産地情報: 2014年1月アーカイブ

2014年1月29日

IPM と環境保全型農業を学ぶ新年会

 

明日から出ずっぱりで、今週はもう書けそうにないので、

何とか一つだけでもアップしておきたい。

 

1月23日(木)、群馬・伊香保温泉にて、

群馬県の生産者 40 名が集まって新年会を開催。

幹事を務めたのは、北群馬郡吉岡町のトマト農家・栗田文明さん。

6年前の 「第13回全国環境保全型農業推進コンクール」 で

農林水産大臣賞を受賞された精農の人。


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懇親会の前に、例によって勉強会を開く。

講師をお願いしたのは、保全生物的防除研究事務所代表、根本久さん。

埼玉県農林総合研究センターの副所長を務めて、昨年退官された。

農薬に頼らない、土着天敵を活用した IPM(総合的害虫管理) 技術を

日本に広めた権威の一人である。

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根本さんは、日本における環境保全型農業の取り組みの遅れを

厳しく指摘された。

欧米では、農業(という産業) 自体に環境破壊的要素があるがゆえに、

そのリスクを最小限に喰いとめ、保全型農業を発展させようという

明確な意思がはたらいている。

海外の研究者とも親交のある根本さんには、

日本の指導者はまるで 「井の中の蛙」 に見えるようだ。

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EU では、第三者機関を設けて、専門家たちによるリスク分析と議論に

時間をかけてきた歴史がある。

その上で、予防原則も機能させながら、

保全型農業を進める農家にはインセンティブを与える制度が発展してきた。

それに対して日本は、いわゆる " 業界 "  寄りの立場で常に動いている。

1999 年に環境保全型農業の推進を掲げてからも、

根本的姿勢は変わってないように思える。


例えば、かつて農薬多投型の農業を行なっていたオランダは、

IPM の技術を積極的に取り入れ、農薬の使用量を減らし、

なおかつ農産物輸出大国に成長させてきている。

かたや日本は、単位面積当たりの農薬使用量では韓国とトップを争いながら、

農業を衰退させつつある。

長らく技術指導の現場にいた根本さんにとっては、

忸怩たる思いが深くあるのだろう。

農政に対する批判も、以前より厳しくなっているような気がしたのだった。


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根本さんは、生産現場における病害虫リスクの問題に対し、

化学合成農薬に頼らない技術の方向性を示しながら、

分かりやすく説明された。

作物や虫の名が具体的に出てくるので、質問も現場の悩みが率直に出され、

やりとりも実情に沿いながら進められた。


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新年会と謳って集まり、共通の悩みを語り合い、学び、

互いを刺激し合う。

これはこれで意味のある仕掛けだと思っているのだが、

欲を言えば普段の技術交流をもっと活発に進めたいところではある。


参加者の挨拶の中から、今回はお二人を。

「くらぶち草の会」 のメンバーで、元大地職員の鈴木康弘くん。

まだまだ学ばなきゃいけないことが多く・・・

とか言いながらも、なかなか逞しい有機農業者になってきているようで、

こちらも嬉しくなる。 

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甘楽町有機農業研究会を率いてきた吉田恭一さん。 

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昨年、歴史ある公益社団法人「大日本農会」(総裁:桂宮宜仁親王) から

優れた農業功績者に贈られる 「緑白綬有功章」(りょくはくじゅゆうこうしょう) 

