産地情報: 2013年12月アーカイブ

2013年12月28日

萩原進さん


前回日記の最後でも触れたけど、

今日、成田市の八冨斎場にて、

「三里塚産直の会」 代表・萩原進さんの告別式がしめやかに行なわれた。

会場に入りきれないほどの弔問客が訪れ、

進さんとの別れを惜しんだ。


亡くなられたのが21日の夜。

先週も電話で話したばっかりなのに・・・

と仕入担当の結城修も驚く突然の訃報だった。

仲間との楽しい忘年会の帰りに倒られたとのこと。

福島と沖縄と三里塚の連帯、を語っていたと言う。

心筋梗塞、享年 69歳。



我々にとっての萩原進さんは、生産グループ 「三里塚産直の会」 の代表。

言わば有機農業のリーダーの一人であるが、

社会的にはむしろ、成田空港建設反対運動 (三里塚闘争とも呼ばれる)

の闘士として、その名を轟かせている。

空港建設計画に対して、三里塚・芝山連合空港反対同盟が結成されたのが 1966年。

建設用地内に農地を持つ農家の息子として、

進さんは迷うことなく運動に身を投じた。 当時 22歳。

青年行動隊長を務めた時期もあり、文字通り体を張ってたたかい続けた。

彼にとってこの運動は、

国家の横暴に対して農民の生きる権利を示すたたかいだった。

空港が完成して同盟が分裂した後も、進さんは妥協を許さず、

一貫して農地を死守し続けてきた。

まさに三里塚闘争の歴史に筋を通した志士として、その人生を貫徹された。


世間ではこの反対運動を  " 過激派の運動 "  と理解している人が多いが、

その世間で言うところの過激派、いわゆる新左翼党派(セクト) は、

ここではあくまでも支援者の立場であった。

反対同盟の初代委員長は戸村一作さんというキリスト者で、

すべての支援を等しく受け入れたこともあって、

党派間での争い(いわゆる内ゲバ) も三里塚では慎むという時代が長くあったのだが、

やがて争いが持ち込まれ、同盟分裂後は、

市民レベルでの支援者も多くが離れていった。


僕が進さんとやり合ったのは、2011年の夏のことだった。

放射能汚染に不安を抱いて東北の野菜を拒否する消費者が相次ぐなかで、

西日本の生産者の野菜セットを組んだことがきっかけだった。

「福島や関東の農家をつぶす気か」

「応援を訴えるのが、君らの務めじゃないのか」

進さんは烈火のごとく怒り、

大地を守る会への野菜の出荷を引き上げる、と宣言してきた。

「両者をつなぐ立場として、消費者の強い要望に対しては応える必要がある」

「このままでは共倒れになりかねない」

「福島県産も関東産も、測定した上でちゃんと販売は続ける。 支援も続ける」

 - そう説明しても、受け入れてくれなかった。


出荷やめたら消費者とのつながりを拒否するってことになる。

それは本末転倒の方針だ。

僕はそう主張したが、進さんは断固として

「俺の野菜は福島にカンパする。 お前らには渡さない」 と言い放った。


「原理主義者め!」 とか吐き捨てながら、でも僕はこういう人は嫌いじゃない。

実は好きだ、と言ってもいい。

冷戦はしばらく続いて、時期を見て再開となるのだが、

この一件の決着は、まだついてない。

そろそろ一升瓶持って顔を見せようかな・・・

と思いながら、後回しにしてしまった。

もう相手にしてもらえないなんて、

肩すかしを食らったような、ぽっかりと空洞ができたような、

後悔先に立たず。。。


娘婿の富雄さんによれば、

孫の成長を誰よりも喜び、相当な好々爺だったようだ。

優しく、繊細で、しかし鉄の意志をもった昭和の烈士。

ご冥福を祈るしかない。


法要が終わり、「反対同盟の歌」 の大合唱に送られて、

進さんは出棺された。 

   大地を打てば地底より  原初の響き鳴りわたる

   土に生まれ土に活き  骨を埋めるその土の

   誇りも高き農地死守  われらが業に栄えあれ!


