食・農・環境: 2010年2月アーカイブ

2010年2月25日

宇根豊さんを囲んで

 

21日の日曜日の午後、エキュート大宮を覗いたあとで、

秋葉原にある日本農業新聞社という新聞社に出向いた。

ここの会議室で、「宇根さんを囲む会」 なる集まりが開かれたので、

遅まきながら報告しておきたい。

 

宇根豊さん。

このブログでも何度となく登場していただいている、" 農の情念 " を語る人。

長く農業指導にあたった公務員職を投げうって、10年限定の活動と定めて

NPO法人「農と自然の研究所」 を設立したのが2000年の時。

早いものでもう10年が経ってしまった。

 

3月の解散総会を前に、

宇根さんに触発されながら生きてきた人たち有志による、小さな集まりが企画された。

研究所の解散を惜しむ人はあまりいない。 これで宇根豊が枯れるワケじゃないから。

むしろこれからの宇根ワールドの展開を期待しつつ、

これまでの労をねぎらいたい人、感謝する人、注文をつけたい人、

農業団体の方、林業家、研究者、マスコミ人、出版人、市民団体のリーダーなどなど

各方面から約30名ばかりが集まった。

こういう会にお声かけいただくとは、光栄なことだ。

ここは女房に何と言われようが、出なければならない。

(別に何か言われたわけではないけれど、決意の程の表現として-)

 

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この日の宇根さんの話は、研究所10年の活動を振り返るようでいて、実は 

宇根さんが 「虫見板」 なる道具を使って害虫の観察を指導した頃からの、

30年で到達した地平と、まだ出ていない " 解答 " について、だった。

 

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「10年で、まあまあ布石は打てたか、と思う。

 生き物調査は、生物多様性農業支援センターに引き継がれたし。」

 

「さて、虫見版はどこまで深まったのだろうか。。。ということです。」

 

ここで宇根さんが描く次の地平を語る前に、

改めて宇根豊がいたことによって開眼された世界を振り返ってみたいと思う。

この席に呼んでもらった者の仁義として。

 

僕なりに時系列的に追ってみると-

虫見版は当初(80年代初頭)、害虫対策として始まった。

ただ言われた通りに農薬をふるのではなく、

たとえばウンカが今どれくらいいるのか、どの生育期にあるのかを確かめた上で、

「適期(最も効率のいいとき) にふらんといかん」 という、

極めて当たり前のようでいて、当時の上からの一律的な指導とは一線を画すものだった。

そのことは、田んぼの状態は一枚一枚違うのだということを思い出させ、

また自分の判断で農薬を撒くという主体性を取り戻させた。

結果的に農薬散布回数は劇的に減っていったのである。

それは 「減農薬運動」 と称されて注目を浴びるのだが、

しかし 「減~」 であるゆえに、有機農業側からは、自分たちとは違うものとして扱われた。

 

虫見板(による減農薬運動) の普及は、

百姓 (ここは宇根さんの表現に倣って使わせていただく) たちに虫を眺める姿勢をもたらした。

そこで発見されたのが、「よい虫・悪い虫・ただの虫」 という概念である。

田んぼには、害虫や益虫だけでなく、

実にたくさんの  " どっちでもない、よく分からない "  ただの虫たちがいるのだ。

しかもその数は、益虫よりも害虫よりも、圧倒的に多い。

(ちなみに、宇根さんたちがまとめた生きものリストでは、害虫より益虫のほうが多い。)

 

その虫たちの名前を知りたい (名前で呼びたい)、

どんなはたらきをしているのかを知りたい、という欲求は、さらに観察力を高めた。

そしてそれまで見えていなかった世界をつかむことになる。

 

トビムシはワラの切り株を食べて土に還すはたらきをしている、という発見。

虫たちのためにも農薬をふるのをやめよう、という感性の復活。

虫たちが食い合いながら共生して田んぼの豊かさをつくっているという、

今でいう生物多様性(生命循環) と、百姓仕事がつながっているという世界の獲得。

 

「宇根さん。今年、ウチの田んぼでタイコウチが見つかったんだよ! 30年ぶりかなあ。」

「あんたは30年ぶりに見たかもしれんが、タイコウチは30年、あんたを見とったとよ。」

「そうなんだよ。そうなんだよ。」

 

この世界は、田んぼだけのものではない。

見渡せば、風景そのものが生きものたちで構成されている。

ヒトはそれらを手入れしながら、一緒に生きてきたのである。

生物多様性と農業のかかわりが見つめ直されてきた時代にあって、

今では有機農業者たちも、宇根さんたちが獲得してきた世界と思想から学ぼうとしている。

 

