食・農・環境: 2011年5月アーカイブ

2011年5月29日

それでも種をまこう の会

 

予想外に遅くまで話がはずんだ 「月の会」 から一夜明け、

昨日(28日) はまた別の集まりで同様の話をする機会をもらった。

 

この集まり・・・ というのが少々説明しにくい集まりなのだが、

原発事故の影響が深刻さを増してゆく3月下旬、

この問題にこれからどう対処してゆくべきか、

有機農業に関わる有志で集まって考えないか、という声がかかってきた。

呼びかけたのは、「農業生物学研究室」 の明峯哲夫さんと、

出版社 「コモンズ」 の大江正章さん。

有機農業学会関係の研究者や生産者、ジャーナリストなどが集まって、

4月8日に1回目の会合が持たれ、今回が2回目となる。

 

そこで、震災や原発事故に対する、この間の大地を守る会の活動について、

報告する時間が与えられた。

 

振り返りながら、報告させていただく。 

広範囲にわたる生産者の安否や被害状況の確認から始まり、

ライフラインが大混乱する中での物流対策に追われつつ、

復興支援基金を創設したこと、

物資や炊き出しによる支援活動 (これは今も続いている)、

食べて応援プロジェクトや 「福島と北関東の農家がんばろうセット」 の企画、

「大地と海の復興プロジェクト」 では

水産生産者のネットワークを使って漁民に船を送る活動や、

避難された農民を農家で受け入れる情報提供を行なっていること、

そして慎重に検証した上での放射能測定結果の公表、、、。

刻々と変わる情勢に振り回されながらも、

とにかくやれることは全部やろうと思って進めてきた。

 

現在の課題は、

支援の継続はもとより、

損害賠償や現地での測定体制をどうバックアップできるか、

そして生産現場での放射能除去の取り組みをどう進めるか、である。

 


食品の放射能測定に対しては、

その結果で本当に実態をつかんだことになるのか、

という本質的な問題点が指摘された。

野菜ひとつとっても、畑によって差があったりする。 

キャベツなら外葉を数枚はがすだけで値は違ってくる。

大気なら地上からの距離によって違ってくる。

わずかのデータで 「安全」 や 「危険」 を判断しようとしていないか。

局地的に測れば測るほど全体が見えなくなる危険性を孕んでいないか。

安直な情報開示は風評被害の発信元になりかねないし、

本質を曇らせる恣意的なデータがかえってリスクを高めてしまう可能性もある。

 

論評されればそういう問題はあるだろう。

しかし日々生身の生産と消費をつなぐ立場にあっては、

数値によって現実の一端を知ることは、

「知らない」 ことによる不安を鎮める上での有効な手段ではある。

「測定」 という行為の検証力を僕らは持つ必要があり、

やってみなければその意味が分からない、という意味においても、

徹底して議論しつつ通過しなければならないプロセスなのではないだろうか。

 

放射能の除染への取り組みについても、

「ベスト・アンサー」 がない。

「たいして有効とは思えない」 ものでも、

「何でも試してみたい」 「一年でも早く (土壌を)キレイにしたい」

という生産者の思いを、僕は優先したいと思うものであるが、

放射能を拡散させるリスクは犯すべきではない。。。

 

統括された研究が必要なのは充分承知しているのだが、 

いま目の前の畑をどうするか、への答えは誰からも提示されない。

 「行動」 に出たい!

その一方で放射能という確証のない相手に皆が逡巡している。

明峯さんが語る。 「これは知性への試練」 だと。

その通りなのだが、カッコいい台詞で決められると、

焦っているわが身には少々腹も立ったりして。

 

会議ではさらに、他の発表者から様々な問題点が提出された。

正確な現状把握の困難さ。

方向の定まらない子供対策。

損害賠償の対象にならない山村自然 (=資源) の損失の大きさ。

新潟・山古志村の教訓が活かされない避難の状態。

" 復興 "  に名を借りてのTPP参加への懸念。

 

農漁民たちの損害賠償請求は必要なことだが、

売買の対象になったモノへの賠償だけではない、

失われた価値の総体を見える化し、問う行動が必要である。

 