が授与された。

養蚕農家から有機栽培経営に転換し、甘楽町有機農業研究会を設立。

有機認証の取得など経営の安定化に努め、地域農業の発展に

けん引役として貢献した、との評価である。

照れながら報告する吉田さんに、会場から拍手が沸いた。

こういった受賞に冷ややかな方もおられるが、

地域のために働いてきた長年の苦労が認められた証しであり、

周りにとっても励みになることではある。 讃えたいと思う。


夜は遅くまで飲み、語り合って、

「今年も頑張りましょう」 と握手して、別れる。

遅い新年の約束だけど、互いに気持ちを新たにする

誓いの儀式のようなものか。

それも日々の日常の中で忘れていくのが常であるがゆえに、

この時期にこそ僕らは、産地を回る義務を課しているのかもしれない、

と思ったりする。


帰りに、栗田文明さんのハウスを見学させていただく。

冒頭で紹介したように、こちらは 「全国環境保全型農業コンクール」 での

「農林水産大臣賞」 の受賞者だ。

ちなみに、まったく同じ年(2008年) に、

千葉の 「さんぶ野菜ネットワーク」 も農林水産大臣賞を受賞している。 

すごい人たちと付き合ってるんだなと、改めて身が引き締まる。


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石の多い利根川河川敷で、就農して40年。

ひたすら土づくりに邁進し、トマト一筋に生きてきた。

化学肥料は使わず、10種類以上の有機質肥料と微生物資材を施す。

マルハナバチを放すこともあって農薬も極力使わない。

もちろん土壌消毒もしない。

病気にかかった葉は一枚一枚ガスバーナーで焼いて、菌の繁殖を食い止める

こういった労を厭わないだけでなく、

それは丹念な観察が土台にあってできることである。

畑がきれいに見えるのも、頷ける。

暖房用燃料の使用を抑えるために、ハウス設計にも様々な工夫を凝らしている。

水も控えるため、やや小ぶりだが、糖度の高いトマトが育つ。

 

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少ない栽培面積で、土地条件も悪い中で、どうやってトマト栽培で生きていくか。

道を探して探して、辿りついたのが環境保全を土台にした農業であった。

ハウスの中で家族が一緒になって働き、

ベビーカーでは赤ちゃんが穏やかな表情で僕らを見つめていた。

トマトの木の下でのんびりと寝そべっていた猫が、

突然の闖入者に驚きもせず、人懐っこく我々の足元をウロウロしてくれる。

見学中、常連さんらしいご婦人がトマトを買いに立ち寄られた。

文明さんの奥様の美鳥(みどり) さんが、予め取ってあった袋を差し出す。

けっこうな量のトマトが入っている。 

トマトの好きな人が通ってくるハウス、なのだ。


そんなわけで、ご家族全員での一枚をお願いする。

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左から、美鳥さん、友香さん、愛季(あき)ちゃん、和巳さん、そして文明さん。


