産地情報: 2011年1月アーカイブ

2011年1月27日

「寒試し」 を肴に自然の変化を語り合う

 

産地新年会も折り返しを過ぎ、

昨夜(26日) は宮城県下の生産者合同新年会が、鳴子温泉で催された。

 

いやとにかく、今年は雪が多い。

e11012708.JPG

 

昨年の夏が記録的猛暑かと思えば、

昨年末からの寒波の波状攻撃も凄まじいものがある。

温暖化とは、ただ気温が上昇していくという単純なものではなくて、

気候変動の振幅が激しくなっていくことを意味するらしい。

集中豪雨とか記録的寒波とか、異常気象が頻発するようになる。

それらは地球気候のバランスを整えるための所作だとも言われるが、

とにかく災害のリスクはますます高まっていくわけで、

生態系への影響 (かく乱と動植物の対応変化) とも相まって、

食料生産は情け容赦なく振り回されることになる。

オイラのしんどいなんて、屁のツッパリにもならない。

 

そんな地球の懊悩を肌で感じながら (本当かよ。カッコつけてるね)、

新年会と称して産地を回る。

前にも書いたとおり、これはただの飲み会ではない。

ちゃんと真面目な時間も用意されているので、

それだけは強調しておきたい (言い訳がくどいね。やましいところでもあるのか・・・ )。

僕は出られなかったけど、19日の千葉合同新年会では、

埼玉県農林業総合研究センターの根本久さんを招いて、

天敵の有効利用について勉強会が開かれている。

 

20日の茨城新年会では、あえてゲストは呼ばず、

藤田会長から、今後の大地を守る会の目指す方向をしっかり聞かせてもらおう、

という趣向になった。

e11012701.JPG

 

そして宮城では、

古くから農村で伝承されている気象予測を農作業に生かしてきた

山形県村山市の農民・門脇栄悦さんによる講演が企画された。

元農事気象学界副会長。 大地を守る会の生産者会員でもある。

e11012704.JPG 

 


門脇さんが行なっている気象予測は、「寒試し」 といわれる。

二十四節気の 「寒の入り」(小寒。1月6日、旧暦12月3日) から

「立春」(2月4日、旧暦1月2日) までを一年に見立て、気温変化や降水量を予測する。

高僧・空海の伝とされるが、門脇さんはさらに詳細な気象情報を収集して

精度を上げた予測を立てるまでになった。

今や山形県村山地域の天気予測の当たる確立は8割とのことで、

農業関係者やメディアからの取材も年々増えているようだ。

 

予測の詳細は省かせていただくが、

配布された農事気象学会の今年の予測はと言うと-

12~1月-暖冬の予測だが、時に強烈な乾燥した冷風が吹く。

       降雪地帯の雪は、時に吹雪型となるやも。平地はドカ雪に注意。

       12月 【一白水星】、1月 【九紫火星】 で気象は激変型。又社会情勢も混迷が危惧。

 2~3月-乾寒風吹き、悪性の風邪流行るかも。立春の前後に大雪降る。

 4月   -寒暖の差が激しく凍霜害に留意の事。稲、野菜苗生育不良病害注意。

 5月   -日中の気温は高いが夜間冷える。寒暖の差激しく晩霜・雹害の恐れあり。

 6月   -梅雨入は早く空梅雨型。梅雨明けの土用前後に大雨豪雨注意。低気圧多発。

 7月   -台風の発生は早く数も平年より多い。大型台風が上陸して被害の出る予測。

 8月   -東日本はヤマセ現象で低温。西日本は高温傾向で高温障害の恐れあり。

 9月   -降雹・雷雨・強風・突風などの発生が予測される気象激変型となる。

10月   -台風の発生多く、強烈な風台風の上陸の恐れあり。特に風害に要注意。

  ~ と続く。

実は同じ資料を、埼玉新年会で瀬山明さんからももらった。

月や惑星の動きにも注意を払っていて、民間の気象予測もなかなかに奥が深い。 

 

