産地情報: 2012年11月アーカイブ

2012年11月20日

伸くんの大豆で作った豆腐 -「フード・アクション」で受賞

 

各種レポートの途中ですが、

早く伝えたいと思っていたニュースがあるので、はさませていただきます。

 

農林水産省が食糧自給率向上を目指して展開している

「フード・アクション・ニッポン」 なるキャンペーン活動があって、

そこで自給率向上に貢献する様々な取り組みを表彰する

「フード・アクション・ニッポン アワード2012」 にて、

大地を守る会で販売している 「東北想い・宮城の大豆の豆腐」 が

「食べて応援しよう!賞」 を受賞しました。

 

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これは、震災以降販売不振に苦しむ宮城県登米市の大豆生産者

「N.O.A」 さんの有機・無農薬の大豆を使って、

神奈川の豆腐メーカー 「おかべや」 さんが各種のお豆腐をつくってくれたもの。

販売が始まってから僕も毎週1丁か2丁は買うようにしているが、

なかなか大豆をさばききれないでいる。

そんな折りでのこういう受賞は、大変有り難いものである。

広報部隊も、少しでも販売に貢献しようと、

メディア関係にリリースしてくれている。  詳細は、こちらを見ていただければ。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/11/2012.html

 

N.O.A の高橋伸 さんにしてみれば、

" 表彰状よりも発注(大豆の注文) が欲しい! " 

というのが偽らざる本音だろうと思うけど、

各方面に PR してるってことだけは、これを機にお伝えしておきたい。

 

「N.O.A」 高橋良・伸親子を紹介した記事は、もう2年以上前になるか・・・

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2010/02/04/

参考まで。

 

「フード・アクション・ニッポン」 については、だいぶ前に少々批判したことがある。

たしか、何億もの予算(税金) を使っていろんな広告やイベントを打っても

自給率は一向に上がらず、広告代理店(D通さん) に吸い取られてるだけだと、

そんな感じで皮肉ったと思う。

最近はバックナンバーを探すのもひと苦労で、、、、、これかな

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/10/27/

 

いや、もうひとつ、たしか

「朝ごはんを食べると成績が上がる」 といったような電車の広告に

神経逆なでされて、 

「余計なお世話じゃ! みんな必死で生きてんだ! こんなもんに税金使いくさって」

と噛みついた覚えがあるのだが、見つからない。

 

ま、しかし、それはそれとして、

自分たちの活動や食材が評価されるのは、素直に嬉しいことなのである。

堂々といただいて、宣伝にも使わせてもらいます。

 

表彰状は、現在、幕張本社の受付前に飾られている。 

先般いただいた、稲田・ジェイラップからの感謝状と並んで。

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お客様が眺めてくれるのを見たりするのも、素直に嬉しい。

 

「東北想い・宮城の大豆の豆腐」

まだ食べてない方は、ぜひ一度お試しを!

 



2012年11月19日

短角ナイトⅡ

 

ブナの森は広大な天然の水がめだった。。。

 

三陸や秋田の誇り高い漁師や百姓たちが、

汗を流して千年先まで守ろうとしている水源がある。

いっぽうで僕らは、水道代さえ払えば水は手に入る、

それが当たり前の日常を享受している。

水源地の保全に日々不安を感じながら暮らすこともなく、

ダムの貯水量が減って節水が呼び掛けられた時だって、

次に雨の降る日までのいっ時の辛抱のような感覚だ。

 

母国へのお土産に何が欲しいかと聞かれ、

「水道の蛇口」 と答えたアフリカ人がいたという話があるが、

笑ったり蔑(さげす) んだりしている場合ではないように思う。

安全な水と食料の安定確保は、

古今東西を問わず国家存続をかけた一大事業であったし、

常に争いの元になる生命資源なのに (今もシビアに進行している)、

いつの間にかこの国の政治家の多くは、土台の重大性を忘れちゃったみたいだ。

お金さえあれば国民を幸福にできると信じているのだろうか。

 

