田んぼの生物多様性: 2007年8月アーカイブ

2007年8月 7日

「農と自然の研究所」東京総会(続き)

 

昨日は宇根豊という人物についての紹介で終わっちゃったけど、

総会の内容にも、ちょっと触れておきたい。

 

ひとつは、この総会に農水省の役人が来たことだ。

少し頼りない感じの若い方だが、報告した内容は無視できない。

 

7月6日、農水省が出した「農林水産省生物多様性戦略」について。

 

「安全で良質な農林水産物を供給する農林水産業及び農山漁村の維持・発展のためにも

 生物多様性保全は不可欠である」

 

どうも役人の文章は好きになれない。あえて分かりにくくさせているようにすら思える。

という感想はともかく、

第一次産業という人の営みが生物多様性を育んできたことを農水省も認め、

それを高く評価して、

安全な食べものを供給する上で、生物多様性の保全は欠かせない「戦略」である、

と言ってくれているのだ。

 

農水省が、農業生産と生きものの豊かさの間に重要なつながりがあることを認めた、

という意味では、画期的なことと言える。

 

しかし・・・・と思う。


君らが推進してきた'農業の近代化'こそが、生物多様性(生態系)を壊してきたんじゃないか。

反省はあるのか、こら!

 

それが、あるんだ。いちおうは。

 

「しかしながら、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地や水路の整備、

 生活排水などによる水質の悪化や埋め立てなどによる藻場・干潟の減少、

 過剰な漁獲、外来種の導入による生態系破壊など

 生物多様性保全に配慮しない人間の活動が生物の生息生育環境を劣化させ、

 生物多様性に大きな影響を与えてきた。」

 

そう進めてきた張本人のわりには、何だか客観的な言い方が気に入らないが、

生物多様性の保全のための具体的な取り組みとして挙げてきた内容は、

ほとんど我々の陣営から育ってきた主張が並んでいる。

有機農業の推進も盛り込まれている。

 

それもそのはず、宇根さんはこの「戦略」作りの委員だったのだ。

 

里地・里山・里海の保全、森林の保全、地球環境への貢献......と

総花的内容にどこまで期待できるかはともかく

(いずれにしても具体化や予算化はこれからだし)、

よくぞここまで書かせたものだと、脱帽するほかない。

 

説明する農水の若手役人も、「やります。本気です」と言う。

省内では色々な突き上げもあったようだが、

昨年の「有機農業推進法」といい、

農水省内部も変わりつつあることは確かなようだ。

 

有機農業運動にとって、宇根豊という思想と個性を得たことは、

これで運動に血が通ったような幸運すら感じさせる。

時代を変えるパワーの発信源のひとつであることは間違いない。

 

生産者の方は、この「戦略」をどう読み、活かすか、ぜひともご一読を。

            (↑この2文字をクリックすると見えます)

 

総会の後半では、

これまで宇根さんと関わりの深い出版社の編集者が呼ばれ、

『農の表現を考える』と題してのセッションとなる。

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ここまで獲得してきた世界を、その価値を、どういう全体像に現わしていくか。

ただの観念論に陥ることなく、「科学」(的視点)もしっかり取り込み、

新しい'表現'をつくりあげたい。

 

宇根さんは、もう次に行こうとしている。

 

そして、このタイミングで、宇根ワールドの現在の地点を示す書が出された。

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尊敬する出版社のひとつ、コモンズから。

渾身の1冊!である。

この書の意味は、実に深い。うまく整理できれば、改めて。

 

「農と自然の研究所」の活動は、あと3年。

きっちりと、ついていってみたい。

 



2007年8月 6日

「農と自然の研究所」東京総会。農の情念を語る人、宇根豊。

 

昨日(8月5日)、

NPO法人「農と自然の研究所」の東京総会というのが青山で開かれた。

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この研究所の本部は福岡にあり、宇根豊さんという方が代表をしている。

会員は全国に885人。私もその一人である。

 

