりと、ゆるーい感じで談笑しながら、結婚を祝う。

 


実はケンタローくん、

農大を卒業した後、少しは社会勉強をしてから農業に就きたいと考えて、

縁あって大地を守る会の配送代理店に就職した。

宅配の配送員を勤めること2年。 けっこう会員さんからも人気があった。

バレンタインのチョコを貰ったり、「ホント、会員さんにはよくしてもらいました」。

退社するときにお礼の手紙を貰った感激は今も忘れないという。

好青年を絵に描いたような男。

 

みんなで色紙にメッセージを寄せて、順番にお祝いの言葉を述べる。

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立って喋っているのは広報室の大野由紀恵。

最近マスコミから近郊農家の取材依頼があると、

川里賢太郎の名前を挙げることが多い -ように思うのは、私だけだろうか。

もしや、ケンタロー結婚に、深くショックを受けた女性の一人か・・・・・

e09080908.JPG (大野が脇にくっつきすぎるのでカット)

 

さて、久美子さんは都下・秋川の方の出身で、和菓子屋さんの娘さんだとか。

結婚式の写真を見て、 「辺見えみりに似てる」 と誰かが言った。

笑顔の可愛い、快活な感じのお嬢さんだ。

まだ畑仕事はしてないけど、袋詰めとか出荷の手伝いをしてくれるので助かっている。

「彼女のことだから、いずれ畑に出ると言ってくれると思ってます。」

お父さんの弘さんも本当に喜んでいるらしく、家庭も賑やかになったようだ。

よかった、よかった。

 

東京有機の代表、阪本啓一さん。

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こちらはますますオヤジの吉五郎さんに似てきて、

すっかり貫禄がついている。

 

二人のために用意したささやかなケーキ。 

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しょうがないから賢太郎一人で消してもらう。

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おめでとう、賢太郎!

シアワセ一杯の家庭を築いて、ますますいい野菜が届くことを期待しております。

では賢太郎様よりひと言-

「 大地さん。 どうか配送員を大事にしてやってください。 」

くぅ、泣けてくるねー。

 

では、みんなからのお祝いは何がいい?

-扇風機をください。

 

ということで幹事の町田君が扇風機を買いに行くことになりました。

時節柄です、急ぐように。 

 

最後に、この場を提供いただいた吉祥寺のお店、『 Loft Dining 具u 』。

群馬県倉渕村 (現:高崎市) に入植した元職員、

和田裕之・岡佳子夫妻の野菜を取り寄せて、使ってくれている。

店長のさんとーさん。

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フレッシュな野菜中心の料理、美味しかったです。 ご馳走様でした。

つい、くつろいでしまいました。

またお邪魔させていただきます。

 



2009年8月 1日

今年の北海道はキビシイ・・・

 

7月30-31日、北海道は積丹(しゃこたん) 半島に行ってきました。 

観光ではありません。

北海道の大地を守る会生産者による、年に一回の生産者会議が行なわれたのです。

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ウチの田舎(南四国) も似たような景観だけど、岬の山の格好が違う。

それに空気、というか印象が違う。 

寒くて岬の上に霧がかかっていたからなんだろうか、やっぱり厳しさを感じるのだ。

ウチの方は佇まい全体がのんびりしている。

 

早朝から船が出ている。 ウニ漁だね。

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そんな積丹町の総合文化センターに、生産者や事務局・理事含め総勢51名が集まる。

『第19回北海道生産者会議』 -始めてからもう19年になった。

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今年はちょっと参加者が少ないか...... 

どうやら会議どころではない雰囲気なのだった。


僕は事情により2便遅れて到着したので、最初の講演は聞けず。

「北海道の有機農業の実情とこれから」 というタイトルで、 

北海道農政部の中川秀弥氏から道内の有機農業事情が報告されたはずである。

中川氏の部署は、

「農政部  食の安全推進局  食品政策課  クリーン・有機農業グループ」 という。

しっかり有機農業を進めるための部署をつくっているのだけれど、

それにしても長いね。

 

講演の後は、今回の受け入れ幹事を務めた高野健治さんと5名の生産者による報告と、

それをもとにした意見交換の時間が持たれた。(僕はこの途中から参加)

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左から、大地の長谷川理事(司会)、道農政部の中川氏、

続いて高野健治、大作淳史、平訳優、徳弘英郎(どらごんふらいメンバー、元大地職員)、

瀬川守(当麻グリーンライフ代表)、柳沼雅彦(北斗会事務局)、の各生産者たち。 

それぞれに近況報告をされたが、共通していたのが今年の厳しい天候事情である。

6月から7月まで、雨ばかり続いていたという。 

7月だけでも、道全体で平年の270%(!!) を超える降雨量を記録した。

日照時間は65%程度、平均気温も1.8度下回っている。

ヤバイ・・・ ドキドキしてくるほどのヤバさだ。

収穫期を迎えた小麦が風雨で倒れているらしい。

 

「こんな年は今まで経験したことがない」 (平訳さん)

「父もそう言ってます」 (大作さん)

「せっかく北海道の米の評価が上がってきている時。

 何としても品質のいい米に仕上げたいのだが、とにかく心配です」 (柳沼さん)

 

折しも中国・九州の集中豪雨は人命まで奪う被害を出すなど、

ことは北海道だけではなく、すでに市場では野菜が急騰してきている。

 

二日目は高野さんの畑を見て歩く。

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小豆の畑。 ここはいいねぇ、と皆が言う。

今年でこれだけ良けりゃ万々歳だよ、とも。

それだけ各地は厳しいのだろう。

 

こちらはジャガイモ畑。 品種は「ワセシロ」。 

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手前から先にかけて真四角に茶色くなっているのがエキ病。

右隣はエキ病に強いと言われて植えてみた新しい品種-「さやあかね」。

見事に違いが出ている。

これがエキ病の姿。

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これでは収穫はかなり厳しい。

 

しかし高野さんは飄々と、「おれは農薬は撒かないからね」。

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トウモロコシは良さそうだ。 

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最近、ハチを見つけると、つい撮ってしまう私。 

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当地に入植してウン十年。

(すみません、思い出せません。。。 20年から30年の間だったと思うが・・・ ) 

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高野さんはいよいよ家を新築する。

頑張ってきたんだねぇ。 そうだよう~。

飄々さに自信のようなものを感じたのは僕だけではないのでは。

 

歳は伏せておこう。 

新婚なのだ。

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お連れ合いの美保さん。 そして生(いきる) ちゃん。

 

「まあ皆さん、良い年もあれば悪い年もある。 必ず良いことも巡ってきますから。

 元気出していきましょう。 」 

ある境地に到達しつつある、と見た。

 

最後に記念撮影。

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最前列の右端の女性は、え~と、どこだったっけ? スェーデンだったか・・・

とにかくヨーロッパからの研修生。 左から2番目の娘さんはニッポンからの研修生。

高野農場には研修生が絶えない。

 

かなり記録的にヤバい年になりそうな気配を抱きつつ、北海道をあとにする。 

高野さんのセリフに励まされながら-

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2009年7月29日

杜氏に感謝

 

ここは港区高輪、駅で言えば泉岳寺。

5月28日の日記で紹介した地酒と蕎麦の店 「良志久庵(らしくあん)」 にて、

宴席が催されたので、出席する。 

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我が大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人 (たねまきびと)」 を造っていただいている

大和川酒造店(福島県喜多方市) で長いあいだ杜氏(とうじ、「とじ」とも) を務められた

安部伊立(あべ・いたつ) 氏の労をねぎらい、感謝する宴である。

安部杜氏は現在は引退しているが、蔵には機会あれば出張ってきてくれている。

 

今回集まったのは安部杜氏に手ほどきを受けた酒造り体験グループの皆さん。

大地を守る会では造りの体験まではやってないけれど、

大和川さんにオリジナル酒をお願いしてよりかれこれ16年、

毎年2月に開かれる大和川交流会には、今も新潟から駆けつけてくれるほど

杜氏には随分と親しくしてもらっている。

娘のように可愛がってもらった元職員もいたりして、

ぜひどうぞと声をかけてくれたのだった。

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記念の一枚を頂戴する。

「杜氏、お元気でなによりです。」

「いやいや、エビさんも白くなったのう」 と頭をなでていただく。

 


越後杜氏・安倍伊立、78歳。

人生を米と酒造りに傾注して60余年。

丁稚奉公 (でっちぼうこう、今では死語? ) から始めて、群馬、福島、愛知の蔵を経て、

大和川酒造に入り40年を勤め上げた。 

職人気質の厳しさを持ちつつも、素人の酒造り体験も喜んで受け入れ、

日本酒文化の心を伝える姿には優しさがあった。

それゆえか、スケベ爺(じじい) の一面も可愛い色気に見えるのだろう、

不思議に女性陣にモテるのだった。 我々野郎は敵わない。

 

参加した専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーと。

 

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右端が、娘のように可愛がってもらった元職員、陶文子。

生き物博士・陶武利の連れ合い。 今や二人の愛娘のママである。

 

みんなに囲まれて、喜んでくれる杜氏。

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感謝の記念品と花束が贈呈される。 

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最後にみんなで記念撮影。

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たかが日本酒、されど日本酒。

良い酒は水や土とともにあり、人をつなぐ。

 

杜氏へ。

小千谷に帰って、これから米づくりの正念場ですかね。

豊作でありますよう。

そして来年の2月、また元気でお会いできることを願ってます。

 

良志久庵の熊さんにも感謝。

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喜多方に家族を置いて単身赴任状態。

自分用に大地の食材が欲しいとのこと。 今度は食料持って慰問に来ますね。

 

最後に、佐藤和典工場長。

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種蒔人基金を立ち上げてから、工場長も

水の源・飯豊山の環境保全に動いてくれている。

7月には、山小屋周辺のゴミ清掃登山を決行したとの報告があった。

送ってくれた写真を掲載したい。

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メールには、「行政もようやく本気になってきました」 とある。

「種蒔人」 を飲んでいただいている会員の皆様。

これがこの酒の力、です。

改めて呑ん兵衛の皆様に感謝申し上げます。

そして、1993年、思いだけしか用意してなかった僕らを温かく迎え入れて、

種蒔人 (最初の銘柄名は 『夢醸』 ) をしっかりとファンがつく酒として

仕込んでいただいた安倍伊立名杜氏に、深く感謝します。

 

この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ。

 

基金のキャッチ・コピーです。 自画自賛? でも、悪くない、よねぇ。

 



2009年7月 6日

八郎潟から白神へ (Ⅱ)

 

二日酔いの最高の良薬は、うまい空気と清い水だ。

念願の白神山地を、黒瀬さんたちと歩く。 

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広葉樹林の森の中でもブナ林帯は、いつも水に覆われているようで、

最高の森林浴だと思う。

 

白神山地は、青森・秋田両県にまたがる標高1000~1200m級の山々で構成される。

人為の影響を受けず、分断されていないブナ原生林としては世界最大級で、

ほぼ純林として残っている。 ブナ林は保水力が強く、数々の川の源にもなっていて、

多種多様な動植物を育む。 もちろんヒトの生活水も賄ってくれている。

 

世界自然遺産に指定された区域のコアゾーン (核心地域) は約1万ヘクタール。

この地域にヒトが入るのは指定のルートに限られ、かつ届出が必要となる。

しかも秋田県側は学術調査や取材に限って許可が出る、入山禁止エリアである。

その周辺にバッファーゾーン (緩衝地域) が約7千ヘクタール。

僕らが今回歩いたのは、その外にある田苗代湿原 (たなしろしつげん:秋田県藤里町)

という地帯。 世界遺産区域から見れば麓にあたる位置だが、

紛れもない白い神の宿る山系の一角である。

 

水の涌く山を歩く。

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藪を越えると、突然、ここは涅槃 (ねはん) の地かと思わせるような湿原が現われた。

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ニッコウキスゲの群落だ。

 


黒瀬さんは、この時期を選んで誘ってくれたんだね。

草取りで忙しいっていうのに。 

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花弁を思いっきり広げて虫を呼ぶ。 この行為には意思がある。

この形も、色も、香りも、必要とする虫を集めるためにレベルアップさせてきたのだ。

虫たちに花粉を運ばせて、性質の違う個体と受粉させることによって、

植物は自然界への対応力 (多様性) を豊かにし、種を繁栄させようとする。

数億年の時間をかけて、花 (植物) と虫 (動物) が築きあげてきた共進化の形がある。

 

ドウダンツツジ。 -だと教えてもらう。

こういう姿を可憐だと表現したりするけど・・・ ああ、日本語をもっと究めたい。

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若い頃は、花の名などには興味がなかった。 

エコロジストっぽい講釈垂れたりしながら、

山はただ逞しい自分が欲しくて登っていただけだったように思う。

だから続かなかったのかな。

 

今は、何だろう・・・

こんな樹々の葉にも、素直に畏怖し、仰げるようになった気がする。 

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圧倒する緑を美しいと思う。 生命の美しさ以外の何ものでもない。

これは成長したのだろうか。 それとも、社会生活に疲れたのだろうか。。。。

 

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老木の風情は、山の守り神のようだ。

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熊や鹿や小動物に齧(かじ) られながら、何百年も大らかに皆を見守っている。

くそ! スゴすぎる。

そんな力強さにヒトも畏敬の念を抱き、その木に名前をつけたりするんだ。

 

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岩の上にタネが落ちたばっかりに大変だったろうが、

しっかり岩を抱え込み、根づいた者もいる。

苔むした岩に草が生え、土になるのにはまだ数百年はかかるか。

植物は、微生物も育てながら、一緒にこうやって土を作ってきた。

ヒトはその表土という名の地球の薄皮の栄養分で生きているのだけれど、

何でか痛めつけるのを気にとめないでいる。

 

ギンリョウソウ。 -だと教えてもらう。

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こいつも何かの役割を果たしているに違いない。

 

ホオノキ (朴の木)。 -だと、これも教えてもらう。

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これがホオノキか。 たしか下駄とか楽器とか、色々と使われている木だよね。

今はどうなんだろう。

 

樹々の葉っぱや枝や幹を伝って落ちながら、雨や雪は大地に蓄えられる。

水はゆっくりと地下に染み込み、沢から谷に落ち、川をつくる。

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この川が、青森の田も秋田の田も潤してくれる。

途中で汚れなければ、近海の海も、だ。

魚は上流の状態を感じとりながら生きている。

 

何度でも言いたい。

水と水を育む生態系はコモンズ (公共のもの) であり、未来のものでもある。

誰の手にも渡してはならないし、今の世代でダメにしてよいという権利もない。

 

この白神山地を世界自然遺産にするには、議論もあったようだ。

世界遺産になるとかえってヒトが入って荒らすことにならないか (このままでいい)。

いや、ちゃんと伝えて残す意味を分かってもらう必要がある。

このまま美しく残すには、残す意思が共通遺産にならなければならない、

ということで登録に動いたのだという。

やっぱり自然の天敵はヒトなのか・・・。 

 

ま、心洗われた、黒瀬さんに感謝の白神体験でした。

 



2009年7月 5日

八郎潟から白神へ

 

昨日から土日を使って秋田・大潟村に行ってきた。

実はこの時期に大潟村に来るのは初めてで、草取りの真っ最中でのお邪魔となった。

 

こんな田んぼの風景、日本ではないだろう。

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一枚が1町歩 (≒1ヘクタール) とか1.5町歩といった田んぼが、

1万5千ヘクタールに及ぶ平野部に整然と固まってある。

平野部といっても、ここは日本第二の湖・八郎潟の湖底だったところ。

1957年から20年、852億円の税金を投入して2万ヘクタールの湖を干上がらせた。

龍に姿を変えさせられた八郎太郎という心優しい男が、

十和田湖から流れ流れて、ここに棲みついたという伝説のある湖も、

大地に変わり、一大米どころとなったのだが、

思いっきり米づくりをしようと入植者が続々と入ってきた頃に減反政策が始まった。

国の政策に翻弄され続けた大地である。

八郎太郎はどこへ行ったのだろう。 天に昇ったか・・・。 

 

ここで無農薬での米づくりに挑戦し続ける黒瀬正さん。 

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減反政策に反対して米づくりをする以上、補助金には一切頼らず、

有機JASの認証も取らない。 しかし文書管理はしっかりやる。

これは彼のたたかいなのである。

 

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大地を守る会は、生産者も多様性に満ちている。


雑草対策は色々と試してきたが、何をどのように駆使しても、

やっぱり人の手は入らざるを得ない。

それにしてもこんな広い田んぼ。

見るだけで気が遠くなってしまう、容易ならざる作業だ。

おばさんたちがお喋りしながらやってくれているのが救いか。

 

黒瀬さんは、新しい有機稲作の技術は貪欲に吸収し、必ず試している。

現地への視察も頻繁に行く。

これは先日の米生産者会議でも登場したチェーン除草機の黒瀬版。

自作して、すでに検証している。

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大きな動力除草機も持っているのだが、

しかしこのほ場条件にあっても、黒瀬さんが今行きついている草対策は、

人力の除草機とマンパワーである。

「やっぱり、これやなぁ。」

 

こうやって除草機を押し、なおかつ人の手を入れる。

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これを3回はやる。

 

目を凝らしてみれば、いろんな虫がいる。

これはゲンゴロウの幼虫。 いっぱいいる。 

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カエルやクモにイトミミズ、タニシ・・・メダカやエビの一種も見つけた。

ここで生き物調査をやってみたいなぁ、という気になるのだった。

 

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減反政策反対の論陣を張ってきたゆえに、ダーティなイメージもついてまわる方だが、

丹念に、地道に、やることはやっている。

 

ライスロッヂ大潟の提携米には、ゆるぎないファンがついている。 

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紙袋にこだわり、封がうまくいかないとなればミシンまで自作する。

すごいもんだ。

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大地を守る会からの注文には、これで一袋一袋、封をして送ってくれる。

お手数掛けます。

 

コンクリ打ちから鉄骨の組み立て、機械の改良まで、

自分でできることは徹底して自分でやる。

黒瀬さんの倉庫には、随所にオリジナルの工夫が施されている。

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元滋賀県庁職員という安定した職場を蹴って、大潟村に入植して40年近く。

「どこでこんなに技術を学んだんですか?」

「何もかんも見よう見真似よ。 百姓は何でも自分でやるのよ」

と笑う黒瀬さん。 その創意工夫、飽くなき試行錯誤に脱帽する。

 

さて今回、この時期にやってきたのには、もう一つの目的がある。

世界自然遺産にも登録された白神山地のブナ林を見に行こう、

というお誘いを黒瀬さんからもらったのだ。 (続く)

 



2009年6月19日

自家採種で食文化と自立を守る

 

はて、軒下にぐるぐると巻かれてある、これは・・・・・・ 

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大根の種です。

 

こんな感じで保存、いえ莢ごと乾燥させているところですね。 

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ここは埼玉県桶川市、中村三善さん宅の倉庫。

中村さんは 「秀明自然農法ネットワーク」 という団体の役員をされている生産者で、

お母さんが自家用に栽培している野菜以外は、すべて種を採っている。

つまり種を買って、野菜を全部出荷するのでなく、

良い個体を残し、花を咲かせ、実を成らせるのだ。

秀明自然農法ネットワークは、「自然農法」 の創始者、岡田茂吉師 (1882~1955) の

教えを受け継ぐ団体のひとつ (自然農法を標榜する団体は複数ある) で、

無農薬・無肥料を原則とする。

そこは家畜糞尿の健全な (の一語は入れておかなければならない) 循環を

是とする有機農業とは技術体系が異なる。

 

しかし今日はべつに自然農法を論ずるために来たのではなくて、

種取り技術を学ぶために、全国から生産者が集まったのだった。

『 第2回 自家採種生産者会議 』 。

中村さんも喜んで受け入れてくれて、小川町の金子美登さんまでやって来てくれた。

 


この人が中村三善さん。

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自然農法のイメージとは違って、リアルに農業経営を語ったりする感じがいい。

僕的には、おもしろ農民 (この用語は大地を守る会顧問・小松光一さんのものだが)

の一人である。

それでもって、種取りに関しては徹底している。

 

そこにこの人の登場。 金子美登さん。

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全国有機農業推進協議会会長。 この人もまた種にこだわり続けている方だ。

大地を守る会の20数年に及ぶ生産者会議の歴史にあって、

今回の集まりは、もしかしてかなり意味のある会議になったのではないだろうか。

テレビ局も2社、取材に入った。

 

中村さんの大根の種取り現場。

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大根は実は多年草で、放っておけばでっかい樹になるんだそうだ。

威勢の良い大根を残し、植え直し、花を咲かせ、種を着かせる。

経済効率から言えば、とてもできない作業である。

 

こちらは玉ねぎ。

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玉ねぎは最も採種の難しい作物だと言う。

「ようやく玉ねぎも採れるようになりました」 と。

ってことは、長年 「札幌黄」 という品種を残してきた北海道の大作幸一さんという人は、

恐るべき玉ねぎの達人なんだと、改めて思うのだった。

 

種を採る -農民の本能は、相当にくすぐられたのではないだろうか。

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これは-

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キャベツが割れ、茎が伸び、種をつけた姿です。

 

見学の後は、座学。

次の登場人物は、野口種苗研究所の野口勲さん。

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固定種 (特性が安定し種が取れる品種) の販売を専門とする種屋さん。

生命の誕生から説き起こし、多様に分化しながら進化してきた生命の奥深さと、

いま進んでいるタネの独占の危うさが語られる。

 

生きる上での根源にあるタネの世界を、僕らはあまりに知らないでいる。

正確に言えば、知らないうちに変質してきているのだ。

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その究極の世界が遺伝子組み換えである。

 

この地球という星のあらゆる場所で、その地域の気象や土壌条件に合った生物が土着し、

それをもとにヒトも含めた生命連鎖が成り立っているはずなのだけれど、

いつの間にか多国籍企業という巨大資本に支配されつつある。

これは人々の自立が奪われることに等しくはないか・・・・・

いや、この星の生命力が失われてゆくことではないか、と言いたい。

 

有機農業というのは、結果として得られた食べ物の安全性を謳っているだけでなくて、

農民が地域の風土とともに生きて、

それによって地域の自立 (自分たちの意思で生きられる権利) や

その土地の食文化を守ろうとするものである。

だからこの地に根づいたタネというものを、自分たちの手で守りたいと思う。

 

少なくとも、植物が交配 (セックス) することを特許の侵害だと訴えるような、

そんな者どもにはゼッタイに支配されたくない、とだけは言わせてほしい。

風や蝶やミツバチたちが花粉を運んでくれることを喜ばずして、どうするよ。

 

世界は " 遺伝子組み換え Vs.有機農業 " の様相を呈してきているような気がする。

タネは、死守しなければならない。

 



2009年6月 4日

トマトを究めよう。

 

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第3回全国施設園芸生産者会議 を開催する。

 

謹啓。

若草色の幼葉が透き通った風に吹かれるたびに色を変えていくように見えます。

毎年春は駆け足で過ぎてゆくように感じられます。

生産者の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

金融資本主義と新自由主義がもたらした世界的不況は、

底を打ったまま新たな展望を見いだせず閉塞感の漂う時代状況が続いています。

この状況を打破する道は、従来の価値観から脱皮した新たなベクトルで

経済の枠組みを構築する必要があると思います。

そのなかで小さな希望の光を見い出しているのは第一次産業への視線です。

・・・・・

 

生産者会議の案内文は、大地を守る会理事・長谷川満が書く。

広報上がりの僕は、つい赤を入れたくなったりした時期もあったのだけど、

今はもう、彼の文調こそがいいのだと思うようになった。

長谷川さんの最初の2行は、いつも温かくて、気を込めようとする意思を感じさせる。

やっぱり大先輩なのである。

 

しかし今回は、そんな前置きとは裏腹に、けっこう厳しい。

「施設園芸」 と銘打ってはいるが、臨んだテーマはトマト一本である。

もっと美味しくて安全なトマトを作ろう。

講師は、例によって西出隆一さん。

彼の理論で土を蘇らせた生産者からは、師と呼ばれているカリスマ。

理論 (科学) である以上、誰ともまっとうな会話ができなければならない。

それができるんだから、トコトン突き止めようではないか。

「西出さんが元気なうちに吸収し切ってほしい」

なんて、藤田会長まで本人の前で挨拶する。

 


会場は福島。 受け入れ団体は福島わかば会。

全国から約60名の生産者が集まった。

 

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事前に行なわれていた視察ほ場の土壌分析値を元に、

トマトの樹の状態を観察しながら、西出氏の分析とアドバイスが語られる。

「まだ分かっとらんな、こりゃ」 などと辛口批評は相変わらずである。 

 

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細かい説明は面倒なので省くが (と言って逃げる)、

とにかくすべては理に基づいていて、なぜ病気になるのか、なぜ虫が発生するのか、

それらは微妙な栄養バランスの問題なのである。

チッソの過不足で花粉の粘性まで変わり、蜂の働きにまで影響するとか聞かされると、

もうオイラはとても農家にはなれないと思う。

 

どの世界も、プロの道は厳しい。

自分は、彼らに相応しい仕事ができているか、自問自答の世界に陥る。

そうならないヤツは、己れのプロ意識そのものが怪しい、とすら思う。

 

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生産者の皆様。

詳細はわが部署から送らせていただく 『今月のお知らせ』 での報告をお読みください。

西出さんも推奨してくれた有機農業推進室作成の 『土壌分析のすすめ』 も、

お手元にない方にはお送りしますので、お申し出ください。

 

西出さんは、具体的な病害虫に対する処方箋もテキパキと答える。

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1936(昭和11) 年、金沢の米農家に生まれる。

中学時代から農業を目指し、東京大学農学部を卒業すると同時に、

実家に戻り農業に従事する。 1988年、能登半島の穴水町に入植して今日に至る。

トマトの施設園芸の他、露地栽培ではキャベツ、ブロッコリィ、カリフラワー、大根、

白菜などを栽培するが、本人曰く、「ワシの専門は稲や」 。

 

この口の悪い、しかし誰よりも勉強したという先達を、

一回呼んでみてみようか、という方がおられたなら、名乗り上げられよ。

 

自分のまったく与り知らない事由で消費が冷え込んでいく時代にあって、

もう一歩、まだ一歩、と研鑽を重ねてくれる生産者を、有り難いと思う。

トマトという作物。 美味かったり、味が乗ってなかったり、ホントに難しいと思う。

この人たちにどうタイアップできるのか。

毒舌の西出師からは、

「あんたらのトマトを買ってくれる大地っつうところは奇特な団体や」

とか言われてしまうが、

生産者が栽培をまだまだ究めたいと励んでくれるなら、

こっちはこっちで奇特の極みまで行ってみてやろうか、とか思うのだった。

 



2009年6月 1日

「太陽の会」 の田植え -耕せるか、生物多様性

 

昨日は、5月1日の日記で紹介したNPO 「太陽の会」 の田植えの日。

千葉県佐原(現香取市) の篠塚守さんに受け入れをお願いした手前、

放っておけず、付き合うことにした。

5月に2度目の田植えだ -まあ、嫌いじゃない。

 

大学生から中学生まで、24人の若者たちが集まった。

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どういうネットワークで集まってきたのかはよく分からないけど、

実に屈託のない最近の若者ども。

生意気な口をきくかと思えば、それでいて行儀はいい。 

 


初顔合わせの人たちも多いようで、まずは輪になって自己紹介。

A大学、M大学、K大学、〇〇高校、××中学・・・・・

今年卒業して大学院を目指しているという女性もいた。

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ここでもまた秋の稲刈りまでの体験シリーズが始まった。

今回のテーマは、「 耕そう、生物多様性 」 だと。

 

4月に入ってからの依頼にもかかわらず、快く田を提供していただいた

篠塚守さん。

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1993(平成5)年、"平成の大冷害" とか言われて米パニックの起きた年、

篠塚さんは周りの方に米を配ってあげて感謝された。

それを機に、勤めを辞め専業になった。

専門でやるからには有機・無農薬でいこうと決めた、という。

有機JASの認証もいち早く取得した。

 

田植えの手ほどきをする篠塚さん。

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一列に並んで、田植えの開始。

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みんな田植えは初めてだという。

驚かされたのは、オタマジャクシを見るのも初めてという大学生がいたことだ。

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オタマジャクシやカエルに感激し、ヒルに怯え、

田んぼのヌルヌルに歓声を上げ、キャーキャー言いながら、

それでも真面目に植える青少年たち。

 

作業はスムーズに終わり、楽しくお昼を食べる。

篠塚さんの奥さんが握ってくれた黒米のおにぎりの美味しかったこと。

ご馳走様でした。

 

さて第二部は、みんなで感想を出し合い、

篠塚先生のお話を聞く。

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田植えもオタマジャクシも初めてという若者たちが、

生物多様性や減反や自給率についての質問をしてくるんだから、面白い。

 

たくさんの生き物のつながりが暮らしの基盤である環境を支え、食料生産を安定させます。

有機農業の思想と技術は、食の安全から環境、そして生物多様性を育むものとして

発展してきました。 それは害虫を " 有害な (殺してよい・無用な) 虫 " でなくさせる

 「平和の思想」 でもあるのです。

 - とついつい自分も得意の一席をぶってしまう。

でも事務局長の岩切勝平くんも喜んでくれたので、よかったことにしたい。

 

「ここの集落でも、専業農家は2軒になっちゃった」

地域の高齢化を心配する篠塚さん。

たった1時間弱の農作業に感激して、「ワタシ、農家の人と結婚したい!」

などと能天気に気勢を上げる女子学生たちを眺め、嬉しそうに笑ってくれた。

農家と結婚するかどうかは別として、

やっぱり若いうちのこういう体験は、ゼッタイ必要なことなのだ。

食と農業と環境のつながりを、ちょっとでもいいから体で感じてもらう。

改めて篠塚さんに感謝する。

 

話し合いのあと、今日感じたことを、絵日記に描く。

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テレることなく、取り組む。

 

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みんななかなか上手なんで、感心してしまう。

 

次は田んぼの生物多様性をもっと実感できる、

草取りと生き物調査だよ。

植えてしまった以上は、最後まで責任を持つこと。

 

さあ、君たちに耕せるか、生物多様性という世界を。

 

 



2009年5月28日

泉岳寺に良志久庵 (らしくあん)

 

話は前後しちゃうのだが、5月22日(金) 。

大地オリジナル純米酒 「種蒔人」 のふるさとである会津・喜多方の

大和川酒造店の見学蔵- 「北方風土館」 内で営業されている

蕎麦処 「良志久庵」 が、東京・港区泉岳寺にお店を出した。

その情報は得ていたのだが、なかなか行くことができず、

この日にようやくその機会を得ることができた。

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誘ってくれたのは、飯豊山登りや山都の堰浚いでご一緒させていただくことの多い

「のめまろ会」 というグループからだ。

山登りと日本酒を愛する、いや、それで生きているんじゃないかと思えるような

楽しい人たちである。 なんたって " 飲め麻呂 (飲む我) " っていうくらいだからね。

彼らは大和川酒造さんで、自分たちの酒づくりをやらせてもらっている。

体験というような生易しいものではない。

それは原料米の栽培から始まるのだ。

そして出来上がったひと樽分の酒をメンバーで買い取る。

通うこと年に何回になるのだろう。 とても高い酒になる計算だが、もろともせず飲む連中。

メンバーの正確な数も、誰もよく分かってないようだ。

職種もまちまち。 大地を守る会の会員の方もいる。


そんな 「のめまろ会」 の方と、5月4日の堰浚いでの別れ際、

今度は泉岳寺の良志久庵で一杯、の約束をしたのだった。 

それで一気に日程が設定されるところが、この人たちの " 飲み " に対する

ただならぬ行動力である。

 

蕎麦処というより、落ち着いた飲み処の風情だ。

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素材は基本的に会津・喜多方から取り寄せる。

国産素材割合の高さをPRする 「緑提灯のお店」 なんて、メじゃない。

この日は、うるい、わらび、こごみ、こしあぶら・・・・と山菜料理三昧。

 

飲め麻呂にかかれば、あっという間に一升瓶が空いてゆく。 

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「エビちゃん! ダメじゃん。 種蒔人を入れなきゃ!」 なんて叱られる。

-スミマセン。

 

 クマさん、お願いできますか。

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店長の熊久保孝治さん。

「いいよ。 エビちゃんから (大和川酒造)工場長に言っとけばいいじゃん。」

要するに営業できてないオイラが怠慢だったんだ。

 

場所は、地下鉄泉岳寺駅A2出口から5分くらい。

NHK交響楽団のビルのちょい先。

港区高輪2-16-49 カムロビル1階。

この看板が目印。 

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ちょっと見上げる場所にあって、その手前の階段を上がって右手になります。

 

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料理はその日会津から届いたもので考える。

量もわずかだったりするので、お品書きにはシンプルな定番モノしか書かれていない。

「今日は何か入ってますか?」 と聞くのがポイント。

大地を守る会の会員だといえば、もしかしたら・・・・・

 

お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ!