そして、宇根さんがこれからまとめようとしているのが、「風景論」 である。

自然は生命の気で満ち満ちている(天地有情)、その生命たちで構成された風景をこそ、

私たちは美しいと感じるのではないか。 

さて、この世界を百姓仕事の側からどう表現するか・・・・・

「自然」 と言わず 「天地」 と語り、

「景観」 と言わず 「風景」 と語りながら、宇根さんはまだ深く言葉を探し求めている。

 

参加者の中から、北の宮沢賢治に南の宇根豊、という言葉が漏れた。

う~ん、分からなくもない・・・・・

脳裏にあるのは、たとえば賢治の 「農民芸術論」 だろうか。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。

  ここにはわれら普段の潔く楽しい創造がある。

  都人よ 来ってわれらに交われ  世界よ 他意なきわれらを容れよ。

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  ・・・おお朋だちよ。 いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と

  われらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

 

「景観」 とか 「自然」 とか 「多様性」 とか 「農業技術」 とか、

口に出した瞬間から、思いが指の間からこぼれ落ちていくような焦燥とたたかっている

彼の追い求める道が、農民の芸術を創り上げたいという渇望にも通じているとするなら、

たしかに彼は " 農の思想家 " であるのみならず、

農民、いや " 百姓の芸術 " 論を紡ぎ出すことのできる、希望の一人だろう。

 

帰りたがらない一行は、アキバの中の古民家づくりの居酒屋で気炎を上げる。

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宇根さんを囲んで宇根豊談義は尽きず、

まあ実に熱い人たちだ。

 

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虫見板からはじまって、6000種に及ばんとする田んぼの生き物リストの完成まで、

実にたくさんの 「語れる道具」 を編み出し、惜しみなく僕らに与えて、

「農と自然の研究所」 を約束どおりきっちりと閉める宇根豊の表情は、

少し晴れやかにも見える。

彼の思索はまだまだ続くのだが、僕らもただ彼の仕事を待つのでなく、

歩かなければならない。

 

あさっての東京集会で世に出る 「たんぼスケープ」 は、

実は僕なりの 「生きもの語り」 「風景の発見」 「まなざしを取り戻す」

ネットワークづくりへの挑戦でもある。

 



2010年2月 9日

東京うんこナイト

 

先週は宮城から帰ってきてから、ついに溜まった宿題に沈没。

4日に開かれた最後の合同新年会・茨城編をパスする羽目になってしまった。

行方市での有機農業モデルタウンの報告をお願いしていた濱田幸生さん、すみません!

とことん議論しよう、と内心楽しみにしていたのですが、まことに残念。

今度改めて伺える時間を取りたいので、どうかお許しください。

 

と、そんな言い訳をしながらも、翌 5日の夕方には、

周りの目を気にしつつ、不審なトーク・セッションに出かけてしまうワタシがいた。

この世界に生きていると、時折とんでもない人に出会うことがある。

経験の蓄積とともに、たいがいのことでは驚かなくなるのだが、

今回はかなり度肝を抜かれた。

久々に、過激な確信犯に出会った、という感動である。

 

イベント・タイトルは、「東京うんこナイト」。

(このタイトルゆえに、一般紙での案内掲載はことごとく断られたらしい。)

場所は新宿・歌舞伎町のトークライブハウス、「ロフト・プラスワン」。

潰れちまった新宿コマ劇場前の、コンビニ店脇から地下に降りた、妖しげな空間。

ああ、70年代にもあった、ような・・・・

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そこで出会った男の名は、井沢正名(いざわ・まさな) さん。

肩書きは褌(ふんどし)、じゃなかった 「糞土師」。 

どう言ったらいいんだろう。 早い話が 「のぐそ」 で生きている人なのだ。

水洗トイレでのうんこを拒否して36年。 一日一便 (びん、じゃなく、べん)。

積み重ねてきた 「のぐそ」 が1万●●●●回 (メモし忘れた)。

 

「人間が作り出す最高のもの、それは・・・うんこしかない!と思うのです。」

生物の命を食べて生きていることへの恩返しとして、自然に返す、をひたすら実践してきた。

 

これはただのヘン人ではない。

彼の著書 『 くう・ねる・のぐそ  -自然に「愛」のお返しを 』 (山と渓谷社刊) から

その経歴を見れば、筋金入りだということが読める。 長いが引用したい (一部略)。

 

