産地情報: 2013年8月アーカイブ

2013年8月25日

郷酒(さとざけ)、3年連続「金賞」受賞!

 

昨日は、夕方から飲んだ。

しかも  " とりあえずビール "  などない、

のっけから日本酒一本。

 

我らが銘酒 「種蒔人」 の蔵元、大和川酒造店(福島県喜多方市) の

『大吟醸 弥右衛門(やえもん)』 が、

全国新酒鑑評会で見事、金賞を受賞した。

しかも3年連続という快挙だ。

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したがって、祝う会も3年連続。

当然のごとく、" 日本酒でカンパイ!"  の夕べとなる。

 

毎度書いてきたことだが、大和川酒造のこだわりは、

その土地の米で酒を醸してこそ 「地酒」 であろう、という哲学である。

東北での栽培は無理と言われてきた酒造好適米 「山田錦」 を

自社田「大和川ファーム」 で育て、地の水、地の技で最高の地酒に仕上げる。

そして  " この酒で獲ってやる "  と決めた全国での金賞獲得。 

弥右衛門さんは、この意気地を込めた酒を 「郷酒(さとざけ)」 と表現し、

地酒に代わる言葉として世界に広めたいと企んでいる。

 

というワケで、

第3回 「郷酒を楽しむ会」、の開催。 

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会場は、有楽町にある日本外国特派員協会。

 

挨拶に立つ、九代目・佐藤弥右衛門さん。

「金賞を祝う会」 にすると来年できないかもしれないので・・・

と笑いを取って、

「金賞は、続けて取ってこそホンモノと言われる。

 郷酒は3年連続。 正真正銘の金賞酒として誇りたい」

と胸を張った。

あっぱれ、大和川酒造店!

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最初の来賓挨拶に指名されたのは、

環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也さん。

 


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「長州人の私が会津に足を運ぶようになったのは、弥右衛門さんのせいです。

 最初は殺されるかもしれないと恐怖も感じたけれど、

 会津でのエネルギー自立運動に少しでもお役に立てたなら、

 かつて会津を賊軍に落としこめたことへの、私なりの罪滅ぼしにもなるかと。

 東電から水系を取り戻すたたかい、やりましょう!」

 

そしてあろうことか、乾杯の発声に指名されてしまった。

開会5分前に、「エビちゃん、カンパイ、ヨロシク」 という無茶振り。 

もう、勘弁してよ。。。

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大和川さんとのお付き合いも、ついに20年になった。

忘れもしない、平成の大冷害と言われた1993年。

一枚でも多くの田んぼを残したいと、

稲田稲作研究会の伊藤俊彦氏(当時は農協職員) と一緒に乗り込んで、

「俺たちの酒を造ってほしい」 と頼み込んだ。

当時専務だった佐藤芳伸さん(現在の弥右衛門さん) は、

拍子抜けするくらいの一発回答で受けてくれて、

そうと決まったら、とラーメンを食いに出た。

 

あれから20年。

大和川酒造はどんどん人脈を広げ、

ニホンシュの命運を背負って世界にまで飛び出した。

 

2011年の春。

原発事故の影響が予測しきれないまま米づくりに突入したのだが、

万が一を心配して大和川ファームが原料米栽培を引き受けてくれて、

稲田(須賀川) で育ち始めた苗を会津まで運んだ。

大和川さんから無事田植え完了という知らせを受けたとき、

僕は今年の米で造られた 「種蒔人」 をゼッタイに忘れない、と肝に銘じた。

米づくりがリレーされたお酒って、前代未聞のことだろう。

 

奇しくも、3年連続金賞の快進撃は、この年から始まった。

さらに会津電力へと弥右衛門さんのたたかいは続く、郷酒とともに。

これは未来への希望をかけたたたかいである。

挑み続ける大和川酒造店に与えられた金賞の栄誉と、

郷酒に連なるすべての人たちのご健勝を祈念して、乾杯!

