産地情報: 2009年10月アーカイブ

2009年10月31日

東京レモン! の誕生。

 

レモンの花を生で見た日本人は少ないと思う。 ましてや東京では。

その東京都下の、とある場所で、レモンの花が咲いた。 

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そこは小金井。 周囲をすっかり住宅に囲まれてしまっている

東京有機クラブ代表・阪本吉五郎家の、畑の一角。

ここに阪本さんは、3年前に100本のレモンの木を植えた。

15本くらいは病気などでやられたようだが、残りは逞しく育って、ついに実を成らせた。

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立派にレモンである。 

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この段階で採れば、グリーンレモン。

熟すと黄色に、大正の作家・梶井基次郎ふうにいうと 「レモンエロウ」 の檸檬になる。

農薬は一切使っていない。

阪本家命名 - 「東京レモン」 の誕生!である。

 


ことの発端は、大地を守る会直営の和食居酒屋 「山藤」 の前田寿和支配人が、

山藤オリジナル用にわずかでよいので、レモンを無農薬で作ってくれないか、

と持ちかけたことによるのだと、前田が自慢げに語る。

しかし 「ああ、面白いね。 植えてやるよ」 と言って100本も植えちまったのは、

阪本吉五郎・啓一父子の、冒険心と、東京農民の意地の表現のようなものであった

ことは間違いないと、僕は勝手に推測するのである。

 

去年6月の 「紫陽花鑑賞会」 の際に紹介した苗木が、果実を成らせた。

山藤は一日でも早く欲しいところだろうが、「東京レモン」 初出荷にあたってはやっぱ、

ささやかでも儀式が必要だということで、関係者で収穫祝いをやることになった。

「最初の鋏(ハサミ) は、藤田会長に入れてもらわないと」 と言うあたりが、

任侠の人・阪本吉五郎である。

 

会長も喜んで参上し、嬉しげに鋏を入れる。

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満足そうな吉五郎さん。

 

「エビ! 俺が最初に切った、東京のレモンだぞ!」

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ハイハイ。 記念に一枚、撮っときましょうね。

 

「山藤」 総料理長、梅田鉄哉もこの日を待ってましたと参加。

しかも 「私がいなくちゃ、祝いは始まらないでしょ。」 

その通りです。 ありがとうございます。

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啓一さん(写真左) も、 「どうだい!」 の表情である。 

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この木を世話するのに、どれだけの手をかけたのか、気を配ったのか、

僕には分からない。 阪本さんもニコニコして、当たり前のことは語らない。

栽培記録に記された事実を読むことはできても、

行間を読める人間になるには、まだ時間がかかる。

 

「俺も撮ってくれよ」 -は、長谷川満取締役。

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近々、東京農業大学で、都市農業の未来について講演する予定になっている。

格好のネタができた、と顔に書いてある。

しかも部下の市川に 「パワーポイント (講演用スライド) で」 とまで指示している。

 

俺が捥いだレモンだ。 撮れ。 

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今日の会長は、やけに写真を要求する。

撮るのはいいけど、あとで送らないと機嫌が悪くなるし、面倒なんですけど・・・。

 

さて、レモンの試食会と相成る。

梅さんが最初に出してくれたのが、北海道・厚岸の牡蠣。

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若いレモンは、口の中で酸味がはじける勢いがあって、いやいや、

やり場のないエネルギーに振り回されていた青春時代を思い起こさせるよ。

自然のミネラルの力で奥深く苦味を包ませた牡蠣との調和が、

いのちをいただく 「食」 というものの真髄を、シンプルに伝えてくる。

牡蠣という貝を開いて、この珍妙な形の肉を初めて食ったヒト、

それに柑橘の汁を垂らして食った最初のヒトに、感謝したい。

食の文化は長~いDNAの鎖でつながれているんだ、きっと。

食通家のようにうまく表現できないけど。

 