当たるか当たらないかは僕にはなんとも言えないが

(僕は人災による変動要因のほうが気になっているのでなおさら)、

自然の動きや鼓動に対して姿勢が謙虚になる、というのは大事なことだと思った。

門脇さんは全国各地の寒試しの事例を尋ねて回っていて、

みんな自然を敬う人たちである、と言う。

そして、こんなことも感じているのだそうだ。

「理想とする姿のイメージを思い浮かべている人は、良いものをつくる。」

含蓄があるね。

 

門脇さんはまた、 「種蒔きは満月、移植は新月に」 といった月のリズムを大切にしている。

これはオカルトではない。

和洋を問わず世界のあちこちで、今も農業の世界では生きている話である。

とくたろうさん」 担当の秋元はシュタイナー派なので、すっかりご満悦の様子。

 

e11012703.JPG

 

ま、こんな感じで、あとは飲んで語り合おう、となる。

 

参加者皆さんを紹介したいところだが、紙面(?) の都合で割愛させていただく。

話題の人としては、、、

昨年NHKの番組 「プロフェショナル」 で紹介された石井稔さん。

e11012706.JPG

 

この人も天候を先取りするタイプである。 

テレビ放映されてから、周りがうるさくなって、問い合わせも増えて大変らしい。

石井さんの米はもうプレミアの世界で、我々が扱う世界を飛びぬけてしまったが、

むしろ僕が自慢したいのは、番組でも紹介されていた、

この人が苦悩していた時代を支えた奥さんのニラを扱ってきたことだ。

宮城の 「無農薬生産組合のニラ」 を今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

宮城新年会には水産や畜産の生産者も参加してくれる。

今年は開催が水曜日となったこともあって参加者は少なかったが、

この方を代表としてアップさせていただきましょう。

遠藤蒲鉾店を支える女将、遠藤由美さん。 

e11012705.JPG

いつもキリッとして、かつ快活な笑顔に、みんな励まされている。

 

今回の幹事を務めてくれた、蕪栗米生産組合のお三方。

e11012707.JPG

左から遊佐恭一さん、中鉢隆弘さん、そして千葉孝志さん。

なんと翌日(今日) に同じ場所で総会を設定して、

藤田会長を記念講演者に仕立てて、足止めにさせた。

去年12月の視察の時といい、油断もスキもない。

 

二次会は宿にあったカラオケ・スナックに流れたのだが、

門脇さんを囲んでの天候論議が終わらない。

自然相手の仕事をしている人たちには、興味の尽きないテーマなのである。

 

茨城では、宿の部屋で二次会となった。

八郷の 阿部豊 さんと、久しぶりにフォークソングを歌いまくる。 

e11012702.JPG

 阿部ちゃんが吉田拓郎の高校の後輩だったというのも初めて聞いた。

こういう夜も、嫌いじゃない。

 

お天道様への敬意を忘れない人たちは、

どこか大らかな諦念を持ち合わせつつ、しかも粘り強い。

みんな腹の中に暦があって、その狂いが大きくなっていることで、

自然の変化を感じ取っている。

 

僕もせめて月の満ち欠けなど意識しながら過ごしてみようかしら。

何か見えてくることがあるだろうか。

・・・なんて呑気な事を言ってる場合じゃないか。

 

e11012709.JPG

 



2011年1月25日

食べることで、この国がきれいになる!

 

 " 買う責任 "  と  " 作る責任 "  のコラボ。

伊藤俊彦は、大地を守る会の備蓄米のコンセプトを、ひと言でそう語る。

 

e11011606.JPG

 

備蓄米を育ててくれたのは、ただ淡々と買う責任を果たしてくれた消費者の存在だった。

その人たちのためにやるべきことをやろう、オレたちの誇りをかけて。 

世界一美味いと言ってもらえるような米をつくろう!

 

こんな感覚はJAの職員時代には得られなかった。

「うちの米がほしい、と言ってくれる人に売りたい。売らせてくれ。」

「バカヤロー! 100年早い。」

そんなふうに若い頃の伊藤さんは組織の壁に阻まれ続けた。

農協という巨大組織の系統にしたがって働いていればいい。

自分たちの個性を主張することは許されなかった。

そんな時に大地を守る会と出合った。 伊藤俊彦31歳のときだった。

 