栗田さんのトマトは、これからさらに味が乗ってくるはず。

美味しいトマトを今年も期待して、ハウスを後にする。


農薬に頼らず、生物多様性を活かしながら

環境との調和を図る持続型農業によって、健康な作物が育ち、人も健康になる。

そんな農が当たり前になる時代を早く築きたいものだと

思いを新たにしつつ、僕は群馬から霞ヶ関へと向かったのだった。




2014年1月27日

浅見さん、お疲れ様。 風は吹いたよ。


1月22日(水)、山形県白鷹町・加藤秀一さんの告別式から帰って、

翌23日(木) は群馬・伊香保温泉にて群馬県内の生産者たちとの新年会に出席。

一泊して24日(金)、吉岡町・栗田文明さんのトマトハウスを見学して、

午後は霞ヶ関の参議院会館まで出向き、「有機農業の明日を語る会」 に参加。

25日(土) は、専門委員会「米プロジェクト21」 主催の新春講座

「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」 を六本木にて開催。

26日(日) は、「ネオニコチノイド系農薬を使わない病害虫防除を探るフォーラム」

の第 2 回ワークショップにパネラーとして参加した。


例によって終了後に懇親会が持たれ、気になってしょうがなかった

福島・喜多方市長選の選挙結果を確かめることができたのは、

昨夜遅くのことだった。

以前にも報告したけど、この市長選に

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さんが出馬していたのだ。


結果は以下の通り。

   山口信也氏(現職) 14,842票

   浅見彰宏氏(新人)  6,886票

ダブルスコアの敗退だったが、多くの人が喝采している。

「大切な市長選挙を、無投票で終わらせてはいけない」

と出馬を決意したのが 2 カ月前。

突貫の準備と 2 週間の選挙運動で、知名度もないに等しい

千葉出身の新規就農者に対して、7 千人近い市民が彼に投票したのだ。

" 市民が主役のまちづくり " " 新しい循環型の地域づくり "  を謳い、

「希望の種まき式」 と銘打った出陣式には、

歌手の加藤登紀子さんが旅の途中に事務所に立ち寄るといった演出も

取り入れるなど、なかなかの戦術家ぶりも発揮した。

" 風は吹いた "  と言っていいんじゃない、浅見さん。

未来への種は、たしかに運ばれた。

芽を育て花を咲かせられるかは、明日からの仕事にかかっている。

今日のところは、「お疲れさんでやんした。」

2月 8日の 「大和川酒造交流会」 では、蔵人に帰った君を称えよう。


浅見彰宏の果敢なるたたかいぶりについては、

彼の公式サイトで楽しんでいただけると嬉しいです。

 ⇒ http://asamiakihiro.com/


とまあそんなワケで、次から次へとレポートも進めないとダメなんだけど、

今週も、千葉、茨城での新年会、

そして土日は福島での国際会議、とイベントが続いている。

溜まった宿題は、来週から順次報告ということで、

ここはヒラにご容赦願います。

今日はとり急ぎ、浅見さんへのエールまで。




2014年1月22日

加藤秀一さんに捧ぐ

 

前回、少々思いつめ気味の感懐を綴ってしまったのは、

この人の訃報が影響したのかもしれない。

山形県白鷹町、「しらたかノラの会」 元代表の加藤秀一さんが亡くなった。

悲しい知らせを受け取ったのは18日。

今日、仕事も放ったらかして、告別式に向かった。

 

山形新幹線の赤湯駅から山形鉄道に乗り継いで1時間。

終点の荒砥駅で、ノラの会の山本昌継さんが愛娘・みのりちゃんを抱いて、

軽トラで待っていてくれた。

似合わない礼服と黒のネクタイを見て、泣きそうになった。

 

途中、吹雪と青空が目まぐるしく変わる山形路だった。

内陸に進むに連れ雪が深くなっていった。

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加藤秀一さんとの出会いは1986年だった。

アメリカから理不尽な米の輸入圧力が始まって、

全国的に反対運動が高まる中で、いくつかの団体から、

ただハチマキ締めて反対運動をやるだけでなく、

米の産直・提携運動によって日本の水田と農を守ろう、という声が上がった。

そこで結成されたのが、

「日本の水田を守ろう!提携米アクションネットワーク」 だ。

 


当時はまだ米の食糧管理制度が健在で、

減反政策が強制的に実施されていた時代。

提携米ネットワークは、

「減反政策は農民の主体性を奪い、日本の農業を衰退させるものだ」

と主張し、運動を展開した。

 

これは国家の政策と対峙するだけではなかった。

減反政策が、目標数量を達成しないと地域に補助金が下りない、といった具合に

地域共同体のしがらみを利用しながら進めてきたがゆえに、

反対するということは必然的に地域内での対立を生むことにもなった。

いや、対立ではない。

反対することは、集落内で孤立することを意味していた。

 

それでも加藤秀一さんは、

提携米ネットワーク設立の呼びかけ人にも堂々と名を連ねて、

反対の立場を表明した。

高校時代は生徒会長を引き受け、当時は青年団長を務めるなど

信頼の篤かった彼も、その一事で

地元から村八分的な仕打ちを受けることになった。

消防団長も辞めさせられ、

87年冬、秀一さんは初めて川崎の飯場に出稼ぎに出ている。

 

早くから有機農業の意味を理解し、率先した人でもあった。

10アールという小面積ではあれ、

米の無農薬栽培を実現して見せたのは1971年のこと。

大地を守る会が誕生する4年前、日本有機農業研究会が発足した年だ。

 

81年には、冬の仕事作りのために農産加工を手がけ始める。

出稼ぎから帰り、88年、秀一さんは新しい農産加工所を建設する。

しかし減反反対運動の先頭に立ったことが災いしたのだろうか。

取引が始まるはずだった生協から味噌餅の販売が断られ、

秀一さんはいきなり窮地に立たされたのだった。

自分たちの米で、自信を持って作った餅が大量に滞留した。

 

秀一さんとの関係が深まったのは、そこからである。

あの時、僕はその餅の販売を思い切って引き受けたのだ。

今だから語れる、トレース (原材料・製造工程の確認) あと回しの判断だった。

内容への信頼はもちろんあってのことだけれど、

それでも内心ビクビクと、クビを覚悟しながらの決行だった。

基準は運動と信頼と仁義だと、開き直った。

なんとも決意主義的な、懐かしい思い出である。

でもその味噌餅は、今でも定番商品として立派に続いている。

(25年前の話。 今では仕組み上不可能。 そのルールも自分でつくった。)

 