焦燥とデカダンス(頽廃) に喘ぎながら夭逝した若き基次郎にとって檸檬は、

灰色ベースのカンバスに置いてみた一点のレモンエロウだったのだろうが、

俗人は思う。 病気だから仕方ないとはいえ、君はもっと長く生きるべきだった。

基次郎は緑の檸檬の味を知らないで、逝った。

 

梅さんが、友人の職人に頼んだチーズケーキが用意されていた。 

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捥ぎたてのレモンの一片を添え、阪本さんに捧げる。

 

ケーキの箱には手づくりの帯が巻かれてあった。

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阪本吉五郎、78歳。 農業人生 「最後の挑戦」 だと書かれている。

「最後」 って、ちょっとねぇ、失礼じゃないか? まだ当分くたばりそうにないぞ。

 

見ろよ、この笑顔。

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最後は、ただの宴会。 

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阪本吉五郎が語る昭和の武蔵野の歴史は、聞き取っておく価値があると思った。 

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「みんなさ、土地がいっぱいあっていいですねっていうけどね。 欲しけりゃくれてやるよ。

 葉物を一生懸命作って大地に売ったって、みんな固定資産税で持ってかれてんだよ。

 相続でも物納するしかないから、ひっきょう東京に農地はなくなるな。

 これでいいのか、って聞きたいねぇ。」 ・・・誰に問いかけているのか。

 

吉五郎・啓一のレモンは、メッセージなのだ。

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なお念のために、宅配会員の皆様へ。

このレモンは宅配でご注文を受けられるだけの量はなく、もしご賞味を希望される場合は、

大地を守る会直営店、「山藤」 か 「カフェ・ツチオーネ 自由が丘店」 までお越しの上、

「阪本さんのレモン入ってる?」 とお尋ねください。

「エビちゃんブログを見た」 と言われた方への特典は、特にありません。

いや待て。 ・・・レモン1個なら自腹切ってもいい。 交渉してみよう。

 



2009年10月30日

繊細なる野菜 - レタスを学ぶ

 

レタスはとっても難しい野菜である。

繊細で、傷つきやすく、わずかな温度や湿度の変化にも敏感に反応する、

まるで箱入り娘のような野菜。

 

レタスを語るとき、よく引き合いに出される作品に、

ジョン・スタインベックの 『エデンの東』 がある。

小説よりも、ジェームス・ディーンが演じた映画のほうが有名な気がするのは、

自分が原作を読んでないからか。 あの映画で、

収穫されたレタスを氷で冷やしながら貨車で東部に運ぶシーンが出てくる。

これがうまくいったらボロ儲けの算段だったのだが、途中で貨車が止まってしまい、

扉を開けたら水が流れ落ちてきて、男が中のレタスを取り出して、一瞥するや投げ捨てた。

レタスに負けないくらいにナイーヴな青年を演じたジェームス・ディーンが、

「 レタスで失敗した親父の借金 (と自分への信頼) を取り戻したいんだ 」 

と新たな事業に挑戦する。

原作は1952年。 その頃からすでにレタスの長距離輸送は、

事業家 (アメリカの農園主は事業家である) の野心を掻き立てるテーマだったのだ。

 

そんなレタスの品質保持について勉強しようと、

昨日から30名強の生産者が長野県南佐久郡南牧村に集合した。 

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レタスの品質保持は、今もって我々の重大テーマのひとつである。

流通過程で傷みが広がるのを防ぐために、生産現場で考え得る対策はないか。

そのために発生の原因や対策技術を検証してみよう。

また流通で考えるべきことについても話し合いたい。

会議の表題は 「レタス・キャベツ生産者会議」 だったのだが、

そんなわけで (?)、会議の時間はほとんどレタスの話に費やされてしまった。

 


今回の幹事を務めてくれた地元生産者、有坂広司 (ひろし) さん。

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理論家で研究を怠らない、ちょっと怖い人。

「まあ、生産者だけでなく、大地にもちぃっと勉強してもらわんと・・・・」

僕らはこういう人に支えられている。

 

