産地情報: 2007年12月アーカイブ

2007年12月 8日

上堰米

 

......というお米が届く。

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差出人は、福島県喜多方市山都町早稲谷の浅見彰宏さん。

10年前にこの地に移り住み、夫婦で有機農業を始めた方。

 

彼の農園の名前は 「ひぐらし農園」 という。

あの晩夏の夕暮れに鳴くセミが好きなのか、農園の暮らし向きを表現したのか、

その辺は聞いてないので分からないが、おそらくは......いや、やめておこう。

 

地元のきれいな棚田の写真が貼られている。

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山都町早稲谷地区は、霊峰・飯豊山の麓に位置し、

ブナの原生林やナラを中心とした広葉樹林に囲まれた美しい山村である。

250年も前に拓かれた手掘りの水路が、今も棚田を支えている。


 

今年の5月4日、

その山間を縫うように張り巡らされた水路(堰)の補修のお手伝いをした。

そのお礼にと、送られてきたものだ。

  ≪7月10日の日記-「日本列島の血脈」もご参照いただければ≫

 

玄米、7kg。 この数字が、なんかほのぼのとさせる。

5㎏でも充分なのに、

浅見さんは誠実に、収穫物から送れる量を人数で割ってくれたのだろう。

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これが当日の堰浚(さら)いの様子。

一年分の土砂や落ち葉などを浚い、水回りを取り戻す。

けっこう重労働だったが、これで棚田に水が回る。

村じゅう総出での作業である。

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我々ボランティア組はすぐに腰が痛いとか言っては休みたがるが、

地元の方々は黙々と続ける。

バカにされちゃいかん、と意地も出すが、すぐにため息をついては汗を拭う。

 

この作業人足がだんだんと減ってきている。

高齢化も進んでいる。

この堰が埋まった時、写真にあるような美しい棚田も滅ぶことになる。

 

この棚田も。

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ここが堰の源流の地点。

ブナの原生林に育まれたミネラル豊かな水が、麓にまで行き渡る。

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浅見さんは、外からの入植者であるゆえの人脈を活かして、

またネットも駆使して、この仕事のボランティアを募っている。

地元の人からの期待や信頼も獲得して、いまや貴重な若手人材となっている。

 

本木上堰と名づけられた全長6kmに及ぶ水路を、

上流から下る組と下流から上る組に分かれて、合流するまで作業は終われない。

堆積物を上げ、壁を直し、草を刈りながら、行軍する。

 

下流から上った我々が、ようやく上流組と出合った時の一枚。

さすがにしんどそうだ。村の人たちに混じって浅見くんの雄姿も(左から二人目)。

すっかり村の人だ。

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彼も実は、7月23日の日記 「全国後継者会議」 で紹介した、

埼玉県小川町の有機農業のリーダー、金子美登さんの門下生である。

 

金子さんのところで学んだあと、この地に入植した。

金子さんの話によれば、

農業条件の良い土地よりも、自分を必要としてくれる場所に行きたい、

と語っていたそうだ。

すっかり頼られる存在になって-。 働いたんだね。

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彼は今、冬の仕事として、麓の大和川酒造店で働いている。

毎年2月にやっている、 「種蒔人」 の新酒完成を祝う 「大和川交流会」 では、

蔵人・浅見彰宏と会うことになる。

 

夏は上流の水を守りながら米をつくって、冬はその地下水を汲んで酒をつくる。

すっかり飯豊(いいで)山水系に生きる人である。

上堰米を炊いてみる。

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美味しかったです。ありがとう。

 

※大地のオリジナル日本酒 「種蒔人」 でつくられた 「種蒔人基金」 では、

  本木上堰の清掃作業の支援をこれからも続けたいと考えています。

  「種蒔人」を飲みながら水源を守る。

  お値段もいいお酒ですが、たまのハレの日などに、ぜひ!

