産地情報: 2009年9月アーカイブ

2009年9月28日

厳しい・・・です。

 

野菜が、です。

特に北海道における夏の日照不足と多雨の影響が大きく、

ジャガイモ・玉ねぎ・人参といった基本の根菜類が絶不調。

玉ねぎの達人-札幌の大作幸一さんをして

「長年作ってきたけど、こんな厳しい年は初めて」 と言わしめるほど。

前にも書いたけど、特定産地との契約というのは、その地域、その畑の結果が

モロに直撃してくるので、なかなか供給も如何ともしがたく-。

 

ジャガイモや玉ねぎは当分、量目を調整しながらの綱渡り的な供給となるでしょう。

人参は断続的に供給 (入荷) が途絶えています。

「まだ太ってない、もう少し待って」 「雨で今日も掘れない」・・・・・

市場の値も上がってますが、それでも生産者の皆さんは

約束した値段で、大地を優先して出してくれています。

関東モノが出てくるまで、まだしばらく、厳しい状況が続きます。

基本野菜がない、とは実に切ない! ですね。

 

追い打ちをかけるように、近年にわかに評価を上げてきた北海道の米からも、

つらい写真が送られてきました。

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旭川の隣、東神楽町の北斗会から。

冷夏による冷害に加えて、いもち病が多発しているとのこと。

白く見えているのがイモチです。 


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黄色く色づいているのが実の入った籾 (もみ)。

青いのは不稔(ふねん) 籾。 つまり実が入っていません。

平成5年の大凶作並の作柄になるかもしれない、との声も聞こえてきています。

 

産地担当 (農産チーム職員) も日々ため息つきながら産地と連絡を取り合っていて、

私もちょっと、このところ何も書けませんでした。

 

 

・・・・・なんだか、かなり弱気な調子になってしまったですね。

力強い写真も届いているので、アップしておきましょう。

山形県高畠町、おきたま興農舎・小林温(ゆたか) さんから。 

9月24日、稲刈りが始まりました、の便りです。

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毎年たくさんのカブトエビが湧く、吉田正行さんの田んぼ。

今では米作地帯はほとんどがコンバインで脱穀まで同時にやりますが、

こちらは今もバインダーで刈って、束ねて、杭に掛けての天日乾燥。

作業効率は上がらないけど、これでワラも活用できます。

 

同じくおきたま興農舎、浅野智さん。 夫婦で仲良く。

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「まほろばの里」 と呼ぶにふさわしい光景ではないでしょうか。

お世話様です。 厳しい年でしたけど、無事収穫、有り難うございます。

大事にいただきたいと思います。

 

おきたま興農舎には、先日のコメニストの記者発表に出席いただいた

共同通信の記者さんが取材に来られたとのこと。

いい記事、書いてほしい。

 



2009年9月17日

ネグロスから来会

 

昨日、「たべまも」 キャンペーンとコメニストの記者発表を終えて、

夜、幕張まで帰ってきて仕事をしていると、 「一杯やってるからね・・・」 との連絡。

 

あ、そうか。

今日はATJ (オルター・トレード・ジャパン) の方々が大地を守る会を訪れ、

物流センターを見学して、職員との懇談会とかをやっていたんだった。

終わったあと、帰る前にもう一杯、ってやってるわけだな。

それじゃ、顔を見せないわけにはいかない。

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左側の一番奥の女性が、

現地法人ATC (オルター・トレード社) のジェネラル・マネージャー、ヒルダ・カドヤさん。

その手前が、同マスコバド製糖工場の社長、アーネル・リガホンさん。

ATJ20周年のお祝いも兼ねて来日して、精力的に消費者団体を回ってきたんだろうに、

全然疲れを感じさせない。

二人とも、お国の圧政ともたたかってきた、歴戦の闘士なのである。

 

12日付の日記で書いた 「ばななぼうと」 の話もしたところ、懐かしがってくれた。

あれが出発点だった。 あの船があったから、今の私たちもある。

あれから20年、続けてこれましたよ。 いやいや、頑張ったね。 ありがとう、ありがとう。

 

-ところで、エビスダニさんは、ネグロスには?

-いや、それが・・・・・一度も、まだ。

-じゃあ、来なくちゃいけません。

-そうだよねぇ。 行かなきゃ、とは思ってるんだけど。

-いつ来る? 

