エビ版「おコメ大百科」: 2009年5月アーカイブ

2009年5月 5日

堰(せき) ‐水源を守る

 

またやってきた、この山里に。

e09050501.JPG

福島県喜多方市山都町の山間部にある早稲谷地区から本木地区にいたる集落地。

この山の中に江戸時代に掘られた水路-本木上堰がある。

その水路があることによって、集落の田に豊かな水が供給される。

毎年田植え前の5月4日には、村の人たちが 「総人足」 と呼ぶ

全戸総出での堰の掃除日となる。

しかしだんだんと高齢化が進み、その堰の維持も困難になってきたところで、

この地に入植した浅見彰宏さんが都市の仲間にボランティアを募ったところ、

年々助っ人が増えてきた、という話は前にも書いたとおりである。

 

でもって私は、スポーツ大会ふうに言えば、3年連続3回目の出場。

前日の夕方には現地に入り、前夜祭と称して、

みんな (地元の人にボランティアたち。だんだん顔馴染みになってきた) と一杯やって、

5月4日午前7時半。 普段ならとても出社できない時間に、

爽やかに (とは見えなかったと思うが) 集合する。

e09050502.JPG

僕らは本木地区から早稲谷に登る班に編成される。

堰守からの挨拶があり、いざ出発。


江戸時代に掘られたといっても、自然とのたたかいの中で幾度となく修復された堰である。 

コンクリが打たれた箇所もある。

こんな感じで積もった落ち葉や土砂をすくってゆく。

e09050503.JPG

 

堰は実に微妙な傾斜をもって掘られていて、

距離が長いほど集まってくる水も増え、水量が蓄えられる。

しかしその分、土砂の堆積はすぐに水道(みずみち) を遮断する。

浚(さら) ったあとに吸いついてくるように流れてくる水。

e09050504.JPG

 

「これで田んぼに水が来るんだから。 先祖代々守ってきた堰だから 」

そんな説明を聞かされながら、みんなでせっせと浚う。 

e09050505.JPG

 

楽なように思えるかもしれないが、5mも進むと息が切れる。

この水路が全長6kmにわたって続く。 

e09050506.JPG

「休み休みやんなせぇ」 と地元の人は言ってくれる。

たしかに、手の抜き方や休み方にはコツがあるように見えるのだが、

まだ3回目の自分は、ついつい力を入れては、

すぐに肩で息をしたり腰を伸ばしたりの繰り返しとなってしまう。

 

途中で眺めた、里山、棚田の風景。 山桜が美しい。

e09050507.JPG

 

途中にこんな標がある。 

e09050508.JPG

「総人足」 という共同作業とは別に、戸別に割り当てられた区間があるのだ。

その1区間の清掃に2,500円の手当てが支給される。

2,500円たって、一人じゃ半日では終わらないだろう距離である。

いずれこれも困難になるかもしれない。

 

なんという植物だろう。 

e09050509.JPG

ホントはきれいに取り除くべき場所だったのだが、つい残してしまった。 スミマセン。

 

総出で水路を守っても、荒れる田んぼは増えている。

e09050510.JPG

ここは2年前は耕作されていたように思うのだが・・・

今年は 「もう作らねぇな」 とのこと。

 

作業終了後、公民館前で慰労会となる。

e09050511.JPG

ビールに豚汁、そしてなぜか恒例の、冷奴1丁にサバの缶詰。

これが僕には謎なのである。

地元の人に聞いても、前からこうだ、としか教えてくれない。

同行した会津出身の大地職員が言うには、

「サバ缶は常備品です。 我が家でも常に置いてありますよ。」

そう言って、開けなかった私の分もしっかりリュックにしまったのだった。

どうやらその辺りにヒントがありそうだ。

 

水が絶えない。 水が潤沢にある。 これはとてもシアワセなことだ。

e09050512.JPG

作業の途中で出会った沢の水の美味かったこと。

この一滴を味わうだけでも、この作業に参加する意味は、ある。

 

いま世界のあちこちで、コモンズ (公共の場) としてあった水源が、

「水道事業の民営化」 の名のもとで企業に買収されていっている。

水が商品と化し、人々は多国籍企業から水を買わなければならなくなりつつある。

そこでは 「支払い能力」 のない者は、生きてゆけない。

もとより水は、企業が作ったものではない。 あんたのモノではないのだ!

水は、生き物たちの循環とともに流れる地球生態系の血液なのに、

誰も専有できるはずのない財産が、私企業の利潤を生む道具として奪われていっている。

しかも原価はタダである。 その 「ただ」 をずっとずっと支えてきたものがある。

それは誰にも渡してはいけない。 ・・・・そんなことを考えてしまう。

 

「過疎」 とか 「限界集落」 とか言われながら、見捨てられつつある場所は

貴重な水源地なんだけど、ある日気がついたら、外国資本の手の中にあった、

そんな時代が来ようとしている。

何とかしたいなぁ、ああ・・・・・ 

 

現地に到着した3日の夕方、昨年結成した 「あいづ耕人会たべらんしょ

のメンバーと、今年の野菜セットの打ち合わせを行なう。

今年は7月から9月までの3回のセット販売と、

庄右衛門インゲンや会津地ねぎを 「とくたろうさん」 企画で扱うことなどを検討する。

これも僕らなりの、ささやかなたたかいの一歩なのだった。

 