政治の 「治」 とは、もとは水利を管理することを表した文字である。

世界のあちこちで水道事業が企業に乗っ取られていってる時代にあって、

水保全と一体であるべき一次産業を育成できないで

自由市場主義にただ身を任せようとする政治とは相当に危うく、

愚かだと言い切っておきたい。

 

ま、政治への言及はしばらく慎重にしよう。 騒々しい事態になってるし。

それに、福島での収穫祭から小水力発電、秋田でのブナの森づくりと

振り返っているうちにもいろんな出来事があって、ネタがどんどん溜まってる。

 

17日(土)は 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を何とか無事に終え、

昨日は朝から東京海洋大学のワークショップに出て、

午後は日比谷公園の 「土と平和の祭典」 に顔を出した。

 

いやその前に一本、この報告をしておかなければ。

11月10日(土) の夜に、丸の内 「 Daichi & keats 」 で開かれた食事会

- 「 短角ナイトⅡ 」。

 先日長々とレポートした農水省の 「山形村調査」 でお世話になった

下館進さん (JA新いわてくじ短角牛肥育部会長) が参加されるというので、

お礼を言いたくて申し込んだ。

調査の報告書もお渡ししたかったし。

 

この日、下館さんたち3名は、

横浜市青葉区にある 「こどもの国・バーベキュー場」 で開催した

「 " 食べて応援 "  バーベキュー大会」 に参加した足で

丸の内まで来られたのだった。

疲れも見せず、短角牛のPRに努めている。

強い思いと、誇りがあるのだ。

 

19時、「短角ナイト Ⅱ」 のスタート。

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「やまがたむら短角牛」 の特徴を説明する下館進さん。

 「牛と一緒に暮らしてきた」 という表現がすごく自然に受け止められる、

それが山形村の人たちである。

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東北山間地の風土に合って、健康に育てた  " 当たり前の牛肉 "  が

" 幻の和牛 "  とか言われて光を当てられるのは本来の望みではないだろうが、

安全性(=健康)へのこだわりでは 「比類ない和牛」 だと、胸は張りたい。

 

店内では、ずっと撮りためてきた  " 短角牛の1年 "  の映像が流されていた。 

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仔牛の出産風景や闘牛大会や放牧地で跳ねる姿など、貴重な映像が撮られている。

現在編集中とうかがった。

封切りは、、、東京集会あたりかしら (勝手な推測)。

 

「 Daichi & keats 」 自慢の農園ポトフ。

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このゴロゴロ感が、農家の庭先で野菜を食ってるぞって感じで、

何か分かんないけど、やる気になる。

 

そして、この日のメイン・ディッシュの登場。

「短角牛のワラ包み焼き」 

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一度焼いて、ワラで包んで、さらにオーブンにかける。

店長の町田正英が、「これからオーブンにかけます」 と披露して回る。

 

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ワラの香りがする牛肉!!!

 

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燻製の香りではない、ワラにくるまれて火を通ってきた牛肉の、

野趣でいて品のある風味が、とてもウマい。

短角牛の滋養がドレスアップされて・・・とか気取って言いたくなる、

短角牛の魂を伝えようという料理人のチャレンジ精神を感じさせる逸品だ。

 

短角牛センマイと雑穀のアラビアータとかいうのも美味かった。

酒が進んでしまって、雑穀おじやと D&k デザートは周りの方々に譲って、

あとで後悔する。

 

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山形村の調査報告書を下館さんにお渡しし、

町田店長のはからいで、参加者に農水省の検討会の報告もさらっとっさせてもらった。

 

地域で育まれた食文化をちゃんと見直すことが地域の活性化につながる、

そのモデル・ケースのひとつとして山形村と短角牛が指名された。

経済性の尺度だけで切り捨てられつつあった地域を、

地域再建のヒントを有する事例だと持ち上げるのも調子のいい話だけど、

社会資産の見直し、価値をはかるモノサシの転換に向けて、

引き続きホンモノをぶつけていきたいと思う。

 

