産地情報: 2009年1月アーカイブ

2009年1月31日

ちば連合!

 

1月末だっていうのに、産地での新年会はまだ佳境の中にある。

しかも今年は例年より規模が膨らんできている。

昨日1月30日は、千葉県下の生産団体に広くお声かけしての、

いわば千葉県内産地合同での開催となった。

各産地ごとにやるよりまとまってやった方が、産地間のつながりも深まるし、

こちらも楽といえば楽だし-

しかしやってみれば、そのぶん連絡や準備や当日かかるエネルギーは増大する。

 

そんなわけで、幹事は産地持ち回りという格好となり、

初の千葉連合新年会の幹事は、さんぶ野菜ネットワークさん。

参加者は、6団体+1個人+大地を守る会職員で、総勢43名。

会場は成田の某ホテルの一室。

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新年早々に有機農業の国・キューバを視察してきた藤田会長の挨拶から始まる。

アメリカの経済封鎖、ソ連崩壊のなかで、有機農業で危機を乗り越えた国、

貧しいけれども医療費や教育費はかからず、医者よりも農家のほうが収入が高い国

に学びながら、私たちももっと食や農業を大切にする国に再生させよう、

というような話・・・だったと思う。 すみません、ウロウロしてたもんで。

 

幹事団体を代表して、さんぶ野菜ネットワークの常勤理事、下山久信さんの挨拶。

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長年、それぞれの地で有機農業に邁進してきた千葉県下のグループが、

大地を通じて、こうして一堂に会したわけです。

これを機にもっと連携を深めて、大きな運動にしていきましょう

・・・というよう話 (がされたはずである)。

三里塚闘争の支援に明け暮れた学生時代から、この地に骨を埋める覚悟で

地元のJAに就職して、支所長まで上りつめ、有機部会を結成して20年。

全国の産直産地のネットワーク作りに奔走し、有機農業推進法の成立まで頑張ってきた、

これまた枯れるを知らないお一人。 今や立派な農業者で、後継者も育てている。

 


新年会といっても、ただ飲むだけでなく、お勉強の時間も用意される。

ゲストは、千葉県農林水産部の安全農業推進課・副課長、井垣実さん。

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有機農業推進法に関する千葉県での動きを報告してもらうはずだったが、

悪質な食品偽装の撲滅に向けてテッテー的にやっているというお話から始まり、

穀物価格の高騰、自給率の問題、千葉県の農業事情と課題といった話が主だった。

最後に付け足しのような格好で、県でも有機農業にかかる支援策を用意してきているが、

まだ充分に浸透しておらず、助成の申請も少ないとか。

千葉県で研修生を受け入れて、有機農業を指導されている農家の方々。

受け入れ支援として、一人あたり月2万5千円が助成されるって知ってましたか。

ただし有機農業推進法のモデルタウン地区は国の助成があるので対象外。

また研修生が千葉県下で就農する (最低限その意思を持っている) ことが条件とされます。

今回参加されたグループ 「丸和」 さんのところでは、北海道の農家の後継者が

有機農業を学んでいるけど、彼 (谷くん) は助成対象にはなりません。

「申請がないと、この制度は必要ないということになっちゃうかと心配で・・・」

なんて言ってる。

 

千葉県の有機農業推進計画の策定も今期じゅうにはまとまりそうになく、

まだまだ自治体としてまとまるには時間がかかりそうだ。

まあ俺たちはもともと国や自治体に頼ってやってきたわけでもないので、

俺たち流儀で進めるだけのことだけど。

 

新年会参加生産者は以下の通り。

 ・さんぶ野菜ネットワーク (山武市)

 ・千葉畑の会 (八街市)

 ・三里塚微生物農法の会 (成田市)

 ・三里塚微生物農法酵素の会 (成田市)

 ・丸和 (富里市)

 ・酒井久和 (香取市/旧:栗源町)

 ・佐原自然農法研究会 (香取市/旧:佐原市)

 