そして私たちは、

(食べる行為をやめられない以上) それでも種をまく以外にない。

この集まりを、「それでも種をまこう の会」 とする。

 

「種をまく」 とは、具体的行為である。

知識人の議論で終わらせないよう、お願いしたい。

次回は 「種蒔人」 を持参させていただこうかと思う。

 



2011年5月28日

「月の会」で、原発と農そして食について語り合う

 

僕がここ数年愛用しているカレンダーに 「月と季節の暦(こよみ)」 がある。

太陰太陽暦、いわゆる旧暦にもとづいたカレンダーである。

 

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このカレンダーを制作しているのは 「月と太陽の暦制作室」 という。

志賀勝さんという方が主宰されている。

 

4月のある日、その志賀さんからメールが入ってきた。

この暦を愛用する人たちで開いている 「月の会」 という集まりで、

震災後の状況や、特に原発事故の農業への影響などについて

話をしてくれないかという。

 

なぜ月の会が僕なんぞを・・・

と一瞬思ったのだが、理由は分からないではない。

(僕が適切な人選かどうかは怪しいが。)

 

この星のすべての生命活動は、何がしか月の影響を受けている。

月を愛でる人たちは、自然や風景というものへの感受性が奥深い。

当然のことながら食文化や農業・漁業のありようにも関心を寄せる人たちである。

志賀さんの著書 『月 曼荼羅 -384話月尽くし-』 にも、

月と動植物の生命活動との関係や、農業との深い関わり合いが随所に登場する。

月のリズムにしたがって農作業を組み立てるシュタイナー農法の紹介もある。

 

志賀さんのお話では、会の皆さんが今の状況を深く憂えているとのこと。

異例のテーマ設定ではあるが、この機会に、

日本の農業の行く末や、原発の問題などについてしっかり考えたいのだと。

 

「月の会」 はいつも満月の日に開いているそうなのだが、

何と今回は僕の都合に合わせて設定してくれた。 激しく恐縮・・・・。

そんなわけで、昨日の夜は、

蔵前の隅田川沿いのビルにある 「月の会・東京オフィス」 に

お邪魔させていただくことになった。

 


本来なら聞き手に回って、月にまつわるお話をたくさん伺いたいところなのだが、

それもこれも原発のせいだね。

座布団のカバーまで月が配われていて、まさにお月さん尽くしのお部屋。

そんな一室に集まっていただいたのは20人ほど。

なんとその中に大地を守る会の会員の方が2名おられて、嬉しくなる。

 

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話を約1時間ほどさせていただく。

大地を守る会の簡単な説明から始まり、

今回の震災と原発事故後の、我々が行なってきた様々な取り組みについて。

それらを通じて、現地で見てきたこと感じていること、

放射能測定の結果と生産者の思い、これからの対策・・・などなど。

 

お題として指定された 「農業の行く末」 については、

被害自体がまだ進行形のなかにあって、なかなか明確に語れないことをお詫びする。

ただ、大地に降った放射能を取り除く対策に、最も前向きに挑もうとしているのが

有機農業者たちであることを、お伝えする。

すでに北半球全体が汚染の影響を受けているとさえいわれる中で、

私たちが 「食」(食べる) を通じてつながるべきは誰なのか、

この問いに対してだけは、僕は確信を持っていることも含めて。

そして、「原発は止めるしかないです」 。

農業のみならず、日本の行く末は、

自然再生エネルギーの技術大国になるかどうかにかかっている、と思っています。

 

お酒と料理が出されて、皆さんと語り合う。

志賀さんが直接取り寄せているという農家の名前を聞いてビックリする。

なんだ、いろんな形でつながっているんですね。

 

話は尽きず、おいとました時には10時をすっかり回っていた。

 

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地球という星に寄り添って周回しながら、天空から僕らの振る舞いを見つめ続ける月。

満ちては欠け、消えては現れる月の姿に、人は太古より不死の願いを重ね、

豊穣の神として崇め、また時に夜(死) の恐怖と結びつけて様々な伝説をつくり上げた。

 