 



2009年4月20日

それでも、世界一の米を作る!

 

フリージャーナリストの奥野修司さんが本を出した。

2005年、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』 で二つのノンフィクション賞を受賞し、

10年前に神戸で起きた 「酒鬼薔薇事件」 を描いた 『心にナイフをしのばせて』

でも評判を呼んだ方である。

 

奥野さんとは2002年からのお付き合いで、だいたい突然電話がかかってきては、

農業関係での取材先を紹介しろとか言うのである。

「大地なら当然こういうジャンルでのすごい人を知ってるだろうと思って...」

と言外に匂わすあたりが、からめ手というのか、なかなか手ごわい。

でもって付き合うオレもオレ、なんだけど。

 

先だっても、文芸春秋社の新しい雑誌 『 くりま 』

(5月臨時増刊号-ほんものの野菜を探せ!) の仕事で、

埼玉の野口種苗さんや熊本の塩トマトの生産者・澤村輝彦さんを紹介した。

それが12月21日のブログ (現代の種屋烈士伝) で書いた、雑誌取材のことだった。

 

奥野さんとの出会いは、

月刊誌 『文芸春秋』 で当時奥野さんが連載していた 「無名人国記」 というルポで、

農業関係での先進事例を取材したいのだが、という問い合わせから始まった。

そこで紹介したのが福島県須賀川市の 「稲田稲作研究会」 の伊藤俊彦さんである。

 

大地を守る会と稲田との間で 「備蓄米」 制度をつくったのが、

いたく奥野さんを刺激したらしく、

奥野さんはルポ 『 福島 「稲田米」 の脱農協 』 を書いた後も、

足しげく稲田を訪ねていたのだった。 僕も知らないところで。

 

で、6年越しでまとまったのが、この著書。 

『それでも、世界一うまい米を作る』  -講談社刊、1800円。

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米の消費が減り、米価も下がる時代にあって、

「それでも、世界一うまい米づくりに挑む」 男たちの物語。

まるでNHKの 「プロジェクトX」 ばりのタイトルだなぁ。

 

それにしてもさすが、丹念に取材を積み重ねたからこそ書けた一冊である。

米は年に1回しか作れない。 したがって、それに挑戦する人たちの真価は、

1年や2年の取材ではけっして分からないのだ。

何度も通い、伊藤さんだけでなく、稲田稲作研究会の岩崎隆会長(当時) や、

無農薬栽培に挑み続ける橋本直弘くんと田んぼで語り合っている。

 

物語の軸は、伊藤俊彦である。

農協マン時代のたたかいから、稲田アグリサービス、そしてジェイラップ設立

と進む経過が、生々しく再現されている。 彼を支え、彼に賭けた農民たちとともに。

所どころで 「エビちゃん」 も登場する。 シブい脇役って感じだな、うん。

 

たしかに、伊藤さんのやった農家の経営改革は凄まじかった。

だいたいの経過は見聞きしていたが、本書を読みながら、改めて感心する。

トマト栽培をミニキュウリに変えさせ、桃の木を伐らせ、農機具を処分させ......

こんな指導者は、おそらく日本にいないと思う。

いつだったか、稲田の生産者に聞いたことがある。

「伊藤さんのパワーと、あの感覚は、何によって培われたんでしょうね」

答えは簡単だった。

「分かんねぇな。 ありゃあ突然変異だ。 いねぇな、あんなの、どっこ見渡しても」

 

詠んでる方がハラハラしてしまうような、大胆でしたたかな農家指導もさることながら、

減反政策に対して 「額縁減反」 という手法で抵抗したくだりなども、

ぜひとも読んでほしいところだ。

米価を守るのは、食管制度でも減反政策でもないことを、彼らは見抜いていた。

必要なのは創造力なのだ。

先日書いた  " 減反政策の呪縛 "  を超えるための答えのひとつを、

奥野さんはあぶり出してくれている。

 

農協批判も歯に衣着せぬ、だね。

まあ  " 脱農協 "  後の逆境を、根性とアイディアで乗り越えていった伊藤さんと

付き合ってるわけだから、当然と言えば当然なのかも知れないけど、

奥野さんも、言いたいことを伊藤さんに喋らせているフシがある。

 

僕らがつくった 「備蓄米」 制度が、そんな物語の基点となって紹介されている。

この時代に、一冊のハードカバーの本になって。  

「俺たちの食糧安保」 なんてサブタイトルまでつけられて。

奥野さんは、伊藤さんに触発されて中国まで取材に行っている。

「食糧安保」 の字句に、彼としての確信を持つ必要があったのかもしれない。

そんなしつこいジャーナリストである。

 

今度奥野さんに会った時には、こちらからけしかけようと思っているテーマがある。

彼にはぜひ、GMO-遺伝子組み換え食品に挑んでほしい。

いつものように、これぞ、という取材先も用意しておくから。

 



2009年4月 4日

桃の花の下で

 

春といえば桜、だけではない。 桃の花です。 

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ここは山梨県笛吹市一宮町。

会員の方々には 『 桃七会 (ももななえ) 』 シリーズでお馴染み

「一宮大地」 代表の久津間範彦さんの桃園で、桃のお花見会が開かれる。

 

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一宮大地の生産者たちに、ネット通販の方や卸会社、自然食品店さんなども大集合。

大地を守る会からは、バーベキュー用に自慢のお肉を用意した他、

職員10名が手分けして純米酒 「種蒔人」 1ダースを持参する。

一宮大地を担当した経験のある元職員も2名参加して、

総勢50名はいたかという大お花見会となった。


3月末に気温が下がったこともあってか、満開の手前といったところだけど、

それでも充分に美しく華やいだ桃の花と香りを堪能させていただいた。

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生産者が用意してくれたご馳走にバーベキュー、各団体が持ち寄った自慢の食材、

地元・甲州のワインにビールに日本酒で、初対面の方とも話がはずむ。

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久津間さんの息子・紀道さんのお連れ合い・裕子さんとお友達の楽団も登場して、

美しい音色を奏でてくれる。 日頃のストレス、一気に解消。 

 

桃の花に囲まれて、う~ん、美しい。   

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紀道さんに送ることにしよう。 

 

こちらもいい感じ。 若手世代の一人、丹澤修・由香子さん夫妻。

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修さんはたしか紀道さんと同級生で、

ラグビーでは有名な日川高校の元ラガー・マンじゃなかったかな。 

彼らの育てる桃や李やブドウだ。 甘いはずである。

 

代表の久津間範彦さん。

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普段はコワい範彦さんも、取引先のスタッフが一堂に会したこともあってか、

本当に嬉しかったみたいだ。

挨拶の途中で声を詰まらせて・・・・・でも声を張り上げて言ったのだった。

「どうか、みんなの力で、日本の農業をよくしてくれ!」

こちらも、グッとくる。

 

田口幸男さんが大事に育てている、白い花を咲かせた桃。

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まだ鉢植えだけど、もしかして、いつか、まっ白い桃の実を成らせるんだろうか。

 

解散後も、宴席は続く。

久津間家の囲炉裏を囲んで、話は尽きない。

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今日は、稲作で言う、田植えを終えたあとのさなぶりの日ではない。

桃農家にはとても忙しない時期なのだ。

これから花を摘み、花粉を集めて、受粉作業が待っている。

勝負の仕事の前の、花に囲まれた束の間の安らぎ、になっただろうか。

明日からの仕事に向って、少しでも精がついたなら、僕らも嬉しいのだけど。

 

一宮大地の皆様には、本当にお世話になりました。

とても楽しい一日だったこと、この場を借りて感謝申し上げます。

今年も美味しい桃がたくさん成りますようにと、桃園に手を合わせて帰る。

 

そうそう、1月7日の日記 ( 哀悼-箱根を走った男の桃 ) で書いた、

故古屋寛継さんの桃は、紀道さんが維持してくれることになっています。

 

 



2009年2月15日

「種蒔人」新酒の完成-大和川交流会

 

昨夜未明から激しい雨が降った。

ここは2月の会津・喜多方である。

大和川酒造店・北方風土館近くの 「あづま旅館」 に宿をとったのだが、

何度も起こされるほどの雨音だったと、同宿のおじさんが語っている。

年々少なくなってゆくなぁと思っていた雪も流されて、

低い雲の下で冷たい風に埃が舞う喜多方の街並みになっていた。

これじゃ冬の会津じゃないよ・・・・・と言っても会津の人の責任ではないけど。

 

朝から飯豊(いいで) 蔵に入り、

去年から野菜セットの取り組みを始めた 「会津耕人会たべらんしょ」 の

今年の企画について、小川光さん・浅見彰宏さんと打ち合わせる。

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そして我らが純米酒 「種蒔人」 の絞りに入るところを拝見させていただく。

浅見彰宏さんは、けっしてただの出稼ぎなんかじゃなく、

大切な冬の吟醸酒づくりの蔵人なのであった。

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製造タンクからパイプを伝って、モロミが絞られ、日本酒になる。 

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タンクの中は、攪拌装置がついていて、2階から確認できる構造になっている。

 

モロミから絞られ、流れ出てくる新酒。

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ビン詰めする前の荒ばしりを飲める機会は、そうないでしょう。

今年の新種を確かめる面々。

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佐藤和典工場長も、みんなの反応に安心した様子。

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いつもは一緒におチャラけている秋田・花咲農園の戸澤藤彦さんも真面目な顔で・・・・・

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新潟・小千谷からこの日のために来てくれた元杜氏・阿部伊立さん(写真中央)。

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「引退してもね、この日だけは欠かせない。

 電車で行けって家族から言われちゃったけど、来たよ。」

 

見学のあと、みんなで記念撮影。

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雪がないのが、寂しいけど、仕方がない。

 

喜多方市街内の旧蔵、「北方(ほっぽう) 風土館」 に回る。

年々蔵の中の様相が新たになってゆく。 

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見学コースという範疇を超えて、多面的イベント会場の機能を備えてきている。

 

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見学のあとは、待ちに待った交流会。

俺たちの 「この世の天国」 体験。

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九代目佐藤弥右衛門を襲名した社長。

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「農を変えたい!福島集会」 実行委員長も務められた小林芳正さんも来てくれる。 

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そして原料米・美山錦の生産者、稲田稲作研究会の業師たち。

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このネットワークこそ、僕の誇りである。

田んぼの畦で冗談めかして語り合い、遊び心で挑んだ酒造りが、

米文化の奥深い水脈に触れることとなり、また人のつながりを与えてくれた。

事業イメージを互いに広げあいながら、僕は育てられてきた。 種蒔人に。

人を裏切るわけにいかない仁義を持ってしまうってことは、しんどいかもしれない。

でも・・・しんどい時に働ける意地を持っていることは幸いだろう。

どんな時だって、オレが先にへたるワケにいかないと思っている。

 

今回も絶妙な食材でもてなしてくれた料理人・クマさん。

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4月には東京に進出する。

その時はまた追ってお知らせさせていただきたい。

 

お酒が人をシアワセにすることは、ある。

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ただしそれには、魂が必要だ。 

 

二日酔いも楽しく、北方風土館の水を飲んで帰る。

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酒といっても、米といっても、

いのちを支える根っこは水だと思う、二日酔いの朝である。

いや、そうじゃない。

水と空気と食いもの、そして、いい仲間、だろう。

 

それをつなげられる一本の酒を世に出せた、という自負がある。

 



2009年2月13日

" 死のロード " 最終回は松島海岸で

 

産地での新年会シリーズも、最終回を迎えた。

2月12日、宮城県は松島海岸までやってくる。

宮城県下の、農・畜・水の大地を守る会の生産者が集まってくれた。 

去年までは仙台黒豚会の新年会として開かれていたのを、

今年から、農産生産者(米・穀類・野菜)も、水産生産者も集まってやろう、

ということになったものだ。

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第一部の、真面目な 「大地からの報告」 会を

吉田和生・生産グループ長と私とで務めたあと、

郷里の岩手で講演をやってきた藤田会長が宴会から合流する。

 

この新年会シリーズを、つい  " 死のロード "  なんて言ってしまったのが、

受けたか、それとも失敬なヤツと思われたか、

よく分からないまま、宴会へと突入する。


一産地での、じっくりとした飲み会もよし。

また一方で、複数の産地合同での飲み会は、

近いけど普段は会うことのない生産者同士の新鮮な出会いであったり、

あるいは改めての情報交換の場にもなったりする。

あんたとこの牡蠣ガラどうしてる? 

ウチで使えないかなぁ -なんて話になったりしてね。

地域での資源循環づくりは、秘かに画策しているところである。

 

しかもこういう場は、集会と違って夫婦で参加してくれる方も多い。

米とニラの生産者、石井稔・洋子さん夫妻。

「農を変えたい!東北集会」では、新規就農の相談員をやってくれた方だ。

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おなじみ、蕪栗米生産組合の千葉孝志さん。

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冬水田んぼはだんだん有名になっていくけど、本当にそれでいいのか、

彼には実は迷いもある。

 

こちらは大豆の生産者、高橋伸さん。

麦と大豆で100町歩(ha)、しかも有機JASも取得している。 想像できるだろうか。

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僕のブログも見てくれていたのか、

「オレらは減反がなかったら、やってけないんですけど-」

と言われる。

つまり米の減反政策 (転作奨励金) のお陰で大豆や麦でも採算が合っているんだと。

でもね。

「米を作らせない」 ために補助金を使う (転作作物として麦や大豆を作る) んじゃなくて、

とても大事な作物であるのに自給率の低い麦や大豆の生産は

ちゃんと維持する必要があって、「そのために」 税金を使うべきじゃないだろうか。

これは似てるようで違うんだと、僕は思っている。

 

減反政策をやめたら、伸くんのところはみんな米を作るんだろうか?

-いや、作らないでしょうね。

 今はもう、田んぼを荒らさないで維持してくれれば、と言う人が増えている。

 でも手放すことはしない。 だからオレはどんどん引き受けて麦と大豆を有機で作っている。

 

複雑な農村の現状を、彼は前向きに受け止めている。

彼には彼なりの経営感覚があって、

ただ好きなだけ米を作ればいい、なんて考えてはいない。 それでいいと思う。

彼の大豆は、大地を守る会の豆腐や醤油になっている。

とても大事な生産者なのである。

その豆腐や醤油を支えているのは税金ではない。 消費者なのである。

 

そんな東北の農産物を、いつも何とかしたいと語る遠藤蒲鉾店さん。

今日は家族3人で参加。

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会社の経営を支えるのは奥さんの由美さん。

右は長男の哲夫さん。 貫禄がついてきた。

 

仙台黒豚会からは4名参加。

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ウ~ン、、、このメンツをまとめるのは大変ですね。

 

僕にとってお久しぶりは、奥松島の牡蠣の生産者、二宮義政・貴美子さん夫妻。

二宮さんと大地を守る会のお付き合いの歴史は、僕の大地暦と重なる。

もう四半世紀も前になるけど、まだ信用もできかねるような大地と取引をしてくれた

水産生産者をなんとか応援しようと (実はこっちの心意気を生産者に示したかったのだ)、

奥松島ツアーを計画したことがあった。

なかなか人が集まらず、結局ワゴン車2台だけでの訪問となった。

それが夜になると、消費者同士で喧嘩が始まって、若い職員(エビ) はうろたえて・・・

二宮さんは、しっかり覚えてくれていた。

楽しかったねぇ。。。。 いや、ホントに (冷や汗)。

あの頃から貴美子さんは石けんの普及にも奔走したんだよね。

一時、体調を崩された二宮さん。 お元気なお顔を拝見できて、嬉しいです。

 

そんなウルルンもあって、ロードの最後は、カラオケとなった。

オジサン連中の楽しい醜態も撮ったけど、機微な個人情報なのでここでは控えて、

若手の生産者と職員の絶叫風景を一枚。

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大地職員は、溜まっているのか・・・・・

オイラも唄う。 唄いまくる。

ロード、終了。 

松島の風景は、記憶になし。 ちょっと寂しい。

 

翌日は、千葉孝志さんの案内で、

田尻町(現・大崎市)の、冬の蕪栗沼と田んぼを見て帰る。

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蕪栗(かぶくり)沼

-世界で初めて、田んぼが野生生物保護のための貴重な湿地として

ラムサール条約に登録された場所。

 

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ここも元は田んぼである。

台風や洪水対策のための調整湿地にした場所だが、

それによって野鳥の楽園となった。

千葉さんの田んぼも含まれている。

 

渡り鳥・ガンの大群を見たかったのだが、

暖冬のせいか、いつもより旅立ちが早いのだとか。

沼には白鳥の姿だけがゆったりと佇んでいた。

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ここの白鳥は、人間を警戒はしているが、敵だとは思っていない気がする。

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多様な生物の共生社会は、これからの時代に

さらに説得力をもって人の心をつかんでいくはずだ。

その基盤につながって、我らの農業もありたいものだ。

 

ロードのご褒美は、「大和川交流会」 か。

その足で、会津・喜多方に到着。

今夜は、喜多方の居酒屋-「田舎屋」 のカウンターで一人、しっとりと飲む。

 



2009年2月 8日

きのこが循環を支えるのだ ‐ 新年会・群馬編 ‐

 

続いて産地新年会・群馬編を。

2月5日(木)、場所は群馬県前橋市三夜沢町。

赤城山南麓、赤城神社参道口の脇に構えられた三夜沢きのこ園

-会社名は 「自然耕房 (じねんこうぼう) 株式会社」 にて開催。

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左が事務所。 右が直売店、その奥が舞茸(マイタケ) の栽培施設。

ここに群馬各地から37名の生産者が参集。

ジャンルも、米、野菜、養豚、こんにゃく、梅、花、大麦、そしてきのこ、

とバラエティに富んでいる。

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例によって藤田会長の開会挨拶から。

今年の新年会の挨拶となれば、やっぱり世界経済から始めざるを得ない。

100年に一度といわれる世界同時不況の波。

名だたる大企業が次から次へとリストラに走る時代になってしまったが、

これは価値観を変えるべき時代に入っているということでもある。

若者たちを元気づけられる社会につくり直さなければならない。

それには農業の活性化が必要だ。

有機農業を先進的に担ってきた皆さんと一緒に、今年もその先陣を走りたい-。

1月早々にキューバの有機農業を視察してきた話も今年のネタのひとつであるが、

この話はいずれ改めて取り上げたいと思っている。

 


続いて、今回の幹事を引き受けてくれた自然耕房代表の佐藤英久さんから

挨拶と会社概要の説明がある。

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佐藤さんは、前身は冷蔵設備の仕事をされていた方なのだが、

とにかく自然循環に関わる仕事をしたいと、

1995年、きのこ栽培を主体にした今の会社を立ち上げた。

準備資金ゼロ、公庫からの借り入れだけでスタートして13年。

「あと1年で、何とか自分が思い描いていた形が出来上がる」

というところまで漕ぎつけた。

その資金繰りというか、いろんな名目の融資を利用しながら綱渡りで会社を大きくしてきた

経過は、並みの苦労ではなかったようだ。 詳細は伏せておくが、

「とにかくちゃんと返済さえやってれば、お金は借りられるんです」

と佐藤さんは胸を張っている。

13年で社員118名。 半分近くが60歳以上。

設立時からのメンバーの中には、80歳を超えてなお現役で働いている人もいるとか。

障害者の雇用も積極的に受け入れている。

 

佐藤さんが描く循環とは、こんな形である。

広葉樹の山から原木が伐り出され、しいたけ栽培に使われる。

役目を終えた原木は、オガ粉にして、今度はマイタケの菌床として利用される。

マイタケをとったあとは、さらにヒラタケ属やいろんなきのこの菌床として再利用され、

最後には堆肥となって土に還る。

山もいずれ野生のきのこが生える森にしていきたいと考えている。

大地の循環とともに生きる、と佐藤さんは何度も口にした。

 

これが舞茸の菌床。

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栽培室は大量の自然光が取り入れられる構造になっていて、

太陽光自動追尾式のシステムによって、クリーンで自給型のエネルギー利用に努めている。

一切の薬剤を使わず、仮に何かの有害な菌が発生した場合は、

「徹底的に掃除する。とにかく掃除です。」

 

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香り、味、歯ごたえ、ともに佐藤さん自慢のマイタケ。

 

廃菌床のリサイクルセンター。

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培地は、循環システムの中でふたたびきのこ栽培の原料となり、あるいは

畜産農家での利用、そして堆肥となって土に還る。

袋は自社の燃料に。 目指せ、ゼロエミッションというわけだ。

 

順番が逆になってしまったが、しいたけの原木栽培。

こんなふうにホタ木が組まれている。

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しいたけもよく見ると、可愛いもんだね。 

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会議室に戻って、今度は有機農業をめぐる情勢について、私から報告させていただく。

有機農業推進法の成立と、推進のためのモデルタウン事業が始まったこと。

その動きを後押しした 『農を変えたい!全国運動』 の展開。

農を変えたい運動からは、有機農業の技術の確立に向けたネットワーク組織も

生まれてきていること。

この運動をさらに大きく、かつそれぞれの地域で活かせられるように育てていきたい。

 

群馬でモデルタウンに指定されたくらぶち草の会の代表、佐藤茂さんにも

当地での進み具合を報告してもらう。

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しかしこのモデルタウンというヤツは、生産者が単独で進めてはダメで、

地元行政やJAなどとも一緒になって、「地域の取り組み(事業)」 の形に

しなければならない。

それがなかなか厄介で、行政の理解が足りなかったり、歩調が合わないと

やりたいことも一気に進めることができなくなる。

佐藤さんもだいぶ運営に悩んでおられるようだ。

こういうときは、周りの力が大切になる。

佐藤さんのお世話で倉渕に入植した元大地を守る会社員の諸君、

佐藤さんを孤立させないよう、力になってやって欲しい。

 

夜の懇親会は、え~と・・・割愛。

上州赤木温泉郷の秘湯の宿で、いつまでも話は尽きず・・・・・なのでした。

 



2009年2月 6日

新年会は続く -茨城編-

 

2月に入っても産地での新年会は続く。

藤田会長は、「旧暦なら、まだ正月が始まったばかりですから」

と開き直って新年の挨拶をやっている。

まあたしかに、月暦では一昨日(2月4日/月暦1月10日)が

一年の始まりと言われる立春の日ではあるけど。

 

そんなわけで、今週は産地新年会後半のピークとなる。

2月3日(火)は茨城、一日置いて5日(木)は群馬。

ともに県内の生産者合同での、新年の初顔合わせ。

だいぶ疲れも出てしまっているので、それぞれの様子だけでお許しを。

 

茨城編-

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会場は、つくば市の国民宿舎 「つくばね荘」。

参加者39名。


千葉でもお伝えしたように、新年会といっても、ぼくらはただ飲むだけではない。

ここでは、八郷(やさと、現石岡市)で進められている有機農業推進モデルタウンの進捗について、

その事務局を務めるJAやさと総務課長の柴山進さんに報告いただく。

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旧八郷町は、古くから有機農業が盛んで、しかも新規参入者も多くいる地域である。

JAやさとでの野菜の販売額の20%が、有機農産物で占めている。

有機農業では全国区と言える著名な先進地区なのだが、

「古くから」 ということは、すでに消費者と直接提携して販路を確保している人も多く、

「いしおか有機農業推進協議会」 として立ち上げたものの、

生産者・消費者・JA・行政(市・県)・学者などで構成される運営委員会も、

足並みを揃えるのは容易ではないようである。

それでも新規就農希望者に対する研修制度や就農支援の体制は、

先達の作られた受け皿もあり、さすがに一日の長があるように思えた。

新旧の担い手がうまく連携できれば、農業だけでなく、地域発展の主体にもなれるはずだ

 -と思うのだが、そこは部外者がテキトーな口を挟むのは慎むべきか。

 

宴会が始まれば、そちこちに議論の輪ができる。

話は栽培技術から始まり、農業経営に仲間づくりでの悩み、それぞれの自己史などなど、

皆、真面目である。

県内合同のメリットは、普段は会うことのない人同士の交流ができることだ。

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米専業で有機JASを取得した下館の大島康司さん(左)と、

つくば・中根グループの野菜農家・井坂光男さん(右)。

 

その中根グループ代表の中根剛さん(左)と、下妻市の柴崎賢さん(右)。 

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大地にどうやってモノ申すか、で相談しあっている ...ってことはないか。 いや、あるかも。 

 

圧巻は、このお二人。

八郷の阿部豊さんと、大阪から新規就農した桑原広明さん。

阿部さんは昨年、新しい仲間として桑原さんを迎え、阿部グループとなった。

このたび、グループの名称を  『 頑固な野良の会 』  とした。

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自作の曲を披露しながら、俺たちを挑発する。

「オレが大地と付き合い始めた頃、

 集荷に来る大地のトラックの幌には " 頑固な八百屋 " って書いてあった。

 オレは今、改めて自分のグループ名を " 頑固な野良の会 " と名づけたから。

 大地にも、 あの頃の精神を忘れるな、と言いたい! 」

 

以前にも書いたけど、阿部ちゃんは今年、有機JASの更新をやめる、と決意した。

僕は了解した。

新しい地平を築くのに、有機JASマークはけっして必要条件ではないから。

でもそれはただやめてもいいよ、という意味ではない。

その向こうのイメージがあってのことである。

ぼくらが目指そうとしている " 大地独自の新しい認証の形 " に

阿部ちゃんは共感を示してくれたから、である。

挑発にはこう応えておきたい。

シンボルマーク (それを最近はみんな " ロゴ " と呼ぶ) は変わっても、

変わってはならないものがあることぐらい知っているから、

お手柔らかに、とは言わないよ。 これからも共に、です。 

 

部屋に戻っても、話は尽きない。

玉造 (現・行方市) の堀田義明さん(右から二人目)、

十王町 (現・日立市) の樫村健司さん(左端) と大地職員の語らい。 

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傍らで、音楽で共鳴しあう連中。

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ステージで桑原さんが演奏していた洗濯板のようなモノは、

「ウォッシュ・ボード」 というまさに洗濯板だったが、れっきとした楽器である。

既成の楽器を買えない黒人たちが、身近にあるものを使って演奏の道具にしたのだ。

頑固な野良の会にウォッシュ・ボードか-

 

ジャズにブルースにフォークに・・・・・音楽もまた人をつなぐ。

宿が貸し切り状態だったので、助かった。

 



2009年1月31日

ちば連合!