その詩の通りに生きた人だった。

合掌




2013年12月16日

二本松から南相馬へ (+ご案内を一つ)

 

「農家民宿」 とは、農家の家(うち) に泊まらせて頂くことだ。

予め料金が設定されているので余計な気兼ねは不要だけれども、

ホテルとは違うので、やはり礼儀は欠かせない。

たとえ話題は尽きなくても、切り上げは常識の範囲にすべきだろう。

なにより奥様に迷惑をかけてしまう。

いい歳して相変わらずのサル以下人生。。。

 

それにしても星空の綺麗だったこと。

忘れていた本当の空が、広がっていた。

この空が見れるのは、地上での暮らし方による。

東京だって、ライトをすべて消せば、天気が良い日には

美しい星座が確認できるはずだ。 安達太良の空ほどではないにしても。

 

武藤様。 お世話になりました。

宵っ張りの客でスミマセンでした。

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さて、4日間にわたる福島漬けの最終日。 

バス2台で東京からやってきた「農と食のあたらしい未来を探る バスツアー」

一行(約90人) は、11月24日(日)8:30、「道の駅とうわ」 に再集合して、

米の全袋検査所を視察し、二本松市から南相馬市へと向かった。

 


「道の駅 南相馬」 の研修室で、

お二人から現地での取り組みを伺う。

 

NPO法人 JIN 代表の川村博さん。 浪江町出身。

介護老人保健施設の副施設長などを経て、実家で農業を営む。

震災後は避難者の生活不活発病の防止などに奔走しながら、

浪江町サポートセンターの設置を提案し、

現在その運営(福島県からの委託) に携わっている。

昨年4月には、仮設住宅に入居する障がい者とともに 「サラダ農園」 を開設。

約 2町歩(≒2ha) の畑とビニールハウス 4棟で、

無農薬・無肥料による野菜栽培に挑んでいる。

来年には農業専門の会社を立ち上げて、高齢者も雇用する予定である。

「戻りたい」 と願う人たちのために、

農業を基盤としたコミュニティづくりを進めたいと抱負を語る。

 

原町有機稲作研究会の杉内清繁さん。

福島県有機農業ネットワークの副代表も務める。

大震災と原発事故という二重被災を経験して、私たちは何を学んだか。

その学びをこれからどう活かしていくのか。

静かな語り口で、この2年半の取り組みを振り返ってくれた。

正確な情報や知識がいかに大事であるか。

油糧作物の栽培による農地除染の試みの報告。

そして農地を活かしたエネルギー生産 (小水力やバイオマス熱利用など)

も視野に入れながら、自然環境と共生する社会づくりに向かっている。

 

 

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「 Fukushima を英語で表せば Happy Island だ。

 私たちは負けない。

 Fukushima から Happy で Sustainable な社会をつくっていく。

 3.11で犠牲になった人たちのぶんまで、

 そして次世代の子どもたちに新しい社会を残す。

 それが私たちの役割だと考えています。」

 

有機農業者には、本当に意志が強く、モラルの高い人が多い。

様々な生命との 「共生」 が、その思想の土台にあるからだろうか。

彼らの粘り強い営みによって、新しい道が開かれていってる。

福島はいつか  " 最もモラルのある、哲人たちの国 " 

と呼ばれるようになるかも知れない。 我々は学ばなければならない。

 

最後の目的地は、南相馬市小高区。

有機農業のベテラン、根本洸一さんのほ場。

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原発から 11km という説明だったか。

種をまく、土を耕す、それが私の人生。

何があっても、ここで土とともに生きる。

 ・・・ この生き方を、誰も否定することはできない。

 

みんなで人参の収穫作業をやらせていただく。

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今年 6月の放射能連続講座 をきっかけに

ファイトケミカルに目覚めたエビちゃんは、

偉そうに 「葉っぱも持って帰りましょう」 などと

講釈したりするのだった。

 

帰りのバスで眺めた南相馬市南部、海岸線の様子。

 

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なんといううら哀しい光景だろうか。。。

 