講演にお呼びしたのは、長野県野菜花き試験場研究員の小木曽秀紀さん。

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レタスの病害の様々なケースに対して、単純に農薬に頼るのではなく、

IPM (総合的病害虫管理) の考え方に沿って対策を講じる研究を重ねてきた。

IPMの定義を要約すれば、こんな感じ。

 - 利用可能なすべての防除技術を、経済性を考慮しつつ慎重に検討し、

      病害虫・雑草の発生増加を抑えるための適切な手段を総合的に講じる技術。

  - これらを通じ、人の健康に対するリスクと環境への負荷を最小限にとどめる。

  - また農業による生態系が有する病害虫および雑草抑制効果を可能な限り活用する

   ことにより、生態系のかく乱を可能な限り抑制し、

      安全な農作物の安定生産に資する技術・考え方の総称である。

ここでは農薬の使用をまったく否定するわけではないので、有機農業とは立ち位置

は異なるが、できるだけ自然の力を活用しようとする技術は、吸収しておこう。

 

農薬を削減するための技術は様々にある。

輪作の導入や緑肥作物の活用、肥培管理、土壌の物理性の改善といった耕種的防除、

熱水による土壌消毒といった物理的防除、

病原菌の繁殖を抑える力を持った植物や虫・微生物などを活用する生物的防除、などなど。

有機農業はそれらを総合的に捉え体系化する未来創造型の農業だと、僕は位置づけている。

 

ここで小木曽氏は、いま農家の頭を悩ましているレタス腐敗病に対して、

健全なレタスの葉から、病原菌を抑える力を持った微生物を発見して、

実用化 (これも防除目的である以上、「農薬」 として登録される)

した 「ベジキーパー水和剤」 を事例として、その特徴や利用方法などについて報告された。

 

次にもう一人ゲストとしてお呼びしたのは、タキイ種苗塩尻試験農場の石田了さん。

いろんなレタスの品種を開発してきた種屋さんである。

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品種ごとの特性や栽培上の留意点などが解説された。

レタスとひと言で言うが、ずいぶんと品種があるものだ。

適切な品種選択も重要なポイントなのであった。

生産者の間でひそひそと情報交換が活発になるのは、こういう話題の時だね。

 

お二人のゲストを相手に、質疑応答も活発に行なわれた。

司会を務めた農産グループ有機農業推進室の古谷隆司が、あれやこれやと

流通過程でレタスに表われてくる症状と原因について聞くも、

答えはだいたい 「そうとは言い切れない。 見てみないと分からないですね。」

表面に現れる症状の原因はひとつではないし、似たる現象も実は異なるものだったりする。

「ウ~ン」 と唸りつつ、推論を絞り込んでいく。

要するに特効薬はひとつではないのだ。

 

レタスの大産地・川上村の生産者、高見沢勉さんにお願いして、

川上村でのレタスとのたたかいの歴史を語っていただいた。

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レタスが日本に入ってきたのは明治初年だが、生産が一気に増えたのは、

戦後の進駐軍用の特需からだった。

その後、食生活の洋風化とともに大幅に消費量が伸びてゆく。

長野の高原地帯は、冷涼な気候がレタス栽培に合って、生産の増加とともに

出荷・保管・流通技術の進化を牽引してきた。

氷詰めでの輸送に挑戦したカリフォルニアの歴史は生かされている。

その一方で、夏季の3ヶ月で1年分を稼ぐような凄まじい生産構造となって、

深夜の0時過ぎから投光器を照らして収穫作業が行なわれるようになった。

日の出までに収穫し、切り口を洗い、しっかりと予冷させ冷蔵車で運ぶ。

また 「レタス産地」 とは、病気と対策のイタチごっこに苦しんできた歴史も抱えている。

レタス御殿が並ぶと言われる地帯でも、そこはけっしてエデンの園ではないのだ。

 