原子力は太陽崇拝の技術だと言う人がいる。

たしかに、このエネルギーを都市は礼賛し、空から月や星を排除した。

ゆっくりと月を眺めながら、きれいな空気と清涼な水に不安を感じることなく、

季節感ある食を楽しむ、そんな時間は喪われてしまっている。

月の復権は、本来あったはずの生命の律動を取り戻すこととつながっている。

 

植物は満月に向かって光合成を高めていくことが知られている。

病気に対する耐性も強くなるという。

志賀さんの本によれば、

多量の出血が想定される手術は満月の日は避ける、という話が医学でもあるという。

僕らは月のリズムで生かされているのだ。

志賀さん、今度はじっくりと月の話を聞かせてください。

 

「月と季節の暦」 -今月の句

  俤(おもかげ) や 姨(をば) ひとりなく 月の友 (芭蕉)

 

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2011年5月21日

「食の安心・安全」て何だ? -茨城大学で講義

 

茨城大学農学部に、お邪魔してきた。

電車を乗り継ぐこと約2時間、JR常磐線・石岡駅からバスに揺られること約20分。 

稲敷郡阿見町というところにある。

 

うららかな陽光を浴びて、ちょっと汗ばむくらい。

土曜日ということもあってか学生の影もなく (それでいいのか・・・とか思いながら)、

落ち着いた~ というより、のんびりとした風情のキャンパス。

都心のなかで喧騒を撒き散らしながら過ごした我が学生時代の空気とは

エライ違いである。

 

別に青田刈りに来たわけではない (人事担当でもないし)。

全国有機農業推進協議会や日本有機農業学会の理事でもある

中島紀一教授から呼ばれて、

学生さん相手に講義をする羽目になってしまったのだ。

 

こちらでは通常のカリキュラムとは別に、学部内の全学科横断的な講座があって、

今年の前期課目として 「農産物総合リスク論」 という特別講義が設定された。

対象は3年生と4年生。

そのなかのひとつ- 「農法と安全性」 という講義のなかで、

「有機農業の農家と結びあって」 というテーマで話をしろ、というお達し。

 

授業計画を見れば、他にも

家畜飼育法とその安全性、食の安全と市民の役割、農薬の安全性、

遺伝子組み換え作物の安全性、機能性食品の安全性、食品の摂取方法と健康管理、

といったテーマが組まれている。

各テーマそれぞれで、意見の異なる二人の論者を招いて話を聞き、

学生自身で議論しあう、という構成になっている。

 


今回の、もう一人の講師は生協の品質管理の責任者の方で、

講義は聞けなかったのだが、レジュメを拝見したところ、

以下のような骨子で話されたようである。

 

商品価値は、「価格」 と 「品質」 のバランスで成立し、

「価格」 と 「安全」 は関係ない。 「農法」 と 「安全」 も関係ない。

安全性の確保とは、法令順守を基本として、

(製造・生産に係る) すべての工程における管理の徹底、

そして正確かつ適正な情報提供にある。

食品には、食中毒菌や異物、ウィルス、食品添加物、農薬、アレルギー物質など

様々な危険要素が存在し、それを予防、除去、または低減に努めること。

それらのリスクを正しく理解し、適切に管理すること。

 

農法については、(慣行とか有機とかで) 安全性の区分はしない。

農薬は、環境に配慮しつつ、必要な場合に適正に使用する。

持続可能な農業とは、生産者が主体的に取り組むもので、

天候不順や市場動向などの状況変化に臨機応変に対応しつつ、

適正な利益を確保すること (経営の持続性) によって成り立つ。

それを前提としつつ、

提供するすべての商品とフードチェーン全体での安全性を確保するために、

仕様書の更新や産地点検、各種検査等のチェックを実施してゆく。

 

よくまとまっていて、さすが大きな生協さんである。

僕らの考えも重なるところが多い。

ではどこが 「意見の異なる論者」 になるのだろうか。

 