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原発事故さえなければ、復興は間違いなくもっと早く、

確実に進んだであろう。

ゲンパツというとんでもない不良債権が奪ったものは、

たくさんの命、暮らし、経済、自然、風景、心・・・

とても計測できない、天文学的な価値の総体だ。

しかもこの負債処理が永遠に続くなんて、、、耐えられない。

 

それでも自らにムチを打ち、前を見る人たちがいるのである。 

官に頼らず、除染に挑み続け、今日も耕す人たち。

あれから 3 度目の冬だというのに、歓喜はまだ訪れてこない。

都会では忘れようとする空気すら感じさせる。

僕らは  " 寄り添う "  とかいう、どこか対弱者的な目線ではなく、

DNAの鎖のように離れずに連なっているという意思を、

しっかりと伝え続ける必要があるんじゃないか、Fukushima に対して。

 

しつこく書かせていただいた福島レポートを、

新年の講座の予告をもって締めさせていただきたい。

 

10月に台風のせいで開催できなかった

「大地を守る会の備蓄米・収穫祭」 のリベンジ企画を用意しました。

 

大地を守る会専門委員会「米プロジェクト」 新年学習会

『ジェイラップ 2013年の取り組みから学ぶ』

「大地を守る会の備蓄米」の生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)

を率いてきた(株)ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんをお招きして、

" さらに安全な "  米づくりと、地域環境の再生に邁進した2013年の取り組みを

お聞きするとともに、その成果と課題から

未来に向けての視座を学びたいと思います。

 ・ 放射性物質はどのレベルまで下げられたか(安全性の現状)。

 ・ 除染はどこまで可能か、なぜ必要なのか。

 ・ 安全な食と環境を未来に残すために、私たちにできることは何か。 等

会員に限定せず、広く参加を募ります (会場は狭いですが)。

 

◆日 時: 2014年1月25日(土) 午後2時~4時

◆場 所: 大地を守る会六本木分室 3階会議室

       (地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩7分)

◆ゲスト: ジェイラップ代表 伊藤俊彦さん他

◆定 員: 30名

◆参加費: 無料

※ 終了後、丸の内にある大地を守る会直営店

  「農園カフェ&バル Daichi&keats」 にて、伊藤さんを囲んで

  懇親会を予定しています。(自由参加。参加費3000円ほど)

◆ 申し込み方法:

   HPでもご案内する予定ですが、とりあえず戎谷まで

   メールにてお申込ください。折り返しご連絡差し上げます。

    ⇒ ebisudani_tetsuya@dachi.or.jp

                          ( アンダーバーが入ります。お間違いなく。)

 

たくさんのご参加をお待ちします。

 

本年最後の福島リポート。

最後まで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 



2013年12月11日

桑の葉とオーガニック・コットン

 

11月21日(金)、

福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、

羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、

二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、

里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを

学ばせていただく。

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旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。

2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。

その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、

気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。

有機農業を土台として、

農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、

特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、

新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。

やってくる若者たちも後を絶たない。

厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、

そんな里山を創り上げてきたのだ。

 

里山の再生にひと役買ったのは、

自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。

桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。

しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。

やけくそになっても仕方のない話だ。

そこで彼らを支えたものは何だったのか。

仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?

危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道

「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」

を選んだ人たちの話。

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僕らは簡単に  " 支援 "  と言ったりするが、

逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、

逆に学ぶことの方が多い。

むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。

 

直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。

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道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、

僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、

いわきへと向かった。

そこで次に出迎えてくれたのは、

楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。

 

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春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、

やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、

秋に開果したコットンボールに迎えられると、

種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。

いやあ、みんな前を向いて歩いている。

 

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昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。

塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。

綿の自給率 0 %の日本で、

福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。

 

栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。

農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。

小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。

 

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春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。

夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。

花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。

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やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。

これをつまみながら収穫する。

 

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綿毛の中には、種が育っている。

綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。

これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、

長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。

ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。

 

ただしあまりに軽いもので、

単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、

とても経済的に合うシロモノではない。

「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。

ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、

ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。

でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が

いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。

これは、考える素材である。

 