 

1月末だっていうのに、産地での新年会はまだ佳境の中にある。

しかも今年は例年より規模が膨らんできている。

昨日1月30日は、千葉県下の生産団体に広くお声かけしての、

いわば千葉県内産地合同での開催となった。

各産地ごとにやるよりまとまってやった方が、産地間のつながりも深まるし、

こちらも楽といえば楽だし-

しかしやってみれば、そのぶん連絡や準備や当日かかるエネルギーは増大する。

 

そんなわけで、幹事は産地持ち回りという格好となり、

初の千葉連合新年会の幹事は、さんぶ野菜ネットワークさん。

参加者は、6団体+1個人+大地を守る会職員で、総勢43名。

会場は成田の某ホテルの一室。

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新年早々に有機農業の国・キューバを視察してきた藤田会長の挨拶から始まる。

アメリカの経済封鎖、ソ連崩壊のなかで、有機農業で危機を乗り越えた国、

貧しいけれども医療費や教育費はかからず、医者よりも農家のほうが収入が高い国

に学びながら、私たちももっと食や農業を大切にする国に再生させよう、

というような話・・・だったと思う。 すみません、ウロウロしてたもんで。

 

幹事団体を代表して、さんぶ野菜ネットワークの常勤理事、下山久信さんの挨拶。

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長年、それぞれの地で有機農業に邁進してきた千葉県下のグループが、

大地を通じて、こうして一堂に会したわけです。

これを機にもっと連携を深めて、大きな運動にしていきましょう

・・・というよう話 (がされたはずである)。

三里塚闘争の支援に明け暮れた学生時代から、この地に骨を埋める覚悟で

地元のJAに就職して、支所長まで上りつめ、有機部会を結成して20年。

全国の産直産地のネットワーク作りに奔走し、有機農業推進法の成立まで頑張ってきた、

これまた枯れるを知らないお一人。 今や立派な農業者で、後継者も育てている。

 


新年会といっても、ただ飲むだけでなく、お勉強の時間も用意される。

ゲストは、千葉県農林水産部の安全農業推進課・副課長、井垣実さん。

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有機農業推進法に関する千葉県での動きを報告してもらうはずだったが、

悪質な食品偽装の撲滅に向けてテッテー的にやっているというお話から始まり、

穀物価格の高騰、自給率の問題、千葉県の農業事情と課題といった話が主だった。

最後に付け足しのような格好で、県でも有機農業にかかる支援策を用意してきているが、

まだ充分に浸透しておらず、助成の申請も少ないとか。

千葉県で研修生を受け入れて、有機農業を指導されている農家の方々。

受け入れ支援として、一人あたり月2万5千円が助成されるって知ってましたか。

ただし有機農業推進法のモデルタウン地区は国の助成があるので対象外。

また研修生が千葉県下で就農する (最低限その意思を持っている) ことが条件とされます。

今回参加されたグループ 「丸和」 さんのところでは、北海道の農家の後継者が

有機農業を学んでいるけど、彼 (谷くん) は助成対象にはなりません。

「申請がないと、この制度は必要ないということになっちゃうかと心配で・・・」

なんて言ってる。

 

千葉県の有機農業推進計画の策定も今期じゅうにはまとまりそうになく、

まだまだ自治体としてまとまるには時間がかかりそうだ。

まあ俺たちはもともと国や自治体に頼ってやってきたわけでもないので、

俺たち流儀で進めるだけのことだけど。

 

新年会参加生産者は以下の通り。

 ・さんぶ野菜ネットワーク (山武市)

 ・千葉畑の会 (八街市)

 ・三里塚微生物農法の会 (成田市)

 ・三里塚微生物農法酵素の会 (成田市)

 ・丸和 (富里市)

 ・酒井久和 (香取市/旧:栗源町)

 ・佐原自然農法研究会 (香取市/旧:佐原市)

 

若手を連れてきた三里塚酵素の会の堀越一仁さん。

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県にはもっと・・・・・と、何か意見をしてた。

三里塚闘争を描いた尾瀬あきらさんの漫画-『ぼくのむらの話』 の

主人公のモデルになった人だ。 だいぶ--てきたね。

 

堀越さんのお父さんに世話になった藤田会長と仲良く飲んでいる。

一枚いただく。

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左は、さんぶのリーダー・富谷亜喜博さん。

まあ、こんな絵が撮れるだけでも、やってよかったかな。 

 

千葉には米の生産者もいる。

佐原自然農法研究会から4名参加。

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右から二人目が代表の篠塚守さん。

3月1日の大地を守る東京集会では、餅つき大会で協力してくれます。

横浜の小学校の総合学習の仕上げでやって以来、かな。

頼みにしてます。 よろしくお願いします。

 

帰りがけ。 みんなで記念写真を撮ろうぜ、の声に、人が集まり始める。

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こんな楽しそうな下山さんの顔は、めったにお目にかかれないような気がする。

 

では-  ストロボが光らないと信用してくれない人たち。

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なかなか皆さん、いい笑顔です。

 

頑張るっぺよ、今年も。 そうだな、頑張るっぺか。 やるしかねえべ。

千葉  " だっぺ軍団の新春 " 、でした。

 



2009年1月29日

「稲作を守る会」 の麦

 

1月25日(日)、福島からの帰り途。

宇都宮から在来線に乗り換え、石橋という駅に降りる。

ここにも有機稲作の技術を語るに外せない、一人の指導者がいる。

NPO法人 民間稲作研究所」  代表の稲葉光圀さんである。

高校教師の時代から、無農薬・無化学肥料、除草剤も使わない稲作技術を追い求め、

それを 「技術体系」 へと高めてきた研究者であり、実践者。

 

でもこの日の目的は、米ではなくて、麦、なのである。

昨年、小麦の販売のお手伝いをしたのがきっかけで、

今年はその安定化に進められるかどうかを確かめたくてやってきた。

 

稲葉さんは、NPOの民間稲作研究所とは別に、実際の生産者集団として、

(有) 日本の稲作を守る会という会社をつくっていて、今回の訪問先は、

正確には稲作を守る会ということになる。

 

これが有機栽培の小麦畑。

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種を蒔いて、踏んで踏んで強くして、土寄せすることで病気を防ぐ。

慣行栽培は、その寄せる空間がなく、密植で、病気予防は薬に頼ることになる。

「麦の有機栽培は十分可能なんです。 誰でもできるんですよ。」

そういいながら、稲葉さんは、普及に努めている。 

 

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稲葉先生を知る皆さん。 稲葉さんはちゃんと農作業もやってます。

 


稲葉さんの栽培体系は、米-麦-大豆の2年3作の輪作をとっている。

マメ科の大豆を入れることによって、空気中の窒素が土壌に固定され、

米の肥料代も軽減される。

加えて、これで米、味噌汁、しょうゆの自給率も上がるってわけだ。

 

稲葉さんは栃木県唯一の民間の種籾生産者でもあるらしい。

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周辺との交配を避ける地理的条件だけでなく、

その栽培技術が品質的にも信頼されていることが窺える。

 

下の写真の左端の台地では、研修施設が建設中である。

若者が常駐して有機農業を学び、また消費者と交流できる施設。

ここにも有機農業推進法をカタチにする取り組みがある。

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その手前の栗林の一角に、益子焼で焼いたパン焼き釜を設置して、

100羽ほどの鶏も飼って美味しい卵に鶏糞も確保して、、あそこはこうして・・・・・

と、稲葉さんの夢は尽きないようだ。

目の前のスペースは、稲の苗代作りのためにとってあり、苗を植えたら、

消費者に開放して野菜作りの体験ほ場にする計画とのこと。

講演会やシンポジウムなどで会うより、ずっと生き生きしている。

 

そんな稲葉さんを悩ましているのは、米の生産調整 (減反) のための

書類作りだという。

先に書いたとおり、稲葉さんたちは米-麦-大豆と回すので、

米は2年に1作となり、単純計算で50%の生産調整、つまり減反超過達成農家となる。

しかしこれは米の生産調整に協力してやっていることではなくて、

稲葉理論における有機栽培体系であって、なんでわざわざ面倒くさい書類を

出さないといけないのか、というわけだ。

でも書類を出さないと、減反非協力者となり、地域に補助金が下りない。

 

有機農業推進が進められる一方で、

非民主的なやり方での強制も厳然とまかり通っているのが、この国の農政である。

 

米を作らせないために補助金 (税金) を使う。 しかも地域的縛りを利用して。

そんなお金があったら、麦や大豆・飼料作物の生産にもっと進んで取り組めるよう、

あるいは地域の特性に合わせて、地域が活性化するためにこそ使うべきだろう。

 

生産調整を進めるためのお題目である、

「米が過剰になったら価格が下落して、農家がやってゆけなくなる」

という理屈は理屈ではなく、農家を馬鹿にしたものとしか思えない。

けっして生産調整のおかげで米の価格が守られているわけではない。

むしろ意欲や創造性の芽を摘んでいる。

このマーケティングもない論理は、裸の王様のようなものだ。

もちろん今の制度下で反旗を翻すことは容易ではないことも分かっているつもりだ。

ただ、稲葉さんの自主作付のように、創造的に乗り越える道筋を

みんなで考えていきたいと思うのである。

 

ちなみに、稲葉さんたちの小麦は、埼玉県神泉村のヤマキ醸造さんに

ご協力いただいた。

今年もすでに取引の継続が約束されてきている。

 

有機農業を底支えするネットワークも、一歩ずつ強化されていっている。

 



2009年1月26日

東北から、「農を変えたい!」

 

書く時間がなくて・・・という言い訳の前に、書くことも忘れてしまっていた日々。

気がつけば、もう10日も更新していない。

その間に、パレスチナの惨劇は新しいアメリカ大統領の就任に合わせるかのように

一時停戦となり ( この影響はいつまで尾を引くことだろう )、

そのアメリカは新大統領のパフォーマンスとケネディばりの演説に熱狂して、

いっぽう国内といえば元気が出るような話題に乏しく、

そんな世情を横目に、僕はただひたすら宿題に埋没させられていたのでした。

こう見えても、来期の事業計画や予算など真面目に考えたりしてるんです。

 

1月から2月初旬は、産地での新年会が各地で開かれる時節でもあって、

そこには行ける限り顔を出す。 みんな手ぐすね引いて待っている。

僕らはそれを  " 死のロード " と呼んだりしている。

もちろんただ飲むだけでなく、農業の未来や野菜の品質のことなども語り合うわけで、

日々ネタは尽きないのに書けないという

情けないドロドロ状態にはまってゆく、そんな期間でもある。

 

いろいろあったけど、しょうがないので途中はぶっ飛ばして、

直近の話題で再開させていただくと-

22日(木) に泊りがけで福島わかば会の新年会があり、

23日に帰ってきて仕事して、

24日(土) には再び福島に行って、

『 農を変えたい!東北集会 in ふくしま 』

という集まりに顔を出す。

「農を変えたい」 運動は、有機農業推進法を成立させたパワーを土台として、

有機農業の発展だけでなく、環境保全・地域の活性化までを視野に入れた全国的な運動

となって展開されている。 

 " 農 "  のありかたそのものを考え直そうという思いも込められている。

 

行けばそこには大地を守る会の生産者もいっぱい参加していて、

一人ではけっこうしんどい。

夜の懇親会で出たお酒が、大和川酒造に仁井田本家 (金寶) とくれば、

必然的にボルテージも上がって深夜まで。 結局は自業自得、身から出た錆・・・・

 

とりあえず、脳を変えたい、じゃなくて、「農」 を変えたい!集会の写真で

ごまかしておきたい。

いやいやどうして、すごい集まりになったんです。

会場は福島大学。 大学で一番大きな教室に人が溢れたんですから。

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東北全県を中心に全国各地から、約450名の参加。 いやもっと多かったか。

 


今回の集会実行委員長は、旧熱塩加納村 (現喜多方市) の有機農業指導者、

小林芳正さん。

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有機農業運動、地域自給運動の世界ではつとに知られたカリスマの一人。

熱塩加納村を有機米の一大産地に育て上げ、

補助金を蹴ってまで村の米や野菜を地元の学校給食に導入した。

「食べものとは  " いのち "  である」 

こんなセリフが似合う人は、実はそうはいない。

大地を守る会が最初に開発したオリジナル純米酒 「種蒔人」 (当時の名は 「夢醸」 ) の

誕生を支えてくれた大恩人でもある。

大病もあって心配した時期もあったけど、

コバヤシ・ホウセイ完全復活!を宣言したかのような力強い実行委員長挨拶だった。

 

そして次世代のリーダーとして登場したのが、

このブログでも何度か紹介した、山都町 (こちらも現喜多方市) の浅見彰宏さん。

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もう紹介は省きたい。

大和川酒造で出会い、棚田を守る水路の補修手伝いから、若者たちの野菜セット企画

へと、僕らの関係は年々深まってきている。

 

次世代リーダーのリレー・トークでは、

山形県高畠町・おきたま耕農舎の小林温(ゆたか) さんも登壇。

耕農舎代表・小林亮さんの農業を継いだ和香子ちゃんの旦那、つまり婿どの。

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大学の哲学科を中退して、自分探しの旅を経て、農の世界に行き着いた。

「まあ、彼女が有機農業をやっていた人だったってことなんですけど・・・」

なんて照れながら、今の様子と将来の希望を語る。

 

「ホントはやる気なかったんだけど、じいちゃんがずっと守っていた田んぼを

 荒らしちゃいけないと思って帰ってきた」 なんていう若者の発言もあったりして、

なかなか当代の若者も捨てたもんでもないなあ、とか思わせる。

 

自由交流会では、新規就農相談コーナーも設けられた。

相談に乗る小川光さん (喜多方市山都町・チャルジョウ農場)。

積極的に研修生を受け入れ、育ててくれている。

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・・・・右の君、ちょっと態度悪いよ。

 

こちらは宮城の石井稔さん (無農薬生産組合)。

米の栽培技術では名人といわれる生産者の一人。 大地ではニラも頂いている。

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相談員は他にも、山形・庄内協同ファームの志藤正一さんや、

秋田県大潟村の相馬喜久雄さん、今野克久さんなど、

大地でおなじみの生産者が顔を揃えていた。 

 

夜の懇親会で、実行委員会を代表して挨拶する渡部よしのさん。

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「山都の若者たちの野菜セット」 企画では、

チャルジョウ農場の研修生たちの野菜で賄えなかった分を補ってくれた。

渡部さんからは、それとは別に米も頂いている。

 

大学の生協食堂を借りて行なわれた懇親会も人で溢れていた。

食材は、磐梯はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 総料理長・山際博美氏による

徹底的に地元産にこだわったメニューで並べられた。

とにかく予想外の賑わいで、写真も撮れず (料理を取るほうに精一杯で・・・)。

 

二日目は、5つの教室に分かれて分科会が行なわれた。

テーマは-

○ 学校給食・地域内自給

○ 耕作放棄地・ムラの再生

○ 農産物マーケティング

○ 有機農業(技術)と生物多様性

○ 農産加工・地域産業再生

 

ここでの注目は、「マーケティング」 という観点での分科会が用意されたことだ。

それだけこの世界が拡がってきたことを物語っている。

パネラーの一人に、伊藤俊彦さん(福島県須賀川市) の名前がある。

大地を守る会の 「備蓄米」 や 「稲田米」 の生産者だが、

生産集団の組織化から米の集荷・精米、さらには農産物の販売会社の運営まで

事業規模を発展させてきた起業家でもある。

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変化を洞察し、変化に挑戦し、変化を創造する -(伊藤さんのレジュメから)

カッコ良すぎ、です。 

 

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有機農業は第Ⅱ世紀に入り、ほんとうに点から面へと進んできたと実感する。

個と個のつながりから、地域を変えてゆくための連携へと進む、

その道筋がリアリティをもって語られるようになってきた。

僕もまた、彼らとともに未来開拓者の一人でありたい。

欲望の交易手段としてでなく、人と人のネットワークという流通の大義をかけて。

 



2009年1月14日

ニッポンの食はオレたちがつくる! ときた。

 

予告した手前、12日朝のNHK成人の日番組を録画とっておいて、

遅ればせながら改めて見る。

 

『あしたをつかめ スペシャル

 -農業漁業はオレに任せろ! 期待の20代大集合- 』

 

おおッ! カッコいいねぇ。

北海道から鹿児島まで、農業や漁業に新規就農(漁) した若者に、

「農業をやりたい!」 とハッキリと意思表示する東京農大の学生たち。

いやあ、実に頼もしい。

 - と言いたいところだが、サーフィンもできる場所を探して来たとか (ま、いいけど)、

売上500万 (利益-手取り-はその半額、しかも根拠の薄い皮算用) で

 「将来はリッチ・ファーマーかな、アハハ」 と屈託なく笑う若夫婦を見て、

不安に思った方もいるのではないだろうか。

しかも 「ゆったりとした老後を送りたいので」 とか言われた日にゃあ、

その前のキビシ~イ人生がすっ飛んでんだろ! と叫んでしまったりして、

汗出てきちゃったよ、まったく。

「子どもの養育費が必要になったときとか、苦しいよね」 なんて諭されながら、

それでも 「なんとかなるかなぁって」 といえる豪快さ、

いや、文字通りの底抜けの明るさに、脱帽である。


まあ何と言うか、これが若さの強みってやつなんだろうか。

僕にも、身に覚えがないワケでもなく・・・・・

でもさすがに老後云々てのはなかったなぁ、と思う。

そもそも自分は啄木(26歳) や中也(30歳) のように夭折すると信じていたし、

あるいはチェ・ゲバラのように-。

嗚呼いつの間に、世間の垢に汚れちまったか・・・・・

 

そんな中で登場した、「株式会社 ゆうき」 の若者たち。

安原義之さんの息子さん、裕也くん(27歳) 。

栽培から営業へと、仕事を覚えようと懸命である。

神社の境内での青空市で声が出ない  - 僕も思い出すことがある。

大丈夫、これは慣れだから。 見せてやりたいなぁ、いまの恥知らずのオレの売り子姿。

 

高卒後、鉄工所勤めを辞めて裕也君の誘いで入社した高橋智和。

「農業を一生の仕事にしたい」 と。

田中亜矢子さんは、新潟っぽい仕事をしたくて、公務員の職を捨てて帰ってきた。

夏は米づくり、冬は酒づくり、楽しそうである。

 

ま、いいか。 成人の日に、

「ニッポンの食はオレたちに任せろ! 私たちがつくる!」

と気勢を上げる若者たちに、僕らは未来を託すことになるのだ。

精一杯応援してあげなければ、と思う。

街に解雇された人々が溢れ、世界のトヨタも操業を縮小するという状況をもろともせず、

農業・漁業に 「面白い! 楽しい!」 といって乗り込んでいく彼らの瞳が、

淀み壊れないように祈りたい。

いや、俺たちの責任だけでもまっとうしなければ、か。

 

それにしても、屈託なく夢を語り合えているニッポンの成人式の日にも、

地中海に面した街では子どもたちが逃げ惑い殺されているこの世界の今ってのは

何なんだ、と考えてしまう性 (さが) がある。

やっぱり考えたい、と思うのである。 

経済がグローバリゼーションなら、僕らの思考も地球規模で働かせなければならない。

新しいカタチで人はグローバルにつながる必要がある。

そうやってこの時代を創造的に超えないと、

わたしやキミの気楽な老後なんてありえないんだって。

振り回され、収奪されながら、しかも元金を失っていくようなこんな世界、

変えようよ! と言ってみないか、その清新なセンスで。

 



2009年1月10日

予告! 1/12,NHKの成人の日特番に生産者登場

 

緊急連絡! です。

会員の皆さまには、昨年10月20日~配布のカタログ誌 『ツチオーネ』 のトップで

紹介させていただいた、新潟県妙高市の生産団体 「株式会社 ゆうき」 で働く

若者たちが、NHKの成人の日の特集番組に登場する、との連絡が入りました。

 

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昨年9月に 「平成若者仕事図鑑」 という番組で放送されたものが、

成人の日にちなんだ特別番組用に再編集されたようです。

番組では日本の食料問題を取り扱う予定で、そこで農業に携わる若者として、

「ゆうき」 の20代の社員3人が紹介されるとのこと。

 

「株式会社 ゆうき」 の代表を務める安原義之さん (上の写真:前列中央) は、

妙高山系のふもとで、高齢化や後継者不足によって耕作が放棄されようとする田んぼを

借り受けては維持してきました。

12年前、商社マンから転進して地元に戻り、米作りをするために会社を設立。

2枚の田んぼから始め、今ではその数300枚、面積にして80ヘクタールの田を

耕しています。

しかもなんと、米作りのスタッフは農業未経験の若者たちなのです。

UターンやⅠターンの若者を社員として雇い、育ててきました。

2004年には全国米食味コンクールで金賞も受賞するという快挙を成し遂げ、

田んぼの周りにはホタルも帰ってきたと、昨年嬉しそうに語っていた安原さんの

弟子たちが、成人の日に、さてどんなキャラで登場してくれるのでしょうか。

 

放送は、

1月12日(月・祝) 8:35~9:48 NHK総合

です。

お時間許される方、ぜひ、ご覧ください。

 



2009年1月 7日

哀悼 -箱根を走った男の桃

 

新年早々つらい話題を続けて心苦しいですが、

これも日々の出来事なので、お許し願います。

 

年末から年始にかけて、生産者関係での訃報が相次いだのです。

生産者のご子息が一件、お母様が2件、そしてご本人の訃報が一件。

年末最後の出社日であった30日に続き、出社2日目の昨日も、

夜にお通夜に駆けつけるという、何とも悲しい年末年始になってしまいました。

 

昨夜は、山梨は桃の生産者、古屋寛継さんのお通夜に参列してきました。

会員さんからも 「桃七会」 で高い評価を頂いている 「一宮大地」(代表:久津間範彦さん)

のメンバー、77歳の現役でした。

東京農大の学生時代には、箱根駅伝で4年連続、箱根の山のぼり (5区ですね)

を走ったという偉大な伝説の持ち主。

2日、3日とテレビで箱根駅伝を観戦して、その後静かに息を引き取った、とのこと。

後輩たちの健闘を確かめて眠りについたんですね。

すごい話です。


ぼくも箱根駅伝はTVで観てました。

農大は12位。 残念ながら来年に向けてのシード権は逃がしましたが、

なかなかの健闘でした。

中継の合間に、過去の名場面やOBの思い出話などが挿入されるのですが、

「箱根を走った」 という自負が苦しいときの自分を支えたという話や、

ゴール直前で倒れたことがずっと心の重しのように残っていたが、

今年、30数年ぶりにタスキがつながった、というような物語を観たあとだっただけに、

古屋さんにとっても、 『箱根』 は  " オレの人生 "  のようなものだったんだろうなあ、と

そんな感慨がこみ上げてきたのでした。

タスキの重さを背負って、ひたすら待っている仲間のもとへ、あるいはゴールを目指して

走る後輩に心を重ね合わせながら、励まし、見届けたんだ。

 

一宮 (現:笛吹市一宮町) の葬儀会場には、

「陸上関係」 専用の受付まであって、弔問客で長蛇の列ができていた。

今さらながら、ぼくらは " 4年連続箱根の山を走った男 " という矜持を持って生きた

大先輩の桃を食べていたんだ、と思い知らされた次第。

心引き締められて帰路についたのでした。

 

古屋さんに限らず、皆さんそれぞれに同じような重さの人生があったことと思います。

本葬に参列できず、失礼の段、お許しください。

この場をお借りして、ご冥福をお祈りいたします。

 



2008年12月27日

庄内から -最後の「雪の大地」と、蓮の花

 

秋田県大潟村の黒瀬正さん (ライスロッヂ大潟代表) から新聞記事が送られてきた。

12月20日付の朝日新聞山形版に掲載された 『旬』 というコラム。

タイトルは-

 

  純米吟醸 「雪の大地」

   面影揺れる 「最後の酒」

 

執筆されたのは清水弟 (てい) さん。 朝日の記者さんで、

僕も、有機農業関係の会合で何度かお会いしたことがある。

じんとくる一文なので、清水さんの了解のもと、ここで紹介させていただきたい。

 


  悲報は、秋田県大潟村の知人から電話で届いた。

  6月18日、鶴岡市羽黒町のS.Kさんがなくなった。 病院に駆けつけると、

  救急外来の廊下で仲間たちが青い顔をしていた。

  減反を拒み続け、減農薬無化学肥料の稲作にこだわった。

  笑顔の似合う、心熱き百姓は58歳だった。

  あれから半年、「純米吟醸酒・雪の大地」 に出会った。

  口に含むと、清冽にして深い味わいが広がる。

  雪と大地に連なる汗と涙と悲しみと大きな喜びとが腹に染みる。

  S.Kさんが 「自分が作った米で酒を造ろう」 と酒米・美山錦を作付けし、

  銘酒 「くどき上手」 の亀の井酒造を口説き落として造らせた酒だという。

  「でも今年が最後。 もう造れんからのう」 と聞かされ、うまさが切ない。

  「最後」 は別格である。

  かの北大路魯山人は、客人に土産を持たせ、うまさに感激した客が店名を尋ねても、

  「店はつぶれました。あの菓子が最後です」 などと答えたという。

  もう味わえぬと知れば、記憶はいつまでも残る。

  優れた料理人は、「言葉のごちそう」 にも心を配った。

  「雪の大地」 は720ミリリットルで1995円。 庄内協同ファームから3本求めて飲んだ。

  懐かしい笑顔が浮かんで消えた。

 

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S.Kさん - 斉藤健一さんの葬儀で飲んだ 「雪の大地」 は、哀しい涙酒だった。 

原料米の生産者を失って、このお酒の販売も3月をもって 「終了」 となる。

斉藤健一を知る方々には、どうか精一杯飲んでやってほしい。

彼の記憶とともに。

 

さて、庄内からは、ほのぼのとした話題も届いている。

みずほ有機生産者グループの荒生秀紀さんから。

 

夏に田んぼのビオトープに咲いた蓮の花を使って、造花作りをしています。

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山形は長い冬ですが、近所の友達と一緒にコタツを囲み、

世間話に花を咲かせながら楽しんでいます。 

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思い思いの布を使って、自分好みの造花をつくっています。

家の中が少しだけ賑わいを感じさせます。 

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夏の暑い時期、田んぼでお米と一緒に育った蓮の花を思い出します。

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荒生くんからのメールでは、今年の山形の冬は雪がない、とのことである。

でも今頃は大雪になっているのでは。

 

蓮の花で飾られたコタツを囲んで、あったかい正月になりますよう。

 



2008年12月24日

私の 「水俣」

 

さてさて、またもや数日の時間がたってしまったが、水俣での話に戻りたい。

生産者会議解散後、僕は一人てくてくと、ある場所を尋ねた。

財団法人 「水俣病センター相思社」。

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今ではほとんどお付き合いはなくなってしまったけど、

かつて、ここで1982年から10年ほど続いた、

水俣病と有機農業を学ぶフリースクール-「水俣生活学校」 というのがあって、

僕はその学校設立にあたっての出資 (債権) 者の一人だった。

大地を守る会に入る前の話である。

出資金額はたかが一口5万円だけど、まだペエペエの自分には、

とてもきつい、決意のいる金額だったんだ。

 (今でもしんどい額だけど。 いや、今なら出さないかも・・・セコクなったねぇ)

閉校になった後、出資金は返せないと言われてしまった。

 

というわけで、この地に来た以上、外すわけにいかない表敬訪問だったのだ。

べつに借金の取り立て、とかの意味ではなくて。

 


上の写真は、相思社のなかにある 「水俣病歴史考証館」 という建物。

水俣病の歴史を語る資料が展示されている。

元は、水俣病患者さんたちの自立を支援するために建てられたキノコ工場である。

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水俣病の歴史を解説するのは、ここでは省きたいが、

チッソ水俣工場から工場排水と一緒にメチル水銀化合物が水俣湾に流されたのは、

1932 (昭和7) 年から始まっていること、

その後不知火海 (八代海) 一円で水俣病が発生し、風土病とか言われながら

患者さんおよびその家族は婚姻などで差別された歴史があったこと、

水俣市が公式に水俣病を 「確認」 したのは1956 (昭和31) 年、

国がチッソ株式会社の排水による公害病として認定したのが1968 (昭和43) 年、

という時間があったことは押さえておいてほしい。

「水俣病」 が世に知られてから、すでに半世紀の歳月が流れている。

 

公害病と認定されるまで、いや認定されてからも、

日本の化学・軍需産業の発展を担った " 天下のチッソ " の城下町として栄えた

この町で、チッソと喧嘩することがどんな苦しみや迫害を伴ったか、

想像するだに辛いものがある。

そして悲劇は、より残酷な現実を世に送り出した。

母の毒を一身に引き受けて、母を救うために生まれたような

 「胎児性水俣病」 という病名を背負った生命の誕生である。

 

僕が初めて水俣病を知ったのは、中学生の頃だったか。

NHKの 「新日本紀行」 とかの番組で、水俣で奇妙な病気が発生している、

という報道だったように記憶している。

それが企業の排水による公害だったということになって、チッソの株主総会に

「怨」 の字を縫い付けた法被を着た漁民たちが攻め込んでいた。

僕も四国の片田舎で毎日海を見ながら生きていた者である。 連帯感を感じたものだ。

くわぁーっと胸が熱くなって、「よし、弁護士になってやる!」 と決意した。

いっぱい勉強しないとなれないと分かったのは、高校生になってからだったかな。

正義の味方だと胸を張っても、近道はないのだった。

諦めも早かったなぁ。 何たってテキは社会悪の前に、 「ベンキョー」 だったから。

 

ま、そんな与太話はともかく、

相思社を訪ねれば、「もうその頃のスタッフは残ってませんねぇ」 とか言われながら、

でもさすがに、元生活学校の債権者という威力だろうか。

栃木出身の高嶋由紀子さんという若い女性が丁寧に応対してくれた。

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患者さんたちの位牌を預かっているというお仏壇に、お線香を上げさせていただく。

この儀式は、今の自分への改めての問いかけである。

 

歴史考証館を見学させていただいた後、

水俣の今を案内してもらった。

 

ここは最も水俣病の発症が多かった茂道という地区。

当たり前のように佇む、海。

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海の神さんや山の神さんらと楽しく共存していた無辜な漁労の民が、

近代化という遠い雷鳴のせいで、なんで生きて地獄を見なければならないのか。

切なさが込み上げてくる・・・・・悔しいなぁ。

 

港々のいたるところにエビス様が、鎮座している。

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 エビス様は、漁師の安全と豊漁祈願の神様である。

僕の田舎では、エベっさんって言われてるけど-。

高嶋さん- 「はい。 こっちでもそうですよ。 エビスダニさんて、もしかして由緒ある・・?」

・・・・・いえ。 えべっさんとは呼ばれてたけど、べつに、ただの貧しいウチです。

ハァ・・・(つまんない) 。

 

ここが元工場の百閒 (ひゃっけん) 排水口。

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昭和の初期から30年以上にわたって、

70~150トン、あるいはそれ以上の有機水銀が垂れ流された。

堆積した水銀汚泥は、厚さ4メートル以上になっていたという。

1977年、県は汚泥除去をかねた湾の埋め立てを行なった。

工事期間14年、総工費485億円、失われた海58ヘクタール。

水銀ヘドロとともに、汚染された魚もドラム缶に詰められ、埋められた。

結局、誰が儲かったのか。 誰が負債を請け負っているのか・・・・・

 

その土地は現在、公園になっている。 公園に立つ記念碑。

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ここで2004年8月、石牟礼道子さんの新作能 「不知火」 が上演された。

台風も一日待ってくれた、とか。

その埋め立てられた海の上に立って、はからずも泣きそうになる。 

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この足の下に・・・・・もう、なんも言えねぇ。

 

高嶋さんはよく気のつく方で、「ガイア水俣」 にも立ち寄ってくれた。

大地を守る会では、乾燥アオサをいただいている。

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患者さんたちがつくった甘夏栽培の会 「きばる」 の事務局を務めながら、

いろんな水俣産品を販売して水俣の再生と活性化に尽力している。

右が藤本としこさん。 水俣市初の女性議員となった方。

隣のお二人は、高橋昇さん・花菜さん親子。 東京・世田谷から水俣に移り住んだ。

水俣は、ただの悲劇の街ではなく、その歴史ゆえに、

希望の意味を深く考えさせる力を持っているのかもしれない。

 

  「一生かかっても、二生かかっても、この病は病み切れんばい」

  わたくしの口を借りて、そのものたちはそう呟くのである。

  そのようなものたちの影絵の墜ちてくるところにかがまり座っていて、

  むなしく掌をひろげているばかり、わたくしの生きている世界は極限的にせまい。

 

  年とった彼や彼女たちは、人生の終わり頃に、たしかに、もっとも深くなにかに到達する。

  たぶんそれは自他への無限のいつくしみである。 凡庸で、名もないふつうのひとびとの

  魂が、なんでもなく、この世でいちばんやさしいものになって死ぬ。

 

  祈るべき天とおもえど天の病む

                         - 石牟礼道子 『不知火』 (藤原書店刊) より -

 

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2008年12月20日

火の国で九州地区生産者会議

 

17-18-19日と、九州は火の国・熊本を巡る。

17日から18日にかけて、水俣で九州地区の生産者会議を開催し、

その後、宇城市から宇土半島を走って三角、上天草まで駆け足で回ってきた。

 

まずは第12回九州地区生産者会議から。

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以前は各産地を回りながら年1回開催していたのだが、

ひと通り回った後で、今は隔年での開催となっている。

2年ぶりにお会いする生産者が誇らしげに息子さんを連れてきたりして、

東京で会うのとはまたひと味違った雰囲気を、現地での会合は醸し出してくれる。

 

今回の受け入れ団体は、肥薩自然農業グループ。

代表の新田九州男 (くすお) さん。 

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水俣市が認定する環境ファーマー。 有機暦30年、JAS認証も受けている柑橘農家。

 「水俣と言えば水俣病、と思われるでしょうが、それだけではありません。

  4年前には大規模な産廃処分場の建設計画が持ち上がり、

  みんなで反対運動ををやって、なんとか中止に追い込みました。

  水俣にはまだまだ潜在的なパワーが残っとります。

  ゴミは22分別です。 水俣を環境の町にしようと、皆で頑張っております。」

と、その名の通り力強い挨拶を頂戴した。

 


今回、記念講演をお願いしたのは、 宮崎大学農学部准教授・大野和朗さん。

演題は 「天敵の有効利用について」 。

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大野さんの持論は、ただ害虫の天敵を 「利用」 するというものではなく、

天敵の棲みやすい環境をつくりあげることにある。

例えば、除草剤を撒くとハダニが増えるが、

それは天敵の棲めない環境にしていることで、増やしてしまっているのだ。

害虫被害が増えているのは自然界の中ではなく、農薬を撒いているところ。

特定害虫の異常繁殖を防ぐ上でも、生物多様性の維持が大切である。

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日本の農業経営は、個々の農家を見れば、すでに単植栽培 (モノカルチャー:

特定の作物の生産に特化している) になっているようにも見えるが、

地域全体を見渡せば、まだまだモノではない。

田んぼもあり畑地もあり、よく見れば色んな作物が植わっていたりする。

地域という単位で多様性を考えたい。

 

だから大野さんは、大学の農場ではなく、農家の畑を借りて実験や実践を試みている。

講演では、具体的な作物に具体的な害虫の名前、それに対する天敵昆虫の育て方、

それらが具体的に語られてゆく。

 

1990年代以降の害虫発生の特徴は、

グローバリゼーションによる世界への害虫の拡散と、

農薬抵抗性の獲得。 しかもそのスピードが速くなってきている。

そんな中で、韓国で天敵利用が飛躍的に広がっている。

オランダはすでに農薬の使用量がピーク時の半分にまで減っている。

日本は、と言えば、天敵も農薬と同じ登録制にしたため (天敵=生物農薬という設定)、

販売するのは農薬メーカーであり、したがって高い。 

いわば農薬メーカーの独占を助けている状態である。

 

実は天敵昆虫は私たちの周りにいる。

どんな植物についているのかが分かれば、その植物と一緒に虫を育てることもできる。

だから、「雑草」 と言われる植物も見直されなければならない。

 

事例が具体的で説得力がある。

事務局ゆえ一番後ろの席に陣取っていたのだが、

みんなスゴイ。 集中して聞いているじゃないか・・・・・

 

大野さんは夜の懇親会にも残ってくれた。 生産者の質問が絶えない。

なかなかいい勉強会になったかと思う。

 

翌日は、肥薩自然農業グループの園地見学。

ここは代表の新田さんの柑橘園。

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デコポン(品種名:不知火) に河内晩柑、レモンにパール柑、温州みかん...