高見沢さんの話で一番こたえたのは、「レタスの収穫適期は一日」 という言葉だった。

一番良い時に収穫したい。 それは生産者なら当然のことだろう。

しかし、そこが会員制の宅配では、なかなかうまくいかない。

会員からの注文、しかも毎日続くオーダーに応じて出荷してもらうために、

" 採り遅れ "  という事態が発生することがある。

しかもいくつもの産地のリレーでつないでいると、出荷を待ってもらったり、

数の調整をしたり、というのが日々の物流の実情である。

雨でも出荷をお願いする時もある。

互いの事情を理解しあう、ではすまない問題が横たわっていて、

販売力の強化、販売チャンネルの複数化 (による調整能力の強化)、

会員に伝える情報の的確さ・・・・・

などなど話は深夜まで続き、延々と複雑化してゆくのだった。

勉強にはなったけど、悩みは尽きない。

 

で、明けて今日は朝から有坂さんの畑を回る。

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レタスは終わって、畑にあるのは白菜。

 

広司さんの風貌は、TVドラマに出てくるベテラン刑事みたいだね。

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このデカ長、栽培技術に関しては、相当に執念深い。

 

黄葉したカラマツが二日酔いの目を癒してくれる。 

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広司さんの息子さんの、泰志さん。

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親父譲りの理論派である。 

 

最後まで残った人で、八ヶ岳連峰をバックに記念撮影。

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がんばろう! レタス!

 

深まりゆく秋、の長野でした。

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2009年10月 4日

今年も開催 -大地を守る会の「備蓄米」収穫祭

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10月3日(土)。 福島県須賀川市。

福島の中通りに位置し、良食味産地として高い評価を受けている地帯である。

ここで、大地を守る会の 「備蓄米-大地恵穂(だいちけいすい)」 の収穫を祝っての

交流会が、今年も開催された。  

 

当初は、1年おきの開催として考えていたものだが、

厳しい天候の中、しっかりと良い品質で収穫まで漕ぎつけようと頑張ってくれた

生産者の成果を消費者の方々に見せたいと思ったのと、

予定より1カ月も早く予約口数の目標に到達した勢いが、

2年続けての開催へとつながった。

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生産者集団 「でんでん倶楽部稲作研究会」 (旧 「稲田稲作研究会」 を改名)

の事務局機能を担っている(株)ジェイラップの施設に集合した参加者一同。

前日までの雨で田んぼには入れず、

楽しみにしていたコンバインに乗っての稲刈り体験は中止。

「エーッ、残念~!」 の声が上がる (これは意外と興奮する体験なのです)。

この日の空模様も、今年の天候を象徴しているかのような曇天である。

 

それでも 「稲田のコシヒカリ」 の収穫は本番を迎え、

研究会自慢の太陽熱乾燥施設もいよいよフル稼働してきている。

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太陽光の中で最も波長の長い 「遠赤外線」 効果による低温乾燥。

火力乾燥が当たり前の時代にあって、15年前 (1994年) に導入した先駆的な施設である。

 


収穫された米が入荷して、検査が行なわれ、

太陽熱乾燥を経て、モミ貯蔵される。 さらに精米・袋詰めそして出荷までの

一連の流れを辿っていく。

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写真左にある貯蔵タンクはアメリカ製。

モミで150トン収容できるタンクが3基、総量450トンの収容力がある。

今年、大地を守る会の備蓄米用に約束した量は、玄米で165トン(2,750俵)。

モミに換算すると、約200トン強。 このタンク1基と3分の1ぶんを、

来年のための備蓄用として消費者が前払いで担保したことになる。

1993年の大冷害の翌年から、豊作で米が余った年も、米価が下がっても、

変わらず続けてきた。

このゆるぎない継続こそが、生産者の意欲と責任感、そして創造性を育てたのだ。

 

こちらが精米工場。

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米の品質を守るために、様々に改良を加えてきた。

ここで説明するのも面倒なくらい、

ジェイラップ自ら  " 複雑怪奇 "  というほどのオリジナル工程になっている。

 