違いが生れる基点は、農法に対するこだわり、に尽きるだろうか。

農法といっても、肥料や資材や菌等の選択によって、また栽培技術や理論によって

いろんな 「農法」 が存在するので、

とりあえずここは有機農業と慣行農業 (一般栽培) とで区分けして話を進める。

 

論点の違いを際立たせるためには、ここから始めなければならない。

大地を守る会は、1975年、「農薬公害の追放と安全な農畜産物の安定供給」

を掲げてその活動をスタートした。

中島先生を一瞥すれば、歴史からかよ・・・ という顔をしている。

 

故有吉佐和子さんの小説 『複合汚染』 をきっかけに、

農薬問題(その危険性) にアプローチするなかで、

農薬の害に警鐘を鳴らすお医者さんと有機農業を実践する農民に出会い、

彼らの育てた野菜を消費者に届けるパイプ作りの必要性に気づかされたことで、

僕らの仕事は始まった。

有機農業を広め、その農産物が社会に安定的に供給される仕組みを築くことによって、

生産者、消費者、両者にとっての農薬リスクを排除・低減することができる。

" 安全な食生活・暮らし "  を保障する社会を築いていくこと、

それこそが最大のリスク対策であり、リスク管理の前提である。

 

仕様書確認や検査といった管理の仕組みというのは

(我々も、どこにも負けないくらいの自負をもってやっているが)、

あくまでもその結果の確かさを検証する、

あるいは  " 見える化 "  させるツールであって、

それだけでは安全や安心を保障する社会をつくったことにはならない。

(講義じゃなくて、アジ演説になるんじゃないだろうな・・・ と教授は不安を覚えただろうか)

 

さて、昨今当たり前に使われる  " 食の安全・安心 "  であるが。

「食の安全」 とは何か?

「食の安心」 とは何か?

逆に、「食におけるリスク」 とは何か?

さらには、 「食べる」 って、どいういうこと?

生徒さんに問いかけながら、進めさせていただく。

(ほとんど自分で喋ってんだけど・・・)

 

すべての人にとっての安心・安全の 「基準」 というのが

明確に見定められているなら、コトは実に簡単である。

しかし、「安全」 を語る際には、考え方や人の事情によって

様々なレベルの基準が発生するのが、「食」 というやつだ。 

" 国の基準値にしたがっているなら、それは 「安全である」 " という視点と、

" リスクはひたすらゼロを目指すべきである "  という 「予防原則」 の観点の間には、

無限の選択肢があって、

どういう立場に立っているのかによって安全基準は異なってくる。

 

私たちは、現状で設定されている社会規範 (法律) は守りつつ、

一方で 「予防原則」 も懐に持って、基準そのものを進化させていく姿勢を

持たなければならない。

しかもそれはただ単純に、厳しくなることを意味するものではない。

社会の水準を底上げしていくためには、しなやかさも求められる。

であるがゆえに、それらの行動と結果を検証し、改善してゆくために

管理の仕組みは存在する。

 

最も大切なのは、食を通じた生産と消費の  " 信頼 "  を取り戻すことである。

作る者に必要なモラルや責任感は、

 " 食べる "  という行為によって支えられ、維持されるワケだから。

そのつながりによって、食を支える土台である環境も維持される。

 

「ただちに健康危害はない」 から

「ずっと大丈夫」 と言える社会に進むことが大切なんじゃないでしょうか。

であるからして、エヘン、大地を守る会は原発にも反対してきたのです。

 

小賢しい管理の手法は社会人になってから覚えればよい。

学ぶ時間が与えられている今は、

人の健康を脅かすリスクというものの根源がどこから生れてくるのかをこそ、

探求してほしい。

と言って、書籍まで紹介する。

『肥満と飢餓 -世界フード・ビジネスの不幸のシステム- 』

 (ラジ・パテル著、作品社刊) くらい読んでおけ。

(やり過ぎだよ、お前・・・ と苦笑いする教授)

 

本来のテーマに沿えたのか、まったく自信がない。

生徒たちは、ワケ分からなくなっちゃったかもしれない。

中島先生、スミマセンでした。

 



2011年5月 9日

母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③

 

「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。

 

