提携米・減反問題: 2008年6月アーカイブ

2008年6月27日

「雪の大地」 の遺言

 

メンテナンス中だった先週の話を続けて恐縮ですが、

報告しないわけにはいかないことが続いたので、お許し願いたい。

 

訃報はいつも突然やってきて......

また一人、農の美学を信じた男が逝ってしまったのです。

 

山形・庄内協同ファーム元代表理事、斉藤健一さん、58歳。

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  (遺伝子組み換え作物拒否のシンボルマークを持って、田んぼに立つ斉藤健一さん)

 

健一さんの葬儀が行なわれたのは、6月21日(土)。

港区芝公園で行なわれたキャンドルナイトのキャンペーン・イベント

 『東京八百夜灯』 の日。

警備担当の役割を人に頼んで、列車を乗り継いで鶴岡に向かうことになった。


新幹線で新潟まで行き、羽越本線で日本海を北上する。

本を読んだりする気にもならず、ただ海を眺める。

今年の 「大地を守る東京集会」 のリレートークで、

庄内での取り組みの歴史を語ってくれたのは、たった3ヵ月前のことだったのに、

とか思い返しながら。

 

健一さんとの付き合いは1987年、

「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」 の立ち上げからだった。

米の市場開放と国の減反政策に反対して、

生産者と消費者の提携の力でこの国の田んぼを守っていこう、という運動だ。

その頃、「無農薬を要求するのは消費者のエゴだ」 と突っぱねていた健一さんが、

この運動の中で、「自らの意思」 で有機栽培に挑み始めた。

消費者に言われたからじゃない。俺がやりたいからやってんだ、とか言いながら。

いつだったか、収穫期に訪れた僕をコンバインに乗せて、

子どもに教えるように操作の手ほどきをしてくれたのを覚えている。

 

93年の大冷害がもたらした米パニックと、それに端を発して進められた市場開放は、

この運動に新たな展開をもたらした。

一年の冷害でかくももろく自給が崩れ、市場と消費者を混乱に陥れた

この国の農業政策の愚かさに挑んでみたい。

国を相手取っての裁判に打って出たのである。 

僕らの主張をひと言でいえば、

減反政策は国民の生存権を脅かす憲法違反である、というものだった。

農民の  " つくる自由 " を奪い、農村を疲弊させ、

消費者には  " 米が手に入らない "  という混乱と精神的不安を招いた。

国民の税金を "米を作らせないため" に使い、

結果として主食の自給力を衰えさせた。

 

全国から集まった原告は、生産者・消費者合わせて1294名。

裁判は、1994年10月の訴状提出から始まり、2001年8月まで続いた。

その間、27回の口頭弁論があり、

我々はその度に様々な論点で意見陳述を行なった。

 

僕は第2回の口頭弁論で、

水田の貴重な環境保全機能や役割が衰えてきたことを訴えた。

健一さんは6回目に登場して、

生産調整という名の減反が、補助金が出ないなどの集団的制裁を伴って

進められたことを、切々と訴えた。

 

    減反政策が始まってからの日本の農業は、転落の一途を辿ってきた。

    青年を農業の外に追い出し、村に20代の農民はいなくなった。

    田んぼに人影がなくなった。

    上流部では耕作放棄の田が広がり、二度と水田に戻らない状態になった。

    減反政策は、日本の農村景観の破壊であり、

    日本の農民の歴史に対する冒とくである。

    自由と平等そして生存という基本的人権を保障した日本国憲法のもとで、

    国家の政策によって集団的制裁を手段とする減反政策が強行されていることに、

    強い怒りを抑えることができない。

 

彼自身、減反に応じなかったために、地域での役職をすべて奪われ、

村の仲間から 「国賊」 とまで罵られたという。

減反政策は、地域の共同体までもカネでズタズタにしたのだ。

農民は、その地を離れることはできない。 どんなに辛かったことだろうかと思う。

 

減反政策は一時緩んではきたが、ここにきて再度強化されている。

しかも補助金を絡めての締めつけは、以前よりさらに厳しくなってきている。

世界の食料が逼迫している時代に、今でも真綿で首を絞めながら、

「米を作るな」 の脅しが農村を跋扈 (ばっこ) しているのである。

健一さんは、どんな思いをもっていったんだろうか。

 

葬儀で、若い頃の健一さんの写真が写された。 

まるでグループ・サウンズのボーカルみたいにカッコいい姿があった。

 

葬儀後、付き合いのあった生産者に流通関係者などもたくさん残って、

健一さんを偲ぶ席が設けられた。

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それぞれに悔しい思いや、楽しかった思い出などを語り合う。

 

斉藤健一さんは、大地を守る会にとって、もうひとつの顔がある。

大地オリジナル純米酒 『雪の大地』 の原料米、美山錦の生産者である。

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今年の製造は、彼のこだわりでもって木桶での仕込みである。

カートンの中には、彼が魂こめたという詩が添えられている。

 

    朝靄 (もや) の中に 大地をうなうトラクターの響き

    芽吹いたばかりの若苗が柔らかに輝く

    やがて 水が張られ 代かきされた水鏡は

    かげろうの中に田植えの時を待つ ............

 

今年も健一さんは、しっかりと美山錦の苗を植えつけてくれている。

今年の田んぼは、協同ファームの仲間が手分けして支えてくれることになっている。

 

協同ファームの生産者たちと別れ、飛行機でとんぼ返りとなったが、

そのまま大人しく帰ることができず、仲間の顔を見たくなって、

浜松町で降りて、芝公園に向かう。 何人分もの香典返しを抱えたまま。 

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消灯された東京タワー。

『東京八百夜灯』 に参加した人たちが帰り道についている。

 

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美しく輝く田園風景と、たくましく誇りを持った農民たちの姿を思い描きながら、

魂の農民、斉藤健ちゃんが、逝っちゃった。

 

健ちゃんが握りしめて走った、そのタスキの一片。 もらったからね。

何としても、つないでみせるから。

 



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