「儲けなんか考えたら、とてもできないです」

と美知さんは語る。

それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。

人と人が信頼でつながって、食や農業を、

生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。

 

訪問の本来の目的は、塩害対策だった。

勝弥さんの春菊畑に回る。

塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。

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この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、

冬の間に土壌改良を行なう。

有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。

これが効かなかったら、すべて私の責任である。

小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、

年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、

小林家を後にした。

 

ようやく家の建て直しが終わり、

「何とか前を向いて、やって行きます」

と笑う小林夫妻。

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東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。

彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。

ここにも、教えられる福島の人がいる。

 



2013年12月 8日

本当の空を取り戻したい・・・ 福島で女性生産者会議

 

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  智恵子は東京に空がないといふ

  ほんとの空が見たいといふ

  ・・・・・・・・・・

  阿多多羅山の山の上に

  毎日出ている青い空が

  智恵子のほんとうの空だといふ (高村光太郎 「あどけない空の話」)


「 智恵子が言った  " ほんとの空 "  が汚されてしまいました。

 でも、私たちは負けません。

 ここで頑張って、ほんとうの空を取り戻したいです。」


11月21日(木)、

安達太良山の麓にある岳温泉(福島県二本松市) で開催された 

「第4回女性生産者会議」 でのひとコマ。

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」理事・佐藤佐市さんのお連れ合い、

佐藤洋子さんがそう言って、マイクを握り締めた。

大地を守る会には中玉トマトや寒じめホウレンソウを出荷してくれている。


なんで僕らは福島と連帯しなければならないのか。

なんで  " 福島の再生なくして日本の未来はない " と言い続けてきたのか。

女性たちの発言から、その心が語られたような気がする。

それは、ほんとうの空と、土と、つながりを取り戻すためだ。



「 今はフジの収穫真っ最中です。

 リンゴも一個々々顔が違っていて、人間と同じですね。

 2012年の冬は、リンゴの粗皮削りを必死でやりました。

 放射能も 「検出せず」 のレベルになって、ホッとしています。

 注文は徐々に戻ってきて、それでも (原発事故前の) 5~6割でしょうか。

 余ったリンゴでシードルを作りました。 それが人気で喜んでいます。

 たくさんの人に来てほしいと、農家民宿も始めました。」

     (羽山園芸組合、武藤幸子さん・熊谷弥生さん・武藤明子さん)


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羽山園芸組合さんは、今回の幹事を務めてくれた。


「 有機農業を続けて40年が経ちました。

 岳(だけ) 温泉とは、私たちの野菜を使ってもらって食品残さを堆肥にするという

 循環型農業でのお付き合いがありました。

 それも止まってしまいました。 

 山の落ち葉の利用も今は控えています。 良い堆肥だったんですけど。

 この循環を何とかして早く取り戻したいです。」

     (二本松有機農業研究会、渡辺博子さん)

 

「 9 軒で始めた福島有機倶楽部も、千葉や宮城、いわきや都路村(現田村市)

 に移られて、現在のメンバーは 2軒になりました。

 障がい者の人たちと作業所を開いて農業をやってきましたが、

 今度これだけの震災に遭ったら守りきれないと思って、解散しました。

 瓦礫の撤去では広島や九州からボランティアの方が来てくれました。

 3.11の 2週間前に有機JASの認定を取得したばっかりで、

 何でこうなるのかと思いましたが、

 皆さんが来てくれたことで気持ちも上向きになりました。

 そして大地さんから継続して販売すると言われた時に、

 " やれる! "  と思いました。

 水路と基盤を整備し、有機JASも取り直します。

 有機農業から学んだことは、嘘をつかないこと、誠実であること、です。」

     (福島有機倶楽部、小林美知さん)

 

「 3.11の直後は、何をつくっても気が乗らなかった。

 今の販売量は以前の3割減くらいまで戻って、何とか生活できる状態。

 風評被害はまだ残ってる。

 5年後10年後を考えると、後継者がやっていけるのかが心配です。

 10月の 「土と平和の祭典」 で、3人の OL さんが売り子に協力してくれたのが

 とても嬉しかった。」

     (福島わかば会、佐藤徳子さん、他8名)