僕らも若かったね。

伊藤をして 「法を怖れぬやつら」 と言わしめた仕掛けもやった。

別に法を破ったわけではない。 ただ大義を主張しただけである。

税金など要らない。 オレたちの手で民間備蓄を始めます。

食糧事務所さんには何ら迷惑をかけるものではありません、と

面と向かって胸を張っただけだ。

挿入したハッタリ (ヒ・ミ・ツ です) が少々荒っぽかったけど。

 

e11012501.JPG

 

場当たり的な農政からは得られなかった喜びと確信が生まれた。

価格の下落は、やる気が喪失していくだけでなく、手抜きを生む。

しかしあらかじめ価格が決まっていて、収穫前から先行予約が入るとなると、

構えが違ってくる。 生産に集中することもできるようになる。

買う責任を全うしようとしてくれる人に、何をもって返すか。

基準が明確ななか、安全性と食味の両立にもがいてきた。

それが我々を進化させたのだと、伊藤さんは振り返る。

 

失敗もあったね。

ミイラ化したカエルが入っていた、という事件があった。

食味を優先するあまり、水分を高めにして保管したらカビが発生したこともあった。

大地内部でも、このまま続けていいのかという論議が起きたが、ひるまなかった。

それでも買い続けてくれる消費者の存在に、

責任を果たそう、という気概を示さないと終わるわけにはいかなかったのだ。

徹底してラインを見直し、設備を強化し、我々の備蓄米は精神を含めて進化した。

 


備蓄米を始めた1994年は、100年に一度と言われた大冷害の翌年だった。

米価が高騰するなかで、約束した価格で売る、という伊藤さんの立場は苦しいものだった。

100年に一度の儲けを取るか、99年の信用を取るか-

そんな啖呵をきれる人物とつるむ以上、彼を孤立させるわけにいかなかった。

僕らの支援は、売ることである。

しかし・・・・

備蓄米がメディアで紹介されたりすればするほど彼の立場は難しいものになっていって、

結局左遷されてしまう。 

その後、稲作研究会の生産者の後押しもあって、JAを辞め、

仲間とともに自立の道を歩むことになる。

こうなると一蓮托生の世界である。

米が余る時代が続くなか、意地でも備蓄米を続けてきた。

いろんなノウハウが蓄積され、

 「はたまる」 企画を生んだりする関係へと発展してきたことを、

改めて誇りに思う。

 

「去年の夏は、稲も肩で息していました。。」

そんな猛暑にあって、味方してくれたのが、

猪苗代湖から先人が引いてくれた安積疏水の豊富な水だったと言う。

国の礎は単純な経済の数字ではないのだ。

もっと大きなネットワークで私たちの暮らしは支えられている。

わずかな数の儲ける農民だけで営まれる農業になっていいのだろうか。

 

新幹線のトラブルというハプニングで充分な時間を取れなかったけど、

いくつか大切なことは伝えられたのではないかと思う。

佐久の松永さんや飯尾醸造・秋山さん、そして奥野さんの臨機応変なご協力にも感謝して、

米プロジェクト21主催による新年の講演会をお開きとする。

 

終了後、急いで次の企画-「山藤で わしわしご飯を食べる会」 へと流れる。

山藤・西麻布店だけでは入りきれない申し込みがあり、

急きょ広尾店も開放してもらって、二手に分かれての食事会となる。

この場を借りて、山藤に感謝です。

 

西麻布には、伊藤さんと奥野さんと松永さん。

広尾には、午後の部のために駆けつけてくれたジェイラップの

関根政一さんと伊藤大輔さん、と秋山さん。

と分かれてもらって、ご飯をメインとした食事会を楽しんでもらう。

 

こちら西麻布店の様子。

e11011608.JPG

挨拶しているのは料理長の青木剛三さん。

ご飯をわしわし食べる  -に引かれてやってきた方々とあって、

その食べっぷりは、すがすがしいくらいに豪快だった。

 

ご飯は稲田米。

ダッチ・オーブン(鉄鍋) で炊いたのと、土鍋で炊いたご飯を賞味していただく。

e11012301.JPG

 

土鍋の炊き上がりの香りにしっかりした歯ごたえと甘さ。

どんどんお替りが進む。

e11012302.JPG

                  (店長の後藤美千代さん)

 

ご飯を思いっきり食べる -に合うおかずを料理長にお願いする。 

e11011607.JPG

 