色んな品種が植わっている。

 

健康に育ったデコポンです。 

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肥料は、地域の山や竹やぶに棲息する土着の微生物をベースにした自家製ボカシ。

加えて、いろんな植物を付近から採取して黒砂糖と一緒に発酵させて作った

 「天恵緑汁 (てんけいりょくじゅう)」 という名の液体。 

自然の精気を凝縮させて動植物に栄養と活力を与える天の恵みというような意味。

これを葉面散布する。  

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天恵緑什については、いつかちゃんと紹介できるようにしたい。

韓国の自然農業中央会代表のチョ・ハンギュさんが考案したもので、

日本でもたくさんの人が取り組んでいる。

 

若手メンバーの吉田浩司さん。 

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なんと、弁護士を目指して法律の勉強をしていたのだが、その道を捨てて、

惚れた彼女の実家のみかん園を継いだという異色の経歴。

栽培技術については-「まったく知りませんでした」 。

それがかえって良かったのか、作業効率や将来を考えて、

園地の改造や改植 (品種の植え替え) を大胆にやってしまったのだという。

「お義父さんは肝つぶしたろうな」

「いやあ、娘に惚れて来てくれたんだし、みかん園も継いでくれたんじゃ、

 もう好きにせぇ!ってなもんじゃない」 -そんな会話で盛り上がる。

 

解散前に記念撮影。 

2年後、また笑顔で会いましょう。  いや、その前に、2月の東京集会で-。

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さらに残った職員で、他のグループを見て回る。

宇城市(旧:不知火町) の 「肥後あゆみの会」。 不知火の海を見下ろす柑橘園。

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代表の澤村輝彦さん (写真前列右の方) からは、

来年、すっごいトマトが出てくるはず。 楽しみしていて欲しい。

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続いて、同じ宇城市でも旧三角町の 「もっこす倶楽部」 を訪ねる。

写真は天草にある玉ねぎ畑。

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有機栽培だと、他の園地からの農薬の飛散にも配慮しなければならない。

見晴らしのいい、高台の上にあった。

畑の向こうには、お墓が気持ちよさそうに並んでいる。

玉ねぎも、今のところまずまず順調の様子。

 

玉ねぎ畑の後ろ (眼下?) は島原湾。 その向こうに見えるのは雲仙岳。

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天草四郎公園とかの観光名所を一瞥しながら、ひたすら畑を回る。

地方出張はいつもそう。 今度来るときはゆっくりと・・・とか思うのだが、

名所旧跡を眺める時間がとれたことは一度もない。

 

バタバタと走った三日間だが、実は18日の生産者会議の解散後、

僕は一人水俣に残って、半日ほど別行動をとらせていただいたのだった。

次にその報告をしたいと思う。

 



2008年12月 4日

土と緑と太陽と (続)

 

さんぶの20周年記念誌には、関係者の祝辞に交じって、

生産者たちの悲喜こもごもの思い出が綴られていて、

ついニヤついたり涙目になったりしながら眺める。 酒と一緒に・・・。

 

こんな歴史も記録されている。

90年2月、まだ組織も生産も安定しているとは言い難いのに、

山武町長宛てに 「地元の給食に有機野菜を」 と直筆の要望書を送りつけているのだ。

その一文がそのままの形で掲載されているのだが、

まるで脅迫状のような文面である。


   ご承知のように食料の7割をも輸入に依存する日本では収穫後の農薬散布等による

   食品汚染の問題はとうてい避けて通るすべはありません。 .........

   この現状の中で考えられることは、私達はあまりにも食べ物に対して

    " あなたまかせ "  でありすぎたのではないでしょうか。 .........

   これは果たして農業者のみの問題でありましょうか。 経済の論理のみに従い

   自由化によって安くなることが本当に消費者側に有利とだけ考えてよいものでしょうか。

   ......... ことは即、いのちにかかわってきます。 (後略)

 

そこで一日も早く 「有機農産物の生産が広く行なわれるよう図ること」、

そして 「山武町の保育園、小中学校の学校給食に供給されるよう計画してください。」

と結ばれている。

そして、それがなんと、2ヵ月後に実現しているのである。

町長は身の危険を感じたのだろうか。 シモヤマ恐るべし・・・・・

 

あれから有機ほ場も拡大し、取引先もどんどん増え、

日本農業賞や環境保全型農業コンクールなどで表彰され、

国の有機認証制度には強烈に反対しながらも、

「問題は俺たちの取り組み姿勢をきっちりと証明してみせることだ」 と

システム認証に取り組み、有機JASをいち早く取得した。

そして今年の有機農業推進事業でのモデルタウン指定である。

 

新しく作られた 「山武市有機農業推進協議会」 のパンフレット。

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新規就農者、来たれ。

ホームページは http://www.sanbu-yuki.com 

 

なんとかここまで来たね。

" 奇人・変人 "  から、地域のリーダーに。

あの頃から俺たちには確信があった。 いずれ有機農業が地域を救う時代が来るって。

そう言いながら飲んでたよね。 ああ、今井さんに見せたい、見てもらいたい。

でもそんな感慨はもっと先に置いて、まだまだ進まないといけない。

頑張りましょう、もうちょっと。

 

記念誌には、大地を守る会の消費者会員の方も4名寄稿されている。

それがなんと皆さん、『稲作体験』 を経験されている方たちであった。

なかでも、レストラン 「THE WAKO」 の総料理長、鈴木康太郎さんも

参加されていたとは、記念誌の原稿を見るまで知らなかった。

   今思うと、その時の山武の生産者の皆様のお話中の、土地に対する愛情、歴史、

   稲作のこと、農家という生業、そして農政にまで話がおよび、

   実に有意義な時を過ごさせていただいたことが、

   私の料理観が変わるきっかけになったように思われます。

   そして、職を深めていく中でたどり着いたのが

    「料理はフィールドにあり」 ということでした。

 

「料理はフィールドにあり」 -すばらしい言葉を、ありがとうございます。

 

初代部会長・故槍木行雄さんの思い出を、妻・静江さんが寄せている。

   過ぎてしまえば早いもので、無農薬有機部会を始めて20年になるのですネ。

   夫が農薬の臭いを嗅ぐと頭が痛くなるナーなどと話をしていた矢先、

   農協の下山さんから無農薬栽培の話を伺い、栽培を始めることになりました。

   思い返せばいろいろなことがありました。

   供給先の 「大地」 の名を一番最初に知ったのもこの時でした。

   虫食いだらけの大根、葉の黄色くなったカブ (肥料が足らず)。

   今では考えられない様な品まで全部買い取ってくださいました。

   来年こそは、今度こそはと良い品を無農薬有機栽培で作らなければと思い、

   作付けの時期や作り方など、それなりに勉強しながら皆さんと励んできました。

    ・・・・・・・・・・

   夫が役で出掛けた時など一人で夜遅くまで荷造りに追われた事がありました。

   慌てない夫と、せっかちな私はいつも夫の後ろで振り回されていたような気がします。

   あの頃はまだ若かったので苦にもならずに頑張れたのでしょう。

   無農薬有機栽培を 「始めたからには笑われないようガンバッペよ」 と言った

   雲地幸夫さんの言葉が忘れられません。 初代代表が勤まったのも

   そういう人達のバックの支えがあったからこそと思っています。

   夫と過ごした42年の歳月、その半分あまりを有機部会と共に歩ませて頂きました。

   夫は最期に 「いい人生だった。 俺はラッキーだよナー 」 と言い残し、

   家族の皆んなに看取られて、孫たちの 「おじいちゃん、ありがとう」 の言葉に送られ、

   眠っているような安らかな顔で逝きました。

   ・・・・・・・・・・

   無農薬有機栽培を通して、多くの人達に出会い、いろいろなことを学びました。

   今の世の中になっても何を食べさせられているのかわからない行政のやり方、

   安全で安心して食べられる作物が人にとってどれだけ大切であるかを知り、

   その作物を作っている私たち生産の流す汗が一番に報いられる魅力ある職業に

   なれることを祈らずにはいられません。

 

真摯でいつも優しかった行雄さんに、静江さんあり、ですね。

 

現部会長の富谷亜喜博さん。

   今年20歳になる息子が夜になると出かけていく私を見て、

   「お父さん、また農協?」 と言われ続けた20年でした。

 

息子がその意味を理解する年代まで、頑張ったってことですよ。

この文集発行も含めた20周年の記念行事は、

それこそ若い世代の人達が中心になって進められたと聞いている。

いま後継者を育てているのは、間違いなく有機農業の世界である。

しかしそれでも、耕作放棄地は増え続けている。

 

先達から若手に、いい形でつながなければならない。

俺たちの世代の正念場がきている・・・・・か。

しみじみと感慨に耽りながら小冊子を閉じて、気合いを入れ直す。

 



2008年12月 3日

土と緑と太陽と -有機20年

 

千葉のJA山武・睦岡支所園芸部内に 「有機部会」 が設立されて20年になった。

いつも 『稲作体験』 シリーズなどで登場する 「さんぶ野菜ネットワーク」 は、

この部会を母体に独立した形で結成されたものだ。

メンバーの生産者たちは今も部会員として組織を支えている。

そこで、設立20年を記念して小冊子がつくられた。

しばらく前に届けられていて、すぐにも紹介したかったのだが、

なにぶんにもモタモタと続けるのがやっとのブログで、遅れてしまった。

 

『土と緑と太陽と』 -有機部会設立時からのキャッチフレーズだね。

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大地からも、藤田会長はじめ何人か (僕も) 寄稿させていただいた。

提供した写真も随所に散りばめられている。

 

20年を振り返った年表を眺めながら、しばし感慨にふける。

それは、楽しいことばかりではなかったし。


設立されたのが1988年12月8日。 部会員28名でスタートする。

初代部会長、槍木行雄さんは今年の5月に逝ってしまわれた。

当時の様子をリーダーの一人であった綿貫栄一さんが書いている。

   今をさかのぼる20年前当時の睦岡は人参が主力作物で、DD (土壌消毒剤)

   を使わないと作れない思いがあった。

   「DDは作業中にガスを吸い込むと人体に害を及ぼす危険性の高い薬剤」

   これを使わずに作れないものかと、ときの園芸部長・今井征夫さん(故人)、下山所長、

   麦組合の面々、他に関心ある方々で話し合いがなされた。 そこで私がDDを使わずに

   人参作りができたことを報告。 それは麦を作り、そのあとに播く。

   話し合いの中で強く意を持っていた槍木行雄さん(故人)、「やってみよう」

   話が決まり、これですすめよう。 これが有機部会のはじまりでした。

   そして槍木さんは初代の有機部会長となられました。 ......

 

文中に出てくる今井征夫さんは、90年、僕らに田んぼを貸してくれた

『大地の稲作体験』 の初代地主さんである。 

無農薬で米を作る、しかも消費者が入る田だから・・・と、

毎日朝起きては欠かさず、田の様子を見に行ってくれた。 

その様子を知る人から、 「自分の畑より大事にしてたよ」 とあとになって教えられた。

その今井さんの遺稿が、記念誌のなかで紹介されている。

有機部会が12月に設立され、明けて89年1月1日、

支所の広報 『マル睦だより』 での新年の挨拶である。

   現在の農産物の流通機構は、大きく分けて二つの流れがあります。

   一つには市場流通の流れであり  ~ (略) 、消費者ニーズに合う農産物と言っても、

   直接消費者の顔は見えません。 もう一つの流れは、まだ小さいうねりかもしれないが、

   有機栽培を手がけるグループと安全な農産物を求める消費者グループとの 「産直」

   あるいは 「宅配」 といった流通方法をとり、生産者と消費者がお互いに交流し合い、

   提携しながら相互理解して、販売価格も双方話し合いで決めるといった、密接な心の

   つながりがあります。

   現在、脚光を浴びブームともいえる 「有機農業」 ですが、今回の交流集会に参加し、

   全国の有機農業の先覚者の苦難、苦闘に充ちた体験発表、資料に接して、

   そこに共通しているものは、「食べ物」 は安全でなければならない → 安全な農産物を

   生産する土地も健全でなければならない = 土作りから始める......

   という考え方であり、様々な試行錯誤を繰り返しながら技術の向上を図り、

   10年~15年の永い年月の努力を続けて消費者の信頼を得たものであり、

   彼らが変人でも奇人でもなく、真剣に農業に取り組んでいる姿勢に感動した次第です。

 

設立直後のメンバーの不安感に、今井さんは力強く応えようとしている。

「彼らが変人でもなく奇人でもなく・・・」 あたりに、当時の雰囲気が伝わってくる。

えらい人たちと付き合ってたんだなぁ、と改めて思い知らされる。

今井さんは翌90年の11月、

大地の山武農場 (この土地も今井さんから借りた) 開所式の翌日に急逝した。

「我事に於いて後悔せず」

これが今井さんの口ぐせだったと、下山久信さん (睦岡支所長:当時) がコメントを記している。

 

有機部会最初の出荷は89年5月21日。 雲地幸夫さんのチンゲン菜が大地に届けられた。

あれから怒涛のごとく交流やったね。 そして稲作体験の始まり、と続く。

幸夫さんの奥さん、弘子さんも書いている。

   おもしろかった。 消費者との交流。 みんなでワイワイ各種のイベント。

   東京へ野菜を売りに行くのもおもしろかった。

   子育てと共にあった20年。 いや、はじまりはもっと前の、農協の2階で行なわれた、

   夜の勉強会。 下山さんが若いお母さん達を集めて、食品添加物についての勉強会を

   開いてくれた。 折しも私は、有吉佐和子の 「複合汚染」 を読んだショックで、

   頭がガンガンしていた頃だったので、幼な子2人を家人に頼み、信者のように

   勉強会に通った。 私の人生の、大きな転換点となった。

   そして有機部会ができ、大地山武農場が建設され、一風変わった若者が

   とっかりやっかりやってきて、有機栽培の夢と希望に溢れた話を楽しげにし、

   酒を酌み交わし、私のとーちゃんをとりこにした。

   ついでに幼稚園児だった娘も、農場のヘラクレスのようなテシさんが大好きで、

   おやつを持ってせっせと通っていった。

   今井征夫さんが急逝したのは、今から、これからというプロローグの時だった。

   大きなショックに誰もが言葉を無くした。

   20年目の今年は、槍木行雄さんが逝ってしまった。 転換期を迎えた部会の節目に、

   大事な人をなくしてしまった。 悲しい.........。

   さて、これから。

   おもしろくもない世を、いかにおもしろく農業をやっていこうか。

   小さい頃 「ぶっつめ」 をかけて遊びほうけていたわがとーちゃん。 山野をかけめぐって

   遊んだ基礎体験は、作物の栽培にも、天敵利用の農法にも随所に生かされていて、

   「おっ、おもしろい」 と思えることが多い (私は、こっそり尊敬している)。

   そんなとーちゃんと仲間達とぼちぼちやっていこ。

 

一風変わった若者がとっかりやっかりやってきて ~~ か。

すみませんでしたね。 でもひと言言い訳させていただくと、

もっと飲むっぺよぉ! って僕らは飲まされてたんですからね、とーちゃんたちに。

帰る途中、軽トラで追いかけられたこともあったんですよ。

「逃げんのかー、こらぁぁぁぁ!」 って。 楽しかった、ホントに。

 

すみません。 この冊子から、もう一回話を続けさせていただきます。

...眠くなってきたし。

 



2008年11月14日

木を植え続ける人々

11月3日のブナの植林の写真が、

生産者の黒瀬正さん (秋田県大潟村/「ライスロッヂ大潟」代表) や

参加された方々から送られてきたので、アップさせていただきます。

皆さんから 「腰の具合は?」 とご心配いただいたり、

「いっぺん検査せい!」とお叱りを受けたりで、大変嬉しゅうございました。

でも写真を見ると、つい悔しさもこみ上げてくるのでございます。

 

木を植え続ける人々。

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毎年々々11月3日に欠かさず植え続けて、16年。

植えた苗木が延べ1万3400本。 樹種もブナだけでなく、ミズナラ、トチ、カツラなど

広葉樹の混交林に育ててきている。 

最初に植えた苗はもう10メートルを超えるまでになった。

 


集合風景。

ハンドマイクを持って説明しているのは、

「馬場目川上流部にブナを植える会」 会長の石川雄一さんだ。 

お元気そうで何より。

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心配された天気も何とか持ったようで、よかった。

 

大地を守る会の応援隊も頑張ってくれました。 

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皆様、お疲れ様でした。

この子たちが大きくなった頃には、立派な森になっていることでしょう。

時々でもいいから、これからも来てみようね。 

 

16年に及ぶ活動の中で、この森は水源涵養保安林として指定された。

植えられたブナが将来大木に成長し、水田や畑を潤し、

人にも動物にも豊かな恵みを与え続けてくれることを願わずにはいられない。

 

森を育てる作業は、植えるだけでなく、春の雪起こしから測量・植栽準備、

夏の下草刈りなど 色々ある。 すべて生産者たちのボランティアである。

それも、彼らのつくったお米を普通に食べることで持続できているのだ。

紅葉と沢.JPG

僕らは、この森の恵みを頂き、また食べることで支えている、とも言えるんだよね。

 



2008年11月 3日

新米農業者の八年目日記

 

今頃、秋田・五城目の馬場目川上流では、

大勢でブナの植林が行なわれて、お餅つきやコンサートで盛り上がってるんだろうな、

なんて思いながら積まれた書類を整理する一日。

そんな時に、山形は庄内地方、鶴岡市の月山パイロットファームから、

『月山ふるさとだより』 という一枚の通信が送られてくる。

今月号は、冬に向かう日本海・庄内地方の空気が伝わってくるような文面だ。

 

  稲刈りも終わった庄内平野。

  11月に入ると収穫は稲から大豆に移り、豊穣の大地がなんとなく寂しい光景となりました。

  この時期になると曇りや雨の日も多くなり、気温もぐっと下がり、

  華やいだ秋の空気が変わったのがわかります。

  もうすぐ冬です。

  そして実りの秋の終盤になるとやってくるのが、秋冬野菜の収穫。

  赤かぶ、青菜(せいさい)、大根、長ネギ、からとり芋、青大豆、赤唐辛子と目白押しで、

  天気と相談しながら、雪が降るまで目いっぱい収穫が続きます。

  そしてこの時期の収穫物は、私たちにとっては漬物の原料。

  本格的な漬物シーズン到来で、漬け込み、パック、出荷と、

  工場もフル回転になってきます。 ...............

 

藤沢周平の物語の風景まで浮かんできて、

ひととき海を眺めてしまう (こちらは東京湾ですが...) 。

厳しさを淡々と受け止め、静かで、しかし凛とした人々の生き様が見える。

 


この通信に 「新米農業者の八年目日記」 というコラムがある。

代表の相馬大(はじめ) さんが書いている。

「新米農業者」 などと称しているが、立派な若きリーダーである。

ぜひここで紹介したい。

 

  稲がなくなった庄内平野。 あとは冬を待つのみ、というこの時期。

  お漬物中心に移っていく私たちですが、そんな中で今年は土づくりに励んでいます。

  これまで私たちは、堆肥や米ヌカ、緑肥を中心として土づくりをしてきましたが、

  それとはまた違う農法を聞き、目から鱗。 夏に畑の神様から教えてもらったことを

  試してみようと、ワクワクしながら畑に入っています。

  しかし、土づくり、土づくりと皆が口にし、私たちも長い間取り組んできましたが、

  本当に様々な取り組みがあり、その到達点も千差万別。

  目指す人の数だけ、方法が組まれてきています。

  もちろん気候も違えば土も違う。 自然環境から受ける影響のほうが遥かに大きい農業

  ですから、もちろん違う方法になって当然ですし、それだけ奥が深く、完成というものも

  ないのでしょうが、それでもものすごいレベルに達している人たちは確かにいます。

  ここ庄内にも、田んぼの神様と崇められる人もいるし、有機栽培の猛者達もたくさんいます。

  そしてその畑の神様も、まさに「神様」で、

  豆の葉を見ただけで 「カルシウムが足りない」 と看過するほど!

  (中略) あの眼力と理論だった自信満々の話は、まさに魅力たっぷり。

  ぜひ試してみよう!

  というわけで、せっせともみ殻を運んでいるわけです。 しかしその方法は、

  とてつもない努力が必要・・・。 何事も甘くないというものです。

  まだまだ一部の圃場での実験ですが、それでも来年どうなるか、とっても楽しみ。

  新しい扉が開かれますように! 

 

これは、今年の8月に庄内で開いた「全国農業後継者会議」で、

西出隆一さんの指導を受けたことに端を発している。

枝豆の畑で、かなり手厳しい批評を貰いながら、大さんは、したたかに吸収したようだ。

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(後継者会議で畑の説明をする大さん)

 

生産者会議は全国あちこちで、年間10回くらいやっている。

その都度いろんなテーマで講師を招いていて、

生産者はそれぞれに必要な技術なり思想なりを学んだり、批評し合っている。

「参考にならん」 とか豪語しながら、実はしっかり持ち帰って試す生産者もいたりする。

ただ栽培技術というのは、一筋縄ではいかないもので、

勉強会をやったからといって、何かが急激に変わるということはない。

しかし、試験的にもやってみる、部分的に取り入れてみる、という反応が見えたとき、

それこそがぼくらにとっての喜びとなる。 やった甲斐があったというものだ。

 

厳しい冬に向かう庄内から、

ワクワクしながら畑に入っている・・・・・ なんて素敵な便りだろう。

1年では結果は出ないかもしれないけど、じっくりと積み重ねて、

どうか我がものにしてほしい。

挑む者の前に、新しい扉は現れる。

 



2008年10月 5日

備蓄米-「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭

 

10月4日(土)。 爽やかな秋晴れのもと、

福島県須賀川市の稲田稲作研究会にて、 『収穫祭』 を開催。

大地を守る会が生産者と一緒につくった米の備蓄システムも、もう15年になった。

あの  " 平成の米パニック "  の翌年から始めたんだった。

その備蓄米-生産者が名づけたブランド名が 「大地恵穂」 (品種はコシヒカリ) の

収穫を祝っての、2年ぶりの交流会である。

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春先からの天候不順もあって、ずいぶん心配させられたけど、

7月から8月上旬の好天で何とか持ち直し、その後の豪雨や低温にも耐えて、

稔りまでこぎつけた。 生産者も今年はけっこうハラハラしたようである。

 

田んぼに集ってくれた会員さんたちの顔も、一面の黄金色にほころんでくる。

これが、豊かである、ということなのだ。

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これからコンバインに乗って、収穫を体験していただきます。


挨拶いただくのは田んぼの主、前稲作研究会会長、岩崎隆さん。

どんな年でも一定水準以上の米に仕上げるワザは、経験や観察によるだけでなく、

田んぼを一枚一枚土壌分析して施肥を設計するきめ細かさにも秘められている。

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今はもう作業は息子さんに任せられるようになってきていて、少し余裕も感じさせる。

今年も 「まあまあ、かな」 。 

 

さて、コンバインに乗って稲刈り。 

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たいして面白くもなさそう、と思われる方もいるでしょうが、

いざ乗ってみると、視界の高さにスピード感もあって、けっこう迫力ある、

子どもたちも興奮する体験なのです。

 

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稲がザァーッと目の前で刈られていく様に声を上げる参加者。

生産者もちょっと得意げ。 写真左は渡辺文雄さん。 

岩崎さんに続いて早くから合鴨農法を導入して、無農薬栽培を実践した方だ。

 

刈り取られた田んぼで、今度は 「第2回イナゴとり選手権大会」 。

30分で何匹捕まえられるか。 大人もけっこう夢中になる。

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飛び跳ねるイナゴを捕まえて、最後は佃煮にして、食べる。

優勝者は、前回2位に甘んじたお父さん。 

重さにして76 (?) グラムだったか。 100匹近く捕った勘定かな、すごいね。

子どもの頃の野生に戻ったって感じですね。

 

岩崎さんの田んぼには、ドジョウもいっぱいいる。

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これも田んぼの豊かさの指標である。

 

田んぼで楽しんだ後は、ライスセンターの施設見学。

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稲田自慢の、太陽熱乾燥施設。

ここで乾燥させた後、モミのまま保管する。

 

モミを攪拌しながら、一定の水分量になるまでゆっくりと乾燥させ、

眠りにつかせる。 

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田んぼごとに土質検査をした上で肥料設計をして、

作業はオペレーターを使って計画的に行ない、

田んぼごとに食味をはかって、収穫-入荷まで管理する。

そして乾燥-保管-脱穀・精米-袋詰めまでの一貫したラインが出来上がっている。

ここまでくるのに何年かかったっけ。

毎年来るたびに設備が充実していく様は、さながら子どもの成長を見るようだったが、

今や、見上げるまでに逞しくなった青年の姿である。

 

施設内にこしらえたテスト・キッチン。

ここで色んな食べ方や新しい素材の研究をしている。 担っているのは女性陣である。

今日は、玄米の粉でつくった生地をベースに、みんなでピザを焼きましょう。

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この生地を完成させるまでに、相当な試作があったようだ。

彼女たちはすでに米粉のパンも完成させている。

 

輸入の汚染米の転売が騒がれる一方で、国内の米農家には減反の圧力がかかっている。

しかしそんな暗い世情なんかモノともしないで、

自らの力で米の消費量を上げようと、

米の多様な活用策を研究する彼ら彼女たちの表情の明るいこと。

希望はこの輪の中にある。

 

陽も落ちて、心地よい夕暮れ。

みんなでつくったピザがどんどん焼き上がる。 この石釜が今年のニューフェイスだ。

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ご飯だけでなく、コメ (稲) をトータルに使い切ることで農家を支えよう。

強い意思を感じさせる石釜の登場である。

 

お次は、伝統のお餅。

これまた初体験の餅つきに興じる。 杵ってけっこう重いでしょ。

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交流会には、会津・喜多方から大和川酒造店の社長、佐藤弥右衛門さんも

「種蒔人」を持参してこられ、盛り上がる。

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そうそう。 「種蒔人」の原料米、美山錦も無事収穫され、しっかりと保管されていました。 

 

最後に、女性陣に感謝。

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地元食材を使った料理の数々、どれもホントに美味しかったです。

すっかり幸せな気分に浸りました。 ご馳走さまでした。 

 

夜は近くの芹沢温泉に泊まって、翌朝、解散。

帰り際、最後まで残っていた方々と、記念に一枚いただく。

なんか、みんな楽しそうだね。

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黄金色に輝いた田に、素直な気持ちになって 「今年もありがとう」 と言って帰る。

まったく息が詰まりそうな、世知辛い世の中になっちゃったけど、

大地は変わらず大らかに、惜しみなく実りを与えてくれる。

この田園にこそ農民たちの誇りがあって、

それがどっしりと生きていることがどんなに救いだろうかと思う。

ゼッタイに荒れさせてはならない。

そして、食を信頼でつなぐ -このテーマに生きていられることを、私も誇りに思おう。

昔よく歌った 『わが大地のうた』 (詩:笠木透、曲:田口正和) の一節が蘇る。

 

    この土地に 生きている 私の暮らし

    私に 流れる 人たちの歴史 ・・・

 

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    この土に 私の すべてがある

    この国に 私の 今がある

 

    いくたびか 春を迎え

    いくたびか 夏を過ごし

    いくたびか 秋を迎え

    いくたびか 冬を過ごし

 

    この国の 歴史を 知ってはいない

    この国の 未来を 知ってはいない

    けれども 私は ここに生まれた

    けれども 私は ここに育った

    

    私がうたう 歌ではない

    あなたがうたう 歌でもない

    わが山々が 私の歌

    わが大地が 私の歌

 



2008年9月22日

ブナでも植えて、気分を変えましょうか。

 

「事故米」 とか 「汚染米」 とか、泣けてくるような文字に振り回されていたら、

今度は 「メラミン食器」 ならぬ 「メラミン食品」(朝日新聞のタイトルによる)  が登場した。

これも中国で問題になってから、最初は 「輸入はされてない」 から始まって、

やっぱり使われていたことが分かって、大量の回収へと至る。

これまでいったいどれだけの怪しげな食べ物が人の体に入り、

そして差し止められ、捨てられていったんだろう。 

その都度、「食べても健康危害は起きません」 と説明を受けながら・・・

そのへんは、リスク・コミュニケーションの専門家と、ちょっと突っ込んで議論したいところ

ではあるが、いま自分のパトスは別な充電が必要な状態になってしまっている。

 