(・・・という感じで、何度も噛みながら。)

 

楽しむ会には、超ビッグなゲストが招かれていた。

能楽囃子大倉流大鼓(おおつづみ)奏者、重要無形文化財総合認定保持者、

能楽師の 大倉正之助 さん。 

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生で聴く大鼓の迫力に、会場は一瞬にして圧倒される。

ローマ法王に招聘されてクリスマスの日に宮殿で独演したという雲上の人の演奏が、

郷酒をいっそう奥深いものにしてくれる。

能楽なんてさっぱり分からないけど、

これは一度ちゃんと鑑賞する必要があるなあ・・・

なんて感じ入っていたら、大倉さんのほうから声をかけてくれた。

「大地を守る会の初代会長・藤本敏夫さん(故人)は、よく聴きに来てくれたんですよ」

だと!!!

感激の極みで、1枚お願いする。

我ながら、面の皮が厚い。

 

宴たけなわの中で、アナウンスがあって壇上を振り返れば、

これまたテレビや雑誌でしか見たことないお方の登場。

世界的ファッションデザイナー、コシノジュンコ女史ではないか。

 

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私と大和川さんの関係は・・・

写真を撮るのに焦って、どういうご関係なのか聞き取れなかった。

まったくどういう関係なんだよ。

人脈はどこまで広がっているのか、恐るべし、佐藤弥右衛門。

 

佐藤和典工場長(杜氏) はじめ、晴れの舞台に立つ蔵人たち。

米の種まきから始まり(厳密にはその前作業から)、

実際に造ったのは、俺たちだ! 

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一段と高まる拍手。 

一人一人、胴上げしてあげたいくらい。

 

楽しむ会のあとも場所を替え、

酒客たちは日本酒で何度もカンパイするのだった。

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郷酒とともに拓かれていく未来に、広がっていく希望に、

もう一回、乾杯!

終わんないね・・・

 

最後にお知らせ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

大和川酒造での酒造り体験企画を準備中です。

袋絞りという伝統的手法で贅沢なお酒を一樽、一緒にやってみませんか。

もちろん部分的な体験でしかありませんが、

お米が並行複醗酵という複雑な工程を経て清酒に仕上がっていく世界を

体感し、最後はそれぞれにマイ・ラベルを貼って、

" オレの酒・私だけのお酒 "  を楽しみます。

贈り物にも使えます。

会報誌 『NEWS大地を守る』 12月号にて告知します。

乞うご期待。

 



2013年8月21日

営まれてこそ続く未来への財産

 

斎藤さんの田んぼを後にして、

次に訪れたのは 「トキの森公園」。

 

ここでトキ保護から野生復帰までの歴史を辿ってみると-

大英博物館がトキに 「ニッポニア・ニッポン」 という学名を付したのが 1871年。

日本の特別天然記念物に指定されたのが 1952年。

国際保護鳥に選定されたのが 1960年。

佐渡・新穂村に 「トキ保護センター」 が開設されたのが 1967年。

1981年、佐渡に残っていた野生のトキ 5羽を捕獲し、センターで飼育を始める。

以降、中国から借りたりもしながらペアリングを試みるが成功せず。

1989年、中国で初めて人工ふ化に成功。

1994年、保護センターを含める形で 「トキの森公園」 がオープン。

 一般公開が始まる。

1999年、国内で初めて人工繁殖に成功。 「ユウユウ」 誕生。

2003年10月10日、日本最後の野生トキ 「キン」 死亡。 享年36歳。

2007年、11ペアから14羽のヒナが育つ (自然繁殖11羽)。

2008年9月25日、10羽のトキが野外に試験放鳥される。

 以降、今年の6月まで8回の放鳥が行われた。

2010年、放鳥トキの営巣確認。 産卵が確認されるもふ化せず。

2012年4~5月、自然界で36年ぶりのヒナ誕生が確認される。

 