1950年、茨城県生まれ。中学、高校と進むうちに人間不信に陥り、高校中退。

1970年より自然保護運動をはじめ、1975年から独学でキノコ写真家の道を歩む。

以後、キノコ、コケ、変形菌、カビなどを精力的に撮り続け、長時間露光の独自の技術で、

日陰の生きものたちの美を表現してきた。

同時に1974年より野糞をはじめ、1990年には井沢流インド式野糞法を確立。

2003年には1000日続けて野糞をする千日行を成就。

2007年、「野糞跡堀り返し調査」 を敢行し、それまで誰も見ようとしなかった、

ウンコが土に還るまでの過程を生々しく記録した。

主な著書・共著に 『キノコの世界』、『日本のキノコ』、『日本の野生植物、コケ』、

『日本変形菌類図鑑』 などがある。

 


錚々たる作品歴を持つ、立派なキノコ写真家なのである。

まあだいたいこのブログを覗いてくれる常連の方には、

もう文脈はご想像いただけるだろうか。

 

キノコとは菌であり、多種多様な微生物とともにある必須の自然界の分解者であり、

有機物 (炭素) の循環と土づくりの大切な担い手である。

免疫力を高める食用価値のあるものから人を死なせる力を持つものまで、

その種の多様性も、実にあなどれない。

井沢さんは、そんなキノコに取り(撮り?) つかれた人生から始まり、

ヒトの排泄物が自然に還っていない現代都市文明の矛盾に対する敢然たる意思表示として、

ウンコを自然に還す生き方に至ったようだ。

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写真左で語っているのが井沢正名さん。

自宅(茨城県某所) の裏山の雑木林に、毎日、印をつけながらウンコをして、

それを掘り返しながら、自然に還っていく経過を記録した。

カメラに収められた映像は、自然界の生命循環そのものである。

もちろんその目線にあっては、キノコは日陰者ではない。 主役の一人である。

この 「テッテー的に記録した」 というのが、アブナイ人と講演料を取る人の分岐点である。

(ワインを飲みながら生々しい写真に驚嘆する参加者も、なかなかの人たちだ・・・)

 

井沢さんの講演の後、しばしの休憩を経て、第2ラウンドとなる。

もう一人のゲストは、日本トイレ研究所の上幸雄さん。

第三世界の人々のために衛生的なトイレを普及させる活動から始まった団体で、

神戸の震災経験などを経て、都市での災害時のトイレ(排泄) 対策や公衆トイレの問題など、

トイレ環境の改善をテーマに活動している。

水洗トイレの問題にも詳しく、上さんの説明によると、

汚泥の最終処理は、かつての海洋投棄や処分場埋設を経て、

今は焼却処分されているようである。 井沢さんが怒るのも、分からなくもない。

上さんは、井沢さんの思想には共鳴しつつも、現実論として

排泄物をリサイクルできる技術を提案したい、というスタンスである。

詳しくは著書

 『ウンチとオシッコはどこへ行く -水洗トイレの深ーい落とし穴 』 (不空社刊)

を参照とのこと。

実は、上さんとは20年ぶりくらいの再会である。

こんなところで会えるとは・・・・うんこよ、ありがとう。

 

現在のし尿処理を経て作られる人糞由来の肥料 (汚泥肥料)

には化学物質などの問題もあり、単純に土に返せばいいとは言えない。

有機物を土に返す技術をベースに持つ有機農業でも、

今の有機JAS規格では、人糞利用は認められていない。

そこで有機農産物の流通に携わる大地を守る会のエビちゃんという人が出てきて、

いろいろ知ったかぶりに解説したりして、最後は3名+司会でのセッションとなる。

司会は、今回の仕掛け人、山と渓谷社の斉藤克己さん。

5年前、大和川酒造さんとの縁で、一緒に飯豊山に登ってからのお付き合いである。

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井沢さんがスライドで見せたところの、菌や小さな分解者たちの手によって

ウンコが腐植土へと変わってゆくプロセスは、有機農業における堆肥づくりと同じである。

僕なんかが理屈で説明するより、すべての人の日々の行為の結果である排泄物から

生命循環の世界を見せることの、けた外れの説得力は、

正直、「目からウンコ!」 の感動モノだった。

 