思考も進まないところで、ちょっと気分を変えて、ご案内をひとつ。

 

11月3日、

秋田の山で、一緒にブナの木を植えてみませんか。

 

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  (ブナの森を育てて15年。「ライスロッヂ大潟」代表の黒瀬正さん)

 


去年もレポートした、恒例の 「秋田・ブナを植えるつどい」 です。

こちらは今年で16回目となりました。

以下、大潟村の生産者たちが中心になってつくった主催団体

『馬場目川上流部にブナを植える会』 からのメッセージです。

 

  近年の気候変動により、猛暑の夏、暖かい冬など、さまざまな現象が起こっています。

  暴風や集中豪雨も激しさを増すなど、地球温暖化の影響を身近に感じるようになってきました。

  森林は、酸素を供給し、地球の気温も調節してくれます。

  水田や畑の土をつくり、海の生物を養い、

  山くずれや水害から守ってくれているのも森林なのです。

  ところが今、日本のブナをはじめとする広葉樹の森はほとんど失われつつあり、

  私たちの住む馬場目川の上流部もその例外ではありません。

  その結果、目に見えて河川の水量が減少し、

  動植物はもちろん、私たちの生活にも大きな影響を及ぼしています。

 

  会では、源流部の国有林スギ伐採跡地に

  ブナを中心とする広葉樹の植林を行なっています。

  また、春先の雪起こしや真夏の下刈りなど、

  ブナが無事生長するまでの保育作業も続けています。

  これまで、皆さまのご支援・ご協力により、

  ブナやミズナラ、トチなど12,600本の苗木を植林することができました。

  おかげ様にて、15年前に植えた苗木は、年々たくましく成長し、

  幹周り50~60センチ、樹高7~8メートルの若木となっています。

  若木の森では、野鳥がさえずり、木陰にはカモシカが訪れ、

  野ウサギの子どもや沢カニなども観察されています。

 

  今年も馬場目川源流部と、みんなの心にブナの森をよみがえらせるために

  植林を行ないます。

 

●日程は、11月3日(月:文化の日)。 

  午前9時半、秋田県五城目町役場前出発 ⇒ 植栽時間は10時半~11時半 (雨天決行)

  ⇒ 昼食交流会 (餅つきやミニコンサートなど) ⇒ 午後2時頃解散。

●植栽場所は、五城目町馬場目沢国有林糸沢。

●持参するものは、昼食と雨天対策 (雨合羽等) 程度。 鍬は事務局で用意します。

●参加費は、ブナ券 (1口=1,000円、1口以上) の購入のみ。

   ※ ブナ券は、ブナの森をつくる資金として使われます。

 

なお私たちは、前日にお米の生産者である黒瀬正さん宅に合流し、楽しい前夜祭を行ない、

「ライスロッヂ大潟」 (黒瀬さん宅を改造した宿泊施設) に宿泊します。

(宿泊者多数の場合は大潟村内の宿も利用します)

参加希望者は、11月2日のうちに、JR奥羽本線八郎潟駅までお越しください。

列車の時間はご都合に合わせていただいて結構です。 駅までお迎えに参上します。

ライスロッヂ利用者には、一泊1,000円の維持費を頂戴いたします。

植栽当日も、その後も、ロッヂの利用は可能です (長期滞在も可)。

 

お申し込み・お問い合わせは、本ブログのコメントをご利用ください。

個別に対応させていただきます。

 

楽しくて、未来への希望を感じさせる一日になることを、お約束します。

 



2008年8月 8日

「有機JASをやめる」 と阿部ちゃんは言う。

 

「今年で有機JASの認証をやめようと思う」

茨城県石岡市(旧八郷町)の生産者、阿部豊さんがそんなことを言ってます

 -との報告を担当から受けたのが一ヶ月ほど前。

 

阿部ちゃんが・・・・・予感は、なくはなかった。 

とにかく会って話をしようよ。 ということで、やってきた。

 

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右が阿部豊さん。 八郷で有機農業を始めて20年。

左は新しい仲間、桑原広明さん。 この地に入植して4年。

今年から二人で 「阿部豊グループ」 として野菜を出荷している。

二人とも有機のJAS認定農家だ。

特に阿部ちゃんは、有機JAS制度がスタートした最初の年 (2001年)

から認証を取得してきている。

 


その阿部ちゃんが語る。

「有機JASには、意義を感じられないんだ」

 

俺は付加価値を得たくて有機の認証を取ってきたんじゃない。

自分がやっていることを明らかにして、消費者との信頼関係を維持するためだ。

変更したって自分のやることは何も変わらない。

記録や書類の管理などトレーサビリティの体制はこれからもちゃんとやる。

しかし結局、お金をかけてまでの認証には意味を見出せなかった。

有機JASは国内の有機を増やせてないし、輸入のものばっかりが増えている。

もうやめる。

大地を守る会がこれからやろうとしている監査の方がいいと思ったんだよね。

有機認証の経費をそっちに回しても、その方がいい。

 

どうも阿部ちゃんをその気にさせてしまったのは、私の文書のせいでもあったようだ。

月に一回生産者に送っている 『お知らせ』 で、6月7月と連続して、

僕は今期からの新しい監査の仕組みについて書いた。 

(5月には社内での勉強会も開催した。)

会員に届ける野菜が大地を守る会の生産基準に合致していることを確認する

だけにとどまらない、生産者が取り組む様々な努力の過程を大切にして、

その進化を評価し、支援できる監査システム。

僕はこれを勝手に 『大地を守る会の有機農業運動監査システム』 と呼んで、

そんな体制づくりに向かいたいというような話を書いたのだ。

 

エビちゃんの文章を読んで、そうしようと決めた、なんて言われてしまう。

しかし僕に、このような面倒くさい仕組みに進ませた原動力は他でもない、

阿部豊の叱責である。

「有機農業推進室は、有機農業を推進しろ!」

もう何年も前のことだが、この台詞はずっと腹のどっかに刺さったままである。

 

おととい開かれた農水省の有機JAS制度の検討会で、

生産者の委員から一貫して出されていたのは

 「記帳やら文書管理やらが煩わしすぎて、このままではやる人は増えない」

という意見だが、この本音は、たんに 「負担が重い」 ということよりも、

おそらくは 「苦労が報われない」 感があるのだ。

さすがに阿部ちゃんは 「負担が重い」 とは言わないが、この報われない感

は共通するところのように思えた。

 

有機の認証を取ったから値上げしてくれとは言わない。

しかしトレーサビリティの作業は相当なコストになっていることは、分かってほしい。

とも阿部ちゃんは言う。

 

私の答えは、

「いま構築しようとしている監査体系がもう少し整理されるまで待ってくれ。」

 

阿部ちゃんは、有機JASを卒業したがっている。

そんな彼の期待に対応できるシステムに進化させることができるか。

有機JASに対する評価も含めて整理が求められていて、さて

僕と阿部ちゃんのこれからのやり取りは、どの辺に着地するだろうか。

 

阿部豊のナス畑には、ウグイスが巣を作っていた。

巣の中には2個の卵があった。

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ウグイスは、ここが安心できる場所だと思ったのだろうか。

阿部ちゃんには、有機JASマークよりもずっと自慢したいことのようだった。

 



2008年8月 1日

北海道の生産者会議も18年

 

北海道は富良野にて、今年で18回目となる生産者会議が開かれる。

富良野と言えば-

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ラベンダーでしょうか。

これは大地を守る会の生産者とは関係ない観光農園の写真ですが。

 

しかし全道から、多忙な夏の一日を捨てて集まってきた生産者には 

そんな観光スポットの風景に目をくれる暇などない。

挨拶もそこそこに、畑へと向かう。

講師はこのところ連続的に出場をお願いしているこの方。

土壌診断による土づくりの大切さを説く西出隆一さんである。

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今回の幹事団体は、富良野市麓郷 (ろくごう) の 「今 (こん) グループ」 。

今利一さんを代表とする5名の生産者で構成されている。

 

メンバーの畑を巡回しながら、

事前に分析してあった土壌診断の結果を見て、土や作物の状態を観察しては、

例によって西出師の毒舌が炸裂する。

良い畑でも褒めることはめったになく、「まあまあや」 てなもんである。

 

國枝喜正さんの玉ねぎ畑。  まあまあ、だと。

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じゃが芋畑ではエキ病が発生していた。

じゃが芋生産者なら誰もに共通する難敵である。

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エキ病と聞くと思い出してしまうのが、ここ麓郷を舞台にしたドラマ 『北の国から』 の一場面。

有機農業を目指した青年・完次の畑にエキ病が発生して、

岩城晃一演じる草太に農薬を撒かれてしまった。

完次はその後、たしか破産して、どっかに行っちゃったんだよね。

 

でも、掘ってみると玉はまずまずだ。 これからの雨が心配だが、

西出さんはいろいろと処方の選択肢を伝える。 

 

しかし、問題はここからである。

西出さんの理論は、北海道の生産者にしてみれば、本州の理屈、となる。

狭い面積で、こまごまと分析したり資材を投入したりして、単位面積当たりの生産性を上げる、

そんな本州の野菜農家と違って、

北海道の農業は、何十町歩 (ha) もの田畑で経営を計算する。 つまり面積で獲る。

畑の状態を一枚々々診断しながら細かい肥料設計をするなんて、

とてもできない相談だという感覚である。

 

それはそうなんだと思う。

ただ、だからといって、単位面積当たりの生産力を無視して規模で獲ろうとして、

生産効率とか経営的にはどうなのか。 

2×20=40 と 4×10=40 は、数学上は同じだけれど、

作業コストは決定的に違ってくる。

土地の収益性とか生産力の維持 (あるいは向上、永続性) のための理論や理屈は、

参考にして損はないだろう。

 

まあここから先は、生産者の考えることではある。

ちゃんと学ぶべき視点は押えていただいて、これからの営農に生かしてもらいたい。

我々事務局は、参考情報の提供や技術交流など、

できるだけ有益な学びの場を提供し続けることで、

モノが良くなり、消費者の評価が高まり、結果として生産者の経営も向上する、

その手助けをどこまでできるか、である。

 

今グループ代表、今利一さん。 

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みんなに担がれて富良野市議までやらされて、それでも一所懸命務めている。

今日も議会の帰りからの合流となる。

陽気な性格ゆえに、みんな軽口でからかったりするけれど、僕はけっこう尊敬している。

今回も、砂礫ばかりの畑で 「ここでは、玉ねぎは無理、無茶」 とか言われた。

しかしおそらく、彼はこの畑に玉ねぎを植え続けるのではないか、と僕は推測している。

 

『北の国から資料館』 の隣に併設されている 「ふらの広場」 で開かれた

夜の懇親会では、生産者たちが順番に立つ。

壁には、ドラマのシーンの写真が飾られている。

 

地元、中富良野町の生産者グループ、「どらごんふらい」 のメンバー。

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左から、代表の間山幸雄さん、太田順夫さんところの研修生、布施芳秋・雅子さん夫妻、

研修生、そして元大地職員・徳弘英郎くん。

3番目の子どもも生まれ、家も新築して、立派な富良野の農民となった。

 

今グループの菅野義則・ひとえさん夫妻。

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ひとえさんは、『北の国から』 の脚本家、倉本聡さんが主宰する 『富良野塾』 の

元塾生である。 

ひとえさんが開設しているホームページ 『 かんのくんちのはたけ 』 。

よかったら覗いてみてください。 

「嫁のたわごと」 とか 「不平不満仕事日記」 とかが書き綴られています。

最近更新されてないのが気になるところだったけど、別れてはいなかったようで、

ひと安心。

 

二日目は、座学。 

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北海道で、広大な面積で勝負する生産者にとって、

畑の細かい診断とそれに応じた施肥設計というのは厳しいのだろうが、

問題は、土の状態を知ることと生産の結果はつながっている、ということだ。

実際に、春から試験に取り組んでくれた生産者もいる。

この会議は、数ヶ月前から始まっていたんだよね。

今年の勉強会の結果が、いつか花開くことを期待したいものだ。

 

解散後は、みんな大急ぎで帰る。 秋には今年一年の結果が出る。

頑張って欲しいし、天気も幸いしてもらいたい、と願わずにはいられない。

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2008年7月22日

" とっつぁん " 

 

7月19日夜、千葉・山武の稲作体験田での草取りと蛍見会を終えて、

田んぼの地主、佐藤秀雄さん宅の倉庫で、実行委員や生産者と一緒に一杯やっていたら、

携帯電話が鳴った。

千葉県八街市の 「千葉畑の会」 代表、内田賢次さんが亡くなられた、との連絡である。

みんなから  " とっつぁん、とっつぁん "  と親しまれた、スイカづくりの職人。

大地を守る会のカタログやチラシ類に何度も登場した、

いわば  " 顔 "  となってくれた生産者の一人である。

倒られて2日という、あっという間の旅立ちとなってしまった。 享年76歳。

 

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7月19日。 この日はもともと 「スイカ食味会」 が行なわれるはずだった。

毎年々々楽しみにしていた、とっつぁん最大のイベントである。

消費者にいろんなスイカを食べてもらおうと、品種も色々と植えていた。

今年は、春からの低温で生育が遅れ、一週間延期したのだったが、

本来設定したその日に、逝ってしまわれた。

まるで西瓜の神様に召されたかのように。

 

昨夜、自宅でお通夜がいとなまれ、本日、最後のお別れに手を合わせてきた。

 

とっつぁんと大地を守る会のつき合いは、設立間もない頃からであるから、

僕が偉そうに思い出を語るのは憚られる。

ただひとつだけ許してくれるなら、やっぱり、このエピソードだろうか。

 

1990年、第1回の 「タイ農民交流ツアー」 の参加者のなかに、内田賢次さんはいた。

タイ語など触れる機会すらなかったとっつぁんが、行きの機内で、

サワデーカップ (こんにちは、のつもり) とかコップンカップン (ありがとう、のつもり)

とかをカタカタで暗誦しながら、

しかし現地に入れば、何のことはない。 すべて日本語で押し通した。

「このお札は信用できん」 と両替所で文句を言ったりしたのは閉口したが、

やはり圧巻は、畑だった。

雨の降らなくなった東北タイの田んぼに入るやいなや、とっつぁんは、

これはこうしてああして、と一生懸命に、農民たちに技術を伝え始めたのだ。

現地の人たちは当然日本語は理解できないのだけれど、

とっつぁんを囲んで議論を始め、その言わんとすることを理解したのだった。

農民は分かり合える共通言語を持っている・・・・・

とても真似のできない力に、圧倒されたのを覚えている。

以来帰るまで、とっつぁんは、タイの農民からも  " お父さん "  の称号で呼ばれた。

 

バンコクの市場では、タイにもスイカがある! と喜んで買い求めていた。

一個一個手にとって、「これが一番だ」 とかいって、ホテルに帰って食おう、とか言う。

お店のオバサンが目方を計ろうとして取り上げると、

「何すんだ! オラのスイカだ 」 と怒ったりした。

 

とっつぁんの海外での呆れるようなエピソードはつきない。

しかし行く先々で、とっつぁんは " とっつぁん " となった。

恐るべきコスモポリタンだった。

 

とっつぁんの自慢は、もちろん西瓜だけではない。

彼は堆肥作りの職人でもあった。

山のように積まれた堆肥は、この人の土への深い愛を表現していた。

落花生では、こっちでピーナッツに仕上げる、と交渉したことがあったが、

煎り屋まで自分で選んで、譲らなかった。

 

後にも先にも、  " とっつぁん "   という呼び名が、こんなにはまる人はいないだろう。

なんか、またひとつ、「昭和」 が消えたような気がする。

 

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 合掌。

 



2008年7月18日

農業後継者、庄内に集まる

 

大地を守る会の生産者たちが、地域ごとに、あるいはいろんなテーマで

集まって技術交流したり、親睦を深める 「生産者ブロック会議」 。

始めてからもうかれこれ20年になろうかと思うが、

この会議は特に内発的というか、内側から湧き上がるように発生した

未来志向型の会議である。

 

今年で6回めとなる 「全国後継者会議」。

次代を担う若者たちが、年に一回、各地の生産現場を回る格好で集まる。

7月17日、今年は山形・庄内での開催となる。

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今回の幹事団体は、月山パイロットファーム、庄内協同ファーム、

みずほ有機生産者グループ、コープスター会、の4団体 -の後継者たちである。

大地を守る会事務局の担当者も若手職員をあて、

ほとんどすべてを彼らに切り盛りしてもらう。

 


今回集まってきたのは、青森から長崎までの若手生産者たちを中心に、約90名。

「後継者」 とひと括りにしてしまっているが、顔ぶれを見れば、

学校を出てからそのまま実家の農業を継いだ者、

脱サラして戻ってきたUターン組、

農地を取得して一から農業を始めた 「新規就農者」

あるいはその予備軍のような 「研修生」、

農家の後継者と一緒になった、いわゆる嫁や婿どの、

親の農作業は手伝ったりはするが本業はまだ学生という若者、などなど。

年齢も二十歳 (はたち) から40代までの幅がある。

共通しているのは、有機農業の次の時代の担い手である、ということだ。

 

東北だからと、少し甘く見て来てしまったが、

この日の庄内は猛暑の中にあった。 暑い。

集合したと思ったら、早速、農場へ。 挨拶はそれからだと。

やるね、若者。

 

今回の講師は、この間あちこちで講演をお願いしている、能登のご老公こと、

西出隆一師、71歳。

 

畑に到着するや否や、土の診断に取り掛かる。

ここは月山パイロットファームのだだちゃ豆のほ場。

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批評はストレートである。 歯に衣着せない。

-ダメなものはダメ、とはっきり言うてやらんと失礼やし、だいたい本気になれんやろ。

 

ここから先は専門的な話になるし、生産者の沽券にも関わるので、

割愛させていただく (というより、私の力量が足りない) 。

 

続いて、庄内地方にしかない漬物用の民田ナス畑。

案内するのは月山パイロットファーム・相馬大さん (下写真の左から二人目)。

お父さんの一広さんからすでに代表を受け継いだ、若き経営者である。

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皮に含まれるポリフェノールの多さゆえに、畑の赤ワインとも称される小丸ナス。

名作 『蝉しぐれ』 や 『たそがれ清兵衛』 などでファンも多い庄内出身の作家、

故・藤沢周平が愛した茄子だ。

 

地元では 「もってのほか」 と呼ばれてきた食用菊の畑で、

やはり診断する師。

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土壌診断で出された数値からの判断だけでなく、

葉や根や樹盛などの状態から、どういう要素が足りないか、あるいは多すぎるか、

の指摘が続く。 しかもいちいち、ハッキリしている。

「あっちの列は出んが、こっちは出る。 100%出る。」

害虫の発生を予測しているのだ。

 

畑回りの後は、座学。

ここでも師は、土壌診断の必要性と、見方・読み方・活用の仕方を解説する。

意外と、つまらないと思えるような質問でも、

素直に聞いた若者には、けっこう丁寧に対応していたりする。

本当に 「教えたい」 人なんだ。

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東京大の農学部を出てから、ひたすら実践で 「土と植物と人為の関係」 を

極めてきた。 西出さんをカリスマのように師事する農民が、今増えている。

師に言わせれば、「農薬を使うな、というより、いらん!」 となる。

農薬というのは、安全か否かの前に、

いい野菜を作る上で目を曇らせる存在のようなものらしい。

有機農業は科学の時代に入っている。 しかも農学の最先端として。

 

若者たちよ。 極められるか。

大地を守る会では、西出隆一師を、とことん使い倒したいと思っている。

それは西出さんの希望でもある。

冷静に、吸収し切ろうではないか。

 

庄内協同ファームの若者たち。

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いいね。 農民運動から始まった暑苦しい親父たちは親父たちの世界として、

自らの意思で農業を選んだ、明るい連中である。

しかも、次の世代が生まれている。

 

夜は延々と飲み続け、朝の4時を過ぎたところまでは記憶している。

二日目 (今日) は朝からどしゃ降りだったらしく、

私のあずかり知らないところで、現地回りは中止され、

座学の継続となった。 私はフラフラしながら途中から合流する。

内容は・・・・・レポートできない。

 

最後に、庄内協同ファーム、高橋直之・紀子夫妻のラズベリー農園を訪ねる。

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ラズベリーの摘み取り体験もできる農場。 ジャム加工にも挑戦している。

僕にしてみれば、生産者のお嬢さんが彼氏と始めた農園という感覚で、

お母さんと談笑する。

「前にのォ、私たちがエビさんにヘチマ水を強引に売り込んだようなことがのォ。

 今度はラズベリーのジャムを娘が売り込むと思うんで、よろしくお願いしま~す。」

・・・・・ウ~ン。 嫌な予感がしてきた。

とか思いながら、いざという時のために、ツーショットを撮っておく。

撮っておく、ということ自体が、すでに誘導されているような気もするのだが・・

 

高橋夫妻 -僕には富樫英治・裕子さんの娘さんと彼氏- が始めた

はらぺこファーム」。

ブログがあります。 よかったら覗いてみてください。

新米農家のスローな一日だって。 いいなぁ。 親父たちは走り過ぎたのかな。

 

 



2008年6月27日

「雪の大地」 の遺言

 

メンテナンス中だった先週の話を続けて恐縮ですが、

報告しないわけにはいかないことが続いたので、お許し願いたい。

 

訃報はいつも突然やってきて......

また一人、農の美学を信じた男が逝ってしまったのです。

 

山形・庄内協同ファーム元代表理事、斉藤健一さん、58歳。

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  (遺伝子組み換え作物拒否のシンボルマークを持って、田んぼに立つ斉藤健一さん)

 

健一さんの葬儀が行なわれたのは、6月21日(土)。

港区芝公園で行なわれたキャンドルナイトのキャンペーン・イベント

 『東京八百夜灯』 の日。

警備担当の役割を人に頼んで、列車を乗り継いで鶴岡に向かうことになった。


新幹線で新潟まで行き、羽越本線で日本海を北上する。

本を読んだりする気にもならず、ただ海を眺める。

今年の 「大地を守る東京集会」 のリレートークで、

庄内での取り組みの歴史を語ってくれたのは、たった3ヵ月前のことだったのに、

とか思い返しながら。

 

健一さんとの付き合いは1987年、

「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」 の立ち上げからだった。

米の市場開放と国の減反政策に反対して、

生産者と消費者の提携の力でこの国の田んぼを守っていこう、という運動だ。

その頃、「無農薬を要求するのは消費者のエゴだ」 と突っぱねていた健一さんが、

この運動の中で、「自らの意思」 で有機栽培に挑み始めた。

消費者に言われたからじゃない。俺がやりたいからやってんだ、とか言いながら。

いつだったか、収穫期に訪れた僕をコンバインに乗せて、

子どもに教えるように操作の手ほどきをしてくれたのを覚えている。

 

93年の大冷害がもたらした米パニックと、それに端を発して進められた市場開放は、

この運動に新たな展開をもたらした。

一年の冷害でかくももろく自給が崩れ、市場と消費者を混乱に陥れた

この国の農業政策の愚かさに挑んでみたい。

国を相手取っての裁判に打って出たのである。 

僕らの主張をひと言でいえば、

減反政策は国民の生存権を脅かす憲法違反である、というものだった。

農民の  " つくる自由 " を奪い、農村を疲弊させ、

消費者には  " 米が手に入らない "  という混乱と精神的不安を招いた。

国民の税金を "米を作らせないため" に使い、

結果として主食の自給力を衰えさせた。

 

全国から集まった原告は、生産者・消費者合わせて1294名。

裁判は、1994年10月の訴状提出から始まり、2001年8月まで続いた。

その間、27回の口頭弁論があり、

我々はその度に様々な論点で意見陳述を行なった。

 

僕は第2回の口頭弁論で、

水田の貴重な環境保全機能や役割が衰えてきたことを訴えた。

健一さんは6回目に登場して、

生産調整という名の減反が、補助金が出ないなどの集団的制裁を伴って

進められたことを、切々と訴えた。

 

    減反政策が始まってからの日本の農業は、転落の一途を辿ってきた。

    青年を農業の外に追い出し、村に20代の農民はいなくなった。

    田んぼに人影がなくなった。

    上流部では耕作放棄の田が広がり、二度と水田に戻らない状態になった。

    減反政策は、日本の農村景観の破壊であり、

    日本の農民の歴史に対する冒とくである。

    自由と平等そして生存という基本的人権を保障した日本国憲法のもとで、

    国家の政策によって集団的制裁を手段とする減反政策が強行されていることに、

    強い怒りを抑えることができない。

 

彼自身、減反に応じなかったために、地域での役職をすべて奪われ、

村の仲間から 「国賊」 とまで罵られたという。

減反政策は、地域の共同体までもカネでズタズタにしたのだ。

農民は、その地を離れることはできない。 どんなに辛かったことだろうかと思う。

 

減反政策は一時緩んではきたが、ここにきて再度強化されている。

しかも補助金を絡めての締めつけは、以前よりさらに厳しくなってきている。

世界の食料が逼迫している時代に、今でも真綿で首を絞めながら、

「米を作るな」 の脅しが農村を跋扈 (ばっこ) しているのである。

健一さんは、どんな思いをもっていったんだろうか。

 

葬儀で、若い頃の健一さんの写真が写された。 

まるでグループ・サウンズのボーカルみたいにカッコいい姿があった。

 

葬儀後、付き合いのあった生産者に流通関係者などもたくさん残って、

健一さんを偲ぶ席が設けられた。

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それぞれに悔しい思いや、楽しかった思い出などを語り合う。

 

斉藤健一さんは、大地を守る会にとって、もうひとつの顔がある。

大地オリジナル純米酒 『雪の大地』 の原料米、美山錦の生産者である。

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今年の製造は、彼のこだわりでもって木桶での仕込みである。

カートンの中には、彼が魂こめたという詩が添えられている。

 

    朝靄 (もや) の中に 大地をうなうトラクターの響き

    芽吹いたばかりの若苗が柔らかに輝く

    やがて 水が張られ 代かきされた水鏡は

    かげろうの中に田植えの時を待つ ............

 

今年も健一さんは、しっかりと美山錦の苗を植えつけてくれている。

今年の田んぼは、協同ファームの仲間が手分けして支えてくれることになっている。

 

協同ファームの生産者たちと別れ、飛行機でとんぼ返りとなったが、

そのまま大人しく帰ることができず、仲間の顔を見たくなって、

浜松町で降りて、芝公園に向かう。 何人分もの香典返しを抱えたまま。 

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消灯された東京タワー。

『東京八百夜灯』 に参加した人たちが帰り道についている。

 

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美しく輝く田園風景と、たくましく誇りを持った農民たちの姿を思い描きながら、

魂の農民、斉藤健ちゃんが、逝っちゃった。

 

健ちゃんが握りしめて走った、そのタスキの一片。 もらったからね。

何としても、つないでみせるから。

 



2008年6月23日

あじさいの花言葉は-家族の絆

 

なんとしたことだ・・・・・

先週1週間、ホームページ管理人さんによるメンテナンス作業が入ったのだけど、

最後のブログ記事の更新とデータのバックアップのタイミングが

微妙にずれたようで、15日付の冒頭タイトルの記事が消えてしまった。

ショック! とてもブルーな気分に陥っているのである。

日記も一週間も経ってしまったら、とても書き直すなんてできない。

 

でも、あじさいの写真をもう一度見たいと思って開いたら・・・???

という嬉しいメールが届いたので、写真だけでも復活させておこうかと思う。

 

ここは東京都小金井市の阪本吉五郎さんのお宅。

毎年この季節になると、「あじさい鑑賞会」と銘打って、

生産者と大地職員で慰労会を開いている。

この日 (15日) も、阪本さんが代表を務める 「東京有機クラブ」 のメンバー、

府中の藤村和正さん、小平の川里弘さんも家族で合流して、賑やかに行なわれた。 

日曜日だが、職員もけっこう参加してくれる。

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もともとは夏の暑気払いという名目で、有志で一席持っていたものだが、

5年前くらいから 「あじさい鑑賞会」 と名を変えた。

10年ちょっと前くらいか、吉五郎さんが体をこわして、

息子の啓一さんに経営を譲ってから、庭に紫陽花を植え始めた。

毎年々々挿し木で増やしてきて、

今やその数20種類はあろうかという、感動ものの 「あじさい庭園」 である。

そのお陰で、花を愛でるという、我々にはちょっと不似合いな、風情ある慰労会に発展した。

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加えてこの会にはもうひとつ、若手職員の研修というねらいがある。

東京近郊という近場にいる生産者から、色々と教えてもらえる機会なんだから、

交通費くらい自腹切ってでも来い! -てなもんで。

 

啓一さんから講義を受ける職員たち。

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啓一さんは、同じハウスの中で、数種類の葉物野菜を育てる。

いろんな葉物を同時に出荷できるように組み立てているのだ。

 

大地の居酒屋 『山藤』 用にも作ってもらっている。

まるで家庭菜園かのように細かく作付けされていて、

「こりゃ山藤の責任は重いぞ」 と、みんな感じ取ったことだろう。

 

ますます親父さんに似てきた感のある啓一さん。

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このハウス1棟で1週間の出荷分となるように計算されている。

種まきも少しずつずらしているのが、分かっていただけるかと思う。

 

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住宅が立ち並ぶ小金井という街の中で、

啓一さんはレモンの樹を植えた。

『東京有機クラブ・レモン』 の商標も取ったとのこと。 やる気だ。

どっこい、生きているぜ東京農民、て感じである。

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阪本家で昔からつくっている堆肥は、馬事公苑から運んでくる馬糞である。

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これが1年もすると、土になる。

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東京の資源循環の姿が、ここには残っている。

 

さて-紫陽花を愛でる。

こういう庭にするにも技が必要だと聞かされた。

もう疲れたので、あとは写真で眺めていただきましょう。

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おまけ-紫陽花にはカタツムリ。

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山藤のスタッフも、この日は感謝デーということで、出張ってきてくれた。

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料理長・梅さん直々の料理に、満開の紫陽花。

いや、慰労なんて通り越して、癒し満喫の午後となった次第。

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写真右が、藤田会長。 左が阪本吉五郎さん。

30年近い付き合いの歴史を振り返って、酒も進む?

阪本さんの隣が、府中の藤村さん。 こちらも、優しい風貌と語り口ながら、

当たり前のように東京の農地を守ってきた頑固者である。

 

この日、職員から教わった受け売り。

紫陽花の花言葉は-「家族の絆」 なんだそうだ。

 

体をこわして、一時は 「覚悟した」 という吉五郎さんが、

庭を紫陽花の園にした。 

ずっと咲き続けてほしいと思う。

 

(P.S.)