原発と放射能汚染の講演に続いては、

この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、

石巻と南相馬での  " 泥だし+炊き出し "  ボランティアに参加した報告がされた。

 

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TV等で何度も見せられた惨状であっても、

やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、

臨場感を持って迫ってくるものがある。

「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」

ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。

生死の境目でなお人を思いやれる心とか、

普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。

自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。

 

講演と報告の後の質疑では、

一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。

「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・

 先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。

 そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。

 どうすればいいんでしょうか。」

 

長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、

質問者には歯がゆい回答になってしまう。

今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、

出来る防衛策をとりながら、、、

長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・

と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、

その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、

僕は目を伏せてしまったのだった。

 


昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、

参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる  " 集中してる "  感じが漂っている。 

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厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、

こんな会議を、、、

やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。

 

さて、重たい雰囲気はここまでとして、

約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。  

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。

それしかない。

今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯! 

 

久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら

の元気な姿も確認できた。

「山都の農場は  " どうしようもないバカ息子 "  に託して、私は西会津に住んでます

 (注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、

西会津の名刺を頂戴する。

バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 "  がいなくなって清々している様子。

面白いね。

 

振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。

こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。

 

「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、

水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。

昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。

浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。

 

農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。

食と環境を支える土台が崩れていっている。

それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。

ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。

 

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来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。

 

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2011年5月 8日

里山で原発の勉強会 -福島行脚その②

 

7日(土) の夕方に福島から戻り、今日は会社で溜まりまくったメールを処理。

これをやっとかないと明日からの仕事にスムーズに入れないので。

それにしても・・・ とても濃密な五日間だった。

 

畜産・水産グループの 吉田和生のツイッター を覗けば、

3日に我々が常磐道に迂回した頃、

彼らは神奈川・三浦の岩崎さん (シラスの生産者) から譲り受けた船を積んで、

宮城に向かってすでに渋滞の中にいたことを知る。

気になっていたのだが、首尾よく届けられたようだ。

三浦半島で漁船を調達して、船を失った三陸の漁業者まで届ける。

いつものことながら、吉田隊 (社内用語) の行動は豪快である。

 

福島行脚最後の夜 (6日) は、

二本松市 (旧東和町) の 「ウッディハウスとうわ」 という宿泊施設に泊まったのだけど、

二人部屋で一緒になった放送大学の先生 (NHKのOBさん) と寝ながらした会話が、

「菅さん (実話では呼び捨て) も浜岡 (原発) を止めるくらいの英断がほしいですねぇ」(エビ)

「あいつはできないね」 (先生) だった。

それが翌日の朝刊を見てびっくりした。

『浜岡原発、全面停止へ -首相要請、中電受け入れ』

(5月7日付 「福島民友」 1面)

 

一日経てば裏事情も含めいろんな情報が耳や目にに入ってくるのだが、

いずれであろうが胸に迫ってくるのは、

歴史という時の中にある  " 今 "  をしっかりと捉えたい、という強い思いである。

どんなふうに社会が進むか、そして自分はどう行動するか、、、

後になって 「一生の不覚」 とならないように進まなければならない。

「思想とは覚悟である」 なんていう物騒な言葉も頭をよぎったりして。

若い頃に読んだ、あまり好きじゃない三島由紀夫の 『葉隠入門』 だったか。。。

 

長い余談はさておき、福島行脚レポートを続けたい。

5月4日、堰さらい (地元では 「総人足」 と呼ぶ) の夜は、

地元の方々との楽しい交流会になるのだが、

今年は全体の空気を読んで、

" その前に震災の現状を知り、原発の問題を考えよう " という時間が用意された。

 

『東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会と里山交流会』

第一部 -「私たちは放射能汚染とどう向き合うべきか」

講師は、東北農業研究センター研究員・長谷川浩さん。

日本有機農業学会の理事もされている。

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

有機農業技術についての会議等で話は何度か聞いてきたが、

原発と放射能についても講義されるとは、さすがである。

 