ぜんまい白和え、法連草胡麻和え、まぐろ山かけ、卵焼き、じゃが芋土佐煮、

牛蒡蓮根人参の金平、焼き魚、仙台黒豚の西京焼き、、、

煮物はぶり大根。 椀物は小松菜とうす揚げの煮浸し。

先付けには、聖護院大根の千枚漬けといくら正油漬け、イカの塩辛もあった。

そして味噌汁にお漬物。

あたり前のようなライン・アップがとても贅沢に感じるから不思議だ。

ご飯をわしわし、食べる。

成清さんの海苔が出て、それだけでまたご飯をもう一膳。

種蒔人もいこう・・・となれば、もうご機嫌で。

 

「今日締め切りの原稿を抱えているので」-すぐにおいとまするはずだった奥野さんが

最後まで嬉しそうに食べ尽くしてくれている。

 

食べるって、未来への投資でもあるんじゃないか。

本日の結論。

「食べることで、この国がきれいになる!」

 

いただきました、星みっつ!

ご馳走様でした。

 

米プロ諸君も、お疲れ様でした。

e11011609.JPG

 



2011年1月23日

"食べる約束" に "作る責任" を果たす

 

しっかり食べる人がいてくれることで、

作る人たちも責任感と誇りが育ち、強くなれる。

それによって食べる人の健康を支える世界が安定する。

これが僕らが築き上げようとしてきたシンプルな循環の世界である。

そのためには愛が必要だとも書いてしまった。

信頼を支える思想として。

互いへの敬意と信頼が育つことでこそ、

食の循環は安心・安全というレベルを越えて未来を拓く、と僕は信じている。

 

その確かなモデルが、ここにある。

「大地を守る会の備蓄米」 という無骨な一本の企画。

平成の米騒動と呼ばれた93年の翌年にスタートして、

米価が下がり続ける中でも17年にわたって確実な予約注文を維持してきた。

生産と消費が信頼を預け合わないと成立できない実験だった。

価格や安全性という物差しだけでは、ここまで継続することもなかっただろう。

米の流通の隙間に咲いたあだ花かのように言う人もいるが、

むしろ希望という言葉こそふさわしい。 

戸別所得補償や環太平洋パートナーシップ協定(TPP) といった

喧しい論争を越えるヒントと資源は、目の前にあるんだと思う。

「地元学」 が唱えるところの  " ないものねだり より あるもの探しを "  のように。

 

そんな思いで、新春の講演会を開催した。

 (企画してくれたのは 「米プロジェクト21」 のスタッフ・西田和弘である。)

 

『 それでも、世界一うまい米をつくる

  -危機に備える俺たちの食料安保- 』

 e09041201.jpg

 

1月15日(日)、会場は東京・広尾にある日本赤十字看護大学の教室をお借りした。

むさくるしいオヤジでも入れるのか、と聞いたワタシは何を考えていたのだろう

 - なんてことはどうでもいいとして、

受付で 「エビちゃんブログを見て-」 と言ってくれた方が一名いたとか。

感激(涙目)!です。 有り難うございました。

 

ところがところが、まったく想定外の事態となってしまった。

朝からの東北新幹線の連続トラブルのお陰で、

講師にお願いしていた伊藤俊彦さんが到着しないのだ。 

 

さて、どうしたものか。。。

ゲストの奥野修司さん(上記の著者) と掛け合いながら引っ張ろうかとも思ったが、

日頃の行ないが良いと救世主が現われるもので、

なんと生産者がお二人、顔を見せてくれたのだ。 

しかも遠方から、それぞれに有機農業の歴史を背負った方だ。

使わない手はない (いや、失礼)。 

 

事情をお詫びして、いきなりのご指名。

長野県佐久市から来てくれた松永哲男さん。

e11011601.JPG

JA佐久浅間臼田有機米部会所属。

昭和42(1967)年から無農薬での米づくりに邁進してきた。

「オレなんか、世界一うまいと言える自信はとてもねえが・・・」 と謙遜するが、

しかし休憩の合い間にも有機栽培の技術書を読む方である。 

 