この宇根豊という人物。

農学博士の肩書きを持つが、

もとは福岡県の農業改良普及員(農業の技術指導をする人。県の職員)である。

その、まだ若かりし普及員時代の1978年、今から約30年も前、

当時の農業指導理論の常識を逆さまにひっくり返して、

初めて'農薬を使わない米づくり'を農家に指導した公務員として知られている。


それは「減農薬運動」と言われた。

ただ'農薬をふるな'というのではない。

マニュアル通りに機械的に農薬を撒くのではなく、

一枚一枚微妙に違う田んぼの様子をしっかり観察し、害虫の発生状態を自分の目で確かめて、

本当に必要な時に撒くことが農業技術だ、と伝えていったところ、

農薬散布が劇的に減っていった、という話である。

 

当たり前に持っていたホンモノの百姓仕事をしよう、と言ったのだ。

これは農民の主体性を取り戻す運動となった。

 

僕と宇根さんとの出会いは1986年、

東京・八王子で開催した「食糧自立を考える国際シンポジウム」だった。

米の輸入自由化が社会的に大きな議論を呼んでいた時代。

アメリカやタイ、韓国など、たしか10カ国くらいから農民や研究者が集まって、

食料の自由化がどんな問題を孕み、どんな影響を与えるかを討論した、

かなり画期的な国際会議だったと思う。

 

大地はこのシンポジウムの事務局団体のひとつとして参加していて、

宇根さんには、日本側パネラーの一人としてお願いし、招聘していた。

彼は海外からやってきた農民や研究者の前で、

「赤とんぼは、田んぼから生まれるのです」 とやったのだ。

 

「田んぼはたくさんのいのちと文化を育んでいる」

 

農民団体が「一粒たりとも・・」とか叫んでいる中で、

僕は宇根さんによって、

「もっと視界を広く持て」 と教えられたような気がしたのである。

 

さて、思い出話はともかく、

彼は、周りは敵だらけの減農薬運動から始まって、

その後も思想を深め、理論を発展させ、2000年、とうとう県職員を辞し、

活動を10年と限定して「農と自然の研究所」を設立した。

 

研究所を設立してからは、田んぼの生き物調査の手法をガイドブックにまとめて

全国に広げる一方で、自らの思想を「百姓学」として構築しつつある。

福岡県は、この生き物調査を「県民と育む農のめぐみ事業」と称して、助成金をつけた。

環境に貢献する農業仕事として、価値を認めたのだ。

 

そして昨年、研究所は朝日新聞社の『明日への環境賞』を受賞した。

見事なたたかいっぷり、と言うほかない。

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宇根さんは、いま僕が最も尊敬し、注目もしている'思想家かつ実践家'の一人である。

しかし、宇根さんの思想は、僕の力ではなかなか解説できない。

たとえば、こんなことを言う人なのである。

 

お金に換算できない百姓仕事が、実は自然や環境といわれるものを一緒に育ててきた。

近代化や科学には、この価値がとらえられない。経済合理性の目では'見えない'のだ。

私たちはその広大な世界を見つめ直さなければならない。

 

あるいはこうだ。

 

田の畦草刈をしていて、カエルが足元の草刈り機の前を跳んだとき、私は立ち止まる。

何回も立ち止まってしまう。

それを経済学者は生産効率を低下させる無駄な時間だととらえる。

また生態学者は、この田んぼにいるカエルの数から見て、数匹殺したところで影響ないと答える。

しかし、2~3匹斬っちゃっても問題ない、と立ち止まることをしなくなった時、

私の生き物を見る'まなざし'は、間違いなく衰えるのだ。

 

彼が目指すのは、'農と百姓仕事の全体性'の復活と再構築、とでも言えようか。

それを土台に据えて、虫たちとともにたたかいを挑んでいる。

まるで『風の谷のナウシカ』のオウムのようだ(ナウシカでなくてすみません)。

 

そして圧巻だと思うのは、こんな表現である。

 

私たちが美しいと感じる風景は、生き物たちの情念によってつくられている。

それを見る百姓の情念と交錯しながら、

「環境」や「自然」はたくさんの生き物たちと一緒に育てられてきた...

 

たとえば、ここにある大地の稲作体験の風景。

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この風景は、すべて生き物によって構成されている。

生き物たちの「情念」で満ちている。

私たちヒトは、その「情念」と交感できているだろうか。

 

「情念」というコトバを、そのコトバのもつ情感も含めて使いこなせる人を、

私はこの宇根豊という男以外に知らない。

 

話が長くなってしまった。でもここまできて、途中で終わるわけにはいかない。

この項続く、とさせていただきます。

 



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