「短角牛のワラ包み焼き」 ・・・今もあの香りが忘れられない。

短角もすごいが、ワラの力もあなどれない。

日本食文化の素材とは、美しい風景を構成する者たちでもあるのだ。

何としても守ろうよ! と叫びたい。

 

次に食べられるのはいつだろうか・・・

僕にとっては宴会2回分の出費に相当したのが、なかなか厳しいところだ。

 



2012年11月13日

ブナ1本で 一反の田を

 

  森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)

                                                 - 『森は海の恋人』 より -

 

11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。 

(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)

前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、

彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。

いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。

 

まだ目新しい、キレイな看板が立っている。

今日のために立てたのかしら。

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ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。

「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。

 

それにしてもスタッフの方々は大変だ。 

わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。

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ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。

ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。 

 

2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。

見慣れた横断幕が掲げられている。

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南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。

八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。 

源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。

 

今年の参加者は150人くらいか。

大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。

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諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。

我々は5班にあてがわれる。 

少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。

いざ作業開始。

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黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。

子どもたちの未来のために- 

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親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。 

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黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、

水源の環境維持も、おそらく同義である。

ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。

 

自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、

将来の水を担保させる。

これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、

すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。

だから僕は前から機会あるごとに、

こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ

(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、

と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。

消費は何でも同じではないのに。

 

安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、

こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、

「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。

一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、

社会の基盤づくりでもあるのだ。

 

思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。

 

20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。

今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。

5 班の方々、お疲れさまでした。

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20年間で、植えた広葉樹が15,130本。

持続こそ力、だね。

 

今年も変わらず、美味しい水だった。

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永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。

 

作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。

毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの

「ぶなっこコンサート」 も開かれる。 

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(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)

 

オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、

そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、

みんなで合唱する。

 

交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。

今も残る、第1回(1993年) の時の看板。 

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しっかりしたブナの森に育ってきている。

その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない

生産者たちの汗がある。 

 

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カモシカのフン、発見。 

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しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。

野生動物も増えているらしい。  

森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。

 

植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。

「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。 

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古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。

約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、

反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)

= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。

 

この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、

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僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを

根底から変えなければならない時に来ているのではないか。

 

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、

今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。

来年も植えるかどうかは未定、とのこと。

 

それでも、できることならこれからも来たいと思う。

断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。

自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。

 



2012年11月12日

心に ブナの森を

 

水は生命を支える土台であり、しかも  " 水系 "  は

エネルギーも提供してくれる重要な地域資源になる。 

地域の力でエネルギーを創り出せば、

お金(富) も外に出てゆくことなく、地域で循環させることができる。

 

その資源の源といえば、森に他ならない。

森と水系をしっかりと守りさえすれば、

水はいつまでも私たちに安心の土台を与え続けてくれる。

 

しかし、水資源の涵養が維持されなければ、水流はやがて途絶える。

あるいは鉄砲水となって麓や町に災害をもたらす。

そのあとには水不足が待っている。

またひとたび水系が汚染されると、

人々は未来への予知不能な不安に怯えることになる。

まさに今の世がそうだ。

僕らは水が教えてくれる大もとの作業も忘れずに続けなければならない。

人の心に木を植える。。。

 