これまでに放鳥された数、125羽。

うち 70羽が生存しているとされる。

野生化で誕生したトキの数、22羽。 うち12羽が生存中 (6羽死亡、4羽は収容)。

 - 以上、パンフレットおよびHPから -

 

自然に放たれるのを待つトキたち。

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トキはコウノトリ目だと理解していたが、

数年前にペリカン目に変更されたことを初めて知った。

この違いは何なんだ。 

今度、陶ハカセに会ったら聞いてみよう。

 (それくらい自分で調べろ、と言われそうだけど・・・)

 

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さて、ペリカン、じゃなかったトキのおさらいをしたところで、

ここなら運がよければ野生トキが見えるかもしれない、

というスポットに案内される。

「あくまでも、運がよかったら、ですからね」

渡辺課長に念を押される。

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なるほど。 水辺があり、営巣できる森がある。

しかも巣に戻ってくる夕方の時間帯。

さあて、本日の我々の運力やいかに。

 


あの林のあの木の上のほうに白いものがチラチラ、見えない?

いやあ見えないなあ、巣じゃないかなあ・・・

とか言い合いながら、10分ほど待っただろうか。

誰かが叫んだ。

「来た!」

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オオー! と歓声が上がる。

コンパクトカメラのズームでは、ここまでが限界。

一羽発見で喜んでいるのも束の間、

続いて4羽の編隊が帰って来た。

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田んぼの上を悠々と舞うトキ。

驚きの声が、ゆっくりと感動のため息に変わる。

 

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この風景を取り戻すのに約半世紀。

時代に抵抗するかのように棚田を復元し、餌場を増やし、

トキと共存する環境を蘇らせてきた。

大の大人たちが、数羽の野鳥を見て感慨に浸っている。

失っていた大事なものを、少しは見つめ直すことができただろうか。。。

 

島に復活したニッポニア・ニッポンと、どう暮らしていくか。

米が高く売れるなら、といった算盤ではすまないよね。

このペリカン目の鳥を眺めては、島のありように思いを巡らせたりしながら、

島の人々は生きていくことになるんだろう。

何かが試されている、のかもしれない。

 

「皆さん、何か(運を) 持ってますねぇ」

とおだてられ、とてもイイ気分になって、

「また来るから。 元気でいてね」 と、トキに別れを告げる。

 

途中、斎藤さんが昨年からチャレンジしている

自然栽培の田んぼに立ち寄る。

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『奇跡のりんご』 で話題の木村秋則さんの指導を受けて、

2枚の田んぼで始めている。

木村さんについては、ここでコメントは控える。

話を聞いて、「試しにやってみるか」 という斎藤さんの探究心にこそ

真髄があるので。

来年、再来年、あるいはその先の結果が、

何かを教えてくれるだろう。 

 

夜は露天風呂のある温泉宿で楽しく懇親会をやって、

翌8月18日(日)。

千葉孝志さん、マゴメさんと別れて、我々「米プロ」 一行は、

斎藤さんの車で、棚田保全に取り組む NPO法人を訪ねた。

 

岩首(いわくび) という地区で、

廃校となった小学校を借りて運営されている

「NPO法人さど 岩首分室」。

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ここでガイドしてくれたのは、佐渡棚田協議会会長、

" 棚田おじさん "  の愛称で呼ばれている大石惣一郎さん。

 

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集落内の名所 「養老の滝」 を見て、 

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大石さん自慢の 「岩首棚田」 を登る。 

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眼下に碧い海を望む。

2011年、日本でいち早く 「世界農業遺産(GIAHS)」 に登録された、

佐渡を代表する棚田。

初めて来た土地なのに、懐かしさのような感情が涌いてくる。

この 「遺産」 は、博物館でも史跡でもない。

人の暮らしとともに息づいているからこそ、

愛おしくなるのではないか。

営まれているからこそ続く、未来への資産である。

 

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「美しい村など、はじめからあったわけではない。」

民俗学の泰斗、柳田國男の言葉だ。

 