若手を連れてきた三里塚酵素の会の堀越一仁さん。

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県にはもっと・・・・・と、何か意見をしてた。

三里塚闘争を描いた尾瀬あきらさんの漫画-『ぼくのむらの話』 の

主人公のモデルになった人だ。 だいぶ--てきたね。

 

堀越さんのお父さんに世話になった藤田会長と仲良く飲んでいる。

一枚いただく。

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左は、さんぶのリーダー・富谷亜喜博さん。

まあ、こんな絵が撮れるだけでも、やってよかったかな。 

 

千葉には米の生産者もいる。

佐原自然農法研究会から4名参加。

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右から二人目が代表の篠塚守さん。

3月1日の大地を守る東京集会では、餅つき大会で協力してくれます。

横浜の小学校の総合学習の仕上げでやって以来、かな。

頼みにしてます。 よろしくお願いします。

 

帰りがけ。 みんなで記念写真を撮ろうぜ、の声に、人が集まり始める。

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こんな楽しそうな下山さんの顔は、めったにお目にかかれないような気がする。

 

では-  ストロボが光らないと信用してくれない人たち。

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なかなか皆さん、いい笑顔です。

 

頑張るっぺよ、今年も。 そうだな、頑張るっぺか。 やるしかねえべ。

千葉  " だっぺ軍団の新春 " 、でした。

 



2009年1月29日

「稲作を守る会」 の麦

 

1月25日(日)、福島からの帰り途。

宇都宮から在来線に乗り換え、石橋という駅に降りる。

ここにも有機稲作の技術を語るに外せない、一人の指導者がいる。

NPO法人 民間稲作研究所」  代表の稲葉光圀さんである。

高校教師の時代から、無農薬・無化学肥料、除草剤も使わない稲作技術を追い求め、

それを 「技術体系」 へと高めてきた研究者であり、実践者。

 

でもこの日の目的は、米ではなくて、麦、なのである。

昨年、小麦の販売のお手伝いをしたのがきっかけで、

今年はその安定化に進められるかどうかを確かめたくてやってきた。

 

稲葉さんは、NPOの民間稲作研究所とは別に、実際の生産者集団として、

(有) 日本の稲作を守る会という会社をつくっていて、今回の訪問先は、

正確には稲作を守る会ということになる。

 

これが有機栽培の小麦畑。

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種を蒔いて、踏んで踏んで強くして、土寄せすることで病気を防ぐ。

慣行栽培は、その寄せる空間がなく、密植で、病気予防は薬に頼ることになる。

「麦の有機栽培は十分可能なんです。 誰でもできるんですよ。」

そういいながら、稲葉さんは、普及に努めている。 

 

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稲葉先生を知る皆さん。 稲葉さんはちゃんと農作業もやってます。

 


稲葉さんの栽培体系は、米-麦-大豆の2年3作の輪作をとっている。

マメ科の大豆を入れることによって、空気中の窒素が土壌に固定され、

米の肥料代も軽減される。

加えて、これで米、味噌汁、しょうゆの自給率も上がるってわけだ。

 

稲葉さんは栃木県唯一の民間の種籾生産者でもあるらしい。

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周辺との交配を避ける地理的条件だけでなく、

その栽培技術が品質的にも信頼されていることが窺える。

 

下の写真の左端の台地では、研修施設が建設中である。

若者が常駐して有機農業を学び、また消費者と交流できる施設。

ここにも有機農業推進法をカタチにする取り組みがある。

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その手前の栗林の一角に、益子焼で焼いたパン焼き釜を設置して、

100羽ほどの鶏も飼って美味しい卵に鶏糞も確保して、、あそこはこうして・・・・・

と、稲葉さんの夢は尽きないようだ。

目の前のスペースは、稲の苗代作りのためにとってあり、苗を植えたら、

消費者に開放して野菜作りの体験ほ場にする計画とのこと。

講演会やシンポジウムなどで会うより、ずっと生き生きしている。

 