15日の日記では、岩手・宮城内陸地震についても触れました。

大地の生産者では、幸い大きな被害はなく、

皆さん、「ご心配おかけしましたが、大丈夫です」 とのことでした。

改めて-

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げるとともに、

一刻も早く元の暮らしに戻れれるよう、祈りたいと思います。

 



2008年6月 9日

福島-田植え後の様子

 

<昨日に続いて、先週の報告を>

翌5日から6日は、福島に出張。

田植えが終わってほぼ半月。 日照不足のまま梅雨に入った田んぼの様子を見て回る。

下の写真は、大地の備蓄米 『大地恵穂 (だいちけいすい) 』 でお馴染みの、

須賀川市・稲田稲作研究会メンバー、常松義彰さんの田んぼ。

紙マルチを使っての有機栽培ほ場の様子である。

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真ん中に、緑一色になった場所がある。 

田植え直後の強風で紙が剥がれ、ヒエなどの雑草が繁茂してきている。

一面に紙が敷いてあるので、田に入って取るワケにはいかない。

手前や右手奥には苗がなくなっている場所もある。 剥がれた紙で苗がやられたようだ。

何もしないと (草が) こうなる、というか、逆に紙マルチの威力を示している絵になっている。

生産者は、思い切って入る (取る) しかないか、と思案の中にいた。

 

稲田稲作研究会メンバーは、紙マルチ以外にも、米ヌカの利用に独自の工夫を凝らしたり、

栽培の研究に余念がない。

それどころか、自分たちでつくった販売会社、(株) ジェイラップ内にキッチン設備をこしらえ、

米の多様な活用策を模索して、いろんな研究や試作を繰り返している。

内容はまだ企業秘密段階なのだが、なかなか侮れない。

いや、そこら辺の食品企業など青ざめるほどの、恐るべし探求精神なのだ。

いずれ結果をお披露目できる日を期待したいと思う。

 

夕方には、会津・喜多方から大和川酒造店の佐藤工場長もやってきて、

今年産の原料米での 「種蒔人」 の仕様や、種蒔人基金の活用策などで話し込む。

稲田 (原料米生産者) -大和川 (加工者) -大地 (販売者) 、

このつながりは93年の冷害の年からだ。

いくつかの苦節を越えてきた15年は、人に言えないドラマもあって、

私の自負を構成している。

 

 

続いて、こちらは須賀川からさらに北に向かって、福島市を中心とする生産者団体

 「やまろく米出荷協議会」、岩井清さんの田んぼ。

昨年の全国米食味鑑定大会 「有機栽培コシヒカリの部」 で金賞を受賞した方だ。

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岩井さんは、米ぬか・大豆カスの施用と、手押しの除草機で草とたたかう。

しかも仲間の菅沢さんと一緒に、独自に除草機の改良に取り組んでいる。

機械を見ると自分流に改良したくなるのは、農民の本能なのだろうか。 

企業が開発したメカを、いつの間にか等身大の技術に作り変えてゆく彼らは、

もしかしたら、未来技術の開拓者だと言えないだろうか。

 

米ぬかも効いていて、水面が濁っている。 

これはイトミミズや小動物が活発に動いていることにもよる。

「できれば (草とりを) 1回ですませたいけども......まあ、2,3回は入ることになるかね」

と、こちらも思案中。 

畦に沿って張られた波板は、イネミズゾウムシの侵入を防ぐために設置したもの。

3人がかりで張ったのだそうだ。

でも田んぼの中にも、もうすでにたくさんいて、イネの葉を吸っているのだが、

それでも効果はあるという。

これがイネミズゾウムシ。 判別できるでしょうか。

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カリフォルニアから小麦かなんかと一緒にやってきた外来昆虫。

食料のグローバリズムは、栽培そのものをすら、しんどくさせている。

水系や環境の維持も含めて、ということにもなるけど。

一般の農家は殺虫剤を使用するが、

有機の米農家は、イネミズとは我慢比べだということを覚えている。

葉脈が吸われて白くなっても、青い部分さえ残っていれば、

「オレの稲は持ちこたえる」 という。

イネミズゾウムシの害は、ここ日本では、梅雨が明ける頃までの辛抱なのだ。

 

岩井さんの有機ほ場には、屋根つきの立派な看板が立っている。

それは彼の自慢でもあり、意地の表現でもあるようだ。

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左から二人目が岩井清さん。 その看板の前で一枚いただく。

この有機の田んぼで 「7俵は獲りたいなぁ、何としても」 と本音が漏れる。

1俵は玄米換算で60kg (白米にすると約1割、外皮を削ります) 。

一般的な栽培だと、8俵~10俵の収穫になるが、岩井さんの有機田んぼは例年5俵くらいだ。

米の生産者としては、悔しくてしょうがないだろう。

何としても実現したいのだ、7俵を。

獲れたら、もしかしたら金賞より嬉しいかもしれない。

 

いやゴメン。 岩井さんにとっては、ただ "獲れる" だけじゃダメなんだよね。

 

田植えから半月あまり。

この時期、米の生産者たちは皆、あの手この手で草や虫との格闘中である。

今年は加えて、天気が悪い。

やまろくさんのところも、田植え後の低温と強風に遭っていて、

苗が枯れて植え直したりしたようだ。

この日も雨が降ったりやんだりで、生育はいずれも遅れ気味に見える。

西暦2008年の米作りは、不安含みのスタートである。

 

夏らしい夏が、どうか来てほしい。

 



2008年5月28日

槍木行雄さんとのお別れ

 

日曜日に突然の悲報が届く。

千葉県山武市の生産者団体 「さんぶ野菜ネットワーク」 の生産者、

槍木 (うつぎ) 行雄さんが亡くなられた。

生産者会員としての登録は、すでに息子さんの康直さんに代替わりしているが、

1988年、JA山武睦岡支所に有機部会が設立された時の、初代部会長だ。

68歳での、早すぎる逝去である。

 

昨夜お通夜が行われ、今日の告別式となった。

生まれて初めての大役を仰せつかって、会場に向かう。

槍木行雄さんの思い出を辿りながら・・・

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このところ、

有機農業支援事業のモデルタウンに選ばれたり、環境保全型農業コンクールで受賞したりと、

さんぶ野菜ネットワークの話題が多かったが、

すべての土台を築いたのが、槍木さんも含めた初期のパイオニア生産者たちである。

 

1988年12月に、JA山武睦岡支所に「無農薬有機部会」が設立される。

集まった生産者は29名。

ただ全員がすぐに無農薬の野菜生産に入ったわけではなかったと聞いている。

不安先行のスタートだったのだ。

同じ設立メンバーの綿貫栄一さんが当時の思い出を語ってくれた。

「あん時よう、オレは行雄に聞いたんだ。 本当に (無農薬で) やれるんかいって。

 そんだらよう。 ヤツはきっぱり言ってな、『やれる』って。 そんで腹が決まったんだ。」

 

しかし、その後の苦労は並大抵ではなかったはずだ。

自分の野菜づくりだけではない。 みんながみんなうまくいくわけではないから、

栽培指導や部会の運営も大変だったと思う。

消費者との交流にも熱心に取り組んでくれた。

夏のツアーに秋の収穫祭。 90年には稲作体験が始まり、大地の実験農場が建設された。

おかげで、よく飲んだ。

 

いつだったか、ビール飲みながら、「エビさん、過労死しそうだよ」 と笑っていたのを思い出す。

大地と付き合うようになって、雨の日でも収穫しなければならなくなって (毎日配達あるからね)、

こたえるなあ、なんて漏らしていたなぁ。

こんなことまで思い出して...泣けてくる。

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大地で弔辞を読んでやってくれないか、と頼まれたので、受ける。

藤田会長の代読とはいえ、弔辞は生まれて初めてである。

一生懸命、落ち着いて読もうとするも、やっぱり途中で泣けてくる。

 

   昨年の秋、大地の職員合宿の農家研修で、槍木さん宅でお世話になり、

   研修も忘れて一緒にビールを飲み、スリランカ料理を楽しんだこと。

   あんなに元気だったのに・・・

   有機部会設立からいろんなことに取り組んでこられたこと。

   あれから20年経って、今ようやく有機農業推進法の時代に入って、

   槍木家には立派な後継者も育って、ようやく苦労が実を結んできた時に・・・

   行雄さんには、この先来るであろう、食と農業を大切にする社会を、

   何としても見届けてほしかった。

 

   生前の行雄さんの働く姿を知る者として、また教えを受けた者の使命として、

   しっかりと遺志を受け継ぎ、行雄さんの苦労が必ずや報われる時代を築いて見せたい。

   そのお約束をして、いったんのお別れのご挨拶とさせていただきます。

 

   朝から晩まで働きづくめだった行雄さん。

   どうか心安らかにお休みください。 本当に有り難うございました。

 

最後に、親族を代表して挨拶される、康直さん。

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3月に肺がんが発見され、あっという間の2ヵ月だった。

みんなで家で介抱していたそうだ。

亡くなる前、行雄さんは 「いい人生だったよ」 と漏らしたという。

この言葉に、みんな救われる。

最後の最後まで、行雄さんは優しかった。

 

行雄さん、オレも頑張るよ。

 



2008年5月10日

環境保全型農業

 

つい先日 (4月23日) に、

有機農業総合支援対策事業 (モデルタウン) の実施地区に選ばれたと

紹介したばかりの千葉 「さんぶ野菜ネットワーク」 さんが、

今度は、

「環境保全型農業推進コンクール」 で農林水産大臣賞を受賞した。

 

5月8日、そのお祝いの一席が開かれ、出席させていただいた。

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成田のホテルで、立派な祝賀会である。 

 

振り返れば、10年前にも同じ賞を取っている。

当時は、JA (農協) の有機部会という組合員の組織という立場だった。

それが10年経って、独立した農事組合法人としての受賞である。

集まった人たちを眺めれば、農水省の担当官から千葉県庁、県議会議員、

地元山武市のお歴々に加えて、取引先も多彩になっている。


ここ山武で有機農業が始まったのは、ちょうど20年前。 1988年のことだ。

 『大地低温殺菌牛乳』 の生産地である静岡県函南町で開催された

全中 (全国農協中央会) 主催の 『有機農業全国農協交流集会』 に

3名で参加したことがきっかけだった。

 

「これからは有機農業の時代になる」

当時のJA山武睦岡支所長・下山久信さんは、この集会で決意したのだという。

帰ってから、すぐさま支所内に有機部会を結成して、生産者に呼びかけた。

山武の特産でもある人参に発生していた連作障害に悩んでいたこともあって、

29名の生産者が集まった。

 

函南町での集会では、

地元にある大地の農産加工メーカー・フルーツバスケットの代表、加藤保明が講演し、

有機農業運動から低温殺菌牛乳開発、そして農産加工場設立と、

生産者と歩んできた発展の経過が話された。

 

下山久信さんは、かつての 「三里塚闘争」 (成田空港建設に反対する農民運動) の支援学生で、

大地の初代会長・藤本敏夫さんや、現会長の藤田のことも知っていたようだ。

そんなこともあって、彼は部会結成後、真っ先に生産者を連れて大地の事務所に訪ねてきた。

今はない武蔵境の事務所だったと記憶している。

 

翌89年4月、部会員・雲地幸夫さんのチンゲン菜が大地に初出荷される。

『クロワッサン』 なんて雑誌の取材が入ったりした。

 

当時、米の輸入自由化反対運動に関わっていた僕は、

もっと "お米について知ろう" という専門委員会を結成したばかりで、

消費者と一緒に米づくりを体験できる場をつくれないかと率直に下山さんに打診したのだった。

それが90年、『大地の稲作体験』 の始まりだ。

最初に田んぼを貸してくれたのは有機部会結成時のリーダー、今井征夫さん。

同じ年、大地の農場建設にも土地の提供から何から尽力してくれ、

そして何と、その農場開きのお祝いをした翌日に亡くなられた。 暮れのことだった。

今思い出しても、言葉がない。 大地と山武の熱い一年、だったなぁ。

その 『大地実顕農場』 は、今はない。

計画の甘さというより、当時の力量では早すぎたのかもしれない。

 

91年には地元の小学校の給食にも供給が始まった。

そして97年、第3回の環境保全型農業推進コンクール・農林水産大臣賞を受賞した。

 

2000年、有機JAS制度発足と同時に認証を取得する。

当時の部会員50名、有機認証圃場12ha。

 

2005年。 部会員46名で、農事組合法人 「さんぶ野菜ネットワーク」 を設立する。

そして今年、 「有機農業総合支援対策事業」 の指定産地として採択され、

自治体やJAなども巻き込んで、「山武市有機農業推進協議会」 を設立する。

 

......と、こんなふうに紹介すると順風満帆の勢いのようだけど、

歴史をつくる作業って、並大抵のものではないのだ。

20年前のトップランナーは、今日の受賞や助成の恩恵にはあずかってはいない。

開拓者の矜持 (きょうじ:誇り) が報われた、と言えば簡単だけど、

その喜びは、その人にしか分からない孤高のものだ。

 

祝賀会。 藤田会長に挨拶の指名が-

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出席されていた先達に労をねぎらったあたり、さすが。

 

挨拶に立った 「さんぶ野菜ネットワーク」 代表の雲地康夫さん。

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前日の断続的な地震で、あまり寝てないらしい。

厳しい農業環境の中でも、新しい取り組みにチャレンジしながら未来を切り開いてゆきたいと、

舌をかみながら挨拶。 微笑ましい。

 

結婚式も行なわれる会場で、懇親会。

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藤田と下山さん(写真右)。 左は元有機部会長・富谷亜喜博さん。

今期から、大地を守る会生産者理事に名乗りを上げていただいた、

これからのリーダーの一人である。

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面白い一枚をいただきました。

「オレたちゃ相棒だからよ」 と気軽に藤田会長の肩を抱ける数少ないお人、

生産者・越川博さんとのツーショットです。

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越川博さんと僕は、モデルタウン事業での、

消費者との交流事業推進担当という同じ立場である。

「エビちゃんよぉ、今度じっくりと飲むだんべな」

 

博さんと飲むかどうかは別として (アンタと飲むと翌日使い物にならなくなるから)、

とにかくおめでとうございました。

長いこと有機農業を無視し続けてきた国からの賞なんて、

ホントは片腹痛いという気持ちではあるけれど、

現場で天候や病害虫や周りの視線とたたかいながら実践してきた生産者にとっては、

やっぱり、それはそれで嬉しいのである。 地域を開拓したことには違いないからね。

 

これから先のしんどい道々も思いながら、今日はひたすら生産者の労をねぎらう。

 



2008年4月23日

有機農業推進のモデルタウンづくり

 

有機食品の認証に対するまっちゃん (お茶の松田君) の疑問と苛立ちは、

どうやら僕が想像してた以上に深そうだ。

コメントに返事を書いても、どこか自分の言葉が白々しくも感じたりして-

 

そんな折、ひとつの会合に出席した。

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4月21日(月)。 ここは千葉県山武市、JA山武郡市睦岡支所の会議室。

集まったのは、生産者団体 「さんぶ野菜ネットワーク」 から選出された8名に、

地元・山武市およびJA山武郡市 (の職員)、地区内で有機野菜の農場を運営するワタミファームさん、

そして大地を守る会から私。

 

実は農水省の公募事業によって、

有機農業の総合支援対策事業の実施地区 (これを 「モデルタウン」 と呼ぶ)

の候補として指定されたことで、

その推進母体となる 「山武市有機農業推進協議会」 を共同で設立する、

その総会が開かれたのだ。

殺風景な、どうってことない会議のようにしか見えないけど、

このご時勢に国から400万 (×5年) ほどの助成がおりる事業を進めるための

キックオフの会議である。


国は、2011 (平成23) 年までに、

有機農業を推進する体制が整備されている自治体 (市町村) の割合を50%以上にする、

ということを政策目標に掲げている。

知ってた? まっちゃん。

これが、我々が相当なエネルギーをかけてやった

「有機農業を広げるための政策をこそ、つくろう」 という運動の、ひとつの成果でもあるんだ。

 

有機農産物が 「JAS規格」 に収まってから、

これだけではダメだと言いながら、

何とか実現にこぎつけた、便秘の処方箋 (のひとつ) のようなものかもしれない。

いや違う。 本来の政策要求だ。

 

しかしこの補助事業は 「地域での推進」 が前提であるために、

まっちゃんのような個人農家がすぐに助成対象になるわけではない。

地元の行政がその気にならないといけない。 国には 「公共性」 という前提が必要なのだ。

逆に言えば、全国各地の有機農業者たちが行政を動かした所だけに

国の法律による支援が下りてきている、ということでもある。

 

有機農家が国の補助金なんかを求めてやっているわけではないことくらいは、重々知っている。

でもかつて、その存在すら認めなかった 「有機農業」 を法律で定め、

振興策までつくらざるを得なくなったことを、

僕はけっこう、運動の力以上に、世の流れと受け止めている。

だって、今の 「食」 の世界がそれを求めている、と思わざるをえないじゃないか。

 

公共性さえ担保できれば、「有機農業」 の振興を国が支援する、というところまではきた。

もちろん農業全体は、それどころではないくらい危機なんではあるけど。

 

で、山武の話だが-

この事業計画が、なんというか、まだ稚拙なのである。

計画策定に気楽に付き合ったつもりが、いやいや、大地の役割は重い。

これから意外な話に展開していく予感がする。

 

まあ、この地で有機農業をスタートさせる時から関わってしまった因果なのかもしれない。

ちゃんと結果を出せば、この何回かで書いてきた日記の答えにもなるだろう。

答えは数年後になるけど...... 

 



2008年3月12日

「合鴨水稲同時作」 -田んぼのもうひとつの生産物

 

これは、熊本は阿蘇のお米の生産者、大和秀輔さんが田んぼで育てたアイガモのお肉。

アイガモをヒナのうちから田んぼに放して、雑草や虫を食べてもらいながら、

米とアイガモを一緒に育てる。 当然、農薬は使わない。

これを 「合鴨水稲同時作 (あいがもすいとうどうじさく) 」 という。

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無農薬米も、アイガモも、最後には食べる。 これで完結する。

手を合わせ、「いただきます」 。 


肉の塊も、その背景や育った環境まで想像できてしまうと、

接する気持ちも多少違ってきたりする。

「食」 とは、いのちをいただくこと。 この当たり前のことが、しみじみと切なくなったりする。

でも 「食べることによって、いのちがつながる」 のだ。

大和さんが育てたお米とアイガモのいのちを、私の体で受け止めることとする。

 

まずは、焼き鳥。 ねぎまにして、焼いてみる。

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煙が部屋中に広がって、ヤバイ状態になるも、気分は盛り上がる。

しかもここまでくると、不思議なことに、もはやただの食いしん坊である。 

 

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連れは、庄内協同ファーム・斉藤健一さんの米で作った 「雪の大地」 とする。

スッキリ系のきれいな酒で いってみたい。

 

で、ねぎまにかぶりつく。

美味い! きっちりした歯ごたえ、適度の脂身、甘みもある。

何より、臭みがまったくない。

私の記憶がたしかならば・・・田んぼで育てたアイガモ肉は、野生の味が残ったりしたのだが・・・。

大和さん、上手に仕上げたねぇ。 感動もんだ。

 

1990年を思い出す。

前年から福島・稲田稲作研究会の生産者、岩崎隆さんが合鴨水稲同時作に挑んでいた。

これによって、これまで除草剤1回使用だったコシヒカリを無農薬にする。

そのチャレンジに応えたいと、僕は専門委員会 「大地のおコメ会議] (現在の「米プロジェクト21)」) で、

「合鴨オーナー制度」 というのを呼びかけた。

合鴨水稲同時作の一番困難な壁は、最後の合鴨の処理と販売だったのだ。

無農薬の米生産を支援するために、合鴨肉を引き受けるオーナーを事前に募集する。

一羽、なんと5千円。

最後の飼育手間と処理費、冷凍保管、発送費などを単純計算したら、こうなったのだ。

 

それでも集まった。 遊び心も心意気である。

生産者もやる気になってくれて、無農薬米の水田が広がった。

 

しかし、現実はそう甘くはなかった。

田んぼから上げた合鴨を処理して、肉にして、オーナーに送り届けたところ、

喜んでくれた人もいたが、苦情も多かった。

  「こんなに小さいのに5千円なのか!」

  「ケモノくさくて食べられない」 ・・・・・・・・・・

肉にムラがありすぎたのだ。

 

こんなやりとりもあった。

  「田んぼで働いてくれた合鴨を最後は食べるなんて、残酷だ!」

  「でも、あなただって、毎日いのちを食べてるんですよ。 牛なら許されるんですか 」

 

圧巻だったのは-

  「主旨には賛同する。 オーナーにはなるけど、肉は勘弁して」 という申し出である。

生産者に伝えたら、電話口から聞こえてきた言葉は-

  「エビちゃん、俺たちゃ乞食じゃないよ!」 

さすがにそのまま伝えることはできず、 " お気持ちだけで結構です。 どうぞご無理なさらないでください " 。

 

合鴨オーナー制度はその後も3年くらい続けたが、

事前予約でお金をもらうだけに、生産者も飼育に真剣になって、

 

ハウスの中でカモを飼っている米農家と、まるで畜産農家だね、と笑いあったことがあった。

結局、続かなかった。

 

その後、合鴨水稲同時作の生産技術は年々進化していって、

肉もかなり上質に仕上げられるようになってきた。

今になって、僕らの取り組みは早すぎたようにも言われるが、そんなことはない。

あの草創期にやったからこそ楽しく、意義もあったのだ。

当時、熊本で開催された 「合鴨サミット」 で、

大地は、生産者と消費者と事務局が一緒に壇上に上がって報告した唯一の団体だった。

あれから、似たような取り組みがあちこちに増えていったことを、僕は知っている。

それこそ喜びである。

 

最初にアイガモ肉を食べてから18年。

僕は、今でもこの栽培方法が気になっている。

いくつかのマイナス点もあり、安易に絶賛はできない。 しかし思想と技術は深まっている。

 

何といっても、THAT'S国産の畜産物が、田んぼで育つのである。

 

次は、玉ねぎと煮る。

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しっかりした肉だ。 問題ないどころか、充分使える。

お米の値段が下がるなかで、再度、何とかできないか・・・・・

と思案するうちに、「雪の大地」 が空いてしまった。

 



2008年3月 5日

波村さんのポンカンと酸性雨

 

昨日に続いて波村郁夫さんの話を。

 

実は、東京集会 (だいちのわ2008) での 「身近な環境セミナー」 で、

マエキタミヤコさんのお話の終了後、LESSON 2へのスタンバイをしているときに、

波村さんがポンカンを手に持ってみんなの前に出た。

そのポンカンは、セミナー参加者へのお土産用にと送ってくれたものだったが、

そのワケを波村さんが伝えてくれたのだ。 ちょっとショッキングな内容だった。

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このポンカンは何と、酸性雨にやられたものだという。

ポンカンは長く木に実をつけたまま持たせるもので、当然その間に雨にも当たるが、

あるときの雨のあと、近隣の園地も含めて、水滴がついていたあたりから

赤茶色のサビのような斑点ができて、腐っていったらしい。

周囲では、全滅してボタボタと落ちていった木がたくさん見られたとのこと。

 

公的機関は酸性雨の被害だとは認めてくれないが、その雨のあとに被害が発生したのは、

酸性雨としか考えられない、と波村さんは考えている。

 

「売り物にならないので、自分も放っておこうかと考えたが、ちょうど東京集会があったので、

 皆さんで食べてもらって、少しでも環境のことなども考えてもらえたらと思って、

 比較的きれいに残ったものを摘んで、送らせてもらいました。 どうぞ食べてください。」

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今回の被害の原因が本当に酸性雨のせいなのかどうかは、私には分からない。

しかし、波村さんがそう確信するのにも、それなりの理由はある。

 

この時期になると南からの風に乗って黄砂がやってくるが、

中国では今、化学肥料の大量投入や地下水の富栄養化などで農業環境の汚染が進んでいる。

その影響で、土壌の劣化や塩類集積、そして生産力の低下を招き、

結果的に、放棄された土壌は黄砂の発生源になる。

さらには黄砂に含まれる酸化硫黄は、雨の酸性化をも招いているだろう。

もちろん人間の健康への影響も懸念される。

 

環境の悪化は、誰にとってもいいことはない。

その影響はだいたいが上流 (風上) から下流 (川下) へと進む。

そういう意味で、安全性 (土壌や環境の健全性) に気を配ってくれる生産者は、

我々消費者にとっては、大切なアンテナの役割も果たしてくれている。

彼のミカン経営が長く続くよう、たくさんの人に支えていただけると嬉しい。

 

・・・・・なんて言いながら、少し恥ずかしい思い出が蘇る。

僕が初めて波村さんとじっくり話をしたのは、16,7年位前の東京集会の夜だった。

ウマが合ってたはずの農業談義が、気がつけば、口論に発展していた。

その年、集会で講演をしてもらったのが作家の井上ひさしさんで、

畑も耕しとらん小説家に何が分かるか、という彼の感想に、

農民の狭い了見だ、とかなんとか、肥後もっこすの火に油を注いでしまったのだ。

そのうち、なんでか......

「あんたに農業が分かると? 分からんもんに何も言われたかなかよ。」

「ああ分かった。 あんたのミカンなんか、売りたくない!」

「ああ、よか! あんたなんかに売ってもらいとうない!」

 ・・・・・あ~あ、アホだね、ほんと。 (前にも似たような話を書いたような...)

 

今はなき市川塩浜のセンターで、飲んだなぁ、とことん。

最後は一緒に寝たんだっけか。

あれから毎年、会うたびに、僕らはまず照れたようなはにかみを交わしてから握手をする。

飲めば、「俺たちは同志だから」 と周囲に自慢する。

やっぱりアホは変わってない。

 



2008年3月 4日

波村さんのかんきつ思い

 

東京集会が終わって、その余韻を引きずりながらレポートを書いていた先週、

少し疲れた心身 をさりげなく癒してくれたものがあった。

私の部署の窓際の一角、テーブル一台分の共有スペースに、何げに並べられていた柑橘類。

見ればアンケート用紙がついている。

『波村さんの 「とくたろう」 候補のかんきつ類です。 率直なご意見をお願いします。』

波村さんとは、大地にみかんを出荷してくれている波村郁夫さん (熊本県三角町/現宇城市) のこと。

 

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6種類の柑橘が並べられている。

「九年母(くねんぼ)」(写真手前の右)、「三宝柑(さんぽうかん)」、「絹皮(きぬかわ)」

「金柑子(きんこうじ)」、「蓬莱柑(ほうらいかん)」、

そして 「黄金柑(おうごんかん)」(手前の左の小さいやつ)。

 

「黄金柑」 は近年の交配種なので、在来種にこだわる 「とくたろう」 のコンセプトとしては別物となるが、

その他の5種は、波村さんが九州の山々を歩いて見つけては育ててきた、古い品種たちらしい。

話には聞いていたけど、こんなに探したのか、と感心する。

今の種々のかんきつ類のどこかに、彼らのDNAがつながっているかもしれない。

もちろん元はすべて南方から伝来されたものではあるが、

そこで住み着いて定着してくれた先祖たちということで、 「とくたろう」 候補なのだ。

波村さんがあちこち歩きながら見つけては残してきた、というのがなんか響いてくるものがある。

 

「九年母」 ・・・インドシナ原産。 室町時代に伝来し、紀州みかんや柚子と並び、江戸時代までの

 日本の主流品種で、宮廷の貴族や公家などが食し、江戸の将軍家にも献上されたという話がある。

 温州みかんの先祖とも推定されている。 ジューシーで酸味強く、独特の香りがある。 

 これが温州の原種かと思うと、この香りもトロピカルな・・・・という言葉が浮かんでくる。 

「金柑子」 ・・・江戸時代からあったとか。 さっぱりした甘夏って感じ。 酸味に多少の苦味が残る。

 あちこちに色んな呼び名で残っているらしい。

「絹皮」 ・・・・・これも江戸時代から記録がある。 文字通り剥きやすく、食べやすい、さっぱりした味。

「三宝柑」 ・・・柚子の遠縁らしい。 デコポンに似た果実。 三宝 (三方のこと) に載せられて

 献上されたことから名づけられたと解説にある。 果肉は上品で爽やかな甘みがある。

 皮が厚いので、今でも中をくり抜いて料理に使われている。

「蓬莱柑」 ・・・三宝柑とほぼ同じ系統のようだ。 剥きやすくジューシー。 味はこちらも淡白。

 袋ごと食べると独特の渋みがかった苦味が残った。

 

「黄金柑」 は、今や "ゴールデンオレンジ" の異名もある、知る人ぞ知る柑橘。

小さな果実だが、甘み酸味ともに強く、爽やかな芳香がある。

これは別ものとして、

古来からの5種は、ともに全般的に淡白な味わいである。 でも、食べてみて思う。

今の甘い品種に慣れた者には味気なくも感じられるだろうが、これが原種の味であり力なのだ。

昔の人は、他の果実にない香りと酸味と甘みに異国情緒や季節感を感じて楽しんだのだろう。

種の多さから見ても、強い生命力を感じさせる。

農薬・肥料なしでもしっかりと生きてきたんだよね。

こういった忘れられた品種を探しては自園に残してきた波村郁夫は、

本当にかんきつ思いの柑橘農家なんだと思う。

 

もしかして、いつか波村農園から、まったく新しいミカンが生まれるかもしれない。

どっかのお店で独占契約して、 " 波村さんの未来みかんコーナー " というのはいかがか。

 



2008年1月30日

一山レポートと イカの塩辛

 

大地を守る会の専門委員会「おさかな喰楽部」のメーリングリストに、

時おり一人の水産生産者から便りが入る。

一山美秋(いちやま・よしあき)さん。

大地にイカの塩辛を提供していただいている

神奈川県中型イカ釣漁業協会・三崎いか直販センターの方だ。

僕はこの便りを勝手に「一山レポート」と呼んでいる。

 

その一山さんが、昨年いっぱいで退職されることになった。

 

27日、パレードを終えた後に開かれたおさかな喰楽部の新年会は、

一山さんの労をねぎらう会ともなった。

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一山さんと僕は同郷である。

会うと必ず故郷の話題になる。

 

昨年の暮れに一山さんから送られてきた退職の挨拶メール。

 

  四国の寒村の漁家に育ち、

  万年漁師を希求し水産課程の教育を受け、

  遠洋漁業のマグロ漁船に30余年乗船。

  その後は陸上勤務で過去の体験を生かしマグロ販売に12年、

  現職のイカの営業に10年と、

  水産一筋に懸命に勤めてまいりました。

 

一山さんはいつも、

三崎でのヒジキ狩りや交流会はじめ、

大地のイベントには必ず顔を出してくれて、

マグロの解体やイカの丸焼きなどで骨を折ってくれた。

 

加えて一山さんとは、

その人柄がレポートからも滲み出てくるような人なのだ。

海産物への造詣の深さは言わずもがなとして、

一山さんの書く文章には、上手い下手を通り越して、

ある種の品すら感じさせる。

たとえばこんなふうに。

 