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先人たちの汗の賜物、営々と受け継がれてきた宝物を、

この国は  " 生産効率 "  という近代経済のモノサシで捨て去ろうとしている。

大丈夫かニッポン・・・・・ 遠くを見つめるエビであった。

キマってない? 失礼しました。

 

では、棚田と日本海をバックに記念撮影。

気分を変えて、棚田ヤンキー参上! でいきましょうか。

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法(のり) には、ミソハギが咲いている。

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お盆の頃に咲くので盆花とも言われている。

あえてこの草は刈らずに残すんだそうだ。

あぜの花もまた、郷愁を誘う脇役である。

 

駆け足で佐渡金山にも立ち寄って、帰途に着く。

最初から最後まで、ずっと案内してくれた斎藤真一郎さんに深く感謝。

 

来年、佐渡ツアーを実現させることを約束して、

島を後にする。

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2013年8月19日

朱鷺の舞う島へ

 

・・・やってきた。 

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大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーたちと組んだ、

公式ツアー企画を検討するための予備調査も兼ねての訪問。

僕にとって佐渡は、11年ぶり である。

 

8月17日(土)、7時48分発Maxとき307号で新潟へ。

新潟港からジェットフォイルで65分、

昼過ぎに佐渡島の真ん中に位置する両津港に到着。

港で出迎えてくれたのは、

佐渡 「トキの田んぼを守る会」 代表の斎藤真一郎さんと

大井克己さん、土屋健一さん、そして

佐渡市農林水産課長の渡辺竜五さん。

渡辺さんが市のマイクロバスを用意してくれて、運転手まで買って出てくれた。

 

港では、お米の仕入・保管・精米等でお世話になっている (株)マゴメの

馬込和明社長も合流。

さらには、なんと宮城県大崎市から車を飛ばして、

「蕪栗(かぶくり) 米生産組合」 代表の千葉孝志・孝子夫妻まで

駆けつけてくれた。

千葉さんも実は、生産組合の視察企画を考えての佐渡入りである。

そしてバスに乗り込めば、

佐渡の平たねなし柿の生産者、矢田徹夫さんが

笑顔で待ちかまえていた。

「矢田さんじゃないスか! いやーご無沙汰です。 お元気そうでなにより!」

この面子がそろっただけで、充実の交流が約束されたようなものだ。

 

まずは腹ごしらえ。

佐渡のB級グルメとして売り出し中の、佐渡天然ブリカツ丼。 

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佐渡の海で獲れた天然ブリに、

米は 「朱鷺と暮らす郷づくり認定ほ場」 で栽培されたコシヒカリ。

衣はその米粉使用という " オール佐渡 "  のこだわり。

その土地の食を記憶させることは、旅の大事な要素である。

しかも、庶民も気軽に食べられるお値段であることがキモだ。

" B級 "  にもちゃんとしたコンセプトがある、ってことね。

ウマかったです。 ご馳走さまでした。

 

さて、豪華メンバーとなった我々一座は、

両津から加茂湖を右手になぞりながら島の南側・小佐渡山地へと

入っていく。

朱鷺湖と命名されたらしい小倉川ダム湖からさらに上流に登り、

到着したのは、小倉千枚田。

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1969年から始まった減反政策以降だんだんと耕作放棄されてゆき、

荒廃地になってきたところを、5年前に復活のための支援が呼びかけられ、

オーナー制度 「トキの島農園小倉千枚田」 がスタートした。 

 

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田んぼごとにオーナーの名札が立てられている。

オーナー1口(1区画) 3万円で、30㎏のお米が届けられる。

募集した65口のオーナーは、すぐに予約が埋まったほどの人気である。

おかげで田んぼは90枚近くにまで復活した。 

それにしてもこの傾斜、小さな機械しか入れられない。

草を刈り、畦を塗り直し、水路を補修して、、、

かなり厄介な作業だったろうと推測する。

 