- ウッ ・・・・・

-じゃあ来年。 約束 (の握手)。

 

この手に弱いアタシ。

またひとつ、果たさなければならない約束が増えてしまった。

 

しかし、それにしても、何でオレだけ、ふたたび事務所に戻ってるんだろう。

虚しいぞ・・・・

 



2009年9月12日

ATJ 20周年

 

大地を守る会で取り扱っているアイテムは国内生産されたものが基本なんだけど、

国内では生産されてないもの、あっても希少なため取り扱うのが難しいもの、

海外との民衆貿易によって現地の人々の生活向上への支援につながるもの、

などなど、独自の基準を設けて輸入品も扱っている。

 

なかでも先駆的で象徴的なのが、バランゴン・バナナ (フィリピン) になるだろうか。

その輸入元である (株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ) さんが設立20周年を迎え、

記念のシンポジウムとパーティが開かれたので参加させていただいた。

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会場は築地の朝日新聞本社に隣接する浜離宮朝日ホール。

ATJ製品を販売する生協さんや共同購入団体、関係メーカーさんなど、

200名を超す関係者が参加され、盛況な会となった。

 

ATJさんと大地を守る会とは、バナナから取引が始まり、

今ではインドネシアのエコ・シュリンプ、パレスチナのオリーブオイル、

東チモールのコーヒー、と付き合いの幅は随分と広がってきている。

それぞれに現地の人たちとの交流も行なわれてきた。

すべて僕らにとっては、

自給というテーマと、海外とのネットワークという視点をつなぐものだ。 

 


ATJが設立されたのは20年前(1989年) だけど、

本当のきっかけは1986年まで遡る。 

その年の秋、神戸港から南西諸島に向かって 『ばななぼうと』 という船が出航した。

それは市民運動の新たな時代を開くエポック・メーキングとも言えるイベントだった。

 

徳之島で無農薬バナナの栽培に挑戦している農民たちと交流し応援しよう、

という話がいくつかの団体 (大地を守る会もその一つ) の間で持ち上がって、

そこまで行くなら足を延ばして、空港建設に対してサンゴ礁保全の運動をしている

石垣島・白保の漁民たちとも交流しよう、だったら全国の自然保護団体にも声をかけよう、

どうせなら船の中で色んなテーマでワークショップをやってみよう

・・・・・そんなふうに話が大きく広がって、実現したのが 『ばななぼうと』 だった。

 

期しくも1986年という年は、春にソ連・チェルノブィリで原発事故があり、

9月にはアメリカの精米業者協会が日本にコメの市場開放を突きつけてきた年。

今で言うグローバリゼーションが、日本人にも黒船のように自覚された年だ。

食や環境を守ろうという市民運動が俄かに活気づいて、

とはいえインターネットなんて便利な道具もまだ普及されてない時代、

どこもそれぞれ孤立しながらの活動を強いられていた。

そこで僕らは、全国の市民活動団体の住所録を作成したのだった。

「いのち・自然・暮らし」 をキーワードに、ちいさな市民グループまで網羅したリストを、

『ばななぼうと』 という一冊の本にまとめたのだ。

出来上がった連絡網は、異分野の人たちを強烈にネットワークした。

象徴的事件の一つに、日本リサイクル運動市民の会(当時) が立ち上げた

有機農産物の宅配事業がある。

 ( 「らでぃっしゅぼーや」 さんのこと。 大地を守る会は全面的にバックアップした。)

 

生まれた言葉や名言もいくつかある。

 -反対(否定) 運動から提案型運動へ。 その視点から市民事業が生まれ始めた。

   「食える市民運動へ」 なんて生々しい言葉も飛び交った。

   こっちの世界で飯を食おう(=オルタナティブな社会システム=仕事を創造する)

   という機運が生まれ、みんなで作る株式会社という発想が発展した。

 -「この指とまれ」 方式。

   たとえば原発反対の集会を呼びかけても、来ない人を非難しない。

   集まった人たちで、どれだけ魅力的なイベントを作れるかを考える。

 - " オレたちは、右でもなく左でもなく、前へ進む!"

   旧来の左翼的色合いで見られがちな運動 (それはある意味で、そうだった)

   を決定的に意識改革した言葉だったように思う。

 

『ばななぼうと』 に話を戻せば、

船には全国から150団体、約500人の人たちが乗り込んできた。

そのなかに、飢餓に苦しむネグロス島の砂糖労働者の支援活動に取り組む

「ネグロス・キャンペーン委員会」 なる団体の人たちがいた。

 

彼らは、国内農業を大切にしようとする自給派・有機農業派 (我々のこと) に、

鋭い問いを突きつけてきた。

「私たちの暮らしそのものが南の人々を苦しめている。

 国内の安全な食べものを応援して食べる、それでよいのか!」

船内でシンポジウムが開かれ、フィリピンの労働者が惨状を訴え、

どういう形で連帯 (この言葉は当時輝いていた) できるのか、が模索された。

 