そんな稲葉さんを悩ましているのは、米の生産調整 (減反) のための

書類作りだという。

先に書いたとおり、稲葉さんたちは米-麦-大豆と回すので、

米は2年に1作となり、単純計算で50%の生産調整、つまり減反超過達成農家となる。

しかしこれは米の生産調整に協力してやっていることではなくて、

稲葉理論における有機栽培体系であって、なんでわざわざ面倒くさい書類を

出さないといけないのか、というわけだ。

でも書類を出さないと、減反非協力者となり、地域に補助金が下りない。

 

有機農業推進が進められる一方で、

非民主的なやり方での強制も厳然とまかり通っているのが、この国の農政である。

 

米を作らせないために補助金 (税金) を使う。 しかも地域的縛りを利用して。

そんなお金があったら、麦や大豆・飼料作物の生産にもっと進んで取り組めるよう、

あるいは地域の特性に合わせて、地域が活性化するためにこそ使うべきだろう。

 

生産調整を進めるためのお題目である、

「米が過剰になったら価格が下落して、農家がやってゆけなくなる」

という理屈は理屈ではなく、農家を馬鹿にしたものとしか思えない。

けっして生産調整のおかげで米の価格が守られているわけではない。

むしろ意欲や創造性の芽を摘んでいる。

このマーケティングもない論理は、裸の王様のようなものだ。

もちろん今の制度下で反旗を翻すことは容易ではないことも分かっているつもりだ。

ただ、稲葉さんの自主作付のように、創造的に乗り越える道筋を

みんなで考えていきたいと思うのである。

 

ちなみに、稲葉さんたちの小麦は、埼玉県神泉村のヤマキ醸造さんに

ご協力いただいた。

今年もすでに取引の継続が約束されてきている。

 

有機農業を底支えするネットワークも、一歩ずつ強化されていっている。

 



2009年1月26日

東北から、「農を変えたい!」

 

書く時間がなくて・・・という言い訳の前に、書くことも忘れてしまっていた日々。

気がつけば、もう10日も更新していない。

その間に、パレスチナの惨劇は新しいアメリカ大統領の就任に合わせるかのように

一時停戦となり ( この影響はいつまで尾を引くことだろう )、

そのアメリカは新大統領のパフォーマンスとケネディばりの演説に熱狂して、

いっぽう国内といえば元気が出るような話題に乏しく、

そんな世情を横目に、僕はただひたすら宿題に埋没させられていたのでした。

こう見えても、来期の事業計画や予算など真面目に考えたりしてるんです。

 

1月から2月初旬は、産地での新年会が各地で開かれる時節でもあって、

そこには行ける限り顔を出す。 みんな手ぐすね引いて待っている。

僕らはそれを  " 死のロード " と呼んだりしている。

もちろんただ飲むだけでなく、農業の未来や野菜の品質のことなども語り合うわけで、

日々ネタは尽きないのに書けないという

情けないドロドロ状態にはまってゆく、そんな期間でもある。

 

いろいろあったけど、しょうがないので途中はぶっ飛ばして、

直近の話題で再開させていただくと-

22日(木) に泊りがけで福島わかば会の新年会があり、

23日に帰ってきて仕事して、

24日(土) には再び福島に行って、

『 農を変えたい!東北集会 in ふくしま 』

という集まりに顔を出す。

「農を変えたい」 運動は、有機農業推進法を成立させたパワーを土台として、

有機農業の発展だけでなく、環境保全・地域の活性化までを視野に入れた全国的な運動

となって展開されている。 

 " 農 "  のありかたそのものを考え直そうという思いも込められている。

 

行けばそこには大地を守る会の生産者もいっぱい参加していて、

一人ではけっこうしんどい。

夜の懇親会で出たお酒が、大和川酒造に仁井田本家 (金寶) とくれば、

必然的にボルテージも上がって深夜まで。 結局は自業自得、身から出た錆・・・・

 

とりあえず、脳を変えたい、じゃなくて、「農」 を変えたい!集会の写真で

ごまかしておきたい。

いやいやどうして、すごい集まりになったんです。

会場は福島大学。 大学で一番大きな教室に人が溢れたんですから。

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東北全県を中心に全国各地から、約450名の参加。 いやもっと多かったか。

 