  近年、水中カメラマンが撮影した写真集が刊行され、

  水中のイカ類の様々な生態に親しみを感じます。

  個体の容姿は、可愛い!綺麗!神秘!驚異!と、

  イカ族の数奇な遺伝子の核分化の歴史に興味が傾きます。

  水中に生息するイカ類には、『光るイカ』は非常に沢山いて、

  色彩が虹の七色以上に多種発色し、

  常に外敵から身を守るためには周囲の環境に融和適応する

  頭脳的な能力を発揮して行動しています。

  海中から釣りあげたイカも、種別により体色は異なるが、

  たいていは茶系色の濃淡を主体にして、

  虹色の生態色と豊かな色彩で、無数の斑点が綺麗に発光し、

  提灯が呼吸するように点滅を繰り返しています。

 

  また水中で遊泳しているイカの映像を見ても、

  外皮全体がたえず青緑主体の透明化した内臓までが蛍光色に染まり

  輝くような、賑やかな状態で生活をしています。

  (中略)

  450種いるイカ族を一同に集めて、

  多彩に発光するグラデーションの水中は素晴らしいのではないかと

  生存展覧の光景を見てみたい。

 

改めて書き写しながら思った。

この品は、海や魚への愛情から醸し出されているのだ。

 

時々添付してくる写真もまた、上手なのである。

 

イカの吸盤

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大地のイカの塩辛

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塩辛についての一山さんの解説。

 

  神奈川中イカの「イカ塩辛」は、所属船が一本釣りで漁獲した

  新鮮なスルメイカのみを原料とし、特に肝は格別に目視検査し

  厳選しています。

  透明なイカ胴肉は揮発性の不純物を半乾燥で除外し、

  同時に自己消化過程で蛋白質や核酸、糖質などの成分を熟成させ、

  肉質の柔軟化を増長させています。

  イカ肝は豆腐の「オカラ」と天然塩で脱臭脱水後に熟練分離して

  数日間寝かせ、先にカットした半生の胴肉にまとわせるように絡ませ、

  低塩調整して更に毎日冷蔵庫で攪拌しながら発酵させ、

  酵素の微生物の醸すハーモニーを吟味調整して最終仕上げをします。

  手造り無添加こそ発酵食品の醍醐味で、

  自然が創り出す成分は効能の宝庫です。

 

  納豆やヨーグルト、糠漬けのように、体内に取り入れられた微生物や

  乳酸酵素の薬効も抜群で、全身の機能を活性化させます。

  漁師風の味を守りつつ、現代の健康嗜好100%に改革した

  塩辛の工房は、消費者に絶賛好評で仕事冥利につきます。

 

...実に実直に、魚や加工の仕事に向き合って生きてきた人だ、と思う。

 日本人の勤勉さと繊細さは、農民だけがつくったのではないようだ。

 

マグロ船時代の写真だと思う。

パナマ運河をわたる写真がついてきたことがある。

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そういえば、まだ一山さんからマグロ船時代の話をちゃんと聞いてないなぁ。

 

一山さんはこの日(27日)、

朝の勉強会から日比谷野音-パレード-新年会とフル参加してくれた。

 

パレードで藤田会長(左)と並んで行進する一山さん。

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昨日お礼のメールが届き、

「これからは消費者会員の一員として協力していきたい」

と、18から始まる7桁の会員番号が記されてあった。

 

生産者にこんなふうに言ってもらえる大地は幸せである。

いま富士が美しい季節です、と写真が添付されていた。

 

「諸磯白須湾の漁船と富士」

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漁業資源の枯渇が進むなか、

一山さんには、まだまだ教えてもらわなければならないことが沢山ある。

 

ひとまずは、これまでの労に感謝して、

一山さん、ありがとうございました。

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(慌ててしまってピントを外しちゃいました。スミマセン)

 



2007年12月 8日

上堰米

 

......というお米が届く。

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差出人は、福島県喜多方市山都町早稲谷の浅見彰宏さん。

10年前にこの地に移り住み、夫婦で有機農業を始めた方。

 

彼の農園の名前は 「ひぐらし農園」 という。

あの晩夏の夕暮れに鳴くセミが好きなのか、農園の暮らし向きを表現したのか、

その辺は聞いてないので分からないが、おそらくは......いや、やめておこう。

 

地元のきれいな棚田の写真が貼られている。

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山都町早稲谷地区は、霊峰・飯豊山の麓に位置し、

ブナの原生林やナラを中心とした広葉樹林に囲まれた美しい山村である。

250年も前に拓かれた手掘りの水路が、今も棚田を支えている。


 

今年の5月4日、

その山間を縫うように張り巡らされた水路(堰)の補修のお手伝いをした。

そのお礼にと、送られてきたものだ。

  ≪7月10日の日記-「日本列島の血脈」もご参照いただければ≫

 

玄米、7kg。 この数字が、なんかほのぼのとさせる。

5㎏でも充分なのに、

浅見さんは誠実に、収穫物から送れる量を人数で割ってくれたのだろう。

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これが当日の堰浚(さら)いの様子。

一年分の土砂や落ち葉などを浚い、水回りを取り戻す。

けっこう重労働だったが、これで棚田に水が回る。

村じゅう総出での作業である。

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我々ボランティア組はすぐに腰が痛いとか言っては休みたがるが、

地元の方々は黙々と続ける。

バカにされちゃいかん、と意地も出すが、すぐにため息をついては汗を拭う。

 

この作業人足がだんだんと減ってきている。

高齢化も進んでいる。

この堰が埋まった時、写真にあるような美しい棚田も滅ぶことになる。

 

この棚田も。

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ここが堰の源流の地点。

ブナの原生林に育まれたミネラル豊かな水が、麓にまで行き渡る。

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浅見さんは、外からの入植者であるゆえの人脈を活かして、

またネットも駆使して、この仕事のボランティアを募っている。

地元の人からの期待や信頼も獲得して、いまや貴重な若手人材となっている。

 

本木上堰と名づけられた全長6kmに及ぶ水路を、

上流から下る組と下流から上る組に分かれて、合流するまで作業は終われない。

堆積物を上げ、壁を直し、草を刈りながら、行軍する。

 

下流から上った我々が、ようやく上流組と出合った時の一枚。

さすがにしんどそうだ。村の人たちに混じって浅見くんの雄姿も(左から二人目)。

すっかり村の人だ。

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彼も実は、7月23日の日記 「全国後継者会議」 で紹介した、

埼玉県小川町の有機農業のリーダー、金子美登さんの門下生である。

 

金子さんのところで学んだあと、この地に入植した。

金子さんの話によれば、

農業条件の良い土地よりも、自分を必要としてくれる場所に行きたい、

と語っていたそうだ。

すっかり頼られる存在になって-。 働いたんだね。

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彼は今、冬の仕事として、麓の大和川酒造店で働いている。

毎年2月にやっている、 「種蒔人」 の新酒完成を祝う 「大和川交流会」 では、

蔵人・浅見彰宏と会うことになる。

 

夏は上流の水を守りながら米をつくって、冬はその地下水を汲んで酒をつくる。

すっかり飯豊(いいで)山水系に生きる人である。

上堰米を炊いてみる。

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美味しかったです。ありがとう。

 

※大地のオリジナル日本酒 「種蒔人」 でつくられた 「種蒔人基金」 では、

  本木上堰の清掃作業の支援をこれからも続けたいと考えています。

  「種蒔人」を飲みながら水源を守る。

  お値段もいいお酒ですが、たまのハレの日などに、ぜひ!

 

※来年の大和川交流会は、2月9日(土)です。現在参加者募集中。

  会員の方は今週配布された 『だいちMAGAZINE』12月号をご覧ください。

  お問い合わもお気軽にどうぞ 。

 



2007年12月 4日

黒瀬さんからの便り

 

11月22日付-「よみがえれ!ブナの森」 を読んでいただいた、

大潟村の黒瀬正さん(ライスロッヂ大潟代表)から、嬉しい便りが届きました。

 

私宛てではなく、大地の会員皆さんへの御礼とメッセージの形になっているので、

ここでご紹介させていただきます。

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(黒瀬正さん)


     地元から一言

 

大地の皆さん、毎年ブナ運動へのご支援ありがとうございます。

 

私たちは、農薬の空中散布や、ダイオキシン含有の除草剤MOの全域禁止、

或いは合成洗剤の転換など、食の安全や環境問題に関する運動を

古くから積極的に行なってきました。

空散やMOの全域排除を、生産者からの提案で25年も前に行なったのは、

全国的にも初めてであり、画期的なことでした。

 

こうした中で、こともあろうに村行政主導でゴルフ場を建設する企画が、持ち上がりました。

                                   ≪エビ注-90年頃の話です≫

この企画は、賛否の住民が対立する大騒動になりましたが、

全国の消費者団体の皆さんの応援も頂いて、かろうじて撤回させました。

 

このように、食や環境に関する住民運動が盛んに展開されている農業の村・大潟村で、

このような企画が村当局から出たり、また、これに賛同する農家住民が数多くいたということは、

食の安全や環境についての認識が地域全体に浸透していないことだということに気づき、

それまでの運動を大いに反省しました。

 

そこで、水や農薬や環境についての関心を、

大人も子供も多くの地域住民が愉しみながら深める運動を展開する方策の一つとして、

ブナ植えを始めたものです。

 

私たちの田圃に水を運んでくれる馬場目川は、古老に聞くと

「昔は年中切れることなく豊かな水が流れていた。でもブナが伐採され

造林杉一面になってからは、夏場は水枯れが頻発し、

また一揆水で川が荒れるようになった」 と言います。

 

私たちは馬場目川源流部に 「緑のダム・ブナ林」 を再生しようと、

国有林の造林杉更新地の一部開放を営林署に頼みましたが、

当時は営林署の現場職員には、価値や意味はまったく理解されず大変苦労しました。

でも、たまたま、その時の若いキャリアーの秋田営林局長が理解を示し

賛同してくれたことで、この運動のスタートが切れました。

 

このブナ植栽は15年目になります。

夏に下刈りに山に行くと、最初に植えたブナは10メートルを超し、

野鳥も増え鶯などもさえずって、若木ながらも豊かなブナ林の風情も出ております。

 

文化の日に行なうブナ植えの集いは、毎年大勢の参加者で賑わい、愉しみながら、

水や農薬や合成洗剤など環境についての想いが地域の人々に拡がってきています。

また、今では営林署の現場の人々も積極的に参加してくださいます。

 

現地から、皆さんにお礼を言いたいことは、

大地の皆さんを始め全国の消費者の方々がこのブナ植栽運動にカンパや参加くださることが、

地元の人々の大きな心の支えや、関心を呼ぶ動機付けになり、

運動が拡大し継続する原動力になっていることです。

 

我が黒瀬農舎では、この日はロッヂを開放して前夜祭を行ない、

生産者と消費者の交流や意見交換など行なっています。

 

どうぞこれからもこのブナ運動へのご支援をお願いして、

エビちゃんに、大地の事務局の皆さんに、そして、

大地をはじめご支援くださっている消費者の方々へのお礼のご挨拶と致します。

 

                               ライスロッヂ大潟・黒瀬農舎 黒瀬正

 

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(黒瀬さんの田んぼには、遺伝子組み換え拒否の力強い看板が立っている。)

 

黒瀬さん。

どうも有り難うございました。

 

100年先の田園を見据える皆さんの活動には、頭が下がるばかりです。

でも我々も、ただ植林のお手伝いだけでなく、

多少でも現地での関心の広がりにお役に立てているのかと思うと、励まされます。

 

夏の下草刈りは、時期的になかなか都合がつかず、申し訳ないですが、

山と里・湖のつながりがさらに深まることを願っています。

 

だいぶ寒くなってきておりますので、どうぞご自愛ください。

2月の東京集会でお会いできるのを、楽しみにしています。 (エビ)

 



2007年12月 1日

西日本生産者会議

 

11月29日(木)から30日(金)、

西日本生産者ブロック会議を開催。

 

生産者会議もここ数年は、先日の「土づくり会議」(11/20の日記参照) のように、

テーマを設定して開催するのがほとんどだったが、

久しぶりに西日本の生産者の集まりをやろう、ということになった。

10年ぶりくらいだろうか、正確に思い出せない。

対象は近畿から九州である。

 

会場になったのは、高知県土佐町。四国のど真ん中。つうことは山ん中である。

吉野川の上流になる。

干ばつになるとよくテレビに登場する早明浦(さめうら)ダムのあるところ。

 

ここに 「土佐自然塾」 という、有機農業を教える学校がある。

 

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学校といっても、NPOで運営する農業研修のための、いわば私塾なのだが、

着目すべきは、高知県がタイアップして支援していることだ。

有機農業の技術を教え、希望者には地元行政が新規就農のお世話までする。

 

若者を受け入れ、有機農業の手ほどきをし、県内に定着させる。

安全な農産物の拡大、遊休農地の解消、環境保全との両立など

色んな効果を期待しての行政の支援なのだろうと推測する。

(ちなみに上の写真の建物は、もとは「大工の学校」とかいうのをやっていて、

使われなくなったものらしい。ここに県職員も常駐している。)

 

塾長は、山下一穂さん。

学習塾の先生を辞めて、9年前から農業者に転進したという経歴だ。

有機農業を実践し、なんと 『らくらく有機農業』 なんていう本まで出した。

有機・無農薬で長年苦労している生産者には、ちょっとムカつくような話だが、

橋本県知事をその気にさせ、行政を巻き込んだ手腕も含めて、

あなどれない御仁である。

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山下さんは生産団体 「高知県生産者連合」(高生連) の一員でもあり、

大地には 「高生連」 のメンバーとして、野菜が出荷されてくる。

 

この 「土佐自然塾」 の見学に、近畿・中国・四国から30名強の生産者が集まってくれた。

 

畑見学の様子。

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研修生は現在3名だが、すでに就農した卒業生が何人もいるとか。

農地を斡旋するだけでなく、地元とのお付き合いの仕方や販路の世話までしているらしい。

 

そして今回、生産者ではないが、山下さんの友人ということで、

飛び入りの参加者が一人。天野礼子さん。

長良川河口堰の反対運動で名を馳せたアウトドア・ライターだ。

『生きている長良川』 『21世紀の河川思想』 『森からの贈り物』 など著書も多い。

 

お会いするのは初めてだが、なんとも押しの強い女性である。

有機農業推進法や、農水省が発表した生物多様性戦略(※) を引き合いに出しながら、

「いいですか。ようやく皆さんの時代が来たんです」

とか言って、我々を叱咤してくれる。

この調子で、開高健(作家) とかを口説いたんだな、きっと。

 

面白い組み合わせの一枚が撮れた。

天野礼子と島岡幹夫のツーショット。

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天野礼子が長良川なら、

こちら島岡幹夫は窪川原発計画を阻止した男だ。

計画を止めただけでなく、原発推進派の農民たちも説得して、

有機農業による町づくりを提唱し、自らも無農薬での米づくりを実践した。

その生産者たちの農産物の販路を築くために結成されたのが 「高生連」 であり、

大地と 「高生連」 との付き合いも、たしか1988年、

島岡さんのお米 (高知提携米) からである。

 

伝説をつくった男に、新しいカリスマ・山下一穂。

暑苦しい土地に暑苦しい生産者が大勢いて、

高生連代表の松林直行さんは、この日体調不良で欠品となった。

身が持たんのかもしれない・・・

 

最後に記念撮影。

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私も二日酔いで、テキトーに撮ってしまう。

 

なんせ夕べの酒宴は、サバイバルゲームのようだった。

記憶の最後は、「もう3時だよ」と叫んだこと。

その時、島根・やさか共同農場の佐藤隆さんは、

たしか鰹のタタキが盛られていたお皿に顔を伏して潰れていたような気がするのだが、

あれは夢だったのだろうか。

 

別れ際に、大地の藤田会長からリクエストが。

「エビスダニ。山下さんとの写真を一枚を撮ってくれ」

 

会長が写真を求めてくるのは、実は珍しい。

はいはい、ではちょっと集中力を取り戻して-

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ファインダー越しに、思う。

藤田さんが写真を求めたのは、

山下さんが前会長の藤本敏夫さんによく似ているからだ。

 

なお、1日目は、高知大学農学部の荒川良先生を招いて、

「土着天敵の有効利用について」の勉強もちゃんとしたことを付記しておきたい。

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(※)生物多様性戦略については、8月7日の日記で触れているので、

読み返していただけたら、嬉しいです。

 



2007年11月25日

宮城・雁とエコのツアー

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夜明け前です。


気温は0℃。雲は低く覆っていて、底冷えのする朝6時。

 

まだ弱い薄明の湿原一帯に、何種類もの鳥の声がざわめいている。

グァグァとカモの類、コォーコォーと高いのはハクチョウ、

中でも多いのがガァンガァンと鳴くやつ。雁(ガン)だ。

 

突然、湿原の奥から、ものすごい数の雁が一斉に舞い上がって、空の色を変えた。

あっちからもこっちからも、呼応して飛び立ってくる。

 

写真が上手く撮れなくて悔しいが、

上空に筋雲のように映っているのが、すべて雁である。

 

ここは宮城県大崎市(旧田尻町)、蕪栗沼(かぶくりぬま)。

11月24日(土)、我々 『宮城・雁ツアー』 一行20名は、朝5時に起き、

ここで雁が飛び立つ様を見に来たのだった。 


案内してくれたのは、この地で有機米を栽培する千葉孝志(こうし)さん。

 

渡り鳥の貴重な飛来地、休息地であり餌場として、

一昨年11月、蕪栗沼と周辺の田んぼ423haがラムサール条約に登録された。

世界で初めて、田んぼが生物にとっての大切な湿地であることが認められた場所である。

 

今回は、千葉さんの米づくりの話はそっちのけで、

渡り鳥たちが集まってきた蕪栗沼を見よう、ということで集まった。

まあ、この数をみれば、おのずと周辺たんぼの生命力も推しはかってもらえるか。

 

せわしないガンと違って、ハクチョウは悠然と休んでいる。

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20年前にラムサールに登録された伊豆沼・内沼は、

ここから約5~10kmほど北にある。

伊豆沼・内沼に蕪栗沼も合わせたこの地帯で確認された鳥の種類は二百数十種に及び、

マガンでは日本に飛来する80~90%がここで越冬する。

今年もすでに6万羽 (8万だったか) が確認されているという。

 

これは他に飛来できる地がなくなってきていることも意味しているのだが、

それだけに、ここの扶養力の高さを浮き彫りにしている。

 

彼らは冬をここで過ごし、餌をたっぷり捕って、3月に故郷シベリアに帰る。

 

千葉さんたちは、冬も田んぼに水を張る冬期湛水

(最近は 「ふゆ水田んぼ」 と言われる) に取り組んでいる。

鳥たちの餌をさらに豊富にさせると同時に、田んぼの地力も高めるという効果がある。

 

ラムサール条約に登録されての変化などを千葉さんに聞いてみる。

答えは簡単なものだった。

 

「メリットもデメリットもない。な~んにも変わらないよ」

 

補助金を貰えるわけでもなく、何か特別な指導が入るわけでもない。

観光客が来たとて、千葉さんにご褒美が出ることもない。

逆に登録されたことで、保全区域としてやりにくくなることもあるんじゃない?

 

「まあ、そのためにやってきたわけでもないし。

 これからもやることは変わらないんと思うんだけどね」

 

こういうのを恬淡 (てんたん) と言うのか。

賞をもらったからといって奢るわけでもなく、欲を出すこともない。

ただイイ米つくりたくて、そんで鳥を見ながら、こうしたいからこうしてきただけだ。

 

こういう姿勢に惚れちゃうんよね、アタシ。

 

一方で千葉さんには、内心の疑問もないではない。

冬季湛水が本当に米づくりにとってベストな選択か-

実は千葉さんの中では、回答はまだ出ていないのだ。

 

「ふゆ水田んぼ」 にお国までもが付加価値を認めつつある時代に、

どんなにもてはやされようと、

「これでいいのかなぁって思うところもあるんだよね

という千葉さんがいる。

付き合いたいな、とことん。

 


午後、今度は鳥たちが休息する田んぼに向かう。

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ガンは警戒心が強いので、望遠レンズがないと絵にできないけど、

ハクチョウは、我々を警戒しつつも、敵ではないと思っているのか、

一定の距離を保って、こちらが一歩近づけば一歩遠ざかるだけ。

 

逃げることもない。

人間が近くで喋っているのに、畦でずっとケツを向けて昼寝しているヤツもいた。

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続いて、これがドジョウなどの水生生物が遡上できるように設置した魚道。

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まだ実験段階だが、率先して取り組んでいるのが、

宮城県農林振興課に勤める、県の職員でもある三塚牧夫さん。

千葉さんを代表とする「蕪栗米生産組合」の生産者の一人でもある。

夕べは宿で熱いレクチャーを受けた。

米そっちのけで、生物多様性である。 いや、生物多様性あっての米、だったか。

 


最後に伊豆沼を回る。

こちらはさすがに観察や展示など受け入れ体制も整備されているが、

餌付けにも慣れてしまっているのが、気になるところではある。

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ま、渡り鳥を餌にして、'田んぼの力' を確かめる初のツアーとしては、

それなりに体感していただけたのではないかと思うところである。

 

というワタクシも、鳥ばっかり撮って、千葉さんのアップを撮り忘れた。

記念撮影の写真でお茶を濁す。左端が千葉さんです。

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(真ん中に白鳥を入れたつもりだったが...)

 

ところで、今回のツアーは、実は田んぼだけじゃなくて、

塩釜の練り製品の大御所、遠藤蒲鉾店さんの見学から始まって、

遠藤さんが尽力した地元での廃油燃料プラント(天ぷら油のリサイクル)、

利府町の太陽光発電実験プラント、

仙台黒豚会の豚舎見学、と盛り沢山のツアーでもあった。

 

これらもそれぞれ語れば、それなりの物語となる、

雁と 「エコ」 のツアーであったワケです。

 

申し訳ないけど、いずれ機会を見つけてきっちりと、

ということでご容赦願いたい。

 



2007年11月20日

全国土づくり生産者会議

 

記録-その2

 

11月15日(木)、第5回全国土づくり生産者会議。

千葉県山武市・さんぶの森中央会館にて開催。

今回の受入団体は、有機農業の生産グループとして組織されて間もなく20年という

さんぶ野菜ネットワーク (旧JAさんぶ郡市有機部会)。

 

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土づくり会議も今年で5回目だが、今回も講師は能登で農業を営む西出隆一さん。

東京大学農学部を卒業後、ひたすら現場主義で、

正確な土壌診断による健全な土づくりと高品質のモノづくりを追求して、かれこれ50年。

 

現場での歯に衣着せぬ辛口批評は怖いものがあるが、

実践に裏打ちされた西出理論をものにしたいと集う生産者は年々増え、

その風貌からは、 'カリスマ' というより、はっきり '教祖' と呼んだほうが似合っている。

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西出講座は、3年連続である。

「俺のほ場を西出さんに見てもらいたい」 と、

さんぶの生産者の強い要望でお招きした。

 

有機農業の基礎となる土づくりの、しかも本などではなかなか学べない

(学者の言う理論とも違ってたりする)、

具体的な処方(アドバイス)つきの勉強会である。

この開催の案内に、全国から100人を越す生産者が集まってくれた。


基礎とはいえ、土台の話である。


奥はひたすら深く、かつあらゆる人為の結果が複雑に絡みあって、今がある。

 

西出さんは挨拶もそこそこに、

「まずはほ場に行きましょう」 と皆を促す。

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畑に立ち、土を調べ、植物の姿を観察し、

土壌分析 (土の栄養成分の量やバランスの分析値) の結果を確かめ、

的確に問題点を衝いてゆく。

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栄養素のバランスを欠いた原因。

なぜここにこの病気が発生するのか。

その虫が湧いた理由は何か。

 

西出さんは観察を教える。

○○(たとえばカルシウムとか) が欠乏するとこうなる。過剰だとこういう症状が出る。

しかもただ足せばいいものではない。

相互作用もあり、すべてのバランスが大事なのだ。

 

「あんたの言っとる病気は違っとる。

 葉っぱの裏側をよう見てみい。違う病気や。

 病名が違うということは、原因も違う。 それじゃあ有効な対策は打てん」

 

何だか大地の生産者が素人みたいに聞こえるかもしれないけど、

それだけハイレベルな会話と思って欲しい。

科学を自分のものとし、植物の生理、土の状態を確かめながら、適切な手を施し、

農薬は使わず (安全性というより、土と植物の健全性のために)、

最後は品質と味と収量を上げるって、

これはなかなか至難の技なのだ。

 -なんて、並みいるプロの前で偉そうに講釈するのも恥ずかしいけど。

 

もしかしてプロとしての自負の強い人ほど、

「そんな絵に描いたように行くもんじゃない」 とか思ってたりしてるんじゃないだろうか。

 

手塩にかけた畑の前で 「何をやっとるか」 とか言われ、

質問すれば論破され、

よくできていると思われた畑でも 「まあまあ」 としか評価されず、

相当ムカついているかと思いきや、

生産者の反応は、

 

「いやぁ、参った」

「言われてみれば、すべて納得がいった」

「目からウロコ、でした」

などなど・・・・

 

後半は、座学。

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質問が途切れない。

西出さんはひとつひとつに、具体的な回答を出してゆく。

ホワイトボードが、科学で埋まってゆく。

しかしその奥には土と植物の姿がある。

 

西出舌鋒は、ついに大地にも及ぶ。

 

「あんたら大地様々じゃろ。そこそこのもんで取って (買って) もらえるから。

 大地もなっとらん。

 品質の高いものには、ちゃんと値段をつけてやらにゃ、やる気にならん。そうっしょ!」

 

「有機農業というのは、もう今の時代、「安心・安全」だけじゃダメよ。

 農薬撒かんから虫に食われる、で甘えとったらあかん。

 品質も味も良いものができんかったら、有機農業とは言えん。そうっしょ!

 何やっとるかと言いたい。」

 

まあね、だからこうして勉強会をやっているわけであって...

その意欲を持つ人たちをネットワークしてきて、今日があるんですよ。

 

あなたの理論を受け入れる、吸収力のある土壌をつくるには、

それだけの時間が必要だったんだと、

悔やしまぎれかもしれないが、言っておきたい。

 

それに、社会というものもまた、単純な理屈でモノごとが収まってはいなくて、

マーケットを支配している価値観は、品質ではない '何か' であったりする。

社会科学だって、自然科学とは違う意味で魑魅魍魎とも言える綾取りの世界があるのだ。

 

畑を回る合い間に、富谷亜喜博さんのお庭で、おやつタイムが用意されていた。

奥さんたち手作りのパンやケーキや人参スープなどなどで、しばしホッとする。

どれも美味しかったです。

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おはぎではありません。紫いもを使ったケーキです。

ごちそう様でした。

 

いつか見返してやりましょうね、皆さん。

あの方の口が朽ちて、逃げ切られる前に。

 



2007年10月 1日

長崎のみかんも焼けて-

 

ぶどう、梨、りんごに栗に柿に・・・・・と '果物の秋' 真っ盛りといった

賑わいを見せている「大地宅配」のラインアップ。

 

10月に入って、みかんもまた極早生(ごくわせ)品種から出荷が始まる。

そんな折り、9月28日(金)の夜、

(株)大地取締役の長谷川満が長崎出張から帰ってくる。

 

「おい、エビスダニ。長崎のみかんも焼けてるよ」

 

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以前に、火傷にあったりんごの写真を紹介したが(8/19付)、
「みかんよ、お前もか」 である。

聞けば、9月末にもかかわらず、長崎の気温は33℃だったとか。

1割はこんな状態になっている、と。

 

皮を剥いて食べてみる。

中の実自体は大丈夫なのだが、

高温・干ばつの影響か、酸が抜け、いまひとつコクが足りないような...