 

「 二本松・東和地区にはたくさんの新規就農者がいて、今も来てくれます。

 3.11後、一人だけ帰ったけど、皆残ってくれた。

 東和の良さを味わってもらおうと農家民宿も始めました。

 以前に野菜を送っていた自由の森学園(埼玉県飯能市) の人たちが

 遊びに来てくれたのが嬉しかったですね。」

     (ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会、大野美和子さん)

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(右が冒頭の佐藤洋子さん)


一番遠くから参加されたのが、

島根県浜田市(旧弥栄村)・やさか共同農場の佐藤富子さん。

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「 今回は福島での開催だと聞いて、行かなきゃいけないと思いました。

 行って、福島の人たちの生の声を聞きたいと、ずっと思っていました。

 自分たちも原発を許してきたんじゃないのか、そんな思いがあって・・・

 大阪で20年、弥栄で40年が経ちました。

 人口1500人を切った村で、仲間が40人。 半分は県外からの移住者。

 若い人もいます。 皆さんの話を持って帰ります。」


他には山形、宮城、栃木、群馬、茨城から、

総勢30名の  " 母ちゃんたち "  が集った。


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藤田社長から大地を守る会の全体状況の報告、

戎谷からローソンさんとの事業提携の進捗についての報告、

" 森は海の恋人 " 畠山重篤さんの講演があって、

温泉に入って、懇親会は2次会まで盛り上がる。


畠山さんの講演は次に回すとして、

翌22日は、羽山園芸組合代表・武藤喜三さんのりんご園で

りんご狩りを堪能させていただく。


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挨拶する武藤喜三さん。

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淡々と、安全で美味しいリンゴづくりに勤しんできた優しいお父さん

といった風情だけど、

12年冬の徹底した除染作業 をやり切ってきた根性の人だ。


今年も安定して美味しいりんごを育ててくれた。

このリンゴに、武藤さんたちの願いが込められている。

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これぞという実をもぎ、食べてみる。

当然のことながら、美味しい!の感嘆の声も上がる。

いっぱいもいで、お土産に。

彼女たちにしてみれば、束の間の休息、か。


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では、リンゴの樹ををバックに記念撮影。 

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羽山園芸組合の皆さんでも一枚。 

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3.11 は言葉では表せない悔しさと労苦を運んできたけれど、

それでも次世代のために " ほんとうの空を取り戻すまで頑張る "  

" やれるだけのことをやりますから " と語るら彼女らの強さによって、

僕らは生かされているんだと思えてくる。

いやこれは、未来の命から託された仕事をやってくれているのだ。

いま、目の前で。。。


最後は、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会が運営を委託されている

道の駅を訪ね、東和での取り組みを見学する。

すみません、続く。




2013年12月 3日

日本の原風景・里山の棚田米-フードアクション最優秀賞受賞!


農林水産省が後援する 『食と農林漁業の祭典』 シリーズ。
その最後のイベントで、本日、ビッグなニュースが発表された。

国産農産物の消費拡大と食料自給率向上に寄与した
取り組みを表彰する
大地を守る会が頒布会形式(全6回) で販売してきた
「日本の原風景・里山の棚田米」 企画が、
最優秀賞 を受賞した。
 
コメの消費低迷と価格下落に加え、高齢化が進む中山間地農業。
里山の自然と暮らしを支えてきた棚田も荒れていく一方のなかで、
何とか販売で支えたいと力を入れてきたものだ。
 
島根県浜田市(旧弥栄村) 「森の里工房生産組合」 のお米を
「棚田米」 と銘打って販売を開始したのが2010年。
今年から 6ヶ所の契約産地を選んで、頒布会形式での販売にトライした。
 
地道に売った棚田のお米が、3 年間で約 70トン。
この取り組みが評価されての受賞となった。
地域にどれだけの貢献を果たせたのかは心許ないけど、
素直に胸を張りたい。