ただもうひとつ、僕が伝えたかったのは、井沢さんの思いは良しとしても、

今の私たちは何を体に入れているのかも問題にしないといけないのではないか。

つまり健全なウンコを出せる暮らしをしたいものだ、ということ。

食べ物の出入りの収支も完全に狂ってしまっているしね。

自給率40%の国で、メタボ状態になって生ゴミを捨てている状態を見つめることも、

できればして欲しい、とつけ加えさせていただいた。

人糞のリサイクルとは、いわば食(=生命) のサイクルと同義だと思うので。

 

そこで司会の斉藤克己氏が、江戸の話をしろと水を向ける。

たしかに江戸の街は、その点ではすごかった (らしい) 。 

人糞は買い取られ、運ばれ、武蔵野の大地を潤した。 

100万都市で自給が成立した、世界でも稀有なモデルである。

しかも、街は美しかった。

見たわけでもない人間が解説しても説得力がないので、一冊の書物を紹介した。

渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー)。

明治初期に日本にやってきた欧米の知識人たちが残した紀行文や記録を辿って、

当時の風景や文化の諸相を再現した名著である。

間違いなく世界で最も衛生的な都市であり、質素で、礼節があり、

子どもたちがほがらかに笑っている、そんな国が描かれている。

たとえばこんなふうに-

 

「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。 山の上まで見事な稲田があり、

 海の際までことごとく耕作されている。 おそらく日本は天恵を受けた国、

 地上のパラダイスであろう。」

 

文明の劣った国だと思ってやってきた欧米人に、こんな感嘆の声を発せさせた日本は、

残念ながら、もうない。

この時代の美しさを支えたのは、排泄物を土に還すインフラの存在である。

 

井沢さんの実践と観察からの計算によれば、一人あたり1アールの土があれば、

日本人みんなが毎日 「のぐそ」 をしても大丈夫なのだと言う。

クソ真面目に反応すれば、都会に人が集中している限り不可能な話ではある。

ではあるが、今の私たちの暮らしを見つめ直してみる素材としては、

これに勝るものはないかもしれない。 

 

彼が都会に出てきたときにやる 「のぐそ」 については、僕の口から喋るのは止めておこう。

とりあえず法律とは違ったモラルをもって実践している、とだけは付記しておく。

彼は紙も使わない。 その営み時に使う葉っぱの研究にも余念がない。

彼はそのモラルと、生命の循環につながる歓びを武器に、

国家権力ともたたかう決意をもって生きている確信犯である。

権力が相手にするかどうかは別として。

 

あっという間の3時間だった。

美しいキノコや人糞が土に還るまでの実写の威力は、

僕の口先の有機農業論よりずっと説得力があったのは、

口惜しいかな、認めざるを得ない。 

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斉藤さん。 呼んでくれてありがとう。

忌み嫌い、隠しつつ、しかし避けられない排泄行為と 「うんこ」 という現実からの

循環と生物多様性の論理は、とてつもなく刺激的だったよ。

「食」 の現実や水循環の問題など、もっと語り合いたかったけど、

まあ今回はよしとしよう。

 

心残りなのは、「明日のウンコを、今日のうちにやっておく」

などという技がどうしてできるのか、その極意が分からなかったことである。

 

  ( ※ 2枚目からの写真は斉藤克己さんから提供いただいたものです。 )

 



2010年2月 7日

映画情報(補足)

 

1月31日に紹介した2本の映画、「ブルー・ゴールド」 と 「アンダンテ」。

改めて公式HPを見ると、ちゃんと各地での上映日程が出ていました。

「アンダンテ ~稲の旋律~」 HPはこちら。

  →  http://andante.symphie.jp/

 

「ブルー・ゴールド ~ねらわれた水の真実~」のHPはこちら。

  →  http://www.uplink.co.jp/bluegold/

 

サム・ボッゾ監督は来日されていたようで、

昨日の朝日新聞(朝刊) にインタビュー記事が掲載されてましたね。

「映画のメッセージは、水不足の国よりも豊かな国にとって、より重要な意味を持つ。

 自国の水資源が他国のターゲットになるかもしれないということを

 意識できるだろう」  と語っています。

 

水源地とは、中山間地のこと。 

過疎・高齢化・耕作放棄・限界集落・・・と、他人事のように評論しているあいだに、

中国資本が山間地を買い占め始めているという噂を聞いたのは数年前のことです。

今もって事実は分かりません。 ジャーナリズムも追いかけてないようです。

水の豊かな、緊張感のない国、でないことを祈りたいものです。

 

おススメ映画情報の補足でした。

 



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