ひと通りの工程を見学した後、田んぼに向かう。

 

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黄金色に輝く田園。 なぜこんなに美しく感じるのだろうね。

 

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今年の経過を説明する稲作研究会前会長・岩崎隆さん。 

「一反歩 (10アール) にして1俵 (玄米60kg) か半俵少ない感じですが、

品質は良いはずです」 と胸を張る。

気温や日照の具合を見ながら、きめ細かい管理をやってきた自負がにじみ出ている。

息子さんも農業を継いで孫もでき、たしか今も5世帯同居の大家族だ。

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんとともに、稲作研究会70名のメンバーを引っ張ってきた。

彼らは有機JASの認証も取っているが、それは無農薬無化学肥料栽培の技術獲得の

プロセスであり、自己証明の管理体制づくりの一環であって、ブランドではない。

ブランドはあくまで、「俺たちの米」 である。

 

田んぼに入れなかったので、これまた恒例となってきた 「イナゴ取り大会」 も中止。

「今年はイナゴのほうが大豊作なんで、いっぱい獲ってもらおうと思ってたんですけど」

と、消費者よりも生産者のほうが残念そうな口ぶりである。 

たしかに、畦に立つだけでビンビン飛んでくる。

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残念でしたね。

来年はいっぱい獲ろう! (え? 来年?・・・なんか、来ると毎年やりたくなっちゃうよね)

 

さて、今回実施したいと思ったのには、もう一つの理由がある。

これは何でしょうか。  

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乾燥野菜です。 

一昨年あたりから色々と試行錯誤して、試作品の完成まで漕ぎつけた。 

野菜が豊作で余った時、畑で捨ててきた規格外品、皮も含めて 「使い切る」 思想が

ここに凝縮される。

 

乾燥室の中の様子。

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きゅうり、トマトなどをスライスしたチップが、ステンレスの棚に並べられ、

こちらも米と同様、熱風でなく、ゆっくりと時間をかけた除湿工程によって乾きながら、

エキスが濃縮されてゆく。 

 

実に色んな野菜や果物が試作された。

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「毎日ごぼうを切り刻んだ時は、もうゴボウなんて食べたくないって思いましたァ。

 これをやっている時は、引きこもりですね。」 (福島弁で語尾が少し上がる)。

見かけによらず、繊細で凝り性な方である。

 

スライスやチップだけでなく、粉末も完成した。

長期保存ができ、いろんな料理に使える優れモノである。

今日は8種類の粉末が用意され、それが何なのかを当てるクイズ大会が行なわれた。

実はイナゴ取りができないことを考慮して、

前夜の打ち合わせで急きょ用意してもらったものだ。

 

その粉を使っての3種類 (人参、ゴボウ、よもぎ) のうどんも試食していただく。

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これがまた大好評で、嬉しい限りだ。

 

野菜や果物を使い切ることで、フードマイレージも下がり、ゴミの減量につながり、

自給率を上げる。

設備の配置や体制作りといった課題はいろいろあるけれど、

加工の受け皿として産地をネットワークできれば、これはゼッタイ秘密兵器になる。

何としても形にしたいと思う。

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そんな未来への意欲も語り合いながらの交流会となる。 

 

子どもたちは餅つきに興じる。

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結果は年によって違いはあるけれど、いつだって収穫は嬉しいものだ。

未来への種も蒔いているのだしね。 

 

清酒 「種蒔人」 の蔵元・大和川酒造店の佐藤芳伸社長も、

忙しい中、酒粕などを持って駆けつけてくれた。

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有り難うございます。

今年も楽しい収穫祭になりました。 

 

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備蓄米-大地恵穂、今年も無事収穫!!

これから来年まで、モミ殻に包まれ、しばしの眠りにつきます。

 

みんなで交わした笑顔が、明日を豊かにする。 間違いないよね。

 



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