 

※来年の大和川交流会は、2月9日(土)です。現在参加者募集中。

  会員の方は今週配布された 『だいちMAGAZINE』12月号をご覧ください。

  お問い合わもお気軽にどうぞ 。

 



2007年12月 4日

黒瀬さんからの便り

 

11月22日付-「よみがえれ!ブナの森」 を読んでいただいた、

大潟村の黒瀬正さん(ライスロッヂ大潟代表)から、嬉しい便りが届きました。

 

私宛てではなく、大地の会員皆さんへの御礼とメッセージの形になっているので、

ここでご紹介させていただきます。

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(黒瀬正さん)


     地元から一言

 

大地の皆さん、毎年ブナ運動へのご支援ありがとうございます。

 

私たちは、農薬の空中散布や、ダイオキシン含有の除草剤MOの全域禁止、

或いは合成洗剤の転換など、食の安全や環境問題に関する運動を

古くから積極的に行なってきました。

空散やMOの全域排除を、生産者からの提案で25年も前に行なったのは、

全国的にも初めてであり、画期的なことでした。

 

こうした中で、こともあろうに村行政主導でゴルフ場を建設する企画が、持ち上がりました。

                                   ≪エビ注-90年頃の話です≫

この企画は、賛否の住民が対立する大騒動になりましたが、

全国の消費者団体の皆さんの応援も頂いて、かろうじて撤回させました。

 

このように、食や環境に関する住民運動が盛んに展開されている農業の村・大潟村で、

このような企画が村当局から出たり、また、これに賛同する農家住民が数多くいたということは、

食の安全や環境についての認識が地域全体に浸透していないことだということに気づき、

それまでの運動を大いに反省しました。

 

そこで、水や農薬や環境についての関心を、

大人も子供も多くの地域住民が愉しみながら深める運動を展開する方策の一つとして、

ブナ植えを始めたものです。

 

私たちの田圃に水を運んでくれる馬場目川は、古老に聞くと

「昔は年中切れることなく豊かな水が流れていた。でもブナが伐採され

造林杉一面になってからは、夏場は水枯れが頻発し、

また一揆水で川が荒れるようになった」 と言います。

 

私たちは馬場目川源流部に 「緑のダム・ブナ林」 を再生しようと、

国有林の造林杉更新地の一部開放を営林署に頼みましたが、

当時は営林署の現場職員には、価値や意味はまったく理解されず大変苦労しました。

でも、たまたま、その時の若いキャリアーの秋田営林局長が理解を示し

賛同してくれたことで、この運動のスタートが切れました。

 

このブナ植栽は15年目になります。

夏に下刈りに山に行くと、最初に植えたブナは10メートルを超し、

野鳥も増え鶯などもさえずって、若木ながらも豊かなブナ林の風情も出ております。

 

文化の日に行なうブナ植えの集いは、毎年大勢の参加者で賑わい、愉しみながら、

水や農薬や合成洗剤など環境についての想いが地域の人々に拡がってきています。

また、今では営林署の現場の人々も積極的に参加してくださいます。

 

現地から、皆さんにお礼を言いたいことは、

大地の皆さんを始め全国の消費者の方々がこのブナ植栽運動にカンパや参加くださることが、

地元の人々の大きな心の支えや、関心を呼ぶ動機付けになり、

運動が拡大し継続する原動力になっていることです。

 

我が黒瀬農舎では、この日はロッヂを開放して前夜祭を行ない、

生産者と消費者の交流や意見交換など行なっています。

 

どうぞこれからもこのブナ運動へのご支援をお願いして、

エビちゃんに、大地の事務局の皆さんに、そして、

大地をはじめご支援くださっている消費者の方々へのお礼のご挨拶と致します。

 

                               ライスロッヂ大潟・黒瀬農舎 黒瀬正

 

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(黒瀬さんの田んぼには、遺伝子組み換え拒否の力強い看板が立っている。)

 

黒瀬さん。

どうも有り難うございました。

 

100年先の田園を見据える皆さんの活動には、頭が下がるばかりです。

でも我々も、ただ植林のお手伝いだけでなく、

多少でも現地での関心の広がりにお役に立てているのかと思うと、励まされます。

 

夏の下草刈りは、時期的になかなか都合がつかず、申し訳ないですが、

山と里・湖のつながりがさらに深まることを願っています。

 

だいぶ寒くなってきておりますので、どうぞご自愛ください。

2月の東京集会でお会いできるのを、楽しみにしています。 (エビ)

 



2007年12月 1日

西日本生産者会議

 

11月29日(木)から30日(金)、

西日本生産者ブロック会議を開催。

 

生産者会議もここ数年は、先日の「土づくり会議」(11/20の日記参照) のように、

テーマを設定して開催するのがほとんどだったが、

久しぶりに西日本の生産者の集まりをやろう、ということになった。

10年ぶりくらいだろうか、正確に思い出せない。

対象は近畿から九州である。

 

