エビ版「おコメ大百科」: 2009年4月アーカイブ

2009年4月20日

それでも、世界一の米を作る!

 

フリージャーナリストの奥野修司さんが本を出した。

2005年、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』 で二つのノンフィクション賞を受賞し、

10年前に神戸で起きた 「酒鬼薔薇事件」 を描いた 『心にナイフをしのばせて』

でも評判を呼んだ方である。

 

奥野さんとは2002年からのお付き合いで、だいたい突然電話がかかってきては、

農業関係での取材先を紹介しろとか言うのである。

「大地なら当然こういうジャンルでのすごい人を知ってるだろうと思って...」

と言外に匂わすあたりが、からめ手というのか、なかなか手ごわい。

でもって付き合うオレもオレ、なんだけど。

 

先だっても、文芸春秋社の新しい雑誌 『 くりま 』

(5月臨時増刊号-ほんものの野菜を探せ!) の仕事で、

埼玉の野口種苗さんや熊本の塩トマトの生産者・澤村輝彦さんを紹介した。

それが12月21日のブログ (現代の種屋烈士伝) で書いた、雑誌取材のことだった。

 

奥野さんとの出会いは、

月刊誌 『文芸春秋』 で当時奥野さんが連載していた 「無名人国記」 というルポで、

農業関係での先進事例を取材したいのだが、という問い合わせから始まった。

そこで紹介したのが福島県須賀川市の 「稲田稲作研究会」 の伊藤俊彦さんである。

 

大地を守る会と稲田との間で 「備蓄米」 制度をつくったのが、

いたく奥野さんを刺激したらしく、

奥野さんはルポ 『 福島 「稲田米」 の脱農協 』 を書いた後も、

足しげく稲田を訪ねていたのだった。 僕も知らないところで。

 

で、6年越しでまとまったのが、この著書。 

『それでも、世界一うまい米を作る』  -講談社刊、1800円。

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米の消費が減り、米価も下がる時代にあって、

「それでも、世界一うまい米づくりに挑む」 男たちの物語。

まるでNHKの 「プロジェクトX」 ばりのタイトルだなぁ。

 

それにしてもさすが、丹念に取材を積み重ねたからこそ書けた一冊である。

米は年に1回しか作れない。 したがって、それに挑戦する人たちの真価は、

1年や2年の取材ではけっして分からないのだ。

何度も通い、伊藤さんだけでなく、稲田稲作研究会の岩崎隆会長(当時) や、

無農薬栽培に挑み続ける橋本直弘くんと田んぼで語り合っている。

 

物語の軸は、伊藤俊彦である。

農協マン時代のたたかいから、稲田アグリサービス、そしてジェイラップ設立

と進む経過が、生々しく再現されている。 彼を支え、彼に賭けた農民たちとともに。

所どころで 「エビちゃん」 も登場する。 シブい脇役って感じだな、うん。

 

たしかに、伊藤さんのやった農家の経営改革は凄まじかった。

だいたいの経過は見聞きしていたが、本書を読みながら、改めて感心する。

トマト栽培をミニキュウリに変えさせ、桃の木を伐らせ、農機具を処分させ......

こんな指導者は、おそらく日本にいないと思う。

いつだったか、稲田の生産者に聞いたことがある。

「伊藤さんのパワーと、あの感覚は、何によって培われたんでしょうね」

答えは簡単だった。

「分かんねぇな。 ありゃあ突然変異だ。 いねぇな、あんなの、どっこ見渡しても」

 

詠んでる方がハラハラしてしまうような、大胆でしたたかな農家指導もさることながら、

減反政策に対して 「額縁減反」 という手法で抵抗したくだりなども、

ぜひとも読んでほしいところだ。

米価を守るのは、食管制度でも減反政策でもないことを、彼らは見抜いていた。

必要なのは創造力なのだ。

先日書いた  " 減反政策の呪縛 "  を超えるための答えのひとつを、

奥野さんはあぶり出してくれている。

 

農協批判も歯に衣着せぬ、だね。

まあ  " 脱農協 "  後の逆境を、根性とアイディアで乗り越えていった伊藤さんと

付き合ってるわけだから、当然と言えば当然なのかも知れないけど、

奥野さんも、言いたいことを伊藤さんに喋らせているフシがある。

 