栃木・那須から帰って、一日おいて11月2日、秋田に向かう。

第20回に到達した 「秋田・ブナを植えるつどい」。

記念講演も用意され、

この地でブナを植える活動のきっかけを与えてくれた畠山重篤さんが呼ばれた。

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秋田行きの 「こまち号」 が強風のためだいぶ遅れ、

会場である五城目町の 「五城館」 に着いた時は、

すでに畠山さんの講演が始まっていて、元気な声が会場の外まで聞こえてくる。

身振り手振りを交えながら、畠山ワールドの展開。

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畠山さんの話は後半しか聞けなかったけど、

おそらくは震災の凄まじい体験から始まり、自然の力あるいは偉大さ

(もしかしたら人間というもののちっぽけさ) が語られ、

おそらくは生命が湧くほどに豊か " だった " 幼少の頃の暮らしも語られ、

山や森とのつながりへと展開されていったのではないかと推測する。

 

山の落ち葉らの腐植から生まれるフルボ酸が鉄とくっついてフルボ酸鉄となり、

川を伝って海に運ばれながら植物やプランクトンを育てる連関。

僕が椅子に座った時は、まさに畠山さんの十八番(おはこ) である

" 地球は鉄の惑星でもある (鉄があったゆえに植物が生まれた) " 

の世界へと聴衆を誘っているところだった。

 

シベリアからオホーツク海を経て三陸にいたる陸と海のメカニズム。

学者たちが後追いのような形で証明してくる生命のつながり。

津波の後、例年より強い勢いで育っているカキたちと自然の奥深さ。

さらにはカキという生物の面白さ・・・ 全身で表現する畠山重篤さんがいた。

元気になって、ホントよかった。

 

畠山さんは昨年2月、

国連森林フォーラムが 「2011年・国際森林年」 にちなんで設定した、

森を守るために地道で独創的な活動をする 「フォレスト・ヒーローズ」

8人の一人として選出され、世界から称えられた。

 

授賞式はニューヨーク・国連本部で行なわれた。

そこで貰ったという金メダルを見せてくれる。 

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今や世界から注目される  " 森のヒーロー "  となった畠山さん。 

「 " 森を守る "  功労者に、漁師を選んでくれたことが嬉しい」 と語る。

「これは、森を考える時は川や海のことも考えよう、というメッセージになった」 と。

 

  森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく (熊谷龍子)

 

 - これからも広葉樹の森を育てながら海を守っていきたい。

地震と津波というとてつもない災禍や絶望を超えてきて、

この人のなかにある木は、さらに巨きく枝を伸ばし葉を繁らせたように思う。

震災後の牡蠣のように。

 

秋田から帰ってきて、久しぶりに 『森は海の恋人』

(1994年・北斗出版刊、今は文春文庫で買えます) を手に取った。

山にも海にも、たくさんの生き物(幸) が

当たり前のように満ち満ちていた時代があった。

例えばこんなくだりがある。

 

  広葉樹の山々の沢から流れる水は、どんなに大雨が降っても濁ることはなく、

  川には魚が満ち溢れていた。 岩魚(いわな)、山女(やまめ)、鰻、いくらでも採れた。

  夜突きといって、松の根に火を灯して、夜、川に入ると、

  一尺五寸を越す岩魚がウヨウヨしていた。

  いつでも採れるので、食べる分しか採らなかった。

  山女も、鱒(ます) のような大きなのが居て、ヤスで突いて何なく採った。

  腰に下げたフクベは忽ち重くなり、家に帰ると直ぐ割いて竹串に刺し、

  炉端で焼いて御菜(おかず) にした。

  「ほんとに夢のようでがす!!」 とおばあちゃんも、目をしばたたかせている。

  夢のような話は、まだ続く。

 

山と海の深いつながり (「木造船は、海に浮かぶ森であった」 とか)、

子供を一人前の漁師に育ててゆく人と自然と生き物たち、

そのつながりがもたらす豊饒の世界が、実に愛情深く描かれている。

加えて、関係を断ち切ってゆく 「近代」 という波がもたらした貧しい世界も。

熊谷龍子さんの格調高い短歌を配置して、

これはすごい文学作品だと、改めて思ったのだった。  

 

講演会が終わった後、畠山さんにご挨拶をして、いつぞやのお礼を言う。

かすかに覚えていてくれたか、いやどうだか分からないが、

でもまあ 「ああ! おーおー」 と笑って応えてくれた。

これだけで、僕は満足。

 

