食・農・環境: 2010年7月アーカイブ

2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に

到達しつつある。

小川さんの苦労は報われる。 間違いない。

わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。

 

できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた

祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。

浅見さんと相談してみよう。

 



2010年7月 4日

中山間地はみんなの共通資産だから

 

愚痴をこぼしつつ、ついついしつこく書いてしまう悲しい性(さが) 。 

しょうがないので続ける。

 

二日目(6月27日)は、現地視察が組まれた。

まずは、地元の人たちとボランティアの協働で維持する山都町の堰を見る。 

集落の上にある棚田を通って行く。

耕作されなくなった場所もあるが、ここは変わらずきれいだ。 

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水はゆっくりと、温みながら流れて、一帯の田を潤してくれている。

江戸時代にマンパワーで切り拓いてより、地域の共有資産として、

数百年にわたって修復を繰り返しながら皆をつないできた血脈である。

いま僕らは、21世紀のボランティア(志願兵) として

その歴史の一員に連なっている。 

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続いて、チャルジョウ農場を訪れる。 

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有機農業学会の方々も、こんなハウスは見たことがないのでは。

ハウス内に傾斜がある。 もしやこれも小川理論? 

いえ、下の土地を確保したので、そのままハウスを伸ばしただけだと。。。

 

小川光さんの有機農業のポイントは、自家採種できる品種選択から始まる。

栽培においては、

間隔をあけて苗を植えて、1株でたくさんの枝を立てて実を成らせる 「疎植多本仕立」、

堆肥を深く掘った溝に入れることで初期の肥効を抑えて生長とともに効かせ、

かつ水分保持力も高める 「溝施肥」、

野草をいろいろ選別しながら残す (これが重要。除外すべきものは取る) ことで

害虫の天敵昆虫を増やすとともに土壌侵食を防ぐ 「野草帯管理」、

といったところが大きな特徴である。

さらには徹底した資材のリサイクル利用がある。

 

もらってきた資材でハウスを作り、落ち葉でたい肥を作り、土に水を保持させ、

少ない苗でたくさんの実をつけさせ、天敵との共生で生態バランスを整える。

種も残して自給力を高める。

これらの総合によって、灌水設備のない山間地でも、

「農薬・化学肥料いらず」 でやってゆけることを実証する。

 

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一本気で、裏表がなく、したがってどこか生きにくさを感じさせる小川さんだが、

山間地の農業をただただ守りたいという思い、守れるのだという信念と、

実践によって構築していく徹底した実証主義が、

若者たちを育てる力になっているように思う。

一方その性格ゆえに、若者たちから意外にも慕われたりするのだ。

この山間部で、小川さんの世話で住み着いた家族の間に、生まれた子供が22人。

これが小川光という人物の、内容証明である。

 

最後の視察先は、熱塩小学校。 

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日曜日なので誰もいないが、

小林芳正さんと鈴木卓校長が待っていてくれた。

 

農業科の新設とともにつくられた食育スペースがある。 

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小林さんは農業の持つ教育力を信じている。

それは生命を育てるという行為そのものだから。

稲を育て、いろんな野菜を育てることで、感性豊かな大人に成長してほしい。

そして同時に大人も育つんです。 

そんな美しい共生の 「村」 を、小林さんはいつも思い描いて、

子どもたちに日々農作業を教えている。

 

「育苗からいっさいの化学物質を使わせないんです。

 そんな小林さんのしつこさやこだわりが、

 いつの間にか子どもたちにも伝わっていくんですねぇ。。。」

と苦笑しながら説明する鈴木校長先生。

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授業は年間42時間の計画だが、天候事情などによって、

実際には50時間以上におよぶらしい。 

小学校から農業教えてどうすんの、という地域の反応も強かったそうだが、

鈴木先生は自信を持って語る。

「畑を耕すことで、心も耕す。

 知育を高め、食育・体育を高め、徳育にもつながって、

 結果として学力すべてを上げる。

 実際にここの生徒の成績は上がってるんですよ。」

 

農業科の畑と田んぼは学校を取り囲むようにあり、

3階の窓から全部見渡せる。 

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眺めるだけで、地域が支えていることを実感させる。

 

廊下にも階段にも、子どもたちの作品が張り出されている。 

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ハイ、こんにちは。  いいなあ、この感じ。

 

中山間地問題となると、きまって 「課題」 が語られる。

 - 販路の開拓、6次産業化、、、しかしそんな視点より、

まずは足元の環境や暮らしや農業スタイルを誇れるようにすることが大切だ。

 

水路の意味から都市にメッセージを発信する浅見彰宏さんや、

山間地で飯の食える技術として有機農業を教える小川光さん、

そして子どもたちも父兄も誇る、わが村の農業と自給給食。

地域の文化を美しく 「食べさせる」 料理人の存在。

骨太に活性化させる土台は、地域への " 愛 " だね。 

 

都市生活者あるいは消費者という立場にいる者にとって、

中山間地域というのは、けっして " 救うべき "  過疎地などではなくて、

とても大事な、守っていただかなければならない水の源、のはずである。

この社会資産は未来の人々のものでもあるわけだし。

外国資本に買われていい場所ではない。 

 

守るための条件は-

そこにちょうどいい数の人がいて、持続性の高い、すなわち循環型で

環境と調和した生産によって、

質素だが楽しく、助け合いながら、誇りを持って暮らしてくれている。

それをどう支えられるかってことだよね。

 

都市の人たちにもできることがある。

その地域の価値の " 新たな発見 " だ。

足元にある当たり前の姿が、当たり前じゃない力をもっていることを

発見させてくれるのは、外の目だったりする。

そういう意味でも、人の交流は、互いの価値の発見を促す力になる。

守りたければ、税金で、とかいう前に、まず手をつなぐことだ。

 

山都の堰さらいへの参加も、未熟者たちの野菜セットも、

共通の資産を守り育てるための  " 輪 "  づくりだと思っている。

 



2010年7月 3日

食文化の伝道師と若者たち

 

6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、

帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。

こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。

30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。

7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。

『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。

 

一週間出ずっぱりとなってしまった。

こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。

ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、

どう転んでも書けそうにない。

何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、

遅れの帳尻を合わせることにしたい。

 

 

「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、

猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。

実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。

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フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)

「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」

というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、

もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。

今回はこちらでお願いする。

 

このホテルの総料理長になって22年。

最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った

 " 華 " のある料理を披露されていたのだが、

福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。

有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。

その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。

 

食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。

山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。

しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、

地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。

それが 「料理」 による地のおもてなしだと。

 


現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、

ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。

 

山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、

大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。

料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、

たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、

調理に変化を持たせたりするのだという。

また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。

さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。

昨年には 「体験農場」 も開設した。

宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、

夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。 

そんなコースを楽しむ人が増えている。

 

生産者の思いや地場作物の物語を  「食」 を通じて伝えるなかで、

地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。

「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。

ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。

気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。 

 

さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。

板橋 大(ゆたか) くん。 

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大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。

酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。

今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。

 

チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。 

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前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。

2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。

 

チャルジョウ農場からもう一人。

写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、

有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。

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「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。

 小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」

彼女たちには、農業への偏見がない。

牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、

美しい被写体を見ている。

要は生き方だよなあ、と感じさせる。

 (オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)

これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、

それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。

 

こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が

もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。

この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。

途中で折れることなく、大事にしてほしい。

 

実践報告でも、若者たちのリレートークでも、

実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。

素直に誇りたい。

 

次は二日目の現地視察。

山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、

このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。

すみません、明日に回します。

 



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