産地情報: 2010年7月アーカイブ

2010年7月23日

鹿児島で 有機農業フォーラム

 

鹿児島に行ってきました。

昨日から今日にかけて、

かごしま有機生産組合主催による 「第5回有機農業フォーラム」 が開催され、

そこで1時間ほどの講演を依頼されたのです。

 

会場は薩摩川内市、 「湖畔リゾートホテルいむた」 。

ラムサール条約にも登録されている藺牟田(いむた) 湖畔にある。

ベッコウトンボの生息で有名なんだとか。

 

僕に与えられた課題は、

「首都圏における有機農産物の販売動向」。

生産者にはとっても気になる話題だが、語る側にはちょっとつらいテーマである。

 


首都圏での 「有機農産物」 の販売動向といわれても、

販売に関する正確なデータがあるわけではない。

あるのは、有機JAS制度で認証(格付) された農産物の数量データのみである。

しかも存在するデータから読み解こうとすると、

有機農業で頑張っている生産者にはとても厳しい現実を語らざるを得なくなってしまう。

 

たとえばこんな数字がある。

有機農産物の生産量 (「有機」と格付された農産物、ここではすべてこの数字)

の統計が取れるようになったのは、有機JAS制度ができた2001年からであるが、

その年の国内総生産量に占める 「有機農産物」の割合は、0.10%だった。

そして直近のデータである08年には、0.18%になっている。

7年間での伸び率は、0.08%。

数量でいえば、約3万4千トンから5万6千トンで、66%増加となる。

これをどう評価するかは、意見の分かれるところだろうが、

まあ伸びていることは事実である。

とりあえずこれを 「地道に」 と表現させていただく。

 

しかし国民的目線でこのデータを見たときに、

驚かなければならないのは、むしろ国内総生産量の減少ではないかと思う。

7年間で94%に落ち込んでいる。

つまり、分母が6%減ったとろこでの 0.08%増、というわけだ。

分母の数量は、約3,220万トンから約3,024万トンへ。

約200万トン落ち込んだところに、「有機農産物」 が2万トン伸ばした。

衰退していくなかでの 「希望の星」 か、もしかして生き残りをかけての 「有機」 か。

 

憶測で語るのはやめて、もうひとつのデータを提示させていただく。

外国産有機農産物の数字である。

2001年に格付された外国産有機農産物は9万4千トン(すでに今の国内産の倍近い)。

それが08年には、約200万トン。

7年間での伸び率は、2125%(約21倍)。 野菜だけでも730%、米で780%。

まるで国内生産量が減った分を、外国産有機農産物が補ったかのような数字だ。

だとするなら、この数字は絶望的ともいえるし、ある意味での希望ともいえる。

 

こんな数字を示しながら、「有機農産物の販売動向」 をどう語るか・・・

複雑なる心境がご理解いただけるだろうか。

「有機農産物」 マーケットは、間違いなく成長しているのである。

食の自給とは関係なく。

そこで、外国産有機農産物の圧倒的な増加をもって、

結局、有機JAS制度は外国産有機を後押ししただけだと批判する向きがある。

僕の考えるところは、最後の結論まで待ってほしい。

 

個人的感覚だけで喋ってはいけないので、もうひとつのデータを参考に挙げる。

農水省からの委託で、NPO法人 日本有機農業研究会が行なった、

「有機農業に関する消費者の意識調査」 である。 昨年の3月に発表されている。

 

このレポートから炙り出されてくる、消費の像とはこんな感じだ。

・ 「有機農産物」というものの存在については、ほとんどの消費者が知っている。

・ 「有機農産物を一度でも購入した」 経験を持つ人は約6割に達しているが、

   「有機JASマーク」 を理解しているのは1割程度である。

・ 「有機」への理解は 「安全性」 や 「環境にやさしい」 というイメージ。

・ 不満は、圧倒的に価格の高さ、である。 続いて供給の不安定さとまとめられるか。

・ 一方で有機をプラスに評価する人の、価格容認幅は +1割~2割高 くらいまで。

 

他にもいろんな傾向が読み取れるが、まあだいたい想定範囲内である。

こういった調査結果を参考指標にしつつ、

その上で、僕が現実から感じとっている消費と社会的な動向について

触れさせていただいた。

大地を守る会は卸し事業もやっているわけなので、

データだけでお茶を濁しては、石を投げられちゃうだろうし。

 

結論。

有機をめぐる市場は広がりを見せつつも、まだまだ未成熟なのだ。

人々の関心や社会的トレンドは、間違いなく 「有機」 への期待を高めている。

しかしマーケットは動いたが営業メリットは発生せず、

JASマークへの不信感が残る一方で、マーク以上の信頼のツールを編み出せていない。

 