棚田の解説をしてくれる渡辺課長。 

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渡辺さんの話によれば、佐渡の棚田は、

金山発見によるゴールドラッシュの賜物である。

採掘の労働者はじめ人口が増え、米の需要が高まるにつれて、

棚田が開かれていったのだという。

しかも佐渡には自作農が多かった。

だから守ってこれたのだとも。

 

中には、こんな奥にまで、とビックリするような場所にも

田んぼがあったりするらしい。

いわゆる  " 隠し田 "  というやつか。

金山が発見されたのは、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)。

江戸幕府は佐渡を藩とせず、天領として直接統治した。

流人や無宿人も含め増える人口に対して、

秩序を保つためにも食糧は厳しく取り立てられたに違いない。

隠し田という言葉には、農民が刻んだ深い皺の、

その溝の奥に染み込ませた執念を思わせる響きがある。

 

よく見るとまだ荒地も残っていたりするけれど、

まあ見事に復田させたものではある。

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話を聞かされると、僕も一口、という気になるのだが、

その前に食べなきゃいけない、約束の米がたくさんあって。。。 

 

一角で、畦を野焼きしている作業が見られた。 

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野焼きは禁止された行為ではないか、と思われるかもしれないが、

農地や草地、林地の現場では、その必要性と効果は認められてきたものだ。

焼くことによって地表の植物が焼失し (地下部分は生きている)、

優先種による支配への遷移を防ぐ。

枯れ草もなくなり、裸地になって炭や灰が残る。

黒くなった地面に直接日光が当たると地温が上がり、

地中の微生物が活性化される。

それまで支配しつつあった優先種がいなくなったことで、

様々な埋土種子が発芽してきて、植物の種類が多くなる。

植物の種類が増えると昆虫の種類も増える。

窒素量が増加し、灰分とともに植物の栄養となって利用される。

その意味で、野焼きはただ草を刈るよりも生物多様性を高める。

適度にかく乱してやったほうが生物多様性が高まることを、

中規模攪乱説という。

 

また炭は長く土中に固定される。

CO2を吸収して育ち、炭となって土の浄化を助ける。

カーボン・オフセットという概念にも含まれる技術であって、

農林草地の野焼きは、CO2の増大を招くものではない。

ゴミを燃やしているワケでは決してないのだ。

 

山から下りて、斎藤さんの田んぼを見せていただく。

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冬水たんぼに江(え) の設置など、生き物たちのために田んぼを活かす。

経済的な生産性追求でない、もっと大きな世界と共存するための手仕事を、

米価低迷の時代にあって実践する人たちがいる。

僕らはこの外部経済 (それがあることによって、その商品価値以外の価値が守られている)

の意味を、ちゃんと問い直さなければならない。

 

ただ冬水たんぼは、けっして良いことだけではないようである。

収量や食味の点から見ても、3年目から弊害が出てくる、と斉藤さんは語る。

草の出方にも傾向があるようで、この技術を活かしきるには

もっと実践者同士の技術交流が必要なようだ。

 

斉藤さんの説明に反応し、自らの経験からアドバイスを送る

宮城の千葉孝志(こうし)さん (写真中央)。

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田んぼの縁にもう一本の水路をつくり、

田んぼを干した時にも水生生物が生きられる場所を用意する。

この 「江(え)」、ビオトープは、仲間の共同作業でつくられたものだ。

 

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トキの野外復帰を進め共存する、と口で言うのは簡単だけど、

このフィールドは国立公園内の話ではない。

これは一次産業者たちの暮らしとともに実現させるプロジェクトなのである。

僕らのベスト・タイアップは、どんな形なのだろうか。。。

 

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思いを深めるには、現場をもっと知らなければならない。

いや感じ取る必要がある。

 

さあ、トキを見に行こうか。

 



2013年8月13日

戦車からトラクターへ

 

今日は旧暦(太陰太陽暦) 七月七日、本来の七夕の日。

七夕とは秋の季語でもあり、やはり七夕はこの日にしたいと、

月のカレンダーがそれとなく主張している。

 