僕は出られなかったけど、授賞式での記念写真を貼りつけたい。
社長(前列中央) もいい笑顔だが、
左隣の佐藤隆さん(森の里工房生産組合) が喜んで参列してくれたことが、
何よりも嬉しい。
生産者にとって、これが励みになればと願うところである。

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日本の気候風土に絶妙にマッチした水田稲作は、
日本人の暮らしの土台となり、文化形成にも大きな影響を与えてきた。
そしてこの急峻な地形の多い国土で、傾斜地を見事に活用し、
食料生産と環境保全、生物多様性の維持(というより増進)
を支えてきたのが棚田である。

しかし平地のように効率化や生産性を上げられるものでなく、
その作業の大変さから、高齢化とともに放棄水田が増えてきた。
今では、日本の棚田の4割が失われたといわれている。

営々とマンパワーで築いてきた芸術的な棚田の崩壊は、
おそらく現代の機械技術では再現できない。
僕らは、途方もない知的財産を捨てた時代の人々に、
まさになろうとしている。


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今回の最優秀賞の受賞を、生産者とともに弾みにしたい。

これはたんに、懐かしい原風景を守ろうという情緒的な話ではない。
未来に残すべき、持続可能な社会資源の貯金システムがここにあるのだから。

しっかりと食べることで、それだけで、
生産者の誇りを支え、美しい環境とそれを支える技術を継承することができる。
もちろん食べる人の健康を守ることにもつながる。

【以下、案内】
大地を守る会では、この受賞を機に
ウェブストアでの取り扱いも開始しました。
1月には頒布会の追加募集も行なう予定です。

この機会にぜひ一度、食べてみてほしい。
そして一瞬でも、里山の保全につながっていることに思いを馳せていただけるなら、
嬉しいです。

会員向け頒布会で登場する生産者は以下の通り。

 1.石川県加賀市、橋詰善庸さんのコシヒカリ(有機栽培)
 2.富山県入善町、「富山・自然を愛するネットワーク」 さんのコシヒカリ(有機栽培)
 3.新潟県佐渡市、「佐渡トキの田んぼを守る会」 さんのコシヒカリ(農薬不使用)
 4.新潟県上越市、内藤利孝さんのコシヒカリ(有機栽培)
 5.新潟県十日町市、佐藤克未さんのコシヒカリ(有機栽培)
 6.宮城県大崎市、「蕪栗米生産組合」 さんのヒトメボレ(有機栽培)

ウェブストアのご利用は、こちらからどうぞ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
棚田を訪ね生産者と交流する機会も用意したいと考えています。
(来年夏には佐渡ツアーを計画中。)

=追伸=
フードアクション・アワードの商品部門では、
「純米富士酢」 の飯尾醸造さん(京都府宮津市) が優秀賞を受賞。
こちらも京都・丹後の棚田をしっかり守って、
伝統的な静置発酵法によって酢を作り続けてきた長年のお取引先です。
合わせて報告まで。



2013年12月 1日

シェフと畑をつなげる

 

2013年もあっという間に師走に突入。。。

焦るぞ。

11月のレポートを急がねば。 

腰が痛い痛いと情けなく呻きながらも、なんだかんだ動いた月だった。

 

11月18日(月)、夜。

東京・丸の内、新丸ビル10階 「エコッツェリア」 にて、

地球大学 × 食と農林漁業の祭典 『農業分野の新ビジネス』」 

が開催される。

実は11月は、農林水産省が旗振り役になって様々なイベントが展開された

食と農林漁業の祭典」 月間だった。

前回報告した 「食の絆サミット」 も、その一環として開かれたものだ。

そして今回は、地球大学とのコラボで行なわれたセミナーのひとつ、

ということになる。

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例によって竹村真一さん(京都造形芸術大学教授) をモデレーターとして、

4名のゲストが新しい農業の姿やビジネスの可能性について語った。

大地を守る会代表、藤田和芳もその一人として、

有機農業の果たす役割について語った。

 

竹村さんやゲストの間でのやり取りがあった後は、

自由に語り合う懇親会となる。

食材は、丸の内の直営レストラン 「Daichi & keats」(ダイチ・アンド・キーツ) にて

用意させていただいた。

 