松永さんが辿った道は、戦後日本の食と農業の歴史を映している。

ベトナム戦争、水俣病、その頃から除草剤や化学肥料がどんどん使われるようになって、

親父がガンで死んで、家に戻って米づくりを受け継いだ。

農薬を撒いたあとに体調をおかしくする人が周りに増えてきて、

佐久総合病院の院長さんが警鐘を鳴らした。

有機農業の歴史に燦然と名を残す若月俊一さんである。

「松永さん、このままじゃダメだって、お医者さんが言うんだよね。」

 

いま子供たちの米づくり体験にも田を解放しているが、

今の人たちが食べたり飲んだりしているものを見ると心配でならない。

テーピーピー(TPP)って問題もやっけぇなもんで、

このまま進んだら農業や食べものがどうなっちまうのか、

これは消費者の問題じゃねぇかと思ったりもするんだが、、、

ぜひ皆さんも考えてもらえるとありがてぇなって思う。

 

次は若手。

京都、といっても日本海側、

天の橋立のある宮津市から参加してくれた秋山俊朗(としひろ) さん。

e11011602.JPG

無農薬米づくりから始まって、純米酒をつくり、酢に仕上げる。

「富士酢」 の蔵元、飯尾醸造 の蔵人兼営業担当である。

さすが若者、ノート・パソコンを持ち歩いていて、「写真があるのでお見せしましょうか。」

教室に丹後山地の棚田の絵が登場した。

 

飯尾醸造さんは創業118年を誇るお酢屋さんで、

ニッポン一の酢をつくりたいという思いで 「富士酢」 と名づけた。 

松永さんが有機農業を始めたのとまさに同じ頃、

同じような危機感を抱いて、飯尾醸造さんも無農薬での原料米作りに取り組んだ。

 

e11011603.JPG

 

生産性という側面では条件の悪い棚田だが、

そこは生物多様性を育み、水を涵養する貴重な場所である。

きれいな水と日中の寒暖の差は美味しい米も育てる。

何とかこの美しい棚田を守っていきたいと、自社田にし、みんなで米づくりに励んでいる。

地元の農家からも、JAより3倍も高い値段で引き取っているが、

なかなか後継ぎは帰ってこない。

山もだんだんと荒れてきて、イノシシなどの獣害にも泣かされるようになってきた。

それでも、細々とでも維持していきたいと、秋山さんたちは頑張っている。

こだわりの酢の背中には、こんな田んぼと人の苦悩がある。

 

長野・佐久と京都・飯尾醸造。

奇しくも有機農業のパイオニア的存在の二つの場所から、

歴史を背負ってきた男と受け継ぐ者、そんな二人に助けられた格好になった。 

 

続いて、伊藤さんの講演の後に登場していただく予定だった

奥野j修司さんにも話をつないでもらう。

e11011604.JPG

雑誌 『文芸春秋』 の取材先として伊藤俊彦さんを紹介してから、

この人とのお付き合いも9年になった。

たった一回の雑誌記事に3ヶ月の取材時間を費やし、その後も7年にわたって、

伊藤俊彦を主人公とする稲田稲作研究会と彼らがつくったジェイラップという会社を

取材し続けた。

 

いやあ、最初に伊藤さんに会ったときには、この男を信用していいのか、

正直ヤバイやつだと思いましたね -という思い出話から始まる。

何たって、いきなり食糧危機を予言したり、

ハッタリのような話を次から次へと聞かされるんですから。

 

しかしそこは、奥野氏も相当にしつこいジャーナリストである。

伊藤の予言を確かめようと中国まで飛んだのだ。

上掲の書は、中国ルポから始まる。

それはこんにちの様相をほぼ予測した内容になっていて、

JA職員時代からの伊藤さんのたたかいや苦悩をなぞっただけでは生れなかった

深みとすごみと生命力を、この本に与えている。

 

奥野さんの中国取材は結局一回では終わらなかった。

その後起きた  " 毒入りギョウザ "  事件などを経て、

奥野さんの確信は伊藤さんの予言に重なってゆく。

世界を食い尽くす勢いの中国から、無頓着な日本の姿が見える。

 

実は奥野さんは自由化自体は問題ではないと思っている。

それよりも、自由化に負けない国づくりができていないことを憂う。

たとえば域内を自由化しながら自給率が下がらないEU各国。

イギリスが戦後、自給率を高めてきた根底には教育があった。

自国の農産物を食べることで国がきれいになる、ということを彼らは知っているのです。

EUで有機農業が支持されるのは、水が守られるからです。

 

いましがた映された棚田は、国土保全の役割を果たしている。

これを  " 食べることで守っていこう "  という消費者がいるならば、

まだこの国は捨てたもんじゃない、と思いますね。

 

これまた上手につないでくれるではないか。

最高の役者たちだ。

 

e11012305.JPG

 

3名の話を受ける形でしばしお喋りをして引っ張る。

有機農業の普及が自給率のアップにつながるというのは、どういうことか?