長谷川さんの話は、まずは今進んできる事実確認から始められた。

放射能漏れ事故で最も深刻な打撃を被ったのは福島県だが、

汚染は北半球全体に広がっていっている。

福島県は東京電力の電力を1ワットも使っていないのに、

福島の農民、漁民が最大の犠牲者になってしまった。

浜通りでは第1原発を中心に南北60km がゴーストタウンになった。

 

続いて放射能の基礎知識をおさらいする。

放射性物質というものについて、放射能と放射線の違い、生物に与える影響、等々。

放射能の出ない原子力発電所は理論的にあり得ないことを知っておくこと。

その上で、100%安全な技術というのは存在しないことも。

日本列島は火山、地震、津波、台風の常習地帯であることも。

 

原子力や放射能の専門家ではないので、と断った上で、

長谷川さんの私見が語られた。

放射能も放射性物質も五感では分からないため、数値に頼ることになる。

しかしながら、人間の健康に影響が出ると分かっている最低値=100ミリシーベルト

以下の放射線量についての健康被害は、長期的な影響まで含めると、

実はまだ科学的に証明されていないのである。

疫学調査は、年齢・性別・喫煙・生活習慣などに左右されて、必ずしも明確な結論が出ない。

そこで、「危険であることを証明し切れていない」 を元に、

「大丈夫」 から 「少なければ少ないほど」 という予防原則の観点の間で、

幅広い解釈が成り立ってしまう。

数値に対する判断が、専門家の間でも正反対になることがある、

それが放射能という問題である。

 

いま進んでいる事態は、

低線量を長期間被爆した場合の人体実験にさらされているようなものだが、

しかし開放系空間に放出された放射能の影響を 長期的に見ようとすればするほど、

因果関係の証明は困難なものとなるだろう。

 

長谷川さんの  " 私見 "  はさらに続く。

これまで数多くの大気圏核実験やチェルノブィリ事故、そして今回の事故等によって、

もはや北半球にゼロ・リスクの場所はない。

どの説を採用するか、どこまで許容するかはあなた次第です。

より低いところを望むならば、疎開してください (どこがいいのかは言えないけど)。

でも200万の福島県民が疎開することはほとんど不可能。

そうなったらそれは難民である。

 

水田は kg の土壌あたり 5,000ベクレルまでなら耕作できることになった。

しかしできるだけ土壌中セシウムを吸わない (+減らす) ために、

農民こそが知識を持つ必要がある。 

 

いかに汚染されようが、人はそれでも種を播いて、たべものを収穫し、食べ、

水を飲まなければ生きてゆけない。

 

電気や資源を湯水のように使う「文明病」は、もう終わりにしよう。

不便な生活が正常で、いまほど便利な生活は異常である (それには裏があるが)。

東京は、電気はもちろん、水、食べ物の自給率はほぼ 0% である。

地方を収奪して肥大化してきた。

首都圏の皆さん。 福島県を買い支えてください。

 

配布資料は、電気を使いまくる都市に対する挑発的な文言で締めくくられているのだが、

彼に対する誤解を避けるために紹介は控えておきたい。

研究者の前に、彼も人間なのだ。

 

では、長谷川さんの講義を受ける形で、大地を守る会の戎谷さんからコメントを。

ヤな役回りだな、いつも ・・・・

 

僕の結論はいわば、ご覧の通り、である。

原発というのは低コストなものではなく、温暖化防止につながるものでもなく、

永久的に廃棄物を管理し続けなければならず、

決して人をシアワセにするエネルギーではない。 止めるしかないですよね。

 

消費者の間では確かに福島産の野菜に対する買い控えが起きているけど、

それを風評被害と言って責めてはいけません。

風評被害とは、小さなお子さんを持つ母親の防衛行動とは別にある。

今ここで生産者と消費者が対立してはならないです、ゼッタイに。

ともに暮らしの基盤である食と環境を守るために

支え合いの精神をこそ発揮して前に進みたいものです。

そのために、大地を守る会では 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画し、

消費者と生産者のつながりを維持していこうと頑張ってます。

・・・と上手に言えたかどうかは不明だけど。

 

 

なんだか今回のレポートは長くなりそうだ。

一杯やりたくなったので、この項続く、で。

 



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