夜は、「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さん宅で、

懇親会という名の楽しい宴会。

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黒瀬さんが男鹿の港の市場から調達してきたマグロと、

いつも陣中見舞いに来てくれる安保農場・安保鶴美さんのきりたんぽをメインに、

今回の秋田の地酒は、銘酒 「白瀑(しらたき)」。

 

黒瀬さんと安保さん。

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黒瀬家は家族も増えて賑やかだ。

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息子の友基・恵理さん夫妻に、

長男・悠真くん(5歳)、長女・花穂ちゃん(3歳)、次女・志穂ちゃん(1歳)。

 

本番を前にして、例によって飲み過ぎ、

もうずいぶん古い付き合いになった奈良のSさんと遅くまで語り合ったのだが、

朝になると何を話したのか、どうも思い出せない。

これは大事なことや、大事なことやからエビちゃんに伝えておくんやぞ、

とか言われていたように思うのだが・・・

スミマセン、Sさん。 また来年もお願いします。

 



2012年11月 6日

それでも 世界一の米を!

 

「備蓄米 収穫祭」 & 「自立祭」 レポート - PartⅡ

 

収穫祭で飲んだり語り合っている間に地元の方々や関係者も集まってきていて、

午後2時半、「自立祭」 の開催が宣言される。

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「元気ですかーッ!」

気勢を上げる稲作研究会会長・渡辺良勝さん。

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右は落ち着いた司会さばきを見せるジェイラップ専務の関根政一さん。

 

自慢の食材や季節の果物が並べられる。

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すっかりお馴染みになった佐藤良二さんの手打ちうどん。

今年は天ぷらも登場。

お好きな具で天ぷらうどんを、どうぞ。 ニクイね。 

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あちこち歩きながら、生産者と語り合ったりしているうちに、

食べそびれてしまった。

きれいに揚がった色とりどりの野菜や菊の花の天ぷら・・・ くやしい。

 


改めて壇上に立ち、挨拶する伊藤俊彦さん。 

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原発事故と放射能に慄きつつも、立ち向かってきた俺たちのたたかいは

無駄ではなかったし、むしろ予想以上の成果を獲得した。

そして昨年の 「復興祭」 から一年。 今年もみんなで頑張ることができた。

自分たちの地域は自分たちの手で守る、という自信も取り戻せたように思う。

そんな自立に向かう意気込みを込め、

関係者の皆様の支援に支えられたことに深く感謝して、

「自立祭」 を祝いたい。。。。 (本当はもっとカッコいい挨拶だった。)

 

ここに到着して、慌ただしくなったスケジュールの確認中に聞かされた

感謝状授与という話。

え? え? 何それ? 聞いてないよ。

「ああ、いま初めて言ってるんだけど、貰ってくれるよね。」

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照れも通り越して、恐縮しまくり。 文面にも気が込められていて・・・

 

『 感謝状
  大地を守る会 藤田和芳殿

貴社におかれましては 東日本大震災による被災ならびに
東京電力福島第一原子力発電所事故に起因する原子力災害に慄き 
意気消沈する私たちに対し 復興への導きと希望の再生のために 
救援物資の提供 原子力災害に対峙する学び 放射能分析設備の貸与 
復興に向けた経済支援 独自の情報発信活動など 
積極的なご支援を賜ってまいりました。
特に原子力災害という未知の環境汚染対策に対しましては 
共に闘っていただいているという実感の中で 
この逆境に立ち向かう気力と勇気を賜りました。

おかげ様をもちまして 顔を上げ 前を向き 
一歩ずつですが復興に向けての気概を増幅させ 
生きることの基本である " 自立 " を目指せるまでになりました。

2012年  " 風土 in FOOD 自立祭 "  を開催するにあたりまして
復興から自立に向けて継続的に努力精進してまいりますことを
お約束申し上げますと伴に 一層のご指導 ご尽力を賜りますことを
切にお願い申し上げます。