といった質問に応えながら。

 

講演会の予定は12時までだったところ、

11時45分になって、ようやく伊藤さんの到着。

あの野太い神経の持ち主が汗をかいている。

さすがの伊藤俊彦も新幹線の車両を飛ばすことはできなかったようだ。

会場を借りた時間のギリギリまで延長することにして、

伊藤俊彦・新春講演会をお願いする。

e11011605.JPG

 

続きは、明日かあさってに- すみません。

 



2011年1月 9日

食のネットワークを強化しよう -埼玉新年会

 

東京有機クラブに続いて翌7日(金)、

新年会第2弾 - 「埼玉大地」 の巻。

埼玉県は本庄市に埼玉県下の生産者23名が集う。

 

「埼玉大地」(瀬山明会長)。 法人ではない。

大地を守る会に出荷する埼玉県下の生産者で横のつながりを持って、

親睦を深めながら、技術を高めあい、大地を守る会を支えていこう。

そんな主旨で結成して25年になる。

メンバーで会費を出し合って、生産者会議の開催に役立てたり、

遠方の会議への参加に対して補助するなど、緩やかながら地道に活動を継続してきている。

昨年は沖縄で開催された 後継者会議

本庄市の瀬山公一さん(瀬山明さんの後継者) が参加する際に補助している。

 

新年会に先立って 「埼玉大地」 の総会が開かれ、

活動報告や計画が簡単に確認されたあと、有機資材の勉強会を行なう。

総会では特段の問題がない限り、我々(大地を守る会事務局) は口をはさまない。

 

前々会長・吉沢重造さん(左、川越市) と、

前会長・榎本文夫さん(右、さいたま市) が並ぶ。

e11010901.JPG 

 

「このところ少し活動が鈍ってるな。 夏のちょっとした合い間にでも集まってよ、

 暑気払いも兼ねて勉強会でも開いたらよかんべ」 と吉沢さん。

後ろは日高市・福井忠雄さんの後継者、一洋さん。 「埼玉大地」 会計担当。

こんなふうにだんだんと若手に役割が移行している。

 

福井さんと瀬山さんは昨年、

大地を守る会職員の農作業研修を受け入れてくれた。

e11010806.JPG

 

ピンボケでスミマセン。

今年もよろしくお願いしますね。

他の埼玉大地の方々もぜひ、畑で職員を鍛えてやってください。 

 

さて、埼玉大地25周年となった今年の新年会は、

初めて県下の加工品メーカーにも声をかけさせていただいた。

参加してくれたのは、本庄中心に県北のメーカーさん8社。

これがまた、古くからつながりがある人たちなのである。

e11010802.JPG

 

見てくださ~い!

「これが私たちが共同で開発した、本庄がんもバーガー! で~す。」

味輝さん(上里町) の天然酵母パンに、もぎ豆腐店さんのがんも、

調味料で高橋ソースさん、松田マヨネーズさん、ヤマキさんがコラボして開発した。

野菜ももちろん地元産。

昨年5月の本庄総合公園春まつりにお目見えして人気を博した。

 

1次産業と2次産業と3次産業がつながって6次産業化が言われる昨今。

せっかくこれだけの仲間がいて、パワーもあるんだから、もっともっとつながって

埼玉を盛り上げましょう。 オーッ!