1994年、平成の米パニックと呼ばれた冷害・米不足の翌年。

提携米ネットワークは多くの団体に呼びかけて、

「減反政策差し止め訴訟」 に打って出る。

米を作らせない政策は、法によって保障された国民の 「生存権」 を奪う

日本国憲法違反の政策である、と。

 

毎回の裁判で、原告団は人を繰り出して主張を展開した。

加藤さんは、「減反政策を受け入れているのは農家の自主的判断である」

(国からの強制ではない) という被告・農水省の主張に対して、

自らの体験をもとに、そのカラクリをあばいた。

僕は、減反政策が農業の持っている環境保全機能(公共財産) を

喪失させていっていることを主張した。

興奮して途中から震えが止まらなくなったことを、今でも覚えている。

 

僕らはあの頃たしかに連帯していたし、

裁判の勝敗とは別に高揚していた。

(結果は棄却。 訴える筋合いのものではないという門前払いだった。)

でも加藤さんにとっては、相当な心労が続いたことだったのだろう。

自らつくった白鷹農産加工研究会と別れ、2006年、

秀一さんは若い仲間とともに、新たに 「しらたかノラの会」 を結成する。

その頃から体調を崩された。

 

血気盛んな若い頃からの仲間が駆けつけ、

告別式の後も集って、思い出を語り合った。

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高畠町の星寛治さんや、おきたま興農舎の小林亮さん、

長井市・レインボープランで名を馳せた菅野芳秀さん、

一緒に提携米運動を担った庄内協同ファームの面々・・・

 

最後に、ノラの会現代表の大内文雄さんが挨拶を述べた。

「秀一さんは、種を蒔き続けてくれた人でした」

ホント、その通りだと思う。

 

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秀一さんは、はにかんだような笑いがとても可愛い人だった。

純粋な人なんだなあ、と思ったものだ。

でも腹の中は、農の民として生きる誇りと、怒りと、意地で満ちていた。

名刺の肩書きに 「百姓」 と刷った最初の人だ。

 

悲しみ沈んでいる場合ではない。

それは秀一さんの望む姿勢ではない。

彼の遺志と矜持をちょっとでも懐に入れて生きていくことで、

彼もまた生き続ける。

そうやって命(いのち) はつながっていくのだ。

大内さんたちがつくる味噌餅の中にだって。。。

 

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昨年末の三里塚の萩原進さんに続いて、

  魂を語る農民がまた一人、いなくなった。

  偉そうに書いてるけど、けっこうこたえている。

  でも、加藤秀一と一緒にたたかえたことは、僕にとって誇りである。

  背中はどんどん重くなるけど、

  背負って生きないと、、、死ぬのが怖い。

 



2014年1月11日

顔の見える関係

 

スーパーの鮮魚コーナーを覗けば、

「バナメイエビ」 なるエビが何気に登場している。

まるで昨日まで 「新潟産コシヒカリ」 に化けていた米が、

ある日からフツーに 「●● 県産コシヒカリ」 として店頭に置かれるみたいに。

 

冷凍食品コーナーに回れば、20品目におよぶ製品の写真つきで、

「回収しています」 という POP が貼られている。

それはあくまでもこの店で売られていた商品ということで、

マルハニチロの回収製品は全部で 94 品目 640 万袋に及んでいる。

しかも回収作業は思うように進んでいないようだ。


そうこうしているうちに被害の訴えは日々日々増えていって、

ついに 1000件を突破した。 その範囲は 35都道府県に広がっている。

これらの数字はおとといの数字なので (1/8夕方時点での厚労省集約)、

原因が特定されない間は、まだまだ増えることだろう。

その間、収去したのか持ち込まれたのかはよく分からないけど、

100検体近くのサンプルが検査されていて、すべて見事に

マラチオン(商品名マラソン) は検出されていないと言う。

一方、検出された製品の最高濃度は 2万 6千 ppm!