ここに賜りました数々のご厚情に対しまして 
真心からの深謝の念を感謝状に込め お伝え申し上げます。

二〇一二年十月二十七日
株式会社ジェイラップ
農業生産法人 稲田アグリサービス
代表 伊藤俊彦 』

聞いている途中から、この1年半を思っってしまい、

泣き虫のワタクシは耐えることができない。

必死でこらえながら (いや、すでにむせび泣いているのだけど)、

感謝の言葉を伝えさせていただいた次第。

戎谷挨拶.JPG

何を言ったのか思い出せない。

夢を語り合いながら一緒にたたかって来れたことに、そして

素晴らしい米を消費者に届けることができる喜びをかみしめていること。

この2年、ひたすら頑張ってこられた皆さんと連なって仕事ができたことは、

僕の誇りです。 深く感謝申し上げたい。 

声を詰まらせながら、そんな感じだったような・・・

 

お酒を持ってお祝いに駆けつけてくれた大和川酒造店・佐藤和典工場長(写真左)、

次世代のリーダー・伊藤大輔くん(中央) と一緒に一枚。

大輔to工場長.JPG

 

では、こちらからもささやかではありますが、

収穫祭に参加された会員や職員からのメッセージを、贈らせていただく。 

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渡しているのは、会員で 「米プロジェクト21」 メンバーの鬼弦千枝子さん。 

「あの日から大変な困難とたたかってきた稲田の生産者はスゴイ! 

 これは私にとっても誇りです!」

(本当はもっとカッコいい挨拶だった。

 鬼弦さんのブログ でもレポートされてます。ぜひご覧ください。)

 

「自立祭」 宴たけなわのところで、

最後に記念撮影。

集合写真.JPG

 

皆さんが笑顔で収まってくれて、また感激が募る。

そして、、、生産者に見送られながら、慌ただしく帰途に。 

お見送り.JPG

 

バスの中で頂戴した感想に、またまた泣きそうになる。

「大地を守る会の会員で、本当によかった。」

 

最後にお知らせ。

備蓄米の追加募集が近々のうちにも行なわれます。

会員の方々にはチラシが入ります。 WEBストアからも申し込めます。

 

2009年3月に出版された、稲田の取り組みのルポルタージュがある。

このタイトルをもう一度、蘇らせたい。

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(奥野修司著、講談社刊 1,800円/近々文庫化されるとの情報あり)

 

まさにこのタイトルを借りて 新年の講演会 をやったのは2年前。

何だか遠い昔のような気がする。

 

彼らの、今の思いは、こうだろうか。

『それでも 俺たちは 世界一の米を作ってみせる!』

 

どんな困難な時も、この志を忘れることなく、常に前を向いて

" 安全で美味しい "  米作りを目指してきた稲田稲作研究会。

今年も美味しいお米ができたことを、ここに報告いたします。

しかも責任持って、来年の秋までモミ付きで貯蔵します。

1993年の大冷害の教訓から生まれた、

世界一美味い(と自負する) お米の、世界一の保管システムで、

一年間の 「食卓の安心」 をお約束します。

 

稲作研究会の生産者たちは、放射能対策に対しても敢然と立ち向かいました。

「できることはすべてやろう」 を合い言葉に、

徹底した検査と具体的な対策のたゆみない実施により、

検査したすべての玄米で 「ND(検出下限値未満)」 を達成しました。

 

そして今、彼らの夢は 「自然エネルギーの郷づくり」 へと広がっています。

彼らを支えているのは、

20年以上にわたる  " 食べてくれる人のたしかな存在 "  に他なりません。

 

今年最後の募集となりました。

未来への夢を託した渾身のコシヒカリで、一年の安心と笑顔の食卓を

一人でも多くの方にお届けできることを願っています。

 