僕は有機JAS制度ができた時から、「JASマークを乗り越えよう」 と

呪文のように唱え続けてきた。

認証やそのマークは自身の営農結果の 「証明書」 である。

それが時代の求めるものであるならば、数々の問題点はあっても、

避けずに正面から突破したいと思ったんだよね。

しかし規格に適合したという 「証明」 をもって、それ以上の価値を、

たとえば自身の食や農業に対する思いを語るものには、けっしてならない。

それ以上の価値は、自らの力で築いていかなければならない。

 

有機JAS制度と表示は、発展への過渡期的必然だったのだ。

結果として外国産有機農産物が氾濫したとするなら、それは制度ではなく、

我々の未熟さの問題である。

 

バカにならないコストと手間をかけて認証に取り組んだ者だからこそ

進むことのできる  " 次のステップ "  がある。

「有機農業」 が目指した社会に向けての、次の一歩に。

 

大地を守る会の最近の動きを紹介しつつ、感じている世の中の変化を伝え、

僕らなりの挑戦の方向を述べさせていただく。

" マーケットの拡大 "  というと商業用語になっちゃうけど、

それは経済の流れとも、人々の意識ともつながって動的なものだし、

なにより生産はそれを強く求めていると思うので、ここでは憚らず使わせていただく。

量だけでなく質の深化も目指して、何を語り、どのようなくさびを打ち込めるか。

証明から価値観を動かす力へ-

 

肝心なことを言い忘れたけど、かごしま有機生産組合は、

実は 「有機的社会」 づくりに向けて、すでに舵を切っているのである。

都市の団体や流通に依存するだけでなく、地域に広がるためのお店を増やし、

直営農場を持ち、農業技術センターを設立させて、

有機農業技術の確立と新規就農者の育成に取り組んでいる。

JASの認証にも取り組んだからこそ、制度に対してモノ申す権利も、

大胆にいえば否定する説明力も持ったことになるワケで、

次の展開への踏み台は、もう足元にあるわけです。

どこよりも活力あるかごしま、を建設してほしい。

 

フォーラムでは、

NPO法人 有機農業技術会議の事務局長・藤田正雄さんの講演もあった。

以前、新規就農者のためのハンドブック-『有機農業をはじめよう!』

の編集で一緒に仕事をさせていただいた方。

藤田さんの講演タイトルは、「土の生き物からみた土づくり」。

多様な生物を活かしながら土をつくる技術。

有機農業の持っている、もっとも根源的な力だ。 化学肥料では土は生産できない。

 

分散会では有機認証のための記帳の煩わしさやコストが語られ、

理想論とは別に、現場でのしんどさは続く。

組合員数が150人にも達すると、組織をまとめるにも相当な苦労があることだろうが、

これからの方向を考えるキーワードのひとつが 「地域」 だとするなら、

自分たちはすでに一つの条件をクリアしつつあることに、どうか自信を持って欲しい。

 

今日の夕方には幕張に戻らなければならない都合があり、

ここでもとんぼ返りになった。

たまにしか来ることができない地方出張なら、

遠方ほどじっくりと見て回って相互理解を深めたいものだが、

現実がなかなか許してくれない。 歯がゆいものだ。 

 

大暑の日のうだる移動に、希望も萎えそうになる。

 



2010年7月16日

20回めの北海道生産者会議

 

北海道に行ってきました。

ジャガイモの花が咲いていました。

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品種はメークイン。 江別市・金井正さんの畑にて。

 

7月15~16日、第20回となった北海道地区生産者ブロック会議を開催。

場所は、千歳空港から札幌に向かう途中の北広島市。 

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今回の幹事は、北海道有機農業協同組合。

2001年、全国で初めて有機農業の専門農協として組織された。

挨拶するのは代表理事・小路健男さん。 

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大地を守る会に出荷するようになったのは2年前から。

若い時から大地を守る会を意識してやってきた、と嬉しいことを言ってくれる。

 


今回の講演は、四日市大学教授で北海道大学名誉教授でもある松永勝彦さん。

テーマは、「森が消えれば海も死ぬ」。

同じタイトルの著書がある。 

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森(山) と海のつながりは、今ではあたり前に語られる話だが、

その関係を科学的に証明する先鞭をつけたのが松永さんである。

20年におよぶフィールドワークによって、

海の磯焼け現象(海の砂漠化) の原因が山にあることを突きとめた。

 

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鍵になるのは鉄である。

鉄は生物に不可欠な元素であるが、自然界では鉄サビの状態で存在していて、

そのままでは光合成生物は取り込めない。

しかし森林の腐植土にはフルボ酸という物質が存在し、

フルボ酸と鉄が結合する(フルボ酸鉄になる) ことによって生物に取り込まれる。

森からフルボ酸鉄やリン、窒素が送られてくることによって、

沿岸海域の生態系は豊かに維持されていたのだ。

 