今回の集会実行委員長は、旧熱塩加納村 (現喜多方市) の有機農業指導者、

小林芳正さん。

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有機農業運動、地域自給運動の世界ではつとに知られたカリスマの一人。

熱塩加納村を有機米の一大産地に育て上げ、

補助金を蹴ってまで村の米や野菜を地元の学校給食に導入した。

「食べものとは  " いのち "  である」 

こんなセリフが似合う人は、実はそうはいない。

大地を守る会が最初に開発したオリジナル純米酒 「種蒔人」 (当時の名は 「夢醸」 ) の

誕生を支えてくれた大恩人でもある。

大病もあって心配した時期もあったけど、

コバヤシ・ホウセイ完全復活!を宣言したかのような力強い実行委員長挨拶だった。

 

そして次世代のリーダーとして登場したのが、

このブログでも何度か紹介した、山都町 (こちらも現喜多方市) の浅見彰宏さん。

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もう紹介は省きたい。

大和川酒造で出会い、棚田を守る水路の補修手伝いから、若者たちの野菜セット企画

へと、僕らの関係は年々深まってきている。

 

次世代リーダーのリレー・トークでは、

山形県高畠町・おきたま耕農舎の小林温(ゆたか) さんも登壇。

耕農舎代表・小林亮さんの農業を継いだ和香子ちゃんの旦那、つまり婿どの。

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大学の哲学科を中退して、自分探しの旅を経て、農の世界に行き着いた。

「まあ、彼女が有機農業をやっていた人だったってことなんですけど・・・」

なんて照れながら、今の様子と将来の希望を語る。

 

「ホントはやる気なかったんだけど、じいちゃんがずっと守っていた田んぼを

 荒らしちゃいけないと思って帰ってきた」 なんていう若者の発言もあったりして、

なかなか当代の若者も捨てたもんでもないなあ、とか思わせる。

 

自由交流会では、新規就農相談コーナーも設けられた。

相談に乗る小川光さん (喜多方市山都町・チャルジョウ農場)。

積極的に研修生を受け入れ、育ててくれている。

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・・・・右の君、ちょっと態度悪いよ。

 

こちらは宮城の石井稔さん (無農薬生産組合)。

米の栽培技術では名人といわれる生産者の一人。 大地ではニラも頂いている。

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相談員は他にも、山形・庄内協同ファームの志藤正一さんや、

秋田県大潟村の相馬喜久雄さん、今野克久さんなど、

大地でおなじみの生産者が顔を揃えていた。 

 

夜の懇親会で、実行委員会を代表して挨拶する渡部よしのさん。

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「山都の若者たちの野菜セット」 企画では、

チャルジョウ農場の研修生たちの野菜で賄えなかった分を補ってくれた。

渡部さんからは、それとは別に米も頂いている。

 

大学の生協食堂を借りて行なわれた懇親会も人で溢れていた。

食材は、磐梯はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 総料理長・山際博美氏による

徹底的に地元産にこだわったメニューで並べられた。

とにかく予想外の賑わいで、写真も撮れず (料理を取るほうに精一杯で・・・)。

 

二日目は、5つの教室に分かれて分科会が行なわれた。

テーマは-

○ 学校給食・地域内自給

○ 耕作放棄地・ムラの再生

○ 農産物マーケティング

○ 有機農業(技術)と生物多様性

○ 農産加工・地域産業再生

 

ここでの注目は、「マーケティング」 という観点での分科会が用意されたことだ。

それだけこの世界が拡がってきたことを物語っている。

パネラーの一人に、伊藤俊彦さん(福島県須賀川市) の名前がある。

大地を守る会の 「備蓄米」 や 「稲田米」 の生産者だが、

生産集団の組織化から米の集荷・精米、さらには農産物の販売会社の運営まで

事業規模を発展させてきた起業家でもある。

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変化を洞察し、変化に挑戦し、変化を創造する -(伊藤さんのレジュメから)

カッコ良すぎ、です。 

 

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有機農業は第Ⅱ世紀に入り、ほんとうに点から面へと進んできたと実感する。