なお、この場を借りてのお知らせですが、

僕たちがせっせと飲んで貯めてきた 『種蒔人基金』 から、

今回の交流会用に 「種蒔人」 6本を差し入れしましたことを、

ご報告させていただきます。

「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」

このコンセプトを呪文のように唱えつつ、

好きな酒を飲みながら、堰浚いを続けたいと思うのであります。

 



2009年5月 1日

学生たちの環境教育活動で米づくり

 

昨日は山武に行ったかと思えば、今日は香取にいる。

ここ、千葉県香取市(旧・佐原市) の多田という地区で、

佐原自然農法研究会代表の篠塚守さんは米づくりを営んでいる。

有機JASの認定農家である。

e09050201.JPG

典型的な谷津田地帯だ。

ここに今日、一人の学生さんをお連れした。

NPO法人 「太陽の会」 の事務局長・岩切勝平君。 某W大学の4年生。

小中学生を対象に自然体験型の環境教育活動を行なっていて、

今年は米づくりを体験しながらの環境教育プログラムに取り組みたいと、

当会に相談にやってきたのだった。

 

4月に入ってから相談に来られてもねぇ。

もう生産者はすっかり準備に入ってる段階だからねぇ。 厳しいな。

-などと偉そうにぶちつつ、ダメもとで篠塚さんに電話してみたところ、

快く 「分かった。 いいよ。 やらしてあげる」 と言ってくれた。

しかし・・・これから改めて苗をつくらなくっちゃね。

(面積は)どれくらい? 何人来るの? -具体的なプランはこれからである。

 

そこで 「とにかく会いに行こう」 ということになった。


周りではもう田植えが始まっているなかで、

篠塚さんは 「まあ、ウチはまだこれから」 と泰然としている。

こういう人でないと、こんな急な話には乗ってくれないか。

地元の子どもたちに教えたりしてきた経験もある。

2002年に横浜市内の小学校で総合学習を引き受けた時は、

篠塚さんや仲間のメンバー、それに奥様方にも色々と手伝ってもらったし、

今年の東京集会でもお世話になった。 いつも無理言ってスミマセン。

 

用意していただいたヨモギ餅を二人で遠慮なく頬張りながら、 

トントンと話を詰めていく。

これから苗をつくって、田植えは5月31日とする。

草取り作業と稲刈りまでのスケジュールや段取りの確認。

2回目の草取りイベントでは、泊りがけでの自然体験ツアーを組みたい意向。

これはもうちょっと時間をかけて検討することとする。

そして案内していただいたのが、上の写真左手前の田んぼ。 5アールくらいか。

「ここがいいと思うんだけどな。 どうだい?」

耕起してある。 すでに田植えの予定を組んでいた場所だ。

篠塚さんは、若者や子どもたちのためだと思うと面倒を厭わない。

ありがたい話である。

「ここでやらせてください」 と岩切君も腹を決める。

e09050202.JPG

いろいろと詳細を確認する二人。

オレも、手前どもの 「稲作体験」 の今年の規模を考えると、

人の世話やっている場合じゃないんだけど、

生産者が無理をきいてくれたお陰で、セッティングできた話である。

できる限りのフォローをしなければいけない、と思う。

 

ちなみに 「太陽の会」 というのは、歴史のある団体で、

設立は1975年に遡る。 大地を守る会と一緒である。

設立者は、音楽家の北村得夫氏。

氏は太平洋戦争末期、人間魚雷の訓練中に広島での救済活動にあたり、その際、

被爆した子どもたちと 「絶対に平和な社会をつくる」 という約束を交わした。

その約束を果たすために、世界共通言語である音楽やマンガを通じて、

子どもたちへの平和教育活動を始めたのだという。

北村氏と交流のあった方々には、手塚治虫さん、石ノ森正太郎さん、やなせたかしさん

といった漫画家の名前があり、また幸田シャーミンさん、オノ・ヨーコさん、北野大さん、

政治家の海部俊樹さん、橋本龍太郎さんなども協力している。

シンボルマークは岡村太郎さんの作。

現在の会長は三木睦子さん (三木武夫元首相夫人) という、

超ビッグネーム・オンパレードの、どえりゃあ会なのである。

 

北村氏が病気になられた2006年に、

学生中心で運営するNPO法人として再出発した、とのこと。

ま、先達の名前はかなり重たいけど、歴史は歴史として、

学生ならではの活動を展開していってもらいたい、と思う。

こちらもできる範囲でのお手伝いはさせていただきましょう。 これも何かの縁なんで。

 

e09050203.JPG

つい先日(4月29日) 谷津田の話を書いたけど、こんな感じ。

向こう側は耕作が放棄され、荒れてきている。

一所懸命切り拓いた土地が、いつのまにか 「やっても割が合わない」 土地になって、

生き物との繋がりもだんだんと途絶えていって、

いつかヒトの記憶からも消えてしまうのだろうか。

そのとき、僕らはどんな暮らしをしているのだろう・・・

 

篠塚さんはきっと、子どもたちに見せたいのだ。 篠塚さんの記憶を。

 

≪ 注 ≫

「太陽の会」 という団体名はいろんな分野であるようですが、

いかなる政治・宗教団体とも関係ない、とのことです。 HPは -ないようです。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