 


気をよくして、僕も挨拶で気勢を上げる。

 TPPで日本農業が崩壊すると農業団体は叫んでいるけれど、

 何があっても国産を、地域の食材を支持する、食文化を守る、

 そんな消費者を一人でも多く増やしていきたい。

 健全な一次産業や食の産業があることによって、生産と消費がつながることによって、

 健康や環境も守られることを、

 いろんな取り組みを通じて伝えていきましょう。 

 

e11010803.JPG

 

藤田会長の周りには、

昨年出版した著書にサインを求める生産者が集まっている。

昨年末に紹介した 『有機農業で世界を変える』(工作舎刊) に 

『畑と田んぼと母の漬物』(Bkc刊)。

e11010902.jpg

同時に2冊も刊行したところに、

35周年にかけた会長の意気込みが感じられる。

 

僕は久しぶりに、(株)ヤマキの木谷富雄社長(下の写真中央) と歓談。

e11010804.JPG 

僕が入社して、初めて見学会を企画して会員さんをお連れした先が、

ヤマキさんの御用蔵だった。 もう27年になる。

今や農業生産法人も抱える ヤマキ御用蔵グループ に発展した。

木谷さんとは新しい取り組みの作戦会議を約束した。

 

写真手前は、(株)大地を守る会の長谷川満取締役。

「こいつは昔から顔(ツラ) がでかかった」 と木谷さんにからかわれている。

後ろは農業生産法人豆太郎の代表、須賀利治さん。

お父さんの一男さんは、有名な自然農法の生産者だ。

 

最後に一枚。

e11010805.JPG

元大地を守る会の社員、藤森利雄(左) と石井誠一(右)。

藤森くんは鴻巣で有機農業を (一人前というにはまだ少し・・・)、

石井くんは本庄で人気の天然酵母パンと洋菓子の店 「マリーレン」 の店長として、

ともに頑張っている。 

こういうかたちでOBと酒を酌み交わせるのは、最高に楽しい。

 

食のネットワークを強化しよう。

TPPは反対だけど、それ以上に豊かな自立を語り合いたい。

 



2011年1月 8日

産地新年会シリーズ、東京から。

 

年が明ければ産地の新年会が始まる。

今年は2月上旬まで9ヵ所での新年会が組まれていて、

僕はそのうち6ヵ所に参加する予定である。

以前この行脚を  " 死のロード "  などと書いてしまって、

あちこちの生産者から皮肉られてしまった。

戯れ言といえども、控えないとね。

可能な限り産地を回って新年の挨拶をし、互いの健在を喜び、一年の抱負を語り合うのだ。

なんたって社長自ら 「全部出る!」 と宣言しているくらいなんだから、 

我々が弱音を吐くわけにはいかない。

 

スタートは例によって東京からである。

1月6日(木)、「東京有機クラブ」 新年会。

e11010801.JPG

場所は府中のお蕎麦屋さん。

在所の農家とは古いお付き合いの由緒あるお店のようだ。

奥の間みたいな部屋に席を用意してくれた。

 

代表である小金井の 阪本吉五郎さん とのお付き合いはもう30余年になる。

誰も正確に覚えてない。

メンバーは他に、吉五郎さんの高校の同級生である府中の藤村和正さん、

そして吉五郎さんとは義理の兄弟にあたる小平の川里弘さん。

 

吉五郎さんは数年前に大病を患ったが見事に復活した。

e11010807.JPG

御年80歳。 口も減らず(失礼!)、意気軒昂である。

でも畑はだいたい息子の啓一さんに任せている。

「ハウスに何が植わってるか、もう見に行きもしねぇな。

 見ると小言言いたくなっちゃうし。」

 

川里弘さん(下の写真・左) もそんな感じ。

今は昨年生まれた孫 (穂高くん) が可愛くてしょうがない、と。

「大地はもう息子に任せた。

 オレはせいぜい 山藤 用の野菜づくりで楽しませてもらうから。」

e11010808.JPG

 

阪本啓一・川里賢太郎両名には、

丸の内での東京野菜展開への協力を頼む。

去年夏の ミクニマルノウチ、秋の パスタ饗宴、と付き合ってもらって、

これからのハードルの高さはお二人も感じておられるようだ。

「ま、出来ることはします。 出来ないことはできません、ってことで-」

  - ハイ、分かっております。

 

ここ(東京) に農業がある、その意味や大切さを、

一人でも多くの人に伝えたい。 その仕組みをどうつくるか。

お二人に仁義を切って、今年一年の作業の開始である。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