個と個のつながりから、地域を変えてゆくための連携へと進む、

その道筋がリアリティをもって語られるようになってきた。

僕もまた、彼らとともに未来開拓者の一人でありたい。

欲望の交易手段としてでなく、人と人のネットワークという流通の大義をかけて。

 



2009年1月14日

ニッポンの食はオレたちがつくる! ときた。

 

予告した手前、12日朝のNHK成人の日番組を録画とっておいて、

遅ればせながら改めて見る。

 

『あしたをつかめ スペシャル

 -農業漁業はオレに任せろ! 期待の20代大集合- 』

 

おおッ! カッコいいねぇ。

北海道から鹿児島まで、農業や漁業に新規就農(漁) した若者に、

「農業をやりたい!」 とハッキリと意思表示する東京農大の学生たち。

いやあ、実に頼もしい。

 - と言いたいところだが、サーフィンもできる場所を探して来たとか (ま、いいけど)、

売上500万 (利益-手取り-はその半額、しかも根拠の薄い皮算用) で

 「将来はリッチ・ファーマーかな、アハハ」 と屈託なく笑う若夫婦を見て、

不安に思った方もいるのではないだろうか。

しかも 「ゆったりとした老後を送りたいので」 とか言われた日にゃあ、

その前のキビシ~イ人生がすっ飛んでんだろ! と叫んでしまったりして、

汗出てきちゃったよ、まったく。

「子どもの養育費が必要になったときとか、苦しいよね」 なんて諭されながら、

それでも 「なんとかなるかなぁって」 といえる豪快さ、

いや、文字通りの底抜けの明るさに、脱帽である。


まあ何と言うか、これが若さの強みってやつなんだろうか。

僕にも、身に覚えがないワケでもなく・・・・・

でもさすがに老後云々てのはなかったなぁ、と思う。

そもそも自分は啄木(26歳) や中也(30歳) のように夭折すると信じていたし、

あるいはチェ・ゲバラのように-。

嗚呼いつの間に、世間の垢に汚れちまったか・・・・・

 

そんな中で登場した、「株式会社 ゆうき」 の若者たち。

安原義之さんの息子さん、裕也くん(27歳) 。

栽培から営業へと、仕事を覚えようと懸命である。

神社の境内での青空市で声が出ない  - 僕も思い出すことがある。

大丈夫、これは慣れだから。 見せてやりたいなぁ、いまの恥知らずのオレの売り子姿。

 

高卒後、鉄工所勤めを辞めて裕也君の誘いで入社した高橋智和。

「農業を一生の仕事にしたい」 と。

田中亜矢子さんは、新潟っぽい仕事をしたくて、公務員の職を捨てて帰ってきた。

夏は米づくり、冬は酒づくり、楽しそうである。

 

ま、いいか。 成人の日に、

「ニッポンの食はオレたちに任せろ! 私たちがつくる!」

と気勢を上げる若者たちに、僕らは未来を託すことになるのだ。

精一杯応援してあげなければ、と思う。

街に解雇された人々が溢れ、世界のトヨタも操業を縮小するという状況をもろともせず、

農業・漁業に 「面白い! 楽しい!」 といって乗り込んでいく彼らの瞳が、

淀み壊れないように祈りたい。

いや、俺たちの責任だけでもまっとうしなければ、か。

 

それにしても、屈託なく夢を語り合えているニッポンの成人式の日にも、

地中海に面した街では子どもたちが逃げ惑い殺されているこの世界の今ってのは

何なんだ、と考えてしまう性 (さが) がある。

やっぱり考えたい、と思うのである。 

経済がグローバリゼーションなら、僕らの思考も地球規模で働かせなければならない。

新しいカタチで人はグローバルにつながる必要がある。

そうやってこの時代を創造的に超えないと、

わたしやキミの気楽な老後なんてありえないんだって。

振り回され、収奪されながら、しかも元金を失っていくようなこんな世界、

変えようよ! と言ってみないか、その清新なセンスで。

 



2009年1月10日

予告! 1/12,NHKの成人の日特番に生産者登場

 