 2回にわたる 「収穫祭&自立祭」 のレポートでは、

   弊社EC戦略室・大塚二郎撮影の写真をたくさん借りちゃいました。

   ありがとう。

 



2012年11月 5日

「備蓄米」収穫祭 & 自立祭

 

改めて、10月27日(土)の 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 から振り返りを。 

少しでも現地の空気が伝えられたなら嬉しいです。

 

東北自動車道で事故渋滞の連続攻撃に見舞われた我ら一行は、

1時間半遅れで、須賀川市は 「稲田」 と呼ばれる地区に到着。

早速ほ場に出向き、今年取り組んだ除染の実演を見学する。

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どうもザックリと 「除染」 と言ってしまってるけど、

ここでの対策は土を剥ぐわけではない。

 プラウ耕といって、土の表層と深層をひっくり返す反転耕。 天地返しとも言う。

セシウムが留まっているのはせいぜい表土10cmあたりまで。

そこで表層30cmを下の層と反転させることで、

根の成長期では届かない下層にセシウムをとじ込める。

 

生産者団体 「稲田稲作研究会」 を束ねるジェイラップでは、

昨年耕作を放棄した田んぼも借り受け、反転耕を実施して、

線量を3分の1まで下げることに成功した。

彼らは地域全体の安全確保のためにも動いてきたのだ。

 

実演を見学する参加者たち。

見学風景.JPG

 

説明するジェイラップ代表、伊藤俊彦さん。

圃場で説明する伊藤俊彦.JPG

 

天地返しによって表層にあった土の栄養分がなくなって、

稲の生育によくないのでは、という声もあるが、伊藤さんは動じない。

「 もともと昔からあった土づくりの技術ですよ。

 これでかえって根の張りが良くなって強い稲になるはず」 と解説する。

 


本当はこれだけでなく、

一年かけてやってきた対策をひと通り見てもらおうと、

生産者たちは張り切って準備していたのだが、

残念ながら割愛させていただく。

ライスセンターでも、自慢の太陽熱乾燥とモミ貯蔵のタンクを見てもらい、

あとは簡略した説明となる。

 

太陽熱での乾燥設備。

太陽熱乾燥.JPG

小さな穴が空いているベッドにモミが並べられ、

ラインの奥にあるプロペラが回りながら撹拌してゆく。

こうして理想的な乾燥状態に持っていって、いったん眠りに着かせる。

 

こちらがモミ貯蔵タンク。

モミ貯蔵タンク.JPG

一基150トン × 3基で、450トンの保管能力がある。

保管されたモミ米は、注文に応じて籾すりされ、

精米-袋詰めまで一貫してここのライスセンターで行なわれる。

来年の梅雨を越しても品質を劣化させない、

まさに 「備蓄米」 のために作られたような設備だ。

 

駆け足で見学して、交流会の席へと急かされる。

生産者たちには、随分と待たせてしまった。

交流会.JPG

 

挨拶もそこそこに、乾杯をやって、懇親会突入。

今年も食べてくれる人の顔が見れる。

その喜びは、消費者が想像している以上に大きい。

生産者紹介.JPG

 

自慢の生産者を紹介する常松さん。

こうやって毎年繰り返しながら、僕らの信頼関係は知らず知らず深まってゆく。

 

今年の特徴は、大地を守る会と稲田稲作研究会の 「収穫祭」 だけじゃないこと。

地元地域の人たちも招いての感謝祭も一緒に実施されたのである。

昨年は別な日程で、「復興祭」 と銘打って開催されたものだが、

今年は、「風土 in FOOD 自立祭」 となった。

 

「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で、守る育てていくために

「復興から自立へ!」

そうだ、力強く、前に進もう!

 

会場を広げて、「自立祭」 の開催。

風土 in FOOD.JPG 

 

すみません。 今日はここまでで。

 



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