商社への依存から脱して、自分たちの手で砂糖の公正な貿易を実現させよう。

いくつかの生協が手を上げ、民衆交易(貿易) という言葉が生まれ、

1987年、ネグロス島からマスコバト糖の輸入が始まった。

フェア・トレードという言葉が登場する前の時代の話である。

そして続いて、ネグロスの人々の自立を掲げて、

島に自生していたバランゴンバナナの輸入が始まったのは89年2月からである。

その年の秋、ATJが設立された。

 

大地を守る会は、ATJに出資する形で応援しつつ、それでも

国産の無農薬バナナやサトウキビの生産を支援する、という立場を堅持した。 

しかし国産バナナは毎年収穫前になると台風に倒されて、

僕らの間ではいつしか  " 幻のバナナ "  とか呼ばれるようになってしまった。

バランゴンバナナの支援(取り扱い) に踏み切ったのは、92,3年あたりだったか。

その後、支援の品目はだんだんと増えてきたが、砂糖はまだやっていない。

でもたとえば、パレスチナには独自の基金を準備しての建設を応援したりしてきた。

そのあたりが大地を守る会の愚直なところだと言われたりしている。

 

いろんな道のりがあって、20年の歴史がつくられた。

もっとも苦しかったのは、もちろん現地の人々である。

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記念のスピーチで壇上に立ったフィリピンの現地法人 「オルター・トレード社」 社長、

ノルマ・ムガールさん。

様々な困難を経験しながらも、ずっと対等に付き合ってくれた日本の仲間への

感謝が、深い言葉で語られた。 そして未来への希望も。

 

20人近いスタッフを前に集めて挨拶するATJ代表の堀田正彦さん。 

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「20年で様々なストーリーが作られたが、これからのヒストリーをどう創造していくか。

 どうかこの者たちを鍛えてやってください。」

 

大地を守る会会長の藤田和芳も挨拶。 

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内容は・・・・・すみません、他の人と談笑してました。

慌てて写真を撮っただけ。 

おそらくは、本当の自立に向けての課題がまだまだある、とか

そんな話をしたんだと思う。

 

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記念講演された大橋正明さん (恵泉女学園大学教授、NPO法人シャプラニールの会理事)

が提起した話も紹介したいけど、長くなってしまったので、この辺でやめます。

要は、事業やマーケットとして成立した感のあるフェアトレード (公正貿易) と、

目指したオルタナティブ (人間と自然の共生を目指すもう一つの道の提案) の、

質と量も含めた内容点検が必要ではないか、ということである。

 

なんだか、ATJ20周年の報告というより、昔話になってしまった。

でも僕にとってのATJとの20年は、このように語り出さないと

整理できないものでもあったのだ、と思う。

 

次のエポック・メーキングは、どんな質のものになるのだろう・・・・・

 



2009年9月11日

友くん、おめでとう!

 

埼玉県川越市の生産者、深田友章くん。 28歳。

本日めでたく、華燭の典!

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新妻の名は友里(ゆり) さん。

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「オレは美人としか結婚しないっすよ!」

などと常日頃からほざいていた友章が、見染めた女性。

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いや、ホントだ。 う、うらやましい・・・・・。 友、有言実行。 褒めてあげる。

 

思えば君が高校を卒業して、家業を継いだ途端の、お父さんの訃報だった。

このヤンキーみたいな若者が、はたして農業を続けられるのか。

しかも無農薬で・・・・・。 正直言って、みんな不安だった。

土壌分析の勉強会なんかでも、実につまらなさそうにしていたよね。

あれから10年近く経つけど、なかなかどうして、立派にやり続けてきた。

若くして逝った敏夫さんもきっと、天上で号泣していることだろう。

荒井注さんみたいな顔をくしゃくしゃにしてね。 働き者だった。

 

埼玉大地 (埼玉県下の生産者で組織されている会) の人たちの支えも大きかった。

列席された役員の方々の喜びもひとしおに違いない。

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僕らも嬉しい。 よかった、よかった。

 

大地を守る会の生産者会員も農家だけで1,200名を数えるけど、

一家の柱としてやっている生産者としては、おそらく最年少だろう。

深田友章、ついに一人前になりました!

え? まだまだだって。

埼玉大地の親っさん方々、

これからも友章くん友里さん夫妻をよろしくご指導のほど、お願いいたします。

 

深田友章&友里、会心の笑顔。

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来年1月には、父となる。 頑張らなくっちゃね。

おめでとう!

 

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