農業関係の新聞では '酸が抜けて味が乗っている' とか宣伝されているが、

やっぱり蜜柑に適度の酸は必要だと思う。

 

表皮だけの軽度のヤケは、受け入れたいと思うが、

そこの評価は人によって微妙に異なるので、線引きには神経を使うことになる。

 

人事を尽くしても、狂ったような自然の影響は受けざるを得ない。

あまり天候ばかりを言い訳にしてはいけないのかもしれないが、

それが農業の一面であることは、逃れられない事実である。

 

だからこそ、生産者も運び手も、語り続けなければならない。

外観だけで勝負を求めるのは楽なことだが、本当の仕事ではない。

 

-なんて偉そうにカッコつけてはみたが、そこは金銭授受が介在する以上、

'話せば分かる' というほど簡単なものではないのであって・・・・・

と、焼けた蜜柑を見つめ、流通者の立場でのため息を一つ。

 

しっかりと伝える努力をする。

その上で、評価もしっかりと受け止める、しかない。

と、これまたいつもの結論で、腹を決める。

 



2007年9月21日

九代目 弥右衛門 襲名

 

9月20日(木)

東京は明治記念館-「鳳凰の間」にて、

「九代目弥右衛門襲名を祝う会」が開かれる。

 

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べつにヤクザの世界の話ではない。

大地のオリジナル純米酒 『種蒔人』 の醸造元である大和川酒造店

代表の佐藤芳伸氏が、

代々当主が継いできた 「弥右衛門」(やえもん)の名を正式に襲名し、

そのお祝いの会が催されたのだ。

 

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大和川酒造店。寛政2(1790)年創業。

以来217年、会津は蔵の街・喜多方にて、連綿と酒林を掲げてきた。

大和川の名は、奈良・斑鳩を流れる川の名に由来する。

江戸も後期に入った頃、大和から会津に移り、酒造りを興したのが初代・佐藤弥右衛門さん

というわけで、佐藤家当主は以後ずっと 「弥右衛門」 の名を守ってきた。

 

先代の弥右衛門さんが亡くなられたのが一昨年。

それ以前より芳伸さんが社長として経営を任されてはいたが、

いよいよ晴れて九代目襲名と相成った次第。

もちろん戸籍上での正式改名である。

 

幼名・芳伸ちゃん(同世代の友人はこう呼ぶ) 改め九代目弥右衛門氏は、

すでに6月に北宮諏方神社にて襲名の報告を済ませ、

地元での盛大な襲名披露宴が開かれたのだが、

東京の友人やファンが黙っておらず、今回の東京での「祝う会」開催となった。

 

列席者は80名ほど。

清酒業界関係者に加えて、メディア関係者、カメラマンにピアニスト、大学教授など、

多彩な顔ぶれは、佐藤氏の活動領域の広さを物語っている。

 

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ちょっと緊張の面持ちで挨拶する九代目弥右衛門さんである。

 

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弥右衛門襲名には、芳伸さんも相当の決意がいったのだとういう。

歴代の弥右衛門がそれぞれに果たしてきた功績が重かったのだ。

 

伝家のカスモチ原酒「弥右衛門酒」など数々の銘酒を生み出し、

積極的に文人墨客を招いては喜多方の文化を発展させてきた歴史が

「弥右衛門」 の名に刻み込まれている。

 

先代はと言えば、

喜多方の町並み保存に傾注し、蔵の街・喜多方を全国に発信した功労者である。

 

でも芳伸ちゃんだって、すでに相当の実績である。

地元会津の米にこだわり、熱塩加納村での有機農業の発展を陰で支え、

世に出した純米吟醸酒の数々。

古い蔵を改造した 「北方風土館」 では、著名な芸術家の個展やコンサートなどが開かれ、

喜多方を文化・芸術の香り高い街に育てている。

古い蔵や町並みを守る活動の先頭に立ちながら、

最新の技術を導入した新しい蔵では、酒造りを体験させる門戸を市民に開放している。

自らの手で日本酒ファンを育てているのだ。

 

昨今は海外へも意欲的に出かける。

「良い日本酒は、どんな料理にも合う」 が彼の信念である。

実際に、海外での日本酒評価は確実に上がっている。

 

思い起こせば1993年、大冷害の年。

須賀川の稲田稲作研究会・伊藤俊彦さんと初めて訪問した時、

当時専務だった芳伸氏は、すでにこちらの意図を正確に捉えていて、

たった1回、ものの1時間程度の商談でコンセプトが出来上がった。

 

そして翌年の冬、できあがったのが、

大地のオリジナル純米酒第1号 『夢醸』(むじょう) だった。

 

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日本の米を守りたいという強い思いと、俺たちの夢を、醸してゆこう。

飲む人の夢もまた、じっくりと熟成されていきますよう。

 

こんな思いで名づけられた 『夢醸』 は、

21世紀に入り、『種蒔人』 と改名された。

 

明日を信じて、未来への種を蒔き続けよう。

 

2002年には、稲田稲作研究会と大和川酒造店、大地の3者で

『種蒔人基金』 を設立。

 

この酒で、水(系)を守り、米(田)を守り、森を守る、具体的な行動を起こそう。

 

今年やったことは、飯豊山の山小屋掃除に種蒔山への道普請、

そして棚田の水路補修ボランティア。

 

実にささやかではあるけど、我々にできる具体的な水系保全の一歩であり、

酒飲みとしての 「弥右衛門」さんへの恩返しである。

 

専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバーで、弥右衛門さんを囲んで一枚。

 

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我々も 「弥右衛門」 の歴史につながっている。

この重みを忘れることなく、

「種蒔人」 が九代目弥右衛門の功績に花を添えるものになるよう、

大事に育てていかなければならない。

 



2007年9月11日

台風9号(続報)

 

台風9号の影響については、8日に速報(?)的に書いたが、

月曜日になって、産地担当が各地の被害状況をまとめてくる。

 

長野から北海道まで

稲(米)は大丈夫なようだが、

やはり野菜と果物に色々な被害が出ている。

 

ピーマンやオクラが倒れたり、ハウスが破れたり、レタスやキャベツは風雨に叩かれ、

人参などあちこちで畑が水に埋まったところもある。

果物も、りんご・梨・ぶどうなどで落果の報告。特に洋ナシがひどい。

 

いずれも、これからの病気の発生や傷痕などの品質が心配される。

 

前にも書いたけど、果樹など年一作の作物は、

一年の先行投資分を収穫で取り戻さなければならない。

「梨が1トンほど落果」

「樹に残っていた早生りんごの半分が出荷不能」

「ラ・フランスのひどいところは70%の収穫減」

・・・・・といった報告を聞くのは実にせつないものがある。

 

それでも生産者はおしなべて

「それほどでもない」 とか 「意外と(被害は)少なかった」 と言う。

力強いものだと思う。

 

しかし実際は 'それほどでもなくはなかった' という現実も運ばれてくる。

流通の悩みはこれからである。

 

会員の方々には、来週、被害状況をまとめた号外が配布されます。

ぜひご確認いただき、届いたりんごやレタスに 「よう頑張った」 のひと声でも

かけていただけたら、嬉しいです。

 



2007年9月 8日

台風9号

 

関東を席巻し、昨夜のうちに東北を縦断した台風9号。

今週の頭から進路が心配され、

有機農業推進室・古谷はこまめに各地の予報を生産者に送っていたが、

案の定、かなりヤバいコースをたどってくれた。

 

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なんなんだぁ! という進路である。

 

今日は土曜日なので、農産チーム・産地担当諸兄は顔を出してないが、

おそらくそれぞれに産地と連絡取り合っていることだろう。

とはいえ、こちらもやはり気になるものは気になる。

何軒か連絡を入れてみる。


 

福島-稲田稲作研究会・伊藤俊彦さん。

「稲はまったく被害なし。 ど真ん中でぶつかってきてくれたんで、風もそんなでもなかった。

 でも、露地野菜の人たちは少しやられたかもしれないなぁ。」

悪運強し!

 

山形-おきたま興農舎・小林亮さん。

「りんごは直撃を予想して、収穫できるところは急がせて、対策とってたんだ。

 中生、晩生のりんごは落ちたところもあっけども、"ガックリ"というほどではない。

 風の直撃を食らったラ・フランスが8-9割の減。大玉が落ちたので、ショックは大きい。

 稲は倒れたところもあるが、さほどでもない。オラの田んぼは丈夫だから。」

例によって、倒れても死なねえ (死ねない?)、って感じ。

 

宮城-蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

「農を変えたい」の集会に出かけて留守。 盛岡までお出かけって、肝が据わってるね。

電話に出られたお嫁さんの話。

「心配してたほどではなかったですね。他所では倒れた田んぼも多少あるようですけど」

と明るい声。

 

秋田-ライスロッヂ大潟・黒瀬正さん。

「おお、まいど。台風の目ぇが通ったんかな。おかげさんで、被害ゼロ!

 不思議なくらい、ゼロ! ほな、11月3日のブナ植え、待ってますよぉ。」

 

青森-新農業研究会・一戸寿昭さん。

「こっちもど真ん中だったんで、場所によってりんごが落ちてるけども、被害は少ないほう。

 稲は大丈夫。 まあ、想定範囲内。 こちとら根性あるから。」

 

どうやら、台風の進路を見ながら連絡したせいか、どこも力強い。

いや、連絡した相手が悪かったか。 これだけでは安心できない。

まあ、月曜日。

産地担当がまとめてくる報告を待ちたい。

 

明日は、大地の稲作体験田(千葉・山武)の稲刈りである。

こちらのほうは昨日のうちに、

さんぶ野菜ネットワーク事務局の花見くんが写真を送ってくれた。

 

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「周りはけっこう倒れていますが、大地の体験田はしっかりしています。

 会員さんの心が通じたのでしょう。」 -なかなかお上手。

 

花見君はすぐに様子を見て回ったようだが、野菜は 'そこそこ' やられているとのこと。

生産者の 'そこそこ' とか 'さほど' とかいうのは、

'持ち直せる範囲' から '立ち直れないほどではない' くらいの幅があって、

喜んでいいのか、深刻に受け止めるべきか、実に微妙である。

 

先発隊はすでに現地に入り、明日の準備に入ってくれている。

私は、今日仕事してから夜に入る後発隊と一緒に向かう。

 

明日は台風の話などしながら、申し訳ないけど、収穫を祝わせてください。

 



2007年8月27日

平沢さんのスタークリムソン

 

長野県松川町の平沢充人さんから、「スタークリムソン」という名の、珍しい洋ナシが届く。

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まだわずかしか収穫がないので販売には回らないが、これから増えてくれば、数年後には注文書にもお目見えするかもしれない。

少しずつ穫れるようになってきたよ、という便りである。


特徴は何と言ってもこのワインをさらに濃くしたような皮の赤か。

この色を「クリムソン・レッド」というのだそうだ。

でも果肉は白く、ジューシーで、甘さの中にさわやかな酸味が混じる。

 

りんごにも同じ名で呼ばれる品種があるようだが、

りんごの場合は「スタークリムソン・デリシャス(Starkrimson delicious)」が正式名。

 

こちらの英名は「Star crimson pear」。微妙にスペルも違う。

専門家の間では「スタークリムソン」と言えば、洋ナシの方を指すとのこと。

 

食べ頃になるまで、どれくらいだろうか。

しばらくの間机の上において、眺めていよう。

気難しそうに見えて優しい、ちょっとインテリッぽくも見える平沢さんの顔など

思い出しながら。

 

これはちょっと珍しい、無理して笑顔を作ってくれた平沢さん。

4年前のワンショット。

2003.03赤石果樹出荷組合・平澤充人さん.png

 

平沢さんとは大地創設期時代からの長~い付き合いだ。

当初はお一人だったが、今は仲間4人で「赤石果樹出荷組合」を運営する。

 

でもここ3年、平沢さんからの出荷はない。

4年前に道路建設にかかって園地を切り替えることになってしまったのだ。

 

ちょうど今週配布の会員向けカタログ『PROCESS』で、

「梨作りのベテラン、赤石果樹出荷組合の4人衆」 が紹介されているのだけど、

キャプションには「平沢さんからの出荷はありません」と書かれている。

ちょっと寂しい......

でも目の前の色鮮やかな洋ナシが、そんな気分も帳消しにしてくれる。

 

平沢さんは元気で、新しい品種の栽培に取り組んでいるのだ。

体に気をつけて、暑い夏を乗り切ってほしい。

 

そういえば今年いただいた年賀状には、

息子さんに家督を譲ることにしたと書いてあった。

 

「さみしいけれど、バトンタッチができてよかったなぁ、と思っています」

 

いやいや、家督は譲っても、けっして果樹栽培への情熱は衰えていない。

 

今年の年賀状の写真。

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好きなカメラをいつも離さず、伊那の風景を撮り続ける平沢さん。

深紅の実の成った樹は、どんなアングルで撮ったんだろう。

 



2007年8月23日

猛暑の影響は続く

 

数日前より、ここ千葉でも夜にはコオロギの声が聞かれ始め、

少しは過ごしやすさも感じられるようになってきたけれど、

農産物は、引き続き猛暑の影響下にある。

 

毎週火曜日に産地担当(生産グループ農産チームの面々)がまとめる

畑の状況報告がある。

 

文書名は-『産地担当報告』。

何の工夫もない、いや失礼、誰も気に留めず、まったく飽きのこない、

空気のような名前がいい。

 

有機農業推進室が出している『今月のお知らせ』といい、大地は飾らない人が多い。

 

ま、そんなことはどうでもいいとして、各地の様子が短いコメントで並んでいる。

今週は、こんな感じである-


●長有研(長崎)・アスパラ......高温により発芽悪く、生育が落ちてきている。

●かごしま有機・里芋......干ばつ続き、収量少ない。

●北軽井沢有機(群馬)・トウモロコシ......先週の猛暑でしなびが発生。続くかも。

●千葉畑の会・カラーピーマン......猛暑でヤケ(焼け)、品質悪化。来週は出荷を休む。

●大西(長野)・きゅうり......朝3時から収穫しているが、それでもしなびが発生する。日曜に雨が降ったので、状況改善につながればいいが-。

●山梨・巨峰......高温で酸抜けが遅い。

●原(長野)・りんご......「さんさ」が猛暑高温で予想より早く熟したものがある。ヤケも一部で発生。

●有坂(長野)・大根、キャベツ......雨は降ったが、まだ太らない。もうひと雨ほしい。

●青野(長野)・大根、キャベツ、レタス......先週と日曜に降雨。息を吹き返して一気に出荷希望増。

●高野(北海道)・トウモロコシ、かぼちゃ......先日までの雨で水はたっぷり。先週末の暑さも問題なし。

●畑人村(沖縄)・ハンダマ......雨続きで状態悪く、一ヶ月ほど休む。

●今(北海道)・ホウレンソウ......暑さで枯れてしまうもの多数。

●堀田義明(茨城)・人参、里芋......人参発芽悪し。潅水しているが、まったく追いつかない。/p>

●瀬山(埼玉)・人参、ブロッコリィ......播種したものの、降雨不足で発芽悪し。

 

この報告後、恵みの雨もあったりして、

多少は持ち直してきたところもあるようだが、厳しい状況はまだ暫くは続くだろう。

 

順調そうなのも拾っておこうか。こんなのしかないけど。

 

●わかば会(福島)・梨......「もうなんぼでもあっから!」

いやこれは順調というより、もっと注文よこせ、というプレッシャーと読むべきであろう。

 

こんなのもある。

●山崎(長野)・トウモロコシ......猿が迫ってきている。早めに取ってくれ。

新手の出荷圧力か・・・。 いや、山ちゃん、本当に猿に囲まれているらしい。

 

●阪本(東京)・葉物......予冷庫が壊れた。川里さん宅に持ち込み冷蔵保管。

ああ、この暑い中で。 啓一さんの頭から湯気が立っている姿を想像する。

 

米では、

九州の早場米産地の不作がかなり深刻なようだ。

こちらは猛暑ではなく、7月の長雨・日照不足と台風の影響である。

一方、これから収穫に向かうところでは、米の高温障害の注意報が各地で出されている。

こういう年は、収穫量としては '豊作' と報道されるが、品質的には厳しい。

量と質の両方から '価格下げ要求' が起きる可能性がある。

米の市況も、波乱含みの様相である。

 

今週発売のある週刊誌は、温暖化でコシヒカリが全滅する日が来る、と煽っている。

 

猛暑のさ中に発表された食糧自給率は、とうとう40%を割って、39%となった。

 

危機感もゆだりそうである。

 



2007年8月22日

追録(Ⅱ)-台風がくれた財産

 

昨日は中途半端に閉じてしまった。

ガス欠というより、休暇明けの残業に土日の青森出張もあり、ちょっと息切れした感じ。

失礼しました。

 

昨日の日記で書きとどめておきたかったこと。

新農研が30年を経て、周りも羨むほどに後継者が育ってきた土台には、

一戸さんたち創設メンバーの悲喜こもごもの苦労や失敗の歴史があるわけだが、

それを支えた根性や意地みたいなものは、

かなり地域の風土や文化によって育くまれてきた個性を有していて、

同時にその風土への誇りのようなものが、いつも背中から滲み出ていたのだろう。

これはきっと大事な "精神" なのだ。
そんなことを、世界一の扇ねぷたに重ねて思ったのである。

 

生き方や技術に嘘があっては後継者はついてこない。

『後継者を育てた津軽魂 -新農研の伝統とスピリッツは、受け継がれている。』

私の個人的な監査報告として追記しておきたいと思う。

農作業日誌に記されることはない、作物より前に生産者を育てる土台技術として。

 

そしてもうひとつ、書き残しておきたいこと。

台風がくれた財産があった、のである。


思い起こせば3年前(04年)、青森は5つもの台風の影響を受けた。

特に9月8日に襲った18号は、県内全域でりんごを落として行った。

 

この台風は全国的に被害をもたらし、

大地では見舞金のカンパを募って、各地の生産者に届けた。

 

新農研は、その見舞金を使って、

りんご農家用に独自の工夫をこらした作業日誌を作成して、メンバーに配ったのである。

 

今回の監査で、それが自分たちの営農を証明するものとして認められた。

消費者からの3年前の見舞金が、

生産者の日常的な道具となって今も生きていることが確認されたのだ。

 

「金額がどうのではなくて、消費者からの気持ちが嬉しかった。

とにかく何かに生かさないといけないと思って、みんなで考えたんよ」 と語る一戸さん。

 

生産者と消費者の気持ちが、農作業日誌でつながっている。

監査されるのはそこに書かれた内容だが、

私にはこの日誌の存在自体が、この組織を語るものであった。

 

日誌の秘話は、自然と1991年(平成3年)の台風19号の話題へとつながる。

 

16年にもなるか。

収穫直前の青森を直撃した大型の台風は、りんごの樹をなぎ倒した。

使えるりんごはすぐにフルーツバスケットに運ばれ、ジュースやジャムになった。

 

それに、『台風に負けないぞ!セット』ってのがあったね。

 

あの時は、もうカンパでしのげるような話ではなかった。

被害の大きかった産地に上記のセットを作ってもらって、

消費者に1口5千円で買ってもらおう。

中身は、お任せである。

 

'何も売るものがない'という産地には、

「手づくりの農産加工品でも民芸品でも、何でもいい。何もなければ手紙だけでもいい。

とにかく消費者に'負けない'気持ちを伝えて欲しい」

 

「何でもいい、と言われたら、逆になんでもよいとはいかなくなるじゃない。

みんなで気持ち込めてジュースやら落ちたりんごやら詰めたな...」

 

「有り難かったな。ほんとに。

農業やめる人や、何年分もの借金を抱える羽目になった人がいる中で、

何とかその年をしのげたんだから」 

 

りんご栽培はすべて先行投資である。

お金と労力をかけて育て上げ、秋の収穫で一年分を獲る。

それが収穫を目の前にして......

 

監査がいっとき、思わぬ思い出話となる。

これも日誌が与えてくれた時間である。

 

忘れてはいけないことだ。

記録のトレーサビリティの奥にある、土台の思想を作り上げるものを。

 



2007年8月21日

新農研の監査報告-追録

 

新農研の監査同行の出張で、僕は二つのことを教えられた。

監査の趣旨には関係ない話だけど、忘れないでおきたいと思う。

 

認証機関から後日提出される監査報告に付けるとすれば、

これはただの感傷的な「余禄」でしかないが、

僕の重要な価値基準に、つまり琴線に触れたこととして、

ここではあえて「監査-追録」とさせてほしい。

 

ひとつは、

監査を終え、青森空港まで送ってくれるという車に乗ってすぐ、

新農研代表・一戸寿昭さんが、「ちょっと見てってよ」と車を止めて見せてくれたもの。

 

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これがウチ(旧平賀町)の「世界一の扇ねぷた」なんよ。


たしかに世界一巨大な「扇ねぷた」らしい


 (個人的には図柄の素晴らしさに惚れたが・・)。

 

しかし、「ねぷた」はこの地方のものでしかないわけだから、


「世界一ってなんよ」ってなもんだろうが、一戸代表の自慢がふるっている。

 

青森の'ねぶた(NEBUTA)'は、'ねぷた(NEPUTA)'が訛(なま)ったもんよ。


発祥はこっちなんよ。
しかもですよ。弘前の'ねぷた(NEPUTA)'とも違うんよ。


弘前はなんか、決められたマニュアル通りにやってる祭りだけど、


ウチは年々若いもんが、リズムを変えたりしながら楽しんで発展してるのよ。


祭りって、そういうもんでない?

 

一生懸命標準語(に近い言葉)で喋ってくれるときの一戸さんの抑揚は独特である。

 

この人は、暑苦しいくらいに、地域に誇りを持ってる。


であるゆえに、改革派でありたいと強く意識している。


新農研のメンバーは30人弱。そこに20代の若者が12人、後継者として育っている。


彼にとって後継者とは、地域の文化をつなぐ者たちである。

 

「新農研」30年の苦労と誇りが、世界一の扇NEPUTAに重なっている。

 

津軽モンの偏屈さを自嘲気味に語る一戸さんである。

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農業の生き生きとした発展は、理論だけでは創造できない。


その地域の、土の匂いのようなものを伝える先人とのつながりが必要なのだ。

 

オレは太宰より葛西善蔵だな、と語る津軽モンの一戸さんに、


僕は、腹の中で団扇を扇ぎながら、秘かに14日の日記を恥じた。

 

もうひとつは、もっと大切なことだ。

..................

すみません。ガス欠です。明日に続く。

 



2007年8月20日

大地農産物の現地監査-青森編

 

8月19-20日

青森・新農業研究会(平川市/以下、新農研)にて、農産物の現地監査が実施された。

 

これは大地に出荷される農産物がすべて大地の生産基準に合致していることを、

第三者認証機関の監査によって確認する作業で、

5年前から毎年いくつかの産地が認証機関から指定され、監査を受ける仕組みである。

 

今回その指名を受けたのが新農研。

29名の生産者の中から、りんご、米、野菜それぞれで生産者がサンプリングされ、

有機JASの検査員によって監査される。

 

りんごの生産者・外川春雄さんの圃場(畑)での監査風景。

手前のお二人が、認証機関の方と検査員である。

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向こうにいるのが、就農して3年目の後継者・順春(よしはる)さん。

次に来た時は、君が説明して回るように。

 

さて、写真の順番が逆になったが、

監査は、まずは事務所(事務局)の管理状況の確認から始められる。

組織概要から大地との契約書類関係の保管状況、そしてメンバーの管理記録が

順次チェックされていく。

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(オーガニック検査員の針生展彰さん。手前は認証機関・アファス認証センター代表の渡邊義明さん)

 

生産者個々の栽培記録や、農薬・肥料の管理について、

大地との各種やり取りの記録、会内部での運営記録、入出荷の伝票類チェック、

そして倉庫の確認、などなど。

次にサンプリングされた生産者を巡回する。

 

生産者の自宅でも、同様の確認作業が繰り返される。

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「大地の生産基準はお持ちですか?」

「あなたの栽培記録はどんなふうに管理されてますか?」

 -栽培の計画書から実績まで。その裏づけとなる作業日誌まで確認される。

  農薬の使用がある場合は、その購入伝票から使用量、在庫までがトレースされる。

 

生産者は「監査」と聞いただけで、緊張の面持ちである。

でもしっかりと保管された記録が出てきた時に、ホ~と胸をなでおろすのは、

 

実は立会う事務局の方である。

現場では、初歩的なことも聞いたりしながら、

検査官が見ているのは生産者の姿勢とか考え方だったりする。

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(右が小枝均さん。青森県の農林水産部の職員-技術指導員でもある)

 

また最近では、周辺圃場からの農薬の影響が必ず聞かれる。

お隣が慣行圃場(一般栽培)の場合は特に。

しかしこればっかりは、現状では100%防ぐことはできない。

これは有機や減農薬がまだ少数派である限り、どうしようもない現実であり、

有機農業の考え方や技術が広がっていかないと、根本的には解決できない課題である。

 

そのためにこそ「有機農業推進法」があるのだが、

高齢化が進む中では手間をかけた農業は敬遠され、

また経営リスクも考えたりして、生産現場はそう簡単には変われない。

 

水田では、取水と排水の区別など水まわりもチェックの対象である。

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(右が生産者・今井正一さん。新農研の事務局担当も兼ねる。)

 

とりあえず周辺環境からの影響は、今後の課題として認識するとして、

  (この'課題として認識している'ことが大事

   -これは大地の基準における「基本姿勢」であるからして)

今回の監査目的である生産(栽培)行為については特に問題点は認められず、

若干の記録の改善が指摘されたレベルで終了した。

 

無事監査終了で、生産者も安堵し、僕もホッと一息。

 

この作業の積み重ねが、大地への信頼を担保するものにつながる。

生産者は意外と(失礼!)よく承知していて、

しっかり管理されていることに感謝しつつ、

夕方には少し涼しい風も吹いてくれた青森をあとにする。

 



2007年8月19日

林檎が火傷する夏

 

志朗くんが
「りんごが焼け始めている」

と電話をくれた翌日(18日)。

 

朝5時に起き、一番の飛行機で青森に向かう。

用務は、りんごや米・野菜を作ってくれている新農業研究会(以下、新農研)の監査である。

大地の生産基準通りに栽培されているか、認証機関の確認に立ち会うの仕事。

 

でも監査の報告より、こっちを先に伝えたいと思う。

"焼けるりんご"は、青森でも進んでいた。

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これが、りんごの高温障害。火傷(やけど)が進行した跡の姿である。


気温が34℃を超えた日が三日以上続いて、発生し始めたそうだ。

 

素人目には、まだぽつぽつとしか出てないようなのだが、

新農研の事務局を担当する今井正一さんが、冷静に数えている。

彼はりんごと米の生産者でもある。

 

一本の樹に成らせた実の一割が火傷している。

 

最初はこのように、焼けて色が落ちる。

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ここから腐ってゆく。

 

気温だけで一割の減収。

サラリーマンの僕はセコい計算をする。

 

生産者にとっては、毎年何がしかの影響を受けるのは当たり前のことなのか、

あるいは経験則による希望なのか、

「これから普通の気温に戻ってくれて、台風の直撃さえなければ」

とか、色々なプラスマイナスを頭に入れて話してくれる。

我々(検査官と大地職員)を前にして、

生産者は豪気に笑い、流通者(私)は溜息で付き合う。

 

しかし・・

年々読めなくなる気候変動が生産現場に底知れぬ不安を落としていることは間違いない。

青森の林檎が焼けた・・・・・2007年夏の記憶として残しておこうと思う。

 

お互い、本当の勝負はこれから、ではあるが。

 



2007年7月23日

全国から、農業後継者が埼玉・小川町に集合!

 

7月19日(木)~20日(金)

『第5回全国農業後継者会議』が、埼玉県小川町で開催される。

青森から長崎までの各地から、36名の農業後継者たちが集まった。

年齢は20歳から43歳(平均年齢30.6歳)。

農業経歴は-半年(脱サラして家に戻って始めたばかり)から14年まで。

ここでは、年齢と農業経歴は相関しない。

 

今回、この集まりを受け入れてくれたのは、

有機農業暦36年のキャリアを持つ金子美登(よしのり)さん。

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経営する農園の名は「霜里農場」。

金子さんは、若い頃からの日本有機農業研究会の幹事であり、

今やこの世界での'カリスマ'と言っていい。

 

また昨年成立した「有機農業推進法」を牽引してきたネットワーク組織、

現在の「日本有機農業団体協議会」の代表も務める。

というか、こちらからたって代表就任をお願いした方である。

 

漫画家・尾瀬あきらさんの名作『夏子の酒』を読まれた方には、

夏子に有機農業での米作りを教える「豪田」なる農民を覚えていることと思う。

その男のモデルこそ、実は金子さんである。

尾瀬さんは、かなり足しげくし金子さんを取材し、その後有機農業研究会の会員になった。

 

まずは金子さんに霜里農場を案内していただく。

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住居も含む農園全体が、'自給'と'環境'でこだわり抜かれている。


金子さんの基本思想は、無農薬無化学肥料で安全な野菜を作る、だけではない。

まず、消費者との直接提携を基本に据える。

現在、40戸の消費者に年間通して野菜や卵、牛乳などを届ける。

そのため常時20~60品目の野菜がつくられている。

 

金子さんはまた、有機農業によって学んだ'循環'を大切にする。

家畜の糞や野菜屑は畑に循環させるだけでなく、エネルギーの自給にも貢献する。

敷地内にバイオガス生成装置を埋め込み、住居の屋根には太陽光パネルがある。

ガラスハウスの骨組みは地元の木で建てられている。

 

しかも金子さんは、この循環システムを、自身の農場だけでなく、

小川町全体に着実に広げている。

企業も巻き込んで、500軒の生ごみを処理できる新しいバイオガス・プラントが

実験段階まで進んでいる。

しかもガスを電力化して電力会社に売るという戦略なのだ。

 

金子さんは牛の乳も搾る。

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家畜の人なつこさは、育てる人の優しさを伝えてくれる。

 

金子さんとは古くからのお付き合いだけど、大地に野菜を出荷する生産者ではない。

でも、金子さんが切り拓いてきた有機農業の姿、そして思想を、

当たり前のように、あるいは意を決して'農業を継ぐ'と決めた若者たちに一度は見せておきたい。

 

これが今回の霜里農場見学を企画した長谷川満(大地を守る会生産者会議担当理事)の

思いだったんだね。

 

金子さんのような複合的な農業経営は簡単に取り入れられるものではない。

でも若者たちには、誇りを持って'俺の農業'を語れるようになってほしいから、

今日はここで、ひとつの実践例として何かをつかんで帰ってほしい。

 

夜は、金子さんの米で酒を仕込む地元の酒蔵・晴雲酒造でのYaeさんのライブ。

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Yaeさんも農業後継者の一人である。

しかも両親のDNAを受け継いで、酒蔵でのライブが実によく似合う。

 

二日目の会議の様子。

IPMとかバンカープランツとか、けっこう真面目な質問が飛ぶ。

それを同じ世代の者が応える。

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嬉しかったのは、こういう発言があったことだ。

「俺たちは最初から農業できる環境があったけど、

霜里農場の研修生たちは、これから先、どこで農業をやるかとか考えている。

出発点から違う人がいる。この人たちともっと話をしたい」

 

そう。金子さんにはすでに100人の門下生がいて、各地で有機農業を実践している。


6月28日に紹介した徳弘君も、金子さんから学んだ一人だ。

 

ここで学んだ研修生は36カ国におよぶ。

こういう国際貢献を、何の報酬も求めずやっているのが有機農業者だ。

 

研修生ともっと話がしたいという希望は、時間がなくてセッティングできなかったけれど、

やってよかったという手応えを感じるのは、こういう瞬間だ。

彼らは、オチャラケているようで、しっかり見るものを見ている。

俺たちの心配なんてご無用!なのかもしれない。

 

来年の開催に手を挙げたのは、山形は庄内地方の若者たち。

月山パイロットファーム、みずほ有機生産組合、庄内協同ファーム、コープスター会の面々。

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実に明るく、頼もしい。

今年の『トンボと田んぼの庄内ツアー』に続いて、

来年は若手が主役の『全国後継者会議in庄内』となるわけだ。

 

息子たちの報告に、あの庄内の理屈っぽい親父たちはどんな顔をしていることだろう。

 

今から楽しみである。

 



2007年6月29日

ぬくもり庵

 

北海道中富良野の生産団体 「どらごんふらい」 のメンバー、布施芳秋さん。

いま、廃校になった近くの小学校を、仲間と一緒に改造して宿泊研修施設をつくっている。

 

「ぬくもり庵」と命名された可愛らしい元小学校を覗くと、なんと教室の数が三つほどで、

元々から学年ごとに分かれることを想定していない造りである。

職員室も数名程度の小部屋。地方の分校というのもいろいろだろうけど、

この小ぢんまりさは......微笑むしかない。

 

そんなミニチュアのような小学校にも、奥に入ればちゃんと講堂が設えてあって、

  「 ここがボクらの学校です! 」

という声が聞こえたような気がした。


 

何組の家族から始まった土地なんだろう。

一世紀も前、男も女も一緒になって死にものぐるいで森を拓き、大地を耕し、

吹雪に揉まれて冬を過ごした開拓者たちがいた。

そこに子供たちが生まれた時の歓喜はどのようなものだったろう。

喜び、希望、そして未来への責任感がこの学舎を建てさせたんだ、きっと。

小さくても胸を張ったことだろうね。

 

子供たちはこのおもちゃのようなステージで、精一杯声を上げて歌い、

大人たちを泣かせたに違いない。

 

紛れもなくここは 「学校」 だ。

子供たちが楽しく語らい、学び、遊び、泣いたりした姿を見続けてきた記憶を

柱や壁に残しながら、今は誰もいない 「学校」。

 

 

布施さんが残したいと思った学校。

農業の未来を信じる人の力で新たないのちが吹き込まれつつある。

 



徳弘と藤田夫妻

 

元大地社員、徳弘英郎と藤田京子夫妻。

北海道中富良野に入植して7年。

大地の生産団体「どらごんふらい」の一員として、

ジャガイモ、玉ねぎ、人参、ズッキーニ...いろいろ作ってる。

鶏も飼ってる。
生活は苦しいが、地域の役員なども引き受けるようになって、

しっかり北海道の大地に根づいたみたいだ。


今年の秋、3番目の子供が産まれる。

周りからは'貧乏人の子だくさん'とからかわれ、

でも喜ばれている。

どらごんふらいの諸先輩からも信頼されるようになり、

大地の仲間としても嬉しい限りだ。

 

まもなく待望の、家の新築工事も始まる。

 

たくましく、いい顔になったね、徳弘。

 



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