会場になったのは、高知県土佐町。四国のど真ん中。つうことは山ん中である。

吉野川の上流になる。

干ばつになるとよくテレビに登場する早明浦(さめうら)ダムのあるところ。

 

ここに 「土佐自然塾」 という、有機農業を教える学校がある。

 

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学校といっても、NPOで運営する農業研修のための、いわば私塾なのだが、

着目すべきは、高知県がタイアップして支援していることだ。

有機農業の技術を教え、希望者には地元行政が新規就農のお世話までする。

 

若者を受け入れ、有機農業の手ほどきをし、県内に定着させる。

安全な農産物の拡大、遊休農地の解消、環境保全との両立など

色んな効果を期待しての行政の支援なのだろうと推測する。

(ちなみに上の写真の建物は、もとは「大工の学校」とかいうのをやっていて、

使われなくなったものらしい。ここに県職員も常駐している。)

 

塾長は、山下一穂さん。

学習塾の先生を辞めて、9年前から農業者に転進したという経歴だ。

有機農業を実践し、なんと 『らくらく有機農業』 なんていう本まで出した。

有機・無農薬で長年苦労している生産者には、ちょっとムカつくような話だが、

橋本県知事をその気にさせ、行政を巻き込んだ手腕も含めて、

あなどれない御仁である。

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山下さんは生産団体 「高知県生産者連合」(高生連) の一員でもあり、

大地には 「高生連」 のメンバーとして、野菜が出荷されてくる。

 

この 「土佐自然塾」 の見学に、近畿・中国・四国から30名強の生産者が集まってくれた。

 

畑見学の様子。

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研修生は現在3名だが、すでに就農した卒業生が何人もいるとか。

農地を斡旋するだけでなく、地元とのお付き合いの仕方や販路の世話までしているらしい。

 

そして今回、生産者ではないが、山下さんの友人ということで、

飛び入りの参加者が一人。天野礼子さん。

長良川河口堰の反対運動で名を馳せたアウトドア・ライターだ。

『生きている長良川』 『21世紀の河川思想』 『森からの贈り物』 など著書も多い。

 

お会いするのは初めてだが、なんとも押しの強い女性である。

有機農業推進法や、農水省が発表した生物多様性戦略(※) を引き合いに出しながら、

「いいですか。ようやく皆さんの時代が来たんです」

とか言って、我々を叱咤してくれる。

この調子で、開高健(作家) とかを口説いたんだな、きっと。

 

面白い組み合わせの一枚が撮れた。

天野礼子と島岡幹夫のツーショット。

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天野礼子が長良川なら、

こちら島岡幹夫は窪川原発計画を阻止した男だ。

計画を止めただけでなく、原発推進派の農民たちも説得して、

有機農業による町づくりを提唱し、自らも無農薬での米づくりを実践した。

その生産者たちの農産物の販路を築くために結成されたのが 「高生連」 であり、

大地と 「高生連」 との付き合いも、たしか1988年、

島岡さんのお米 (高知提携米) からである。

 

伝説をつくった男に、新しいカリスマ・山下一穂。

暑苦しい土地に暑苦しい生産者が大勢いて、

高生連代表の松林直行さんは、この日体調不良で欠品となった。

身が持たんのかもしれない・・・

 

最後に記念撮影。

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私も二日酔いで、テキトーに撮ってしまう。

 

なんせ夕べの酒宴は、サバイバルゲームのようだった。

記憶の最後は、「もう3時だよ」と叫んだこと。

その時、島根・やさか共同農場の佐藤隆さんは、

たしか鰹のタタキが盛られていたお皿に顔を伏して潰れていたような気がするのだが、

あれは夢だったのだろうか。

 

別れ際に、大地の藤田会長からリクエストが。

「エビスダニ。山下さんとの写真を一枚を撮ってくれ」

 

会長が写真を求めてくるのは、実は珍しい。

はいはい、ではちょっと集中力を取り戻して-

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ファインダー越しに、思う。

藤田さんが写真を求めたのは、

山下さんが前会長の藤本敏夫さんによく似ているからだ。

 

なお、1日目は、高知大学農学部の荒川良先生を招いて、

「土着天敵の有効利用について」の勉強もちゃんとしたことを付記しておきたい。

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(※)生物多様性戦略については、8月7日の日記で触れているので、

読み返していただけたら、嬉しいです。

 



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