今年はお盆休みも取れず、

仕事、会議、仕事、会議、合い間に出張・・・ みたいな日々。

強がって仕事中毒を自慢したりしながら。。。

 

8月13日。

今夜、郷里では、春に急死した高校の同級生を偲ぶ会が開かれた。

仲間内の電話・メールだけで25人集まったとの連絡。

3年前に開いた同窓会では幹事を務め、

二次会のカラオケで一緒に河島英五の 『時代おくれ』 を歌った。

元野球部で少々いじられキャラのイイ奴だった。

今朝は早くに、帰省途中の女子(いつまで経っても女子) から

「エビちゃんは出るんやろな」 のメールもあって、

ますます無念な気持ちが募る。

やっぱ、こういう義理は欠いてはいけないか。

 

関東から、一人でヤツに杯を捧げる。

こうやって人との別れを経験しながら、

僕らは生の意味をたしかめていくんだろうか。

僕のなかでは、ヤツは今も生きていて、楽しげにジョークを飛ばしている。

御霊を迎え、交信し、送るお盆の儀式が、どこにいても蘇る。 この時期になると。

お遍路の国で育った DNA なのかな。

N へ- ちゃんと帰れよ、またね。

 

さて、変わり種の新規就農者を一人見つけたので、

ご紹介しておきたい。

 

沢木勇一、43歳。

 

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元陸上自衛隊員。

PKO(国際連合平和維持活動) 支援で、

ゴラン高原(イスラエルとシリアの国境地帯) に派遣されたという男。

戦車に乗ってたという。

除隊して2年間、

千葉県 「さんぶ野菜ネットワーク」 の常勤理事・下山久信さんのもとで研修を重ね、

今年の春、農地を得て独立した。

 

就農への動機を聞けば、

子供が生れ、しっかりと大地に根づいた暮らしをしたいと思った、とのこと。

「今度、ゴラン高原の話を聞かせてください」 とお願いした。

 

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人参の播種前に水をくれている。

なかなか丁寧な作業をしていると思った。

教えられた手順を頭に入れる+状況に応じた対応能力

+手抜きをしない勤勉さ、が農家に好かれるコツだ。

簡単に言っているけど、これが実に一筋縄ではいかないのである。

 

農林水産省の新規就農総合支援事業の青年就農給付金に

何とか間に合ったと、

研修から農地斡旋まで世話を焼いた下山さんは安堵している。

就農時年齢で45歳までという条件で、

年間150万円(2年間限定) の助成が得られるのだ。

 

沢木さんは地主さんにも気に入られたようで、

あそこの畑も使ってくれと頼まれたりして、

いきなり2町歩(=ha) の農地を任された。

 

「 いや、やる気ある。 なんたって覚えが早いんだ。

 やっぱ戦車扱ってたからな、筋が違う・・ 」

と独自の理論を展開する下山さん(下の写真左)。

嬉しそうだ。

 

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新規就農者が、いきなり有機農業で2ヘクタール。

「時代は変わるよ、エビちゃん」

と下山久信は将来を見据える。

沢木さんの後ろの畑では、麦が植わっている。

有機農業は土づくりから。 教えを守っている。

 

借りたハウスでは、薬剤を使わない太陽熱での土壌殺菌。

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しかし、有機栽培の本当の苦労はこれからなんだよね。

 

途中、さんぶ野菜ネットワーク理事長の富谷亜喜博さんの畑に立ち寄れば、

炎天下の中、こちらも二人の研修生に指南の真っ最中。

 

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ロープワークひとつとっても、

サッとやって、こうやるのよ、と言われても、エッ?

という感じが伝わってくる。

でも若者たちも、数時間後には当たり前にこなすようになるのだ。

 

世の中に悲観ばかりしている場合ではない。

それぞれのフィールドで、みんな何かをつなげようとしている。

故郷のご先祖や同級生への不義理に対する弁解じゃないけど、

僕もここで頑張ってるから、とは言わせてくれ。

 



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