" 森は海の恋人 "  で有名な宮城・気仙沼の畠山重篤さんのバックボーンともなった

松永さんだが、時に公共事業などを痛烈に批判するためか、

あるいは学者の縄張り体質と対立したためか、

いろいろと圧力もあったらしく、学界は居心地のいいものではなかったようだ。

今は三重で、人工漁礁による海の再生に取り組んでいる。

 

話はもっぱら海から森、森から海だったが、

その視点から語られる 「腐植」 の大切さは、

農業者にとっても意味あるものになったのではないだろうか。

 

二日目は現地視察。

江別の金井正さんのほ場を訪ねる。 

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ジャガイモの花も、そろそろ終盤戦。

春の低温・日照不足からだいぶ復活はしてきたようだが、

このところは乾燥気味で、生産者からはおしなべて 「水が欲しい」 という声が聞かれていた。

 

金井さんも70を越え、今年は怪我もあって心配したのだが、

なんのなんの、矍鑠(かくしゃく) としている。

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金井さんといえば、誰もが認める道具を大切にする人である。

45年前のトラクターを、今でも修理しながら使っている。

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開拓時代の道具も保存し、すべてがきれいに整理整頓されている。 

長い間の習慣で、身と精神の芯まで染みついたものとしか言いようがない。

これがただの性格だったら、毎日神経すり減らしてつらいことだろう。

 

畑の管理にもその生き方が表われている。

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ちょっと草があるだけで気になる人に違いない、そんな畑である。

 

これからの天気がちょうどよく推移することを願って、

看板の前で記念の一枚を撮る。 

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続いて、北広島の佐々木透さん。

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北海道有機農業協同組合の理事もされている方。

こちらは多品種の野菜栽培で、少々手が回らない気味。

 

佐々木さんは学生の頃から農業を志したそうで、

北海道・十勝から沖縄・西表島、さらには長野の川上村、群馬の嬬恋村で

修行を積んでいる。

アメリカの農場でも2年、海外青年協力隊員の経験もある、猛者である。

 

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人参畑は草の中にあり、キャベツ畑にはモンシロチョウが元気に飛び回っていても、

佐々木さんはいっさい農薬は使わない。

修行時代に、農薬を撒いては夜に吐いていた、という経験が

この人の農業スタイルの底辺にあるようだ。

 

草との格闘は人海戦術である。 

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炎天下の中で草をとるパートさんたち。

彼女たちこそ、北海道での有機農業を支える柱のような存在である。

うつむいて黙々と進む姿に、僕らの頭も上がらない。

 

暑いけど爽やかな風も吹いている。

秋の後半からの根菜類は、この夏の北海道にかかっているワケで、

祈る気持ちで、あとにする。

 



2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に

到達しつつある。

小川さんの苦労は報われる。 間違いない。

わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。

 

できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた

祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。

浅見さんと相談してみよう。

 



2010年7月 3日

食文化の伝道師と若者たち

 

6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、

帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。

こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。

30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。

7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。

『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。

 

一週間出ずっぱりとなってしまった。

こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。

ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、

どう転んでも書けそうにない。

何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、

遅れの帳尻を合わせることにしたい。

 

 

「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、

猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。

実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。

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フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)

「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」

というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、

もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。

今回はこちらでお願いする。

 

このホテルの総料理長になって22年。

最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った

 " 華 " のある料理を披露されていたのだが、

福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。

有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。

その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。

 

食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。

山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。

しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、

地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。

それが 「料理」 による地のおもてなしだと。

 


現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、

ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。

 

山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、

大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。

料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、

たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、

調理に変化を持たせたりするのだという。

また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。

さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。

昨年には 「体験農場」 も開設した。

宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、

夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。 

そんなコースを楽しむ人が増えている。

 

生産者の思いや地場作物の物語を  「食」 を通じて伝えるなかで、

地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。

「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。

ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。

気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。 

 

さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。

板橋 大(ゆたか) くん。 

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大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。

酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。

今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。

 

チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。 

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前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。

2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。

 

チャルジョウ農場からもう一人。

写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、

有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。

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「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。

 小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」

彼女たちには、農業への偏見がない。

牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、

美しい被写体を見ている。

要は生き方だよなあ、と感じさせる。

 (オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)

これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、

それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。

 

こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が

もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。

この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。

途中で折れることなく、大事にしてほしい。

 

実践報告でも、若者たちのリレートークでも、

実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。

素直に誇りたい。

 

次は二日目の現地視察。

山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、

このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。

すみません、明日に回します。

 



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