緊急連絡! です。

会員の皆さまには、昨年10月20日~配布のカタログ誌 『ツチオーネ』 のトップで

紹介させていただいた、新潟県妙高市の生産団体 「株式会社 ゆうき」 で働く

若者たちが、NHKの成人の日の特集番組に登場する、との連絡が入りました。

 

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昨年9月に 「平成若者仕事図鑑」 という番組で放送されたものが、

成人の日にちなんだ特別番組用に再編集されたようです。

番組では日本の食料問題を取り扱う予定で、そこで農業に携わる若者として、

「ゆうき」 の20代の社員3人が紹介されるとのこと。

 

「株式会社 ゆうき」 の代表を務める安原義之さん (上の写真:前列中央) は、

妙高山系のふもとで、高齢化や後継者不足によって耕作が放棄されようとする田んぼを

借り受けては維持してきました。

12年前、商社マンから転進して地元に戻り、米作りをするために会社を設立。

2枚の田んぼから始め、今ではその数300枚、面積にして80ヘクタールの田を

耕しています。

しかもなんと、米作りのスタッフは農業未経験の若者たちなのです。

UターンやⅠターンの若者を社員として雇い、育ててきました。

2004年には全国米食味コンクールで金賞も受賞するという快挙を成し遂げ、

田んぼの周りにはホタルも帰ってきたと、昨年嬉しそうに語っていた安原さんの

弟子たちが、成人の日に、さてどんなキャラで登場してくれるのでしょうか。

 

放送は、

1月12日(月・祝) 8:35~9:48 NHK総合

です。

お時間許される方、ぜひ、ご覧ください。

 



2009年1月 7日

哀悼 -箱根を走った男の桃

 

新年早々つらい話題を続けて心苦しいですが、

これも日々の出来事なので、お許し願います。

 

年末から年始にかけて、生産者関係での訃報が相次いだのです。

生産者のご子息が一件、お母様が2件、そしてご本人の訃報が一件。

年末最後の出社日であった30日に続き、出社2日目の昨日も、

夜にお通夜に駆けつけるという、何とも悲しい年末年始になってしまいました。

 

昨夜は、山梨は桃の生産者、古屋寛継さんのお通夜に参列してきました。

会員さんからも 「桃七会」 で高い評価を頂いている 「一宮大地」(代表:久津間範彦さん)

のメンバー、77歳の現役でした。

東京農大の学生時代には、箱根駅伝で4年連続、箱根の山のぼり (5区ですね)

を走ったという偉大な伝説の持ち主。

2日、3日とテレビで箱根駅伝を観戦して、その後静かに息を引き取った、とのこと。

後輩たちの健闘を確かめて眠りについたんですね。

すごい話です。


ぼくも箱根駅伝はTVで観てました。

農大は12位。 残念ながら来年に向けてのシード権は逃がしましたが、

なかなかの健闘でした。

中継の合間に、過去の名場面やOBの思い出話などが挿入されるのですが、

「箱根を走った」 という自負が苦しいときの自分を支えたという話や、

ゴール直前で倒れたことがずっと心の重しのように残っていたが、

今年、30数年ぶりにタスキがつながった、というような物語を観たあとだっただけに、

古屋さんにとっても、 『箱根』 は  " オレの人生 "  のようなものだったんだろうなあ、と

そんな感慨がこみ上げてきたのでした。

タスキの重さを背負って、ひたすら待っている仲間のもとへ、あるいはゴールを目指して

走る後輩に心を重ね合わせながら、励まし、見届けたんだ。

 

一宮 (現:笛吹市一宮町) の葬儀会場には、

「陸上関係」 専用の受付まであって、弔問客で長蛇の列ができていた。

今さらながら、ぼくらは " 4年連続箱根の山を走った男 " という矜持を持って生きた

大先輩の桃を食べていたんだ、と思い知らされた次第。

心引き締められて帰路についたのでした。

 

古屋さんに限らず、皆さんそれぞれに同じような重さの人生があったことと思います。

本葬に参列できず、失礼の段、お許しください。

この場をお借りして、ご冥福をお祈りいたします。

 



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