僕らがつくった 「備蓄米」 制度が、そんな物語の基点となって紹介されている。

この時代に、一冊のハードカバーの本になって。  

「俺たちの食糧安保」 なんてサブタイトルまでつけられて。

奥野さんは、伊藤さんに触発されて中国まで取材に行っている。

「食糧安保」 の字句に、彼としての確信を持つ必要があったのかもしれない。

そんなしつこいジャーナリストである。

 

今度奥野さんに会った時には、こちらからけしかけようと思っているテーマがある。

彼にはぜひ、GMO-遺伝子組み換え食品に挑んでほしい。

いつものように、これぞ、という取材先も用意しておくから。

 



2009年4月 7日

「減反」 の呪縛

 

大地を守る会で発行している機関誌 『NEWS 大地を守る』 。

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その5月号の原稿を頼まれていたのだが、

締め切りを過ぎてもなかなか書けず、今日ようやく編集担当に送った次第。

自分でも意外なくらい、苦しんでしまった。

 

与えられた課題は、米。

大地を守る会で取り組んできた米や田んぼを守る活動を振り返りながら、

減反問題に対する見解を、1,500字で述べよ。

 

オレの20年を、1,500字でか! ざけんじゃねぇよ!

 

まあ最初は、今まであちこちで喋ったり書いてきたことをちょこっと整理すればいいくらいに

思っていたのだが、やはりブログで喋るのと、会の機関誌で語るのとでは、

意味合いが違ってくるよね。 しかも1面だというし。

主張のトーンをどうまとめるか、このあたりの塩梅というか、

判断に迷いが生じて、締め切りを過ぎたあたりから眠れなくなったりしたのだった。 

これが 「減反政策」 の呪縛ってやつか、なんて思ったりしながら。


思い返せば、1986年の秋、

藤田会長から 「ちょっと寄ってきてほしいところがある」 と言われて、

共同購入の配達の帰り道、当時、中目黒にあった日本消費者連盟という団体の

事務所に、汚い2トン・トラックで乗り入れたのが始まりだった。

いくつかの団体のお歴々が集まっていて、

これからアメリカの米の輸入圧力に対抗して、

生産者と消費者が一緒になって日本の米を守る運動を始めるのだ、という。

「当然、大地も参加するよね」-「え? あ、ハイ」。

その夜の会議からまもなく発足した団体の名が、「米の輸入に反対する連絡会議」。

以来、米にのめりこんでいく羽目になった。

 

僕らの運動の基本スタンスは、「反対」 より 「提案」 である。

農薬散布をただ批判するんじゃなくて、 「無農薬の野菜をつくり・運び・食べる」。

有機農業を提案し、その野菜を運ぶこと自体が 「運動」 だった。

米の輸入反対運動は、必然的に生産と消費を直接つなぐ 「提携米」 運動を生んで、

大地を守る会もその一翼を担うようになる。

しかしそれは同時に食管制度と 「減反政策」 という問題に否応なく関与することでもあった。

 

「提携米運動」 は減反問題との関わりなしに語れない。

減反問題を語るなら、ただ批判するだけでなく、やっぱり、

その政策を下支えしている理屈について、触れないわけにはいかないだろう。

このブログでは、やれ 「マーケティングのない政策」 だの、

「裸の王様のような理屈だ」 とか、言いたい放題言ってきたが、

そんな調子で会の機関誌の一面を汚していいわけでもないし、

現実には、多くの生産者が、地域や農業経営との関係で、

そう好き勝手できない状態であることも承知しているつもりだ。

結局、こんな2行を挿ませていただいた。

 

「減反をやめれば米が過剰になり、価格が暴落して生産者がやってゆけなくなる」

と言われますが、これは 「無策」 を表現しているに過ぎません。

 

本音を言えば、今の僕の腹の中は、モーレツに農協批判をしたい欲求に駆られている。

農民のためでなく、組織を守るために、彼らは 「減反維持」 に固執していないか。

しかも創意工夫できそうなコスト削減まで、つまり農民の創造性を阻んでいる。

いろいろ考えても、そうとしか思えないのだ。

 

結局は、まったく中途半端な文章になってしまったのだが、

問題は字数ではなく、「ではどうするか」 について、

僕の中で、まだ整理し切れてなかった部分が残っていたことなのだ。

「提案型運動」を標榜してきたくせに。

 

本当に全面展開できるようになるために、もうひとつ思考が必要だ。

大きな一枚岩が立ちはだかっているようでいて、

靄 (もや) の先は目の前にあるような・・・・・

これこそが減反問題の嫌らしさのような気がしている。

 



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