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こういう場って、けっこう料理が残ってしまったりするのだけど、

お陰さまで好評を博し、きれいになくなった。 

次はお店のほうにもぜひ足をお運びくださいませ、と宣伝。


翌19日(火)は、その 「Daichi & keats」 にて、

レストランのシェフやオーナー向けの試食会を開く。

8日の行幸マルシェに続く、さんぶ野菜ネットワークのPR 第2段。

 

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今が旬の、人参、里芋、小松菜、カブ、ミニ白菜を、

生で、ボイルして、あるいは蒸して、素材の味を確かめていただく。 

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人参の甘さに感動され、

「何もつけないのが一番おいしい」 という感想までいただいた。

生産者にとっては最高の賛辞だね。

町田マネージャーの説明もさりげなく力が入る。

 

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ケータイで撮ってきた畑の写真を見せながら、

身を乗り出して説明する石橋明さん。

 

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事務局の山本治代さんはパネルを持参して、

さんぶの野菜の美味しさをアピール。

土づくりからキッチリやってるからね、こういう野菜を使ってもらわなきゃあ、

とけっこう押しも強い。 

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・・と、さんぶをしっかりインプットしていただいたところで、

28日(木)、今度は丸の内からマイクロバスを仕立てて現地視察ツアーとなる。

 

まずは石橋さんの里芋畑で、

里芋掘りを実体験していただく。

 

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里芋は、親芋の回りに子芋・孫芋がくっついている。

傷つけないように鍬を入れ、テコの原理でグイと掘り上げる。 

 

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そんでもって小芋らを剥がし、土を除いて、選別して出荷する。

里芋掘りは面白い。

だけどそれをずっと続けて出荷までの作業となると、しんどい。

手間のかかる作物なのだ。

少しは想像していただけただろうか。

 

石橋さんのハウスを見る。

小松菜と水菜がきれいに育っている。

 

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有機農業にとって土づくりがいかに大切か、

そして葉物の生理と育て方まで、

懇切丁寧に話す石橋明さんがいた。

 

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昼食は、農家料理で。

シェフの方々に対して何をお出しすりゃいいのよ、

とか悩んでいたけど、

どっこい、シェフを唸らせるシュフの手料理だった。 

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「いやあ、美味しくて、食べ過ぎちゃいましたよ」 と

若いイケメンのシェフに感激されて、ご機嫌の主婦でございました。

奥様方、お手間取らせました。

 

昼食後も精力的に畑を回る。

人参畑で説明するのは、

さんぶ野菜ネットワーク代表の富谷亜喜博さん。

 

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ここでカメラのバッテリーが切れてしまう。。。

人参を抜いてもらい、富谷さんの堆肥を見せていただき、

ブロッコリィ収穫もプチ体験していただき、、、

夕方の仕込みがあるのでと、慌しく帰路に着く。

 

帰ってから、クリスマスイブの日に人参を葉付きのままで使いたい、

というリクエストが入ってきた。

しかし、とても無理です、と冷たく断る。

12月に入ると霜にやられて、人参の葉は枯れてしまうからね。

でも、それだけ感じさせるものがあったのだろう。

 

料理人たちも忙しい。

なかなか畑を見ることなんてできないんですよと、

そんな話も聞かせてもらった。

自然の移ろいや畑に合わせて調理するって、

都会ではそう簡単なことではない。

でも、畑を見て、モノの力を引き出そうとしてくれる料理人の創造力は、

あなどれない。 つなげたいと思う。

葉っぱつき人参の料理は春まで待ってもらおう。

 

都会では、子どもたちへの食育だけでなく、

シェフ育も必要なのかもしれない。

そんなアイディアも浮かんだりするのだけれど、

「遊びが過ぎるぞ」 という会社のセリフも聞こえてくる。。。

 

掘った里芋をそのままひと株もらって、持ち帰った。

洗って、食卓に飾ってみる。

 

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子沢山の縁起物。 

八つ頭ほどではないけど、

ひと足早く正月が来たみたいな気分になる。

 



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