こうなると、ほぼ限定的な事件のようではある。


優れた品質管理をやっていたはずの大手企業の内部で何が起こったのか。

事実だけでなく背景を検証しないと、

世間から忘れられることはあっても、本当の解決にはつながらないだろう。

当たり前に横行していた表示偽装、不気味な農薬混入事件・・・

食に関する不祥事や事件は今に始まったことではないけれど、

病いは深刻な症状を呈してきていると感じてしまうのは、僕だけだろうか。


おそらく生産・製造現場だけの問題ではないと思う。 

生産プロセスが見えない中で、他人任せの消費が要求するレベルとの断絶が

大切なものを失わせてしまっているような気がする。

食(=健康) を守る生産と消費の輪の大切さを唱えながら、

一方で否応なく競争社会を生きざるをえない我々としても、

ここはようよう考えなければならない。

 

そんな思いを抱きながら、生産者との新年会シリーズに突入している。

トップバッターはいつも 「東京有機クラブ」。



8日の夕方、三鷹のそば屋さんの一室を借りて、

小金井の阪本吉五郎一家、小平の川里弘一家、府中の藤村和正一家が集う。

みんな30年来のお付き合い。

派に後継者が育ち、都市農業をしっかりと守ってきた。

若手たちはこれからの話、

お父さんたちは昔の苦労話に花が咲く。

「こんな世間知らずの若者らによく付き合ってきたもんだ」

とからかわれながらも、俺の目に狂いはなかったとも言われれば、嬉しくもあり。

今年も元気で頑張っていきましょう、と酒を酌み交わす。


以前に紹介 した、川里賢太郎さんの映画撮影はほぼ終えたようで、

いま編集に入っている。

ケンタローの働く姿に、谷川俊太郎の詩が重なる。

3月完成の予定。 ケンタロー銀幕デビュー!  いや、待ち遠しい。


続いては昨日(10日)、

埼玉県本庄市のホテルにて 「埼玉大地」 の総会と新年会。

瀬山明グループ(本庄市)、黒沢グループ、比留間農園(ともに深谷市)、

吉沢グループ(川越市)、飯島グループ(上里町)、福井一洋さん(日高市)、

三枝晃男さん(志木市)、といった面々が集まる。

それぞれ独立した個人農家だが、会費を出し合って

緩やかに結束するかたちで 「埼玉大地」 は運営されている。

現在の会長は瀬山明さん。

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 (写真は、総会の席でローソンとの事業提携について報告する山口英樹取締役)


毎年、新年に総会を開いて、一年の活動を振り返り、今年の計画を立てる。

また講師を招いて勉強会を行なう。

今回のテーマは、なんとフルボ酸資材の活用。

昨年11月の女性生産者会議で、畠山重篤さんが力を込めて語った、あのフルボ酸だ。

その報告 の中で、僕はこう書いた。

   畠山さんは今、ミネラルの運び屋・フルボ酸の

   新たな力を証明しようとしている。

   それは、フルボ酸のキレート(結合)力は、

   放射性物質対策としても高い効果を発揮するであろう、

   というものだ。


まさにその研究を行なっていた会社の人を呼んで、

フルボ酸の活用を学ぼうというプログラムが用意されたのである。

まだまだ研究開発途上にあり、高価な資材なのだが、

もっと広がれば価格も安くできるようになる。

様々な可能性を秘めた未開拓資源のパワーを、

飲むとけっこう野卑な連中が、ああだこうだと楽しげに論評しながら拓こうとしている。

彼らにとっては  " 面白い資材があるので、ちょっと検証してみよう "  という

興味本位の探究心なのだが、

こちらは畠山さんの話を聞いているだけに、内心嬉しくてしょうがなかった。

僕らの生産者ネットワークは、やっぱ強力だ。


" 顔の見える関係 "  とは、

有機農業の世界で古くから語られてきた基本テーゼのひとつだが、

生産プロセスが見え、その努力の過程が伝わり、

食べることで再生産 (持続可能性) を支える関係は、

けっして古い時代のスローガンではない。

食の市場がグローバルになればなるほど、

" 食べる "  という命がけの行為の土台思想として、

しっかり堅持し続けたいと思うのである。


新年会と称して、僕らはただ飲んでるワケではない、のであります。


ちなみに、畠山さんが語っていた放射性物質に対する研究成果も出ていると、

講師の方から聞き出した。

しかし国はこのデータをまったく認めてくれないのだと言う。

あとで送ってもらう約束をしたのだが、

「一緒に農水とたたかいましょう」 と真顔で迫られた。

喧嘩するならやってもいいけど、僕としては現場に役立たせることを優先させたい。

現場から説得力を持った成果を築いていくことも、たたかいだからね。

いやちょっと、今年はのっけからワクワクしてきたぞ。




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